ミックス・ブラッド   作:夜草

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申し訳ありませんでしたm(_ _)m
リアルでのことなので説明はできませんが、しばらくハーメルンに復旧することができず、失踪していました。
ブランクも長く、更新が遅れがちとなってしまいそうです。しばらく読み直して勘を取り戻していきたいと思ってます。


黄金の日々Ⅲ

獅子王機関絃神島出張拠点

 

 

 それは、鍛錬の合間に気まぐれに差し込んだ問いかけ。

 人間とは勝手の違う弟子は、武器を頼る才能が致命的に無いが、小手先の技など弄さずとも十二分に強い、ありのままで完成されている。ただ思いっきり拳で殴ればそこらの眷獣は消し飛んでしまえるだろう。

 ならば、どうしてこの猫の戯れな指導をこうも馬鹿正直に従っているのか?

 

『ん? 従ってちゃまずいのか? 姫柊を強くしたんだろ? オレもそうなると思ったんだけど、弱くなっちまうのか?』

 

 この坊やは純粋培養されたせいか、会話のキャッチボールでホームランされることがままある。

 そんな戯言がほざけるようなメニューは組んでいないつもりだったが、どうやらまだ甘かったらしい。気に入った相手ほど意地悪したくなるいじめっ子な性格の魔女に鍛えられたこの小僧はもっと苛め抜いてやらないと物足りなさそうだ。

 とますますハードに吊り上がっていく構想だが、その前に確認しておきたい。

 意思を。強さを求める理由を。

 その辺りのことを訊いているのだと頭の上で尻尾をぺちぺちしながら説明してやってから、再度、質問すれば、あっけからんと答えた。

 

『う。オレの力はすっごい大変で、加減を誤ると何でもかんでも壊しちゃうからいつもご主人に制御(せわ)になってるけど……オレがもっと使えるようになれば、ご主人も楽ができるだろうし、誰かを助けられるはずだろ? 色々と迷惑を掛けちまってる分それで恩返しできればいいなーって思ってるんだぞ』

 

 ふっ、と。これを聞いて、彼女は静かに目を細めた。

 笑みの形に。

 

 当人ばかりが気付いていないようだが、すでに<黒妖犬>は多くの命を助けている。こういう人助けは自覚がないからこそ華かもしれないが、坊や自身が大切なものを見出したのなら祝福する他ない。そしてその気持ちがある限り、この弟子の伸びしろは青天井であろう。自分の力に呑まれて変質してしまうこともない。

 

 ―――それが、奔放さを捨て、ただひたすらに作業のように戦闘に没頭するという。

 さて、現状既に『世界最強の獣王』として君臨する在り方へ及ぼす影響はどれほどか。

 

「……あたしら『長命種(エルフ)』に寿命はないも同然だけど、心がとっくに死んでいるのに、肉体だけが生き長らえている屍みたいなやつらが大勢いる。ああも摩耗しているのをみると介錯してやった方が慈悲かもしれないね」

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

 ―――月堕とし。

 強大な質量をもって降される壮絶なエネルギーは、隕石の落下衝突と変わらない。

 しかし、漆黒の月が激突した地面が吹き飛ぶようなことはなかった。キノコ雲のように上がった巨大な砂煙が、魔族特区中央のキーストーンゲートを遥かに上回る高さにまで達していることから、どれだけの衝撃だったのは明らか。

 鋼の大地を海上に浮かばせる人工島が沈んでもおかしくない。にも拘らず、被害が生じていない。

 

 <心なき怪物>は、四方中央、五つの要所を担う象徴の中でも中核を任じられる『黄龍』の座に据えられた守護獣。

 “聖人の片腕”でも代理として支えることくらいはできていたが、この四神相応の『黄龍』の役割を成し遂げられる『墓守』であれば、“祭壇”は如何なる災難に見舞われようが沈むことはない。

 これが、この元凶にして、絃神島の支配者である矢瀬顕重の構想。真の『咎神派』なる者として盟友と思い描いた青写真。

 それだけ、森の奥地で創られた現在の殺神兵器は、鋼の大地を支える―――支配しているのだ。

 

 

 激しい音と、凄まじい衝撃。

 暁古城は、単純な上下の感覚も前後の記憶の繋ぎ合わせも、何もかもがあやふやな状態で意識を覚ます。

 悪戯で半透明のビニール袋を顔に被せられたように視界はぼやけ、呼吸も苦しい。かといって、どうすればその不快を取り除けるかまで頭が回らない。自分の心臓の音だけがはっきりと聴こえる、この生々しい実感がまだ自分が生存している証明になる。

 

 ここはどこだ? そして、何をしていた?

 思い出せ……と脳の一点へ念じるように命じ、集約された意識はパラパラ漫画のように記憶を脳裏に過らせた。

 それは、じんわりと、霜がついた冷凍品をドライヤーの温風を当てて解凍していくように、暁古城の意識を過酷な現実へとピントを合わせていく。

 

 キーストーンゲートを強行突破しようとして……

 人工生命体(ホムンクルス)と戦闘することになったけどどうにか撃退し……

 だが、ボロボロな後輩(クロウ)と遭遇して、手も足も出ずにやられた。

 世界最強の吸血鬼、<第四真祖>の力がありながら、喧嘩(はなし)にもならない。

 そして、瞬殺されたところを、さらなる追撃に姫柊共々潰される……はずだったが、助かっている。

 これは、古城が無限の負の生命力を持った不死の存在だからじゃない。あの『異境(ノド)』に覆われた漆黒の月は、吸血鬼すら殺し尽せるほどのものだ。

 

(あの時、いきなり地面が沈んで……)

 

 月が墜落する間際に起こった地盤沈下。この落とし穴に身を埋もれさせることで災厄から九死に一生を得ることができたのだ。

 

「先輩……っ!」

 

 そこまで自覚してようやっとこちらを揺する声に気付く。

 古城が眼を開ければ、そこには案の定、こちらを蒼褪めた顔で心配する監視役。

 

「姫柊、俺達……助かったのか?」

 

「はい」

 

「……助けられたのか?」

 

「……はい」

 

 沈んだ面持ちで肯定する姫柊。

 これは推測。だが、堕月の衝撃にも耐える不沈島であんなタイミングで、このポイントだけで地盤沈下するなど、何らかの介入があって間違いない。そして、その何らかは古城には考えるまでもない。

 

「くそっ! なんて無様だ!」

 

 あの場には、クロウだけでなく、最初に古城を狙撃した男たち、<魔導打撃群(SSG)>がいた。だが、月に潰された相手にわざわざ安否確認――トドメを刺しに来るなどするまい。この頭上を埋める巨大な障害物は、それだけインパクトのある監視者除け。

 この一体の吸血鬼を仕留めるのに派手な演出でもって、安全圏まで強制退場された。

 

「ダメです先輩! まだ体が完全に治ってないんですから!」

 

 つまりは、助けに来たはずなのに、逆に助けられる結果となったのだ。

 これが無様でなくて何なのだ。感情のままに落とし穴の(つき)をぶち破って、飛び出してやりたい。心臓をやられた直後だけあって力が入らない。おかげで、こんなあまりに不甲斐ない穴熊を決め込まざるを得なかった。

 

「それでも、このままジッとなんかしてられるか……!」

 

 雪菜は、その時の古城の表情を見とる。

 煩悶と、悲哀と、幾ばくかの悔恨。そしてそれらによって形作られた、決意の表情を。

 先程、“クロウを止める”という確たる意志を以て後輩と対していた。けれど、今の古城から感じるのは、それさえも超えた、微かな狂気さえ滲ませた悲壮な使命感だったのである。

それこそ、自分の命を捨ててでも、何かを救わねばならないと思い詰めているような。

 その双眸の奥に燃える輝きに、雪菜は一瞬圧されてしまったのである。

 

「もうあんな……アヴローラのときのように、助けられちまうなんて、許せるかよ……!」

 

「先輩……」

 

 触れれば砕けてしまいそうな痛ましさが、今の古城にはあった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「助、けろ、ハート…レス……! コイツを――ッ!!?」

 

