ミックス・ブラッド   作:夜草

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白の剣巫Ⅱ

公園

 

 

 マンションから道路を渡った先にある高台の公園。

 およそ直線距離で1km近くは離れてるそこに暁古城と姫柊雪菜、そして、師家様の縁堂縁からの依頼で絃神島を調査しに派遣された獅子王機関の舞威姫――煌坂紗矢華が集まっていた。

 

「―――龍脈を喰らう魔獣?」

 

「そう。おそらく、そういう用途で創り出された魔獣なんじゃないかって、師家様が仰っていたわ」

 

 語尾の声調をあげる古城に、淡々と一定調子で答える紗矢華。

 ショッピングモールに襲撃される前に魔竜と遭遇していた舞威姫は、その霊視で“放置するには危険すぎる”相手と判断。一度は紗矢華も弓で遠くから射撃するように接敵したが、魔力の在り方に不自然さを覚えた。

 

「雪菜、実際に戦った感じはどうだった」

 

 遠近攻撃手段を取れる舞威姫に対して、接近しての白兵戦術に特化しているのが剣巫。

 きっと自身よりもより近くに接敵して戦闘し、自分が感じた違和感を強く覚えたであろう妹分の剣巫の意見を求める紗矢華。しかし、雪菜は心ここに在らずと呆けて、反応がない。

 生真面目な彼女が、人の話を聴いていないことを訝しんだ紗矢華は、もう一度名を呼ぶ。それでようやく、ハッと雪菜は顔を上げる。けど、やはり内容が頭に入ってはおらず、

 

「雪菜?」

 

「……あ、ごめんなさい。なに」

「ちょっといい雪菜」

 

 ついに黙って見てられなくなったか。

 言葉を遮り、雪菜の顔に、自らの顔を近づけさせる紗矢華。

 あ、おい、と反応が遅れた古城が手を伸ばしたその前で、紗矢華は雪菜に口づけを交わすよう―――額と額を押し当てる。

 

「少し熱っぽい?」

 

「はい、昨夜はあまり寝付けなかっただけです」

 

 この真面目すぎるきらいのある妹分は徹夜で何か考え込んでいたせいで無理が祟った。その悩みの相談を受けるよう、姉貴分とした和らげた表情を作った紗矢華に、安堵の息を吐いたお邪魔虫からの横槍が入れられた。

 

「って、なんだ、熱を計るだけか」

 

「何をすると思ったわけ、この変態吸血鬼!」

 

「へ、変態!?」

 

 幼いころから養成機関で家族も同然、倉庫の姉妹の一時を邪魔してくれた男に、紗矢華の鋭き舌鋒は容赦なく罵る。

 

「ったく、私たちは子供のころからの付き合いなのよ。会って半年も経ってないからそんないやらしい想像しかできないのよ」

 

 と。

 会話するのもイヤなくらい男嫌いな彼女が認めた相手にしかしない紗矢華節。その喧嘩口調に、張り合うように古城もまた反論する―――そう、思いきや、肩透かしをさせられる。

 

「……そうか、まだ半年も、よく考えりゃまだそれくらいしか経ってないんだな。ずっと四六時中姫柊が傍にいるもんだから、もっとずっと長く一緒にいる気がしてたよ」

 

 紗矢華の言葉を受け入れ、自嘲するように呟き零す古城。

 様子がおかしいのは、雪菜だけでなく、古城もまたそうであった。

 昨日の一件を雪菜から師家様に、そして師家様から紗矢華へと伝言ゲームで彼らが魔竜と戦闘したことを知ってはいる紗矢華。ただし、彼女はまだその詳細を把握してはいない。

 蚊帳の外にフェードアウトされる雰囲気に紗矢華が呑まれていると、悲壮な感情をひた隠しにしようとしてできていない表情を上げた雪菜が、古城に向かって言う。

 

「……安心してください。それももう終わりですから」

 

「終わりって、どういうことだよ」

 

 口にするのを躊躇う。しかし、この決定を告げることこそが最後の務めと言い聞かせ、雪菜は答えた。

 

「獅子王機関から帰還命令が届きました。……多分、私は監視者として見限られたのだと思います」

 

 大事な秘奧兵器を大破させただけが問題ではない。

 監視役なのに、存在自体が災厄そのものとされる真祖に戦争(ケンカ)をけしかけるような扇動をし、あまつさえ、本来なら滅ぼすべき対象だというのに、『世界最強の吸血鬼』に覚醒させるための霊媒の生き血を吸わせてしまっている。

 そんな監視役は、失格されて当然だ。

 

 でもあれは―――言いかけて、古城は口を噤んだ。

 

 彼女は何も悪くないと訴えたかった……でも、このまま自分の傍に居続ければ、いずれ彼女も昨日の少女のように死んでしまうかもしれない。魔竜の尾に腹を貫かれ、吐血した死に顔を真正面で見た古城。それが、少女と雪菜がよく似た容姿をしてるせいか、重なってしまう。これまで古城が想像しえなかった、最悪の結果というものに。

 

 さすがに第三者としてはいられず、二人に紗矢華は割って入った。

 

「ちょっと待ちなさい雪菜。本当に獅子王機関がそんな命令を出したの? ちゃんともう一度確認を」

「いいんです紗矢華さん」

 

 ゆるゆると首を振られる。

 

「これで私も先輩も、楽に、なれますから」

 

 途切れることなく清流の如く滑らかな語り口調が、今は電波の悪いラジオ音声のように濁る。

 

「もう、今日の午後に迎えが来るそうです。急なお別れですけど、大丈夫、ですよね」

 

 そんなつっかえつっかえに吐き出される別れの言葉。たとえ誰よりも妹分を知ると自負する紗矢華でなくても、本心からのものでないくらいわかる。それが向けられた当人であるのならなおさら。

 

「私がいなくてもちゃんと朝起きてくださいね

 女の子にあまりいやらしいことするのは、だめですよ。もちろん、男の人にも。

 死なないからって、無茶をするのもやめてください」

 

 最後までこちらを気に掛ける彼女の言葉に、古城は伸ばすのを躊躇い、強く握りしめた拳をとかず、一度は持ち上げかけた腕も重い。引き留める文句も、唇を噛んできつく閉ざされた口から一切零させず。

 ……古城は黙って、聞いてやるしかできなかった。

 

 

「それから、楽しかった、です」

 

 

 そういって、雪菜は走り去った。

 古城のもとから。

 

 

キーストーンゲート

 

 

 『魔族特区』として繁栄させんとして、人工の浮島は海洋上の龍脈(レイライン)の集束点に建設された。

 つまり、龍脈――地球表面を流れる巨大な霊力経路の基点は、この人工島の中心点と重なっている。

 力を得るため、また街を滅ぼすため、より多くの龍脈を喰らう地点を求めた最凶最悪の生体兵器が根を張った場所は、やはり絃神島の中央にあるキーストーンゲート―――海面下220mにある最下層で眠る、聖人の右腕という聖遺物を供犠建材にした要石(キーストーン)に空間を越えて尾を絡み付かせ、霊力経路を根付かせていた。

 

「―――あいつを見つけた、所定のポイントにまで持って来れば(ふっ飛ばせば)いいんだな、ご主人」

 

 島の中心地で、全体を一望できる最も高い摩天楼の頂点。

 そこで“巣作り”する魔竜、その周囲を飛び交う毛の生えた翼竜(ファードラゴン)。魔竜はその咢より、火炎の竜の吐息(ブレス)を放ち、純白の獣竜を撃ち落とさんとするが、四対の翼を羽ばたかせるその機動力は、速く、機敏。躱し躱し躱し―――主人をフォローする。

 

 キーストーンゲートの側面を蹴って、稲妻のように頂上を目指して、駆け上がる、“風”。

 気配を自然と一体化し、姿を透過したそれは今は“風”のよう。

 すでに地上は遠く、空に落ちていくように、この天地逆しまの自由落下は加速して高度を増していく。

 “風”に足場など必要とせず、壁を蹴る反動だけでより高みへと(のぼ)っていく。

 

(フラミー……!)

