ミックス・ブラッド   作:夜草

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黄金の日々Ⅰ

キーストーンゲート 魔族特区博物館

 

 

 キーストーンゲートは巨大な建造物だ。建物自体が、絃神島の要となる大規模浮体式構造物(ギガフロート)の一つであり、一個の広大な街である。人工島管理公社だけでなく、絃神氏の市庁舎や『特区警備隊(アイランド・ガード)』の本部、飲食店街やシティホテル、高級ファッションビルのテナントまで―――それらが複雑な武特区のように組み合わされて、楔形の建造物を構成しているのだ。

 そのキーストーンゲートの内部には、小さな博物館がある。

 正式名称は『魔族特区博物館』。絃神島の設計者である絃神千羅の過去の業績や、『魔族特区』に関する歴史資料を集めた、観光客向けの施設である。

 しかし今はその施設内に、観光客の姿はない。『タルタロスの薔薇事件』以後、この博物館は閉鎖されているのだ。災害復旧中で、テロリストの残党がうろついているとされる絃神島を、わざわざ訪れるもの好きな観光客は少ないし、対外的には、この施設も、事件で被災したことになっている。

 

 そんな博物館の従業員区画に、見慣れない集団があった。

 最新鋭の対魔族機甲服と銃器で武装した屈強な武装警備員――『特区警備隊』の<魔導打撃群>の隊員たちである。

 この『魔族特区』にて最高クラスの兵力を有している彼らは、博物館の置物へ拳銃の試し撃ちを行っていた。

 

「我らが『聖殲』の正当性を確かなものとして実証するために、『滅びの王朝』から派遣された凶王子イブリスベール=アズィーズを殲滅しろと命じたはずだが、よもや取り逃がしたとは。無意識にブレーキが働いているのか」

 

 どすっ、ずどっ、と置物がわずかに震える。

 サイレンサー装備で甲高い銃声こそ轟くことはないにしても、豆鉄砲ではない。小型戦車にもダメージを与えられるだけの威力は昨日実証済みだ。

 

「実際問題、『聖殲』の補助(サポート)に問題はなかったはず。そもそも、世界最強と冠するようになった殺神兵器の本気はこんなものではないはずと思っていたが。それとも私の買い被りだったのか?」

 

 うっ……、という小さな呻きのような声があった。

 それを拾うと眼光の鋭い和服姿の男は、片手をあげて、自らを護衛するためには連れている警備隊員らに試し撃ちを止めさせる。そして、あげた片手を振り落とし、不可視の刃を置物へ無造作に飛ばした。

 

 いいや。吊り上げられて、的にされている褐色少年、南宮クロウの首筋その頸動脈を撫でるように。

 

 そもそも、吊り上げられているという表現も正確ではないのかもしれない。頭の上に重ね合わせた両手を不可視の刃がまとめて串刺しにして壁に縫い止めている。許可なく地面に足をつけば“瓶詰”を使うと言ってあるので、掌を貫通する念動力の刃に自らも握って宙づりの姿勢を保っている。そのサンドバック状態で、試し撃ちの的にしていた。

 その行為に消費した銃弾が勿体無いと言えるくらいに、意義を見出すのが難しい。それまで、何発か銃弾を浴びせていたがそれでも青痣を作る程度で貫通し得たものがないからだ。だが、それでも無防備な相手を一方的に的打ちするというのは、力がかけ離れた怪物であっても手駒の部下らに使役しているという意識を強めてくれる。

 だが、死の緊張の伴わないものに、隷属意識を刻み込むことができるかと言えばその効果は薄い。

 わずかでもズレれば、躊躇なく無抵抗の首元に深く念動力の刃を突き立てて。頬から首筋そして左胸元まで通る、“仮初(まえ)の主に刻まれた”古傷を塗り潰すように、透明の斬撃を見舞う。

 半分が獣王の細胞からの驚異的な生命力がなければとっくの昔に絶命していてもおかしくない。出血の有無ではなく、激痛のショックでだ。

 

「ぐふっ!? ふぅー、ふぅー……!」

 

「不満そうな顔だな。まだ立場というのを理解していないのか」

 

 部下の裏切りに常に備えてきた男は、反骨の相を見逃したりはしない。完全に屈服していないのがわかっている以上、教育は要必須だ。

 

「……それとも、心臓に電流を流してやった方が良いのか?」

 

「っっっ!?」

 

 ぎぢりっ!! と奥歯を噛むにしては壮絶すぎる音が博物館全体に響き渡る。だが、その本物の恐怖の色を見取って、男は一先ず満足する。

 

「欠陥品であろうと死ぬのが怖いか。わかっているのならば、成果を出せ<心ない怪物(ハートレス)>」

 

 磔にしていた不可視の刃を消し、その身柄が地に落ちる。

 完全に屈服こそはできていないが、けして逆らわないと確認作業は済んだ。

 これは、犬の尻尾を力一杯に爪立てて握り締めてそれでも噛まれないかどうかで、躾具合を測るという行為と同じ。

 

「接続装具をつけさせろ。不出来な道具に休む時間など必要ない」

 

 

 

 絶対的な支配者である男――矢瀬顕重は、博物館奥にある関係者以外立ち入り禁止(スタッフオンリー)と書かれた扉を直衛とされる隊員らに開けさせ、この地下へ行ってしまった。

 そして、残された警備員と研究員たちが修理された『墓守』のための枷を、少年へ装着させる。恐れる者はいない。先ほどの見せしめで、完全に彼らよりも下であると示された。

 昨日、超越者と常識外れの死闘を演じれるだけの力があったのだとしても、自分たちに刃向かう気概がないと証明されたのであれば、過剰に怖がる必要はないのだ。

 

「体ヲ起コセ。腕ヲ前ニ突キ出セ」

 

 人間扱いなどけしてされない。地に塗れて、この底辺のさらに下へ潜るように、少年は“息を止めていた”。

 呼吸はない。鼓動も無音。体熱は平常値の半分以下にまで下がっている。

 死霊術を極めたのであれば、生体活動を停止したまま自身の肉体を死霊術で動かすことくらいの芸当はできなくはない。脳改造されて自らの肉体を死霊術で操縦する動死体の少女の例と同じ。無理にでも体を動かさなければならないとき、死霊術で動かしていたこともあった。それとおかげで私刑(リンチ)に遭っても、痛覚はほとんど死んでいる。真冬の氷水に長時間手首を浸していれば指先の感覚がなくなってしまうように、半月の仮死状態は“それなりに”感覚が麻痺している。なので、痛がる真似をするが、苦痛と覚えることはなかった。それがけして不幸中の幸いなどと呼べるものではないのはわかっているが。

 まだだ。

 隙のない相手に、けして隙は見せてはいけない。自らの拍動すら許さないほどに、息を潜める。

 

(……、……じん)

 

 あれから、一睡もしていないが、この意識が落ちて、術が解ければ、“終わっ(バレ)てしまう”。

 だが、こんな仮死状態がどれだけ続けられるものかはわからない。

 それはどれだけ息を止め続けても問題ないかと訊いてるのと同じ。いつ本当の死体となるのか、制限時間がどれだけあるのか予想できないが、とにかく言えるのは、ずっとは無理だ、ということだ。

 

 ただ。

 それでも。

 もう自分は月のない夜を眠るのは、無理なのだ。

 

 

(だから、“奪われたままでは死にきれない”。絶対に―――!)