 犬頭の機甲服の兵士たちが、瞬く間に倒された。

 最後のひとりが首を掴まれ、宙づりされて呻いている。

 <犬頭式機鎧>を装備しているというのに、全く抵抗ができなかった。彼女がひっさげたその太刀に斬り裂かれ、刀身に染み付いた呪毒に体を侵されている。それも念入りに麻痺の呪が篭められた針を刺されているので、指一本も動かせないだろう。

 

「っ」

 

 クロウは弾かれたようにそちらへ首を振った。

 

 視界の先には、萌黄色の髪の、美しい『長命種(エルフ)』。白いマントの下にノースリーブにアレンジされた巫女装束風の白い衣装を着ている。

 式神を介してではなく、直接相見えるのは初めてだが、“匂い”で正体を悟る。

 

 しかし、戦闘直後も残心を取り、常に気を張っていたというのに、これだけの距離を近づかれても気づかなかった。幽霊のように捉えどころのない存在は、不躾に道路を踏み鳴らして進む戦車よりなお恐ろしい。

 

「さあて、邪魔なのは片づけたところで、早速、弟子が世話になったお礼をしようかね」

 

 洒脱で艶のある声色。だがその声が途切れる前に、すでに彼女は仕留めた最後のひとりから放り捨てており、同時に、ひとつの気配がクロウの致死圏内まで踏み込まれていた。

 

 

「<蛇遣い>に<第四真祖>と連戦が続いたようだけど―――息つく暇もなく、楽にしてあげる」

 

 

 それは、縁堂縁が魔術で作り上げた分身体。<魔導打撃群>を仕留めたもうひとりが注意を引いたところで懐に潜り込まれた。

 

(笹崎師父の隠形と同じ……!)

 

 空港の麻薬捜査犬はビニールパッケージの外側を独特な刺激臭がするチーズ等で塗り固めたところで誤魔化されない。<黒妖犬>の『嗅覚過適応』はそれ以上。

 だが、無音暗殺術『八将神法』を舞威媛たちに修めさせてきた師家の歩法はそれさえ欺くか。

 

 後ろへ下がるどころか、声を放つ暇もなかった。

 その時、この獅子王機関の師家がそっと寸止めするように突き触れたのは指一本。

 用意した武神具を抜くこともなければ、その繊細な手のひらを拳の形に握り締めることさえなく、ただ爪で少し突っつく、そんな些細な動作だ。

 にも拘らず、

 

「<(ゆらぎ)>よ」

 

 ドンッッッ!!!!!! と巨大な太鼓を打ち鳴らすような轟音が街中に炸裂した。

 真祖に最も近いと言われる吸血鬼を力でもってねじ伏せた筋肉の塊が、あっけなくくの字に折れた。それも今は鎧で守られているというのに。

 腹から背中に向けてすさまじい衝撃が突き抜け、彼をその場に残したまま、背後にあった残骸が不可視の波を受けてまとめて一直線に薙ぎ払われていく。

 

「お……っ」

 

 体内で爆弾が破裂したかのような感覚――拳の雨を浴びる感覚にも似ている。しだれ柳の花火にも似た、血の雨が飛び散る。

 その鉄臭い雨の中、この絶招を打ち込んだ師家の口元が、ふっと緩んだ。苦笑い気味に。

 

「これを凌ぐかい」

 

 という他の誰でもなく技を放った縁堂の独白。

 

 守護を透徹し、体内を直接揺さぶりかける<響>の極み。抵抗の機会など一切許さず。クロウは二本の足で立つ力さえ維持できず、その場で崩れ落ちて意識を投げ出しそうになる。

 ―――だが、そうはいかない。まだ、自分は膝を屈するわけにはいかない。

 

 爪先の一点にまで絞り込まれ貫通する指弾、かつて経験したことのない衝撃だった。とても踏ん張れるものではない―――これを、噛み殺す。

 犬歯を口に突き立てるように食い縛り、気力で立て直す。明滅してる意識が、完全に暗転すれば、その瞬間に終わる!

 

「ちぃっ!」

 

 雪菜のこともあるから面倒なく初っ端で仕留めるつもりだったのにこりゃ、精神が肉体を凌駕してる。いや、とっくに散々無茶を重ねているようだから、していた、と言うべきかと悪態をつきながら一端距離を取ろうとする。

 

 会心の一撃を見舞ったと手応えがあった後だけに気が緩んでいたか。

 襲撃を受けたクロウが気息の整わぬうちに無理やりに放った、霊弓術。それも、第三の獣王と同じ、獣気を纏った超高出力の霊弓術。矢と言うより槍のようなそれは当たればひとたまりもない。光の尾を引いて爆発的に加速。疾風を沸き起こしながら、後退した縁堂へ突き進む。

 

「おっと」

 

 師家は目を瞠った反応を見せるが、即座に手から魔力を放出しその矢を包み込んだ。

 まるで空中に見えないレールが敷かれたかのように、霊弓術はグルグルと何十周も彼女の周囲を回り始めた。そして、合気の如く勢いを殺さぬまま、クロウの放った霊弓術はそのままクロウへ撃ち返される。

 

「……っ!」

 

 それを片手で握り潰して、わずかに目を細めるクロウ。

 特別な術を使ったわけではない、純粋な魔力の制御のみで、こちらの矢をいなしたのだ。

 

 手強い……!

 そんな感想を抱くと同時に、<心なき怪物>の兜に備え付けられた通信機より伝令。

 <魔導打撃群>を壊滅させた襲撃者を迅速に撃破せよ。すなわち、獅子王機関師家・縁堂縁を始末しろ、と。

 

 

???

 

 

 けしかけた<第四真祖>はあっけなくやられたが、こちらが侵入を果たせるに十分な騒ぎを起こしてくれた。それに、彼らがあっさり退場してくれたおかげでか、縁堂縁を表舞台へ引っ張り出すことができた。

 矢瀬顕重の手駒であった<魔導打撃群>は壊滅。

 <蛇遣い(ヴァトラー)>を屠るために使った人工衛星搭載型の対地レーザー砲があるが、あれは一度放てばしばらくの冷却期間(クールタイム)を要する人工島管理公社の鬼札だ。

 故に、『墓守』に、この獅子王機関からの“祭壇”への介入の排除は委ねられているのが現状。邪魔者同士がお互いに潰し合ってくれてますます好都合である。

 

 風向きは、今、自分に吹いている。

 

 そうして、地下トンネルの終点へ辿り着く。

 

 何もない、ただっ広いだけの空間。

 直径はおよそ10m。深さ15mほどの円筒形の空間。

 そして、地上でも地下でもない、この人工島において海抜0mの空間。

 

 ここが第零層――<咎神の棺桶(カインズ・コフィン)

 

 目前にそびえ立つ垂直の壁は、頑丈な金属で造られている。外壁や扉に継ぎ目はなく、よじ登るための足場すらない。塵ひとつない殺風景な空間だ。

 見かけが精々貯水槽くらいにしか利用できなさそうなところであるが、

 

「<カインの巫女>はまだここにはいないようですね」

 

 しかしいずれは来る。準備さえ整えれば浮上させるだろう。

 

 <カインの巫女>が幽閉されているであろう<C>は、今この絃神島直下の海底深度400m地点に沈んでいる潜水艇のことだ。

 キーストーンゲート第零層は、その潜水艇の整備や補給を行う基地といったところだ。

 

「……『咎神』を復活させるためには、『記憶』を保存した『棺桶』とキーである巫女が必要―――つまり、条件さえそろえば、()()()()()()()()()()!」

 

 そう、神縄湖で目撃したあの奇跡。

 これを実現させるには、“彼女”の記憶を保存している媒体――<雪霞狼>と、それを読み出せる依代――<黒妖犬>の身柄を用意すればいい。“進化”して、世界と一体となったとしても、世界を変容させる『聖殲』の力さえあれば、引き戻せるのだ。

 

「その為ならば、世界が滅んでしまおうと構わない」

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

 張り詰めた空気が両者の間に流れていた。煌く刃と爪を共に突き合わせる師家と<心なき怪物>は微動だにせぬまま睨み合って動かない。糸を指で弾けば今にも激しく攻防を打ち合わせそうな気迫を漂わせながら、全神経を研ぎ澄まして互いに互いの呼吸を探る。一見は穏やかな、しかし水面下では壮絶な読み合い。

