ミックス・ブラッド   作:夜草

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黒の剣巫Ⅳ

青の楽園 魔獣庭園

 

 

 時刻は、午前7時を過ぎたあたり。

 

 『夢魔』の魔力に操られていた紗矢華は、胸を長剣で突き刺されながらも古城が“『真祖』の魔力で上書き(きゅうけつ)”して、正気に戻した。

 だが、雪菜が追いかけていた江口結瞳は、『神格振動波』で正気に戻したというのに、自ら、『クスキエリゼ』の元へ向かって行った。

 別行動を取っていたアスタルテとクロウ達も、『どうやら森の中の第二研究所に莉琉と言う人物はいなかった』と連絡があって、あの時の結瞳(莉琉)の発言の裏付けが取れた。

 

 そして、正気に戻った舞威姫の紗矢華の話と、結瞳が心変わりした強大な魔力波動―――それが気になり、浅葱に『クスキエリゼ』の企業内ネットワークにハッキングを仕掛けて調べてもらい、知った。

 神話の時代から生きる世界最強の魔獣<レヴィアタン>、そして、その生体兵器を操る世界最強の夢魔<リリス>―――江口結瞳のことを。

 

『結瞳ちゃんは、潜水艇に乗せられて<レヴィアタン>に向かってるわ。久須木も一緒よ』

 

 まずい。

 もし潜水艇で普段は深海に潜っている魔獣に取りつくつもりなのだとすれば、結瞳を取り戻したくても手が出せなくなる。

 

『<レヴィアタン>の制御システムの本体は、『クスキエリゼ』の研究所にある<LYL>ってシステムね。そっちをの取ってしまえば、とりあえず久須木の計画は潰せるけど』

 

 <リリス>の力を安定して引き出すための『仮想第二人格』<LYL>、それに乗っ取られることで結瞳は、莉琉になる。

 だから、結瞳を救い出すにはそのシステムを停止させなければならない。だから、<LYL>の方は浅葱に任せた。『戦車乗り』という同じ非常勤(アルバイト)の同僚が、向こう側についてて、早速妨害をしかけてきたというが、浅葱なら大丈夫だ。おそらく。マシンのスペックが足りないとか嘆いたけれど。

 ちなみに矢瀬は、『じゃあ、俺は、後輩の尻拭い―――ああ、叶瀬ちゃんの看病でもしてるか……』と浅葱や自室でまだ寝込んでいる凪沙たちと同じようにコテージに残るそうだ。

 

 そうして、江口結瞳を救出しに向かうのは、古城、その監視役で結瞳を連れ戻せなかったのを悔やんでいる雪菜、それと元々は彼女自身の任務であったと主張する紗矢華。

 そして、古城たちはまず無人運転の電動カーに乗って、『魔獣庭園』へと向かい、

 

「―――古城君、見っけ!」 「第四真祖、目視で確認」

 

「クロウ! アスタルテ!」

 

 設定されたプログラム通りに『魔獣庭園』に到着した無人車が停まったところで、昨日から野生に帰って森の人となっていた後輩が、古城たちと顔合わせ。背中に人工生命体の少女をおんぶしながら、木々から木々へとターザンアクションよろしくと移動して、古城たちに合流する。

 背負っているアスタルテから古城たちの現状を伝言されていたクロウは、話が早く早速“匂い”がする方へ鼻を向けて、

 

「ん、江口たちはこっちにいってる」

 

「案内頼むぜクロウ」

 

 こうして、世界最強の吸血鬼と世界最強の混血が揃った。

 

「ったく、ヴァトラーのやつがいなくて助かった」

 

 夢魔と魔獣も入れて、同じ称号を持ったのが四体もいるなんて、世界最強のオンパレードだ。

 どこかの<蛇遣い>が『青の楽園』にいたら、狂喜乱舞で、楽園を地獄に変えただろう。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 先ほどからあちこちで避難警報が流れてるせいか、到着した港と隣接した第一研究所付近に『クスキエリゼ』の職員は見当たらない。

 そして船も、なかった。

 

 現在、輸送船から連絡船まで全ての船舶は避難に回されているので、どうやって海の魔獣に近づくか。浅葱なら自動操船装置(オートパイロット)から遠隔操作して、こちらに一隻高速船を回せるだろうが、それで避難に遅れとか迷惑はかけたくない。

 

「くそっ! けど、どうやって、<レヴィアタン>のとこに行っちまった潜水艇を追いかければいい!」

 

 予備の潜水艇もない。紗矢華や雪菜を見るが、彼女たちが移動手段を持ってはおらず……

 

「流石にこの状況で船を用意するのは無理よね……」

 

