ミックス・ブラッド   作:夜草

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オリキャラ登場

第三真祖の眷獣<シアコアトル>に『意思を持つ武器』の設定追加



八章
冥王の花嫁Ⅰ


混沌界域 森

 

 

 密生する木々が地上を覆い、余所者を拒む灼熱の熱帯雨林。

 空には死肉を狙う極彩色の鳥、地には死肉を漁る虫。

 高温多湿。強烈な日射。大気を満たすは、熟れた果実と、名も知れぬ絢爛な花たちの芳香。

 

 そして、硝煙と炎と骸の匂い。

 生々しく剥き出しの生と死の気配が、密林に色濃く染みついていた。

 

 石造りの神殿。その祭壇を守るよう、幾人もの神官たちの屍が山となる。この秘境に攻め込んできた軍属の兵士らに虐殺された。

 弱肉強食。

 この獣人の神官らは弱者であったから、対魔族兵装の軍人の前に屈した。

 ―――そして、兵士は強者によって屠られる。

 

 強力な銃器と魔術で武装した兵士たちが、密林ごと、骨身残さず焼き尽くされた。

 溶岩の網を張り巡らせる、蜘蛛の姿をした琥珀色の眷獣。

 しかし、<炎網回廊(ネフイラ・イグニス)>は、神殿を脅かす無粋な連中を始末するために召喚されたのではない。

 麗しき闇の貴公子が、その端麗な顔を歪ませ、見据える先に、それは立つ。

 

 

 

「――――――――温い」

 

 

 

 燃え盛る溶岩の上にありながら、その発言。相手の正気を疑うであろう一言。

 

「………」

 

 闇の貴公子キラ=レーベデフは、周囲の温度が急速に冷え込んだような錯覚を覚えた。

 

「なにを驚くか……太陽が、溶岩で焼ける道理のほうがありえぬ……」

 

 そんな空気の中、失笑を含んだ、低くそして力の篭った声が響く。

 

「斯様な蜘蛛の巣に捕まるは、余程の弱者か……ムシケラのみよ」

 

 2m半ばを越している身長、そして長い手足を持った体躯。

 腰布や下穿き、左脚には羽飾りのアクセサリを身に着けているが、上半身に何も纏っていない。その獣毛ではなく羽毛で覆われた身体を見せる。それだけでなく、両腕が爪羽、五本の鉤爪を持った翼であり、尾の代わりに風切り羽の尾翼を垂らす。しかし、嘴のよう尖った咢に歯と牙をもつ。

 まるで太古の始祖鳥の如き、半鳥半人の―――古代種である上位獣人。

 そして、居合一刀のように、『鳥人』は爪羽を振り抜く。

 

「<黒曜翼(マクアフィテル)>」

 

 灼熱の大地が、割れた。

 黒曜石に似た生体障壁を帯びた『鳥人』の翼腕から鎌鼬の如き飛ぶ斬撃が迸り、張り巡らせた結界を薄紙とばかりに破り、一刀必殺で琥珀色の眷獣を断ち切り、仕留めた。

 得物(けん)を持たない。だが、その者にしてみれば、羽のひとつひとつが如何なる妖刀魔剣よりも鋭利な刃である。

 そして、眷獣を屠ってから、『鳥人』は貴公子へ告げる。

 

「……そこをどけ。今、『混沌界域』を騒がす、災禍の原因たる『花嫁』を、一刻も早く葬らなければならない」

 

 若い世代にある吸血鬼の貴公子の背後には、ひとりの少女がいた。

 きめ細やかな褐色の肌と、蜂蜜色の髪。幼さを残した美しい顔立ち。純金で彩られた豪華な衣装は、花嫁が着る民族衣装と呼ぶ相応しいもの。

 しかし少女の表情は、恐怖と絶望に凍り付いていた。

 死の宣告を受けて、彼女は自分の意思では指先ひとつも動かせぬほど、全身を石のように硬直している。瞼を閉じることもできぬまま、猛禽類の瞳に射抜いてくる処刑人の圧に心が潰される。

 それ以上の猶予は無意味と悟ったか、また『鳥人』は翼腕を振るう。

 

「<投矢羽(アトラトル)>」

 

 飛来する黒曜石色の矢。それは、技術としては、霊弓術と同じ原理であって、ただし撃ち放された威力は人間の出せるものではない。

 風邪の速さを遥かに超え、音の速さすらも凌駕する。

 撃ち出された硬気の羽矢は、密林をレーザー光線のように一直線に駆け抜ける。

 空気を斬り裂き、音速越えの衝撃波を放ち、周囲に轟音を響かせた時にはすでに突き進んだ後だ。

 吸血鬼の貴公子ごと、『花嫁』を薙ぎ払い、細胞の一欠けらも残さず、消し飛ばした―――

 

「……ほう、私を欺くとは。我が身を囮とさせるその忠誠、なるほど皇女(ブライド)血族(むすめ)たちに見習わせたいというだけはある」

 

 身体を真っ二つに切断されながら、『幻影使い』の貴公子は笑みを崩さない。

 主より命じられた、キラの役割は、時間稼ぎ。

 『鳥人』に先ほど殺された少女は、“影武者”だ。

 鏡像と影を操る眷属<幻網影楼(ディオニカ・ノクス)>が作り上げた、『花嫁』に瓜二つの分身。それをこの処刑人に悟られぬよう、この強者と敵対する己が護衛をやり、そして殺されることを前提に貴公子は身体を張った。きっと今頃、もうひとりの公爵の部下で貴公子の相方が、本物の彼女を連れて、この土地を離れているはずだ。

 

「―――ああ、よくやってくれたねキラ」

 

 その証拠に我らの主人である、熱帯雨林には不似合いな、純白の三つ揃え(スリーピース)を着た男、金髪碧眼の美しい青年からお褒めの言葉をいただいた。

 神官を虐殺した兵士を、ひとり残らず食い尽くし、神官に頼まれた全ての用事を済ませて。

 

「第一真祖<忘却の戦王(ロストウォーロード)>の血脈に連なる吸血鬼(もの)が、皇女の『夜の帝国(ドミニオン)』に介入するとは……何を企んでいる<蛇遣い>」

 

 『鳥人』もまた、その緊張感のない優雅な足音と場違いに軽薄な声、そして、隠す気すらなく、背中に刺さる尖らせた闘争心の眼光。その存在を覚っていた。

 

「なあに大丈夫さ。『長老』には不興を買うだろうけど、うちの真祖(ジイ)はそんなの気にしないよ。それに、<混沌の皇女(ケイオスブライド)>もちょっと前に不法入国で暴れてくれたじゃないか。ボクが任されている『魔族特区』で、そして、愛しい<第四真祖>を相手にね」

 

「その意趣返しというのか」

 

 『鳥人』に睨まれるが、吸血鬼の青年はますます笑みを深める。

 

「それで、一族はほぼ全滅、『花嫁』もここにはいなくなった。“第三の夜の帝国で最も強い獣人”はどうするのかな? 横槍を入れたボクを捕まえるかい」

 

「舐めるなよ、“第一の夜の帝国で最も狂った吸血鬼”。『混沌界域』の屈強な戦士と、『戦王領域』の軟弱なイヌどもを同列に語っているのなら、その認識を改めることだ」

 

 上位獣人種は、資質ある霊能力者よりも稀少とされる。

 そして、『黒死皇派』によって有力な獣人兵は獣人至上主義者となって真祖に反旗を翻し、またこの<蛇遣い>によって、『戦王領域』の上位種一族のひとつは根絶やしにされた。おそらく今の第一真祖の獣人兵団には、下位獣人種しか残っていないだろう。

 一方で、『混沌界域』は、『(ジャガー)の戦士』、『(コヨーテ)の戦士』、そして、より稀少な“鳥人類”である『鷲の戦士』という上位獣人種が今も貴族として残っており、多くが獣人兵団に所属している。

 第三真祖は多様な化身になれる獣化能力を持った稀少な吸血鬼であり、隠居した他の真祖らとは違い顔を出し国民からの支持率が高い。『黒死皇派』などというテロリストを生んでしまった『戦王領域』よりも、上位獣人種が残っているのは必然と言えよう。

 <神獣化>ができず人間と同じ銃器火薬に頼る『戦王領域』の下位獣人兵団と、『混沌界域』の上位獣人兵団とは、質は段違いだ。

 

「それはどうだろうねェ」

 

 しかし、『混血』とはいえ、“第一の夜の帝国最強の獣人”の血を継いでいるものがいる。

 そして、その『混血』はここで『鳥人』を相手にした麗しき影の貴公子と同程度の実力を持った苛烈なる炎の貴公子を撃退するだけの実力をつけてきている。

 

「キミは強いのは確かだヨ。できるのなら、ここですぐ殺し合いたいくらいだ。

 ―――でも、やっぱりボクはあの子の方が()いかナ」

 

 挑発気な笑みを含んだ青年の評。

 茶化してる風だが、それは身贔屓しているものでない。強者との殺し合いに飢えているこの戦闘狂は、だからこそ、相手の実力を詐称して語るような真似はしない。強者には敬意を尽くすのが、彼なりの流儀だ。