 

 <守護獣>が標的の気を引いて、注意を(うえ)に逸らしている隙に、魔竜に勘付かせることなく、終着駅(おくじょう)に至った。

 

 そして、速度を落とすことなく、一瞬で“風”――銀人狼は肉薄した。

 銀人狼はしつこく己の<守護獣>に攻撃し続ける魔竜の頭部を踏みつけざまに、ベクトルを90度真上に変え、宙に舞う。そのまま、銀の体毛に覆われる太ももを引き上げ、足を大きく振りかぶった。蹴り足のシルエットが、陽炎のごとく、揺らめく。

 

「<伏雷(ふし)>―――!」

 

 その足が、巨大な質量を感じさせるほどに、凄まじい圧迫感を放つ。

 それは、足刀踵斧での<疑似聖剣>の発動。加えて、魔力を衝撃に変換する『八雷神法』の一手。

 青白い光が黄金色に染まっていく。激しい霊力を神気の色に変色する炎色反応の如き燃焼。ガスバーナーのように、金色の炎光を噴き上げ―――渾身の力をこめて、踵を叩きつける。

 それは、神鳴りが炸裂したかのような轟音を生じた。

 銀人狼の先制攻撃は狙い違わず、魔竜の脳天を叩き潰し、巨体を摩天楼の頂上から、キーストーンゲート近くに自然公園へと蹴り落とした。

 

 

道中

 

 

 どうするつもり?

 と、妹分を追わず、古城の前に留まってる少女は問う。

 

『<第四真祖>がいなければ、姫柊が危険な目に遭わなくて済む』

 

 だから、これでいい―――そう、答えた古城に、

 パシンッ! と引っ叩いた音が脳を揺さぶる応じ手。

 

『なに腑抜けたことを言ってるのよ!』

 

 出会って早々に敵意を、いや殺意をぶつけ、今強く思い零した言葉を真っ先に突き付けた煌坂紗矢華という少女は、今古城を責めていた。

 

『私だって、雪菜が望んでいるのなら何も言うことはないわ。……でも、私、言ったのよ。配置換えを上申しようかって、そしたら雪菜、なんて言ったと思う?』

 

 ―――先輩とは約束しましたから。

 ―――あの人の負うべき責任を、一緒に背負うって決めましたから。

 ―――だから、絶対に私から先輩の傍を離れるわけにはいきません。

 

 姫柊雪菜と出会って、初めての事件。

 あの時、ロタリンギアの殲教師の“正義”を判りながらも、この島を沈める強行に及ぼうとしたのを止めたい―――そう思い、悩む。

 この<第四真祖>という『世界最強』の力を思う存分に振るいたい―――世界に戦争すら仕掛けられる力で何かを、救いたい、そう願い。

 その力が強大なほど大きくなる重責に、あと一歩を立ち止まってしまう古城に、背中を押してくれた。

 

 先輩が、この島の人たちを守りたいと思っているのなら―――

 ―――やりたいようにしてください。

 先輩ひとりでその責任を負いきれないというのなら―――

 ―――私も一緒に背負います。

 

 

 だって、私は先輩の監視役なんですから、と。

 

 

 彼女が、古城に自らの身体を捧げたのは、絃神島の人々を護るため、というよりも、むしろ古城個人のためであった。古城がいつか己の決断を―――<第四真祖>という『世界最強』の力を振るわなかったことを後悔することがないように、と。

 

 そして、今、古城から去ってしまった少女を、最初に少女を古城から離したかった紗矢華は、言葉をぶつける。

 

『たとえ望んでいなくても、<第四真祖>はあるだけで災厄を引き寄せ、周りを巻き込む。それが宿命よ』

 

 そこから目を離すな、と。

 

 忘れられた過去を思い出し、押しつけられたこの宿業の意味を知り―――いい加減に、暁古城は自覚する時が来たようだ。

 

 

『何があっても、その力で全部守るってそれくらい言ってみなさいよ! 暁古城!』

 

 

 雪菜の行く先は、空港よ、と教えて、背中をたたく。

 やっぱり、紗矢華は良いヤツだ。

 感謝を。多謝を。古城は送り、追いかけ始めた。

 

 自分は、世界最強の吸血鬼――<第四真祖>。

 そして。

 この力を持て余している半人前の真祖には―――姫柊。お前が必要だ

 

 

 

 去ろうとする少女を追い、走り始めた……しかし、途中で古城は足を止めた。

 魔力の波動を―――この島を沈めかねんとする魔竜が、暴れてるのを感じ取ったのだ。

 

 

キーストーンゲート付近 自然公園

 

 

 現在、絃神島は崩壊しかかっている。

 魔術建材に供給される魔力が途切れているのだ。

 今のところを大きなバランス崩壊は起こしていないが、決壊したダムと一緒。一か所綻べば、そこから一気に人工島は崩壊するだろう。

 

 人工島管理公社は、厳密にいえば、<電子の女帝>とその手の界隈で名を轟かせるアルバイト女子高生が、物理システムだけを使い、全人工島の浮力と潮流のリアルタイム調整をしている。

 しかし、これは所詮、応急処置に過ぎない。原因を打破しなければ、いずれ絃神島は沈むことになる

 

 特区警備隊では、その原因である龍脈を喰らう魔竜には敵わない。

 今の魔竜は、『四神相応』の理をもって配置される四基の巨大人工島の中央、要石と接続―――つまり、四神の長たる黄龍の恩恵を受けて、その霊格の階梯を上げているようなものだ。一体で街を滅ぼす『旧き世代』の眷獣、それ以上の力があると予測される。

 『覗き屋(ヘイムダル)』はそれを理解し、彼らを一体の避難誘導の人員に回している。

 

 魔竜は空間跳躍し、不利になればいつでも離脱することができる。

 その逃げ道を封じるため、超高難度魔術である空間制御を単独で行使する絃神島で五本の指に入る国家降魔官<空隙の魔女>は、この自然公園に勝手な空間跳躍を許可しない、異空間を敷く。空間制御がなす、ある種の逃げ場のない結界だ。

 できるものなら、龍脈からも遮断したかったところであるが、すでに霊的回路が接続されている。これは、いうなれば、絃神島が宿主で魔竜がその眷獣、というようなもの。召喚ではなく、眷獣の方から霊的回路に寄生されているわけなのだが、

 吸血鬼が“異世界から喚び出すというもの”が眷獣というのだから、その結ぶラインは世界を隔てた程度では断絶できないものだ。

 そして、魔竜を結界内に閉じ込める間、魔女は『異空間の維持』という繊細さを求められる作業に集中しなければならず、無防備となる。それ故戦闘には参加できず、また護衛にひとり、眷獣共生型人工生命体を傍に付かせている。

 

 

 お膳立てが整っていて、今、戦っているのはひとり。

 魔竜を戦場へと運んできた(蹴り飛ばした)、魔女の眷獣(サーヴァント)たる<黒妖犬(ヘルハウンド)>。

 

 

「―――オマエの相手は、オレだ」

 

 ぐわっと大顎を開き、魔竜が銀人狼に咬みついてくる。

 短剣のような牙がびっしりと並ぶ、逞しい顎。そして、人間をひとのみにできそうな大口は、一気に真祖が膝を屈するほどごっそりと魔力を奪う。

 しかし―――クロウは退かず、どころか素早く顎に飛び込み、その牙を両手で支えた。クロウの強度は鋼鉄に勝る。鋭利な牙が食い込みもしない。そして、この『混血』の力を吸収するのは、“身を滅ぼしかねない”と本能的に察したか。

 昆虫と同じ複眼、その硝子のような瞳が、ギョロリと蠢いた。

 目の前の獲物をどう料理すべきか、慎重に戦術を練り直すように―――そう、いまさら。

 

「むしろ、オレとしては」 クロウは挑発するように 「オマエがオレの相手になるかどうか考え物だぞ」

 

 魔竜の喉から光が漏れた。

 そして、放出。光の濁流が大気を貫く。それはクロウを掠め、向かいの自然公園に植えられていた梢林を消滅させた。咄嗟に躱さなければ、大きなダメージを負ったことだろう。

 

 着地と同時に飛び込む。頬より血を垂らしているも、しかしそれが赤の絵の具か何かのようにまるで頓着しない。

 魔竜の尾は、要石に巻き付いているために、使うことができない。魔竜の翼撃をかわして、側面に回り、腹を蹴り上げる。

 爪の一撃を潜り抜け、跳び越えざまに背中を蹴る。

 だが、次―――魔竜の咢より、光芒が飛び散る。そのひとつひとつが必殺の魔砲弾の連射だ。クロウは素早く躱したが、そこに前足がまっており、踏み潰された。

 

「<黒雷(くろ)>!」

 

 身体強化呪術を発動。銀人狼は両足を踏ん張り、魔竜の爪を受け止めた、

 魔竜が霊地龍脈からさらに魔力を吸い上げ、強大。

 圧力が強まり、銀人狼の足元がずぶりと沈む。

 だが、クロウは耐える。力比べで負けない―――だから、この状況を望んだ。

 

「今、オレが任されているのは“足止め”なのだ」

 