 

 

公園

 

 

 『タルタロスの薔薇事件』は、“終わってるはずだ”。

 今朝のニュースに流れたテロリストの残党<心ない怪物(ハートレス)が起こした中央区破壊事件。絃神島の救世主である藍羽浅葱を狙ったものと思われる昨日の事件は、今日得た情報の一面トップを飾った。

 

「違う……」

 

 世界最強の吸血鬼と呼ばれる少年――<第四真祖>、暁古城は、その匂いを嗅ぎながら、しかめ面で低い声を洩らす。今、そっと口に含んだ温かな液体が、思った出来ではないとでも言うように眉間に皺を寄せて瞑目している。

 

「どうしたの、古城君? 味付け失敗しちゃったの?」

 

「え、あ? 凪沙……?」

 

 それから思い切り溜息を吐いたところで、エプロン姿の凪沙がそんな苦汁を噛む兄を不思議そうに見つめていることに気付いた。

 我に返った古城は慌てて、

 

「いや、ばっちりできてるぞ……オリーブオイルで炒めたニンニクに、桜燻製チップで燻した自家製ベーコンを贅沢に使用、具材は新鮮な玉ねぎ、にんじん、キャベツにロンバルディア産のトマト。さらに隠し味としてハーブソルトを効かせた完璧なミネストローネ。まさに究極の逸品といえるものにな」

 

 自ら調理したスープに酔ったように自信たっぷりに語ってみせる古城に、妹は、ふうん、と鼻を鳴らして、古城の手にあるおたまをとって自らも味見をする。

 

「……うん。何だ本当によくできてるじゃん、古城君」

 

「だからそういったろ」

 

「でも、思いっきり古城君なんか渋い顔してたよ。だから、味付け大失敗しちゃったのかなーって心配したの。夏音(カノ)ちゃんも雪菜ちゃんも大変だから、凪沙がフォローはすぐしなくっちゃって。その必要も特になかったみたいだけど。もう紛らわしいことしないでよね」

 

 凪沙は両手を腰に当てて、園児を叱る保育士のような口調で古城に言う。

 今、古城たちがいるのは大きな公園の一角に置かれた屋台風の仮設テントの中だ。

 裏側に衝立で仕切った簡易キッチンを設えて、そこの業務用ガスコンロの上には古城作のミネストローネが煮えている。大鍋四つでおよそ三百人分と調理だけでも重労働であった。

 後輩の叶瀬夏音に頼まれてやってきたボランティアのお手伝い。

 二週間前、から現在進行形で発生していることとなっているテロ事件の被害者たち。“上級理事五名を除いて”、一般市民である彼らは『魔族特区』の高度な医療システムの恩恵もあって、奇跡的に死者こそ出てはいない。無差別に召喚された眷獣たちの暴走で市街地には大きな被害が出ている。住居を壊され、未だ避難所で不自由な生活を強いられている人々も多い。古城たちはその中でも特に被害の大きい地区へ訪れていた。

 なにしろ古城は、自らの意思ではないと断言できるとはいえ、『魔族特区』破壊集団<タルタロス・ラプス>に操縦され、<第四真祖>の力で絃神島の『食糧備蓄倉庫(グレートパイル)』を焼き払ってしまったのだ。それどころか<タルタロス・ラプス>の首謀者のひとりは、今や<第四真祖>の『十番目』の眷獣として古城の中で眠っていたりもする。古城としては絃神島の食糧危機を見て見ぬふりをするのはとても良心に呵責を覚えるので無理であった。

 そんなわけでテントでは上の空でぼけっとなどしてられないくらいボランティアスタッフが、順番を待つ人々に温かなスープと握り飯を配給するのに大忙し。でも、余計な考え事はしててもしっかり仕事をしてたのだから怒られることはないと思うのだが。

 

「悪かったって。ちょっといろいろ気になることがあってだな。でも、しっかり出来てただろ。それより列の整理はもういいのか?」

 

「駄目駄目だよ。昨日より人が増えてるかも。炊き出しの評判を聞きつけた人たちが、わざわざ遠くからやってきてるみたい。一応整理券は配ってあるんだけど、列の最後尾は公園の外まで伸びてるし。表に出てる鍋はそろそろ空になりそう」

 

 と途切れなく早口で凪沙が説明してくれたおかげでだいたい状況は把握した。衝立からちょっと顔を出し覗いてみれば、テントに並ぶ人々の行列は、ざっと数えただけでも200人は超えてるだろう。古城が少し前に見た時よりも、明らかに人数が増えていた。

 でも、あんまり暗い雰囲気はない。古城が予想していた実態とは大きく異なることに、食糧配布に押し寄せてくる大観衆は、どちらかと言えばお祭りやスポーツイベントのノリに近い。元体育会系の古城としても、この手の騒々しい雰囲気は嫌いではないのだが、ここに集まってきているのは、『やたら可愛い女子中学生が握ったおにぎりが無料で食べられる』といういつの間に広まっていた噂のせいである。絃神島全土からおにぎり目当てで被災者が大量に集まってきているという、なんとも言えない始末となっていた。

 とはいえ、それが良い宣伝になって、他の慈善団体の協力も得られたし、相当な寄付も集まっていて、被災者も助かってる。それに“情報収集(ついで)”をするにも人が多いことに越したことはない。

 

「ねぇねぇ、古城君は見なかった?」

 

 主語を省いたその問いかけに、もう慣れた対応で古城は首を横に振る。

 

「……いや、見てないな」

 

「そうだよね。古城君はずっと調理場にいたんだし」

 

 がっかりと肩を落とす凪沙。

 その手にはおにぎりを載せた紙皿。皿から余裕ではみ出すほどの巨大サイズのおにぎりがふたつ。まだ表には順番待ちの人たちがいるというのに、わざわざ取ってある。それが誰のためかというのは言うに及ばず。しかし、兄としては複雑なことに、それが意中の相手に渡されることはないので、毎度、この妹手製の爆弾おにぎりは古城が頂いている。

 

「……でも、全然いないなー、クロウ君」

 

 古城には会いたいのに、この半月一度も顔を合わせたことがない後輩がいる。

 落ち込んだ空気を入れ替えるように、古城は凪沙へやや声を張り上げて言う。

 

「よし! 凪沙のチェックで味付けも完璧だったのはわかったんだし、すぐに持ってくか」

 

「うん、よろしくね。あと手が空いたら、お皿の補充と雪菜ちゃんの手伝いもお願い!」

 

「あいよ」

 

 慌ただしく駆け出していく妹の後姿を見つめて、古城は我慢していた嘆息を吐き出した。

 忙しく働いている方が、余計なことを考えなくていいだろう。妹は知らない。未成年だから配慮されているのか、幸いにして、ニュースでも実名ではなく、通り名だけしか言われてないので、古城のように関係者として事情聴取されなければわからない。だから、彼女の中では、あの後輩は未だにテロ事件解決のために駆り出されているということとなっている。

 ので、学校では会えておらず、でも、こういう炊き出しの場でなら食べ物の匂いにつられ、ふらっと腹を空かせた彼がやってくるかもしれない、と内心期待しながらボランティアをやってるのだろう。

 

 だが、ここに集まってくる被災者たちに、現場で目撃した話を聴いているが、その実行犯の特徴はどれも古城の外れてほしい想像に沿ってしまうものばかりであった。

 今や<タルタロス・ラプス>という組織名ではなく、<ハートレス>という個人を指した通り名の方が恐怖の代名詞として世間に周知されている。

 

「悪い、遅くなった。スープお待ち!」

 

「あ、先輩。ありがとうございます」

 

 危なっかしい足取りで大鍋を運んできた古城に、雪菜が不安そうに駆け寄ってくる。三角巾で髪をまとめた給仕スタイルの彼女は、普段と違い新鮮でつい目につく。

 

「姫柊の方こそお疲れ。これ全部、姫柊が握ったのか?」

 

 背後のテーブルに所狭しと並んでいる、ラップをかけた大量のおにぎりを指して古城が訊ねれば、調理用のナイロン手袋を脱ぎながら雪菜は首肯で答える。

 

「はい。追加のおにぎりはこれで最後です。お米がもうなくなってしまったので」

 

「そうか。足りるといいけどな」

 

 空っぽになった炊飯釜に困ったように眉尻を下げる雪菜に、古城も少し心配になる。

 行列を作ってる人々の大半は、雪菜たちのおにぎり目当てなのだ。それが手に入らないとなれば、落胆するのは容易に想像できることで、暴動が起きてしまうかもしれない。

 ただ、目当てとされる雪菜当人は、このガスや水道の復旧がまだ終わっていない被災者たちは暖かい食べ物を心待ちにしていると思っているようで、自身の写真がネット上で話題となっていることは知らないので、ややズレてはいるが。

 とりあえず、それは心配のしすぎだと古城は思う。

 流通はまだ支障が出ているようだが、<タルタロスの黒薔薇>から二週間が経てばさすがに、絃神島の食糧事情も改善している。炊き出しの握り飯以外に食べ物にありつけないというような、危機的な状況ではないのだ。

 今回のボランティアの目的も、どちらかと言えば被災者のための気分転換や娯楽の提供が目的だ。その意味では雪菜たちは、自らの役割を十分に果たしていると言える。

 

 そして、これだけの“エサ”があれば探りを入れるには十分。

 

