ミックス・ブラッド   作:夜草

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黄金の日々Ⅱ

人工島中央区

 

 

 委員会に部活、それから家に帰れば、宿題や掃除、洗濯、夕飯の準備と忙しい放課後。週に1、2度気まぐれに帰ってくる母親の持ち帰る大量の洗濯物がある場合は大変で、それからたまに入院中の父親の見舞いにも行ってあげないと。兄は行きたがらないだろうし、ここのところなんだか忙しいみたいだ。

 そんなわけで暁凪沙は、正月に怪我をした牙城の見舞いに学校の帰りに病院へ寄ったその帰り道を急いでいる。早く帰って今日の分の家事を片付け、夕飯の支度を済ませないと遅くなってしまう。

 ただ。

 病院のある北地区から、自宅のある南地区。最短で帰宅するルートは、自然、中央区を通る。

 

「……大丈夫、だよね」

 

 まだ交通が完全に復旧していないため、一駅分だけ自力で歩く。父の牙城にも帰り際に、『絶対に今の中央区には寄らずに遠回りしろ』急がば回れと説かれたけど、凪沙は、ふ、と後ろ髪が引かれるような感覚に少し迷ったところで方向転換すると決めた。

 

 現在の絃神島で、最も安全だと言われている―――しかし、先日に激しい戦闘がおこったのが、この中央区。

 親友の夏音のボランティアの手伝いをする時にも、よく耳にする<タルタロス・ラプス>の残党<心ない怪物(ハートレス)>。それが暴れたテロで、建物や路面が激しく損壊してしまっており、鋭利さすら感じられるほどに澄み渡った空気の向こうには、血塗られたようにアカい夕空があった。

 かつてのこの場所を知る者なら、数度確認してもなお目を疑ってしまうほどの圧巻の光景だ。

 

 必殺技の練習だとかで赤っ恥をかいたけどはっちゃけた、路上も。

 風邪引きと間違われお姫様抱っこされながら蹴り跳んだ、ビルも。

 彼とたくさんおしゃべりをした、帰り道が。

 数ヶ月前に病院の帰りで彼に付き添ってもらった時のものすべてが罅割れていて、それが記憶と重なってしまうようで、この最短ルートを選んだことを少し、後悔する。

 

「……、今日も、会えなかったな」

 

 ちょっと前まで名前を聞くだけで、ぼふん、と熱が上がってしまうくらいに顔が合わせづらかったのだけど、二週間も声が聴けてないとさびしい、といよりも飢えている。一向に連絡をくれないことに少し腹が立っているのもあるし、半月もその匂いを感じてないのに……ちょっぴりと物足りない想いがあった。

 でも、それを思うたび二週間前の夢遊(あれ)が脳裏によみがえるので、ブレーカーが落ちないよう自重している。

 

 そんな甘酸っぱい思い出に耽る凪沙を、はっと目を覚まさせるけたたましい警報が鳴り響いた。

 

「え、これって、浅葱ちゃんの……!?」

 

 テレビのニュースで危機感を煽るこの音を耳にしたことがあったけど、実際にそれを耳にしたのはこれが初めてだ。

 もうすぐここが、戦場になる。

 “魔族の”戦闘が始まる。

 それだけで凪沙は顔が蒼褪める思いで、早くここから離れなきゃと思うのに足が動かない。

 

 どうしよう……!

 逃げないと巻き込まれるのに……!

 

「はぁ。はぁ。はぁ―――!」

 

 逸る内面とは裏腹に、少女の足は一向に前に進んでくれない。立ち往生であるのに、過呼吸となる。

 まだ、克服し切れない、トラウマ。それが少女の体を、心を縛り付けにする。

 近くにいた人達も、警報を耳にして我先にと駆けて、動けぬ自分を置いてけぼりとする。

 

 <心ない怪物>の到来。

 それは魔族恐怖症を患っている凪沙だけでなく、<タルタロス・ラプス>が首謀したテロ事件から二週間たった今も精神的な傷の癒えない島の人間にもトラウマとなっているのだ。

 

 助けて―――

 そう、震える少女の唇からこぼれかけた時だった。

 ゴッ!! と烈風が突き抜けた。

 頭上を暗い影が覆う。

 思わずそちらを見上げた凪沙は、そこで悲鳴を上げることさえもできなくなってしまう。

 

 巨大な怪物。

 紋章に描かれるような飛龍が、すぐ間近を滑空している。

 

 その赤黒い竜は、中央区の中心にそびえるキーストーンゲートへ突っ込もうとしていて、すぐ警報とほぼ同時に駆け付けた警備隊の一斉掃射で撃ち落とされた。

 人工島の地盤を抉るように墜落した飛龍という大質量の巨体は、路上へ巨大なクレーターを作り、そして膨大な衝撃波を撒き散らした。一体のすべてから凹凸が消失し、ただの更地に変わってしまうような強風に、遮蔽物など意味がない。逃げ遅れた少女の体は、その余波だけで大きく飛ばされ、地面を転がってしまう。幸いに大きな怪我はなくて、打ち身擦り傷程度。

 だが、

 

「ぅぅ、……っ!?」

 

 目前で起き上がった飛龍は、崩れゆくシルエットを無視して、再び羽ばたこうとしている。抉り抜かれたのは仮初の血肉。そうこれは、吸血鬼の眷獣だ。“魔族の”力の一端だ。退魔効果のある砲撃を浴びせられようとも、無限の“負”の魔力で復元する。

 頭のひどく冷静な部分でそれを理解し、体は倒れたまま硬直している。警備隊も逃げ遅れてる少女に気付いていない、もしくは眷獣撃滅を避難誘導よりも上に優先しているのか。そして、眷獣の飛龍も木端の人間の子どもに気遣う真似などしない。すべては、戦場で逃げ遅れたのは悪いのだと、構わず蹂躙しようとする。

 

(もうダメ……っ!!)

 

 凪沙が思わず目を瞑ろうとした時だった。

 別の動きがあった。

 それは、ひとりの少年のシルエットをしていた。

 サイズが大きめの機械的な兜鎧、枷にも似た重厚なパーツを四肢につけながら、無重力であるかのように宙空を蹴って走るその少年が、飛龍との間に割り込むように躍り出る。躊躇なく、飛龍はその巨大な顎で障害を嚙み千切ろうとした。少年は避ける素振りも見せなかった。空中にいる少年と飛龍とでは自由度が違うのか。胴体を挟み込まれ、躊躇なく破壊が実行される。

 まるで。

 自らそれを望んでいたかのように。

 

 直後―――

 

 

 ザンズバ!! と。

 飛龍の口から貫くように伸びた金色の光の爪が、二重三重と巨体を切断していく。

 

 

「あ……」

 

 暁凪沙は、思わず口を開けていた。

 覆う機鎧が邪魔だけど、シルエットに見覚えがある。

 眷獣の一撃を受けても壊れない頑健な肉体に、眷獣を一撃で壊してしまう鋭利な爪拳をもった存在そのものが兵器であるかのような―――けれど、それを自分の前では怖がらせないよう力は最低限にして、心臓に手をかけられても気遣うその少年を。

 

 飛龍をバラバラに分断することはしなかった。

 それではいくつもの塊になった高密度の魔力塊が、そのまま街中へ降り注いでしまうからだ。だから、無数に瞬いた斬閃は、飛龍の体を完全に分断しない。料理下手が野菜を切るように、繋げたまま切り刻む。

 単純な空気抵抗に煽られ、飛んでいる物体はバランスを崩す。

 姿勢制御がままならなくなった飛龍の巨体が、まるで見えない大きな手によって進行方向を捻じ曲げられたような格好で、空中で矛先をガラリと変える。

 ビルではなく無人の道路へ向かう飛竜は、ボロボロになった頭部から路面へと突っ込んでいった。凄まじい勢いでアスファルトが捲れ上がり、人工島の地盤もグラグラと揺れた。しかし被害はそれだけだ。先ほどの墜落のような、余波で巻き起こされる破滅的な事態には陥っていない。

 躾の行き届いた行儀のいい犬が皿の上から餌を食べ散らかさずにいただくように、獲物を仕留めて見せた猟犬は、何度か身を捻って方向を調整すると、ちょうどビルの二、三階に相当する10m以上の高さから荒れて砂利敷きの地面へ躊躇なく着地した。飛龍の眷獣は、今度こそ完全に霧散する。残心を取るように、ぴたりと合わせた手甲を纏う手刀の五指より伸びていた金色の光の刃がゆっくりと消えていく。

 そこで、恐怖の金縛りの解けた凪沙は彼に呼びかけようと大きく息を吸い込んだ―――ところで、背後より大勢の合唱したような悲鳴が上がった。

 

「クロ―――『<心ない怪物(ハートレス)>が出たぞぉぉ―――!』」

 

 …………………え?

 周囲に伝播する、凪沙の声だけでなく意識までも塗り潰してしまう悲鳴は、先に凪沙を見捨てて逃げた避難者から発せられたもので、続けて響いた重なる銃声は先に凪沙を見過ごした警備隊が、飛龍を始末した少年に撃ち放ったもので―――彼はそれを否定せず甘んじて受け入れている。

 

 どうなって、いるの……?

