ミックス・ブラッド   作:夜草

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冥王の花嫁Ⅱ

人工島南地区 マンション

 

 

 淡い褐色の肌と蜂蜜色の髪。様々な民族の血を引く人々に特有の、端整な顔立ち。しかし、その寝顔は年相応に幼く、何ら特別な存在ではないという印象を与えてくる。

 

 暁古城の私物であるTシャツと短パンに着替えさせた異国人の少女。

 配達されてから、今、姫柊雪菜の寝室のベットに昏睡している。

 魔術や薬物によるものではない。

 彼女を運んできた容れ物(ケース)―――生きたまま人間を封印し、開封後は瞬時に蘇生させる、という高度な技術で作られたシステム。蓋を開けられるまで彼女は仮死状態であった。

 

 患者の生体パターンは、既知の如何なる魔族とも該当しない。

 人間。

 人種的にはラテンアメリカ先住民族およびヨーロッパ系コーカソイド。

 肉体年齢は15歳。

 健康状態は良好。

 身長は161cm。

 体重は46kg。

 そして、伝票に記載された個人情報から、個体名『セレスタ=シアーテ』と推定。

 

「ありがとな、アスタルテ。お前が来てくれて助かった」

 

 そう診断結果を伝えると、気怠く肩を竦めながらも暁古城はこちらに礼を言う。

 自宅にて待機中だったアスタルテに、突然の呼び出し。詳しい話はされなかったが、とにかくひとり診てほしい少女がいるから来てほしいと。

 医学知識が入力されている元医療系の人工生命体であるところのアスタルテは、簡易的な診察をすることができる。

 

「謝辞は不要です。私の診断は簡易的なものであり、正確な検査はできません。念のため、正規の医師による診察を推奨します」

 

 と病院に勧めるところだが、話はそう簡単なものではない。それができないから、病院ではなく、アスタルテを呼んだ。

 まだ眠る少女――セレスタ=シアーテを眺めて、鬱陶しげに前髪をかき上げる古城。

 

「こいつがただの行き倒れだったら、迷わず病院に連れてくところなんだけどな」

 

 送り主が、ディミトリエ=ヴァトラー。

 己の欲求を満たすためならば、テロリストもうちに囲い込むような輩だ。そのヴァトラーが古城を名指しして送りつけた少女。

 99%人間で、見た目は無害な女の子であるも、送り主がヴァトラーというだけで羊の皮を被った狼でないという保証ができない。病院に連れ込んだことで、無関係な病院関係者や患者に被害が出る可能性がある。

 それを考慮して古城がセレスタを匿うことを決めるまで、ヴァトラーは読んでるだろう。

 

「本当、どうしたものか。ヴァトラーのヤツのことだから、間違いなく厄介ごとなんだろうが」

 

 ここで異国人の少女を見捨てる真似はできないし、となると、あの戦闘狂の青年貴族の悪事の片棒を担がされているような気がして不愉快だ。

 もうほとんど答えは決まってるのに葛藤する古城の背後から、不意にのんびりとした声。やけに尊大で、どこか浮世離れした口調がかけられた。

 

「ほう。ディミトリエ=ヴァトラー……『戦王領域』の<蛇遣い>か。懐かしい名を聞いたな」

 

 それから清らかな音色の少女の声も聴こえた。

 

「お知り合いでしたか、院長様?」

 

 聖女のような優しげな雰囲気を漂わせた、銀髪碧眼の少女。その膝の上に身長30cmほどのオリエンタルな美貌が、胡坐をかいて座っていて、おぼろげな記憶を辿るように首を傾げてる。

 そう、南宮那月教官の自宅に居候している叶瀬夏音とニーナ=アデラートがアスタルテに同行してきた。

 

「直接会ったのは100年ほど前に一度きりだがな……いや、200年前だったか……?」

 

「……で、叶瀬たちのその恰好はなんなんだ?」

 

 古城が指摘したくなるのも無理はない。夏音が身に着けているのは見慣れた彩海学園の制服ではなく、スカート丈の長い、純白のエプロンドレスだった。欧州大戦当時の従軍看護師を思わせる衣装。まさに、白衣の天使というイメージそのままな姿である。

 マイナスイオンのような、いるだけで癒される雰囲気を放つ夏音にはぴったりなコスプレ―――なのだが、古城はここ最近、夏音の『影武者』がいることを知った。

 

(流石に、これが普段着ってわけじゃねェだろうし……まさか、クロウか?)

 

 もう何度も上から下まで視線を向けているのにもかかわらず、古城は思わず、また一度この白衣の天使を眺める。

 

「……そんなに見ないでください。少し、恥ずかしいでした……」

 

 ナースキャップを押さえながら俯く夏音が目元を赤く染め、潤んだ瞳で古城を見上げる。

 

「あ、ああ。わるい」

 

 思い切り動揺してしまう古城。

 そんな初々しく恥ずかしがられる男殺しな反応をされると、逆にこちらは鼻に来てしまう。いや、古城でなくとも理性を蒸発させて狼に獣化するか、精神の耐久値を一気に削られていたことだろう。

 ただし、この聖女と平然と共同生活の出来てしまう例外な狼もいるが。

 

 しかし今のこの鼻に来た反応で確信した。

 彼女は本物の叶瀬夏音である。

 ……そうでないと今の血が上った感覚に古城は小一時間ほど自分を見つめ直さなければならなくなるのでそうであってもらわないと困る。

 

 そんな古城の思いを知らず夏音は照れたような小声で、この空気を誤魔化すように話を戻した。

 

「ア……アスタルテさんの助手でした」

 

「助手?」

 

 ただの中学生に過ぎない彼女に助手が務まるとは思えないのだが……

 思わず、はあ、と曖昧に頷いてしまう古城に、彼女の保護者から叱責が飛んできた。

 

「あまり責めてくれるな、古城。此奴は、アスタルテが往診を頼まれたと聞いて、てっきり主が倒れたのだと勘違いしてな。主の看病をする気でやってきたのだ」

 

「い、院長様!」

 

 身体が小さくなっても尊大さの変わらない偉大な育ての親の言葉に、夏音が、あうあうと激しく狼狽する。透けるような白い肌を耳まで真っ赤に染めて狼狽える夏音を、ニーナは怪訝そうに見上げて。

 

「なんだ? 真実のことであろう?」

 

 そう、真実である。

 南宮那月教官の自宅に連絡が来たとき、アスタルテに電話を取り次いでくれたのは夏音。それから横で会話を聞いていた彼女は、『アスタルテに大事がないか様子を見て欲しい』という言葉を拾い、急ぎ看病の支度を。その際に、ニーナ=アデラートに相談し、その場で古の錬金術師のマジカル☆ドレスアップが始まり、今に至る。

 早とちりをしてしまったドジっ子である。

 とはいえ、アスタルテが出かける前にそれを察して、古城ではなくて異国人の少女が、と誤解を訂正してあげればナースから着替えたかもしれないが、それでも彼女は気を失っている異国人の、見知らぬ少女のためにアスタルテと一緒に古城宅へ向かったことだろう。

 

 アスタルテとしても、叶瀬夏音の護衛は、教官から言いつけられていること。夏音には今もどこかに隠れているアルディギアの要撃騎士に錬金術を極めて、『霊血』の肉体を持つ院長がついていたのだとしても、アスタルテの仕事であることに変わりない。一緒に行動をしてくれるのならば、アスタルテとしても助かる。

 

「そうか……ありがとな、叶瀬」

 

「いえ、お兄さんの為……でしたから」

 

 縮こまって恥じらう叶瀬夏音に、素直に感謝する暁古城。

 きっと彼は、捨て猫を見捨てられない彼女だから、知り合いが病気になったのを放置できるはずがない、とかそんな理由で納得してることだろう。

 当たらずとも遠からずだが、わずかだが決定的な、意思疎通のすれ違いが生じてしまっている。

 それを客観的に見て、人工生命体の少女はどこか“もどかしい”―――そんなことを覚え始めた。

 アスタルテがそれを口にして出す前に、コホン、とわざとらしい咳払いが発せられる。

 

「それで、これから彼女をどうするつもりですか、先輩?」

 

 姫柊雪菜の問いかけに、暁古城は顔をしかめた。

 真祖の力はあるが、彼の立場はあくまでも学生だ。はっきり言って、この異国人の少女の扱いは彼には手に余る。家出少女くらいならば、少しの間、匿ってやることもできたことだろうが、アルデアル公が関わっているとなると、考えさせられる。もちろん、すべてを投げてしまう気はないが、信頼できるプロの攻魔官に任せてしまいたいだろう。

 しかし―――

 

「そうだな……この手の厄介ごとは、できれば那月ちゃんに任せたかったいんだけど」

 

南宮教官(マスター)は、特区警備隊(アイランドガード)の要請を受けて特別警戒任務中です」

 

 今、それに頼ることはできない。

 教官だけでなく、“わざわざ自分を任務から外した”先輩にもだ。

 

「……特別警戒任務?」

 

「肯定。未登録魔族の密入国の痕跡が発見された、との情報があります」

 

「密入国って……」

 

 まさかこいつのことか……? と古城がセレスタに視線を向ける。

 箱詰めにされて宅配便で送られてきたのだ。まともな入国手続きなど踏んでいないだろう。

 

「不明。データ不足につき。回答不能」

 

 しかしながらこれ以上判ることもない。

 セレスタ=シアーテが、特別警戒が必要なほどの危険人物とは判断できない以上、彼女が目覚めるまでは様子を見るしかない。

 

「アスタルテ、悪いけど、起きるまでセレスタの様子を見ててくれないか。それとヴァトラーの奴から連絡があるかもしれないし、那月ちゃんと連絡が取れたら取ってほしい」

 

命令受託(アクセプト)

 

 そう結論を出して、古城はアスタルテに特区警備隊の那月との連絡と、それから目が覚めるまで眠るセレスタの看病をお願いして、

 

「では、妾と夏音は、その間に晩餐の準備をしておいてやろう。この通り、材料の買い出しも済ませておいたしな」

 

 この暁宅への道中にスーパーに寄り、食材を買い出しをしていた夏音とニーナが食事の準備を立候補し、

 

大いなる作業(マグヌス・オブス)を極めし者として、主らに我が故郷パルミア料理の真髄を見せてくれるわ。200年ぶりに腕が鳴るわい」

 

 200年ぶりに料理に挑戦することに不安を覚えた暁古城がこの部屋の主で台所を任されている姫柊雪菜にその監視をお願いする。

 

 

 