「じゃあ、この辺りにあるのをもらってくな」

 

 古城は手にしたお盆におにぎりを十数個載せる。美少女手ずから渡すのではないのでがっかりされるだろうが、きちんとお手製のおにぎりであることに変わりない。配給すれば、自然と人は寄ってくるし、見知らぬ相手でも話が訊き易い。早速、今朝のニュースで流れた中央区での事件について話してもらおう。あまり口を開きたがらないのもいるだろうが、そこはこの競争率の高いプレミアムな美少女の手作りおにぎりが役に立つ。

 古城はその日一日の活力となる朝飯よりも、この被災地だからこそ得られる生の情報をとにかく欲しているのだ。

 

「先輩もちゃんと食べてくださいよ」

 

「ああ、わかってるよ」

 

 あまり面白くなさそうに雪菜が古城に注意をする。そのやり口は理解していても、足りてない食糧で釣るみたいなのは、真面目な彼女には気に入らないのだろう……と古城は思う。どちらかといえば、わざわざ取り置きしてもそれを他人に渡してしまうのが雪菜には不服なのだがそんなことは言ったりしない。雪菜としても情報は欲しいのだ。

 

 そして、雪菜が配給に対応し、古城がテントから出たところで、人混みの中でもすぐわかるくらいに目立つ、鮮やかな銀髪碧眼の少女――叶瀬夏音を見つけた。

 

「あ、お兄さん」

 

 向こうもこちらに気付いたのか、大きな段ボール箱を抱えていた夏音が足を止めて振り返った。

 幼いころに修道院で暮らしていた夏音は、慈善活動の知識が豊富だ。今回の被災者支援でも、最年少のスタッフとしてみんなから信頼されている。日本人離れした美貌とも相まって、被災者からの人気も高い。けれど夏音は、よく言えばおっとりとした、悪く言えばマイペースで少々トロい性格なため、争奪戦も勃発するこの炊き出し場には明らかに不向きな人材であった。

 なので、この乱雑とした場所で無警戒に進もうとすれば、

 

「待て―――」

 

 と止める暇もなく、心配そうに凝視する古城の前で、予想通り夏音は何かに躓いてバランスを崩し、

 

「あ……」

「っとお!?」

 

 咄嗟に転びかけた夏音の身体を古城が腕を差し出して支えて見せる。危なかった。小柄な夏音だから、左腕一本で抱き留めることができた。落としてしまった段ボールも中は紙皿や割り箸で割れ物はなく、問題ない。

 

「大丈夫か、叶瀬?」

 

「あ、お兄さん、すみませんでした」

 

 古城に抱き支えられたままの姿勢で、穏やかに微笑む夏音。『中等部の聖女』という呼び名に相応しい、神々しくも清楚な微笑みに、一瞬古城は見惚れてしまう。

 それから、立て直した彼女は改めて恭しく頭を下げる。

 

「今日はありがとうございました。凪沙ちゃんにも、雪菜ちゃんにも、お手伝い感謝でした」

 

「あ、いや、俺がやったのはスープの用意だけだから。それにこっちはこっちで都合がいいのがあるからさ」

 

 涼やかな夏音の瞳に見つめられ、古城は照れたように目を逸らしてしまう。

 けれど、被災者とは別として、“彼女の保護下にある”夏音にも古城は訊きたいことがある。

 

「それで、那月ちゃんたちは、まだ帰ってきてないのか?」

 

 その問いかけに、夏音はそれまでの朗らかな笑みの明度を落とし、眼差しを伏せてゆるゆると首を横に振る。

 

 

「……はい。那月先生も、アスタルテさんも、クロウ君も、2週間前から帰ってきていません」

 

 

彩海学園

 

 

 彩海学園にて校長室よりも上の最上階に自室を構える暁古城の担任教師。

 国家攻魔官の資格を持ち、この絃神島で五本の指に入るとも言われる実力者。

 そんな難事件があろうとも無遅刻無欠席であった彼女、南宮那月はここ半月ほど彩海学園に来ていない。テロ事件にかかりきりとなっているのか、それとも溜まりに溜まった有給休暇を使っているのかとも噂されていて、それほど騒ぎとはなっていない。

 

 だが、同居している夏音曰く自宅にも戻ってはおらず、また古城は<空隙の魔女>が夢幻の中に閉じ込めていなければならないはずの<監獄結界>が、人工島北地区に未だに現界していることを確認していた。

 それが示すのは、あの傲岸不遜の大魔女が異空間を繋げるほどの余裕がないのか、それともすでにこの世からいなくなっているのか……

 また彼女が保護観察下に置いている人工生命体のアスタルテも、二週間前のテロ事件で負傷して運び込まれた病院からいなくなっていた。古城が事件後に話を聴きに行った時にはすでに病室は蛻の殻で、担当医からすでに退院したという。

 

 そして、暁古城の日常から欠けている人物は、まだいる。

 

「あ、来た、暁! こっちこっち!」

 

「棚原?」

 

 クラスメイトの棚原が、ボランティアから始業開始前に教室に入った古城に声をかけた。中等部からの同級生である、それなりに気心の知れた彼女は、いったい何の用だ、と訝る古城に、窓際にある空き机を指差し、

 

「ねぇ、暁。最近、藍羽浅葱と連絡取ってる?」

 

「浅葱? ああ……いや、取ってないな」

 

 古城は、なるべく努めて、平静を装って答えた。

 テロ事件以来、浅葱は一度も学校に来ていない。連絡しても返信は一度もない。心配になって直接自宅に赴いたこともあったが、『特区警備隊』に屋敷を取り囲むように検問を敷かれて立ち入れなかった。浅葱の父親は絃神氏の評議員を務める重要人物だが、その護衛にしても装甲車まで持ってくるのは明らかに過剰戦力だろう。『魔族特区』の治安維持を担当する人工島管理公社直轄の対魔の武装警備員らに結界も張られており、雪菜に頼んで式神を飛ばしてもらったが中の様子は窺えなかった。

 

「へぇ。浅葱が古城に連絡できないなんてよっぽど大変なのね。でも困ったな……小学生の従妹に、藍羽とのツーショット写真を送るって約束しちゃったんだよね」

 

 手に持った携帯機器を未練がましく掌の上で弄びながら、小さく唇を尖らせる夕歩。

 古城はあからさまに残念そうなクラスメイトに片眉だけをあげて、

 

「なんで小学生が浅葱の写真なんか欲しがるんだ?」

 

「そりゃ藍羽のファンだからでしょ。あたしが藍羽のクラスメイトだって言ったら、あの子、すっごく喜んじゃって」

 

「はー……まるでアイドル扱いだな」

 

 まったく心のこもってない返事をする古城に、夕歩はややムキになったように声を張り上げて、

 

「アイドル扱いじゃなくて、アイドルなのよ。なんたって国際指名手配にされてるテロリストの残党から絃神島を護ってる聖処女(ジャンヌダルク)なんだし、話題になるのも当然でしょ」

 

「違う」

 

 古城は、つい強めに否定してしまった。特に大声を発したわけではないが、圧されたクラスメイトが息を詰まらせたように、黙ってしまう。それを見てすぐ、反省した古城は気怠く息を吐き、

 

「今、テレビに映ってるのは偽者に決まってる。浅葱がそんなことするわけがない。だいたいあいつがアイドルになんて無理があるんだよ。おまえは浅葱に何を期待してんだ」

 

 古城の知る浅葱は美人な見た目に反して、色気とは無縁なタイプである。ちやほやされて喜ぶ性格でもないし、他人に媚びが売れるほど器用でもない。そして、平気で後輩を貶めることを発言できるような薄情な奴ではけしてない。そんなことを言わされるくらいならば舌を噛むだろうと断言できる。

 とにかく<心ない怪物(ハートレス)>から絃神島を護ってると英雄視され偶像(アイドル)扱いされるあの偽者が古城は気に食わない。だからといって、何も知らないクラスメイトにそれを言ったところでどうしようもない。

 

「そう言われれば、そうだんだけど。でも、浅葱って美人なことは確かだし。アイドル扱いされてもおかしくないというか……ほら、藍羽のプロモーションビデオ。本格的なアイドルみたいで、結構可愛くて好きなのよね」

 

「ああこれか」

 

