ミックス・ブラッド   作:夜草

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お待たせしました。

色々とありましたがどうにか生存してます。今回も楽しんでもらえたら幸いです。

続きは気長にお待ちください。

あと、簡単な作中設定のまとめも作りました。






真祖大戦Ⅱ

MAR

 

 

 

 新たな<焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)>――人工吸血鬼の創造は困難を極めた。

 現代において魔導研究の最先端を担っているMAR社が総力を挙げても叶わないでいる。

 理由は明白。

 『十二番目のアヴローラ』が、自身の肉体の完全な消滅を望んでいる。神々が生み出した<第四真祖>のオペレーション・システム――『原初(ルート)』と名付けられた“呪われた魂”を自ら体内に取り込んだ彼女は、『原初』を滅ぼす為、自ら殺されることを選んだ。

 十二番目(アヴローラ)は自らの死体を納める氷の棺を作り出し、『原初』が二度と復活できないように、自身を氷塊の中に閉じ込めた。何人にも触れられぬ、外部と一切遮断された『眠り』を司る真祖の眷獣の柩は、細胞のサンプルひとつの入手も許さなかったのだ。

 

 それでも手の出せない彼女こと『眠り姫』の肉体を残していたのは封印体(ナンバード)の中で貴重な例外であるから。

 <焔光の夜伯>と呼ばれた少女たちは、<第四真祖>の眷獣を封印するための人工吸血鬼であり、その数は全部で12体。けれど、六番目を除く十一体までは、すでに失われている。存在そのものが封印である彼女たちは眷獣を解放すれば、役目を果たし終えて眷獣の一部となって消滅する運命であるから。

 消滅を免れたのは、眷獣を完全に解き放つ前に、殺された『十二番目』のみ。彼女の胸に突き立った銀色の杭は、『眠り姫』を殺したが、同時に、『眠り姫』を現世に繋ぎ止めるための楔となったのだ。

 

 氷の柩に阻まれて、細胞のサンプルは得られない。

 それでも、<接触感応(サイコメトリー)>ならば、その肉体の情報をサルベージできていた。氷の柩越しで断片しか拾えず難航していたが、それもパズルのように繋ぎ合わせ、長い時間をかけてきてようやっと人工吸血鬼の設計図は把握しつつある。

 

 だから、あとはその複製体(クローン)の材料となる細胞。

 真祖の眷獣が憑いた魂を受け入れる器など、真祖でなければ不可能。だけど、いた。

 『混血』。

 『天部(かみ)』にも匹敵する技術を持った大魔女が造り上げた人工魔族であり、<第四真祖>の後続機とされる彼の細胞は、要求される強度に足るものだった。

 そこに実際に真祖の眷獣を受け入れるだけの高い親和性を有する我が娘の遺伝情報を掛け合わせれば、器は出来上がるだろう。

 それは決して表沙汰にはできない、最低な行いの果てに、だけど。

 哀れな彼女の亡骸を弄り、無垢な彼の細胞を無断で採った、狂った科学者だと後ろ指を指されても当然。だけど、子供たちを救えるのであれば、人としての倫理観を擲つことに躊躇いはなかった。

 

「先代の<第四真祖>――十二番目の<焔光の夜伯>の完全な複製は造り出せなくても、アヴロ-ラ=フロレスティーナの魂を移し替えられる器はできるの。彼女に憑いている眷獣も一緒に受け入れられる、ね」

 

 無論、罪人として裁かれるつもりでいる。

 でも、あと1年、器が完成するまでの1年、待ってほしかった。

 

 

「猶予はない。許せ、暁古城の母よ。汝の望みは叶わない」

 

 

 宣告するのは、小柄な少女。華やかな花柄の浴衣を身に着ける少女は、瞳が薄闇の中で炎のように青く輝き、結い上げた髪が淡い金髪で光の加減で虹のように色が変わる――この“柩の間”に安置される『眠り姫』と瓜二つの容姿。

 そう、彼女は、塵一つ残さず世界から消え去ることを望んだ末妹の遺志を叶える為に、今この“柩の間”に訪れた終焉の死者。

 

「でも……それでも……私は救いたいのよ、あの子たちを。ようやく光が見えてきたところなの。お願い……」

 

 微笑む表情の眼差しは真剣で、静かな声で懇願する暁深森。

 けれど、『六番目(ヘクトス)』――今やただ一人の完全な封印体の彼女は、首を横に振る。

 

「肉体の消滅こそが彼の者の遺志であり、我が望みもまた彼の者の滅びなれば―――」

 

 『原初』の復活を阻止する。

 そのために『十二番目』は“氷の柩”に眠りにつき、『六番目』は最後の一手を果たしに来た。

 だが、それは同時に、暁深森は<焔光の夜伯>の設計図を完全に把握できないままに失われること――複製体の創造が叶わなくなるということ。

 

「それに、不要だ。複製体はなくても、彼の者を受け入れるにふさわしい器はここにある」

 

 胸に手を当てる『六番目』に、深森は彼女の意思を悟り―――腰に下げていたクーラーボックスに手を伸ばす。

 取り出すのは棒アイスではなく、カプセル錠剤。

 

「不要、だなんて、聞き捨てならないわね」

 

 自身の行いは、かつて第三真祖<混沌の皇女(ケイオスブライド)>に見咎められ、企みを完膚なきまでに破壊されそうとなった。

 そのときは息子の古城が割って入って事を納めてくれたが、いずれはこの<焔光の夜伯>を知る者が警告しに来るだろうというのは、予想してしかるべきこと。

 だから、備えていた。覚悟を、決めていた。

 

「……汝、何をする気か?」

 

 “氷の柩”の『眠り姫』へ手を向ける『六番目』は、その無表情を僅かに崩す。

 二人にあった10mの間合い、それを暁深森から1歩、近づいてきた。魔力を昂らせようとした『六番目』に。完全なる解放はしない、一端でも“世界最強”を冠する真祖の眷獣の力。迂闊に近寄ればその余波でも人の身は壊れるだろう。

 たとえ研究所内すべての警備員を差し向けたところで、歯が立たないことは明白。

 攻魔師でも魔族でもない、軟弱な人間である彼女は避難するべきであり、間違っても近づいてはならない。

 なのに、最弱の人間である暁深森はこんな時でも朗らかに笑って、さらにもう1歩、最強の真祖が敷く境界線を踏み越えた。

 

 

「戦争よ。くだらない科学者としての意地と、みっともない大人の義務を懸けた、私の戦争(ケンカ)、受けてもらえないかしら?」

 

 

 

青の楽園

 

 

 

 『青の楽園(ブルーエリジアム)』。通称ブルエリ。

 絃神島本島の沖合に建造された、新型の増設人工島(サブフロート)である。

 『魔族特区』の一部であり、本土にはない特殊な施設が併設されている。世界各地の希少な魔獣たちを飼育して、彼らの生態を研究する大規模施設――通称<魔獣庭園>だ。

 とはいえ、世間一般的には、ここはホテルやレジャープール、各種アトラクション施設を満載した高級リゾートとして知られている。

 

 亜熱帯の絃神島とはいえ、二月の気温は、泳ぐには少し肌寒い。

 となると、このブルエリ最大の目玉である、大きな波が打ち寄せる造波プールや、全長200mを超えるウォータースライダーなど趣向を凝らした9種類のプールに客入りも鈍くなってしまう。

 だが、客足が少ないのはそれだけが理由ではない。

 

 今年に正式オープンしたばかりのブルエリだが、オープン前に<魔獣庭園>の運営母体であるクスキエリゼの会長が魔導テロとの繋がりがあり経営から退陣。魔獣の研究に必要な膨大な飼育費の一部を入場料収入で補うことを考えていたのだが、スタートダッシュを切る前にズッコケるような事態があり、『テロを支援する団体が経営するリゾート施設』などと世間的な評判はあまりよろしくない(下落した株は、とある国家攻魔官に買い占められたそうだ)。

 というわけで、想定していたよりも低調な『青の楽園』の経営状況を打破するため、悪評を払拭するために、この時期ならではのイベントを開催することになったのだ。

 

 その祭事に参加する褐色の少年。

 常夏の日射に焼けたというわけではなく、生来の肌色。

 普段は厚着に隠されたその肉体には、野生の獣を彷彿とさせる筋肉が見て取れた。しなやかで逞しい天性の発条(バネ)は、ひとたび解き放てば、抜群の躍動感を魅せる。

 そんな全身いっぱいに活力を溢れんばかりに漲らせて、唱えた。

 

 

「―――お前ら、今日は“大戦”なのだ!」

 

 

 腰に手を当てて、そう意気込むのは、クロウ。

 体躯そのものは小柄であるが、その立ち姿には堂々たる自信と気迫が満ち満ちており、彼の姿を勇壮なる狼のように見せている。

 聖域条約機構により、重要な兵器と認定された<黒妖犬>であるが、今ここに立っているのは、一党を率いて、打ち合わせを取り仕切るバイトリーダー『義経』である。

 