 

 長期戦は避けたい。というのが、縁堂縁の心情。

 ああも“『異境』に過適応されている”<黒妖犬>の五感は、平素のよりもさらに破格なものだ。故に、縁堂が完全に不意を打って打ち込んだ揺らぎも、あれには知覚できていた。

 波動の広がる様、振動の振れ幅を感じた。だから、急所は免れた。

 

 そして、獣王はその膂力と共に、スパコンに匹敵する聡明な頭脳、情報処理能力を有する。

 相手の手を分析し、尋常でない速度で対応する―――この学習能力こそが、殺神兵器の厄介なところ。同じ手は二度も通じない。偽者とはいえあの『三聖』の<静寂破り(ペーパーノイズ)>すら破ったのだ。

 考えなしに無鉄砲な数撃ち当たるを実践すれば、持ち札は一気に減らされるだろう。

 仕留めるのなら、学習させる余地など与えずにやる。一切容赦なく、一気に畳み掛ける。

 

「―――<雪霞狼>」

 

 緋色の薙刀を振り抜く。勢いを殺さず、更に立て続けに振るわれた二の太刀、三の太刀。運動エネルギーを位置エネルギーが絶えず入れ替わるジェットコースターのように、師家の太刀筋には停止期というのが存在しない。

 それを霊弓術の硬気を纏わせた上で、連ならせることで斬撃のひとつひとつが三日月状の鎌鼬となり、刃先の先へ伸び放たれる。機鎧の人狼へと虚空を斬り裂きながら襲い掛かる。

 

 余人には、師家の武器が消えたように見えただろう。

 緋色の流線だけが空中に刻まれる。一つ、二つ、数えて三つの弧を描き襲い掛かる剣閃。

 業のみで繰り出されるとはとても思えないその鋭さに、クロウはわずかに硬直する。

 

 此れが雪霞の猛威ならば、此れが狼の牙であるなら、このような硬直をする兵器ではない。

 此れが雪霞の吹雪であるなら一喝で吹き飛ばし、此れが狼の牙であるならその頭蓋たる刀身すら砕いてみせよう。

 

 しかしこれは雪霞の狼。

 爪を立てても雪霞はすり抜け、咆哮を上げる喉笛に狼牙を突き立てる。

 その攻撃が囲うように放たれるのだから逃げ場はない。

 

 ―――ならば、足を止めるのは愚の骨頂。

 

 躱せないのなら、当たって、砕いて、押し通る。

 猪突猛進こそ単純明快にして正解であったか。

 体力魔力の損耗、負傷具合、長期戦は不利と見れば逃げ回る益などない。瞬時に最善手を選び取ることができるのは、本能故だろう。

 だがそれは同時に両者の技量の差を露呈させた。

 もしも<雪霞狼>の剣閃を払いのけながら突き進む技量があるのなら、堅実に突き進んでいただろう。

 この手合いの猪武者は格好のカモであると。

 業だけで押し切ろうとする縁堂は後退しながらさらに弧を増やし空間を制圧していく。

 

 しかしクロウの突破力は尋常ではなかった。

 そうこれは傑物にして怪物。

 <雪霞狼>の剣閃で網目を描こうが策を築こうがはたまた壁を造り上げようが構わず、四肢が千切れ飛んでも頭があれば噛み砕けるという死に物狂いの精神で襲い掛かってくる。

 それで実際に軽傷で済ませるのだから侮れない。

 

「っ―――!」

 

 そして、最後、一足飛びで間合いにまで踏み―――込もうとする出足に先んじる形で縁堂が閃光のように駆け、クロウに向かって緋色の薙刀を突き出す。

 師家の心眼は、機鎧の隙間を見抜き、密度(ガード)の薄い箇所を瞬時に探り当てることも造作もない。霊力を帯び、眩く輝くその刃は、<疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>の如き魔を滅する強力な浄の属性を有しており、吸血鬼の眷獣さえ平気で貫く。―――はずだったが、クロウは自ら身を乗り出すよう、師家の刃を受けた。

 縁堂が驚き、しかし止まらず、刃を押し込もうとした。だが、刃は1mmも食い込まず、むしろ反作用で薙刀が弾かれ、縁堂の腕まで痺れた。装甲に覆われぬ地肌に薄らと纏う金色の生体障壁、あらゆる物理衝撃を遮る<疑似聖盾(スヴァリン・システム)>。

 己の肌よりも脆い鎧など、防具でも何でもないのだ。

 

 そして、隙ありと見て、クロウは反撃の蹴りを見舞う。これを薙刀の柄で柔らに受けて威力を削ぎ方向をずらそうとする縁堂。

 それでも完全に殺せぬ蹴撃の威力は薙刀をその手元から離させて―――翻る。蹴り飛ばされた得物のことなどまるで頓着しない縁堂の動き。

 ローブの裾を派手に翻し、師家の身体がぐるりと大きく回る。撓る蛇が如き足技、多大に遠心力を加算した上段回し蹴りが、2mを超えるクロウの鼻面ど真ん中を狙う。

 鎧装甲に覆われた太い両腕を盾に間に挟み、しっかりガードを固めたにもかかわらず、すべてが無駄に終わった。

 吸い込まれるように決まった蹴り込み、着弾点に発生した防御を貫通する衝撃は、踵側から解放されたひとつの方向性に収束されたエネルギーを真正面から受け止めたクロウの体躯に衝撃を走らせて、踏みしめた大地を罅割れさせる。

 

「……ッッッ!!!!!!」

 

 一瞬遅れてからの周囲へと放たれた圧力は、ビルの壁面の窓ガラスをも割り砕く。衝撃波(ショックウェーブ)

 

 ―――だが、好機!

 

 標的は得物を手放した。無防備に晒されている。

 呼吸がわずかに乱れている。致命傷ではない。

 ならば多少の損傷に過ぎない。

 膨大な魔力が供給される。獣王の肉体は堅牢に維持されている。傷は癒える。残るのは痛みだが、それは我慢すればいい。

 これまで幾度となく有形無形問わず受けてきた。そして、受け切って、潰してきた。

 蹴りを食らうとほぼ同時に、その蹴り足を叩き折るべく、顎の如き両手指噛み合った握撃を繰り出すが―――

 

「身も心も頑丈な相手とやり合うのはしぶといから疲れる。ちょっとは年配者を労わらないかね」

 

 するりと躱される。皮肉混じりに。まだ余裕がある。

 数多くの剣巫・舞威姫を輩出した獅子王機関の師家、対人戦闘によほど慣れているのか。

 

 スペックも技量もさることながら、何より駆け引きが巧い。

 端的に言えば場数や経験から来る試合運び。相当戦い慣れている。<白石猿>にも引けを取らない豊富な引き出し。

 特に舌を巻くのは虚実の技巧。

 フェイントから間合いの取り方、身のこなし、その一挙手一投足に至るまで、どれが本当でどれが嘘なのかとにかく読み辛い。相手はこちらが動きを読むことさえ織り込み済みで仕掛けてくる。

 わざとその気配を匂わせてから、次の瞬間にはその予測を裏切る攻撃を繰り出す。反撃しようにも、まずこちらが有利に運べる状況に移らせてもらえない。

 これを可能とするのは眼力、研ぎ澄まされた観察眼。一段階深化している師家の霊視は、対象の気配、その動きの機転を確かに感知する。微細な筋肉の動きから呼吸まで、全てを感じ取る。

 

 ―――ならば、力業で条理を覆すのみ。

 強引に、泥仕合(こちら)の土俵に引きずり込む。

 

 鋭い呼気。我武者羅に振るった剛腕。

 相手の足を掴まえられず、スカした両手の指を噛み合わせて握り込み槌とし、鉄杭でも打ち込むように地面に叩きつけられた。

 大気が破裂する。大地を打楽器とした震撼する波動、拡散攻撃だ。それはミルククラウンにも似て、この一区内で硬い鋼盤が捲れ上がって宙を舞う。スケールの凄まじい畳返し。必殺の威力はないが、地に足をつけている者には躱しようがなく、まともに当たればいくらかの隙も生まれよう。

