ミックス・ブラッド   作:夜草

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黄金の日々Ⅵ

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫

 

 

 ―――ザザザザザザザザザザッッッ!!!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 その瞬間、世界から音が消えた。時間が制止したかのような、一瞬の静寂。

 激しい雑音(ノイズ)とともに、真っ白な静寂は撃ち破られ、次の瞬間、<女教皇>に九発の弾丸が撃ち込まれていた。

 

 ―――絶対先制攻撃の権利。

 

 過程は省略され、結果のみが突き付けられる、獅子王機関『三聖』――<静寂破り(ペーパーノイズ)>の業。

 全身穴だらけとなった<女教皇>は呆けたように固まり、その一瞬に一陣の突風が舞い込む。

 それは復讐の業火を払って、眷獣を灼かれて護りを失った人工生命体の少女を包み込んだ。

 

「『聖殲』を払った……だと!?」

 

 『聖殲』の<発火能力>を吹き飛ばすことなど、数限られる。

 同じ世界を上書きする『聖殲』を除けば、『メトセラの末裔』の世界を縫い止める槍と、『咎神(やつら)』の末裔が有した<過適応能力(ハイパーアダプター)>―――

 魔術による干渉ではないために、如何なる結界でも防げない念動力。風を操ることで直接触れることがなく、炎の影響を受けない。

 それでその力は、<女教皇>がつい先ほど見たモノと同種。

 

「生きていたのか、<禁忌四字(やぜ)>ッ……!」

 

 怨敵を察知した復讐者の少女は全身から深紅の火の粉を舞い散らす。アスタルテの<薔薇の指先>を焼き尽くしたのとは比較にならないほど大規模に、爆発を起こすかのように瞬く間に拡大させる。

 

「うおっ!? おっかねぇ!?」

 

 炎の嵐による視界全土制圧攻撃が吹き荒れた。しかし()の内に捉えた獲物は霧散、手応えが消えた。

 

 

 空気を固めて、疑似肉体から血管神経系まで創り出した分身体、<重気流躰(エアロダイン)>。

 超感覚を実体にして飛ばす、矢瀬基樹の<音響過適応>の応用技だ。

 生身ではない。傷つけば精神的なダメージを負うが矢瀬自身の肉体は無事。それに、炎に呑まれる寸前で、分身体を解けば反動は最小限に抑えられる。

 

「それでも死ぬほどキツいけどな……っ」

 

 増強薬(ブースター)に頼らなければ、ここまでの出力は出せない。反動がかかるので可能な限り頼りたくはない奥の手。

 だが、この裏方回りの人材にその奥の手を出させなければならない無茶ぶりが、この『魔族特区』では頻発していた。

 

「っつても、これは今までの中でもとびっきりだ……! 手加減なしかよこん畜生!」

 

 今度は自分自身に(おと)を巻いて飛ぶ。

 ゴンッ!! と。

 空間を直接叩くような振動が炸裂した。

 人よりも遥かに過敏な受信機(みみ)がなければ察知するのが遅れただろう。人工島の鋼鉄の大地を、真下から引き裂くようにして、何か巨大な漆黒の触手が飛び出していた。

 戦線離脱を図る矢瀬を視界の端に捉えながらも、閑古詠は一瞬にしてその正体を看破した。

 

「『霊血』、ですか」

 

 <女教皇>が取り込んだ人工生命体に備え付けられた<水銀細工(アマルガム)>。

 触覚ともなり得るそれを薄く薄く延ばして、蜘蛛の巣の如く、絃神島に張り巡らせていたようだが、事態は『三聖』の見通しよりも深刻だった。

 

『逃さぬ! 欲深き末裔たちに呪いあれ!』

 

 糸電話のように『霊血』の糸に伝わる呪詛が反響する。

 狙われているのは、<禁忌四字(やぜ)>の血族だけではない。隠行の術を張っていた閑古詠は呪的身体強化(エンチャント)を施しながら跳んだ。

 相手はこの『魔族特区』を“己”で満たそうとしている。気配を断っていようが、存在している異物である以上は誤魔化し切れるものではない。

 ドンッ!! ゴン!! と立て続けに地中から鋭い槍のような黒の糸束が飛び出してくる。それは一瞬で、隙間なく、巫女の霊視には逃げ道など見えようのない制圧攻撃。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――絶対先制権を行使。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 静寂と共に存在しないはずの時間が挟み込まれて、まるでページを破り捨てた本のように、“攻撃を回避した”という結果だけが突然現れる。

 攻撃を未来視で予期し、必ず先手を打つ<静寂破り>で回避に徹すれば、それは『真祖』ですら容易に掴ませない。

 これが、獅子王機関『三聖』筆頭の実力。

 ついでとばかりに、息切れ気味の矢瀬基樹を回収した閑古詠は、依然と静かな面持ちのまま目を細める。

 

 地中からの、膨大な液体金属の糸を使った攻撃。

 それから推測されるのは、どうやら<女教皇>はこの場一帯を占領下に敷いているということ。

 やっていることは、<冥き神王(ザザラマギウ)>や『龍脈喰い』と同じだ。

 触覚である液体金属が、鋼鉄の大地を侵食している。それはこの人工の霊地に集う地脈や龍脈にも()を伸ばしているのだ。

 <女教皇>は、魔獣の腸の中にある『棺桶』だけではない、この『祭壇』すら手に入れようとしている。

 

「あまり悠長にしてはいられませんね」

 

 しかし、襲い掛かる火焔や鋼糸を掻い潜りながら攻撃するのは難しく、またできたとしても<女教皇>に通じる有効手段は手元にない。

 あれが“器”としている人工生命体は、<賢者の霊血>と同じ類。もろに喰らった弾丸でさえも食らう悪食。

 元より“器”を(なく)せば混乱も治まるなどとは思っていなかったが、それでも些か楽観視であったようだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一方で、『咎神』の末裔(むこう)に集中砲火しているおかげで、こちらは会話の出来るくらいの余裕は保たれていた。

 

「あな、たは……」

 

「大丈夫かい?」

 

 人工生命体の少女を抱いている舞台の花形として映えそうな見目整った麗人は、仙都木優麻。

 矢瀬が炎を吹き払った一瞬で、空間制御でアスタルテの身柄をあの死地から回収していた。

 

確認(チェック)。身体各部位に支障はありません」

 

「どうやら無事なようだねアスタルテさん。彼らも……うん、自力で潜り抜けられているみたいだ」

 

 あれから顔を合わせることはなかったけれども、一時期、<奈落の薔薇(タルタロス・ラプス)>に対抗するために結成したグループメンバーのひとりである。

 

「僕が南宮那月に“協力”するのは難しいところがあってね。それでも、僕は、『彼が謂れのない誹りを受けるようであれば、弁護する』――そう誓っている」

 

 『<監獄結界>から母親を解放する』という契約を結んでいる<蒼の魔女>が、今、<監獄結界>が現出してしまっている原因――<空隙の魔女>が管理権を手放し、その管理権を<黒妖犬>が預かっているせいであるのだから、それが元通りになることを望むのは契約違反に抵触するやもしれず、何かきっかけがあれば裏切りかねない。『波朧院フェスタ』で、母の仙都木阿夜に介入されて、南宮那月の背中を刺してしまったように。もしも弱っているところを見れば、また繰り返してしまうかもしれない。

 よって、自身が爆弾であることを自覚する優麻は、主従を直接支援するのは危ういと判断し、距離を置くことを選択した。同じチームを組んでいた矢瀬基樹らと行動することにしたのだ。彼らも今の絃神島の状況を打開するために水面下で動いている。それが結実することは、矢瀬顕重が支配する真なる『咎神派』から<黒妖犬>を解放することに繋がる。

 アスタルテの先輩が、<心なき怪物>と呼ばれていることを見過ごしていたわけではない。

 

「それで、浅葱さんのいる『棺桶』というのを回収したいところなんだけど、何か情報はないかい?」

 

「報告。現在、藍羽浅葱のいる<咎神の棺桶>を呑み込んでいる<蛇の仔>の体内は、教官(マスター)により異空間化しております」

 

「なるほど、ね。―――それは()()()だ」

 

 簡単に取り出せるものではない。

 物理的にも、魔術的にも隔離されている。魂でさえ囚われる体内、『蛇』の因子のある<蛇の仔>を<女教皇>は掌握したようだ。それで時間の問題だろうが、しかしまだ『棺桶』にまで届いていない。

 恨みし一族の者を襲いながら、『アベルの巫女』はあの場から動けないでいるのは、支配率が完全ではないからだ。

 

 だけど、僕なら―――あそこを閉ざすものが<空隙の魔女>の異空間であるのなら、届くかもしれない!

 

 <蒼の魔女>の空間制御能力は、“<監獄結界>を破る”為に与えられたものだ。<空隙の魔女>が創った異空間に介入することにおいて、自らの<守護者>はこの上なく力を発揮してくれる。

 <女教皇>の侵食を拒む先へ繋げる―――仙都木優麻にしかできない“裏技”である。

 

「―――“蒼”の名において命じる! 切り開け、<(ル・ブルー)>!」

 

 朝焼けの蒼穹(そら)の如き青色の甲冑に身を包んだ騎士が、優麻の背後から現れた。

 青騎士は長剣を掲げて、己が破るべき空間へと狙い定める。

 忌々しい末裔共(矢瀬と古詠)に<女教皇>が気取られている内に、<咎神の棺桶>と<カインの巫女>藍羽浅葱を救出。本来の担い手が復活しその権限を行使すれば、『アベルの巫女』が振るう『聖殲』の力を制限、あるいは強制遮断(シャットダウン)もできるはずだ。

 

 

「いいや、<女教皇>の邪魔はさせない。―――<冥餓狼>!」

 

 

道中

 

 

    《ご主人を、みんなを助けてくれるのなら、その借りでオレの身体を貸す》

 

 あの時、裡にあった“私”は、この肉体の持ち主とそういう貸し借り(けいやく)の元で、表に出た。

 普通なら、自分でない意志に、この世に未練のある亡霊に、身体の支配権を奪われるなど拒絶する。

 しかし、彼と近しい少女(あかつきなぎさ)との親交の影響からか、そういうものがなく受け入れた。

 

    《だけど、お前が本当にしたいのは、監視役としてその槍でアイツを討つことなのか?》

 

 ・

 ・

 ・

 

 やはり、この子の肉体は便利だが、扱いにくい。

 力を存分に使えるが、超常の力を100%存分に振り回せてしまえる力は気を抜けば周囲に被害をもたらす。彼自身の肉体の馬力も含めて出力がピーキー過ぎるのだ。

 しかし、それは彼が“器”としてはこの上なく優秀である証。

 以前、『神縄湖』で借りた時もそうだが、<模造天使>で被昇天された自身を受け止める素質には驚くと同時に哀しくなる。

 土台作りとして、一体どれだけその全身が一新されるほどに骨肉を粉砕されてきたのだろうか。

 きっとそれは普通の人間では耐えられないからこそ、魔族との掛け合わせた『混血』として設計されたのだろう。ある種の奇跡のような、または規格外(イレギュラー)の存在。

 それに頼ってしまう身勝手な己が、その非運を嘆く資格などありはしないのだけれども。

 

 時間はかけられない。

 彼までも<雪霞狼>の進化に巻き込んでしまうわけにはいかない。

 故に、最速最短で、あの人を追う―――

 

「『っ!』」

 

 降り注ぐ常夏の陽射しの下、漆黒の霧が漂い始めたのを、霊視が捉えた。

 霧は構わず濃さを増し、人の形へと変わる。その手に、漆黒の刃を携えて。

 

「屠れ、<高慢者(スペルビア)>―――!」

 

 濃密な魔力によって実体化したその刃は、眷獣――自らの意思によって敵を切り裂く、『意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)』。

 

「判断が遅い。天上に至ったその身を傷つける術がないと奢ったか。それともこちらを侮ったか。いずれにしてもそれは高慢だぞ、人間」

 

 藤阪冬佳(クロウ)が展開する『余剰次元薄膜(DEM)』に、刃で断ち切ったような空間の裂け目が生じる。次元を超えてくる異空間からの斬撃。漆黒の刃が、南宮クロウの肉体を切り刻む。

 

「『く……はっ……! ―――<雪霞狼>!』」

「ふっ」

 

 鮮血を吐き出しながらも、銀色の槍を一閃させる。

 しかし純白の輝きを纏った刃の間合いに、襲撃者の姿はない。空間跳躍(テレポート)。こちらを攻撃した空間を切り裂く眷獣で、離脱していた。

 初撃を決め、欲を出して追撃する真似はせず、距離を取る。無理をして短期決着を決める必要がない向こうは確実に仕留めに来ていた。

 

 時間がないというのに……!