 そうして、アスタルテ、夏音、ニーナは流れ的に暁家(隣の雪菜の部屋)に一泊することとなった。

 教官にも報告すれば、予想通り、暁古城の傍についていろと指示される。東地区の空港を襲った特殊部隊に、ほぼ同時刻に港で発生した強大な魔力反応。それらの調査に教官は手が放せない。

 アスタルテは、昏睡中、そして正体不明のセレスタ=シアーテの看護及び観察につく。

 

 寝室の外から騒がしい音。

 その発生源は、二人の中学生と一体の人形が調理中のキッチンだ。

 野菜の皮むきから、骨付き肉の解体、缶詰の開封をコンバットナイフ一本で済ませる雪菜。獅子王機関でサバイバル研修を受けた彼女は調理スキルというより、サバイバルスキルが高い。出汁取り用の牛骨を巨大なナイフで力任せに砕いている様は料理とは呼べない何かのよう。

 中学生平均レベルの調理スキルの夏音。現在、南宮家にて、食卓を任されているのはアスタルテで、それに夏音も手伝いをしてくれてその作業は丁寧だが、お世辞にも手際が良いとは言えない。はっきり言って危なっかしく、炒め物を任せればその鍋の重みに振り回される始末。ちなみにひとりエンゲル係数に大きく貢献する先輩は、電気を使うコンロやレンジなどの扱いが、もう呪いが掛けられているのではないかと疑うくらいにダメだ。この前も、炊飯器のスイッチを押しただけで煙を上げる計算不能の事故が起きた。最新鋭設備のキッチンに立ち入り禁止も当然だ。でも、飯盒炊飯での飯炊きはできるようで、機械的な道具を使わない、キャンプとかアウトドアな環境下では活躍できるのだろう。ただし、日常生活においてはやっぱり役に立たない。残念な先輩だ。

 そして、暁古城は幼稚園児のお使いをこっそり見守る父親にでもなったように、二人をハラハラしながら眺めている。時折、鍋を振れない包丁を持てない小人なニーナが、フグとナマズとアンコウとスライムを足して読んで割ったような、謎の深海魚を捌くように指示を出したりするのに突っ込んだりする。

 

 ピンポーン……

 

 不意に鳴り響いたインターフォンのチャイム。

 

「なっ!? 深海魚(こいつ)まだ生きてやがった!?」

「先輩さがって! ここは私が―――!」

 

「きゃあっ!?」

「落ち着くがよい、夏音。パルミア料理を極めたくば火を我が物とするのだ」

 

 どうやら間の悪いタイミングに響いたチャイムに驚き、向こうはパニックになっているらしい。

 そして、その喧騒を耳が拾ったアスタルテは、セレスタを一瞥する。

 

 睡眠継続中。

 急速眼球運動と骨格筋の弛緩を確認。

 脳波状態はシータ波が優勢。

 心拍数、呼吸数に乱れあり。

 

 以上の観察から推測。彼女は現在、夢を見ているものと思われる。

 唇を噛みしめているセレスタの表情は、悪夢にうなされているようにも、あるいは泣いているようにも見える。

 その彼女から離れることはあまりしたくないが、今、動けるのはアスタルテしかいない。

 

「私が、出ます」

 

「あ、ああ、悪いなアスタルテ。ちょっとこっち手が離せなくて―――うおっ!? まだビクンって!?」

「先輩! しっかり押さえててください! ナイフが刺せません! ―――アスタルテさん、すみません。判子なら玄関の脇に………」

 

 そして、一時、持ち場を離れる旨を告げるとアスタルテは玄関へと向かった。

 手早くに要件を済ませてセレスタの元に戻ろうと、訪問者の確認をせずに玄関ドアを開けると、そこに立っていたのは―――

 

 

「おっす。アスタルテ、なんだかそっちも大変みたいだな」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「先……輩」

 

 人工生命体の少女はドアノブを手に取ったまま、固まった。

 咄嗟に声を抑えたものの、青水晶(ブルークォーツ)の瞳は表情を隠せなかった。

 

「ん? どうしたのだアスタルテ。そんなにびっくりして」

 

 不思議がる、また心配するかのように、そっと抑えた、こちらに気遣う声音で呼びかけられる。

 しかし、それに対し、むしろ怒ったような気配を湛えて、言葉を返す。

 

「説明要求。なぜ―――先輩がここに来てるのですか」

 

「う? ご主人から話は聞いたけど、様子が気になるし、ちょっと休憩をもらって見に来たのだ。来ちゃまずかったのか」

 

「今、先輩は南宮教官(マスター)の下で、特区警備隊に依頼された任についています。南宮教官への報告にも、こちらへの緊急の増援は不要とそう伝えたはずです」

 

 アスタルテは、変わらぬ口調で続ける。

 

「報道より、襲撃者の危険性はこちらも把握しております。ならば、捜査に尽力し、それを一刻も早く捕らえるべきと判断します。先輩はここに来るべきではなかった!」

 

 しかし、段々とその声量は抑えていても大きくなり、やがて、噛みつくように言うアスタルテの声は、部屋の中にも響いた。

 

「私を先輩の補助から外したのは、教官です。先輩がそう進言したはずです! それが最善と判断されたから従ったのに。それとも今の私では、この場を任せることも不安ですか!」

 

 <黒妖犬>の『嗅覚過適応』の追跡に秀でた特殊スキルは、襲撃した特殊部隊を追うのに適している。そして、教官で主人である<空隙の魔女>の位置さえわかれば奇襲捕縛が可能な空間制御とも相性がいい。

 だから、事態の迅速な解決のためにこの主従を離しておくべきではなく、また、この主従だけで十分だ―――その判断に納得した。そこにアスタルテの手伝える余地はないとそう理解した。役に立てないようなら、せめて邪魔はしたくない。

 アスタルテが任から外れる、それが最も正しいことだと信じたのだ。

 特別、応援を求めなかったのも、彼ら主従の任務活動に支障をきたさないためだったというのに……

 

「う、ん。アスタルテも大声で怒ったりするんだな」

 

 と、実に的外れな言葉を、クロウはあっけからんと口にした。

 

「否定! 怒ってなどいません! 怒っているわけなど欠片もありません! これはただ言ったのではこちらの主張を聞かない先輩に対しての交渉上必要だと判断した示威行為です!」

 

「それって、怒ってることじゃないのか?」

 

「否定! 純粋に運用上の問題ですが、先輩は私の能力や性質やそのほかのことにも理解が足りていません。なのに、勝手に私の状態を判断するのは、差し出がましいにもほどがあります!」

 

「ま、待つのだ。オレはアスタルテがいつもと様子がおかしいから気になって、だからご主人に」

 

「私の活動状態は、先輩に気を遣われることなど一切必要としないと診断されています! メンテナンスを受け、すでに調整済みです! そうでなければ不完全な状態で外出などするはずが―――」

 

 そこで、アスタルテは言葉を切った。

 キッチンから足音。この騒ぎに向こうも気になって、見に行こうとしてるのだろう。

 アスタルテはその前に、ドンと両手で押してクロウを玄関前から突き飛ばす。

 

「お、おいアスタルテ!?」

 

「入室不許可。先輩は今すぐに任務へ戻るべきです。ここは私ひとりで問題ありません」

 

「でも、凪沙ちゃんにも古城君の様子を見てくれって頼まれ―――」

 

 それ以上、クロウは何も言えなかった。巨大な眷獣の腕に身体を掴まれ、肺を圧迫する握りしめに言葉が途切れさせられる。これ以上の問答に付き合う気のない宿主の意に応え、そのまま玄関から出て、マンションの外に面したところまでいくと砲丸投げの選手のように、大きく振りかぶって、

 

執行せよ(エクスキュート)! <薔薇の指先(ロドダクテユロス)>!」

 

 ゴッ、と凄まじい加速で、アスタルテはクロウを撃ち出した。どこに投げ飛ばすかなど考えず、とにかく、このマンションから――アスタルテから、遠くへ―――

 

 

 

 アスタルテが玄関に戻るとそこに、どのような表情をつくればいいか戸惑ってるように片頬だけをひくつかしている暁古城が立っていた。

 

「あー……アスタルテ、今のは誰だったんだ?」

 

「問題ありません」

 

 問いかけの答えになってない回答に、古城は何も言わなかった。

 内容をはっきりと聞き取れずとも、やりとりはキッチンからでも聞こえていたんだろう。後輩(クロウ)の声も、そして、人工生命体の少女が荒げた声も。

 ふぅ……と溜息をこぼす古城は、靴も履かずに出て行ったアスタルテを部屋に迎え入れると、その前に彼女から手を差し出される。

 

「提案。携帯電話の貸与を要求します。南宮教官(マスター)との通話の再試行の許可を」

 

「え? ああ、那月ちゃんにもう一回連絡してみるってことか?」

 

 首肯されて、しばらく何か言おうか迷ったが、結局は何も言わず古城はアスタルテに、自分の携帯を渡してやる。

 

「じゃあ、セレスタのことは俺がしばらく看とくから」

 

「感謝します、第四真祖」

 

 ぺこり、と頭を下げてアスタルテは携帯を受け取る。

 

 アスタルテはまた改めて教官に現状報告と増援(クロウ)を不要と重ねて進言を添えたメールを送った。それに対する那月の返信は、早く。まるでそうなることを予想していたかのように分もかからずに返ってきたメールは、『お前の好きにしろ』と一文だけ。

 その後しばらく、暁古城の携帯の電話帳にもある、いや何度も自身が代打ちして覚えている彼のメールアドレスをアスタルテは打とうか迷い、躊躇い、そして―――

 

 

「きゃああああっ!」

 

 

 悲鳴。初めて聴く声紋。すぐさまアスタルテが部屋に戻ると、

 

「……先輩……セレスタさんに何をしたんですか……?」

 

「ま……待て、姫柊。これは、違う……!」

 

 目にしたのは、手形をくっきりと頬に残した暁古城と、それを一切の感情が抜け落ちた瞳で見つめる姫柊雪菜、そして、涙目になって震えているセレスタ=シアーテ。

 

「お兄さんのこと信じてました……なのに……」

 

「よもや<第四真祖>ともあろうものが、下劣な性犯罪に走るとはな。これも若さゆえのリビドーの暴走というやつか」

 

 そして、ちょうど駆けつけてきた夏音が悲しげに首を振り、その肩にしがみついていたニーナが悟りを開いたような口調から息を吐く。

 続けて、アスタルテもそこに止めを刺すよう淡々とした口調で、

 

「反省。監督不行届でした」

 

「だーっ! 待て、お前ら! 黙って聞いてれば好き勝手に人を性犯罪者呼ばわりしやがって! 抱き着いてきたのはこいつの方だっての!」

 

 全員から非難の眼差しでハリネズミにされた古城から、指差して逆ギレ気味に怒鳴られて、セレスタはビクッと肩を震わせて怯える。

 それで、もう沙汰は決定した。

 

「抱き着かれたんですか……なるほど……」

 

「違う、冤罪だ……!」

 

 と訴える古城は頼りなく首を振る。

 この黒一点の状況下、もう判決を覆すのは無理と悟ったのだろう。

 古城は天井を仰ぎ、絶叫した。

 

 

「誤解だああああああっ!」

 

 

???