 

 足が固まるのではなく、足元が崩壊してしまうような感覚に陥る。でも、自暴自棄となろうがこんな歪んでいる“事実”など呑み込めない。

 理解があまりに追いつけず、そして説明を求めたい相手はこちらを振り向くこともしてくれない。

 かつて、学園内で大多数に警戒されていたその時と同じように、罵声や攻撃を浴びせられても動じることはなく、彼はその場を後にしようとする。

 

「ま、待って―――!」

 

 制止も届かず、警備隊の銃撃に尻尾を巻いて逃げるように猟犬は走り去っていく。

 それから、今更とばかりに巻き込まれて負傷した凪沙に駆け付ける人たち。足首を捻ってしまっているにも構わず、その後を追おうとする凪沙を、捕まえて引き止める。抑えられて暴れる少女を、まだパニックになってると判断してか、落ち着いた柔らかな声で、

 

「大丈夫だ。<心ない怪物>は撃退した。あとは我々に任せなさい」

 

「違うの! そんなのじゃない! 彼は私を助けて―――」

 

「どうやら頭も打ってるようだ。今、救急車を呼んだ。それまでここで大人しくしていなさい。いいね」

 

「だから、違うんだって―――!」

 

 喚いても、誰も聞いてもらえず。この手は、視界に小さくなっていくその背中を追い向けても触れるのは叶わず空を掴むだけ。大人たちの力に押さえられ、少女はそれを振り切ることはできずに、孤独に戦い続けるその姿を、見送ってしまう。

 

 そして、急行してきた救急車両に運び込まれ、少女の身柄は先ほど父の見舞いしてきた母のいる病院へと逆戻りすることとなった。

 

 

紅魔館二号店

 

 

 絃神冥駕との邂逅から、獅子王機関の師家縁堂縁の襲撃。

 キーストーンゲート付近から逃げ離れた古城と雪菜は、ひとまず、落ち着ける場所を探した。

 途中で、重傷を負わされた怪我は真祖のデタラメな再生能力で治癒しても制服が血塗れのままの古城は、雪菜に着替えを買ってもらった。でも、逃げれたことは逃げられたのだが、どうやって合流するかまではあの場で話し合うのは無理で、向こう待ちの状況。

 いくら相性がいいと言っていたとはいえ、獅子王機関の『三聖』と同等以上の戦闘能力を持つ師家様を相手に逃げられるのは難しいに違いない。

 それでも、絃神冥駕という人材は必要だ。

 あの脱獄囚の言を完全に信じているわけではないが、この絃神島の創始者の孫である青年の『聖殲』に関する知識で右に出る者はそういないはずだ。古城たちでは効果的な打開策を思いつくことはできない。

 

 そして、獅子王機関に頼ることはできない。

 冥駕が指摘していたが、あのとき、縁堂縁は、教え子である雪菜を真っ先に狙っていた。弟子の腕試しにしても過激で、そして近くにいた獅子王機関を裏切った魔導犯罪者よりも優先するべきことなどそうそうないはず。それについては雪菜自身も師の行動には心当たりがあるようで、詳しい理由までは古城に教えてくれなかったが、雪菜は獅子王機関から危険視されているらしい。……もしかすると、今の体調不良が原因であるかもしれない。

 

 つまり、古城たちは帰ることはできないのだ。雪菜が住んでいる部屋は元々獅子王機関が用意してものであり、鍵を得ようと思えば簡単に得られる。もうとっくに獅子王機関の追手に占拠されているだろう。そして暁家の部屋も隣室にあるので、騒動を起こせばほぼ確実に巻き込まれる。今頃自宅に帰っているであろう妹の凪沙を怖がらせてしまうような事態には古城はしたくない。だから、帰れない。

 

 そうなると、一体どこで絃神冥駕と合流すべきであるか。追手の追跡呪術を撒くため雪菜が<雪霞狼>の『神格振動波』を展開させているため、冥駕の方からもこちらの位置はわからない。向こうもまた逃げ延びたとすれば追跡呪術を免れようとしているはずで、式神卜占を苦手とする雪菜では見つけられないだろう。

 

 ……ひとつ、思いつくとすれば、やはりキーストーンゲートだ。

 でも、まだ獅子王機関の追手がいるかもしれないそこに迂闊に近寄るのは悪手であり、考えをまとめるためにも落ち着ける場所を古城たちは探している。

 

 そして、見つけたのが、ある喫茶店。

 浅葱の出待ちをしていたオープンカフェとは違い、開店しているのに人気があまりない、よく言えば、隠れ家のような場所。店側とすれば客が来てないのはよくないが、追われてる身である古城には好都合だ。堂々とカフェテラスに入ってきたが、師家様が動いているとわかった以上、あの脱獄囚も人気の多い場所では合流しにくいだろう。腰も落ち着けられて、ついでに食事もできる喫茶店に入り―――どうやら閑古鳥が悲鳴を上げていると気付く。

 

 

「いらっしゃい、ませ……手を、あげてください……」

 

 

 店内に入ると無愛想な、獣耳を生やしたウエイトレスが入口の前で立っていた。

 雪菜と同年代くらいの獣人種の少女だ。そして、何と表現すればいいのか難しいが、“預けられたけどいつまで経っても引き取りに来ず仕方ないからうちで飼い始めた”みたいな感のある警戒心旺盛の捨て犬系。

 それから腕にはメニュー表でもなく、サブマシンガン(のモデル銃と古城は思いたい)を抱いて、反射的に前に立った古城たちに銃口を構えている。中々素敵なWorking Styleなバイト少女である。

 

 ……いや、ここがちょっとやそっとじゃ埋もれない強烈な個性(キャラ)を売りとする魔族喫茶であることは古城もわかっているのだが思わずにはいられない。

 属性盛り過ぎだろ! つか、いきなり客に銃を向けるな!

 

 ……ーリ、あなたよく無事で……

 

 それを突っ込む前に、古城の胸の内、血を循環させる左胸の心臓が強く打った。この獣耳少女の無事な姿に、古城はなぜか安堵した。ところで、

 

「えい」

 

 ビュビュ―――ッ、と躊躇なく引き金を引いて、銃口から飛び出してきたのは、液体。それが古城と雪菜の上げた両手の平に的中し、揮発。匂いからしてどうやらアルコール、外から来た客の手を殺菌消毒してくれるサービスのようである。

 

「―――申し訳ありませんご主人様方っ!?」

 

 あまりの出迎えに戦闘訓練を受けたはずの雪菜も呆然と固まってしまってるようで槍を取り出してもいない。と店の奥から叱責が飛んてきた。

 

「カーリッ! あんた、ご主人様とお嬢様に銃を向ける挨拶するなら、やる前に必ず一言入れなさいって何度言ったらわかるのよ!」

 

「問題ありません。水鉄砲ですし……それにどうせ、私の銃は当たりませんから……」

 

「ああもう! なんて娘を押し付けてくれたのよ義経! 絶対に許さないんだから~~~!」

 

 何度も何度も狙撃弾を避けられ防がれて百発百中のスナイパーのプライドを壊してくれた誰かのせいでか、なんだかやさぐれてる獣人の少女。

 奥から早足で駆け付けた女店長にスパンと頭を叩かれ、銃を取り上げられる。バイトの娘を叱りつけてから、改めて古城たちに作った営業スマイルを向けて―――固まった。

 

「いらっしゃい、ませ……」

 

 っ!? とそのとき、古城は鈍い頭痛を覚えた。

 それは、記憶喪失――アヴローラのことを思い出そうとした時と同じ症状だ。

 

「先輩、大丈夫ですか……!?」

 

「ああ、問題ない姫柊」

 

 もしかすると、この女性はかつてアヴローラに関わったことのあるヒトなのかもしれない。けれど、今、古城はそれを訊く時ではないだろう。

 一方、向こうは客商売のプロであって、古城のように表情に出したりはせず、『どうぞ、こちらへ』と中へ勧める。

 

 そうして、店内に踏み入った古城たちは、すぐさま異様な雰囲気を察した。

 『紅魔館二号店』、そのいちばん奥にあるテーブル席で向かい合って座っている二人連れの客。

 彼らから異様な雰囲気を流す感じがしている。

 元凶である二人はどちらも外国人で、両方とも十代前半と思しき少年少女。

 少年は何故かこの店のウエイター服であるマント付きのタキシードを纏っているが、その何気ない所作の端々から、隠しきれない威厳と高貴さがにじみ出ている。彼のあふれ出るカリスマ性は衣の違いでぶれるものではなく、この魔族喫茶のキャラの濃い独特な空気さえ侵食し、店内を妙に居心地の悪い空間へと変えていた。

 そして少年の前に座っているのは、燃えるような赤毛の小柄な少女。幼い体形にぴったりフィットするスクール水着のような衣装を着ている。

 そんな少女が店に入ってきた古城を見るや否や勢いよく立ち上がり、手を振ってきた。

 

「彼氏殿! 彼氏殿ではござらぬか! 女帝殿の彼氏でござろう!?」

 

「え? なんだ?」

 

 獣耳バイト少女に席を案内されていた古城は隣にいる雪菜と顔を見合わせた。できれば、犯罪臭の漂う外見をしている幼女は、他に客がいないとはいえ誤解されたくないので、敬遠したいところなのだが、案内されてまで立ち去るという決断は降しにくい。

 そうこうしてる間にスクール水着の少女は、ずいっとその胸のゼッケンを古城に見せつけるようアピールする。

 

「拙者、リディアーヌ=ディディエでござる! 覚えておられぬか?」

 

「あ……! おまえ、浅葱の友達の……!」

 

 言われて、古城は思い出した。浅葱が<戦車乗り>と呼んでいたバイト仲間で、真紅の有脚戦車の操縦者だ。中々正体に気付けなかったのは、戦車に乗ってない状態の彼女をほとんど見たことがないからだ。『波隴院フェスタ』で浅葱を迎えに来た時に、ちらっと搭乗席から顔を出した時ぐらいだろう。

 と古城が思い至ったところで、リディアーヌはパイロットスーツの腹部の隙間(スリット)をがばっとまくり上げて見せた。

 

「無念でござる、彼氏殿。拙者の力が足りぬばかりに女帝殿らが……かくなるうえは、この腹を掻っ捌いて責任を―――」

 

「待て待て! こんなところで腹を出して、いったい何をする気だ!?」

 

 フォークを腹に突き立てようとするリディアーヌを、古城が慌てて羽交い絞めにして制止する。

 良かった。今、店に客がこいつら以外いなくて。いや、こいつらがいるから他の客が出てったのかもしれないけど。

 でも、案内してる獣耳少女が、銃口を向けてないけど、向けてる視線が犯罪者を見るような冷たいものになっている。

 

「騒々しいな、貴様ら。貴族から没落したとはいえ、一国一城を構えるここな店長に不敬であろう?」

 

 しん―――とその声音の響きに打たれたように、古城たちを除く皆が畏まるように息を呑んだ。この店内を静寂の場に塗り替えた声の主は、タキシードにマント姿の少年。金色に輝く彼の瞳が、古城を正面から見据えている。

 

「あ、ああ。そうだな、すまん」

 

 騒いでいたのは、お前の連れだろ、と文句を言いたいところなのだがそこはグッと気持ちを堪え、頭を下げる古城。それを見て、少年は軽く手をあげ、女店長へ言う。

 

「店長よ、もうこれ以上、客は来ないであろう。店仕舞いにしたらどうだ?」

 

 命じることに手慣れている少年に、女店長は何か言いたそうにしながらも応じた。今、場を完全に掌握しているのは、この呆れるほどのカリスマ性を持った少年なのだろう。生まれながらの王族のような威厳が、この命じた言葉を至上のものとしている。扉に閉店の札を下げられて、古城に前の席に相席を促すように視線をやる。

 

「さあ、これで人払いは済んだ。何警戒せずとも良い。ここは我らが会談する場所とすれば格が足りぬが、これでもクロウが働く場所であるからな。いささか気が立っていたとはいえ、潰してしまうような真似は極力控えるつもりだ」

 

「お、おう……って、おまえ、何者だ? クロウの知り合いなのか?」

 

「うむ。我が友だ」

 

 客であるのに魔族喫茶を我が物としている少年を、古城は薄気味悪げに見つめて訊いた。口ぶりから察するに後輩の知り合いらしいが、彼と異邦人の少年との接点は、生憎と古城には思いつかない。というか、ここでバイトしていたことも初めて知ったくらいである。友人だというし、ひょとして、魔族喫茶のバイト仲間なのだろうかと古城は推理してみるのだが、どうだ?