 戦況は、膠着した。体勢は魔竜に有利だが、自分の前足が邪魔で竜の吐息(ブレス)や魔砲弾が撃てない。迂闊に引けば、そのまま押し返され、銀人狼の攻撃が始まる。眷獣をも叩きのめす威力は、魔竜であっても無事では済まない。

 

 機が来るまで待ちに徹する。

 急いで島崩壊の原因である魔竜を仕留めなければならないのだが、ただ倒しただけでは即行で再生される。それも龍脈の魔力を吸い上げて、だ。つまり百壊したとしても、それは結果として、ただ多くの龍脈の魔力が消費されるだけで、島の崩壊を早めることになるのだ。

 

不死(オマエ)を壊すくらいできるんだがな、それじゃあ島を枯らしてしまうかもしれないのだ」

 

 不死をも殲滅する“壊毒”は使えない。

 この絃神島を支える龍脈を繋がっている魔竜に“壊毒”を流し込めば、その龍脈さえも枯れ果てる恐れがある。

 だから、決定打が来るまで、クロウは待つ。

 

 

空港

 

 

 肌を刺す違和感。

 この魔力の波動は、あの魔竜のもの。

 しかし、力のない自分には何もできない。

 

「……っ」

 

 このもどかしさを抑えんと空港の金網フェンスを掴みながら佇む雪菜。

 その視線はずっと魔竜の波動が出現したと思しき方角を睨んでいる。

 そこで雪菜は自分へ視線を向けるその気配に気づく。

 雪菜とまるで双子のようによく似ている、第二世代の女吸血鬼。

 

「行かないの?」

 

 それはもちろん、昨日会ったあの少女だった。

 

「っ、あなたは―――!」

 

 振り向いた雪菜は、その美しい顔がくしゃくしゃに歪んだ、泣き崩れそうな表情を一瞬、その少女に向けてしまう。

 だが、すぐさま雪菜は冷徹な無表情の仮面をかぶり直し―――それに少女は盛大な溜息を吐くと、もう一度訊いた。

 

「クロ君はもう戦ってるだろうし、古城君も、きっと向かってるよ。

 ―――なのに、あなたは行かないんだ?」

 

「なっ―――」

 

 行かないのか?

 その問いかけに、消しても消しきれない、先輩のもとへ駆けつけたい気持ちに駆られる。

 しかし、<雪霞狼>がない今、先輩との絆はもうなくなってしまっている。この衝動も噛み殺すしかないのだ。

 雪菜は口を『Λ』の形にした。同じ顔をした両者の視線がぶつかり、火花が散る。

 

「本当は行きたくて仕方ないくせに」

 

「だからっ! ―――だから、行っちゃいけない……行っちゃいけないんです!」

 

 雪菜は悲痛な叫びをあげた。

 じんわり目尻に涙が滲む。その滴は彼女の堪えきれない想いの発露も同然。それでも、雪菜は雪菜に雪菜の感情を爆発させるのを、許さない。

 

 わかったのだ。

 <雪霞狼>。<第四真祖>の監視役に与えられた全てを終わらせるための槍を、向けていたから、先輩と一緒にいることができた。

 それがなくなってしまったら、先輩との距離を今のままに保てていられなくなる。今のままでが我慢できなくなる。踏み止まっていた一線を越えてしまえば、歯止めが利かなくなってしまう。

 だから、だめ。

 だから、もう先輩の傍にはいられなくなる。

 

「本当に、あなたはいっつもそう……」

 

 しかし、そんな雪菜の内情など、少女にしてみれば、ここに来るずっと前からお見通しだ。

 だから、そんなもの、求めてここまで来たんじゃない。

 

「ええ、あたしはそんな建前を聴くためにここに来たんじゃないわ。

 

 あなた自身はどうなの?

 

 

 剣巫だとか、獅子王機関は関係ない!

 

 

 

 ただの女の子の姫柊雪菜はどうしたいのよっ!!」

 

 

 

 少女は、叫んで想いをぶつけた。

 そして、それが一拍遅れた鏡映しのように、触発された雪菜は内に秘めていた思いを思わず吐露した。

 少女と同じように、いや、負けないように、強く、叫んで。

 

「そんなの!

 

 決まってるじゃないですかっ!

 

 

 一緒に……!

 

 

 

 一緒にいたいに決まってるじゃないですかっ!!!」

 

 

 

 雪菜の、――の声を、ようやく聴けた少女は、ふっと笑みを零す。

 

「……………やっと素直になったわね」

 

 ここまで追い詰めないと本音が言えないのかこの人、と半ばその頑固さに呆れつつ、少女は真上にその手を掲げる。

 それは雪菜の記憶に強く残る―――苦境に立たされた時、いつも先輩がその力を振るうときの姿と、何故か重なる。

 

「じゃあ、古城君のところに帰れる“魔法のチケット”をあなたにあげるわ……どうせわからないでしょうけど、これを造るのに身を削ってくれたクロ君にはあとで感謝しときなさいよ」

 

 少女を中心として円状に広がり、そして、暗雲を貫いて世界の天蓋を超えた蒼い光。

 それは、時空を超える眷獣<天球の蒼(エクリプティカ・サフィルス)>。

 20年の歳月を超えて―――破壊されたはずの刃をこの手に掴む。

 

「もしかすると……あたしは、このために、過去(ここ)にやってきたのかもしれない」

 

 それは、彼女の時代の最先端技術で修復するだけでなく、伝説級の聖遺物である『古代の宝槍』に並びうるものを新たに加えた。人工島を支える要石として供犠建材にされた『聖者の右腕』、それ以上の“ある幻想級の素材”で核の補強改良したことによって、出力と霊力の変換効率の格段な向上を実現した―――剣巫の、いいや、“姫柊雪菜の銀槍”。

 

 

「あなたに、この新しい<雪霞狼>を―――『七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)(プラス)』を渡すために」

 

 

キーストーンゲート付近 自然公園

 

 

 膠着していた戦況は―――一気に、傾いた。

 

 

 ゴバッッッ!!!!!! と、至近で耳をつんざくような轟音と衝撃波が炸裂した。足で踏みつけながらも潰せない。足が邪魔で攻撃ができない。

 だから、最凶最悪の生体兵器は、“生物であることをやめた”。魔竜自身ごと、銀人狼を撃ち抜いたのだ。

 そう、不死身に任せた自爆戦法を取ってきたのである。

 

「がハ―――!?」

 

 下半身を吹き飛ばしてしまったが、それも龍脈から魔力を吸い上げて魔竜は再生した。そして、自爆の代償に銀人狼に一撃を喰らわせた。いくらか魔竜の足を挟んだので破壊力は減ってしまったが、それでも銀人狼を怯ませるだけの威力がある。

 魔竜は続けて魔力障壁を纏わせた翼撃を横から振るう。銀人狼はそれを受け止め、耐える。両者が止まった一瞬に、また魔竜は魔砲弾を放ち、翼ごとクロウを撃ち抜いた。

 

「ぐふっ!」

 

 二度目だけあって、生体障壁の防護が間に合う。しかし、その身体が勢いよく後ろへ吹き飛ばされた。

 ぱたぱた、と地面に血の珠がいくつも落ちる。

 そして、大きく息を吸った魔竜の喉から光が迸り―――容赦なく。

 

 

 ゴッ!! と。魔竜の殺息(ドラゴンブレス)が襲い掛かってきた。

 

 

 直径1mほどのレーザー兵器のよう。太陽を溶かしたような純白の光が襲い掛かってきた瞬間、クロウは精気を振り絞り生体障壁を厚く固めた。

 じゅう、と熱した鉄板に肉を押しつけるような激突音。

 衝撃を殺すために鋼鉄の全身鎧(フルプレート)を着込んだが、しかしその装甲が赤熱してしまったかのような、肌を炙っていく継続ダメージを喰らうクロウ。

 地面につけた両足がじりじりと後ろへ下がり、ともすれば重圧に身体が吹き飛ばされそうになる。

 

(まずい……このままこいつと我慢比べを続けるのは……………ッ!?)