 そして、その『混血』の話は、青年だけでなく、皇女からも聞かされている。逸材、だと。

 

「それで、キミのところの陛下とひとつ賭けをしたんだ。どちらが強いのかって―――」

 

「なに、皇女が……」

 

「そちらの第三真祖(ばあさん)とボクの愛しの第四真祖(こじょう)、尊き我らが真祖同士の戦いには今じゃあ色々と制約が多いけど。

 獣王(きみ)らとの戦いなら聖域条約に触れないだろう? まあ、この前中断してしまった不完全燃焼に始末をつける“代理戦争”ってヤツだヨ」

 

 当人もその主人にも話を通さずに進められた“賭け事”。もし魔女が知れば、自身の眷獣(サーヴァント)を蝙蝠どもの勝手な都合に振り回されることに、想像し難くないが想像するに恐ろしい反応を見せてくれたかもしれないが、

 強者との契約であって、今では願掛け。『自分に歯向かって来た時こそが食べ頃』という制限を課してしまって青年からは手が出せず、機会を作ってもいちいち邪魔してくる魔女に生殺しにされているのだから、『異種獣人王者統一戦』をマッチメイクするぐらいはいいだろうと。

 

 

「“代理戦争(しあい)”をするかしないかはキミたちが決めるといい。ただ、もう『花嫁』は絃神島に送っちゃったから」

 

 

 それを聴くや否や、青年貴族の前から姿を消す。

 一枚の風切り羽だけを残して、『鷲の戦士長』は極東の『魔族特区』へと飛び発った。

 

 

彩海学園

 

 

 北米・中南米大陸にて『空の王者』といわれ、太陽神の聖獣とされる鷲は、国の首都の起点となった伝承さえあり、『蛇を足で捕まえる鷲の絵』など国旗にもあるほど信仰が深いものだ。中南米には、『鷲の戦士』を従える太陽神が、敵対者である『(ジャガー)の戦士』を率いる夜の神に負けて、朝が来なくなることを恐れ、生贄として人間の心臓を生きたまま抜き取り、捧げ続ける『血の儀式』もあったそうだ。

 

 そして、生贄を捧げる儀式は世界中にある。

 

 神稚児でなくなってしまう7歳の誕生日を迎える前に、自分は神を召喚するための生贄として、殺されるはずだった。

 両親の思いでは、ほとんどない。

 最初から愛されてなかったわけではないだろう。細切れの映像に似た記憶の欠片には、午睡のような、微かな温もりが残っている。

 だけど、その幸福な期間はそう長くは続かなかったことは確かだ。

 自分の、制御できない強大な霊力は、両親を恐怖させるのに足るものであった。

 避けられ、見放され、虐げられ、そして、両親から引き離された。物心がついた時には、すでにひとり。

 その時には、強い結束と権力を持つ大きな呪術集団に、身売りされていた。

 

 それは、『狼を聖獣』とする、異邦の女神を信奉する一派だ。

 呪術の媒体、聖獣の生贄を求めていた集団にとって、この身の強大な霊力は、天恵にも思えたことだろう。彼らは即座に準備を始めた。女神を降臨させる儀式の準備を

 しかし、それは大規模魔導テロの予兆を察知した政府より、集団解体を命じられ派遣された、たった一人の対魔族戦闘の専門家(エキスパート)――獅子王機関の剣巫の活躍により、彼らの悲願は果たされることなく終わりを迎える。

 

 さて。

 

『……ふぅむ、なるほどねぇ。こいつの『神殺し(ぞくせい)』を新たに噛ませることで、性能を上げつつも、制止をかけたのか』

 

 獅子王機関の絃神島出張所。

 そこに現在常駐している黒猫の式神を通し、師家様に『七式突撃降魔機槍・改』をみせる。この新しい槍は自身に不備はないかと相談しに来たのだが、式神の黒猫は刃筋を見るだけでなく、その核のある穂先に肉球を聴診器のように当てて何かを感じ取る。

 

『まあ、使うには問題ない。むしろ、前よりも“雪菜の槍”になってる』

 

 本当ですか!? と聞いてきた自分に黒猫は尾を揺らして片目を閉じる猫らしからぬポーズをとり、

 

『なんだい、そんなの使った雪菜が一番わかってるだろう? 武器はその力を発揮させるに不足な担い手もそうだけど、その武器が自壊するほど担い手の力があり過ぎるというのも問題だ。ほれ、『壊し屋』の坊やが良い例さ。あの子が“全力で振るうと武器が耐えられない”。『七式突撃降魔機槍』でも、三日で壊すだろうね。才能より、馬鹿力の方が問題だ。

 とにかく、手入れは前の<雪霞狼>と同じように毎日きちんとやりな。……それから他に言うことがあるとすれば、『壊し屋』の坊やには感謝しておくんだね』

 

 同級生への感謝、それはあの自身に似た少女も言っていたこと。事件での彼の活躍にはいつも感謝している。でも、これはそれだけではない。この新しい<雪霞狼>に関わっているのだろうか。話を聞こうにもあの少女はおらず、また同級生も主人から少女について緘口令が出されているのか何も話してくれない。ただ、彼自身は何もやってないとは教えてくれた。

 それでもやはり日頃の感謝に何かをしたいとは思っている。けれども、それを一体どうしたらいいのだろうか。

 男子禁制の女子だけの戦闘巫女養成所である高神の社に同年代の男子はおらず、その手に関するものはなかなか思いつかない。すると、悩んだ様子で頭を捻る弟子に、師家様は助言をくれる。

 

『別にそんな難しく考えないでいいんだよ。そうだね、“お供えをするつもりで”坊やに何か美味いものでもやればいい』

 

 なるほど、とその師匠の言い回しはとてもわかりやすく、腑に落ちた。

 

『男子の胃袋を掴むいい練習台にもなるだろう。なんならその機会に“もう一人の坊や”を誘ってみたらどうだい?』

 

 早速、明日から実践することに決めた。

 ―――もちろん同級生に感謝するためで。先輩はついでである。

 

 

 

「―――クロウ君、これをどうぞ」

 

 昼休みの屋上。

 新しい槍を得てから一層動きに機敏さと読みに鋭利さが増した姫柊雪菜との組み手が終えると、南宮クロウは彼女から小包を渡された。

 

「あう? 何なのだ?」

 

「お供えです」

 

「オレ、神様じゃないぞ」

 

「ええ、分かってます。これはクロウ君への感謝の気持ちを込めたものです」

 

「そうか義理立てというのだな。んー、でも、オレからも姫柊に何か感謝すべきだよな」

 

「いえ、いりません。これは私が勝手にしたことですから……ただ、お口に合うかはわかりませんけど」

 

「心配しなくていいのだ。苦くて辛いケーキでも、ちょっと泣いたり笑ったりできなくなるだけで、お腹に入れば一緒」

 

「そんなひどいものは作ってませんよ!?」

 

 渡された神饌(べんとう)を開けると、やや大きめの握り飯が三個。形はやや不格好ではあるものの、十分に出来のいい部類に入るだろう。それに手作り感がある。

 クラス内で姫様と崇められるほどの美少女とお昼休みに皆に内緒で屋上へ行き(指導員、メイド、先輩がいて二人きりではないが)、二人触れ合って(というには激しい応酬だが)、そして手作りの料理まで用意されているとは、中等部男子に恨まれても仕方のないシチュエーションだが、不思議とこの男女にそういう雰囲気はないのだ。これは少年の人徳か、それとも少女がはたから見れば明らかだからであるか。

 

「あの、よかったら先輩もどうぞ。おにぎり、先輩の分も作ってありますので」

 

「お、いいのか姫柊」

 

「はい。先輩にも、その、感謝してますから」

 

「いや、こっちも助けられてる。ここ最近金欠気味で昼は菓子パンひとつだったからな」

 

 と後輩の実践組手の見張り役を引き受けてる先輩こと暁古城。雪菜から渡された弁当を受け取る。中にあるのは同じ爆弾おにぎりが三個。ただ何となく同級生のよりも若干形が整っているよう。中身は、定番のツナマヨネーズ、ウメとオカカをマヨネーズで和えたもの、そして辛子マヨネーズで味付けされた唐揚げ……こだわりがあるのか、マヨネーズがたっぷりの具材である。無言でもりもりと食べる古城と、それをチラチラとどこか緊張した風に伺う雪菜を他所に、パクパクペロリ、と食欲旺盛育ちざかりのクロウはあっという間にたいらげる。

 

「ん。うまいぞ姫柊」

 

「そうですかクロウ君」

 

 同級生の素直な感想にほっと安心する雪菜。それから二個目の握り飯を咀嚼しながら古城も頷いて、

 

「ああ、意外に美味いぞ」

 

「はあ。意外……ですか……そうですか」

 

「ええと……姫柊?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 褒められたけれど余計な一言の多い評に、微妙にむくれた雰囲気をついっと顔をそらす雪菜。

 そんな犬も食わないやりとりは自然、無視するものと学習したクロウは、二人に関わらず、こちらも自身の後輩を呼ぶ。

 

「アスタルテー」

 