 だが、今、縁堂縁は、二人に分身しているのだ。

 

「―――<煌華鱗>」

 

 木の葉のように吹き飛ばされた分身体を尻目に、もうひとりの、太刀を有する縁堂の手にした反った刀身の先端と鍔に糸が張られた。

 眩い光を放つのは、霊弓術。

 それは太刀弓を引くと集約されて一本の矢となり、そして無慈悲に放たれる。

 

 ガカッッッ!!!!!! と暴力的な閃光が空間を引き裂いた。

 この師家は、舞威媛が武神具に頼って行う圧縮詠唱を口笛のように軽く口ずさんで成立させてしまう。

 思わず身構えた機鎧の人狼に直撃し、弾こうとした両腕を逆に弾き飛ばす。大きく万歳するように持ち上げられ、無防備な胴体をさらしてから気づかされた。たまたまではない。相手は、まずこちらの腕を狙い、確実に次の一手で葬り去れるよう態勢を崩すことに集中していたと。

 

 そして、冷徹な声が響く。

 

 

「光あれ」

 

 

 反論も暴言も一切言わせず、さらにもう一射。

 速いだけではなく、執拗だ。閃光の鏃は空間中で曲線を描いて、標的の心臓を貫くべく襲い掛かる。まともな回避行動を取ってもそれ以上の鋭角さで軌道修正して急所を抉り取ってしまうだろう。

 

 ゴッキィィィン!!

 と、それでも、不規則な軌道を見切る獣王は、脚で閃光の矢を丸ごと薙ぎ払うかのように蹴り飛ばすのであった。

 

「手癖だけなく足癖も悪いか。まったく面倒極まりない」

 

 だが、関係ない。

 縁堂が真横に倒して太刀弓を引き絞った直後、霊弓術の矢は一気に十以上扇状に広がる。

 

 極太閃光が空間をまとめて引き裂く掃射。

 

 続けて縦に掲げて真上に放ち、∩ターンで極太閃光を降り注ぐ曲射。

 

 そして、最後となる三の矢は()()()()()()剛射。

 

 参考書などで、赤い文字で書いた答えを赤いセロハンを重ねて隠す教材がある。

 縦横に染め上げる、均一な光の弾幕(カーテン)の奥から、まったく同じ色彩に埋もれた攻撃は、それと同じだ。霊視()を焦がす程に過飽和した情報量が篭められた閃光の向こうから襲い掛かれたら、相手には攻撃のタイミングも軌道も読めなくなる。

 この優れた感応を逆手に取った師家の業に、幾人の巫女が棒立ちのままやられてきた。

 

 

 しかし、この縁堂縁の選択は誤っていた。

 

 

 主の傍で幾度となくその魔術を体感してきた使い魔(サーヴァント)に、空間制御を行使するなど、痛恨の失手である。

 

 ブラインドがあろうとも、ほんの僅かな違和感(ゆらぎ)、それだけで、狙いを看破できる。

 であれば、避ける必要さえない。

 

「■■■■―――ッ!!」

 

 空間制御が高等魔術だと言われる所以は、その座標計算にある。

 相対距離、相対速度、海抜の変化や、地殻の湾曲。月齢による潮汐力の変化。地球の自転や公転に伴う絶対座標のズレもある。

 彼の魔女は、悪魔との契約によって―――文字通り人知を超えた力で、術の過程で必要となる膨大で複雑な計算の答えを瞬時に割り出しているのだ。

 

 超遠距離の式神操作が可能で、千の術に精通している獅子王機関師家の『長命種(エルフ)』であろうと、この<空隙の魔女>よりも空間制御に精通しているはずがない。さらに言えばこの手の必殺必中は、北欧アルディギアの兵器『オーディーン』の投槍で経験済みであった。

 

 そして、<黒妖犬>の遠吠えは、<煌華鱗>の一矢の座標位置をズラさせた。

 

 この『地』を統べる守護者の過適応能力と現象を上書きする『聖殲』の力が合わさり獲得した、世界を書き換える<闇誓書>と似て非なる権能。

 この空間情報が変動する環境操作(テラフォーミング)が、『魔力攪乱幕』の如く空間制御に必要な計算を無茶苦茶にした。避けられない必中の矢を、外させたのだ。

 

 そして、外れた矢の行方を追った眼の瞬きをしたコンマ数秒の隙。

 次の瞬間、師家の懐に機鎧の人狼が潜り込んでいた。

 

「!」

 

 仙法武術と獣人拳法、そして、縁堂縁が教え込んだ神法体技が複雑に組み合わせた歩法。

 正面に対峙していたのに、完全に意識の外から現れるという矛盾めいた速度。

 そして、繰り出されるのは、鉄拳。

 極限の究極まで至った獣王の四肢。まともに掴まれ筋力で握り潰されれば、大金庫の扉さえ水あめのように毟り取る。超高比重な合金製の砲弾が、見た目の強度を無視してあたかもプリンを崩すように兵器の複合装甲をぶち破るのと同じなのだ。

 さらに、そんな埒外な握力で、赤黒く澱んだ闇を凝集する。その血にも似た薄膜(オーロラ)は、霊力の階梯を超えた神気の純度(レベル)でなくば対抗しようのない理不尽。

 

「っ―――<煌華鱗>!」

 

 渾身の一矢を外させられた縁堂が咄嗟に息を呑み、けれど即座に長弓としていた太刀を凄烈の気迫を篭めて斬り下ろす。それは天地に落雷が走り抜けるよう迅速であった。

 光りさえ喰らう黒天体(ブラックホール)の如き拳撃へ、煌きを曳く紫電の刃がぶつかる刹那、爆発的な衝撃が地区全体を襲う。残骸は粉々に砕け、周囲に粉塵が立ち込める中、苦笑にも似た乾いた吐露が吐く。

 

「ったく……まともに一撃を食らえばこれかい」

 

 粉塵を切り払いながら師家が姿を顕す。

 手にしていた太刀弓<煌華鱗>は刀身を砕かれていた。そして、態勢を崩し、得物を失った縁堂の手首を今度こそ人狼の手が掴み、半身翻すほど大きく振り回して叩きつけた。

 

「はぁッ!!」

 

 響く爆音。弾ける地面。

 鋼鉄の地盤に地割れが生じ、その衝撃音は地区全体を震撼させる。

 投げつけが極まった縁堂縁の分身体は、弾けるように霧散した。

 

 

人工島中央区 シティホテル

 

 

 『墓守』の戦闘を映し出しているモニタの前で矢瀬顕重は、表に出さないようにしているが内心苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 

 何を遊んでいるのだ! 早く駆逐しろ!

 長引けば長引く程に、焦れる想いが歯を軋らせる。

 

 <蛇遣い>、それに<第四真祖>を始末したところまではいい。こちらの期待値通りだ。むしろ神殺しの禁呪――『聖殲』の補助をしてやったのだから当然の結果だと言える。

 だが、それだけに、その後の獅子王機関との戦闘で手古摺っていたのはいただけなかった。手駒の<魔導打撃群>への奇襲に勘付けなかったのもそうだ。

 あんな吸血鬼でもない、たかだかエルフなど、奇襲を許さずに圧倒してしかるべきなのだ。これでは絶対守護と謳っていた『墓守』としての価値に泥を塗っている。

 MAR総帥、シャフリヤル=レンは是か非でも同盟を結んでおきたい相手で、我らの正統性を信じ込ませなければならないというのに……

 

(やはり、一度は『瓶詰(こいつ)』を使って躾けてやるべきか)

 

 煎じ詰めれば、原因は明白―――要するに<黒妖犬(アレ)>は、欠陥品なのだ。

 性能は問題ない。だが、兵器(どうぐ)として不要な心を抱えている。<心なき怪物(ハートレス)>を名乗らせるにはあまりに愚鈍だ。

 

(……いや、それなら一から造るか? 『墓守』を造り出すプロセスはすでにわかっているのだ。<黒死皇>の材料(DNA)もある。今度は魔女になど関わらせず、最初から儂が『墓守』として相応しい殺神兵器を……)

 