 魔族喫茶・紅魔館2号店。

 その女主人は、純血の吸血鬼にして、公爵令嬢ヴェルディアナ=カルアナ。最初は記憶喪失だった没落貴族のお嬢様は、世間の荒波に揉まれながらも看板娘として成長し、昨年バイトから初めて支店の経営を任されるくらいに出世したのだが、物価の高い絃神島での経営は大変であり、日々四苦八苦している。同期であるバイトリーダーの伝手で北欧の王女様プロデュースのショーに(無茶ぶりの多い)悪役出演したりして低空飛行ながらも黒字経営でやってきた。ところに、最近、従業員(食い扶持)が増えた。

 

「オレ達が売りに出すのは、今日のバレンタインイベントのために考案した特製チョコアイスパンケーキ! 二段の『ガングレティアイスケーキ』に、三段の『ガングレトアイスケーキ』なのだ!」

 

 大小のパンケーキの上にアイスを盛ってトッピングし犬型にしたこのバレンタインイベント限定で、ヴェルディアナが考案した2号店オリジナルメニュー。

 それらがバンッと真ん中(メイン)を飾るメニュー表を掲げて、皆に改めて叩き込んでから、

 

「そして、売り上げ1位を狙うためのベストな布陣を、カルアナが考えてくれたぞ」

 

 皆、心して聴くのだ! と一歩下がるバイトリーダー。

 代わって前に出るのは、ワンピースタイプの水着に悪役っぽいマントを羽織り、それから日差し避けの麦わら帽子とサングラスを付けた女主人。

 

「まず、ウェイトレスは、カーリ」

 

「は、はい」

 

 栗色の髪から自己主張するピンと立った大きな犬の耳。彼女も水着で、腰に巻いてるパレオから丸めた尾がちらりと見える小柄な犬人少女はおずおずと頷く。

 

「今日もびしっと百発百中の消毒撃ちを頼むのだ、カーリ」

 

「……あなたに、言われたくないです」

 

「うん。オレに言われるまでもなく決めてくれる仕事人だったなカーリは」

 

「もういいですそれで」

 

「おう、今日の看板娘は任せたぞ」

 

 バイトリーダーとして発破をかけるクロウに、プイッと顔を逸らすウェイトレスのカーリ。

 

「次に、ラーンは主にレジ担当ね」

 

「わかった」

 

 スクール水着のような水着を着ているが、首に長いマフラーを巻いている黒髪ツインテールの無表情少女。

 

「オレも計算は得意だけどレジ打ちが難しいから、ラーンが適役なのだ」

 

「計算も負けない」

 

「にっしっし、今度また浅葱先輩お手製の計算ドリルで勝負するか?」

 

「うん、する」

 

 表情はほとんど変化していないが、どことなくライバル心をメラメラと燃やしているような雰囲気がある。そんな一見無感情キャラの相手に慣れてるクロウはそれに応じるように歯を見せて笑う。

 

「ロギ、あなたはキッチンよ」

 

「………」

 

 無表情というよりは、不愛想な人工生命体の少年は、黙って頷く。それを見咎めるように絡むバイトリーダー。

 

「んー、ロギ、返事はしっかりとしないとダメだぞ。それとも、返事できないくらい緊張してるのかー?」

 

「緊張なんてしてない!」

 

「そっか。でも、パンケーキを焦がしちゃったり、アイスを融かしちゃったりしないように気を付けるのは大変だもんな。緊張するのはよくわかる」

 

「だから、緊張してないって言ってるだろ、ヘル…義経!」

 

「ん、そうだな、ロギは火加減が完璧だもんな」

 

 反抗的に噛みつくロギだったが、ちっとも曇らない目との睨み合いっこの末に、ちっと舌を打つ。

 “虹色”に煌めくあの瞳とは違うが、その太陽のような、輝き放つ金瞳。“彼女”が評した通りの、呆れるくらいに真っ直ぐな視線は、駆け引きの余地など一切なく相手へ焦がす程にその肯定的な気持ちを伝えてくるので、ムキになるのが馬鹿らしくなってしまう。

 

「そして、チーフは……」

 

 ウェイトレス、レジ、キッチンに続いてチーフの選考に、バイトリーダーにして一党を率いるクロウはふんすと胸を張って名前を呼ばれるのを待つ。

 が、ヴェルディアナはひとつ息を吐いて、

 

「アスタルテ、あなたに任せるわ。私が店を離れたときはあなたが指揮してちょうだい」

 

命令受託(アクセプト)

 

 選ばれたのは、アスタルテ。本来は不要なカフスやらカチューシャをメイドのように飾った改造水着を着ている人工生命体少女は、クロウの手綱を握る頼もしい後輩ではあるが。

 あ、あれ? と浴びるはずだったスポットライトを外された感を醸すクロウは、うろたえながらヴェルディアナを見る。

 

「か、カルアナどういうことなのだ? アスタルテはしっかりしてるけど、オレが一番の先輩だぞ。カルアナと同期だし、面倒だって見れるのだ!」

 

 てっきりチーフを任されると思っていたクロウが問うと、ヴェルディアナは淡々と応える。

 

「ええ、義経。あなたの働きぶりは私もちゃんとわかってます。そんな義経に任せたい仕事があるの」

 

「それは何なのだ?」

 

「客引きよ」

 

 ビシッと紅魔館の販売エリアの外を指さすヴェルディアナ。

 

「まず、義経は声が大きい」

 

「おう」

 

「そして、体力がある」

 

「う、体力には自信があるぞ」

 

「何より、元気があるわ」

 

「流石、カルアナ。オレのことをよくわかってる」

 

「そんなあなたからこそ、呼び込みをしてきてほしいの。たったひとりで、この島中に宣伝してくるのは大変だと思うけど、義経ならきっとできるわ」

 

 女主人の発破に、おーし頑張るぞ! とすっかりやる気なバイトリーダーを、しらっとした目で見る4人。

 その中でも付き合いの長い後輩アスタルテも、言っている内容が大体同じに水増しされた文句であっさりと乗せられた単純思考な先輩を半目で見ていたが、何も言わなかった。

 血統的には狼なはずなのだが、その扱い易い人畜無害さは犬だとしか評せない。

 実際、適材適所な割り振りだと評価できる。

 機械類とは致命的な先輩に、今回のフェスで『青の楽園』から貸し出されているレジやら注文を取るハンディーを任せるわけにはいかない。電子調理器具を揃えた厨房の中に入れさせないのが正解だ。

 とはいえ、言っている内容がほぼ同じなのはどうだろうかと思わなくはない。

 一応、<黒妖犬(ヘルハウンド)>は、自分()を率いるリーダーであるのだから。

 それで普通、一党の長を雑に扱われれば憤りくらい覚えるもの。

 けれども、今、そのような気持ちは不思議と湧かない。

 それは自身の感情が乏しいだからとか、彼を認めていないからとかでは決してなく。

 

「ん。確かにお店はお前らに任せておけば安心だったな。なら、外回りでここのすごいところをみんなに宣伝してくるのがオレのお仕事だ」

 

 それぞれの顔を屈託なく見つめてからそう言い切った彼を、

 ひとりは目を大きく見開いてすぐわたわたと首を振り、

 ひとりはぼうっと呆けたように見つめたまま動かず、

 ひとりはふんっと鼻を鳴らしそっぽを向いた。

 各々、受け取り方に違いはあるものの、送られたものに違いはない。

 そうして、一周して戻った彼の視線を迎え入れる。もう一度、視線がこの藍色の瞳と真っ直ぐに見つめあう。ほんの1秒もない出来事。途端、体温上昇および心拍数増を確認――日射等の外因的要因ではなく、精神的高揚によるものと分析はできても、この状態の説明はまだどうにもし難いが――後輩は、彼の金色の瞳から逸らさないまま、ただ頷く。しっかりと。

 

 そしてその様子を見ていた女主人は、深呼吸する魔を入れてから腰に手を当て、

 

「……よし、全員気合が入ったようね。いいわね、このバレンタイ戦線で、紅魔館がトップに君臨するわよ! そのためにも、お客様は、神――」

 

 と、そこでバイトリーダーをチラリと見る。

 『殺()兵器』に対してそれは縁起が悪いかと考え直した女主人は、吸血鬼なりのアレンジを加えた、この魔族喫茶に相応しいであろうスローガンを唱えた。

 

 

「お客様は、真祖様だと思いなさい!」

 

 

 おーー!! と1人で5人分の声をあげるバイトリーダー。

 ぐっと、拳まで振り上げて張り切る彼に女主人は、店の奥に積まれた段ボールの山……その一個一個にチラシが詰め込まれたそれらを指さし。

 

