ミックス・ブラッド   作:夜草

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逃亡の真祖Ⅴ

回想 ラーメン屋

 

 

 イブリスが言うような“怖さ”とかいうのはないぞ。

 

 オレ、古城君をあまり怖いと思ったことがない。

 

 眷獣が暴れるのは大変だけど、古城君はあんまし強くないのだ。

 

 でも、すごいと思う。

 

 これは、古城君が第四真祖になる前から思ってたことなのだ。

 

 きっとああいうのを、“逞しい”って言うんだな。

 

 本気になった古城君を諦め(負け)させることはすっごく大変だ。

 

 だから、敵に回したくないけど、もし戦うことになったら、絶対に手は抜かない。

 

 遠慮するのは古城君に失礼だからな。

 

 

人工島北地区 道中

 

 

 まさしく瓜二つの様はドッペルゲンガー―――世界に三人といない二重存在、出会ったら、その死は免れないという……

 

 <霧豹双月>の『複製した魔力を基に対象を式神化する』追加兵装<神獣鏡>

 鬼道術を極め、古代の極東を治めた邪馬台国の女王が大陸より贈られた魔具は、ひとつの世界を図分化した銅鏡であった。

 その鏡の裏には、神像と獣像とを半肉彫したものを主として組み合わさった魔術的に深い意味を持った紋様が描かれており、それら稀代の女王に与えられた古代技術を現代に技術にて再現昇華させたもの。

 式神―――双叉槍で複製した魔力を元に創り上げた、鏡合せの式神。

 

「―――この数ヵ月、監視対象から採取した全てのデータに先ほど剣巫との奮戦をも投射記録して、たった今、完成させた」

 

 神殿ひとつを電子チップに封じ込められる現代の技術革新ならば、ディスク一枚に、媒体情報を書き込むことができるか。

 

「そうそう、実は私、前から言ってみたかったことがあるのよ」

 

 くすり、と手を口元に当てて、少し驚いたように瞼をわずかに大きく開く那月に向けて、細めた双眸を送り、霧葉は挑発する。

 

「―――これは、“私の式神(サーヴァント)”」

 

 それに対し、大人な魔女は、頬に触れる髪を片手でさっと梳いて払い流し、薄い薄い薄い――隣に立つ眷獣(サーヴァント)の頬が引き攣るほどの――笑顔を作る。

 

「調子に乗ってるな。一度尻を叩かなければ目上に対する礼儀というものを理解できないようだ。気が変わったぞ馬鹿犬。お前に女の手切れはまだ早いみたいだから、特別に私がやってやる」

 

「ご、ご主人、様……!?」

 

「あら、ご主人様だなんて堅苦しい呼び名でなくて構わなくてよ。霧葉、と呼んでちょうだい」

 

 那月は霧葉からクロウの方を見た。

 ギロリ、と擬音がしそうな勢いで、眼球だけをそちらに向けて、

 

 ぶんぶんっ!? ―――三面と分身するくらいの勢いで首を振るクロウ。とにかく主人の機嫌が急降下して怖い。

 

「玩具にはしゃぎたくなるのは理解してやるが。贋物でそこまで浮かれてるとは、お子様(ガキ)だな六刃神官」

 

「ええ、これは偽者。だけど、偽者が本物に敵わない、なんて道理はないでしょう? この私が創る『獣王』が、どれほどのものかを見せてあげる」

 

 ただ一声。

 咆哮が、轟く。

 『南宮クロウ』の式神の遠吠えで、包囲していた『影』の軍勢はピタリと氷結させられたかのように静止させられる。『影』を生み出すのは那月だが、抜け殻の『影』を蘇らせ、群を指揮していたのはクロウの死霊術だ。

 そして、その命令を打ち消せるほどに干渉が働いたということは、この式神はそれだけ真に迫っているものなのだろう。

 

「我が影は、霧にして霧に非ず、刃にして刃に非ず。

 斬れば夢幻の如く、啼哭は災禍を奏でん―――」

 

 式神を召喚すると、祝詞の詠唱を紡いで、霧葉はその姿を完全に消した。巫女の霊視をもってしても存在を感知させない、恐るべき完成度の呪術迷彩。

 それを探知できるのは『嗅覚過適応』をもつクロウ―――しかし、式神が霧葉を追わせる余裕を与えない。

 

「ん……本当にオレのそっくりさんだなそれ」

 

 自分と同じ姿をした鏡写式神を見つめる眼差しはただ静かで、怒りはおろか厳しさすらない。それが鏡に映る自身の姿なのだともわからないような知能指数の低い獣ではあるまいに、平然(けろり)とした顔をしている。

 

「寡黙で利口そうだな。池に落として正直に答えれば交換してくれるか?」

 

「ご主人、オレが本物なんだぞ!?」

 

 と少し眉を上げて感想を漏らす那月に、泣きながら訴えるクロウ。

 そんな自分の眷獣(サーヴァント)に、無関心であるような一定口調で那月は言う。

 

 

「なら、勝って本物だと証明してこい馬鹿犬」

 

 

 ゴッッッ!!!!!! と。

 規格外の両者の足元で、人工浜辺が爆発した。姿形が全くの同一の、『首輪』の有る無しでしか見分けがつかない、クロウと式神が最短距離で激突するべく超疾する。そうしながら、すでに戦いは始まっていた。クロウの咢から魔力砲が迸り、霊弓術の手裏剣を奔らせ、それらすべてまったく同じ動作で式神が撃ち落す。

 この正確無比な狙撃銃と弾数に物を言わせた散弾銃を打ち合うような牽制の応酬。

 烈火のごとく、火花散る。

 よくできた音楽のように響き合う同質の魔力。

 絶え間なく、際限なくリズムを上げていく。

 両者ともに一撃入れるごとに間合いを詰め、停止することを知らない―――否、敵を食らうには先に進むのみだと、炯々と眼光が線を引く貪狼の双眸が告げている。

 そして、ゼロ距離まで到着した直後に、パパン!! と鈍い音の交差があった。

 

「<拆雷(さく)>! ―――<若雷(わか)>!」

 

 薄皮一枚にまで生体障壁を絞り込んだ全身をぶつけるよう肩と肩で体当たりが激突し、感電したかのように光が肩から全身に走り抜ける。接触しただけで相手の身の裡に浸透するとんでもない魔力の込められた一撃。

 それから間髪入れずに、半歩分ほど弾かれ開いた間を抉り込むよう、または民謡曲の手遊びのように両者の軽い連打が全く同じ動作で相殺し―――渾身の右掌底も弾かれた。

 だが両者とも動きは止まらない。右掌底と同時、次の命令を脳から神経に発してあった。それが時間差で発効し、硬直していない左手でまた掌底打ちを放つ。

 がッ! とお互いの掌が打ち合わされ、光が――視覚できるほどの魔力の猛りが瞬き、その衝撃で意識がはっきりする。クロウは、そして式神は、反射的にお互いの手首を掴んだ。

 

「どうやら単なる見かけ倒しじゃないっぽいな」

 

