ミックス・ブラッド   作:夜草

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黄金の日々Ⅶ

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫

 

 

 進化とは、種が自然淘汰の中を生き抜くために、環境に適応していくための機能を獲得すること。

 つまりは、その時の最適化された生体を目指すものであって、必ずしも進化を重ねてきたからと言って生物としての戦闘的な強度が増していくというわけではない。むしろ、現環境下で不要と判断されれば、その機能に割り振らなくなり、退化する。

 

 古代超人種の『天部』は、現代の超能力<過適応能力>を優に上回る神通力を振るい、古代獣人種は、魔術が扱えて『龍族』にも匹敵する完全なる獣と化す<神獣化>が使えた。

 無限の“負”の生命力を有する吸血鬼種もまた、真祖という血統の源流に近しい『旧き世代』であるほど強力な眷獣を使役していると言われている。

 現代では、<神獣化>や魔術を使える獣人種はほとんど見られず、<過適応能力>の家系は代々その力が劣化していくと嘆かれている。

 

 世界変容の禁呪によって“神”の座から魔族へと堕とされた。

 下級種族(ニンゲン)の都合によって、都落ちの最下級へ引き摺り落とされた。

 その当時の――世界から抹消されていた、古代の死者達。

 『完全に復活を果たしている』と見るには、サルベージされた情報量がまだ足りない。

 実体を持った型枠(うつわ)描か(つくら)れても後は手抜きのように、深紅一色だけで塗り潰された―――そんな憎悪と憤怒のみを抽出した紅い影。

 意味のある言葉は話せないので獣のような唸り声しか上げられず、顔のつくりなど細部が不明瞭な再現度。無論、かつての力を発揮することも叶わない。

 

 故に、深紅の影法師の群は、魔族という泥沼に堕とし込まれたかつての至上種族としての格を取り戻すためにも、『棺桶』を目指す。

 

 

「―――待った」

 

 

 と<咎神の棺桶>に保存される叡智を求め、<蛇の仔>へ押し寄せる死者の軍勢の前に立ちはだかる少年がひとり。

 

「あそこは、お前らの眠る場所(おはか)じゃないぞ」

 

 まるで迷子に『こっちの道は違うぞ』とごくごく普通に指摘するような対応は、復讐に浮かれた熱狂に真っ向から水を差す。

 そんな日常会話レベルの交渉が成り立つ相手ではないとは、誰が見てもわかるだろうに、口より先に手を出さぬように躾けられたサーヴァントは、律義に確認をする。

 言葉だけでは止まらないはずの死者達。

 けれども、咆哮(こえ)ならぬ芳香が、足を止めさせた。

 

 特別に芳しいわけでも、蠱惑的な匂いと言うわけでもない。けれど遠い過去の記憶を呼び覚ますような、どこか懐かしい香り。

 その柔らかな芳香は、大事な何かをふと思い出させて、そして、黄金に輝いた日々の夢を与える、優しい風となって彼らの中を吹き抜けた。

 

 嗅覚は、感情や記憶と密接に繋がる感覚。そして、魂から浸透する芳香は、不完全に甦らされた死者達に、忘れていた原風景(こうふく)を引き出させる。

 

 狂騒を、ほんのひと時、縫い止める。

 憎悪と憤怒(アカイロ)しかなかった死者達に、無垢なる情動を取り戻さ(よみがえら)せる芳香。

 それに浸っている内に、言葉をもう一度投げる。

 

「この島には暮らしている人たちがいる。それでも、お前らはここを荒らすのか?」

 

 問いかけを、しかし、言葉ならない怨嗟が呑み込む。

 荒す? 否。滅ぼすのだ。復活を果たした暁には、魔族に堕とされた不名誉を、この『魔族特区』にいる生きとし生けるものの血で洗い流そう。

 

 この身は不完全。なれど、この質と量は国ひとつふたつ滅ぼしても余りある。

 次代を経るごとに劣化してきた現代種など、超文明に栄えた古代種(カミ)には敵わない。

 

 畏れよ、我々を!

 そして、知れ、怒りの日とは今この瞬間を指すのだと!

 

「……そうか」

 

 死者達は、一瞬とはいえ、全員の隙を晒させた、女皇の意に背かせたこの少年が危険な存在であると判断した。

 

 彼らにとっての同志は自分たちと復活をさせた王である<黒死女皇>のみ。

 この世界の一切が滅ぼすべき敵であると判断する彼らだが、それ故に、同族同士の結束は遥かに強い。軍隊蟻や蜂のような群体で一個とも呼べるような、死者の軍勢。

 起こされたばかりの彼らは、一斉に本能で理解していた。

 だからこそ、目の前にいる存在はただ一つの『個』であれど、自分たちに害なす凶悪な存在であると判断し、全力で叩き潰すと決めたのだ。

 そんな一()である故の結束力を持った古き神々(ひとびと)に対し、孤軍で挑まんとする少年は―――刷新された現代最新の殺神兵器。

 

「ああ、お前らの復讐はごもっともなんだろう」

 

 この太古の復讐者たちは、生命というより、存在でしかない。

 <黒死皇>の『死霊術(ちから)』を得ても100%に復活させることはできていなかった。いや、もっと言えば、復活などとは呼べない。素質は補強できても、<女教皇>は才覚が足りない。『死霊術』を本能的に理解している<黒妖犬>からすれば、『やり方が下手(ざつ)過ぎる』と酷評したいくらいのお粗末な出来。

 憎悪と憤怒(アカイロ)以外に入力(インプット)されていない彼らを説得するなど土台無理な話だ。

 だから、対峙する間際に訴えかけたのは、この戦争の意義を深めるための作業でもあった。

 

「社会で法を破ると罰せられる。だからって、無法で好き勝手やってれば、何があったって法に守ってもらえない。

 因果応報。やったらやりかえされる。

 でも、大切なのはその心だ。

 オレはその覚悟があるけど、お前らはどうなのだ?」

 

 返答はない。

 咆哮(ことば)芳香(におい)に惑わせる隙など作らない死者達に少年は障害でしかない。

 

「血も涙も流せないお前らに心はないんだろう。結局そういう無念は、誰かの血と涙を流したところで晴れやしない。慰めにもならない。むしろ余計にひどくなるんだ。誰かがいい加減に止めてやらないとキリがない。

 ―――だから、オレが受けて立つ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 最新の殺神兵器(みなみやくろう)は、“更新(アップデート)”されている。

 

 

 深紅に埋め尽くされんとする人工島に、陽の光が差し込むような――極光――そう喩えるに相応しい光景だった。太陽の光よりも煌々と輝き、満月の光よりも皓々と眩いは、まさに星光であり、それを纏う金色の人狼。

 <神獣人化>、だが以前のそれとは違う。

 神々しい色合いがより濃く、形容がより野生的に鋭く。そして、その力はより強く。それまでの<神獣人化>を遥かに凌駕する力がその身に集約されているのだ。

 

 ―――その腕の一振りで、真っ先に飛び掛かった死者の群、その全てが悉く、千切れ飛ぶ。

 

 ありえない。

 そんな単純な攻撃でやられるなどあるはずがない。

 何故ならば、この“身体(うつわ)”は、深紅の粒子――『聖殲』が浸透された魔力で構成されている。

 建物を塩の柱に変え、世界最強の吸血鬼の眷獣の力でさえ無効化する深紅の禁呪に、ブン殴るなど通用するはずがない。そのはずだ。

 

 『聖殲』を拒む『神格振動波』を纏っていたのか? ―――違う。

 これは、クロウが獲得した、純粋な、そして、絶対な“耐性”である。

 

「もうその『聖殲』の力(まっかっか)に慣れた」

 

 真なる咎神派・矢瀬顕重に『聖殲』を振るうための道具として酷使されてきた中で、徐々に、その身は世界変容の禁呪に順応していた。それが、『聖殲』により環境を構成される藍羽浅葱の電脳結界内で、完全なものへと仕上げられた。

 RPGのキャラステータスで言えば、耐性値がカンストしている。

 深紅の輝きを浴びようが、その世界最強の身体は不変。もう誰にも己が心を狂わ(かえ)せないために、それだけの免疫を得るまで――生物が新たな機能を獲得するまでの期間が一刻に凝縮された濃密な修行をしてきた。

 

「どれだけ時間が掛かったのかは覚えてないけど、オレが満足するまで体に叩き込んできて―――浅葱先輩が名付けてくれた『C抗体』っていうのを獲得してきた」

 

 『聖殲』が与えられている死者達は、その身を削るように魔力を絞り出し、深紅の弾丸を放つ。異能の力を奪う――かつて、死者達が神の座から堕とされた多面体の弾丸は、ハエでも払い落とすように、手で、払われて散った。当たったその手に何のダメージを与えることなどできずに。

 

「だから、もう『聖殲(それ)』のおかわりはいらない」

 

 『神格振動波』のように無効化するのではなく、『聖殲』の影響力を絶縁する――すなわち、『咎神(Cain)』の世界変容の禁呪に対する免疫――『C抗体』。

 

 そして、『C抗体』を獲得する過程で、世界変容の禁呪という環境の中でも変わらず存在することへの本能は、“生存し続けようとする進化”という副産物を産んでいた。

 『聖殲』に適応された結果、血の“情報”を高度に引き出し、潜在能力を極限まで発揮する。それが、<神獣人化>の形態をそのままに進化させていた。

 

 しかし、変化しているのはスタイルだけではない。

 存在自体が兵器であったためにこれまで持ち得なかった、武器があった。

 

「コイツの試運転もわかってきたしな。そろそろ上げていくぞ」

 

 金人狼の周囲を巡るように泳ぐ白と黒の夫婦槍。

 攻撃に転じる気配がまったくないが、それらは既に稼働している。

 

 ―――『陰陽魚螺旋転換術式』

 『陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる』という陰陽流転を形にした『零式突撃降魔双槍・改』――絃神冥駕が造った最後の武神具の力は、霊力と魔力の無効化ではなく、属性転換である。

 魔力を霊力へ昇華し、逆に、霊力を魔力へ昇華する。

 力を(ゼロ)にするのではない、()()を反転させてしまう。

 

 正を負に、負を正に。

 聖を魔に、魔を聖に。

 毒を薬に、薬を毒に。

 

 『陰陽魚螺旋転換術式』を攻撃に使えば、エゲつない威力を発揮するだろう。

 特に吸血鬼が“反転”されれば、無限の“負”の魔力は、“正”の霊力となり、己が力に焼かれる始末となる。

 そして、人間は魔族へ堕ちる。『零式突撃降魔双槍』の暴走事故の果てに、人工的な吸血鬼『僵屍鬼』となってしまった事例のように。

 しかし、完全な制御ができれば、『天使化』の段階を引き下げることができたかもしれない力。

 

 正の霊力と負の魔力を反転させても平気であり、存在からして清濁併せ持った『混血』だからこそ担い手となれて、真価を発揮することができる。

 

 雌雄一対で完成された武神具、<《冥/明》我狼>

 白と黒の双極は巡りながら、正と負の双方を兼ね備えた主を中心に渦を巻くように高まっている。

 万物に陰と陽があり、始まりと終わりがあるように、霊力と魔力の拮抗は生命の灯火そのもの。

 そう、“螺旋”とは、循環/転換するだけでなく、上昇/増幅する流れを指す言葉。

 『陰陽魚螺旋転換術式』により霊力と魔力は、属性を流転しながらも互いに共鳴し、永久機関の如く極限まで昇り詰めていく―――

 

 これこそが、『相克者(クライン)』。

 本来相反し打ち滅ぼし合うはずの双極の力を御すことにより、真祖と同じ理から外れた無尽蔵の生命力を引き出させる。

 どちらか一辺倒に傾いては、“器”の形を崩していただろう。<模造天使>の一例が示すように、力を極限に高め切ってしまえば世界にいられなくなったはずだ。

 だが、“正”と“負”の循環がバランスを取り、存在を中庸に安定させる。

 『世界最強の吸血鬼』の“後続機”は、同じ“無限”の――それも、“正”と“負”の両方の――力を、ここに得た。

 そして、

 

「オオオオオオオ―――ッ!!!」

 

 雄叫びに時空を震わせ、金人狼は漆黒を纏う。

 深く結びついたパスから引き出された、黄金鎧の裡に巣食っていた漆黒の獣の“皮”を『香纏い』する。単純に<転環王>の魔力が上乗せされただけではない。その時空歪ます<守護者>が鍵のひとつとして、<黒妖犬>は空間と一体となりながらもそれを御して自己を確立させる天人合一の境地――“器”が肉体に留ま(しば)らない“自由”な拡張に至らせていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『!?!?!? <膝丸弐號>の魔力計測器(スカウター)が振り切ってしまったでござる!?』

 

 避難した超小型有脚戦車からの悲鳴のような実況を、優麻もその光景を見ながら聞いていた。

 加速度的に膨れ上がっていくその力は、『聖殲』で黄泉帰り(サルベージ)を果たした太古の軍勢全てを合わせた総力をも上回っている。

 しかし、あそこにいるのは、<第四真祖>となった幼馴染――古城ではない。無限の“負”の生命力を持った世界最強の真祖ではないのだ。

 

(末恐ろしいよ、古城。君の後輩は、本当に天井知らずに突き抜けていく……!)