「じゃあ、義経、ここにあるビラを全部、お客に配ってくるか、目立つところに張ってきてちょうだい。一人で大変だろうけど、宣伝は大事だからそちらに専念して。たとえイベントが終わっても、ビラを捌き終えるまでは戻ってこなくていいわ」

 

 少し背をそらしながら傲岸不遜にも命じてやる。

 魔族喫茶で執事服を着せたところで自分の従者だと思ったことはないし、ましてや魔女のように主従関係なんて築いちゃいない。あくまでも雇用主とバイトの関係に過ぎない。

 それなのに、ただ人手が要るなら喚んで、遠慮なく扱き使ってやるし、相手にもそんな無茶ぶりを請け負ってくれると期待している。憶えちゃいないけど、そうしてもいい免罪符(かし)が自分にはあると思える。

 自分が失くしてしまった眷獣のように、“都合のいい相手”が、義経(クロウ)

 ……最近は、こちらが都合よく扱われている節がなくもないけど。

 

 何にしても、普通じゃ無理難題な仕事量であっても、サボらずやり通すという信用がある。

 ただし、店に置いておくと客以外にいらん厄介事を招いてくるトラブルメーカーでもある。

 第二の夜の帝国の第九皇子を連れてきた実績(ぜんか)があるのだ。店で働かせているだけで厄介事を招きかねない。

 今後の経営を占うであろう今イベントに集中するために、こちらに被害が及ばぬよう(かや)の外に出しておく、それが紅魔館2号店の女店主ヴェルディアナの作戦。

 

 

「カルアナ、心配するな。店のことは皆に任せておけば大丈夫だって言ったけど、皆の勇姿をちゃんと見届けたいしな。これくらいチャチャッと終わらせて来るのだ」

 

 

 これでも長い付き合いだ。

 彼の性格は熟知している。性格上、変に見栄を張ることはあるものの、できるできないを誤魔化したりはしない。

 有言実行。

 つまり、チャチャッと終わると言ったのなら、一時間足らずで(チャチャッと)終わるのだ。

 

「え……?」

 

 重労働でハブいてしまって悪い気もするけど、コイツなら大丈夫よね……と若干後ろめたい気持ちのあったヴェルディアナだったが、魔族喫茶の下働きを始めた一年前から、どれだけ成長しているかを厳密に把握はしていなかったりする。

 

「よし、頑張るぞ」

「よし、頑張るぞ」

 

 まったく同じ声が、まったく同じ調子でふんすとやる気のポーズをとる。『ここ最近、新メニューの開発で忙しかったし疲れてるのかしら』と眉間を揉むカルアナだが錯覚ではない。増えてる。

 

「カルアナ、ここにあるビラで全部か?」

「カルアナ、ここにあるビラで全部か?」

「カルアナ、ここにあるビラで全部か?」

「カルアナ、ここにあるビラで全部か?」

 

 おかしな幻覚だと思えるがそうじゃない。ていうか、また増えた。チラシの詰まった段ボールを抱える4人のバイトリーダーへ女主人は恐る恐る尋ねる。

 

「……義経、アンタ増えるの?」

 

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

「忍法分身の術なのだ! 結構上達してお喋りもできるようになったんだぞ」

 

「自慢したいのはよくわかったから、同時にしゃべらないで」

 

 分身、って……。

 わちゃわちゃと視界の八割程を占める状況に、軽く眩暈を覚えるヴェルディアナ。

 この手の知識には疎いが確か、分身は高等技術に分類されるものだ。それも実体を持ち、独自の思考能力さえ有するとなれば相当に高度だろう。

 実際そうだ。それ故に維持するだけで消費は大きく、併用するなど至難の業。卓越した式神術を有する師家さえも平常時に分身は一体までに留めている。

 持続性はないはずなのだが、このように平然と維持できてしまう埒外の体力と魔力がある。それに、<過適応能力>の応用補助もしている。

 同じ<過適応者>である先輩(やぜ)の大気振動で筋肉と神経細胞を疑似的に再現した分身体<重気流躰(エアロダイン)>から学習しており、自らの生命力を篭めた“匂い”を発香側(アクティブ)に使用することで分身の完成度を高めていたりもしている。

 尚、自分自身の分身体を操る実例を誰よりも近くで学んで(みてき)ているせいか、“頑張れば分身はできるものだ”と思っている。見様見真似で高度な分身ができたのもそのような背景があったりする。

 

「つくづく常識を滅茶苦茶にしてくれるわねアンタは。ていうか、余裕がありそうなんだけど、まだ増えるの?」

 

「んー、あんまり増えるのはよくない。この前、数を増やしたらその分ご飯も増えるかもと思ったんだけど、ご主人に『そんなふざけた考えが通用するか馬鹿犬』って、モグラ叩きみたいにされてなー」

 

 それは頭を痛めただろう。主人の魔女が。

 人形の如き相貌がピクピクと引き攣るのが、鏡でも見るように想像できる。

 

「それで、結局ご飯は一人分だし、なのに、分身増やした分だけお腹減るし、だから、分身の術はあんまり使わないようにしてたんだけど、でも、カルアナがもっと人手が欲しいって言うなら頑張って増やすぞ? う、もっと増やせばオレも皆と店の手伝いをやれるな!」

 

「いいえ結構よ。もうこれ以上増えないでちょうだい。義経は外回りに集中しなさい」

 

 倍々ゲームで増えていく問題児に囲まれて振り回されるなんて、女主人にとって悪夢である。

 個人で人海戦術を駆使するとか、非常識っぷりが加速度的にひどくなってきていない? いったいどこまで突っ切るつもりなのか、考えるだけで頭痛がする。

 がっくしと肩を落としながら、排気して無理やりにでも思考を立ち直らせた。

 

「じゃあ、カルアナ、この戦争(ケンカ)、勝ちに行くぞ! 勝って、みんなと楽しい思い出を作るのだ!」

 

 そんな呆れるくらいに真っ直ぐな眼差しを向けてくる。

 利益とかそういうのは度外視とまでは流石に思ってはいないだろうが、ここで最優先すべきは何なのかは最後の言に表れている。

 

 吸血鬼には辛い常夏の島。

 故郷より物価が高く、生活するだけでも大変な日々。

 なのに、ここに居付くことになったきっかけは、ちっとも憶えちゃいない。

 

 けれども、不思議なことに確信がある。

 きっとこんな風に理屈に合わない馬鹿に巻き込まれたんだろう、と諦観とは違う感情にほんのすこし思い耽る。

 

「……はぁ、わかったから、とっとといきなさい、義経」

 

 とひらひら手を振るや八方に飛び散っていくのを見送り、溜息ひとつ吐いてからヴェルディアナは切に願う。

 どうかお店にとんでもない厄介事を引き連れてこないようにと。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「フハハハハハー! 混沌渦巻く紅の館の到来を記した預言書(ビラ)であるぞー! この青き楽園にのみ捧げられる新たな供物を拝みたくば、代価を用意して馳せ参じるがいい!」

 

 びゅーん! という擬音が目に見えそうなほど疾風の如き疾走であちこちを巡る。

 きちんと魔族喫茶の役作り(半分天然)をしながら、目につく客に次々とビラを渡していく。

 あちこちに同じ顔が駆け回っているため矢鱈と目につき、来場客らから何かのイベントなのかと注目を集めている。

 期待通りの声の大きさと元気もあって、宣伝効果は抜群。

 

「ん。あれは」

 

 ひときわ歓声の上がる方へ視線を向ければ、そこに天高く跳ね上がる海棲魔獣。鬣の代わりに背ビレを持ち、蹄に水掻きを持つ海馬(シーホース)、ヒッポカンポスだ。

 そして、観客席に囲まれた大きなプールで行われているのは、この世界最大級の魔獣水族館の目玉にして、世界初のヒッポカンポスショー。

 古城たちと訪れたときは正式開業前で、飼育員たちがヒッポカンポス達に芸を仕込み中だったが、こちらの宣伝(こえ)を撥ね退けるくらい大きな歓声を聴く限り、どうやら成功しているようだ。クロウも魔獣との意思疎通能力を買われて、芸の練習に付き合ったこともあり、感慨もひとしおである。

 

(やっぱりアイツら泳ぐの上手いなー)

 

 “水上を駆け(はし)る”くらいは、自分にもできる。けど、ヒッポカンポスのようには無理だ。

 クロウのは水切りのように圧倒的な速度で水を蹴って成す力技であり、ああも優雅に、ゆっくりと水上を進もうとすれば沈んでしまう。

 まるで水の表面に拒まれるかのように柔らかく跳ね上がるヒッポカンポス。まるでトランポリンのように水面をバウンドするには、半馬半魚の生体構造が必須である。即ち人間には土台無理のある芸当である。

 

(うー、でも、動きは真似られるぞ)

 