 

「先輩、言葉に気を付けてください。この方は、もしかしたら―――」

 

 口を閉ざし、警戒に集中していた雪菜が、まだ勘付かない古城を咎めるように囁いた。後輩の友人と言われ気が緩んでいた古城は訝し気に目を細め、

 

「こいつを知ってるのか、姫柊?」

 

「いえ」と雪菜は首を振り、「ですが、この方の力……弱っているようですが、おそらくアルデアル公と同等以上の……なのに、どこか異質な……」

 

「ほう」

 

 少年が面白そうに雪菜を見た。彼の金色の瞳の奥で、殺意に似た光が一瞬よぎるのに気づき、ようやく古城も少年の正体を悟る。

 彼は魔族。吸血鬼だ。それも桁外れに強大な力を持つ『旧き世代』の―――

 

「気配は隠しておいたつもりだったが、さすがは獅子王機関の剣巫。いい目をしているな」

 

「やはり、あなたは……」

 

「控えろ、剣巫。俺は『滅びの王朝』の王子として、<第四真祖>と話をしている。監視者ごときの出る幕ではないぞ」

 

 冷ややかに言い放った少年の無造作な呟きに、古城は表情を凍らせた。魔族の事情は一般人が知れる程度の情報しか持ち得ていない古城でも、常識として『滅びの王朝』の名前は知っている。第二真祖<滅びの瞳(フォーゲイザー)>に統治された、禍々しき中東の『夜の帝国(ドミニオン)』。

 

「イブリスベール……アズィーズ殿下……」

 

 そして、王子を名乗るこの少年は第二真祖直系の息子である。

 本物の魔族が仮装して驚かす魔族喫茶の中に、ボス級の魔族が客としてお茶をしていた。

 

 

人工島中央区

 

 

 中央区での『戦王領域』からの一団との戦闘は、キーストーンゲートから南へ一区ほど離れた方へと場所を移していた。

 いくつものモノレールの路線が通る駅が構える繁華街があり、多くの高層ビルがひしめく一帯だ。

 二週間前まで平日の日中は多くの会社員で賑わうこの街も、『黒薔薇』の眷獣による被害が大きく、まだ復旧作業に手がつけられておらず、夜になっても聴こえていた多くの自動車や電車が行き交う装甲音などの、主要区としての息づきは行われていない。

 しかし。辺りは今、静寂とは真逆の有様だった。

 腹の底から内臓を震わせるような、重さを持った衝撃音が連続して響いているからだ。街そのものが、まるで重低音を売りにした最新の音響設備の整った映画館のようなサウンドを奏でている。

 絶え間なく生まれるその轟音は、常に流動的に吹き抜ける、触れれば断つような鋭利ささえある風を伴っていた。

 それは『魔族特区』の街を駆け抜ける漆黒の影が生み出しているもので―――周囲の景色を置いてけぼりとする神速領域に身を置く獣王の血を目覚めさせる、機鎧纏う少年。

 

 キーストーンゲートを襲撃した眷獣及び吸血鬼の一団は、退けた。

 それが前座であり誘導するためのものだとわかっていたから、深追いするような真似はしないが、どうやら向こうから我慢しきれずにやってきたようだ。

 

「……やあ、久しぶりだネ」

 

 薄い笑みを含んだ声がした。黄金の霧が集い、自身の前にそれは現れた。

 

「ちょっと見ない間に随分と様変わりしたみたいだけど、元気だったかい」

 

 白々しく挨拶する金髪の青年貴族。

 返り血を浴びて装着された機鎧をまだらに汚すこちらとは違い、染みひとつとしてない純白のスーツを着ている彼の名は、ディミトリエ=ヴァトラー。

 アルデアル公国を管轄する『戦王領域』の貴族であり、<蛇遣い>との異名を持つ『最も真祖に近い』と言われる吸血鬼。

 そして、生粋の戦闘狂(バトルマニア)

 

「………」

 

「おやおや、お喋りに講じてくれないなんてさびしいねぇ」

 

 美しく微笑みながらも、その全身から立ち上る鬼気が、何よりの証拠だ。

 気障で皮肉で、この絃神島では暗躍に精を出していたみたいだが、顔合わせの時から特に隠そうとしないその素顔は透けて見えていた。その本性は、やはり酷薄で凶暴極まりないものだ。

 

「まずはおめでとう。君は今や名実ともに『世界最強の獣王』だヨ。期待してたけど、僕の望み通りの成長をしてくれて、実に嬉しい。ぜひ、賛辞を贈らせてくれないか」

 

 心の底から祝福して、拍手を送るヴァトラー。

 それを見据える少年の双眸は、険しいものとなる。

 

「ああ、本当に本当に本当に―――“美味しそう”に育ってくれた―――」

 

 溢れる涎の滴る舌先で、尖った牙を舐める。

 我慢できない。

 それは予想していたことだが、実際に(まみ)えてその思いはますます強くなる。

 

「キミには約束があって手出しできなかったけど―――爺さんの頼みだから、しょうがないよネ?」

 

 取る意味のない確認の問いかけ。

 強き者に敬意を払うが、誰よりも戦争を望む青年に、大義名分が与えられたのであれば、どちらに傾くかなど明白。

 

「<跋難陀(バツナンダ)>―――」

 

 真紅の霧が噴き出し、その霧は凄まじい魔力の奔流と化す。

 そして、ヴァトラーの前方に、巨大な眷獣の影が浮かび上がる。それは無数の剣の鱗を持つ蛇の眷獣。が完全に実体化する直前、機鎧の少年が動く。地面を踏みしめる足に力を篭め、肉体を前に飛ばすようにして蹴ることで生まれるのは、己の身を風にするような全力疾走だ。

 吸血鬼は、眷獣を出す前に仕留めるのが、鉄則。

 後手で動いたにもかかわらず眷獣が牙を剥くよりも早く、一瞬で近接の間合いに詰めた<心ない怪物>が基本の型にして必殺となりうる鉄拳を打ち込む―――

 着弾した穢れなき白いスーツが内側から爆ぜたように飛び散り、手応えは、軽い。

 

「くくっ、キミが相手では眷獣を出すのも大変だ」

 

 だからこそ、良い―――と大きく口が裂けた笑みを浮かべるヴァトラー。

 少年の抉り穿つ拳を受けた文字通り“薄皮一枚の抜け殻”を捨て、美しかった青年の姿は変貌していた。唇が裂け、二股に分かれた舌がのぞく。肌は硬い鱗に覆われ、ぞろりと首が伸びる。そして下半身はすでに巨大な蛇のそれへと変わっている。

 ―――そう、獣人化だ。

 

「っ……!」

 

 昂りを抑えきれずに笑う青年とは対称的に、バイザーの裏で渋面を作る少年。

 吸血鬼の中にも、獣人か能力を持つ者がいることは知っている。狼や蝙蝠の姿に変わる吸血鬼の伝承は珍しくないし、実際、第三真祖ジャーダ=ククルカンは、アヴローラに変装してみせたりもした。

 通常、眷獣の力は強力すぎて、格闘戦ではほとんど役に立たず、接近戦に持ち込まれた吸血鬼は弱いとされるが、獣人化がその欠点を補う。

 蛇の特性で、脱皮してこちらの攻撃を受け流して見せたヴァトラーは、眷獣を完全に実体化させ―――

 

「お―――」

 

 初めて笑みではない、驚きの顔を見せる――視界を覆うようにして、黒の色彩がすぐ眼前にまで迫ってきていた。それが<心ない怪物>の足であることを目が捉え、脳が理解するとヴァトラーの思考が状況を把握した。

 拳打に触れた皮を脱ぎ捨てることで回避したが、そこで相手は宙を泳がせてしまう真似はしなかった。空を切るままに体の動きを連ならせて腕の振りの勢いを加算させる、最初から二段構えで行うつもりであったのだ。踏み込んだ足を支点に己の身を独楽のように高速で回転。足がアスファルトの地面を焦がしながら、極限の速度まで研ぎ澄ませた攻撃を続ける。

 繰り出されたのは左足を振り抜く蹴撃。その左片足が陽炎のように揺らめいて見えるのは、吸血鬼の動体視力を上回っているからか。

 

 獣人化ができ、弱点を克服した吸血鬼―――しかし、ついさっき彼自身が口にしたように、対峙しているのは、『世界最強の獣王』だ。

 

 真っ向から肉弾戦をしたければ、まず獣人化のさらに上である<神獣化>ができなければ物足りない。そして力だけでなく、世界最古の猿人との戦闘経験値を得た今、最後に見た、ヴァトラーが知るときよりも戦闘技術が格段に向上されていたのだ。

 

 本来であれば回避不能のその攻撃に、霧化に転じても遅いと判断してか、<蛇遣い>は実体化途中の剣鱗の蛇をそのまま強引に間に入らせることで対応。戦車砲すら防ぐ高密度の魔力塊である眷獣の肉体に阻められれば、振り抜いた脚の軌道も変わるだろう。そして、剣鱗の刃に恐れることなく突っ込んだ足は切り刻まれる。

 漆黒に染まった機鎧の足甲がヴァトラーの眷獣の剣鱗に触れた瞬間、

 

「―――っ?」

 

 ヴァトラーが大きく瞠目した―――その理由が、両雄の間で起きていた。

 <蛇遣い>の<跋難陀(バツナンダ)>が、何の抵抗も与えることなく霧散したのだ。

 それは、<心ない怪物>の繰り出した蹴撃に『聖殲』の力が付加されていたことによる現象だった。

 そして、護りが破られ、勢いを止められない攻撃を今度はヴァトラーの心身を撃ち抜いた。

 