「船以外の手段……クロウ君、人を乗せて海を泳げる魔獣を呼べませんか。昨日、凪沙ちゃんから、ヒッポカンポスに乗ったという話を聞いたんですけど……」

 

「んー……魔獣たち(あいつら)は今は大人しくしているけど、自分から<レヴィアタン>の方に向かっていこうなんてものはいないし、古城君泳げないし」

 

「お、泳げないとかそういう問題じゃないだろクロウ! それと別に俺は泳ぐのがただちょっと苦手なだけだ!」

 

 このまま結瞳を追いかけるのなら、巨大な生体兵器とかち合う可能性が高い。海という相手のフィールドに迂闊に踏み入れば、沈められてしまうだろう。

 古城たちが足踏みした、そのとき―――水を差すような静かな声、そしてそれと対照的な熱視線が特定の人物へ向けられた。

 

 

「避難勧告が流れてるの、聴こえてないのかしら?」

 

 

 古城は声のした方角へ振り返り、表情を強張らせた。

 二又の槍を構え、羽織る赤いカーディガンをゆらゆらと靡かせる、長い黒髪に黒い制服姿の少女―――太史局の『六刃神官』だ。

 

「妃崎―――!」

 

「港が混み合う前に、あなた達にも避難をお勧めしてよ、第四真祖」

 

 避難を進めてきた霧葉に、古城は困惑の表情を浮かべる。

 <レヴィアタン>から逃げろ、『青の楽園』から離れろ、と警告している。

 最初から、<レヴィアタン>がこの増設人工島を襲うことを承知しているような態度だ。

 雪菜が銀槍<雪霞狼>を引き抜き、紗矢華も長剣<煌華鱗>を取り出し、いつでも戦えるように身構える。

 しかし、戦闘態勢を取られているにもかかわらず、霧葉は動かない。彼女が本気で古城たちを気遣っているように見える。

 

「ふふ、南宮クロウ……」

 

 ただし、熱視線を固定される後輩(クロウ)ひとりを除いて。もしや、そのせいで剣巫や舞威姫が眼中にないのかもしれない。

 

「待てよ。どうしてブルエリにいる人間が避難しなくちゃならないんだ? ここには<レヴィアタン>の制御をやってる『クスキエリゼ』の研究所があるんだろ? だったら、久須木がそのブルエリを危険にさらすような真似をするわけがねぇだろ?」

 

 そう、おかしいのだ。

 もし魔獣たちが暴れていたというのならば、避難の理由はそれで納得できた。また超大型の生命体が接近してることを察知した沿岸警備隊が来場者らを避難させようとするのもわかる。

 しかし、この当事者である『クスキエリゼ』の研究員らまでも蛻の殻となっているのは変だ。彼らはあの生体兵器の制御装置を自分たちが所有していることを知っているはずで、襲われる心配などする必要がないとわかっているはずだ。そしてこの増設人工島は久須木和臣の城であり、今後の重要な拠点となるべき場所。

 

「ああ、それはあなたの思い違いよ、第四真祖。今、<レヴィアタン>を制御しているのは、久須木会長ではないわ。

 ―――莉琉よ」

 

 莉琉……!?

 思いがけないその答え。彼女は久須木に怪物の生贄とされる、と紗矢華が言っていたはずだ。なら、霧葉は冗談を言っているのか?

 一瞬の思考停止に陥った古城へ、霧葉は表面的には落ち着きを見せつける。それに古城は苛立ちながら、

 

「待てよ……莉琉はコンピューターで再現した結瞳の第二人格じゃなかったのか?」

 

「あら、その理解は、あながち間違いでなくてよ。

 江口結瞳の精神には、確かに<リリス>として受け継いだ邪悪な部分が含まれている。でも、それは独立した人格と呼べるほど完全なものではなかったの。<LYL>と言うのは、結瞳の悪意の部分だけを抽出して、彼女の『夢魔』としての力を安定して引き出すための補助(サポート)システムよ」

 

 不完全な人格のサポート―――それはつまり、結局、莉琉は今でも結瞳の一部であること。

 

 コテージで、莉琉は言っていた。

 結瞳が嫌なところだけを押しつけるために自分ができた、と。人工的に作られた第二人格と言う性質を考えれば、その時の莉琉の表現が間違いではないだろう。

 結瞳の中の邪悪な部分だけで構成された、人工の不完全な魂。それは今、結瞳を乗っ取り、<レヴィアタン>を支配している―――そう、浅葱は調べたはずで、

 

