ミックス・ブラッド   作:夜草

91 / 91
高神の社ルートⅦ + 黄金の日々ⅤNG

絃神島 中央区

 

 

 絃神島人工島(ギガフロート)の中枢、キーストーンゲートが襲撃。

 魔導工学企業『メイガスクラフト』が魔族特区管理公社に“戦争”を仕掛けてきた。

 

 中央区、街中での激しい戦闘。

 住民の避難を優先した縁堂クロウの対応は出遅れており、また、偶然、知り合い(かなせかのん)の見舞いに訪れていた<第四真祖>も、先日、誘導がされていた状況でもなければ、街中で災厄の如き眷獣を振るうことはできない。

 

 そして、第一線でぶつかった特区警備隊(アイランドガード)は、圧倒された。

 

 『第一非殺傷原則(ひとをきずつけてはならない)』という禁忌を破り、完全に破壊するまでは停止しない機械人形(オートマタ)の軍勢。魔術大国アルディギアの元宮廷魔導技師であり、門外秘の最新鋭の機動兵器<霧の巨人(アウルゲルミル)>を設計する魔導工学理論を知る叶瀬賢生の手によって改造された大型機械人形<炎の巨人(ムスペル)>は、銃火器はまず通用せず、一体一体が吸血鬼の眷獣並の戦闘力を有していたのだ。

 この絃神島に配属されている国家降魔官である<空隙の魔女>が、<炎の巨人>を縛り上げて撃破していくが、彼女一人ではこの戦線全てを支えることはできない。

 

「なっ、『仮面憑き』があんなに大群で……!?」

 

 さらに、『仮面憑き』――<模造天使>の儀式に参加した素体のクローンから造り出された歪な天使の軍団による空襲に特区警備隊は壊滅的なダメージを受ける。

 撃破し得る戦力である<犬夜叉>もひとりでは空を音速以上の速度で多数バラバラに飛び交う『仮面憑き』を相手にするのは難しい。

 この混乱の最中に、叶瀬賢生はキーストーンゲート地下16階にある人工島管理公社保安部に安置される娘、叶瀬夏音の元に辿り着き、“真なる天使”にすべく最後の処置を施そうとしていた。

 

 頼もしい“援軍”が来たのは、その時だった。

 

 

「―――我が身に宿れ、神々の娘。軍勢の守り手。剣の時代。勝利をもたらし、死を運ぶ者よ!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 なるほど、()()すればいいんだな。

 

 縁堂クロウは、銃剣から伸びる高純度の霊力の刃でもって<炎の巨人>の一機を両断したラ=フォリアのやり方を見て理解した。

 自らを精霊炉とすることで発動させる<疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>―――北欧アルディギア王家にのみ許されていたその秘伝を、対応力に抜きん出た殺神兵器の学習能力は、己がモノに噛み砕く。

 

「―――よし! アレすれば通じるようになるぞ」

 

「クロウ?」

 

 ラ=フォリアと一緒に連れて参上した獅子王機関の攻魔師たち。

 彼女たちは、制空権を支配する『仮面憑き』を銀色の洋弓から繰り出す遠距離射撃で撃ち落とさんとしたが、通用しない。次元が違う『仮面憑き』に、舞威媛の業が届かない。

 ならば、届くように自分が踏み台になって持ち上げればいいとクロウは思った。

 

「ほう、これは驚きです。完成された<模造天使>と同格の階梯に至れるとは……」

 

 第一王女も目を丸くする蒼く光り輝く金人狼、<神懸った神獣人化>へと変身したクロウは、次の瞬間、さらに『まあっ』と驚きに王女の口まで丸く開けさせることをやらかす。

 

「う。オレの元気をお姉ちゃんたちに分けるのだ!」

 

 『甲式葬無嵐罰土』のグリップ部分に紐を巻き付けて垂らしてるお守り袋から、伸びる透明な糸。それは、獅子王機関『三聖』のひとりが有する異能<神は女王を護り給う(テオクラティア)>の一端である霊糸。

 地面に突き立てたバットを基点に伸びる霊糸が、『仮面憑き』と応戦する舞威媛と剣巫が持つそれぞれの武神具に繋がる。

 それを伝たわせて、蒼く光り輝く<神憑った神獣人化>の芳香を染み通す。

 

「! <煌華鱗>に力が……!」

「よし、これなら当てられる……!」

 

 少女たちの武神具に光輝にして香気が充填された。

 これに戦況は、一変する。

 

「「獅子の舞女たる高神の真射姫が請い奉る!」」

 

 煌坂紗矢華と斐川志緒、獅子王機関の舞威媛の二人が揃って番える銀色の矢には、蒼白い霊気が雷光の如く迸っている。

 

「極光の炎駆、煌華の麒麟、其は天樂(てんがく)と轟雷を統べ、噴焰をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり―――!」

雷霆(ひかり)、あれ―――!」

 

 『六式重装降魔弓』より天高く放たれた鏑矢より、中央区を覆う範囲に巨大魔法陣が描かれ、それより重圧と化した神威が降り注ぐ。飛び回る『仮面憑き』たちが巨大な掌に握り締められたようにその動きを抑えつける。

 止まったところへ、『六式降魔弓・改』から狙い澄ました多重目標固定(マルチロックオン)の魔弾が次々と『仮面憑き』を撃ち抜き、撃墜させる。

 

 これまで通用しなかった『仮面憑き』に当てられるようになったからくりは、彼女たちの攻撃が、巫女の霊気から昇華された神気と化していることにある。

 アルディギアの王族として、ラ=フォリアには一目瞭然。

 それを為すのは、<疑似聖剣>だ。<疑似聖剣>であれば、神性と呼ぶにはかなり格の低い人工の天使にも通じる。

 だがしかし、魔族の天敵とも謳われた王家の術式は、そう簡単に再現できるものではない。

 たとえ、精霊炉の代役を務められるだけの霊気を保有するモノがいたとしても、その恩恵にあずかるには、霊気を受け取る触媒として調整された武具でなければ成立しない。

 王家の傍らに侍る乙女に破魔の力と癒しの加護を与える宝剣<ニダロス>であったなら、今の即興にも納得は良く。けれど、高性能であるが獅子王機関の攻魔師たちが持つ武神具にそのような機能はない。

 

 それを覆すのは、<嗅覚過適応>と<神は女王を護り給う>である。

 深奥にまで繋がれる霊糸によって、未調整の武神具とパスを接続し、それから“匂付け(マーキング)”。

 そこに用いられた原理は、<玉響>との時と同じだが、今回のは力を消すのではなく、更なる次元へと高める方向に働きかけた。

 宿る“匂い”を融和させてより良い芳香(もの)にするのが、ペアリング消臭の原理であって、それと同じように巫女の霊気と<神懸り>を為す金人狼の生命力をブレンドすることによって、武神具は所有者に親和性の高い神気を纏うようになったのだ。

 <芳香過適応>による<疑似聖剣>……後に、<疑似神剣貸与(スキールニル・システム)>と呼ばれるようになる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ちっ、ウチの新商品にケチをつけやがって、(ダル)くさせる真似をしてんじゃないわよ!」

 

 『メイガスクラフト』の兵器開発部門を仕切る女吸血鬼ベアトリス=バスラー。

 制御端末(リモコン)を弄って『仮面憑き』達に指示を出していたが、いきなり戦況が覆されようとしている。魔族特区の管理公社を壊滅させることで新商品に、世界中に轟かせるほどの箔付けをしようと考えていたベアトリスにこの状況は舌打ちを禁じ得ないものだ。

 『仮面憑き』を撃ち落とすなんて、普通じゃない。それも突然起こった。

 だから、きっとそのからくりになるものがある。それを潰せば、また『仮面憑き』で蹂躙できる。

 そう睨んだベアトリスは、矢が放たれる方角へ進もうとした。

 

 

「―――行かせない」

 

 

 と銀の長剣を携えた少女が、ベアトリスの進路を遮る。

 どんくさそうな、化粧っ気のない小娘だ。しかしその手に持つ長剣は、間違いなく武神具。先日、飛空艇に襲撃した際に衝突した『聖環騎士団』が持っていた、対魔族用の武具だ。警戒に値する。無論、小娘に使いこなせればの話だが。

 少女は鋭い目で、革製の深紅のボディスーツからくっきりと浮かび上がらせるその豊満なボディラインを上から下へ視線をなぞった。

 

 この艶めかしくも退廃的な色香を振りまく女吸血鬼に、立ち塞がった獅子王機関の剣巫――羽波唯里は、険しく目を眇める。

 

「なんだい、芋娘。その目は」

 

「ここにきて正解だったよ。クロ君を誑かそうとする悪いお姉さんは、視界にも入れさせちゃダメ」

 

 恐ろしい魔族……というよりも、はしたない痴女でも見るような非難する感情を隠しもしない小娘に、カチンとくるベアトリス。

 

「随分と舐めた態度とってくれるじゃない。気に食わないわねェ」

 

 手に持っていた制御端末のパネルを操作。画面に『天罰』の文字が表示される。

 このままでは会社は破産する状況を打開するための大博打で、余計な手間に時間を取られるわけにはいかない。

 それに、最上級の素体(かなせかのん)は除くとしても、視たところ素質は他の素体よりも優秀なようだ。

 

「詫びに、全身バラバラに刻んで、増やせるだけ増やしてあげるわ、芋女。このクローン共のようにねェ!」

 

「言葉遣いも減点。クロ君に悪い影響しか与えないような魔族は、お姉ちゃんとしてきちんと討っておかないと」

 

 起動(ブートアップ)、と担い手(ゆいり)が紡ぐキーワードに呼応して、銀色の長剣は、眩い光を放つ。

 それは、染料を溶いた水を茎より吸い上げさせて自然界にはありえざる青色の花弁を彩らせる青薔薇のように、剣の輝きは蒼く、そして、より濃くなる。

 

 二番煎じが……! と嘲笑うベアトリス。

 その芸当、<疑似聖剣>は、飛空艇を堕とした時、『聖環騎士団』の連中がやっていた。そして、『仮面憑き』に敵わず、捻じ伏せられた。

 格が違うのだ。

 ならば、この結果も同じ末路を辿るだろう。

 

 気づかぬか。

 人が二つ並ぶ燃え盛る火の勢いを見比べても、その中心温度がどれほどのものか計り知れないように、魔族に清浄なる波動など本能的に忌避して目を背けるばかりで差や違いなどわかりやしない。

 過去の記憶に当てはめるには、あまりに楽観視が過ぎる。

 その剣に宿る光は、霊気に非ず。

 単なる精霊炉から供給される人工的で無機質な霊力ではない。<神懸った神獣人化>を媒体とした――第一王女もビックリな――<疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>を、『六式降魔剣(ローゼンカヴアリエ)(プラス)』は纏っている。

 すなわち、神気を。

 そう、不完全な『天使』とは、格が違うのだ。

 そして、聖剣を超える神剣を構える少女もまた、ただ力を振るうだけの素人ではない。

 

「すぐに解放してあげるから……!」

 

 ベアトリスが護衛として側に配置していた『仮面憑き』が醜悪な翼を広げて無数の光剣を乱射する。

 飛来する剣を前に、一閃。

 それだけで、歪な光剣はすべて消滅する。まるで空間ごと抉り取られたかのように。

 そして、更にもう一閃、斬り返す。

 

「な……っ!?」

 