 人非ざる獣の模倣には、自信がある。擬獣武術『象形拳』を仕込んだ師父から、『私よりも巧かったり』と最初に免許皆伝を言い渡されるくらい得意である。

 故に、海馬の動き方をよく見―――

 

 

「ウッヒョオオオ、メッチャイイ女がいるじゃん!」

「なあなあ、俺達と一緒に遊ばね!」

「野郎がいるが、そんなさえないヤツより、俺らの方が強ぇぜ!」

 

 

 フェスの喧騒に紛れた荒事の気配を察知。

 今日はお世話になってるカルアナの助けとなるため『紅魔館』のバイトリーダーとして『青の楽園』に来ているが、『魔族特区』の治安維持を担う国家攻魔官の眷獣である。その自負からして見過ごせない。

 すぐさま察知した方角へ急行し、現場を視認するや“()()()”と一目で悟る。

 

 

「待った、なのだ!」

 

 

 男女を取り囲む4、5人の男たちの前に割って入るようクロウは飛び込んだ。

 突如、真上(そら)から落ちてきて、音もなく着地したクロウに両者驚いて反応が止まった間に再度状況を整理する。

 

 背に庇うは、旅行客と思しき若い男性とその連れの女性。

 対して、そんなカップルを冷やかすのは、不良(チンピラ)。服装や外見に統一感はないが、全員、魔族登録証である腕輪を嵌めている。

 魔族だ。

 

「お前ら、今日はお祭りだからテンションが上がるのはわかるけど、ちゃんとマナーを守らないといけないんだぞ。他人に迷惑を掛けちゃダメなのだ」

 

 ビシッと指を立てて注意するクロウ。

 当然これに不良魔族らが素直に頷くわけがない。矛先をこの小生意気な乱入者へ変える。

 

「ああん、何言ってんだこのガキ、舐めてんのか」

「痛い目みたくなかったらとっととうせな」

 

「む。それはこっちのセリフだぞ。もっと状況と相手に気を配るべきなのだ」

 

 ガンつけてくるがまったく堪える様子もなく、落ち着いて忠告するクロウだったが、その態度がますます不良魔族達に血気盛んにさせた。

 魔族登録証で管理監視されている身であるが、それでも飼い慣らされてなどとは思っていない。思わさせない。

 檻の中にいようが絶対に襲わない魔獣が存在しないように、魔族と迂闊に接する真似をして理知的な対応がされる保証などどこにもない。

 今も他の人間の観光客らが遠巻きに見ているが、近づいては来ない。本能で忌避しているのだ。

 そうだ、恐れろ。恐れて然るべきなのだ。そんな舐めた真似は許されるべき振る舞いではない。

 

 不良獣人らは正論(ことば)などでは諭せない。

 彼らの思想や価値観の根底にはからして、善悪よりも、強弱こそ従うものだから。そして、それを他者に強いることにも慣れていた。

 

「だったら、俺らに気を配りやがれ、ガキ」

 

 不良獣人の対応はシンプル。

 ブン殴る。

 その空っぽな頭に、暴力を叩き込み、絶対の力の差というのを勉強させてやる。

 獣人化していないにせよ、魔族は人間を超える身体能力を有している。魔族の中でも獣人種の身体性能は上位。

 そう―――そのはずなのだ。

 間違っても子供の力で止められるようなものじゃない。

 

 

「ほい」

 

 

 止められた。

 注意するために突き出していたその指一本に添えられただけで、突き出した拳が進まなくなった。

 

「な、なあ……っ!?!?」

 

 それを見た仲間達は寸止めしたのだと思っている。何せパンチを受けたのに姿勢が小揺るぎもしないのだ。だが、断じてそんなことはしていない。その鼻面を狙って振り切ったつもりだった。

 

「力の差がわかったなら、引き下がるのが賢明だぞ」

 

 手を出したにもかかわらず、あっさりと促してくる。

 こちらの暴力を、まるで何事もなかったように処理された。

 

「ふ、ふざ……っ!」

 

 獣人のパンチが、指一本で止められるはずがない。なのに、突き指している気配すらない。

 ありえないことを覆すイカサマ―――そうだ、きっと魔術か呪術、人間どもが使う卑怯な小細工を使ったに違いない!

 だったら、こっちも使ってやる!

 

「お、おい! なに、頭に血が上って……」

 

 犬歯を剥き、裡から唸り声を発する。獣化の前触れを察知した仲間たちもこれが冗談でないことが分かり、慌てる。獣人の本性を表したら、魔族登録証が反応してしまう。魔族特区の警備隊連中がやってくるだろう。

 そうなれば、遊びどころではない。

 それくらいの計算ができる理性はあった仲間たちは制止の声を呼びかけるが、聞く耳持たず、腕輪の警報すら無視して、肝心の当人は荒れた感情のままに力を解放させんとする―――

 

「!?!?!?」

 

 だが、できなかった。

 

「やめろって言っても聞かないだろうから、金縛りの術をかけておいた」

 

 淡々と告げるクロウ。不良獣人の体表で微かに歪んで見える、蜃気楼のような違和感。

 

 拳を受け止めた瞬間に指先から迸った生体障壁が不良獣人に張り巡らせられていた。

 本来では自らの肉体に展開し、防護(よろい)となる生体障壁を、他者に着せて拘束服(ストレイト・ジャケット)とした。

 全身満遍なく纏わせた気功(オーラ)は注視しなければ気づかないほど極薄だったが、破れない。獣化しようとする肉体の膨張を強引に抑え込み、変身を許さない。主人の鎖と比べれば力頼りな面はあるが結果は同じ。指先一本も動かさせず、変化させない拘束力。

 

 ど、どうなっていやがる……っ!?!?

 

 指一本。

 なのに、巨大な手に全身丸ごと握り締められているような感覚。

 常夏の日射、うだるような暑さ、憎々しく思っていたそれらが一切感じられなくなった。いや、そんな余裕がなくなったが正解。停止した思考よりも敏い獣人の体は身震いが止まらず、呼吸が満足にできないほどに心肺が収縮する。1秒も早くこの状況から脱したいのに、意識が遠退き動けない。生死与奪の権でも握られた、そんな詰んだ事態に手遅れながらに気づく。

 

「じゃあ、ちょっとおネンネして頭を冷ますのだ」

 

 拘束服と化している生体障壁の強度を上げながら、内圧を強めて絞め落とす。

 不良獣人は、巨大な狼の顎に丸呑みされた自分の姿を幻視したのを最後に、暗転。泡を吹き、白目を剥いて、頽れた。

 

「お前らも、痛い目を見たくなかったら、オレの言うことを聞いておけ」

 

 これに動転する不良獣人たち。

 流石に狂言でも冗談でもないことに気づき、相手が得体のしれない存在であることを知った。

 再度降伏勧告をするクロウだったが、まだ彼らは挫けず、及び腰ながらも噛みつくだけの余力はあった。

 

「っ、おいおいやっぱ舐めてるぜ、このガキ、俺達は、絃神島で今最も恐れられてる最強の獣人チーム『狼愚(ローグ)』だ」

 

「ん」

 

「そして、『狼愚』のトップは、あの真祖すらも恐れた<黒死皇>の血を継ぐ、世界最強の獣祖!」

 

「ん?」

 

「<黒妖犬(ヘルハウンド)>が俺達の後ろ盾(バック)についてんだぞ! ビビったかガキ!」

 

「んん~??」

 

 口々に自らを鼓舞し、興奮する。その威勢の源は、ここ最近、絃神島で広まるとある世界最強の獣祖の存在。

 噂に尾ひれは付き物だったとしても、<第四真祖>のような都市伝説的な存在ではなく、目撃例があって実在していることが確かだとされているもの。

 直接その姿を拝んだことはないが、『狼愚』と敵対していた別の不良チームが一刻と経たずに壊滅させられたことは暴力の界隈では有名な話。

 そして、『狼愚』が幅を利かせるようになったのも彼の存在の威を借りるようになってからである。

 ……許可こそ取っていないが、同じ獣人。獣人至上主義を掲げた『黒死皇派』を率いた獣王の末裔なのだから、これぐらいは許されるはず。むしろ、彼の威光を宣伝する自分たちの振る舞いは評価されると信じている。

 だから、『狼愚』は絶対的な存在に守られているはずで―――

 

 

「ん~? 人違いじゃないのかー? オレ、お前ら知らないぞ」

 

 

 記憶を探るように少し瞑目。首を傾げた後、ゆっくりと目を開く。

 殺気も敵意もない。その双眸がただ閃いただけ。

 でも、金色の眼光に射貫かれただけで、『狼愚』の不良獣人らは戦慄した。

 視たのだ。

 先に倒された仲間と同じく、絶対強者たる怪物の姿を。

 文明社会に錆びついていた獣の第六感が慌ただしく訴えかけるが、もう遅い。

 