 歯噛みしても堪えようのない焦りを顔に出しながらも、冬佳は足を止めざるを得なかった。人間の頃とは次元の違う超常の存在となっても、無視できない。彼また同じ、人に畏怖される天災であるからに。

 

 浅黒い肌を持つ長身の男。顔立ちは若く端正であるが、全身に纏う静かな威厳が底知れぬ威圧感を醸し出している。

 間違いなく、年を経た『旧き世代』の吸血鬼、それも名実ともに限りなく『真祖』に近い存在。

 

「どうやら急いているようだが、生憎とこちらには関係ない。我が真祖<忘却の戦王(ロストウォーロード)>が下した命は、<心なき怪物>の抹殺」

 

 黒刃の眷獣を従えるのは、ヴェレシュ=アラダール。

 第一真祖の懐刀にして、『戦王領域』帝国会議議長―――事実上、『戦王領域』において真祖に次ぐ第二位の実力者と目される伝説的な吸血鬼からの、死の宣告。粗野で暴力的な印象はなく、むしろ穏やかで理知的な物腰をしているが、だからこそ空恐ろしさを覚える。油断なく敵を見据えるこの相手に、戦闘狂(ヴァトラー)にはあった隙が見当たらない。

 

「暗殺を任せていた<蛇遣い(ヴァトラー)>が失敗した以上は、俺が出るしかあるまい。そして、今の貴様が何者であろうとも、こなすべき任務に変更はない」

 

 対峙する<黒妖犬(クロウ)>ではないと知りながらも、そんな事情は考慮に値しない。

 黒髪の吸血鬼が纏う鬼気が、急激に勢いを増していく。それは物理的な圧力となって、周囲の大気を震動させた。魔力耐性の弱い人間なら、この場にいるだけで卒倒したことだろう。それほどまでに桁外れの魔力量だ。

 その凄まじい鬼気に対抗すべく、冬佳は背より展開する翼を拡張させて魔族の天敵である<模造天使>の神気を解放。敵を見据えるその眼差しに、慈悲は消えた。

 

「『そこをどきなさい! さもなくば、貴方を討ち滅ぼします!』」

 

「それでいい。無抵抗の相手を始末するのは趣味ではない」

 

 核心から離れた盤外にて、破魔の槍と暗闇の剣が衝突する。

 

 

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫

 

 

 伝承というのは、絵空事のように見えて、当時の歴史を反映していたりする。

 たとえば、英雄が竜を退治した伝説の裏側には、治水事業によって川の氾濫を防いだ王様がいたという史実が隠されている。

 聖剣を手に入れた伝説は、製鉄技術の普及の暗喩であったりもする。

 

 であるなら、『聖殲』の―――『咎神(カイン)』の暗喩とは何か?

 その答えは、“人類による魔族の大虐殺”である。

 『天部』――または、古代超人類――あるいは、神と称された者たち。それは魔族のかつての有様だった。

 戦争に勝った陣営が、負けて征服された国の神々を悪魔だ、怪物だと呼んで貶めることは、世界各地で行われてきた支配者側の常套手段である。

 そして、『咎神』カインもまた同じ。

 かつて神であったが天部より追放されたカインは、下界で人類と出会い、彼らを手懐けた。

 人々の崇拝を集めることで、本物の神となり、異境の支配者となったカインは何を想ったか。

 それは、元の世界への帰還―――そして、自分を追放した神々への復讐。

 しかし、カインだけでは神々には勝てない。人類も神々に比してあまりにも非力。

 だから、カインは与えたのだ。人類に、神々と戦争するための知識と道具を。

 ひとつは魔術。

 もうひとつは、『聖殲』の魔具。

 だが、兵隊の数を揃えても、神々の力は圧倒的に強大。まともに戦えば勝ち目はない。

 だから、カインは考えた。

 人類に神々は殺せないのが世界の理ならば、その理を変えてしまおうと。

 

 それが、世界を変容させる究極の禁呪が生み出された背景であり、魔族へと変質された神々は、人類によって大虐殺を受けた。

 だから、カインは、原初の罪人であり魔族の祖なのだ。

 そして、人類は侵略者だった。

 

 だからこそ、“少女”は憎む。

 今もなお魔族を殲滅してその領土・資源を侵略せんとする欲深き簒奪者たちを許しはしない。

 

 

 過去に一度、『聖殲』に巻き込まれて命を落とした“少女”。

 それ故に彼女は、世界の変容に対して強い抵抗力を持っていた。伝染病に対する、免疫のようなものだ。

 だから、正当な『カインの巫女』ではないにもかかわらず、『聖殲』を制御することができる。

 しかしながら、彼女は、戦う者ではない。

 魔術の理を真に理解している専門家などではなく、ただ例外的に禁呪の一端を振るう資格を得ただけの――それでも物質を塩の柱に変え、世界最強の吸血鬼の眷獣を無力化してしまえる――言ってしまえば、“素人”だ。

 

 『三聖』閑古詠が、<女教皇>の攻撃を一度も当たらずに対処できているのはそれが理由。

 攻め手はないにしても、余裕はあった。

 

 ―――その膠着状態に陥った戦局を、ひとりの介入で覆される。

 ただ復讐に力を解き放っているだけの<女教皇>に、効率よく障害を排除する助言役(ブレーン)がつくのは戦況を傾けさせるだけのものがあった。

 

 突如、この倉庫街へ現れた黒衣の青年は、<女教皇>へ両手を広げながら歩み寄る。

 しつこく追い回していた閑古詠への攻撃の手を止めて、黒髪の少女は見やる。乱入者――<女教皇>の“情報”を入力した『仮面』を装着している絃神冥駕を。

 

 

「私は、“あなた”だ、<女教皇>」

 

 

 従え、などと命じない。逆に遜るわけでもない。

 能面のようにほとんど表情を変えない冥駕の瞳に浮かぶ強い感情の色。それは長い時間をかけて純化した、煮え滾るような憤怒と憎悪の色。

 それが、我々は対等な同士であると同調する。この世界の絶滅を願う復讐者なのだと強調する。その呪いに賛同する世界で唯一人の理解者なのだと主張する。

 <女教皇>は、残留思念。死体に染み付かせた復讐者の念。

 そして、絃神冥駕も裏切った世界に対する復讐者の死体である。

 相似する境遇、存在、そして、絶望。

 やがて、同じ陣営として与するに値する者だと認められたか。

 “彼女”の一刺しで壊れかけていた絃神冥駕の肉体が修復される。復元された左手で冥駕は、異形の槍、『零式突撃降魔双槍』を握り直すと、閑古詠らの方へと振り返る。『アベルの巫女』と同じ、狂気の微笑を『仮面』の下に宿らせて。

 

「何故、そこまで……絃神冥駕、何があなたをそこまで駆り立てるのですか?」

 

 閑古詠が、気弱にすら思える丁寧な口調で問うた。

 <監獄結界>からの脱獄囚である絃神冥駕を匿っていたのは、この人工島管理公社の出資者である『マグナ(M)アタラクシア(A)リサーチ(R)社』だというのは調べがついている。

 祖父・絃神千羅が遺した計画の全貌を対価に、特区警備隊や攻魔局もおいそれとは手が出せない世界的大企業の庇護下に入った。

 

 それでも獅子王機関が、閑古詠がこれを黙認していたのは、『咎神』の存在が『夜の帝国(ドミニオン)』に対する抑止力になると判断したからだ。

 なのに、『魔族特区』破壊集団<奈落の薔薇(タルタロス・ラプス)>を利用したテロ行為で混乱に陥れ、さらには無意味に『聖殲』を実行しようとしている。

 

「知れたこと」

 

 無造作に構えた槍が、ヒュン、と風を裂くような異音を放つ。

 

「先代の閑古詠――あなたの母親が藤阪冬佳を見殺しにしたことを、私は決して忘れはしない」

 

 冥駕が口にしたその名前に、古詠ははっきりと動揺した。大きく見開いた瞳を揺らし、怯えた子供のように唇を震わせる。

 

「緋稲さん!」

 

 矢瀬がそれを支えるが、己が無知を晒した古詠の無様を嘲笑うように、ハ、と冥駕は笑った。

 

「その少年は、随分とあなたに懐いているようだ。彼を殺せば、私のことが少しは理解できるようになるかもしれませんね」

 

「絃神冥駕、あなたは―――!」

 

 完全に立ち直り切れていないまま、閑古詠は叫ぶ。

 世界を突然の静寂が包み、轟音がそれを打ち破る。連続した時間の流れの中に、異質な瞬間が無理やり挟み込まれたような違和感。存在しないはずの時間からの絶対先制権―――<静寂破り>と呼ばれた絶技。

 

 “手にした軍用のオートマチック拳銃に新たな弾倉を挿入し、全弾撃ち尽す”という結果だけを突き付ける。

 存在しないはずの時間から撃ち込んだ弾丸は、目の前の復讐者の命を奪う―――

 

 

「<第四真祖>との戦闘であなたは<静寂破り>の弱点を露呈させた」

 

 

 冥駕に弾丸が着弾―――せず。

 焔の如き深紅の障壁が、攻撃の一切を融かし尽した。

 『聖殲』の力が込められた炎の障壁(ファイアウォール)は、如何なる攻撃を通さない。

 しかし、そんな防御が間に合うような<静寂破り>ではない。

 <静寂破り>が、発動できなかった。

 

「『七式突撃降魔機槍(とうかのやり)』に打ち消されたあなたの絶対先制攻撃の権利は、同じく魔力を無効化することのできる『零式突撃降魔双槍(わたしのやり)』の前に喪失されるのだと―――」

 

 封じるべくは、霊力ではなく、魔力。『閑古詠』の<静寂破り>は魔力で駆動する能力。

 『零式突撃降魔双槍』は、『異境(ノド)』の侵食を操る武神具である。振り翳した漆黒の槍より拡がる、世界そのものを侵食する闇の波動(オーロラ)

 絃神冥駕の黒槍<冥餓狼>を基点に敷かれた魔力絶縁区域(フィールド)によって、絶対先制権を剥奪する。

 

「そのようなことに気付かないとは、余程動揺したようですね」

 

 そして、黒槍の効果範囲は拡張されて、異空間をこじ開けようとしていた仙都木優麻の<守護者>――<蒼>の現界すら禁止し、端から紐を解くように青騎士を霧散させてしまう。<蒼の魔女>の空間跳躍による緊急回避もこれで頼れなくなった。

 

「さようなら、呪われた一族の娘。私から、唯一の温もりを奪った報い……思い知れ」

 

 世界を真紅に塗り潰す復讐の業火が、過去の因縁を呑み込んだ。

 

 

道中

 

 

 神魔の戦い―――それはまさにそう喩えるに相応しい闘争だった。

 

「<高慢者>―――!」

 

 黒髪の吸血鬼が、無造作に漆黒の一太刀を袈裟懸けに切る。

 その所作一つで大気に亀裂が入り、眼下の建造物が引き裂かれた。

 人体に向かって放つには、明らかに行き過ぎた暴力。その百分の一ですら人体を粉微塵にするだろう。

 

 絶望を称するような闇色の斬撃を受けるのは、芒と蒼い光をその目から放つ少年。穂先より複数の魔法陣を拡張させる霊槍だ。

 少年――その“器”に取り憑く剣巫は退く構えを取らない。背中より展開される神気の翼を広げて滞空し、その斬撃に呼吸を短く合わせて迎え撃つ。

 

「『ふっ―――!』」

 

 剣巫(とうか)は銀槍を緩く握り、その切先で僅かに触れる。そして銀槍を巧みに操り、大気に亀裂を生みながら奔る斬撃を銀槍の柄に滑らせ―――高慢の一撃を、その槍技でもって、傷ひとつなくすり抜けた。

 

「我が剣撃をこうも捌くとは……!」

 

 大きく目を見開いてみせるアラダール。

 未来視からの超反応で後の先を制する剣巫の動きに一切の乱れなく、間断なく次の動作へ移る。逃げる隙を与えない。呼吸と鼓動を重ね、身体の稼働領域を最大に生かすために背を僅かに沿わす。その姿はさながら、この一身を剣とするかのよう。