 勢いよく蹴っ飛ばされた(シュート)された青年貴族の身柄が、ビル一棟に激突してなお止まらずに突き抜け、その向かいにあったビルの壁面に埋まる。

 

「はは……」

 

 その姿は悲惨なものだった。蛇体と化した右半身の肉がごっそりと抉れ、脇腹があったところは大きく骨が露出していた。それでも出血が少ないのは、傷口の周囲の筋肉が、木乃伊のように干からびていたからだろう。

 その傷口に、光り輝く深紅の粒子が纏わりついている。自然の理から逸脱した異能を打ち消す『聖殲』の残滓が、吸血鬼の再生能力を阻害しているのだ。

 

「ハハハハハハハハッ!! ――――――最高だっ!!」

 

 それでも、笑う。

 だからこそ、戦闘狂は死の実感を覚えたことに狂笑する。

 

 改めて、認めよう。

 現在に完了された殺神兵器、それは己が愛する<第四真祖>の“後続機(コウハイ)”と呼ぶに相応しい性能であると。

 

 これまでに、二人の『長老』に一体の『獣王』を喰らってきた貪欲に戦いを求めてきたヴァトラー。

 

 灼熱の炎を纏う蛇<難陀(ナンダ)>、

 鋼の刃で覆われた蛇<跋難陀(バツナンダ)>、

 超高圧水流で構成された海蛇<娑伽羅(シャカラ)>、

 何千もの蛇が渦巻く集合体<和修吉(ワシュキツ)>、

 瞳からの閃光で焼き払う緑色の蛇<徳叉迦(タクシャカ)>、

 保護色で姿を消す狡猾な蛇<阿那婆達多(アナバダッタ)>、

 荒ぶる海のような黒蛇<摩那斯(マナシ)>、

 凍り付いた水面のような青い蛇<優鉢羅(ウハツラ)>、

 実際に見た者はいないとも言われる最後の九番目を除き、『八大竜王』の名を冠する<蛇遣い>の八体の強力な眷獣を操り、また融合させて生まれる絶大な力で圧倒してきた。

 

 しかし、この相手は眷獣を一撃で破壊し、融合させる隙など与える気がない。そして、眷獣を召喚するときに生まれる僅かな隙も見逃さずに強襲を仕掛ける。不死身の吸血鬼といえど、急所である頭や心臓を壊されれば意識停止は免れず、それから嵌め技を喰らえば徹底的に虐め潰すだろう。ましてや吸血鬼の再生能力さえも剥奪するような相手だ。

 そう考えれば、追い詰められているのだが、戦い方を吸血鬼のやり方から変えればいい。

 

「そうだネ。ここはキミに合わせよう―――」

 

 追撃を行おうと接近していた<心ない怪物>が、異様な気配を察し、足を止めた。

 無限の“負”の魔力の根源である血を体外に排出させて吸血鬼は眷獣を実体化させる。だが、ヴァトラーは血の魔力放出を止めていた。大津波の前に潮が引いていくような悪寒。なにもしていないのではなく、蛇の獣化をした体内で循環させ、昂る魔力を外に拡散するのではなく、裡へと集中させている。

 

 それは……っ!

 

 吸血鬼は、異世界より召喚された眷獣の力でもって相手を圧倒する魔族だが、吸血行為によって、相手の属性を吸収し、また耐性を獲得する特性も持っている。

 かつて<黒死皇>を喰らい、『獣王』の血を取り込んで見せたヴァトラーは、獣化の極み。吸血鬼でありながら、存在の格を最上位にまで至らせる、古代種の血族のみに許された<神獣化>ができるのか。

 ―――いや、違う。

 

「気づいたようだね。これは、<冥き神王(ザザラマギウ)>でのキミ()()を見て、思い至ったものだヨ」

 

 吸血鬼が、完全なる獣性を解放する。

 それは、自身が、“<第四真祖>の『血の従者』である後輩”を仲介してパスを繋ぐことで成す荒業と同じ。しかし、この自らの眷獣を融合し得る青年に余計なものを挟む必要もなく、単独で至ってしまえるのだろう。

 蛇尾狼の血に飢えた神獣の境地へと―――

 

 

「さあ、本能を解き放ち、存分に(ころ)し合おうじゃないか―――<世界蛇の化身(バララーマ)>……」

 

 

紅魔館二号店

 

 

 異国人の少年は、自ら後輩の友人であると言い、獅子王機関の剣巫はその正体を第二真祖直系の王子だと見破った。

 雪菜の言が真であれば、<第四真祖>の古城と魔力をぶつけ合えば、店は吹き飛び、どころか、絃神島が沈みかねない、今やこの場所は島の命運がかかった危険地帯となったのだ。

 だが、この王子はこうも言う。

 ここは友がたまに働く場所であるからあまり壊すような真似はしたくない、と。

 実際、古城を見かけて、争うように莫大な魔力を放つようなこともせず、大人しく茶を啜っている。

 

「こいつ本当に王子なのか?」

 

 古城に半眼を向けられた雪菜は自信なさげながらも答える。

 

「は、はい。この威圧感は確かに王族級だと……でも、それにしては……」

 

 なにやら雪菜自身にも消化できない違和感があるのか口籠る。

 とりあえず、王子様は、自分との会話を求めてるようなので、古城から口を開くことにした。

 

「ていうか、なんで第二真祖の息子が、クロウのバイト先でお茶をしてんだよ?」

 

「この俺としても不本意だが、あやうく死にかけてここへ避難していたのだ。ついでに殺されかけていたその娘を成り行きで保護してやったが、まあそれは気まぐれだ」

 

 言ってまた茶に口をつけるイブリスベールだが、そうさらりと流せる内容ではなかった。

 

「死にかけて、殺されかけた?」

 

 生死もかかわるような物騒な王子の発言に、古城は目つきを険しくさせて突っ込んだ。

 然様、とリディアーヌが声を震わして、俯いた。膝の上に握った両の拳を置いて、透明な涙が彼女の瞳から零れ落ちる。

 

「人工島管理公社でござる。彼奴らが女帝殿をキーストーンゲートに幽閉しておる故、拙者はどうにか連絡を取ろうと防壁内への侵入を試みたのでござるが……<魔導打撃群>に見つかり、囚われそうになった窮地にクロウ殿が……」

 

 悔しさを必死に堪えながら吐き出したリディアーヌの話は、先ほどの絃神冥駕が教えた情報の裏付けを取るものであった。

 古城は涙の伝うその小さな拳を、そっと掌で包むように手に取る。驚いたように顔をあげるリディアーヌに、古城はいつになく真剣な瞳で見つめながら頼み込んだ。

 

 

「―――その話、詳しく聞かせてくれ」

 

 

 目を何度も瞬かせたリディアーヌだが、すぐに古城の意をくんで最初からたどたどしくも話してくれた。

 それは今日のニュースにもなった中央区でのテロ騒ぎ。ここにいる魔族の王子と人間の神童という異色の二人組は、その渦中にいた。

 

 起こった出来事を簡潔にまとめれば、

 まず浅葱とどうにかしてコンタクトを取ろうとしていたリディアーヌだが、キーストーンゲート第零層に辿り着く前に、<魔導打撃群>という『特区警備隊』に見つかる。それから逃げ出したリディアーヌを追う彼らに、有脚戦車が半壊するほどのダメージを負わされ、行動停止と追い込まれたところで、クロウが現れた。

 

「しかし、クロウ殿は、彼奴らに服従させられていたようでござる……」

 

 警備隊とリディアーヌの間に割って入ったが、クロウは意見を出すことも許されないようで、まるで道具のように使役されていた。

 リディアーヌの処分を邪魔するなと退けられて、そこで現れたのが、ここにいる吸血鬼の王子だ。

 

「なに、俺には俺の要件があったのだ。人工島管理公社ではなく、雑種にな」

 

「クロウにか……?」

 

「何だ、暁古城、知らないのか?」

 

 少し呆れたように片眉をピクリと上げてみせながら、イブリスベールは、古城たちの頭を殴られたかのような衝撃が襲う決定事項を教えた。

 

「<黒妖犬>改め<心ない怪物>を、我々『夜の帝国』三ヶ国でも始末せよという話になったのだ」

 

「な―――」

 

 魔族の王子から告げられた思わぬニュースに、古城はぐらりと頭をよろめかせてしまう。それは雪菜も同じで、貧血を起こしたように顔を真っ青にしている。それを見て、イブリスベールはまた訝し気に、

 

「なんだ、剣巫も知らんのか。貴様ら獅子王機関もすでに<心ない怪物>の討伐に動いてると聞いてるぞ」

 

「そんな―――!? いえ、私、知りませんそんなこと―――!」

 

 悲鳴じみた声を上げ、首を何度も横に振る雪菜。

 おそらく、『神縄湖』で凪沙のことを隠していた時と同じく、<第四真祖>の監視役である雪菜に余計な情報を入れないようにされていたのだろう。

 

 だが、今回の件は、同じ獅子王機関の一員である煌坂紗矢華たちが動いて、すでにクロウの無実は証明されているはずだ!

 

「どうなってんだ!? クロウが何もやってないことはわかってるはずだろ!」

 

「さてな。獅子王機関(そちら)の事情は知らんが、我らの真祖(おう)が、クロウを危険視するのはわかる。実際に俺も殺されかけたからな」

 

 真祖直系の『旧き世代』が殺されかけた!?

 先ほども言っていたが、あまりにも信じられない話だろう。けれど、雪菜はその霊視で、不死身のはずの凶王子が致命傷を負い、昨日から今までの時間があっても完治し得ずに弱っていることを察している。<心ない怪物>との戦闘が原因だとすれば納得はいくが、しかし、

 

「本当に、クロウが、やったのか……?」

 

「ああ、俺とクロウは殺し合った。ふっ、やはり雑種は俺を殺し得る牙を持っていたな。あそこまで心胆が震えたのは、『宴』の時以来よ」

 

 と口元を綻ばせながら語るイブリスベール。その口ぶりから察して、強敵(とも)と認めた相手と死闘が行えて、楽しかったのだろう。長く生きた、また力が強い吸血鬼であるほど自らを殺せるほどの強者との戦闘への欲求がある。古城には未だ理解し得ぬ感覚だが、殺されかけたことにさして強い恨み等は抱いていない様子だった。謝罪さえ不要で、むしろ感謝までされそうだ。

 

「だが、クロウが自らの意思で俺に牙を向けたかと言えば怪しいところだがな」

 

「それはどういうことだ?」

 

「暴走、させられていたのでござるよ。彼奴らの思い通りに動かせる狂戦士(バーサーカー)として……」

 

 リディアーヌが推察するに<タルタロス・ラプス>が魔族登録証にウィルスを仕込んで行ったものと原理は同じ。装着させた機鎧より破壊衝動で意思を染め上げ、標的を蹂躙するまで止まらない殺戮機械(キリングマシーン)とする。

 

 ふざけるな―――ッ!!