 

 

『誤解をとかなくて良かったのか、馬鹿犬』

 

「誤解も何もアスタルテは何も間違ったことをいっちゃいない」

 

『『十三番目』というお前らの合体を“世界最強の魔獣(レヴィアタン)を撃退するほどの脅威”と危惧され、管理公社が扱いを検討する間は、別行動を取らされることとなった……と教えてやらなくて良かったのか?』

 

「別に、アスタルテが責任を感じることじゃない。だから、保護観察を3年間から延長なんてさせないでくれ。アイツは頑張ってるのだ」

 

『そうやって甘やかすから後輩がつけあがることになるんだ、馬鹿犬。それで、どうする? このまま戻ってくるか? それとも』

 

「………任務に戻るぞ」

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

 ニーナ=アデラートが肉体を構成する<賢者の霊血>の一部を使い、作り出した銀のイヤリング。その表面に魔法文字を書き込んだそれは翻訳用の術式で、言語の通じないセレスタにその魔具を装着させた。

 その際に、ニーナ=アデラートからの推察でセレスタが使っていた言葉は『混沌界域』の公用語に近いが微妙に違うものらしい。これで大体の彼女の出身地を予測することができる。

 暁古城の疑惑も、『寝ぼけて、ヴァトラー様かと思って抱き着いたら、全然違くて騙された!』とのセレスタからの証言で解かれた。

 

 セレスタの方も、暁古城を始め、姫柊雪菜、叶瀬夏音、ニーナ=アデラート、アスタルテと自己紹介をされ、また彼らがディミトリエ=ヴァトラーの配下でないことを知りがっくりと落ち込まれた。暁古城には信じられないが、セレスタ=シアーテは、アルデアル公を大変慕っているらしい。見た目やその身分だけなら高貴な王子様で通用しそうだが、これまでやってきたその前科を思えば古城は敬意を欠片も払いたくなどない。

 そして、どうして箱詰めにされて見知らぬ男の下に送りつけられた理由は……

 

「おまえは、俺ん家に宅配便で送られてきたんだけど、何か心当たりはあるか、セレスタ?」

 

「知らないわよそんなの! あたしだってどうして、こんなやつのところに……ねぇ、ヴァトラー様はどこにいるの?」

 

「どうでもいいだろそんなこと。それより今はヴァトラーのことよりお前のことだろ―――」

「だからっ、様をつけなさいよ。ヴァトラー様を呼び捨てにしないで! 本当に、あたしが言ってること理解してないの! 言葉が通じてもこれって、馬鹿なの、あなた!? 馬鹿なのね!」

 

「ああっ!?」

 

「ストップです! 待ってください、先輩―――! ステイ!」

 

 話を聞いてる途中で暴言にキレかけた古城を、監視役が宥める。飼い犬を躾けるような口調であったものの古城はひとまず制止して、それから聞き役をバトンタッチした雪菜がセレスタに確認するように厳かに訊いた。

 

「セレスタさん……もしかして、記憶がないのではありませんか?」

 

「っ……!?」

 

 瞬間、セレスタの表情がはっきりと強張った。

 何も言わずに俯き、唇を強く噛み締める。その反応から今の雪菜の指摘が図星をついてるものだとは明らかであった。

 

 セレスタ=シアーテは、記憶をなくしている。自分の名前さえも彼女は知らない。

 古城に対する攻撃的な態度も、彼女の不安の裏返し、記憶喪失であるのを隠すための、彼女なりの精一杯の虚勢と言われれば腑に落ちる。

 そう、セレスタには、たったひとつ――ヴァトラーの存在を除いて、記憶がないのだ。

 

「あー……その、なんか……悪かったな、すまん」

 

「な、なによそれ。なに謝ってるのよ、気持ち悪い。それで優位に立ったつもりなの?」

 

 古城が渋々と頭を下げると、セレスタは居心地悪そうに顔をしかめて、拗ねたような口調でそう言った。きつい言い回しであることは変わってないものの、刺々しさは抜け落ちていた。

 

「ふむ、なるほど……」

 

 夏音からセレスタの頭上によじよじと登る錬金術師は、原因を推察する。

 

「記憶の欠落の原因は、間近で強大な魔力を浴びたせいだな。ディミトリエ=ヴァトラーに出会ったのが、主の最古の記憶と言うわけか?」

 

「あの方は助けてくれたのよ。神殿で殺されそうになっていたあたしのことを」

 

 どこかの神殿で殺されかけていた時にヴァトラーと出会い、そして目覚めたら絃神島にいた。それが今のセレスタの状態だ。

 

「アスタルテ、こいつの記憶を戻せないか?」

 

「頭部外傷や薬物使用の痕跡が認められないため、原因は心因性のものと思われます。魔術や催眠療法による強制的な記憶回復は、危険を伴うため推奨できません」

 

 無表情のまま首を振るアスタルテの回答に、古城は沈鬱な表情を浮かべる。

 暁古城もまた、記憶を喪失していた。この前、<監獄結界>にて、南宮教官から魔導書で記憶を再生させるまでは、<第四真祖>となった理由もわかっていなかった。

 だから、記憶がない彼女のことを心配したのだろう。

 しかし、その真剣な古城の態度に、意表を突かれたのかセレスタは戸惑い、やや高音の声調で、

 

「な、なによ? 別にあたしはヴァトラー様の記憶があれば十分だし」

 

「いや、ちょっとな。俺も似たような経験があるからさ……どんなにつらい記憶でも、自分のことを思い出せないのは苦しいよな」

 

「あ、あんたと一緒にしないでよ。あたし、同情なんて求めてないんだから……」

 

 懸命に強がるもその頬は仄かに赤らんでいく。それにセレスタの表情にあった険しさも解きほぐされていくようにも見えた。

 と緊張が解けたところで、彼女の腹部から異音が発生する。

 ぐぅ、と言う健康的で、空腹を訴える音を―――

 羞恥に俯くセレスタにまた視線が集まるも、夏音が柔らかく提案した。

 

 

「あの、ご飯にしませんか?」

 

 

???

 

 

「本当に『花嫁』を引き渡せば、俺たちを相応の待遇で迎えてくれるんだろうな」

 

「少佐はその働きに必ず報いてくれるお方だ」

 

 黄金の刺繍を施した民族衣装を着て、様々な装飾品や宝石を身につけた、褐色の肌を持つ若者たち四人。

 皆一様に報酬に飢えたように、目を血走らせている。

 

 その前に立つのは、地味なグレーの衣服を身に着けている男二人。

 どちらも身長2m近いスキンヘッドの大男。片方は髭面で、もう片方は機械化した両目にサングラスをかけている。

 その髭面の男の方が彼らの前に出て、交渉している。挑発するように口を歪めて言う。

 

「それとも、邪神憑きの小娘の世話のために、密林の奥地に一生縛り付けられることをお望みか」

 

「ふざけるな。老いぼれどもと違って、俺たちはもうあんな生活うんざりなんだよ」

「ああ、吸血鬼が治める国も気に喰わん。獣化能力を持とうが真祖と我々は違う」

「我々こそ真の『(ジャガー)の戦士』、他の豹の貴族連中や第三真祖に媚びる鷲どもと一緒にしてくれるな」

 

「ああ、少佐は上位種であるお前たちの能力を大変高く評価しておられる。しかし、結果が出せぬのであれば、働きに応じた報酬をこちらも出すことはできない」

 

 血気逸る反応に、まあまあ、と髭面の男が宥めるようにジェスチャーを返す。

 

 殺されても命令実行を続ける『死兵』を用いて、獣人の秘境を攻め落としたが、『戦王領域』の吸血鬼連中にその『死兵』を殲滅されて、『花嫁』を逃がされた。

 絃神島の到着時、特区警備隊の妨害に遭い、三分の一にまで兵士の数を減らした。

 少佐も魔女の奇襲に負傷。痛み分けに終わったそうだが、今は潜伏してる拠点で、身を休めている。

 

 しかし、まだ特区警備隊は、『花嫁』の存在に気づいていない。

 彼女の匂いを覚えており、鼻の良い上位獣人種をこちら側に引き込んだことで、他の連中よりも早く、見つけ出すことができた。これ以上、邪魔をされる前に『花嫁』を拉致し、少佐の下へ連れて行く。

 そして―――念のために“仕込み”も入れておく。

 

「わかっている。『花嫁』を連れて来よう。だから、高待遇で我々を迎えてくれ」

 

「約束しよう」

 

 契約を交わしたところで、今度はサングラスの男が前に出た。

 

「おっと、それでは同士に迎え入れるための儀式をしよう」

 

「なんだ?」

 

 疑問の声を上げた若者のひとりに、サングラスの男は、それを見せる。

 

「それは、薬か……? それとも毒か?」

 

 またひとり若者が訝しむ。

 それは豆粒ほど小さな、錠剤。サングラスの男の掌に、ちょうど四粒。ひとり一粒ずつある。

 

「違う。これは、毒じゃない。『ゼンフォース』が開発したナノマシンだ」

 

「なの、ましん……?」

 

 これまでの生涯、文明レベルの遅れた密林の奥地に住んでいた獣人にはナノテクノロジーは見てもわかりようのないものだ。このカプセル錠剤の中には、細菌や細胞よりも極少のウィルスサイズの機械装置が封じ込めれている。

 

「これをひとりずつ飲んでくれ」

 

「……我々を謀るつもりはないだろうな」

 

「我々は同士を騙すような真似はしない。これは、“生きている内に害を及ぼすものではない”と断言しよう」

 

「飲まなければ、どうする?」

 

 買収して引き入れたとはいえ、それは身を犠牲にできるほどの真の仲間になったわけではない。

 だが、それならば、交渉の仕方を変えるまでのこと。

 

「君たちは我々を信用していない、と少佐に報告するしかない」

 

「なに……!」

 

「無論、任務を果たしたのならば『アメリカ連合国』で高い地位を約束しよう。しかし、万が一のときは……」

 

「俺たちを見捨てるつもりか!?」

 

