ミックス・ブラッド   作:夜草

83 / 91
長らくお待たせしました。
最近、というより、ここ数年色々と大変でしたが、少しずつ書き溜めていたのを投稿します。
楽しんでもらえたら幸いです。
続きは気長にお待ちください。


十二章
真祖大戦Ⅰ


 異世界から召喚された絶大な戦闘力を有する獣、眷獣。

 物理的な実体を持つほどの濃密な魔力の塊であり、物理攻撃はほとんど通用しない。ひとたび召喚された眷獣は、都市や森林を焼き尽くし、地形を変え、敵味方問わずあらゆる生物を駆逐する。

 『天部』の技術が生み出してしまった、しかし、『天部』の神力をもってしても御し得ない、戦争の道具としてもあまりに強力過ぎる破壊兵器だ。災厄と称しても過言ではない。

 そんな眷獣が戦争に投入されてしまえば、こちらまで滅びるだろう。少なくとも、文明は崩壊するはずだ。

 

 俺達は自業自得だからしゃあねえが、とばっちりを食らう他の種族のことを考えたらほっとくわけにもいかない。なあ、どうすればいい?

 

 そう、直球で投じた言葉に、“アイツ”――この『天部』で一番の変わり者は指を二本立ててみせた。

 

 ひとつは、魔力と対になる高次元の霊力をぶつけて対消滅させる。

 たとえ眷獣同士を争わせても、どちらかが相手を食らって力を増すことになる。ならば、『神格振動波駆動術式』を組み込んだ、ありとあらゆる結界を斬り裂き、魔力を無効化する魔具の“(やり)”で滅ぼすことが、理屈としては最も簡単だ。

 ただし、『天部』や『天部』が造った魔族には『神格振動波駆動術式』は扱えない。使うことができるのは、聖人や聖女などと呼ばれる、『天部殺し』の人類の変異体達だけだ。

 いくら眷獣に対抗するためとはいえ、敵対している人類にそのような魔具を与えるのは、回り回って『天部』の首を絞めることになりかねない。

 

 人類に頼らず事態を収拾させる手段として提示されたもうひとつは、封印。

 実体化していようが、本質は魔力の塊である眷獣を、憑依させて取り込む。それは理論上は不可能ではないが、眷獣は、記憶を食らう怪物。取り憑かせれば、その負担に生物は破綻するだろう。『天部』の肉体をもってしても、眷獣の魔力の反動を抑え込むのは不可能だ。

 だが、“アイツ”なら、そんな存在しないモノを世界の法則を書き換えることで造り出せてしまう、禁呪がある。

 そして、社会活動を行う知的生命体は、いわば情報を生み出すために存在しているようなものであり、相性次第では眷獣も大人しく従うだろう。さらにいえば、その宿主とペアリングして新たに器を請け負う『血の従者』を増やすことで分配された力はその分だけ希釈される。そうして、力の弱くなった眷獣は、宿主が滅べば一緒に消滅するだろう。

 ただ、これにも難点があり、憑依した眷獣が完全に力を失うまで、宿主を絶対に死なせない。心臓を貫いても、高温で焼き尽しても、粉々にしても宿主は死なない。老衰さえも拒絶する。憑依した時点の記憶を頼りに、元の姿に再生する。眷獣の魔力が尽きるまで何度でも。

 完全な不老不死だ。特に最初に眷獣が取り憑いた真祖は、そうなる。

 世界各地で暴威を振るう眷獣をすべて浄化するには最低でも3人の生贄(しんそ)が必要だという。

 そんな、永劫の時を生きる怪物となることを受け入れる酔狂な性格の持ち主は、ちょうど3人くらい心当たりがある。自分も含めて。

 

 方針として、ひとつめの案を人類の手を借りていくことになるだろうが、“アイツ”の禁呪で真祖となった自分達が主導となって眷獣を封印することになるだろう。

 

 

 だが。

 それでも、対消滅も封印も敵わない“例外”が現れたとしたら?

 

 

『もし、その“例外”が現れたら、僕にはどうしようもない。殺されるだろうからね』

 

 

 “アイツ”は、その可能性を危惧していた。いや、予期していた。

 あまりにもあっさりと、己の死であるのに他人事のように、そう語ることに呆れたが、笑い事じゃ済まされない。

 “例外”に対する手段が何もなければ、世界は破滅するのだ。それなのに、“アイツ”が殺されてしまっては、本当にどうしようもなくなってしまう。

 

 

『うーん、そうなったら、キミに『鍵』を託すよ。ま、その時の僕に余裕があるとは思えないから、未完のままになるだろうけど』

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 そして、“アイツ”を滅ぼす為に、“アイツ”に地に堕とされた『天部』が、星辰の導きと、純粋な怨念でもって十二体の特別な眷獣を造り出した。

 ―――世界最強の人造吸血鬼、<第四真祖>。

 それが解き放つ星の眷獣は、真祖たる自分らにも受け入れることができず、神殺しの槍でも滅ぼし切ることはできない。

 “アイツ”も、予期していた通りに、この『原初(ルート)』の呪いが植え付けられた“例外”によって殺された。

 だが、ただでは殺されなかったようだった。

 

 “アイツ”が“ソレ”と一緒に送り付けた、最後に寄こした文にはこう記されている。

 黄道の十二星座を星辰の核とした星の眷獣であるが、実は、もうひとつ、『十三番目』が存在するはずだった。

 獣の肋骨は十三対、人の肋骨は十二対。

 その明確に存在を分ける境であるような一対を、“あの子”を素材とした人造吸血鬼には、受け入れられなかった。

 『天部』がその一対は殺神兵器としては蛇足、天災に非ざるパラメーターなど余分だとして、切って捨てられた<第四真祖>から外した星の眷獣があるのだ。

 