 <黒妖犬(あれ)>にこだわる理由などない。

 そもそも、『墓守』は防衛装置であって、『聖殲』の発動自体には関与しない。

 必要な条件は三つ―――

 ひとつは、『祭壇』である絃神島の存在、もうひとつは『棺桶』に封印されている禁呪の解放、そして最後の鍵は、『聖殲』発動の要であり制御ユニットでもある生贄――すなわち、『巫女』だ。

 人間の限界を超えた天才的な電脳使い、藍羽浅葱を手中に収めていれば、魔族大虐殺はできるのだ。

 もっとも矢瀬顕重からすれば、この『巫女』でさえもいざとなれば切り捨てられる替え玉の効く部品でしかないが。

 

 とにかく、()()な『墓守』に対して勝手を認める慈悲など微塵もありはしない。儀式の準備が整えればそこで用済みにしてもいい部品。走狗烹らるのだから壊れるまで使い潰す。それでまた“どのくらいまで耐えられるのか”という実験データも取れよう。

 矢瀬顕重は、自らの思うままにならない存在を許しはしない。

 だから、思いも寄らぬ展開など、ありうるはずがないのだ―――

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

 呼吸や間合い、目線と言った細やかな誘導で相手の反撃を封じ、一方的に押し込める状況創出。それはつまり無数のフェイントを仕掛け続けることに他ならない。

 しかし、ついにそれにアジャストされた<黒妖犬>の超感覚はその根底を嗅ぎ分けて、成立しなくさせる。

 この対応速度は、師家の予測を超えていた。

 

(<白石猿(ハヌマン)>をも上回った殺神兵器(ぼうや)の学習能力を甘く見てたか)

 

 二度。三度。四度―――幾度となく、霊力の剣閃が、花火のようにあたりに舞い散る。

 常人の動体視力では、光が煌いているようにしか見えはしないだろう。だが、それを美しいと判断し得るだけの眼力があれば、相手の身体が10以上の肉片に分割される様が幻視できるだろう。

 そんな目にも止まらぬ斬撃にでさえ止められぬ、あまりに凄まじい反射速度(スペック)

 

 薙刀の穂先が機鎧の人狼の横っ面を叩く。いずれも人間の反射では追い切れない速さで、決定打に見えたが、装甲についた傷跡は掠れるほど薄らとで、紙一重で躱しているのだとわかった。

 何と言う人外の反射神経。

 それに動きも妙。雲のようにふわふわと軽く、しかし速い。段々と加速している。

 獅子王機関師家の繰り出す攻撃を、完全に見測られていた。

 

 時間の流れがひどく緩慢に思えるほどの超感覚。

 <黒妖犬>が体感する世界は、ひどく静かだ。深い海の底にいるよう。

 現象の全てを微細に感じ取れる。相手の息遣い、鼓動―――いや、もっと細かい、細胞の揺らめきだとか、神経の帯電さえ―――その心の蠢きさえ嗅ぎ取る。

 死闘で磨かれ、そして、蓋を外された拡張感覚。

 はっきり情報量の次元が違う。敵の動きを見切るのは容易く、己が操る力の運用にも精緻に制御する。この状態ならば、瞬時に、無駄なく、力が扱える。

 

(<煌華鱗>を潰されたのが手痛い)

 

 遠距離からの殲滅・支援のできる分身体を潰されてしまった以上、こちらは<雪霞狼>による白兵戦で応じるしかない。

 廻って、蹴って、躱して、跳んで―――(つよ)さと(はや)さを併せ持つ<黒妖犬>、こと白兵戦においては無類の強さを誇り、この間合いでは剣巫すら凌駕する逸材だ。

 迷い(むだ)なくこちらの攻撃を見切れるようになった今、その動きは霊視すら振り切るほどの速さに至る。縁堂は断続的にその影を見失ってしまっており、それを経験で補うことで凌いでいる。

 

 それでも反撃が当たらない。かすりもしなくなる。秒ごとに研ぎ澄まされていく超感覚が、この師家の動きを精確に把握し“過適応”を深めていく。縁堂縁が有する経験値(リード)の底へ至ろうとしている。

 将棋で言えばもはやこの盤上は詰み手に入ろうとしている。鬩ぎ合いは、決着へと収斂していく。

 

 ……いや、この局面は既に詰まされてなければおかしい。

 

(やはり、この坊や、まだ……)

 

 攻撃がかわされるが、反撃はほとんどされない。

 ここで縁堂縁を仕留めてもいいのか―――という迷いを抱いているのが、対峙しているこちらにはよくわかる。

 向こうのようによく利く『鼻』はないが、鉄仮面(バイザー)に覆い隠された表情が透けて見えよう。

 知っているのだ。

 この弟子は、生きるため、食べるため以外に命を奪う行為を嫌悪する。

 余計な正義感や復讐心によって己を正当化しながら暴力を振るうようになれば、己が取り返しのつかない破壊の化身になってしまう事を理解している。世界最古の獣王を倒し、ついに世界最強を名乗ることが許された『獣王』は、それが怖くて怖くてたまらないのだ。

 そう。

 この闇にも埋もれぬ――この島での黄金の日々が育んできた――心性が、縁堂縁本体への攻撃の躊躇いを生じさせている。<蛇遣い>のように殺そうが死なぬ相手ではなく、かといって<第四真祖>のように強引な誤魔化しができるほどの実力差がある相手でもないし、あんな月を落とすほどの大がかりを許せるだけの力は、残っていない。

 <黒妖犬>も、詰んでいるのだ。

 

 

異境(ノド)干渉場、固定。虚数領域より五大主電脳(ファイブエレメンツ)のパラメーター注入。基点座標において、『聖殲』を起動―――『墓守』、障害の排除を開始します』

 

 

 ―――真なる『咎神派』はついに命じる。

 観戦し、監察し、宣伝しようとしているのに、怠慢な行いを許せるわけがない。

 故に、兵器(どうぐ)として正す。

 優しい願いや希望などを引き千切り、<黒妖犬>を、<心なき怪物>とするのがお望みだった。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 早急に結果を求められ、それまでより強い強制力が働いた指令。頭蓋骨に鉄杭を叩きこまれたような痛みであった。肉体的なものか精神的な痛みなのかも判然としない。これでは白と黒も判断できず、唯々諾々に通達を疑問なく受け入れてしまう。とにかく、それほど苛烈極まる強制命令(コード)は、ひとつのことに誘導する。

 白だろうが黒だろうが関係ない。

 こちらが断じれば、貴様は目標を赤に塗り潰せ。

 すなわち、“破壊せよ”と。

 

 器に注ぎ込まれる『聖殲』の力。背中から飛び散る紅い波動で、天が桜色に染まって見える。

 

 だから、そんな真っ赤になってしまった視界にそれを見落とす。

 

「あ―――――」

 

 さしものクロウとて、反応が遅れたようだった。

 複数の太い銀鎖が躍る。もっぱら打擲用に扱われる重厚なる呪われた鎖が、横殴りに機鎧の人狼の頬を叩く。打ち倒せるほどの威力はないが、それは完全に不意を突いて面を引っ張叩いてくれたのだろう。

 極限にまで張り詰められた状態は痛苦や怯懦さえ捻じ伏せてしまうものだが、反面、意外なほど容易く緊張の糸と言うのは切れてしまう。

 想定外の事態。

 誰よりも、クロウにとって想定外。予想できないのではなく、その到来はありえてはならないものであって、想像することさえも許されないものとして自粛していた。だから、放心して、空いた口から洩れるのは言葉にもならない。

 

 なので、殲滅なる後光を一掃してくれた嵐のようなその正体を口にしたのは、縁堂縁であった。

 

「空隙の、魔女……?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして、『墓守』へのラインが途切れる―――

 

 

人工島中央区 シティホテル

 

 

「『棺桶』が、消失(ロスト)しただと……?」

 

「は、はい。通信、途絶しています。『棺桶』の反応が途絶えました!?」

 

 

海底

 

 

 ―――すべては水面下で行われた(はかりごと)

 

 