 白線を虚空に残す剣閃は、空間を断つ。醜悪なる翼を断つ。

 『仮面憑き』はその力の核たる翼を斬り落とされ、糸が切れた操り人形のように呆気なく倒れる。

 ありえざる光景に、ベアトリスは目を剥く。

 『仮面憑き』が、やられた。羽波唯里は、その場から一歩も動いていないのに。

 

 

 羽波唯里は、両親が職員として獅子王機関に所属している、天涯孤独の者の多い『高神の社』では珍しく、家族に養われて育った少女だ。

 他人はそれを幸福だというだろう。幼い頃に霊力を暴走させてしまい、実の親から疎まれ、虐待されてきたり、また売られたりした娘も中にいるのだ。そういう親からも捨てられてきた少女たちが集まってきているのだから、日常の話題選びにさえいつも気を遣っていたし、自分は恵まれているのだからと自身のことは後回しにして肩身が狭い思いもすることがあった。それで国防機関として魔族という人間以上の存在と戦う攻魔師になる修行は生易しいものであるはずがない。

 他に行き場のない候補生とは違って、『高神の社』を出ても生活していける唯里は、辛く苦しい修練から何度逃げだしたいと思ったことだろう。ひとりになると弱音を吐くことも多々あった。

 

 師家様より異国から拾ってきた問題児(クロウ)を預けられたのは、そんな唯里の人生の中で最も滅入っていた時期だった。最初は、情操教育をしたいのだが一応、男子であるから女子寮に置いておくのは問題で、かといって人の社会の中に放りだすわけにもいかないとのことから、両親が獅子王機関の職員だった羽波家に預けられることになった。周囲に男性の少ない環境で育っていたことで、父と弟(かぞく)以外の異性に興味もあって、どんな子なのかな、と会ってみたら、純朴で日々の些細な事にも感動を素直に露わにする年下の少年で、窮屈ながらも頑張って慣れようとするその姿に、唯里は心惹かれた。それから、ちょっと目を離すと何かやらかしてしまう天然な性分や、夜になると寂しがる弱いところに母性的なものが疼くこともあった。

 それまでの唯里の人付き合いの引き出しの中で、同じ年頃の男の子に接する経験値は、弟くらいしかいなかったので、それに当てはめるようにお姉ちゃんとして振る舞うようになってから、いつの間にか心に余裕ができていた。『高神の社』で一緒に訓練をするときも、弟に格好悪い姿は見せられない、いつも綺麗な姿で、流石お姉ちゃん――さすおね! って思われていたい。そう思っている内に、何かが花開いた気がした。

 修業は辛く厳しいものだったけれど、式神ひとつ飛ばしてみせるたびに『すごいすごい!』と目を輝かせるクロウに、唯里は更なる上達を目指すようになっていた。

 身も心も強くしてくれたのは、彼への想い。

 故に、羽波唯里は、絶対に負けない。彼の期待を裏切らないために。

 

 

「ちっ! 時間稼ぎにもならないなんて役立たずが!」

「―――逃がさない、あなただけは!」

 

 『六式降魔剣・改』の機能は、『空間切断』である。

 空間ごと切り裂くことで対象物の強度や硬度に関わらず切断可能な力。この特性上、当たれば防御力は意味をなさず、回避するしかない。

 しかし、当たらなければ意味がない。

 

「はっ! 武器を使ってる人間が、あたしの眷獣に敵うとでも思ってんのかしらァ! <蛇紅羅(ジャグラ)>!」

 

 護衛役が役立たずに仕留められた以上、自分の身は自分で守らなければならない。

 ベアトリス=バスラーが召喚したのは、『意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)』。深紅の槍は、自在に形を変え、長さを変え、あらゆる角度、あらゆる距離から敵を迎撃する。その反射速度は人間の限界を遥かに超えている。

 

 これを前に、羽波唯里は、長剣を二度、素振りをした。

 

「はっ? 何やってんのよ、あんたそこで剣を振ってもこっちに全然届いてない、間合いってものはわかってないの?」

「―――もう、斬ったよ」

 

 女吸血鬼の右腕が、深紅の槍ごと割断された。

 

 長剣の機能を二つに分岐する前の源流(オリジナル)の武神具<煌華鱗>には、切断した空間の裂け目から、射放った一矢を転移させるという秘技がある。

 それと同じように、『空間切断』の剣閃を寸分違わず同じ軌道に沿って斬り返すことで、斬撃を、転移させたのだ。

 迅速に、かつ、精密にこなさなければできない神業。

 空間を超えて切り刻んでくるのだから、間合いがない。剣巫の霊視界内(しかいない)に捉えた対象ならば、羽波唯里の剣は、割断する。

 

「ぎゃああああああっ!?!?」

 

 眷獣が一撃で破壊され、切断された箇所は魔性を滅する浄の属性にやられた。凄まじい灼熱と激痛が腕の切り口から全身へ流れる。高密度の“正”なる光輝が“負”の生命力に浸透し、吸血鬼の再生能力が働かない。

 

「―――<(ゆらぎ)>よ」

 

 絶叫上げる女吸血鬼の懐へ飛び込んだ唯里は、ベアトリスの頭に、密着状態からの掌打を叩き込んだ。脳を直接揺さぶられ、ベアトリスの意識は飛ばされた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 羽波唯里に襲撃者の指揮官が下され、制御端末から行動停止の命令を送信して、『仮面憑き』たちは動きを止めた。

 命令系統に『死霊術(ネクロマンシー)』を組み込んだ戦闘ロボット<炎の巨人>もまた、縁堂クロウの『死霊術』で制御権を奪って行動不能にする。

 速やかに混乱は鎮められていく。

 

 

OAaaaaaaa(オアアアアアアア)―――!』

 

 

 そんな時だった。

 空間を引き裂くような慟哭と共に広がる、凍てつく嵐がキーストーンゲートに発生。

 それは、最終進化へと至った<模造天使>が軛となるこの世の未練を切り捨てるための前段階だ。

 <模造天使>の秘儀を知るラ=フォリアは、事態を悟るや一刻の猶予もないと決断する。

 

「―――行きます。被昇天する前に、止めねばなりません」

 

「王女様! 危険です!」

 

「ええ、わかっていますよ。ですが、わかるのです。あの中心にはわたくしと同じアルディギアの血が――叶瀬夏音がいることが」

 

 王女の決意は固く。

 それをクロウの鼻は嗅ぎ取った。

 

「なら、早くいくのだ。叶瀬は、泣いている。それに、古城先輩とユッキーがいるみたいだけど、二人も危ない」

 

「「姫柊雪菜(雪菜)と第四真祖(暁古城)が!?」」

 

「あと、ここもそんな安全じゃなくなる。チリチリした“匂い”が近づいているのだ」

 

 鼻の上で踊る焦げ臭い感覚に反応し(うえむい)たクロウが淡々と告げるや、街中に爆音が轟く。

 劈く破壊音は絶えず、気配はこちらへ一直線に――邪魔な障害は全て蹴散らして――災厄の化身は現れた。

 

 

「カカカカ、我コソハコノ世全テニ死ヲ撒キ散ラス不死(シナズ)ノ獣王、<黒死皇>ナリ!」

 

 

 絶大なる力に酔いしれる哄笑。

 <模造神獣>の改造を施すことで『血に飢えた漆黒の狂獣(ブラッディ・ウルフ)』と成った改造獣人ロウ=キリシマ。

 そして、血走る漆黒の巨狼は、暴獣にとって最も適した形態に作り変えられた金属製の簡易強化外骨格(エグゾスケルトン)が装着している。己の意思では御し切れない膂力を補助するための手脚の装甲。背中のジョイントからは、兵器の群れが無数に飛び出している。

 何もかもが異形で、しかしこの上なくしっくりと獣に馴染む。

 機動兵器<炎の巨人>のパーツから巨狼の体格に合わせて組んだ武装には、巨大なミサイルコンテナにガドリング砲や速射砲、そして、巨狼の頭部と合わせてケルベロスのように両肩に巨大火炎放射機の砲門が真紅に燃え滾る顎を開いている。

 

「ゲラゲラゲラゲラ! 驚キダ。コンナトコロニイヤガッタノカ、オ姫様」

 

 暴走する暴力を己が意思で制御し、大量破壊兵器を加算させた圧倒的な暴威で殲滅する―――これが模造神獣専用強化外骨格<黒の巨人(スルト)>。

 視界に映る全てを蹂躙する不死要塞(イモータル)と化した凶狼の前に、武器も何も持たない少年が立ち塞がる。

 

「コイツはオレに任せて早く行くのだ。巻き込まれる前に」

 

 その言葉に、獅子王機関の二人は瞬時に動いた。

 第一王女を連れて、この危険地帯から離脱する。

 

「折角ノ旨ソウナ獲物ヲ逃ガスカヨ!」

 

 絃神島へ向かう際に乗っていた飛空艇<ランヴァルド>。

 それを破滅させた漆黒の凶狼。ヤツの力は、まさしく怪物。

 

 

「逃がす? 何を言う。―――この場で狩られるのはオマエだぞ」

 

 

 だが、王女は目撃する。

 かつて国王(ちち)が、戦士として再起不能に心を折られた、人知の及ばぬ災厄の化身の血統を引く者の暴威を。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 不浄なる魔性を一掃する<神懸った神獣人化>は、霊力の消耗が激しく、また神気の多くを<疑似神剣貸与>を割り振ったために今の縁堂クロウには使えない。

 ただし、『混血』

 その身に抱え込むのは決して清浄なるものだけではない。

 

 火鼠の狩衣を脱ぎ捨てるや、その姿は変生する―――!

 

 

「コレハ、一度ブチノメシテモ死ナナイヨウナ相手ニシカ使ワナイ」

 

 

 <神憑り>と同じように、“コレ”も普通に出来たら、『六刃神官』のお姉さんから『普通はそんな普通にできるものじゃないから!』と文句を言われた。

 

「加減ガデキナイカラナ」

 

 漆黒の凶狼を一回り上回る、黄金の巨狼。その頭から皮膚を内側から突き破るそれ。仄かに輝く水晶のような、鋭角な物質は、角、である。双角は血を滴らせながら天に逆らうよう上へ上へ伸長を続け、更には枝分かれする樹木のように分岐する。

 <鬼成る神獣化>―――

 剣巫が習得する流派『八雷神法』の裏技<生成り>。生命の祖神であった地母神が、『火雷大神』を生み出す冥府魔道の死神になったように、清らかなる巫女を、魔性なる瀬戸際まで堕とすことで魔族と同じ力を得る。魔女の禁断の<堕魂(ロスト)>と同種の秘奥。

 人と獣、正と負、聖と魔の中庸を保っている『混血』が、完全なる獣と化す<神獣化>から更に踏み込むことになる<生成り>を行う。

 それは普通の人間よりも相性が()()()()

 <神獣化>も<生成り>も、どちらも“獣”に成る変身にして技法だ。方向性は同じ。だから、強化倍率は相乗して高まり、その威容はもはや鬼神である。

 顎から漏れ出す太い咆哮は、それだけで常人なら失神しかねない圧がある。そして、獣であれば本能的に“格”を理解してしまう。

 だから、キリシマはもうすでに歯が噛み合わなくなるほどに震えていた。ハァハァ、と過呼吸。鬼気に獣気があまりに濃密過ぎて、いくら吸っても落ち着かない。

 恐怖が、肌身離れず、そして、骨身に浸透する。

 それでも大きく吸って、口腔に灼熱の滾りを溜めて―――

 

「カ、怪物ガアアアアアアア!!!」

 

