ミックス・ブラッド   作:夜草

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冥王の花嫁Ⅳ

人工島東地区 港

 

 

 港外れの埠頭から見える一隻の船。

 まだ沖合にあるそれは、個人所有としては破格の規模の大型クルーザー―――船名<オシアナス・グレイブⅡ>。『戦王領域』の貴族アルデアル公ディミトリエ=ヴァトラーの拠点とする船だ。

 

 自分を救ってくれた彼に会いたい。

 血みどろの神殿で、絶望の中から救い出してくれた恩人。

 彼が現れなかったら、村の皆は全滅していて、間違いなく自分は殺されていたのだから。

 

 しかし、会いたくない、とも思ってしまう。

 彼に会ってしまえばすべてが終わる、そんな予感がするのだ。この短くも幸福だった夢のような平穏が、忘れていた過去に塗り替えられてしまうのではないかと……

 

 少しだけ、思い出してきたのだ。

 暮らしていた村。

 自分は攫われ、護ろうとした村人は殺された。

 森の奥にある壊れかけた神殿に連れて行かれて、自分を生贄にされようとしたところで―――

 

 

「そこまでだ、ジャガン卿」

 

 

 その声に、セレスタ=シアーテの“血塗れ”の恐怖が蘇る。

 セレスタの腕を引く、冷たい刃物を連想させる美しい顔立ちの少年。その前に立ちはだかる複数の人影。女が一人と男が二人。

 身長2mもの大柄な男、サングラスをかけたものと髭面のものを左右の侍らす、女性。

 モデルような身長とマネキンのような人工的な美貌。毛皮付きの豪華なコートを纏っているも、その下の硬質なまでに鍛え抜かれた肉体が隠されているのが素人目にもわかる。

 

「アンジェリカ=ハーミダ。『アメリカ連合国』陸軍の特殊部隊のお出ましか」

 

「名を憶えてもらって光栄だ吸血鬼。そして、協力を感謝しよう」

 

 双眸鋭くするジャガンに、アンジェリカは不敵に笑む。

 

「感謝、だと?」

 

「民間人の餓鬼の相手は気が重い。それに魔女の巣からセレスタ=シアーテを連れ出してくれたのはこちらの手間が大いに省けた。あとは『戦王領域』の貴族を始末するだけだから簡単な任務だ」

 

「ほざくな、下郎が!」

 

 アンジェリカの言葉に侮蔑の響きを感じ取ったジャガンの表情が怒りに歪む。そんな射殺さんばかりの視線を流し、アンジェリカは左腕を挙げてブイエ、マティスと呼び、部下に、『セレスタ=シアーテを確保しろ。私は、そこの吸血鬼を駆逐する』と命じる。それから左手を無造作に振り下ろす。

 瞬間、ジャガンに、目に映らない巨大な刃が襲う。

 気配を察したが、反応が遅れたジャガンには避け切れない。しかし不可視の斬撃が彼の身体を引き裂く直前、濃密な魔力によって実体化した鋼鉄の土人形(ゴーレム)がその間に現出する。その身を盾にしたゴーレムの鋼の身体が、アンジェリカの攻撃を弾いた。

 

「<崩撃の鋼王(アルラウト)>よ!」

 

 冷ややかに声を響かせるジャガン。突然の不意打ちにも、ジャガンの表情に変化はない。彼の目つきがわずかに鋭さを増しただけだ。

 

「それが、人工義体に魔具を融合させたご自慢の<魔義化歩兵(ソーサラスソルジャー)>の力か。だが、しょせん脳は人間のままなのだろう? <魔眼>よ!」

 

 ジャガンの真紅の瞳が、妖しい魔性の輝きを放つ。それは彼を『魔眼使い』と言わしめた、不可視の眷獣。目を合わせた生体の脳内に侵入し、その意識を支配する。

 だから視線を通わせた時点で、チェックメイト。

 特殊部隊の頭を支配されてもう終わり。

 そのはずだった。

 

「遅れているな。我々の技術はもっと先に進んでいる」

 

 振り下ろした左手―――それを合図に現れた二つの人影がなければ。

 

 

 直後。ザン!! と空を断ち切る音とともに、『血塗れ』の前に何かが立つ。

 

 

 <魔眼>と真っ向から睨み据えるそれは豹頭の獣人であったか。

 

「“魔族を材料にした新兵器”――<病猫鬼>」

 

 <病猫鬼>。

 それはかつて一国の皇帝が使えば子孫四代まで罰すると勅令を出すほどに怖れ、けして陽の目を見ることのない大陸系の禁呪だ。

 虫や獣をひとつの器の中に放り込んで煮詰めるように最後の一匹になるまで殺し合いをさせて“負”の想念を醸造させていく『蠱毒』。

 その中でも最も恐ろしいとされたのが“猫”を材料とするものだ。

 

「光栄に思えジャガン卿。こいつの試験者第一号は貴様だ」

 

「ちっ……人間どもが!」

 

 魔族を材料にする『アメリカ連合国』のやり方に、舌打ちをするジャガン。

 <魔眼>は生体の脳へ干渉して支配する。しかし、あの豹の獣人二体は生きているものに非ず。

 死体。不完全な吸血鬼である『僵屍鬼(キョンシー)』と同じ、死ぬことができずに彷徨う亡骸だ。脳は死んでおり、術者の命にしか従わない。

 人間たちが研鑽してきた技術。その中には道理を踏み外してきた外法がある。

 霊核を食わせていくことで高位の存在へと進化させる<模造天使>も『蠱毒』の儀式。

 高度な自己増殖機能を有する融合型の液体金属生命体<賢者の霊血>に意識を感染(ダウンロード)させるための『錬核(ハードコア)』。

 だが、これは人間から『天使』への昇華でも完全なる『神』の創造でもなく、純粋に兵器を造り出したもの。

 人工義体で改造することで魔具の使用条件をクリアするその考え。

 “村で殺害した同族の死骸を粒状にまで圧縮して固めた核”を食わせることで、『蠱毒』の条件をクリアさせ、<病猫鬼>に感染(ダウンロード)させる。

 

「『豹の戦士』の種族を苗床にしたのだ。腐っていても上位獣人種の潜在能力は人間よりも高い。油断していると貴様も“仲間入り”だぞ、吸血鬼」

 

 騙してはいない。

 この裏切者の若者たちは、『特殊部隊(ゼンフォース)』が戦力として買収したモノ。『アメリカ連合国』のために兵器と改造される『特殊部隊』の同士として迎え入れたのだ。

 

「そんな……っ!?」

 

 セレスタが思わず口元に手を当てて、瞠目する。

 <病猫鬼>の二人、そのただでさえ血の気の薄い青白い顔が、ますます白蝋の如く色を失くしている。息を吐くように開いたままの口から漂う闇色の霧のような魔力も相俟って、その姿は大陸における鬼―――つまりは死者の如く、あまりに精気が乏しかった。

 

 だが、その動きは生きていたときよりも数等早かった。

 港の桟橋で幅を利かせてとうせんぼうをする鋼のゴーレムに迫ると、両手より噴き出すように長大で歪に曲がった鉤爪が生える。肉体の一部でありながら、金属の鋭さと光沢をもったその爪は獣人の腕よりも長い。

 ぐん、と巨爪が振るわれる。

 凄絶なるサイズとそれに似合わぬスピードは、吸血鬼さえも反応できぬほどだった。振り回した余波で港の桟橋が割断され、眷獣の鋼の巨体を大きく抉り飛ばした。

 

「ふざけるなよ」

 

 ぽつり、と鋼の巨人を迂回して躱したもう一体、その眼前に火の粉が落ちた。

 小さな一粒の火の粉が、また一粒、さらに一粒と増えていき、次の瞬間―――爆発的に炎の矢が空から降り注いだ。

 罪深き街ソドムとゴモラを灼いた、天空の火。

 聖書にある大災厄の如き爆撃の雨が、押し迫る豹の獣人を駆逐し、そして特殊部隊をも巻き込んでいく。

 

「獣人の抜け殻になんぞ後れを取るつもりはない! <妖撃の暴王(イルリヒト)>よ!」

 

 頭上にあるのは閃光の化身の猛禽。摂氏数万度の炎熱の魔力。

 燃え盛る火の翼を持った巨体を、上空にすぐに召喚できる状態で待機させていた。『獣王』らに苦杯を舐めらされている炎の貴公子は容赦なく、眷獣を襲わせたのだ

 

「雑魚は消えろ」

 

 ぼた、ぼた、ぼた、と赤黒い何かが落ちる。

 腕だった。

 足だった。

 首だった。

 眷獣の爆裂に吹き飛ばされ、バラバラになった身体のパーツが転がる。

 ―――だが、それにアンジェリカが返すのは失笑。

 

「その程度では、<病猫鬼>は消えん。いや、何人にも消すことはできない。標的を撃滅するために必要な質と量を自動で生産する『不死』と『増殖』が、この兵器の仕様だ」

 

 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ!! と、泥を啜るような音ともに、それぞれの部分が不気味に脈動すると屹立して―――それぞれのパーツから逆再生した動画のように豹頭の獣人の身体――豹人の影が作り上がった。まったく同じ外観を持つ<病猫鬼>たちが、ジャガンらの周りを囲う。

 貴公子が介入する暇もないほどの、数瞬のことだった。

 

 祀る術者によって使役され、呪った相手に取り憑いては内腑を食い破り、その財産(すべて)を奪い尽くす猫の『蠱毒』<病猫鬼>の呪法だ。それも、虫獣ではなく魔族を、しかも魔族の中でも最上の生命力と感情を有する上位獣人種の『豹の戦士』を嬲り殺しにし、その怨念を呪詛の核としている。単なる『蠱毒』より制御が難しいが、こうして機械化改造技術を用いることで使役に成功し、極めて強力な、いや、“最強の蠱毒”として活用できるのである。

 『旧き世代』の眷獣が猛威を振るった分だけ、<病猫鬼>は数を増やし、物量で押し流す。この呪われた爪牙で斬り裂き押し流せるまで無尽蔵に増殖するのだ。

 

「貴様ら吸血鬼が、魔族の頂点でいられたのはその使い魔に頼る部分が大きい。本人が最強である必要はない。あの<空隙の魔女>も『獣王』を飼い育てたみたいだからな。私にはその時間が取れないので、改造し(つくっ)てみたんだよ」

 

 使役する術者たる『血塗れ』が笑う。

 笑いながら、指を鳴らした。

 

「食わず嫌いはするなよ、獲物は残さず喰らえ、<病猫鬼>」

 

 どっ、と破裂するような音がした。

 いや。

 実際に、破裂したのだ。

 豹人の肉体が、内側から弾け、そこから怒涛の如く尖骨が噴き出した。

 

「ちぃっ!」

 

 先ほど歪に鉤爪を伸長させたように、骨を伸ばす。己の身を破壊する自殺行為であっても構わず、そして、その弾けたパーツから『増殖』することだろう。

 長大した肋骨に咬みつかれるように捕まった炎の猛禽が、無数の骨に串刺しにされる。

 豹人たちの身体より皮膚を突き破って、噴水の如き量で全身の骨を生長させ、一気に針鼠と化した。それも、呪毒が纏わりつく骨槍衾は形のない炎の眷獣をも刺し貫いて、どくどくと脈動している。

 その脈動のひとつずつが、意思を持つ濃密な魔力の塊である眷獣にとってひどく根源的な部分を削っていることも、ジャガンは即座に理解できた。

 