「『クスキエリゼ』のコンピューターを破壊すれば、確かに莉琉は消滅する。結瞳の一部に戻るだけ、と言う風に考えることもできるけど、莉琉にして見れば死と同じよ」

 

「そうなることがわかってて、どうして莉琉がブルエリを攻撃するんだ?」

 

 紗矢華の話や浅葱の情報で古城の知識は、霧葉とそう変わっていないはずだ。なのに、噛み合わないこの会話

 <レヴィアタン>を制御しているのは、久須木和臣ではなく、<リリス>の莉琉。

 それはいい。そもそも彼女は生体兵器を制御するために生み出された道具だと言われている。その人格が悪意を濃縮して固められた人工知能と言う問題点に目を瞑れば、異常事態と言うほどのことでもない。

 でも、莉琉が『青の楽園』を攻撃するのは理屈に合わない。霧葉の言う通り、『魔獣庭園』の第一研究所には、莉琉自身ともいえる<LYL>がある。それを彼女が世界最強の魔獣に破壊させようと誘導してるなんて、自殺と変わらないではないか。

 戸惑う古城。そこでようやく、先から霧葉からずっと熱視線を浴びてなんか居心地悪そうにしていた後輩(クロウ)が口を開き、その答えを言い当てる。

 

「それが江口の望みだからか」

 

「え……?」

 

 クロウの言葉を呑み込めず、ますます混乱する古城。けれど、霧葉は甲角を吊り上げ、笑みを大きくした。

 

「そうよ。世界から完全に消滅すること。それが莉琉の―――いえ、江口結瞳の望みなのよ。世界最強の夢魔として覚醒してしまった江口結瞳は、そのせいでたくさんの辛い体験をしたから」

 

 みんなに嫌われる―――あの時の言葉は、憶測などではなく、実体験から基づいたものだ。

 

「例えば江口結瞳の両親やクラスメイト達は、今も意識不明のまま病院で眠り続けているの。彼らの虐待から身を守るために、江口結瞳が『夢魔』の能力を暴走させてしまったせいで」

 

 アスタルテは、目を細めたクロウの横顔を見た。

 もし、みんなを滅ぼすことになるのならずっと眠ることにする―――『波朧院フェスタ』にて、ディミトリエ=ヴァトラーに問われて出した先輩の答えを、その時あの場にいたアスタルテは聞いている。

 だからきっと、ここにいる誰よりも先輩には江口結瞳が共感できる。だから、結瞳がこの選択肢を取ったのだと真っ先に気づく。南宮クロウもまた、もしもこの身の毒が周囲に害を及ぼすのならば永遠の眠りにつくことを望んだことがあった。

 

「そのことで、江口結瞳は自分を強く責めたはずよ。何度も自殺したいと思ったでしょうね。でも彼女は死ぬわけにはいかなかった。なぜだかわかって?」

 

「……まさか……結瞳ちゃんが、<リリス>だから……!」

 

 思わず、雪菜は呟きをもらした。

 <リリス>。そう、この世界最強の夢魔の特性は、転生。もし『器』の人間が亡くなれば、<リリス>の魂は、また新たな『器』に移る。吸血鬼のように不老不死ではないが、そうして代々受け継がせることでこれまであり続けてきたのだ。

 現『器』である江口結瞳が死ねば、世界最強の夢魔の力は世界を巡り、また新たな『器』の適格者を見つけ、乗り移る。

 そして、<リリス>を受け継げば、その適格者は、江口結瞳が体験したその不幸を繰り返す。

 だから、彼女は死を選ぶことはできなかった。

 

「そう。幼稚な自己犠牲だけど、感動的ではあるでしょ」

 

 目を伏せた霧葉は、その口調こそ温度を感じさせない冷ややかなものだけれど、江口結瞳の意志の強さに対して、彼女なりの敬意を篭めてあるような響きを感じさせる。

 

 久須木和臣が<レヴィアタン>によるテロを画策している―――それを太史局の上層部は“ある目的”のために利用することを考えた。

 そして、“人の心が読めてしまう”世界最強の夢魔は、それらの思惑をすべてお見通しであっただろう。

 だから、この状況から推察するに、彼女たちにはある種の協力関係―――“ある目的”の任務を受けた六刃神官と、江口結瞳は、『青の楽園』を<レヴィアタン>に襲撃させることへの利害が一致していたのだ。

 

「だけど、彼女が<レヴィアタン>の中で死ねば話は別。神々の生体兵器である<レヴィアタン>は、強力な魔力障壁にすっぽりと覆われている。肉体を失った<リリス>の魂は、障壁の外に出ることができず、やがて<レヴィアタン>に取り込まれて消滅するわ」

 