 凄絶たる炎が砲門と凶狼の顎から吐き出される。

 それは、見るものの眼球さえ焼け爛らせる火焔。だが、この猛烈な熱をモロに浴びても、鬼神の獣は泰然としていた。

 

「ソノ通リダゾ。オマエ以上ノ怪物ダ」

 

 焔を突き破って接近し、上から、下へ剛腕を振り下ろす。

 ただ近づいて、ブン殴る。それだけの簡潔極まる暴力に、漆黒の凶狼は押し潰された。<黒の巨人>に搭載された兵器群が木端に破壊され、血走る筋骨は微塵に破砕された。

 

「オレハ……オレハ……! 世界最強ノ獣王<黒死皇>ダ! 死ナネェンダヨ!」

 

 武器は壊されたが、叩き潰された肉体は一瞬で再生する。

 そして、肉体はより大きく膨らむ。『血に飢えた漆黒の狂獣』は、目前の怪物を超える存在へ至らんと吠え猛る。

 

「タカガ死ナナイ程度デ世界最強トハオ笑イ草ダナ」

 

 対し、鬼成る神狼は、静かに呼吸する。

 鼻から吸って、口から吐く。そんな当たり前の生体活動に織り込まれている。

 呼吸をするたびに、周りに火、鬼火が生まれる。

 ポッ、ポッ、とおおよそ人の頭ほどの赤々と揺れる灯火は連続的に出現して、十を超え、二十に至ってもまだ止まらない。ずらずらと並んだ鬼火は、古めかしい灯篭にも似ている。

 まるで吐息から醸す香気に吸い寄せられるように、人魂が呼び込まれていく。

 

「ソレニ、オマエハ死臭(ニオイ)ガ酷イ」

 

 <神獣化>で<芳香過適応>は更に敏感となり、<生成り>によって魔性に属する<黒死皇>の血統がより覚醒する。

 鬼成る神狼と化したからこそ受動で発現してしまう、<過適応能力>と『死霊術』の混成能力―――<反魂香>。

 鼻で吸う――『過去』を嗅ぐ<芳香過適応>で取得する。

 口から吐き出される息吹に、その『過去』が吹き込むことで鬼火となって現れる。

 そう、やがて鬼火がヒトガタを取った時に分かっただろう。

 それは、ロウ=キリシマが薙ぎ払った特区警備隊、そして、剣を持った騎士――飛空艇を守護していた『聖環騎士団』の姿を形作っている。鬼成る神狼が、嗅ぎ取ったのは、『血に飢えた漆黒の狂獣』に染み付いた犠牲者の御霊だった。

 

「ナンダヨテメェラハ!? オマエモオマエモオマエモッ! オレガブチ殺シタハズダロ! 蘇ッテキテンジャネーヨ!」

 

 そのすべては、鬼火の化身。

 <反魂香>によって表出された『過去』の肉体は劫火の息吹きから成り立っている。

 爪を振るうが切り裂けず、牙を向こうが貫けず。

 たちまち、血走る黒の巨体は炎上した。

 鬼火のヒトガタが繰り出す煉獄の如き攻撃に全身が朱色に染め上げられ、火達磨になる。不死身であろうがそれ以上の火勢に焼き尽くされる。

 供給源である女吸血鬼(ベアトリス)は降され、無限の“負”の魔力が途絶えた以上、再生にも限度があり、それが底をつくのはそう時間のかかる話ではなかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 遠吠えひとつ。

 それで、灼熱地獄は止まる。

 その場に横たわるのは、ロウ=キリシマ。人型に戻り、人事不省に陥っている。獣人由来のタフな自力でかろうじて息をするが、焦げた地面と見分けがつかないほどに全身重い火傷を負っていた。

 

 遠吠えがもうひとつ。

 天に昇る気流(こえ)に導かれ、陽炎が渦を巻き、人魂はあるべき場所へと帰っていく。二度目の咆哮は解散を告げるもの。しかし、残る人魂もあった。

 片手で数えられる程度、そして、全員が鎧を着込む騎士。

 帰るべき場所がない。身体があるのなら、意識不明の重体であろうとも魂に吹き込まれた生命力で治癒し、復活することができただろう。しかし魂を呼び戻しても、その身体が自然に還ったものは、現世に居着けず、元には帰せない。

 それはクロウには、どうしようもないことだった。

 そして、どうしようもない以上、クロウにできることはない。

 鬼成る神狼から変身を解いた少年は彼らへ言う。

 

「一日くらいは、鬼火()のままでいられる。……それで心残りを解消できるかはわからないけど、それまでオマエらは自由なのだ」

 

 灯した火を消しても、香にしばらく熱が残るように、<反魂香>の効力は、まだ少し続く。

 騎士の人魂は、右手を翳す。言葉は無くても敬礼から伝わる意思がある。護れなかった無念を晴らしてくれたことへの感謝。

 『お礼なんて、言われる筋合いはない』という言葉は、その想念(におい)に反すると歯噛みしながらも口を噤む。

 

「う。じゃあ、達者でな」

 

 弔いの遠吠えがまた一度、常夏の島に響き渡った。

 

 

るる屋

 

 

 中央区で派手に起こった襲撃事件の後始末は、国家降魔官の南宮那月が引き受けてくれることになった。むしろ、『貴様らの介入がバレたら面倒だ』ということで古城たちは半ば追い出される形で帰宅が許された。

 叶瀬賢生は特区警備隊に捕縛され、叶瀬夏音は古城と雪菜、それからラ=フォリアの援助があって被昇天に至る暴走を止めてやることができた。思考拘束具がされていたこともあり、夏音は罪には問われず、現在、管理公社付属の病院で調整を受けている。

 

 それで、キーストーンゲートから出たところで、クロウと合流。この後輩も後輩で襲撃事件の時は外で『メイガスクラフト』の連中を相手にしたようで、

 

「………で、『反香鬼(はんこうき)ダークロウ(鬼成る神獣化)』モードになったけど、これ、すごく疲れるのだ」

 

「!? 『反香鬼(はんこうき)』になったんですかクロウ君!」

 

「なあ、その技名というか変身名、もうちょい考えないか? こっちは肩の力が抜けてしょうがないんだけど」

 

 ただし、その大変具合を推し量るのは古城には難しかったが。

 なんかもう、反抗期にぐれた後輩のイメージが湧いてしまって、激戦の状況と結びつかない。

 そのあと、交通機関の復旧がまだで、テロの残党対策で封鎖している箇所もあって、仕方なくほとぼりが冷めるまで暇を潰しがてら街を歩いていたら、美術の補習手伝い(モデル)を探していた浅葱とその付き添いに矢瀬と凪沙がいて、飯時には電波時計よりも精密な食いしん坊後輩の腹時計が鳴り響き、もぐもぐタイムが所望された。

 古城もちょうどいいし、面倒ごとは一気に片付けたい気分でもあったので了承。

 

 で、こうなった。

 

「もぐもぐ! もぐもぐ!」

「クロ君! そんないっぺんに冷たいものを食べると、頭がいたたになるよ!」

 

 本当、どうしてこうなった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 席順は、まず紗矢華が断固として、雪菜の隣を譲らず、あと真正面に初対面の男子(やぜ)がいるのは拒否。

 それから、相方(フォロー)役の志緒が唯里の隣に配置。

 そして、唯里は面談するクロウの対面と希望。

 なんとなく、凪沙の隣にクロウを座らせないということで古城が間に入ると、こういう席順となった。

 

 姫柊雪菜   机  矢瀬基樹

 煌坂紗矢華  机  藍羽浅葱

 羽波唯里   机  縁堂クロウ

 斐川志緒   机  暁古城

 ラ=フォリア 机  暁凪沙

 

 一名、学生御用達のアイスクリームパーラーに来店するには躊躇われるような、やんごとなきロイヤルクラスのご身分の方がいらっしゃるが、事情を知っている者らは説明義務を明後日の方向へ投げた。

 一応、裏で手を回されたのか、店内は貸し切りとなっている。貸し切りにせざるを得ぬほどもぐもぐしてる後輩がいるので売り上げ的には問題はなさそうだが、先輩の古城は遠い目をして色々と諦めた。

 

「軍隊がらみの企業のテロが中央区で起こったっていうから心配してたんだけど。余計なお世話だったみたいね古城。可愛い女の子がよりどりみどりで御身分じゃない」

「違う! いや、さっきも言ったけど、あいつらは姫柊とクロウの知り合いで、そんな浅葱の言うようなことはないから」

「本当に、そうでしょうか。出会ったばかりだというのに先輩がすぐ手を出す人ですし」

「ひ、姫柊……!」

「ね、ね、古城君。凪沙の前にいる外国の人、すごい美人ていうか。いや、他の女の人もすごく綺麗なんだけど、あの人は王女様みたいッていうか。とにかく紹介してほしいんだけど」

 

「ああもう、クロウ! 食べてばっかでないで紹介してくれ! な?」

 

 雪菜も獅子王機関出身者(きらさか)たちの知り合いであるが何だか機嫌が悪そうで頼み辛いしちょっと歯止めをかけないと店の在庫を平らげてしまいそうなクロウへ、古城は要請。

 全味制覇のゴージャスプレートをちょうど空にしたクロウは、目の前の世話焼きそうな少女から口元を拭ってもらってから、順々に向かいの席の彼女たちの紹介をする。

 

「ん。まず、一番右にいるのはユッキー」

 

「え、私も?」

 

「ちょっと頭が固いけど頭がいいしピカ一な優等生で皆の憧れの的なのだ。こっちでもお姫様だって言われてるなー」

「ちょ、クロウ君!?」

 

「その隣にいるのが紗矢お姉ちゃん」

 

「ふん」

 

「凛としてカッコいいお姉ちゃんなのだ。不器用なんだけど器用で、何でもそつなくこなして頼りにされてる、バリバリのキャリアウーマンってヤツだな」

「ねぇ、もう少し他の言い方は―――っ! 暁古城、変な目でこっちを見るな!」

 

「唯お姉ちゃん」

 

「はい! クロ君がいつもお世話になってます」

 

「オレが一番お世話になってるお姉ちゃんだ。優しい気配りさんで、でもダメなものはダメだってビシッと言ってくれる。怒ると怖いけど、こういうのを姐さん女房っていうんだろ?」

 

「そんな、俺の嫁だなんて、クロ君!」

 

「志緒お姉ちゃん」

 

「あたしに変な紹介はいれなくていいからな?」

 

「え? すごく几帳面で、紗矢お姉ちゃんよりも芸が細かい、よく皆のお手本になってるクールビューティー、とか言わなくていいのか?」

 

「言ってる言ってる普通に言っちゃってるからクロウ」

 

 (一名除いて)向こうは天然な紹介に振り回されてるが、それがかえって浅葱の追求の矛先を引かせてくれた。大変ね色々と、と若干同情気味である。

 

「で……」

「ラ=フォリアお姉ちゃんです♪」

「ラ=フォリアお姉ちゃんなのだ」

 

「ちょっと待ちなさいクロウ」

 

 紗矢華から待った(ツッコミ)が入った。

 さらりと便乗してきたけど、一秒も迷わ(おくさ)ず、あっさりと乗るな!