 片手がお互いの腕を()って繋がれる。

 そこから、お互いを捉えたまま体幹を狙って熾烈な殴り合いが始まる。

 

「―――」

 

 今やそこは真空に近い。

 廻り渦を巻く撹拌し、周囲の空気を巻き込んで、近づけばそれだけで切り刻まれそう。

 普通ならあっという間に決着がつくはずの距離だが、巧みな重心移動で互いの姿勢を邪魔し、アクロバティックな体技で爪先をぎりぎり肌へ滑らせる。間断なく鳴り響く空を切る音さえなければ、自身の尻尾を追いかけぐるぐる回る犬のように見えたかもしれない。あるいは、狂おしく尾を食らい合う螺旋の蛇に。

 だが両者の身体は少しずつ傷つき、肉が削げ飛び血を撒き散らす。

 

「『力・技・スピードに、攻撃パターン―――どれも本物と互角。少なくとも相打ちは免れないわよ』」

 

 透化隠行にて自らの姿を隠すことで那月の動きを封じていた霧葉は不敵に笑い声をどこからともなく木霊させるように響かせる。

 戦闘パターンも実力もおそらく同等。

 ほぼ互角の打ち合いは―――本物と偽者、精神があるかないかの違いから均衡を崩した。

 

「そうか。なら、簡単だな」

 

 熊手同士が激突、指と指を挟み込むように組まれ、それまで自由にさせていた右腕を握手して捕まえる。

 がっぷり四つに組む。

 だが、膠着状態とはならなかった。

 

 ずおおおおおッ、と。

 巨大なジェットエンジンのような音を立てて、空気を吸い込む。

 胸が、まるでバルーンのように膨らんでいる。

 

 

 ―――           ッッッ!!!!!!

 

 

 それは人の耳には聞こえない高周波の遠吠え。

 人の肺活量では絶対に届かないゼロの爆音。それを一直線に超音波の形を整えて撃ち出した。

 “聞こえない”というのは、“存在しない”というわけではない。

 派手な効果はなかった。

 光も音もない。

 少なくとも、周りで見ていた雪菜や霧葉たち“人間の”五感では。

 

「っ!?!?!?」

 

 至近で真正面からぶつけられた、それも人より優れた五感を持つ獣人種の式神(クロウ)は、ぐわんっ!! と頭が、全身が目に見えない何かにかき回された。ケースの中で振られたゼリーのように、脳みそがぐらぐらとする。

 咆哮は耳ではなく頭蓋骨を骨伝導で揺さぶり脳震盪を起こす。<第四真祖>の超振動の化身である緋色の双角獣が、局地的に発生したようなものだ。

 

「<伏雷(ふし)>」

 

 クロウに引っ張られて体勢を崩し、反射的に伸ばされた式神の膝をクロウの蹴りが打ち据える。

 膝の皿を砕かれれば、生体的に動物は立てなくなるものだ。そして、この式神は生体構造までも無駄に再現されている。

 

「所詮こいつはさっきまでのオレなら、今のオレの方が当然強いのだ」

 

 屁理屈だが、要は気持ちの問題であった。

 脚の利かなくなった式神にクロウ必殺の爪拳が振りかぶり、『疑似聖拳』を発動させた手刀がその片腕を斬り裂く―――

 

「忍法雷切の術!」

 

 

 式神の右腕が切り飛ばされて―――クロウは弾かれたように真後ろに飛びずさった。

 

 

「『まだ、これからが本番よ』」

 

 

 片腕のない、完全なる黄金の獣。

 <神獣化>までも再現した式神が、巨大な金狼となり、その強靭極まる膂力で左腕を振り回されたらいったい何が起こるのか。

 

「    っ     、        !!!」

 

 記憶に空白があった。

 気が付けば、クロウは浜辺から浅瀬まで押し飛ばされていた。

 完全に神獣の爪撃を免れていたはずなのに、だ。強靭に圧縮された生体障壁と筋肉で固められる両腕から血が滴っていた。

 

「っ!」

 

 クロウはまた弾かれたように動いた。直後、吹き荒れる嵐のように片側が欠けた非対称な巨体が猛然とこちらに爪撃を連続で見舞う。金色の体毛に覆われる左腕の爪拳が閃光と化し、風の唸りよりも早く空気を裂き、海を割る。

 そう、切断。クロウがあの片腕を犠牲に(あきらめ)逆襲(カウンター)された際に負ったのは切傷だ。

 届かなかったはずの、空振りに終わったはずの反撃が一体なぜ―――その答えは同時に弾けた白い飛沫。

 この人工浜辺に敷き詰められている白砂が、飛ぶ斬撃の正体。砂をすくい、『匂付け(マーキング)』を浸透させて左腕を力任せに振るう。それだけで、工業用カッターのように横一線に風景を薙ぎ払っていた。

 

「馬鹿力なとこまでそっくりだな!?」

 

 犬の砂かけも極まると鋼も引き裂くブレード化するものらしい。

 我が身に受けてよりその出鱈目さ加減を身に染みて思い知らされる。鏡写式神の膂力というより馬鹿力は平素の常識を覆す域にあるところまでも模倣(コピー)されている。

 

 膝の皿を砕かれた片足が、巨獣を支えることはできても高速で移動することは敵わないと判断してか、その場から動かず固定砲台となって、式神はこちらに連続して砂塵の斬撃を放ち続ける。

 

「忍法畳返し!」

 

 一芸(わざ)として昇華させた『嗅覚過適応』の発香側応用編のひとつ。

 腰辺りまで沈めている海面を打ち、生じた水壁に『匂付け』で固めさせる。それも神獣の膂力で放たれる砂のブレードを前にしては易々と二等分断されるものだが、それでも水を吸った砂は泥となり、勢いはいくらか減衰してしまう。速度の落ちた砂塵の斬撃ならば見極めて回避できる。

 そして、今、戦っているのはクロウだけではない。

 

「偽者も手癖の悪い、躾甲斐のある馬鹿なところまで同じか」

 

 人ではなく、怪物を。

 そして、捕縛ではなく、殴殺する巨大な錨鎖<呪いの縛鎖>。

 直径十数cmに長さ数十mにも達する何百tもの重量による打鞭が、その左腕の届かない右側から迫って、不動の巨獣を打ち据える。

 

「調教に鞭打ちなんて、随分と古いのね魔女」

 

 これまで身を隠していた三つ角の鬼女が、式神の右肩に腰かけている姿を現し、砲弾の如き錨鎖に武器を持たない左手を向け、

 

「<火雷>―――!」

 

 <生成り>の高密度に凝縮した魔性の呪力を、陽炎の鉄槌のように叩きつけて、那月の一撃をはじき返した。

 

「こそこそと隠れてなくてよかったのか、小娘?」

 

「余裕をかましたその態度。剥ぎ取ってあげるわ―――どちらが彼をペットにする飼い主に相応しいかを証明してね」

 

 容赦なく、巨大な錨鎖を虚空から射出する那月だが、霧葉と式神が炎の渦に包まれる。

 そして、鬼火の幕が晴れたとき、そこにいたのは体長十mもの“角の生えた”巨狼であった。

 依然と式神の肩に座る六刃が、<生成り>の呪力を式神へ『嗅覚過適応』の吸引側応用編である『香纏い』をさせたのだ。

 

 鬼角もちの魔狼と成った式神が腕を地面に突く。

 これから放たれる一撃の反動に備えて。

 

 圧倒的な破壊力を秘めた神獣の劫火(ブレス)

 それに“標的を逃さない”情念の鬼火を混じえて放つ、精密誘導機能を搭載した核弾頭ミサイルと称すべき咆哮。

 放たれれば、避けようがなく、防ぎようのない、その災禍。

 

 ならば、息を吸い込む溜めの時間に仕留める―――!