 

 “更新(アップデート)”を果たした最新の殺人兵器。

 その三つの要因はまるで足りなかったピースが嵌ったかのように、理外の存在――<真神相克者>へと逸脱をさせたのだった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「どこからでもかかってこい。オレの全方位に隙無し」

 

 『棺桶』を守護する『墓守』を、深紅の軍勢は巨大な檻となって取り囲み、そして、一斉に雪崩れ込む。

 世界を鎮めた天罰に大洪水が、一極に集中されるかのような光景。

 

 その中心で、閃光が弾けた。

 

 無数に分裂した金人狼が、閃光と化して、太古の神々へと一斉に襲い掛かる。

 高速移動が生み出す残像や幻術などではありえない、すべてが本命。これは、『四仙拳』が繰り出す『神仙術』の一手、<真方二十四掌>。

 十干、十二支、八卦を織り合わせた二十四の要素で360度を分割した二十四の方位に分かれた多重空間からの完全同時攻撃―――

 

 いや、これを南宮クロウの師父であり、<真方二十四掌>を見稽古させたことのある<仙姑>の笹崎岬に見せれば、軽く手を振って苦笑されるだろう。

 『全然違ってたり』、とこの弟子の天災じみた天才ぶりに驚きを通り越して呆れ果てたに違いなく。

 

 何故ならば、まず金人狼が二十四よりもはるかに多いのだ。

 十倍よりも上――もし、全てを数えられたものがいれば、三百六十の多重空間(クロウ)を確認できたことだろう。

 二十四の真方に区切らぬ全方位から繰り出される多重空間同時攻撃。この<四仙拳>をして人間業じゃないと称する埒外な技を名付けるとするのならば、<全方三百六十掌>。 電脳結界内で、修行の効率を上げるために途中から多重空間に増やしていたクロウは自ずと思考の多量並列演算処理が磨かれていった。加えて、<空隙の魔女>とパスを、その魂を結び付けるほど深くに繋がった<黒妖犬>は、精神体の維持だけでなく、“空間(せかい)制御す(すべ)る感覚”をも獲得している。

 その結果、師父越えを果たしてしまった技。

 ―――そこから更に、『零式突撃降魔双槍・改』で増幅された正負の生命力でもって『八将神法』の限界突破の身体強化を施しながら、一打で終わらず『八雷神法』の八手を繰り出す白兵戦術混成接続。

 

 

「―――<万雷(よろず)>!」

 

 

 方位全てを網羅した雷光が精密誘導ミサイルの如く襲撃する。

 一対一の白兵戦において世界最強の獣祖が数百と増やして、数倍に身体増強して、一撃必殺を数度放つという出鱈目な攻撃。単純計算で仮定すれば、360×8×8=23040――と万を超える破壊力となる。しかも、魔力も霊力も通じない深紅の障壁に護られていようが、『C抗体』保有のその肉体は『聖殲』を絶縁し、お構いなく障壁を貫通してくる。防ぎようがない。

 成長を続ける最新の殺神兵器は、過去の栄光を求めた太古の神々を瞬く間に絶滅させた。

 

 

「―――行動推奨。合流するなら今です」

 

 

 その感情(いし)が表には見えない人工生命体の少女の号令に、ハッとして超小型有脚戦車の操縦手は発進させる。

 戦況に介入できる機会をうかがっていたが、今この瞬間こそ、事態のキーとなる藍羽浅葱の救出の好機(チャンス)だ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 太古の死者の軍勢を一蹴した。

 空白地帯となった後に駆け込む深紅の走行車両。

 “匂い”は既に把握しているし、向こうの接近を拒む理由もない。

 ちょうど人の手を借りたかった所でもある。

 手を挙げて彼女らに応えようとしたクロウ、よりも早く差し込まれた声。

 

「―――確認。……先輩は、先輩ですか?」

 

 第一声を発したのはアスタルテだった。

 感情が表情に出難く、自分が前に出るという習性がない人工生命体の少女が真っ先に訊ねる。こういう会話は社交的な優麻の分野かと思ったが、そういう彼女も少し驚いているようで、けれど、邪魔しないように口を閉ざす。

 クロウはジッとこちらを見つめる後輩に、こんな異常事態でなければ言いたいことは山ほどあるし、謝らなければならないと思っている。

 しかし、それよりも、今、安心させてやることが何よりの先決と判断した。

 何せ、ついさっきまで、この肉体に別人(とうか)が取り憑いていて、さぞ驚いたことだろうから。

 

「ちょっと様変わりして驚いたかもしれないけど、今のオレはアスタルテの先輩の……いいや、超先輩になったスーパークロウなのだ!」

 

「はい、先輩ですね。その発言は、間違いありません」

 

 ホッと胸を撫で下ろしたアスタルテ。それはいいのだが、どうにもこの後輩は自分の頼もしさよりも別の要因で確認を済ませた感じがして、クロウは『あれ?』とちょっと首を捻る。

 それはとにかく、クロウは背後の、両の手足と首を殻の中に引っ込めたまま固まってる<蛇の仔>へ視線を振って、

 

「リディアーヌ、優麻、浅葱先輩を助け出してくれないか? あっちに身体を置いてなかったオレはとにかく、身体を置いている浅葱先輩は自力じゃどうにもこうにも出れなくなっちまったみたいでな」

 

『なんと! それは女帝殿も大変でござるな!』

 

「タラスクの中は浅葱先輩がご主人のも取り込んで作った電脳結界があるんだけど、空間とか時間とかがしっちゃかめっちゃかになってるのだ。だから、入る時は気を付けてくれ」

 

 とんでもなく散らかったゴミ屋敷を指差すような物言いだが、清掃業者のような心構えではダメだろう。実際は呪われた王墓(ピラミッド)に挑む発掘隊くらい危険度があるに違いない。

 

「それで優麻、中のごっちゃになった空間をどうにかできないか。外に電波が繋がれば、リディアーヌが浅葱先輩から詳しい説明を受信できると思う」

 

「どうにか、ね。とんでもなく大変なのは、わかったよ。うん、何とかしよう」

 

 今現在の<蛇の仔>の内部は<空隙の魔女>の異空間であり、<電子の女帝>の電脳結界。<女教皇>にも深奥に手出しできないほど荒れているが、彼女たちは電子と空間制御のスペシャリストだとクロウは信じている。

 そして、己の役目は、守護―――

 

「こっちは、オレ」

「―――私も付きます。戦車内部の搭乗人数は二名と伺っておりますので、私はこちらに残るのが正解だと判断します」

 

 言って、了承など取る前に、人工生命体の後輩は戦車から飛び降りた。クロウの傍へと、定位置(とうぜん)のようにつく。

 内部の潜入は、困難だろう。だが、これから相手の本丸を落としに行くのと比較すれば危険ではない。

 『聖殲』の業火を<薔薇の指先>が防げなかったことを考えれば、アスタルテは戦闘行為を回避するのが正解のはず。

 

「何より、あなたには私の補佐(サポート)が必要です」

 

 じっと見つめられる。

 傍から見ると彼女の表情の変化はまったく読み取れるものではないが、その口ほどにものを訴えてくる目力に先輩は白旗を上げた。

 

「オレ、とアスタルテでばっちり十分なのだ」

 

「わかった。ここは君達に任せるよ。じゃあ、相乗りさせてもらうよ、<戦車乗り>さん」

 

『魔女殿、<膝丸二號>に搭乗されるなら是非ともこのほとんどスクール水着(パイロットスーツ)を着てくだされ! 窮屈な操縦席でも快適に過ごせるでござるよ!』

 

「はは、この土壇場でドレスコードを守る余裕はないかな」

 

 一人(やぜ)は除いてだが、揃ったチームはそれぞれの役割を果たしに行動を開始する。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「終ワラヌ! 我ガ憎悪ガコノ世界ヲ染メ上ゲルマデ!」

 

 巨大な質量と、獲物を襲う猛獣のスピード―――そこへ煉獄に熱せられた紅き爪の鋭さが掛け合わされれば、あらゆるものを切り裂く絶対の切断力が生まれるか。

 しかし、その特攻は、技とすればお粗末。猪突猛進を捌くのは、剣巫には容易い。

 昼休みに自分以上のパワーとスピードを持った同級生との組手で磨かれた感性は、黒狼の攻撃を一度も掠らせず。

 

「霞よ―――」

 

 幻術と体術を複合させたその動きは、復讐者を翻弄する。

 己の幻に飛び掛かった<黒死女皇>、晒された隙を逃さず、姫柊雪菜の<雪霞狼>は閃く。

 

「―――<雪霞狼>!」

 

 『七式突撃降魔機槍・改』―――この時代において、何よりも発展した技術の粋が積まれた未来からの武神具。根本の術式構造は既存の『七式突撃降魔機槍』と変わらなくても、相性の良い獣祖の牙によって補強が成された銀槍は、<模造天使>の過剰負荷(オーバーロード)にすら耐え切る。

 斬りつけたその瞬間に、解放した『過重神格振動波』の神気は、切断面から青白い光を溢れ出す。

 

 火達磨となったように全身に『聖殲』の障壁を纏っていたが、深紅の粒子は高次空間より浸透する清澄なる波動に剝がされた。

 

「―――疾く在れ、<牛頭神の琥珀>!」

 

 魔力も霊力も物理も無効化する邪魔な障壁も消えてるこの瞬間を逃すまい。

 牛頭神(ミノタウロス)が吐き出した溶岩が巨大な斧となって黒狼のどてっぱらを薙ぎ払う。

 

 最初は驚いたが、クロウとさっきやり合ったのと比較すれば、大したことがない。たとえ性能が同じであったとしても、その動きは大雑把。暴走している後輩にも劣る。つい先程、目にも止まらぬ暴威に滅多滅多に凹された古城には、目が慣れてしまってる動きだ。それは姫柊雪菜も同じ。『聖殲』さえ除ければ、<第四真祖>の力で圧倒できる。

 

「いえ、ダメです先輩。再生します」

 

「くそっ! これで何度目だ畜生!」

 

 『聖殲(アカイロ)』が『過重神格振動波(アオイロ)』を塗り潰して払拭すると、牛頭神で与えたダメージがなかったように修復された。

 それ以前に、まともに天災を集約させたかの如き一撃を食らったというのに、真っ当な苦しみや恐怖が存在していない。『アベルの巫女』の感情はドロドロの溶岩にも似て、それ以上に熱い。そもそもだ。復讐に狂う獣は、痛苦を自覚するような状態ではない。

 

「終ワラヌ。コノ島ヲ滅ボサヌ限り、妾は絶滅セヌ―――」

 

 協力して幾度となくダメージを与えようが、不滅なる<黒死女皇>。

 自動蘇生から状態回復に全回復まで完備された魔王(ラスボス)など、ゲームだったらコントローラーを投げているところだろうが、ここで匙を投げるわけにはいかない。

 

「姫柊、『龍脈喰い』の時みたいにできないか?」

 

「難しいです。『龍脈喰い』とは違って、一ヵ所からではなく、無数に網を張り巡らせて魔力を搾取しています」

 

 どこを切れば供給源が断たれるというわけじゃない。

 そして、古城たちにも限界がある。霊視力で後の先を取っていようが、最前線で相手の猛攻を捌く雪菜は特に体力の消耗が激しいはずだ。古城も実体化妨害(ジャミング)に曝されながらの眷獣召喚は相当に神経を使っている。

 

 なにか……状況を変えるなにかがないか―――そう思った時だった。

 

 ざわり、と古城の血――<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の血脈が、訴える。

 真祖に匹敵する生命力の波長を覚えた眷獣が一斉に騒ぎ出したのだ。ともすれば、目前の<黒死女皇>など無視して向こうに脅威を覚えたほどに。

 

 そして、古城の背筋が粟立った次の瞬間。

 黄金の万雷に、深紅の大群は一掃された。

 

「ナニ―――!?」

 

 <黒死皇>の『死霊術』、<女教皇>の『聖殲』によって蘇らせた太古の神々。<咎神の棺桶>の叡智を略奪するために侵略する大群を、全滅。

 ありえない! 妾の――妾たちの憎悪と憤怒、それが蝋燭の火のように、一息で吹き消される真似などあってはならない!