「我々も、同士でない者を守るために戦力を割く余裕はないのだ」

 

「ふざけるなよ! 俺たちはもう……」

 

「ああ、君たちが部族を裏切り、もう後がないことはわかっている。もし、それが知れたら、ヤツは君たちの存在を許しておくことはないだろう」

 

 激昂から、その“処刑人”の存在をほのめかした途端、彼らの顔は青褪めた。

 第三真祖への忠誠が非常に高く、力こそ絶対的なものと考える『第三の夜の帝国の獣王』。『混沌界域』に害するものは全て力で捻じ伏せてきた。敵味方関係なく。

 つまり、彼らは裏切ってしまった時点で、取るべき道は決まっていた。

 

「だが、もう一度言うが、我々の少佐は必ず報いてくれるお方だ。兵一人とて無駄にはしないお考えの持ち主。ナノマシンも、同士のためを思って用意したものだ」

 

「っ……」

 

 ここまで言葉を尽くしても、若者たちは動かない。

 部族を裏切ったことから、こいつらは自分本位であることはわかっている。

 とはいえ、あとがない状況は重々承知しており、身震いするその様から察するに、まだ判断を迷っているのだろう。ならば、あと一押しで傾く。

 

「もし、まだ毒だとお疑いなら、ここで私が一粒飲んで見せよう」

 

「!」

 

「ただし! ……ここで貴重なナノマシンがひとつ減ることは、君たちのうち誰か一人分のチケットがなくなってしまうことになる。それでもいいかね?」

 

 サングラスの男はそういうと、手の平のカプセルをひとつ摘まみ、見せつけるようにゆっくりと自分の口へ持っていき……

 

「わ、わかった! 呑もう!」

「ああ、俺も呑むぞ!」

「ま、待て俺も……!」

「俺にも寄こせ!」

 

 口の中に放り込まれる直前に待ったをかけられた。

 若者たちは、死に物狂いで奪い合うようにナノマシンを取ると、勢いのまま全員それを呑んだ。

 間違いなく呑み込んだことを横で観察していた髭面の男に確認を取れば、頷き返した。

 

「これでいいんだな! 俺たちを同士だと認めるんだな!」

 

「もちろんだ。『ゼンフォース』は、君たちを勇者だと歓迎しよう。ナノマシンはきっと――力になってくれるはずだ」

 

 準備はすべて終えた。

 そして、時刻も太陽が沈む、夜となった。

 

 

「さあ、陽は沈んだ。もはや徒に慎重になる必要はない。たとえ『獣王』と対決する羽目になろうとも恐れる必要はない。速やかに『花嫁』を確保しろ」

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

 赤青緑と色とりどりの、と言う形容は、プラスの意味合いに物事を高めてくれるものなのだろうが、それが料理であった場合。

 食卓に並べられた山盛りの大皿。無数の未知の料理達が皿一枚に一緒くたにしたパルミア伝統料理は、どれもこれも異様にカラフルで、その完成図からどのような調理過程を辿って、あの得体の知れない食材たちを処理したのか判別できないくらい混沌してる。

 それでいて食欲を誘ってくる香りが強烈なので、箸は進む。

 そして、美味なのだから、二口目以降も進む。

 やや香辛料が強めでクセがあるが。舌触り良く、絶妙なコクと旨味が口の中に広がっていく。

 しかしながら、人工生命体の少女の箸のペースは途中から落ちてしまっていた……

 

「先輩、よかったらサラダのおかわり、よそいますね」

 

「ああ、悪い……サンキュ」

 

「いえ。あと、先輩、顎にソースがついてますよ」

 

「え? そうか?」

 

「はい、取れましたよ」

 

 家事上手な妹の凪沙が、絃神島から去ってから一日目。

 彼女は見送りに来た雪菜へ忠告した、『ミイラ取りがミイラにならないようにね』と。

 それに対し、雪菜は自信を以って、『私がしっかりと先輩の管理をします』と任された信頼に応えた……

 今、まるで新妻のような甲斐甲斐しさで古城の世話をする雪菜。凪沙は『けして兄を甘やかさないように』とも注意していたのだが、果たしてそれは親友の要求に応えているのだろうか。

 それをしらーっと半眼で客観視するセレスタは、二人の仲睦まじい姿に辟易したように息を吐いた。

 

「ねぇ……地味女。あんたって、そこの変態とどういう関係?」

 

「へ……?」

 

 不躾なセレスタの質問に、声を裏返らせる雪菜。

 実はこの24時間前にも、古城の父親の牙城からほぼ同じ内容の質問をされていた。して、焦る雪菜とは対照的に、二度目でうんざりとしている古城はセレスタを見返し、勘違いを訂正する。

 

「そんなわけねーだろ、箱入り娘」

「そうです。私はただの監視役ですから!」

 

 気怠く、慌てて、と声調は正反対。

 しかし、そのタイミングは息ピッタリ。

 

「なにそれ。わけがわかんない」

 

 とセレスタが感想を零すのも無理はない。

 傍からそれを眺めていたニーナも、うんうん、と彼女に同意したように無言でうなずく。

 

「まあどうでもいいけど……あんたたちってヴァトラー様の家来なの?」

 

「何で俺があいつの家来にならなきゃなんねーんだよ。冗談でもやめろ」

 

 全身に鳥肌立てて抗議する古城に、ムッとセレスタは不快そうに唇を尖らせる。

 

「違うの? だったらどうしてヴァトラー様はあたしをあんたに預けたのよ?」

 

 それはこっちが知りたい、と古城は苦々しげに独りごちた。

 箱入り娘(セレスタ)が目覚めたのが良いが、彼女の記憶はなく、未だにヴァトラーからの接触(コンタクト)もない。那月も現在忙しいからそちらに付き合ってやれない状況。

 セレスタの正体や『戦王領域』の貴族の真意とやらは依然と謎のままである。

 とその煩悶する古城に蒙を啓いたのは、この中でぶっちぎりに年長の賢者であった。

 

「常識的に考えて、古城の手元に置いておくのが、一番安全だからであろうな」

 

 ニーナの発言に、『安全? この変態の傍が?』とボケを疑うセレスタだが、雪菜はその意味に気づき、自ずと答えに行き着いた。

 

「そうです。アルデアル公が先輩にセレスタさんを預けた理由。第一真祖<忘却の戦王>を除けば、あの方が、御自分と同格以上の戦闘能力の持ち主だと認めているのは、おそらく先輩だけ―――ですよね」

 

 あまり認めたくないが、ここは古城も首を縦に振るしかない。

 ただ“力”だけが、戦闘狂(ヴァトラー)の興味を引くもの。

 敵味方になどさしてこだわらず、強いものがいれば戦いを挑むことを生き甲斐とし、

 善悪などどうでもよく、戦うことに価値のあるものに敬意を払う。

 故に、暁古城が受け継いだこの『世界最強の吸血鬼』――<第四真祖>の血を彼は何よりも愛しているのだ。

 

「だから、アルデアル公は先輩にセレスタさんを任せたんだと思います。先輩以外には、セレスタさんを護れないと考えたから……」

 

 『強さこそが信頼』などとシンプルだが、その方がヴァトラーの思想、らしい。真剣な口調で告げた雪菜の仮説は十分に説得力があった。

 ただし。

 

「それって、セレスタが誰かに狙われてるってことか?」

 

「はい。あくまで仮説ですけど」

 

 そして、忠実な部下を大勢抱えている一国の領主であるヴァトラーが己の部下ではなく、あえて古城に託す理由とは、それは古城だけがもつ特別な力――存在自体が戦争そのものとされる<第四真祖>の力であって、

 相手は『世界最強が必要なほどの難敵』と言うことになる。

 

「そんな、あたし……」

 

 重々しく頷いた雪菜に、セレスタの顔色が見てわかるほどに青褪める。雪菜の推理は冗談ではなく、思い当たるのだ。

 彼女の残されたヴァトラー以外の記憶には、頭蓋を砕いても自分を殺そうとする兵士と自分を守って血塗れになる神官。

 そして、殺されかけていたセレスタを、ヴァトラーが救って―――古城に預けた。

 おそらく、セレスタを護衛させるために。

 

「大丈夫です。お兄さんは私のことも助けてくれました」

 

 怯えるセレスタを励ますように、夏音は控えめに微笑みながらそう言った。

 ハリネズミのようにほぼ全周囲に攻撃的なセレスタであっても、おっとりと微笑む夏音には強気に出れず、照れたようにそっぽを向く。

 

「べ、別に心配してないし。そこの変態なんかに護ってもらわなくても平気だし」

 

 ゴニョゴニョと歯切れ悪く言いかえして、それからセレスタは話の矛先を変えんと、ん、んっ、と咳払いをしてから背筋を伸ばす。

 

「夏音だっけ? あんたは、その男のことどう思ってるの?」

 

 憧れのヴァトラーが信頼する相手、ということ知り、情報を集めたいとも思ったのだろう。セレスタの中では古城は今のところいきなり抱きついて胸を触ってきた変態である。

 夏音はいきなりのことに小首を傾げつつも、そんな質問に深い意図があったかどうかなど特に気にすることなく素直に答えた。

 

「お兄さんのことは、ずっと好きでした」

 

 ごふ、と古城が食事を喉に詰まらせ、雪菜が握っていた箸を落とす。

 

「そ、そうなの?」

 

 とても分かりやすい回答をいただいたが、その思いがけないくらいにまっすぐさに、セレスタは毒気を抜かれてしまう。

 そして訊き返された夏音は爽やかに頷いて。

 

「はい。お兄さんも雪菜ちゃんも凪沙ちゃんもクロウ君もアスタルテさんも大好きです」

 

「あ……そ、そういうこと……紛らわしいことを言わないでよ」

 

 へなへなに脱力するセレスタ。

 夏音の言う『好き』と言うのは広義的なものだったらしい。セレスタがヴァトラーに抱く狭義的なものではなくて。

 

 

 

 そして、今のセリフは、妙にアスタルテの琴線に触れた。

 アスタルテ自身も入っていた(呼ばれなかったニーナが『妾は? 妾はどうなのだ夏音』と不安がっているが)し、彼の名を読み上げられたのも共同生活してるのだから気心が知れた仲だというのは理解しているから納得がいく。

 実際のところ夏音を助けているのは、暁古城よりも彼の方が多かったりする。しかしそれでも『好き』と言い切ったことに、何故だかアスタルテの思考に予期しないノイズを与えたのだ。

 それは、アスタルテにはとてもそこまですんなりと口にできる言葉ではないのだと突きつけられたようで。

 

(疑問。何を……私は考えているのでしょう)

 