 

 状況は古城が最悪と予想していたのよりも、さらに最悪だったらしい。

 思わず机でも力一杯に拳を殴りつけたい気分に駆られた。物にあたって、自分の手も怪我して、血を流したいと思った。だが、そんなのは結局、自己満足にしかならないし、格好悪い。古城は叩きつける寸前に制止し、歯軋りさせて我慢する。しかし、抑えきれず零れ出た魔力が、魔族喫茶の壁や天井を揺らす。

 

「ふん。俺とクロウの死合いに余計な邪魔をしおって……」

 

 決着がつく前に、クロウとの衝突で弱ったイブリスベールを、<魔導打撃群>が狙ってきた。『命懸けで争う強敵(とも)に殺されるのは構わないが、横からしゃしゃり出てきたこいつらの手にかかるのは許せない!』と久しぶりに充実した対決を、死肉を漁るハイエナのような行為に邪魔された凶王子は、いたく気分を害して、戦いを切り上げることとした。それでたまたま追われていたリディアーヌが近くにおり、嫌がらせにとついでに連れてその場を後にしたという。

 半日かけて鎮めてきた殺意がまだ浮上し、凶王子より放出される背筋が凍り付く魔力が店内を震撼するが、一度呼吸し、また呑み込んでから、

 

「……まあ、あのままやり合っていれば、俺は殺されていただろうよ」

 

 冷静に戦局を読み、敗北を認めるイブリスベールは、まだ処理しきれない憤りを噛みしめている古城を見やり、忠告を送った。

 

 

「気をつけろよ、第四真祖。今のあやつに身内だからと腑抜けた考えで前に立てば、殺されるぞ」

 

 

人工島中央区 シティホテル

 

 

 泥水に生きる蝮が五百年を経て蛟となり、

 蛟が千年を経て竜となり、

 竜が五百年を経て角竜となり、

 角竜が千年を経て応龍となり、

 さらなる時を経て、応龍は神の精たる黄龍へ至る。

 

 

 この四基の超大型浮体構造体(ギガフロート)からなる人工島にも適用されている東西南北の方位を守護する『四聖獣』。

 その長であり、中央を治める神獣が、『黄龍』。

 皇帝の権威の象徴ともされている『黄龍』は、五行の理のうち『土』を属性とするものと言われ、大地を走る龍脈に干渉する力を持ち、その土地の繁栄に大きな影響を及ぼしたり、活断層や火山でなくとも地震噴火などの災害を発生させられる絶対的な存在だ。

 そして、その範囲は、惑星規模。

 海底の底であろうと土がある、いわば地球そのものを指すものだからだ。

 また龍脈は、地球全体を走る血管のようなものだ。よってこの力を完全に制御できればそれこそ世界全土に及ぶ支配が実現可能となる。

 

 『黄龍』が力を与える者は、皇帝。

 神代から現代まで『固有体積時間』を積んできた沼の龍母が『百王』として認定したのは、<黒死()>の遺伝子を継ぎし、『獣王』であった。

 

(ついに……ついに、すべてを手中に収めるための手札が揃った、か……)

 

 キーストーンゲートの外縁部に立つシティホテル――その最高級スイートの応接室にて、人工島管理公社名誉理事――矢瀬顕重は、悲願成就を間近に控えて感慨耽るよう目を瞑る。

 『咎神』カインによって創り出された神殺しの禁呪を、電子的に再現したプログラム――かつて、『聖殲』と呼ばれた魔術。

 それを発動させるためには、巫女と棺桶、そして祭壇が必要であった。

 そのために造られたのが、科学と魔術によって組み上がった人間と魔族が共生する魔都絃神島だ。だが、盟友絃神千羅が設計した祭壇には当時ひとつの欠陥があった。

 この龍脈が集うパワースポットの海上に、四神相応の理で四基の人工島を配置したがいいが、中核にてそれを束ねるに相応しいものがなかったのだ。

 しかし、それは盟友が見落としていたわけではない。

 盟友のミスではなく、他が間に合わなかった。

 盟友の設計上に必要不可欠であった、『黄龍』を担う『墓守』がまだ完成していなかったのだ。

 祭壇を守護し、機能を最大限に発揮させるための道具『墓守』の開発が思った以上に難航し、こちらの計画通りとはいかず遅延していた。

 しかし、人工島を計画通りに建造してしまった以上は、祭壇を安定させる要石が必要であり、それを聖人の遺骸を供犠建材として、間に合わせた。仕方なく、代用品を使ったのだ。

 

 その代用品は、ロタリンギアからの抗議で、国際裁判へと発展したために手放すこととなったが、問題はない。すでに人工的に要石を開発できるだけの技術力があり、また代用品になど頼らなくても『墓守』はあったのだ。

 そう、遺骸を返却した当時には、まだ『墓守』の資格を得てはいなかったが、資質はあった。事実、『闇誓書事件』にてそれは覚醒し、『神縄湖』での一件で完全なものとした。

 よって、完了した『墓守』を祭壇の中央に据えた今こそ、この絃神島は真に完成したと言えよう。

 

 もうひとつの鍵である人間の限界を超えた天才的な電脳使い――『カインの巫女』を手懐けるのも問題ない。これまで発見された唯一の『カインの巫女』の適格者――藍羽浅葱の両親は、すでに人質として顕重の監視下にあり、藍羽浅葱と幽閉した『棺桶』と直通回線できるのは顕重だけ。顕重以外の人間が、巫女と交渉することはあり得ず、また巫女は両親の命を助けたくば顕重の指示に従う他ない。

 あとは禁呪を封印していた『棺桶』を解放すればいいだけだ

 いっそのこと藍羽浅葱も『墓守』と同様に心臓を握ってしまえば、人質を取る手間がなく楽だったが、『瓶詰の心臓(グラスハート)』の術式ができる<空隙の魔女>を始末してしまった。今でもあれは惜しいことをしたと思うが、しかし反骨の目をした人間を生かしておくなど、百利あったとしても一考の余地なく切り捨てるのが正しい。

 そう、すべてを支配する人間は、この矢瀬顕重ひとりで十分なのだ。そして、自身に支配できぬものは必要がない。

 

「―――お疲れですか、矢瀬会長。出直した方がよろしいか?」

 

 目を瞑る顕重に呼びかけたのは、来客用のソファに座った異国人の男性だった。

 年齢は四十代になるかならないか辺り、アジア系の人種であるが、白皙の肌をし、常に微笑みを絶やさない印象がある。

 眠たげに瞼を閉じそうになる、可愛らしい顔立ちをした、年齢不詳の童顔の女性を傍らに従えるこの男は、今後のための交渉相手である。

 

「失礼した、レン総帥。ここのところ忙しく動いているが、同時に喜びも感じる。我らが再現した『聖殲』の力を、完成させたのだから。ぜひ貴殿ともこの感動を分かち合いたい」

 

 矢瀬顕重は椅子を回して、ソファに座る男に向き直った。壁面のモニターに表示されたのは、中央区を監視する衛星カメラより送られてくる映像だ。

 

「『聖殲』―――『咎神』カインが、神々への反逆と復讐のために引き起こした究極の秘呪ですね」

 

 レンと呼ばれた男が、穏やかな口調で問い返した。

 MAR総帥、シャフリヤル=レン――世界有数の多国籍魔導企業複合体『マグナ・アタラクシア・リサーチ社』の創設者にして筆頭株主だ。この人工島管理公社の名誉理事にして様々な魔導企業に手を伸ばす矢瀬一族の当主である顕重が、同格と認める相手。

 未来の同盟相手であるシャフリヤル=レンに対し、矢瀬顕重は、不敵に笑む。

 

「ああ、現在交戦中の<蛇遣い>を相手に証明してみせよう」

 

「ディミトリエ=ヴァトラー……真祖に最も近い吸血鬼、ですか」

 

 感心したように眉をあげるレン。顕重は重々しく頷いて、

 

「然様。昨日、『滅びの王朝』の凶王子イブリスベール=アズィーズを逃しこそしましたが、記録映像をご覧になればお判りでしょうが、こちらが圧倒していた。そして、今日、『戦王領域』のアルデアル公ディミトリエ=ヴァトラーを殲滅すれば、我らが『聖殲』の正当性は疑いなきものとなりましょう」

 

「そうですね。仰る通りです」

 

 感情を読ませない優しげな眼差しのポーカーフェイスのまま顕重の目を覗き込むように見つめ、

 

「ですが、新たなる『聖殲』を引き起こして、あなたは何を得るつもりです、矢瀬会長?」

 

「ふ、欧州の『戦王領域』、中東の『滅びの王朝』、そして北米の『混沌界域』―――これら『夜の帝国』に共通するものが何か、貴殿にはお分かりだろう、レン総帥?」

 

 石油、天然ガス、稀少金属(レアメタル)―――豊富な地下資源。この人類の発展に必要不可欠なものを独占する魔族をすべて滅ぼし、『夜の帝国』に囚われた人々を解放する。そして、その土地の利権を手に入れるのだ。

 

「そのためには、我が財団とあなた方『MAR』が手を組めば、実現の可能性は高いと思うが、どうかね?」

 

「興味深いお話ですね」

 

 脚を組み替えたレンの乗り気な様子に、顕重は薄い唇を吊り上げる。

 

「ですが、それにはやはりまず私の目であなたの成果を見てみたいのですが」

 

「よろしいでしょう」

 

 顕重は、交渉する傍らでモニタを操作する研究員。己に長年仕え、絃神島の建造にも携わってきた、いわば忠臣とでも呼ぶべき腹心の部下たちに一言命じる。

 

 

「『墓守』を起動しろ」

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート付近

 

 

異境(ノド)干渉場、固定。虚数領域より五大主電脳(ファイブエレメンツ)のパラメーター注入。基点座標において、『聖殲』を起動―――『墓守』、障害の排除を開始します』