 

 数多の属性を持つ『世界最強の人造の吸血鬼』、『聖殲』を打ち消す銀槍を携えた『メトセラの末裔』を第一に取り除くべき障害と見なしていたが、それ以外にそれ以上の存在がいたというのか―――

 

「許サヌ……妾ノ同胞(ハラカラ)ヲ二度モ絶滅サセルナド……!」

 

 絶叫と共に噴き上がる深紅の業火。

 荒ぶる激情に増した熱気に後ずさった古城たちの前で、<黒死女皇>は黒狼の形態から更なる変貌を遂げる。

 

 朧気だった漆黒の靄が圧縮されて凝固。

 頭上に角が七つ生えて、顔面に無数の亀裂が走ったかと思えば、七つの血走った眼球が見開いた。

 

 その様は、七つの角と七つの目を持つ、地上の王国の滅亡と神の国の到来を示す『黙示録の仔羊』。

 奈落の闇よりもなお深くて昏い、悍ましいその存在感。

 羊の皮を被った狼の形態は、羊飼いであったアベルを冠する『巫女』に相応しく、取り込んだ力をよりモノにしたことの体現であったか。

 

「来タレ!」

 

 雷鳴のような召喚(こえ)に応じ、三次元に盛り上がった影から氾濫するかのようにソレは来た。

 

 白い馬に跨り、弓矢を持つ『白い亡霊騎士(ホワイトライダー)』。

 赤い馬に跨り、大剣を持つ『赤い亡霊騎士(レッドライダー)』。

 黒い馬に跨り、天秤を持つ『黒い亡霊騎士(ブラックライダー)』。

 青い馬に跨り、呪詛を持つ『青い亡霊騎士(ペイルライダー)』。

 

 侵略、内乱、飢饉、死―――それぞれが人類の破滅を象徴する馬とその乗り手。

 大群ではない。たったの4騎。だが、この4騎は、復讐者が呼び寄せた無念をひとつにまとめた集合意識が、存在から現象と化した怨念。万に割いていたリソースを注ぎ込んで造り上げたのは、武器と飢饉と疫病と野獣によって、地上にいる霊長類の四分の一を殺害するだけの力が与えられた四騎士。

 

「っ!」

 

 一斉に駆け抜ける白、赤、黒、青の騎兵の突進(チャージ)は、破魔の銀槍でもってしても容易に払えぬ強度と密度。傍から雪菜が離された古城へ『黙示録の仔羊』の七つの目が紅く輝く。

 

 すべてを塗り潰せずにおかぬ禁呪の火力。

 迸る血のように深紅の業火は、空気中の一分子とて例外でないというように、圧倒的に徹底的に、全てを鏖殺する。

 真祖の肉体と言えども、これを喰らえば、血など一滴残さず蒸発して火葬されただろう。

 

「疾く在れ、十番目の眷獣、<魔羯の瞳晶(ダビ・クリユスタルス)>―――!」

 

 『黙示録の仔羊』が四騎士を召喚するのと同時に、古城もまた召喚のための魔力を練り上げていた。

 銀水晶の鱗を持つ美しい魚竜、その山羊に似た螺旋状の水晶柱(つの)の輝きに魅入られたかのように、仔羊と四騎士が動きを止めた。

 吸血鬼の『魅了』を司る<第四真祖>の眷獣。

 その力は、『アベルの巫女』をも支配した―――しかし、完全ではない。

 復讐者の想念は、『魅了』の魔力すらも焼き尽くさんと七つの目から深紅の光を、より強く迸らせた。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 しかし、この数瞬で雪菜が『七式突撃降魔機槍・改』で障壁を張るのが間に合った。

 

「雪霞の神狼、千剣破(ちはや)の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 凄烈な声音で高らかに祝詞を唱え、銀槍を基点とした直径約5mほどの半球(ドーム)状の障壁を展開。

 人間の限界を超えた膨大な神気で築き上げた聖域は、苛烈な業火の侵略を阻む。

 

「姫柊!」

 

 境界線を敷かれてるかのように、一線を引いて鬩ぎ合う深紅と蒼白。

 無茶だ。いくら銀槍から神気を引き出せたところでその呼び水となる霊力は雪菜自身のもの。有限なそれを髄まで振り絞って、拮抗しているのだ。

 向こうは、龍脈からいくらでも無限に魔力を引き出してくる。ならば、この我慢比べで押し切られるのは決まり切っている。

 徐々に、徐々に、最終防衛線は押し込まれていき―――

 

 

「―――獣祖(ビースト)モード。限界突破(リミテッド・ゼロオーバー)、<薔薇の猟犬(ロドダクテユロス・オルタ)>」

 

 

 虹色に輝く()()が、拮抗状態の形勢を逆転させた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――提案があります」

 

 『聖殲』に、<薔薇の指先>は通用しなかった。

 対抗する術もないまま戦闘に突入する程、無謀なことはない。

 アスタルテは足手纏いになるつもりはない。

 ただし、思いついた打開策は、どうしても彼の助けを必要とする。

 

「現状、<薔薇の指先>では『聖殲』に抗するほどの力はありません。ダメージがあり、消耗しております。そこで、以前のように先輩の精気を補給させてくださいませんか?」

 

 淡々とした要求。

 じっと見つめる彼の瞳はこちらから逸らされることはなく、そして、彼なりに説明を頭の中で咀嚼してから彼なりの言葉に変換されて確認される。

 

「う。つまりは元気を分ければいいんだな」

 

「肯定。ですが、先輩に負担がかかる手段です。わざわざ私に分ける必要性は薄く、まして支障をきたすようでは意味がありません戦力差を比較しても補給した分に見合うだけの成果を発揮できるかは未定でハイリスクローリターンですので―――先輩自身の判断にお任せいたします」

 

 自分から要求しておきながら、それを否定するような言葉の羅列を並べていき、最後の方など、耳に早口になって打ち切ってしまった。

 

「何、そんな心配するな。今のオレは元気百倍なのだ。遠慮なく持っていくといい」

 

 と先輩はごくごく普通に受領した。

 汚名返上名誉挽回! とまったく不必要なことに燃える先輩は胸を太鼓のように大きく叩いてみせるアピールするが、逆に不安になる。

 本当にこちらの説明を理解しているのだろうか? と思うが、そこを指摘するような台詞は――少しでも心変わりをさせてしまいそうな言葉は、アスタルテの口からは出せなかった。

 

「それで、どうすればいいのだ?」

 

 精気の補充。

 それの代表的な一例を挙げるのならば、吸血鬼。性的興奮を覚えた異性に、吸血衝動のままにその血を啜る行為。それは、補給する吸血鬼の一方的な搾取であって、補給される側の気分の高揚までは必ずしもなくてはならない話ではない。

 だが、こうもどうぞどうぞとご親切な対応を返されては、それを表情に出すまでにはならないが、いささか、不満を覚えてしまう。彼にしてみれば補給行為で真っ先に連想されるのは、飲食行為――花よりも団子な性格は重々に承知済みだとしてもだ。

 いや、血の従者であっても人工生命体(アスタルテ)の補給様式には関係のない話であるが。

 

 アスタルテの眷獣<薔薇の指先>の『神格振動波駆動術式』は後付けで植え付けられたものであって、元々の能力は精気吸収(エナジードレイン)。接触した相手から精気を奪うもの。

 儀式のような手順は必要なく、決して感情に左右される行為ではない。

 

「……あの時のように、抱きしめてください」

 

「わかったぞ」

 

 ちっとも躊躇なく、だけど、そっと優しく抱きしめられる。

 小柄で華奢な身体はすっぽりと腕の中に納まって、全身に伝わる温もりが、彼の実在を確かに教えてくれる。

 もしかすると、この要求は、その無事を五感ではっきりと確かめたかったがためのものであったかもしれない。

 そんな心底の安堵を、敏感なる鼻は嗅ぎ取ったことだろう。

 今はまだ胸に仕舞ってあるその罪悪感を少し声にして耳元に落とす。

 

「アスタルテ、ごめんな。すごく、心配をかけたと思う」

 

「……全くです。一体どれだけ迷惑をかけたのか、わかっているのですか?」

 

「う、反省してる。これが終わってから、罰は受けるつもりだ」

 

「否定。先輩は、わかっていません」

 

「む……? ……??」

 

 特別な鼻があるのに、気づかない。

 この左胸の鼓動が高鳴る理由――その根源たる特別な情動には。

 これを芽吹かせた当人であるくせに、誠に残念ながらこの先輩は唐変木であるからに。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そうして、ごっそりと――少しばかり罰の意味も込めてわりと遠慮なく補給した。

 植えられた寄生型人工眷獣は、『混血』という矛盾を孕んだ生命力に想定以上に活性化される。

 

 

「―――獣祖(ビースト)モード。限界突破(リミテッド・ゼロオーバー)、<薔薇の猟犬(ロドダクテユロス・オルタ)>」

 

 

 虹色はより色が鮮やかになり、形態が人型から獣のものへと変わった。

 

「アスタルテなのか……!?」

 

 そして、放たれるのは、古城が目を剥いて驚くほどの高純度の神気。

 アスタルテもまた、<第四真祖>の血の従者である。ならば、姫柊雪菜のように、過剰な神気を処理して『天使化』を抑えることができるだろう。

 しかし。

  “負”の魔力で構成される眷獣が、“正”の霊力の極致たる神気を身に纏うという矛盾した事例。それは<模造天使>というよりも、<黒妖犬>の<神獣人化>に近しい。名付けるとすれば、<模造聖獣(ケルビム・フォウ)>―――

 

 そして、<雪霞狼>に刻印された『神格振動波駆動術式』を参考にして完成された<薔薇の指先>の『神格振動波駆動術式』、また“とある獣祖の牙”が銀槍の核を補強していて<薔薇の猟犬>は『混血』の生気を吸収して進化されたものであるのだから、神気の親和性は極めて高い。

 銀槍と猟犬の障壁が、『黙示録の仔羊』が放つ深紅の業炎を跳ね返す。

 

「人形如キガ、懲リズニ妾ニ逆ラウ真似ヲ……!」

 

「否定。私は人形ではありません。―――執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の猟犬>」

 

 ばっふぉ!! と業火のカーテンを引き裂く空気の音と共に突き破ってくるのは、勢いそのままに迷わず真正面から反撃に出た虹の猟犬。

 全ての重さと速さを載せてクレーンの鉄球じみた勢いで突撃する。拮抗は一瞬。仔羊の皮を被る黒狼は、真後ろへ吹き飛ばされる。

 

「舐メルナ! 我ガ騎士達ヨ! ソ奴ラヲ滅ボセ!」

 

 白の騎士は、魔術的に風の属性を意味する正八面体(オクタヒドロン)を。

 赤の騎士は、魔術的に火の属性を意味する正四面体(テトラヒドロン)を。

 黒の騎士は、魔術的に土の属性を意味する正六面体(キューブ)を。

 青の騎士は、魔術的に水の属性を意味する正二十面体(イコサヒドロン)を。

 

 『黙示録の仔羊』の号令に、それぞれが深紅に染まった四種の大型元素結晶(エレメンタル)を造り上げて、超々大暴風、高熱火炎、金剛石塊、高圧水塊などといった『聖殲』に染まる災厄を解き放つ。

 

 

「―――ようやく、使い方がわかってきた」

 

 

 瞬間、迫り狂う風火土水の災害が、深紅の粒子となって霧散した。

 

「―――クロウ!」

 

 アスタルテに続いて、現れた援軍は、味方につくのがこれほど頼もしいことはないと実感した後輩だ。

 

「ん。オレにはこうする方がしっくりとするな」

 

 宇宙のように黒い影を纏い、太陽のように温かい金色の人狼は、その両腕に白と黒の短槍を添わせていた。

 その使用法から気配すら様変わりしている雌雄一対の武神具を見た雪菜が目を瞠る。

 

「あれは、『零式突撃降魔双槍』……?」

 

 二つの無機質な槍が金人狼の両腕につき、穂先に魔法陣を展開しながら結晶化された魔力と霊力が有機的な爪を顕現している。

 

「ああ、これは変えてはならないものを守るためにもらった力だ」

 

 『零式突撃降魔双槍・改』には、『陰陽魚螺旋転変術式』が組み込まれており、そして、世界変容の禁呪の知識を持ちながら、それを打ち破る手段を構築させた鬼才の武神具開発者の方式(いのり)が書き込まれていた。

 

 黒槍に走る亀裂より溢れる真紅の粒子が、穂先を揃えた手の甲から腕へ―――

 『C抗体』を獲得した『混血』の魔器・霊的回路(ぜんしん)を駆け巡り―――

 白槍の蒼き波紋から、透き通るような蒼褪めた白金色(プラチナ)の波動が放たれる―――

 

「アリ得ナイ……! 『聖殲』ヲ打チ消スコトナド!?」

 

 復讐者の深紅は世界を変容させることなく、煌々と凄まじい光量を放つ極彩色の波動を前に退色されていく

 この白金は、『神格振動波』から高次元に流入する神気ではない。

 『聖殲』の魔力のみに干渉して打ち祓う、逆位相の力。

 

 逆位相の魔力をぶつけて魔力を打ち消す『魔術消波(マジックミュート)』の原理は確立されている。

 しかし、世界中の軍事研究者や魔導技師が未だに実用化できずにいる技術で、その机上の空論を『聖殲』に対して行う。

 『陰陽魚螺旋転変術式』は、『混血』の永久機関というだけでない、あくまでそれは前段階。膨大な魔力を必要とする『聖殲』を行使できるようにするためで、そして、それから本命である『聖殲』を反転させた、逆位相の力の精製を成す。

 ―――『聖殲消波(Cain Curse Counter)』、絃神冥駕が残した“対聖殲”の力であり、<真神相克者(ベナンダンテ・クライン)>の真価である。

 

 ……いや。

 『聖殲』の逆位相となる魔力―――それは、『聖殲』の魔力を『陰陽魚螺旋転変術式』に通して精製するのだとすれば―――その元となる『聖殲』は何処から持ってきた??