 スマホを操作し、ネット動画サイトに接続した夕歩が再生したのは、ここのところ耳に馴染んだ歌声だった。

 この動画に流れてる曲目は、『Save Our Sanctuary』――人工島管理公社のプロデュースする絃神島復興支援ソングだ。

 ただ今島内のいたるところで耳にするこの流行歌を口ずさむのは、純白のサマードレスを着た浅葱。海岸沿いを裸足で歩く映像の中の彼女の姿は、確かにアイドルと言われても違和感はなく、世間の反応も上々なのも納得しよう。何も知らなければ古城もそう思えたかもしれない。しかし、はっきり言って古城はそのチャリティーソングはウソっぽくて、好きではない。

 折角、再生回数が断トツの動画を見せたというのに、思った反応ではないことに、おや、と夕歩は訝しみ、

 

「なに? 暁、気に入らないの?」

 

「まあな。さっきも言ったけど、これウソ臭いんだよな」

 

「そうね、それ良く撮れてるけど、偽者よ」

 

 とそのとき、古城の回答に同意する声が上がった。

 会話に割って入ったのは、大人びた長身の女子生徒だった。クラス委員の築島倫である。彼女は古城に見せているその動画を一瞥し、きっぱりと言い切ってくれた。その反対意見が妙に嬉しくて、古城は築島に好奇の視線を向ける。彼女は期待に応えるように、自論を述べてくれた。

 

「偽物?」

 

「うん。多分魔術かCGじゃないかな。浅葱が自分でそんなもの作るとは思えないけど。でも、このピアスの色が違うのよ」

 

 倫はすでに再生停止した画像でアップしている浅葱の横顔を素っ気なく指摘する。見れば、プロモーション撮影時の浅葱は、古城の知らない赤いピアスをつけている。いつもつけている浅葱色(ターコイズブルー)のではなく、高価そうな大振りの宝石がはまっているものだ。

 浅葱の親友である築島倫からすれば、それだけで偽者と断定できる十分な証拠なのらしい。

 藍羽浅葱が、普段愛用している青いピアスを外したり、ましてやそれ以外をつけることはありえない。

 古城からすれば、ちょっと首を傾げたくなるくらい納得のいかないそうな理屈なのだが、

 

「それに浅葱が歌って踊るなんてありえないし。あの子、隠してるけど実は音痴だから」

 

「お……おう」

 

 身も蓋もない指摘であるも、今度は古城も素直に首肯を返せた。浅葱のカラオケ嫌いは、古城も知るところだ。音感も声質も悪くないというのに、なぜか歌だけはダメだという。

 だから、いくら絃神島復興支援であっても、浅葱が人前で歌うなど考えられず、自分で歌うくらいなら音声合成ソフトを一から自作してパソコンに歌わせるようなタイプなのだ。

 そして、浅葱の歌が偽物だとすれば、彼女のプロモーションビデオすべてが偽物だとしても不思議ではなく、この半月で流される宣伝のなにもかもが本人のものではないということもあり得る話になってくる。

 古城にしてみれば、浅葱がアイドルかどうかの真贋などどうでもいいのだが、でも、“後輩を貶めるように訴える浅葱が偽者”だという声には少しだけ気を落ち着けさせることができた。

 浅葱はアイドルなどが本職ではなく、やや大食いの女子学生であり、<電子の女帝>とも呼ばれるほどの凄腕のハッカーだ。

 その彼女が世間からは情報操作され実名が流されていないのだとしても、<心ない怪物(ハートレス)>の正体が、南宮クロウであることも調べればすぐにわかることだろうし、上級理事らを殺害したこともすぐに真実を調べ上げて、その潔白を証明するだろう。浅葱は後輩の面倒見がいいヤツなのだ。特に、クロウはよく可愛がっている。クロウが怪物だと学園で苛めに遭っていた時も、そのような風評被害を理路整然と論破して黙らせてきたことを古城は知っている。

 

 だが、人工島管理公社はその偽者を持ち上げて、浅葱をみんなから崇められる偶像(アイドル)に仕立て上げようとしている。

 浅葱が学校を休んでいる理由は、絃神島の復興支援に協力しているからだと言われているが、その活動がそもそも偽りなのだとすれば。

 本物の藍羽浅葱は、今、どこで何をしているのだろうか―――?

 

「………」

 

 古城は不機嫌そうに唇を結んだまま、自分の席に脚を投げ出して座った。

 始業のチャイムが鳴っても、いやあれからずっと何度となく問いかけが繰り返される。

 この疑問を解消しようにも学生にできる範囲では届かず、かといって頼れる人物も音沙汰無しときている。

 そう、情報分析で頼りになる浅葱も、追跡捜査で頼りになるクロウも、そして、国家攻魔官である那月も、古城は出会えず、姿はおろか声も聞くことができないでいる。

 獅子王機関の剣巫である雪菜も、同じく特務機関の一員である舞威姫の紗矢華、志緒、剣巫の唯里らと連絡を取り合い、情報交換をしてくれているのだが、分かったのは後輩の無実くらいで、その消息は依然とつかめていない。

 また浅葱の幼馴染で、人工島管理公社の幹部職員に兄がいる矢瀬基樹も、実家の都合だとかで学校には来ていない。

 

 古城に残っているのは、やはり<第四真祖>としての力。

 <タルタロス・ラプス>の被害から立ち直ろうとする絃神島で、『世界最強の吸血鬼』の天災じみた暴威を振るうのはさすがに気が引けて、これまで遠慮してきたのだが、もうそろそろ我慢の限界ときていた。

 

 

(誰でもいい。俺に本当のことを教えてくれ……!)

 

 

キーストーンゲート付近 オープンカフェ

 

 

『―――教えて差し上げましょう<第四真祖>。あなたが知りたいと欲するものをね』

 

 

 放課後。校門前でいつも通り待ち構えていた雪菜と共に、古城は今日も行動する。

 だが、病院と言い、屋敷と言い、もうこの二週間で古城たちは情報が拾えそうなところは周り尽していた。被災地の方を巡ろうにも、そこはまだ交通情勢が安定しておらず、また警備隊に検問が敷かれている場所もあるのでそう簡単には立ち入れない。

 結局、古城が今日向かったのは、絃神島中央に位置する巨大建造物――キーストーンゲートの外縁部にある二階建てテラスに面したオープンカフェだった。そこは、キーストーンゲートの西側エントランスの真正面にあり、その出入り口よりシースルエレベーターで最上階にまで昇ったところに絃神島のローカルラジオ局である『FM絃神』の放送スタジオがある。

 今日、この『FM絃神』の放送中の番組に浅葱が出演することになっているらしい。もしも本物の彼女がラジオ局に訪れるのであれば、ここで待っていれば通りかかる姿がみられるかもしれない。

 もっとも古城と同じように淡い期待を抱いて、出待ちをしている浅葱のファンと思しき人々がざっと30人ほどエントランス前にいた。

 ローカルアイドルの人気ぶりを目の当たりにして少し驚く古城だが、偽者の彼女に熱を上げるあの一団に混ざる気にはなれず、こうして一歩離れたけれど見張るには絶好の位置取りにあるカフェに入ったわけである。

 

 そこで、遭遇した。

 

 正確には、古城と雪菜がそれぞれ注文したものを持って、適当な席についてしばらくして、特に回りが混雑してるわけでもないのに、『失礼』と一言入れてさりげなく相席について青年からコンタクトをとってきたのだ。傍目から見れば、中高生の男女カップルという入り込む隙間のないところへ潜り込んだその行為は目立つのだろうが、“術でもかけられているかのように”、周りの客は無反応だった。

 そして、古城たちもあまりに唖然としてしまったが、振り切れた針が一周回って逆に冷静となったように、大声をあげて騒ぐような真似はしなかった。

 

「お久しぶりですね、<第四真祖>、そして、神狼の巫女よ」

 

「絃神、冥駕……!」

 

 穏やかに話しかけてきた、黒い道士服を着た青年の名を、古城は犬歯をみせ、唸るように低音質の声で唱えた。

 古城たちが顔を合わせたのは、これで三度目。

 一度目は、<監獄結界>が破られた『波隴院フェスタ』の日に。

 二度目は、『神縄湖』にて『聖殲派』と<沼の龍(グレンダ)>の争奪戦をした新年早々。

 どれも直接的な敵対者ではなかったものの、けして味方ではなかった、そして、獅子王機関の職員を惨殺した凶悪な魔導犯罪者だ。警戒するなというのは無理な相談だ。一緒の卓について波乱もなく和やかにお茶をするなんてありえない。特に雪菜はこの男と槍を巡って命がけで争ったのだ。