 

 

 『墓守』たる守護神として、『咎神』を祀る祭壇である絃神島を破滅させる脅威に対する抑止力が流れ込む。

 つまり、相手が強ければ強いほどに比例して力が増大する。学習し対応する自律進化を行う<神々の兵器(ナラクヴェーラ)>と同じく、相手に合わせて、強化されるもの。

 

「■■■■■―――ッ!!!」

 

 この身を兵器とする。獣性が解放されていた金色の肉体が、|赤い点灯《レッドシグナルを発する機鎧より染み出る『異境』の暗幕(ヴェール)に塗り潰される。

 

「イイネ」

 

 吸血鬼の異能の力を無効化する暗闇。それに迂闊に触れれば、<蛇遣い>と言えどもあっさりと殺される可能性が高い。その死の予兆を前にして、ヴァトラーはうっとりとした表情で眺めていた。

 

「ますますキミを食べたくなっちゃったよ……!」

 

 ヴァトラーが、牙を剥く。頭部にねじれた竜角が生えており、全身の皮膚はまるで爬虫類の鱗のように変質している。そして、下半身は蛇尾、上半身は青年貴族の麗しい人型を残すが、腹部より蛇の頭部が生えている異形の形態。

 無限の“負”の魔力を持った吸血鬼による<神獣化>――<世界蛇の化身>。

 眷獣を召喚するまでもなく、すでに身に宿す<蛇遣い>は一工程もなく、無拍子(ノーモーション)で力を発揮する。

 

「<徳叉迦(タクシャカ)>」

 

 腹から鎌首もたげる緑に変色した蛇頭の双眸が妖しく光る。

 眼光で焼き払う蛇睨み。一瞥で眷獣と互角の格を有した<守護者>の悪魔を滅ぼした灼熱の魔眼―――それを浴びせても、怯む気配などない。

 構わず、真っ向からヴァトラーの熱視線を睨み返し、暗黒に染められた金人狼は突貫する。『異境』を身に纏う<心ない怪物>に、魔力の波動など通用しない。

 

「ははっ! ボクに真正面から抱き着きに来てくれるなんて、怪物らしいキミも素敵だよ」

 

 蛇頭の顎が開く。その口から乱雑に錐揉み回転する光球が吐き出され、炸裂した。

 その一挙一動を注視していた狂化された獣に、それは最大限の効果を発揮してくれた。

 光球が破裂し凄まじい光と音を発したのだ。灼熱の閃光纏う炎蛇に急激な気圧変化を起こす黒蛇。二つの力を同時に行使した、その閃光と爆音に視覚を白一色に潰され、聴覚も麻痺してしまう。この状況で動くことができるのは、ヴァトラーのみ。

 獣化して得た身体的特徴である蛇の角膜を閉ざすことで自らの目を潰して自滅しかねない光を視界より遮断し、体構造を水流へと変ずる海蛇で液化することで音と振動を柔軟に耐える。

 一方、まともに受けた金人狼は意識を朦朧とし、漆黒の暗幕が揺らぐ。それを好機とみて飛び掛かる<蛇遣い>。

 両腕に生える鱗がすべて剣刃と化した突きは、金人狼の皮膚を貫くか。

 ―――いや、

 

「頂きます!! ―――っ!?」

 

 視覚と聴覚を潰そうが、金人狼の外部情報を入手する感覚器の最たるものは、嗅覚。

 その蛇影を絶つほどの高速移動で接近するヴァトラーの位置を正確に嗅ぎ取り、難なく強襲を交わして、逆襲する。返す漆黒に染まる神獣の爪撃が、蛇身を斬り裂く

 ―――だが、それはガワのみ。薄皮一枚を脱皮して、難を逃れるヴァトラー。

 

「危ない危ない。あまりに美味しそうだから飛びついちゃったけど、もっと弱らせないとネ」

 

 後退したヴァトラーの腹部の蛇より今度は無数の蛇が吐き出される。ざっと千頭。雪崩雲霞の如く大量の蛇に、金人狼は剛腕を振るい一薙ぎで大半を消滅させるが、その間に本体は保護色で景色に溶け込む透化で姿を消す。超能力で拡張された嗅覚を働かせ、位置を把握した金人狼はその地点に瞬時に爪拳を叩きこむが、それは残り香のあるガワ。保護色だけでなく、脱皮することでこちらの『(センサー)』を誤認させる。

 そして、隙を見せた一瞬で仕留める気か。

 幼少を極寒の野生の中で生きた金人狼。破壊衝動に染め上げられるウィルスを打ち込まれているが、狂化してなお失わない冷徹な本能がこの状況は危険だと告げる。

 

 

「――― ___  ̄ ̄ ̄ ッッッ!!!」

 

 

 遠吠えがこの中央区に響き渡り、黄金色の燎原が広まっていく。

 たった今、世界は塗り替えられた。

 その記憶の中にある鉄の森の極寒の気象が、ここに再現されたかのように、弱き者は小一時間ももたずに生命活動を停止してしまう過酷な環境へと突入。

 温度が急激に下がり、地面は美しく透き通った氷の結晶に変わっていく。

 

(ああ、これが『聖殲』の力なのか)

 

 世界すらも変容させてしまう禁呪。

 真祖が恐れるこの力を実感する。そして、より―――

 

 息を潜め、這い寄る蛇身の動きが、鈍くなる。

 

(それに<心ない怪物(ハートレス)>になるほどに堕ちても、まだ知恵は無くしてないようだ)

 

 蛇は、変温動物。気温が寒くなれば、冬眠してしまう爬虫類族。

 冬になれば活動休止を余儀なくされる体質は、獣化をした者にも適応される。

 

 獣化は、そのものに獣性を付与し強大な力を与えるが、同時にその獣種特有の弱点も増えてしまうもの。

 たとえば、鳥人種は、空を羽ばたく翼を得るが、暗夜に視野不良となってしまう鳥目の性質も負ってしまう。それが獣人種であれば、弱点を克服するなり対処策を講じるだろうが、己が戦わなくても強力な眷獣を召喚できる吸血鬼種ではその意識はどうしても低くなってしまう。それはヴァトラーであっても、蛇の獣化は隠し玉のようなもので、こうも蛇の体質をつかれる事態に遭遇したことはなかったのだ。

 

 状況を打開するには、炎蛇の力を発揮しなければならず、それをすれば、保護色と脱皮で攪乱させていた位置がバレる―――

 それを金人狼は逃さず仕留めるだろう。

 つまり、詰みに入っている。

 

「<難陀(ナンダ)>!」

 

 灼熱に燃え盛る蛇身。

 極寒の冷気に封じ込まれた街で、その姿は異様に目立ち、当然、金人狼に気配は察知される。

 蛇頭より再び閃光と音響で怯ます魔力球が吐き出されたが、その手のものが二度も通じるはずもなく、また灼熱に怖気づくこともなく、漆黒に染まる金人狼の爪拳が半人半蛇の胴体を捉えた。

 

「―――」

 

 空を裂き、地を割る剛拳を脱皮で躱すのも不可能な真芯で受け、宙を斜め下に角度をつけて飛ばされたヴァトラー。

 数棟建造物を破壊して、そのまま人工島の鋼の地盤へと衝突。

 舞い上がった砂埃が収まっても。ヴァトラーは地面に倒れ伏したままだった。吸血鬼の再生能力を無力化してしまう『聖殲』の力に呑まれ、ダメージを負った肉体が即時復元といかず、

 

「く、フフ……」

 

 だが口から零れるのは苦悶ではなく、喜び。俯せの体制で地面の上を藻掻く青年貴族だが、顔に浮かんでいるのは笑み。満面の笑みだ。

 

「愉しいよ。今の一撃は、魂まで震えが来た。素晴らしい。ならば、ボクもすべてを出し尽くして応えないとね―――」

 

 これまでとは比較にならないほどの膨大な血霧が、その死にかけている瀕死の体より放出される。

 この金人狼が守護統治しているはずの中央区の地が震えるほどの尋常ならぬ魔力。龍脈をも喰らいつかんとする眷獣は、ディミトリエ=ヴァトラー最後の九番目―――

 

「さあ、戦争を続けよう―――<原初の(アナン)

 

 

 

 そのとき。

 青年貴族の全身が光に包まれた。

 

 

 

 音もなく、巨大な爆発だけが巻き起こる。

 はるか天上より降り注ぐ、灼熱の死の閃光。それが地球周回軌道上から放たれたレーザー砲撃だと、果たしてヴァトラーは気づいたか。

 人工島管理公社の切り札、地球周回軌道上からの対地レーザー攻撃衛星。

 レーザー砲撃の余波が吹き荒れ、熱風が金人狼の機鎧の隙間に見える肌を焼き、人工島の大地には巨大な穴が穿たれる。

 

「………」

 

 そして爆心地にいたものは、跡形もなく消えていた。

 対地レーザーの砲撃速度は、光の速さとほぼ同等だ。

 視認したときにはすでに着弾している攻撃を防ぐなど不可能。

 決着を横取りされた形となったが、別に己の勝ち星などにこだわる気は一切ない。だが、消化不良を起こしたように戸惑いを覚える。そう、あの強者は、あえて攻撃を身に受けているふしがあった。まるで全身で『聖殲』を喰らい、負荷を味わうような気味の悪さが拭えない。しかし、上は<蛇遣い>を圧倒できた以上、長々と戦争に付き合う義理も何もなかった。会心の一撃を見舞いさらに追い打ちをかけようと判断したとき、金人狼の纏う機鎧より、通信が入った。

 

 

 至急、キーストーンゲート第零層直通の(ゲート)へ向かえ。侵入者を殲滅せよ、と。

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

「どらあぁぁぁぁぁ―――っ!」

 

 

 咆哮と共に魔力を解放。純白の閃光が、辺りを真昼のように眩く照らし出す。無差別に撒き散らされた稲妻は衝撃波と化して、第零層へと通じる地下通路への門、そこに配置された警備ポットの群れを薙ぎ払った。

 安く見積もっても一台2000万はくだらないMAR製の軍用警備ポット十数台が、“眷獣も出さずに”跡形もなく瞬殺。

 

 荒い息を吐く古城の全身に紫電が弾けて帯電している。

 眷獣を召喚せず、眷獣の魔力だけを引き出す。つまりは自らの意思で<第四真祖>の眷獣の力を制御しているのだ。幾度も優秀な霊媒を吸血してきたことで、眷獣に対する古城の支配権が強化されてきたからこそ、このような芸当が可能となった。