 少年(かのじょ)の構えからそれが投擲、繰り出される威力の凄まじさまで見取った吸血鬼だが、動揺はなく。

 

「『<雪霞狼>―――!』」

 

 虚空を裂いて突き放たれた銀槍の柄から更に枝分かれするように、蒼白い『霊弓術』が解き放たれ、数多の軌道を描いて吸血鬼に集中砲火した。四方八方、縦横無尽に駆け巡る稲妻の散弾。

 百戦錬磨の剣巫の槍技と<模造天使>の神気が織り成す必殺を前に―――吸血鬼もまた四方八方、縦横無尽に駆け巡る、膨大な数の短剣を召喚した。

 

「舞え、<暴食者(グーラ)>」

 

 銀色の長槍から派生した霊弓ひとつとっても、『戦王領域』の隣国、北欧アルディギアの<疑似聖剣>にも勝る光輝。

 だが、視界を埋め尽くす短剣の闇色はそれと相殺するだけの質と量だった。

 その全てを防ぐことは無理だったにせよ、渦巻く魔力が漆黒の鎧を形作る。無数の鋭利な刃物によって構成された、巨大な全身鎧(フルプレートアーマー)で、光輝く散弾を防ぎ、そして、紳士から悪鬼へと様変わりした武闘派の貴族は神気に身体を焼かれながらも、空間を裂く弐の太刀を見舞う。

 

「『っぅ―――!?』」

 

 投擲に武器を手放したその瞬間。肉を切らせて骨を断つかのような強引な戦法で、黒刃を振り切る。

 

 ―――『天使』の片翼が、切り裂かれた。

 

 バランスを崩した、剣巫が失墜する。

 その隙を逃す吸血鬼ではない。

 石突に結び付けた霊糸を手繰り寄せて破魔の銀槍を引き戻そうとしているが、間に合わない。

 

「事を急いて、勝機を逃したな。―――これで止めだ。屠れ、<高慢者>!」

 

 現世から隔絶された神域を断絶する一刀が、振り下ろされる―――!

 

 

「みみみみみーーーーっ!!」

 

 

 瞬間、冬佳――少年(クロウ)の身体を基点として出現したそれは、防御不能の異空間からの斬撃を跳ね除けた。

 吸血鬼の魔剣を防ぐのは、爪も牙もなき獣の龍。

 煌びやかな金髪の頭部、白く流れるような体毛。先端に蒼い美しいグラデーションを魅せる二対の翼。龍族でありながら哺乳類のように柔らかな身体を持つファードラゴン。<守護獣(フラミー)>―――

 

 南宮クロウの<守護者>が、藤阪冬佳を守った。

 

 

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫 離れ

 

 

「     ッ!?      ッ!」

 

 ダメだ……何も、聴こえない。

 

 矢瀬基樹は、道路の上で大の字になって倒れていた。

 

「   ッ!    ッ!」

 

 まったく。

 彼女に降りかかった“火の粉”を振り払うに支払った代償は中々にデカかった。

 

 力を封じられ、他に対抗手段がなく、難を逃れるには自分が死ぬ気を振り絞るしかない、と。

 どうにかこうにか第二波が来る前に超特急で(おと)に乗って、絃神冥駕(ヤツ)の能力圏外まで戦線離脱することができたが、そこでガス欠だ。

 格好悪いところを晒すことになったが、火事場の馬鹿力を無理やり引き出すなんて無茶をしたのだから仕方がない。

 

 30分と間を置かず、二度目の過剰摂取。

 それもこの前、クロ坊に渡した廃人仕様な増強剤(ブースター)である。

 <女教皇>の『聖殲』仕込みの<発火能力>を、その最大瞬間風速は振り切ってくれたが、その反動に矢瀬基樹の両耳からは血が噴き出しており、立ち上がることすらできないほど三半規管が狂ってる。聴覚などまともに働くわけがなく、先程から何を言われているのか口パクでもされているようにチンプンカンプンだ。こんな無音(しじま)は、ひょっとすると生まれて初めてかもしれない。

 はたして世界に音が戻ってくるのはいつ頃になることやら。

 

 それで、頭がぐらぐらとしているが、それ以上に取り乱している少女がいる。

 

 先輩……。

 

 さっきから傍らで必死にこちらに呼び掛けていた。肩が震えている。耳が正常なら声も震えていたかもしれない。そして、慌ただしく飛び去ったせいで眼鏡を落としてしまったその素顔は……どうにも……泣いているようだった。

 

「  ……!      っ!」

 

 安否を確認してくれているのか、それともこんな無茶したことを(しか)っているのか。判断がつかないのだが、出来れば後者であってほしい。

 それで、どちらであってもこのまま反応を返さないわけにはいくまい。

 あの野郎の“閑古詠”へ向けた言葉がどれくらい深く先輩の胸に刺さったのか察してやることもできやしないけど、こっちが日々悶々と募らせてきた“緋稲さん”へ言いたい言葉は山ほどある。

 

 

 ―――やっと、手を握れたぜ、先輩。

 

 

 言って、自嘲げに微かに口元を歪める。

 ああ、我ながら奥手過ぎて泣けてくる決め台詞である。幼馴染(あさぎ)のことなど笑えやしない。

 付き合いはそこそこ長いのにちっともその手に触れさせてくれないガードのおかたい彼女。そんな先輩との関係は、一歩一歩着実に、ではなく、警戒心が非常に強い野生動物を相手にするようジリジリとにじり寄って行くくらいの、実に遅々としたものだったのだから。距離が縮まっているのか大変分かりにくいのだ。

 

 そして、格好つけてみても、添えるくらいが精一杯。掴めるほどの握力はない。そんな矢瀬の手を、彼女は振り解こうとはしなかった。

 

 先輩には悪いけど、暫くの間、浸らせてほしい。

 こんな有様であるが、矢瀬基樹にもたった一つ噛みしめている実感があるのだ。

 この握った手から伝わる脈動(おと)は、ひとりの男が、大事な女を守れた勲章なんだと誇れるから。

 

 

 それで、ここで、追撃に来られたら非常に困ることになったが、それはないと確信があった。

 

(悪いな、こっちはここでリタイアだ。……けどよ、後は任せてもいいよな―――)

 

 何故なら、その矢瀬にとっては見るまでもない“騒々しい気配”を事前に察知し(きい)ていた。

 

 

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫

 

 

 『聖殲』により、かつて神であった者たちは魔族へと堕落した。

 だが、唯一『聖殲』の影響を受けずに神として生き残ったはずの『咎神』は滅んだ。

 『天部』と呼ばれた超古代人類より、神を殺すために創り出された兵器――世界最強の“人工”の吸血鬼――<第四真祖>が、『咎神』を滅ぼし、『聖殲』を終わらせた。

 

 

「<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>―――ッ!」

 

 

 大地が震え、大海が渦を巻き、大空の暗雲を吹き飛ばす。世界を席巻する高密度の魔力が、眩い雷光が象る巨大な召喚獣を解き放つ。

 少年の猛々しい雄叫びと共に、前肢を振るった雷光の獅子を前にしても、冥駕の余裕は崩れない。『アベルの巫女』が生み出した深紅の障壁が、冥駕を包み、守護する。

 しかし、次の瞬間、冥駕が後方に吹き飛ばされた。『聖殲』に力を削がれたはずだが、眷獣の爆発的な魔力が生み出す、二次的な衝撃波までは消し去ることができなかったのだ。

 <女教皇>が張り巡らせた糸に受け止められたものの、冥駕の額から、どろりとした鮮血が流れ落ちる。

 世界を滅ぼす力を手中に収めているはずなのに、相殺し切れない。ダメージを受けた。

 

 本来の『聖殲』は、世界の理そのものを書き換えるほどの大魔術だが、<女教皇>は所詮『巫女』ではなく、しかも『棺桶』の奪取が上手くいかず大幅な制限を受けている。“全開になっている(フルスロットルの)真祖”の眷獣の力を防ぎ切るには、相当に無理のある条件だったのだ。

 

「お前らの復讐はここで終わらせに来たぜ」

 

 道中で“補充”させてもらい、目に見えるほど魔力を充溢させている『世界最強の吸血鬼』。その傍らには、その左手薬指に銀色に輝く小さな円環(ゆびわ)を嵌めた少女。

 

『それでは、後は任せたでござるよ彼氏殿!』

 

 他に超小型有脚戦車(マイクロロボットタンク)がおり、そちらはここまで運んだ二人を下すと、仙都木優麻とアスタルテを回収しに向かう。

 

「……冬佳ではなく、<第四真祖>ですか」

 

 古城を見た冥駕の声色は、落胆を隠そうともせず。

 目当てではない、眼中になどない、欲するのは彼女のみ。

 

「まあいい。余計な邪魔は事前に除いておきましょう」

 

 黒槍を水平に構える。

 魔力を無効化する『零式突撃降魔双槍』、『異境』の薄膜(オーロラ)を薄く広く引き伸ばしていく波動は、吸血鬼から魔力を奪う。真祖の無限の“負”の魔力を完全に無効化(ゼロ)にするとまではいかないにしても大きな制限(かせ)をかける。たとえ強引に実体化できたとしても眷獣の身体は魔力で構成される、つまりは『異境』の影響下にある以上、熱した鉄板の上にある融けかかった氷も同然。脆い。

 槍を突き刺した影より突き出す闇色の刃、張り巡らせた触覚(いと)をより合わせた無尽の槍、そして、視界内を埋め尽くす深紅の焔―――この三重苦を浴びせれば、いかな不死の真祖と言えども存在を抹消されるだろう。

 

 

 けれど、ここにもうひとり。

 

 

 暁古城に焦点が当てられているが、その視界に映っているはずの姫柊雪菜の存在をどちらも指摘することもない。

 槍がない今、『剣巫』としての役目を果たせない。力になれない。冥駕も戦力外だと見なしていた。

 

「先輩―――」

 

 しかし、古城の手を握り、一歩前へ引くのはその雪菜だった。

 幼少から戦う者として鍛えられたにしてもこの場面に怖れや憤りを感じないはずがなく、しかしそれ以上に奮い立った勇で踏み込む。

 

「ああ、行くぜ姫柊!」

 

 古城が迷いなく踏み出した。この瞬間、古城たちの中で何かがつながったような気がした。見えない糸が二人の神経を結びつけ、触れ合った肌が互いの意思を伝えてくる。

 古城と雪菜が同時に駆け出す。

 

 『零式突撃降魔双槍』は、魔力と霊力、どちらかしか無効化することはできない。

 魔力を無効化している今、霊力を抑えつけられてはいないのだ。

 

 武神具がなくても、剣巫の未来視は万全に発揮できる。

 

 戦闘中に一瞬先の未来を霊視することで、魔族を上回る速度で動く。それが獅子王機関の剣巫が持つ、異様な戦闘力の秘密。

 そんな霊視力などない素人にはわからない理屈だったが、古城は信じた。

 雪菜が視た、最善手を。

 そして、同じ目線に立ってくれる古城が隣にあるから、未来を切り開ける、と雪菜は確信している。

 

「―――<霞>よ!」

 

 二人の姿が朧に霞んで、分裂した。幻術と高速移動を組み合わせた分身。剣巫に、師家・縁堂縁が授けた一手である。

 幻で攪乱しながら、迫りくる攻撃を躱す、避ける、そして、超えてきた。吸血鬼の筋力を限界まで引き出した強引な跳躍。これに呪的身体強化(フィジカルエンチャント)を施して追随する雪菜も跳ぶ。身構えていた冥駕すら、その速度に反応できない。特に最後の一歩は、途中過程が消し飛んだと思えるほどに見えなかった。

 

 そして、息の合った動きで真っ直ぐに腕を突き出した二人の拳が、相手を殴り飛ばす。

 実にシンプルな攻撃。故に防げなかった。魔力を無効化していようが、魔力に頼らない相手には意味がない。

 結果的に、この思いきりは、冥駕の意表を衝く。古城と雪菜の渾身の二打一撃を顔と胸に喰らい、冥駕はもんどりうって吹っ飛んでいく。

 

「まさか、『閑古詠』が至っている境地に姫柊雪菜がここまで近づいていたとは驚きました。ですが、絡繰りさえわかれば、対処は容易い」

 