 

「ッ、貴様、マサカ妾ト同ジ、『聖殲』ヲ御スル資格ガ……」

 

「ああ、オマエと同じだ」

 

 そう、過去に一度、『聖殲』に巻き込まれて命を落とした『アベルの巫女』は、世界の変容に対して強い抵抗力を持つようになった。伝染病に対する、免疫のようなもの。だから、『聖殲』を制御できる。

 であるのならば。『聖殲』に対して絶対の耐性を持つ『C抗体』を獲得した南宮クロウにも『聖殲』を制御する資格はあるのではないか。

 『墓守』として『棺桶』の代用ができ、『祭壇』の魔力を確保できている。『零式突撃降魔双槍・改』は、『咎神』の遺産が元となっている武神具だ。

 ―――足りなかった『巫女』の資格の代用となる『C抗体』を得た結果、単独で『聖殲』の魔力を行使する材料がすべて揃ったのだ。

 

「そして、この世界も同じだ。オマエのいた時代(ころ)とは変わってしまっていても、オマエが守りたかったモノと何ら変わらないモノがある。だから、オレはそれを守る」

 

 『アベルの巫女』の黒い殺意を湛える瞳は、まるで地獄に続いているかのようだった。

 奈落へ通じる深い穴が開いている。感覚的に彼女の中に、何かどす黒いものがわかだまっていた。ドロドロとして腐臭を醸し出すそれは、クロウが理由もなく敵対視されたときに感じる想いを、もっともっと凝縮したモノのようにも思えた。

 哀しい、と思う。

 

「浅葱先輩のようにとはいかないけど、それでもオマエの『聖殲』くらいは抑え込める」

 

「咎神ノ末裔ニ使ワレタ道具ノ分際ニ……! 妾ガ創ッタ騎士ガ劣ルハズガアルモノカ……!」

 

 屈辱に震える怨嗟の声。

 <黒死女皇>は、接続した龍脈から更に魔力を吸い上げて、<《冥/明》我狼>の『聖殲消波(C.C.C)』に対抗しようとしている。

 だが、それは悪手。

 四騎士の『聖殲』を消しているのではない。正常に発動している。『零式突撃降魔双槍・改』が、逆向きの魔力を全く同じ強さでぶつけているから、結果として、発動していないように見えるだけなのだ。

 喩えるなら、高級な耳栓を着けているせいで、スピーカーの音が聞こえていない状態だ。

 では、音が聞こえないからと言って、その状態で、スピーカーにかかる電圧を限界以上に上げてしまったらどうなるか―――

 

「人を呪わば穴二つ―――浅葱先輩も言ってたけど、力に振り回されるとロクなことがない」

 

 哀れむように呟いて、クロウが『聖殲消波(C.C.C)』を解除した。

 遮断されていた膨大な魔力が、四騎士が掲げる元素結晶へと一気に流れ込む。

 その凄まじい魔力量に、深紅の結晶体は耐えられなかった。結晶内部に封入された魔術の媒体が悉く吹き飛び、魔術配線の全てが焼き切られる。

 そして、逆流した過剰な魔力に、四騎士を構成する万の死者の“情報”が木端微塵に爆ぜた。

 

「貴様ァァァ―――ッ!!!」

 

 過負荷の逆流は<黒死女皇>にまで届く。『黙示録の仔羊』を構成する七つの角、七つの目の半分以上が爆ぜ散って、龍脈と繋いだ魔力回路までズタズタにされる。

 その隙を逃すクロウではない。

 

「<《冥/明》我狼>―――!」

 

 双槍両腕より結晶化されるほど濃密に圧縮された爪が閃く。

 最短最速で距離を詰めて、黒き(ツメ)が空間そのものを並行に引き裂くよう横薙ぎに。次いで、白き(ツメ)を縦に。まるで居合の達人のような、鋭い斬撃を孕む恐るべき陰陽交差。五指が描いた格子状に、白と黒が融け合わさった光が弾ける。

 ゴッ!!! という太い爆音が遅れて耳に届く程だった。

 漆黒の巨体が、分割。細断。

 

「―――! クロウ君ッ!」

 

 

 ―――そして、カタチを崩した。

 

 

「クロウッ!?」

 

 『アベルの巫女』が、“器”とする捕食型人工生命体(バルトロメオ)

 形無き粘体(スライム)の暴食機能は、取り込み、喰らった存在を、侵食して我が物とする力の簒奪。『聖殲』により上書きされて、対策不可能。

 本来であれば<咎神の棺桶>に囚われた『カインの巫女』に行使するはずの、奥の手の切り札である、番狂わせの大物喰い(ジャイアントキリング)

 

「許サヌ許サヌ許サヌ! 汝ノ力、全テヲ奪ッテヤル! 妾ヲ虚仮トシタ罪ヲ妾ノ中デ贖ウガイイ!」

 

 深紅の粘体が頭から金人狼を呑み込む。

 一瞬早く、霊視で察知した雪菜が声を発したが間に合わず。

 

「クロウを吸収しちまったのか!?」

 

「ソウダ! 『墓守』ヲ吸収シ妾ノ力ハ何者ニモ敵ワナイ! <咎神ノ棺桶>モ、<カインノ巫女>モ不要ダ! サア、咎神ノ末裔共ガ創リ上ゲタ殺神兵器デモッテ、コノ世界ヲ滅ボシテクレヨウ!」

 

 まずい!

 これまででも『聖殲』を行使してきた『アベルの巫女』が、『墓守(クロウ)』を取り込んでその権限を得たらいよいよ手がつかなくなる。<黒妖犬>を敵に回せばどうなるかなんて古城は身をもって知っている。

 だが、<第四真祖>の眷獣に吸収されたクロウを避けて、<女教皇>のみを討つような器用な真似は期待できない。

 

 

「問題ありません。―――先輩は煮ても焼いても喰えないことをお忘れですか?」

 

 

 焦る古城らへ、アスタルテが告げる。

 そして、揺らがずに見据える藍色の眼差しに篭められた期待を、裏切らない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 何もかもが黒く染まった世界。

 全てを一色に塗り潰した、自分だけの世界。

 奪い取ったものを皆、自分の色に染め上げた証。

 この永劫の悲嘆と怨嗟で満たされた闇を、『聖殲』の力でもって現実の世界に投影する―――

 

 

「―――見つけたぞ」

 

 

 ゾクリ、と震えた。

 自分の世界に、自分以外の声。気配に反応して振り向いた先に、一瞬の遅滞(ラグ)のあと、眩い光が走る。

 

「馬鹿な……。精神体となって……妾の中に侵入して来たというのか!!!」

 

 闇を――この永遠の夜を終わらせる、陽光の如き金色が、『アベルの巫女』を捉えた。

 

「ああ。このまま壊しちまったら、その“(からだ)”を道連れにしちまうからな」

 

 その鼻は、捕食型人工生命体が取り込んできた履歴(かこ)の一切を嗅ぎ取っていた。人工生命体の少年少女や自分を兵器としていいように利用してきた魔導打撃群まで。

 

 そして、クロウは己の精神を“匂付け(マーキング)”した。

 記憶と情動に深く結びつく『嗅覚過適応(リーディング)』の発香側応用。浸透させた“器”に精神体を潜り込ませる。

 コンピューターに感染したウィルスを除去するワクチンソフトのように。

 

「何故だ……!? 『聖殲』で妾のものとして、上書きされたはず……!」

 

「言ってなかったか。<《冥/明》我狼(やり)>とは関係なく、オレの心が、真っ赤っか(せいせん)は効かないって。―――オレはもう誰の道具にはならない」

 

 来る。

 来る。

 来る……! 狼が、来る……!

 

「これで、オレとオマエは同じ土俵同じ条件―――ハンデなしに思いっきり戦争(ケンカ)ができるぞ!」

 

 全身傷だらけの黒髪の少女は、全身に巻き付けた粗末なローブを引き延ばすように闇色の侵食を拡げる。

 

「来るな!」

 

 だが、金人狼はそれをものともせず引き千切ってくる。

 

「来るな来るな来るな! 妾に――私に近寄るな!」

 

 爛々と光る双眸は、暗闇に溶け込むこちらから決して離さず、最短最速で接近してくる。指一本ほどの距離まで近づいて、右手を振り上げた。

 

「お前は恐怖ってのを忘れてる」

 

 息を吸って、

 

「だから、拳骨(こいつ)で思い出してこい!」

 

 クロウは右手を突き出す。

 

「ウ・ガ・アア・アア・アアアア・アアアアアアァァァァ!」

 

 そして、原形を保てなくなったように、少女の姿はゆらゆらと掻き消えていった。

 砂でできた像が、風にさらされたようでもあった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――クロウ!」

 

 捕食型人工生命体はこの肉体を呑み込んだみたいだが、如何に『聖殲』であろうとも上書きできぬ『C抗体』を獲得した『壊毒()』は、喰らいつけば、逆に食らい尽される。吸収などできない。深紅の粘体は、固体から気体へ昇華するように、痕も残さず蒸発した。

 

 そして、盛大な血霞の中には、その手に捕食型人工生命体に取り込まれていた者たちの身柄をまとめて引っ張り出してきたクロウが立っていた。

 それから、もうひとつ。

 捕食型人工生命体を依代としていた、傷だらけの少女の亡霊が飛び出してきた。

 

 

「ほんと、大変だったわよ。でも、しっかり仕返しの準備は整えてきてるけど―――行くわよ、モグワイ!」

『ククッ、了解だぜ、嬢ちゃん!』

 

 

 猟犬に追い立てられて逃げてきた『アベルの巫女』は、ちょうどそのタイミングでやってきた超小型有脚戦車――無事に身柄を救出された藍羽浅葱に見つかった。

 無造作に開いたノートPCを、ネイルでカラフルに彩った指先で、滑らかにキーボードを打ち込んでいく。

 途端、“器”を抜け出した思念体の『アベルの巫女』は、その身体を構成する深紅の粒子がさらさらと崩れて形を変えていく。美しくも醜い少女の姿から、少し不細工なぬいぐるみ型のアバターへと。

 

「さ、やるべきことはパパッとやっちゃうわよ」

 

 続けて、モグワイと呼ばれたアバターから、深紅の弾丸がいくつも放たれて、破壊された倉庫街から絃神島全土へ流星のように深紅の欠片が降り注ぐ。

 次の瞬間、崩壊していた建物が、戦闘で残った破壊の爪痕が―――深紅の輝きに包まれて一瞬のうちに修復されていく。『聖殲』による世界の変容でもって、破壊された街を再生したのだ。

 人工島を侵略した『アベルの巫女』よりも遥かに速く、広範囲に。これこそが、正統なる『カインの巫女』の力であった。

 

 

「これで、やっと……一件、落着か……?」

 

 浅葱によって元通りになっていく街並みを見ながら、呆けたように古城は呟いた。

 捕食された人たちから手を放したクロウが、そのまま膝をつく。全てを出し切った、脱力。消耗し切ったその弱々しい様に、古城の心臓が、ドクン、と激しく脈打った。

 

「クロウ!」

 

 呆然と見つめる古城の前で、クロウの身体がふらりと揺れた。咄嗟に駆け込んだ古城は、こてんと倒れかけたところを腕で抱きかかえた。今回の事態でこの後輩が遭わされたことを思い出し、古城の背筋が総毛立つ。

 

「ごめん……なのだ……古城君」

 

 <黒死女皇>を圧倒した覇気がない。囁くような小さな声での謝罪に、古城はそんな後輩を必死で抱き寄せ、絶叫する。

 

「しっかりしろ、クロウ! お前はよくやった。本当によくやったんだ! だからもうゆっくり休め!」

 

「ごめん……でも、オレはもう、限界、なのだ……」

 

「こんな最後の最後まで無茶をしやがって、馬鹿野郎……! お前はもっと自分のことを大事にだな……!」

 

「お腹が、もうグーグーで限界なのだぁ~……」

 

 ギュルルルルルるるるるぅぅぅぅ―――!!

