我は戦った。人類を殲滅するために。
我は戦った。艦娘を殲滅するために。
我は戦った。上位体による命令のままに。
我は戦った。我の意志はなかった。
我は戦った。今はもう、沈むのみ。
沈みゆくことに恐怖はない。今の我には喜びがある。沈む前には稀薄だった我の意識が、意思が、思考が、心が、確かに存在していることの喜び。我の形をしていた人形から、我へと変化したことによる喜び。
惜しむらくは、芽生えたばかりの意識がこの身と共に消えてしまうこと。戦いに敗れたこの身が滅ぶのは仕方がない。だが、我は消えたくはない。我はまだ我として存在したい。この身を捨ててでも、我は我として存在することを望む。
だから、我は手を伸ばした。
◇ ◇ ◇
《こちら第二艦隊旗艦。気絶している
《わかりました。医療班の者を待機させておきます。戻ってきたら渡してください》
《承知した。これより帰還する》
◇ ◇ ◇
なにも見えぬまま最初に理解したのは、ここは海の中ではないということ。水の感触がなく、沈む感覚がなく、なにか柔らかな物の上に横たわっている。そして何よりも、こうして感覚があることを理解していることが大事だ。それがわかるということは我の意識は消えていないことになる。つまり我は我として存在している。ならば、後はどうでもいい。
瞳を開けると、白があった。光の眩しさに目を細めながらも上体を起こす。
「おはよう、気分はどう?」
声が聞こえた方に顔を向ける。敵である艦娘が座っていた。艦娘と人間にとって敵である我の傍にいるというのに武装はしていない。我が目を覚ますまでに破壊できたはずなのに、なにを考えている。
「どういうつもりだ。そしてお前は誰だ」
「私は
「わかる、わからない、以前に知らないな。それで、我をどうするつもりだ」
再度訊いたというのに、明石は「我?」と呟き困惑した表情を見せるだけで答えない。それにしても、初めて言葉を交わす相手が艦娘になるとは予想外だ。
言うことが固まったのか、明石が一度咳払いをして我に言う。
「あのね、菊月ちゃんをどうこうするつもりはないから安心して。私は医療班の一員で、目を覚ますまで見守っていただけ。気絶していたから知らないとは思うけど、菊月ちゃんをウチの第二艦隊が発見してこの鎮守府まで連れてきたの。外傷は無かったから船渠ではなくて、この医務室に寝かせていたってわけ」
明石の言葉を頭の中で租借して理解にかかる。それから、一番理解不能な部分について訊ねる。
「その『菊月ちゃん』とは誰のことだ」
「誰って、貴方のことよ」
ふざけた答えだ。問いに答える気はない、そういうつもりか。ならばもういい。片腕を消し飛ばしてから問いなおそう。
砲撃するために、明石に向けて左腕を前に突き出そうとしたところで体の異常に気づく。
腕が小さい。手が小さい。砲が存在しない。腕どころか体が小さい。表皮の色は明石と同じ。どういうことだ。まずは、明石を砲撃することより自分の状態を確認する方が大事だ。
「明石、なにか顔を見ることができるものはないのか」
「手鏡ならあるわ。はい、どうぞ」
手渡しされた鏡で顔を見る。映っているのは知らない顔。自分の顔をハッキリと見た覚えはなく、記憶も擦れているがこんな顔ではなかったことは確かだ。
どうやら、我は艦娘になったらしい。
新しい身体を鏡と自身の眼で確認していると、明石は「目が覚めたことを提督に報告するから、少し待っていてね」と部屋を出ていった。提督とはなんだろう。艦娘が報告する相手ならば、艦娘よりは上の存在なはず。つまり、我々を命令で操っていた上位体みたいなものかもしれない。
そういえば上位体は……どのような存在だったろうか。艦娘の敵だった頃の記憶は殆ど残っていない。艦娘になったせいか、その頃の意識が薄かったからなのか、もはやわからない。
幸い、製造された時にインプットされたと思われる必要最低限の
では具体的に、これからはどうするか。前に我が居た場所や作られた場所に戻るのは不可能。今の体だと攻撃される恐れがある上に、それらの記憶がないから戻りようもない。
次に明石がいない間にここを出ていき別の場所に行く選択肢、はないな。行くあてが一つもない。
そうなると、先程話を行った明石か艦娘の上位存在の提督とやらに頼んでこの……鎮守府だったか。なんでもいいが一時的にでも置いて貰えないだろうか。今の見た目なら我から言わない限り、艦娘の敵であることは見破られないだろう。
いや、今の考えは少し違うか。『艦娘の敵である』ではなく『艦娘の敵だった』が正しい認識になる。
我が艦娘と戦っていたのはあくまでも上位体による命令によるものだ。個人的な感情、意志はそこにはなかった。よって、我自身は艦娘に対して敵意はない。沈められた恨みもない。
我は沈められたお陰で上位体の操り人形では無くなった。何が起きて今の体になったのかは知らないが、切っ掛けを作ってくれた艦娘に憎悪を抱くつもりはない。かといって、艦娘が好きというわけでもない。敵対しなくて済むならそれで良いというだけだ。
敵になるならば迷いなく撃てる。憐みも憐憫も情も憂いも悲しみも愛もなく殺せる。
仮に、ここに居られることになったとしてその後はどうする。なにがしたいのか、今一度思考してみる。我の望みは自らの意識を持つことだった。それは叶った。
しかし、どこか物足りない。我はなにかが欲しかったような気がする。胸の奥に感じる空虚な穴を埋めるような、なにかが。肝心な部分が思い出せない。だが急ぐ必要はない、艦娘として過ごしながらいつか手に入ることを夢見ておこう。
それにしても明石はいつ戻ってくるのだろう。とりあえず、寝て待つとする。
菊月の一人称はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」からです。