 影のかかる屋上入り口扉に佇む人影。

 そのシルエットさえも、美しい。

 黄金律。

 人間が本能的に美しいと思う、数字の比率であって、生物にも適用される法則―――ならば、人影はまさしく黄金率の化身であった。そうなるように狂人ともいえる匠の手により、整えられた。

 かかる陰より光照らす先へ、さらりと翻る藍色のストレート。

 硝子水晶とも紛う両の瞳。

 メイド用の使用人服もつつましく、アスタルテと呼ばれた少女型の人工生命体(ホムンクルス)はゆっくりとこちらへ歩を進めた。見るものが見れば、その歩幅はミリ単位で同一だったことに気付いたことだろう。

 

「オレの弁当くれー」

 

「………」

 

 と先輩からの催促に、無言で三段の重箱を押し付けるように渡す。

 組み手の後は、水筒のお茶まで用意して甲斐甲斐しく世話をしてくれた後輩アスタルテが、クロウへの対応がどこか、つんと厳しい。かつ、そこに指摘できないような圧迫感のある雰囲気。突っ込めぬ、そうはさせぬまま、アスタルテは居住まいを正して、

 

「監視及び補給の任を達成。教官より命じられた任に戻ります。では、失礼します第四真祖、ミス姫柊」

 

「あ、ああ」

 

 とクロウではなく、言い合っていた古城と雪菜へ挨拶を述べて、屋上から去っていった。

 

「おい、クロウ。アスタルテどうしたんだ?」

 

「んー……なんか最近、ご機嫌斜めなのだ」

 

 

回想 人工島西地区 高級マンション

 

 

『………それで冬休みは帰省することになったの』

 

「そうか。凪沙ちゃん、本土に行くんだなー」

 

 九時に定時連絡することとなったその慣習。

 電話口の向こうからでも話すのが嬉し気と分かる少女の声、そして、彼女とのやりとりに応える楽しげな少年の声がよく耳朶を叩いてくる。

 先輩である少年の隣で、壊さぬよう代わりに携帯機器を持ち、彼の耳に当てる、恒例の役をじっと置物のようにこなす。二人の会話を邪魔しないよう、呼吸の音も立てず。感情も……気取られぬように、荒立てず。そう、努める。

 

「本土かぁ。ご主人の仕事でちょこっと行っただけだし、この前の宿泊研修も結局中断になったのだ」

 

『残念だったよねー。あ、それでね……お祖母ちゃんが、クロウ君に興味があるみたいで』

 

「凪沙ちゃんのお祖母ちゃんがオレに?」

 

『うん。牙城君からの又聞きだから直接は訊いてないから、詳しいことはわからないけどそうみたい。だから、もし、だけど、本土に行けるなら、冬休みに凪沙と一緒に……行かない?』

 

「んー、そうだなー……」

 瞬間、熱した鉄板に触れてしまったように、反射的に携帯機器を持っていた腕を引いてしまう。

 それ専門の固定器具のように、筋の震えもなかった姿勢が大きく動く。

 

「あう?」

 

 瞬きして、三度、少年が首を傾げた。

 不思議そうな傾げる仕草と、声の響き具合は見てわかる。

 これがこれまでにないイレギュラーな動きであると頭で理解している。

 けれど、それを修正して、音声を拾うマイクを彼の口元へ寄せようとは、体が動かなかった。

 基本、人間に命令されれば、その通りに奉仕するよう人格設定(プログラム)されている。でも、この携帯持ちの役割は、厳密に命令されているわけではなくて。

 ただ、そんな理屈の抜け道があったからといって、この行動に自身も少年にも腑に落ちるものではない。

 たじろぐ。意識して抑えこんでいた筋の震えが、またびくりとぶるつく。

 実に困ることに少年はいつも正面から人物を見つめてくる。ことりと首を傾げられても、その金色の瞳は、ただあるがままにこちらを映している。だからこそ、自身でも不可解なものを抱えている今の自分は退くも進むも次の行動に移せず。

 

『あれ? どうしたの? 何かクロウ君の声が遠くなってるような気がするよ?』

 

 少女の声に、やっと凍った時間は解けたように動き出す。

 

「ん。じゃあ、ちょっとご主人に相談してみるのだ」

 

 それから二言三言、会話をして、通話を切った。

 少女の声と耳がなくなったところで、微かに乱れた呼吸のペースを取り戻してから通話を終えた先輩へと接近する。

 後ずさったときよりも、大きく踏み込んで。

 結果、彼との間合いは、むしろ狭いくらいに接近する。

 互いの息のかかるほどの間合い。

 

「先輩」

 

「お、おお」

 

 少女と楽しげに会話してた声が、急激にすぼまる。

 自身との会話になった途端この反応。

 やや眉間に皺の谷が浮かぶも、これはこちらの妙な迫力に気圧されたのである。

 先ほどは少年から逸らした、感情の波がぶれにくい瞳が――今、ただならぬ意思に燃えて――少年を捕捉していた。

 そして、先ほどの自身の行動に疑問を持ち出さずに棚へ上げてしまうよう、一息に。けれど、一言一句と主張を間違えないようにゆっくり丁寧に。

 

教官(マスター)との相談とおっしゃいましたが、詳細は語らずただ指名するというのは、前回のように先輩は利用される可能性があります。ミス凪沙にその意図がなくとも、そのような誘いなど断わる方が望ましいと私は愚考します」

 

「そ……そうか?」

「肯定」

 

 ずい、とまた迫る。

 唇が触れそうな距離で、合わせ鏡のように互いに真正面から見つめ合い―――やがてカクカクと少年が頷くのを見てから、納得したように一歩下がった。

 

「分かっていただけましたら、風呂へ」

 

 家内のカースト的に一番後になる先輩の背中を押して、リビングの外――浴室へと追いやる。

 本来、腕力で言えば、少年にかなう道理はないのだが、その道理も今は引っ込ませた。

 

「あ、アスタルテ?」

 

「代行。先輩の代わりに、私が教官に相談します。その間、先輩は風呂にお入りください。きちんと湯船に肩までつかり、千を数えて―――」

 

「―――せ、千もか」

 

 言い切る間も与えず。

 呆然とした先輩を浴室まで押し切ると、ぴしゃり、と扉を閉ざして、しばらく前で見張るようにそこに立ち、それから『いーち、にー、さーん……』と律儀に一から数を数える声が聴こえてから、教官の部屋へと赴いた。

 

 

彩海学園

 

 

 彩海学園で最も高い部屋。位置的にも建築費としても、高度高級である国家降魔官の執務室。

 広々とした部屋には、柔らかな赤い絨毯を基調に、精緻な衣装の照明(ランプ)やクリスタルガラスの水差しなど落ち着いた調度が配置されている。そのひとつであるかのように、主に選択されたフリル付きの使用人服で着飾れた人工生命体の少女。

 “特別呼び出されたというわけではないので”、部屋の主人はおらず、かといって手持無沙汰でいることが好ましくなかったからか、反復行動で染みついた職務、執務室に入ると条件反射的に習慣づけられた紅茶の支度をする。

 

「……少し、おかしかったでしょうか」

 

 ぽつりと、呟く。

 自分の行動を、反芻する。

 人間よりも機械的な思考するように設定された人工生命体。経験したすべてを記録し、検索すれば、アスタルテはいつの記憶でもまざまざと再体験できる。

 

「………」

 

 ……やっぱり、無視した振る舞いに意味はないように思われる。あんな彼以外に挨拶をするというあからさまな行為。

 それはまあ、あの少年に命令されての行動ではないのだから、事が済めば退出しても問題はない。あの瞬間は、それが最善とも判断した。だけど、急いてその場を立ち去るほどの理由も見当たらない。

 何か、自分の論理回路にエラーでも生じているのだろうか。

 

(……どうして、でしょう)

 

 まだ、胸にざわつきが残っていた。

 振り返らず屋上からここにやってきたはずなのに、先輩である少年とのやりとりにこだわっていた。自責の念にかられているともいう。やってしまってから、振り返ってみるとあれはなかったというような。

 自分の論理にない思考で、少年を無視してしまったことにこだわっていた。

 あんな風に接するつもりはなかったのに。

 だけど、先輩は今朝方こんなことを言ってきたのだ。

 

 

『なあ、アスタルテも学校に通いたかったりするのか?』

 

 

 これはきっと不満げな自身の感情を読んで、彼なりに推理を働かせた結果なのだろう。

 しかし、現在、保険室勤務で用務員のような仕事をこなす待遇に不満をもっているわけではない。そして、先輩の思考はあまりに頓珍漢であった。

 

『もし、そうなら江口と一緒に“天奏学館に”転入(はい)ってみるか、ご主人に訊いてみるぞ』

 

 天奏学館とは、人工島西地区(アイランド・ウエスト)にある小中一貫教育の名門校だ。一般人が生徒の大半を占める彩海学園などとは違って、天奏学館には、登録魔族が多い。中には貴族級の吸血鬼や、上位種の獣人の子女も通っているという。他の生徒もそれなりの家柄や成績の持ち主ばかり。全寮制の超お嬢様学校というやつである。

 そこへこの前、『青の楽園』で出会った<夜の魔女(リリス)>の江口結瞳が、人工島管理公社と魔族総合研究院の推薦をもらい、魔族保護プログラムの特待生として入学した、と事件経過を教官の口から語られた。

 

 『魔族特区』である絃神島には、身寄りのない魔族のための支援政策が充実している。魔族統合研究員の特待生制度もそのひとつで、『世界最強の夢魔(サキュバス)』である結瞳は当然その資格を満たしている。

 そして、準魔族であり、同じように世界で唯一の眷獣共生型人工生命体のアスタルテも特待生制度の条件を満たしていることだろう。

 

 ただし、アスタルテが教官に身元を預かってもらっているのは、自らの意志でないとはいえ罪を犯した自身を3年間保護観察するためであって、彩海学園を離れてはならない。そもそも知識教養が大学生卒業程度に修めている以上、偏差値が高いとはいえ小中学校の授業で得られるものはない。

 なのに、わざわざ“別々の学校に”通わせるような勧めをするのだろうか?