 海中でも活動可能な魔獣<蛇の仔(タラスク)>に()()()兼邪魔な障害を排除する護衛を任せ、潜水艦で捜索する。

 しかし目標物は備え付けられた索敵センサーにすら感知しえないステルス機能を有しており、探知系を拒む魔術除けの結界が張られている。それも水自体に魔力を減衰させる性質がある。

 事前に、風水術にて探り当てた『祭壇』たる人工島の機構の――『東洋の至宝』と謳われた男が遺した――情報より、それの大まかな見当はつけてはいる。

 

 それでも海は広く、昏い。

 水深400m……そこは、深海と呼ばれる領域。太陽光がほぼ届くことがなく、可視光線はほぼ遮断された、暗黒の世界。

 照明に当てられた箇所でしか目視の叶わぬ中で探すのは、至難の作業だろう。

 

 それでも私は、この任を全うする。

 

 <空隙の魔女>が<監獄結界>に眠りについている間、その現実にない本体には手が届かないように、『棺桶』を守護する限り『墓守』は、ありとあらゆる必然と偶然を操作して守られる『巫女』の恩恵にあずかり、敗北することが許されない無敵と化す。

 それはつまり、“止められようがない”ということになってしまう。

 だから、先輩を解放するためには、まず『棺桶』と『墓守』の呪縛(ライン)を断ち切らねばならない。

 

(早く、見つけ出さないと―――これ以上は、もう―――)

 

 青水晶の目を凝らし、昏い海を虱潰しに潜航していたそのときだった。

 その声が聴こえたのは。

 

 

    “こっち”

 

 

 それはこの人工生命体の記憶にある声で、だけど、こんな深海に聴こえるはずのない声。

 

 

    “こっちに……ちゃんが……いる”

 

 

 しかし“彼女”の声は、何度も示す。必死に、訴える。また、科学と魔術の探査でさえ捉えられぬはずのその影を、的確に掴んでいるような響きであった。

 

 

    “お願い! 浅葱ちゃんを……クロウ君を……助けて……!”

 

 

 消え入りそうな、だが、しかと託された嘆願はこの胸に抱く想い(もの)と共振する。

 あまりに都合のいい。根拠などない。普通の神経、少しでも理知的であればそんなのは幻聴だと処理をする。しかし、この時は理性よりも情動の働きに優先された。そう、何よりも信頼できる情報と定めたのだ。

 この導きが示した先へ急行し、そして―――

 

 

目標物(ターゲット)、発見しました。教官(マスター)、指示を」

 

 

???

 

 

 『棺桶』は『聖殲』の核となる装置。

 水深400mの海底に沈めており、他所からの干渉を防ぐために魔術除けの結界が施されている。

 これが浮上してくるのは、儀式の準備が整った時だ。

 ―――だが、そんな向こうの事情など考慮してやる義理はなく、そこまでいけばあの男は『墓守』を使い捨てるだろう。仕事がなくなれば走狗(イヌ)は始末するのが奴にとっては常套だ。

 

 

『―――命令受託(アクセプト)

 

 

 やれ、と繋がっている通信に向けて短く許可を出せば、端的な応答が返り―――結界破りの指先(ロドダクテュロス)が『棺桶』に届く―――そして、呑み込んだ。

 

 これで、芸能人気取りの教え子は回収した。人質にしていた両親、藍羽仙斎・菫もすでに救出済みだ。

 これで、『聖殲』の肝となる『巫女』を欠いてしまえば、大願成就を目前に控えて計画は破綻。

 

 やられたことをやり返したのだ。

 向こうもテロの襲撃で死を偽装し、裏で事を運んでいたが、今回はそれをこちらがやらせてもらっただけのこと。

 そう、気づいた時にはもう遅い―――

 

 ―――でも、これで終わりではない。

 

 ようやく、息を潜めるのを止めただけ。ようやっと、この水面下から顔を出す時が来た。

 意識を切り替えた途端、“それ”は音もなく湧き出してきた。胸の内から“それ”がふつふつと音を鳴らし、得体のしれない熱のようなものを発し始めたときには、もう制御不能になっていた。自覚症状が現れたときにはもう手遅れなほど深く進行しているガンのようなものだ。どうしてこうなった。いったい何が悪かった。そう思う心を止められない。さらには、わざわざ“それ”を抑え込もうとする意志さえも、もう彼女の中には存在しない。

 表情は動かない。人形であるかのように。

 獣のように歯を剥くことも、肺が破れるほどの咆哮を発することもない。静かだ。だがそれは、何の感情も抱いていないと示しているわけではない。彼女は、知っているのだ。絶対に失敗が許されない局面こそ、無意味な感情表現は控えるべきだと。前回、それができずに失敗した。あれから鉄仮面を付け直す作業に時間を要した。事の困難さと比例し、自分を押し殺さなくてはならない局面で、それが成功への道筋であると理解していたから。徹底した。

 冷静に個人など無視し、状況を俯瞰できる自身を、無情に、徹底した。

 そして。

 ポツリと。

 徹夜明けで無意識に零してしまった欠伸のようなものというよりも、それは宣誓のような形で、一度だけ彼女は唇を動かした。

 宣告する。

 

「さあ、戦争の刻だ」

 

 これ以上待ってやる必要も理由もない。

 誰に喧嘩を売ったのか、そいつを正しく思い知らせてやる。

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

「クロウ……?」

 

 撃ち抜かれた心臓が回復し切っていない状態ながら、吸血鬼の体力で穴から脱した古城が目撃したのは、ボロボロになった師家・縁堂縁(ニャンコ先生)と暴走し―――突然、停止したクロウ。

 赤い浸食に呑まれたかと思えば、潮が引くように消えた。

 

 一緒についてきた雪菜も、親代わりの師が常の涼し気な雰囲気を捨てて息荒げになってる姿に目を瞠って、状況を把握し切れていない。その対決していた縁堂縁に至っても、不明な事態で構えてる矛先を向けるか揺れている。

 

「おい、大丈夫かクロウ!」

 

 よくわからないが、これは絶対にまともな状態ではないはず。そう判断し、後輩の元へ駆け出そうとした古城。

 

 

「さわぐな、暁古城」

 

 

 ―――と、出し抜けに別の声がした。

 すたすたと軽い足取りで、この急制止された戦場に近づいてくる者がいる。

 直前まで気配がなかった。それでいて、急いで現れたふうでもない。初めからそこを歩いていたかのように、彼女は悠然とこちらに接近してきた。

 

「転校生、貴様の監視対象が勝手をしないようにきちんと見張っていろ」

 

 教師らしい口ぶり。それが誰の声か、雪菜もとっくに理解しているはずだ。

 それでも振り向けない。願望が見せた幻想ではないかと疑っている。

 

「那月ちゃん!」

 

 童女のような幼い顔立ちで、豪奢なドレスを纏った魔女。

 そう、<空隙の魔女>南宮那月が、現れた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 直前まで『鼻』にも感知し得ない、空間の揺らぎ。

 そんな真似ができる者は、ひとりとしか知らない。

 

 どうして、来たんだ……?

 

 部品を引っこ抜く無理やりな強制停止の反動からか、身体が思うように動かないでいたクロウもそれを知る。

 疑問が脳裏を占める。

 こんな表舞台(ところ)に出たら、すべてがバレてしまう。だから、自分が獲り返すまでは眠っていてもらわなければならないのに……!

 

「なんで、だ、ご主人……」

 

 心身を摩耗させ、感情を押し殺していた少年は、胸の奥深いところに押し隠したその単語が、漏れ出る。

 その時、被っていた兜より通信が入る。

 

 

 ―――直ちに、<空隙の魔女>を、やれ。

    さもなくば、瓶詰の心臓を握り潰す。

 

 

 ドクン、この“胸の内の心臓”に寸鉄をねじ込まれたような気がした。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <黒妖犬>によって、<空隙の魔女>は殺された―――

 と、絃神冥駕に聞かされていたが、今、目の前にいるのは紛れもなく、古城の傲岸不遜なる担任教師で、後輩の主人たる魔女だ。

 やっぱりデマだったじゃねーかあの野郎!