 それでも。

 とにかく情報に飢えていた古城は、ひとまずは、話し合いの場につくと決めた。

 

「絃神冥駕、あなたは<雪霞狼>で消滅したはず……」

 

「いいえ、あのとき、あなた方が私に振るった刃はわずかに急所を外れていました。何の手違いがあったのかはわかりませんがね」

 

 席を立たない古城の思惑を悟り、問答無用に楽器ケースから破魔の銀槍を店内で展開することはしないものの、鋭い眼光を飛ばして詰問する雪菜に、それを思わせぶりに受け流す冥駕。

 

「先輩……」

 

「悪い姫柊。こいつと話をさせてくれないか?」

 

 本来であれば、この獅子王機関にとって危険な人物は見敵必殺の姿勢で捕らえるべきなのだ。

 

「……いえ、私は先輩の監視役ですから。それにこの場での戦闘は控えるべきでしょう」

 

 黒いギターケースを手に取りながらも、中を開く真似はしない。きっと周りに人がいる店内で暴れるのは被害が大きいと判断してのこともあるのだろうが、古城は我儘を聴いてくれた雪菜に感謝しながら、青年を睨む。

 

「そっちから話しかけてきたってことは、浅葱やクロウのことを知ってるんだな?」

 

 探るように問いかける古城の慎重な姿勢に、冥駕はうっすらと微笑みを浮かべ、

 

「ええ、『カインの巫女』も、<黒妖犬>も、大まかにですが把握しています。少なくとも、とっかかりがつかめず右往左往としてるあなたよりは知ってるかと」

 

「脱獄囚のクセにやけに情報通じゃねーか」

 

 小馬鹿にするような発言に、やや苛立つ古城だが、この程度で切れるほど堪忍袋は軟ではない。信用できるかどうかで判断すれば、首を大きく横に振る人物だが、それでもこの青年が垂らす細い蜘蛛の糸のようなとっかかりを古城は逃すつもりはない。

 冥駕は、ふむ、と心外そうに呟いて、

 

「そう敵対する気はわからなくもありませんが、どちらかと言えばあなたは私に近い側では?」

 

「うっせーよ。いいから知ってること全部教えろ絃神冥駕。このままだらだら関係ない話をするんなら力ずくでも答えさせてやるぞ」

 

 歯を剥いた古城。殺気のこもった眼差しで睨まれる冥駕は、ふ、と失笑を零す。

 

「正直、私もあなたと話をするつもりなどなかったのですよ」

 

「なに……?」

 

 古城の眉間に皺を刻んだ。冥駕はにこやかに微笑んで古城を見つめる。

 

「私は、あなたに対していかなる興味も抱いていない。脅威に感じていない、ということです。ああ、少しだけ親近感は抱いていましたけどね。かつての私と同じ、獅子王機関に騙されている哀れな子羊には同情を禁じえません」

 

「てめぇ……」

 

 その青年の瞳に憐憫の色が滲んでいることを見取り、古城は歯軋りさせる。安い挑発に乗る気はないが、それでもこの男に同情されるのは酷く気に食わないものだった。

 

「いい加減にしねーと、おまえがここにいることを那月ちゃんに報告す(ちく)るぞ」

 

 青年を捕縛し、異空間に閉じ込めていた、苦手意識のある南宮那月の名を口にした古城だが、それに対して動揺は起こりすらない。

 

「戯言をのたまうとはあなたの方が余裕ではないか<第四真祖>。<空隙の魔女>は、すでに死んでいるというのに」

 

「なっ……!?」

 

 言葉を失くし瞠目する古城に、冥駕はひとつひとつその根拠を語る。

 

脱獄者(わたし)がこうして表に出ていられることから察してほしかったものですが、<監獄結界>が、この二週間現界し続けていることはあなたたちもご在知でしょう」

 

「だが、そんなの『波隴院フェスタ』のときと同じ……!」

 

「いいえ。私の下に入ってきた情報によると、殺されましたよ―――自らのサーヴァントである<黒妖犬(ヘルハウンド)>の手にかかって」

 

「ふざけたことを抜かしてんじゃねぇ!!」

 

 古城の右手が跳ね上がり、冥駕の道士服の襟元を掴んだ。

 テーブルを挟んで向かいの席に座っていた青年を思い切り引き寄せ、正面から見据える。

 睨みつける。

 

「そんなこと! 絶対にありえるはずがあるか! そんな馬鹿げたことを言うんならこっちも大人しく付き合ってられねぇぞ!」

「先輩! 落ち着いてください!」

 

 まだ術が働いているのか、周囲の客らは無反応。しかしそれも怒りのままに<第四真祖>の魔力が放出されてしまえば覆い隠すのは無理があり、パニックとなろう。

 雪菜は目の色が赤くなっている古城を抑えようと呼びかけて、そんな最中で青年は平然としていた。

 怒声を浴びせても、顔色ひとつ変えなかった。

 その反応、その表情、その態度。何処にも動揺がないのは、青年が詭弁を弄しているわけではない証拠なのではないか。それとも本心から、南宮那月(たにん)の生死などどうでもいいと何も感じてないのか。

 『僵屍鬼(キョンシー)』。禁術によって甦らされた人造の吸血鬼。陰と陽からも隔絶した観測者。

 怒りに駆られ、古城は拳を振り上げるも、そこで停止。むろん、己の意思ではない。抱き着いた監視役の少女が伸ばす腕に掴まえられたのだ。人間と魔族。その気になれば強引に振り切れるものだが、そこで古城は頭が冷えた。彼女は剣巫としての本分を控えて、矛を収めてくれているのだ。なのにそれを無視して、お願いした古城が暴れてしまうのではその配慮に泥を塗るも同じ。

 すまん、姫柊……

 真祖殺しの槍――自らが手掛けた『七式突撃降魔機槍』を使わず、監視対象を諭すその様を、冥駕は表情筋が死んでいるような鉄面皮で見て、ふん、と鼻で笑う。

 

「信じるかどうかはそちらの勝手。私はただ私が知りうる情報をお話しするだけでして。本来であればその見返りとして、『七式突撃降魔機槍』をいただきたいところなのですが」

 

「冗談はそこまでにしろよ。そっちも利用できるから俺を“誘い”に来たんだろうが」

 

 ほう、と冥駕は目を細める。

 必要でなければ会う気がなかったと語るのであれば、それはつまり、古城たちに会ったのはその力を利用したいがためだ。

 幾分か頭の冷えた古城は、この青年の狙いも察してみせていた。

 

「よろしい。“共犯者”があまりに子供ではがっかりしていたところですが、多少頭は回るようだ。合格としておきましょうか」

 

「だが、こっちもこれ以上無駄話に付き合う気はねーからな」

 

 冥駕から古城は手を離し、再び席に着く。気を落ち着けさせるように、雪菜が渡してくれたお冷を古城はあおり、視線で話を促す。

 

「『カインの巫女』をキーストーンゲート第零層に幽閉し、<黒妖犬>を使役して、この絃神島の鎖国状態を維持させている。それは全て、人工島管理公社を支配する矢瀬顕重爺の悲願を成就するため」

 

 青年が口にした思わぬ人物の名に、古城はまた言葉を失くしてしまう。

 この『魔族特区』の管理公社の名誉会長であり、悪友基樹の実父である矢瀬顕重は、<タルタロス・ラプス>の自動車爆弾を使ったテロで暗殺されたはずだ。その現場の光景はニュースでも放映され、DNA検査でもその死体が顕重当人のものだと確認されていた。

 

「矢瀬顕重会長は、<タルタロス・ラプス>のテロで爆殺されたはずでは……?」

 

「いえ、あれは『影武者』です。己の遺伝子を基に作成させた人工生命体(ホムンクルス)。それを身代わりとし、“自ら呼び込んだ”テロリストを暴れさせている間に、顕重翁は暗躍していたようだ」

 