「く……」

 

 焼いても潰しても増え続けて、こちらに死兵の如く迫る『蠱毒』の呪詛に、ジャガンが表情を引き攣らせる。

 魔族でも魔術師でもない兵士が、これだけの使い魔を用意しているのは想定を超えていたのだ。

 肉体を弄繰り回し、兵器に改造する忌まわしい邪法。

 ジャガンは力に神聖も邪悪もないと考えている。所詮どこまで言っても力は力であって正邪は結果によって決められるもの。それも各々が下す価値判断であって、そこに絶対的な正義も悪もない。それが彼の考えだった。

 しかし、貴公子は今、この宗旨に反して、『アメリカ連合国』の技術を邪悪なものと感じていた。ここまで魔族を、踏み躙っていいはずがない。元々、<魔義化歩兵>も気に喰わないものだったが、この<病猫鬼>は無条件の否定と拒絶を『旧き世代』に懐かせるものだった。

 これほどに怒りを覚えさせられるのは、そう、ない。

 

「喰われる前に訊いてやろう。ディミトリエ=ヴァトラーの部下よ、セレスタ=シアーテの身柄をこちらに引渡し、大人しく降参する気はあるか?」

 

「そんな理由はない。ただひとつたりとも」

 

 まだ、この吸血鬼の肉体は一度殺されて再生したばかりで、万全には程遠い。

 されど、どんな状態であろうと、相手が何であろうが、座して死を待つつもりはない。

 鋼の土人形が鉤爪に切り刻まれながらも、炎の猛禽が尖骨に磔にされようが、敵を薙ぎ払い、焼き払う。

 

「清々しい。そこまで忠ある者は、魔族と言えど、一兵士として尊敬に値しよう」

 

 それを、『血塗れ』は純粋に、本当に純粋に、讃えるように拍手を送る。

 しかし、と付け足した上で、

 

「それでも『不死』と『増殖』の物量は、全てを押し流す」

 

 十を、いいや百を。

 呼応するように桟橋を埋め尽くす使い魔の群を従え、『血塗れ』は小部隊の隊長から一軍の将へと切り替わる。

 必要なだけ必要な戦力を増強する。どれだけ眷獣を召喚したところで、膝を屈する定めは決まっているのだ。

 

「使い魔を不能にされた吸血鬼と言うのは翼をもがれたチキンのようにひどく狩り易い獲物だ」

 

 ―――ジャガンの隙を衝いて、十六の籠手が出現する。将棋で相手陣地に持ち駒を多数置いてしまうかのような、攻め手。<神託照準器>。『花嫁』の拉致を命じられた『血塗れ』の部下が、<病猫鬼>の陰に隠れながら機を窺っていた。無論、ジャガンはそれも警戒していたが、しかし『不死』と『増殖』の魔族素材の『蠱毒』は彼をしても手に余る―――

 

 

「<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>!」

 

 

 その瞬間、前触れもなく出現した巨大な稲妻が、眩い獅子の姿に変わったかと思うと、籠手の魔具を蹴散らして、セレスタ、そしてジャガンを救い出した。

 

 

 

「セレスタ―――!」

 

 息を切らしながらも、眷獣を喚び出したその人影。セレスタはそちらへ振り返り、固まった。

 

「なんで……」

 

 もしかしたら追ってくるんじゃないかと思っていたが、まさか本当に助けに来てくれたなんて。

 それに余程必死に自分を捜し回ってくれたことがわかる。ほんの少しだけそのことをうれしく思ってしまう自分がいることを、不本意ながら認めないわけにはいかなかった。しかし今はその感情に蓋をしてセレスタは、この闖入者――暁古城を睨む。

 

「なんできたのよ!? ストーカー!? あんたって本当に変態よね!?」

 

「うるせぇ! おまえこそどういうつもりだよ!? 一人で勝手にどっか行って、こんなピンチになってるじゃねーか!?」

 

 刺々しく叫ぶセレスタに、古城が怒鳴り返す。

 

「あ、あんたには関係ない事じゃない!」

 

「関係ないことあるか、馬鹿!」

 

「ば、馬鹿……!? 今、馬鹿って言った!?」

 

「俺は俺が助けたいからお前を助けに来たんだよ! いいから黙って助けられろ!」

 

「なにそれ!? わけわかんない!」

 

 吹っ切れた様子の古城の剣幕に気圧されながらも、セレスタは先に目を逸らしたら負けと睨みつける。それにやれやれと気怠く嘆息を洩らして、セレスタ以上に鋭く、屈辱に震えながら睨んでいる苛烈なる炎の貴公子へと目を向けた。

 

「暁古城、貴様!?」

 

「箱入り娘を押しつけてきたかと思ったら、今度は無断で拉致しやがって。文句があり過ぎて困るくらいだが、今は助けてやるよ、ジャガン」

 

「俺は貴様らに護衛を任すなど最初から納得がいってなかったのだ! むしろ貴様の助力など邪魔だ! そんなものがなくとも俺ひとりで……!」

 

「負け惜しみかよ、人攫いの口先男……」

 

 暁古城――新たな吸血鬼の登場。

 アンジェリカ=ハーミダは、首に埋め込んだ通信機に向かって、密やかに命じる。

 

『新手の吸血鬼だが、民間人の餓鬼だ。会話に気取られている今が好機だ。やれ、ポーランド―――!』

 

 『特殊部隊(ゼンフォース)』は、火力支援のため狙撃手一名を後方待機させている。

 眼前の『旧き世代』よりも、濃密な魔力。その宿主たる民間人の少年には、心当たりがある。世界最強の吸血鬼―――<第四真祖>。

 しかし、こちらには魔具の他に『不死』と『増殖』の特性を持った最強の蠱毒<病猫鬼>がある。

 それに、不滅の真祖を滅ぼすことはできなくとも、一時的に力を削ぐことができる。それを知っていたからこそ、『特殊部隊』は彼を敵に回すことを恐れず、民間人の餓鬼扱いをすることができた。狙撃によって彼の心臓を潰してしまえば、力は封じることはできる。

 この吸血鬼潰しはもう何度も任務でこなしており、もはや作業も同然だ。ポーランドならば、あの間抜けに突っ立っている吸血鬼の心臓をピンポイントで撃ち抜くことだろう。

 だが、魔弾の射手の心臓を撃ち抜く精密狙撃が、暁古城を仕留めることはなかった。

 

「テメェらのことはクロウから聞いてるよ。俺の後輩を狙撃してくれたようだな」

 

 古城の周囲に、光が生じた。それは美しくも巨大な宝石の壁だった。

 狙撃手が放った魔族殺しの弾丸は、白く透き通ったその壁に触れた瞬間、鏡映りする光景の向こうに吸い込まれるように消滅した。同時に宝石の壁も砕け散り、弾丸ほどの結晶へと変わると、数百mの弾道距離を逆戻りして、埠頭の先にある灯台―――そこに潜んでいた狙撃手を撃ち抜いた。

 不死の呪いの『報復』を司る大角羊――『一番目』の<神羊の金剛(メサルテイム・アダマス)>だ。

 <第四真祖>が従える眷獣――破壊的で傍迷惑な災厄の化身の中でも、“比較的”温厚な手段が取れ、守護に向いた絶対防御。

 後輩が撃たれたことを聞いた古城は狙撃されることを警戒して、あえて最初に自分だけが前に出て“カッとなって飛び出してきた民間人”という恰好の的役(おとり)を演じることで、どこから来るかわからない―――しかし、“来るタイミングはわかっていた”狙撃を誘った。そして、狙撃を撥ね返し、厄介な狙撃手を無力化することに成功したのだ。

 

「セレスタさん!」

 

 古城のすぐ隣に張り付いていた槍を持つ少女。

 その一瞬先を視る――霊視能力にて、狙撃の瞬間を古城に教えた姫柊雪菜。

 雷光の獅子が蹴散らして、また数を増やした<病猫鬼>の群に、獅子王機関の剣巫は破魔の銀槍を前に突き出し駆け抜ける。

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 『不死』と『増殖』の最強の蠱毒。

 それを薙ぎ払う一閃は、あらゆる魔性を消し去る清浄なる神気。単純なる破壊力では『旧き世代』の眷獣に劣っていても、蠱毒を祓う属性とその純度は、数段凌駕する脅威であった。

 不死の真祖をも殺し得る『神格振動波』は、<病猫鬼>の絶対の計算を崩し得る。

 実際、アンジェリカの顔も、『蠱毒』の天敵と認めざるを得ずに歪んだのだ。

 

「邪魔をするな、小娘!」

 

 アンジェリカが放つのは最初にジャガンに攻撃したものと同じ、不可視の斬撃。

 目に映らぬ巨大な刃を、雪菜は銀色の槍で受け止める。魔力で紡がれた『血塗れ』の刃は、魔力を無効化する『神格振動波』に触れた瞬間、霧散。されど、斬撃が生み出した運動エネルギーまでは消し切れず、防御した反動で雪菜はそのまま数m近く吹き飛ばされてしまう。

 どうにか着地し、すぐさま体勢を立て直した。でも銀槍を握った両手は痺れたまま。透過する相手は同級生との組手訓練で慣れているにしても、霊視をもってしても見切れなかった不可視の斬撃は驚異。しかもその威力は、単純な投げナイフなどの投擲武器とは桁違いだ。処刑人が振り下ろす、斬首の斧のような重々しい一撃だった。

 

「ほう……私の刃を防ぐか。民間人にしては、中々やる」

 

 雪菜に思考させる時間を与えず、アンジェリカは続けて斬撃を放つ。

 見えない攻撃を<雪霞狼>の結界で捌きながらも、反撃までは行かず、殺し切れなかった衝撃で、雪菜の軽い体が再び弾き飛ばされた。受け身こそとれていても、じわじわと全身にダメージが溜まっていく。

 雪菜の経験の中にこれとよく似た技を使う相手がいたが、その共通した雰囲気をもつ『轟嵐砕斧』と呼ばれていた攻撃よりも、『血塗れ』の左腕の斬撃は威力が格段に上だ。直撃すれば真祖の先輩でも危うい事だろう。

 

「姫柊っ!」

 

 真祖の牽制を任された籠手使いのマティスが指揮する<神託照準器>に邪魔をされて、思うように身動きができない古城。吸血鬼の動体視力を上回る速さで動き、人工義体の自動回避によって攻撃が避けられ、そして、隙を見せれば弾丸を全方位からいつでも放ってくるいやらしさ。高校生にはない、歴戦の兵士が身に着けた、敵を斃すのではなくその行動選択に制限が掛けるための戦術だ。それに、ここで眷獣を突撃させれば、雪菜をも巻き込みかねない、また、せっかく減らした『蠱毒』がより数と力を増しかねない。

 ジャガンも<病猫鬼>の相手で手一杯だ。

 

「ブイエ、やれ!」

 

 もうひとりの特殊部隊の兵士、サングラスの男がこれまでの戦闘ぶりから雪菜に剣巫の霊視能力を持っていると理解して、小型のサブマシンガンを向けた。

 一瞬の先を視る相手には、狙撃で不意打ちを狙うよりも、先読みできても避け切れない弾幕を浴びせるのが効果的な戦法だ。『神格振動波』の結界も、魔力によらない実弾は防げず、たった一発でも当たれば、人間の巫女には致命傷となりうるのだから―――そこで予期せぬ行動に出たものがいた。

 

「待って!」

 