 知識レベルや自身の年齢的に、たまたま話題に上っていた天奏学館が先輩の頭に浮かんだとしても、それは、ない。

 アスタルテは、学生でないことを不満などともっていないのだ。

 

 ただ、それならばそうと、きちんと口で説明をしておくべきだった。

 

 確かに、アスタルテにとって彩海学園で仕事をするというのは人工生命体としても有意義であって、先輩の考えというか気の遣い方が間違っている―――ただそれでも“自分と離れたがっているわけではない”、アスタルテのためを思っていることは、理解している。

 だというのにその誤解を解かずに、無視している。

 自分の行動は、まるで論理的じゃない。

 だから、悩む。

 何が、そこまで嫌だったのだろう。

 道具として造られた自分が悩むなど、それ自体がおかしいことにも気づかず、アスタルテは没頭する。ごくごく自然に、思考回路のリソースをあの少年に振り割ってしまう。

 だって、それぐらいに、あの少年は特別で……

 

「……考察、完了」

 

 いつの間にかティーポットを持ったまま止まっていた手を動かす。作業(タスク)と分割しながら、理論武装を固めていく。

 

 だって、こんなのは当たり前だ。

 あの少年は自分の先輩であって、教官より管理するよう任されているのだから、いちいち考えてしまっても無理はない。むしろあの少年が悪いのだ。もっと自分を理解して、もっと自分をうまく使うべきなのだ。だって、自身のすべてを捧げると彼に誓ったのだから、これくらいの主張は当然なのだ。

 そう信じて、無理矢理に自身を納得させる。

 

(先輩が悪い―――と判決します。もっと私の使用法を理解してくださるべきです。だというのに、お側から離そうなどと判断は間違っています。勘が鋭いのに、頭が鈍いのも減点対象です。料理のレパートリーを増やしても、何も感想言ってくださいませんし―――)

 

 うん。

 いろいろ問題がすり替わっている気がしなくもないが、やはり、自分の機能に問題はない。ここ最近の行動が何かの間違いだろう。ただ、次のメンテナンスでは精密検査を要するかもしれない。でもそれで、思考回路を乱す不可解な細波(パルス)も落ち着くはず。

 そう考えるだけで、かすかな安堵の念が小さな溜息とこぼれる。

 

 ―――と。

 

「そろそろ茶を淹れてくれないか、アスタルテ」

 

 入室に気付けない――虚空を飛んでいきなり現れるのだから、反応が遅れるのは仕方がないことだとしても、この部屋の主たる教官の到来を。声かけられるまでアスタルテは察知できなかった。

 

「あ……っ」

 

「アスタルテが呆けるなど珍しい反応もあったものだ」

 

「―――至急、用意します教官(マスター)

 

「急がなくていいぞ。私が資料を読み終わるまでには用意しておけ」

 

 瞬きしたアスタルテに、愉快気な笑みを浮かべるは、黒いゴシックなドレスに身を包んだ人形のような少女だった。

 見た目は小学生ほどであるも、実年齢は20代の後半。

 <空隙の魔女>と魔族より恐れられる絃神島五本の指に入る国家降魔官、南宮那月は、王座と思しい執務室の椅子にふんぞり返っている。いささかふざけた印象ではあるが、幼い見た目に不相応なカリスマ性からか、その景色に不自然さはなく当然としてそうあるような振る舞い。

 そうして、人工生命体の少女が差し出す紅茶のカップに口をつけてから、那月は机に上に広げられた資料に目を細める。

 

「先ほど、特区警備隊(アイランド・ガード)からの要請があった。未登録魔族の密入国の痕跡が発見された、とのことだ」

 

 つまり、それは『嗅覚過適応』を持った<黒妖犬>にその密入国者を追跡させる。

 密入国者を狩る任務は、先輩が適役であり、以前にも『黒死皇派』の残党捕縛にも駆り出されたこともある。

 そして、その時と同じように、任務に自身も帯同をさせる―――

 

命令受託(アクセプト)、では、先輩に」

「待て。早とちりをするな。アスタルテ、お前は今回参加しなくてもいい」

 

 教官の言葉に、愕然と硬直した人工生命体の少女。

 その扇子で口元を隠しての失笑からは、ある予感がした。そう……別れ際の心配そうな彼の顔が浮かぶ。

 

「つい先ほど馬鹿犬から報告があってな。『後輩の調子が良くない』と」

 

 だから、待機して、休んでおけ。

 その決定に、アスタルテは即座に先輩の言の否定と、自身の必要性を訴えようとする。

 

「否定。教官(マスター)、私の体調に問題はありません」

 

「私がここに来てから三分も気づけなかったところを見ると、残念だがその自己診断は説得力に欠けるな。そのような注意怠慢な有様では、馬鹿犬の言う通り、現場には連れていけん」

 

「否定。私は―――」

 

「ほう、主人の決定に異議を唱えるとは、反抗期かアスタルテ?」

 

「否定。しかし先輩だけで―――」

 

「私も付く。たまには馬鹿犬の散歩に付き合ってやらないとと思っていたところだしな」

 

 とん、と閉じた扇子で那月が机を小突く。

 その仕草は言葉にせずとも、返事を求められているのを悟る。これ以上の決定は覆られず、逆らえばそれを理由とし謹慎を言い渡されるだけだろう。ならば、あるまじき失態を重ねるべきではない。

 人工生命他の少女は、項垂れるよう首を振る。

 

 

命令(アク)受託(セプト)……」

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

 十二月の第三週。冬休み直前、最後の登校日。その放課後の帰り道に古城は遭遇した。

 

『おお、凪沙! 相変わらず可愛いな、おまえは! 天使かと思ったぜ! あとついでに古城も元気だったみたいだな』

 

 中折れ帽をかぶり、色褪せたトレンチコートを羽織り、だらしくなくシャツを着崩した中年男性。無精ひげを生やしたままで手入れもせず、しがない探偵のような風貌をした男は、牙城。暁牙城―――古城と凪沙の父親。

 

『絃神島についたのはさっきかな。遺跡の発掘調査にカリブ海の方に言ってたら、いきなり内戦が始まっちゃってなー、ハハッ、まいったまいった。んで、深森さんの職場に行ったら、大変興味深い話が聞けたんだけど―――うちの天使に手を出す野郎はどこのどいつだー? 三つ数えるウチに教えろ古城』

 

 会って早々にヤる気満々で、息子(こじょう)にボウガンを突き付けてきたけど、一応、血縁関係上の繋がりがあるクソ親父だ。

 

 世界中を考古学のフィールドワークで飛び回り、こっちが頼んでも帰ってきやしない父親は、明日の冬休み初めから凪沙を本土に連れて行くために絃神島へ来訪した。

 彼の母、古城たちの父方の祖母に、凪沙を祓ってもらうため。かつては国内でも指折りだった妹の霊能力の消失した原因を一度ちゃんと調べるために、祖母に見せるのだ。丹沢の奥地にある小さな神社にて神職のようなことをしている古城たちの祖母は、未登録(モグリ)の攻魔師で、獅子王機関の元首席教官の刻御門師範や攻魔師協会の志渡澤会長というベテランの腕の立つ霊能力者―――を弟子に持つ凄腕であって、正月になると彼らを丹沢にと呼びつけている。

 

 息子にはありとあらゆる弱み(特に女性関係)を情報収集して、散々からかってオモチャにしては、孫(女の子)を所望すると偶々傍にいた姫柊に子作りを推進してくる底意地の悪いエロ中年ではあるが、

 古城は牙城が凪沙のために世界各地を飛び回って、その人生すべてをかけてでも娘を救おうとしていることを理解しているし、信頼できる有能な霊能力者に調べてもらうのは賛成だ。

 だから、ここで凪沙をクソ親父に預けて帰省させることに納得している。

 が、

 

「おい、古城。今すぐ後輩を呼んで来い。凪沙が帰ってくるまでに蹴りつけるぞ」

 

「だったら、まず床に並べた銃器をしまえ! どこから出したが知らねーけど、そんなものウチに持ち込んでんじゃねぇよ!」

 