 

 クロウは思わず両腕で顔を覆わせる。全身の皮膚がびりびりと痛みを発した。際限なく龍脈から魔力を注ぎ込んだ殺息(ブレス)が、少しずつ防御を削り、食い込んできている。

 単純な物量だけでなく、その魔力は、四神の頂点たる黄龍に相応する気質だ。龍族と同格たる神獣と成らなければ耐えられまい。しかし、『首輪』を外し、<神獣化>する時間を魔竜は銀人狼に与えない。

 

 

疾く在れ(きやがれ)、<神羊の金剛(メサルティム・アダマス)>―――!」

 

 

 突如、銀人狼の前に、金剛石(ダイヤモンド)の障壁が展開された。それはクロウを守るだけでなく、魔竜の殺息(ドラゴンブレス)を撥ね返す。自らの攻撃を喰らった魔竜は、その上半身を消し飛ばす―――しかし、また龍脈から魔力を吸い上げ、再生する。

 

「クロウ! 無事か!」

 

「古城君……ああ、大丈夫なのだ」

 

 駆け付けてきてくれた古城に、しかしクロウは膝を突いたまま。熱病のような汗を噴き出させている。後輩のひどく消耗した様子に、ぎちりと噛み鳴らし、犬歯を剥き出しにして、魔竜を睨む。

 

「どうやら、俺の後輩が随分と世話になったようだな……!」

 

 前に出た古城は後輩を背にし、腕を高く掲げる。

 

「―――疾く在れ、<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>、<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>ッ!」

 

 <焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の災厄の等しき眷獣それも二体同時召喚。

 しかし、それが現出される前に、魔竜は古城へ向けて咢を開き、摩砲弾を放―――

 

 

「―――獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る! 極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり!」

 

 

 祝詞を紡いで、銀色の洋弓から撃ち出される金属製の呪矢。呪力を帯びた鳴り鏑矢が、人間には不可能な超高速度の呪文詠唱を代行。魔竜の上に巨大な魔方陣が描き出されたかと思うと、数えきれないほどの稲妻の嵐、それと身体の自由を奪う高濃度の瘴気が降り注いだ。

 摩砲弾を撃ち出す寸前で魔竜は地面に埋まるほどに屈する。

 

「今よ! やりなさい暁古城!」

 

 制圧兵器たる<煌華鱗>を携える舞威姫――煌坂紗矢華の登場。

 高濃度の瘴気と雷撃を浴びせられた魔竜がしばし硬直して動きを止めた好機に、古城は双頭龍と双角獣(バイコーン)を召喚し、突撃させた。

 『次元食い(ディメンジョンイーター)』の双頭龍が、空間ごと魔竜の巨体を喰らい、残る肉片を双角獣の咆哮から放たれた圧縮された大気の砲弾が塵にする。

 

 

 しかし、魔竜は完全に消滅された状態からも再生した。

 

 

「死なねぇやつってのは、敵に回すとこんなに厄介なのかよ……!」

 

 一気に三連続、それも二体同時召喚の魔力消耗は大きく、古城の吐く息は荒い。

 それでも双眸の闘志は萎えることなく、燃え盛る。

 

「だったら、とことんやってやるぜ―――疾く在れ、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>!」

 

 新たに召喚された雷光の獅子は咆哮を上げてその威容を世界に震わせ、空を駆けて魔竜へと突撃した。空を蹴る一蹴りごとに稲妻が炸裂する。落雷に匹敵する威力が、その度に迸る。直撃すれば、間違いなく魔竜の身体を炭化する紫電の飛沫。

 しかし、不死身の特性を最大限に活用する、捨て身の自爆戦法。雷撃に自ら首を突っ込んだ魔竜の咢が、焼かれながらも再生して原形を維持して、そして雷光の獅子の胴体に喰らい尽く。

 ―――そして、魔力を吸収する。

 

 

「グァァァああああああああああああああああああッ!?」

 

 

 不死身たる魔力吸収―――しかし、眷獣を通してその宿主の魔力までも奪えるとは!

 高密度の魔力の塊である雷光の獅子が霧散して、古城はまたも根こそぎ魔力を食われる。

 そして、膝を突いた古城に、味を占めた魔竜が、大きく咢を開いて猛然と迫る―――

 

 

 ざんっ、とその間に割って入る、何かが大地に突き立った。

 

 

「させませんっ!」

 

 降り立った少女は、構える槍より純白の光壁を展開。『神格振動波』を護りに転用して、その心に迷い・曇り・汚れなき意思がある限り、一切の敵意・悪意を寄せ付けない魔を弾く聖域を作り上げた。

 突貫した魔竜は、その光を浴びて肌が焼かれることを恐れるかのように、大きく退く。

 そして、魔竜に睨みを利かせた彼女に、古城は―――思わず、その名を呼んでしまう。

 

「姫柊……!」

 

 そう、去っていった姫柊雪菜が古城の下に帰ってきた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 『七式突撃降魔機槍』は、姫柊雪菜の不注意で壊れたのではない。

 

 この絃神島に派遣され、急激に成長した姫柊雪菜の霊力に耐えられなくて、自壊したのだ。

 だから、獅子王機関と『暁の帝国』は、姫柊雪菜に合わせて、姫柊雪菜だけの『七式突撃降魔機槍・改』を造り上げることを計画する。

 20年という歳月を費やし、そして、『古代の宝槍』だけでなく、黄龍や鳳凰に同等以上の格を持つに至った、幻獣級の神狼――『大罪制覇(グランド・ビースト)の牙』をも核に加えて―――更なる強化が施されて、雪菜の下へ帰ってきた。

 

「ハア―――ッ!」

 

 より強く輝きを増した破魔の霊光。武神具の質が格段に上がり、何より自身の手によく馴染む銀槍を振るいて、雪菜は怯ませた魔竜に迫る。

 

 <雪霞狼>の強化は雪菜自身にも影響を及ぼすかのように、その霊視はこれまでの絶好調期以上に冴え渡る。連射される魔砲弾をひとつ残らず斬り捨てながらも、速度を落とすことなく。

 魔竜が近づく者を全て薙ぎ払わんとする魔力障壁の拡張放出が吹き荒れるも、しかしそれすらも。

 斬! と、姫柊雪菜の一振りは、軽々と横一線に斬り裂いた

 しかも、それでいて雪菜は振り抜いた銀槍の速度や重さに振り回されることもない。完全に、物にしている。

 

 だが、ここまでは試運転。真価を発揮したのは、最後に魔竜の腹に浴びせた一太刀。

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 『三聖』クラスの腕前であれば、槍の担い手に選ばれていなくとも、“斬りつけた腕に楔を付ける”などと斬った相手に『神格振動波』の結界を貼り付ける芸当ができるだろう。

 しかし、姫柊雪菜が全力で霊気を篭めて振るう『七式突撃降魔機槍・改』は、“結界に留めるだけ”に留まらない。

 <雪霞狼>に過負荷を与え、込められた高純度の神気を漏出。本来であれば光の斬撃となる霊力をあえて放出せず、対象を斬りつけた際に解放する。

 

 魔竜の口から、苦悶の咆哮が響く。

 そして、腹部の傷痕から罅割れていくように、神気が全身へと広がろうとしている。

 

 斬られたものは斬りつけた部分から凄まじい破魔の霊光が迸り、そして周囲に伝播し浄化を続ける持続性がある『過重神格振動波』。

 つまるところ槍で一ヵ所切傷を付けるだけで、そこより『神格振動波』が全体へ伝わらせ、魔を雪霞の如くに散らせるというもの。急所を突かなくても、魔族に壊滅的なダメージを与える。

 

 そして、魔竜への逆襲を果たしたところで、残心。しかしながら、この逸る気を落ち着けさせるのは無理があって、鼓動は早鐘を打ちながらも、見かけ呼吸だけを整えたところで雪菜は振り返ってしまう。

 

「先輩っ!」

 

 魔力を大量に吸われて、ふらふらながらも帰ってきた彼女を迎えようと立ち上がる古城に、雪菜は急いで駆け付けて身体を支える。

 出会って早々に心配させてしまうことに古城は自嘲と苦笑が半々となるような表情を浮かべてしまう。

 

「姫柊が目を離すとすぐこれだな」

 

 しかしどうして姫柊が、と見つめる古城に、雪菜は静かに微笑んで、

 

「当然です。忘れたわけじゃありませんよね。私は先輩の監視役なんですから」

 

 涼しげな表情で言い切る彼女に、古城はしばし呆然と見惚れた。

 銀槍を地面に突き立てた雪菜が、制服の胸のリボンを解いた。

 そのままボタンを外して、胸元をはだける。

 白い肌と細い鎖骨。そしてほっそりとした首筋が露わとなる。

 見下ろす古城の視界には、彼女が身につけた清楚な下着と、控えめな胸の膨らみが否応なく飛び込んでくる。古城は軽く声を上擦らせ、

 

 これまで、もう何度とした行為に、互いに確認の言葉などとらなかった。

 