 だがそれは、古城の肉体が、少しずつ完全な吸血鬼に近づいているという証である。

 でたらめな魔力の使い方をしたせいで、全身の骨と筋肉が苦痛を訴えていたが、それも少し息を整えれば復調していた。段々と力を使う感覚に慣れていっているのだろう。

 もしくは痛苦など無視するほどに強い感情があるせいか。

 

「行くぞ」

 

 暁古城は、端的に言って、キレていた。

 それは、自分の級友らを良いようにしてくれた人工島管理公社の連中にか。

 それとも、どうして助けてほしいなどと言わずにひとり抱え込む後輩にか。

 それとも、この二週間、何も気づかず何も動かなかった自身の愚鈍さにか。

 頭の中がごちゃごちゃになって整理がつかないが、いずれにせよ言えるのはひとつだ。

 

 いい加減に、こんなことは終わらせてやる。

 

 できれば“共犯者”である絃神冥駕と合流して動きたかったところだが、その目途もないし、もう『待つ』のは無理なので、目的地へ向かうとした。

 

『第零層に辿り着くまでの経路は、拙者から指示を出すでござる』

 

 古城のスマホと<戦車乗り>の案内が表示される。

 戦闘能力を喪失し、機動系統が壊れても真紅の有脚戦車<膝丸>に搭載された軍用コンピューターとネットワーク機能は健在だ。そして、浅葱にも匹敵する天才的なハッカーであるリディアーヌが侵入を支援してくれる。心強いサポートで、古城は助かる。

 だが、自分らを手助けして、それが逆探知でもされたりでもしたら、リディアーヌの身が危ないだろう。この現状を我慢できないが、それでも知人を犠牲としてしまうのには古城も避けたいと思う。

 

『<蛇遣い>に我が友を喰われるのは業腹だからな。今の俺では満足に戦うこともできんが、後顧の憂いを断つことくらいはできる』

 

 そんな葛藤する古城へ、異国の王子が思わぬ申し出をしてくれた。

 傍若無人の吸血鬼に気遣われたのは意外であったが、おかげで古城は後ろ髪が引かれる心配をしなくて済んだ。

 

『私は先輩の監視役なんですから』

 

 雪菜には、体調不良や獅子王機関も関わっているということもあって、店で留守番でもしてくれた方が、古城は安心できたのだが、本人が頑固としてそれを拒否。

 最終的に、銀槍を突き付けてでも反対する彼女の気に圧されて、古城は同行にこれ以上文句はつけなかった。

 とにかく、まず第零層へ向かう。そこにいると言われている浅葱を助け出し、そして、第零層を守護する後輩を―――

 

 

「Stop」

 

 

 地下トンネルへ通じる門の奥から制止を呼びかけた人影が現れた。

 

『気を付けなされ! 拙者の潜入工作を最初に見破ったのは彼奴めでござる!』

 

 警備ポット以外の設備の防衛機構はリディアーヌが解除してくれたが、どうやら門番(ゲートキーパー)がいるらしい。

 地下の陰より外へ出た容貌が露わとなる。

 黄金律に整った左右対称の自然にあり得ざるシルエット。硝子玉のように無機質な眼差しに、非自然な藍色の長髪。一見すると、それは古城たちのよく知る彼女に似ているが、こちらは2、3歳ほど上に見える。

 

「お前は……人工生命体(ホムンクルス)か」

 

「Yes。―――個体名『バルトロメオ』と申します」

 

 秘書風のスーツを着た人工生命体は、折り目正しく侵入者である古城に一礼をする。

 ちっ、と古城は舌打ちする。

 先ほどの警備ポットは中に人間が入っていないと解ったからこそ強行突破ができた。そもそも<第四真祖>の眷獣を召喚すれば、対魔族用の小口径機関砲が搭載された軍用品であろうと、警備ポットなど物の数ではない。何百台押し寄せようが一蹴してみせるだろう。ただ、すぐ後ろにキーストーンゲートがあるわけで、加減を誤れば警備ポットだけでなくキーストーンゲートまでも消滅させかねないのだ。強力すぎる<第四真祖>の眷獣は、使いどころが難しい。

 だから、殺さずに敵を無力化する芸当など無茶な注文で、古城は困った。

 その心情を察した雪菜がギターケースより銀槍を取り出しながら、前に出た。

 

「先輩は、下がっててください。彼女の相手は私がしますから」

 

「待て、姫柊!」

 

 思わず古城は手を伸ばすが、雪菜の後ろ髪に指が掠るだけで、止められず。

 同行は黙認したが、彼女の体調が悪いのは変わっていない。この未知数の門番を相手に戦闘をさせてしまえばより悪化するのではないかと古城は心配しているのだ。

 そんな先輩の杞憂を払拭せんと意気込んでいるかのように、古城の制止を無視し雪菜は銀槍を構える。金属製の柄が滑らかにスライドして、三枚の刃が展開。

 

「行きます!」

 

 魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を斬り裂く破魔の槍。<雪霞狼>と銘が打たれた獅子王機関の秘奥兵器だ。

 剣巫より銀槍の切っ先を突き付けられた人工生命体の少女は、その整い過ぎた人外の美貌を微動だにせず。

 雪菜へ向けている刺さるような冷たい視線に、殺気はない。彼女から何の感情も読み取れない。ただただ無表情。まるで意思を持たない機械のよう。

 硝子玉のような眼差しで照準を合わせる少女は、決められた手順(プログラム)を実行するだけの無機質な声音で淡々と、

 

「侵入者の排除を開始。Execute―――Shoot」

 

 瞬間、雪菜の立ち位置に火柱が昇った。

 巨大な火柱が空を焦がし、爆風が周囲の残骸を吹き飛ばす。

 

「姫柊……!」

 

 風に煽られながら、古城は叫ぶ。視線を走らせ、その姿を探せば、少女はいた。

 霊視による未来予測で間一髪難を逃れることができたのだろう。ホッと安堵したのも束の間、門番の人工生命体は、人差し指を立ててピストルの形にした手を構えている。

 

「Shoot」

 

 立て続けに雪菜へ火柱が襲い掛かる。門番は門前から動かず、前方を見たまま、両腕を交差している。その死角より迫ろうとする剣巫だが、ピストルのジェスチャをした両手の指先は、確実に雪菜の位置を捉えていた。

 

(これは、発火能力……!)

 

 魔力の波動もなく、前触れなく発生する火柱。その正体を雪菜は看破するが、近づけない。そして殺意も敵意もないため、そのことが逆に雪菜を幻惑させる。回避のタイミングが掴み難い。それで弾数無限で連射され、ロックオンから外れることもできない。古城も雪菜を巻き込んでしまう可能性がある以上、強大な眷獣の力を使えない―――だったら、使わなければいい。

 

「おおおお―――っ!」

 

 雪菜と門番が対峙する場へ、古城は跳んでいた。吸血鬼の筋力を限界まで引き出した強引な跳躍だ。乱入(アドリブ)は雪菜も反応ができないほどの速さで、勢いつけてぶん殴ろうとする古城。まっすぐ最短距離で間合いを詰めて殴る。思いつく限りの最もシンプルで、最も手加減できる攻撃だ。古城は生粋の吸血鬼ではない。吸血鬼の能力に対するプライドもないし、一対一の決闘では誇りなどよりも命を優先する。

 しかし、意表を衝いたかにみえた古城の判断は、す――と指を合わせられ、炎上に呑まれた。

 

「先輩っ!?」

「今だ姫柊!」

 

 悲鳴よりも大きな声で燃え盛る炎の中で古城は後押しした。

 雪菜との戦闘を見て大まかに予想したが、ただ近づく標的を燃やし尽くすよう設定付けら(プログラムさ)れた門番は、どんなに不意を衝こうとしても圏内に踏み入れば反応するのだろう。相手を見ていない。近づけば攻撃する。だから、古城に、この展開は想定内であり、第二希望だった。

 不意打ちに失敗したとしても、囮にはなる。連発できるようだが、それでも一瞬、時間差(タイムラグ)がある。

 そして、一瞬の隙があれば、姫柊ならやってくれる、という信頼があっての行為だ。

 

(どうして、あなたはいつもいつも……そういう無茶ばっかり……!)

 

 そんな古城の意図を正確に把握した上で、雪菜の瞳に、紛れもなく怒りの色が浮かび上がる。

 きっとあの先輩は発火されても不死身の吸血鬼であれば火葬とはならないとか考えているのだろう。それでも灼熱に焼かれる痛苦はあるだろうに。

 絶対に説教しよう。

 この相手を降した後で―――!

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 銀色の槍を旋回させて、雪菜が門番を強襲した。ありとあらゆる結界を斬り裂く『七式突撃降魔機槍・改』は、魔術防護など無視して対象を貫く。発火能力を操る人工生命体は脅威であるが、接近さえすれば自らも巻き込む発火能力は使えない。そして、その肉体は人間よりも虚弱であり、雪菜は一撃で昏倒してみせる自信があった。

 ―――門番は突き出された銀槍の刀身を横叩きし、躱してしまう。

 その人工生命体は剣巫の一撃を捌く。それが雪菜の眼前に突き付けられた事実だった。

 速い。

 単純に言ってしまうならば、それですべてが表現できる。

 人工生命体は人間の雪菜は愚か、吸血鬼である古城から見ても目を瞠るほどの速度と力を持ち合わせていたのである。

 関節のひとつひとつに火薬が詰まっているのかと錯覚させる瞬発力と力強さで、門番の体は獣人種に迫る“速さ”を生み出していた。

 そんな恐ろしい速度で白兵戦術を得意とする剣巫の槍の突きすら捌いて、雪菜へ反撃する門番。彼女はそのまま接近戦の間合いで、雪菜が次の手を打つよりも速く、腕を振るう。液体金属と融解して剣に変じた片手で返す太刀を繰り出す。

 

「―――ッ! <伏雷>!」

 

 雪菜はそれを槍ではなく、呪力を衝撃変換する蹴りを剣腕の関節部に入れて、直撃コースから軌道を強引に変える。

 先輩が身体を張って作ってくれたこの隙を、失敗に終わらせる気はない。絶対に仕留める。

 発火能力以外にも、身体性能強化に変形機構を備えている相手であるが、初手を凌いだ剣巫の未来視は、この攻防で得られた情報を元にさらに読みを深く、鋭くする。

 