 

 ……だが、それにしては様子がおかしい。

 主の方へ顔を向けた後輩は、いつもの調子で呼ばれずとも駆け寄る気配など見せずその場に佇んだままで、それもどこか責めるように彼女のことを睨んでいる。

 一方で、那月ちゃんの方もいつもの皮肉は言わず、クロウからの口ほどに文句の篭った視線()を半ば無視する形で受け流している。

 古城の目には見えないが、両者にはまだ、歩み寄るのを拒む隔たりがあるようだった。

 

 疑問は他にもある。

 南宮那月は無事だった。だが、どうしてこんな二週間もクロウのことを放置していた。<心なき怪物>なんて真似を許した。こんなこと、彼女が最も許せないはずであろうに。

 

「古城、雪菜、それにそこのエルフよ。あの二人に手出しをするな」

 

「ニーナ、お前なんでここに? まさか那月ちゃんといたのか?」

 

 この半月ぶりの顔合わせに言葉もなく、対峙する主従を見つめていると、足元から制止の声。

 見下ろせば、そこにオリエンタルな美貌をもつ小人。錬金術を極めた大賢者にして、『霊血』なる魔導金属で体を構成しているニーナ=アデラート。

 これに縁堂縁は緋色の薙刀を肩に立てかけ、洒然と訊ねる。

 

「なら、説明を要求するね。<空隙の魔女>は、<黒妖犬>に裏切られてやられたと話に聞いてたんだけど」

 

「よかろう。偏屈な那月は絶対に語ろうとしないだろうから、代わりに(わし)の口から始終を話してやろう」

 

 大仰しく頷く古の大賢者。

 チッと舌打ちが聴こえた。

 余計なことを……と忌々しげな呪詛(オーラ)を覚える古城だったが、いつもなら口よりも早く襲ってくるだろう空間制御の衝撃波がない。

 それだけ目の前の相手に集中している。不眠不休とこき使われ続けてきた半死半生の身体の具合をつぶさに視察し、目を細めている。

 

「クロウは、那月を裏切った。だが、そこには裏切るに足るだけの理由があった」

 

 クロウが那月ちゃんを裏切るだと?

 ニーナの発言は古城にはとても信じ難いものであったが、続く言葉に閉口する。

 

「あ奴は心臓を人質とされておる」

 

 ニーナ=アデラートは語る。

 “心臓の肉1ポンド”という強欲な商人が用いた契約法を。

 

「那月先生はそんなことを……!?」

 

 語られる術式に息を呑む雪菜。

 かつて、『波朧院フェスタ』で起こった『闇誓書事件』で、仙都木優麻が、<第四真祖>暁古城の身体の神経系を空間制御で別々に場所に繋げてみせたことがあったが、生きたまま心臓を瓶詰に隔離させるなど残虐な振る舞い。看過できるものではない。

 

「咎めるのは当然のことだ。だがしかし、クロウが魔族特区に身を置くために絶対の保証できると思わせるだけの安全策が必要だったのだ。あまりに強すぎる、そして制御の出来ない兵器など置き場がない。那月が先手を打たなければ、『首輪』だけでは納得のしない管理公社はより徹底した管理をしただろう。学校に通わせることなど不必要だと処置されるだろうな」

 

 不遇なことに後輩は、この絃神島に多大な活躍はすれども、あまり評価はされない。攻魔師資格(Cカード)がなく、働きは無償奉仕(ボランティア)か、管理役の那月の手柄と処理される。

 実際、錬金術師・天塚汞の事件でのクロウの扱いを見ていた古城には納得などできないが、ニーナの憶測は的を射ているものだと頷かざるを得ない。

 古城は震える声で、

 

「クロウはそんなこと納得してたのか……? 心臓を誰かの手元に置くなんてこと……」

 

「いいや、クロウは皆目知らなかった。全て那月の独断でやった」

 

 な……っ!? と今度こそ言葉を失ってしまう古城と雪菜。

 理由があるとはいえあまりに横暴。生与奪権を預かり知れぬところで取引するなど、いくら主人でもやり過ぎた。

 

「だから、土壇場でそれを明かされたクロウは、納得せず、ああして那月を裏切ったのだ」

 

 クロウには、南宮那月を見限るのも仕方がないだけの理由があった。

 <()()()怪物>に追いやってしまったのは、他ならぬその主人であった。

 それでも、呑み込めない。悪足掻きでも、古城にはニーナの口から出る事実は受け入れ難くて、那月を見てしまう。でも、その小さな背中は、否定しなかった。

 

「なるほど、ね。道理で」

 

 と物言わぬ魔女を見つめている古城と雪菜の隣で、縁堂縁はあっさりと腑に落ちたように頷いた。老獪な長命族は呆れを含んだような声音を漏らす。

 

「にしても、冷徹な魔女というには、随分と、“使い魔(サーヴァント)想い”じゃないかい」

 

「師家様……? どうして、そんなことを……」

 

「何だい雪菜、お前さんも気づかないのかい」

 

 修行不足だね、とありありと呆れた調子な眼差しを向けられる雪菜は、委縮してしまうも、今の発言の理由を乞うように、萌葱色の瞳を見つめる。

 そして、古城ははっと口元を手で押さえる。

 ふと過ったひとつの憶測。それは古城の中で最も腑に落ちる可能性だった。その無根拠な想像を可能性のひとつから確定させるための問いをニーナへ投げる。

 

「……なあ、ニーナ。那月ちゃんは、()()心臓を瓶詰にしたんだ?」

 

「気づいたか古城。そうだ。汝の思っている通りだ」

 

 じゃあ、そういうことなのか。

 

 

「“魂に懸けてその自由を保障する”と契約を交わした。ならば、それは当然の筋だと言いおったよ那月は」

 

 

 そう、那月ちゃんは文字通りに命を懸けたのだ。

 

 驚くと同時に、胸が温かくなるのを感じた。

 南宮那月のことをもっと合理的な人物だと思っていた。冷静で冷徹な判断が下せる、“割り切った”人物だと。

 だが、その素顔は、皆が思っているほど、冷たくもない。

 

 けれど、彼女の思い通りにはいかなかった。

 予定よりも早くに事が進み、そして、クロウは最初に交わしたその契約を破って敵対した。

 

 あの時、“匂い”でそれが己の心臓ではない――主人の心臓(もの)であることを気づいた南宮クロウは、南宮那月の左胸を突き刺し抜いた。()()()()()空白を狙って貫いて、麻痺させる。暴走した『霊血』に襲われた際に、藍羽浅葱の生体活動を一時的に止めたことがあったがそれと同じ。それから徹底して、『嗅覚過適応』の応用発香側(フェロモン)で抵抗意識を奪い、<空隙の魔女>を殺したようにみせかけた。

 

「妾は那月ほど情に篤い魔女は知らぬ。だが、それだけの情を受けた相手が那月自身をどう思っているのかを測り間違えた。いや、きちんと向き合えていなかったというべきか。クロウの横紙破りは那月には考えられぬものであろうと、クロウにはそんな那月を無視することは絶対にできない事だったのだ。

 故に裏切り、裏切られた」

 

 結局、裏目に出てしまったということなのだろう。

 縛られないように仕組んだはずなのに、結果として、南宮クロウは兵器に成り果てることを自ら選んだ。

 だがそれだけ、『“ご主人”の死』というのは南宮クロウにとって自分を抑えられなくなる、耐えられなくなる境目だったということ。

 

 そうして、使い魔に裏切られて、契約を横紙破りされて……助けられてしまった彼女がきっと筆舌に尽くし難いモノを抱いたはずだ。

 

 矢瀬顕重が死を偽装して裏で企てていたように、南宮那月も動いていた。死人はノーマーク。潜水艦に搭乗させたアスタルテによって邪魔な結界を壊させ、『棺桶』の密室空間に閉じ込められた巫女である藍羽浅葱を救出し、肝心の『聖殲』を機能させなくさせる。魔族特区潰しのテロリスト(タルタロス・ラプス)時代に返ったかのように、『咎神派』の計画を破綻させた。

 そして、今、ここにいる。

 すべての準備を整えて、<心なき怪物>からクロウを解放するために―――

 

「じゃあ、那月ちゃんは心臓を取り返せたんだな?」

 

「いや」

 

 上り調子に希望的観測を抱いた古城に、ニーナは首を振る。縦にではなく、横に。

 