 

 虚空より<呪いの縛鎖>と<戒めの鎖>が一斉掃射され、式神と六刃を封殺せんと迫る。

 大小すべての鎖は、三つ角の鬼女の炎獄にて融かされ、弾かれ、魔狼の身を縛りはしない。

 ―――やはり、神殺し凶狼を捕縛せしめるのは、真紅の茨か。

 

「私に<輪環王>を使わせただけでも誉めてやろう、六刃神官」

 

 白砂を巻き上げ、地中から発生した<禁忌の茨>。十mを超える鏡写式神に縛りかかると、地面にひれ伏せさせるように浜辺に縫い付ける。

 巻き上がった砂をかぶった霧葉を見下ろして、那月が淡白な口調で評定を下すに言い放す。しかし、たかが赤点を超えたくらいで満足していると思われるのは不服とばかりに、じりじりと真紅の茨に焔が纏わりつく。

 

「拘束した程度で勝った気にはならないでちょうだい! まだ―――」

 

 神社仏閣を焼き払う魔性の炎が真紅の茨を喰らわんとし、鬼角の魔狼もまだ完全に屈してはおらず、咢を開けんとしている。

 だが、<第四真祖>の眷獣をも封殺した<禁忌の茨>から逃れられるのは許されず―――また猟犬がいる。

 

「対魔獣戦闘の専門家(エキスパート)であるなら、飼い犬に火吹きの蛮行ではなく、これくらいの魅せられる芸を仕込んでみせるんだな」

 

 海を走り抜け、空を駆け昇る。

 獣そのものの速さと(しな)やかさをもつ脚の発条(バネ)を跳ばす。

 己の敏捷さを存分に(いか)す金人狼がいるのは地上ではない。だが、それ以上の自由度で彼は移動していた。

 

「まさか、衝撃波を足場に―――!?」

 

 空間衝撃を足場に、空中移動。

 サーカスの曲芸なんてものではない、八艘跳びの如き神業だ。

 巫女の霊視であっても、測りとることができない不可視の衝撃波の軌道やタイミングに万分の一の誤差なく阿吽の呼吸を合わせて踏みつけ跳躍する魔女の猟犬。

 この主従の連携は即興のものではない。覆しようのない年月があり、そして絶対の信頼の上で成り立っている

 先の同門の剣巫たちの即興で合わせてみただけのコンビネーションとは、比較にならない、その息の合いよう。

 

「ご主人!」

 

 まるでコマ送り、それこそ瞬間移動のように、真上を陣取り―――そして、重力を味方につけての急降下する金人狼。

 その振りかぶった右腕に黄金の騎士像が嵌めていた鎧籠手が装着される。

 『約を違えたときには片腕を喰らえ』と契りを結んだ主人より貸し与えられた力を纏いて、その籠手には標的の頭部と口に轡を噛ませる幉のように繋がれた真紅の茨が握られる。

 

 ギュンッ! と『匂付け(マーキング)』を通し、獲物の巨体を縛り上げる茨が更に刺々しさを増して絞め付けを強め、そして、限界まで伸び切って解放された逆バンジーのように急激に縮まり引き寄せる弾性の勢いも落下速度に加算される。

 

 瞬間最高速が音を超え、金色の閃光と化し、己の偽者に鉄槌を下す。

 

 鎧籠手に包まれた拳骨が魔狼の頭蓋――に生える角を狙い振り落とされた瞬間、それに追従するように雷撃が迸った。

 一点を中心に人工島北地区一区画を1m以上沈める。単に白砂の層だけではない、もっと根本的な固い地盤そのものを、だ。

 学校の敷地面積クラスで地盤沈下させる破壊力を一身に受け、さらに角を砕かれたままの勢いで肩から袈裟懸けに斬り裂かれた式神は、<神獣化>が解かれ、そのままぐらりと砂地に伏す。

 致命寸前、戦闘不能にする傷を与え、“血肉臓器体内構造まで精密に再現された”式神は、像がひび割れて、飛び散った。

 

 

 

 

 

「獲った!」

 

 霧葉の表情に満面の表情が浮かんだ。

 

 

 

 

 

「っ……!? う、ぐっ……!?」

 

 己の偽者を叩き潰したクロウが崩れかかる。

 膝をつきそうになる身体を懸命に堪えるクロウは、大きく揺らぐ視界の中で、霧葉の笑みを見た。

 

「これで止めよ―――<霧豹双月>ッ!」

 

 『乙型呪装双叉槍』の切先から収束された熱量が迸る。それこそ何千度という熱を一点に絞り込んだ―――鉄や岩でも構わずに溶断するほどの光だった。

 しかし、それがクロウの身を貫くことはなかった。

 黄金の騎士像がその身を盾にして受け、そして、放った拳圧で霧葉を吹き飛ばした。

 

「呪い――受けた傷を共有させる原呪術か……やってくれたな、六刃神官」

 

「ふ、今更気づいたのかしら」

 

 一撃を受けながらもなお口元に笑みを湛える霧葉の表情は、那月に一杯食わせられたのが、嬉しくてたまらないというよう。あまりの嬉しさに脳内麻薬が分泌され今受けた痛苦をも忘れさせた。

 

 本物に近しい偽者を使役して相打ちにさせる―――それは、虚偽の狙い(フェイク)

 <神獣鏡>の一度限りの奥の手。

 それは、本物と影響し合うほどに精度を高め、二重存在とした鏡写しの式神が負った傷を共有させる類感呪術。

 『丑の刻参り』にて、呪いの藁人形のような代物であった。

 

「完全に<神獣鏡>が破壊されては発動できなくなるから、タイミングを測るのが難点だったけど、成功だったみたいね」

 

 さあ、あとは魔女ひとり。

 霧葉は再び呪術迷彩を発動させて、その身を透明化する。呪符で魔獣用の罠を設置した策を練り。獣王を破った勢いで、魔女を仕留める―――

 

 

 

 

 

 とんっ、と。突然全く気取らせずに伸ばされた人狼の大きな手が、双叉槍を持つ腕を捕まえるように握りとった。

 

 

 

 

 

「え……」

 

 そこにいたのは霧葉と同じ、透明化し気配遮断して標的に忍び入る銀人狼。

 致命傷を類感させる原呪術で降したはずの霧葉の斃すべきと定めた目標が、霧葉を捕まえていた。

 

「―――」

 

 桁違いとはこのことか。

 これで斃せるとまだ常識に当てはめていた己の思慮を怪物殺しの専門家は呪う。しかし彼が普通じゃないのはわかっていたが、それにしてもこれは並外れていた。

 鏡映しの原呪術は発動に成功した。

 致命打を受けたダメージを返されながらまだ戦闘続行できるなんて矛盾してるではないか。

 

「早まったな。“一度倒したくらいで私の眷獣(サーヴァント)は壊れん”。注意を外すなら、完全に止めを刺してからだ」

 

 一昼夜、何度も致命打を叩き込み続け、『焔光の宴』にて何度となく<焔光の夜伯>の素体たちの災厄を受けきってきた、その“頑健(しぶとさ)”を飽きるほどに見ていた<空隙の魔女>は語る。

 まだ、終わっていない、と。

 

(しまっ……!?)