 セレスタが大きく弾かれた雪菜の下へ駆けつけて、彼女を護るように両腕を広げた。彼女に直撃することを恐れて、ブイエはサブマシンガンを構えたまま動きを止めた。

 

「やめて! あなたたちの目的は私なんでしょ!? だったら―――」

 

「セレスタ! 戻れ!」

「ダメです、セレスタさん!」

 

 傷つくのも構わず古城が籠手の包囲網を強引に押し破る。同時に雪菜もセレスタの前に飛び出そうとした。

 瞬間―――

 

 

「防護モード。執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先>」

 

 

 人工生命体を背負う銀人狼、というような増援二人組が空から降って参上した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――着地をする直前、吼える銀人狼。

 大気を震わせ、衝撃が走り抜ける。

 

 古来、犬の咆哮には魔を祓う力があるという。

 

 銀人狼の咆哮には指向性を帯びた『神格振動波』が含まれている。その神気に打たれ、<病猫鬼>の群がラグが走ったように像が揺らいで、退く。

 そうして、空いたスペース――セレスタ=シアーテと『特殊部隊(ゼンフォース)』の間に割って入った。

 

「クロウ! ……それにアスタルテも!」

 

 背中にぴったりと言うかべったりと蒼銀の法被(コート)の下に潜り込んで密着して――いわゆる“二人羽織”で張り付いているメイドに驚きつつも、増援に古城に余裕が生まれる。

 それとは反対に、『特殊部隊』には焦燥が生まれた。

 

「<黒妖犬(ヘルハウンド)>、またしても……!」

 

 サングラスの男ブイエはサブマシンガンの引き金を引く。

 ずば抜けた身体能力の情報から推測して、相手は銃弾程度見て躱せてしまえるだろうが、避けようとすれば、背後の剣巫の少女へ当たる位置だ。

 硬い音が鳴った。

 人狼の肌に、弾丸が弾かれた音だった。

 その身に纏うは、生体障壁。しかし、今のそれは虹色に揺らいでいた。

 

「アスタルテ、忍法花吹雪の術なのだ!」

 

「批評。アドリブを要求された上に具体的な指示とはとてもいえるようなものではありませんが、しかしながらわかりやすい先輩らしいセンスの技名です。減点5にしておきます」

 

「うぅ~、何か気が抜けるから、ダメ出しは後にしてほしいぞ」

 

「ならばシリアスな対応を心掛けてください―――付与せよ(エンチャント)、<薔薇の指先>」

 

 言いながら、霞んで見えてしまうほどの迅さで縦横に手を動かす人狼の腕。

 放たれるのは、霊弓術。だが、いつもの棒手裏剣と尖った形状ではなく、薄く、丸みがある、花弁のようで、それも虹色に煌めく。

 それも花弁は、最短距離(ストレート)ではなく、色付けされた影響か直進だけでなく横にスライドしたり、上に上がって落ちたり、大きく斜めに曲がって見せたりと七色の変化を魅せる。それぞれが異なる軌跡を描き、<魔義化歩兵>の逃げ場を抉り取る。必中ではなく、三次元的に標的を追い詰める変化をつけた投法。けれど、人工義体の自動回避機能が反射的に変化を見切った機動を見せ―――直撃した。

 

「なっ!?」

 

 花弁が、他の花弁にぶつかり―――ベクトル軌道が変わり、さらに加速/減速したのだ。まるでスーパーボール同士が当たったかのように。<魔義化歩兵>の軌道予測の計算結果を覆す。三次元的に追い詰めるではない、タイミングまで不規則に狂った四次元的な制圧だった。ライフル弾程度の攻撃には余裕で耐える<魔義化歩兵>であるが、花弁の威力はその兵士たちを怯ませるだけの威力はあって、それよりも『神格振動波』を帯びている霊弓術は、銃火器とは違い、不浄な『蠱毒』にも決定的なダメージを与える。

 その場から一歩も動かず只管に花弁を放つだけのワンパターンな攻めだが、着実に『特殊部隊』の戦力を削り取っていく。

 

「ちっ、ふざけた真似を!」

 

 アンジェリカが不快気に唇を震わせた。

 これ以上の戦闘は無益。そう判断した『血塗れ』は、即座に戦術目標を修正した。

 敵の殲滅及び目標の奪取から一時撤退へと。

 

「撤退だ。ブイエ、マティス。<病猫鬼>を“封呪解除(シールパージ)”する」

 

 部下たちにそう命じて、アンジェリカ=ハーミダが跳躍する。

 機械化した肉体の身体能力にものをいわせて、港外れにある倉庫の屋根へ着地して、すぐ彼女の姿は見えなくなった。彼女たちの部下もすぐ撤退を始める。

 そして―――

 

「これって、まさか―――!?」

 

 ッッッボン!!!!!! と言う轟音が炸裂した。

 <病猫鬼>の足元が溶け出したように広がり、全方位へ漆黒の闇が舐めた。港の桟橋、だけに留まらず海にまではみ出しては瞬時に呑みこみ、己がテリトリーへと変貌する。ざわざわ、がさがさ。まるで海そのものが不快な陰口をたたくように不自然な波を起こして蠢き始める。

 真っ黒な波飛沫を上げて、脈動する世界の中、豹人の影、“そのすべてが巨大化を始める”。

 上位獣人に許された、<神獣化>。

 

 <病猫鬼>は、危ういからこそ、制限が掛けられていた。

 その肉体はプラナリアのように別れたところから復元して、内側から突き破るほどに骨が伸長してはそれを攻撃に転用することができているが、『不死』と『増殖』の特性は“過剰すぎて”、どれくらいまで制御できるかわからないのだ。

 特性が暴走した挙句は、存在の維持ですら難しくなり、最悪は術者に牙を剥く可能性がある。制御不能というのは、兵器として失格。だから、増強される“量”と“質”の内、“量”に枷はしないが、“質”は、御せると判断していた獣化形態にまで成長を抑え込んでいた―――封を今、外した。

 

 百もの神獣が暴れる。想像するだに恐ろしい地獄の如き光景が、ここに現出しようとしている。

 

「―――いや、こいつらは脆い。オレと姫柊で攻撃すれば、膨らみ過ぎた風船みたいに簡単に割れるのだ」

 

 銀人狼がセレスタを庇う剣巫の横に立つ。

 しゅう、と呼吸を整える。

 独特のリズムに変じた呼吸と共に、銀人狼が一段大きくなったかのように見えた。

 

「古城君、こいつらを外へ出さないように囲ってくれ」

 

 いつもの能天気な口調と打って変わった、静かな声だった。

 言いながら、ゆっくりと腰を落とす、

 ありとあらゆるベクトルを、己の中で飼い馴らす。

 アスタルテの人工眷獣から『香纏い』する『神格振動波』をより研ぎ澄まされる。

 

 目指すべきは、あの“黒ずむほどに”圧縮して固められた生体障壁のよう。

 “匂い”を纏った巨人の影を、銀人狼のサイズにまで圧縮して固めて―――<薔薇の指先>を己の生体障壁へと練り込ませる。

 やがて不安定な虹色に輝いていた生体障壁が、色を変えて、安定した白金色(プラチナ)に成り変わる。剣巫が振るう<雪霞狼>の『神格振動波』と同等の純度にまで神気を濃密。

 

「<神羊の金剛>!」

 

 クロウの意図を察して、<病猫鬼>が流出しないよう、宝石の障壁で囲う。それを見て、

 

 

「姫柊、フォーメーション雪月花なのだ」

 

 

「はい?」

 

 ……銀人狼の発言に背負わされている人工生命体は、大きく零した嘆息をその耳の内に吹きかけた。犬的にふぅっと耳をやられるとぴくぴくっとくすぐったさに条件反応で身が震えてしまい、折角、薄皮一枚にまで絞った硬気功が乱れた。

 

「アスタルテいきなり何をするのだ!?」

 

 抗議してくる人狼を無視し、ぽかんと唖然させて、あれ? そういう取り決めをした覚えはないような……と真剣に考え込んでしまっている雪菜へアスタルテは謝辞を述べる。

 

「先輩の代わりに謝罪します。ミス雪菜、大変に申し訳ございません。別に緊張を解そうとかいう意図は皆無で―――ご在知の通り、これが素なのです、残念ながら」

 

「やっぱりそうですよね。いえ、やりたいことはなんとなく伝わったんですけど」

 

「重ねて謝罪」

 

 先輩が間違えたら後輩が正す、という権利と言うよりもはや義務として、真面目なアスタルテ。

 後輩が自分だけに辛口な気がする、と人狼は先輩の威厳の行方についての悩みを抱えて唸る。

 こうして間にも、影たちの<神獣化>は続いており、ついに3mにまで達しようとしている。

 

「ねぇ、あなたたち、どうしてそんなに落ち着いていられるのよ!?」

 

 たまらずセレスタが叫んだ。

 頽れているジャガンは苛立たしげに睨みつけていて、古城も同情するように嘆息して、アスタルテが淡々とした口調で昨日来たばかりの少女へ教える。

 

「質問解答。それは、この程度の危機が“日常茶飯事”だからです」

 

 そして、急ぎ改めて『神格振動波』を薄皮一枚にまで練り絞って展開したクロウは、雪菜の祝詞に耳を傾けて、呼吸を合わせる。

 

 狼の獣王と狼を獣祖とする異邦の宗派の生贄にされた巫女。

 その力の親和性は―――この上ない相乗効果を生むほどに相性がいい。

 

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る。破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 

 『神格振動波』同士の共鳴。そして、『七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)(プラス)』に古代の宝槍とともに核に埋め込まれた“牙”が、銀人狼と共振。

 限度など知らず留まることなく高まる力は、粉雪を舞い降らすよう、花弁を舞い上げるよう、神気の結晶を場に散らして、闇に塗られた空間を漂白。やがてはその刃と爪へ『過重神格振動波』を纏わす。

 そうして、白い軌跡が唸り、黒い病原を断ち切る。始まった銀槍と銀人狼の無双乱舞に、砂時計がすべて落ちる頃には、“神獣の影”の百人斬りを達成していた。

 

 

 

 港に停泊した船舶デッキより、拍手が響く。

 

 

「おみごとだよ、僕の“恋敵(ライバル)たち”。いつ出番が来てもいいように張り切ってたんだけど、助けに出る幕がなかったネ」

 

 

回想 混沌界域

 

 

 その日、その時、一羽の“鳥”はまさに死にかけていた。

 実際、朽ち果てた地方都市の残骸、その往来で仰向けのままであれば、“鳥”は日射に炙られて干からび、いずれその生涯は幕を下ろしたことだろう。

 ただ太陽だけを仰ぐ。生命を育み、そして今、己の命を奪おうとする元凶を、睨む。

 指一本も動かせないのに、目玉とか鼻とか肌とかの感覚がとろけて消えていく、その寸前に、陰がかかったのだ。

 

 いや、これは新たな太陽が現れたというべきか。

 

『ほう……これほどの逸材がこんなところに転がっていたとは。太陽を射殺さんばかりに目を離さぬ姿勢は実に面白い』

 

 渇き切って黄色く霞む視界に、突然ひょっこりと顔を覗かせたのは、妙に人懐こい笑みを浮かべた一人の少女だった。朦朧とする意識の中でその少女の朗らかな声だけが遠く、しかしはっきりと響く。

 

『ここで果てるのが貴様の望みとあらば無理強いはせんが、このまま骸にするのも忍びない。どうじゃ、(ワタシ)のものにならぬか?』

 