「お、おい! お前、『狼愚』に……<黒妖犬>に戦争(ケンカ)をする気か……!?!?」

 

「だから、お前らのことは知らないし―――ケンカを仕掛けてるのは、『狼愚(オマエら)』だ」

 

 こと穏便に済ませる最後通牒を破った者たちの末路は決まっている。

 説得が無意味であれば、迅速に無力化し、最小限の被害で処理する。それが主人たる魔女の言いつけ。

 

 既に不良獣人全員に生体障壁の拘束衣を纏わせた。

 この生体障壁の応用編である金縛りの術には、拘束以外にもう一つ、クロウにとっての利点がある。

 拘束服であるが、同時に防護鎧でもある。

 なので、たとえ手加減を失敗しても多少のケガで済ませられる。

 

「ちょっと、痛い目みてもらうぞ」

 

 人間より種として優れた獣人の目ですら、手が霞んだとしか視認できなかった。

 パンッと、乾いた音が人数分して、『狼愚』は最初に落とされた仲間の感覚を共有できた後、揃って気絶させられた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ヒュー! やるねぇ坊主、見事なお手並みだ」

 

 クロウは改めて気を引き締めなおして振り返る。

 声の主は、背に庇っていた旅行客風の男。

 見た目の年齢は20代の半ば。髪が短く、背が高い。190cm以上はあるだろう。細身だが、筋肉質な体型のせいか、ひ弱な印象を与えない。

 軍人か、現役のスポーツ選手を思わせる雰囲気だ。

 美男子というにはタイプが違うが、格好いい大人の男である。

 着ているのは、ぶかぶかのトランクスタイプの水着とサンダル。アロハシャツを無造作に肩に引っ掛けており、剥き出しになった左の肩には、竜の入れ墨(タトゥー)が施されていた。

 

「流石ね、面倒なのに絡まれたときはうんざりしたけど、坊やが来てくれて助かったわ」

 

 そして、彼の傍には連れと思われる女性もいる。

 太陽の輝きを思わせる金色に近い赤毛の、大人びた美女。

 ビキニ水着に、上半身にシンプルなシャツを着ている装いだが、彼女が着るとおそろしくゴージャスに見える。

 文句のつけようのない美形だが、媚びたようなウェットなイメージはない。男女問わずに惹きつける、からっとした陽性の魅力の持ち主である。

 

「むぅ」

 

 少し困った声を漏らすクロウ。

 どう対応するべきなのか。以前、似たようなことに遭遇し、その対応があまりに迂闊だったと方々にしかられた。

 できるなら、主人に判断を仰ぎたいところだが、今日は学園でお仕事のはずだ。進級するには現状単位が足りない教え子の面倒を見ている。

 どうしたもんかなー? と小首を捻るクロウに、男は少し声をひそめて

 

「いや、本当に助かった。実はここにきてるのはお忍びで、派手な真似をすれば面倒なのに見つかっちまってたからな」

 

「お忍び?」

 

 この前、浅葱先輩がうっかりと街中で声をかけてしまったことを思い出す。

 サングラスをかけ、顔下半分を覆い隠すほど大きなマスクをしていて、風邪を引いたんじゃないかと心配になって声をかけたのだがそれは杞憂で、その似合わぬ装いは変装だった。

 最近、ご当地アイドルとして有名になってしまったせいで、行きつけのラーメン屋に行くのも一苦労だという。

 だから、お忍び……人目を避けている有名人には、気づいても気づかないようにするという配慮をしてくれるのが正解なのだとラーメンを奢ってもらいながら滔々と説かれた。

 とても賢い浅葱先輩の言うことにまず間違いはない。

 

「ということは、ここにはこっそりと観光にきたのか?」

 

「ええ、遊び半分、ってところかしら。だから、ほかの迷惑になるようなことにはしたくなかったの」

 

「そうそう。物見遊山で寄り道してる俺たちがここにいるってバレたら、あいつは仕事をほっぽり出しちまいかねないからな」

 

 確認すると赤毛の女性はこちらを真っ直ぐに見つめながら答えて、それに同意するよう陽気な男も頷く。

 なるほど、とクロウは納得する。とりあえず、何か悪さをしようという気はないようだ。

 それに今朝のことが脳裏を過る。

 

「う、そうか! わかったぞ」

 

「? いきなり何がわかったんだ坊主?」

 

 合点の言ったクロウだったが、今度はカップルの方に疑問符が移る。

 クロウはここで果たすべき自分の対応として、彼らの目的を記した品を、はい、と渡す。

 

「ここに記されし約束の地に汝らの求める秘宝があるだろう!」

 

「え、これ、ビラ?」

 

「では、さらばなのだ、始まりの者よ」

 

 まだまだ配布すべきビラは沢山あるし、おネンネさせた不良獣人たちをここに放置しっ放しにはできないだろう。

 それに何より、ここで仕事に関係ないことにかまけるのは彼らの長(バイトリーダー)としてあるまじき振る舞いである。

 ほいほいと『狼愚』をまとめて担ぎ上げたクロウは、以前に勤めたことのある『魔獣庭園』のスタッフルームへ駆け出して行った。

 

 

「ちゃんと、宣伝しておいたからな、カルアナ」

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 地元とは勝手が違うことは承知していたつもりだったが、まさか絡まれるとは思っていなかった。

 対応に困らされたがアレでは、我が国の軍兵とはなれないだろう。

 目前にしながら彼我の力量差をわからない。

 その程度の嗅覚すらない。獣であれば必需品であるそれを、人間が築いた文明社会で過ごすうちにどこかへ置き忘れてしまっている。

 至極残念だ。魔族の中で最も野生の本能を備えていた彼らが、この魔性を管理する特区(おり)に飼い慣らされ、こうも堕落するものか。

 同胞の弱者が蔓延る現状など見るに堪えぬと憤り、それを打破する変革を促すためとはいえ、絶対王者の座を奪わんと戦争(ケンカ)まで仕掛(ふっか)けられた身としては、虚しくもなるものだ。

 一方で、あちらはちゃんと気づいていたはず、なのだが……

 

「行っちまったなぁ」

 

 どうしてあんなあっさりと見逃されたのかまではわからないが、きちんと状況を把握していたはずだ。

 その眉間にぎゅぅっと眉を寄せる顔から、こちらの対応に迷っているのが見え見えだったのが、素朴な印象をさらに強化していた。

 上手く乗せれば……じゃなく、下手をすれば、一戦を交える可能性もあり、こちらはそのつもりで気構えていたりもしたのだが、簡単な問答で勝手に納得されて去ってしまった。

 そういうこちらの予想を裏切る真似は、噂に違わず面白いとも評せてしまうのだが、折角の馳走がテーブルにつく前に皿を下げられてしまったというか、消化不良感は否めない。はてさて、どうしたものか。

 

「とりあえず、ここに立ち寄ってみない? せっかくお誘いを受けたんだし」

 

「ああ、お招きにあずかっちまったからには、行かなくっちゃあ、な?」

 

 ビラをひらひらと連れに、男はニヤリと笑みを返した。

 

 

 

彩海学園

 

 

 

「暑ィ……」

 

 つい弱弱しく言葉を漏らしてしまう。

 真夏のように澄んだ青空からはカーテンでも遮りようのない強い日射、窓は開いていても吹き込んでくるのは湿気を含んだ生温い風。

 日焼けが天敵な吸血鬼でなくてもうんざりするような環境の中で、暁古城が何をしているかといえば、補修だ。

 今年度は色々とあって散々授業をサボりまくったツケを支払われているのだ。

 このままでは進級の単位さえも危ういと宣告され、それで貴重な学生の土日休日を潰して課された難解な英作文の問題に励んでいる、といったところ。

 なのだが、

 

「ああ~……っそ、集中できねェ」

 

 頭の中を占めてくるのは、目前の課題ではなく、昨日の出来事。

 バレンタインに向けた(なぎさ)の買い出しに付き合い、一男子(あに)の意見として横から、あれやこれやと口出しした結果、『あー、もう! 古城君、うるさい! 買い物が終わるまで外の公園で待ってて!』と追放処分をされた時のことだ。

 当然のように同行していた監視役である少女(ひめらぎ)からも『何をやってるんですか先輩』と呆れた顔を向けられ、弁護もされなかったのだが、古城なりに気を利かせたつもりだったのだ。

 

 ああ、そんな甘いもんはダメだダメだ。もっとビターなヤツ、そう、このカカオ95%のダークチョコレート……は流石にまずいから、あのカカオ75%ぐらいがちょうどいいんじゃないか――……ってクロウは言ってたな。

 

 と、昨日の後輩から聞き出した話を参考にし、甘さ控えめというか、ほろ苦い感じのを推し、さりげなく買い物かごの中にチョコレート(砂糖微量、ミルク未使用)を取って入れたりするなど手伝いもした。