 “アイツ”は、その蛇足の可能性に期待した。

 

 十二体揃って完成体である設計を、根底から崩すバグ因子になり得る。

 不要な存在だと切り捨てられた欠片こそが、切欠となる。ウィルスの抗体を作る為に、そのウィルスの残滓を利用してワクチンを作り出すように。

 ただし、それはあくまでも机上の空論。夢想と言ってもいい。“アイツ”自身も、虚数のような仮定でしかありえない、そんな空想で空虚な可能性だと記し(いっ)ていた。

 そもそも、“アイツ”は、『十三番目』の“情報”をサルベージして、“ソレ”――『禁呪製の人造眷獣』を創ったはいいが、肝心の“情報”が不足していて、このままではワクチンと呼べるものには成り得ない。しかも、その多過ぎる欠損箇所を補った結果、当初の想定図から変異して別物に成り果てる可能性もあり得るという。

 そんな見切り発車された未完の計画を、こちらに引き継がせようなど無理難題が過ぎる。

 まず、既に72の眷獣を宿して飽和しているこの()に、新たな眷獣を受け入れることが難題だ。実際、73体目の眷獣として取り込もうとしたが、まったく血に馴染まなかった。これは他の真祖(ふたり)だって無理だろう。

 だから、この第一真祖の一番目から派する眷獣を宿す、信頼篤い血の従者に預けるしかなかった。

 

 それでどうなっていくのは予見できないが、“ソレ”は可能性だ。

 “アイツ”が、『十三番目』になれとその運命に(ねが)った『鍵』だ。

 血の従者から子へ眷獣は継がれていくだろう。その世代を巡り巡る中で、世界を変革し、運命に干渉する禁呪の力が真ならば、『鍵』の因子に過ぎなかった“ソレ”は怨念に抗する想念を獲得し、最後は相応しき『器』を得るだろう。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「しかし、これは予想していなかったな」

 

 人に非ざる十三番目の獣の因子の器となったのは、人と混じわった獣祖の末裔。それもこちらと因縁深い獣人の血縁だ。

 これは、あのバカのように星の眷獣は、この真祖(オレ)を殺しに来たりするのだろうか。

 人間の少年が世界最強の吸血鬼となったことといい、つくづくあの<焔光の宴>は予想外の結末になった。

 

「<第四真祖>がまだ不完全である以上、俺が絃神島(しま)に近づいて余計な刺激を与えるわけにはいかねーよな。ったく、<混沌の皇女(ケイオスブライド)>のババアは、上手くやったもんだぜ」

 

 <タルタロス・ラプス>の行動で、新たに10番目の眷獣の解放が確認されているが、不完全。12体揃ってこそ、<第四真祖>だ。

 『原初』の記憶は失っているが、それでも力を暴走させてしまう危険性がある爆弾には違いない。

 

 ――見極めねばなるまい。

 この先、確実に波乱が起こる。それも世界を巻き込む何かが、あの鋼の人工島を中心に起こるだろう。

 アラダールあたりが身内の恥と頭を抱えてるが、ディミトリエの小僧が何かをやらかそうとしている。

 

 『カインの巫女』が確認され、

 絃神島は『祭壇』だと承知しており、

 そして、もしも、『聖殲』の叡智を、同族の中で最も戦闘狂である小僧が手に入れたとすれば……

 

 ここから導き出されるのは、どうあっても、“大戦”だ。

 既に世界各国から結集した最強の軍隊――<聖域条約機構軍>の発動は決定されている。

 

「どこまでが“アイツ”の計画なのか、それとも、どこまでも“アイツ”の計画通りであるのかねぇ。アラダールが絶対に止めに来るだろうが、やはり試金石として一度直にその面を拝まなくてはなるまい。

 ――『十三番目』として覚醒した“アイツ”の殺神兵器、をな」

 

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

 

「あ、古城君、明日の放課後、『テティスモール』に行くから付き合ってね!」

 

 と帰宅早々に兄の予定欄を決めるのは、凪沙である。

 暦の上では冬であるが、冷房が欠かせない常夏の人工島。

 片手にはタブレット端末を友達に、ポニーテールの少女はリビングのソファに寝転んでいる。液晶テレビでは午後のニュースが流れているが、それには目もくれない。

 うつぶせのまま、制服の黒い靴下を履いた足をぷらぷらと動かし、

 

「買いたいものがあるんだけど、ひとりじゃちょっと大変そうだから」

 

「荷物持ちかよ」

 

 かったるいなーと、正直に古城は思う。

 とはいえ、ふとした拍子に倒れることのある妹の遠出にはお目付け役が必須であり、頼まれれば同行は兄の義務だと心得ている。その兄にもお目付け役というか監視役を責務とするお隣さんがいるのだがさておき。

 

「何を買いに行くんだよ」

 

 と言いかけた古城だったが、そのタイミングでテレビのニュースから女性アナウンサーが明るい声でその文句を告げた。

 『もうすぐバレンタインデーです!』と。

 古城はピンときた。ああそういえば、そうだった。

 

 この絃神島でも、バレンタインイベントはある。

 本土から遠く離れていて、高温多湿の気候のせいで輸送コストが高くつく絃神島では、ギフト用高級チョコの入荷数が少ない。しかも、『魔族特区』特有の事情として、吸血鬼や獣人、人工生命体などの各種魔族の嗜好に合わせた商品を入手できるのは、日本国内でも絃神島だけであることから、この時期の島内の洋菓子店では血で血を洗う地獄絵図のようなチョコ争奪戦が繰り広げられているのだ。今、凪沙が挙げた絃神島最大の複合商業施設『ティティスモール』は毎年イベントを開催したりして、その激戦区だったりする。