 既に肉体は死んでいる『僵屍鬼』であり、<女教皇>の支援がある限り、『聖殲』の力で元の状態に復元される。

 そして、冥駕は、黒槍を雪菜へ突き付けた。

 封じるのを、魔力から霊力へ切り替える。その霊視を、闇色の薄膜に閉ざさせる。

 ―――だが、その未来を視た雪菜は先んじて叫んでいた。

 

 

「今です先輩!」

 

 

 『零式突撃降魔双槍』が、封じるのはどちらか片方のみ。

 霊力を封じようとすれば、魔力の禁は破られることになる。

 霊視が暗転していようとも、雪菜の瞳に浮かんでいるのは、絶望ではなく信頼の光。

 

疾く在れ(きやがれ)、<牛頭王(コルタウリ・スキヌム)>―――!」

 

「なにっ!?」

 

 灼熱溶岩の杭が、冥駕の足元の地面を突き破って噴き出した。<第四真祖>の二番目の眷属、溶岩の肉体を持つ牛頭神(ミノタウロス)の攻撃だ。

 そして、数千度に達する溶岩の杭は、単純な物理攻撃。魔力を無効化できる『異境』の薄膜では防げない。故に当然、冥駕は頼るしかない。

 <女教皇>の『聖殲』の力に。

 

「くっ―――<女教皇>!」

 

 紅蓮の業火。『聖殲』の力を纏わせた<発火能力>が、灼熱溶岩の杭を、灰塵へと上書きする(もやす)

 辛うじて古城の攻撃を凌いだ冥駕は後退する。

 

「無駄ですよ。『聖殲』の世界変容の力を前に、貴方達など勝ち目などありはしない!」

 

「そいつはどうかな、絃神冥駕! 疾く在れ、<水精の白鋼(サダルメリク・アルバス)>! <双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>! <夜摩の黒剣(キファ・アーテル)>!」

 

 構わず、怯まず古城は掌握している眷獣を片っ端から召喚していく。

 巨大な蛇の下半身を持つ水の精霊(ウンディーネ)

 緋色の双角獣(バイコーン)

 重力を操る巨大な剣。

 一気に三体の眷獣が、無制限に魔力を解放する。

 

「愚かな……! 力の差がまだわからないとは……!」

 

 <女教皇>が放つ、復讐者の焔に水の精霊も、双角獣も、巨大な剣も焼かれていく。

 けれど、眷獣たちが放った魔力の余波で、倉庫街一帯に破壊の嵐が吹き荒れていた。人口の大地が裂け、倉庫が崩れ、港の地盤が沈んで浸水の被害が発生している。

 深紅の火炎が、この破壊の嵐に不安定に揺らぐ。

 

 接続(アクセス)した龍脈から無制限に魔力が供給されているが、『聖殲』の力を制御するための<咎神の棺桶>への接続(アクセス)は阻まれている。

 物理還元と暴風、重力―――それぞれ属性の異なる魔力を無効化するには凄まじい演算付加に耐えねばならず、『棺桶』の補助のない『アベルの巫女』の演算能力には限界がある。

 つまりは、こちらを攻撃する余裕はない。攻撃は最大の防御に繋がる。

 

(やっぱりだ。絃神冥駕、それからまた現れた『神縄湖』で見たアイツ(アベルのみこ)―――あいつらは『聖殲』を掌握してなんかいない)

 

 ―――『コノシマヲ……タスケテ……コジョウ……』

 

 街頭の広告スクリーンや家庭のテレビ、パソコンやタブレット、スマートフォン――ありとあらゆる画面から、今、彼女の声が流れ出している。

 華やかな衣装と端正な顔立ちはそのままに一切の表情を消した少女の声は、何度もそのSOSを繰り返す。

 壊れた再生装置のように。繰り返し、繰り返し―――囚われた自分自身ではなく、この『魔族特区』のSOSを訴える。

 それを耳にした人々は、誰かの悪戯や放送機材の故障などとは疑わなかった。それまでの“藍羽浅葱”が築き上げたとされる<心ない怪物>の襲撃(テロ)をいち早く察知する予報警報システムとは違うものだが、それでも人々は信じた。

 

 そして、移動中、リディアーヌが操縦する<膝丸弐號>にもこの映像が受信されており、この自らを名指ししたメッセージを受け取った古城はこれこそが浅葱本人からの意思(こえ)だと確信した。

 

(あいつらが操っているのは、『聖殲』の上っ面だけだ。何故なら浅葱が『棺桶』の中身を―――『咎神』の叡智を凍結(プロテクト)し続けていたからだ)

 

 『聖殲』の力は強力だが、本来の威力には程遠い。精々都市ひとつを壊滅させる程度のものだ。世界を滅ぼすには遠く及ばない。

 『聖殲』の能力を引き出せない理由を絃神冥駕は、『アベルの巫女』に『巫女』としての正統性が欠けているせいではないかと推察しているのだろうがそうではない。

 『魔族特区』を護る為に『棺桶』の中に引き籠っている浅葱が、『棺桶』への<女教皇>の侵入を拒んでいるからだ。

 だから、『助けに来い』などとは言わない。『絃神島を助けて』と言った。

 つまりは、そういうことだ

 さすがは絃神島の聖処女(アイドル)である。古城は誇らしく思う。そして、彼女の誇りにかけて、ここで全力を尽くす―――

 

「まだまだいくぜ! 疾く在れ(きやがれ)、<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>! <甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)>! <神羊の金剛(メサルテイム・アダマス)>!」

 

 怒濤の召喚ラッシュ。

 新たな属性の魔力攻撃が、四方から一斉に相手を襲う。<女教皇>にかかる負荷が飛躍的に増大して、紅蓮の火勢が振り回されるように揺らぐ。

 

 そうか、<第四真祖>の眷獣が持つ多様な属性は、『聖殲』に対抗するための力ですか……!

 

 情報過多で削り切れない余波に煽られながら、冥駕は唇を歪めて笑う。

 世界最強の“人造の吸血鬼(まぞく)”――<第四真祖>は、『咎神(カイン)』を倒すための殺神兵器だ。そんな危険な存在に、災厄の如き眷獣が十二体も意味なく与えられるわけがない。

 

 ですが、暁古城は<第四真祖>として不完全。それだけの眷獣の同時使用という多大な負荷に、どこまで精神が耐えられるか?

 それに、“我々”の憎悪はこの程度では止まらない。

 

 

「妾の復讐は誰にも終わらせない……!」

 

 

 傷だらけの復讐者が、怨嗟と呪詛を練り篭めた業火をより一層燃え盛らせる。

 『棺桶』に接続が叶わない『アベルの巫女』に、『聖殲』の本領を発揮することはできない。

 しかし、それだけではない。

 <女教皇>は、取り込んでいる。この『魔族特区』、咎神の末裔たちが犯した罪過の産物を。

 

「っぅ!」

 

 眷獣同時召喚の負荷に歯を食いしばっていた古城が眉間に皴を寄せ、表情を歪ませる。

 

 眷獣達の、像が、ブレた。強力な磁石を近づけられたブラウン管のテレビ画面のように。

 

 実体化の制御が手に余った、わけではないはず。倒すべき敵を知り、迸る覇気と共に噴き上がる魔力は古城に眷獣同時召喚を可能とする程に高まっている。それでも古城は明確に自分の呼吸が崩れていくのを自覚する。

 何だこの嫌悪感は……!?

 眷獣の実体の軋みがますます酷くなる。絃神冥駕が再び『零式突撃降魔双槍』で『異境』を拡げたのか。いや、違う。傍にいる姫柊の霊視力は復帰していない。視線を向けたが首を振られる。では何故?

 

 その答えは、<女教皇>が取り込んだ機械化人工生命体(スワニルダ)に搭載されている“眷獣の実体化を妨害(ジャミング)する電磁波”――これを『聖殲』に染め上げて放っているのだ。

 

「くそっ……!」

 

 ここで崩れかかっている眷獣の実体化を完全に放棄してしまえば、大波乱となる。

 『神縄湖』で、実体化を保てなくなった双角獣から、濃縮された魔力を無制限に解放させたことがあったが、巨大な振動と暴風の塊へと変わった。都市ひとつが収まる範囲で、地表にあった森をごっそりと抉り、山の地形を大きく変えてしまった。

 その時の天災以上の災厄をこの人工島で起こそうものなら、跡形もなく消滅するだろう。しかも複数も一気にそうなれば被害は絃神島だけに収まらず全世界に深刻な影響を与えかねない。

 それを喜ぶのは、復讐者のみだ。

 やむを得ず、古城は<第四真祖>の眷獣を霧散させる。

 

「やはり、我々の脅威足り得るものはこの世に存在しない。たとえ、世界最強の人造の吸血鬼であろうとも―――!」

 

 暴発する眷獣を無事に還そうと幉に意識を集中させた古城は、足元の陰から飛び出す無数の刃に反応し切れなかった。厚みを持たない闇色の刃は、吸血鬼が持つ不死の特性すら塗り潰す『異境』の侵食の具現化。古城の身体は、凍てつく氷の枷を嵌められたように端から徐々に活動停止へと追いやられていく。

 

「そして、無駄です姫柊雪菜。『七式突撃降魔機槍』を持たないあなたに、『異境』は破れない。彼は救えない」

 

「っ……!」

 

 そう、無力。

 先輩を助けるには、この絶望(みらい)を切り開くには、あの槍が必要。雪菜は何も持たぬこの手を、掌に爪を立てるようキツく握り締めた。

 その瞬間、闇が、砕け散った。

 

 

「『―――<雪霞狼>!!!』」

 

 

 中空から降り注いだ閃光は、破魔の銀槍から繰り出された神気の『霊弓術』。高純度の『神格振動波』をはらんだ浄化の矢は、世界を呑む『異境』の闇を薄いガラス板のように粉々に砕けさせ、その輝ける翼の羽ばたきは理を侵す呪詛(かげ)を一掃した。

 

 

道中

 

 

「―――舞え、<暴食者(グーラ)>!」

 

 数千もの魚群の如く、黒髪の吸血鬼の周囲を泳ぐ無数の短剣。それがひとつに収束。

 分裂された眷獣の魔力を一極集中し、焔を撒き散らす巨大な大剣と化した『意思を持つ武器』を撃ち放つ。意思を持つ大剣は、自ら砲弾の如く加速し、飢えたサメのように追尾して強襲する。

 しかし、轟然と大気を焼き切る漆黒の刃は、その身を刺し貫くことができなかった。

 

「みー!」

 

 弾かれる。その真っ白な羽毛一つに、断つことも焦がすこともできずに。

 

「―――抉れ、<嫉妬者(インヴィディア)>!」

 

 それに目を細めるアラダールは、暗い闇の色に彩られた大剣を左手に取り、続け様に右手を挙げる。

 

「―――覚醒(めざめ)ろ、<怠惰者(アチエデイア)>!」

 

 虚空から召喚された、鞭のようにしなる鋸刃の長剣。

 それは振り下ろした右手に連動し、見えざる巨人の腕で振るわれた。同時に振り切った左手の大剣と挟む形で。

 

「みみみ」

 

 だが、結果は吸血鬼が瞠目を禁じ得ないもの。眷獣同時召喚の挟撃すらその身には()が立たなかった。ただの斬撃ではない、強大な魔力を伴った斬撃だというのに。

 先の<高慢者>の防御を無視する異空間からの斬撃をも凌いだこの龍族(ドラゴン)は、驚くべきことだがアラダールの攻撃が通用しない。それどころか逆に、刃先が融かされたように潰れていて、切れ味が落とされているという始末。

 

「何百年ぶりか……いや、初めてかもしれん、ここまで斬れないモノはな……」

 

 七つの大罪を冠した強力無比の剣の眷獣。

 しかし、『原罪』を背負う<守護獣>は、()()()()()()()()()()()。それが吸血鬼の『意思を持つ()()』であろうとも例外ではなかった。

 アラダールには最悪の相性だと言えよう。

 しかし、目を見開いたのは黒髪の吸血鬼だけではない。

 

「『な、ぜ……?』」

 

 護られた藤阪冬佳(クロウ)は動揺と不可解が入り混じった声を上げる。

 彼の中にいたから知っている。

 この龍族は、契約を結びながらも、現界するかは使い魔自身の自由意思に任せている<守護者>だ。争いを好まず、理由もなく戦いの場に出る存在ではない。

 その<守護獣(フラミー)>が、契約者でもない冬佳を護る。

 肉体(うつわ)が契約者のものであるからか。いいや、そんなことはない。契約を結ぶのは、その魂にだ。

 そんな護る理由もない、ましてや契約者の肉体を奪っている“悪霊”とも呼べる自分をどうしてその身で庇うのだ?