 

 如何に多大なダメージを与えられたからと言って、人が虎に密着すればどうなるか。

 魔獣の狩人はそれをよく知る。

 『乙型呪装双叉槍』を押さえられた腕が、ピクリとも動かない。赤いカーディガン――<火鼠の衣>も、海水でびしょ濡れの身体に抱き着かれていて濡れている。水をかけると弱まってしまう『火鼠』の特性上、その毛皮でつくられた装衣は乾くまでその効果を発揮できなくなる。つまり、火耐性のための魔具が働かなくなった以上、このまま<生成り>の炎を発言させれば我が身も火達磨になる危険性がある。いや、今、考えるべき今日はそんな自滅などではなくて―――

 

(すき)……(だらけ)……だぞ」

 

「―――っ!?!?」

 

 南宮クロウは、<霧豹双月>を封じたり、<火鼠の衣>を濡らしたり、なんてことは考えていなかった。

 未だ頭が激しく揺れている酩酊状態の彼が、狙っているのはひとつ。華奢な六刃神官全体、少女の身体そのもの。

 妃埼霧葉への攻撃はすでに三打を掠らせ、誓約の制限が外れている。

 だから、何の阻むものもなく。

 逞し過ぎる左腕一本で、腕を掴んだまま引いて背中から抱くような形で霧葉の身体を抱き寄せた。そして、“完全に捕まえてから”人狼は鬼女の耳元に(息も絶え絶えで小さくなってしまう)囁きを零す。

 

「信じてた、のだ。霧葉のこと……(絶対にただではやられないって)」

 

 だから、耐えられた。

 いつ来るのか、何をするのかもわからないが、とにかく恐ろしいのを知っていたからこそ、警戒し、致命打にも意識を備えることができた、と。

 そういう意味で信頼は築かれていた。

 

「ああ、本当に、強い……ご主人に助けてもらわなかった、ら、倒されてたぞ……霧葉は、すごいな」

 

「ぁ、だめ……なに……今更……そんなことを言って……!」

 

 心の底から恐れ(ほめ)ながら、抱き締める。

 強く強く強く、両者の距離を正真正銘の0mmにまで縮める。

 

「だめだ。……絶対に逃がさない……」

 

「ふぁ……だみぇょ、みにゃみやくりょう……これ以上は―――」

 

「いいや、油断しないぞ……霧葉は、オレが……全力で……仕留める」

 

 強い言葉。そして、あまりの締め付けの強さに喘ぐ霧葉は、大きく息を吸う。

 瞬間、このしばらく香断ちされた、癖になる匂い(におい)が、ここのきて鼻腔いっぱいに―――

 

 飢えをも強さに変えるその執念。

 しかしながら、それは一本の刀をより鋭く薄く鍛造していくかのように、守りを犠牲にして得たものであって、折れ易くなっている。つまり、折角ついた耐性が意味をなさなくなったということ。

 人は痛苦に虐げられることよりも、餓欲が満たされるような快楽には抗いがたく、弱いものである。

 また、前回通じなかった術を、負けず嫌いな性分のある彼はさらに磨きをかけていたりする。

 

 甘過ぎる快感だけではない、何の理由もなく胸中に湧き上がるもうひとつの感覚は、恐怖。言いようのない不安と戦慄が、霧葉の意識を混濁させ、前後不覚に陥らせる。

 

 

「忍法おいろけ改―――五車の術」

 

 

 喜怒哀楽に恐怖――合わせて五車の心理を突く忍術。

 異性フェロモンの甘い匂いで酔わせるだけではなく、その逆の不安な気持ちを煽る警報フェロモンをも交互に発生させる。

 いわゆる、飴と鞭――もっと詳しく語るなら、吊り橋効果も盛り込んだ感情操作の緩急を覚えた。ただ頑張って我慢するだけで防げるようなものではなくなったのだ。

 それを誰に教えられるまでもなく、雑学を特集していたテレビ番組から得た知識で、ジャコウネコ科獣人種の本家よりも効果倍増な発展技を思い付いたその天性は末恐ろしいものがある。それもあくまで“相手の動きを封じるためだけの実用面しか”考えていないから、ある意味たちの悪い発想力だ。

 

「あぁん、ああっ! んあっ! だみぇ! あぁぁぁ、こんなところで、ふぁぁぁんっ!?!?!?」

 

 それは一瞬で脳裏にフラッシュバックが駆け巡るような、肌寒い不安感の後にくるからより強く覚える、格別な陶酔感に達して―――ピンッと指先爪先を伸ばす一瞬の硬直の後、強張りが弛緩した。

 

 

 精神を落とした直後に。メキメキメキメキメキメキメキィ!! と物理的にも絞め落とす凶悪なサバ折り(ベアバック)の圧搾音が浜辺に鳴り響いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「やり過ぎだ馬鹿犬」

 

「あぐっ!?」

 

 心身ともに腰砕けにされて、戦闘不能にされた六刃。以前、この状態で放置したのかと思うと、この眷獣(サーヴァント)の女難は、こいつ自身にも責任の一端があるなと理解した。このままいくとヤンデレ製造機になるんじゃないだろうか。

 那月は主人の責務として、軽くクロウの頭を扇子で叩いて躾する。

 

「いいか。その似非忍法は封印だ。命の危険がない限り、絶対に使うな」

 

「う~、霧葉には前に通じなかったから、五車の術を考えたのに……」

 

「本当に不純な動機が一切なくやらかすお前の将来が私は心配になってくる」

 

 そして、鬼火の結界は消沈して、そこにあった光景に主従は脇に逸れかけた思考を直ちに修正。

 いたのは、獅子王機関の剣巫。

 銀色の槍をだらりと右手にぶら下げたまま、ぼんやりと立ち尽くす姫柊雪菜は、瞳から一切の感情を失くして、凪いだ湖の水面のように那月たちの姿を映している。

 

 妃崎霧葉が命懸けで稼いだ時間を使い、雪菜は何をしていたのか?

