ミックス・ブラッド   作:夜草

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ガルドシュが強化されてます。

あと、黒死皇に独自設定追加です。


二章
戦王の使者Ⅰ


港湾地区 倉庫街

 

 

 通りの泥を蹴飛ばし、黒い毛並みを持った豹頭の男は月明かりに照らされた深夜の街を必死で走っていた。

 突然の奇襲作戦から銃撃をもらってしまい、目鼻が催涙ガスにやられて使い物にならない。獣人の自然治癒能力も巡りが悪いのか働かない。対魔族の呪力を封入した兵器は、確実に、こちらの戦力を削いでいる。

 

「糞っ、糞っ、糞っ、糞っ……やってくれたな人間ども!」

 

 呻きは、切れ切れに通りへ落ちていく。

 この倉庫街で、密入国者たちは武器の闇取引を行っていた。だが、そこへボディアーマーに身を包んだ完全武装の特区警備隊が二個分隊で現場に強襲を仕掛け、催涙弾に加えて音響閃光弾に怯んだところを獣人種に特化した魔族殺しの弾丸を集中砲火。

 たった2分もかからず終わった。戦闘ではない、これでは作業だ。

 そう、相手も油断したのだろう。

 仲間たちの身を盾にし、襲撃をしのいだ男は自爆覚悟で倉庫に仕掛けられていた爆弾を作動。

 特区警備隊を倉庫ごと爆発で焼き尽くす。そして、己は人間を超越した身体能力で脱出。

 

 人豹(ワーパンサー)は、獣人種の中でも、脚力に秀でた種族。

 その速度は時速80kmを超える。自然界の二足歩行生物最速を軽々と凌駕しながら疾走する豹頭の男。

 彼は数kmもの距離を取り、背後の安全を確認した。

 ……追ってくる者はいない。

 大きく裂けた口がほう、と安堵に緩む。そして、緩んだ口から再び憎悪が吐き出される。

 

「許さんぞ、やつら……必ず後悔させてやる」

 

 密輸品の武器取引は失敗し、共に故国を追われた同胞は皆犠牲となった。『計画』に支障が出ることはないにしても、紛れもなく失態であり、現組織のトップである『少佐』からは失望されてしまうだろう。

 だが、ここにはもう一つ爆弾を仕掛けている。

 第二の爆弾は特区警備隊が避難経路に選択しているであろう地下通路。そこを崩せば、連中は混乱して他に注意を向ける余裕が少なくなる。つまりは、『計画』の成功率があがり、単独で囮を成した己は少なからずの功績を得るだろう。失敗し同胞を失ったが、これで今の地位は保たれるはずだ。

 そう思っていた。

 寄り添う二つの人影が、目の前に現れるまで。

 

「う。お前が爆弾を仕掛けた野良猫だな」

 

 親からはぐれた小動物のような、あまりにも小さく弱々しいシルエット。

 頼りなげな、小さい足音が響く。

 特区警備隊の包囲網を抜けたと思った黒豹の獣人の先にいたのは、まぎれもなく年若い少年少女である。

 

「今日はご主人からこの野良猫相手に実演を見せてやれと言われてるからな。先輩の仕事ぶりを、よーく見ておくんだぞ」

 

 ふんす! と少年の方がやる気満々に鼻を鳴らす。

 常夏でも夜は冷えるとはいえ、帽子に首巻、コートに手袋と重装備。しかし、その振る舞いはどこか主に仕える中世の騎士のようにも思える。

 そんな彼が、野生で親が子に狩りの仕方を教えるように、まずは自分が手本を見せるのだと―――獣人種の男に対してのたまってる。

 

「命令受託」

 

 対して、ギャラリー、それも初めての後輩はいることで、少年がいつにもまして張り切ってるようだが、件の少女の方は昂ぶることもなく平然としている。

 作り物のように無表情な少女。その装いは、なんとメイド服。ドレスに着飾っていることもあってよりお人形さんめいている。

 静かにうなずく顔には、微塵の恐れもありはしない。

 少女は下された命令に忠実であり、恐怖を覚えるような感情はそもそもない。

 今回の命令は、どのような仕事であるかを学習することであると主に言われたのだから、それを淡々とこなすだけ―――獣人種の男などまるで脅威に思ってない。

 

「……調子に乗るなよ、小僧ども!」

 

 騎士とメイドの二人組。恰好からふざけてる。それもいかにも非力で小柄な少年と少女。

 魔族の地位を貶めた呪わしき真祖の戦王とは違い、誇り高き我ら獣人種族を愚弄してる。

 ならば、後悔するがいい。ここで幼い子供たちを残虐に血祭りにあげ、特区警備隊に無力さを痛感させてやる。

 黒豹の獣人は、そのしなやかな身体を、一身の槍と化す。反撃など許さず、獣人の爪と牙で、人間たちをいとも容易く八つ裂きにする。

 魔族と人間の、これが違いだというように。

 少年と少女に飛び掛かり、

 

「―――カァ!」

 

 前に出た少年の喉から、雷声が迸った。

 

 真っ向から獣人の突進を受け、なお力負けしない。衝撃もその内力を以て相殺する。

 

 気功によって肉体を硬化する、『少佐』と同じ生命力を総べる武術。その生体障壁たる内力の保護がなければ、骨まで砕けていたに違いない。しかし、獣人種の男の渾身の攻撃はあっさりと防がれた。

 

「なんだ、と……!?」

 

 そして、男は予感した。

 そこは行き止まりであり、包囲網の最終防衛線。そして、それを犯そうとした己は、身の毛のよだつ力によって、メチャクチャにされる。

 

 早く、逃げなければ。

 この手の届く間合いにいたら、やられる―――!!

 

 男はすぐさま身を翻して、先いたところより、さらに数歩下がったところまで後退する。

 しかし、少年はそれを追わず、背後の少女に、

 

「『特区治安維持条例第五条に基づき、これよりお前の身柄を拘束する』―――まずこれを言うのだ」

 

 ふざけやがってっ!

 

 対峙すれば、負ける。獣人種の野生が、その身に合わない力を秘めているのは感じ取った。

 だが、これは戦闘ではなく、戦争だ。アナログ無線式起動装置(リモコン)を取り出す。捕まるにしても、仕掛けていた爆弾は使わせてもらう!

 ―――と、

 

 

 

 作動、しない。

 

 

 

 何故だ!