 悪乗りしてくるのは第一王女だけど、そんな気安い真似は、アルディギアの関係者にバレたら不敬だと問題視されるかもしれない。

 そう思ったのか、一番のお姉ちゃんがさっきまで緩んでいた眦をキッと吊り上げ、人差し指を立てて注意する。

 

「クロ君! “お姉ちゃん”はそんな会ったばかりの人に安売りしちゃダメだよ!」

 

「そうじゃないわ、羽波唯里!」

 

 くっ! 弟馬鹿(ブラコン)は、数か月ぶりに顔を合わせた弟に頭がいっぱいのようだった。さっきから存分に弟へお世話を焼いて実に楽しそうだ。

 とはいえ、結果的に姉のお叱りは功を奏したのか、天然な問題児(クロウ)は考える素振りを見せて、

 

「んー……じゃあ、何と呼べばいいのだ?」

 

「では、“フォリりん”で。そちらの姫柊雪菜(ユッキー)みたく愛称でいきましょう」

 

「ん、そうだな、わかった、フォリりん」

 

 と周りが止める間もなく、とんとん拍子に決まった。

 ダメだ、むしろ悪化した。注意するべき人を間違えた。まず第一王女に抗議しておくべきだった。でも、こんな公共の場で正体を明かすような真似なんてできないからどうしようもない。

 

 

 この辺、突き進まれると七面倒になる予感がしたのか、話題転換を図る合図に、コホンとひとつ咳払い。

 

「それで、話は聞いたんだけど、クロ君、ちゃんと一人暮らし、出来てるのかな?」

 

「うー……」

 

 クロウはあれこれ弁明の言葉を探したが、結局何も出ずに口籠る。

 芳しくないのが幼馴染でなくてもわかる反応に、唯里は悲痛な面持ちを浮かべて、

 

「まったく、だから私はひとり暮らしなんて反対だったの。クロ君のような世間知らずな子を餌食にする悪い大人のお姉さんに言いように騙されてほいほいと頼み事を引き受けたらブラックなバイトをやることになったり、それで家族との会話を蔑ろにするようになって、しまいには髪の毛を金色に染めちゃって、『夜露死苦(よろしく)』なんで横断幕を掲げてバイクで夜の街を爆走する不良になっちゃうの!」

 

「むぅ、オレ……」

 

「口答えしないの、クロ君!」

 

 説教に入った唯里に、クロウは口を閉じて大人しく姿勢を正す。『高神の社』では、説教を受けるときは正座か姿勢を正すと決められているのだ。

 人差し指をピンと立てて、唯里はきつく厳しい眼差しをクロウに向ける。

 

「これじゃあ学園生活をちゃんと送れてるのかも心配だよ。今からでも本土に戻ってきた方がいいんじゃ……」

「ちょっと待ってください」

 

 と部外者は口を挟めない空気だったが、お構いなしに上がる声が、古城のすぐ隣から。

 

「クロウ君のお姉さん、クロウ君は頑張ってます! 今は転校したばかりで慣れない新生活に浮かれちゃってる部分もあるにはあるけど、学校に馴染もうとしてるのはわかるし、皆と仲良くなろうとしてます! この前だって夏音ちゃんと捨て猫の飼い主探しの時、中等部からは訪ねにくい高等部まで訊き回ってて、ですから、そんな何でもかんでもダメだしするようなことはないと思います!」

 

 な、凪沙……?

 ものすごい早口で同級生を庇う妹に、古城は目を大きくして驚く。

 古城とて、羽波唯里の説教には思うところがないでもなかったが、しかしそれでも凪沙の口からそれが出てくるとは予想外。浅葱辺りが口出ししてくるんじゃないかとは思っていたが。

 何故なら、妹はこの『混血』の少年をどうしようもなく苦手だったはずだ。

 これには古城だけでなく、『魔族恐怖症(トラウマ)』の事情を知る浅葱らもポカンと呆気に取られていた。

 

「暁凪沙さん、だよね?」

 

「はい、クロウ君のお姉さんの羽波唯里さん」

 

 真正面に座らせた弟から、視線は横にスライドされる。

 この少女が、獅子王機関の中でも最重要監視対象の<第四真祖>の関係者(いもうと)であることは彼女とて承知していただろうが、今はそんな遠慮は皆無だった。

 両者は視線をぶつけ合い、改めて互いに相手を認識し合う作業を終えると、唯里は自らの胸に手を添えて、少し鼻高々に言う。

 

「私だってクロ君の良いところはちゃんとわかってます。一番付き合いの長いお姉ちゃんですから」

 

「だったら、もっと信用してあげたらどうなんですか。さっき、あんな頭ごなしに言ってましたけど、反論も許さないなんて、それこそ“悪いお姉さん”になるんじゃないんですか」

 

「むむ! それは聞き捨てならないね、暁凪沙さん」

 

 そのワードは唯里の琴線に触れたか。尖った眼差しを凪沙へ向ける。

 凪沙ばかりに圧がかかるのを分散するのを狙ってか、ここで浅葱も弁護を入れた。

 

「成績面で不安があるのはわかるけど、最近、補習のおかげで結構持ち直してるそうよ。クロウは中等部だけど、那月ちゃん、結構面倒見がいいから。補習常連の古城のこともとことん付き合ってくれているしね」

 

「おい、そこで何で俺のことまで持ち出すんだよ浅葱」

 

「唯里さん、私もクロウ君には助けられてますから。……正直、ここまで先輩が手のかかるとは思ってませんでしたし」

 

「姫柊までそんなこと言うのか。これじゃあ、俺の方が問題あるみたいになってんぞ」

 

 向かい席(高神の社)側の雪菜からもフォローが入る。

 そして、雪菜がこちらに回れば、当然のようについてくるお姉さんがひとり。

 

「そうね。弟離れをする良い機会なんじゃない、あまり過保護にするのもなんだしね、羽波唯里」

 

「それ、煌坂さんには言われたく無いセリフなんだけど」

 

「あれ?」

 

 とまあ、説得力はとにかく、紗矢華も加わりこれで場の過半数が弁護側に回ったことになった。

 

「唯里、あまり熱くなるのは……」

 

 相方の少女からの諫めは、自己を見直す(リセットする)効果があったか、唯里は目を瞑り、暫くした後に、口を開いた。

 

「わかりました。別の心配事が出来ちゃったけどそれは置いておいて……クロ君が、学校生活をきちんとやれてるのは認めます。―――でも、お姉ちゃんが問題視するのはひとり暮らしのこともあるよ! クロ君は、金銭感覚がダメダメなの! きちんと管理ができる人間が傍にいないと生活は無理だよ!」

 

 とまだまだお姉ちゃんは意見を撤回しなかった。

 

「昔からお小遣いを持たしたら、すぐに食べ物の匂いに釣られて色々買っちゃって三日も持たずにすっからかんにしちゃってたし! クロ君が来てから、羽波家(うち)のエンゲル係数は三割増しで増えたんだよ!」

 

『あー……』

 

 指を三本立てて抗議する唯里。弁護していた側もこれには天井を仰ぐ。

 この食いしん坊にかかる食費問題は、古城が現在進行形で実感していることだ。

 

「クロ君、宵越しの銭は持たないような生活をされたら困るの。家だったら、私がやりくりしてあげられたけど、一人暮らしじゃそうもいかないから」

 

「唯お姉ちゃん、オレも絃神島に来てお金の大切さがわかったのだ。ここは物価が高いし。だから、節約術を編み出したぞ」

 

 お?

 なんか意外な発言が後輩から飛び出してきた。

 

「貯金なんて考えてこなかったクロ君の口からそんな言葉が飛び出すなんて……うん、成長してるんだね」

 

「むぅ、そんな意外そうな顔をされるのは不服だぞ」

 

「それじゃあ、その節約術を聞かせてくれる?」

 

「これは話すよりも見せた方が早いのだ」

 

 ぱぁぁぁっ! と光り出すクロウ、いきなりのことに、全員の目が眩む。

 それで薄らと目を開ければ、古城の隣に座っていたはずのクロウがいなくなっていた。

 

 消失マジックは、担任に本当にタネも仕掛けもなく瞬間移動する魔女がいるので驚かないが、果たしてこれが何の節約につながるというのか。

 いやまさか、逃げたわけではあるまいし……というか、さっきまでクロウが来ていた赤い和服が椅子の上に残されている。裸のまま街中をうろつくほど後輩(クロウ)は野生が残っていないはずだ。

 

「一体どこに……―――ん?」

 

 よくみると、服がこんもりと盛り上がってる。小さいがそれはむずむずと動いており、何かいるのがわかる。

 そうして、襟元からひょっこりと出てきたのは、鼻も顔も丸い愛嬌のある顔立ちをした、小犬。

 

「犬?」

 

 たとえるなら、豆しばに近いが、毛並みは錆びた胴のような赤茶色で、くりくりとした瞳は金色とあまり見ない色合い。

 椅子の上にちょこんと座る豆しばのような小さい黒犬は、古城の方を見て、『わん!』と元気よく吠える。よじよじと服の中から這い出て、古城の太ももにぽんとお手。とても人懐っこい犬である。

 が、何なんだこれは??

 

 服だけ残していなくなった後輩と、その身代わりに置かれた小犬。

 この二つから結びついた予想が結びつく前に、横から視界を遮った細腕がひょいとその小犬を持ってった。

 

「わあ! 古城君古城君! この前の夏音ちゃんの猫さんも可愛かったけど、この子も、すっごくかわいいね!」

 

「おい凪沙、勝手にもってくな」

 

「えー、別に古城君のじゃないでしょ。それにだってうちマンションだし、ワンちゃんと触れ合う機会があんまりないんだもん」

 

「いやでもな、いきなり持ち上げられたらびっくりして噛んだりすることもあるだろ」

 

「しないよ。ほら、大人しくしてるし、尻尾もピコピコ振ってる! これは喜んでる証だよ古城君!」

 

 確かに、凪沙が脇に手を入れて掲げ持ち上げられているが、吠えもせず暴れる気配はない。大人しくされるがままで、伸びる胴体をブランブラン揺らしてる。

 人慣れしてる。首輪はしてないが、やっぱり誰かの飼い犬(ペット)なのか? いやそもそもコイツ本当にどこから現れたんだ??