 江口結瞳の望みは、<レヴィアタン>を自分の――<リリス>の死に場所にすること。

 彼女は死ぬために、<レヴィアタン>の中へと入っていった。

 

 去り際に、自分が全部を終わらせる、そう結瞳は言った。

 彼女は、この彼女自身の命をもって、終わらせたかった。

 <リリス>の魂が生み出す永遠の負の連鎖を―――

 

 やり場のない怒りの衝動が古城らを襲う。

 

「江口結瞳は、そのことを自覚していなかったはずよ。だから煌坂紗矢華に連れられて、『クスキエリゼ』を脱走したりしたのでしょうね。だけど莉琉は知っていたわ。莉琉が『クスキエリゼ』に協力していたのは、結瞳の無意識の願いをかなえるためだったの」

 

 だから、霧葉は、『夢魔』の魔力を模倣した双叉槍で、莉琉の人格を目覚めさせた。コテージから連れ戻すために。

 

「だから、あの時言ったのは本当よ。あなたたちと争うつもりはない、って」

 

 あの時、彼はコテージにはいなかったしね、と相変わらず霧葉は視線を外さない。そろそろ後輩に穴が開くのではないだろうか。

 指摘した方が良いのではないかと古城は思うが、藪をつついて蛇を出したくない。

 

 とにかく、霧葉は、結瞳の敵ではない。その行動のすべては太史局の任務のためであり、結瞳の望みを叶えるためのものであった。

 

 ただし、その行動の結末に古城たちが納得できるかは別問題だ。

 

「すでに莉琉は、<レヴィアタン>を支配している。そして彼女自身を―――<LYL>を消滅させるために『青の楽園』を襲ってくるわよ。なぜなら<LYL>も、江口結瞳が殺したがっている自分自身の一部なのだから」

 

 <レヴィアタン>の姿は、まだ目視できない。

 しかしながら、その強大な気配は息苦しくなるような威圧感となって、水平線越しにもはっきりと感じられる。

 

「もしも<LYL>が破壊されたら、そのあと結瞳はどうなるんだ?」

 

「<LYL>のサポートなしでは、江口結瞳は『夢魔』の力を安定して引き出せない。<レヴィアタン>の支配を続けることは困難でしょうね。彼女の支配を離れた<レヴィアタン>は、再び海の底に戻って眠りにつくわ。絃神島本島に被害が出る前に、そうなってくれるといいのだけれど」

 

「結瞳を腹の中に入れたまま、か……! そんなことさせるかよ!」

 

 結瞳の目的は、分かった。だからそれ以上無駄な時間を浪費するわけにはいかない、一刻も早く彼女をあのデカブツから連れ戻さなければならない。

 

 そこで初めて、霧葉が固定させていた視線を移し、逸り立つ古城を呆れ顔で見つめる。

 

「<レヴィアタン>を止めるつもり? 相手は神々の時代の生体兵器よ?」

 

「ハッ、知ったことかよ、『世界最強の吸血鬼』なんて馬鹿げた肩書を名乗っておいて、こんな時に役に立たなきゃ、いい笑いものだろうが!」

 

「ん。じゃあ、古城君は早く行くのだ」

 

 獰猛に笑ってみせる古城の前に、クロウが前に出る。

 

「う。泳げる奴はいなくても、飛んで近づけるのならすぐに呼べるのだ」

 

 クロウが親指を少し噛み切って血を出すと、地面に手を置く。

 

「―――忍法口寄せの術!」

 

「みー!」

 

 召喚するのは、後輩が契約しているという『第八の大罪』と称されるものだが――二対四枚の翼とモフモフな毛皮をもって、爪も牙も小さくて丸っこい――とてもそうは見えない白竜<守護獣(フラミー)>。

 輝かしい金毛を生やす頭部に、蒼の美しいグラデーションで彩られる翼を持つこれまで見てきた中で最も美しい毛の生えた翼竜(ファードラゴン)は、この『魔獣庭園』の客寄せパンダとすれば、多くの客を呼べることだろう。

 体躯は2mほどだが以前に、古城、雪菜、クロウと3人乗せて悠々と飛空できた獣竜。そして、<レヴィアタン>と同じ大罪を冠するほどの格を持ち、世界最強の魔獣を前に臆することはない。

 

「戦うのは嫌いだけど、フラミーはビビったりしないぞ」

「みみー!」

 

「そうか。こいつなら、結瞳のところに行ける!」

 

 移動手段は、できた。

 

「フラミー、送ってやってくれ」

 

 そして、クロウは霧葉と対峙する。

 

「オレは、妃埼の相手をする」

 

「あら? お相手をしてくれるの?」

 