 策を練った様子もない。罠を仕掛けてあるように見えない。ただ、放心したように無防備で立っている。

 美しい肌に艶やかな唇。常識外れに整い過ぎた顔立ちが異形の人外を想起させ―――芒と瞳に光が灯る。

 

「―――“それ”はすぐに止めさせるぞ!」

 

 雪菜の変化に気づいた主従が揃って、これまでにない焦りの感情を浮かべた

 舌打ちした那月は即座に、構えもなく立っている雪菜に向けて、弾丸のように銀鎖の雨を放った。

 前後左右上空と360度すべての方向から数十本の鎖が同時に撃ち込む。

 人間の反応速度で処理できる量を大幅に超えた完全包囲に、しかし雪菜は無言のまま、ただ身体を揺らすような最小限の動きで九割の鎖をすり抜け、破魔の銀槍を一閃させて、残り一割を斬り払う。

 文字通りの神業。

 

「やれやれ、<神憑り>に入るとは……あの堅物を追い詰めすぎてしまったようだな」

 

 魔女と猟犬の主従にもはや打つ手なしと詰んだ状況に、雪菜が選んだ打開策が、『神降ろし』だ。

 剣巫は魔を滅する剣士であると同時に、優れた霊媒資質を持つ巫女である。

 それが強大な神霊の器となり手身に宿し、人間の限界を超えた力を手に入れるという極限の裏技が<神懸り>。

 容易に使える力ではなく、わずかでも制御をしくじれば巫女の人格は破壊され、二度と正気に戻れなくなる。

 

 姫柊雪菜は、この主従を倒すため、そして先輩を助けるため、多大なリスクに迷わず<神懸り>を決断した。

 

「なんだ、これは……?」

 

 那月は驚愕に目を眇め、そしてすぐ息を呑んだ。

 空間制御の魔術が発動しない。実体化した『影』の軍勢も空に溶け込むよう薄らいでいく。

 この暗月の極夜に降り注ぐのは、花弁を連想させる白い雪―――その正体は、『神格振動波』の結晶だ。それらは見る間に数を増して、漆黒の天蓋を漂白させるように空間を覆い尽くしていく。

 <神懸り>によって膨大な霊力が流し込まれるだけでなく、同調率が人間に許された限界を超えてまで高められた<雪霞狼>が人工神気を結晶化させるほどに純度を増している。

 その純白の結晶は那月の魔力を無効化し、魔術の発動を防ぎ、この大結界を崩壊させんとする。

 

「この神霊は……そうか……これが<第四真祖>の監視役に貴様が選ばれた理由か……しかし―――」

 

 無の表情である教え子の気配に、反対的に那月は表情を険しくさせる。

 

「トランスが深過ぎて戻れなくなってるとはな……! 大馬鹿な教え子であるには変わりない!」

 

 <雪霞狼>を操るのではなく、<雪霞狼>に操られている。雪菜は<神懸り>で得た霊力を、自分の意思で使いこなしていない。使いこなせないほど力を求めすぎた。彼女は自らの中に降ろした神霊を、完全に御していないのだ。

 

 このままでは、この大結界が崩壊しても『神格振動波』の結晶は止まらず、この絃神島に掛けられている維持魔術までも打ち消し、住まう魔族たちも浄化させる。一切の不浄を許さない、魔族特区を壊滅させる破魔の災厄となりかねない。

 

 

OAaaaaaaaaaaa(オアアアアアアアア)―――!」

 

 

 人ならぬ慟哭をあげて、穂先に集う閃光の刃が一回り巨大化する。

 同時、『七式突撃降魔機槍・改』を掴む右半身の片腕と片足に電子回路のように浮かんでいた銀色の模様が、光り輝いた。模様の範囲が徐々に拡がっていき、全身へと染み渡ろうとしている。

 また右腕から飛び出した触手が分厚い翼となって、長槍の柄を滑っていき、武神具と一体化。侵攻は停滞することなく、異様な姿へと変わっていく同級生を見て、『混血』の少年は霊的中枢(チャクラ)七門を花咲くように開かせ、仁獣覚者に等しき霊核まで上げる<神獣人化>を発動。

 “天の御使いを滅ぼさんと”殺神兵器の機能を全開に廻す。

 

 正気に戻るまで、一秒でも長くこの結界を維持して、失敗した<神懸り>の被害を抑え込んでいなければならない以上、<空隙の魔女>に<守護者>を出す余裕はない。

 故に―――相手するのは<黒妖犬>ただひとり。

 

「馬鹿犬、あの大馬鹿娘を引っ叩いて、起こしてこい!」

 

「合点承知!」

 

 主人の掛け声を背に受けて接近する金人狼。

 それを迎え打つは、槍の刺突。

 親しい友人であっても、躊躇なく。確実に急所を貫かんとする高速の一刺。

 それは確かに恐ろしいが、しかし軌跡が点である以上、見切ってしまえば躱す手段はいくらでもある。

 正確無比に急所を貫きに来た槍の柄に手刀を打ち込み、わずかに軌道を逸らせばそれだけで踏み込む隙ができよう。

 

 ―――時間が巻き戻ったかのような奇蹟が目前に。

 

「迅いッ!?」

 

 弾かれた槍を、立て直すその動作。

 こちらが一歩踏み込むよりも先に繰り出された一撃は、最初の刺突よりさらに加速している。

 それもサイレント映画であるかのように、あまりに静かすぎる。一切の迷いの無駄のない、その集中力。

 “匂い”が限りなく希薄になり、感情を喪失させてることで、その技量は無我の境地に至るか。

 

「―――っ!」

 

 神懸った槍に戻りの隙などない。

 いや、そればかりか鋭さも威力も際限なく上がっていく槍突きは、空振りでさえもこの魔女が結界を敷く領域を侵犯する域に達している……!

 槍を突き出す動作が、その延長線上に『神格振動波』の結晶が吹き荒れて、地面と海を真っ二つに割いた。

 激しい地響きと水飛沫が人工浜辺を襲い、漆黒の天蓋にひび割れが生じる。

 

 人から更なる上位の存在に進化しようとする彼女に、人の定石など通用しないのは当然であったか。

 息もつかせぬ連撃を捌くことなど誰にできよう。

 金人狼はかろうじて後退しつつ弾き、結果として、両者の距離はわずかに開く。

 その間隙。

 離れた間合いをさらに助走とし、さらなる強撃を放つ―――!