 

「ほう……これは実に興味深いですね。わたくしにも貸してくれませんかミス凪沙」

 

 好奇心をくすぐられたように、手を差し出すラ=フォリア。

 

「あ、はいどうぞ。このモフモフ感は抱いておかないと損ですよ」

 

「まあ、そうですか」

「―――ラ=フォリア様!?」

 

 凪沙が向かいの席のラ=フォリアへ小犬を手渡す。

 これに隣についていた志緒は慌てるのだが、当の第一王女はそんな舞威媛の戦々恐々もどこ吹く風。王女相手に強引に取り上げるわけにもいかず、志緒は小犬に向かって『粗相は絶対にするんじゃないんだぞ』と念を送っている。そして、王女様は気にすることもなく顎裏辺りをくすぐる。何をしても一幅の絵として飾れてしまえる第一王女が小犬を抱えてる構図は、インスタ映えしそうで見てるだけで微笑ましくなる。

 

「問題ありませんよ。軍用犬と同じように、とても躾の行き届いている子ですから噛み癖も舐め癖もありません。おーよしよし」

 

 抱かれているが、赤ちゃん犬のように無闇に舐めることはないし、王女様の言う通り、躾が行き届いている。

 王女の腕の中に納まってる小犬に、凪沙がつんつんと鼻先を突きながら、

 

「でも、このワンちゃん、お名前は何て言うんだろ? 捨て犬じゃないみたいだし、でも首輪とかしてないから、もしかして迷子」

 

「“クロウ”ではないのですか?」

 

「「は?」」

 

 あっさりと告げたその名に固まる暁兄妹。

 しかし、他の面子はそうなんじゃないかと勘繰っていたようで驚きこそしないが、呆気に取られている様子である。

 

「いや、服だけ残っててその小犬が出てきたんでしょ? だったら、その子がクロウじゃない。見た目もクロウと重なる部分もあるし」

 

 才女の浅葱からも王女様に肯定するように推理を述べれられれば、すとんと得心がいく。

 

「お前……クロウ、なのか?」

 

「わふ」

 

 念のために本人(犬)に確認を取ってみれば、返事と一緒にちっこい肉球ハンドを挙げてきた。

 後輩は消えたんじゃなくて、小犬に変身したのだ。

 

「いや、意味がわからん。どうしたら、こんな小さい犬になれんだよ」

 

「それはおそらく獣化の応用じゃないでしょうか」

 

 古城の疑問に、雪菜がおそらくと枕詞をつけて自らの見解を述べる。

 獣人種が持つ特性である『獣人化』は、部分的に獣化させたりもできる。それでクロウは<神獣化>という人の要素をゼロに、獣の要素を百パーセントにした、完全なる獣になることもできるのだ。

 さらにクロウは<神獣人化>という人の形態を残したまま巨大化するのを押さえ込むような芸当もやれるのだから、完全なる獣と化しながらも、サイズは膨らませずに小さく圧縮するように調節する―――なんて真似もできなくはないだろう。

 この魔族の専門家である攻魔師で『高神の社』から付き合いのある幼馴染の姫柊雪菜の推測は、説得力があり、実際、正しかったのだが……

 

「獣人っていうのは、こんな小動物にも(ちっこく)なれんのか」

 

「いえ、普通、そんな真似はできませんし、しません」

 

「そうよね。わざわざ自分から小さくなるなんて真似、好戦的な獣人じゃまず思いつかない発想でしょうね。魔族特区暮らしの私でも見たことがないわ」

 

「わたくしの国でも見たことがありませんが、だとするとこれはこの子が自力で成したものなのでしょう」

 

 どうだ! と顎をあげて胸を張るドヤ顔ポーズを取る小犬もとい後輩。

 おそらく世界で唯一、愛玩動物に変身できる。これはすごいことにはすごいかもしれないが、才能の無駄遣い感の方がすごい。

 

(―――って、凪沙!)

 

 魔族恐怖症である妹が、『獣化』なんて“魔族の要素”を見せられたら動揺するんじゃないか!?

 古城は隣を窺うと、凪沙は両手をペタッと貼り付けるように顔を覆い隠していた。

 なっ、まさか泣いてるのか!?

 

「(え? あれクロウ君なの? でもクロウ君だよね言われてみるとクロウ君って感じがするしでもえ? さっき抱き上げた時、ピコピコ振ってる尻尾に釣られて視線下げちゃったけど一緒にアレも視界に入っちゃって『へぇ、この子、男の子なんだぁ』ってその時はまじまじと見ちゃったけどアレってクロウ君の―――●×◆▼★~~~っ!?!?!?)」

 

「凪沙! どうした、大丈夫か!」

 

「だ、だだだだだ大丈夫大丈夫あたしは大丈夫だよ古城君全然平気! 何でもない! 何にも見てないよ見てないからね!」

 

「そ、そうか」

 

 ものすごい必死にまくし立てる凪沙だが、顔は依然両手で隠されたままだ。

 全然大丈夫そうには見えないんだが、何も言わないで! って全身でアピールしてて兄も触れ辛い。

 とりあえず、恐怖に泣いているわけでもなさそうだし、よくわからないが、大丈夫そうではある。魔族はダメだけど魔獣は平気だったから、セーフの範疇だったのだろうか。

 

「でも、このままだとまともに話が出来そうにないしな」

 

 王女から後輩の首根っこを摘まんで取り上げた古城は、元の席へ置く。

 

「元に戻ってくれクロウ。……お前がこのままだと凪沙が落ち着かなくて大変みたいだし」

 

 貸し切り状態なので他に客はいないが、ここは飲食店。ペット同伴許可されているわけでもなさそうだし、このままでは店員からいい顔をされない。

 こくん、と小犬は頷いて、変身を解除す―――

 

「ちょい、待ったクロ坊! ストップだ!」

 

 る前に、矢瀬が声を上げた。

 

「古城、クロ坊は小さくなっても、服はそのまんまだろ? だったら、このまま元に戻ったらまずいんじゃねーか」

 

「あ、裸だ」

「裸!?」

 

 凪沙の肩がビクンと跳ねたが、妹のリアクションはもう意識しないことにした古城。

 

「これは、配慮が足らなかったな。危ない、助かったぜ矢瀬」

 

「ああ……クロ坊のことは、緋稲さんからくれぐれもよろしくと頼まれてるからな」

 

 誰かと苦労をわかり合ったかのような、深い溜息を吐く矢瀬。

 服が脱げたまま元に戻るのはマズい。

 じゃあ、ここは一旦、小犬(クロウ)を衆人環視のないところへ避難させるべきだろう。

 

「そうだな、じゃあ」

 

 トイレの個室とかで……と持ち上げようとした古城の腕を、グイッと掴まれる。

 

「それなら、私が、面倒見ます」

 

 机から身を乗り出して、小犬を抱えんとする古城を阻むのは、もうひとりの剣巫にして、後輩のお姉ちゃん。

 

「え、いや、クロウの着替えに付き合わないとならないし」

 

「大丈夫です、クロ君のお姉ちゃんですから。お風呂にだって一緒に入ったことがあるから。肌とか見るくらい全っ然平気です。ですから、心配しないでください」

 

 なんか目がギラギラ光っててこわいんだけど。むしろ小犬(後輩)を預けるのが心配になってくるんだけど。

 着替えるくらいそんな至れり尽くせりな気合いを入れる必要もないというか、世話焼きの範疇の逸脱してないかコイツ?

 

 つと、古城は端の席に座る<第四真祖>の監視役を見る。

 

 ああ、姫柊も気合いを入れ過ぎてるというか変なところあるし……まともな()だと思ってたけど、獅子王機関の剣巫ってこういうもんなのか?

 

「……先輩、今何か失礼なことを考えませんでした?」

 

 じろりと睨まれたので、余計な考え事を打ち切る。

 で、

 

「さあ、クロ君をこちらへください!」

 

「いや、やらねーよ。これくらい俺ひとりで十分だから!」

 

 後輩が何かとやらかすのは、育った環境や周囲の人の影響(せい)もあるかもしれないと古城は思った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「師家様がなー、『悔しかったら、あんたも小さくなってみな』っていうから、小さくなろうと頑張ったら、できるようになったのだ」

 

 使い魔の黒猫が分け前のキャットフードを独占するため、この<小犬化>を編み出したのだとか。

 人型に戻った(着替え済)後輩から語られる“節約()”を開発することになった経緯に、何とも言えずに額を押さえる。

 

「けど、まあ、身体が小さくなるんだから、その分、食事量は減ったんだろ?」

 

「ううん。小さくなっても、ちょっとくらいじゃ満腹にならないし、逆に口が小さくなって食べづらくなるから不便なのだ」

 

「意味がねーじゃねーか! おい、節約術なんじゃないのか?」

 

「オレなりに考えたけど、それがうまくいったとは言ってないのだ」

 

 ダメだコイツ。

 すごい奴なのはわかるのだが、放っておくとその才能を斜め上に伸ばしてしまう。そのダメさ加減が『私が面倒見てあげないと……!』という母性本能くすぐる塩梅になるのかもしれない。

 兎にも角にも、こんな根本的な解決にならない話じゃ、かえってお姉ちゃんを心配させるだけだろう。島での一人暮らしを認めてもらえるとは思えない。古城だって、あちら側に靡きかけているくらいだ。

 獅子王機関は、もっと日常生活的なスキルや常識というのを後輩に教え込むべきじゃなかったのか。『教育方針を間違えたかもしれない』と同じくその<小犬化>を見せられて頭を抱えた師家様の胸中と同期する古城。

 

「私達はクロ君が十分活動できるだけの仕送りをしているはずだよ。それなのに、こんなんじゃやっぱり一人にはさせられないよ」

 

 羽波唯里の説教は正しく、古城には反論できない―――と思った矢先に、また隣から声が上がった。

 

「―――その、クロウ君のお姉さん! それなら、あたしがクロウ君のご飯を作りましょうか?」

 

『凪沙(ちゃん)!?』

 

 お姉ちゃんの説法を遮るのは、またしても妹。

 

「うん、あたし、決めました!」

 

 挙手して、凪沙は唯里へ提案する。

 

「お姉さんが心配する通り、クロウ君がお金のやりくりとかに相当不安なのはわかりました。あたしだって、話を聞いてたらクロウ君が変な詐欺とかに引っかかるんじゃないかとすごく心配になりましたもん! ですから、そうならないようにあたしが責任をもってクロウ君のご飯を作ります! もちろん、食費は出してもらいますけど」

 

「う。凪沙ちゃん、それはすごく助かるけど、いいのか?」

 

「あたしは毎日古城君の食事を用意してるし、クロウ君の分が足されても問題ないよ。あ、クロウ君、何か食べられないものとかある? アレルギーとか?」

 

「ないぞ。オレは好き嫌いなんてしないのだ」

 

「じゃあ全然大丈夫だね」

 

「「いやいやいやいや」」

 

 古城(あに)唯里(あね)が揃って、残像が出るくらいに手を振る。

 

「別に凪沙がそこまでしなくても、クロウが適当にコンビニとかで弁当買ってくればいいじゃねぇか」

 

「弁当ばっかりは身体に悪いよ古城君。それに絃神島は物価が高いんだから。しっかりご飯を食べるなら、自炊ができないと」

 

「しっかりしてる子……! で、でも、クロ君は食べるよ! いっぱい食べるんだから、作るのも大変だよ!」

 

「頑張ります! 学校の食堂とかで見ましたけど、クロウ君、たくさん食べて、それでいつも美味しそうに喜んでるのを見ると、作り甲斐がありそうだなぁ、って」

 

「くっ、その気持ちはわかる……! だけど、あなたに負担をかけることになるし、あまり迷惑をかけるのは……」

 

 凪沙の提案とそこにかけるやる気というのは伝わった、それから家庭的なスキルに自信があるのはわかったけれども、うん、と首を縦にはなかなか振れない。

 

 クロ君の財布の紐と胃袋をいっぺんに握りにくるなんて、暁凪沙、恐ろしい子……!

 

 目を大きく見開いてわなわな震える唯里。

 そんな元ルームメイトの動揺に、別に姉というわけではないが半分くらいは同意した雪菜が口を開いた。

 

「あの、それでしたら、私がクロウ君の食事面の面倒を見ましょうか?」

 

「ユッキーが?」

 

 一般人(なぎさ)に迷惑をかけるのは気が引けるところがある。

 それに、身内の不始末は身内が付けるものだ。だから、同じ獅子王機関の構成員であり、同じ<第四真祖>監視の任務に就いている自分が面倒を見る。

 その姫柊雪菜の代案は筋が通っていた。

 しかし、唯里には無視できないひとつの懸念が過った。

 

(ユッキーは料理ができる、刃物の扱いは特に上手。クロ君のように電化製品をぽちっとスイッチを押すだけで壊したりしない。……でも、生粋のマヨネーズ愛好家(マヨラー)!)