 自分の葛藤を判じかねて、アスタルテは箸をおき、机の下、エプロンドレスの前で自分の手を擦り合わせる。手の平に汗など掻いていないのだが、そのことが余計に今の人工生命体の少女には寒々しく思えた。

 しかし、これからの激動に比すれば、それは大津波の前に引いていく潮のようなものだ。

 にこにこと笑う夏音を改めてみて、内心で一息つく。

 そして、遅ればせながら、アスタルテも無感動な声で追随する。

 

「心配は不要。第四真祖があなたを護る……南宮クロウなどという増援は必要ありません」

 

 と、最後に余計な文句も添えて。

 多分、それが最大の過ちだった。

 きっ、とそこでこれまで常に微笑んでいた夏音が笑みを崩して眉をしかめる表情を作ってから、こう注意したのだ。

 

 

 

「そんなことを言ってはダメでした。アスタルテさんは、クロウ君のことが大好きなんですから」

 

 

 

「……は」

 

 ぴたり、と。

 アスタルテが停止(フリーズ)した。

 全機能が津波に巻き込まれたように遮断(シャットダウン)し、感覚器官が次々と閉鎖。同時並列で進めていた思考タスクが片端からエラーの嵐に巻き込まれ、脳神経回路は熱暴走(オーバーヒート)

 ―――――無論、それらすべては錯覚だ。

 人工眷獣を寄生させるための器とその機能は、それほど柔ではない。

 だけど、そんな錯覚に真実味を持たせてしまうほどに、アスタルテの衝撃は鮮明で、鮮烈で、圧倒的であった。

 これに比べれば、世界最強の魔獣(レヴィアタン)に戦いを挑んだ方が、遥かに容易いと断言できるほどである。

 

「せ、説め、い要求……もうしわけ、ありません。今の、言葉を、理解、できません、でした」

 

 返す言葉までもが、暴走寸前でつっかえつっかえ。

 人工生命体として完璧な姿勢制御を取るように設定入力(インプット)されていたが、椅子に腰を落ち着けさせている状態にもかかわらず、アスタルテはぐらぐらとふらついていた。

 して、夏音は祈りを捧げるように手を組みながら、思い返すように語る。

 

「今日、お料理をしてわかりました。毎日、その人のことを思いやって料理を作るのは、とても大変です。好きでもないとできません。だから、クロウ君のお弁当を欠かさずに用意しているアスタルテさんはクロウ君のことが大好きでした」

 

 ばおうっ、と、まるで電子レンジが爆発するみたいに、人工生命体の顔の表面が爆発的に温度を上げた。

 

「食事……ハ、HA、は、先輩は、え、栄養管理で、輪、私も、仕事ですから。そ、そそそ、義務で、あって、好……と言う感情で、くくる、相手で、は、ないと、考え、ままま、ます」

 

 瞳を彷徨わせながら精一杯に答えるのが、ろれつどころか、てにをはさえも怪しい。

 そのあまりの惨状に古城らは固まってしまう。

 だが、そんな逡巡は許されなかった。

 ずい、と人工生命体のあまりの動揺ぶりに興味を持ったセレスタが踏み込んだのである。この場で唯一相手(クロウ)を知らない彼女に遠慮はなかった。

 

「じゃあ、なんなのよ。あんた、そのクロウ、ってやつのことどう思ってるのよ」

 

「ど、どう、って……言われ、まして、も……」

 

 ぱくぱくと口を開く。

 視界のほとんどを、迫ったセレスタの顔が覆っている。

 明るい茶色の大きな瞳が、人工生命体を見つめている。どんな些細な挙動も見落とすまいとする、鋭く力強い視線だった。

 

「さあ、さあ、さあさあさあさあ!」

 

 あたかも歌舞伎の大見得の如く、ぐいぐいと力ずくの問いかけ。

 そんな迫力に逆らう、または受け流す術は、アスタルテにはなく……

 だから。

 ある意味では、救いだったかもしれない。

 雪菜がセレスタを止めようとする―――よりも早く、監視者が現れた。

 

「―――忍!」

 

 何もない空間から現れる――透明化を解いたその人影。

 銀色の装飾が施された長剣を背負い、純白のローブに身を包んだ若い女性。

 王妹殿下――叶瀬夏音の護衛についているアルディギア聖環騎士団のユスティナ=カタヤ要撃騎士だ。

 その彼女が訓練された軍人の顔つきで告げる。

 

 

「至急、第四真祖にご報告があります―――」

 

 

人工島南地区 マンション付近

 

 

 奇襲で先手を取ることが、狩りの鉄則。

 密林で生きてきた獣人の若者たちも、戦場で生きてきた軍人たちも、相手に警戒させる前に一撃で仕留めることこそが至上と言うのは共有した理解である。

 警戒されれば、対策され、

 警戒されれば、反撃され、

 警戒されれば、防御され、

 相手に自分の存在を意識されているだけで狩りの成功率は著しく下がる。だから、狩りとは狩りをする前から始まっている。相手に気取られず絶好の位置をとる。それができればもう展開は決まったようなものだ。

 だから。

 獣人の若者は、狩りのポジションにつくまでは緊張して事に臨んでいたが、いざそこについてしまえばその糸は弛緩し切っていた。そもそも、原始生活から豊かでのびのびと楽のできる環境へ行くために部族を裏切った不良狩人だ。最後まで真面目にやり通す、なんて当たり前の感覚がすでに消失しかかっているのだから、仕方がないのかもしれない。

 しかし、長達からこうも教わらなかったか。

 狩りをするとき、獲物に注意を向けてしまうときこそが最も周囲への意識が薄まるから、けして警戒を怠るなと。

 

 ―――最初、風が吹いた。

 

 ―――次に、雲でもかかったのか、頭上が影に覆われた。

 

 ―――そして、(うえ)から落ちてくる銀の狼が紫電迸らせる腕を振り上げていた。

 

「え?」

 

 なにをする暇もなかった。

 この人間達の街で、狩人である自分たちが獲物とされているという。ありえない状況に思考をすっかり空転させていた獣人の若者だったが、彼が頭を回せたのはそこまでだった。

 

「<若雷(わか)>」

 

 メタァァァァあああああああああああああああああああッッッ!!!!!! と。

 対策も、反撃も、防御もさせない先制攻撃に、若者の全身がアスファルトの下まで埋まる。

 

 

 

 『アメリカ連合国(CSA)』の歴史は、戦争の歴史だ。

 そもそも『アメリカ連合国』そのものが、欧州『北海帝国』に対する独立戦争や、『北米連合(NAU)』との武力衝突の末に成立した国家だからだ。

 戦争の直接の原因は経済問題だが、その背景には魔族に対する差別がある。人間と魔族の共存を目的とした『聖域条約』に、『アメリカ連合国』は調印していない。人類純血政策を掲げる『アメリカ連合国』にとって、魔族とは淘汰されるべき下等な存在なのだ。

 過激な差別政策によって国際的に孤立した『アメリカ連合国』では、軍事力の整備こそが最優先の課題であって、

 国家を存続させるために、世界各地の紛争に常に介入し、軍事パワーバランスの調整をし続けた。

 その主力となってきたのが、アメリカ連合国陸軍所属・第十七特殊任務部隊分遣隊。アンジェリカ=ハーミダが率いる特殊部隊(ゼンフォース)―――

 

 作戦行動に入る直前に、獣人と軍人は動きを止めた。

 息を飲む。

 たった今、上位獣人種に何もさせずに一撃でダウンさせた銀人狼に。

 その事実が、冷静な戦闘機械であるはずの軍人たちを、僅かに動揺させた。

 

「オマエら、この建物をずっと見張って何をするつもりかは知らないけど―――ここを襲うのなら、オレの敵だ」

 

 隠密していたこちらを察知していた相手。

 膨大な戦闘経験を持つからこそ、彼らは直感的に理解したのだ。この相手は、部隊の任務を妨げる障害となることを。

 

「貴様は、空港で……」

 

 サングラスの男――ブイエは、一気に二部隊を壊滅させられたあのとき、A隊の装輪装甲車の運転手を務めていた。だから、目の前の銀人狼が少佐に歯向かった敵だと知る。

 

「くそ、この異邦の同族め―――!」

 

 こちらが指示を出すよりも速く、血気盛んな若者のひとりが豹頭の獣人へと変身して、銀人狼に飛び掛かった。

 襲い掛かってきた豹の獣人を、銀人狼は爪拳で迎え撃つ。しかしカウンターの一撃は、手応えもなく虚しく空を切った。

 

「かかったな間抜け!」

 

 今、銀人狼に襲わせたと見せたのは呪術によって生み出された幻影だ。幻影の背後に立っていた本体が、空振って体勢を崩した銀人狼を嘲るよう、荒々しく牙を剥いた。

 

 極めて高い戦闘能力を持つ獣人が、魔術を扱う事例は稀だ。だが、ごく一部だが先天的に呪術の素質を備えた種族がいる。

 それが上位種。通常の獣人とは桁違いに強大な力を持つものたち。

 

 隙を逃さず、豹の獣人は巨大な鉤爪で、銀人狼を薙ぎ払う。

 ―――そして、同じく手応えもなく虚しく空を切った。

 

「え?」

 

 奇しくも、最初に仕留められた仲間と同じことを最後に呟く。

 

「“匂い”でバレバレだ。オマエより、姫柊の方が使い方が巧かったぞ」

 

 それは、そこにいると錯覚させる“残り香”の陽動(フェイント)

 鼻が良い――嗅覚の情報量が大きい獣人種だからこそ、よりかかりやすい。

 “匂い”を残して、跳躍。

 呪力が電火となりて散らせる踵蹴りの断頭台(ギロチン)に、まんまと体を泳がせて頭を差し出すような恰好となった豹の獣人に、銀人狼は容赦なく。

 

「<鳴雷(なる)>」

 

 

 ッッッズン!!!!!! という重たい震動が二人目を黙らせた。

 

 

「……、」

 

 卑怯姑息な不意打ちではなく、真っ向からの近接戦闘で上位獣人種を迅速に沈黙させた銀人狼の凶悪な瞳が、残る獣人軍人それぞれ二人組へと向けられる。

 

 呪術を使う上位種。

 しかし、この銀人狼は呪術だけでなく、呪力に頼らない超能力まで使える、特異種とも呼べるような存在。

 

「貴様らは行け! このイヌは俺たちが仕留める」

 