 冬佳には、アラダールと対峙する獣竜の意思がまるでわからない。

 

 混乱する中、場をさらに搔き乱す荒々しい魔力が渦巻いた。

 辺りのものを吹き飛ばしながら集束する膨大な魔力の霧から垣間見えるのは、金色の瞳。この場の全てを圧倒して現れたのは、腕組みをした少年の吸血鬼だった。

 

 

「―――なるほど。それが、お前の意思か、クロウよ」

 

 

 張り上げたわけでもない、淡々としているが、存在感の塊のような声が、はっきりと聴こえた。

 威風堂々と佇む様からは、己が王者であることを疑わない態度が如実に表れる。灼けつく瞳は、黒髪の吸血鬼に向け、そして、獣竜と轡を並べるように冬佳側に立つ。

 

「イブリスベール……アズィーズ―――!」

 

 彼を知らぬものなどここにはいない。

 第二真祖<滅びの瞳(フォーゲイザー)>直系の第二世代の吸血鬼だ。

 『戦王領域』のヴェレシュ=アラダールと同じ勅命を受けているはずの『滅びの王朝』の凶王子が藤阪冬佳(クロウ)につく?

 何故? 何故? 何故―――?

 イブリスベールのこの行動に対し、アラダールは硬質な声で問う。

 

「それは、第二真祖の意思か?」

 

「いいや違う。これは俺の独断(いし)だ。我が友には命を救われた“恨み(おん)”がある。対等に心ゆく戦うがためにも、ここでその借りを清算しておこうかと思ってな。

 ―――故に引け、アラダール。こいつは俺の獲物だ」

 

 さもなくば、この俺を敵に回すことになるぞ。

 

 不敵な笑みと共に宣戦布告するイブリスベール。

 これを受けて、黒髪の吸血鬼は美しい面相に渋面を作る。

 アラダールも思い出したのだろう。

 この吸血鬼も、ヴァトラーに劣らぬ戦闘狂(バトルマニア)であることを。

 ならば、アラダールが良く知る<蛇遣い>に当て嵌めれば、理由は何であろうとも、こちらが矛先を向けたのであれば、嬉々として戦争に臨むことは容易に想像できる。

 そして、アラダールが躊躇する合間に、視線だけがこちらに向けられた。

 

「疾く失せろ。俺が殺し合いたいのは、貴様ではない」

 

 不愉快極まる形相で、イブリスベールが冬佳を睨む。

 ひとつ異なっていたのなら、向こう(アラダール)側についていた。

 それがこう少年吸血鬼を動かした理由は、冬佳にも理解できている。

 

「『ええ、わかっています』」

 

 この戦場から背を向けて、冬佳は飛び去った。

 この魂全てを賭すべき、彼のいる戦場を目指して。

 

 

???

 

 

 光と闇だけが存在する、時間の流れすらも曖昧な空間。

 夜空に映し出される星々のように煌くは、無数のバイナルデータ。この世界は、絃神島を制御する五基のスーパーコンピューターと、それを指揮する正統なる(カインの)巫女・藍羽浅葱の意識により生み出された仮想現実―――いわゆる、電脳空間である。

 『彩昂祭』でのクラスの出し物では事故的にそうなってしまったが、ここも通常の電脳空間とは違う。ひょっとするとあの時のイレギュラーは、この時のための予行練習であったかもしれない。

 魔術的な性質を帯びた電脳空間。

 キーストーンゲート第零層、<咎神の棺桶>に保管されていた“情報”を入力(インストール)したことで、人工島内のコンピューターネットワークは、魔術結界としての機能を手に入れた。そしてこの“電脳結界”は、今や管理者である『カインの巫女』の肉体をも取り込んで、結界内部に幽閉している。

 自分の肉体そのものが、電脳結界を維持する部品(パーツ)として組み込まれているために、少女は結界から出られない。

 原理的に言えば、<監獄結界>に取り込まれた、南宮那月と同じだ。

 いわばこの電脳結界は、彼女の意識が生み出した夢。彼女の肉体そのものを閉じ込め、現実世界にも影響を及ぼす危険な夢。

 とはいえ、魔術で生み出した自らの分身を遠隔操作することで、現実世界でも自由に動ける那月とは違って、素質は認められても魔術的には素人には同じような芸当は無理である。精々、隣接した同質の異空間を取り込んで自分の支配する領域を拡張、外からの侵入(クラック)に対する防備を固めさせるくらいである。

 

「精神だけとはいえ、あんたまでここに来ちゃうとは災難ね、クロウ」

 

 だから、浅葱は驚いている。

 この誰もいなかった暗闇に、ラグが走ったかと思えば、ポイッと放り投げられたように、後輩が転がり込んできたのである。

 

「んー。なんか眠ってたら、身体を乗っ取られちまって、浅葱先輩の所に来ちまった」

 

「そんな呆気らかんと言うもんじゃないでしょそれ。というか、来ようと思って来れる場所じゃないのよここは」

 

 自らの身体を眠らせ(おい)たまま、意識を幻像に乗せることのできる魔女の主人によって、この手のことは経験済みなクロウは落ち着いている。肉体(ハード)精神(ソフト)を分離されるのは、『波朧院フェスタ』でサナちゃん(スリープモードの那月ちゃん)にやられていた。

 しかし、落ち着いていても予想外(イレギュラー)侵入者(ハッカー)当人にすら、何がどうなっているのはわからない事にはわからない。きょとんと首を傾げられてる。

 やや頭を抱えるように頬に手を添え、こめかみ辺りを指でトントンとクリックするようなポーズを取って、浅葱は心の整理をつけるためにもこの状況に至った筋道を推理する。

 

 <咎神の棺桶>を取り込んだ<蛇の仔(タラスク)>の体内に広がっているのは、<監獄結界>と同じように南宮那月が創った異空間。今は浅葱の電脳結界で逆に取り込まれているにしても、主人の“残り香”のある場所である。

 そこに帰巣本能のようなものが働いて、この電脳結界に招き寄せられたのか。

 いや、ここは魂でさえ出入りできない<蛇の仔>の体内にあるのだ。物理法則を無視する精神体と言えどもおいそれと迷い込める領域ではない。……というのは、つい先ほどまでの話だったか。

 現在、こちらに侵食(クラック)を仕掛けている<女教皇>の世界変容の禁呪『聖殲』により手足を殻の内に引っ込めている生体防波堤(タラスク)の強度は弱まってきている。そこで、結局こちらを引きずり出すことは叶わなかったが、空間制御で外界と繋がった痕跡もあったりもする。

 それはほんの一瞬の話で、けれども、その空いた一瞬の隙に、二重の防壁を通り抜けてこれないことはない。

 一体どれだけ偶然に偶然を重ねた話になるのかは、もはや浅葱も確率の計算を導き出すのは面倒なので打ち切るが、とりあえずのところこれ以上考えるのは精神安定のためにならないし、無駄だってことはわかった。

 

「まあいいわ、ここに来た理由は何にしても、クロウがここにいても問題はないわけだし」

 

「いいのか?」

 

「いいわよ別に。だから、遠慮なんてしないでよ」

 

 浅葱は状況を受け入れた。

 この電脳結界が侵すべからずの聖域であろうとも(浅葱にしてみれば私室も同然であるが)、放りだすわけにもいかない。

 この子(クロウ)には負い目がある。

 

 浅葱はこれまでの事情は把握していたつもりだ。

 でも、把握していながらこれまで大したことができなかった。

 

 この電脳結界の内側では、浅葱は神のように自由に振る舞うことができる。

 好みの食事や雑誌を取り寄せたり、愛用の家具を生み出すことも簡単だ。メイクや服装も髪型も、イメージするだけで自由に変えられる。

 

 しかし、外ではほとんど無力なのだ。

 こちらも『棺桶』の実権を渡すまいとしていたが、『巫女』に『墓守』の支配権を奪われまいと手を打った矢瀬顕重によりコンピューターネットワークから独立されていた。そんな治外法権じみた『墓守(クロウ)』を保護したくてもできなかった。

 

 でも、ここなら、この子を脅かすものはない。あたしが守る。そして、助けよう。

 

「わかった。じゃあ、オレに何かできることはないか? 浅葱先輩、すごく大変そうな事やってる」

 

「いいわよ。あたしひとりで大丈夫。こんなの余裕よ余裕。食事の片手間でもやれちゃうんだから。あ、ここならクロウが望めばどんなものだって出してあげられるわよ。あたしもさっきこの『麺屋いとがみ』の濃厚魚介スープを堪能したし、実際にお腹が膨れるかはさておき、いくらでも出せるから、満足できるまで美味しい想いができるわね」

 

 手伝いを申し出るお人好しな後輩に、浅葱はヒラヒラと軽く手を振って断ると、キラキラとした粒子を振りまいて、独特な香気を放つ茶褐色のスープで満たされたどんぶり――生ニンニクと辛味増量した濃厚魚介ラーメン大盛りを歓待の粗茶代わりに出してやる。

 

「だから、クロウはのんびりと休んでなさい。ちょっと外では切羽詰まってるけど、ここの中なら望む限り時間は引き延ばすことだってできるし寝放題よ―――後のことは、あたしに任せない。ちゃんとクロウを自分(もと)の身体に(もど)してあげるから」

 

 浅葱は、クロウに頼る気などなかった。

 真なる咎神派に酷い目に遭わされ、望まぬ戦争に幾度となく兵器として利用され、挙句の果て、“藍羽浅葱”の偽物に扇動されて理不尽な汚名を被せられた。

 

 これで、どうして頼りにすることができよう。

 これが、『棺桶』、いや『巫女』の危難に引き寄せられる『墓守』の因果の働きであっても、こちらの頼み事ならうんと頷いてくれるのがわかっていても、関係ない。浅葱はそんなあまりにも不義理なセリフを吐くくらいなら舌を噛む。今だって先輩としての面子は丸潰れであるのだから。

 何でもできる電脳結界で、うんと甘やかしたところで万分の一の贖罪にもならない。

 

 

「―――いや、このまま戻ってもダメなのだ」

 

 

 と。

 それは彼の意思の程を表すような、固い声だった。

 南宮クロウは、己を甘やかす気など一切ないのだ。

 

「勝手な指図で、もう振り回されたくない。暴走するのも真っ平ごめんだ」

 

 死力を尽くしてでも守りたい人がいる。その彼女もまたクロウを救うために命を懸けてくれた。

 だからクロウはもうこの自分自身を、無為にはできない。自己犠牲を気取って自分の順番を一番下に持っていけない。それは、この身を助けてくれた人たちの奮闘をどぶに捨てるに等しい行いだと理解したのだ。

 我儘でいい。

 貪欲になれ。

 己の自由を踏み躙ろうとする者に、正しい怒りを向けろ。

 それが善き変化なのかどうかは知らない。生存のために無闇に振るわないと枷を嵌めたルールから逸脱する行為だろう。自分で自分を獣の道へと堕落させることにもなるかもしれない。

 だけど。

 もうあれこれ悩んでうじうじとするのはやめた。もう理不尽に対して遠慮などしない。

 

「オレはオレをオレのものにする。今度起きた時はもう揺らがないオレになってると決めた。……ご主人にもう、あんな顔はさせないためにも、強くならなくっちゃ戻れない」

 

 決意を固める。

 世界最強を己がモノにすると。

 

「―――だから、浅葱先輩、食べ物はいい。美味しいものを食べたいけど、それ以上にオレは満足するまで修行したい」

 

 この電脳結界は、何でもできる。

 

 世界中のグルメを食べ放題にもできるし、好きなものをいくらでも取り寄せられる。

 ―――だったら、修行相手にちょうどいい相手も用意できるはずだ。

 

 そして、夢と現実は時間の流れが違う。外界からは切り離されているこの電脳結界であれば、体感時間の刹那を久遠にまでだって引き延ばすことだってできる。

 ―――そう言ったのは浅葱である。

 

「いや待って!? あんたねクロウ、この大変な非常事態の最中にってのもあるけど、今の自分の状態が理解して言ってんの? 肉体のない精神体がどれだけ脆いものなのかそれくらいわかるでしょ!?」