「古城君は見逃してもらえても、オレは何か素通りできなさそうだからな」

 

「ええ、<第四真祖>を止められると思うほど、自惚れてはないし―――私はあなたの監視役ですもの」

 

 ここで後輩にも監視役がついていたことに、古城は驚く。

 また面倒そうな相手に付かれたものだと同情をやる。その会話ぶりから初対面でないことはわかるが……果たしていったいどんなやり取りをしてきたのか。霧葉の目はギラついて、ヤる気満々だ。

 

「おい、大丈夫かクロウ……? あいつ、煌坂や姫柊も倒したような奴だぞ」

 

「ん。正直、今の妃埼に睨まれるとゾクッてくるけど、大丈夫なのだ。……多分」

 

 戦力分散させるのは痛いが、あまり長い時間ここに足止めを喰らっている場合じゃない。それに全長2mほどの獣竜にも全員を乗せられるほど定員に余裕があるとは思えない。

 

「―――行くなら早く行きなさい、暁古城」

 

「待ってください、先輩」

 

 なにやら吹っ切ったような表情を浮かべる紗矢華が長剣を構える。

 それに厳しい選択を突き付けられたような苦悩の表情を浮かべる雪菜が待ったをかけた。

 

「紗矢華さん……! 妃埼霧葉が、先輩を通す理由は……………クロウ君に執着してるだけではないと思います、おそらく」

 

「わかってる。だから、私がこっちを引き受けるわ。だから雪菜は江口結瞳をお願い。必ず助けてあげて―――」

 

 一瞬の目合わせで、互いの言いたいことを理解した紗矢華と雪菜。

 わかりました、と無言で目を伏せて、紗矢華に後押しを受け古城の傍へと駆け寄る雪菜に、こちらの先輩後輩も、意思疎通(アイコンタクト)をとる。

 

「う。アスタルテ、フラミーの乗り方わかるだろ。古城君たちと―――」

命令拒否(ディナイ)

 

 あう? と従順な(最近はチェックが厳しめになってるけど)後輩に、即座に首を横に振られ、ずっこけるように前のめりにつんのめるクロウ。

 

「私は、先輩の“管理役”を教官(マスター)より任されていますので」

 

 ―――ここは譲れません、とアスタルテは立ち位置(ポジション)を強く、口ではなく目でクロウに訴えてくる。

 こうなった後輩は頑固だと理解するクロウは、高神の社のルームメイト同士みたいにはいかないな、なんでだろうなー、そんなにオレ頼りないのか、とがっくり息を吐いて、古城に、一言注意を送る。

 

「古城君、フラミーは人を乗せるのがうまいし、眷獣から攻撃されてもへっちゃらなくらい身体も頑丈だけど、ひとつ注意があるのだ」

 

「なんだ、クロウ」

 

「う……フラミーは女の子だから、あんまりぎゅっと力いっぱいに毛を掴むのはやめてやってくれ」

 

「え? は? そうなのか?」

 

「みー!」

 

 竜の性別が見てわかるほど聡くない古城だが、<守護獣>は女の子らしい。というか、悪魔とか眷獣にそういう設定があるのか? と今初めて知ったくらい。いや、そういえば思い出した過去の記憶で、<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の眷獣の『器』は、全員が女子で活動できたようだったし……そんな古城の反応に目敏く気付く、獣竜が抗議するように鳴く。

 

「それと、血を吸いたくなってもちゃんとフラミーの同意を得て―――」

「お前はいったい何の心配をしてるんだ!?」

 

 まさか、後輩は自分を雌ならどんな血を吸う変態吸血鬼だと思っているのか?

 いや、いくら何でも龍族(ドラゴン)の血を吸うことなんて―――

 

「わかりました。私がしっかりそうならないように監視しますので安心してくださいクロウ君」

 

 と、<第四真祖>の監視役は後輩の注意をしっかりと胸に受け止めたように頷いた。

 何かもう悲しくなって、こんな時でなかったら泣きたいくらいだ。

 

「行きましょう、先輩」

 

「お、おう」

 

 雪菜と雪菜に腕を引かれ古城もフラミーに乗る。

 霧葉はそこに手を出さない―――視線を向けるは、クロウ。

 

 

 

「彼以外はお邪魔虫だったから行ってもよかったのよ」

 

「あなたが暁古城を見逃したのは、<第四真祖>がここで暴れて、<LYL>を破壊されると困るからなんでしょ?」

 