 軍人たちの判断は早かった。

 隠密行動はすでに見破られていた。しかし、それでもまだ対策を取らせるだけの時間はなかった。だから、今のうちに攫うしかない。

 軍人の叱咤に、豹人たちは動いた。

 一瞬、視線だけ銀人狼は豹人らに視線をやったが、止めに動かなかった。

 できるものならば、ここで全員を仕留めておきたかったが、この軍人二人組は無視できない。

 

「オマエたち、空港で暴れてたやつだな」

 

「魔女のイヌめ。貴様を民間人の餓鬼などとは思わん。覚悟しろ」

 

 サングラス越しから殺気混じりの視線をやるブイエは無言で己の服を裂いた。彼の両肩の筋肉が割れて、体内に埋め込まれた、放熱フィンに似た銀色の物体が露出する。金属ブレードを無数に縦に並べたそれは、<焔扇>。

 

「―――マティス。俺がやる。援護してくれ」

 

 そして、サングラスの男ブイエともうひとりの髭面の部隊員。

 手袋を脱ぎ捨てた男の腕は、武骨な金属製の義手だった。そして、両腕の義手に埋め込んだ魔具を、すでに起動させている。マティスの周囲に出現したのは、空中に浮かぶ16個もの籠手(ガントレット)だった。籠手に握られているのは、様々な武器だ。剣や斧、槍や鎌、そして大口径の拳銃や、機関砲まで―――

 <神託照準器(オラクル・ボムサイド)>。個人で一部隊の兵器火力を有する魔具だ。

 

(こいつら、スワニルダのヤツと似てるな)

 

 まだ十数年と生きてないが、様々な魔族人間と戦闘してきた経験値の引き出しから、対象と似た記憶を思い出す。

 機械人形と合成された人工生命体。肉体に多種多様な魔具を仕込み、人間を遥かに上回る計算頭脳を有した『人造人間(ヒューマノイド)』の戦闘力は当時の剣巫に匹敵するものがあった。

 そう。

 あの機械化人工生命体(サイバネティクス)と同じく、彼らは人工義体(サイバネティック)に魔具を融合した兵士。

 発動するにも相応の魔力と適性を必要とする、強力な魔具。肉体を機械化させることでその制限を外すことに成功したのが、『アメリカ連合国』陸軍の<摩義化歩兵(ソーサラスソルジャー)>だ。

 

「焼き払え、<焔扇>!」

 

 大陸系の仙人にのみ扱いが許された宝貝(バオペエ)がひとつ、『五火神焔扇』。

 その派生である<焔扇>は、虹色の灼熱の陽炎を生み出して、目標を消し炭の塵へと変える、魔族を殺すためだけに作られた戦闘用の魔具。

 人工義体からの魔力が集中し、両肩の金扇(ブレード)の周囲を業炎が取り巻く。

 

「ぐぬっ!」

 

 渦巻く、激しい焔。

 アスファルトを溶かし、爛れた火竜の如きねじくれた灼熱の陽炎が、一気に銀人狼に殺到する。

 極度の熱で空気中の水分が蒸発し、爆発した。その爆発で舞い上がった粉塵が、銀人狼ばかりか夜空まで覆い尽くす。

 

 しかし、その直前で銀人狼の足は、強く地面を蹴っていた。

 炎がアスファルトを灼くのと、銀人狼が跳躍するのはほぼ同時だった。

 

 ―――想定内。回避も織り込み済みでこちらは動いている。

 

 銀人狼が跳んだ先に、待ち構えていた無数の籠手が、彼を取り囲むように宙を舞った。

 

「死ね、魔女のイヌ!」

 

 銃機が火を噴き、無数の武器が次々に突き出される。その攻撃の威力と精度は、それぞれの武器の達人の動きに匹敵する。その波状攻撃から逃れられる者はいない―――

 

 パン!! パンパン!! という乾いた破裂音が連続した。

 

 360度を取り囲んで発砲を続ける。

 当然、標的にも銃弾を弾くだけの余裕はあるが、マティスは気に留めない。

 標的が銃弾を防ぐために労力を割いている間に、他の<神託照準器>がもつ剣や槍、斧を武装した籠手が急速に接近する。無数の刃でもって防御を斬り捨て、無防備になったところへ遠近双方から致命傷を叩き込む。

 それが、これまでマティスが標的を仕留めてきた必勝の戦法。

 つまり、最適解だ。

 そのはずだった。

 だというのに、銀人狼の身体が揺れたかと思えば、すでにその身体は消失していた。四方八方からの射線全てから逃れる。その強靭な肉体でもって強引に受け止める真似もせず、ただ避ける。

 停滞することを忌む。

 囲まれている状況で、足を止めるような真似はしない。もちろん手も。

 

 ―――マズルフラッシュを視認してから、回避する。

 

 かつて、ちょうど<摩義化歩兵>と似たような機械化人工生命体との戦闘で、その銀人狼の主人である魔女が呆れていったことだ。

 銃口の向きから射線を先読みしたわけではなく、実際に飛び出た銃弾を、目で見てから避けている。

 そして、

 

 

 ズパン!! と。

 銀人狼が、上段から振り下ろされた剣を白刃で掴み取った。

 

 

 人間の身体構造を基準に計算していては、銀人狼に追いつけない。

 達人の動きで振るわれた、超高速の剣戟の機動を正確に捕捉する動体視力、瞬時に肉体を動かす筋力に恵まれた反射神経、鋼をも裂く刃を掴んでも斬れないほど強靭な皮膚を備えていれば。

 飛んできた武器を手掴みで捕まえることは、不可能ではない。

 

 そして、手に執った得物(けん)で、間髪入れずに飛来した槍を籠手がついたまま振るって打ち払う。ただし、彼に武器を扱うのには致命的な欠点がある。強引に振るったその剣は、たった一振りで砕け散った。銀人狼の力があり過ぎるあまりに、耐えられないのだ。

 しかし。

 今はそんなことは気にしなくてもいい。一振り砕けても、まだ向こうから得物はやってくるのだから。

 剣や槍ばかりではない。斧がある。鎚も矛もある。掴み盗りし放題だ。

 

「―――」

 

 上位獣人種を一撃で叩きのめすほどの膂力。下手をすれば、自分の力で自分をバラバラにしかねない馬鹿力を、制御するには相当な情報処理を常時働かせていることになる。

 銀人狼は、そのリソースを僅かに外に向ける―――霊視を発動させる。

 それだけで、数多に肉を貫く刃の群も、空気を裂いて骨を穿つ鉛の雨も。

 銀人狼を仕留めるには値しない。

 

 そして、十六の籠手を破壊した銀人狼は、無防備となった<摩義化歩兵>に迫る。

 

「この化け物め! <摩義化歩兵>を舐めるな!」

 

 振るわれる銀人狼の爪拳。当たると思ったはずの一撃。だがその攻撃を、義手の男はギリギリで回避する。見えない糸に操られてるような、人形めいた不自然な動きだ。

 自動回避機能。

 機械化された肉体が、本人の意思とは無関係に動いて、攻撃を避ける。それは吸血鬼の反応速度でも追い切れない、凄まじい速度での動き。

 

 そして、回避直後の好機を逃す軍人ではない。

 髭面の男が義手の掌を銀人狼の頭に向けた。掌の中央に埋め込まれていたのは、銃口だ。この距離で撃たれたら流石に逃れようがない。そして頭を完全に潰されてしまえば、致命傷。

 

 だが―――この時点でもまだマティスは、この銀人狼の脅威について見誤っていた。

 銀人狼が攻撃を外したのは、あくまで<摩義化歩兵>の緊急時の動作速度を見誤ったが故の間合いの読み違いでしかなく、けしてマティスの動きが捕捉し切れないほど速かったからではない。吸血鬼に見切れなくとも、銀人狼には追える。だから、倍速で動くとわかったならば、そう弁えた上で間合いを見測るだけの事。

 

 故に、舐めているのは、一度回避して安心したマティスの方だったと言える。

 おおよそ三歩分、万全の安全圏と見なしたその間隙を、銀人狼は何の足捌きも見せないままに跳んだ。

 ―――『縮地』。主人のとは比較にならない、ほんのわずか数歩分の空間跳躍。

 

「な―――」

 

 慄然となったマティスの内懐に、銀人狼が『黒妖犬(ヘルハウンド)』の如く入り込む。

 今度は避けられなかった。

 髭面の顎へ、銀人狼の突き上げる掌底が決まった。

 <摩義化歩兵>の身体が宙を舞う。

 人間の膂力ではけしてあり得ない距離と高さで義手の男が舞う。

 ―――しかし、改造されたのは回避能力だけでなく、その耐久性もまた頑丈であった。

 

「まだだ、魔女のイヌ―――!」

 

 上位獣人種を潰した『八雷神法』を使わずの純粋な物理的衝撃だったが、それでも耐えたマティス。

 <神託照準器>。この魔具によって生み出された籠手は、たとえ破壊されてもすぐに復活することができる。

 無数の籠手が再び実体化し、銀人狼の全身を拘束する。そして―――その籠手の中身には、爆薬が詰まっていた。

 

「今だ、ブイエ!」

 

 やれ、とマティスの唇が動くよりも速く、ブイエの肩の金扇が灼熱の陽炎を放った。十六の籠手に詰まった爆薬が炸裂し、その火力を上げる。

 凄まじい炎と爆風が銀人狼を包んだ。

 

「やったか」

 

 荒々しく息を吐くブイエ。

 魔族を撃滅させる焔―――その中で、人影は依然とある。焼き尽くされることなく、どころか“焔を吸い込んでいる”。

 

「すぅ―――」

 

 炎の渦が晴れるとき、その体毛が金色に変わっていた。

 七つの霊的中枢(チャクラ)を解放し、聖獣覚者に近づく。そして、焔を体内に吸い込み、己のものと『匂付け(マーキング)』して―――神獣の劫火(ブレス)にまとめてお返しした。

 

 

「―――   ッッ!!!」

 

 

 <焔扇>の灼熱の陽炎を呑み込んで放った劫火は、<焔扇>に絡みつき、半機械兵士の肉体に燃え移らんと逆走した。

 

「ぐああああっ!?」

「ブイエ!」

 

 マティスが籠手を飛ばし、猟犬が咬みついたように金扇にまとわりつく劫火からこれ以上燃え移させる前に仲間を離させるよう、その金扇<焔扇>を毟り取った。

 それでも背中は焼け爛れ、金属化された部品は皆、融解してしまっている。金扇の魔具も使えるような状態ではない。

 撤退の二文字が、マティスに浮かぶ。

 この魔女のイヌは、ここで確実に仕留めておきたい相手だ。しかし、ブイエの<焔扇>が使えなくなった。<神託照準器>だけで仕留められる相手ではない。

 しかし、ここで銀人狼から逃げ切れるか。

 そのマティスの思考を、ブイエもまた辿っていた。そして、彼はそのさらに先へと行きついていた。

 もう使えなくなった自分を犠牲にして、動ける仲間を生かす方法を。

 ―――いや、特殊部隊(ゼンフォース)は自分たち二人だけではない。

 