 けど、律儀な妹はイベントごとには欠かさず参加する。兄を荷物持ちにして。

 

(ったく、何で凪沙があのクソ親父やクラスメイトにやる義理チョコを買うのに付き合わなくちゃなんねーんだ)

 

 古城は憎々しげに唇を歪める。

 たとえ“義理”であろうが妹が他の男のプレゼントを買うのに協力するのはあまりいい気分ではない。ただでさえ、この時期、男はただでさえチョコレート売り場に近づきづらいというのに。

 

(そういや矢瀬がごっそりとチョコを買い込んでいたな)

 

 業務用の袋で5kgのチョコの塊を買い込んでいた悪友の事を思い出す。

 一応彼女持ちなはずだが、相手は彩海学園の三年生。この時期、自由登校期間で学校には来ておらず、それに最近、妙に避けられている気がするという。そんな疎遠となりつつある状況を打破せんと、矢瀬が考えたのが、男の方から贈る逆チョコ。

 古城からすればあまり共感できないが、バレンタインは男女問わずに熱中させる魔力でもあるのだろうか

 

 やれやれだと肩を落として、喉が渇いていた古城は冷蔵庫を漁ろうとリビングを通り過ぎる、その際にチラリと見えた。

 凪沙がせっせと指で操作してるタブレット端末を。画面に映し出される『……感覚の鋭い獣人は味覚や嗅覚にも敏感であり……』という文面を。

 

「ふっ……―――」

 

 古城は冷蔵庫から取り出した冷えたアイスコーヒーを、氷を入れたコップに注いだ―――から、振り返った。

 一瞬スルーした凪沙が熱心に調べている内容を凝視。

 間違いない。

 『獣人用チョコ特集』だ。

 吸血衝動とは違うが、古城の喉がカラカラに乾いていく。

 

 凪沙は、魔族恐怖症だ。

 魔族を忌避してしまう妹に、そんなチョコを贈るくらい親しい獣人なんて考えにくい…………が、いる。

 正確に言えば、獣人種との『混血』だが、古城の後輩にいるのだ。

 

(ま、まあ、クロウはクラスメイトだし、凪沙も色々と世話になっているしな。“義理”でチョコを渡すくらいは普通だろ普通)

 

 納得のできる理由を並べ立てながら、腹の底から湧き上がる危機感やらを鎮火させるよう、苦いブラックコーヒーをぐいっと一気に煽る古城。

 大丈夫。俺はクールだ。何も焦っちゃいない。

 

「うーん。クロウ君は大丈夫だとか言ってたけど、やっぱりテオブロミンの含有量が少ないミルクチョコレートかホワイトチョコレートが良いよね」

 

 へ、へー……一部の獣人はチョコを食べると吐き出したりするのか。獣人の連中も苦労してるんだな……

 

「それに質だけでなく量もないと。だけど絃神島の気温で融けちゃいそうだし、たくさん用意するのは大変だし……」

 

 背後で百面相を作ってる兄の様子には気づかず、ブツブツと考えを呟きながら熟読する妹。

 とても“義理”を贈るものとは思えないくらいの熱意。

 むくむくと再燃する危機感。古城はアイスコーヒーをおかわり。コップに入れた氷も噛み砕いて飲み干す。

 あと深呼吸を2、3度やってから、古城は意識的ににこやかに(頬筋が引きつっているが)、

 

「俺はあんま甘くない奴が好きだな。あとナッツとか入ってるヤツ」

 

「……え? 古城君、チョコ欲しいの?」

 

 きょとん大きな目を瞬いて、凪沙は意外そうにタブレットから古城の方を見やる。

 熱心にチョコ作りを企画する相手とは違って、全く贈り先として予定表(プラン)に書き込まれていないことがわかる反応に古城はうろたえて、

 

「いや、だって、ほら……家族だし!」

 

「えー……でも、古城君、そんなこと言って、去年も一昨年も、浅葱ちゃんから、高いチョコもらったじゃん」

 

「いやまあ、たしかにもらったけど、だけど浅葱の奴、その辺のスーパーで余ってた賞味期限切れの特売品だって言ってたぞ? 高かったのか、アレ?」

 

「特売品って……もう、古城君はそんなだから……!」

 

 義憤に駆られたような表情で、凪沙は朴念仁な愚兄に説く。

 

「浅葱ちゃんが古城君にあげるチョコを特売で済ませたりするわけないじゃん! 賞味期限が短いのは高級品だからだよ! なんでそれくらいわからないかなあ……!」

 

「わかんねーよ! つーか、だいたい去年の奴は半分以上お前が食っただろ!」

 

「だって美味しかったし―――というわけだから、わざわざ凪沙が用意する必要もないよね? ……それに、気合いを入れなくちゃいけないし。なので、今年から古城君や牙城君の分の義理はなしだから」

 

 まさかの通告に、世界最強の吸血鬼は心臓に杭打ちでもされたような精神的衝撃を受けて頽れる。

 これはちょっと立ち直るのが難しいくらいのダメージ。けど、そんな兄のことなど無視して、再び『獣人用チョコ特集』を読み込む凪沙。

 

 まずい。

 妹の気合の入れよう、これはいよいよマズいかもしれない……!

 このままだと、妹は後輩に“義理じゃないかもしれないチョコ”を贈ることに―――さらにその先の―――いいや、早い! そんなのはダメだ! 絶対阻止せねば!