 

「大丈夫だ浅葱先輩。ちゃんとわかってる。オレは、<心ない怪物>じゃない。()()()()。心を折らなければ、精神(オレ)は折れない。そう教えてもらったのだ」

 

 気合いだとか根性論だとか計算できない根拠を述べられても納得のしようがないのだが、これは止めようがないのはよくわかった。

 

「あー、もう! 本当にままならないわね。でも、クロウはそういう奴だったわ。もう一度訊くけど、本気? あ、やっぱ言わなくていい本気よね本気」

 

「う、本気も本気なのだ。でも、場所は借りるけど、浅葱先輩の手を煩わせないようにするぞ。自分で、自分の世界をコントロールするのも修行だからな。多分、今ならやれそうな感じがする」

 

 『墓守(クロウ)』は、<咎神の棺桶>の予備機――外部副脳(バックアップ)六号機(アルコル)”をも担う。それだけ能力がある。普段は莫大な筋肉によって自分自身を自壊させないよう制御に大半を割り割いているものの、その演算能力はスパコンに匹敵する性能を持つのだ。

 単純計算で、スーパーコンピューター五台で構成されるこの五大主電脳(ファイブエレメンツ)の1/5の出力くらいなら自力で賄える。

 ただし、『聖殲』を行使するための資格――『巫女』ではないだけで。

 

 だが、何事にも例外がある。現に、正当な(カインの)『巫女』でないのに『聖殲』を振るう存在がいる。

 ―――クロウは、“例外(ソレ)”に近づいていた。

 

「だから、もっともっとできるように! “これ”を()()()()()()()()()()()! ここならいくら暴れても、誰にも迷惑が掛からないしな!」

 

「思いっきりあたしが巻き込まれるわよ!」

 

「浅葱先輩に迷惑かけないように頑張るのだ!」

 

 言い直したけど、不安が拭えない。どうしよう。

 

「外は炎上してるけど、内も大嵐に見舞われそうね……」

 

 ファイヤー! と熱血に燃え上がらせるクロウを見てると、電脳結界の『箱庭』でどれだけ暴れても現実世界には影響は及ぼさない……はずだと言い切れなくなる。張り切り過ぎると大変だというのはこれまでの経験上から予想が出来てしまうのだ。

 これは電脳結界と絃神島のどちらが早く崩壊するのか競争(かけ)ができてしまうかもしれない。

 ちょっとこの子の保護者もといご主人様を呼べないものかと浅葱は真剣に考えた。

 

(とはいえ、大丈夫そうね。本当……この子は強い)

 

 電子演算(コンピューター)は、迷い(エラー)が生じれば機能停止するが、一度躓いて失敗を気に病んでいてもとにかく進める、それは人間の証だろう。

 南宮クロウは、何も恐れず、何も疑わず、如何なる命令にも逆らわない、単なる殺神兵器(キリングマシーン)ではなくなった。

 

「オレはもう弱音は吐かない。それに『負け犬に食わせる飯なんてない』がご主人のルールだからな。まずはお前ら全員を平らげてやる! 汚名返上なのだ!」

 

 そして、先程、浅葱が『麺屋いとがみ』のラーメンを出した要領を見て、『箱庭』の使用法を学習していたのか、早速、出した。

 

 液体金属の肉体を持つ賢者(ワイズマン)

 魔導大国がその技術の粋を集めて造り上げた巨大機動兵器(オーディーン)

 巨大な鳥の怪物に化けた異国の邪神(ザザラマギウ)

 八岐大蛇の如き赤竜。

 世界最古の獣王にして不滅の白石猿。

 

 “過去に対戦した強敵”を次々と創造していく。それも、もしも現実世界だったら流れ弾ひとつで街ひとつが吹き飛びそうな面子ばかり。

 そして、蜃気楼のようにその空間の大気が揺らぎ――時間が歪み出す。

 

「ちょっと、これは……あたしのSOSも送りたくなってきたわね」

 

 電脳結界の支配者である『巫女』は、一片の躊躇もなく難易度ヘルモードを超えるノーフューチャーモードを実行しようとするヤンチャな後輩に思いっきり頬を引き攣らせ、余計な介入(てだし)は諦めることにした。

 

 巻き込まれぬよう周囲の防壁(プロテクト)を強固なものに書き換えると、横から相棒の人工知能(AI)の呑気な声が。

 

『ケケケッ。まあいいじゃねぇか。かえって台風の目になるんだから、“他所(そと)侵略(ハッキング)”を寄せ付けなくなって、安全地帯になる』

 

「危険地帯と紙一重になってるのは、安全とは言わないの。モグワイ、“こっち”はあたしひとりで十分だから、あんたはクロウのサポートに付き合いなさい。あの子の気が済むまでね」

 

『オイオイ、それは酷だぜ。何の罰ゲームだよ』

 

「クロウを巻き込んでしまった罰よ。いいわね、モグワイ」

 

 

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫

 

 

「ああ、冬佳! 私の元へ来てくれたか!」

 

 誰よりも真っ先にその到来に声を上げたのは、絃神冥駕だった。

 追われていた立場であって、自らの天敵、刃を交える戦いをするのだとしても、彼女との邂逅は何物にも代えがたいものだ。

 

 これに、クロウ――冬佳は、槍を、向けない。

 矛先を地面に向けたまま、俯いていた顔を上げる。

 

「『私も……―――会いたかったわ、冥駕』」

 

 胸の奥から搾り出したような吐露に、古城は愕然とした。そして、天上から福音の調べが舞い降りた信者の如く、冥駕の顔はこの上ない歓喜に満ちていた。

 

「そうか、冬佳もその“器”を奪うことを、望んでいるんだね?」

 

 古城の恐れた事態(まさか)言葉(かたち)にした冥駕に、雪菜に優麻とアスタルテ、リディアーヌの視線が、冬佳(クロウ)に集まった。

 これに、彼女の口からは否定も、肯定もない。

 そう、はっきりと、そう願っていたわけではない。

 だが“藤阪冬佳”は、無意識に一つの欲を抱いてしまったかもしれない。未練から膨れ上がった感情をついに隠し(がまんし)切れなくなるほどになってしまった。

 今の絃神冥駕の有様を見て……

 

「『冥駕、あなたの望みは何だったの?』」

 

 この問いかけに、冥駕は目を点にした。

 何を、訊いている……?

 答えるべくもない質問だ。しかし、冬佳がそれを望むなら応じよう。

 

「決まっている。冬佳、君と二人の世界だ」

 

「『私達が出会った最初の頃に、私に語ってくれた願いは、忘れてしまったの?』」

 

 けれど、返ってくるのは哀し気な眼差し。

 今度こそ冥駕は窮した。戸惑う。

 そう、彼女が“器”に宿ってから、一度も、笑ってくれたことはない。こちらを見つめるその貌にはずっと哀しみだけしかなかった。

 そして、その原点を思い出させるように、冬佳は語る。

 

「『死してもなお冥駕は、祖父・絃神千羅の思惑に縛られて、『僵屍鬼』として生き返された』」

 

「ああ、そうですね冬佳。我が祖父が、『聖殲』の禁呪(ちから)のみを欲し、私をその為の走狗(コマ)にしようとした。末裔を自称しながら、『咎神』カインの復活を望まない顕重爺と同じく、欲深き愚者だった」

 

「『だけど、冥駕は違った』」

 

「そうです。私は『咎神』カインを完全な姿で復活させる。『聖殲』など、そのための手段に過ぎない」

 

 我が祖父・絃神千羅が死体から冥駕を蘇らせたように、『棺桶』に残された『咎神』の“記憶”から『咎神』の精神と意識を再生する。

 そして、『巫女』ではない、本来の担い手である『咎神』の能力をもってすれば、『聖殲』は真の力を発揮できる。

 その結果、世界が滅ぶことになろうが―――

 

 

「『いいえ、冥駕。あなたの――“私達の戦争”は、そうではありません』」

 

 

 そういって、冬佳は、銀槍を前に出す。示す。これが、“原点”なのだと。

 

「『冥駕は、そんな祖父の企みを止めたかった。だから、造り上げた武神具には、その力があった。

 この『七式突撃降魔機槍』が、その証明。

 冥駕が目指す究極の武神具は、骨肉を切り裂いて命脈を断つ刃ではない。不浄を掻き消して魔性を滅す光ではない。世界にある、変えてはならないものを守るための力を求めた』」

 

 <書記(ノタリア)の魔女>仙都木阿夜は、真祖の能力すら無効化する威力に、それは魔力を無効化しているのではなく、“本来あるべき世界の姿に戻しているのではないか?”と推測を立てていた。

 そう、『七式突撃降魔機槍』は、『聖殲』の世界変容に対抗できる力があった。そうであれと望まれて、造り上げられたのだ。

 

「『しかし、『七式突撃降魔機槍』の力を振るう者は、世界から離れていく。武神具開発の研究者である冥駕はそれが予測できていた。だから、あなたはそれ以上の開発を躊躇した。この槍を使わせれば、誰かに世界から追放される孤独を味わわせる、変えてはならない者を変えることになる。自分自身、『零式突撃降魔双槍』の実験中の事故で人間として死んでしまった冥駕は、二度目の失敗を恐れて、『七式突撃降魔機槍』の完成を諦めた。

 ―――その背中を押したのは、私。私は、監視役として冥駕の傍につかされたのではなかった。真祖に対抗する秘奥兵器を完成させるための、<雪霞狼>の被検体を獅子王機関は送り出した」

 

 やはりそうか……! 私を利用し、冬佳を生贄にさせた……!

 彼女の告白に、冥駕の中の、燃え尽きることのない獅子王機関への憎悪が湧き上がる。

 

 しかし、憤怒に歪んだ面相は、次の一言で固まる。

 

「『そして、その礎になることを、私自身、受容していました』」

 

 決して、彼女自身が騙されたのではないと伝えたかった。

 これは、他の誰でもない、“藤阪冬佳”が望んだものであるから。

 

「『私も背負いたかった。冥駕がひとりでは背負いきれない業に膝を屈するのなら、私も一緒に背負い、共に歩んでいきたい。

 だって、あなたの言う世界を滅ぼす禁呪を終わらせるとしたら―――あなたの武神具の力しかない。『聖殲』からの宿業を解放するのは、あなたにしかできないと信じたから。

 だから……だから、私は冥駕と共に、この世界を守るための“戦争”に臨んだの』」

 

 美しく澄んだその瞳は、彼女自身の色しかない。他の意思など介在しない、本心なのだと。これを機関の洗脳教育などと否定することは、許されない事だ。彼女の意思を侮辱する。しかしそれでも冥駕の口は感情に震えながら吼えた。

 

「だが―――だがっ! 冬佳が獅子王機関に利用された犠牲者であることに変わりはない! こんな世界、守る理由など、あるはずがないんだ!」

「『でも、私達は、この世界で出会えた』」

 

 その時、冬佳は、この肉体を借りて初めて微笑んだ。

 

「『冥駕、それを変えないで―――』」

 

 静かな微笑に、青年はどのような表情を返せばいいかわからず、それを隠すよう仮面を抑えつけながらよろめくように引き下がる。

 

 ―――その迷いを許さぬものがひとり。

 

 

「『聖殲』を祓うモノを、何故、看過する?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「何故、<冥餓狼(やり)>を向けない?」

 

 

 傷だらけの少女。絃神冥駕が同調した復讐者。この世界全てを焼き尽くす憎悪を抱く『アベルの巫女』。

 冥駕に絶対的な力、世界変容の禁呪たる『聖殲』を振るうための援護する<女教皇>は、必要な存在だ。『聖殲』の力で、“藤阪冬佳”の魂を“器”に定着させんとする冥駕にとってはなくてならない。

 だが、<女教皇>は追及する。

 この“復讐に邪魔な存在(ふじさかとうか)”を、滅ぼす気はないのかと。

 

「お待ちください<女教皇>。冬佳は―――その『墓守』の“器”は、『聖殲』をより強大に振るうには必要なものです。必ず、我々の同志に迎え入れてみせますので、どうか―――」

 

「やはり……温い」

 

 黒髪の少女はそう呟いて、静かに長い溜息を吐いた。

 

「やはり、妾以上の不幸は存在しないということ」

 

 死体に染み付かせた復讐者の念と、裏切った世界に対する復讐者の死体。

 符合するものが多かった。―――だが、重なるからこそ憎悪する。

 

 私にはそのようなものはない。

 この世に執着し(まもりたかっ)たものなど、とうの昔に絶滅した。

 

「そして、汝もまた、憎々しい『咎神』の末裔であった!」

 

 共感は、容易く反転する。同族嫌悪に変わるのだ。

 

「<女教皇>―――!?」

 

 獅子王機関を裏切り、祖父を裏切り、矢瀬顕重を裏切った絃神冥駕は、今、女教皇に見切りをつけられた。

 

「『冥駕っ!』」

 

 ぼおっ!! と。

 点火した音があった。

 青年の身を包む炎に包まれる……でいいだろうか。ただし、炎は身を焼くのではない。彼の左右に、巨大な紅い両腕が落ちる。背中全体から覆い被さるような格好で、巨人の上半身が躍り出る。その火焔は、背後から掻き抱くように取り込もうとしているのか。アスタルテの共生型眷獣<薔薇の指先>と同じ、焔の巨人は青年と一体となろうとしている。

 

 っ!? 『聖殲』が使えない……!?