 ずらりと見本市をひらくようにリビングの床一面に並べられた物騒な道具。

 凪沙が、冬休みになってすぐにやってきた父親のために食材の買い出しに出かけているとき、

 息子の後輩を、銃火器一揃えして準備万端に出迎えようとする牙城に、古城は怒鳴り散らす。

 

「ただでさえ人様に紹介したくないっつうのに、そんな物騒な歓迎を企んでるクソ親父のトコに呼べるわけねーだろ!」

 

「ははっ、ちょっくら時期が早いけど“お年玉”を5、6発ぶちこんでやるだけだ。大丈夫、急所は外す」

 

「全っ然、安心できる要素がねェ! ここでライフルぶっ放す時点でアウトだ! つか、アイツは今仕事中で呼び出せるわけねーし、職質されてとっ捕まっても俺は弁護できねーぞ!」

 

「ちっ、後輩に気を遣っちまってそれでも俺の息子か。一緒にトラップに仕掛けるくらいの気概くらい見せろ」

 

「クソ親父をぶん殴る気概なら見せてやろうか」

 

 こいつは娘を迎えに来たのか、娘の気になる男子を狩りに来たのか。

 殴りかかっても弾丸より遅い息子の拳骨、実戦経験豊富で戦場を渡り歩く牙城はからかう余裕まで見せて躱して見せる。翻弄される古城は、歯軋りさせて悪態を吐く。

 

「クソ、こんな無茶苦茶なヤツに凪沙を預けなきゃなんねーのかよ」

 

「……先輩も凪沙ちゃんのことになると無茶苦茶になるくらい過保護というか、シスコン……いえ、なんでもありません」

 

 巻き込まれた隣人の雪菜が色々といいたそうな視線でこちらを見ていたが、古城はどうにか凪沙が帰ってくる前に牙城に物騒なブツを片付けさせることができた。

 

 

人工島東地区 空港

 

 

 『波朧院フェスタ』の特別解放時期ではないにしろ、冬季の観光シーズンに直撃した、空港のゲート近辺は相当な人でごった返していた。

 観光客、ビジネスマン、輸送業者、と大まかに人混みは全体的にいくつかのグループに別けられる。

 しかし、今日は飛び込みで要注意の赤線を引いて分類される一団が現れていた。

 

 

「―――全員動くな!! このルールを逸脱しない限り、我々は諸君を傷つけることはない!!」

 

 

 突然の凄まじい銃声と、逃げ惑う人々の悲鳴。

 

 見送りに来た息子とその嫁候補の美少女ちゃんと別れて。手荷物検査をゲートをくぐって、『魔族特区』特有の面倒な検疫検査を受けた。さあ、本土へ出立だと乗り込もうとしたその直後のことだ。

 

(……くっそ。せめて俺たちが島から出た後にしてくれたらよかったんだが。ついてねぇぜ、ホント)

 

 突然の空港襲撃事件。震える娘をトレンチコートの内側に入れるように抱きかかえる牙城。等間隔に並ぶ太い円柱に身を隠す格好で、低い声で呟いていた。

 

 空港のセキュリティは、ガードマン、バリケード、タイヤ用のスパイク……陸から押し寄せる脅威には万全、でも同じ空から降りてくるものはノーガード。これは空港の特徴。

 飛行機というのは相互信頼が軸になっているもの。向こうの空港で安全が確認されたから、こちらの空港に招いても大丈夫だろう。それが大前提になっている。

 

 つまり。

 内乱とか起きて治安の悪い国の飛行場が丸ごと買収済み。“お墨付き”のハンコをもらった旅客機の中には兵隊と装甲車がぎっしり。蓋を開けた途端にドバっと出てくる現代版トロイの木馬である。

 

 そう、装甲車。旅客機の貨物用スペースから這い出てきた八輪の装輪装甲車両が3台ほど。たったこれだけで、初陣の警備隊は逃げ帰る羽目になった。ジェラルミンの盾だので身を隠す程度でどうにかなる火力ではないし、威嚇射撃や警告で止まるような装甲ではなかったのだ。

 

(そりゃ20mmの重機にグレネードをばら撒く擲弾機関砲、挙句、一台は戦車と戦うための低圧ライフル砲を頭にくっつけてやがる。もう地上でパンパカ撃つんじゃなくて、攻撃ヘリとかマルチロールの戦闘機とか、上から狙い撃つ兵器がないと無理だ。そして、応援が来るまでの間にやりたい放題やっていくプロフェッショナルと来た)

 

 『魔族特区』絃神島は条例上、特区警備隊で空からの攻撃ができる戦闘機の所有が許されていない。空港に常駐している特区警備隊の戦力では止められないことを、襲撃者たちは自覚している。

 だから、死なない程度に負傷させるセオリーを遵守するだけの余裕がある。

 襲撃者の部隊が通り過ぎた後には、血塗れで倒れた警備員たちだけが残されている。

 全身が重傷を負っているのは間違いないが、殉職した警備員はまだいない。ヤツらはあえて急所を外しているのだ。

 それは敵に情けをかけたというわけではけしてない。

 苦しむ重傷者の存在は、敵軍の士気を下げ、搬送や治療のための兵力を浪費させる。敵兵をあえて殺さない。それが戦場でのセオリーなのだ。

 そして、それができるという事実は牙城にひとつの情報を与えてくれる。

 それはあのレッドシグナルな襲撃者の部隊が、単なる犯罪者として行動しているわけではない、ということだ。あの動きは軍人。絃神島への潜入は、『アメリカ連合国(CSA)陸軍』の作戦行動の一部。

 あの『血塗れアンジェリカ』のシナリオ通りにこの学芸会は進んでいる。

 

(『ゼンフォース』――アメリカ連合国陸軍特殊部隊の中隊長様のお出ましかよ……)

 

 先頭の装甲車から降りてきて指示を出しているのは、ブランド物の高級志向な毛皮(ファー)付きのコートを着た白人女性。

 セレブな若奥様で通用する美女は痩身だが姿勢がよく、手脚が長い。灰色の髪は短く切られており、そのせいでファッションモデルのような印象を受ける。しかし、視るものが見れば、すぐに気づくだろう。彼女の動きは、モデルのそれではなく、訓練された軍人の身のこなしだと。

 

 牙城が、彼女がいわゆる普通の魔導犯罪者でないことを知っている。

 アンジェリカ=ハーミダ。

 階級は少佐。4年前のアンデス連邦の内戦で、政府側に軍事顧問として参戦。44名の部隊を率いて、2000人近いゲリラを虐殺したといわれる。ついた異名(あだな)が『血塗れ』だ。

 たとえ丸腰であっても、その脅威は装輪装甲車両より勝る。

 

(『アメリカ連合国』か……『混沌界域』での発掘調査(おしごと)をドタキャンしてくれた例の内戦がらみかこりゃ)

 

 『血塗れ』の目的はわからない。しかし、他国の特殊部隊の人間が、用もなく極東の『魔族特区』を訪れるとは考えにくい。『混沌界域』のキナ臭い内戦が関係していると考えて、ほぼ間違いないだろう。

 

 中米『混沌界域』は、第三真祖<混沌の皇女>が治める『夜の帝国』。

 そしてこの絃神島には、牙城の息子である第四真祖<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>がいる―――

 

「牙城君……」

 

「ああ、心配するな凪沙」

 

 震える娘の頭をまた一度撫でてから、荷物検査を受けた直後である牙城が、手品のように懐から拳銃を取り出す。

 傭兵並みの戦闘スキルを持っていると自負している牙城。しかし、あくまで自身は民間人であって、『血塗れ』と敵対する理由はない。市街地に襲撃者たちが出ていくのを防ごうとする特区警備隊には悪いが、牙城は娘の安全を最優先に動かせてもらう。

 

 しかし、襲撃者は、警備隊だけでなく民間人からも“やられ役”を募集してるようだ。

 

 この太い円柱のすぐ裏側。娘のものではない女の子の声が響き渡る。

 

「やめてっ、やめてよ! お母さんに触らないで、何で連れていこうとするの!?」

 

「我々がルールだと最初に言ったはずだ。市街地に出るまで“魔除け”になってもらいたい。警備隊を牽制するために、車両に警備隊連中ではなく現地調達した民間人を何人か縛り付けておく。そうすれば『車両を爆破して殲滅』もできないだろう」

 

「やめてったら!!」

 

 その、金切り声を耳にして。

 牙城は方針を変えず、身を潜める。このまま、やり過ごす。

 しかし、暁凪沙の目つきが、身に纏う空気が、音もなく変わっていくのを牙城は感じていた。

 

「―――」

 

 遠くにいても報告で聞いている。

 凪沙が――娘が、その身の内に使えば寿命を削ってしまうほどの強大な力を宿していることを。

 

「(ダメだ、凪沙。気を落ち着けさせるんだ。これは民間人が関わり合わなくていい。だから―――)」

 

 牙城は慌てて凪沙の目と耳を塞ぐように抱き留め、そうこうしている間にも、円柱の向こうでは応酬が続く。

 『血塗れ』の指示で民間人を攫う軍人らに、家族を取り返そうとする少女は最初、その腹を機関銃の銃床で思いきり突かれ、床に膝を突けたところで今度は首の後ろをやられた。最後の最後には後頭部に銃口を押しつけられる。“魔除け”に使われそうになっている母親の方が悲鳴を上げるほどの状況だった。