 古城に抱き寄せられて、熱い吐息を漏らす雪菜。

 古城は彼女の細いからだから、かすかな温もりと心地よいにおいを感じる。清潔な髪の匂いと、ほのかな甘い体臭。そして、血の臭い―――

 犬歯が、否、牙が疼く。吸血衝動の引き金(トリガー)となるのは性欲だ。吸血鬼が血を吸う対象は、魅力的だと認めた異性だけ。

 この実感が離れるのは惜しい、とこの時ばかりは古城は自覚する。

 

「あ、()……先ぱ……い……」

 

 彼女と一緒にいる間、古城は吸血衝動を抑えるのにいつも苦労する。

 そして、その彼女は行為に及ぶ際になると彼女なりに精一杯こちらを誘惑して、いつも初々しい反応を見せる。苦悶の声を上げても、抑えきるのは不可能で、嗜虐精神を煽りより昂らせるだけだ。

 古城の牙が、雪菜の体の中にそっと埋まっていく。

 雪菜はきつく目を閉じて、その痛みに耐え、やがては快感に変わるそれを堪える。雪菜の唇から弱々しい吐息が漏れる。

 やがて古城の腕に抱かれた雪菜の身体から力が抜けていく。まるでひとつに融け合ったような二人に―――

 

 

 過剰神気に侵食される部位を切り離して、消滅の危機を脱した魔竜が完全再生を果たす。

 

 

 早速、反撃の摩砲弾を魔竜は二人へ放って―――それを横から飛んできた紫電迸る白虎の気功砲が相殺させる。

 

「<槍の黄金(ハスタ・アウルム)>!」

「<煌華鱗>!」

 

 魔力無効化能力をもつ稲妻を纏わす金槍を振るう雪菜に似た少女――レイが、魔竜の身体を切り刻んで、追打ちする『六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)』の呪矢。

 魔竜を後逸させたところで、先ほど気功砲を放った銀人狼が、魔竜へ視線を固定しながらも、大きく嘆息してみせる。

 

「……こんなときに、こんなところで、まだ戦闘は終わってないのに。古城君たちは、TPOってのを弁えるべきだと思うぞ」

 

 レイは、あっちゃ~……と手で顔を隠し、ただし目のところは指を広げており、

 紗矢華にいたっては、ぼけ~……と頬を赤らめて呆けてしまっている。

 この場にいる全員を代表して注意したクロウに、古城は完全に復活した不敵な笑みを浮かべながら謝罪を述べる。

 

「わりぃなクロウ。だけど、もう大丈夫だ」

 

 力が、漲る。

 古城に帰ってきたのは魔力だけでない、この無限に魔力をこみ上げさせてくれる監視役も。

 

「さんざんやってくれたな―――ここから先は<第四真祖(オレ)>の“戦争(ケンカ)”だ」

「いいえ、先輩―――“私たちの戦争(ケンカ)”です」

 

 そして、そのやりとりに今はもう一人加わる。

 

「忘れないで、もともとあたしの“戦争(ケンカ)”なんだからね」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 20年後の世界で、とある実験によって生み出された最凶最悪の戦略兵器。空間を捻じ曲げる『時渡り』の能力に、土地の霊的経路(パス)を張り巡らせてから寄生するように魔力を吸い上げ、その霊血を壊滅させる『龍脈喰い』の特性。

 基本的にどんなものからでも無限にエネルギーを吸い取り、何度でも復活することが可能なため、対策を怠れば捕らわれた眷獣を通して宿主が魔力を大量に吸われる羽目に陥る。

 そして、『龍脈食い』の特性を攻略しなければ、何度でも蘇る。

 

「いい、古城君。あの魔獣は龍脈に霊的経路を張り巡らせてるの」

 

「霊的通路?」

 

「先輩と眷獣を繋ぐラインのようなものです。本来なら触れたり、ましてや壊したりできるものじゃないんですが」

 

 知識の少ない、一般の男子高生の古城に、同じ顔をした少女たちが説明して、補足を入れると―――彼女たちは銀槍と金槍を交差に重ね合せる。

 

 

「「私たちが力を合わせれば!」」

 

 

 壮烈に金銀絢爛な呪力が高まる。

 『神格振動波』の共鳴現象だ。それで二人の力を互いに増幅させ合い、相乗効果を生んでいる。

 

 魔獣の復活を阻止するためには、『龍脈喰い』の尾を切断する方法以外はない。そして。強力な破魔の効果を持つ武器でもない限りは、触れることすら叶わない。

 だが、今のふたりならば、絃神島の要石と魔竜とのラインを断つことすらできる!

 

 

 

 そして、自在に瞬間移動して、攻撃を躱す『時渡り』の対抗策の準備を進められる。

 

「<歳星/太歳>

 <太白/大将軍>

 <塡星/太陰>

 <辰星/歳刑>

 <塡星/歳破>

 <太白/歳殺>

 <羅睺/黄幡>

 <計都星/豹尾>」

 

 テンカウントのように詠唱が紡がれる。

 限界を超えた呪的身体強化術――『八将神法』を、獣のように大地に四肢をついた銀人狼が、その背後に立つ呪術のスペシャリストである舞威姫のサポートを受けながら、発動させていく、

 

「我が身に宿る“疫病”に命じる、栄えよ―――」

 

 地面に四肢をついた銀人狼の腰が上がる。

 その姿は、号砲を待つスプリンターのよう。

 『八将神法』の奥義たる『牛頭大神』

 今回は、呪毒反転はせず、『龍殺し』の一点に効果を絞る。

 

 

 

 不死身が通用しなくなる状況を判断したか。

 逃げようとする魔竜。しかし、<空隙の魔女>によりこの結界の中から外へ空間跳躍することはできない。

 ならば、この張られた結界内で跳躍を繰り返すか―――!

 

 

 しかし、その『鼻』は、100%の絶対確率で標的の位置座標を捉える。

 

 

 龍殺しの人狼が走る。

 残像さえ遥か、<黒妖犬>は神風となって、『時渡り』を繰り返す魔竜へ迷わず一直線に疾駆する。

 

 

「―――<(ゆらぎ)>ッ!!」

 

 

 『玄武』、『白虎』、『朱雀』、『青龍』の獣王四神の型を修めた今代獣王が、原点に帰って放つ総集奥義。

 ランダムに『時渡り』する魔竜の跳躍地点に時空さえ超えて、先読みして先送りして先手を打つひとつの究極形、今代獣王の編み出した『黄龍』の型。

 

 刹那にも満たぬ内にすべては決着する。

 

 

 ごっきいいいいいいいいいいいいいいいいん!!!!!! と。

 

 

 『竜殺し』の呪がかけられていたその一打。

 抉り込まれた魔竜は、墜落し激しく痙攣して動けない、ワンパンチKOが達成された。

 

 

 

「先輩」 「古城君」

 

 二人の呼びかけに古城は腕を構えて、魔力を集わせる。

 

「狙うは尾の付け根よ!」

 

 一言の助言だけ。それ以外のアトバイスもなく、極限まで力が高まった二つ槍をそれぞれ構えた二人は並んで疾駆する。

 そして麻痺する魔竜の直前でまったく同じタイミングで跳躍で左右に別たれて、それぞれ回り込む。

 

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る。破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 

 鋏のようにクロスする二つ槍撃。

 絃神島の要石と接続していた、中途で別の時空へ繋がっているその魔竜の尾が切り裂かれ、全体へ伝播する『過剰神格振動波』が霊地龍脈を浄化し、張り巡らされていた霊的回路が断たれる。

 

 

疾く在れ(きやがれ)、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>―――!」

 

 

 そして、不死身でなくなった最凶最悪の生体兵器へ、天罰の如き雷光の獅子がぶちかまし、細胞一つ残さず蒸発させた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「私、やっぱりこの島にいたいです。先輩や、みんなのいるこの島に。……帰還命令、取り下げてもらえないか掛け合ってみます!」

 

 魔竜が対峙され、絃神島の崩壊が止まり、事件が解決した。

 そして、今回の件で、ひとつ振り切った雪菜が、古城を前に宣言する。

 

「姫柊……」

 

 監視対象と監視役の関係。しかし、互いに互いが代えの効かない存在だと自覚し、そして―――

 

「ストップ」

 

 見つめ合う二人に、割ってはいる紗矢華。

 盛り上がっているところ悪いとは思うのだが、それでもまず一つ確認しておかなければならないことがある。

 

「ねぇ、雪菜。あなたのところに届いた帰還命令ってもしかしてこんなのじゃなかった?」

 

 紗矢華が長剣を入れている黒い楽器ケースから取り出したのは、雪菜が配達員から渡せれたのと同じ手紙。

 