 

Kyriiiiiiiiiii(キリイイイイイイイイイイ)―――!」

 

 喉より甲高い絶叫を迸らせて放つ嵐のような連撃は、槍を突き出す動作の繰り返しに過ぎない。

 だが、それも今や際立って、神域の技と昇華しつつある。

 もう十合。

 いや、実際にその数倍はいっているか。

 直線的な槍の豪雨は、なお勢いを増して金人狼を百殺せんと振り続ける。

 

「ぬぅっ!」

 

 苦悶の声を洩らす。

 先ほどは余裕ではないものの、通常時の剣巫の槍を捌くにさほどの労をかけなかった。

 しかし、この神懸る槍には駆け引きなど通用せず、瀑布のように圧倒する。

 もとより点に過ぎない槍の軌跡。

 それが、今では閃光と化しているのだ。

 迫り来る槍の穂先が獣の目をもってしても視認できるものではなくなった。

 得物を振るう腕の動き、その足捌きさえ、すでに不可視の領域に加速しつつある。

 

 そして、南宮クロウは三撃を受けるまで反撃すれば、制約を受ける。

 だが、このすべてが『過重神格振動波』の槍撃では、一撃その刃を掠らせただけで、魔の獣性が抑え込められることになる。そうなれば、もうこの次元ではついていけなくなるだろう。

 しかし、後退し続ける金人狼に、剣巫へ近寄る術はないのだ。

 

 攻撃こそ最大の防御と金人狼は何もさせられない。

 だがこの攻撃一極化に攻めているのは、向こうが『こちらは三撃まで反撃が誓約に許されない』ことを計算に組み込んでいるからこそ。

 

 

Kyriiiiiiiiiii(キリイイイイイイイイイイ)―――!」

 

 

 決定打を刺し込めないことに焦れたか、刺突を止め、振り払う構えを取る片翼の天使。

 長柄の利点は自由度の高い射程と間合い。更に閃光の刃を巨大として射程を伸長。

 身を引いて躱す、などという防御を許さぬ、長さに物を言わせた広範囲の薙ぎ払い。

 半端な後退では槍の間合いから逃れられず、かといって無造作に前に出れば、槍の長い柄の餌食になる。

 

 この槍の間合い―――旋風のように振り回される攻撃範囲に踏み込むのは難しい。

 だが、詰めなければ勝機は掴めない。

 

 

「ご主人ッ!」

「ちっ―――」

 

 

 空間衝撃の援護が放たれる。

 姫柊雪菜ではなく、己のサーヴァントである南宮クロウの背後に。

 強烈な後押しは、神懸った霊視の予測を上回る速さで金人狼をその懐に潜り込ませ―――暴走状態の彼女に左掌打を打ち込んだ。

 

「オレの目覚ましはきついから、歯を食いしばれ!」

 

 左の手の平に肉球型生体障壁を纏いて放ったのは、“気を呑む”一打。

 <四仙拳>の師父より学習した『二の打ち要らず』が、体内に浸透する人工神気を“喰らう”。

 

「―――ぁ」

 

 息を吹き返したように、感情を失くしていた雪菜の瞳に正気の光が戻る。

 自我が浮き上がるほどに神気の濃度が下がったからだろう。右腕より生える翼は剥がれて、普段の姿に戻っていた。人間離れした端整だった顔立ちも、年相応のあどけなさを取り戻している。

 そして、右腕から剥がされた片翼が、制御を失って暴走する―――

 そう思われた瞬間、

 

 

「―――疾く在れ、<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>!」

 

 

 飛来した巨大な二つの咢が、その余分な神気を欠片も残さず呑み込んだ。

 内と外と手に負えないほどの量があった神気が消失し、ついに雪菜の<神懸り>が完全に解かれて。

 ―――そこを狙い澄ましたように撃ち放たれた、不可視の衝撃波に揺さぶられて、彼女の意識を断ち切られた。

 

 

 そして、世界は夜が明ける。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 金属と樹脂を剥き出しにした岸壁。統一された規格による人工的な街並み。空は広く青い。見慣れた人工島の景色である。

 

 <魔女の騎行(ワイルドハント)>が解除され、<空隙の魔女>も『神格振動波』の結晶にて幻像を保てなくなったのか、この色の戻った白砂の浜辺にはいなかった。

 

 覚醒直後、無我夢中に眷獣を召喚して、回復してきた魔力もほとんど使い果たした半死半生。身体の状態も最低限動ける機能だけを残しての満身創痍だ。

 

 それでも。

 

 まだひとり、残っている。

 

「ク、ロウ……」

 

 目覚めたばかりで、状況を把握し切っていない。

 砂浜には倒れ伏した協力者の六刃と味方の剣巫が昏倒していて、そして古城が眠っていた間にも死闘を演じてボロボロの手負いの獣だけが目の前に立つ。

 

 

「……いつまでボケっと突っ立ているつもりだ」

 

 

 強い意思が篭められた声。

 主人がいない夜明けの世界で、その後輩――殺神兵器は、最後の障害として自分の前に立ちはだかった。

 利害も怨恨もない。危険な道を行く教え子/先輩を止める。そのためなら悪役でも買って出る。これまで相手してきたのはそんな主従だ。

 だから、暁古城はこれを避けては通れない。

 

 

殺神兵器(オレ)は、倒れてないぞ!

 後輩(オレ)は、認めてないぞ!

 眷獣(オレ)は、負けてないぞ!」

 

 

 クロウの筋肉に力が籠る。

 眷獣を喚び出せるほどの力もないが、向こうも獣化もできないほどに弱っている。

 自分たちにできることなどこの拳を相手に叩きつけることだけ。

 残されたのは技術も駆け引きもない、本能で生きる獣のように敵を叩き潰す殴り合いだ。

 

「来ないならこちらから行くぞ!」

 

 地を蹴り、一直線に敵は己を討ちに迫る。

 

「、は―――」

 

 こっちにはまだ歩けるほど足が回復してない。

 腰を落とし、正面から襲いくる敵の胸元を見据え、

 

「、らあああああ―――!」

 

 躱しようのないタイミングで、渾身の一撃を見舞わせる……!

 だが、白けるほどに単調な攻撃に過ぎないそれは身を沈めて躱され、突き出した右拳は宙を切って無防備に隙を曝したところを、逆に衝撃を胸元が穿った。

 

「ぐ、っ―――!?」

 

 瀕死の重体であるところに、致命打を受けた箇所に容赦なく。

 視界が真白に切り替わる。映像も意識も、白く。

 ―――しかし、追撃はなかった。

 

「……?」

 

 白みが抜けた視界に映ったのは、片膝を引き摺っている立ち姿。

 攻撃は避けられた。そもそもそんな足を狙ってなんかいない。

 これは、古城が倒れている間に負ったもの。霧葉と雪菜が彼に蓄積させてきたダメージ。それが今の上下の屈伸で響いたか。

 

「ハ■ア■ァ―――ッ!」

 

 噛み締める表情で古城を睨む眼光は衰えず。

 頽れた姿勢から猛獣のように地面に手を突き、鍛え抜かれた肉体は、一秒後の爆発に備えている。

 

 ここまでの展開に運べたのは、九分九厘彼女たちだ。古城ではない。

 万全ではないのは向こうも同じだとわかっていたが、これだけのいい条件(ハンデ)をもらっておいて、先にギブアップすることができるか……!

 

「は―――」

 

 目を背けず、火花じみた速度で真っ向から迫る敵を迎え入れた。

 地を擦る砂塵を撒く左アッパーが脇腹肋骨を打つ。腹に拳がめり込み、一瞬、古城を宙に押し上げた。

 だが、次は意識を飛ばさず、古城は咆えた。

 

「おおおオ、ォオオオ―――!!!

 

 拳を打ち込んだ直後の、後輩の顔面を我武者羅に殴りつける。

 しかし反射的にすぐ、

 

「っ―――、がは……!!!!!!」

 

 トんだ。

 カウンターを耐えて、強烈なのをぶち込まれた。

 

 くそったれ……!