 “鳥”はそれに応えようとしたが、声を出すことはおろか呻き声を発することさえできない。ひび割れた嘴がほんの微かに震えるだけだ。

 

『よいよい。ただその(まなこ)を見せるがいい。それだけで貴様の心中は知れる』

 

 少女の声はあくまで穏やかで、超然としていた。

 そして“鳥”はただ強く目に力を篭める。

 

 ―――生きたい。

 

 その途端、“鳥”の目からなけなしの涙が一筋零れ落ちた。

 

『よかろう、ならば貴様は今より余のものだ』

 

 少女はそう言ってにやりと笑うと、天を覆い隠す暗雲を喚び出して、“鳥”へ慈雨を降らす。

 

『余の望むことはひとつ。強くなれ。強く、強く、強く、そして、いつか余の心臓を抉り抜くほど強くなって……余を満足させよ』

 

 程よい雨水の冷たさを全身で感じながら少女の言葉を聞き届けて、“鳥”の意識はぷつりと途切れた。

 

 

 

 災厄と破壊をもたらす邪神<冥き神王(ザザラマギウ)>。

 その正体は、実体を持たないエネルギーの塊で、この極東の『魔族特区』やとうの昔に滅んだとされる『シアーテ』のような“龍脈の要”に生まれるもの。

 龍脈の力は、都市を繁栄に導くといわれているが、過剰な力というものは、時として災厄を招く。その龍脈という強大なエネルギーが地形の問題で流れ出すことなく“瘤”のように蓄積される。

 これをそのまま破裂させてしまえば、はたしてどうなるか? 実例を挙げるとすれば、一夜にして海に滅んだとされる大西洋の王国(アトランティス)。たかが外れた力は暴走し、栄えた文明を滅ぼしてしまう。

 その大災厄を防ぐために、古代中米の都市国家『シアーテ』を統べていた、獣人神官の末裔――世界で最も旧い獣人種族のひとつが、龍脈のエネルギーを実体化させる魔術装置を組み込んだ神殿を築き、龍脈の力を制御する儀式を取り仕切ってきた。

 吸血鬼の眷獣と同じ。濃密な魔力はそれ自体が意思をもって実体化して、宿主の命に従う。つまり、制御されるのだ。

 獣人神官たちは、邪神の召喚を望まない。役目は邪神の封印。熱帯雨林の奥地で、千年以上、誰に知られることも讃えられることもなく、荒ぶる神を鎮めてきた。

 かつては神の使いと崇拝された獣人―――しかしそれを地に堕とした賊がいる。

 

 『アメリカ連合国』、敵国の人間兵。『混沌界域』の内乱に関与し、反乱軍に武器や資金を与え、民衆を扇動し―――

 

 

『『鷲の戦士長』が、反乱軍のリーダーだ。『黒死皇派』と同じ、『混沌界域』を獣人至上主義で支配するつもりだ』

 

 

 ―――『獣王』に嫌疑をかけた。

 

 『アメリカ連合国』がどれほど裏工作に長けようとも、皇女(ブライド)がいる。きっと愛すべき国民に血を流させる事態となれば、皇女は混乱をより大いなる混沌で呑み込んで、賊を一人残らず全滅させてしまうことだろう。

 しかし、かつて数百万人を虐殺した邪神<冥き神王>を、吸血鬼の真祖への対抗手段として、戦争の道具に使われてしまったのならば?

 第三真祖は古の邪神になど、負けはしない。大災厄が相手であろうが、皇女は天災そのものの破壊力を備えた27体もの眷獣を操る。だが、その強大な災厄同士がぶつかれば、余波だけでも国に大打撃を与えることだろう。

 そうなれば、国民を愛する皇女はお悲しみなる。

 国政はすでに評議会に任せてしまっている皇女であるも、他の二真祖とは違い、市街に出ては、民と語り合うお方だ。そのような事態には断じてさせてはならない。

 

 そのために、<冥き神王>に見初められた『花嫁』――セレスタ=シアーテを処刑する。

 孵化の時を待ち侘びている邪神の『卵』を『花嫁』は抱いている。『アメリカ連合国』はそれを狙っている。

 そして、横槍を入れてきた『戦王領域』のアルデアル公が、『アメリカ連合国』の殲滅に集中するために、龍脈から切り離されると『花嫁』と共に自己崩壊する『卵』を、『花嫁』を仮死状態にすることで、極東の『魔族特区』へと避難させた。

 戦闘狂(バトルマニア)の行いは結果として、『混沌界域』内の賊を殲滅することに繋がり、こちらとしても好都合な展開となった。

 

 だから、あとは<冥き神王>の降臨を阻止するために、『花嫁』を処刑する。

 

 邪神の依代であるセレスタ=シアーテを狙う『アメリカ連合国』のような輩がまた出ないとは限らない。そして、『花嫁』が生き続ける限り、いつか必ず『卵』は孵る。何年先か、何十年先か不明だが、龍脈の破壊的なエネルギーを限界まで溜め込んで破裂する。

 しかし、今ならばまだ“『花嫁』を殺す”ことで、蓄積された神気を龍脈へと還すことができる。

 獣人神官が邪神を長い眠りにつかせてきた方法は、『花嫁』の生贄だ。

 “過去の記憶を奪い”、『卵』という“邪神の素体”を受け入れる依代として純粋培養で獣人神官は歴代の『花嫁』たちを育て上げて、偽りの幸せだけを思い出に抱かせて―――殺す。

 異世界――高次空間に存在する『卵』には手は出せないが、『花嫁』ごと殺してしまえば、殻が割れてしまうように『卵』の中身は限界にまで溜め込まれる前に放出させることができる。

 その際に、『卵』の中の神気が溢れ出してしまうだろうが、世界への影響も、精々大規模な火山噴火程度で済み、またここは海上に浮かぶ人工島だ。『混沌界域』が滅ぶことも被害を受けることもない。処刑場には好都合な場所だ。

 

 『花嫁』も、このまま放置したとしても『卵』が孵って<冥き神王>が出現すればその衝撃に耐えきれずに消滅する、それ以前にどれほど優秀な霊能力者であろうと神を受け入れるほどの器は持ちえないので、肉体よりも先に精神が崩壊する。

 どのみち死ぬ定めであるのならば、自我を保っている今のうちに『花嫁』を殺してやるのが慈悲だろう。幸福な幻術(ユメ)もかけてやることができる。

 獣人神官は、今はもう部族として壊滅し、裏切り者まで出る始末、もはや邪神封印の儀を任せることはできない。

 故に“処刑人”が代行し、大災厄の封印をもってして、己が潔白であることを証明する。

 

 

人工島東地区 港

 

 

『やあ、古城。期待通りセレスタを護ってくれたようだね。流石は僕の愛した“吸血鬼(ヒト)”だ』

 

 ディミトリエ=ヴァトラーの帰還。

 アンジェリカ=ハーミダの襲撃を退かせた後に堂々と現れた黒幕に、巻き込まれた<第四真祖>古城は説明を要求した。すると、ヴァトラーは自身が所有するクルーズ船<オシアナス・グレイブⅡ>へと場所を変えようと提案する。戦闘の痕で損壊した桟橋は不安定なことこの上なくて、長話を聞くには不適切な場所であった。

 それにアンジェリカ=ハーミダに狙われているセレスタにとって、恩人の拠点でもある<オシアナス・グレイブⅡ>は、絃神島で最も安全な場所であるはずだ。『波朧院フェスタ』にて、『竜殺し(ゲオルギウス)』の魔導犯罪者と死闘を繰り広げてデッキの一部が破壊されていたはずだが、もうすでに補習は終えており、より絢爛な装いとなっている。それに『真祖に最も近い』と言われ、誰もその評に異を唱えない『戦王領域』の<蛇遣い>の拠点だ。いかにアメリカ連合国陸軍特殊部隊であっても迂闊に攻め入ることはできない。

 して、彼に憧れを抱いていたセレスタはというと、装いとか髪とかが乱れてるのを気にしたり顔を真っ赤にするほど恥ずかしがったりと前に出ることができず、古城を壁にして隠れながらも尊顔を窺う……と突然の登場に心の準備が間に合わなかったようである。

 

 そして、逃してしまった『特殊部隊(ゼンフォース)』。

 『アメリカ連合国』の情報部が絃神島に有する、民間企業に偽装した拠点は昨日のうちに粗方場所を特定してあり、主人の<空隙の魔女>が率いる特区警備隊(アイランドガード)が潰しているはずだ。

 これでもう彼女たちは長続きはしないが、任務を果たせぬまま絃神島を離れることはないだろう。

 また、太陽はもうすぐ頭上に昇る……

 

 

 

「そろそろだな」

 

 ―――逃げた『特殊部隊』を追う。

 クロウとアスタルテは、特区警備隊を指揮する主人教官のサポートとしてこの行動を選択し、セレスタについていくのは、暁古城と姫柊雪菜に任せた。

 でも、アンジェリカ=ハーミダの“匂い”を辿って、『特殊部隊』を追い掛けずに、彼らは港の大きな桟橋の上にいた。

 

 ヴァトラーの部下の誰かが、人払いの展開をしているせいか、それともアンジェリカたちが、事前に通信を妨害するなどの対策をしていたのか、あれだけ派手な戦闘が行われたにもかかわらず、特区警備隊が埠頭に駆けつけてくる気配はなくて、ふたりきり。

 

「戦力確認。あちらは真祖の眷獣を有し、そして、それは昼の刻に最大限の力を発揮するものと?」

 

「自己申告だけどな。夜中でも古城君をぶった切って回復にしばらく時間がかかったくらいだったぞ」

 

 結果としては、あれは引き分けであったのだろうが、<第四真祖>と結託しても仕留めきれなかった。それも切り札を温存されたまま。

 戦闘力、武技術、経験値の三つすべてが、こちらの上を言っているだろう。あれは戦士としての心技体の完成形のひとつに至っている。

 

「敗色濃厚ですね。どうもありがとうございました。先輩との月日は短い付き合いでしたが、

その分、経験値的にはかなり濃密なものだったと思われます。加点と減点のアップダウンの変動は特に」

 

 背負っていて見えないが、おそらくまだ見ぬあの世でも夢想するかのように目を閉じているだろう。

 遺言のような愚痴をこぼすとは何とも悲観的と言うか、

 

「うー、勝手に敗北を決めつけないでほしいぞ。ちゃんと勝てる要因はあるんだぞ」

 

「説明要求。その勝てる要因とやらを教えてください」

 

 そうだなぁ、としばし考えて、

 

「うん。オレの方が足は速いみたいだぞ」

 

「逃げ足が速いのはいいことです」

 

「ぐぬっ。じゃあ、オレの方が探し物が得意なのだ」

 

「でしたら、すぐ必勝策を見つけ出してくださいませんか」

 

「……なら、オレの方が必殺技名がセンスある。フォリりんのお墨付きなんだぞ。恰好よく叫ぶと気合が入るのだ」

 

「……………吃驚。添削を入れ過ぎて朱墨塗れな頓珍漢な発言に、そこまで自信があったとは思いませんでした。こちらは毎回気が抜けてしまうのですが」

 

 言の葉により、見事な三段突きである。背中より心にズバズバと刺さる刃に、クロウは消沈して肩を落とす。

 

「こういうときって、後輩は先輩をよいしょして励ましたり応援したりするものじゃないのか?」

 