 それでも、少女の声は止まらない。

 這いつくばったまま、彼女はなおも虚空へと手を伸ばそうとする。

 

「やだ、やだよ」

 

 襲撃者の指先が、機関銃の引き金にかかる。

 あえて殺さないことができるが、あえて殺して自分たちの言う通りにやりやすくすることもまた、特殊部隊は心得ている。

 その殺意が明確なものと察していて、少女はしかし口を開く。

 

「誰か」

 

 ああ、まずい。牙城はそう思った。このままだと少女が死ぬ。それもあるが、それより、必死に腕で抱き留めている娘が、力を解放してしまうのは決定的にマズい、と。しかし、少女の慟哭が、その崖っぷちの後押しに―――

 

 

「誰か助けてよお!!」

 

 

 ゴンッ!!!!!! という爆音が炸裂した。

 虚空から現れた人影が、少女の母親の腕を掴んでいた襲撃者を縛り付けようとした装輪装甲車にシュートして分厚い装甲に凹みを作るほどに叩き込んだ音だった。

 

 そして。

 

 それだけに終わらず。

 

 とん、と着地した直後。

 

 人影と共に虚空より伸びてきた銀鎖、

  惨劇の場にいた人たちに巻き付いて、

   また虚空へと引き込んでは回収する。

 同時。

  片足を軸にその場で回転する人影、

   全周囲に霊弓術の手裏剣を投擲し、

    軍人の反応より早く牽制を放った。

 

 ここまでで、一息。

 

 

 暁凪沙は、なにかを思い出す。

 同じ空港で初めて自分ら兄妹をスリから助けてくれた誰かと会ったことを。

 

 暁牙城は、それを思い出す。

 危機的な状況を、一瞬で覆してくれたあの主従を。

 

 

「―――その子から、離れろ」

 

 

 人間のリアクションタイムの平均記録は、15秒。

 奇襲を受けてから人間は数秒無防備であって、ゴドン!! という壮絶な轟音はまた響く。少女の後頭部へ銃口を突き付けていた男。秒もかけずに潜り込んだ銀人狼の、その顎をすくい上げるような徹甲弾の如き拳打が炸裂し、リーダー格である『血塗れ』の方へ殴り飛ばされた音だった。

 

「人狼―――っ!? この鎖は!」

 

 飛び道具にされた仲間を避けたアンジェリカ。その先に待ち構えていたように、足元の地面が波紋のように揺らぎ、銀色の鎖が吐き出された。神々が鍛えた捕縛用の魔具――<戒めの鎖(レーシング)>だ。この銀人狼の主人である魔女が操る無数の鎖が、アンジェリカ=ハーミダの長身を絡め取る―――瞬間、『血塗れ』の周囲の空間に、眩い紫色の閃光が弾けた。

 その輝きに銀色の鎖が吹き飛ばされる。

 

 同時。

 呪詛返し(カウンター)を喰らった魔女に、前触れもなく爆発が襲う。

 

「ご主人!」

 

 <戒めの鎖>に攻撃された時、丸腰だったはずの『血塗れ』より、『旧き世代』の吸血鬼にも匹敵する膨大な魔力が迸った。その魔力が鎖を逆流して、術者に襲い掛かったのだ。

 アンジェリカは無言で顔を上げ、その視線の先にいる管制室でこちらを見下している南宮那月を睨め上げる。

 『血塗れ』と『空隙』が目を合わせたのは一瞬。そして、その刹那の出来事で他の軍人らも動き始める。アンジェリカは鋭い声で指示を飛ばす。

 

「C隊は時間を稼げ。A隊とB隊は二手に分かれるぞ」

 

 乗車する『血塗れ』。

 主が害されたことにそちらに意識が向いてしまった銀人狼はそれを見逃す。そして―――

 ドガシャア!! と。

 一面の壁を覆う空港の透明なウィンドウが、一気にまとめて砕け散る。大量の破片が雪崩のように押し寄せ、それをかき分け、複合装甲の塊が屋内へと突っ込んでくる。

 八輪の装輪装甲車。

 それも屋根に戦車砲の砲塔のようなものを取り付けた特別仕様だ。

 外でその猛威を振るっていたC隊の車両がウィンドウを破って全速力で―――

 

「―――、」

 

 ヒィウ、という鋭い笛のような吐息があった。

 暴走する装輪装甲車はその突き進んだ先に、円柱がある。牙城が身を隠していた円柱が。

 それを牙城が目にし、咄嗟に取り出そうと銃器に手を掛けた時には、すでに銀人狼は恐るべき速度で駆けていた。白銀の獣毛が躍る。まるでレーザービームのように突き抜けた銀人狼は、途中ふたつに別れて、ひとつが装甲車の正面から側面へ一息に回り込むと、その一点へ合わせた掌打を叩き込む。

 

 

 ッッッズン!!!!!! という腹に響く轟音が炸裂した。

 直後に、20t以上ある装甲兵器が足をかけられすっころぶようにガクンと速度が落ちる。

 

 

 これが、<黒妖犬(ヘルハウンド)>。

 物理法則無視の怪物が当然のように闊歩する『魔族特区』の環境において、己の身ひとつで切り抜けていく怪物の中の怪物。

 いきなり鉄の棺桶に早変わりした装甲車。

 その状態を作った今の一撃は、<四仙拳>が『仙姑』が放つ打撃と同時に内部に気功波も撃ちこむ鎧通し、剣巫や舞威姫の対魔族戦闘に用いる体内に浸透系を(ゆら)がす寸勁と同じ。

 どんなに体を鍛えようが、生身の人間の拳で装甲車を撃ち抜くのは不可能。しかしながら、彼は半分人間ではない。人ではその拳骨を砕いても若干しか通らない衝撃でも、彼は違う。

 そして装甲車だろうが戦車だろうが、ベースとなるのが『自動車』であることに変わりないのだから、そのバッテリー部分のガソリンの匂いを嗅ぎ分けて、そこを狙い絞る。

 空気と液体の配合率が燃焼に直接かかわるエンジンにおいて、ガソリンの中にわずかな気泡が混ざるのは致命的であり、不完全燃焼が起こればエンストとなる。なおかつバッテリー液に浸してある電極を浸透勁にて破壊してしまえば、液中から電気を取り出す効率は極端に落ちる。

 つまりこれは、『対車両の心臓破り(ハードブレイク)』ということだろう。

 受け止めきれない、または街中で制限速度を超過する暴走車両もお手の物。吹っ飛ばして周りに被害を及ぼさず、かつ爆発させぬように安全に強制停車させる技として、南宮クロウが編み出した必殺技。というより『魔族特区』で現金輸送車を狙う犯罪者らの相手をしていたら自然とできるようになってしまった“力技”のひとつだ。

 

 そして、その元から備えた強靭さを更に鍛えた身体だけで、技ではなく、“力任せ”で止めれるには既に十分。

 

「だっ……らあああああああっ!」

 

 銀人狼は獣のように、いや、獣としての咆哮を上げる。

 息の根を止めた――エンストを起こし動力部が急停止した装甲車はそれでも勢いから滑っているも、寸前で別れて、そのまま待ち構えた方の気分身のもうひとつ――本体(ほんにん)が正面衝突。

 両手を前に突き出し、柔軟な肉球型(クッション)の生体障壁を展開。

 あとは腕力と、そして握力―――何より筋力をもって、その場から微動だにせず、装甲車にかかっていた慣性ベクトルを圧し殺した。

 

 

 

「……話には聞いていたが、随分とサーヴァントが成長してるじゃねぇか先生ちゃん」

 

 人間性と怪物性を併せ持つ、『混血』の少年。

 牙城が出会ったのは、ゴゾ遺跡の一件のみ。子供たちと同じ『魔族特区』の教育機関に通っていることも知っていたし、あの『焔光の宴』での活躍も直接見ることはなかったが把握している。

 だが、実際に見て初めて対峙した時よりも、彼の成長を実感する。

 『魔族大虐殺』な異名持ちの教師に、真祖になってしまった息子を預けるのに若干にも不安がなかったと言えばウソになるが、それでもこうして彼女の眷獣(サーヴァント)を見る限りは、それも杞憂のようだ。

 

 

 そして、装輪装甲車の車内にいたC隊を、撃退。

 しかし、その間にアンジェリカ=ハーミダを乗せたA隊の装輪装甲車両は逃亡。同じく空港の警備を強引に突破したB隊の車両は、南宮那月により制圧されるも、絃神市に『血塗れ』の潜伏を許してしまう。

 

 これが、極東の特区警備隊と北米の特殊部隊の前哨戦の経過であった。

 

 

人工島東地区 港

 

 

 第三真祖<混沌の皇女>が支配する『夜の帝国』、中南米エリアの『混沌界域』で内戦。

 『アメリカ連合国(CSA)』との国境付近に配備されていた軍の部隊が武装蜂起して、自治独立を要求している―――そう、この極東の『魔族特区』でニュースが流されているようだ。

 