 

 豹頭の男は掌の上に乗せたリモコン上の小さな機械が壊れんばかりにそのボタンを連打するも、爆発が起こらない。

 暗号化処理もされていない安物であるも、こんな―――

 

「ああやって罠とかしてる奴もいるから、やる前に現場を探って、安全確保のため取っ払っておくのも大事だぞ」

 

 少年の言葉に、男はそれを見る。

 少女に今見せつけているそれ――十数のダイナマイトの束は、男が仕掛けた爆弾に違いない。

 

「逃げても無駄だぞ。見つけたコイツからお前の匂いはもう覚えてる」

 

 後ろ足を引いたのを気取られた男に、牽制が差し込まれる。

 この二人は豹頭の男を追ってきたのではなく、最初に爆弾を見つけてそこから豹頭の男に辿り着いたという―――つまり、状況は、最初から詰んでいた。

 

「で、あとはぶっ飛ばすだけだ。殺しちゃダメだぞ。生かさず殺さずがご主人の鉄則なのだ」

 

 手袋を外し、帽子を取り、首巻を下ろす。

 錆びた銅のような髪色に乾いた褐色の肌、そして、金色の瞳。

 

「そうか……おまえ、おまえがあの<黒妖犬(ヘルハウンド)>だな!? 何故人間(そちら)側にいる!? 偉大なる<黒死皇>の血を引きながら魔族(おれたち)を裏切るのか……!」

 

 豹頭の男が属する組織は、欧州『戦王領域』に拠点を置いている。

 東京都絃神市――太平洋上に浮かぶ巨大な人工島に特別な恨みはなかった。

 だが、魔族と人間が共生する聖域条約の申し子である魔族特区であり、それだけで崩壊させれば、一度は地に落ちた組織の威名も再び轟き、条約の締結を呼びかけた最古の真祖への反逆の狼煙となるだろう。

 だが、魔族特区は絃神島だけではない。世界各地に点々と存在するし、わざわざ極東を選ぶまでもない。だから、絃神島を『計画』に選ばれたのには、譲れない理由があった。

 ―――そう、この絃神島は、『黒死皇派』の<黒死皇(リーダー)>の遺伝子を継ぐ者を飼い潰している。

 

 『少佐』――クリストフ=ガルドシュは言う。

 我らが亡き獣王の血筋を引く<黒妖犬>をかの魔族大虐殺をなした<空隙の魔女>から解放し、御旗にかかげて革命を起こすのだ。

 

「ああ。オレはこの島を守る。お前らテロリストの敵だ」

 

「獣王の御力は我ら獣人の誇りであり、希望であるのだぞ!」

 

 訴える男に、少年――クロウは嘆息する。このやり取りは、何度もやられた。そして、何度やれても、変わらない。

 

「オレは南宮クロウ。ご主人の眷獣だ」

 

「ふざけるな! 獣王が、魔女に飼われることを良しとするのか! そんなことあっていいはずがない!」

 

 激昂した豹頭の男が、恐怖を忘れ、駆けだす。

 その結果は語るまでもなく、男の意識は一撃で闇に落ちた。

 

 

 

「私は忙しい。明日も授業の支度があるからな。遊んでないでとっとと報告しろ」

 

 ビルの屋上。

 夜闇から浮き上がったかのように、給水塔の上に降り立つ漆黒のドレスの少女。

 その挙動すら察知させない空間魔術の使い手は、爆発に負傷した特区警備隊を回収し、今ここに君臨する。

 南宮那月。攻魔師官であり、クロウとアスタルテの見元引取り人であり、そして、教師。

 

 パンッ、とシャトルをラケットですくうように一度真上に打ち上げてから、キャッチ。

 豹頭の男を撃退した後、どういうわけかアスタルテとバドミントンをしていたクロウはぶんぶんと上にいる那月にラケットを振り、

 

「どうだご主人。ちゃんと後輩の面倒を見れたぞ」

 

「そうなのかアスタルテ」

 

 と淡々とバドミントンに付き合っていたアスタルテは首肯し、

 

「肯定。簡潔ながら要点を押さえたわかりやすい実演でした。これで仕事を理解できました」

 

「うむ。物分りの良い後輩をもててオレ嬉しいぞ」

 

「おい、あまり馬鹿犬をつけ上がらせるな。下手をするとお前まで馬鹿になる」

 

 ふん、と那月は鼻を鳴らす。

 

「尋問は特区警備隊に任せるとするが……黒死皇派の賛同者(シンパ)、か。<蛇遣い>め。『戦王領域』のテログループの残党を食い残こすとは使えん奴だ」

 

 自らの眷獣たるクロウを一瞥し、冷ややかに告げる。

 

「馬鹿犬、今日からしばらく仕事を手伝わなくていい」

 

「何でだ? ご主人の言うとおり、オレちゃんとやったぞ」

 

 突然の戦力外通告に憤慨するクロウの頭に衝撃。

 那月は扇子をパシッと掌に叩いて、視線で反論の一切を封じながら、

 

「様を忘れてると何度言わせる。今回の件は、馬鹿犬が出張ると面倒になりそうだからな。獣風情、アスタルテで事足りる」

 

 眷獣を飼い馴らせるのは、無限の生命力を持つ吸血鬼だけ―――

 だが、アスタルテはその絶対特権たる眷獣をその身に宿す人工生命体(ホムンクルス)

 その戦闘力は、特区警備隊一個団体を無傷で蹴散らせてしまえるほど。

 加えて、国家攻魔師官の南宮那月が後ろで控えているのだから、戦力は過剰の一言に尽きるだろう。

 

「うー。オレ、先輩なんだぞ」

 

「先輩なら後輩に任せることも覚えておけ」

 

 『待て』が苦手で待機命令に不満をあらわにするクロウに那月は取り合うことなく。

 

「だったら、暁の周囲を監視していろ。

 <第四真祖>にご執心だと言われている<蛇遣い>がこの絃神島に来るそうだ。

 先日のロタリンギア殲教師の一件で、おそらく吸血鬼(コウモリ)どもにも暁の存在が知れ渡ってしまっているんだろうな。あの軽薄男が何かしらコンタクトを取ってくる可能性がある。

 奴の相手は、転入生――あの国家公認のストーカーには荷が重い。この前の借りを返すよう精々フォローしてやれ」

 

 那月が向ける視線の向こう、そこにはちょうど豪華客船が一隻停泊しようとしているところだった。

 

 

彩海学園

 

 

 9月の半ば。

 二学期が始まり、途中で転入し、一躍時の人となった美少女学生もそこそこクラスに馴染み始めている時期。

 

「……大丈夫でしょうか」

 

 姫柊雪菜。

 国家の魔族対策の専門とする組織――獅子王機関の一員たる剣巫にして、世界最強の吸血鬼の監視役である雪菜は、この彩海学園中等部に通う一生徒でもある。

 そんな彼女が、今頭を悩ませているのは、学校行事のことである。

 球技大会。

 クラスでお姫様的なポジションにいる雪菜は、男子一同(約一名は何となく周りに合わせてだが)に頭を下げられて、チアのユニフォームを着て応援することになった。

 別にそのことは良い。今朝ちょっとそのチア衣装の採寸を計った際にトラブルに見舞われて先輩に下着姿を見られたが、あれはもうしょうもない事故のようなものだと処理した。

 問題は、その球技大会に出るクラスの男女混合(ミックス)バドミントンダブルスのペアである。

 