「現在、先輩への対応は模索中ですが、全肯定するより、否定を入れた方が先輩のためになると判断しています。これが私なりの先輩への発破(エール)です」

 

 調子に乗らないように戒めるスタイルを確立したようだけど、こちらの言を否定するのをひょっとして楽しんでないかこの後輩。

 

「アスタルテはオレのこと嫌いなのか?」

 

「…………………………否定」

 

 溜めが長いのがクロウは不安になる。

 背中を任せた。なのに、こう背中を押すのではなく、(けつ)を蹴ってくるような対応を不満に思うのは、贅沢なのか。

 しかし、その後輩からすれば、こうして逃げずに密着している態度から察してほしいと文句を言いたいところである。

 

「きたな」

 

 呟いた直後だった。

 ざざざ……と、港周囲の木々が揺れるような音が聞こえた。

 いいや、厳密には違う。

 地下鉄のトンネルの中を列車が通るとき、駅のホームに人工的な風が発生することがあるだろう。あれと同じだ。あまりにも巨大な運動エネルギーが近づいているため、周囲の景色そのものが揺さぶられているのだ。

 ざざざザザザザザざざざざざざざざざザザ!! と。

 巨大な気配に応じるように、メイドを背負う銀人狼は気息を整えた。

 

「アスタルテ、お願いだから最後にちょっと励ましの言葉をくれ」

 

「―――ご武運を。先輩の勝利を信じております」

 

 相変わらずの無感動な口調だけれど、不確定な情報を口にして応じてくれたのがクロウは物珍しくて、つい眉が上がって、微かに笑う。

 だが、後輩への返答を考える時間は残されてなかった。

 莫大な気配の正体が。

 人狼と同じ『獣王』が、容赦なく襲撃にやってくる。

 

(遠距離からの、攻撃か……ッ!?)

 

 第一射。

 それは、狙撃というよりももはや砲撃に近かった。

 ドッゴォ!! という轟音が炸裂する。

 人工生命体の反応速度では間に合わぬ距離に、小さな点として『死』が迫りつつあった。もはやどう動こうが、迫りくる音速越えの羽矢を避ける術などなかった。

 彼女には、だが。

 

「―――ふん!」

 

 左腕が霞んだかと思うと、振り抜かれた人狼の爪拳に必殺となるはずだった一撃を直前で宙に四散させた。

 だが、衝撃波で波飛沫が立ち、突風が二人羽檻の法被の裾を煽る。相殺しきってもなお揺さぶってくる、並大抵の破壊力ではなかった。

 

 ゴッ!! と、

 巨大な砲弾矢(バリスタ)が、再びクロウたちの元へ突っ込んでくる。

 しかし、クロウの目は慣れていた。

 最初の一発目を凌いだことによって、相手がどの方角から砲弾矢を放ってくるか、大まかな情報は入手できた。速度についても同じ。そして、それらの事前情報があれば、意識を集中させることで、飛んでくる砲弾矢に対応することができる。

 獣人としての腕力と動体視力があれば、向かってくる砲弾矢を弾くことすら不可能ではない。あるいは反撃に転じるなり身を隠すなりのアクションをとれたかもしれない。

 ……いや、むしろ二射目は前よりもだいぶ遅―――

 

「―――ッ!?」

 

 一気に爪を振るう直前で、ビクリとクロウの身体が硬直した。

 そう。

 その時、銀人狼の二つの眼球は知覚した。

 飛んでくる砲弾矢が一射目とは違うのが。

 

 

 それは、人間。つい先ほど三者別々のルートで逃亡した、ブイエと呼ばれ、『特殊部隊(ゼンフォース)』の<魔義化歩兵>であるサングラスの大男だ。

 

 

 両手足を折られ、片目を潰され、脇腹を青黒く変色させた男の体。気功でコーティングされ、背筋をまっすぐに伸ばして固められた格好で飛んでくる砲弾矢は、正真正銘の人体だった。

 破壊などできるわけがない。

 かろうじて腕の動きを静止させ、手首を返し手の平を向けて、肉球型の生体障壁を展開したクロウだったが。

 

「ぐゥゥぬううううううっ!!」

 

 受け止めた。

 がバヂッ!! とクロウの身体を大きく後退させ、もろに受けた肋骨がミシミシと嫌な音が響く。骨肉を鋼製の部品と入れ替え機械化された大男は、見た目以上の重量がある。重量×速度=破壊力。その破壊力に、一切の加減はなく、咄嗟に張った生体障壁をも突き破ったほど。足の爪を立てた桟橋が剥がれ、勢いに押されてそのまま港から海へと落ちかけたが、寸前で止めた。

 そして、クロウがその方角へ睨み、

 

「まずは自分の心配をしたらどうだ」

 

 声が、すぐ前から聞こえた。

 今度は砲弾矢は飛んでこなかった。

 代わりに、その爆発的な飛行力を使い、襲撃者本人が物凄い速度でクロウの元へと突っ込んできた。かろうじて音速を超えていなかったのは、けして襲撃者の力量不足なのではなく、余計な衝撃波を発生させることで、敵に判断材料を与えないように工夫した結果なのだろう。

 『鷲の戦士長』。

 夜の死闘で、相手のキャパシティは、こちらよりも上だと判明した。

 されど。

 一撃で倒されてしまうほどの戦力の差が開いているわけではない。

 先日の邂逅と同じく、両者の手刀が交錯した。

 ガッキィィイイイイイイッッッ!! という甲高い音が炸裂する。

 クロウの爪剣はクアウテモクの翼腕を正確に叩いた。戦士長の翼腕の軌道が横向きの円だったのを、下から上へ突き上げ翼の側面を叩き飛ばしたからだろう。どちらの腕も破壊されることはなく、火花と共に大きく弾かれる。

 まるで小規模の爆発だった。

 戦士長は飛空のベクトルを相殺されて押し下がり、海へと吹き飛ばされた銀人狼は背後に停泊していた船体を壁蹴りして桟橋に着地する。

 両者間の距離は、数m。その程度は彼らにとって目と鼻の先だ。

 一挙動で必中し、一動作で必殺する間合いである。

 わずかな油断どころか、息を吸って吐くタイミングの一つで死を導く状況で、それでも戦士長の面相に揺れはなかった。一方で、若い人狼の方はカッと沸騰している。

 

「偶々獲物の一匹を見つけたので、再戦の挨拶代わりにと趣向を凝らして投げつけてやったが、貴様には刺激が強すぎたか」

 

「オマエの遊びは度が過ぎてるッ!」

 

 サングラスの大男の身体を適当なヨットの船体へと放りながら吼える人狼。それに鳥人はさして気に留めていないような調子で、逆にクロウの態度を注意した。

 

「戦士であるのなら、敵を同じ人間(もの)と思うな。それは罪もない者を何百と殺した。たとえ死んだところで問題はあるまい」

 

「この……っ!」

 

 唸り、牙を剥く。

 そして、その首に巻かれる腕に、力が籠められ、

 

「先輩」

 

 と、一定調子の声が耳元で囁かれた。

 アスタルテであった。

 

「否定。違います、先輩」

 

「アスタルテ?」

 

「いつものあなたであれば、あの程度で押し負けるはずがありません。その強さは、常の先輩であってこそ発揮するものだと私は思っています……落ち着いてください」

 

 どこか切なげに、アスタルテが訴える。

 それにクロウは無意識のうちに強張っていた肩の力が抜けてくれた。

 対し、今度は戦士長が双眸を鋭く、不快気に細める。

 

「背中に乗せている人形を退けろ。それくらいならば、剣を抜くのを待ってやろう。また、決闘を邪魔されるのは御免だからな」

 

 この場一帯を圧し潰してしまうよう知らしめる獣王の存在感。刺々しい緊迫感が充ち満ちる。常在戦場。自然体ですでに臨戦態勢の戦士長が布く緊張感は見えない壁のように、資格なき弱者の立ち入りを拒んでいた。魔獣の魔力障壁のように本当に壁が形成されているわけではないのだが、ただそこに君臨するだけで、人工生命体という矮小な存在など容易く消し飛ばしてしまうのではないかと言う、本能的な恐怖に身を強張らせる―――

 いや。

 ここに、アスタルテの前には、自身が信じる獣王の背中がある。

 

「何を言ってるのか、わからないな」

 

 あっけからんとクロウは不敵な笑みを湛えて、

 

「なに?」

 

「ひょっとしてオマエの目は節穴か。お人形によく似てる見た目だけど、オレの背中にいるのは、アスタルテ、っていう名前の、後輩なのだ」

 

 一言ずつ噛むようにクロウが言うとアスタルテが『肯定』と頷く。

 

 “壊す”覚悟を、今改めて確認される。

 相手を倒そうとするなら、自分のみならず、自分の大切なものを壊されるかもしれないという覚悟―――そして、それを覚悟しなければ、大切なものを守れもしないという矛盾。

 その矛盾を、受け入れる。

 

 人狼と鳥人、二体の『獣王』がそれぞれに強い感情(におい)の篭った視線を合わせ、ぶつけ、通わせる。

 

「で、オマエ、第三真祖の婆さんから(チカラ)を借りてるみたいだから、オレもアスタルテに背中を預ける胴輪(ハーネス)になってもらった。

 ―――これで、オマエととことんやり合えるぞ」

 

「……この、期に、及んで、私を、侮辱するかァァアア―――アアアアアアッッ!!!」

 

 絶叫と共に熱風が吹き荒れ、あたりの地形が変形して、海水が蒸発する。

 

「そのような人形と皇女から賜った力を一緒にするな!! 力なき弱者が、戦場にあること自体が間違っているというのに、それを理解していないのか貴様!!」

 

 戦士であることに絶対の誇りを持ち、そうではない弱者には戦場に立つ資格はないと断じる。

 

「すべてを凌駕する強き戦士こそが価値がある。皇女も、絶対なる強者として、『混沌界域』に君臨しているのだ。弱肉強食、強さこそが絶対だ」

 

「それはどうかな。第三真祖の婆さんは他を侮ったりはしなかったぞ。いくら強くても、相手を見下して侮るような奴は、足元を掬われるのがオチなのだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「戯言を。万死に値するな、イヌ」

 

「戯言かどうか試してみろ、カラス」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「<黒曜翼(マクアフィテル)>!」

 

 人狼へ、横殴りに流れる漆黒の刃。

 人狼の身体も、それに応じた。

 <疑似聖剣>を発動させた黄金の爪剣で食い止める。

 しかし、

 

「おおおおおっ!」

 

 鳥人の翼撃は、一撃ではなかった。

 ただの一撃で人狼を葬ろうと思うほど、鳥人は浅はかではなかった。

 

 

 黒翼刃、六連。

 

 

 間断さえおかぬ、音無しの連撃。

 かろうじて煌く聖拳を纏う両手で受けても、もはや衝撃は殺せなかった。人狼の身体が地面と平行に吹き飛ぶ。途中、姿勢を無理やりに直して、地面に四肢をついて―――見た。

 (うえ)に向けられた視界の先、自らの吹き飛ばした人狼の実力のほどを残酷に、冷静に見定めるふたつの瞳。

 

「―――『獣王』ならば、この程度で沈んでくれるなよ」

 

 人狼を見下ろし、低く嗤った。

 

「<投矢羽(アトラトル)>!」

 