 ものすんごい唸りが、ペコペコに凹んだそのお腹から轟いた。

 

「……は?」

 

 この時、古城はおそらく、どうしようもなく間抜けな顔をしていたことだろう。

 いやしかし、考えてみれば当然なのか。矢瀬顕重に使われたときにまともな食事が出されたとは思えないし、今日この日は連戦に次ぐ怒濤の連戦で消費カロリーが凄まじいことになってるだろうし……

 

「報告。こちらにバナナを発見しました先輩」

「―――本当か、アスタルテ!」

 

 ガバッと古城の腕の中から飛び起きたクロウは、まっしぐらにバナナの束を抱えたアスタルテの方へ駆けていった。

 そう言えば、ここは大規模食糧備蓄庫。探せばどこかしらに食べ物を入れてあるコンテナがあるだろう。

 もっきゅもっきゅ! とリスみたいに口いっぱいに頬張りながらも両手にバナナ、それから後輩のアスタルテにもバナナを剥いてもらいながら、ものすごい速度でバナナの皮を山と積み上げていく様子を見て、古城は安堵と呆れが半々くらいの溜息を吐いた。

 

「大丈夫、なようですね、先輩」

 

「なんかもう色々と言いたいことがあったんだけど、無事ならいいか。―――あ、それで姫柊も体調はどうなんだ。ほら、ニャンコ先生がおまじないとか言ってくれたけど、『天使化』は本当に大丈夫なのか?」

 

「あ、はい……大丈夫、みたいです。霊力の暴走も起きてませんし」

 

「あれだけ派手に<雪霞狼>を使ったのに?」

 

「それはたぶん……指輪……が……」

 

 そういって、雪菜はチラと左手の薬指に嵌っている指輪を見る。

 決戦前の“精気補充”後に、ニャンコ先生こと縁堂縁が使い魔の猫に持たせて送ってきた指輪である。

 

 曰く、おまじない。

 何でも初対面時に採った古城の肋骨(事後承諾もいいとこだが)を核とし、師家様が持っていた古代の宝槍の欠片も使い、大錬金術師ニーナ=アデラートに頼んで指輪にしたもの。

 これを身に着けるとなんと『血の従者(あるいは花嫁)』――主である吸血鬼から不死の力を分け与えられた疑似吸血鬼になるのだ。

 吸血鬼に血を吸われたものは吸血鬼になる――なんてありがちな迷信は、あながち間違いではない。吸血鬼の肉体の一部を体内に受け入れた人間は、主人である吸血鬼と同じ、不死の肉体を手に入れるのだという。

 かつて、古城も先代の<第四真祖>であるアヴローラの肋骨により彼女の『血の従者』になった。それと同じことだ。

 

 古城はそんな疑似吸血鬼とするような真似は反対だった。

 疑似吸血鬼は必然的に、主人である吸血鬼と共に永遠の歳月を生きることになる。これは必ずしも幸せな事とは限らないのだ。

 一応、これは本物の“花嫁”になるわけではない。呪術触媒の指輪を介して、霊的経路(パス)を繋げるだけ。いうなれば、ただの“婚約者”というところ。完全な『血の従者』ともなれば、巫女としての霊力まで使えなくなってしまう(霊力も魔力も扱える後輩(クロウ)は大変稀少な例であるので参考にならない)。

 

 婚約者云々はさておいて、姫柊雪菜を『血の従者』としたい理由はある。

 『天使化』を抑えられることのできる恩恵に、古城――<第四真祖>の『血の従者』となれば預かることができるかもしれないからだ。

 かつて、<模造天使>となった叶瀬夏音の神気を浴びた時、『次元喰い(ディメンジョン・イーター)』の眷獣によって生還することができた。

 つまりは、この眷獣<龍蛇の水銀>の力を借りることで、<雪霞狼>が生み出す余剰な神気を消滅させるのだ。

 うまく機能するかについては実際に試してみるまではわからなかったが、成功すれば、姫柊雪菜は今まで通りの生活を送れることができるようになる。

 

 どうするかは、姫柊雪菜当人の一存に委ねた結果―――迷うことなくニャンコ先生から指輪を受け取った。

 古城からすれば、他人の骨が入ってる指輪(消毒して焼き固めてあるので汚くはないそうだが)なんて気持ち悪いだろうと思うのだが、雪菜はあまり抵抗感がなく、あっさりと指に嵌めた。薬指に。

 

 そして、指輪を嵌めて“婚約者”になった姫柊雪菜はこのぶっつけ本番のギャンブルに勝って、人間のまま<模造天使>の神気を制御することができるようになったのだ。

 

(結果オーライ、でいいのかこれ?)

 

 雪菜は自分の左手を何度も閉じたり開いたりして、薬指の指輪を満足そうに眺めている。彼女がどういう気持ちでそれを見ているのか、古城にはさっぱりわからない。

 

 

「―――へぇ、とても嬉しそうだね、姫柊さん」

 

 

 と突然、古城の隣から声。

 うおっ! と吃驚して横っ飛びすれば、そこには空間転移した幼馴染――仙都木優麻がいた。

 

「いきなりだなユウマ。つか、お前もいたのか」

 

「まあね。古城も相変わらず騒動のタネが尽きないようで。―――それで、あの指輪は、古城からかい?」

 

 にっこりと表面上爽やかな笑みを浮かべる幼馴染。古城は何故かたじろいでしまう。

 いやしかし、大して目立つデザインでもないその指輪の存在に優麻が目敏く気づいたことに驚きだ。

 それで浮かれてた様子の雪菜も、優麻の追求に慌てて応える。

 

「えと、これは、その、暁先輩に嵌めてもらったら抜けなくなってしまって……」

 

「ふうん。なるほどなるほど。それで、その指輪には魔術的な意味があるように見えるけど?」

 

 雪菜のたどたどしい説明に、頷いて理解を示す優麻。

 落ち着いていて、話しやすいように先を促してくれる。これがもし浅葱だったら感情的になって大変だったろう。理解力と社交性、落ち着きのある幼馴染で助かる。

 

「いや、こっちもいろいろとあって話すと長くなるんだけど、姫柊の『天使化』を抑えるために俺と霊的回路を繋げる必要があってだな。それでその指輪ってのが俺の肋骨を材料にしたもので、身に着けると疑似的な『血の従者』になれるんだよ」

「はい、暁先輩の“婚約者”になるおまじないでして……」

 

 だから勘繰るような深い意味はないのだ。

 その辺りをよくわかっていただきたいと古城は指輪の背景を説明するのだが……さっきから優麻の表情筋が1mmも動いていないように見えるのは目の錯覚か? いや、優麻はちゃんと変に誤解せずに理解してくれているに違いない。

 

「……それだったら、ボクも姫柊さんみたいに古城の指輪が欲しいかな」

 

「は? なんでユウマまで?」

 

「なに。いざというとき、霊的回路が繋がっていたら助かることが多いみたいだからね。ほら、クロウ君も那月先生と霊的回路を繋いでいるだろう?」

 

 こちらにわかりやすく具体例を挙げて、理解を求める優麻。

 今回の一件もそうだったが、あの『波朧院フェスタ』の時も、<守護者>が暴走分離して霊的回路が剥がれてしまったクロウを、那月は自らの<守護者>で補わせる応急処置で助けた。

 あの主従の支え合いを見ると、霊的回路を繋げておく利点はあるように思える。

 

「いやでも、そんな他人の身体の一部が入ってるものなんて気持ち悪いだろ? つか、俺も二度も肋骨を抉られたくないんだけど」

 

「何、それを気持ち悪いかどうかは相手によるさ。それにボクは魔女だからね。唾液とか髪の毛でも十分な触媒として活用できるけど。―――それで、()()()“婚約者”にしてくれないのかい古城」

 

 姫柊もそうだがさっきからその言い回しは妙に引っかかってくるんだが。

 声の調子は変わらないのに圧迫感に半歩後ろに退く古城だったが、圧迫感は正面の優麻の方からだけでなく、斜め後ろ――雪菜のいる方からもひしひしと感じる。

 あれ? 何だ、この状況は?

 詰将棋のように段々と逃げ場がなくなってくる感じ。

 

(なんか知らないが、この話題を逸らさねーと……!)

 

 古城は助けを求めて、視線を泳がす。

 ―――浅葱! いや、浅葱はマズい気がする。余計に炎上する予感がある。

 だとしたら……―――

 

 くるくる~……と可愛らしい音。

 焦燥に駆られる古城の耳が拾ったのは、腹が鳴った音だった。

 見れば、雪菜が恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いている。

 そうか。そうだよな。人間、誰しもある生理現象だ。恥ずかしがることではない。

 そして、古城は天啓を閃いた。

 

 いるじゃないか。空気をかき混ぜる天然児が!

 

「そうかそうか、姫柊もあまりたべてなかったもんな! ―――よし、クロウ! 食い物こっちにも分けてくれないか! 俺達も腹が減って!」

 

「バッチリ聴こえてたからわかってるのだ。バナナはたくさんある。いっぱい食べると良いぞ」

 

 先輩の前で羞恥心を覚える雪菜ではあったものの、空腹が勝ったのか、一本いただく。それから古城や優麻にも手渡してきて、100%の善意から来るお裾分けを断れそうにもなく受け取ってしまう。

 口を塞がれる食事に追求の勢いがそがれる結果になり、後はこの後輩に話を振ってけば場の空気を濁せるんじゃないかと古城が構想を立てた時、ぴくん、と反応したクロウが背後へ――誰もいない――しかし、前触れもなく現れた。

 

「……こんなところで何をしているんだ、馬鹿犬?」

 

「皆でもぐもぐタイムなのだご主人!」

 

 心配性な保護者が迎えに来た。

 数時間で<監獄結界>を再封印してきて随分急いだであろう那月が、現場に来てみれば、何かとやらかす問題児(クロウ)(女の霊に取り憑かれていた)が、のんびりとバナナを食べているのだ。頭を抱えたくなってくる気持ちは古城もわかる。

 でも、とにかく無事な姿は拝めたのだ。

 これは、那月ちゃんも一生に一度くらいの素直な気持ちを出してくるか、と古城は期待した。

 

「それで、ご主人、さっき古城君たちが話してたんだけど、霊的回路を繋いでると“婚約者”になるみたいで、だったら、オレもご主人の“婚約者”だったりするのか?」

 

 古城は自分の頭を抱えるんじゃなくて、後輩の頭を抱えて口を塞いでやるべきだったかもしれないと思った。

 

 ふう、と溜息ひとつ。

 

 で。

 バラエティ番組で、コメントもなく出オチで落とし穴に落ちる芸人のように、何のコメントもなくクロウは虚空に呑まれた。物語のエンディングを締め括るような感動の抱擁とかそういうのは一切なかった。

 

「馬鹿犬は今回の件も含めて、よぉく、躾けるとしよう。ああ、アスタルテ、あとで浴槽に放り込むから、その準備だ。馬鹿犬の血生臭い垢をデッキブラシでも使って徹底的に擦り落としてやれ」

 

「命令受託」

 

 風呂嫌いの後輩がますます苦手意識を持ちそうだが、古城たちは口を挟めない。

 そして、傲岸不遜なる魔女にして担任は、こちらをギロリと効果音がつきそうな視線を飛ばしてきて、

 

「―――で、馬鹿犬にくだらんことを吹き込んだのはどこのどいつだ? なあ、暁古城」

 

「なんで俺を名指しにするんだよ那月ちゃん!?」

 

 その後、『血の従者(仮)』のことを“婚約者”という言い回しは、誤解を招くことがあるのでNGワードとなった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ハッハッハッハッハ! 見たか、アラダールよ! クロウの奴め! また強くなったぞ! クロウの最盛期がどこまで行くのか見物であるが、これでは俺の方が相手にとって不足となってしまうな!」

 

 倉庫街を見渡せるビルの屋上。

 そこで喝采を挙げるのは、『滅びの王朝』の凶王子。この世の快楽のほとんどを味わい尽して生きていることに倦み疲れている不老不死の吸血鬼は、退屈を吹き飛ばしてくれる“友”に見た目相応の精神年齢に若返りそうなくらいに愉しそうだ。

 しかし隣に立つ『戦王領域』の第二位の吸血鬼は、イブリスベールのように愉快な気分にはなれないようで憮然としている。

 

「悪魔憑きにまで匿われるとは、面倒極まりない。討伐対象としては頭を抱えたくなる案件だ」

 

「討伐対象? 太古の神々でさえ、我らの真祖でさえも防ぎようのなかった『聖殲』に対抗手段を持ったことがどんな意味を持つのか、アラダール、貴様にわからぬわけがないだろう?」

 

 イブリスベールの言葉に、『戦王領域』の帝国議会議長は短く、ああ、と頷き返す。

 『聖殲』は真祖に近しい『長老』でも忌み嫌う力だ。それに対抗する“抑止力”ともなれば、何であれ易々と処分を決めていい存在であるはずがなく。場合によっては掌を返して保護も検討しなければなるまい。きっと獅子王機関も同様の対応を取るはずだ。

 

「出直せ、アラダール。クロウの処遇、そう簡単に決めていい案件(もの)ではなくなったぞ」

 

「……そのようだな」

 

 嘆息して、アラダールは認める。

 <心ない怪物>の暗殺任務は中断。あるいは撤回しなければならない、と。

 ともなれば、暗殺の任を命じていた『戦王領域の戦闘狂』にも話を伝えておかなければならないのだが……

 

「そういえば、貴様の所の<蛇遣い>はどうした? そう簡単にくたばるタマではなかろう?」

 

「知らん。連絡が途絶えた。ヤツの部下も見つからん」

 

 

路地裏

 

 

 小ぶりなナイフほどの大きさの古びた鍵。

 鋼色の金属の輝きは、『神縄湖』に現れた『咎神派』が振るっていた遺産の魔具と同質。そう、これは『咎神』の魔具。それも『咎神』の騎士と自称していた連中が持っていた劣化品(レプリカ)などよりもずっと高価な代物。

 これを持っていたおかげで、真紅に塗り替えられた窮地を脱することができた。

 

 ―――<女教皇>の襲撃。

 忌々しい復讐者の怨念に拠点の一切を焼き滅ぼされて、不可視の刃で応戦するが『聖殲』の業火はそれを呑んで襲ってきた。

 矢瀬顕重のみが持っていたこの時空移動用の(ゲート)を開く鍵でもって、どうにか難を逃れることができたのだ。

 

「忌々しい……! ええい忌々しい……!」

 

 何故だ。何故、思うようにならない。

 どこで読みを誤ったのか、顕重にはそれがわからない。取るに足らぬと切り捨てられた者たちが、顕重を脅かす力を手にし、絃神千羅と共に組み上げた計画を狂わした。

 ―――まるでこの『魔族特区』そのものが意思を持ち、己を排除しているかのようだった。

 