 

 囚われる前に焔の巨人を振り払わんと、黒槍から『聖殲』を発動させようとした冥駕だったが、何も起こせなかった。

 

 掌握している。と思っていた。

 遺産である『仮面』に封入されし、『アベルの巫女』の“情報”を我が物にした。出力こそ劣るが、自力での『聖殲』の発動が可能だ。と思っていた。

 だが、それはあまりにも過信だったか。

 

 ぎぎぎぎぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち、と。

 指先ひとつ動かせない中で、冥駕の意思に反して左手が動き出す。ぎこちない操り人形のように震えながら、右手で構えていた『零式突撃降魔双槍』を奪い取った。そう、先程、欠損から復元された左腕で。

 端から信用に値しないのだと警戒されていたのか。

 複製(コピー)された我が意思を、我が物と利用する輩など、『咎神』の末裔共と同じだと。

 

 『仮面』に糸が繋がり、“情報”は更新される。

 装着者の意思すら上書きしていく。

 

「さあ、滅ぼせ! 汝の望みは妾の永劫の悲嘆と怨嗟で染め上げよう! この世界に救いなどありはしないとその刃をもって証明するがいい!」

 

 鳥籠のような深紅の結界が、絃神冥駕と藤阪冬佳の二人を囲う。

 想い合う者同士を殺し合わせるショーのように、全ては強制される。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 目前には、『零式突撃降魔双槍』を突き付ける冥駕。

 <冥餓狼>を向けるのは、彼自身の意思でないにしても、こうなることは避けられなかった。

 

 ―――でもいい。

 

 地脈と接続している<女教皇>からの供給(バックアップ)を受けて、その霊力無効化の薄膜(オーロラ)は、先よりも濃密に、より穢れたものとなり、接触を拒んでいた『余剰次元薄膜(EDM)』が侵食され剝がされていく。

 

 ―――それでいい。

 

 地面に槍を刺し、そして、“器”を抜ける。

 

 ―――私の望みは冥駕と殺し合うことではなかった。

 

 ここにあるのは、肉体を解脱し、人間から昇華された魂。

 それは、剥き出しの自分。ありのままの自分。

 何物にも頼らず、彼と向かい合う。

 

《私がいなくなった後に、誰もあなたを理解する者はいなかった。誰かと共に歩むこともなかった。

 道を踏み外させ、歯車を狂わせ、冥駕を孤独へ追いやってしまったのは、他の誰でもなく、私のせい。

 あなたと共にその業を背負うと誓いながら、破った私のせいなのだから。

 ならば、その(やいば)を受けるのは、私であるべき》

 

 

 ―――漆黒の槍が、蒼白い御霊を貫いた。

 

 

 真っ直ぐから突き出された黒槍を、避ける素振りも見せなかった。

 肉体に護られていない霊体は、霊力を貪り喰らう、飢えた狼の(きば)に無残に引き裂かれる。

 

「――――――――――――――――――」

 

 刺し貫いたまま動けなくなる青年を、刺し貫かれたまま前に距離を詰めた女性の魂が、その腕で抱きしめた。

 

《でも、冥駕。私は、貴方の監視役―――ずっと傍にいるから》

 

 最後まで優しく囁きかけながら、その魂は温かな光と成り―――復讐の焔に呑まれた青年の全身を眩い輝きで包み、弾けた。

 

 

 カラン―――……と割れた仮面が地に落ちる音だけが響く静寂のみが残された。

 

 

「はーっはっはっはっはっはっはっはっは!」

 

 

 女教皇の、裂けさせてめいっぱいに拡げた口から発せられた哄笑が、その余韻を一息に塗り潰した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ふざけんじゃねぇ……!」

 

 女教皇の高笑いを掻き消さんばかりに、古城が言葉にならない叫び声をあげた。真祖でも再生し難い『異境(やみ)』の刃に貫かれたことも忘れ、昂るままに魔力を解き放つ。

 

 絃神冥駕……何もかもを裏切ってきた青年の末路は、地獄行きが当然だったかもしれない。

 しかし、古城は、絃神冥駕に僅かにだが共感めいたものを覚えた。

 きっとあの男は、『七式突撃降魔機槍』の担い手でなくても、監視役でなくても、特別なお役目なんて何もなくても、藤阪冬佳にずっと自分の隣にいてほしかっただけだった。

 ―――それを、このように貶めることなど絶対に許されるものじゃない。

 

「我が血の呪いは、世界を永劫の悲嘆と怨嗟に染め上げる! 全て全て全て! 嘆き苦しむがいい!」

 

「―――<獅子の黄金>ッ!」

 

 眷獣実体化の妨害(ジャミング)

 だが、同時召喚ではなく、一体の眷獣にその魔力と制御を振り絞った古城は、<女教皇>の妨害を跳ね除けた。そして、雷光の獅子は、『聖殲』を浸透させた深紅の電波を咆哮ひとつで吹き払う。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <第四真祖>と<女教皇>。

 『聖殲』を終わらせた世界最強の吸血鬼と、『聖殲』に全てを奪われた巫女が衝突する最中、姫柊雪菜は、目の前の、地面に突き立った銀槍を掴む。

 

 手に取って、改めて、実感する。

 この槍を打ち鍛えた人間は普通ではない。構造の隅々にまで凄まじい量の術式――いや、祈りが刻み込まれている。狂気か、あるいは純粋さか。壮絶な執念が宿っているのだ。

 それを染み入るように感じ取って、しかし槍を抜こうと手を引く前に。

 

「その槍を手に取る意味を、きちんと考えたのですか」

 

 この『七式突撃降魔機槍』の造り手たる青年が、こちらを見ていた。

 仮面の外れた素顔で。

 あの時、“彼女”に言ったように、雪菜へ問いかける。

 

「悪いことは言いません。止めておいた方がいい。<雪霞狼>を手にしたが最後、あなたは人間ではなくなる。世界から昇華した、報われることのない孤独に囚われるでしょう。……それは彼も望まない」

 

 淡々とした感情の篭らない言葉だったが、雪菜は一言一句漏らさずに静聴する。

 当然だ。青年は言葉ではなく、己が実体験を篭めて、実際にそうなるのだと忠告した。

 それは優れた巫女である剣巫の霊視力にもその未来(イメージ)は掴めたことだろう。

 青年がそう言うまでもなく、<第四真祖>の監視役を受ける際に、<雪霞狼>の危険性についての説明を受けていただろう。

 姫柊雪菜は、最初に槍を手にした時以上に、強い決意と共に答えた。

 

「私は、先輩の監視役です」

 

 ―――共にあると決めた。

 何があろうと、たとえ、その先に、

 ―――ともにあの人の罪を背負うと決めたのだ。

 避けられない、孤独な破滅が待っていようとも。

 

 

「そして、未来とは、視るのではなく、切り開くものだと―――そう、冬佳様に教えていただきました」

 

 

 槍が引き抜かれる。

 その瞳に、迷いはなく。凄烈の気配を伴った刃の如く、先を見据えている。

 

「なるほど」

 

 ゆっくりと冥駕は頷く。

 最高の生徒から最高の解答を得た教師のように、静かな誇らしさを込めながら。

 この最後の相手に相応しい“彼女の後継者”へ、刃を向ける。

 

「何を呆けているのですか、剣巫。その槍を手にしていながら、討つべき目前の敵を無視することはあってはならないはずですよ」

 

 武神具展開からの構えは、武技に長けたものが見れば失笑するだろう粗末な仕草であった。

 だが言いようのない不気味な剣呑さがある。死の気配。相対するものを屠るだけの自信、実力を備えているのだという確信から来る、獣の獰猛さ。『冥狼』の異名に相応しく、戦うための武芸を修めておらずとも、殺すための牙と爪を有しているのだという説得力の類。

 そして、口角を吊り上げた冥駕は、酷薄に言い放つ。

 

「もし、ここで私を逃すのなら、世界に更なる悲劇を招くことになる」

 

「もう止まることはできないのですか」

 

「私は決して許さない。この世界を―――私から温もりを奪った人々を許しはしない」

 

 漆黒の槍が淡い光を放ち始める。

 天使をも堕落させる霊力無効化のフィールドへと場が塗り替えられる。

 

「それが死者としての本分です。崇高なる理念も、心地良い正義も必要ない。ひとりでも多くの生者を道連れにして、地獄へと堕ちる。魔術とは、呪いとは、本来そういうものだ」

 

 しかし、それでも、流れ落ちるものがある。

 つう、と頬を伝って流れ落ちていくその赤色は、禁呪とは無関係の色だった。

 

「……なら、なぜ、涙を」

 

「いいえ。これは涙などではない。

 死した骸が涙など流すものか!!!」

 

 言葉とは裏腹に。

 深紅の涙は、止め処なく。

 

「こうも醜く! 間違った死人に容赦などあるものか……!」

 

 餓えた冥狼が絶叫するや、辺り一面が『異境(やみ)』に呑まれる。

 

「―――<雪霞狼>ッ!」

 

 銀槍。一閃。

 神気。一閃。

 

 光が―――闇を、引き裂く。

 『神格振動波駆動術式』を稼働させた銀槍によって描かれた輝きの弧が、黒槍からの闇を鮮やかに両断していた。真っ二つに裂かれた『異境』は急速に力を失い、影も残さず掻き消される。

 圧倒的なまでの神気。

 非常識なまでの威力。

 祝詞を唱えていないというのに、ただの一振りで、『咎神』の遺産でもある黒槍の力を完全に無効化したのだ。そして、剣巫は容赦なく、更にもう一閃を振り抜いて、『異境』展開によって完全な無防備状態となった冥駕へ一太刀を浴びせる!

 常態による攻撃にもかかわらず、『僵屍鬼』の肉体に致命的なまでのダメージを刻み込んだ。

 

「……これこそが」

 

 口から零れる呻きは、歓喜か。

 武神具開発者として目指した“原点”は確かに至っている。

 

「ならば、断ち切れるか!」

 

 『僵屍鬼(きょうしき)』の体内に備わった魔術回路と術式刻印が同時励起し、『零式突撃降魔機槍』と連結する。肌に光の文様が走っていく。過剰活動に伴う激痛が全身を軋ませはするが、どうということはない。この身も心も死に絶えているのだから。

 漆黒の槍に複雑な魔術紋様が浮き上がり、深紅の光を帯びる。

 世界を上書きする『聖殲』の光が、剣巫に襲い掛かる。

 

「私個人程度の『聖殲』を打ち消せぬようでは! 世界の滅びを阻止することは叶わない!」

 

 神気すらも剥奪するその槍は、<模造天使>をも斃し得る呪いの槍。

 それを突き付けられたとき静かに響き渡ったのは、少女の口から紡がれる荘厳な祝詞。

 

「獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る―――」

 

 銀色の槍を掲げた雪菜は舞う。神に勝利を祈願する剣士のように、あるいは勝利の予言を授ける巫女のように。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 神聖な光が辺りを満たす。

 汚れ無き純白に染め上げられた空間に、ただひとり、鮮やかな色を纏って天上界の住人が降臨した―――そんな光景を幻視してしまう。

 そして、漆黒の槍が放つ深紅の波動が薄らいでいく。

 

「……!!」

 

 術式に何らか不備があったか。

 いいや、違う。発動を果たしている。『聖殲』は実行されており、世界への浸食行為は為されている。単に、染め切れていないのだ。一滴の墨汁を垂らしたところで、海が黒ずむことがないのと同じ、甚大で膨大、力の質こそ打ち消し合うはずだが、彼我の力の差が離れている。

 

 何故、そこまでの力を、人であるままに行使できる……?