 なのに、二人からは怪しまれ、しまいには邪魔者扱いをされてしまった。

 

 くっ、あの後、どんなチョコを買ったのか訊いても教えてくれなかったし、買い物袋の中身をこっそり確認しようとしたら、凪沙から睨まれるし、そのまま姫柊の部屋でチョコレート作りをすることになったからどんなのが出来上がってるのかわからないからますます……

 いや、そんなことよりもだ。凪沙のことも気になるが、それだけでなく―――

 

「うがっ!?」

 

 ゴツン、と古城の眉間が見えない拳骨でどつかれたように火花を散らした。

 たまらず仰け反った古城の姿を、教壇から醒めた目つきで睥睨するのは、この補修の監督役の教師。

 アンティーク風の豪華な肘掛け椅子に着座する南宮那月は、冷ややかに鼻を鳴らし、

 

「集中できてないようだが、私が出してやった課題を解くのは退屈か? ならば、もっとレベルの高いのをさせてやってもいいぞ」

 

「やめてくれ、那月ちゃん!? ただでさえ今日は―――」

 

「担任をちゃん付けで呼ぶな、馬鹿者」

 

 もう一発、不可視の不意打ちが古城の頭を引っ叩く。

 涙目で顔をしかめる古城が、額を押さえながら、体罰反対の意を込めた視線を向けるものの、南宮那月は全く意に返さず。教壇の上の皿に置かれた、何やら丸っこい握り拳大の黄色い塊をフォークで突いている。

 何だあれは? 常習的に課題の監督している最中に優雅にティータイムをしているけど、今日の菓子は御用達の高級品には見えず、その凸凹とした出来具合から既製品っぽくないというか手作りみたいな……

 

「ん。そんな物欲しそうな眼をして。コレが食いたいのか?」

 

「ちげーよ。つか、それ菓子、なのか……?」

 

「ふん。こんな見てくれだが、チョコレートだ。月をモチーフにしたと馬鹿犬は言っていたがな」

 

「へぇ、クロウが作ったのか?」

 

「電化製品の類は触れさせられんからアスタルテに補助をさせていたというのに、大雑把で拙い作りだ。単に丸めただけではないか。まったく、馬鹿犬に繊細な調理センスはないと断言できる」

 

 もし当人がここにいればぺたんと耳が垂れそうな酷評しながら、フォークで突いては皿の上を転がしている。しかし唇を曲げながら弄ぶその様はどうにも古城の目には持て余しているように伺えて、実は内心どこから切り崩すべきかと悩んでいるじゃないかと想像を働かしてしまう。

 この素直じゃない那月ちゃんのことだからきっと―――

 

「……何だ、暁。何か私に言いたげな顔をしているな?」

 

 とほっこりとした生徒の気配を察知し、微笑まし気な顔が癪に障ったのか、じろりと那月が古城を睨みつける。

 うわ、まず……っ!?

 下手な回答をすれば、そのフォークの矛先がこちらに向けられるのはこれまでの経験上わかる。それも教え子に対する労りなんて欠片もなく突いてくるに違いない。

 だけど、古城の頭脳ではここで咄嗟にうまい躱し文句が出てくるわけでもなく―――

 

「―――そ、そうだ、那月ちゃん! 浅葱! 浅葱のことなんだけど!」

 

「藍羽?」

 

 慌てて口にしたのは、この補習中にも思考の大部分を占めたバレンタインに並ぶ古城の悩みのタネ。

 自身が受け持つ教え子の名前を出された那月は、片眉を上げて訝し気な表情を浮かべる。つい反射的に口にしてしまったが、これはいい機会かもしれないと勢いそのままに古城は訊ねる。

 

「昨日、浅葱がジャガンに会ってたんだよ! 俺たちに黙ってこっそりと!」

 

 そう、あれは古城が凪沙たちに戦力外通告され、店前の公園でたむろしていた時に見かけた。

 同級生の女子と、彼女と連れ立って歩く『戦王領域』の貴族トビアス=ジャガン――ディミトリエ=ヴァトラーの腹心ともいわれる『旧き世代』の吸血鬼の姿を。

 あまりに衝撃的な光景に固まってしまう古城。そんな古城に見向きもすることなく、彼らは停まっていた二人乗りの高級スポーツカーに乗り込み、荒々しい排気音にようやく呆けていた意識が復帰した古城だったが、止める間もなく走り出してしまった。

 

「おかしいだろ……! 浅葱がジャガンに付き合うなんて……!」

 

 トビアス=ジャガンはとある事情で一時期、彩海学園に短期留学したことがあったがその時に浅葱と特別親しくなったわけでもなく、会話をしてるのも古城はほとんど見たことがない。親しみやすい相方のキラならばとにかく、あんなとっつきにくい吸血鬼が浅葱をエスコートする姿など昨日まで想像することなどできなかった。

 

「電話して訊いたんだが、浅葱のヤツ、そんなこと知らないの一点張りで、そんなことないのに……終いには、しつこい! って言って、通話を切りやがった。なあ、那月ちゃん、これどう思う?」

 

「男の嫉妬だな。くだらん」

 

「は? 嫉妬?」

 

 那月の返しに、古城は思わず唖然とした。この危機感を共有できてないことに焦りを覚える古城。

 

「違ぇって! 那月ちゃんだってわかってるだろ、あいつ、吸血鬼なんだぞ!?」

 

 古城が浅葱の行動が不用心だと指摘したいのは、連れ歩く相手がトビアス=ジャガンだからだ。

 ジャガンはただの吸血鬼ではない。絃神島に幾度も危機をもたらした戦闘狂(バトルマニア)、ディミトリエ=ヴァトラーの部下なのだ。そんな危険人物と接触するなんて、どれだけ危ない橋を渡ることになるか、国家降魔官である那月には理解できるはずだ。

 しかし、那月は頬杖をつきながらチョコをフォークで突いて細かく砕く作業にいそしむ、視線をこちらに合わせる真似もせずに一言。

 

「お前だって似たようなものだろう?」

 

 恐ろしく端的な那月の指摘に、うぐ、と古城は言葉をなくす。客観的に見れば、『世界最強の吸血鬼』という馬鹿げた肩書を持つ古城は、ジャガンと同類、いやそれ以上に危険ではた迷惑な爆弾である。古城自身もそれは自覚するところである。

 那月はチョコの欠片を口に入れて舌の上で舐めるように咀嚼、教え子が己を見つめ直し、冷静になるだけの間を置いてから、

 

「ここは『魔族特区』だからな。恋愛は自由だ。たとえ相手が『戦王領域』の貴族だろうが、どこぞの野良真祖だろうがな」

 

「あのヴァトラーの手下でもか?」

 

「手下ではなく、対等の同盟者だ。もっともそんな大物が、藍羽のような乳臭い小娘(ガキ)を相手にするとは思えんが」

 

 いや、小娘って……

 かくいう那月の外見はある事情で成長が止まっていて、せいぜい11、2歳程度にしかみえない。見た目ではその評はどちらかというと教え子(あさぎ)よりも自身の方に返ってきそうだが、それを指摘する(つっこむ)ことは命知らずだと古城は呆れつつも閉口する。

 

「もちろん魅了(チャーム)を使って、無理やり藍羽を従わせているのなら犯罪だが、そうでなければ何の問題もないな。女を寝取られたくらいでいちいち取り乱すな」

 

「それが教師の言う台詞か!」

 

 冷たく突き放すような那月の言葉に、落胆のため息をつく古城。

 那月の伝手を頼って、人工島管理公社で把握しているトビアス=ジャガンの現在地を教えてもらおうと考えていたが、この様子では望み薄。

 

 

 ――ブー……ブー……

 

 

 とちょうどチョコの一欠けらを那月がもう一口口にしたところで、携帯のブザー音。

 古城の携帯に、ではない。

 国家降魔官として常に持ち歩いている那月の携帯に連絡が入った。

 那月が立てた指を縦一線に引くや、まるでジッパーを開けたように虚空に仕舞っていた携帯を取り出す。

 どうやら電話ではなく、メールのようだが、那月はその文面を確認するや、那月は眉間にしわを寄せた。

 

「あの、馬鹿犬……っ」

 

 古城にはその内容が分からないが送信先は後輩だというのはわかった。電子機器との相性はあの浅葱が匙を投げるくらいに致命的な後輩が携帯を使って連絡するというのはそうそうないことだ。

 チッと舌打ちして、すぐさま電話をかける那月。

 が繋がらない。

 携帯を耳に押し当てながら、フォークで皿をコツコツと叩く。一定のリズム――だったのが、30()程からしびれを切らしたように徐々に早くなり、時計の針が1周したところで、残っていたチョコの塊をぐさりと突き崩した。

 

「…………………」

 

 な、那月ちゃん……?