 

 しかしだ。ここで何かと理由をつけて明日の買い出しを辞退しても、絶対に彼用のチョコを作り上げんという凪沙の熱意を見る限り、一人でも激戦区に挑んでしまいそう。それは心配だ。

 それなら―――

 

「そういや、クロウの奴も、甘くないのが好きだって言ってたな」

 

「え、何それ本当に?」

 

 さっきより食いつきが良い。その反応の良さにまたダメージを受けた古城だったが、ここで屈するわけにはいかない。

 

「クロウ君、大の甘党だよ? 凪沙が甘いのと苦いのどっちがいいって訊いた時も甘い方が良いって即答してたし」

 

「そりゃあ、アレだよ。この年頃の男子は、大人っぽい味覚に変わっていくもんなんだ。女子にはわかりづらいかもしれねーけど」

 

「ふうん。確か、古城君も中三のときから、やたらとコーヒーをブラックで飲みたがってたけど……あれって単に大人っぽく格好つけてるだけじゃなかったの?」

 

「ちげーよ! 男は成長していくにつれて苦いのが好きになってくんだよ! だから、クロウも最近苦い食べ物に嵌ってて、この前だってコーヒーもブラックに限るって言ってたし!」

 

 と古城は言うが、そんな事実はない。

 助言という体で、まったくの出鱈目を吹き込まんとする古城。バレたら後で大変だろうが、まだ情報収集している段階の凪沙はこれに迷うはずだ。

 

「うーん。一理、あるのかな? でも、それならやっぱりもう一度クロウ君に確認を取って」

「まあ、待てって。そういう贈り物にはサプライズってもんが付きモンだろ? あからさまに凪沙が訊いてきたらそいつも半減しちまうんじゃねーのか。だから、俺が、さりげなく訊いてきてやるよ」

 

 このまま頼りになる兄としてアドバイザーに収まり、それとなく誘導していけば、古城の危惧する関係に発展することは防げるかもしれない。

 

「……なんか妙に協力的だね古城君」

 

「そりゃあ、凪沙には世話になってるし、クロウの奴にも喜んでもらいたいからな」

 

 その言葉は本心である。“バレンタインイベントに付き物な告白なあれこれ”は除くという但し書きがつくが。

 

 

 

彩海学園

 

 

 

 仙人とは、不滅の真理を体現せしもの。

 若輩ながらそれに属する者になるけれど、個人的にはやはり世界は移ろうもの。

 如何に変わらぬように見えても、必ずその内側は変化していく。

 そしてまた、その内側にいる者は、誰もが予感している。

 言葉にはならず、説明もできず、しかし切ない程に感じ入ってしまう。

 この平穏との離別のときが近づいてきていることを。

 

(まあ、最終学年の生徒らを受け持つ身としては、その感慨もひとしおだったり)

 

 ―――2月。

 本国の季節事情に当てはめれば、この時期は寒い冬になるが、そんな季節感など無視して、窓ガラスからは容赦なく強烈な日差しが照り付けている。常夏島の必需品であるクーラーがなければ、教室は天然サウナ状態を満喫できたことであろう。

 笹崎岬はまるで徒労感を先出しするように大きく深呼吸。

 年中無休でうだる暑さに眩暈を覚えたからではない。これから挑む“彼ら”に少しばかり心の準備を要したからである。

 

 担任教師としても一大イベント。ずばり進路相談である。

 国家降魔官である笹崎岬は彼女以外には請け負えないような生徒らを任されることになっているが、教師歴の中で今後更新されることはちょっと考えられない記録的な問題児が集った大変なクラスだった。兎にも角にも話題性やら事件性に事欠かない。今年から転入してきた獅子王機関の剣巫も自分から問題を起こすような性格ではないけど、時々、ひょっこりと奇行が顔出すこともあった。

 そんなクラスで、最も頭を悩まされ、手を焼かされた、他の教え子らとは一線を画す問題児を相手の面談。

 

「さあて、クロウ君は、どんな進路を希望するのかな。高等部へ進学? それとも別のとこに受験とか就職とか考えていたり?」

 

「う。進学を希望するぞ、笹崎師父」

 

「そっかそっか。ちょーっとこの最近休んじゃうことが多かったけど、出席率はセーフ。成績もギリオッケーだし、授業態度も問題なし。十分進学基準は満たしてたり」

 

 問題児だけど、他の子をイジメたりすることは絶対にないと断言できるし、むしろよく気遣い、助けたりする。苦手とする学業方面も、保護者に厳しく躾けられているおかげで、赤点を取ることはなかったりする。天真爛漫な性格と、意外に真面目な性質とあわされば、優等生と言ってもいい。

 問題は、やらかした時との規模が軽くこちらの手には負えないくらい半端ないことだった。

 ついつい大変だったなぁ、と意識が遠のきかけるも引き締め直し、ちょっと踏み込んだ質問。

 

「それでクロウ君は将来的に何かやりたいこととか考えていたり?」

 

 笹崎岬が予想した解答は、『まだよくわかんない』。

 中等部ではまだ将来設計は建てられていない子は多い。青春真っ盛りな今に夢中であるのだろう。

 それにクロウはこの絃神島、というか人間社会に馴染むことが大変だったろうし、先を見据える余裕なんてそうなかったはずだ。

 そんな担任教師の予想を裏切る返答がされる。

 

「オレ、国家攻魔官やりたい」

 

「はい?」

 

「ご主人みたいな国家攻魔官になりたいぞ。先生やりながら、悪い奴らをとっちめるグレートティーチャーになるのだ」

 

 聞き間違いじゃない。彼は確かにそう意思表示した。

 

 

「―――ふん、無理だな」

 

 

 で、それを一蹴される。

 真っ先に否定したのは、当然笹崎ではなく、笹崎の対面にいて、クロウの隣にいる彼女。

 クロウはむぅ、と不満げにそちらを向くも、涼し気な顔で扇子を扇いでいる彼女――笹崎岬の先輩教員にして、本日の()()()()の保護者として同伴しているはずの南宮那月は、情け容赦なくこき下ろす。

 

「馬鹿犬、貴様に国家攻魔官は無理だ。馬鹿には務まらない。教師に関しても同じだ」

 