 何でも今年度から、シングルスが廃止され、代わりに男女混合ダブルスに出場メンバーが増員。現役のバドミントン部は出場禁止となっており、初心者が出ても問題はない。

 のだけれど、

 

(凪沙ちゃんとクロウ君……)

 

 暁凪沙と南宮クロウ。

 ご近所さんで、監視対象の先輩の妹で、絃神島で一番に友達となった少女と、こちらの裏の事情を知り、美少女転入生と唯一まともに会話のできる、“まともじゃない”男子。

 

「本当に、大丈夫でしょうか」

 

 事の発端は、昨日。帰りのHRで出場選手を決める際、自分が出たい競技に挙手して立候補するようにしていた。それで他の協議は、途中ジャンケンで決めながら、次々と埋まっていったのだが、この男女混合バドミントンだけが残ってしまった。

 男女混合……別に男子一名女子一名であればなんだっていいのだが、やはりというかなんというか、カップル向けな競技である。

 そして、あいにく姫柊のクラスにはお付き合いしてる男子女子はあまりおらず、非公表でいたとしてもそのように目立ちたくはないのだろう。

 あと一組、と選手選出に難航し始めたところで、凪沙が挙手した。

 クラスの男子によく話しかけられ、明るく可愛く、面倒見もいい凪沙は、人気者で、もてる。

 これを機にお近づきしたい男子がこぞって立候補に名乗り―――出る前に、凪沙が指名した。

 普段、皆と体育に参加できないひとりの男子生徒を。

 

 南宮クロウ。彼は半分人間であるが、もう半分は魔族。それも最も身体能力に優れているとされる獣人種。部活持ちの男子生徒も含めてクラス全員と綱引きしても勝ててしまうような、反則的な運動神経であって、普通の人間と混じって競技するというのが難しいのだ。

 けれど、『クラス全員が参加するイベントなのに仲間外れは変だよ』と凪沙の言葉によってクラスは一致団結し、担任もそれを了承。

 そして、職員会議にその議題を持ち込まれての今日。

 ハンデを与えることで出場が許可されたのであった。

 とはいえ、一攻魔師官としては、やっぱり気にかけてしまうものであり。

 

「―――姫柊ちゃん、心配だったりする?」

 

 と考え込む雪菜に妙にテンションの高い声をかけられる。

 赤い髪をお団子と三つ編みにした20代前半の若い女性。チャイナドレス風のシャツにミニスカート、スパッツ着用というスポーティな装いで、姿勢がいい。

 そんな中華風赤髪女は、彩海学園中等部の体育教師であり、姫柊雪菜のクラスの担任、笹崎岬。

 

「いえ、その、笹崎先生、クロウ君なら大丈夫だと思うんですけど……」

 

「あははー、姫柊ちゃんは獅子王機関に所属してるんだっけ。気になっちゃうのはしょうがないんじゃない」

 

 笹崎は、この彩海学園に勤務する、<仙姑>との異名を持つ腕利きの教師兼攻魔師官。雪菜と同じように魔族の身体能力の危険性というのを知ってる。雪菜の心配も共感できる。

 

「獣化のさらに上の“あれ”。命を削る禁じ手みたいなものだったり。それも那月先輩の補助がないと暴走に呑まれちゃうみたいだし」

 

 『旧き世代』の眷獣をも喰らう<薔薇の指先>―――をも、瞬殺した<神獣化>。

 同じ『神格振動波駆動術式』を埋め込まれていた<薔薇の指先>さえ相手にならなかったことから、<雪霞狼>とも相性はよくないだろう。つまり、何があったら雪菜には止めることはできない。

 

(舞威姫の……さんだったら)

 

 今はもう高神の社を出て正式な任務に就いているだろう、ひとつ上のルームメイトの顔を思い浮かべる。

 雪菜に<七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)>が与えられたように、彼女に与えられた武神具は、純粋な力頼りの相手、それも近距離戦しかできないとなれば非常に相性がいいことだろう。

 

 でも、そう心配することでもない。彼の性格は敵に対しては好戦的であるも、日常的には温厚なのでそう脅威となったりしないだろう。その辺は、怠惰な世界最強の吸血鬼の先輩と一緒で、雪菜も理解してる。

 

「でも、やっぱり、どこか皆でやることに参加させることも必要だったり。正直、体育の間は、私と組手してるんだけど、教えられることはもうなかったりして。あの子には中華拳法は合わないのよねー」

 

「え?」

 

 雪菜は少しその発言に反感を持った。

 彼女が師父である、と彼が言っていたが、その拳筋はやはり相当な熟練度であった。出会いがしらに、『八雷神法(やくさのいかずちのほう)』という増幅した呪力を物理的な攻撃力へと変換する雪菜の渾身の一打を、巧く相殺されたのだ。無手に限ってだが、白兵戦の戦闘技術は剣巫の雪菜よりも上だとさえ思う。

 そんな雪菜の疑問を察したか、違う違うと手を振って、

 

「クロウちゃんには、センスがあるよ。ちゃんと私の言いつけを守って、功夫(クンフー)もよく鍛えられてたりして。

 でも、やっぱり、“人間”のやる武術はあの子の規格に合わない、というより、“間に合わない”みたいだったり」

 

 人間の武術は弱者が強者に勝つために編み出されたものだ。

 長命種など人間に近しい身体能力であるならとにかく魔族において吸血種以上の身体能力の獣人種――最初から強者のものがやる術理ではない。

 だから、才能はあったとしても、学ぶ技術の方が力を引き出すに足りていないのだ。

 四足歩行で自然界最速のチーターが、人間の二足走法をできたところで、より早くなるわけではなく、むしろ遅くなってしまうだろう。

 

「でも、全くの無駄だったりしないのよ。ほら、子犬はじゃれ合うことで加減を身に着けると言うじゃない? 人並みのさじ加減は身についてたりして。だから、混じって競技する分には心配はしてなかったり。種目のバドミントンはネットに遮られて相手と身体接触がないしね。

 それに、“凪沙ちゃんと一緒にやる”っていうのは結構良かったり」

 

 雪菜もそれを知ってる。

 『混血』として、一時いじめに遭ってしまった原因は、凪沙の魔族恐怖症である。事故で過度な反応をしてしまったせいで、ひどく警戒されるようになってしまったのだ。

 その当時の客観的な被害者(なぎさ)加害者(クロウ)が一緒にやるというのは、とてもいいイメージアップになるだろう。

 