 黒ずむほどの濃密な獣気を風切羽に纏わせ撃ち放つ無数の矢。

 一本一本が真空の渦を巻く矢羽の雨が、人狼目がけて降り注いだ。

 雨霰と降り注ぐ暴威の竜巻。

 ぼっ、と血煙が噴いた。

 生体障壁などまるで紙切れの如く抉り穿ち、しかし、その一撃は人狼の命脈を断つには浅かった。

 天と地の両者の間に割り込んだ、傘となった虹色の翼のためだった。

 

「―――自衛権を発動。“手出し”させてもらいました」

 

 ふぅ、と一息吐くクロウ。

 『まずはひとりでやる。目が慣れるまでは自衛だけに集中』、『アスタルテの出番は眷獣(けん)を出してから。それまで手出し無用』、と二点、事前に言い含めてあった。

 しかしながら、後半のは戦略性のない単純な“後出しの意地”と見破っている後輩は、“後ろに引っ張る”権利を行使したのだろう。

 

「意見。私は“お荷物(ハンデ)”ではないはずですが?」

 

 この二人羽織の状態で、ずば抜けた脚力による高速機動を“遠慮をしていた”のを、暗に指摘されて、しっかりと管理把握されている“胴輪”に人狼は苦笑を零す。

 

「何でもお見通しだな、アスタルテ」

 

「否定。“何でも”ではありません。先輩の、ことだからです」

 

「むぅ。そんなにわかりやすいのかオレ」

 

「……肯定」

 

 一矢破軍の豪雨が、再び撃ち放たれる。

 人狼は、自然に足を進めた。

 

「―――動くぞ。大船に乗ったつもりでいるのだ」

「泥舟であっても構いません。どうかご存分に私を引っ張ってくださいませ」

 

 華奢な少女を背負っているからか、移動に変化をもたらす。

 いつもの身体能力任せの、残像を残すほどの急発進急加速(チェンジ・オブ・ペース)ではない、丁寧に心掛ける。負担がかからないよう生体障壁で二人羽織ごと覆っているにしても、なるべく動かないように、いや、もっと最小限の見切りと動きで済ませる。

 長生種(エルフ)の師家様が見せてくれた妖精の舞(フェアリー・ダンス)のような緩急自在な歩法を、雑にだが真似ることはできていた。

 そこに無意識の改革―――力があるからこそどうしても力に頼りがちであった少年が、その無駄を作ってしまう癖を矯正する、技と昇華させるに足りなかったピースが埋まり始める。

 

「なに―――!?」

 

 瞬間、空からの制圧射撃を己の制空圏内で不自然に避けた。

 それは、身を()()()、ような行雲流水の歩法。これまでのように思い切り踏み切り足元を爆発させるような加速もなく、降ってくる雨水に濡れないよう、全弾を回避した。その非合理な機動に戦士長の矢羽も対象を見失い、射撃は桟橋の残骸を木端にして吹き飛ばすにとどまったか。

 されど、それで足場はなくなり、人狼は海へ落ちることになる―――はずなのだが、海面に着地した。正確に言うのならば、小石ほど海上に顔を出す残骸に爪先立ちして、だが。人一人を背負っているとは思えないそのバランス感覚は、完璧な制御を誇るバランサーが内蔵されているかのように、人狼の姿勢が良かった。

 そして、スケートのターンのごとく、海上の移動は滑らかな半円を描いた。

 

(動きが、変わっただと……?)

 

 外れた――躱された矢が海に水柱を次々と突き上げていく。

 そう、当たらない。

 絶えず空中から矢羽を放ち続ける最中、人狼は昂ることなく――まるで、常に一定調子の人工生命体の静かな情動に息を合わせてるよう――表情はかわらない。

 死線を踏んでなお不敵に笑い、ますます優美に舞い踊る様に近づいていく。たったひとつ対処を間違えれば、たちまち黄泉路を辿るというのに、一動作の度に洗練――滑らかになっていく身のこなしに曇りひとつとてない。むしろ、ますます磨きかかっていると言ってもいい。

 これが、皇女と蛇遣いが絶賛する逸材か。

 一目で、これは強いとわかる。それも先天的な資質から手軽に手に入れた強さだけではなく、訓練し、経験を重ね、強固な意志を積み重ねた強さを持っていた。何かを失うことで得たものでも単純な才能による強さでもないそれは、途中で折れるということを知らない。

 それでも、己の方が長い年月を訓練し、多くの戦場を経験し、絶対の意思を持っていると自負している―――

 ちら、と視線が合った。

 鼻を一度スンと鳴らして、人狼の動きが変じた。

 いっそ緩やかな円の動きから、鋭い剃刀の如き直線へ。

 

「―――ッ!?」

 

 身をのべる。

 しかし、これまでのはまだ“試運転”だったのだと、“一瞬標的を鷹の目から見失った”鳥人は思い知った。

 矢羽の弾幕を突き抜ける。もはや純粋な体技による瞬間移動に等しいそれ。時空をねじまげたごとき錯覚と共に、人狼がこれまで力を練り上げて弾数を溜めていた腕を霞む速さで振るわれた。

 

「アスタルテ、忍法花吹雪の術―――」

「―――了解。付与せよ(エンチャント)、<薔薇の指先>」

 

 幻術を常時展開する『鷲の戦士長』

 『嗅覚過適応』で、“その位置は”把握できる。

 しかし、逆に相手も人狼の超能力を把握しているのだ。

 周囲に光の点滅を起こして、視線の焦点を誘導する、

 幻像をダブらせた位置に描き気配が乱視のように朧と化す、

 逆風を起こし敵の刃や弾の勢いを後押しし制御を乱す、

 一つ一つがもたらす“ズレ”は小さくとも、その積み重ねが、急所が狙わせないだけの誤差へと広がっていく。

 あの昨夜の戦いで、“匂い”で位置を気取っても、当てた攻撃が半分以上も通らなかったのはそれが要因であった。

 

 ―――ならば、その幻惑(まやかし)を破る。

 

 『特殊部隊』を壊滅させた百花乱舞の霊弓術。

 複雑なる軌道と変速する機動で四次元に攻め立てる花弁の嵐が、鳥人を呑み込み―――幻術を食い千切った。

 

「―――っ!」

 

 守りを固めていた幻想の帳が剥がされ、クアウテモクが呻く。

 

 <薔薇の指先>は、『神格振動波』の属性を持つが、その神気の純度は<雪霞狼>には及ばず、完全な魔力の打消しではなく、『反射』。そして、『神格振動波』は互いに『共鳴』して力を増幅させる。その性質を霊弓術に組み込んで放ったのが今の遠距離攻撃であり、そしてそれがあらゆる魔術に干渉して、魔族の脅威である『神格振動波』を帯びている、

 致命傷にならぬとはいえ、『反射』と『共鳴』による四次元的で予測不能(ランダム)な弾幕は目で追うことはできず戦士長の集中を削ぎ、飛行姿勢を崩して余裕を削り落とす。

 

「一気に決める。手数を増やす―――」

「―――充填完了(トリガー・オフ)変形せよ(トランスフォーム)、<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>」

 

 共鳴(シンクロ)する掛け声。

 瞬間、その姿が消失する。

 もはや身をのべた―――と考える時間も与えず、鷹の目の死角たるその背後へと跳び越えて、人狼の背より千手観音の如く無数の手が飛び出した。

 生体障壁にて、薄皮一枚にまで圧縮することができたからこそ可能な、巨人の腕の変形応用。

 

 

「壬生の秘拳仏陀叩(ぶっだた)き!」

 

 

 ―――刹那。

    掌底の壁が、鳥人の全身を包んだ。

 

 

 そうとしか思えぬ、手数を極めた超高速の連打が全弾直撃にしたのだ。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの苛烈な滅多打ち。空の王者は海へ叩き落とされる。

 

「―――抜いてきたな」

 

 桟橋の残骸に着地する人狼が、墜落した衝撃に高々と昇る水柱を見据え―――それが内側から爆散した。

 噴き上がったのは海面を一気に蒸発させる爆炎流。その鞘より処刑人が引き抜く。

 

 

「藉す、<シウテクトリ>―――我が手に<シアコアトル>を!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <シアコアトル>。

 火の蛇のような、伸長変化する機構により、剣としての剛性と、鞭の柔軟性を備えた得物。

 斬るものを全て爆炎で灼き尽くす、豪火の『意思を持つ武器』

 

 海面が、沸騰して泡立つ。

 喉がひどく渇き、湿潤の大気が乾く。

 絃神島の水が、静かに、少しずつ消えていっているのだ。

 

 爆炎流の熱量をすべて刃筋に集中させる。太陽が頂に近づき、眷獣の力は最高潮へ達しており、その威力は、ただ触れただけで跡形もなく消し飛ばすほどに高まっている。

 だからこそ、昼の刻に剣を抜くほどに追い詰められたとは思わなかった。

 

(……読み違えたか)

 

 人狼を侮っていたわけではない。昨夜に戦闘して手合わせした手応えから、いずれは己と同じほどの『獣王』としての実力を身につけたことだろう。しかしだ。成長すると見ていたが、たった一晩でこれほど練度が上がっているものとは思わなかった。

 戦術性の増した霊弓術といい、生体障壁の濃縮した練り上げ方といい、はっきり言って見違えた。そう、己の技を見倣ったのだ。異常なまでの学習能力(ラーニング)としか思えないが、それしか急成長の要因が思い当たらない。認めがたいが、あの爪は今やあと少し伸ばしさえすれば己に届きうるところまで来ている。

 一度の殺し合いで、ここまで化けるなんて……

 いや、“代理戦争”を持ちかけた<蛇遣い>は、これも狙っていたのか。己の戦闘スタイルが、『混血』に適合するものと見て、戦わせ、学ばせた。

 将来、“自身の命を奪えるほど”に成長する見込みのある有望な“敵”を育てるために―――

 

(ふざけるな! 私の魂も、骨肉も、翼も、術も、一挙手一投足、そしてこの命さえも、女皇(ブライド)のために存在しているのだ。“踏み台”になんぞなってたまるものか!)