「オレ、ご主人のように英語はペラペラだぞ」

 

「英会話ができるから教えられると考えている時点で話にならん」

 

 ま、まあ。先輩の言うことはもっともだったりするかもだけど。

 うん、体育教師でもこの子は体力とか人とはちょっと次元がかけ離れてるから勧められそうにはないけど。

 それでも、彼の中に芽生えたその意志を簡単に無下にしてはならないと教師としての使命感が声を上げさせる。

 

「でも那月先輩、クロウ君、先輩の手伝いとかやってる関係でそのあたりの事情も詳しかったり」

「笹崎師父……!」

 

「そんなの大したことではない。馬鹿犬には必要最低限度の事しか教えていないんだからな。だから、攻魔師資格(Cカード)だって有していない」

 

「そこはほら! クロウ君、実は結構物覚えがいいし、まじめに勉強さえ頑張れば攻魔師資格の試験だっていけるんじゃないかな、と」

「う! オレ、勉強頑張るぞ。姫柊みたいにちゃんとした資格を取るのだ!」

 

「はぁ、通信簿を付けているのならコイツの馬鹿さ加減もよくよくわかっているだろうに。岬、お前も担任なら、無理なものは無理とはっきり言ってやれ。下手に望みを持たせると調子づかせる羽目になる。そうして、調子づいた挙句に後悔する。……甘い考えで踏み込んではならない進路であるのなら尚更な」

 

「オレは、ちゃんと考えてるぞご主人。試験とか色々厳しいのはわかってるけど、それでも」

「いいや、わかっちゃいない」

 

 パチリ、と扇子を閉じて、強い言葉で。

 

「私が試験官であるなら、お前のような馬鹿は一番に落とす。だから、やるだけ無駄だ、馬鹿犬。お前は大人しく」

 

「―――それはどうかね」

 

 苛立ちが見え隠れし始めた先輩に、横やりを投げ入れたのは、黒猫。

 ひょっこりと教室の窓から入ってきた黒猫の式神はくしくしと顔を撫でながら洒脱な調子で物申してきた。

 

「そんな頭ごなしに否定してやらなくてもいいんじゃないかい。少なくとも、能力的には何ら問題ないね。試験官を任された経験のある私が太鼓判を押してあげる。何なら、師家(わたし)の後釜に推薦してやってもいいよ」

 

「―――そうやって、獅子王機関の手駒とする気か」

 

 と黒猫の発言を非難するのは、またまた乱入者。

 クロウの鞄から、にゅるっと机の上に出てきた水銀が人の形をとったのは、大錬金術師。

 

「組織なんてものに属せば、本人の意思など関係なくいいように利用してくるに決まっている。何せ、クロウは、“世界最強”という戦争をする上ではこの上ない看板を背負っているのだからな。じゃが、そんな真似、妾は絶対に許さんぞ!」

 

「確かに、(くらき)あたりがちょっかい出しそうではある。個人としてはそんな真似は反対さ。だからこそ、悪戯にちょっかいを出されない為にも組織の後ろ盾を得られる身分は必要だよ」

 

「そんなの首輪をつけて縛り付けようとするのと変わらんではないか。クロウがこれまでどれだけ辛い目に遭ってきたか、(ヌシ)だって知っていよう。あの<禁忌契約(ゲッシュ)>を結ばせたのだって主らだ。もうこれ以上、自由を侵害され、やりたくもないことを強要されるなどあってはならん! 妾は断固反対だ!」

 

「けど、何の対策もせず、このままこの子を放置してたんじゃ周囲を警戒させてしまうよ。名目だけでも組織に属しておくのは、対外的にアピールする上で有用な手段のひとつだとは思わないかい」

 

 と討論を伯仲させているが、彼女らは今この場においては部外者。渦中の当人(クロウ)もぽかんと黙ったままで、話についていけてない様子。

 そして、先輩がここまで二人の勝手を許しているのは奇跡である。既にお人形さんのような童顔に青筋がぴくぴくと浮かんでいるのがちらりと見えた。一後輩として彼女の堪忍袋の緒がそれほど長くないことはよく知っている。口よりも先に手が出る性格であることも。1秒でも早く止めねば乱暴に収拾をつける羽目になるだろう。

 

「えー。お二人はどうしてここにいたり?」

 

 笹崎岬は、黒猫の式神を介する縁堂縁と水銀を錬金術で手繰るニーナ=アデラートを止める。

 二人とも話が全く通じない相手ではない。長生(エルフ)種に古の錬金術師。仙人であるが若輩の自身よりも遥かに年上であり、ある程度の常識と協調性もある。理由を問えば、普通に答える。

 

「今ちょいと監視役につけてる子が別件に出てるから、代わりについてたのさ。獅子王機関としてもこの子の進路先は気になるところであるしね。最初は別にここに邪魔しようとは思ってなかったんだけど……ああも頑なに否定されてたんじゃ、指導していた立場として一言くらい物申したくなってついね」

 

「クロウとは同じ屋根の下で暮らし、家族も同然と言っても過言ではない付き合いをしておるのだ。将来を心配するのは当然こと。それに那月は素直ではないからな。なので、妾が那月の代弁者として馳せ参じたというわけだ」

 

 と弁明した後、自称代弁者のニーナ、それからついでとばかりに指導係の縁堂がどこかへと空間転移で飛ばされたが、簡潔にまとめれば両者とも心配でついてきたということ。

 うん、でも、やはり、彼の将来に一番に気を揉んでるのは先輩であることに疑いはない。ただ、先輩の性格上、それは絶対に口に出せないだけで。

 