「<黒雷>―――!」

 

 高速戦闘に入る。身体強化呪術をかけた剣巫にも、ついていく人工生命体の門番は脅威であるが、一手先を視ている。<魔義化歩兵(ソーサラスソルジャー)>の未来予知を行う魔具を体内に埋め込んだアンジェリカ=ハーミダと同じく、この門番にも先を読める能力を有しているのかもしれないが、今の雪菜の眼の方が冴え渡っていた。

 門番の攻撃を擦り抜けて、銀槍が剣と化した片腕を斬り飛ばす。

 続けざま、槍を片手に持ち替え、空いた掌を門番の薄い胸元に添え、

 

「<(ゆらぎ)>よ!」

 

 人工生命体の肉体が吹き飛んだ。芯を打ち抜く『八雷神法』の浸透勁をもらい、魔力循環に不調を起こす。門番は発火能力を発動させようとするが、電池が切れかけた電灯のように眼光が点滅し、不発。そして、止めに槍の柄で打ち込み、昏倒させる。

 

「先輩!」

 

 それから雪菜は振り返った。発火能力で燃やされていた火は鎮火し、古城の肉体はすでに再生している。これも吸血鬼の力が強まっていることの恩恵だろう。服までは修復できないのできわどく肌が露出しているが。

 

「もう、いきなりあんな真似をして……!」

 

「ま、待て、姫柊……落ち着け! 今殴られたら俺は泣くぞ! 本当に泣くからな!」

 

「……はあ」

 

 涙目になっている古城を眺めて、雪菜は脱力したように溜息をついた。無言でその場に屈みこみ、まだ熱のある古城の背中にそっと手のひらをあてる。そのひんやりと気持ちのいい雪菜の手の感触に、幾分か気が楽になった古城は、よし、と立ち上がり―――ぞくりとくる悪寒が背筋を走り抜けた。

 

「っ……!?」

 

 防衛本能で昂る魔力放出は、その姿を視界に入れた途端途切れてしまった。

 目を見開く。

 キーストーンゲート第零層へ続く地下通路の門前に現れたその人物を見て、震える声で言う。

 

「クロウ……なのか……?」

 

 だが、考えてみれば。

 暁古城は、『その可能性』を最も警戒せよと忠告されていたはずではなかったか。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……何を、やっているんだよ」

 

 

 助けに来てくれたわけではないのはすぐに悟った。敵対していることも事前に教えられていた。だから、最悪、戦闘までは覚悟していた。

 しかし。

 それが、崩れかけた。

 以前に圧倒的な力で古城を一撃で叩きのめした、あの絶壁のような威圧感がない。

 古城の目に映っているのは、ペラッペラの抜け殻だった。残骸というのもおこがましいほどの、成れの果て。あまりにも生気がない。

 

 どこかで一戦を交えてすぐ駆け付けたのか、ぐらり、と後輩の上半身が揺れる。

 風が吹くたびにそれに煽られよろめく、よろよろと、よたよたと。こんなの古城の知るクロウではなかった。テレビの中でチャンピオンだったボクシング王者が、酒に溺れて汚い路地裏に転がっているのを目の当たりにしてしまったような、圧倒的な絶望感が古城の胸いっぱいに広がっていく。

 

「何をやっているんだクロウ!!」

 

 冗談だと言って欲しかった。

 これは演技で、まだ健在であるのを見せて欲しかった。

 そうだ。こんなのじゃない。たとえどれだけ怪我をしていたって、どんな条件(ハンデ)が重なっていたって、そんな痛ましい姿を一度だって見せたことがなかった。

 そして。

 開口一番で出てきた言葉が、これだった。

 

「……立ち去れ」

 

 掠れていたが、それは奇妙なくらい穏やかな声だった。

 

「じゃないと、ご主人様と同じように、お前たちも殺す」

 

 そして、決定的な罪を告白するように、宣告する。

 決定的な芯を失ったものの、あらゆる感情が暴落した声で。

 先ほど対決した門番の人工生命体よりも機械的に、後輩の口から言葉が垂れ流された。

 

 その破滅者が纏う特有の空気に、古城は膝を屈しそうになる。

 

 今、対峙しているのは、<心ない怪物(ハートレス)

 “心臓”を手放し、物になり果てた者。

 そして、信頼が裏切りによって憎悪へと転じるように、その柱がしっかりしているこそ、壊れたときの暴走に歯止めが効かなくなる。

 だから。

 これから古城の選択次第で及ぶことになる行為に情が挟み込む余地などなくて。

 

「ふざけんな……」

 

 ボロリ、と。

 暁古城の瞼から、透明な滴が落ちた。

 

「ふざけんなよ、ちくしょう」

 

 世界で一番苦く、そして情けない味のする涙だった。

 屈辱とは、きっとこんな味がするのだと直感で分かってしまうような。

 

 世界最強の吸血鬼のくせして、こんなにもボロボロの後輩に助けを求められないのに、いったいどの面を下げて先輩面をしているんだ暁古城!

 

 「ああ。わかった。テメェのその石頭をぶん殴って、わからせてやる! 姫柊は手を出すな! これは俺とクロウの戦争(ケンカ)だ!!」

 

 監視者からの返事もお咎めもない。

 だがもはや雪菜が何を呼びかけようと、頭に血が上っている古城に耳には入らないだろう。

 

疾く在れ(きやがれ)―――」

 

 

 

 しかし。

 上も一対一の果し合いになど付き合う義理はない。

 

 

 

「―――がっ!?」

 

 これまでにないほどの魔力を滾らせる古城が、鮮血を吐き出して地面に転がった。

 古城の胴体がぽっかりと抉れて、心臓が完全に吹き飛ばされていた。

 その衝撃で古城の意識が一瞬途切れ、眷獣の召喚が解除された。

 

「狙撃!? そんな―――!?」

 

 古城の負傷に気付いて、雪菜が呻いた。

 敵対しているのは、<心ない怪物>だけではない。有脚戦車を半壊にして追い込んだ<魔導打撃群>。犬頭の機甲服を装着する警備隊が要警戒の侵入者である古城を狙っていたのだ。そして、上からの指示で、戦うまでもない<第四真祖>の心臓だけを、剣巫の霊感能が察知できないほど遠距離から正確に吹き飛ばした。機甲服の補正が入り、凄まじい狙撃精度である。

 

「ぐ……お……!」

 

 後輩しか頭になかったところでの不意打ち。心臓を失った古城は、もはや立ち上がることができない。必死に上体を起こそうとするが、顔を上げるのが精一杯だ。そして持ち上げた眼前に飛び込んできたのは、漆黒――撃たれたと同時に駆け込んだ金狼の振り抜いた機鎧に覆われた前脚だ。

 

 

「■■■■―――ッッッ!!!」

 

 

 狂化状態を示す赤い点灯。機鎧を纏う金狼の一撃をもろに食らい、古城の身柄が大きくブッ飛ばされた。

 無残に、放物線を描いて地に墜落しようとしている古城の姿に、雪菜は吹っ切れた。

 

「うああああああああああああぁぁ―――っ!」

 

 感情の沸点に達した雪菜は背中より翼の如き巨大な紋様を広げた。

 人間の限界点を超えた、濃密な神気を銀槍に纏わせ、一閃。<心ない怪物>たる同級生を牽制するとすぐ、一目散に飛び立った。

 先輩の下へ―――!

 羽ばたくように駆け抜ける少女は音速の壁を破る超高速で移動し、落下間際に古城の体を、槍を投げ捨てて両手で抱きかかえ受け止める。

 

「先輩! 先輩!」

 

 限度を大きく超えた霊力の放出に、貧血でも起こしたように意識が白み始めている。それでも古城の体に縋り付いて呼びかける雪菜の声に、う、と瞼がピクリと動き―――怪物の遠吠えが耳朶を叩いた

 

「が―――」

 

 急激に増大された負荷に、起き上がりかけた古城、それを支えていた雪菜の体が平伏すように屈した。

 高位精霊術と同等以上の効果を発揮する自然干渉の超能、そして、自然現象を情報改変する『聖殲』。それが合わさり成す、環境操作(テラフォーミング)

 今、中央区に十倍を超える重力負荷が与えられたのだ。いきなり体重が十倍になってしまったら、人間ではまともに動けない。吸血鬼でも重傷を負った身では起き上がることも叶わないだろう。雪菜も槍を手放してしまい、霊力の消費が激しくて重圧に逆らえるだけの余力を持っていない。

 そして、キーストーンゲートより吹き飛ばされた古城たちのいる地点まで染め変える金色の力。黄金色の稲穂のように、超巨大浮体式構造物(ギガフロート)の鋼の大地が色づく。それはこの人工島に施されていた強化呪術をさらに補強したのか。船一隻に聖護結界を纏わせ、魔力を失い崩壊しかけていた人工島を支えてみせるだけの力を有していたが、しかし何故それをするのか。

 その答えは、これからの攻撃に絃神島が耐えられるようにするため。

 

 天地玄黄。

 天は黒、地は黄。

 まさにその言葉の通りの、中央の守護者からの天罰。

 

「な―――」

 

 重圧に地べたに屈しながら、わずかに開かれた目に映った光景に、古城は言葉を失くした。

 

 黒。

 超能力と噛み合った『聖殲』の世界変革で、何もなかった大気中に巨大な塊が創造された。それは100mクラスの<第四真祖>最大にして最強の威力を誇る三鈷剣の眷獣よりも大きな、漆黒の月だった。

 月堕し(ムーンフォール)

 一国を滅ぼすほどの破壊が、個人を狙って落とされる。

 

「<焔光の夜伯>の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ―――」

 

 右腕を震わせながらも、黒月が迫る空に突きあげる。

 貫かれた心臓をまだ再生できず、不完全な状態のまま暁古城は世界最強の吸血鬼――すなわち<第四真祖>の力を振り絞った、

 

 

「疾く在れ、『五番目』の眷獣、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>―――!」

 

 

 人工島の大地すら揺るがす圧倒的な魔力。

 その凄まじい黄金の閃光と衝撃波が、天より堕ちる月を砕く――――――ことはできず、弾かれた。

 <第四真祖>の眷獣の力さえ通じない『異境(ノド)』の漆黒の薄膜(ヴェール)を、月は纏っていた。

 牙を突き立てた雷光の獅子は霧散して、そして、古城たちは月を仰ぎ、

 

 

(っ!? 落ち―――)

 

 

 

つづく


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