 その反乱に覆い隠されたその内実は、国境紛争。

 現在、北米大陸は、カリブ海地域を支配する『混沌界域』、大陸中央部を版図とする『アメリカ連合国』、アラスカから五大湖周辺までの各州で構成される『北米連合(NAU)』―――それら三国の主要な国家で占められている。

 直接、『夜の帝国』と国境が接しているのは『アメリカ連合国』で、その国境近くには、大量の地下鉱物資源が埋蔵されていると言われている。それを欲して、国境地帯の帰属を巡り両国の間には幾度も衝突が起きている。

 『アメリカ連合国』の背後には強大な『北米連合』が控えているため、『混沌界域』と大規模な戦争を仕掛けるつもりはない。

 その代わりに、特殊部隊による工作活動が活発に行われている。吸血鬼に支配されることを快く思っていない獣人優位主義者や、自治独立を求める少数民族といった不平不満を抱く輩に資金援助や武器供与を行い、反乱を唆す。

 

 しかし、第三真祖が本気となれば、地方都市に駐留する程度の部隊など、単独で壊滅してのけることだろう。何よりも、『夜の帝国』の軍人が、真祖の恐ろしさを知らないはずがない。災厄の如き猛威に抵抗するのが如何に無意味であるか赤子でも悟ろう。

 

 それでも真祖への反逆が起こっている。

 

 つまりそれは、反乱軍、その黒幕に真祖に抵抗できる“切り札”があったからだ。

 『戦王領域』を支配する第一真祖に抵抗せんと、<ナラクヴェーラ>を手に入れようと画策した『黒死皇派』の残党と同じ。

 

 ―――そして、国境紛争に参加した閣下はその強大な力をもつ“切り札”がお望みであり、その鍵となるものを自身は預けられた。

 

「せめて閣下が戻ってくるまでは―――」

 

 空港内の展望スペースから確認できる、港湾地区の大桟橋。

 中央空港と並ぶ絃神島の玄関口であり、人工島東地区の象徴にもなっている巨大な国際客船ターミナル。

 その周囲には、数多くのクルーズ客船が停泊しており、中でもひときわ目立つのが、『戦王領域』から全権を任されている外交大使たる閣下が所有するメガヨット<オシアナス・グレイブⅡ>。個人所有の船としては破格の、軍用駆逐艦に匹敵する規模の外洋クルーズ船―――それが今、ない。

 荘厳な城のようなメガヨットの姿が、絃神港から消えている。

 そう、閣下は今、『混沌界域』の内乱の只中にいるのだ。

 

 そして、自身はひとり先に帰還し、ひとつの命を任された。

 業腹だが、閣下の命通り、『花嫁』の身柄は……

 

 

「―――『花嫁』はどこだ」

 

 

 左腕に魔族登録証を嵌めた銀髪の男。冷たい刃物を連想させる美青年は、トビアス=ジャガン。欧州『戦王領域』出身の吸血鬼の貴族。第一真祖<忘却の戦王>直系の、そして、アルデアル公ディミトリエ=ヴァトラーの側近。

 

 その前に立ちはだかる存在。

 

「もう来ていたか……!」

 

 人の枠を超えた体躯は、神が彫り上げた石像とでもいうべき外観。

 身の丈は2mに近く、この港で行き交う人間たちの中で一つ二つ頭が飛び抜けている。

 筋骨隆々とした偉丈夫であるが、その筋肉繊維のひとつひとつ、血管を巡る血の一滴一滴に獣気とでもいうべき野性的な精気が満ち溢れている。その肉体には生半な魔術は愚か、銃火器でさえ薄皮一枚を傷つけることもできないだろうとジャガンに思わせた。

 滲み出る雰囲気だけで場の空気を支配し、わずか数秒の立ち振る舞いだけで、視るものを屈させてしまうほどの存在である。

 だが、周りには騒がれていない。ほんの数秒もあれば、徒手空拳で視界内にいるすべての人間を虐殺可能であろう脅威に、誰も勘付くことができないでいる。それはこの国の人間が平和ボケしてるからではなくて、自身の肉体と魔力の圧力を隠蔽するよう、男がここ一帯に認識阻害の幻術をかけているのだ。

 そして、人間を遥かに超えた、魔族の中でも際立つ身体能力を持った超人が、石像のように無表情のままもう一度ジャガンに問い掛ける。

 

「質問に答えろ。私は<蛇遣い>の道楽に付き合うつもりはない。女皇に害するものは即刻始末する」

 

「………」

 

「『花嫁』をどこにやった、と訊いている」

 

「それに答えてやる義務も義理もない、自分の帝国(くに)に引っ込んでいろ獣人!」

 

 表情を消した超人から、重々しい声が響き渡った。

 

吸血鬼(きさま)らは、殺さぬとわからぬようだな……」

 

 言葉と共に、目に見える圧力が風となって周囲に駆け抜ける。

 魔力とも違う純粋な威圧、幻術の結界を敷いていなければ、周りの人間が発狂しても仕方がないほどの重々しい気配が苛烈なる炎の貴公子の四肢に枷を嵌めるよう動きを鈍くさせる。

 

「殺せるものならば……殺してみろ―――<妖撃の暴王(イルリヒト)>!」

 

 勢いよく腕を振るい、金縛りに遭う重圧を振り払う、強大な魔力をトビアス=ジャガンは解放する。

 全身より噴き出す、吸血鬼の無限の“負”の生命力は炎と化して、その温度純度を急速に高めていく―――それに対し、男は口元を凶悪に歪ませ、唱えた。

 

 

 

「―――藉す、“<シウテクトリ>”」

 

 

 

 炎の貴公子より放たれた超高熱の火の鳥が、『鳥人』と獣化した男の左脚より、迸った火山の噴火を思わせる爆炎流に呑まれて、灼かれる。

 ジャガンは目を剥く。

 自身の眷獣を焼き尽くす熱と炎の正体は、純粋な魔力の塊。それもあのMAR襲撃事件で遭遇し、相対した第三真祖の眷獣と同じ強大さ、いや“そのものだ”。その真祖の眷獣を、吸血鬼でなく、獣人種が召喚する―――!?

 そして、今その天を突き、焼き焦がす爆炎流の眷獣は無秩序に暴れ狂わず―――やがて、収束してひとつのカタチを造り出す。

 <混沌の皇女>がMARで見せた姿が、<シウテクトリ>のすべてではない。

 

 第三真祖の血族の吸血鬼はT種と呼ばわれており、その特徴は槍や鞭などの姿をした『意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)』の眷獣を従えるのが多いということ。

 

 二十七体を使役するという女皇より『鷲の戦士長』に拝領された爆炎流の眷獣のもう一つの姿は、災厄を一振りの得物とした―――

 

 

「望み通り、その心の臓を抉り抜いてやろう『戦王領域』の吸血鬼」

 

 

 空港の人間たちの前哨戦と同時刻で発生した、第一と第三の『夜の帝国』の魔族たちの激突。

 その吸血鬼と獣人の貴族同士の戦いは、数刻で決着がついた。

 

 

人工島東地区 空港

 

 

 南宮那月が、特殊部隊の暴れた現場に降りて、アンジェリカ=ハーミダが残した痕跡を調べていると、やけに馴れ馴れしく中年男性が声をかけてきた。

 

「おー、先生ちゃん、助かったぜ。危うくやられるところだった」

 

 一応、見知った相手なのだが、この無駄に良い声なのが余計に腹立たしい。

 

「………」

 

 那月は無感動に眉を寄せ、男を避けるように現場を検分する。

 だがこちらが無視しても、相手の方も今は他に話相手がいないせいかしつこい。

 

「おいおい、危ないところを助けてもらって感謝してるんだから挨拶くらいしてもいいだろ。それに、うちの馬鹿息子を世話してもらってる礼くらい言わせろよ」

 

「……何の用だ、盗掘屋。見ての通り私は忙しい。航空なら今日中に本土への運航が再開する。貴様らとの三者面談の予定も生憎入っていない」

 

 やれやれと長い溜息を洩らし、那月は冷ややかな口調で言い返す。

 この中年男性、暁牙城は、那月から見れば、教え子の父親という立場である。

 もっとも那月は、彼の息子が彩海学園に入学してくる以前から、暁牙城という人物を知っていた。<死都帰り>などと呼ばれる考古学者。世界各国の紛争地帯を巡って、戦闘のどさくさに発掘品を掠め取ってくるような、火事場泥棒と紙一重のフィールドワーカーだ。

 そして、噂によれば、暁牙城はつい先日まで『混沌界域』付近の遺跡に発掘調査に出かけていたというが。

 

「ちょっとした情報提供(タレコミ)だよ。まあ、裏付けの取れていない不確定なモノなんだが……『ゼンフォース』の様子から推測できる」

 

 その牙城が、珍しく真面目な態度で言う。

 露骨に警戒した表情を浮かべる那月。刺々しい声で、へらへらとにやけ面をする牙城にくぎを刺す。

 

「情報提供、か。過去の悪行を、貴様の嫁にバラされたくなければ冗談はやめておくんだな」

 

「オーケイ、わかった。単刀直入に行こう。『混沌界域』の獣人兵団長様を知ってるか?」

 