 笹崎岬は知っている。

 実は、会長が不在となりちゅうぶらりんとなった<魔獣庭園>の株を買い占めたこと。

 筆頭株主の強権を働かせれば、“世界最強”の“問題児”でも受け入れさせられるであろう。あそこは造られたものだが自然があり、都会よりものびのびと過ごせるはず。それに人間より魔獣の相手をさせる方が気楽だろう。総合的に考えて、適職である。

 というわけで、たとえクロウが路頭に迷ったところでフォローできるよう将来設計は万全だったりするが、そんなの絶対に明かさない。

 笹崎岬の口からそのあたりの考えを話すこともできるが、そんな真似をすれば、絶対にこの先輩は怒る。拗ねる。一週間くらい口をきいてもらえなくなるかもしれない。クリスマスにサンタのことを先輩よりも先に教えちゃったとき、元気いっぱいの眷獣(クロウ)が夜中にぐっすり眠りにつかせるために激しい組手(うんどう)をさせられたことを笹崎岬は覚えている。

 で、クロウへの当たりがきつくなることも付き合いがあれば容易に予想がつくことだ。

 

 口は禍の元。

 吟味せず思ったことをそのまま口に出せば痛い目を見るのだ。

 

「ったく、ここは貴様の教室であるというのに部外者を乱入させるとは随分と脇が甘いな、岬」

 

「いやいや、確かに油断してたのもあったけど、二人とも結構な術者だったり」

 

「結界くらい張っておけ。二度とあのような部外者が出しゃばってこないような」

 

「結界って大袈裟な」

 

 二人を強制退場させた後も先輩の苛々が収まってくれないが、このまま説教に時間を取られるわけにはいかない。

 面談を続行させるために、クロウへ話題を振って修正を図る。

 

「それで、クロウ君。攻魔師になるかは一旦保留にして、第二希望とか考えてたり?」

 

「う。あるぞ、第二希望」

 

 おー、失礼だけどちゃんと考えてたり、と思う岬。

 周りが心配しているけれど、彼がきちんと自身の将来を考えている、そのことが担任として嬉しく、そして、信じて応援したいという気持ちが湧いて―――

 

 

「実は、フォリりんにおすすめされたんだけどな。北欧アルディギア王国の御庭番! ご主人のような国家攻魔官の次くらいにユスティナみたいなニンジャマスターに憧れるのだ!」

 

 

 と、肝心の生徒が(強制)退場となった為、三者面談はお開きとなった。

 そして、一対一となった先輩はこちらをじろりと睨み、

 

「ったく、あの腹黒王女め、くだらんことを吹き込みおって。それに乗せられる馬鹿犬も馬鹿犬だ。おい岬、いつまでたっても馬鹿犬がああも馬鹿なのは担任であるお前が馬鹿なせいではないか」

 

「えー、面談の対象(ほこさき)がこっちになってるっぽい」

 

「もっと厳しく躾けないから、あのような戯言ばかりのたまうのだ。反省しろ」

 

「それなら保護者である先輩にも影響あるっぽい。むしろ、先輩のような国家降魔官になりたいって言うんだから、先輩を見て育った影響の方が大きかったり」

 

「……ほう、なら、私も甘い対応はやめ、目上にふざけた態度ばかり取る後輩を教育的指導してやろう。徹底的にな!」

 

「うわ、藪蛇だったり!?」

 

 つくづく口は禍の元であると悟った面談であった。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 ―――空から、後輩が降ってきた。

 

 

 昨日約束した凪沙の買い出しに付き合う為、放課後、校舎内をうろついていた古城。

 本日の買い出しに同行を希望した姫柊雪菜――<第四真祖>の監視役を待っていた。何でも今日は中等部で今後の進路を決めるための面談があるようで、先輩方を待たせてしまうことに恐縮していた彼女だったが、やはり監視役として世界最強の問題児から目を離したくはない。凪沙もちょうど部活で済ませたかった用事もあったので、しばらく古城は一人時間を潰すこととなったのだ。

 それで自販機で缶コーヒーを買い、日陰で寛いだところで、ドッスン、と。

 

「う~……いきなり飛ばすのはひどいぞ、ご主人」

 

 空中に放り出されたが、そこは猫のようにくるっと身を捻って、両足で地面に着地。

 突然生徒が空から降ってくるなど普通は驚いたリアクションがあるのだろうが、古城は何事もなく缶コーヒーを煽る。

 日本にいたころだったら吃驚しただろうに、随分と『魔族特区』に染まってしまった。いや、これはこの主従のコミュニケーションに見慣れてしまったという方が正しいか。この絃神島でも空間制御で飛ばして高所から相手を落とすことをじゃれ合いで済ませるにはレベルが高い。

 

「あ、古城君だ」

 

「おう、クロウ。なんかいろいろと大変だったみたいだな」

 

 何にせよ、後輩とお話がしたかった古城には都合のいい機会だ。

 凪沙が来る前に、さりげなく、後輩の意識調査をしておきたかった古城はまずは世間話から入ることにした。

 

「あー、それでクロウ、確か今日は、三者面談だったんだよな?」

 

「う。そうだぞ古城君。ご主人と師父に高等部に進学してからのオレの将来設計について相談したんだけどな。ニーナや師家様もやってきて、色々と難しい話をしてたんだけど、ご主人が二人をどっかに飛ばしちまって、それでオレも飛ばされちまったのだ」

 

 何やってんだよ、と古城は頭を抱える。

 三者面談に乱入なんて真似をすれば、隠れ過保護な主人である魔女がお怒りになることくらいわかるだろうに。

 とはいえ、後輩の将来については、古城も気になるところではある。

 

「クロウは将来何をやりたいんだ?」

 

「第一希望は、国家攻魔官だぞ!」

 

 へぇ、と意表を突かれたことを口に漏らす。

 けど、それも主人の影響だと考えればそれにすとんと納得できる。

 