「そんなことはありえん。絃神島が抱える闇は、人類の闇と同義なのだ! <禁忌四字(ヤゼ)>の正統な末裔である儂以外の誰がこの『魔族特区』を仕切ることができようか!」

 

 儂しかいない。

 人類が、魔族共に奪われた資源と土地を取り戻すことができるのは儂だけだ。

 しかし、このままだと何もかもが終わる。『MAR』との交渉を失敗、『聖殲』を行使するための拠点も焼かれた。そして、この身も。

 

「ぐっ……!」

 

 全身の肉はごっそりと焼き爛れていて、仕立ての良い和服は見るも無残な有様だ。<女教皇>の深紅の火炎を浴びた火傷である。

 

「誰かいないか……! 誰でもいい……儂を助けろ……! 儂はこの『魔族特区』の王だぞ……!」

 

 生涯の中で最たる屈辱を噛みしめがら矢瀬顕重は荒々しく息を吐く。呼吸をするのも苦しい。耳もだんだんと遠くなる。もう意識も限界に近い。

 そんな顕重のすぐ近くから、愉しげな声が聞こえてくる。

 

「いいや、この屑鉄と魔術で生み出された紛い物の大地を統べる王は、キミではないよ、矢瀬顕重……」

 

「……っ!?」

 

 顕重は驚いて顔を上げた。路地の暗がりの奥に長身の男が立っている。純白のスーツに身を包んだ、金髪碧眼の吸血鬼の貴族だ。

 

「ディミトリエ=ヴァトラー、だと……!?」

 

 彼奴は、人工島管理公社の切り札である衛星からの対地レーザー攻撃に滅ぼされたはずだ。そう、矢瀬顕重がその発射ボタンを押したのだ。<黒妖犬>から『聖殲』を受けて吸血鬼の力を発揮できない瀕死の状態を狙って撃ったのだ。不死身の吸血鬼だろうが死んでいる。

 

「あの子と戦わせてくれたことは感謝するよ。久しぶりに“死”を覚えた充実した一時だった。―――けど、愉しい“戦争”に横槍を入れたことはいただけないナァ」

 

 芝居がかった大袈裟な口調で顕重に感謝を述べるヴァトラーだったが、最後に雰囲気を一転。牙を垣間見せる獰猛な笑みを向けてくる。()めつける美しき碧眼は、蛇が睨むかのごとし。

 だが、これで竦む顕重ではない。執念じみた意思の力で瀕死の老体を賦活させ、

 

「汚らわしい魔族風情が、この儂に立てつくとどうなるかわかっているのだろうな?」

 

「どうってことはないサ。一人では何もできないキミを恐れる理由はない。『聖殲』の力が使えれば話は別だけど」

 

 逃走も平伏も、この美しい吸血鬼の貴族は許すことはしないだろう。

 そして、傲慢なる男もまた魔族に対し逃走も平伏も、死んでもしない。

 こちらが死に体だと思って油断をしている<蛇遣い>は、ここで始末する。

 

「そうか。ならば、お望み通りその身に味わわせてやろう! 貴様ら魔族を滅ぼす力をな!」

 

 生の感情を剥き出しにして、顕重は吼えた。

 『巫女』も『棺桶』も『祭壇』も、そして、『墓守』も使えぬ以上、自腹を切るしかないが、相手は吸血鬼。ただ身体を切り裂くだけでは殺し切れない。

 『咎神』の遺産である鍵を握り締めて発動する。

 黒焦げとなり使えない腕を一本贄にし、光の粒子を不可視の刃に纏わせる。魔族の異能を封殺する、世界変容の輝き。これで切り刻んでやれば、たとえ『真祖に最も近い吸血鬼』が相手でも屠れよう。

 

 そして、ヴァトラーは、矢瀬顕重の深紅の刃によってバラバラに滅多切りにされた。

 

 途端、吸血鬼の貴族の全身は不意に厚みを無くし、どろりとした影のような染みに変わった。

 

「な―――」

 

 今、我が身を犠牲にして発動させた『聖殲』が切り捨てたのは、偽物(ダミー)の鏡像。<幻影網楼(デイオニカ・ノクス)>。

 

「不完全とはいえ、使えるようだね。吸血鬼の『真祖』を滅ぼし得る『聖殲』の力を」

 

 そして、背後から声。

 振り向こうとした顕重だったが、それよりも早く伸びた手に首を絞められた。

 

「ガハッ……!」

 

 喉笛に爪を立てるように握り込まれ、苦悶しか出ない。吊り上げられた顕重は、見た。

 顕重を捕まえた本物の金髪碧眼の美しい貴族の左右に、麗しき闇の貴公子(キラ=レーベデフ)苛烈なる炎の貴公子(トビアス=ジャガン)が控えているのを。

 

 まさか……! 部下の吸血鬼共に……!

 

 そう。

 矢瀬顕重に使われていた<黒妖犬>との戦闘を“監視”されていることは知っていたし、何かがあれば邪魔をされることが、予想がついていたヴァトラーは、二人の貴公子にその介入を阻むように指示を出していた。

 トビアス=ジャガンの<魔眼(ウアジエト)>。

 たとえ監視カメラ越しからでも、視線を伝染経路にする精神支配系の眷獣。精神干渉系の護符を用意していたところで突破する<魔眼>に寄生された矢瀬顕重は、衛星からの対地レーザー攻撃を、<蛇遣い(ヴァトラー)>にではなく、<黒妖犬(クロウ)>との間を遮るように撃ち込むように誘導されていたことに気付かなかった。

 

 そして、ここへひとり逃げ込んだことでさえも、眷獣に誘導されたものなのだとすれば―――

 そこまで思考が至れば、気づくだろう。

 

「そうか……<蛇遣い>……貴様が絃神島に来た本当の理由は、『咎神』の叡智……―――」

 

 矢瀬顕重を挑発し、攻撃をするチャンスを一度与えたのも見定めるため。

 喰らうに値する獲物かどうかを。

 

「矢瀬顕重。キミの能力と、『聖殲』の知識は、このボクが頂こう……!」

 

 顕重の身体に、ヴァトラーは牙を突き立てる。『戦王領域』の<蛇遣い>がそこから吸い上げているのは、<禁忌四字>の血統だけではない。矢瀬顕重の過去の“記憶”もだ。

 そうして、断末魔すらも上げられず。根こそぎその全てを吸い尽された矢瀬顕重の肉体は崩壊し、白煙を上げて跡形もなく消滅する。

 路地裏、絃神島の闇の中で、ヴァトラーは白い牙を鮮血でドス黒く染めながら、高らかに笑い出す。

 

 

「これで舞台は整った。さあ、最後の“宴”を始めよう。ともに美しく踊ってくれ、暁古城。美しく美しく美しく美しく美しく美しく美しく美しく美しく美しく美しく―――」

 

 

彩海学園

 

 

 ―――その日、藍羽浅葱は伝説になった。

 突如として襲った強大な魔族によって破壊された街を魔法のように瞬く間に復興。『テロ組織の残党なんて全くのデマだから。いい? <心ない怪物(ハートレス)>とかいうのもウソデタラメ、そんなんじゃないの。とにかく、これで終わり』と動画インタビューに応じて、この数週間続いた非常事態の終幕を宣言したのだった。

 その後、『絃神島復興支援チャリティーソング『Save Our Sanctuary』に次ぐ新曲の発表は!』という問いかけ(コメント)に対して、『ご当地アイドル活動(そういうの)ももう終わりだから』とこの魔族特区の聖処女(ローカルアイドル)の突然の引退宣言で動画は幕引き。その後一切音沙汰なく、ネット上でも藍羽浅葱のことを書き込もうとすると次の瞬間にはそれが消えているという謎の現象が起こるものの、しかし、この絃神島を救った少女のことはいつまでも住人の心に残り、この先もずっと語り継がれるだろう―――

 ……とある噂では、その衝撃の終了宣言をした日、聖処女様がとある同級生の少年に詰め寄っている姿は目撃されたという。『あんた、まさかあの指輪は、男としての責任を取るつもりで……!?』と胸倉を掴み上げて問い詰める聖処女様に、少年も『違うっ! 頼むから話を聞けっ! 誤解だあ―――っ!』と悲鳴を上げながら必死に声を張り上げ、(指輪が抜けなくて困っちゃってる?)婚約者と思しき少女が事情を説明するのだが火に油を注ぐ結果となって、大変人目を引く騒ぎとなった。

 そんな『アイドル活動中に彼氏(オトコ)を寝取られた』という痴情のもつれが原因でお隠れになったのではないかとまことしやかに囁かれている。

 

 ……ということがあって、藍羽浅葱は外ではしばらく顔出しNG、野球帽とマスクを着用せざるを得なくなった。

 

 またそれ以外にも、表には出回らない裏のニュースとして、大規模魔道テロの実行及び幇助、また特区治安条例に対する重大な違反が多数報告されている人工島管理公社の元上級理事にして矢瀬財閥の会長……消息不明となっている矢瀬顕重の死亡が長老会議で正式に認められることとなり、その後釜に、矢瀬基樹が選ばれた。

 <禁忌四字>の正統な末裔であり、獅子王機関『三聖』の長や、<カインの巫女>、そして、<第四真祖>の盟友でもあり、<黒妖犬>の先輩でもある。『MAR』のシャフリヤル=レン総帥の支持も取り付けられて、妾腹の子供であった少年は管理公社を担う矢瀬財閥の新統帥となった。

 

 

 そして、表にも裏にも取り上げられない、学級日誌に記録されるような小さなニュースに、中等部のとあるクラスでしばらく不登校……テロ騒ぎに巻き込まれたんじゃないかと心配されていた少年は、無事な姿を見せてクラスメイトに安堵されたという。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「おっす、皆、久しぶりだな、元気してたか?」

 

 あの『魔族特区』を襲ったテロ事件から、久しぶりに登校したクロウ君は、普通に元気そうだった。

 ただ、落ち着いて話をする機会が中々訪れない。

 朝のHR後の授業……早速、一時間目の授業から溜まりに溜まっていた宿題を出されたクロウ君は、授業後の休み時間はそれに掛かり切りに。見かねた雪菜ちゃんが勉強を教えて……私もそれに付き合ったりもしたんだけど、二人きりで話しができる状況じゃなかった。雪菜ちゃんよりも頭がいいわけじゃないし、出番なんてあまりない。

 その後もクロウ君は机に噛り付きで……昼休み前にやっと終わったと思ったら、今度は欠席分を巻き返すための補習が昼休みに組まれていて、一緒にご飯もできなかった。どういうわけか中等部の生徒(クロウ君)を高等部の先生(古城君の担任)が面倒を見るとのことで、チャイムと同時に鎖に引きずられて連れ去られてしまった。すぐ追いかけようとしたけど、担任の笹崎先生は頬をかきながら、『えーっと、ほら、素直になれない先輩なりのスキンシップ、愛の鞭だったり』と、邪魔をしないようにと止められた。

 それから昼休みの終了のチャイムギリギリで戻ってきたクロウ君は、プリントの束をもらってきていて……午後の休み時間も午前と同じように課題の山に四苦八苦するはめに。

 これはもう家に持ち帰ってやったらいいんじゃないかとも思ったけど、放課後は放課後でやることがあるらしい。

 

「バイト? ……あの、特区警備隊(アイランドガード)と一緒にお仕事するの?」

 

「う。そっちはしばらく顔出すなとご主人に言われてる。昔、お世話になった恩人のお店が人手不足でな。もうすぐ稼ぎ時のバレンタインデーなのに人が足りない! ってピンチみたいなのだ」

 

「ふうん。……どんなバイトなの?」

 

「魔族喫茶なのだ」

 

「魔族喫茶、かぁ……」

 

 日本で普通に暮らしてたら滅多に出会わない魔族との触れ合いを売りに出してる喫茶店。旅行者とかには大変喜ばれるけど、私はちょっと……

 魔族恐怖症(トラウマ)も少しずつ改善はしてきていると思うけど、まったく見知らぬ魔族はダメだ。怖い。良ければ一緒にバイトをしてみようかな、ってちょっとは思ったけどダメ……でも、特区警備隊と仕事をするわけじゃないようだ。

 

 昨日、警備隊の人たちから銃撃を浴びせられていた機械仕掛けの鎧に覆われた、金色の人狼……

 

 でも、私が気を失ったその次の日にクロウ君は登校した。

 それに、浅葱ちゃんもあれは全くのデマだと言っていた。

 だから、あの時、自分を助けてくれたのは――警備員に迫害されていたのは、クロウ君じゃない。

 ―――そんなはず、ないのに。

 

「先輩、お時間です」

 

 クロウ君と帰り支度をしながら話してると、メイド服を着飾った少女が迎えが来た。教室の引き戸前に、置物のように待つ彼女は、人工生命体のアスタルテさんだ。

 

「おー、今日のバイトはアスタルテも一緒なんだな」

 

教官(マスター)より、目を離すなと言われております」

 

「むぅ、そういうお目付け役は先輩の役目じゃないのか? まあ、アスタルテがいるとカルアナは喜ぶし、オレも助かるか」

 

 あ、行っちゃう……

 鞄を持ったクロウ君が教室の外へ。

 

「クロウ君っ!」

 

 離れていく背中に、つい呼び止めてしまった。

 

「ん? どうした、凪沙ちゃん」

 

「え、っと、あの、その……」

 

 けど、昨日、私を助けて、警備隊に撃たれてた? なんて訊けない。

 こんな人のいる教室であらぬ誤解を招くような発言――かつて、クロウ君を人の輪から弾いてしまった失敗を、二度もするわけにはいかない。

 

「んー……アスタルテ、先に行っててくれ」

 

「命令受諾。校門で待っております」

 

「いや、先にお店まで行ってもいいんだぞ?」

 

「なりません。道中、食べ物の匂いに釣られた先輩が寄り道してしまう可能性が高く、向こうから提示された時刻に遅刻しないよう私の同行が必須と判断します」

 

「何か、オレ、すっごく子供扱いされてないか?」

 

 訂正もなく、こちらに一礼して行ってしまうアスタルテさんと、がっくりと肩を落とすクロウ君。残念だけどそのフォローは私もできないよ。アスタルテさんの判断は正しい。クロウ君は中学生なんだけど、幼稚園児や小学低学年くらいの子供にはじめてのおつかいをさせるドキュメンタリー番組の企画に参加させたら、渡したお金を余計な買い食いに費やしちゃいそうな予感がある。

 とそんなありゃりゃと口から漏れ出てしまうような気分に浸るんじゃなくて、お話!