 そう易々とサンドバックに甘んじるような奴じゃない。もうほとんど戦えない状態であろうが、獣の本能と人の術理はその芯まで浸透しているのだ。

 素人の破れかぶれの特攻なんて苦も無く捌いて反撃してくるなんてできて当然だ。

 

「ぎ―――。このお―――!」

 

 ああ、それがどうした……!

 

 これは、打ち合いだ。

 

 一方的な展開に運ぶわけがない。

 

 自分が認めた(オトコ)との“戦争(ケンカ)”で、死力を尽くさずにいられるか!

 

「クロウ、」

 

 死の予感と共に迫る影。

 ああ、これが殺神兵器。

 真祖(オレ)を殺し得る存在。

 そして、後輩。

 この上ない危機感が警報を鳴らす。言うことをきかない全くの死に体に、その“発破(こえ)”は、鞭を打って動かす。

 

「凪沙ちゃん―――暁凪沙を救うんじゃなかったのか暁古城!」

 

 ああ……!

 このまま終わってたまるか。

 こんな体では躱し切れない強敵の一撃。

 だったら。

 この一秒後にやってくる終わりを、全力で回避しようとするのを“諦める”。

 

 ―――打ち勝つ。

 避けず、真っ向から相打ち覚悟でこちらも全力で撃ち合いに臨む―――!

 

「お―――おお、オ―――オオオオオォ■■■■―――!!!!!!」

 

 敵の左拳を右腕のガードで受けて、そのまま体当たりでぶつかるように一撃を打ち込んだ。

 左で殴りつけ――相手の右腕のガードが上がらず――そのまま拳は顔面に通った。

 そして、止まらない。すぐに反撃が来る。だから、それよりも早くこちらが連打で押し切る!

 二撃。三撃。四撃。五撃。六撃。七撃。八撃。九撃―――! 殴って殴って殴りまくる……!

 

「は、はあ、あ、グ―――ゥォォォッッッッッ!!!!!!」

 

 この勝機を逃すな!

 千載一遇のこの好機にすべてをつぎ込め……!

 

 ただし、頑健な生体障壁に阻まれ、めり込みもしない。一撃が軽すぎるのだ。

 それでも、古城は連打を止めない。全身の魔力を絞り込み、その拳に、雷撃が、暴風が、重圧が―――これまで覚醒してきた眷獣の属性を発散させながら、ひたすら身体を動かし続ける。

 そして、ある一瞬に。

 生体衝撃を固めるクロウの身体から、赤い雫がひとつ、飛んだ。

 それは見る間に数を増し、ひらり、ひらりと宙に散る。

 <黒妖犬>の皮膚が破れ、肉が避け、傷がどんどん増えていく。

 血飛沫が舞い散る。あたかも花吹雪のように。

 しかし、古城の猛攻もそこまで

 水が涸れるように、古城の身体から、力が抜け、魔力の放出が止まった。

 徐々に動きが鈍り、そのまま突っ伏す古城。

 形勢逆転。

 クロウの反撃に今度こそ潰される―――かと思ったが、

 

「―――あ……」

 

 クロウは、動かない。真っ白に燃え尽きたように、仁王立ちのまま直立している。

 荒い息を吐く。全身、血だるま。だらりと垂れ下がったものは、破れた服か、それとも肌か。いずれにせよ、クロウは動くそぶりを見せない。

 

「―――」

 

 最後の障害は、海を見ていた。

 足元に倒れる古城ではない。

 この遥か遠い先にある本土のある――たった今目覚めた一人の少女のいる――方角を、ほとんど光の消えかかった眼で見ていた。

 その眼差しに、古城はこの後輩の裡を覗いたような気がした。

 

 

 オレの、負けだ―――

 

 

 そして、虚空から現れた鎖に引き上げられて姿を消す直前、掠れ声で、敵への勝利宣言を送った。

 

 ………

 ………

 ………

 

 やがて、時間をかけて起き上がった勝者は、一言、送る。

 

 

 ―――先に行ってるぞ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 絃神島最強の主従――最大の難関を突破した。

 古城がゆっくりと動ける程度に回復したところで、ちょうど気を失っていた雪菜と霧葉も目覚める。

 

「南宮先生とクロウ君はやっぱり手加減してくれていたんだと思います」

 

 開口一番、雪菜はそう言って無念そうに首を振る。

 古城は、彼女の髪についた砂をそっと払い落としてやりながら、

 

「まあ、こうして見逃してくれたってことは合格だってことなんじゃねーか」

 

「そうね。本家の見習いさんには随分と下駄を履かせてくれたんでしょうけど」

 

 ひとり立ち上がり、皮肉気に責める霧葉。

 暗に<神懸り>を暴走させてしまったことを詰られてか、雪菜は何も言わずに消沈して俯く。

 それを言うなら、一番最初に戦線から途中退場した古城も責任を感じるところだ。

 

 向こうは、本気ではなかった。

 戦闘中にも相手を叱咤してきた南宮那月はまだ余力を残していただろうし、クロウの方も最後まで『首輪』を外さず、<神獣化>に<守護龍(フラミー)>を使うことはなかった。

 言ってみれば、あれは本土に行くための試験であり、稽古をつけられていた。つまり、最初に言ったとおり、落第生たちへの追試である。

 

「と、とにかくだ。先を行こうぜ。また那月ちゃん以外に邪魔がしてくるヤツらがいないとは限らないんだし」

 

「……はい、もう二度とあのような失敗はしません!」

 

 落ち込んでばかりはいられない、と古城の言葉に勢い良く頷き、気合を入れ直した雪菜。

 霧葉もその様子に少し先達者らしくくすりと微笑を浮かべ、

 

 

「―――<空隙の魔女>も存外に甘いようですね。いえ……それが彼女の本質でしょうか」

 

 

 金箔と無数の宝石をちりばめた絢爛豪華な巫女衣装を身に纏い、ヴェールのような薄絹に顔を覆う、ひとりの女性。

 その登場に真っ先に気づいた霧葉は、恐怖に表情を歪ませる。

  そう、この自分たちとも、さほど変わらない年代の彼女は、三人の真祖が一目を置く超越者の一角。

 

「<静寂破り>……!」

 

 獅子王機関『三聖』がひとり、閑古詠。

 思い通りになる、存在しないはずの時間を、無理矢理挟むこむ―――『雑音(ペーパノイズ)』の使い手が、古城たちの敵として現れる。

 

 

「獅子王機関の総意として、御身をこの地に封じさせていただきます」

 

 

人工島東地区 空港

 

 

「―――さて、馬鹿犬。早速だが、お前に新年最初の仕事だ」

 

 

 治療という名目の(いじめ)を終えて、魔女は満足げに(かつ邪悪)に笑みを浮かべて言う。

 

「家出少女を連れ戻してこい、という依頼をお前名指しで頼まれた」

 

「うー……オレ、半日は絶対安静じゃなかったのかご主人」

 