「あの時は大変だったり。那月先輩も中等部だからって口には出さなかったけど、結構気にかけてたりして。

 そうそう、この前も、『馬鹿犬が勝手にこの島から連れ出されたんでな。ちょっと向こうに行って連れ戻してくる』とかで急にロタリンギア国まで出張しちゃって大変だったり」

 

 思わず、意外、と口にしてしまいかける雪菜であるも、妙に納得する。

 結構、雪菜と同じ境遇なクロウであるも、そんな彼も自分と同じように大事にされていたのだろう。でなければ、あんなに主の眷獣だと誇らしくは言わない。

 

「那月先輩って独身貴族がひとり淋しくて、犬や猫とか飼っちゃうタイプだったりして」

 

 それについては頷くと後が怖いというか、当人に知れたらひどい目に遭いそうなので雪菜はノーコメントで、曖昧な表情を返すだけに留めた。

 

 

体育館

 

 

 中学時代、バスケ部員だった古城は、勝利にこだわりすぎてチームの中で孤立したという苦い記憶がある。それなりに落ち込みもしたし、古城がバスケをやめたのもそれがきっかけだ。

 だが、もうそんな昔のことは気にしてない。高等部への進学を機に部活をやめる生徒は古城だけではないし、そこに特別な意味はない。当時のバスケ部員たちとも、今はそれなりに上手くやっているつもりだ。

 とはいえ、今の古城は本気でスポーツに没頭することはできない。なにせ古城は『世界最強の吸血鬼』である。魔族特有の異常な身体能力を持つ真祖が、人間に交じって勝負になるはずがない……と、古城は思っていた。

 

 だから、『元体育会系の熱血ウザ野郎』とせっつかれてても、この残暑厳しい――というより年がら年中常夏気候の島で、日射にひどく弱い古城が張り切りようがなく、勝つよりは楽しめたらそれでいい……なんて、古城は思っていた。

 

 だからか、姉貴に付き合ってバドミントン経験のある藍羽浅葱と男女混合バドミントンに出場することになったが、特に思うところはない。

 しいて言えば、浅葱がここのところどうも情緒不安定というのか、夏休み明けから――雪菜と出会ったあたりから――様子のおかしいということぐらいだろう。

 

 そんなわけで放課後。

 球技大会に向けての自主練ということで学級委員の築島倫が体育館を借りたというので、ユニフォームに着替える浅葱より先に一人、古城は体育館にやってきていた。

 

「―――おっと、あれも拾っちゃうのかい? 流石だね君」

 

「―――チャンス! よし、いくよー―――たぁ!」

 

「―――残念。アウトよ。惜しかったわね」

 

「―――ドンマイだぞ。凪沙ちゃん」

 

 体育館に入ると、すでに体育館の床に支柱が立てられバドミントン用のネットが張られており、古城のクラスの内田男子と棚原女子のペアが練習を始めていた。

 小柄で線の細く、女子と見間違えられやすい内田と、長身で気の強いが、内田の前では別人のように可愛らしく従順な姿を見せる、典型的な恋する乙女の棚原。そんな彼らカップルの周りには、余人が入り込めないような親密な空気が立ち込めており、二人きりの世界をつくっている。

 それは彼らに限った話ではなく、サーブの練習をしながら互いに肩を寄せ合ったり、ふとした瞬間に見つめ合ったり、などと館内には他にも濃厚なカップル臭を漂わせている発生源が多々ある。

 本人たちにいちゃついてるという自覚はないにしても、独り身の古城には非常に居づらい桃色空間である。

 だから、浅葱が来るまで外で柔軟でもやってようかと……古城は考えていたのだが、

 

 そのコートではなくジャージだが、首巻と帽子に手袋と全身フル装備の男子に、長髪を短く束ねた特徴的な髪形の女子が、その桃色空間に何故か混じってる。

 

「うーん、バドミントンって結構難しいね。浅葱ちゃんがバドミントン好きって言ってたから今度聞いてみようかな。あ、でも、クロウ君上手だね! 凪沙が取れなかったところも全部カバーしてくれるんだもん」

「おう、アスタルテと練習たくさんしたからな! 最初はホームランたくさんしちゃったけど、バドミントンの手加減はマスターしたぞ」

「アスタルテ?」

「後輩だぞ。ご主人のメイドなんだ」

「メイド、ってことは女の子だよね。ふーん……」

「すごく優秀なんだぞ。オレができなかったお茶の淹れ方も完璧で……う? どうしたのだなんか不機嫌になってるぞ凪沙ちゃん」

 

 よし、なんか不仲っぽく……ではなく、カップル全開な内田棚原ペアの対戦していた相手ペアが中等部の生徒であるのだが、古城がよく知る――妹と後輩であった。

 

「―――おい、クロウっ! ちょっと来い!」

 

「古城君? どうしたのだ」

 

 普段の気怠さなど吹き飛ばすような大声で、後輩を呼びつける。が、当然ではあるがその相方にも古城の大声は聴こえており、む、と眉を寄せた妹が割って入る。

 

「古城君やっと来たんだね。聞いたよ、浅葱ちゃんとペアなんだってね。あれ? 浅葱ちゃんは? お着換え中なのかな? それでクロウ君に何の用?」

 

「な、凪沙、運動しても大丈夫なのかお前?」

「いったいいつの話をしてるの古城君。凪沙はチア部に入ってるんだよ。で、何の用なの?」

 

「いや……その、アレだな。アレだよアレ。クロウに訊きたいことがあって」

「じゃあ、ここで、凪沙のいる前で、ちゃんと話して。この前のは雪菜ちゃんと一緒に誤解だって説明されたけど、そうじゃないんでしょ」

 

「お、男と男の話し合いというかだな……」

「まさか前みたいに半径1m立ち入り禁止令のことじゃないよね?」

 

 後輩だけを呼びつけたい。しかし、そんな兄の思惑を妹は邪魔する。

 そして、妹後輩ペアと試合中だったクラスメイトはそんなあたふたしてる古城を苦笑しながら、とりあえず静観の構えだ。

 つまり、古城は独力でこの妹の追及を逃れなければならず、

 

「クロウ、お前……球技大会に出て大丈夫なのか?」

 

 まずは、無難に。とはいえ、それも古城にとって心配事であるのは違いない。

 古城とは違い、『混血』であることが学内では周知となっている。だから、運動系のイベントには卑怯だとか言われてないかと気に掛ける。

 

「オレも出られるんだ古城君! 下打ちしかダメってなってるけど、バドミントン楽しいぞ! 凪沙ちゃんに誘ってもらえて感謝だぞ!」

 

「……そうか。よかったな」

 