「紗矢華さんも!?」

 

 驚く一つ年下の元ルームメイトに、紗矢華は呆れと安堵の入り混じった嘆息を漏らす。

 

「違うわよ。忘れたの、これ帰還命令じゃなくて、定期検診の通知よ」

 

「へ?」

 

「吸血鬼と接触したことのある職員には、『血の従者』になったりしないように定期検診が義務付けられてるじゃない」

 

 吸血鬼に血を吸われたからと言って、すぐにどうなる、ということはない。吸われた人間は快感と恍惚を味わうことになる、とも言われているが、それはただそれだけのことだ。

 問題は、吸血鬼自身が、突き立てた牙から自分の血液を相手の中に流し込んだ場合である。

 吸血鬼の血を受けたものは、不死者であり、永遠の余生を共に過ごす伴侶たる『血の従者』に変わる。

 もちろん必ずそうなる、というわけではない。月齢や吸われた人間の体調や、呪的な抵抗力によっても確率は変わる。しかしそれは逆を言えば、必ずそうならないわけではない、ということでもある。

 いくら吸血行為に注意や予防をしていたとしても、個人では限界がある。簡易検査セットも支給されているが、きちんとしたそれ専門の施設での検査をしなければ完全に安全とは言えない。それを何度も繰り返していればなおさらだ。

 

 よって、職員の定期検診は、先輩攻魔師のおっしゃるとおりに、義務である。

 

「じゃ、戻れ、っていうのは……?」

 

「三日間だけよ。残念ながら」

 

 というわけで、帰還命令は定期検診のためであって、永遠のお別れではないと。

 

「おっちょこちょいなのだ」

 

 カラカラ、と笑うのは火事場の馬鹿力を発揮したおかげで、筋肉痛でバッタリ前のめりに倒れたままうつ伏せでダウンしてるクロウ。それを見かねて、もしくはこれ以上の説明は付き合ってられない、と古城たちから離れた紗矢華が彼の身体に鍼灸術を施す準備を始める。

 

 そして、勘違いは正され、また二人きりの時間に戻った。

 

「おい姫柊!」

 

「間違いは誰にだってあります! それに、そもそも先輩が悪いんですよ! 私がいなくなった方が良いなんて言うから!」

 

「はあ!? おい待てよ! いつ俺がそんなこと言った?」

 

 それを少し離れた位置で見守るレイは、言い合う古城と雪菜を眺めて、肩をすくめる。

 

「やれやれ、犬も食わないとはこのことね」

 

「だなー。二人は相変わらず仲良しだぞ」

 

 

「「違う(います)っ―――!」」

 

 

 頷き合う後輩と少女に図ってもないのに口を揃えているようでは、どちらに説得力があるかわかるもの。

 そして……

 

「でも、二人に会えて本当に良かった。こんな風に楽しそうな二人が見れて……いや、今とあんまり変わってないかも」

 

「こんな風って」

 

 問う古城だが、少女の周囲にまた空港と同じ蒼の光で包まれ始める。

 

「残念。時間切れみたい。もう帰らなくちゃ―――クロ君、ありがとね」

 

 少女はパチリと大人しく鍼を打たれているクロウへウィンクを送って、ひとつ小包を放る。

 

「それで……これ、槍と一緒に送られてきたんだけど、ケーキ?かな。ここ最近、菓子作りに挑戦してるって、ムツ姉言ってたし」

 

「ケーキ?」

 

 つい、と目を逸らすレイ。

 突っ伏しながらもクロウが片手でキャッチした包みの隙間から、ドロリ、と暗黒物質(ダークマター)の瘴気のようなものが出る。

 

「あう? なんかこれ黒いのが漏れてるぞ」

 

「呪毒の類じゃないと思うんだけど、なにかヤバいわよこれ」

 

 警戒を促す呪術と暗殺の専門家の声に、わたわたと手を振る少女。

 

「その、魔女鍋かき回したりしてたけど、毒とか劇物とかそういうものは入ってないよ……まあ、『『博士(ドク)』が作る母の味に負けないくらい』ってみんなから絶賛されてて……今回は来られなかったから、きっとその分作ってきたんだと思う。だから、食べてあげて―――そして、死なないでね!」

 

「なんか安心させたいのか不安にさせたいのかわからんけど、オレ、毒があっても毒にめっぽう強いからな。お酒がなければ、大丈夫なのだ。それにもらったものはちゃんと残さず食べるのだ」

 

「う、うん、クロ君……あんまり無理しちゃだめだよ、でも、一口だけでも頑張ってね?」

 

 やけにこの少女は、将来を不安にさせる発言をしてくるなー、と思いつつ、クロウの別れを済ませる。

 

「おい待てよ、おまえ、え、っと―――」

「あなた名前は―――」

 

「いつかまた会えるわ。必ず」

 

 そして、少女(レイ)は、最後までその素性を謎のまま空間転移して、“どこか遠い場所”へと帰っていった。

 

 

「それまでちょっとだけさよならね―――――――ママ」

 

 

 去り際にほんの少しだけのネタバレを口滑らせて。

 

 こうして、絃神島に平和が訪れた。

 それは束の間の平穏にすぎないのだとしても―――

 崩壊の揺れが収まった人工島の大地を、眩い太陽が照らす。

 きっと、この島の気候が暑いのは、20年先も変わることはないだろう。

 

 

 

つづく

 

 

 

孤島

 

 

 数年前に都市から離れた、島流しの流刑地のような人工島。

 とうの昔に廃棄されたその鋼鉄の大地にあるのは、ひどく、堅牢な建物だった。

 外側から見れば、連続した立方体の組み合わせだ。大小のサイコロを繋ぎ合わせたような形をあまりに真っ白な塗装には、デザイナーのこだわりといっそ執念めいたものを感じさせられた。

 この“記憶を辿()る”に、ここはどうやら『白夜島』と呼ばれているらしい。“眠ることを極端に恐れた男”が、夜を恐れてその名をつけたのだとすれば可愛くもある。残念なことに今は夜が来ているが。しかしそれにしても張り巡らせたセキュリティは異様であった。一見は何体かの警備ロボットが巡回しているだけだが、内側に張り巡らされた電子的な警戒網のレベルは、そこらの国の内閣府にも劣らぬものだった。それも島流しの流刑地のような人工島にあるため、都市主要のネット環境からは外れており、だから今日までかつては<電子の女帝>と謳われた『最高技術顧問』の目から逃れることができたといえよう。

 

 そう、ここは、20年前の過去に、『時渡り』と『龍脈喰い』の特性を持った最凶最悪の生体兵器を送り込んだ賊のアジトだ。

 

 

「しかし、我らが帝国にあだなす輩、その命運の灯は、今この瞬間にて吹き消されよう」

 

 

 今、その建造物をひとりの人影―――否、ひとつの災いが立ち寄っていた。

 いや。

 もう立ち入った後なのかもしれない。

 木の葉の落ちる音よりもなお密やかに、闇夜に落ちる影よりもなお暗く―――そして、蝋燭の明かりを吹き消すよう、ふっと息が吐く。

 そんな蝶の羽ばたきのような微風とも呼べないようなものを、建造物の外壁の壁を撫でた―――

 

 途端、その施設のあちこちに大爆発が起こった。

 それも同時にではなく、僅かずつずれて、瞬きほどの時間差を置いて。

 仕掛けられていた魔女の師と同じ、爆弾の如き使い魔(ファミリア)が次々と順番に連動したのだ。

 そう、最も建物全体が崩壊しやすいような順番で。次から次に。

 難攻不落とさえ思われた、万全のセキュリティが構築されたアジトは、たった10体足らずの使い魔(ファミリア)で力学的に崩落したのだ。

 巨大建造物の解体工事にて、当たり前に用いられる技法と同じことをしたのだろうが、そのものは事前に建物の情報を得ていたわけではない。測量器具もなく精密分析、頭脳に建物の設計図を発想して―――たった一人で事を成した。

 

 仕掛け人である使い魔の主は、少女であった。

 成年にはまだ達してはいないが、次世代の中では最年長に入るだろう。何せ学生時代の両親が付き合う前から産まれていた子供で、今やハーレムを築く『夜の王国』の領主がまだ(一応)独身であったころに育てられた。

 オリエンタルな和装にゴッシクのフリルをつけた、巫女と魔女の合作のような服装を好み、その獣人種の外見的形質が半端に発現していて常時形体で生やしている獣耳と尻尾に合わせて着飾り着付けた服装。

 今は母親がしていたのと同じように長い黒髪を短めに束ねたポニーテイルを作り、純粋ながらも妖艶な金色の瞳を(ラン)と夜行性動物のように光らせている。

 