「第二希望は、北欧アルディギア王国の御庭番、ニンジャマスターなのだ!」

 

 なに吹き込んでんだよラ=フォリア、とがっくり肩を落とす古城。

 すぐににっこりとした笑みが思い浮かぶくらい古城もその下手人な王女様には振り回されている。

 

「うー、でも、ご主人を納得させられなかったのだ」

 

「まあ、とりあえず進学してから考えればいいさ。それで、クロウはどうして国家攻魔官になりたいんだ? 那月ちゃんが国家攻魔官だからか?」

 

「それもあるけど、それより今のオレには率いなくちゃいけない奴らがいる。昔のオレみたいな連中だからな、ご主人みたいに偉くならないと不自由にさせちまうし、アイツらにもオレと同じ夢を見せるにはもっとデカくならないとダメなのだ」

 

 そう志望動機を語るクロウが大きくなったように古城には見えた。

 一見能天気にみられる後輩は、人より物事を真剣に考えている。先輩としてそのことを古城は知っているつもりだったが、少し圧巻とさせられた。

 今や後輩は『世界最強の獣王』なんて評されるくらい暴威(ちから)を持っている。その個人では持て余す力の使い道に悩みながらも、将来(さき)のことを考えている。

 それだけで古城には気後れするところである。同じように『世界最強の真祖』でありながら、いまだに将来の展開図に線すら引いていない白紙のままなのだから。

 そうだ。<第四真祖>という存在が、学生生活という猶予期間(モラトリアム)にいつまでも甘んじたままでいいのか―――

 

「? どうしたのだ古城君、何か考え込んでるけど……」

 

「あ、いや、何でもねーよクロウ」

 

 首をかしげながらこちらを伺う後輩に、古城は軽く手を振って誤魔化す。

 

「あー……そうだ。クロウ、お前って、コーヒーをブラックで飲めるか?」

 

 ちょうど手元にあった缶コーヒーを見て、話題を変える古城。

 ちょっと強引な修正だったが、素直な後輩は、むぅ、と唸りながら、

 

「オレ、にがあいのは苦手。コーヒーを飲むんだったら、ミルクと砂糖が一緒がいいぞ」

 

 ペロッと舌を出してしかめっ面。ありありと苦手意識を顔に出す後輩。

 

「ご主人にコーヒーを砂糖だけで嗜めないようではお子様だと言われた」

 

 那月ちゃんもブラックダメじゃねぇか、と絶対に口には出さないが、内心で突っ込む古城。

 じっとこちらを見つめる後輩。正確には手元の真っ黒い缶を見ながら、

 

「古城君は、コーヒーを飲めるのか」

 

「ん? ああ」

 

「ブラックでか?」

 

「ああ」

 

 妹からは格好つけだのと思われているが、古城はコーヒーにはこだわりがある。

 自分で淹れるのもインスタントではなく、豆を挽くところから始める本格派。この慣習ができたのは吸血鬼となってからで、夜行性の吸血鬼が真昼間に学校に通うというのは中々に過酷なものでカフェインに頼るようになったというのが経緯である。

 

「すごい! 大人なのだ。ご主人よりも大人だぞ!」

 

「ま、まあ、俺はコーヒーにはちょっとこだわりがあってな。豆から淹れているんだが、やっぱインスタントのとは風味に違いがあって……」

 

 と、そんな話をするんじゃなかった。古城が、今日、この後輩に探りを入れたかったのはそこじゃない。……まあ、ビターはやめておけと凪沙に言っておこう。

 

「ところで、いきなり話は変わるんだが、クロウ。お前、バレンタインって知ってるか?」

 

「知ってるぞ。昔の偉い聖人を祀るお祭りで、仲良しと贈り物し合うイベントだろ」

 

 一般常識に疎いところのある後輩だが、バレンタインについて知っているようだ。

 では、そのバレンタインに対する意識はどうなのか。

 

 

「クロウは、そのバレンタイン、ってどう思う?」

 

 

 本命とも言える二の矢の質問をして、古城はクロウの反応を伺う。

 もしここで、昨日の矢瀬のように一大決心で何かに勝負をかけるというような気配があったのならば、ここでちょっと私的な緊急進路相談を開催しなければならなくなる。

 

「うーん、そうだな」

 

 ぐっ、と握りこぶしを掲げる後輩。

 

 

「―――バレンタインは、“大戦”、なのだ」

 

 

 “大戦”、だと……!?

 え、まさか!? 花より団子を地で行く、こういう男女の青春的なイベントには無頓着だと思ってた後輩が、そんな燃えるような目をしているとは予想外。これは古城の想定以上に進展してしまっているのか!?!?

 

「ク、クロウ、お前それどういう……!?」

 

「明日、ブルエリで、バレンタインのイベントがあるのだ! そこに紅魔館の皆で参戦するんだけど、今後の経営を占う“大戦”になるとカルアナが言っていたんだぞ!」

 

「は? あ、ああ……そうか。そういうことか。なるほどなるほど……よかった」

 

「?」

 

 そういえば、この後輩は国家攻魔官の助手だけでなく、知人が経営する魔族喫茶のバイトもやっていた。

 つまりは、その“大戦”とやらはお仕事に関わることであって、個人的に意識するような事態ではないということだ。

 やっぱりこの後輩には色恋沙汰とかそういうのはまだ早い。ひいては妹も同じ。

 やっと昨日から熾火となって燻っていた危機感を完全に鎮火することができた古城は大きく安堵の息を吐いて、朗らかな笑顔で後輩の肩を叩く。

 

「そっかそっかバイト頑張れよクロウ」

 

「おうよ、バレンタインの大一番は勝利してみせるのだ古城君」

 

 

 

オシアナス・グレイブⅡ

 

 

 