 その出力は、もはや人間を止める。冬佳と同じく、人の身ではあまりある力を暴走させ、存在が昇華されてなければおかしいほど。

 なのに、姫柊雪菜の『天使化』はこうも安定している?

 

 ! あの、指輪は―――そういうことですか!

 

 その答えは、姫柊雪菜の左手薬指にある。

 彼女の細い薬指に嵌っている銀色の指輪。指輪の中心に走っている細いスリットが、気のせいか仄かに赤く輝いている。

 

 かつて、<模造天使>と対峙したとき、<第四真祖>はどことも知れない異空間に吹っ飛ばしてしまう『次元喰い(ディメンジョン・イーター)』の眷獣がその神気を食らった。

 

 その指輪は、霊的経路(パス)を繋ぐ。

 主人である吸血鬼の肉体の一部を相手に与えることで、『血の従者』を創り出す原理を、<第四真祖>の肋骨の欠片を指輪に入れることで成立させていた。

 そして、『血の従者』と成った姫柊雪菜は、<第四真祖>の眷獣<龍蛇の水銀>の力を借りて、<雪霞狼>が生み出す余剰な神気を消滅させている。それ故に、『天使化』を抑えたまま、『七式突撃降魔機槍』の真価を発揮できているのだ。

 

「ああ……見てくれましたか、冬佳―――」

 

 そうして、あの日、彼女と共に目指した“原点”は、『聖殲』を切り払った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 雷光の獅子が、『蛇』の因子を持つ怪獣の上から、『アベルの巫女』を払い落とした。

 

 ―――よし! <蛇の仔(あさぎ)>から突き放した!

 <第四真祖>の眷獣はどいつもこいつも力が有り余り過ぎて、“加減”に神経を使う。

 眷獣同時召喚による多属性飽和攻撃の時も、制御に全力を振り絞っていたが、本気を出させてはいなかった。

 だが、ようやく相手を高みの見物から引きずり降ろした。

 これで、思い切りやれる。

 

「<獅子の黄金>―――ッ!!!」

 

 周囲の被害を考えないでもよくなった<第四真祖>の本気は、『聖殲』の処理能力を超える情報過多な一撃!

 眷獣実体化の妨害電波(ジャミング)など、余波だけで都市を停電させる雷光の獅子には通用しない。世界を呪う残留思念を跡形もなく消し飛ばす―――

 

 

「妾ハ世界ヲ滅ボス。ソノ為ナラバ、獣ニ堕チヨウ」

 

 

 雷霆の轟音が、絃神島全土に響き渡る。

 だが、先程以上の出力で噴き上げた業火は、雷光すら焼き尽くした。

 この瞬間、絃神島全土の気温は数度上昇することになった。

 

「―――」

 

 だが、体感はその逆。

 ゾッとするような妖気に、古城は反射的に首を縮める。極北の氷海に投げ出されたような、血の気が凍てつく脅威の気配。

 生命力を根こそぎ奪う致死性の毒でも嗅がされているかのような、強烈な圧迫感。人工島を支える鋼の大地までもが、怯えているかのように震え出す。

 

 天地を焦がした衝突に巻き上げられた噴煙の向こう。

 少女のものには非ざる巨大な影の体表が蠢動する。無数の歯車が回っているようにも、大量の虫が這いずっているようにも見える。その悍ましい動きと共に、そのシルエットは次第に大きくなっていく。

 直結した龍脈を貪り喰らっている魔力総量と共に、濃く、重たく、強大に――

 

 この悪寒は、古城にはよくよく見覚えがあって、そして、身に覚えのあるものだ。

 後輩(クロウ)が、完全なる獣へと成る時と同じ……だが、これは、それ以上に禍々しくて、暁古城を最初に殺した<死皇弟>の姿が脳裏に過って(フラッシュバックして)しまう。

 

「<神獣化>、か―――!?」

 

 改造人工生命体の超能力、機械化人工生命体に埋め込まれた兵器、そして、『獣王』の細胞を移植した機甲服(パワードスーツ)

 捕食し、我が血肉に変えた“情報”を『聖殲』で上書きし、取得した『獣王』の細胞の欠損部を補って再現される。

 ―――<黒死皇>の<神獣化>を。

 

「妾ハ獣! 世界ニ終末ヲモタラス獣!」

 

 全身を覆う漆黒の靄。双眸だけは炯々と深紅に灯る。その深紅の眼光に撫でられるだけで、肌に裂傷が生じるかのような錯覚さえ覚える。

 この終末の獣と称するに相応しい、深淵から発せられる、『旧き世代』すら遥かに凌ごうかという暗黒の魔力を前に、古城は息を呑む。

 

 これは、人に仇なすものだ。

 これは、人を喰らうものだ。

 これは、人を滅ぼすものだ。

 

 魔獣など目ではない、圧倒的なまでの魔力が集積されているのが見て取れる。

 <犬頭式機鎧(レプロブス)>より獲得した細胞情報から<黒死皇>の肉体を再現。

 <第四真祖>の眷獣よりも巨大で、禍々しくも美しいフォルムをした完全なる獣。無論、それはただの張りぼてではない。かつて、『第一真祖』に牙を剥いた獣祖の全盛期がここに蘇る。

 

 そう、それは“南宮クロウ”の獣性の起源。

 後続機(コウハイ)の遺伝子を内包する原型(オリジン)であり、最終的に行き着く極点のひとつ。

 すなわち、<黒妖犬(ヘルハウンド)>の『原初(ルート)』―――!

 

「な―――っ!?」

 

 時間とすれば、一瞬。いやその半分もなかっただろう。

 その全身に『聖殲』の業火を纏った黒狼は、爪先を一点に揃えて、削岩機のように腕を捻じり―――雷光の獅子を真っ直ぐに抉り抜いた。

 桁外れの力。

 これが『第一真祖』に戦争を仕掛け、世界最古の獣王と互角以上に殺し合い、世界にその異名を轟かせた獣祖の身体性能(スペック)

 腕を振り上げただけで、地盤は捲れて、古城は彼方へと―――倉庫街に積まれたコンテナ群へと吹き飛ばされた。

 

 

 <黒死皇>の力を持った<女教皇>――<黒死女皇>。

 だが、<黒死女皇>が引き出したのは、比類なき世界を滅ぼし得る力だけに留まらない。

 その魔力―――死した御霊を現世に喚び戻す『死霊術』。

 世界変容の禁呪を練り込ませたそれは、この世界に塗り潰された死すらも裏返させる。

 

「サア! 妾達ノ憎悪ガ、世界ヲ染メ上ゲヨウ!」

 

 狼煙を上げるよう遠吠えを轟かす黒狼の周囲から深紅の霧が湧き出したかと思うと、その霧の中から影だけの存在が現れる。

 それは、<黒死女皇>が復活させた『聖殲』の被害者――神であった古代魔族たちの影法師。己と同じ残留思念に『聖殲』の力で深紅の肉体を与えたのだ。

 数百、数千ではきかず、五桁に達するかと思しき数の亡者の群は、紅き海嘯(つなみ)と成って、『魔族特区』に迫る―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……<女教皇>が、<咎神の棺桶>を手中にすれば、世界は滅ぶでしょう」

 

 『零式突撃降魔双槍』を真っ二つに両断され、『七式突撃降魔機槍・改』の神気を全身に浸透された。

 不浄なる魔力で動かされる死体『僵屍鬼』は、もう助からない。

 絃神冥駕は、ここで終わる。

 世界の最後を見届けることはなく。

 “原点”の完成を見納めて。

 ……心残りなどないはずなのに。

 まだやり残したことがある、と思ってしまう。

 

「私は、何をも思わない。たとえ空が悲嘆に染まり、地に怨嗟が響き、この世界が終ろうとも、私は彼らに何をも思わない」

 

 唇が、舌が、動いてしまう

 

「ですが……」

 

 この意思とは裏腹に。あるいは、意思の通りに。

 

「この世界には、冬佳がいた。冬佳と出会えた奇跡(じじつ)失くし(かえ)てしまいたくはない。そうも……思います」

 

 心から、そう願っている。思っている。

 思考は正常に、感覚は平静に保とうと努めながらも、胸から溢れ出てしまう。

 己は、狂っていたのだろう。どこまでも。己に、復讐に、愛に。

 

「―――そうか」

 

 ここにはもう、姫柊雪菜はいない。

 絃神冥駕の“禊ぎ”は終わった。藤阪冬佳の後継者である彼女は、監視対象である<第四真祖>の危機にすでに行ってしまった。

 だから、この最期を見届けているのは、ひとり。

 

「……これが『廃棄兵器』のままというのも、心残りでしたね」

 

 魔力と霊力のどちらか片方しか無効化にできないという欠点を抱えたままだった黒槍の武神具。

 しかし、冥駕は見た。

 そして、この今も感じている。

 彼らの力が打ち消し合うものでありながら支え合えるのだとしたら、“前の監視役と監視対象(わたしたち)”にもできるだろうか―――

 

「私の中の憎しみの感情は消えない。ですが、その憎しむ世界を、守りたいとも思う。正と負、矛盾したそれらを両方抱えるこの槍は、何に至るのでしょうか」

 

 武神具開発者は、最後の世界変容の禁呪を発動させる。

 銀槍に切り分かたれた黒槍の片割れを自らの身体に突き刺し、己を贄に捧げて。

 

 古代武神具がひとつ『干将莫邪』を鍛え上げた夫婦が、自らの身体を材料にその夫婦剣を完成させた故事に倣うように。

 この黒槍が喰らった魂、『天使化』して被昇天した藤阪冬佳と魄のみが肉体に残った『僵屍鬼(キョンシー)』の絃神冥駕自身―――二人の欠片を材料にして深紅の光へくべる。

 互いにかけた魂と魄は、この双極の槍を“器”として、ひとつの魂魄へと混ざり合う。

 

 そして。

 絃神冥駕の肉体からその血潮の代わりに噴き上がる深紅の粒子に彩られるように、黒槍の穂先に紅き亀裂模様が走り―――もう片割れもまた、黒槍から純白に染まった白槍に蒼き水波模様が浮かび出す。

 『陰陽太極図』や『天地自然之図』と呼ばれる紋様のように、森羅万象の交わりを示す白と黒の双刃を揃えた雌雄一対の武神具と成す。

 

「これが、私の最後となる作品―――『零式突撃降魔双槍(ファングツアーン)(プラス)』」

 

 “温もり”に餓えた狼は満たされて、『廃棄兵器』は上書き(かんせい)される。

 その銘は、<冥餓狼>から改め、<《冥/明(めい)》我狼>。

 

「しかし、この『廃棄兵器』だったものに、唯一適格であるのが、『欠陥兵器』と蔑まれた貴様だとはね」

 

 もう身体はほとんど残っていない。骸骨のように肉抜きがされ、頭部さえ半分ほど欠けている冥駕は、皮肉気に笑みをこぼす。

 もはや彼に槍を持てる手はなく。

 この陰陽の夫婦槍を手に取ることが許されるのは、覚醒した『混血』の少年。

 

「これは、あなたのために造った武神具ではない」

 

「ああ、わかっている。変えてはならないものを守るためだろ」

 

 絃神冥駕が、理想とした究極の武神具とは―――

 この世界にある、変えてはならないものを、守るためのモノ。

 

 かつて世界最強の人造の吸血鬼は、『聖殲』を終わらせた。

 そして、その“後続機”たる殺神兵器は、“狼”――壊してはならないものの守護者たる『真神(マカミ)』に至る。

 

 

「そうだ、それがお前の使命だ、<黒妖犬>―――いや、<真神相克者(ベナンダンテ・クライン)>」

 

 

 ―――殺神兵器、()完了

 最新の世界最強は今ここに更新される。

 

 

 

つづく

 

 

 

 おまけ

 人工生命体の後輩視点。

 

(状況確認。ようやく再会した先輩が女性の霊に取り憑かれているだけに飽き足らず、私との眷獣合体(マルコシアス)ではない強化パーツ(めいがろう)をもらっている。―――これは浮気判定か否か)


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