 端麗な容姿である。しかし人間時でも獣耳と尻尾を生やし、完全な獣化もできないのは、獣人らにしてみれば、人間にも獣にもなりきれない“最弱”の類と見なされる。

 でも、父親から受け継いだこの獣娘的特徴は、彼女にしてみれば恥じるものでもないし、自身の個性を表す可愛いアクセサリーとしていたく気に入っている。

 そして、親から継いでいるのは、外見だけではない。

 

「さて。そろそろ顔を出したらどうだ。魂の波動よりここにいるのは(ぬし)らだけで、そして警備ロボットと同じガラクタに潰れておらんのは“わかっているぞ”。

 今日は我の父祖が『暁の帝国』におるのでな、疾く任を済ませ、家に帰りたいのだ」

 

 瓦礫を持ち上げて出てきたのは、いずれもまともな人間ではなく、また魔族とも呼べないような者たちだった。

 あるものは素顔もわからぬほどの獣毛を、あるものは鉄でも噛み裂けそうな剥き出しの牙を、あるものは羆にも似た巨大な爪を生やしていた。

 さしずめ、狼と、虎と、熊になるのだろう。

 

「臭い“匂い”だ。禁忌を破り、己があり方を歪めたか。祖よりいただいた器をそのようにして恥ずかしくないのか主ら」

 

 彼らは、獣人、ではない。

 人間ではないものの因子をその身に打ち込んだ、言うなれば、人造獣人。

 それらを侮蔑する少女、細められた目の眼光より射抜かれる圧力は本物。

 

 わずか数秒で、決着はつく。

 

「これでも、武者修行に出す前までは、我が未熟でヤンチャで可愛い弟と遊んでおったんでな」

 

 最初に接近した狼男が、カウンターのストレートを正面から鼻面に決められ、鼻血と共にもんどりうった。続く虎男が高く飛び掛かって、虚空より射出された神々に打ち鍛えられた銀鎖に、蜘蛛の巣にかかる蝶のように囚われる。一番身体の大きな熊男が猛烈な勢いでその爪を振り上げるも、ふっと直前で消えられて、勢い余って無様に地面に転がった。

 

「ッツ、マサカ、<空隙ノ魔女>―――イヤ、キサマハ<神通力>カ!?」

 

 まだ人語を話せるだけの理性を残していた熊男が驚愕の声を上げた。

 

 『その力、神に通じる』と書いて<神通力>。その異名は、『世界最高の混成能力者(ハイブリッド)』におくられるもの。

 

 『天耳通』――世の中すべての音を聞き分ける地獄耳の『音響過適応』

 『他心通』――相手の思考を読む精神感応の『芳香過適応』

 『宿命通』――自他問わず前世すら遡ってそのものを知る過去視の『接触過適応』

 『天眼通』――遠近大小関係なく、どんなものでも見ることができる千里眼の『光色過適応』

 それら稀少な<過適応者(ハイパーアダプター)>のスキルが四つに加え、

 『漏尽通』――母方の祖父の家系由来のケガレを把握する覚者に等しき巫女の霊的感覚と、

 『神足通』――思い通りにどこへでも到達できる、魔女の師より教わりし、単独での超高難度魔術である空間制御の行使による瞬間移動。

 

 合わせて、『六神通』とも呼べるような力を持っている。

 二人の優秀な混成能力者(ハイブリッド)から産まれた、まさしく『超過適応者(サラブレッド)』と呼ばれても仕方がない。

 

「しかし、我は味覚だけは普通だからな。ここのところ母君の味に近づかんと花嫁修業を受けている真っ最中だ。今日も帰っている父祖のために禁断の果実と進化の秘薬を隠し味に加えた至上の肉料理の饗応を振る舞おうと考え、試しに馳走したトウシロウが倒れてしまったわ。口に含んだ途端に宙返りしおって、出る前にもまだ昏倒しておる。味見で求めてるのは感想であってリアクションではないのに。まったく元気にはしゃぐのもいいけど、そろそろ落ち着きをもってもらわねば困る。

 とにかく、おかげで今回は連れて来れんかった―――しかし、貴様らのようなならず者を調理するのは容易きことよ」

 

 舞踏のようにステップを踏んだ。

 体勢を立て直した熊男と狼男が両横から走り込んで挟み打つ。油断したか、魔力の波動は覚えない。

 他に観客がいれば、さやかな灯の下で、真っ二つに断ち切られる少女の胴体を幻視しただろう。いかに遺伝改造された造られ、身体の一部しか化けれない不完全な獣人であっても、爪の鋭さも、膂力もそれに十分足りたはずだ。

 相手が、<神通力>でなければ。

 

「我は魔女だが、使うのは魔力に頼ったものだけではない」

 

 激しい音と閃光が木霊した。

 “閃光”。

 その意味は、すぐに知る。

 二人の人造獣人が、硬直。して、破けた服の下が、痛々しい火傷に覆われていた。

 この火傷は、今の、閃光によるものだ。

 いいや。

 雷撃と、言った方が良いだろう。

 

「国家攻魔師の資格を得るには、まず護身術が必須科目でな」

 

 <過適応者>――魔力を必要としない天然ものの特異な能力。

 今の電磁操作は、『光色過適応』によるもの。人間には見えるものでないが、動物には紫外線感知できるものもいる。念動力で拡張された視力は、遠距離の千里眼の視野だけでなく、その気になれば電磁波すら可視するというもの。そして、『光色過適応』を発光側(アクティブ)に使うことで、電磁波に干渉し、雷撃を放つことができる。

 眷獣のような一瞬で炭化させるほどの致死的なモノではない。

 それでも、人体を麻痺させられるだけの威力はある。

 そして、彼女がもっているのは。『光色過適応』だけではなく。

 

「使えるものを創意工夫して使いこなさなければならない。才能を持て余すなど、未熟な弟の手本としてあってはならん姿であるしな」

 

 左右それぞれ少女の両手より放たれた暴風が、動けぬ人造獣人らを打ち据える。

 『音響過適応』の発生側(アクティブ)で、大気振動に干渉することで、気流(かぜ)を操る。かつて『覗き屋』が使っていた能力と同じ。ただし、父より遺伝された人間より優れた五感をもっている彼女には、増幅薬(ブースター)を必要としない。

 

「師のように異次元の監獄へ直接引き摺り込めんのでな―――眠れ」

 

 鎖に縛れていた虎男をそっと撫でて、その触れた箇所から熱を奪う。

 『接触過適応』の発熱側(アクティブ)使用により、温度操作を可能とした彼女が、触れた相手の体温を略奪したのだ。急速な体温低下に、脳の活動が低下する防衛本能から、虎男は自ら眠りについた。

 

「やはり、こ奴らは『トゥルーアーク』のエコテロリストどもであったか」

 

 精神を氷漬けにすると同時に、『接触過適応』により過去(きおく)も読み取った。

 20年前に魔竜を送り込んだ輩であることは事前に承知していたが、構成員からの情報を抜き取り、さらなる裏付けを取る。そして、賊の首謀者が無謀なことを企んでいることも。

 

「して、その首謀者は―――ここか」

 

 建物が崩壊したが、その仰々しい金属の隔壁で守られた一室だけは破壊を免れた。

 それの前に立つとこじ開けずとも、扉が自ら開く。

 おそらくは、研究室であろう。

 『暁の帝姫』が時間跳躍する際の研究室と似た感じで、機械とモニターに埋め尽くされている。だが、違う。その差異点を詳細に語るのならば―――より雰囲気が圧縮されている。

 より濃く。

 よりに詰めて。

 内側の、本質を剥き出しにされた、おぞましき風景。

 たとえば巨人の外皮と内臓をひっくり返して露見させたかのような悪趣味な雰囲気が、その部屋からは噴き出していた。

 

「……これはまた一段と穢れているな」

 

 そこに佇んでいたのは、ひとりの男性。年齢は、50をいくらか過ぎたくらいだろう。細身の白いスーツ。膝には白杖を持たせかけており、しかしその顔の目元には、深い隈が染み付いている。

 『トゥルーアーク』の出資者であり、今はその首謀者となった、久須木和臣と呼ばれた男だ。

 その彼は今、機械にもたれかかるようにして、今にも倒れてしまいそうな風情で、天井に向かって醜く喘いでいた。

 そして、数少ない部下を倒され、なお嗤っていた。

 

「私を捕えに来たのが、『獣王』の息女だったとはな―――ついている」

 