 連絡がつかず、ますます眉間のしわを深める。あからさまに苛立つ魔女に声をかけられないが、どうやら非常事態なことくらいは古城は察した。

 たしか、今日は『青の楽園(ブルエリ)』でバイトをしているはずだったが何があったんだろうか。

 通話を諦めた携帯を虚空へ投げ捨てて、フォークに串刺しにしたチョコの塊を口に入れて――裡に渦巻く情動もまとめて潰し呑み込むように強く一気に――噛み砕いた那月は、席を立ち、淡々と感情を排した声で古城へ、

 

「急用が入った。今日の補習授業はここまでだ、暁。今やっている課題は次までにやってくることだ。忘れた場合は、倍に量を増やしてやる」

 

「お、おう。那月ちゃん、その、クロウは大丈夫なんだよな……?」

 

「ああ、無事だ。……今のところは、な」

 

 そう最後に、美しくも妖しい、どこか嗜虐的なものが滲む笑みを浮かべる。

 思わぬ災難に見舞われたけれどケガはなく、ただしいつ事態が急変するかもしれず予断を許さぬ渦中に後輩がいることを暗示したものなのか、それともこれからその場に自ら赴き従僕(サーヴァント)をこの補習よりも地獄なメニューで徹底的に躾けてやることを予告したものなのか。

 

「那月ちゃん、心配なのはよくわかるけど、クロウは何も考えなしで動くヤツじゃないし、こうしてちゃんと連絡してくるんだから、そんな取り乱したりせずにもっと落ち着いて」

「別に、私は、取り乱してなどいないが、暁」

 

「で、ですよねー」

 

 すまん、クロウ、と心の中で謝る古城。

 先輩として弁護してやりたかったところだが、無理なようだ。

 ……とりあえず、頼りになる主人の魔女様が向かう――来てからの方が大変そうになりそうではあるが――後輩が無事であるのは確かであるのだから、古城は胸を撫で下ろしておく。

 

 

 

「さて、と……」

 

 そうして、補習監督役がいなくなり、教材等を鞄に仕舞いながら、古城は考える。

 この後の予定をどうするか。

 浅葱のことも気になるし、後輩のことも心配といえば心配だ。とりあえず、今日もわざわざ補修が終わるまで待機しているであろう監視役と合流してから決める―――

 

 

 ――ブー……ブー……

 

 

 とそのとき、再びブザー音。

 今度の発生源は、古城の胸ポケットからだ。

 なんだ? と確認すれば、母からのメール。

 

「そういや、今日、凪沙の面談だったけ」

 

 暁家の両親はどちらも予定が掴みにくい。

 片や世界を股にかけて荒事も滅法強い考古学者、片や世界的大企業の一部門の主任スタッフを任されている研究員だ。

 クソ親父は現在入院中であるし、母親が三者面談に出席することとなっていた。ここ最近は特に忙しいのか、平日はどうしても予定が空かず、それでもこの日にどうにか面談の時間を作った。

 だが、その出席予定がドタキャン。

 着信したメールの内容を簡潔に説明すれば、急な来客がありその対応をしなくちゃならないから今日の凪沙の三者面談に出られそうにない。

 なので、保護者代役(ピンチヒッター)を頼むと連絡。

 

 ……ピンチヒッターの選択肢にないクソ親父は哀れというのかなんというのか。

 兎にも角にも、折角、向こうもわざわざこの休日に時間を作って妹も学校にきているのだから、これを無視するという選択肢は古城にはなかった。

 

「仕方ねぇな。っと、姫柊にも連絡しとかねーと」

 

 

 

青の楽園

 

 

 

 依頼された個体の分析報告。

 彼女の細胞は人間とも、他の龍族(ドラゴン)の細胞と全く近似しない。

 推定される遺伝子情報の密度は、通常の生物の数十倍か、それ以上。<賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)>――錬金術により作成された“神”の細胞にも匹敵する。龍族を含めた如何なる魔族にも、これほどの遺伝子情報を細胞内に保有する生物は、現在は一例のみしか確認されていない。

 更なる詳細結果は2週間後となるが、現時点での結論を述べれば、彼女はこれまで存在が確認される、どの進化系統にも属さない新種であり、上記の類似例から遺伝子に分子レベルで魔術的に手を加えられた人工龍族である。

 

 

 『魔族特区』の一部である『青の楽園(ブルーエリジウム)』に併設される魔獣専門の研究施設――通称、<魔獣庭園>。

 世界各地の希少な魔獣たちを飼育し、生態を研究する施設で、謎に包まれる<沼の龍(グレンダ)>の解明を行った。

 しかし、希少な龍族の細胞は、もともとサンプルが少なく、個体差も大きい。

 魔獣関係の研究施設をもってしてもすべてを解明することはできず、誰かの手で、人工的に造り出された龍族であることしか判明しなかった。

 

(そうなると、ますます謎が深まるんだけど……)

 

 一体全体どういうわけか、現代科学的に天涯孤独の身であることのお墨付きがされたグレンダは、最近、自分たちの監視対象となった“彼”のことを“おにぃ”と呼び、あまつさえ彼の契約をした<守護獣(フラミー)>のことは“ママ”と呼んでいる。

 斐川志緒の相方である羽波唯里が言うには、最初からこうだったという。別に彼がグレンダに兄呼びを強要したわけではないのだ。

 考えられるとすれば、“同類”であると本能的に嗅ぎ取ったのか。

 グレンダと同じく、『黒』シリーズも今の技術ではとても造り出せない、分析報告にも比較検討のできる唯一の例として出されるくらい。

 彼の創造主である魔女は悪魔との契約で『天部』の科学力にも及ぶ叡智を得て、倫理感など無視した狂気的な研究と禁忌の実験の果てに現代の殺神兵器の創造が実現できたようなものだ。グレンダを解析した<魔獣庭園>の研究者たちからすれば、『黒』シリーズの成功例である『混血』の人工魔族は、一万年に一人の逸材なのだとか。

 

「ぷーる! おーたすらいだ!」

「待って待って、グレンダ! そんな走ってたら、転んで危ないよ!」

 

 

 明るく弾んだ声に、思考の海から引き上げられる志緒。

 仲良くお手々を繋いで研究施設から出てきたのは、<魔獣庭園>での検査が終わったグレンダと彼女のお着替えの手伝いをした唯里である。

 昨日初めて体験したプールでの水遊びをいたく気に入り、陽が暮れるまでウォータースライダーを滑り続けたグレンダは早く早くと唯里を急かし、ちょっと困ったような笑顔を作りながら唯里はそれに引っ張られている。

 

「お待たせ、志緒ちゃん」

「しおー!」

 

「唯里もご苦労さん。グレンダも検査お疲れさん」

 

 先に研究施設を出て自動運転の電動カートを用意して待っていた志緒に駆け寄る唯里とグレンダ。

 獅子王機関所属の舞威姫、斐川志緒。同じく、獅子王機関所属の剣巫、羽波唯里。

 傍目からは遊び相手にしか見えないけど、これも仕事。

 <沼の龍(グレンダ)>の監視と体調管理も二人に与えられた任務の一環なのだ。

 唯里はオーソドックスなフリル付きの水着を着て、志緒もシンプルなモノトーンのビキニ、それぞれ日焼け対策のパーカーを羽織っていて、プールに遊びに行く気満々の装いではあるが、これもこの高級マリンリゾート地に浮かないためなのだ。

 決して、レジャーイベントを満喫するためではない。

 グレンダの希望もあるが、獅子王機関がもう一人の監視対象として認定した彼――南宮クロウに接触(コンタクト)するためなのだ。

 

「グレンダ、今日はバレンタインのイベントがあるみたいだよ。一緒に楽しもうね」

「ばれんたいんー!」

「うんうん、それもなんとクロ君も参加してるんだって。ね? 志緒ちゃん」

 

「あ、ああ、南宮クロウもここにきてるみたいだぞ」

 

「わー! おにぃ! おにぃに会いたい!」

 

 おにぃに会えることにはしゃぐグレンダ。同調して満面の笑みを浮かべる唯里。ちょっと目を逸らしてしまう志緒。

 南宮クロウがここにいることは確かであるが、その情報は彼から直接聞いたわけではなかったりする。

 

 監視役として、監視対象の行動は逐一把握していることが望ましい。

 志緒は、諜報活動を得意とする舞威姫である。情報収集は得意とするところだ。それに白兵戦を担当する剣巫の唯里も率先してお手伝いをしてくれたのだが、彼の主人である<空隙の魔女>、南宮国家降魔官にそのことごとくを阻止された。

 

 彼の魔女の目を掻い潜るのは、相当に至難。そもそも彼が住んでいる高級マンション自体が、空間制御を得意とする魔女が作り上げた異空間じみた工房であるのだから、気づかれずに監視など無理難題なのだ。