 

 そう易々と追いつかれてたまるか。それも人形(ハンデ)なんて背負っている青二才に。

 いずれにせよ―――剣を抜いた以上、敗北は許されない。

 

 

 

「弱肉強食―――ここで喰らうのは貴様ではなく、私だ」

 

 炎だ。

 これまで感じたどれよりも高い、太陽のような熱量……

 生体障壁を張っていなければここにいるだけで灰となりそうな、そして、このままでは絃神島が燃え尽きてしまいそうな、魔力の圧。

 強大で濃密な力は、真祖の眷獣と証明するに足るもの。

 そして、やはり似ている。

 これまで戦闘した第三真祖系列の血族であるT種が召喚した<蛇紅羅(ジャグラ)>や<ロサ・ゾンビメイカー>は、伸縮自在で自動追尾する鞭状の『意思を持つ武器』だったが、その例にもれず、あの<シアコアトル>も蛇腹剣(むち)状の得物。

 一太刀でももらえば致命傷。一太刀も浴びずに、回避し切って戦士長を倒すのはほぼ不可能だ。

 

「弱肉強食、か……」

 

 過酷な生存競争を強いられる厳しい自然と共存(くら)してきたからこそ、クロウに世界が弱肉強食であるのは至極当然のことだ。弱ければ食われて強ければ生き残る。

 でも、その自然から離れ、都会に移ろった時、世界と言うのはひとつではなく、無数にあるものだということをクロウは悟った。

 

「オマエ、電化製品を扱えるか。ちなみにオレはすっごく苦手だ」

 

 不思議と凪いだ気持ちで告白するよう、クロウは口を開いた。

 

「でも、電脳世界ってところじゃ、浅葱先輩にかなうものなんかいない。絶対王者なのだ。キーボードも満足に触れないオレじゃ逆立ちしたって勝てない、勝負にすらならない」

 

「貴様、何を……」

 

「古城君は世界最強の吸血鬼って呼ばれてるけど、実は泳げないのだ。バスケは強いんだけどなー、何でだろ?」

 

 訝しむ戦士長に、ふわ、と笑みを作る人狼は自慢するよう、

 

「機械音痴でも代打ちしてもらえば携帯を壊さないし、浮き輪があればかなづちでもとりあえず海に浮ける。

 ―――未熟者(オレ)でも頼れる相棒(アスタルテ)がいるなら、完成された戦士(オマエ)に届いた」

 

 心と体を切り離せて戦闘できるほど、クロウの精神は完成されていない。三つ子の魂百まで。殺戮兵器として創られ育てられたからか、“自身の身命に対する優先順位が低い”ところにある。

 それでも心身を支えてくれるものがあれば変わるのだと。

 『己が破れれば後輩も危ういという』この二人羽織の体勢は、彼なりの“背水の陣”の意思表示(あらわれ)であったか。

 

「アスタルテのことを弱者と言い、人形と言う、そんなひとつしか見えないオマエは強いかもしれないけど、やっぱり世界(しや)が狭い。オレよりずっと完成されていても、オレがなりたい『獣王(みほん)』じゃない。だから、負ける気はしない」

 

 七つの霊的中枢(チャクラ)を開門。

 『混血』潜在能力を解放する。固く閉じている蕾が満開の花を咲かせたかのような、銀から金色の昇華。

 <神獣人化>の金人狼が仄かに纏うのは、防御系魔術の最高峰たる聖護結界――<疑似聖楯(スヴァリン・システム)>の青白い光。

 そこに加えて混ざり合う、<薔薇の指先>の純度を高めた『神格振動波』の金色の光。

 <模造天使(エンジェルフォウ)>と関わり深い『神格振動波』と北欧の聖剣聖楯システムは極めて親和性が高く、合わさり、その生体障壁は、白金(プラチナ)と化す。

 

「ほう……」

 

 鳥人は、その一心同体の白金の輝きにわずかに目を細める。

 すべての物理攻撃を無効化する聖護結界と、すべての魔力攻撃を浄化する神格振動波。融合したその防御性に、絶対と付けても過言ではないだろう。

 避けるという選択肢を捨てて守りを固めてきたか。

 潔いというか、よくも思い上がったというべきか。

 

「それが貴様の全てか。いいだろう」

 

 ギチリ、と蛇腹剣を握る『鷲の戦士長』の手に力が籠る。

 思考も行動も殺意と憤怒に塗り固められているというのに、本能ともいうべき部分が、冷静にこの会話のやりとりの間も相手の隙を窺っている。言うなれば、そう、静かに、キレている。

 

「我が手にあるのは、太陽。何人にも<シアコアトル>を阻めるものなどありはしない。血肉も、心も、魂魄も髄さえ残さず灼き滅ぼそう!」

 

「やってみろ」

 

 戦いと言うのは、最後まで平常心を崩さなかったものが勝つ。

 

 完成された孤高か、それともまだ補助を要する未完成な青二才。

 どちらの爪が、敵に届きうるか。

 

 ―――――

 

 そのまま、時間を二人は待った。

 二人の間で、世界が消えていくかにも思われた。

 異能でなくとも、魂を直接鑢に掛けるかのような対峙であった。一瞬ずつ互いに生と死が交錯し、ありとあらゆる可能性が削ぎ落とされていった。すうと体軸を傾けさすたった数角度の合間に、何十と言う攻撃と防御のイマジネーションが生まれては消えていった。

 煮え滾る海が、それでも残骸の桟橋に波打って、雫を飛ばした。

 それが地面に落ちるまでの、まさに刹那。

 二人は同時に動いた。

 

「<シアコアトル>!」

 

 ぞん、と空気が裂けた。

 鳥人が振るう一撃爆散の蛇腹剣が、大蛇と化して見切れぬ変則軌道の斬線を見舞いする。

 人狼の体が、自然と横へ流れた。

 半身になり、すれすれに海面を滑空し、うねる剣先から逃げる。

 続けて追い迫る灼刃が、下段から人狼の顎元を狙う。

 それも、首を動かして紙一重で避ける。

 

 そして―――その姿が、水壁に隠される。

 

 『嗅覚過適応』の『匂付け(マーキング)』を用いた畳返し。

 足で思いきり海面を蹴り上げて、天高く巻き上げた水の防壁―――しかし、その程度、薄紙にしかなりはしない。

 

「この程度が盾になると思うな!」

 

 水壁は、蛇腹剣が触れた瞬間に蒸発した。水が物凄い勢いで蒸発し、爆風のようになって吹き荒れた。

 もうもうと水蒸気が立ちこめ―――姿を消す。

 姿を自然と一体化する園境に、装束の透明化。それで、『意思を持つ武器』の自動追尾を免れたか―――否。

 

「姿を隠そうが、見えている!」

 

 蒸発した白煙で色付けされたよう、視覚化された空気の流れで、標的の動きを察知。盾にもならない水壁を起こしたのは悪手であった。

 

(殺った―――!)

 

 対して、人狼は囁いた。

 

「殺ったぞ」

 

 飛翔した鳥人―――その頭上から太陽を背にして迫る白い影。

 寸前、戦士長が振り仰いだのは、研ぎ澄まされた直感の賜物だったろう。

 

「みみーーーっ!!!」

 

 美しい青のグラデーションの四対の翼。輝かしい金の頭髪。全身を包む柔らかな白い獣毛。

 『鷲の戦士長』との戦いを見据えて、戦闘前、いや、この桟橋に来る前から“上空でずっと待機していた隠し札の正体は、<守護獣(フラミー)>”。

 天空より突撃する翼をもつ獣龍は、爪にも牙にも攻撃性は絶無と言っていい。

 ただし、その身を砲弾とし、大気圏外から音速を超える速度で一気に急滑降し、流星の如く突撃する、単純な位置エネルギーを加算させた体当たりの威力。

 

(これが、狙いか―――!)

 

 食らえば戦闘不能。受けても大きなダメージを負う。敗北は、免れない。

 ―――ならば、その龍母を消し飛ばす。

 

「はァッ!!!」

 

 攻撃を中断。蛇腹剣を引き寄せ、その弾性の勢い(ベクトル)を殺すことなく手首の返しだけで刃先を真上へ飛ばす。

 <トルコ石の蛇(シアコアトル)>と<翼をもつ獣龍(フラミー)>の激突。

 とぐろを巻くように螺旋で迫る灼刃に、龍母は捕まり、骨身残さず霧散―――せず、弾いた。

 

「な……っ!」

 

 爪や牙と言った自らの攻撃性をも拒絶してしまうその特性。

 夜闇を照らす火や発展した技術と言った叡智を教授し、より良い文明をこの地に広めた文化英雄。中南米にて文化英雄に該当するは、『羽毛のある蛇(ククルカン)』―――

 ならば、それは叡智によってもたらされた文明を拒絶する特異点たる神獣魔獣。

 人類最初の殺人の罪咎であり、武器を否定する呪い。

 <守護獣>の武器殺しの特性は『意思を持つ武器』にも適用される。

 第三真祖の眷獣が通じなかった、という絶対的な心柱を大きく揺さぶってくる驚愕にクアウテモクの精神が絶え、ただ事実のみを漠然と理解し―――心と切り離されても身体は反射的に身に纏う黒曜の生体障壁を厚くした。

 

 激突。

 空が吼え、地が震えんばかりの衝撃。それに撥ね飛ばされた鳥人は、激しく廻って……海上の残骸に膝をつく。

 

 耐えきった。

 ぎりぎりで龍母の突撃を鳥人は片翼を犠牲にすることで受け流してみせた。妖刀魔剣の如き翼腕が、骨芯まで砕かれている。しかし、蛇腹剣を持つ腕は守り切った。そして、今のダメージに心身が未だ揺れる最中に、その声は響いた。

 

 

「―――契約印を解放する!」

 

 

 人狼は攻撃の手を緩めない。

 龍母の一撃で終わると判断していない。

 当然だ。

 敵を斃すまで、獣王の死合いは終わりではない!

 

「―――はァァァァァッ!!!!」

 

 闘気が噴き上がる叫びは、相手と、そして不甲斐ない己への激怒であったか。

 その一振りの速力は、初手の比ではなかった。

 濛々と立ちこめる水蒸気の白煙で、完全なる獣と化すそのシルエットを捉え、視認と同時に灼刃を襲い掛からせる。

 二重の防御も灼き斬って見せよう。一瞬後の青二才は、嵐の前の濡れた紙切れと同じく、無残に八つ裂きになるだろう。

 しかし、

 

 

「―――獣祖(ビースト)モード。限界突破(リミテッド・オーバー)、<薔薇の猟犬(ロドダクテユロス・アルタ)>」

 

 

 咢に、火蛇の頭たる白刃を噛み取られた。

 白霞が晴れるとそこにいたのは、人工生命体の宿主に鎧われる白い人工眷獣。

 しかしその形状は、巨人ではなく、巨狼――完全なる獣。薄皮一枚にまで圧縮できるからこそ、瓜二つの形状(シルエット)変化が可能となった。

 熱や衝撃の物理衝撃に対する聖護結界と完全なる魔性を祓う神格振動と二重の守護に覆われた<薔薇の猟犬>。

 

 そして、刃の切れ味が、火の温度が、削ぎ落とされていた<シアコアトル>。

 

 武器殺しの特性は、龍母の肌は斬られることに絶対の耐性を持つだけでなく、“肌に斬っ(ふれ)たその刃さえも溶かし切る”というもの。

 真祖の眷獣であるからこそ、それはまだ武器(けん)という形質を保っている。しかし、一、二段階、力が弱体化――最大限に発揮する昼の刻から、夜の刻にまで威力が下がっていた。

 それならば、耐えられる。そして、今の鳥人は片腕しか使えない。

 まるで綱引きするよう、両者は蛇腹剣を引き合い、拮抗する。

 

「人形なんぞに、皇女の剣を……!」

 

「否定。私は人形ではありません―――そして、先輩の勝ちです」

 

 意識の改革は動きにだけでなく、考えも変えた。

 レベルが上がった―――と言う以前に、戦い方から異なっていた。

 あくまで正面から対峙しようとする傾向が多かったが、今の彼は相手の行動を見極め、戦闘の展開を見通し、予め用意した策に嵌めるかのように動いている。その精度たるや、文句のつけようのない、完璧な布陣であった。

 ある意味、これが彼の狩りの本領だろうか。

 事前に仕込んでいた龍母の奇襲の為、まずはこちらで注意を引き、それで仕留めきれぬと見込んで二段階先の展開まで有利に運べるよう、水壁から姿形を朧とする白霧を立ちこめらせ、アスタルテの人工眷獣に『匂付け』して仕立てた影武者と誤認させる確率を高め、フェイクの詠唱まで入れてみせる。

 そうして、この状況に運んでみせた。

 剣を押さえられ、両腕が使えず、空にも飛べない。完全な無防備。

 ―――その機を逃さず、“胴輪(ハーネス)”から離れ、海中より潜行するその影が、戦士長の真下から飛び出した。

 