 苦笑してみせる霧葉に、紗矢華は溜息を零す。

 暁古城は完全に眷獣を従えているとは言い難い<第四真祖>、その災厄の如き力が暴走すれば、<LYL>が巻き込まれる可能性が高い。

 六刃はそれを恐れたのだろう。そう、莉琉(LYL)が破壊されれば、江口結瞳(リリス)、ひいては世界最強の魔獣(レヴィアタン)の目的は消える。

 

「江口結瞳は自分自身を憎んでいる。当然、自分の一部である莉琉のことも。だから彼女は、この島を襲ってくる。<LYL>を消失させるためにね。逆に言えば、他の誰かが先に<LYL>を破壊してしまえば、彼女が『青の楽園』を襲う理由はなくなるわけよね」

 

 ここで紗矢華が舞威姫の鳴り鏑矢の呪術を以って研究所を破壊してしまえば、問題は解決する。

 ただし、それは『青の楽園』を救うことだけを考えれば、だが……

 <レヴィアタン>は滅多に深海から上がって来ず、大人しい性格だ。だから、洗脳が解けてしまえば、おそらくまた深海へと帰るだろう―――それは、その中にいる結瞳を救出する機会を捨てるも同じことだ。

 だから、雪菜はあの時、古城に眷獣で研究所ごと<LYL>を破壊してくれとは言えなかったのだろう。

 

「でも、結局、あなたはギリギリまで<LYL>を破壊できないのではなくて?」

 

 紗矢華が、ここに残ったのは最後の最後を見極めるため。

 『青の楽園』が沈められる、古城たちの結瞳救出が間に合わないとわかれば、紗矢華が<LYL>を破壊し、<レヴィアタン>を海に還す。

 ―――そのためにも、<LYL>を守る六刃神官を倒さなければならない。

 

「……煌坂は、戦っちゃダメなのだ」

 

 しかし、クロウは紗矢華が前に出るのを許さなかった。

 

「何を言っているのかしら、南宮クロウ。ここは全員で研究所を守るあの女を1秒でも早く倒すのが先決。複数でかかるのが卑怯だとか言ってられないのよ」

 

「アスタルテ」

 

命令受託(アクセプト)

 

 紗矢華の正論に付き合わず、クロウは後輩に命じる。

 その内容は一言も口にされていないが、アスタルテはその意を酌むと、紗矢華の前に立ちはだかる。

 

「ちょっと―――」

「姫柊に必死に隠してたみたいだけどな。お前、全然本調子じゃないだろ」

 

 <生成り>の六刃神官に奇襲でやられ、そして、先ほどは<第四真祖>と全力の戦闘を繰り広げた。相当呪力を消耗しているはずだ。

 

「古城君と斬り合ったって話聞いたけど、それ、相当無理したんじゃないのか?」

 

 クロウは一度、舞威姫と戦って、一太刀を浴びせられた経験がある。

 だから、“暁古城が、紙一重で舞威姫の剣戟を避けれた”―――とその話をアスタルテから聞いた時、思った。

 対魔族戦闘の訓練を受け、養成所から卒業した超一流の攻魔師である舞威姫。その一瞬先を読む霊視と呪術と複合した剣舞は、魔族の中でもトップクラスの獣人種の身体能力を持つクロウにさえ斬り込めたはずなのに、真祖といえど身体能力では魔族の中で脆弱な部類にある古城に避けられるだろうか。実際、古城も、吸血鬼化した反応速度をもってしても、紗矢華の凄まじい斬撃を避けれたのを奇蹟だと述懐する。

 

 そう、紗矢華は抵抗していたのだ。

 

 古城が操られている紗矢華を大人しくさせるために霧化でその足場の物質的な結合力を奪い去り、海に落とした。<煌華鱗>が生み出す空間の亀裂が周囲の海水を巻き込んで、使い手さえも無事ですまない、だから海は紗矢華にとって剣を満足に触れない状況にある。そして、古城はその状況を上手く利用し、最後に心臓を―――わずかに外れて一刺しを喰らったけれど、紗矢華に跳び付いて―――洗脳を解いた。

 

 その間ずっと紗矢華は、古城を斬らないように『夢魔』の支配力に必死に抗っていた。それはひどく精神を削るものだったろう。それが『乙型呪装双叉槍』に模倣(コピー)された、本人(オリジナル)とは1、2ランク格が下がっているとはいえ、なにせ世界最強の魔獣をも魅了する世界最強の夢魔の精神支配の魔力だ。人が抗えるものではない。

 呪力の消耗だけでなく、精神的な疲労もひどい。

 その証拠に、クロウがいつも見る、姿勢の良いモデルのようにその一本筋の通った彼女の体軸が、今はふらついている。

 

「ん……それに、足もやってるな。右の方。挫いたんじゃないのか」

 