 ―――さあ、“大戦”を始めよう。

 

 

 この屑鉄と魔術で生み出された紛い物の大地に訪れてからずっと夢想してきた。

 万事が計画通りに事が進んだ、とは言えない。予想外な事態もままあったし、愛しの<第四真祖>には多く驚かされてきたものだ。

 だけど、信じていた。

 いずれ、ボクと(ころ)し合える存在になることを。

 そして、ようやく、望んでいた展開へと実現をこぎつけることができた。

 

 だけど、それには無視できないモノがいる。

 

 

「さあ、お目覚めの時間だヨ」

 

 

 ディミトリエ=ヴァトラーが囁いたのは、培養器に眠る巨漢。

 筋骨隆々たる体躯は見るものにその存在の“でかさ”を認識させる。

 最期に対峙した時とは違うが、食らった『矢瀬顕重』の記憶にソレはあった。

 ()()()()()『墓守』を見て、その邪魔な心を外して一から創り上げた器で、博物館の地下に安置されていた。

 その源流とする遺伝情報は管理公社が保管しており、実際、作製されたその肉体は“第一真祖でさえ殺し切れなかった”最盛期の状態を再現したクローンだ。

 

 それで、矢瀬顕重は不要と断じていたが、ヴァトラーはその中身こそが“強度”に欠かせぬもの。

 そして、ヴァトラーはその中身の“情報”を持っている。あの存在を食らったのは他ならぬヴァトラーであるのだから。

 それに死人を復活させるための死霊術(ちから)も彼の血から得ており、矢瀬顕重の“絃神冥駕を『僵屍鬼(きょうしき)』とした”知識もある。

 そう、『世界最強の獣祖』を喚び起こす材料は、ここにすべてが揃っている。

 

 

「―――<黒死皇>」

 

 

 ヴァトラーが呼びかけるや、肉体に無数の傷が刻まれる。

 何もしてはいない。今、宿った彼の魂と順応し、彼の肉体が思い出しているのだ。

 顔も体も傷だらけとなった後、今度はその全身が漆黒の獣毛に覆われ、頭部は人のものから狗頭へと変化する。更に狗頭と両腕に白銀色の体毛が生え、王者の如き威容を添える。

 そうして、身長3mを優に超える漆黒の獣人に成ったところで、開眼。

 金色の眼が、己を起こした術者たるヴァトラーを射抜く。

 

 

「ワシを起こす死にたがりの阿呆は誰かと思えば、貴様か、<蛇遣い>」

 

 

 復活されたが、混乱はない。

 生前は、自身こそが死者を呼び覚ます墓荒しであったのだから。

 だが、己を起こすのは余程の阿呆しかいないと断言できる。

 

 黄金の眼光が閃いた瞬間、培養器は弾け飛び、漆黒の獣祖は降り立つ。

 ただ目前とあるだけで、焦がされそうな絶望が周囲の者達の皮膚に浸透する。

 ヴァトラーの左右傍らに控える側近、キラ=レーベデフとトビアス=ジャガンはその巨躯を一目して、本能で理解した。

 二人は“第三の夜の帝国の獣王”と対峙したことがあったが、ソレすらも霞む。

 それでも、主たる<蛇遣い>に牙を剥くのならば、死力を尽くして殺し合おう!

 

 その決死の覚悟を一瞥した獣祖は、虫でも払うように手を振った。

 

「いたずらに死者を起こすものではない。貴様程度の『死霊術』に縛られるワシではないと思わなかったか」

 

 握り込んだ拳から、人差し指と中指を弾き出した。

 圧縮した空気をぶつける、指弾。魔術でもなんでもない。

 炎と闇の貴公子は、眷獣を召喚することもできず、血飛沫となって上半身を吹き飛ばされた。

 

 『死霊術』で起こした死者は術者に服従する。

 だが、ここにいるのは『死霊術』を極めている存在であり、その支配から解放させる術を熟知している。

 故に、ここで今、術者であるディミトリエ=ヴァトラーに反逆するという選択肢が獣祖にはある。

 

「もちろん、わかっているサ、<黒死皇>の爺さん」

 

 配下達を一蹴されたが、ヴァトラーの顔は絶えず微笑を浮かべている。

 獣祖の指摘は当然ヴァトラーもわかっている。わかっていて尚、復活させた。

 最盛期の肉体に、老成された経験値と技術を併せ持つ獣祖を。

 

「そうか。貴様は蝙蝠共の中でも最も血に狂った戦闘狂であったな。望みはワシとの死合いか」

 

「うん、それは願ってもない機会だけど、ボクが爺さんと戦わせたいのは、ボクじゃあない」

 

 “協力者”は、“あの子”――最大の切り札たる『墓守』をこちらの陣営に参加させることを拒んだ。

 招こうとすれば如何なる障害があろうとその宿業が結んだであろうに、『咎神』が描いた設計図の完成形でありながら、『巫女』たる彼女は兵器として扱うことを徹底して厭う。

 そうでなければ、暁古城を裏切るような真似はしないのだけど。

 

 しかし、“あの子”は紛れもなく『世界最強』。

 この前、消化不良ながらも(ころ)し合ったからこそ、その実力は本物であり、そして、敵対すれば厄介な相手であると知る。

 暁古城と戦おうとすれば邪魔してくるだろう。

 “あの子”も食らいたいところではあるけれど、今回ばかりは、愛しの暁古城にすべてを費やしたいのだ。

 それに、“あの子”はまだ美味し(つよ)くなってくれるかもしれない。

 

 

「爺さんの血を継ぎ、世界最古の獣王を滅ぼした、現代最強の獣王と戦ってほしいんだヨ」

 

 

 これはそんな期待する彼に、ボクから最後の贈り物だ。

 

 

 

つづく


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。