 ハンデは与えられてる模様。それでも、ぶんぶんとラケット振ってて、本人は存分に楽しんでるようだ。尻尾が見えていれば、ぶんぶん振っているだろう。

 それに、古城は、表情を緩めてしまう。

 なんだか昔を見てるようで懐かしく、また羨ましく。この純朴さにどこか毒気が抜かれた。

 周りはカップル時空だが、彼は純粋にみんなでやる球技大会に向けて励んでいるんだろう。

 

 まあ、妹は犬とか猫に好かれるのだと思えば、この光景も見れなくもない。

 

「だったら、今度一緒にレジャー施設に行こうよ! 男女混合ダブルスに優勝したら、西地区の繁華街にある絃神レジャーのカップル割引券がもらえるからさ!」

 

「クロウ! やっぱちょっと体育館裏に来い!」

 

 それでも、やはり念に入れて運動系特有の上下関係の刷り込みが必要だろう。

 が、威嚇する山猫のように髪を逆立てた凪沙に阻止されて―――そこへ、クラスメイトの内田が、

 

「じゃあ、一緒に試合してみたらどうかな」

 

 

 

「……もう、何やってるのよ、あんた」

 

 古城に遅れてやってきた男女混合バドミントンの相方で、練習場についた途端にすぐ試合をやることになった浅葱は、その原因を棚原から大まかに聞いて呆れる。

 要は、暁兄妹の痴話喧嘩に巻き込まれたようなものだ。

 クラスメイトと仲良くしたい凪沙と、男子に親しげに近寄ることが気に食わない古城。

 その決着を、バドミントンで付けることとなった。

 

「心配するのは良いけど、ちょっと過保護じゃない。そうあまり警戒すると逆に男子に免疫がつかなくなってまずいわよ」

 

「いや、そうだと思うんだがな、浅葱」

 

 藍羽の心情的には、凪沙寄り。とはいえ、勝負に手は抜かないが。

 それより、

 

「……、でさ」

 

 モデルのように、少し腰を振ってスカートを靡かす。

 今の浅葱は、ノースリーブのポロシャツと、恐ろしく短い純白のスコート。バトミントンのユニフォームだから別におかしくない―――のだが、公式戦の試合ならとにかく、たかが球技大会の練習できるには、露出度が高すぎるかと思われる格好。

 正直、浅葱は恥ずかしい。

 しかし、友人の築島凛は言う。『浅葱のチャームポイントはその綺麗な脚』。幼馴染の矢瀬基樹も『例の中等部の転入生にも引けを取らない』と。

 

 ここ最近の浅葱の悩みは、あの嫉妬する気も起きないくらいのデタラメな美少女が、何故か古城と仲がいいということ。

 

 そんな焦燥感からか、浅葱が無難にきっちり消臭済みの体操着より、そのコスプレじみた格好に勇気を振り絞って踏み切ったのだ。

 

「よし、じゃあ、浅葱からサーブ頼むな」

 

 アピールしても、肝心の相手は無反応。

 最初に目を合わせてから、なんかずっと目を逸らされてる。感想もなし。なんだか思わずその頭にシャトルを撃ち込もうかと考えたが、浅葱は奥歯を鳴らしただけでどうにか自制する。流石にこんなのは八つ当たりだということぐらい、浅葱も自覚してる。似合ってるかしら、の一言が言えない浅葱も悪い。

 それに……

 その背中から段々と発せられる雰囲気から、試合に集中し始めてることぐらい、浅葱にはわかる。

 

『ラブ・オール』

 

「じゃあ、いくよ」

 

 審判役を買って出てくれた内田の開始に、少しの間合いを取ってから、浅葱はサーブを放った。

 ライン上より後ろに陣取ってる後衛のクロウに、正面少し前に来るショートサーブ。

 

「ほい」

 

 難なくそれをクロウは拾って、下から打ち上げるロブで奥に押し出す。うまい具合にそれが隅のコースに決まる。

 

「ありゃま。あれを軽々拾っちゃうのね」

 

 後衛の浅葱はやや体勢を崩されながらも腕を伸ばしてどうにか当てて向こうコートに返す。シャトルは素早しっこい相手後衛のいない方へ飛んで行った。

 

「甘いよ、浅葱ちゃん」

 

 けれど、その弾道は低く。前衛の凪沙の真正面。あっさりと逆サイド狙って返されて、

 

「―――」

 

 ぱんっ! と横から割って入った古城がシャトルを軽打して跳ね返す。

 今度の軌道は高く、凪沙には届かないし、反応も追いつけない。

 コート隅ギリギリ、サービスラインの辺り、良いコースに決まっている。

 しかし、それを呼んで先回りしていたクロウに、掬い取られた。

 古城の頭上。放ったものより高く山なりの軌道で返される。

 

「―――おっ、らぁ!」

 

 膝を屈め、一瞬、全身の筋肉を脱力させてから、跳躍。

 腕肩関節を鞭のようにしならせて、ジャンプスマッシュの体勢に入った。

 おっ、流石、元バスケ部のエース! と歓声が上がる。

 

 スパァン!!

 

 無駄な力みのないフォームから繰り出されたスマッシュには、伸びとキレがあった。

 凪沙には当てないよう、逆――たった今、前衛のカバーをした後衛がいない、無人の空間に強烈なスマッシュが叩き込まれて。

 

「おっとと」

 

 ……ぱん、と。

 

 それすら拾われた。

 見事しか言いようのない反応。

 しかし、良い反応をしたとはいえ相手に背を向け、今にも膝が付きそうなほど低い体勢。

 そこへ古城はまた容赦なく、油断なく、スマッシュを打ち込む!

 だが、それをまた、そのままぐるんと回ったクロウが拾って大きく返し、それをまたまた跳んだ古城がなりふり構わずダンクスマッシュで叩き落とす!

 

 ―――スパァン! ……ぱんっ ―――パァン! ……ぱんっ ……ぽんっ ……ぱんっ―――スパァン! ……ぱんっ。

 

 バトミントンは通常、5回のラリーの間に決着がつくとされるスポーツだが、幾度か決定打となりそうなものがありながら粘り強くラリーは続く。打っては、拾われて、それをスマッシュしても拾われる。なんか古城は、フリスビーを投げて犬がそれを取ってくるというようなイメージが思い浮かんだ。

 とはいえ、後輩は単純に足と反応が速いだけでなく、こちらの動きや狙いを見通しているようだった。

 スマッシュを打ち込んでも、球筋を見切られる。時折フェイントいれて、前に落としたり、後ろに散らしたりしても先回りされて、駆け引きも強い。だが、古城も相手の裏をかくことには自信があった。

 桃色空間だった館内もいつの間にか静まり返って、シャトルの行方を追う。その攻める古城と守るクロウの一騎打ちとなっているが、これは男女混合バトミントンの試合。

 