 図星を射抜かれ歯軋りする思いであるも、その観察眼に紗矢華は舌を巻く。

 その得物を見ただけで弟子の未熟具合を察する長生族(エルフ)の師家様同様、人ならぬものの人以上に鋭い眼、或いは直感をしている。

 そう。

 精神的な疲労だけではない。抗う紗矢華の意思と『夢魔』の強制の綱引きは、彼女の肉体に無理を強いて―――そんな心身の拮抗状態で、いきなり6、7mの落下すれば、海への着水も上手くいかず……やってしまった。

 

「そう、心配させちゃってるわけ―――けど、舐めないで、私は獅子王機関の舞威姫よ」

 

 負傷を隠していたのは、認める。しかし、これらはすべて自身の不徳が致すところ。

 最初に奇襲を仕掛けられたとき、霧葉は武器である双叉槍を持っておらず、丸腰の霧葉相手を斬るのに紗矢華は躊躇いが生じた。

 強過ぎる<煌華鱗>の威力が裏目に出て、本来の力を発揮できず―――しかし、今は事情が違う。『青の楽園』を訪れている多くの人々の命がかっているのだ。六刃相手に後れを取ったりなどしない。

 

「それにあなたは、巫女が相手じゃ―――」

「そろそろ私を除け者にするのはやめてくれないかしら?」

 

 それ以上の、彼女を無視しての、会話は許されなかった。

 空気が凝縮するような威圧感。

 霧葉は不愉快そうに、歯を鳴らした。

 

「そもそも彼以外は眼中にないのよ」

 

 クロウと紗矢華らの間を、巨大な炎の赤壁が両断する。結界。その高さは10m近くはあるだろうか。いくら攻魔師といえども、足場もなく、片足を挫いている状態で跳び越えられるようなものではない。

 

 

「負け犬と泥棒猫は邪魔をしないでちょうだい。私と彼の“二人きりの時間(デート)”なんだから。これを邪魔されたら火傷じゃすまないわよ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 これは、それを追っ払うにちょうどいい術を開発したころ。この監視役とクロウの戦績は、『三打もらうまで巫女に攻撃してはならない』というクロウが課した契約の縛り(ハンデ)があっても全戦全勝……

 ただし、それは双叉槍を持っておらず、そして、あんな魔に近しいものになっていない頃の話だ。

 

「……しばらくの間見ないと思ったら、何か随分と変わったのだ」

 

 指先が戦いの予感に打ち震えながら、呟く。

 炎の檻の如き結界内に閉じ込められ、漂う大気は熱を帯びて、チリチリと肌を焦がしている。

 風は死んでる。停滞した空気は腐敗し、変貌し、ここに魔となり真紅の縄張りを作る六刃神官は、銀人狼と化したクロウと同じように、半物質化した般若の双角が額に現れ、黒髪が血塗られていくように赫に染まっていく。

 <生成り>

 人間であることを半ば止めて、魔性の力を得るもの。

 一族郎党を皆殺しにされ、復讐を願った『滝夜叉姫』しかり、捨てられた僧を地の果てまで追いかけた『清姫』しかり、強過ぎる執着は時に人間を魔物へと変える。特に女性の情念ほど怖いものはない。

 

(あの双叉槍(やり)、か……)

 

 双眸が針のように細められる。

 魔族の魔力を模倣する『乙型呪装双叉槍』の所有者にまで染み込ませるようなその“匂い”。あれは剣巫の『七式突撃降魔機槍』が、『神格振動波』を使用する度に所有者へ浸透させていく武神具であるのと同じように、“人間であることを止めさせる”ものか。

 

「ふふ……うふふふ……」

 

 霧葉の笑い声が響く。

 それに応じて気温が上がっていた。

 

 熱くなる環境の中、頭の芯を氷で冷やすよう思考の温度は低く保ちつつ、クロウは自身と相手の間合いを目測する。

 距離にして10m。一足飛びでも腕が届く間合いに詰められるが、無理なく二歩で攻撃圏内に入れる。確実に仕留めるのなら三歩は考えておくべきだ。

 そして、港であるこの場に、遮蔽物もなく、大きく動いて身を隠すほどの広さもない。

 勝負は一瞬―――

 

「我が影は、霧にして霧に非ず、刃にして刃に非ず―――」

 

 蝶の鱗粉のように身の回りに火の粉を振り撒きながら、霧葉が詠いあげる。

 詠唱は、させない。させる前に、倒す。先手必勝。クロウはあえて、フェイントをかけず、真正面、最短距離―――人間の動体視力では捉えきれぬ、目にも留まらぬ速さで間合いを詰め、彼女の眼前――鼻前に左掌を伸ばす。