「―――っ!」

 

 不意に、銀人狼が強大な何かを感じ取ったように、軍人たちから視線を外してしまった。

 

 

 瞬間。

 銀人狼の胸の真ん中に、指先ほどの赤黒い穴が空いた。

 ッッッタァァァァァァァァァン!! という世界に風穴を穿つような轟音が遅れて響いた。

 特殊部隊の狙撃手ポーランド。

 そして、ブイエとマティスの通信機から、リーダーの指令が届く。

 

 

『撤退しろ。“処刑人”が来たぞ』

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

「―――シアーテの娘を返してもらおう」

 

 

 玄関とベランダから、身長2mを超える豹人の侵入者。

 しかし、逸早くユスティナ=カタヤからの報せが届いていたことにより、古城たちはその奇襲に冷静に対応することができた。

 

疾く在れ(きやがれ)、『一番目』の眷獣、<神羊の金剛(メサルテイム・アダマス)>!」

 

 <第四真祖>の眷獣の中で最も守護に適した神羊。

 他の眷獣では攻撃の余波だけでマンションを崩壊させかねず扱いづらいものだが、この金剛宝石の障壁を造り出す神羊は、攻撃した相手にその攻撃を返すという『報復』の権能だ。

 叶瀬夏音、セレスタ、アスタルテ、ニーナを囲う宝石の壁を展開して古城が護りを固めたところで、剣巫と要撃騎士が後背を気にせず果敢に豹人たちに攻め立てた。

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 対魔族の白兵戦術を修め、破魔の銀槍を振るう雪菜。その読みの鋭さは、運動能力を上回る豹人を相手に先手を突き、相手の攻勢に転じさせることなく攻め続ける。

 同年代の攻魔師で、自身より身体能力が格上の相手との経験値であれば、姫柊雪菜の右に出るものはいないだろう。

 

「王女より賜りし宝剣<ニダロス>。王妹殿下を害する輩に破魔を、そして、我らに癒しの加護を与えん!」

 

 そして、剣技ならば剣巫以上に猛威を振るうユスティナ。天使に近い属性を持つ叶瀬夏音の霊気を借りることで<疑似聖剣>を発動。斬ると同時に青白い炎を刻みつける剣戟を前に豹人は臆し、一方的な展開へともっていく。

 

 時折、幻術を使って、注意を逸らし、狙いの――セレスタへ向けて、破れかぶれの特攻を仕掛けようとするも、神羊の宝石障壁が割って入って、相手の身へと反射させる。

 

「二人とも、動かないでください」

 

 そして。

 膝を屈した二人の豹人へ、銀槍を突き付けた雪菜が舌鋒もまた鋭く叫んだ。

 

「これ以上の戦いは無益だと思いますが、まだやりますか?」

 

「………」

 

 『神格振動波』と天使に近き霊気。それら魔族には猛毒に等しき一太刀を浴びた豹人は、ぐふ、と苦悶の息を吐いた。聞き取りにくい嗄れた声で、彼らは言う。

 

「その娘は、我らが育てた<ザザラマギウ>の依代」

「シアーテの娘は我らのものだ」

 

「……っ!」

 

 豹人から血走った目を向けられた、セレスタが怯えて息を呑んだ。

 記憶喪失の彼女にとって、この獣人たちの襲撃は見知らぬ過去から迫ってきた恐怖そのもの。何故自分が狙われているのかもわからないままでは、不安と苦悩しか覚えることはない。

 古城は獣人たちの視線から庇うように怯えるセレスタの前に出て、挑発的に反論する。

 

「本人は、あんたらのことなんて覚えてないみたいだぜ」

 

 それにそもそも、セレスタの仲間であれば、こんな襲撃などせず堂々と正面から迎えに来ればよかったのだ。なのに、いきなり武力行使では、自身が悪党であると宣伝してるようなものだ。

 

「……調子に乗りおって。慈悲を与えたのは間違いであったか」

 

 ク、と低く笑う豹人。襲撃を待ち構えられ、失敗して追い詰められているはずの彼らが見せる奇妙な余裕。

 脳裏に、ある予感が過る。

 この潮が引いていくような感覚は―――とても、覚えのある前兆だ。

 

「―――防護モード。執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先>」

 

 その予感を誰よりも早く察知したのは、アスタルテ。豹人たちが何かをするよりも速く、羽織っていた白衣を脱ぎ捨てて飛び出し、虹色の双翼を展開した彼女は古城たちの前に『神格振動波』の防護結界を形成する。

 

 瞬間、獣人たちの魔力が爆発的に膨れ上がり、その衝撃で部屋が吹き飛ばされる。

 

「これは、まさかクロウと同じ―――!?」

 

 目の当たりにするのは異様な、だけど古城たちには見慣れた光景であった。

 ただでさえ巨大な豹人の身体が、急激に二回り以上に膨れ上がり、体長5mにも達する禍々しい豹の姿へと変貌する。

 

「<神獣化>です!」

 

 巨大化する豹人の肉体がマンションの床や壁を破壊する。魔力の無効化能力を持つ<雪霞狼>でも、変化を止めることはできない。何故ならばそれは魔術によるものではなく、その者に許された特性であるからだ。

 

 獣人種族の中でも、一握りの上位種のみが可能な<神獣化>。

 完全に制御ができなければ寿命さえ削るほどの凄まじい消耗を代償とし、鳳凰や龍族に匹敵する格を備え、吸血鬼の眷獣を超える戦闘能力を有した神獣になる。

 

 そう変身した際に漏れ出した、暴れ狂う膨大な魔力だけでも、アスタルテが咄嗟に眷獣を召喚して盾にしてなければ古城たちは吹き飛ばされていただろう。

 

「クロウを二人分相手にしろってことか!?」

 

 そうそう滅多に拝めないはずの<神獣化>は、後輩(クロウ)のおかげで初見ではない。

 そう、神獣が真祖の眷獣にすらも耐えうるというのを古城は見てきたのだ。

 だからこそ、神獣に挟み撃ちにされた状況が如何に恐ろしいものか理解している。

 このマンションの崩壊を気にした、生半な攻撃で倒し得ることはできない―――

 

「否定。第四真祖、それはいくらなんでも失礼です」

 

 頭を抱えたくなる古城へ、その淡々とした声が響く。

 自身は脆弱な人工生命体の少女に過ぎないが、それでも体内に植え付けられた人工眷獣をもって、神獣二体の圧力に耐えているアスタルテは、言う。

 

「先輩とは、違います。これは、魔力と膂力(パワー)図体(サイズ)が増大しただけの、“張子の虎”。見たところ<神獣化>を御し切れていないようで、虚勢が長続きすることは、決して、ない」

 

「貴様ァ! 人形の分際で、我ら上位種を愚弄するかッ!」

 

「事実を述べているまでです。あなた方二人合わせても、先輩には遠く及びません」

 

 アスタルテの言に、激昂した豹の神獣が、体内で巨大な魔力を循環させる。魔力の炎を凝縮させた爆炎(ブレス)を放って、このマンションを崩壊させて古城たちを押し潰すつもりなのだろう。宝石の障壁に妨害されているが、足場が崩れてしまえば必ずや隙を見せる。目当てであるセレスタも、もちろん無事では済まないが、未熟、と侮辱された怒りで神獣は我を忘れてしまっているらしい。

 しかし、それを前にしても古城はふっと笑みを零した。

 

「ええ、クロウ君と同格と見積もるのは過剰評価でしたね」

 

「張子の虎とは言い得て妙ですなアスタルテ殿」

 

 爆炎を放つために大きく息を吸い込んだ、その隙。

 臆さずに前に飛び出した雪菜とユスティナが銀槍と宝剣、それぞれの得物を神獣たちの膨らんだ胸郭に突き刺した。

 

「があっ!?」

 

 魔力を浄化する聖なる霊力を纏った刃は、神獣の体内で高まろうとしていた魔力の炎を鎮圧させる。<神獣化>は生態的な形状変化であっても、神獣の爆炎(ブレス)は膨大な魔力によるもの。ならば、それを清浄な霊気で打ち消し、爆炎を中断させることができるはずだ。

 

「全員、結界に入ってくれ!」

 

「先輩!? なにを―――!?」

 

 古城はそう呼びかけると障壁の外へ飛び出した。今は雪菜たちの攻撃に怯んだが、それでも神獣の巨体に踏み潰されてしまえば、致命的なダメージを負うだろう。あまりにも無謀な行動―――だけれど、前を踏み出すのに足は竦まない。雪菜はその蛮勇ぶりに目を剥くも、ユスティナとアスタルテに引っ張られて、神羊の結界内へと避難させられる。

 それを確認すると同時、古城は宝石の障壁を天井から壁床まで部屋全体に包み込むように張り巡らせる。

 

「ああ、テメェら二人束になったところで俺の後輩の方がすげぇよ。だったら―――ビビる必要はねぇよな!」

 

 真祖の膨大な魔力を制御するのは手一杯だが、それでも着き出した両手の間に集中させる。神羊の幉を引きながらも、圧倒的な魔力を誇る<第四真祖>の眷獣を、部分召喚させる。アスタルテが<薔薇の指先>、その巨人の眷獣で腕だけを現出させて翼とするように。

 

疾く在れ(きやがれ)、<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>!」

 

 古城の両手から喚び出されるのは、荒れ狂う衝撃波の眷獣。

 本来の姿は、全長十数mにも達する巨大な双角獣であるも、その魔力だけを抽出して、高密度の衝撃波として拡散させる。理屈の上では可能なはずだが、ぶっつけ本番。失敗すれば、自滅することは間違いないが、それでもここでビビることは古城にできなかった。

 

「喰らいやがれ―――!」

 

 古城が爆裂させた魔力の衝撃波が、<神獣化>した二体の獣人をまとめて打ち据える。そしてさらに衝撃波は、白く透き通った宝石の障壁にぶつかると無数の結晶を散らせながら反響する。二体の神獣を、結界に密封された空間に幾度も跳ね返る衝撃波が滅多打ちにし、そして跳ね返る度に暴風に含まれる結晶の欠片は数を増して切り刻む。

 今この瞬間、雪菜のリビングは、まさに災厄を閉じ込めたパンドラの箱の如き、キリングルームと化したのだ。

 

「くっそ……完全に制御するのは、まだ無理か!」

 