 ひどく青い顔だった。

 目元の隈も相俟ってよりひどく真っ青に見え、呼吸も荒い。かつては精悍だった顔つきも今は骸骨にも似て、不吉な喘ぎと共に唇を異様に歪めている。

 床を突こうとした白杖を滑らし、転げかけた手が、機械につく。それでも起き上がろうとした。

 

「ふふ、私をそこの試験体と一緒にするんじゃないぞ。私は『世界最強の魔獣』である『蛇』の細胞をその身に打ち込んだのだ!」

 

 少しずつ男の表情が、尋常ならざるモノを帯びていく。

 狂気であった。

 ビーカーの底に沈殿していく拭い去れない汚濁のような、どうしようもなく悪寒をかきたてる感情。

 

「最強の力を、我がモノにした!」

 

 魔獣の開発から魔獣の力を人体に埋め込む。

 おぞましい実験の果て。

 饒舌に語るすべてを捨てて王を目指す男は、得体の知れぬ薄っぺらな笑みを張りつかせて、ついにその白杖を投げ捨てた。

 

「『大罪制覇(グランド・ビースト)』などと呼ばれていい気になっている『獣王』をこの手で殺すために! そして、私こそが“王”に―――!」

 

 少女は……笑ってしまった。

 男の歪んだ無様さにではなく、今やその世界に轟いている代名詞のような異名を耳にしてだ。思い出し笑いしてしまったのだ。

 

 

 

 『義兄である領主からの無茶ぶりで神々の生体兵器らと喧嘩にしに行った獣王』

 

 しかし、それは真実ではない。

 

 『咎神の遺産』の出現により、『七つの大罪』を冠する神々の生体兵器が『天部』に打ち込まれていた『咎神の抹消』という“過去の命令(プログラム)”――<第四真祖>の『原初(ルート)』にあったような<論理爆弾(ロジックボム)>が発動していた。

 生物として腐り切って化石になるほど、兵器として錆び切って遺物になるほど、長い時を経た『七つの大罪』は、創造主の命にも鈍くなっていた。

 ―――だがしかし、行動が疎くとも確かに『暁の帝国』を崩壊せんと動いていた。

 これを放置していればいずれ神代の生体兵器たちに襲撃される、かつての『大戦』以来の戦争が起きることになるだろう。

 

 そこで、その『七つの大罪』を鎮めに派遣されたのが、父祖であった。

 『結婚すると隠し事ができなくなるから』と式前に、婚約者に余計な心配をかけたくない父祖はそのことを内密に、そして、ひとりで行こうとした。

 義兄は領主として不用意に動かせず、主人も土地に縛られているので、動かせない

 無論、義兄は『ひとりで行かせられるか』と引き止める、いや、自分も一緒についていこうとしたのだが、彼は存在自体が戦争そのもの。また大勢で戦力を集めていくとかえって余計な刺激になりかねない。

 

 さらに言えば、当時は懐妊出産ラッシュで、身内がほとんど身重であった。自由に動かせる人材が不足している。

 だから、最低限の少人数、案内役の太史局の職員と父は『大罪』らを説得しに回った。それは過酷な旅であって、時に一戦を交えたこともあったが、しかしながら、魔獣たちとの“外交”であった。

 

 『獣王初めての外交大使』は極秘であり、真実は公表されることはない。裏話のすべてを知る者は、片手で数えられるくらい。

 義兄の領主、主人の魔女、太史局の案内人、そして、娘婿が何をしに出かけていったのかを悟り、娘のためを想いながらも身篭らせた娘を心配させたあんちくしょうをぶん殴った考古学者の祖父、

 それから、『暁の懐刀』やら『大罪制覇』などという異名を世界に轟かせて、英雄視されることになった、獣王の約半年にわたる初外交(しごと)を見ようと健気に後をつけていったこの娘。

 

 ただ、父が秘密にしていたように、母もまた式を前にして(おとうと)を宿した身重であることをサプライズで隠していたそうだったが。

 

 そうして、この一件のおかげで、『世界最強の義兄弟』は、『冗談半分で義弟に伝説級の無茶ぶりしやがった妹馬鹿(シスコン)』やら『婚約者を放置して他の女の世界旅行に出かけた浮気者』と女性陣からしばらく冷たい扱い……いや、『何か裏がある』とは察しながらも、感情面では納得がいかずに拗ねられた。

 『女性陣(じぶんら)には内緒にして、義兄弟だけでこそこそしてる。あやしい。色んな意味でアヤシイ』と。そこからかつて封印した過去の疑惑やらが再熱して、領主はしばらく涙目で、面白おかしいくらいに落ち込んでいた。

 

 しかし、それも無事帰還してから一月ほどで元の鞘に納まった。

 

 

 

 ―――と。

 そんな回想を終えた時、久須木和臣は変身を終えていた。

 

「あ、ああ、あああががががががぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぐぐぐああああ!!」

 

 人間のものとは思えぬ叫びが久須木の喉から上がった。

 稲妻に打たれかの如く痙攣し、ぶすぶすと全身から煙を上げて、天井を仰いだ久須木が白目を剥く。その途轍もない絶叫は聴くだけで、骨をヤスリで擦りあげられるような痛みを想像させる。

 しかし、その代償を払った分だけ、彼に力を与えた。

 

「ごごごごご、ごれ、が―――!」

 

 白いスーツを破るほど膨らんで、肌が群青色で鋼鉄の如き硬質な鱗に変じていく。

 理性と狂気の狭間で、久須木は言う。

 

「ご、ごれごぞが、“(オウ゛)”に相応じぎ姿だ!」

 

 歓喜と恐怖とが、ない交ぜになった叫び。

 

「見るに堪えん」

 

 刹那、その背後に清浄な白銀の鎧に身に纏り、すでに剣を抜いた戦乙女――少女の<守護者>が現出した。

 <守護者>の断罪の刃が振り落された。

 高い音が鳴った。

 しかし、目を見張ったのは少女の側であった。

 『蛇』――竜人となったその右腕が、<守護者>が渾身で振るった剣の一撃を阻んだのだ。

 

「がるい゛な゛! ぞの半端で最弱な見だ目の主人ど同じ非力だなぁ?」

 

 何とも人を食った笑みで、少女を嘲る。

 ぎり、と中間で鉄と刃の擦れる音がした。

 鍔迫り合いはどちらに有利か、戦乙女の剣と鋼鉄以上に硬い鱗で覆われた腕が互いの中間で火花を散らし、夜闇を飾り上げた。

 そして、漆黒の空に白銀の軌跡が舞う。

 

 <守護者>の剣が、竜人に弾かれたのだ。

 

「殺じばぜぬ! 誘きよぜる人質になっでもらう゛からな!」

 

 それでも、その身を盾にせんと立ちはだかる<守護者>に竜人は爪を尖らせた腕を振り上げ、

 

「我は、獣人からすれば半端者。“我自身が”トウシロウのように、父祖と同じ神獣への昇華はできない。

 しかしな―――これでも最年長の姉として、次世代の可愛い弟妹らのヤンチャを諌める“楔”であるつもりだ」

 

 その竜人の突進を―――真っ向から、受け止めた。

 

「虎の威を借りた狐ごときが、その程度でいきがるな」

 

 戦乙女が、大きくなる。そう、さきほどの竜人と同じように。身の内の獣性を解放するかのように。

 兜の隙間から牙が、籠手を突き出して爪が、そして巨大化しながら二足から四足に変化する体型に合わせて鎧装甲も変わっていき―――背中から妖鳥の翼を生やした。

 ―――<守護者>が、獣化したのだ。

 驚愕する久須木に、今度こそ思い出し笑いではない、彼自身に失笑を向けた。

 お前がやっていたのは、所詮この程度だろうと。

 

 

「殺しはせぬよ。しかし、王道から外れた愚か者が、王を二度と名乗るでない」

 

 

 戦乙女が妖鳥の翼をもつ雌狼へと獣化したその<守護獣>が、竜人と化した久須木和臣を、力を以って叩きのめす。

 

 そうして、『世界最高の混成能力者』――ムツミによって首謀者含め賊を全て捕縛され、20年前の絃神島を最凶最悪の生体兵器を以って崩壊させようとした『トゥルーアーク』は終止符が打たれた。

 

 

 

 

 

「では、疾く帰還し、父祖に愛娘として美味い手料理を振る舞ってやらねば―――!」

 

 そして、親族身内から『味覚過激応者』とも呼ばれる、『博士(ドク)』に負けず劣らずの独創的な調理センスをもった長女御手製の肉料理(ハンバーグ)により、獣王は食卓で三回宙返り捻りを記録した。

 

 

 

つづく


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