(なんだかんだで言ってやっぱり勝負事とか好きなんじゃない。ホント、ガキなんだから)

 

 知らなかったバスケの知識を一から勉強し、ついにはバスケ部の元エースとNBA戦術の議論ができるようになった。

 出る試合は公式だけでなく練習試合も必ず見に行った。

 いつの間にか健気な女の子とクラスから応援されるようになった浅葱は、この接戦に微笑ましく思う。

 部活では対等に勝負できる相手がおらず、後輩からもどこか敬遠されていた。

 でも、バスケではなく、バドミントンではあるも、我武者羅にこれまでにない難敵に挑み、そして驚嘆すべきパフォーマンスを見せる古城。その姿を間近で見て―――やや、頬を赤らめてしまう。まだ昔を懐かしむような歳ではないのに。

 

「ペア戦ってこと忘れて熱中してるあんたはやっぱり元体育会系の熱血ウザ古城よ」

 

 クロウが前に出たところで、浅葱も後衛から前に割って入った。

 バスケ部員ではなくても、バスケ部エースと議論ができるくらいに戦術というのに心得はある浅葱。

 そのアプローチは同じく勝負に熱中していたクロウの意表をつく。浅葱のラケットから放たれたスマッシュは、しかし、恐ろしいスピードで減速し、そして、鋭く落ちていく。

 歪な回転に、うねる軌道。

 

 カットだ。

 

 シャトルは急激な下降線を描いて落ちてゆく。

 それをクロウが飛びつきながら食らいついてシャトルはネットを越させたが。

 

「それも、計算通りなのさ」

 

 やや低めなロブをそのクロウの真正面に押し出す。

 スマッシュするに絶好な位置で―――下打ちしかできないハンデを抱えてる以上は、穴となるポイント。

 ちょっと卑怯かもしれないが、相方の熱にあてられて勝たせたくなったのだ。

 

「それは浅葱ちゃんもでしょ」

 

 と、うっかり。

 下打ちには厳しい、けれど、普通ならスマッシュするに絶好な位置にあるシャトル。

 凪沙はチャンスボールを逃さず、スマッシュで相手コートに叩き落とした。

 

 

体育館外

 

 

 自販機で買ってから、誰もいない非常階段の踊り場に脚を投げ出して座り、久方ぶりの心地よい疲労感と共に、スポーツドリンクを古城は味わう。

 昔、部活で試合が終わった後もこうしてひとり反省会をした。馴染みの浅葱はそんな習慣を知ってたからか、試合が終わり、休憩で体育館を出た古城の後をついてきたりはしなかった。凪沙も、どこか嬉しそうにしていて。そのわきで後輩だけは悔しそうにラケットの素振りをしていた。

 そう、一番長く続いた初回のラリーは取られたものの、試合には勝った。

 だからと言って、どうということはない。後輩妹は中等部で、古城は高等部、本番の球技大会でぶつかるということはない。

 けれども、楽しめたということは確かだ。負けたことを悔しがり、純粋に楽しんでる後輩の姿を見て、過去の自分が蘇ったような、そんな錯覚さえも覚えた。

 

 喉を潤した古城は、そのまま目を閉じて、ごろりと仰向けに寝転がる、と。

 

「―――先輩?」

 

 頭上から聞こえてくる誰かの声。

 聞き覚えのあるそれに古城が薄く瞼を蹴ると、視界にしなやかな生脚がうつる。浅葱の時もそうだったが、スパッツを穿いていても、スカートの丈が短くてちょっとした動きで露出してしまう格好は古城にとっては非常に毒である。

 驚いて上体を起こした古城を、声の主、制服ではなく白地に青のラインの入ったチアリーダー衣装の雪菜は最初プリーツスカートの裾を押さえながら冷ややかな表情で睨んでいたが、ふっと和らげて、

 

「休憩ですか?」

 

「あ、ああ、もしかして見てたのか?」

 

「はい。先輩の監視役ですから」

 

 生真面目な雪菜であるも、今のニュアンスにはどこか茶目っ気な冗談っぽさが混じってた。

 

「それに今は凪沙ちゃんとクロウ君のクラスの応援役(チア)に選ばれてますし、影でこっそり……

 でも、先輩って、意外と熱血なんですね」

 

「やめてくれ。終わってから恥ずかしい思いをしているところなんだ。浅葱のやつにも言われたし」

 

「藍羽先輩……でしたね。先輩のダブルスの相方は……」

 

 といきなり声のトーンが低めに落ちた雪菜の気配に、古城はわけもなく焦りを覚えた。

 

「いや、そうだけど、違うからな。俺が浅葱とペアを組むのを希望したわけじゃないから」

 

 早口でそう捲し立てるも、雪菜は無感動な瞳で古城を見つめて溜息をつく。そして、やや不機嫌さの滲んだ声で、

 

「わたしは別に気にしてません……でも、凪沙ちゃんの方はクロウ君とペアを組むことを希望したんですけど」

「本当かそれっ!?」

 

 思わずといった反応で雪菜の肩を掴んでしまう古城。もう大体わかってきた雪菜は呆れたように息を吐いた。

 

「先輩って、結構シス……心配性ですよね。ちょっと引きます」

 

 流石に気を遣ったのか、シスコンと言いかけて訂正する雪菜。古城は不満げに唇を曲げて―――瞬間、

 

「―――先輩! 伏せて!」

 

 引っ張られて下げさせられた古城の頭上を、轟然と風を巻いて何かが駆け抜けた。

 

 

彩海学園 中等部校舎 屋上

 

 

「ふーっ、ふーっ……」

 

 荒く深呼吸を繰り返し、気を落ち着けさせる。

 霊視霊感の強い雪菜がいる前で、生半な奇襲狙撃は成功しないだろうし、下手を打てば、こちらの位置も気取られてしまう。

 しかし、第四真祖の唇が、わずかに動いた時にはもう、矢を放っていた。

 

 いくらチア衣装姿が可愛いからって! そもそも雪菜の体に触れるだけでも許せないというのに、あまつさえ肩を捕まえて、き、キスを迫ろうとするなんて!