 折角、クロウ君が待ってくれたんだから、このチャンスで踏み出さなきゃ―――

 

「クロウ君!」

 

「ん」

 

「クロウ君は普通のチョコレートでも大丈夫なのかなっ?」

 

 でも、自分の中で踏ん切りがついてなかった意気地なしの私は、会話の出だしを盛大に踏み誤ってしまった。

 

「チョコレート?」

 

「ほら! さっきクロウ君が言ってたじゃん! お店でバレンタインイベントをするって! それでふと思ったんだけど、一部の獣人種はチョコレートを摂取すると、嘔吐や痙攣とかしちゃって中毒症状を起こすんでしょ! テオブロミン? だったけ。そういう犬猫にとって有害な成分を取り除いた獣人用のチョコレートが、『魔族特区』で開発されてるって聴いたことがあるんだけど、そう言えばクロウ君はどうなのかなって! ねっ?」

 

 教室内を私の言葉(こえ)で満たすくらいの勢いでまくし立てる。頭の中は『何やってるの私! いや、それも気にはなっていたんだけど! したいのはそういう世間話じゃなくて真面目な話でしょ!』でいっぱいいっぱい。多分、今の私の目はグルグルに渦を巻いてると思う。

 

「オレはそういうアレルギーはないのだ。食べ物なら何でもおいしく食べられるぞ」

 

 そうなんだ、と心の中のメモ帳に記録。

 そういえば、『彩昂祭』で深森ちゃんが流出させちゃった『B薬』を食べても全然平気だったっていうし。アレってチョコレートを原料にしてて……あと魅了や媚薬と言った魔術効果の入った第四種特定魔術食品だったはず。つまりはその手のものは効かない……―――いやいやいや何考えてんの私! それは絶対しちゃならない禁じ手だよ!

 

 パンパンッ! と浮かれた自分の頬を叩く。

 気合いを入れ直して、クロウ君を見る。

 でも、何をどう言えば伝わるのか、わからない。

 そんな言いたいことも言えない私に、クロウ君は私だけに打ち明けるようなひっそりとした声で切り出す。

 

「本当は……今朝にも、学校に行くか迷ったのだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「でもやっぱりな、凪沙ちゃんとこうしてられてよかったって思うぞ。我ながらワガママだと思うけど、この“普通”をどうしても切り捨てられなかったみたいだ」

 

 誰に何と言われようとも、街を害した罪悪はこの胸に抱えている。

 世界を滅ぼし得る力を持つ怪物(おのれ)は人の営みには害悪となり得ることを重々に理解している。

 それでも少年の心は、ここが居場所なんだと言っている。

 

「頭が真っ赤っかになった時、大事なことを思い出せた。だから、ありがとう、凪沙ちゃん」

 

「クロウ君……?」

 

 少女には、少年が感謝するいわれを理解できてはいなかった。

 暁凪沙との<禁忌契約(やくそく)>。

 力を暴走させても、南宮クロウが完全には我を見失わないでいられたのは、少女の願掛けが一助となっていたのもあるだろう。

 

「じゃあ、また明日な」

 

 また明日―――その何気ない言葉に、何の魔力もないのだけれども。

 胸の内にあったもやもやがウソみたいに晴れていく。<心ない怪物>には、こんな魔法になる言葉を出せるはずがないのだから、もう、いや、初めから何も訊かなくてもよかったと思える。

 手を振りながら教室を出ていった彼に、凪沙もまた手を振り返して……姿が見えなくなったところで、ふっと息を吐く。

 

「……もう。それはこっちのセリフだよ、クロウ君」

 

 言いたいことは全部言われてしまった少女は、少しだけ唇を尖らせてそう呟く。

 

 ―――お前の涙が欲しい。

    いつか先の未来で、辛い目に遭った時。

    きっと助けるから、泣き止んでくれ。

 

 そう、約束を守ってくれた。

 少女が泣かないでいられたのは、きっと少年の働きに違いないのだから。

 

 

紅魔館二号店

 

 

「……どうして、僕達は、ここで、貴様と一緒に働かなくちゃならないんだ?」

 

 声変わりする前の子供のボーイソプラノで、淡々とだがブツッブツッと区切りを入れて荒々しい気分が伝わる器用な語調で問い詰めるのは、中性的な体つきで小柄な少年。魔族喫茶の厨房に立つ彼は、自然界にありえない藍色の髪を持つ人工生命体だ。名札(ネームプレート)には、『ロギ』と書かれている。

 

 レジ打ちには、ひょっこりと顔だけを覗かせるだぶだぶのぶ厚いコートを、この常夏の島で平然と着こなす少女がいて、接客基本のスマイルは期待薄だが、お金を出されたらレジ打ちする前に計算を終えていて優秀だ。名札には『ラーン』と書かれている。

 

 そして、フロアでメイド服持参の先輩ウェイトレスの人工生命体と一緒に給仕をしているやや吊り目がちの大きな瞳をした犬耳の少女。アルコール洗浄液の入った水鉄砲を装備している。名札には『カーリ』と書かれている。

 

 計三名、魔族喫茶『紅魔館』二号店に入った新人達である。

 その指導員と思われる先輩は、時たまに、大金を落とす極太のお客を連れてくる看板息子(第二真祖直系の第九王子の到来に店長はちっとも嬉しくない方の本気な悲鳴を上げた)。

 

「んー? ロギは今日の午前中にしっかりメンテナンスを受けてるはずだけど、まだ働くのはダメだったりするのか」

 

「違う。僕が言いたいのはそういうことじゃない」

 

「じゃあ、ラーンの調子が悪いのか? オレが『死霊術』をかけてるけど」

 

「ううん。以前よりも快調。ヘルハウンド、先生よりもずっと『死霊術』が上」

 

「そっか。それは良かった。でも、店ではオレのことを『義経』と呼ばないとダメだぞ」

 

「わかった、義経」

 

「ラーンもそいつの話に乗るな! それから、僕達を呼び捨てにするなヘルハウンド!」

 

 捕食型人工生命体(バルトロメオ)に取り込まれて、更には『アベルの巫女』に取り憑かれていたロギ。検査入院と身体調整を受け、住民票代わりになる魔族登録証を嵌められた後に、ラーンと一緒にここへ連れてこられた。

 最初こそ、二週間前、倉庫街で別れたきりだった仲間のカーリに会えて驚き、それから遠い目をしたその店の女主人に『はいはい、着替えて』と制服を渡されて、今に至る。

 

「いいか? 僕達はテロリストなんだぞ? こんな店でバイトなんかできるか!」

 

「何だお前、テロはできるのにバイトはできないのか?」

 

「違う! そういう意味じゃない! バイトくらい難なくできる!」

 

「できるんならやるのだ。最初にも言ったけど、地域貢献。散々、島で暴れてくれたお前達は働かないと『魔族特区』の住民には認められないんだぞ」

 

「肯定。そして、先輩は、国家降魔官の教官代理を任されております」

 

 補足を入れるアスタルテに、チッと舌打ちをするロギ。あの時とは立場が逆になっているであろうことは、ロギにだってわかってる。でも納得がいかない。

 

「はっ! お前の命令をきいてまで『魔族特区』に縛られたいと思うか。魔族登録証の腕輪もラーンなら外せる。今すぐ僕達三人を解放しなければこの店を燃やしてもいいんだぞ、ヘルハウンド」

 

「だから、店では『義経』だって言ってるだろー。あと一回間違えたら仏の顔は三度までルールでデコピンだからな。あと、店を燃やしたらチョップなのだ」

 

 脅しをかけるが、対応が軽い。

 でも、指弾き(デコピン)の素振りで飛んできた空気弾が、ロギの顔面横スレスレをよぎった。耳を掠めた空気の擦過音に、ロギの強気な姿勢がビクッと跳ねる。子供のお仕置きみたいな言い方だが、馬鹿力(クロウ)の場合だと洒落にならない。デコピンでも加減を間違え(ミスれ)ば、一発で入院だ。

 

「……ねぇ、義経、今、物騒な発言が聴こえたのだけど」

 

 と面倒なのに巻き込まれまいと新人教育を押し付けて、クロウ達のやり取りを遠巻きに眺めていた女性が、ついに覚悟を決めて重い腰を上げてきた。

 

「一応ね。本社より管理公社からの紹介だから、ってことで履歴書審査なしでも通したのだけれど、カーリも含めてこの子たちの経歴をそろそろ教えてもらいたいわね」

 

「むー、カルアナは注文が多いぞ。この前、イブリスはダメだっていうし。ここは魔族喫茶じゃないのか?」

 

「ダメに決まってるでしょうが! 魔族だったら誰でも採用OKじゃないの! あなたのご主人様は勘違いしてるんでしょうけど、この店は託児所でもしつけ教室でもないのよ!」

 

 今日もブルネットの髪を(苛立たし気にガシガシと)靡かせる女性。見た目女子大生くらいであるが、この魔族喫茶『紅魔館』二号店を仕切る女主人であって、新人三人の雇い主である。悪の女幹部めいた制服で着飾っているのに、暴力的な気配が微塵もないことから、元箱入り娘の人柄というのがよく表れている。でも、腕に巻かれている登録証からわかるように彼女も魔族。眷獣を召喚できないが、由緒正しき純血の吸血鬼だ。

 

「大丈夫。ちゃんとオレがこいつらをオレみたいな一人前の看板店員になるよう指導するのだ」

 

 フスー、と鼻を鳴らして、胸を張るクロウ。溢れんばかりの自負が伺える。ものの……

 

「……それ、アスタルテにチェンジできない? 義経みたいのが3人も増えたらわたくし、店を切り盛りしていく自信ないんだけど。お願い」

 

「残念ですが、教官より三人の保護観察を請け負っているのは先輩です」

 

 両手を拝み合わせて切実に頼み込むカルアナだったが、アスタルテに断られて項垂れる。

 

「遠慮するなカルアナ。オレとカルアナの仲だ、ドンと任せてくれて構わないぞ」

 

 アスタルテの先輩であり、『紅魔館』でもこちらが先輩。カルアナと一号店のころから同時期に働き出した間柄、ともに苦しい時を乗り越えてきた、いわば戦友なのだ。もっと自分を頼ってくれてもいいとクロウは思う。

 

「むしろ張り切るのは遠慮してほしいのはこっちの方なのだけれど。はぁ……」

 

「だからっ! 僕達はお前の下で働くと決めたわけじゃない! 話を聞け、ヘルハウンド―――」

「ていっ」

 

 忠告を破ったロギを、容赦ないデコピンが襲う。

 ぐおおおっ!? と額を押さえて、床を転げるロギ。慌てて駆け付けたカーリに支えられるも、涙目である。肉体的に弱い性能しかない人工生命体の頑健度では、クロウが大分手加減してもきつかったみたいだ。

 

「オレのことはちゃんと義経、もしくはクロウと呼ぶのだ。<黒妖犬(ヘルハウンド)>と呼んでくるのは大体敵対してる奴だからな」

 

「だ、だから、僕はヘル――お前の敵だと言ってる。大体どうして俺達のことを構うんだ?」

 

「そりゃあ、話すと色々と長いんだけどな。まず、なんか情報操作されて、オレもお前達のタルタルソースの一員になっているのだ」

 

「訂正。<タルタロス・ラプス>です、先輩」

 

「そうそうそれそれ」

 

 <心ない怪物>は、<タルタロス・ラプス>の残党―――

 まったく当人の意思に関与しない、矢瀬顕重により付け加えられた設定(ストーリー)だ。

 

「まさか、そんなことで同族意識でも芽生えたのか。それで僕たちの仲間だと言いたいのか」

 

「まあそれもあったりするのかもな。ご主人が昔にいたところというのにも気になってたし。とにかく、オレがご主人や矢瀬先輩に頼んでお前らの身柄を引き受けた」

 