 

 同じ釜の飯を食ってきたルームメイト四人は知っている。

 姫柊雪菜は、マヨネーズは万能調味料だと信じてやまない女子だと。野外訓練でも、師家様にマヨネーズは持ち込めないかと訊ねたことがあったくらいだ。シェアしていた部屋の私用の冷蔵庫には、いつも大量のマヨネーズがストックされていたし、きっと今の潜伏先であるマンションの部屋もそうだろう。

 焼きそば、かつ丼、チャーハン、ラーメンなどなど作った料理全部に最後の仕上げとして象牙の塔を築かんばかりにムリュムリュとマヨネーズ丸々一本分をトッピングする――そんな超高カロリーのメニューを、育ち盛りの弟が毎日おかわりするくらいの量を摂取したら、その摂取カロリーはどんだけになるのか。きっと戦闘力(カロリー)測定器(スカウター)が壊れかねないほどだろう。

 そこから次に、脳裏で連想されるのは、さっきの小犬が、肥満犬になる姿である。

 ……いや、どんなにお腹たぷたぷの太っちょになっても姉として愛せるが、健康面からして姉として推奨できない。

 

「……いや、気持ちはありがたいけど、ユッキーに迷惑をかけるわけにはいかないよ」

 

 縁堂クロウは絃神島へ派遣されたのは監視役の補佐である。なのに、その負担を増やしてしまっては本末転倒―――という一般人を前には口に出せない“理由の半分”ほどを暗に示して(当人に向かっては言えない理由のもう半分は隠して)、彼女にも引き下がってもらう。

 

「ここは、お姉ちゃんである私が、補佐役の御世話役に立候補すれば何も問題はなくなるの!」

「いやダメだからな唯里。そんなの認められないから」

「でしたら、補佐についてもらっている私こそがフォローすべきでしょう。大丈夫です。兵糧(マヨネーズ)は大量に買い込んでありますから」

「雪菜、ちょっと私とお話ししない。こっちも何だか食生活が心配になってきたから」

 

 収拾がつかなくなり始めるくらいに騒ぎ立つ元ルームメイト四人衆を他所に、また一人立候補が上がる。

 

「ねぇ、私が面倒見てもいいけど? 料理の練習台にもなるしね」

 

「浅葱はやめておけ。味見役じゃなく、毒見役になる」

 

「は? どういう意味よそれ」

 

「とにかく浅葱は絶対ダメだ」

 

 チラッと古城を見てから浅葱も名乗り上げたが、いつになく真剣な顔をした幼馴染の矢瀬が止めた。

 幼馴染だから知っている。藍羽浅葱は胃袋がブラックホールだが、その手が生み出すのはダークマターだと。かつて試食して病院送りにされたことがある一幼馴染の感想として、あれは猫のエサ(キャットフード)の方が食えるだけ遥かにマシだった。想い人の前に練習したい、家庭的なところをアピールしたい幼馴染(あさぎ)の乙女心はわかるが、そのために犠牲者を出すのは流石に忍びなかった。

 

 

 そんな、周囲の意識が横道に逸れていく中で、二人の対話は続いていた。

 

 

「んー……オレが言うのも何だけどな。オレのご飯を作ってもらうのは、やっぱり大変だぞ。何というか、お金出したくらいじゃ割に合わない」

 

 割に合わない、なんて言うけれども、暁凪沙には大きな恩がある。

 黒死皇派(テロリスト)から助けてくれた―――獣人にパニックになっていた自分を気遣って、魔族なる力(じゅうか)を見せずに。

 『古城先輩との約束だからな』と言って、凪沙の身に傷ひとつ許さずに守り通し、震える心にそれ以上の恐れを抱かせぬよう心を配る。

 彼にとってそれは特別なことではないし、恩に着せるようなものでもない。

 よく噂を耳にする。

 “黒猫を頭の上に乗せた赤い和服を着た少年”が、逃亡中の魔導犯罪者をひっ捕らえたり、交通事故に遭いそうだった老婆をひょいと拾ったり、泣いた子供と一緒にその失くし物を探したり、西地区を仕切る獣人種が集まった暴走族と南地区を陣取る乱暴者なトロールが率いる小鬼(ゴブリン)集団との抗争を拳ひとつで喧嘩両成敗したら『絃神島大連合・狼愚(ローグ)わん!』の総代になってたりとか。

 なんか伝説っぽいのを築き上げてるけど、学校での彼は、ごくごく普通にしている。授業中にウンウン頭を悩ませたり、昼食の時間が近くなるとソワソワ落ち着かなくなったり、クラスメイトの話を興味津々に聞き入ったりと学生生活を謳歌していて、そんなことはちっともおくびに出さない。眠そうにあくびはよくするけど。一時期、高等部の古城君(あに)の担任から追いかけられたこともあったけどそれも最近は無くなって落ち着いている。

 魔族の力を持ちながらそれを誇示することもなく、普通の人間にはできないことをしている不思議な『混血』の少年を、凪沙はいつしか、恐怖の対象としては見なくなっていた。

 だから、だろうか。

 彼がこの島を出る、なんて話に真っ先にイヤだ、そんなのダメ、って思ったのは。

 凪沙が声を上げた理由に、自炊の出来ないクラスメイトをかわいそうだと思う気持ちがあるが、過半数を占めるのはそんな勝手な衝動だった。

 

「……だったらさ。あたしの……魔族恐怖症(トラウマ)の克服に付き合ってよ」

 

「む」

 

 この依頼に、渋い表情を見せるクロウ。

 人を怖がらせるのは避ける彼にとって、人を怖がらせることになるだろう行為はあまり推奨できるものではない。

 それを強引に畳み掛けるようやや早口に、胸の中にある不安をブレンドした言葉を吐露する凪沙。

 

「古城君から話を聞いてるなら、心配されるのはわかるけどさ。でも、あたしもいつまでもこのままじゃダメだってのはわかるの。いやなことから逃げても、それが消えてなくなるわけじゃないんだって。ずっと魔族を怖がってたら、古城君やみんなに迷惑を掛けちゃう……この前の時みたいに―――だから、ギブアンドテイク! あたしはいつまでも怖いのはイヤで、クロウ君は自炊できないのはダメ、お姉さんに心配を掛けちゃうのは本意じゃないんでしょ? でもあたしが面倒見れば無問題(モーマンタイ)! あたしたちの不安が一石二鳥に解消できて一挙両得だよクロウ君!」

 

 後半はもう勢い任せに喋りまくったけど、彼も彼なりに噛み砕いて理解しようとしてくれて、凪沙の目を真っ直ぐに見つめながら、

 

「むむ、お得なのか。それは是非ともやらないとな。でも、具体的にどうすればいい? オレ、ちゃんとやれるのかわからないぞ」

 

「クロウ君、怖くないし、あたしのこと気遣ってくれるし……クロウ君なら、大丈夫だから。クロウ君がクロウ君のまま傍にいてくれるだけで十分だから。……お願い、クロウ君」

 

 段々と語調が弱くなる凪沙へ、その少年は端的に、ハッキリと了承を告げた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「う。わかったのだ」

 

 で、この時の妹と後輩のやり取りの間に挟まれる兄の心境はどのようなものかを述べよ、というような国語の問題が出たのなら、それは原稿用紙一枚分くらいじゃとても物足りないと古城は思う。

 それでも、一文で簡潔にまとめるのなら、非常に複雑な心境である。

 

 凪沙がトラウマを克服しようと第一歩を踏み出そうとしている。

 それは兄として純粋に心配だが、同時に応援もしてやりたい気持ちもある。吸血鬼となってしまったことを凪沙には隠している古城としては、そのトラウマが少しでも和らげば気が楽になる。

 

 クロウのことも信頼している。

 お馬鹿で世話のかかるところもあるけど、人一倍に気遣ってくれるのは知ってる。素直にコイツなら任せても大丈夫だと思える。それにあんな魔族としての毒気のない小犬になれるくらい獣化が達者なのだから、練習相手にはうってつけだろう。

 

 しかし、これとそれとは話が別だと声を大にして言いたいものが胸中に燻っているわけで。

 

 そう、クロウには助けられているし、助けてやりたいとも思っている。妹の手料理のご相伴に預かるくらいは許容しよう。

 

 

 だが、この後輩の居住区である骨董品店は、ラブホ街の真っ只中にある!

 

 

 そんなところに凪沙を通わせる真似など論外だ。そうなったら兄は不純な心配で気が気でない。そっちの発展は応援していない。断じて。

 たとえ何も手を出さなくても、関係ないのだ。ラブホテルを背景にして逢引きするところを誰かに見られでもしたら、学生の身分にはあまりよろしくない噂が立たれるだろう。実際、古城は現在進行形で被害に遭っている。

 

 だとしたら、こっちのマンションに呼ぶことになるか。

 後輩(クロウ)監視役(ひめらぎ)の補佐役だから、<第四真祖>に近いポジションを取れるのは好都合だろう。

 が、時たま帰ってくる母親に見つかったら、大変面倒なことになる。娘と親しい男子が家に招かれていることを知れば、あの変態な母は、兄としては余計なお世話な方向に後押ししかねない。いや、かもしれない、ではなく、ヤツは絶対にやる。

 そして、万が一にも糞親父だったら、戦争になる。間違いなく。

 

 兄心は非常に複雑だ。

 後輩は良いヤツだ。でも、ただ一点……こいつが男であるのが悩ませる。もしも妹と同性なら、古城は心配することは何もなかった。

 

「せめて、クロウが女子だったら言うことなしだったんだが……」

 

 ポロッとうっかり洩れ出てしまった本音。

 ただし、それに至るまでの過程を省いたそれは聴く者に力いっぱい誤解されかねないものだった。

 しん、と静まり返ったテーブル。さっきまでそれぞれで論議を白熱していたのに一瞬で冷めた。その中でも冷え切った視線を向けてくる二人に古城は息を呑んで、己が失言を今更に気付く。

 

「……今の発言はどういう意味ですか先輩?」

「いや、違うんだ姫柊」

 

「あの噂は誤解じゃなかったの古城!」

「だから誤解だって浅葱!」

 

 噂が自然消滅する75日も経たずにこの発言はマズかった。再燃する疑惑を真剣に問い詰めてくる雪菜と浅葱のただならぬ雰囲気に、今日が初対面の面子にも古城とクロウを交互に見つめ、『え? こういう関係なのか?』と思われる。口ほどにものをいう目に、古城はもう泣きたかった。

 そして、問題発言に過敏に反応する女子がもうひとり。

 

「あんた、クロウにまで手を出そうなんて、やっぱり変態ね変態」

 

「お前には言われたくねーよ煌坂! この前、クロウを鎖に繋いで連れ回してたじゃねーか!」

 

「ちょ―――」

 

 と煌坂紗矢華への古城の言い返しから飛び火して、事態はより炎上。

 

 

「煌坂さん、ちょっと、お話しがあるんだけど?」

 

 

 ガシッと隣から肩を掴まれる。

 

「は、羽波唯里! 違うの! これは誤解よ!」

 

 クロウがただ一人、唯里にだけサラッとだが言っていた。『怒ると怖い』と。

 紗矢華は余計なことを暴露してくれた古城に恨み節を頭の中で喚き散らしながら、助けを求めて視線を巡らす。

 しかし、助けを求めたいが、妹分の雪菜は、もうすでに席を立って浅葱と一緒に古城の問題発言を追求しており、こちらに気付いていない。

 

(斐川志緒、あなた、パートナーでしょ!? なんとかして!)

(残念だが、煌坂紗矢華。触らぬ神に祟りなし、だ。それと、鎖に繋ぐとかあたしもドン引きだ)

(だから、事情があったの! 本当、私じゃどうしようもない事情が!)