 信じられない。とても理解できるものではない。死んだ者が生きていたことではなく、その思惑が。

 だが。

 コップの水を溢れさせるのに、目一杯蛇口を捻るものは愚かだ。本当に賢い者は、表面張力ギリギリまで他人に水を注がせた上で、最後の一滴だけを自分で落とす。夜の王と称される真祖のような圧倒的な力など要さずに、愚か者に満杯の水を注がせるよう状況を整え、最小限の力だけで事を成す。そう、漁夫の利を狙え、最後に総取りできる勝者となれる環境を作り出せる、それがこの裏の世界で生き長らえる真の支配者だ。

 

「あの御方――咎神カインを降臨させるために設計された巨大な魔術装置である絃神島、その復活の儀式に不可欠な“寄坐(よりまし)”である『カインの巫女』に、それを守護する『墓守』を揃えた、本物の『聖殲派』――顕重翁の布陣はおそらく彼の望む万全の仕上がりに出来上がってることでしょう」

 

 信用できない人物から語られるにわかに信じがたい話。

 けれど、いくつか思い当たることがある。そう、『魔族特区』を襲撃した<タルタロス・ラプス>より、この人工島は咎神を復活させるための祭壇であり、『神縄湖』で遭遇した奴らとは違う、長い間潜伏し計画を組み上げてきた本物の『聖殲派』が裏にいると言っていたのだ。

 もしもそれが夢物語などではなく、『聖殲』の力がその話通り本物であったとするならば、世界中に億千万の被害が出る―――

 

「ですが、私には、顕重翁に対抗する手段がある」

 

 不敵な笑みを載せて、絃神冥駕は言う。

 我に状況を打開する策はあると。

 

「しかし、それを実行するには、『墓守』である<黒妖犬>が邪魔なのですよ。私はどうもあれとは相性が悪い」

 

 その死霊術で蘇った動死体である特性上もあるし、魔術によらず素で強い相手に所詮護衛術を修めた程度の武器で敵うわけもない。気配を隠蔽しようにも、あの嗅覚を完全に誤魔化せることなど不可能で、忍び入ることもできない。

 しかし、その身はひとつだ。

 

「……俺にクロウの相手をしろってことか」

 

「その通りです。私が零層で事を成すまで、<黒妖犬>の相手をしてほしいんですよ。不完全な<第四真祖>では敵わないでしょうが、それでもあなたが相手であれば躊躇することでしょう」

 

 古城の『世界最強の吸血鬼』の力というより、その関係からの情に頼ったところなのだろう。

 

「まあ、あれは主人を殺した<心ない怪物(ハートレス)>なので、期待できるかはわかりませんが」

 

「二度とそのふざけた汚名(モン)を口にするんじゃねぇ。次その戯言を聴かせたらぶっ飛ばすぞ」

 

 無知な同級生とは違って、せせら笑うこの青年に古城は一片の容赦を入れる気はない。

 

 状況はわかってきたが、この青年の目的(のぞみ)が、何であるかがわかってない以上、背中を預ける気にはとてもなれない。対抗する手段を持ってると自信を持って語るこの青年の力は必要となるのだろうが、共同戦線を張るには、まだ足りない。

 

「どうしてあんたがそんな真似をしようとするんだ。はっきりいって、『聖殲派(そっち)』側の人間だろ。何を企んでいやがる」

 

「企むも何も。私を蘇らせた我が祖父絃神千羅は、顕重翁の同志であった。いえ、祖父の方が主導者であったと言ってもいい。ですが、私と奴らの目的は違う」

 

 古城は雪菜の反応を窺う。視線に気づき、雪菜はごくわずかに首を振る。

 相手の真贋を見抜く巫女の鋭い感性では、その言葉に引っかかるものはなかった。

 

「つまるところ、私たちの望みは合致する。顕重翁の思い通りに事が進んでいるのが気に食わない。だから、囚われている彼らを解放してやりたいのです。今の私は、<黒妖犬>の肉体(からだ)にしか興味がありません」

 

「てめぇ、クロウに何をするつもりだ……」

 

「ふっ……私には必要なのですよ、あの温もりが。それをもう一度取り戻すためならば私は世界を相手にしてもかまわない」

 

「ふざけるな! クロウは俺の後輩(モン)だ。誰にも渡すかよ!」

 

 ………

 ………

 ………その会話だけ聞くと、クロウ君を巡って先輩が争っているように聞こえなくもない、いや、囚われの身には絶賛アイドルをしてる姫役にぴったりな『カインの巫女』こと藍羽先輩もいるのだが、それのヒロインのお株を掻っ攫ってる同級生の少年というシチュエーションはどうにも藍羽先輩がかわいそうというか、雪菜自身も―――姫柊雪菜はそれ以上考えるのをやめた。精神衛生上的によろしくない。なんとなく手にした楽器ケースの中で銀槍が震えたような気もする。今<雪霞狼>を手に取ったら簡単に<神懸り>ができそうな予感がした。

 

 なんとなく不機嫌となった少女は、青年と睨み合うこの先輩の足を思い切り踵で踏んづけた。

 

「っ!? ひ、姫柊、いきなり何すん……」

「あまり、店内で騒がないでください、先輩?」

 

 テーブルの下でぐりぐりと足の甲を踏みながら、差し込まれるその目力に、う、とたじろぐ古城。

 剣呑とした監視役の雰囲気に呑まれた世界最強の吸血鬼はいきり立った気を抑えて、顔色を窺う。―――そこで気づく。

 

「……なあ、姫柊、大丈夫か? 顔色、よくないぞ?」

 

 気遣うように古城が、雪菜の顔を覗き込む。今は目の前に気の抜けない絃神冥駕がいるからそれほど表には出していないが、ここ最近の彼女は少し弱っているように古城は感じられた。元々白い肌が、余計に青白く感じられるし、瞳も熱っぽく潤んでいるようにも見える。

 

「いえ。私は何ともありません。少し気温が低いせいだと思います」

 

「……気温が低い?」

 

 本気で言ってるのか、と古城は顔をしかめた。

 太平洋のど真ん中に浮かぶ絃神島は、温かな海流や湿度の影響もあって、真冬でもかなり気温が高い。常夏の気象なのだ。しかもこのオープンカフェは西日の直撃を受けるため、座っているだけでも汗ばむほどだ。

 それでも、寒気を覚えているのであれば、雪菜の体調は何か深刻な問題が発生しているということになっている。

 

「っ……!」

 

 深刻な表情を浮かべる古城の前で、雪菜が突然咳き込んだ。

 これまで我慢していたものが堰を切ったように、強く、何度も、胸を抑えて喘いだ。

 

「姫柊……?」

 

「大丈夫、ちょっと噎せただけです。本当に何でもありませんから」

 

 焦って立ち上がろうとする古城を、雪菜が苦しげな表情で制止する。しかしそうはいっても、どう見ても大丈夫という状態には見えない。粗い呼吸を繰り返す雪菜を見やった古城は、決断が早かった。ここで冥駕との話し合いを切り上げよう。

 と、そこで、

 

「………」

 

 その様子を観察していた冥駕は両の袖下に隠し持っていた漆黒の短槍を手に取った。

 

「あまり悠長にしている状況ではないですよ<第四真祖>。私が知る獅子王機関であれば、この状況を看過するとは思えません」

 

 ぞくり、と。

 その時、背筋を震え上がらせる冷気が古城を襲った。本能が危険を訴えてくるこの感覚は、殺気―――

 

 漆黒の短槍を連結させた目の前の青年からではなく、自分たちの後ろ、オープンカフェの出入り口からだ。

 

 続いて、見知らぬ世界に塗り替えられた奇妙な感覚が駆け抜けたかと思えば、避難誘導をしたわけでもないのに、店内から外へ一斉に客や店員が出ていく。

 そして、人波を逆流する人影がひとつ。

 

「え……?」

「下がってください、先輩!」

 

 脇に立てかけていたギターケースから、雪菜が銀色の槍を引き抜いた。金属製の柄がスライドして長く伸び、折り畳まれていた三枚の刃が戦闘機の翼のように展開される。

 その槍を素早く旋回させて、低く身構える剣巫。弱っていようが常在戦場の意識のある訓練された剣巫として、完全な臨戦態勢だ。

 

 こんな街の中心部で、白昼堂々、魔術攻撃を仕掛ける者。それだけで要警戒だがその狙いは? 古城か雪菜、それともこの冥駕か―――

 

「まさか、あなたが出向くとは……」

 