 血管が破れて血塗れになった古城の両腕。反響した際の計算が追い付かずに、眷獣の攻撃に巻き込まれて、全身にも切り刻まれた痕がある。それに強引な魔力制御の代償で、脳の奥が沸騰したような苦痛に見舞われて、古城は荒々しく息を吐いた。

 

「なんて無茶をするんですか、先輩……!」

 

 眷獣の実体化を解いて、ぐったりと尻餅をついた古城に、真っ先に駆け付けた雪菜は眉を吊り上げて叱責する。

 宝石の結界を維持できずに、古城の眷獣が暴走したら、このマンションを含めた周辺一帯が世界から消滅しかねなかった。その危険性を知っている雪菜が、怒り狂うのも当然だった。

 

「こうするのが一番手っ取り早かっただろ」

 

「だからって、こんな自滅するような真似をして……自分の眷獣で死にかけるなんて、先輩くらいです!」

 

 ついやってしまった感があるので古城も、雪菜には言い返せない。

 何と言うか、ここは先輩として負けてやれない気がしたのだ。

 

 して、<第四真祖>の眷獣の猛威を喰らった二体の神獣は、まだその形態を保つことはできているようだ。しかしながら、最初ほどの魔力の昂りはなく、弱ってきている。深いダメージを負ったのもそうだが、やはり<神獣化>を制御し切れていない獣人は、数分程度が限界のようだ。

 

「ぐっ……まだ、我々は……『花嫁』を……」

 

 それでも、立ち上がろうとする豹人たち。

 いったい、何が彼らをそこまで衝き動かすかは知れないが、今の状態であればもう一撃を加えるだけでも―――

 

 

「見苦しい」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……え?」

 

 ベランダにそれが降り立つと同時に発せられた低い声。

 古城が顔を向けると、そこにいたのは、筋骨隆々たる偉丈夫。古代の始祖鳥が二足歩行に進化したようなその者は、獣化した鳥類種の獣人――鳥人だ。神獣が大きすぎるだけで、その鳥人も巨漢と呼ばれるだけの体躯を有している。

 

 そして、見るものが見れば、一瞥だけでわかる。

 

 肉体のサイズは<神獣化>している豹人の方が大きい。

 だが内包しているエネルギーは、鷲の獣人の方が一段も二段も上だ。単に体が大きいだけでなく、そのうちに戦うための力を秘めており、戦うためだけに鍛え上げられた肉体である。

 

「クアウテモク戦士長……」

 

 豹の神獣が、現れた“処刑人”に呼び掛ける。いや、思わずその名を呟いただけだろう。

 

「ここにいるということは―――なるほど、“裏切ったな”」

 

 それに対して、『鷲の戦士長』クアウテモクの台詞は、明確に相手へ呼びかける、宣告。

 体格であるのなら、神獣と成っている豹の獣人の方が圧倒的に勝っている。そして、今は夜――豹の時間だ。

 そして、何よりも、豹の獣人は、若かった。

 

「ウガアアアアアアッ!!!」

 

 大きなダメージを負っている身体。それでもここは身体を壊してでも動かなければ―――死ぬ。

 相手に全力を出させる前に仕留めかかろうと、古城たちのことなど目もくれず豹の神獣は飛び掛かり、神獣の爪を『処刑人』に振り下ろした。

 

「……、」

 

 神獣の爪撃を、戦士長は自身の翼腕で盾にして防ぐ。分厚いゴムを叩いたような感触。そして、ブロックされただけでなく、押し返された。

 

 <神獣化>した獣人が、獣化のままの獣人に力負けした……!?

 

「お、俺の力が……」

 

 思いがけない強い反動と精神的な衝撃に、豹の神獣はたたらを踏んでバランスを崩して、そのまま<神獣化>を解いて、元の人型へと戻ってしまう。

 

「なんだ、あれは……?」

 

 古城が瞠目するそれは、生体障壁。

 本来ならば、半透明であるはずが、“黒ずむほど”の密度と硬度の生体障壁だ。その羽先まで浸透してるように漆黒。その羽が乱れ波紋と飾り付けられる、妖刀の如き翼と化している。

 

「見苦しいが、同胞を始末するのは後だ―――それより」

 

 鳥人は、セレスタを見る。瞳孔が研がれる鷹の目で、射抜く。

 

「ひ―――」

 

 逃げたいのに、金縛りに遭ったように体が硬直する。そのセレスタの前に立つ雪菜。銀色の槍を構えて、それ以上の接近を拒む。

 

「その槍……そうか、貴様が<第四真祖>の監視のために派遣された、『七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツアー)』の使い手か」

 

「獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜です」

 

 鳥人の傲岸な言葉に、雪菜は気丈な口調で答える。

 間近で向き合ったこの男の獣気は、雪菜がこれまで対峙してきたモノたちでも最上位にあるもの。一瞬でも気を抜けば、たちまち戦意を奪われそうだ。

 その肌が焼けそうなほどの威圧感を前に、雪菜は槍の構えを解くことをしない。その意気を称賛してか、鳥人は会話をできるくらいに威圧感を緩めた。

 

「動かないで。獣化を解除して、私の指示に従ってください」

 

「私に指図をするか。相手との格の差を弁えぬその無謀さ、なるほど皇女(ブライド)が好みそうな性格をしている」

 

 口元に荒々しい笑みを刻み、目を眇める。

 

「だが、私が王と掲げるのはそこの第四真祖ではない。皇女ただひとりよ。貴様らが敷く法にも、私が聞く道理はないのだ。聞かせたくば力を見せるがいい」

 

 大きく翼腕を羽ばたかす。

 ただその一動作で、疾風が、突風が、暴風が―――熱風の嵐が、室内で吹き荒れた。

 

「なっ!?」

 

 室温湿度があがる。まるでこの場が熱帯雨林と化したように、鳥人より高熱が放散される。

 

「私がここに来たのは『花嫁』を処刑するため。それが果たせば島から去ろう」

 

「っざけんな! いきなり現れたかと思えば、そんな勝手、許せるわけがねーだろ!」

 

「貴様の許しなど乞うてはいない。どけ、第四真祖」

 

「この―――」

 

 ただ羽ばたくだけ。それだけで起こる強風に、古城たちは近づけず、立っていることすらままならない。体重の軽い雪菜や女性たちはこの強烈な逆風にリビングから吹き飛ばされていく。古城もまた先の戦闘での負傷で、眷獣を召喚するには危険な状態。

 

「セレスタ=シアーテの保護のため、自衛権を行使します。執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先>」

 

 アスタルテがひとり。背中に魔力の翼を広げ、それを更に巨大な眷獣の腕へと変えて、鳥人からセレスタを護るように彼女を抱く。

 魔力を反射する『神格振動波』を纏う虹色の巨人。その防御は鉄壁で、かつて<第四真祖>の雷光の獅子でさえも打ち破れなかった。

 しかし、それは“完璧”ではない―――

 

「ほう。先ほども見ていたが、そこの豹の若僧よりはマシらしい」

 

 構わず、鳥人は巨人の腕へ向けて、豪風を纏った『鷲の戦士長』の翼腕が薙ぐ。

 黒曜の生体障壁を妖刀と研がせた<黒曜翼>―――その手刀の斬撃に、<薔薇の指先>が、破れた。

 そう、あの時と同じ。

 純粋な力で、打ち砕かれた。

 

「しかし、力があるからといって、戦士になれるわけではない。その心身と魂すべての問題だ。貴様には力以外の全てが足りんわ」

 

 刹那の呼吸で戦士長は踏み込んだ。

 一動作で、腕翼が旋回する。

 斬撃の余波の羽ばたきに吹き飛ばされて壁に打ち付けられたアスタルテは、呼吸が止まっていて、動けない。

 <薔薇の指先>が腕半ばから断たれ、宿主の人工生命体も体勢を崩した。いまだ被害評価(ダメージ・リポート)さえ終わっていない。

 それでも懸命に、人工眷獣が拡散するのを留めて、

 

「弱い。所詮は人形―――」

 

 古城が、戦慄する。

 斃される、と思った。

 これまで何度となく強大な相手との戦いをしてきた故の直感。

 無意識に古城の身体が動く。

 しかし、遅い。

 立ち上がってからすでにもう。

 まだかろうじて形を残す巨人の眷獣ごと断栽する格好で、重厚なる黒曜の刃が走った。

 

 

 

 そして、乱れた。

 人工生命体を断とうとした足取りから、即座に反転。跳び離れながら振るった刃は、全方位から入り乱れる霊弓術の手裏剣を悉く斬り落としていた。

 それでも構わず、再度、処刑を続行しようとする鳥人へ、

 

「オマエ―――!」

 

 牽制を投擲しながらも駆け抜け、間に合うかどうかなど考えもせず、玄関口からセレスタとアスタルテを襲おうとした鳥人との間に割り込むようにして、我武者羅に飛び出してきた銀の人影。そして、その無理矢理な体勢から身を捻って―――

 

「<黒曜翼>!」 「忍法雷切!」

 

 垂直に頭頂へ振り下ろされた戦士長の左手刀。それに人影――銀人狼は下から突き上げよう、同じく爪を揃えた左手刀を繰り出し、戦士長の左手刀を迎え打った。

 

 銅鑼を鳴らしたような衝突音が轟く。

 しかし、その大きさに反して、衝撃の余波は驚くほどなかった。

 古城らを襲ったのは、微風。

 威力が、相殺されたのだ。

 

「ぐっ」

「ほう」

 

 一度として邪魔をされたことのない処刑を、止めた。

 処刑人の両眼が燃え盛る闘志を映して爛々と光る。

 対して、銀人狼は―――停まらず。

 

「<伏雷(ふし)>っ!」

 

 相手の攻撃の威力を利用した踵蹴りをそのどてっぱらにお見舞いする。

 呪力を帯びた打撃をまともに喰らって、鳥人の身体は吹っ飛ばされた。ゴールのベランダへ豪速球でシュートされて―――しかし、翼腕を羽ばたき、空中で姿勢を水平回転させた戦士長が、銀人狼を一瞥して、上昇をする。

 

「グル―――ッ!」

 

 そして、“頭に血が上っている”銀人狼――クロウは、突然の登場に戸惑う古城たちに声をかけられるよりも早く、鳥人を追って、ベランダを出て、その目的地の屋上へと跳躍した。

 

 

 

「先輩っ!」

 

 遅れて、アスタルテも血相を変えて玄関へ飛び出した。

 見たのだ。

 自分を庇ったあの瞬間、銀人狼の背中に赤い………

 

 

 

つづく


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