 

 それでもうひとり、般若になった剣巫を挟んで向かい側にいる同僚の舞威媛がいたのだが、そっぽを向かれた。

 

「さあ、煌坂さん、キリキリ吐いてね?」

 

 そして、真正面で相対する羽波唯里は、顔は笑みを作っていたけど、目は笑ってなかった。

 

 

「よし、そろそろ店を出ようか。あまり長居するのも何だしな。もう交通機関も回復してるだろ」

 

 犬も食わぬ痴話喧嘩と犬も尻尾を巻く修羅場が同時展開して、良い子には見せられない様相となってきたので、矢瀬は避難誘導を買って出た。“耳”の良い彼は、店の中にいながらも外の街の様子を敏感に察知している。

 姫柊雪菜と浅葱に挟まれる古城が『俺を見捨てるのか矢瀬!』と目で訴えてきたが、無視した。薄情だが、こちらまで疑惑に巻き込まれたら先輩に合わせる顔がなくなる。

 

「う、そうだな。お見舞いに行かなくちゃいけないし」

 

「……古城君、クロウ君が女子だったらいいのに、ってどういうことなの? それに鎖に縛られたって初めて聴いたんだけど……」

 

「おーい、凪沙ちゃん。ぶつぶつと呟いて、どうしたのだ?」

 

「クロウ君! クロウ君はそういう趣味があるのっ??」

 

「ん? どういう趣味なのだ? よくわからんけど、オレは食べ歩きが趣味だぞ。今日のアイスも美味しかったぞー」

 

「そう、それは紹介してよかったけど……うん! クロウ君が古城君の影響で変な方向に芽生えないように、あたし、頑張って美味しい料理を作るからね!」

 

「おー、楽しみにしてるのだ」

 

 後輩組は丸く収まりつつあるし、このまま撤収としよう。

 

「? 古城先輩や唯お姉ちゃんたちを置いてってもいいのか?」

 

「構いませんよ縁堂クロウ。お互いの理解を深めている最中のようです。たとえ家族でも相互理解を怠ると、大変なことになりますから。ですから、よく話し合わなければなりません」

 

「ふんふん、大変そうに見えるけど、大事な事なんだな」

 

 とそれまでくすくすと微笑んでいた王女様が、今回の一件――叶瀬夏音と叶瀬賢生のこと――を含めるように、いい感じに話をまとめてみせた。

 

 

???

 

 

 “向こう”と繋げた通信霊具の水晶玉に映った少女は、機関の長としての正装である純白と漆黒の僧服ではなかった。

 

「……それは何のつもりですか、闇白奈」

 

 こちらと同じ、彩海学園の制服に身を包んでいるのは、真っ白な長い髪と凹凸(メリハリ)に富んだプロポーションを誇る少女――(しずか)古詠と同じ『三聖』である(くらき)白奈である。

 一体何の嫌がらせかと、同僚でなければ小一時間は問い質したであろうが、閑古詠はつとめて冷静に反応を返した。

 

「え、っと、わ、わたしも学園に転入しよ(いこ)うかな、って」

 

「これ以上の人員が絃神島に潜入することは推奨できません」

 

 もじもじとしながらそう言う白髪の少女に、閑古詠は一顧だにせず突っぱねた。

 

「学生として潜入していますが、それはあくまで任務の為です。我々は、この『魔族特区』に遊びに来ているわけではありません」

 

「現地で彼氏を作った奴は言うことが違うのう。しかし、手も握らせない冷たい態度を取ってばかりと聴く。ちょっとくらい健気にあぴーるしないと、嫌われるやもしれんぞ、閑」

 

 本を読むように淡々と語る閑古詠を嘲るように、闇白奈がニタニタと笑う。

 最初の気弱げな少女とは、雰囲気から声色までガラリと変わっている。この独特な口調と老獪な人格は、何世代にも渡って引き継がれてきた『(くらき)』だ。

 閑古詠は、余計なお節介を無視して、更に温度の低くなった声音で言い返す。

 

「別に構いません。我々が優先すべきは『三聖』としての職務を全うすること。貴女も同じ『三聖』であるのなら、何を優先するべきかわからないというような振る舞いは許されるものではない」

 

「わかっておるよ、制服(これ)は冗談だ。儂も少しは学生気分に浸りたくてな。まあ、白奈は半分本気だったが」

 

 と落胆を全身で表現するように、大きく肩を落として溜息を吐いてみせる闇。閑は大変嫌な予感がした。

 

「しかし、つれないなあ。長い付き合いだというのにちっとも誘ってくれない無愛想女もいるが、もうすぐ『波朧院フェスタ』なるものがあるのだろう?」

 

 それは、普段は入場を制限する『魔族特区』が開放的になる、人工島をあげて外来者を歓迎する一大イベントだ。

 

「あなた、まさか……」

 

「何、本殿には隔宗慈がおる。2、3日空けたところで問題はない」

 

 ここまで言えば、闇の意図は明らか。残り一人の『三聖』に押し付けて、こちらに来る気満々だ。

 

「無論、儂も『三聖』であるからな。“護衛”をつけさせるとも。そうさなぁ……ちょうど現地にいる<犬夜叉>はどうかのう?」

 

 とたった今思いついた風に提案するが、彼女の本命(ねらい)は閑にもわかっている。あちらも隠す気はない。

 根回しという点においては、海千山千の『三聖』で最も秀でた才覚を有する『闇白奈』が動けば大概のことは決定事項となり、この通信も同じ『三聖』である自分に義理を通したもの。ほぼ事後承諾だが。今更手を回したところで、閑古詠ひとりの働きかけではどうにもならないのだ。

 

「何なら、閑も連れて、だぶるでぇと、と洒落込んでも構わんぞ?」

 

「来ないでください。絶対に来ないで」

 

「何だ、それは来てくれという前振りかの?」

 

 その後、闇白奈の来訪阻止に、閑古詠は手を尽くしたがそれも叶わなかった。

 

 だが、権謀術数を張り巡らす高度な頭脳戦など知ったことではない、理論を搔き乱すカオスの如く何をしでかすかわからない、色んな意味で対闇白奈の鬼札(ジョーカー)を閑古詠は知っている。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 獅子王機関本部より<犬夜叉(クロウ)>に、『近々来訪する『三聖(シロナ)』と極秘任務として(ふたりっきりで)絃神島の“視察(デート)”に付き合うように』との通達が送られた。

 

 

空港

 

 

《再会した瞬間が、肝心だぞ。変わってるところをアピールし、『お? いつもの白奈と違う』と犬夜叉に思わせるのだ。犬夜叉に振り回される前に、こちらが第一印象から先手を取り、ヤツのターンなど与えず、ずっとリードするのだ》

 

 成長期でもなければ数ヶ月で人は急成長することはそうそうない。

 でも、見た目を変える術はある。

 いけいけゴーゴーと闇家代々引き継がれてきたご意見番に後押しされながら、慣れないファッション誌を読み漁り、この久方ぶりの逢瀬のためにお洒落を磨いてきた。

 サマードレス。いつもの衣装では隠れる素肌をさらけ出している。飛行機を降りた時から常夏の空気に撫でられ、気分が落ち着かない。

 それよりも、急く気持ちが左胸を衝いている。

 

 彼も少し背が伸びてたりするのだろうか?

 式神越しにすることはあったけど、直に対面するのは久しぶりのことで、少し緊張する。

 

 

「わー。何あれかわいい!」

「あんなに小さいのに大丈夫かしら?」

「飼い主はどこにいるんだ?」

 

 

 が。

 

 

「わんわん!」

 

 

 こちらを見つけ、元気よく吠えるのは、この空港で放されている麻薬探知犬とかではない。

 たすき掛けに背負っていてもその体躯では長すぎるバットケースをずるずると引きずりながら、とことことこちらに歩いてくる赤茶毛金瞳の小犬。

 

 ……彼が、師家である縁堂縁と同じように、犬の使い魔を飼い始めたという話は聞いていない。

 それで直感が常夏の島の暑さに早速混乱してしまっているのか、『アレが彼だ』と言っている。

 

「わん!」

 

 『再会したら仔犬になっていた』に勝るインパクトは装いを変えたくらいじゃ無理だった。

 シティボーイになってあか抜けたとかそんな次元じゃない。原始的な方向へ時代を遡っている。背は伸びてないし、むしろ縮んでしまっている。

 

《白奈よ。気持ちはわかるが、無視をするとよけいに面倒な方向に事態が拗れるぞ?》

 

 頭が真っ白になるくらいの先制パンチを貰ってしまい、シミュレーションしてきた再会した際のシチュエーションが全部白紙になってしまったわけだが、この状況は放置できない。会話もままならないし、普通に目立ってしまっている。

 長い白髪の一本――霊糸を伸ばし、超小型犬となっている彼の額に繋ぐ。

 

『クロウ君、ですか?』

 

『そうだぞ白奈。久しぶりー』

 

 まさかの(やっぱり)(クロウ)だった。

 

『いつもときてる服が違うな。今日が極秘任務だからなのか? なんか新鮮なのだ』

 

 そのセリフは念話ではなく、生の発声で聴きたかった。

 

『あ、今は任務中になるから、“闇白奈様”と呼んだ方がいいのか?』

 

『いえ、これは極秘の視察なので、一般人として装うために呼び捨てでお願いします』

 

 それよりももっと指摘する点がある。

 

『それで、その姿は何なのですか?』

 

『この<小犬化>は、隠密行動に最適なのだとお姉ちゃんから助言をもらってな』

 

『へぇ……その助言をくれた親切な方は誰ですか?』

 

『志緒お姉ちゃんなのだ』

 

 アイスパーラーを出た後、折角編み出したのに<小犬化>に使い道がないことにしょんぼりしていたところ、暗殺の専門家の舞威媛である斐川志緒から、『別に全くの使い道がないわけでもないだろ。ほら、隠密行動とかに向いてるんじゃないか?』と助言をもらったのだ。

 斐川志緒は、『高神の社』の頃から、落ち込むと素っ気なくも励ましてきた、地味にこまめに弟分(クロウ)から好感度(ポイント)を稼いでたりしている。

 

『そうですか。……斐川志緒さんがですか』

 

 内なる白奈(まっくろな)は思った。

 よし。余計なことを吹き込んだこやつは、今度、任務で扱き使ってやろう。再会のファーストインパクトを台無しにしてくれた罪は重い。

 

『それでな、ちゃんと事前に緋稲お姉ちゃんにチェックしてもらったのだ。今度の極秘任務はこの<小犬化>はうってつけだと太鼓判を押してもらったんだぞ。本をいっぱい読んでて賢くて偉い緋稲お姉ちゃんの言うことに、間違いはないのだ』

 

 ざわっ、とほんの一瞬、白髪が蠢く。

 どうやら、この頓珍漢を看過し、助長してくれた同僚もいるようだ。

 

『……私も、『三聖』ですよクロウ君』

 

『う、そうだな』

 

『……それに、年上です』

 

『ん、わかってるけど、それがどうしたのだ、白奈』

 

 残念なことに去年まで女子校の環境の中で過ごしながら、彼の辞書(あたま)には女心というものがすっぽ抜けている。

 唐変木に期待してはならないのはわかっているのだが、どうして閑古詠(あっち)と呼び方のオプションに差がついているのだろうか。

 しかしとりあえず不満は一旦飲み込んで、これ以上変な方向に転がる前に修正を図る。

 

『なるほど、よくわかりました。ですがこのままでは護衛になりません。今のクロウ君では満足に得物を振り回せないでしょう?』

 

 何せ小犬の体格よりも得物(バット)の方が長いのだから。咥えて振り回すにしても、振り回されるのが目に見えている。

 

『むむ!? そんな欠点があったとは……! 緋稲お姉ちゃんも見てくれたから完璧だと思ったのに……』

 

『閑……緋稲さんは、あれで案外抜けているところがありますので、今度何か助言を頂いた時は私に教えてくださいね』

 

『セカンドオピニオンというヤツだな。この前、テレビでやってるのを見たのだ』

 

『はい、そうです。何時何処で何が起こるかわからないのですから、人型に戻ってくれませんか』

 

『う。このままだと白奈を守れないしな。ちょっと向こうに着替えを置いてきたからちょっと待っててくれ』

 

 当たり前のように闇白奈(じぶん)を庇護する対象と見てくれることに、嬉しさを覚える。

 

 ・

 ・

 ・

 

 そして、仕切り直して。

 普段の姿になって戻ってきた彼は、どういうわけか武器である(彼にとっては枷であるが)『甲式葬無嵐罰土』を抜いていた。

 しかし、これは近くに敵がいるというわけではなく。

 

「ほい、っとな」

 

 くるっとバトンのように一蹴させると、バットが、全てが木の骨組みでできた番傘に変化していた。

 

「これは……」

 

「ちょっと縁お姉ちゃんに指導してもらいながら練習したのだ」

 

 『甲式葬無嵐罰土』は、彼の意に即して、大樹にも変化する代物だ。木の棒(バット)から番傘へ形態を変えることはできなくはない

 けれど、何故そんな真似をしたのか?