 皮肉気に片側だけ頬肉を吊り上げる冥駕も、霊力も魔力も打ち消す巫女殺しの『廃棄兵器』を構える。

 七式と零式の矛先が向けられる先より、静かに歩み出てくるその影。白いフード付きのマントで全身を覆った痩身の相手と、まだ間合いはおよそ30mほど離れているが、しかしそれだけ距離を取っていても異様な気配ははっきりと感じられた。

 

「先輩、気を付けてください……あの人は、危険です」

 

 そばにいる要警戒対象である絃神冥駕に刃を向けずにその白マントの相手へ向ける剣巫の腕は微かに震えている。

 すぐ、それは緊急の意思となって、古城へ警告の矢を放たしめた。

 

 古城もそれは同意だ。

 この街中で、包帯のような呪符を巻き付けてある薙刀と太刀を持つ、『魔族特区』で銃刀法を無視している相手だ。それよりも醸す雰囲気。

 殺意や敵意というよりも、大きな嵐が近づく前の、張り詰めたような静けさに近い。ほんの些細なきっかけですべてを薙ぎ払う暴風へと豹変しそうな悍ましさがそこにある。

 

「……っ」

 

 白マントの剣槍二刀流を見据える雪菜。腰はわずかに沈み、いつでも飛び出せるよう爪先が浮いていた。古流ならではの歩法。それでも槍を向けられた相手の余裕は崩れない。武器を持てども、太刀は鞘から抜かず、薙刀も肩にかけたまま。

 この格上が見下ろすような態度に、じりじりと押されていた剣巫は、堪え切れずに飛び出した。

 霊視でもってしても先の読めない。呼吸すら掴ませない。何をするかわからない得体のしれない相手に、先の先を、雪菜は選んだのだ。

 手の内の予想できない敵に対するに、最善の策はその手を出させないこと。基本にして効果的な作戦を、剣巫は電光石火で実現させる。

 

「<雪霞狼>!」

 

 破魔の銀槍が唸った。

 内蔵された術式が発動し放たれる青白い光は、ありとあらゆる結界を切り裂き、魔力を無効化する『神格振動波』の輝きだ。その輝きを粒子のように撒き散らしながら、間合いを詰める雪菜。勢いのままに突き出した槍の一閃は、瞬きの間に白マントに包まれた体を刺し貫くかと思われた。

 それは錯覚であった。

 次の瞬間、相手の身体は、槍のつくった風に押されるように軌跡の外へいた。

 

「な―――?」

 

 剣巫が、呻く。

 呻きながらも動きは止まらない。むしろ加速しながら、次々と攻撃を繰り出してく。

 それでも、剣巫の乱舞―――そのすべてを、相手は悉く躱していくのだ。

 まるで、神楽舞であった。

 ほんの一歩ステップを踏みだけで、槍は虚空を切る。

 避けるというほどの鋭さでもなく、足運びはむしろゆったりとした優美なもの。

 なのに、当たらない。

 

 まるで、最初からわかっているような。

 どこから、どんな攻撃が、どういうタイミングで行われるのか、未来視になど頼らなくても把握できるような。

 その手にした得物、その刃先に零れるのを見取れば、その担い手の実力を測れてしまう卓越した眼力を持つ達人。

 そして、そのまま彼女は何事もなく、雪菜の無数の連撃をすり抜けた。タン、と軽い音を立てて白いマントの影が跳ぶ。重力を無視したいような動きで、棒立ちの古城の前に着地。

 白マントが胸元へ揃えた指先を向けてきて、反射的に古城は身構えるが、遅い。

 

「―――っ!?」

 

 指先から、魔力で紡がれた透明な刃が捻れて飛ぶ。

 声にならない悲鳴と共に、古城の身体が吹き飛んだ。制服の胸元が派手に裂け、喉から鮮血が零れる。古城が不老不死の吸血鬼でなければ、絶命してもおかしくない衝撃だ。

 

「暁先輩!」

 

 傷つく古城の姿を見て、雪菜の瞳に怒りの色が浮かんだ。槍の意思月を地面に叩きつけた反動で一気に白マントとの距離を詰め、その背中へ体重を乗せた最速の一撃を放つ。

 貫く。

 しかし、それは高速の重心移動と足捌きで生み出す残像。

 振り返らずとも、槍を見ずとも余裕で躱される。絶望的なまでの力の差であった。獅子王機関の剣巫がこうもあしらわれるなどありえるのか。

 失望した、というふうに白マントがフードの下で首を振る。紗爛(シャラン)、と鞘に納刀されていた太刀が、鞘走りの言葉そのままに抜かれ落ち―――中空を飛ぶ。

 

「剣が……勝手に……!?」

 

 使い手の下から離れて、自動で戦う武器という逸話は世界各地にあるが、まさにそれは『意思を持つ武器』であるかのように、宙を泳いでいた。

 そして、驚きから平常に戻ってすぐ、古城は身をよじった。

 鮮血がほとばしった。持ち主の手から離れた太刀が、斜めに古城を裂いたのである。吸血鬼の反応速度をもってしても、目で追いきれない迅速な攻撃。

 かろうじて転がりながら距離を取るも、傷は浅くなかった。

 オープンカフェの床を、だらだらと赤い色が汚していく。

 

 動け、ない……!?

 太刀の刃先に、呪毒のような怨念がしみ込んでいたのだ。それは何千何万と殺した相手の血を吸って、やがて積もった『固有体積時間』が属性を得てしまった。真祖でさえも怯んでしまうほどの呪毒に、古城の身動きが固まってしまったのを見て、雪菜の表情が恐怖に強張った。

 

「その武神具、まさか―――!?」

 

 頭をすっぽりと覆ったフードの下で、白マントが赤く濡れた唇を吊り上げて、

 

「    」

 

 何を発したのか聞き取れない、しかし雪菜はそれが詠唱と知る。

 獅子王機関の呪術の専門家である舞威姫が、『六式重装降魔弓』を用いて展開する高密度の魔法陣を、武神具もなく白マントを中心に花開かせた。鳴り鏑による“人間の声帯と肺活量では”発声不可能、聴くことさえも至難な人間の可聴域外の音域で紡がれる圧縮詠唱。それが成す、喪われた秘呪の威力は眷獣の一撃に匹敵するか。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 雪菜の決断は早い。槍を構え直すと、瞑目して精神を統一する。厳かな祝詞を謳い上げ、呪毒にやられ動けない古城を護るため、魔力無効化の結界を張り巡らそうとしているのだ。

 白マントの圧縮詠唱がどれほど強力でも、それが魔力によるものである限り、眷獣の一撃であろうと『神格振動波』の結界は破れない。だが、

 

「がら空きだよ―――」

 

 雪菜が結界を展開させる基盤となる<雪霞狼>に、白マントが軽々と片手で振るった長大な薙刀がぶつけられた。

 刃と刃が相打ちした衝撃に、それとも魔術を打ち消す効力が働いたのか、薙刀の刃先に巻き付いていた呪符が弾け飛んだ。

 そして、見えた薙刀の刀身は太陽のように赤く輝く金属。

 巫女の感性で自ずと悟る。

 あれは、『緋緋色金』

 すでに原料の加工技術が失われている、太古の日本に存在したと言われる幻の合金属。

 金よりも軽量でありながら、金剛石よりも硬く、永久不変に絶対に錆びない性質を持つ。そして、エネルギーを増幅させる特性を有した、古代神具の材料だ。

 この『七式突撃降魔機槍・改』にも、核には古代の宝槍が使われていると言われているが、白マントが手にする薙刀は、古代の宝槍そのものなのだ。

 そして、雪菜が銀槍に注ぎ込んだ霊力を、『緋緋色金』に増強された霊力の刃に相殺。『神格振動波』の結界展開が阻止された。

 

 

「邪魔にならないようにと控えていたのですが、どうやら私の方が相性いいようですね」

 

 

 白マントを基点に広がっていた高密度の魔法陣が、かき消された。篭められていた魔力を無効化され、魔法陣が雲散霧消となったのだ。

 青年が手にする、両先端に穂先を持つ、いびつな形の長槍『零式突撃降魔双槍(ファングツアーン)』もまた、<雪霞狼>と同じく魔力を打ち消せる力を持っている。そして、魔力だけでなく、巫女の力の根源である霊力さえも無力化できてしまう。

 それ故に、霊視による未来予測も、呪術による筋力増幅も封じてしまえる巫女殺しの魔槍。

 