「なに?」

 

「中南米大陸で一番強い獣人――“第三の夜の帝国の獣王”だ。『ゼンフォース』の連中もおそらくこいつを警戒して戦力増強して強硬策を取ってきたんだろ。国に害をなす反逆者を、匿った村ごと焼き滅ぼしたっつうくらいヤバい―――しかも鳥類タイプで、飛行機を軽々と抜き去っていくくらい速いから、超音速戦闘機みたいなもんだ」

 

「……なぜお前がそんなことをいう、暁牙城」

 

 まるで見てきたかのような牙城の言葉に、那月が顔つきを険しくした。

 まあな、と牙城は真剣みのない態度で失笑し、

 

「『混沌界域』から絃神島に行く空の旅で、旅客機の窓からこっちを追い抜いて飛んでいく鳥人を見たからだよ。ありゃ多分、音速超えしてたんじゃねぇか」

 

 世間話のような何気ない調子のまま、牙城は言う。那月は不機嫌そうに唇を歪めた。

 

「貴様は、その密入国者を特区警備隊に報告しなかったわけか?」

 

「仕方ねェだろ。俺だってあれには目を疑ったんだ。それに客や機長さん、俺以外の民間人もいたはずだぜ。普通はちっとばっかがたいのデカい鳥としか思わねーよ」

 

 ちっ、と那月が乱暴に舌打ちする。

 

「それで、ここを襲ってきた輩どもから推察した、ということか」

 

「そうそう。俺たちはこれから島を離れるけど、まあ、頑張ってくれや」

 

 ありえないぐらい腹立たしいが、牙城は民間人だ。

 『仮面憑き事件』でもそうだったが、音の壁を超えて超高速で飛空する相手というのは、航空戦力を持たず、警備隊のセンサーである『覗き屋(ヘイムダル)』も“音速を超えて飛び回る相手には無力”であるため、非常に厄介だ。

 それも『仮面憑き』の娘たちとは違い、歴戦の戦士長であるのなら、戦略性のない空に真祖の眷獣をぶっ放す手段も通用しそうにない。

 相手に適しているは、空を飛べる龍を使役し、この前、アルディギアの最終兵器を撃墜した―――

 

「てなわけで―――おたくのサーヴァントを引き取ってもらえないか先生ちゃん」

 

 と、それまでポケットに入れていた右手をぶらぶらとさせる牙城。

 

『おー、君がクロウ君かー。凪沙ちゃんに手を出してくれちゃってるようで久しぶり、元気にしてたかいあんちくしょう』

 

『? 誰だお前?』

 

 先ほど、再会を祝し(ただし、むこうは覚えてない)、男と男の固い握手を交わして、思いっきり握り(潰さん限りに)締めたら、軽くこちらも手を(万力並の握力で)握り返された。

 涙が出るくらい凄まじい感動(いたみ)が走ったが、娘の手前、牙城は笑顔で堪える。しかしそんな父親の涙ぐましい頑張りも、娘は知らず……

 

 

 

「それで古城君が雪菜ちゃんに迷惑かけないか心配だから、クロウ君も時々でいいから様子を見てくれる? 雪菜ちゃんなんだかんだで甘やかしちゃうし、きっとミイラ取りのミイラになると思うんだ」

 

「ん。今日の夕方ごろにも寄ってみるぞ」

「ありがとうクロウ君。あ、でも、もし二人がいい感じになったらお邪魔虫にならないように気を付けてあげてね。それと凪沙にも報告おねがい!」

 

「う。いつもの九時ごろに電話すればいいか?」

「うん。本土に行っても毎日連絡しようね。あ、別にいつもの時間じゃなくても訊きたいことがあったらいつでも電話かけていいから……あたしもクロウ君の声、聴きたくなる時もあると思うし……」

 

 

 

 向こうで、明らかにガン付ける父親を省き、クラスメイトの厚着の少年とお喋りする娘。

 最初はちょっと自分でもうざいくらいに口を挟んでいたのだが、その度に凪沙に嫁を彷彿させる冷ややかな視線で睨まれては、牙城もすごすご引き下がるしかない。

 

「……先生ちゃん、昨日、古城にも確認したんだが。あれって付き合ってないんだよね?」

 

「さて、どうだろうな」

 

「お願いだから、そこはノーと言ってくれ! 深森さんも後押ししてるみたいだから本気でヤベぇんだよ!」

 

 嘆願してくる牙城に、少しは気が晴れたように、ふっと小さく笑みを零す那月。

 

「お前の息子と同じだ。精神年齢が男女のお付き合いができるくらいに成長しておらん」

 

「だよな。そうだよ、そういう性格(タイプ)だってわかってた……それで、先生ちゃんは飼い犬の去勢とか考えてない?」

 

「そうだな。どこかの盗掘屋のように手が早いようなら考えようか」

 

 あれはまだまだ花より団子だ。そのような色恋沙汰に悩むのは気が早過ぎる。

 

 しかし、今は仕事だ。賊を捕まえていないのに、いつまでも喋っていられる余裕はない。

 この馬鹿な父親を庇うためではないが、那月は眷獣(サーヴァント)を呼びつける。

 

「馬鹿犬!」

 

 那月の呼びかけに、厚着の少年はこちらを向く。

 そして、それにやや遅れて少女の方も那月の登場に気づいた。

 

 

 

「じゃ、行ってくる。古城君たちと見送りに行けなかったけど、凪沙ちゃんも本土に気をつけてな」

 

「うん。クロウ君もお仕事がんばってね……一緒に行けないのはやっぱりちょっと残念だけど……」

 

「う。オレは絃神島(ここ)を守らなくちゃいけないからな。凪沙ちゃんが安心して帰ってこれるよう襲撃者(あいつら)をとっ捕まえて、待ってるのだ」

 

「……うん! ちゃんと絃神島に帰ってくるからねクロウ君! お土産も買ってくるから!」

 

 ―――だから、次、会うときはお互いに元気でいようね!

 そう、少年と少女はその小指同士を絡める指切りげんまんをして、別れた。

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

 空港で、魔女が指揮する特区警備隊と『血塗れ』が率いる特殊部隊(ゼンフォース)

 港で、『旧き世代』の吸血鬼『魔眼使い』と最上位種の鳥類獣人『鷲の戦士長』。

 

 人工島の空路と海路の玄関が戦場と化していた最中、本土へ行く妹を見送り、偶然にも争いに巻き込まれず東地区から南地区のマンションへ監視役の少女と共に帰ってきた<第四真祖>暁古城。

 帰宅後、彼の部屋に国際宅配便の伝票が貼り付けられた大型のスーツケースが届けられた。

 

 この吸血鬼化した古城の腕力をもってしても、持ち運ぶのが大変な100kg近い重さの金属製のケース、その送り主はアルデアル公――ディミトリエ=ヴァトラー。

 そして、冷蔵機能付きのやたら高性能なケースに入っていたのは、まさしく“箱入り娘”。

 

「お、女!?」

 

 呆然と呟く古城。

 雪菜が警戒して槍を使って開けてみるとそこに、小柄な美しい人影。

 きめ細やかな褐色の肌と、眩い太陽のような蜂蜜色の髪。しなやかな四肢と、幼さを残した顔立ち。そして引き締まった腰つきと、意外なほど豊かな胸の膨らみ―――

 そう、あの戦闘狂でここしばらく絃神島から離れていたヴァトラーが、古城に送ってきたのは異国人の若い娘。一糸まとわぬ姿の美少女だ。

 

「な、何でいつまでも見てるんですかっ!?」

 

「ぐはっ!?」

 

 まるで死んだように冷たく硬直してる少女を古城が注視していると、お目付け役から強烈な掌底(ツッコミ)が横っ面に飛んできた。

 鼻先を押さえて仰け反る古城は、あまりにも理不尽な雪菜の仕打ちに流石に頭に来るものがあった。確かに全裸の少女を凝視するのはまずかろうが、この状況ではやむを得ないと思う。どう考えても不可抗力だ。

 古城は抗議の声を上げようとした、その時鼻から、ぶぼっと……

 

「そんなこと言われても……あ……!」

 

 素っ裸でケースに横たわっている箱入り娘を前にして、それを見下ろす古城は鼻から赤い体液を噴き出してしまい、監視役の視線の温度がまだ一段と低くなった。

 

「先輩……」

 

「ち、違う。これは姫柊が俺を殴ったから―――」

 

 古城は必死に誤解をとかんと弁舌を尽くす。しかし、その間、だらだらと鼻血の勢いは止まることなく、なお盛んに噴き出し続ける。

 そんな監視対象(センパイ)の様子に、原子活動が停止する絶対零度域下に入ったように、雪菜の顔と声から感情の温度が消えた。

 

「いやらしい」

 

「なんでだあああっ!?」

 

 そして、軽蔑したように溜息をつかれて、絶叫する古城。

 

 

 しかし、ケースが開けられても眠り続ける異国の美しい少女の正体……二人は、絃神島で起こる争いの鍵となる『花嫁』を手に入れてしまったことを、このときはまだ知る由もなかった。

 

 

 

つづく


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