 <神懸り>の暴走を止める際、<禁忌契約>を破り、超能力で拡張された嗅覚を含めた五感が麻痺―――耳は遠くなり、視界は白濁とした靄がかかり、温冷の刺激に鈍くなり、『嗅覚過適応(リーディング)』が働かなくなって、魔力霊力すらも練れなくなる。

 そして、妃崎霧葉の<神獣鏡>の呪詛で右腕を動かせず、満足に走れない、そんな致命傷に近いダメージを負わされており、最後の一撃の際にも姫柊雪菜の刃先を躱せず、『過重神格振動波』に獣化の力を封じられる。

 介添人(セコンド)が投げ込むタオル代わりに鎖を巻き付けさせて回収させたが、最後の最後の教え子との殴り合いはもうほとんどそれしかできなかったと言えるだろう。

 

 現在、南宮クロウは、ほぼ全身を主人お手製の――とてもよく傷口に染みる――魔女の軟膏を塗り込まれ、理論詰めで説教してくる後輩に一部の隙間なく包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 完全見た目ミイラ男になったわけだが、制約の都合上もあり、およそ半日は万全の活躍は無理な状態である。

 

「その家出少女は、お前が住み込みで警備機能を立て直したこの空港で大立ち回りをやってくれたみたいでな。有脚戦車に人造人形を連れていて、普通の警備隊では捕まらんだろう」

 

「すごく厄介なヤツっぽいなそいつ」

 

「ああ、そいつの名は、藍羽浅葱―――なんと、私の教え子だ」

 

「っ!」

 

 無視できないその少女の名に、ぴくんと耳を立てるクロウ。

 

「藍羽浅葱は、どこぞの追試赤点ギリギリ合格者とは違って、真っ当に手続きを踏んで本土へ行こうとしたようだがな……まあ、そこはお前の考えることではない。

 とにかく、本土に行ってしまった家出少女を連れ戻してくるのが、仕事だ。まあ、“本土のどこに行ったのかは皆目見当がつかない”が、“お前の『鼻』ならすぐに見つけ出せるだろう”」

 

 <電子の女帝>と呼ばれているその先輩は、確か、先ほど別れた古城先輩に、暁凪沙の写真を見つけ、そして、“暁凪沙とアヴローラの関わる本土の計画”について探り当てて、情報提供した―――その彼女が慌てて、本土に行こうとした。

 

「管理公社から特別にお前の本土行きの許可が出た。飛行機のチケットまでは取れなかったが、快く飛空艇で本土まで相乗りさせてくれる暇人がいた」

 

 後半、不快そうに鼻を鳴らして那月が目線で誘導した、窓の向こうに見える発着場に、一隻の装甲飛行船が停まっている。

 金属製の硬殻に覆われた船体の色は、氷河の煌めきにも似た白群青(ペールブルー)。安定翼に刻まれているのは、大剣を持つ戦乙女―――北欧アルディギア王家の紋章だ。

 

 そして、まだ視力が完全に回復していないから直感的なものであるものの、その装甲船の看板には、先日見かけた白装束(トーブ)を纏い、華やかな黄金の装飾品で全身を飾りたてる少年と、数百mの距離を置いて視線が合い、彼が不敵に笑むのが見えた。

 来るなら早く来い、と語りかけてくるようで、

 

「いい、のか……ご主人、オレが……行っても」

 

「ふん。一体何を訊いてるのだ馬鹿犬。逆だ。訊かれているのは、お前だ。私はお前に依頼された仕事を話しただけだ」

 

 そして両腕を組んだ小さな主人は、鼻で笑ってこう切り捨てた。同時に、最後の一歩を我慢してしまう子供の背中を優しくさする母親のように告げたのだ。

 

 

「受けるかどうかは、クロウ、“お前が好きなように決めろ”」

 

 

 クロウは、動けなかった。

 

「……いっぱい、迷惑かけるぞ」

 

「ああ」

 

「本当に、いっぱい、いっぱい、取り返しのつかないことになるかもしれないぞ」

 

「ああ」

 

 いつもの傲岸不遜な表情で、主人は言い切った。

 少年は息を吐いた。

 まるで、自分の体の中の空気を全部入れ替えてしまおうとするような、深呼吸みたいな溜息だった。胸の裡に溜め込まれ、鬱憤に淀んでいた空気を、一気に解き放ってしまったような気分だった。

 津波か何かに、色んなしがらみとかを根こそぎさらわれてしまった気分だった。

 もう、迷わない。クロウは、那月と視線を通わせ、しばらくそのまま見つめ合い……そして少年は短く言った。

 

「やる」

 

「わかった」

 

 まったくの動揺もない。胸を持ち上げるように組んだ腕を解くこともなければ、瞬きのひとつさえも。

 

「そうだ。ついでに、“もうひとりの家出少年”に餞別を渡してこい。冬休みの残りの補習をサボるつもりなのだろう? だから代わりに課題を用意してやったとな。提出期限は次の授業初日だと伝えておけ」

 

 何もない虚空から丸めたコピー用紙を那月はクロウに手渡す。

 その際、ポン、と頭に手を置き、

 

「他の誰でもない自分で行くと決めたんだ。だったら覚悟を決めて全部を守り通して見せろよ、クロウ。私の眷獣(サーヴァント)なら、それくらいできるだろう?」

 

 

 

「……そのような予感がしてましたので、すでに準備は整えてあります」

 

 那月が『特別収容所で起きた脱走事件』へと応援を依頼された、といなくなり、見送りがふたりきりになったところで、アスタルテがクロウに荷支度した手軽な旅行鞄を渡す。

 

「ありがとな、アスタルテ。オレがいない間、ご主人のサポート頼んだぞ」

 

「はい、留守はお任せください」

 

 頼もしい後輩にニカッとクロウは笑みを作り、そこでぐいっと―――ぎゅっとまだ旅行鞄を握るアスタルテに、足を止める。

 

「ミス夏音に言われましたことを、思い出しました」

 

 そっと手を離して、アスタルテはかぶりを振った。

 そして。

 

「―――先輩がいないと、私は寂しくなるそうです」

 

 クロウが、息をつめた。

 発着場の離陸の際に起こる常夏の薫風にメイドは藍髪を押さえる。

 桃色の唇を、微かにほころばせて、精一杯に浮かべてみせた。

 

「だから、早く帰ってきてください、と私はお願いします」

 

 時間さえも止めてしまうような―――アスタルテが湛えていたのはそんな、透明極まりない微笑であった。

 

 

 

 斯くして役者は向かう。

 破壊の爪痕だけを残して、<第四真祖>がクルーズ船に拾われ、海を渡って。

 主人からの後押し()を受けて、<黒妖犬>が飛空艇に乗って、空を行き。

 ふたりの殺神兵器が、『魔族特区』を離れて、本土に。

 だがそれは、新たなる騒乱の序章にすら至っていない。

 真の脅威は絃神島から遠く離れた本土の湖底に、今もまだ眠り続けているのだから。

 神をも殺すとされる『聖殲』の遺産が、今もまだ―――

 

 

 

つづく


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