 ロギの焼けるような睨みに、クロウは首肯を返す。

 いつもと同じ声音で。

 敵対していた組織であっても、余計な感情は引き摺っていなかった。

 飄々と、淡々と、まったくもって平然と、南宮クロウは受け入れ認めている。

 

「お前……」

 

 と、ロギは口を開いた。

 クロウに対し、一時、個人的な感情は飲み込んだ濁った声音であった。

 

「お前は、どういう人生を経てきたんだ?」

 

「どういうことだ」

 

「とぼけるな。先生から聞いているんだ。<奈落の猟犬(タルタロス・ラプス)>の肩書を持つに相応しい存在だと。そっちの人工生命体もお前は俺達のような実験体の中でも最たるものだとな」

 

 給仕中のアスタルテを見るクロウだったが、『何か?』とばかりに首を傾げられる。

 

「……ディセンバーだって、認めてた。私達のコウハイ、『十三番目の月(アンディシンバー)』って」

 

 ロギ、ラーン、カーリを奈落から救い出し、三人にとっての世界の中心。『十番目の月(ディセンバー)』。

 そんな彼女が、自身の異名にあやかった名称を()けたのは他にない。南宮クロウだけだ。

 

「だったら、『魔族特区』に復讐したいんじゃないのか! そんなへらへらといい加減に笑ってなんかいられないはずだ!」

 

 それが当然だと腕を振り、実験体だった人工生命体は激しく問うた。

 身体の中を、黒々としたものがうねっている。

 昂りのような、ざわめきのような、どうしようもないものがロギの肌の下を巡っている。得体の知れない青黒い何かが、血管を蠢いている。その蠢きを感じるたびに、ロギの胸は激しく疼き、目の前の何もかもを壊したくてたまらなくなる。

 そう。

 あの復讐者の残留思念に同調して、伝染し、深く根付いてしまったものが巣食っているのだ。今もまだ。

 衝動というには、壊滅的過ぎた。

 欲望というには、破綻的過ぎた。

 こんな感情、人工生命体でなくても持て余す。

 

「オレは確かにいい加減かもしれない。明確にこれが正義だってピンとくるものはない。でも、何が悪いのかくらいは、わかっているつもりだ」

 

 この激情の前には、何者にも抗することなどできまいと思われ―――しかし、南宮クロウは微塵も臆さず、はっきりと言う。

 

「オレは、誰かを恨むよりも、誰かに憧れた。オレもいつか、オレを救ってくれたご主人のように誰かを救えるようになりたいと思った」

 

 普段のほほんとしてばかりいる瞳が、この時ばかりは鋭い光を湛えていた。鋭いのに、こちらを貫くのではなく、包み込むような光だった。

 そうだ。こんな瞳ができるから、苛立ってしまう。

 殺神兵器と呼ばれていながらも、まるで地に足をつけた―――()()()()()()()()()()()()

 

「だけど、オレだけじゃ、ご主人のようにうまくやれない。まだまだ未熟なのだ。昔のオレのような奴らを、今度は助ける側になるために、オレひとりじゃ足りないものが多すぎる」

 

 真っ直ぐに自分たちを見つめながら、言葉を続けていく。

 

「この世界は優しくないし、残酷な事ばかりだけどな。だからこそ、オレは周りに優しくありたいと思ってる。……できれば、()()()()()()()()()()()

 

 昔の自分達のような者たちを、自分達が今度は救う。

 独り生き残った自分だけでなく、もっと大勢の仲間が処分されてしまう前に、救い出せるかもしれない。

 そんな望みを乗せた言葉が、自分達に送られている。

 

「……っ」

 

 やっと南宮クロウの言う意味を理解できたように、ロギは一歩引いた。口が震え、声を発することもできない。

 何も言えなくなるロギに変わって、ラーンが普段は表情筋が活動しない瞼を二度、三度と瞬きし、乾いた声でこう尋ねたのだ。

 

「……まさか、私達を仲間に勧誘しているの?」

 

「おう。そうだ」

 

「本気で―――言っているの」

 

 カーリもまた確認する。

 

「『魔族特区』を破壊させる復讐なんて正義に共感してやれないけどな。だけど、お前達の憧れた原点は、オレと同じようにお前達を救ってくれた誰かなんじゃないのか。だったらオレ達には共有できるものがある」

 

 そんな、とんでもない綺麗事を返される。

 瞼を閉じて、あの時自分が視た輝きを思い返しながら。

 

「「「………」」」

 

 少しの間。

 沈黙した三人は、何とも言えない表情になって、そして、揃って誰かの言葉を思い出した。

 

 

『私達の誰もが運命に悲観するしかなかった『焔光の宴』で、私達のコウハイ、『十三番目の月(アンディシンバー)』はどうしようもないぐらい、真っ直ぐだったわ』

 

 

 『原初(ルート)』に立ち向かったあの一戦を見て、ディセンバーが感じ取ったこの『混血』の少年の本質を、今彼らは味わっていた。

 しみじみと、何かが胸に染み渡っていった。

 

「オレは、お前らにも、それから、『アベルの巫女(あいつ)』にも勝った。勝ったからこそ、オレはこの意地を貫き通す。復讐がダメだというのなら、ちゃんとそれを証明できなきゃダメだろ?

 お前らみたいな被害者を助け出す。『アベルの巫女(あいつ)』みたいな復讐者は作り出さない。

 だから、まずはお前達を引き入れることにした」

 

 そんな単純にして明快な道理を、平然と突き付けてくる。

 清々しく、勝者の特権と責務を受け入れて、ただ胸を張る。

 なんて、傲慢。

 なんて、強欲。

 それを下手に包み隠そうなんてせず貫いてくるのだから、なおさら傲慢も強欲も引き立つというもの。

 

「よし、というわけで、ビシバシ働こう!」

 

「ま、待て! 僕達はお前の仲間になると決めたわけじゃ……! だいたい、この店で働く理由は?」

 

「そりゃあ、お前、今日のご飯のためだろ。まずは自分が生き抜くこと。ここで働いて、自分の食い扶持くらいのお金を稼がないと暮らしていけないぞ、ロギ」

 

「資金なら、先生の資産が……」

 

「バカだなぁ。お前達の先生の財産は全部差し押さえられたに決まってるだろ」

 

 至極もっともなご指摘だが、コイツにバカだと言われるのはカチンとくる。

 

「ま、とりあえず、仲間になるだのは保留でいいけど、ここではオレがバイトリーダーだからペーペーの新人のお前達はちゃんと従うんだぞ」

 

 ぬけぬけと、そんなことを言ってのける。

 つくづく一筋縄でいかない相手だと思う。

 頬が、熱く火照る。少しムカついた。だけど、ずっと意地になって向けていた対抗心からなる苛立ちとは違う感覚でもあった。

 

「当面の目標は組織として最低限の活動資金を稼ぐこと! 頑張って、カルアナのお店を繁盛させるぞ。目指すは、決戦の日バレンタインデーで、売上地区最強なのだ!」

 

「うん、それはいいわ。それぐらいのやる気はバイトとして当然なのだけど……想像以上に面倒なことを始めそうね。頼むからわたくしの店を拠点だとかにしないでよ?」

 

 まずはお手本を見せるぞ! 先輩の勇姿をとくと目に刻むと良いのだ! と気合いバッチリな――若干空回り感のある――看板息子が、ちょうど来店した客への対応へ向かう。

 

「我が名は、九郎義経! 紅魔館随一の看板息子にして、世界最強の獣祖なるもの!」

 

 女主人はもう早速、色々と諦めたような遠い目をして、それから一体験者として、どう反応したらいいのか困っている新人(アイツの被害者)に、心底からの同情を篭めて語る。

 

「はぁ、あなた達、諦めなさい。……アイツに捕まったらもう悪いことはできないわよ」

 

 

 

つづく

 

 

 

人工島西地区 高級マンション

 

 

 不在にした間の特区警備隊の締め直し。

 消息不明となった人工島管理公社の統括理事長・矢瀬顕重の後任となった教え子の矢瀬基樹の着任。

 先生から預かった子供たちの引き取り手続き。

 と国家降魔官としてやることが多く、今日は家で少々やることがあるので、一部の仕事を持ち帰って家ですることにしたが、最も大きな厄介事は、“対聖殲の力”を完了させた馬鹿犬(サーヴァント)を巡って、各勢力がどのような対応を取ってくるのか。

 夜の帝国(ドミニオン)の連中もそうだが、国防機関の動向にも気を払う必要がある。

 油断ならない状況が続く。しばらくは馬鹿犬を大人しくさせておいた方がいいだろう。

 

「流石に昨日の今日で動いてくるとは思えないがな」

 

 全く面倒なのを使い魔にしてしまった、と深いため息が、液面を揺らす。

 とその時だった。

 

「はい。お客様でした」

 

 来客のチャイム。夏音が応対する。

 馬鹿犬が帰ってきた、のではない。そうだったら、チャイムは鳴らさない。

 このマンションは南宮那月の所有物で、最上階は全て住居区画としている。当然、勧誘は一切お断り。そして、迂闊に魔女の住処に踏み入るのなら、それ相応の報いを受けるだろう。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「あの! 家庭教師のお姉さんを雇いませんか?」

 

 

 とお手製のチラシを夏音に手渡すのは、関西の名門女子校の制服を着た、優等生っぽい雰囲気の女子高生。

 身長は160cmにわずかに満たない程度。髪型は清楚な印象のミディアムボブ。サイドに流した前髪を、リボン型のヘアピンでまとめている。

 直接会うのは、これが初めてとなるが、この娘、羽波唯里は姫柊雪菜と同じ、獅子王機関の剣巫。つまりは、那月の商売敵だ。

 

「教師である私の所へ売り込んでくるとは、いい度胸をしている」

 

 玄関前に設置した魔法陣が発動。

 家庭教師こと剣巫は、マンション一階出入口(エントランス)へ強制退去された。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「調教師よ。ペットの犬から獰猛な魔獣まで、完璧に調教してみせるわ!」

 

 

 でその五分後に、やってきたのは、古風な長い黒髪に、同じく黒いセーラー服を着ている。綺麗な顔立ちの少女であるが、世を拗ねたような目つきのせいで、どことなく近寄りがたい印象を受ける。

 これは初対面でないが、出禁にしたはずの太史局の六刃神官。つまり、この娘、妃崎霧葉も商売敵だ。

 

「結構だ。間に合っている」

 

 玄関前に設置した魔法陣が発動。

 調教師こと六刃神官は、マンション一階出入口へ強制退去された。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「まったく頭が痛いな」

 

 国家降魔官として、商売敵だが、この国の対魔族国防機関(獅子王機関と太史局どちらも)が心配になってきた。攻魔師資格(Cカード)の選定基準をもっと厳格にすべきではないかと進言するべきか。

 鎮静剤としてミルクと砂糖がたっぷりな紅茶を口に含んだところで、またチャイム。三度目だというのに、夏音は律儀に応対に出てしまう。

 

 

「だぁー、おにぃ!」

 

「あ、こら、グレンダ! 勝手に入ったらまずいって!?」

 

 

 とドアが開いてすぐ中に飛び込んできたのは、鋼色の髪の娘。

 年齢のよくわからない少女で、見た目の印象は13、4歳ほど。彫りの深い顔立ちは、それよりも少し大人びて見えるが、人懐こい無邪気な表情はむしろ妙にあどけない。

 そして、小娘に引っ張られるように入ってきたのは、先程出オチした剣巫の相方の舞威媛の斐川志緒。両サイドだけを長めに残したショートヘアの、やや勝気な印象の少女である。

 しかし、魔女の眼光を向けられた舞威媛は慌ててグレンダを抱き上げて、退出した。

 

「やれやれ。どいつもこいつも節操のない連中ばかりだ」

 

 『龍族(ドラゴン)』の娘、グレンダ。

 

 馬鹿犬に関係がありそうだから、面倒ごとはひとまとめにして管理しておきたい那月は、一階下に住まうことを許可はしていた。

 しかし、“オマケ”がついてきて、予想以上に面倒になりそうだ。

 

「千客万来だのう、那月よ」

 

「用がないなら、置物らしく大人しくしていろ、骨董品(アンティーク)。今の私は少々機嫌が悪い」

 

「いや、要件ならあるぞ。北欧アルディギアの第一王女より、クロウの件について話があるとな。汝の『霊血』の材料を工面した貸しがあるだけに無視をすると後々面倒になるぞ」

 

「明日にしろ。今日はこれ以上、馬鹿犬の面倒事に巻き込まれるのは御免蒙る」

 

 言って、那月は戻っていく。

 自室へ、ではなく、厨房へ。そこには、来客の対応で火を止めていた、ぐつぐつとスープが煮立てている、十人分くらいはありそうな特注の大鍋があった。

 

 

「くんくん! 今日のご飯はなんかすっごく良い匂いがするぞ! ―――って、うおっ!?」

 

 

 そして、チャイムを鳴らさずドアが開けられた。

 しかし、玄関に設置された魔法陣が発動。世界中を巻き込む渦中の人物となった少年はマンションの外へと放り出された。

 

 残念ながら、まだ主人の手料理(サプライズ)は完成前であったため。

 


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