 は? と固まる。

 クロウは、那月ちゃんを助けたくて、<心なき怪物(ハートレス)>となっている。その為ならば、主さえも裏切る。

 なのに、その肝心の<瓶詰の心臓(グラスハート)>が奪われたままじゃあ、そんなの……

 

「矢瀬顕重は、那月の心臓を奪い返そうとしていたクロウがついぞその隙を見つけ出せなかった相手。相当に用心深い。奪還は無理だろう」

 

「おい待てニーナ! それじゃあ、那月ちゃんは……!」

 

 蒼褪める古城と雪菜。

 感情が先立ってしまう若者らへ、ニーナ=アデラートは強い語気で告げる。

 

「<空隙の魔女>は、決死の覚悟を決めて、<黒妖犬>と対峙しておる。妾はこれに手出しする部外者は何人であろうと許しはせぬ。たとえそれが世界最強の吸血鬼<第四真祖>であろうとな。

 ―――これは主従(ふたり)戦争(けんか)だ!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 クロウには、もうどうすればいいのかわからなかった。

 

 主の心臓を取り戻すまでは、死んでも死にきれない、何としてでも取り返してみせる。

 その己に課した誓いで、今日まで生き抜き、戦い続けてきた。

 だが、奪還のチャンスには恵まれず、そして、唐突に終わりが訪れてしまった。

 

「ご主人は……出てきちゃ、いけないのに……!」

 

 堪えに堪えてきた激情をもはやかみ殺すことができず、表面張力がついに溢れてしまうように、クロウは震える声で怒鳴った。

 

「なんで、会いに来ちまったんだ……っ!」

 

 自分のその言葉が肺腑に染みた。

 下された命は、南宮那月を今度こそ始末すること。

 さもなくば、囚われている心臓を握り潰す―――

 

 どちらにしても結果は同じ。

 出会えば死をもたらす<黒妖犬(じぶん)>の存在がこの時ほど憎々しいと思ったことがない。

 混乱を極め、子供のように泣き喚く『墓守』へと、魔女はついに口を開いた。細波一つとて起こさぬ淡々とした声で、

 

「それが、私の生き方だからだ」

 

 外野などに逸らさず、彼女の眼差しは迷子のように震えるサーヴァントへ向けられる。

 

「最初に交わした誓いの……“魂を懸ける”という意味がわかるか?」

 

「っ! だから、オレは……」

 

「フン。やはり勘違いをしているな。あとで辞書を引き直せ馬鹿犬。いいか、魂とは、命のことではない。“誇り”だ」

 

 <堕魂>という死よりも恐ろしい、魂を堕とす禁術を知る魔女は言う。<心なき怪物>などと呼ばれるクロウへ、南宮那月は告げる。

 

「私は、“魂を懸けた”。―――故に、“誇り”を忘れた怪物に堕ちるのならば、約通り、私はこの命が死に果てようが、貴様を殺す」

 

 

???

 

 

 ―――混沌は闇に紛れて蠢く。

 

 

 『聖殲』を操るための要素は三つ。

 『棺桶』と『祭壇』、そして、『巫女』だ。

 

 絃神冥駕には、『神縄湖』で、『聖殲派』の騎士たちより回収した『仮面』――“彼女”の遺志を記録し、そして、本体の“彼女”の意思との精神感応(テレパス)を可能とする、『聖殲』の遺産がある。

 本来であれば正当な『巫女』である藍羽浅葱を懐柔しておかなければこの世界変容の力を振るうことはできないが、この魔具は『棺桶』に干渉し得る例外(イレギュラー)な制御ユニットと繋がっている。

 これがあれば、『聖殲』行使の全権はならずとも、絃神冥駕の個人的な世界変革が出来得たかもしれなかった。

 

 

 だが、彼の計算違いのことが起こった。

 

 

 その『巫女』の意思を送り込むべき『棺桶』に異常が発生した。

 『棺桶』の潜水艇は、その結界機能を破られ、“回収役”である巨大な魔獣<蛇の仔>に丸ごと呑まれているのだ。

 

 強力な魔力障壁を張り巡らされた<リヴァイアサン>の体内は、<夜の魔女(リリス)>の魂でさえも封じ込めると見込まれていた。

 

 『棺桶』は、『咎神(カイン)』の叡智を詰め込み、神の如き演算能力を誇ろうとも、機能それ自体は潜水艇の域を超えることがない。

 そして、魔獣体内環境は、それに即応された通信機器(アンテナ)で中継を挟まなければ電波でさえも断絶された空間なのだ。

 

 たとえ<咎神の棺桶>の内側は、<カインの巫女>以外の侵入を許されない、外界から隔絶された領域であったとしても、その『棺桶』自体を更なる隔絶された魔獣体内へ丸呑みにしてしまえばいい。

 

 これには専用の回線を持ち、唯一、外部から制御する方法を隠し持っていた矢瀬顕重でさえ、遠隔操作することなど叶わない以上は何もできない。当然それは絃神冥駕にも同じようなことが言える。

 

 第零層より呪詛(ウィルス)を流し込んだが『棺桶』に侵入できず、“もうひとりの巫女の意思”は行き場を失った。

 

 肉体など持たぬ残留思念のみの存在は脆弱で、受け皿がなければそう長く現世に留まることはできずにそのまま消えてしまうのが定め。

 

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 

 ………、……

 

 “門番”、として置いていた捕食型人工生命体(バルトロメオ)

 剣巫の掌打にやられて機能停止に追いやられた捕食者の中で、“取り込んだ者”の意識が浮上した。その身が呑まれようとも呑まれぬ、強い意思が。

 

 ……a……

 

 “お嬢様(マスター)”――とそれは自己定義するための新たな主人を探す。

 <戦車乗り>のハッキングを感知しえた能力。その張り巡らした『霊血』の糸よりネットワーク回線に繋がれる機能を用いて、巫女が囚われた『棺桶』へ介入しようとした。

 

 だが、それは届かない。

 『棺桶』は<蛇の仔>に呑まれて、隔絶したところにある。

 それでも彼女は只管に『巫女(マスター)』を探し求めた。

 

 そして、“取り込んだ者”はひとりだけではない。

 

 ……Aa……

 

 復讐を――とそれは仲間たちとの誓いを果たさんとし、標的を探す

 魔族特区を恨み、これ以上の被害者を出さないために『巫女』を狙う。

 だが、“圧倒的な同類(ヘルハウンド)”に挫かれた彼は、復讐するために――己こそが正しいのだと証明するために、殺神兵器すら凌駕し、この世界を滅ぼし得るほどの力を欲した。

 

 

 ―――ここに、因果は結ばれる。

 

 

 Aaaa――! AAaaaaaa――!!

 

 『巫女』を求め、復讐のための力を欲した意思が、“世界への復讐を願う<アベルの巫女>”の遺志を呼び込み、そして、あらゆるものを取り込める捕食型人工生命体は、この転送量(データトラフィック)を余さず受け入れる(からだ)であった。

 

 

「『咎神』の力を振るう者に、永劫の呪いの烙印を―――」

 

 

 人工生命体の藍色の髪が、すべてを塗り潰すかのような黒に染まる。

 変化はそれだけに止まらず。

 

 

「この世界に、妾が永劫の悲嘆と怨嗟を―――」

 

 

 黄金比に均整のとれた美しい肢体に、聖痕の如く無数の傷跡が浮かぶ。それは縫い目のように深く、まるで引き裂かれた肉体を、無理やりに継ぎ合わせたような無残な様を表すかのよう。

 そして、硝子玉のように無機質だった瞳に、粘ついた怨讐の光が灯る。

 

 

「さあ、我が血の呪い、思い知らせてくれよう!」

 

 

 最後に、足元の影より発する、渦を巻く闇色の風が帯となりて、ローブのように全身に巻き付く。

 『棺桶』に弾かれた『女教皇』は新たな依代を得て、魔族特区・絃神島に顕現した。

 何もかもが裏目に出て裏返ったこの顛末を予測する者はおらず、陰謀が錯綜する最中にこれを把握する者はいない。

 

 ―――混沌は闇に紛れて蠢く。

 

 

つづく


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