 

 放たれた矢が解けるように薄い金属板となり、それが折り紙のように複雑な獣の姿となる。

 呪術により仮初の命を吹き込まれた金属板の式神が、本物の猛獣さながらの野性的な動きで天使を襲う憎っき怨敵を狙うも、その天使――雪菜が振るう<雪霞狼>の刃で害獣駆除のように退治された。全く歯牙にもかけていない。

 流石。まだ卒業するには早いと思ってたけど、剣巫に選ばれるだけはある。

 

「でも、それ相応の裁きを覚悟しなさい第四真祖。次会った時があなたの命日よ」

 

 なんにしても、これで招待状を送る役目のひとつは終えた。

 気は乗らなかったが、任されたからにはきちんと仕事をこなすのが彼女のポリシーである。

 あとはもうひとり。

 

 得物を傍らに置いていた、キーボード用の黒い楽器ケースにしまう人影。

 この彩海学園のものではない、関西地区にある名門女子高の制服。

 しかし、年若い日本人の少女ながら、すらりとした長身。華やかさと優美さを感じさせる顔立ちで、肌は白く髪の色素も薄い。そのせいか咲き誇る桜を連想させる美しさだ。

 ポニーテールの長い髪が、屋上に吹く突風に靡いて―――巻いた。

 

「おい、オマエ―――」

「っ!」

 

 いくら第四真祖に集中していたからって、ここまで踏み込まれるとは迂闊! しかも武神具はしまったばかり。師匠に知れたら反省コースだ。

 だが、その程度でやられるほど、舞威姫は甘くない。

 

辰星(しんしょう)歳刑(さいけい)!」

 

 振り向きざまに、その長い右脚が跳ね上がる。

 身長に恵まれていても、筋肉質とは程遠い体型の彼女が放つには、あまりに爆発的な威力をその蹴りは秘めている。

 呪力によって、自らの反応速度や筋力を一時的に増幅(ブースト)する呪的身体強化(フィジカルエンチャント)は、多くの攻魔師が使うごく基本的な技術(スキル)だ。

 しかしこの少女が使う身体強化の増幅率は、並の限界値を遥かに超えている。

 それはわずかでも制御をしくじれば自滅に直結するほどの危険な呪詛で、自身を縛っているようなもので。

 しかし、その非常識な戦術を反射的にこなせなければ、獅子王機関が誇る呪詛と暗殺の専門家は名乗れない。

 

 背後を取った人影の首を狙った回し蹴りは弧を描いて、直前で手を差し込まれたが、構わずその薄いガード一枚をぶち抜くよう、この上ないタイミングでその延髄に炸裂した。

 呪術によって強化された白兵術式は、数枚に束ねた木板を粉砕しかねない、強烈な一撃だった。

 

 人影は、動かない。

 

 そして、少女も右足を手一枚挟んで首に直撃させたまま止まっていた。

 

「―――」

 

 首筋が、戦慄で凍り付いている。

 これまで多くの魔族を仕留めてきたのと同等の手応え。

 倒せないまでも、首の骨にダメージを与えたはずだ。

 そう確信した少女の思い上がりを正すように、人影――少年は眉すら動かさず、目前の少女を見つめていた。

 

「声をかけただけで、いきなり蹴られるとは思わなかったぞ。ちょっとだけ迷いがあったみたいだけど、痛かったのだ」

 

 痛かった、じゃない、と叫びかける。

 ようやくその姿を確かめる。

 この学園の体操着ジャージに手袋首巻帽子、何とも珍妙な格好だ。

 自分の蹴撃を、その生体障壁と内力相殺を用いる気功術で防いだことはわかった。

 中々の熟練者。ひょっとすると自分や雪菜より気の扱いは優るかもしれない。

 

 しかし、手袋越しとはいえ“触れているのなら”関係ない。

 

 舞威姫は、優れた巫女であると同時に呪術師であり、そして暗殺者。

 『八将神法(はっしょうじんぽう)』――獅子王機関の無音暗殺術を修得している舞威姫は、たとえ眠っていようと、その体に触れることができるのは格上の呪術使いか、こちらが心を許している相手のみ。

 従って、掴まっている足先から呪いを―――

 

「む。いやな感じ」

 

 ―――送る前に離された。

 

「ちぃ、勘が鋭いわね!」

 

 だが、距離を取ることができた。

 少女は、そこで、相手に誰何を投げる。

 

「……煌坂紗矢華。獅子王機関の舞威姫よ。あなた何者?」

 

「オレは南宮クロウ。ご主人の眷獣だ」

 

 答えられた、その名前は、少女――紗矢華に『閣下』から指名されたものだ。

 招待状を渡すよう頼まれた、もうひとり、しかし、

 

(ご主人? 眷獣? ホント、何者……? 監視役の管轄が異なるから、第四真祖・暁古城以外の資料は集めなかったけど、アルデアル公から直々にパーティに誘われるなんて、余程……)

 

 と、紗矢華が次の手に悩む将棋指しのように思考を巡らしてるとき、向こうは特に思案もせず思ったことを口にした。

 

「また獅子王機関か。こっちもひとつ訊いていいか」

 

「いいわよ、なに?」

 

「さっきからずっと古城君を見てたけど、煌坂も姫柊と同じ、国家公認のストーカーなのか?」

 

 そういうお仕事もあるのか? と本気で疑問に思ってる眼差し。

 

「―――」

 

 ガン、と見えないハンマーが紗矢華の頭を叩いた。

 確かに実際に監視してるわけだし、やってることはそうともみられるかもしれない。

 

 ―――なわけないでしょう! 私も、私の雪菜も、仕方なく、暁古城の監視をしてるだけよ! 断じて、ストーカーじゃない! 変質者はむしろ暁古城の方よ!

 

 と今が仕事中で、近くに雪菜と暁古城が警戒してなければ感情のままに大声で叫んでいたのかもしれない。

 

(私のこと馬鹿にしてる……ってわけじゃなさそうよね)

 

 これまで幾度かの実戦経験を経て、それなりに相手の感情は読める。

 その経験上、もし、ここでそうだと言えば、そうかそんな仕事もあるんだご苦労様だぞ、と返される予想がした。

 このどこか間の抜けていて、付き合うと毒気が抜かれてしまう厚着の少年は、自分にとって未知の生き物ではないか、と以前、姫柊雪菜と同じ第一印象を抱いた。

 

「……違います。獅子王機関は、魔導テロ対策を担当する日本政府の特務機関です」

 

 相手に悪気はない。

 これは天然、ただの天然、と心の中で繰り返しながら、出来るだけ冷静に努めた紗矢華の丁寧な説明に、ポン、と両手を叩く。

 素直に納得したように見えたが、

 

「なるほど、そうか。じゃあ、古城君じゃなくて、同じ獅子王機関の姫柊の方に用があったのか? でも、ジュギョーサンカンはまだだったと思うぞ」

 

「違うわよ。そりゃ、ここでの生活とか気になるし、もしあったら雪菜の授業参観は是非お願いしたいところだけど、別にそんなことしなくたって、いつでも様子は―――じゃない」

 

 ダメだ。コイツなんかズレてるわ……

 

 この少年のおかしさは、鈍感だとかそういった基準ではないらしい。

 一文明人として、多少のボケは許容していたが、これ以上は付き合ってられない。さっさと仕事を済ませよう。

 

「南宮クロウ、アルデアル公からパーティの招待状を預かっております」

 