 その疑問に対する答えは、彼の行動で示される。

 

「ほら、白奈に日差しは辛いだろ?」

 

「そう、ですね。はい。大変良いと思います」

 

 隣で掲げられた大きな番傘が、茹だるように熱い日射を遮る。そこは、木陰にいるように涼しく、心地良い。

 大太刀ではなく、日傘に。

 仮にも武神具を便利グッズみたいに扱うのはどうかと思われるかもしれないが、よしとする。無人島に放置されれば、長槍を包丁代わりに使う者もいよう。

 そして、彼の手元で揺れるもの。持ち手の所に結びついているお守り袋は、自分が贈ったものだ。

 

「ふふっ」

 

 再会のファーストコンタクトはズッコケたけれど、こうして自然と寄り添えるだけで、帳消しとなってしまった。

 こうした気遣いを何の見返りも考えずに自然に行う。相手のためになることだけを考えてする。陰謀などとは彼方にある在り方。だから、心を許せるし、彼の隣はとても気が安らぐ。

 

「古城先輩も日差しとかダメな人だからな。今度、機会があったら傘を差そうかと思ってる」

 

「そちらは、姫柊雪菜に任せた方がよろしいでしょう」

 

 世間体とかは考えてほしいと常々思っている。

 ただでさえ良からぬ噂が立っているのに相合傘などしたら、事態の収拾がつかぬだろうに。だいたい煮ても焼いても食えなさそうな『世界最強の吸血鬼』が、熱射病くらいでお陀仏になるわけあるまいし、この“特権”はしばらく独占しても構わないだろう。

 

 さて。

 

「それ、で……緋稲さんへ今回のお礼にひとつ助言をしたいのですがよろしいですか」

 

「う、早速だな。わかったのだ。どんななのだ白奈。オレにもできることなのか?」

 

「はい。矢瀬基樹という方がいらっしゃるでしょう? 今度、その方を“基樹お兄ちゃん”と呼んで差し上げなさい。いきなり呼び名を変えられて驚かれるかもしれませんから、『『三聖』のお姉さんがそう望んでいた』と説明することを忘れずに」

 

 

 

つづく

 

 

 

NG 黄金の日々Ⅴ

 

 

 

「どうして拒む、冬佳ッ……!」

 

 絃神冥駕は、吠えた。

 ここで自分の手を掴めば、再び共にあれるというのに。

 彼女もきっとそれを望んでいるはずなのに。

 何故? という言葉は脳裏を乱舞して、心中搔き乱される冥駕であったが、<黒妖犬>に憑依している冬佳を見て、ハッと気づく。

 ああ、“器”に不満があるのだと。

 

「そうか、わかったよ冬佳。君がどうして拒絶をするのか」

 

「『! 冥駕、わかってくれましたか!』」

 

「ああ、もちろんさ。私は、大切なところを見落としてしまっていた」

 

 自分の話を断るのは、あまりに当然のことだった。

 彼女を蘇らせることばかりを考えて、そのようなことは些末なことだと思っていて、強引に話を進めてしまっていたが、これはいくら何でも配慮が足りなかった、と冥駕は自嘲した笑みを浮かべる。

 

 だけど、冬佳。安心してくれ。私は君のためなら何でもすると決めている。

 

 かつて冬佳と出会ったばかりの頭でっかち(インテリ)だった頃は、そこの<第四真祖>のようにデリカシーがなかったとさんざん言われてきたが、今は違う。

 稀代の研究者の頭脳には、繊細にして時に非合理的になる、カオス理論な女心というものが入力(インプット)されている。

 彼女の口からは恥じらってしまって言いづらいことだろうが、ならば、冥駕から思い切って提案をしよう。

 

 

「冬佳……たとえ君が男の子の身体でも私はまったく構わないが、君がどうしてもこだわるのなら―――『聖殲』による性転換をしよう!」

 

 

 と、絃神冥駕は再び、藤阪冬佳(クロウ)へ手を伸ばした。

 彼女の胸の内に燻る不安を一掃せんと、力強く冥駕は語る。

 

「『聖殲』ならできる。その為の研究をしてきた。世界を上書きするこの力なら、“器”の肉体を、君が望む女の子にすることだって可能だ」

 

「『………………』」

 

 言葉も出ない様子の冬佳(クロウ)

 それはそうだろう。驚くに決まっている。この自分の覚悟の程を知って戸惑ってしまうのは、冥駕にだってわかる。

 

「ああ、わかっているさ。『聖殲』の力は凄まじいがそれだけに効果を持続させるのは難しい。だが、その“器”は元々獣人化という変身機構を備えている。同じ要領で<黒妖犬>を女体化――さしずめ、『雌犬化』の形態を追加させるくらいわけないさ」

 

 どうして、そんな単語をチョイスしたんだと保護者団体から苦言(クレーム)が舞い込みそうなネーミングセンスだった。

 この急展開に呆然としてしまっていた古城にだって『眼鏡をクイッとさせて決め顔作ってるけどこの男、全然人の心がわかってねぇ。デリカシーもゾンビな(しんでる)んじゃないのか?』と思う。

 

(いや、そうじゃない。これ以上クロウの身体を勝手にされてたまるか!)

 

 古城は(今は一方的な演説になってるが)クロウの身体を介して、言い争う二人に割って入ろうとした。

 それよりも一歩早く、隣で動きがあった。

 

 

「そんなこと断じて許しません!」

 

 

 姫柊雪菜だ。

 彼女は、大事な友人のピンチを黙って見過ごせるほど薄情じゃない。

 そうだ、姫柊、あのデリカシーゾンビ野郎に言ってやれ!

 

 

「何としてでも阻止します。クロウ君が『雌犬化』なんてなったら、絶対先輩が襲うじゃないですか!」

 

 

 監視役(ヒロイン)として大事なことを言った。

 

「おい! 何見当違いな心配してんだよ姫柊! そうじゃないだろ!」

 

「<第四真祖>、もしも私の温もりに……雌犬化したクロウ(わたしのトウカ)を奪うのなら、容赦はしない……ッ!」

 

「話を聞けよテメェも! ふざけてんのか!」

 

 古城は握った拳を震わせながら吼え(ツッコン)た。

 が、()論に熱弁を振るう絃神冥駕の耳には届かず。

 そして―――

 

 

 

「さあ、冬佳! 私にその身をゆだね―――」

「いや、オレ、クロウだぞ?」

 

 

 

 瞬間、時間が停止したように、固まった。

 

「んー。なんかな、『私の知っていた冥駕は、遠いところに行ってしまったのね』って言い残して、身体(オレ)から(わか)れてったぞ」

 

「なん、だと……!?」

 

 ぽりぽりと頬をかきながら――まったく冬佳(じょせい)らしくない振る舞いで――そう遺言を語るクロウに、呆然自失の冥駕。

 そんな隙だらけの相手を、この魔女が逃すはずもなく。

 

「業の深い変態は、永劫に牢獄で眠っていろ」

 

 <冥餓狼>を弾かれ、その全身が鎖に縛られる。そして、虚空へと引きずり込まれていく。

 かつてされたように<監獄結界>行き。

 だが、死してもなお温もりを忘れ切れぬ青年は、それでも手を伸ばす。

 

 くっ! 男の肉体でいるのが我慢ならずに逝ってしまったというのか冬佳! あと少しで……いや、順序を間違えたか。

 まず、その身体を『雌犬化』してから迎え入れるべきだった……!

 

 鎖に縛られた冥駕は虚空へ引きずり込まれながら、クロウに向けて宣言した。

 

 

「必ず、その身体を、女の子にしてみせる!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「色々と話しづらいこともあるから言葉足らずになることがあるだろうし、どこから話せばいいのかオレも整理がまだついてないから最初じゃなくて最後の方から思い出すように話すことになっちゃうけど、それでいいか、凪沙ちゃん?」

 

「うん、聴かせてクロウ君」

 

 後々、暁凪沙への説明。

 

「わかった。……途中、眠っちゃってたからよくわからないけど、起きたらいきなりオレを、『セイセン』とかいうすごい力でセイテンカン?というのをさせられそうになっててな」

 

「セイ、セン……―――え、セイテンカン??」

 

「でも、それは姫柊が、そんなことで雌犬になったら、古城君が絶対オレを襲うと言うのだ」

 

「雌犬!?!?」

 

「オレはたくさん物を壊したし、古城君にもすごく迷惑をかけたから、襲われる(攻撃される)のは仕方のないこと、ううん、そうされるべきなんだと思う。だからセイテンカンして古城君に襲われるのなら、それはそれでスッキリするとオレは思う。……なあ、凪沙ちゃん、オレ、セイテンカンした方がよかったのかなあ?」

「―――ダメっっっ!!! 絶っっっ対にダメだからねクロウ君っっっ!!! え、何、何々!?!? どんな話をされても受け止める心構えはしてきたつもりなんだけど全然展開が想像の斜め上をすっとんじゃって受け止めきれないよ!? ていうか、どういうことか一体全体よくわからないけどクロウ君! まさかそれ古城君が勧めてきた話じゃないよね???」

 

「それは違うぞ凪沙ちゃん。古城君は、すごく反対したのだ。そんなこと(罪滅ぼし)はしなくていい、クロウはありのままのクロウが一番なんだ、だから、もう誰のものになってくれるな、って言ってくれたぞ」

 

「え、と……そんなこと(セイテンカン)しなくていい? ありのまま(男の子のまま)のクロウ君が一番? それで、誰のものになるな、って……すっごい美人さんな雪菜ちゃんや浅葱ちゃんが周りにいるのに彼女ができないから薄々そうなんじゃないかと思っても考えないようにしてきたけど、ダメ、これはもう誤解しようのない……!」

 

「凪沙ちゃん、大丈夫か? 急に頭抱えて……もうこれ以上話さない方が良いか?」

 

「うん、ごめん……ごめんね、クロウ君。あたし、覚悟が足らなかった。すごくショッキングだよ。あたしの知っていた古城君は、もう遠くに行っちゃってたんだね……」

 

 

 

つづかない


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。