 複数同時操作に自信のある式神を監視用に飛ばしたが、部屋に侵入することできずに迎撃されて叩き潰され、唯里がこっそり追跡術式を植え付けようと試みたが、それもその日のうちに解呪されていた。

 普通であれば、ここで冷静になって方針転換を考えるべきだったのだが、それを邪魔するものがいた。

 

 

『獅子王機関の剣巫と舞威姫、二人揃ってこの程度とは残念。監視役の任を降りて、島から帰った方がいいわね』

 

 

 同じ監視役の任を与えられ、属する組織の異なる競争相手。太史局の六刃神官、妃崎霧葉だ。

 普段は温厚な唯里だが、この霧葉を相手にするとムキになる傾向があって、彼女に上から目線で見下されながら煽られた相方の目にはごおっと火が点いてしまった。

 それからが大変だった。

 監視役としては先輩の姫柊雪菜にいろいろと話を聞きに行っては、親身に相談に乗ってくれた後輩の剣巫から、監視役という免罪符がなければ普通にストーカーになりそうな、手法を伝授され、それを実践。志緒もそれに巻き込まれて協力、というか、いつの間にか監視業務は唯里の方が主導になっていた。ライバルの六刃と切磋琢磨しているうちに監視の腕が上がってしまったのだ。

 そうして、ちょっと思い出すだけで遠い目になりそうな迷走の日々の果てに、南宮クロウの行動予定の把握くらいはできるようになったのである。

 ……こんな遠回りな真似をせずとも、彼に直接聞いた方が手っ取り早いじゃないかなあと志緒は思ったが。

 

「ゆいりー! 早く行こ! おにぃに会いに行こ!」

「もう、グレンダったら。ゆいおねぇでしょ?」

 

 もはや何も言うまいと志緒は決めた。

 何かちょっと殻を破りそうな相方から目を逸らしたいわけでは決してなく、彼女の意思を尊重した結果であって、一人になると何やらイメージトレーニングをしていても私は何も見ていないのだ。

 兎にも角にも、だ。

 自分たちは南宮クロウと行動を共にすることが望まれている。

 今、唯里は二つの楽器ケースを携帯している。

 一つは自身の得物である『六式降魔剣(ローゼンカヴアリエ)(プラス)』、もう一つの楽器ケースには『混血』である南宮クロウにしか真価を発揮できない『零式突撃降魔双槍(ファングツアーン)(プラス)』収まっている。

 元々は、獅子王機関が管理していた武神具だ。監視役の役割のひとつとして、この<《冥/明(めい)》我狼>の管理が任されている(師家様曰く、壊し屋の坊やに預けてたら、壊しかねないとのこと)。

 

「「―――!!」」

 

 電動カートに乗り込んだその時、周囲に張り巡らせた式神が陣形を作った結界に反応。恐ろしく強力な魔族の気配に、だ。

 唯里もまた剣巫の優れた霊感が嫌な予感を覚えて、反射的に構える。

 

「志緒ちゃん!」

「わかってる! なんだ、このでたらめな魔力……!?」

「グレンダ、こっちに! 早く!」

「だ?」

 

 そして、彼女たちの前に、漆黒の霧が漂い始め―――

 

 

 

彩海学園

 

 

 

 胸中にざわめく嫌な予感。

 

 暁古城には教えなかったが、現在、管理公社は<蛇遣い>ディミトリエ=ヴァトラーの所在地を確認できていない。

 あの日、使い魔(クロウ)と交戦をしたのが最後だ。

 戦闘の最中、矢瀬顕重の指示により衛星から対地レーザーを撃ち込まれたみたいだがそれくらいでは<蛇遣い>は死滅しないだろうし、クロウからも報告は受けている。

 

 戦争に横やりを入れた奇襲は、外れたと。

 

 あの騒動、火事場泥棒で何を目的に動いていたかは不明だが、表に出てこないということは、何か表沙汰となればまずいことを企んでいる可能性が高い。

 クロウに深いダメージを負わされ、その回復のため大人しくしている可能性もなくはないが、彼奴の性格上それはないと断定できる。

 しかし、自らの拠点である船に自身を狙う刺客を乗せてくるようなイカれた吸血鬼の企みなど考えるだけで時間の無駄だ。

 

 追跡捜査にはうってつけな使い魔がいるのだが、同日に人工島管理公社の総帥にして、『聖殲派』の黒幕・矢瀬顕重が行方不明となっている。死体が見つかっていないのだ。

 魔族特区テロリスト(タルタロス・ラプス)の襲撃の際に、自身の死を偽装し、先生を欺いたあの男は、自らの目でその死を確認するか、<監獄結界>に収監するまでは、決して気を抜けない相手だ。

 那月としては、ヴァトラーよりも矢瀬顕重を警戒し、未だに裏に潜んでいる可能性が捨てきれなかったため、この件に関して、使い魔の派遣は見送っていた。

 <禁忌四字(やぜ)>を継ぐ資格を有する教え子の矢瀬基樹がその後釜に収まったが、絃神島の暗部全てを掌握しているとは言い難い。

 先日、新統括理事長協力のもとで実施された捜索では、<黒妖犬(ばかいぬ)>より兵器に相応しく調整された複製体(クローン)の研究が発見されたのだが、肝心の成果である複製体はなかった。何者かが管理公社が処分するよりも早く回収したのだろう。

 那月は矢瀬顕重が第一容疑者だと睨んでいたのだが……

 

(だが、そうでないとすれば、疑わしいのは奴だ)

 

 統括理事長の権限がなければ、立ち入れない研究区画の最奥にどうやって侵入したのか断定はできないがいくつか候補は思い浮かぶ。

 忌々しくも動機も世に解き放てば面白そうだからですべてを片付けてしまえる戦闘狂。自身を瀕死に追い詰めた<黒妖犬>のことを殊更に高く評価しているに違いないし、匹敵する性能を有するであろう複製体にはそれだけの期待をかけていることだろう。

 

 そして、つい先ほどの古城の報告。

 <蛇遣い>以外の命には付き従わないだろう腹心が動いているとなれば、近いうちに――早ければ今日中にも――何かを仕掛けてくる。

 

 そこで、舞い込んだ一通の報せ。

 この件に関わってなくもなさそうなあのふざけたメール。

 

 

『ごしゅじんへ

 このまえのいぶりすよりもすごいきゅうけつきがまじゅうていえんにきてるぞ』

 

 

 この小学生並みの文章から察して、アシスト役のアスタルテがメールを打ったわけではないのだろう。ポチポチと人差し指でボタンを押してる姿が容易に目に浮かぶ。

 それで、詳細な確認を取ろうとしたのだが、繋がらない。

 思った以上に早くに来た返信に慌てて受話器ボタンをつい反射的に力を入れて、ボキッと折って連絡手段(けいたい)を壊したのか。繋がらない。あれは使い捨てにしていいような安い代物ではないというのに、こちらが電話をしても通じない以上は直接問い質すしかない。報告・連絡はしたようだが、相談ができないようでは落第であり、そのあたりも厳しく教育してやろう。

 

(……事は思っている以上に進行しているのか)

 

 馬鹿犬は馬鹿だが、その感性は馬鹿にしたものではない。間違いなく、信頼のできる情報。そこから考察をすれば以下のことが判明する。

 イブリス――第二の夜の帝国の凶王子イブリスベール=アズィーズ。真祖に最も近しい存在と言われる<蛇遣い>と同格の存在。

 それとの相対評価をして尚も格上だと判断できる吸血鬼なんて、片手で数えられるくらいに限られている。

 

「私が来るまで戦争(ケンカ)などしてくれるなよ、馬鹿犬……!」

 

 

 

青の楽園

 

 

 

「警告する、<心ない怪物(ハートレス)>。

 日本政府が無力化を失敗した<沼の龍(グレンダ)>を、我々『聖域条約機構軍』が回収する。

 ……それと、付け加えるのであれば、貴様も封印指定とするかまだ裁定は下されていないが、ここで邪魔立てをするのならば、重大な脅威と認定する」

 

 

「お前の見方はわかった。だけど、オレの見方はお前のとは違う。人によってそれぞれの見方が違うのはわかってるけど、だからこそ、オレは目を逸らさずオレの心と向き合う。なくそうとした心を皆が守ってくれたんだから、心を大事にすると決めてるのだ。

 オレをもう<心ない怪物>なんて呼んでくれるな」

 

 

「では、<黒妖犬(ヘルハウンド)>。貴様は愚かにも第一真祖<忘却の戦王(ロストウォーロード)>の決定に異議を挟み、この俺、『戦王領域』帝国議会議長、ヴェレシュ=アラダールと殺し合(たたか)うか」

 

 

「ああ。オレの力が我武者羅に振り回していいものじゃないとわかってるけど、グレンダに手を出すのなら、オレはそのケンカを買う。たとえ世界が相手でもその答えは変わらない」

 

 

 

つづく


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