 差し出したのは、一通の手紙。

 今、暁古城に矢にして送りつけたものと同じ、金色の箔押しが施された豪華な封筒に、銀色の封蠟で閉ざしたもの。そこに刻まれたスタンプの、蛇と剣を模した紋章は、ある貴族の刻印。

 知っている者なら知っている。というより、魔族関連の人間なら知ってなければならないものなのだが、厚着の少年は首を傾げてるという、こっちが頭を抱えたくなるような反応だ。

 だが、そんなことせず、渡したのならさっさと去っていればよかった。事態はより混沌となる。

 

「クロウ君! いきなり屋上に行ってくるとか言っていつまでも帰ってこないから、もう練習時間終って、皆お片付けしてる……」

 

「あ、凪沙ちゃん」

 

 屋上に新たな闖入者の登場。

 これに気づけなかった紗矢華はもはや反省ではなく、猛省コースを師匠から言いつけられるだろう。

 暢気に手を挙げて反応する少年に対し、現れたその少女の方は急に無表情となり、こちらと少年の両方に視線を行き来し、紗矢華の持った手紙に注目する。そして、

 

「……その手紙、何?」

 

 あ、まずい、と紗矢華は察する。

 人目のない放課後の屋上で、妙に豪華な一通の手紙を握ってる自分。それも手渡し直前で固まってしまってる。

 客観的に判断すれば、甘酸っぱい告白の場面を想定されても仕方ないような。

 

「もしかして、凪沙、邪魔だった?」

 

 ぎこちない表情を浮かべる少女。紗矢華はあわあわとして、少年は、

 

「うん。なんか邪魔みたいだぞ」

 

 率直な意見を述べた。

 確かに一般人の子が関わるのは遠慮したいところだったけど、何を考えてるのよアンタは!! と内心で怒鳴り散らすが、それが表に出ることはない。

 雪菜ではないけれど、可愛らしい少女のショックを受けているような反応に、紗矢華もショックを受けてしまっている。

 そして、にこやかに笑って――造形的には完璧だが、いつも明るい彼女らしさを感じさせない、明らかに本調子ではない取り繕った笑顔で、

 

「そう、なの。あ、その人がアスタルテさんってメイドなんでしょ? うんうん、じゃあ、凪沙はすぐ戻るね。片付けとか、任せていいから。クロウ君はゆっくりしていって……」

 

(アスタルテ? メイド? もうなんなのよーこれっ!!)

 

 勘違いを加速したまま、少女は嵐のように事態を混沌とさせて去っていった。

 もはや後の祭りだが、紗矢華はしばし、この屋上に来る気配を見逃してしまったことを痛烈に後悔した。

 

「? 煌坂は、アスタルテだったのか?」

 

「違います」

 

 少年はこれが修羅場なのかとも気づいてないようで、首を傾げている。わかっている、悪気はない。

 もっと彼女の気持ちを考えてあげなさい、とか言ってやりたいところだけど、悪いのは、勘違いさせるような真似をしてしまった自分だ。

 これが魔族関連の事件ならよかったのに、とその手の経験ゼロの紗矢華は額を指で押さえたまま、この鬱憤を晴らす方向を模索し、結果。

 

(ええ、雪菜がここに行かされたのも、私がここに来たのも、この少年に見つかったのも全部、第四真祖・暁古城のせい! せめて私と同じ苦しみを味わいなさい)

 

 ちなみに、その呪術のスペシャリストに呪われた世界最強の吸血鬼も、手紙をもらったところを見られて、クラスメイトの少女と同じような目に遭っている。

 

「なあ、なんで煌坂は、怒ってるんだ? 獅子王機関は怒るのが仕事だったりするのか?」

 

「―――」

 

 長い沈黙。これが挑発ではないのはわかっていても、それだけ気を落ち着かせるに長い時間を要した。

 その間、相手は一応受け取った招待状の文面を眺めている。

 

「……これは(わたくし)の個人的な感情ですから、あなたが気にする必要はありません。

 とにかく、招待状はお渡ししました。今日、そこに書かれてる日時場所に来てください」

 

「む。いきなり言われても困る。今日はご主人に大人しく留守番するよう言われてる」

 

「そうですか。しかし、差出人アルデアル公ディミトリエ=ヴァトラー氏は、日本政府が認めた、『戦王領域』からの外交特使です。参加していただきたいのですか。

 ……その『ご主人』とは連絡は取れませんか?」

 

携帯電話(ワンダフォン)を壊してから新しいのまだ買ってもらえてない。それに今は仕事中だぞ」

 

 とそこで、ふと、何か思い浮かんだようで、

 

「そのパーティには、古城君も行くのか?」

 

「ええ、<第四真祖>は、第一真祖の使者からすればこの島を訪れて真っ先に挨拶をするべき相手。パーティのメインゲストとして招かれるでしょう」

 

「わかった。いくぞ」

 

 難色を示していたのにあっさりそれを覆すなんて。<第四真祖>となんらか関わりがあるのか。

 

「ご主人から、古城君に軽薄男が近寄ってくるかもしれないから、姫柊のお手伝いをしてやれって言われてるんだ」

 

「え、雪菜の……ごほん。では、参加を了承いただけたということで」

 

 調子を整えたはずの紗矢華だったが、その名前が出たことで一瞬素が出かかった。

 

「でも、問題がある」

 

「なんでしょうか」

 

「招待状には、パートナーを連れてくるように書かれてる」

 

 欧米のパーティは、夫婦や恋人を同伴するのが基本だ。

 代役として、歳の近い家族か親しい異性の友人であるなら問題はない。

 

「ご主人は仕事中だ。後輩もそれに付き合ってる。その邪魔はしたくない。オレひとりじゃダメなのか?」

 

 あー……と紗矢華は視線を逸らす。

 さっき、この子と親しげな女の子に変な勘違いさせちゃったし。

 自分の責任だ。

 

「わかりました。でしたら、私がパーティの代理をします」

 

「煌坂はいいのか?」

 

 何がいいのだかこちらにはさっぱりだが、彼が気を遣っていることだけはわかる。

 なんとなく紗矢華には意外だった。

 もう少しこう、人の心に鈍感な少年だと思っていた。

 

「いいわよ別に。私もちょうどひとりだったし」

 

 あの可愛い女の子にちょっと悪い気はするけど、安心してくれていい。

 この少年は、“男”なんだけど、不思議と嫌悪感は抱けない。いつもなら意識せずとも、“触った時点で反射的に呪詛を送り込んでいた”のに。

 ……そう、なんか弟というか、犬っぽいのだ。異性として意識できないけど、警戒心は抱かないタイプ、とでもいうのか。

 

「ところで、あなたは、私の雪菜とどんな関係なの?」

 

「同じクラスメイトだぞ」

 

 

 

つづく


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