 

「―――地べた(ここ)はオマエの縄張りじゃない。だから、威張るな空の王者」

 

 

 弱肉強食。

 絶対であり覆すことのできない(ルール)は、この世に多々あるという戒めであり教えだ。

 従い、今いる世界の掟が自身に不利と悟れば、また別の掟が敷かれる世界へ移るのだ。海での競争を避け陸へ進出したり、陸の上で生きられぬものが空を飛び始めたり、また地の中を潜ったりするよう、環境に適応して進化してきた。中には“共生”することで生きるものもいる。

 

 狼は天空を飛べない。

 だから、空を飛ぶ鷲には手の届かない相手だろう。

 しかし、勘違いしてはならぬ。

 それは互いに棲み分けして、衝突を避けている結果だということ。強さではなく、環境の違い。それ故、鷹は屍骸か弱った相手にしか近寄ることはない。何故ならば、空の王者でさえ翼が折れて飛べなくなって地に堕ちれば、狼の餌食となるのだから。

 

 たったひとつの世界の掟に妄信的であり、この絃神島に無法を働いた鳥人へ、人間と魔族と獣と多様な掟を知る混血が鉄槌を下す。

 

 

「―――壬生の秘拳、夢想阿修羅拳!」

 

 

 懐に飛び込んだ金人狼が放つは、『八雷神法』と『八将神法』の極み合わせ技。

 阿修羅即ち悪魔。<空隙の魔女>の『首輪』を媒体にし、一瞬、“夢想(ユメ)阿修羅(アクマ)”を<生成り>に憑かせて行使するは、空間制御。主人のように完全には使い切れないが、時間差を縮めるため、限界を超える身体強化で極限に高めた身体運用が、到達する時間を限りなくゼロに近づけさせる。

 拳打、貫手、掌底、膝蹴り、踵落とし、靠、手刀、咆哮《魔力砲》―――

 鳥人の身に、ほぼ全く同時に異なる八の手が襲う。

 連続した音は鳴らなかった。

 連なるではなく、重なる。

 八連撃ではなく、八重撃。

 音は数をなくした塊となる。

 

 

 バァン!!! と時空間を巨大な腕で引き千切るような轟音。戦士長の身体が、物凄い勢いで海面を水切りして、遠く沖合の彼方にて沈んだ。

 

 

オシアナス・グレイブⅡ

 

 

「キミがセレスタ=シアーテの面倒を見てくれている間に、『混沌界域』に入り込んだ『アメリカ連合国』の勢力はボクが排除した。このまま邪神の現出がなければ『混沌界域』の内戦はすぐに終わる。<混沌の皇女(ケイオスブライド)>が出るまでもなくね。

 さあ、あとはキミ次第だよ、古城。セレスタ=シアーテを殺して、<冥き神王(ザザラマギウ)>の復活を阻止するか。それとも絃神島(ここ)で邪神の降臨を待つか―――まあ、どのみち神を受け入れることなんてできないのだから、セレスタ=シアーテは死ぬしかないけど―――キミが好きに選べばいい」

 

 楽園に住む人々を堕落させた蛇の笑みを浮かべるヴァトラーが、選択を迫る。

 セレスタの生い立ちは聴いた。

 この船にいた数人の豹の上位獣人――豹人の神官たちが住まう村で、生贄と捧げられるように育てられたことを。

 その『花嫁』が、この絃神島を壊滅させかねない邪神を封印する手段であることを。

 

「……ヴァトラー……様……」

 

 そして、不安と孤独の中に残された最後の拠り所で、彼女が告げられたのは、どうしようもなく救いのない絶望。

 想い人(ヴァトラー)は、その絶望から産まれる邪神を求めていて、自分には興味がないという……

 目から光を消して、頽れてしまうセレスタを、気丈に震えを我慢する雪菜が支える。

 

 ふざけるな!

 

 必死で思考する。

 何か方法が残されているはずだ。

 騙されるな。

 どこかに解答(こたえ)があるはずだ。

 セレスタが死なず、邪神による大災厄もない―――そんな理想的な解答が。

 

 アンジェリカ=ハーミダの目的。

 獣人神官たちの正体。

 すべて教えてもらった。

 この期に及んで、ヴァトラーが偽りの情報を寄越す理由はない。けど、何かが引っ掛かる。

 

 そうだ。

 マンションを襲ってきた獣人たちは何者なのか。

 鷲の戦士長に裏切者と蔑まれ、それでもセレスタを殺さずに生きたまま回収しようとした……いや待て。それは、おかしい。

 獣人神官たちの目的は、セレスタの抹殺であるはずだ。ならば、そこで彼らが決別する理由とはならないはず。

 そもそも自分たちの都を龍脈の暴走から護ることが目的ならば、セレスタが国外に出た時点で目的は果たされている。それが好都合であるから、戦士長は処刑を強行しようとしているのだろう。

 つまり、獣人神官たちは、村を救ってくれたヴァトラーへの義理立てで、『花嫁』を。それとも―――

 

 それ以上、暁古城に、推理する時間は与えられなかった。

 

「いヤ……チガう。異邦の吸血鬼ドモヨ。ソウデはナイ」

 

 嗄れていて、どこかイントネーションが狂った、聞き取りにくい声が、船上に響いた。

 神官たちの中で最も若い男が、姿形を獣に変貌しながら笑う。笑わされる。

 ボキボキボキ!! と大きくなる巨体、それ以上に伸長する骨爪。パンパンに限界まで水を入れられた水風船が破裂するように、内側から突き破ってくる、それはどれほどの激痛を伴うことか。

 いや、こいつらはもう何も感じていない―――生きるための危険のシグナルたる痛覚を喪失した、死兵だ。

 

「キサマらニハモトヨリ選択Shiがナイのだ―――」

 

 その奇襲に、ここにいる誰もが反応が遅れた。

 <神獣化>をした死兵は、その鉤爪でヴァトラーの肉体を抉り、肉片に変える。タールのような黒紫の汚泥が、灰も心臓も頭蓋も、飛び散った細胞の一片すら残さずに食らい尽くす。

 

「……ヴァトラー!?」

 

 <蛇遣い>の最期を目の当たりにして、古城が叫んだ。

 その注意が逸れた瞬間に、もう一人。神獣の爪撃が横殴りで、古城に襲い掛かり、右半身をごっそりと薙ぎ払った。抉られた左半身になった古城はバランスを崩して床に転がってしまう。

 

「先輩!?」

 

 悲痛に表情が歪む雪菜。あまりの突然の出来事に、彼女でさえも動けず。

 そして―――

 

 

「い……や……あ……ああ……ああああああああああああああああああああああああああああっ……!」

 

 

 そして、セレスタの口から絶叫が迸った。

 邪神を呼び覚ます、絶望した『花嫁』の声を。

 

 

人工島東地区 港 跡地

 

 

「……アスタルテ、大丈夫か?」

 

「はい……『匂付け(マーキング)』による<薔薇の猟犬>の遠隔無線接続時間は、180秒が限界と推定……現状、概算で消耗は、68%に抑えられていますので……まだ、いけます」

 

 どこか切なげに、アスタルテが告げる。

 <薔薇の猟犬>の限界突破以外にも、<薔薇の指先>を多用したためか、アスタルテの立ち姿は頼りなく震えていた。

 その華奢な身体を背負い直しながら、クロウは謝辞する。

 

「悪い。今ので仕留めきれなかった。だから……」

 

「了解」

 

「う。なるべくすぐに終わらせるぞ……でもな、これを使っちまうと、アスタルテの保護観察の刑期が伸びるかもしれないのだ」

 

 と、あとになって悪化したと知るのは不誠実と判断し、クロウはその隠し事をバラした。

 言葉足らずな説明かも知れないが、青水晶の瞳が、静かに、大きく見開かれ、理解の色が浮かぶ。人工生命体の少女は全てを悟る。これまでの、心配性の理由も。

 

「……そう、いう、こと、ですか」

 

 それに嘆息してしまうと同時に、ほっと安堵もする。

 そして、少しの怒りも覚えた。

 

「……。問題ありません。教官の世話になる保護観察期間を延長するのは心苦しいですが、私のすべてはもうすでに先輩に捧げてあります。3年後は先輩に責任を取ってもらう予定です」

 

「そうか。なら……ん? その予定、オレ初耳だぞ」

「―――ですので、ここで先輩と共に危険指定となっても後悔はけしてありません」

 

 いつものペースより若干乱れが生じて、やや早口で述べるアスタルテ。

 意図は掴めずとも、意思のほどは伝わってきたのか、背中に座する後輩の圧に狼狽えるクロウ。しかし問うてもこれ以上の言葉は返ってこず、ぎゅっと抱きしめる力が強まった行動で示され、反論を封じてきた。

 

 

 

 ―――沖合の海域が、爆発した。

 

 

 

 直後に押し寄せてきた熱風と轟音は、天変地異のようだった。

 海面に巨大な円形の穴が穿たれたからと思えば、そこから海底火山が噴火したように灼熱を帯びた突風が吹き上げ、一体の神獣が天まで突き抜けた。

 

 

「「「 ■■■■ 

        ■■■■

             ■■■―――――――ッッ!!!!!!」」」

 

 

 空間そのものを震わせる絶叫。

 それは、翼竜の姿からは変態していた。

 真祖に貸し与えられた眷獣を解放した状態で、<神獣化>を発動したからなのか。

 翼以外の全身から羽毛が焼き落ちて赤熱した鱗に生え変わり、嘴に牙が生え揃う。

 

 

 

 変化は、ひとつだけでなかった。

 

 

 

 クルーズ船からもうもうと立ちこめてきた煙のような黒い塊。

 それは鏡映しのように、対象の脅威度に合わせて、量と質を増強させる最強の蠱毒<病猫鬼>の<神獣化>。際限なく半実体の黒煙の身体を、巨大な豹に形作った。

 

 羽毛のある蛇竜(ケツァルコアトル)に、煙を吐く黒鏡(テスカトリポカ)の化身の如き神獣。

 

 そして……ここに地母神(アスタルテ)の名を冠する少女を抱き、大鰐のような咢を持つ大地の主(トラルテクトリ)の如き神獣に変生するもの。

 

「接続完了。供給開始―――私のすべてをあなたに」

「―――確かに、受け取った」

 

 間髪入れず応じる少女の声は、少年の意思を確固たるものにした。

 

 

「契約印ヲ解放スル―――」

「―――獣祖(ビースト)モード。限界突破(リミテッドオーバー)

 

「<焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)>ノ血脈ヲ外レシ者、我ガ肉体ヲ汝ノ器トスル―――」

「―――融合せよ(コアレス)、<薔薇の猟犬(ロドダクテユロス・オルタ)>」

 

 

 たとえ自分の目で見ずとも、柔らかな微笑はすでに少年の脳裏に刻まれていた。盲目となろうが、記憶が風化しようが、けして消えることのない微笑と頬を添わせる。

 

 

 

疾ク成レ(ヨミガエレ)、『十三番目』ノ眷獣、<蛇尾狼の暗緑(マルコシアス・テネブリス・ヴィリディ)>!」

 

 

 

 最初の時よりも、より力強く咆哮を轟かせる。

 邪神誕生より先駆けて、蛇竜、豹蠱、魔狼―――真祖の眷獣以上の怪物が、三竦みとなって、絃神島に君臨した。

 

 

 

つづく


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