 絃神冥駕に邪魔な横槍を入れられた白マントは、一度距離をとって、思い切り嘆息してみせた。

 

 

「犯罪者とつるむなんて、不良になっちまったのかい、雪菜」

 

 

 それは、予想外に若い女の声だった。悪戯っぽく響く洒脱な口調に、気安く呼びかけるその態度に、古城は戸惑う。それに、何処か聞き覚えのある声だ。

 

「それに、南宮那月に『壊し屋』の坊やを相手に<神懸り>を暴走させたと聞いた時から、もしやとは思っていたのだけどね。懸念していた通りだったとは……これはちとお灸を据える必要がある」

 

 ふるふると軽く頭を振り手を使わずに白マントのフードを取って現れた面貌は、美しく整っていた。

 白い肌に萌葱色の目。瞳と同じ萌葱色の髪からは、人間の耳のではない長い耳が覗いている。『魔族特区』の住人である古城でさえも初めて目にする希少な魔族であるが、物語に頻繁に記載される身体的特徴と合致することからそれが一目で、『長生族(エルフ)』であると解った。

 その『長生族』の眼差しに射竦められ、雪菜が怯えた子供のように全身を硬くした。

 すぐ切り替えた古城は、キッと怒りの視線を白マントへ向けて、

 

「おまえ……姫柊のことをなんで知って……!?」

「師家……様……」

 

 古城の詰問を遮って、震える声で零れた雪菜の言葉に、『長生族』の正体を理解した。

 なんでいきなり攻撃してきたんだ……!?

 激しく混乱する古城であるが、雪菜が師家と呼ぶ人物はたったひとりしかいない。獅子王機関の縁堂縁。猫の式神を通しての会話しかしてこなかったニャンコ先生の本体であり、『高神の社』で雪菜を剣巫に鍛えあげた師匠にあたる人物だ。

 状況の理解が追い付かない古城と雪菜―――その二人を庇うように、漆黒の槍を携える冥駕が前に出た。

 

「お行きなさい、<第四真祖>。縁堂縁は私が相手をします」

 

 剣巫、舞威姫の技に精通する獅子王機関の師家だが、<冥餓狼>はその巫女としての技量を奪ってしまうもの。

 しかし、今の一連の動きを見てわかるが、術に頼らずともその武技の冴えは卓越している。この獅子王機関の師家を相手に、護身術程度しか修めていない武神具開発者が果たして敵うのか。

 

「なに、あなたたちがいなくなれば、私も空間転移の呪符で逃げますよ。―――神狼の巫女、縁堂縁が私ではなく“あなたに”真っ先に攻撃を仕掛けてきた理由はわかっているはず」

 

 冥駕の言葉に、雪菜はハッと胸元に<雪霞狼>を抱き寄せる。

 

「<冥餓狼>―――!」

 

 縁が腕を振るって放たれる『霊弓術』の矢を、霊力を無効化する場を敷く冥駕の『廃棄兵器』が防ぐ。

 味方であるはずの師家が敵に回り、敵であったはずの脱獄囚が味方となる。

 この場でただ一人状況を呑み込めない古城の耳元に、雪菜がそっと唇を寄せた。そして思い詰めたような早口で告げてくる。

 

「逃げます、先輩!」

「え!? 逃げるって―――」

 

 古城が説明を求めるよりも早く、雪菜は制服の裾から呪符をばらまいていた。

 チッ、と縁の舌打ちが聴こえる。さすがの彼女も、あの生真面目な弟子であった雪菜が、この期に及んで師である自分に逆らうとは予想し得なかったのだろう。それに、『冥狼』が邪魔をするとなれば、即座に止めるのは無理だと判断するしかない。

 

「<(かぎり)>よ―――!」

 

 雪菜が作り出した巨大な狼型の式神の背中に古城は乗せられ、逃走する。<雪霞狼>を持つ雪菜が本気で警戒するのならば、追跡魔術は通用しないと言ってもいい。縁の能力でもってしても至難。

 

「どうなるかなんてあんたにはわかり切ってるはずだというのに、邪魔をする気かい、『冥狼』」

 

「なおさら。冬佳から<雪霞狼>を引き継いでおきながら、途中で逃げることを私が認めると思っているのか、縁堂縁」

 

 師として止めるべきだった愛弟子を逃がされた縁堂縁は、この邪魔をしてくれた青年を成敗すると決めた。

 

「弟子の教育に余所者が口出しするんじゃないよ」

 

 『緋緋色金』の薙刀――<初代雪霞狼>に凍えるほど静謐な霊力を湛えさせ、同時に妖刀魔剣に仕上がった太刀――<初代煌華鱗>に灼熱に荒ぶる魔力を篭める。

 魔力と霊力を打ち消す『零式突撃降魔双槍』があろうが、一撃でその『僵屍鬼(キョンシー)』の肉体を滅殺するだけの威力。ジャンケンで言えば、グーとチョキを同時に出すもの。魔力と霊力を同時に無力化できない故に『廃棄兵器』では、この同時攻撃を防ぐことはできない。

 

「やれやれ、いつまでも<冥餓狼>を『廃棄兵器』のまま許しておけると考えているとは―――あまり私を侮ってくれるな獅子王機関っ!」

 

 世界そのものを侵食する闇の薄膜(オーロラ)が、青年を覆う―――

 

 

青の楽園

 

 

 雄々しい獅子の鬣を持ち、牡牛の角を生やす。亀の甲羅に鋭いビレを背に身体は六脚の山猫、そして蠍の如き尾のある半獣半魚の竜。

 この『魔獣庭園』でも、観光客らに見物させない秘蔵区で管理される魔獣、<蛇の仔(タラスク)>。

 かつてはあまりの凶暴性から、厳重に管理下に置かれてもヤンチャして施設をしょっちゅう半壊させていた世界最強の遺伝子を継ぐ魔獣は、今では大人しい、飼育員のいうことをよく聞く従順な子になっていた。

 

『あれが躾けたとは思えんほど、お行儀がいいやつだな』

 

 電話口の向こうから様子を察する彼女の声に、藍色の髪の少女は納得する。

 その時、先輩に同行していたこちらのことを覚えていたのか、こちらの数倍の図体をした魔獣はへこへこと頭を下げているように低姿勢で様子を窺っている。世界最強の生体兵器の子供以上に破天荒な、問題児とのコミュニケーションが思い切り後を引いている(効いている)。それとも、あのあとやり過ぎた先輩に突っ込みを入れて、はっ倒した自分は、獣の順位付けで上位者と認識されているのだろうか。だとすれば、不本意であるのだが。

 

「<蛇の仔(このこ)>は特に調教せずとも使い物になるわね。それでそちらの進捗はいかがかしら」

 

「問題ありません。すでに操作手順は情報入力(インプット)済みです」

 

 戦力としても数えていいと太鼓判を押す魔獣の専門家に、首肯を返す。

 今、協力者の彼女の背中越しに見える、港に停泊している全長15mで、三人乗りの船。巨大な推進スクリューを船尾に二機搭載した、イトマキエイを膨らませた奇怪な形態をした機体は、『ヨタカ』というかつて深海に眠る世界最強の魔獣に接近するために『魔獣庭園』で買い取られた軍用小型潜水艇だ。

 ここで起きた事件で破損していたが、兵器類を除いて、機能系はすでに修復済み。海中を航行するには問題ない。そして、直接的な火力も、この<蛇の仔>が担ってくれる。

 

 これより向かうのは、絃神島直下の海底――水深400mの地点。

 常人にそれほど深く潜水できるのは無理があり、深度400mの水圧に耐えられない。また水は魔力を減衰させる性質がある。それに加え、計画の肝である重要な装置には当然、空間転移等で釣り上げられないように魔術除けの結界が張られているだろう。実際、<タルタロス・ラプス>の幹部のひとり千賀毅人が託した情報源では、そのような防衛機構を取っているとされていた。

 

 自分に与えられた仕事は、それを破ることにある。

 そう、たったそれだけのために、これから海中に潜って、人間に害を及ぼさない人工生命体(ホムンクルス)に刻み込まれた人格設定(プログラム)を違反して“破壊活動”を行うのだが、これは子供でも分かる簡単な理屈だ。

 

 

 ―――やられたら、やり返す。

 

 

 この『魔族特区』の支配者であろうと、私から彼を奪ったのは許さない。

 

 

 

つづく


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