 

「―――忍法おいろけの術!」

 

 攻撃せずして巫女を倒すために開発した術。

 この『嗅覚過適応』の応用技は、ジャコネコ科獣人種の『異性であるのなら真祖をも魅了する』フェロモンから発想を得たもの。

 クロウ自身、それが性的なものであるとは意識してないし、そこまで理解はしてはいないが、これで何度も六刃を封じ込めてきた実績があった。

 しかし、今、これまでの焼き直しとはならない。むしろ、それは火に油を注ぐ行為であった。もし彼に異性の意識がもう少し強ければ、このような一手は取らなかったであろうが、監視対象への執着から成った彼女はより一層情念の炎を昂らせた。

 

「ぬ―――」

 

 左腕を突き出した―――そのがら空きとなった左脇腹に叩き込まれる、強烈な膝蹴り<鳴雷>。相手が必ずこちらに害せないとわかっていたからこそ、全力でカウンターを放つことができる。

 対魔獣を想定して訓練する六刃の一撃は、剣巫より重く、速い。呪力の篭った打撃技は、一般人の人間がまともに喰らえば、内臓破裂は免れない。

 

 だが霧葉は察する。この銀人狼がその容赦ない一撃を受けても多少怯む程度のダメージしか与えられないことを。魔獣のような巨体ではない、しかしその巨体を人間サイズにまで圧縮したような、超密度の骨肉を持ち、眷獣の攻撃にも耐えうる尋常ならぬ耐久性を持ってる。それだけでなく生体障壁と言う、魔獣の魔力障壁と同等の技をこの獲物は纏うのだ。全力の膝蹴りを叩き込んだところで、一瞬、その呼吸を止めるのが精々。

 

 ―――しかし、この『八雷神法』の一手は敵の攻勢を崩す、一瞬の、繋ぎに過ぎない。

 

 蛇のように速やかに手にした呪符を十数枚投じる。

 放られてすぐ折れ曲がり、張り付き、重なり合い―――フクロウに化ける。式神。その十数羽のフクロウが、銀人狼を中心に乱舞。それは、フクロウというより、一頭の獣を群れで

狩るハイエナが羽を生やしたという方が似合うかもしれない。全体で一つの生き物であるように有機的に連動し、両手で包むように獲物を取り囲んだ。

 動きを取り戻した銀人狼は爪拳を振るい、そのうちの数体を斬り裂いたが、残りが一斉に両翼を広げ、風切り羽を伸ばす。幾条もの鞭と化した翼が、銀人狼に覆い被さる。捕縛。すぐに破られるだろうが、この一瞬、彼の両腕を封じられる―――そして、銀人狼の注意が上に逸らされている。

 

「ぬおっ!?」

 

 予めこの地中深くに丁寧に匂消しの処置まで施してしこんであった呪符が式神と連動するよう、発動。対魔獣捕獲用のトラップが板挟みのように両側から銀人狼に喰らい尽いて、ドーム状に銀人狼を閉じ込めた。まるで釣鐘をすっぽりと落とされたかのよう。

 そして、完全に獲物の身動きを封じたところで、最後の一節を唱えた。

 

「斬れば夢幻の如く、啼哭は災禍を奏でん!」

 

 鐘ごと斬り払うよう双叉槍を振るう―――その軌道を追うように火の粉が舞い跳ぶ。

 直後だった。

 火の粉が何かを吸い込んだ。爆発的に炎が膨らむ。いいや、もはや火と言うよりは赤熱し、溶けた金属の洪水と言った方が正しいか。不可思議な業火は空気中の酸素を喰らいながら、

の全身を怒涛の勢いで丸呑みしていく。

 釣鐘の様々な角度から灼熱の業火を生み出す。そのまま取り囲むように赤熱色の洪水ですべてを押し流す。

 

 爆炎が晴れた時、大きく胴に横一線の焼き斬られた痕を残す、銀人狼が、いた。

 

「<霧豹双月>―――!」

 

 すかさず――容赦なく――音叉を思わせる二又の槍を、その人影を抉るようにして突き出す。

 ギッ、と悲鳴を上げる音。<生成り>の魔力を『乙型呪装双叉槍』で増幅し、指向性をもたせる。

 突きの一直線上にある空気が焦げていき、港の海面が沸騰する。余波に周囲の大気は焔のようで、吸い込むと肺が焼ける。霧葉の周囲にはユラユラと揺らめく蜃気楼。

 カウンターから術を駆使しながら敵を確実に仕留める六刃の雷、火、剣の三連撃―――最後の三撃目に脇腹を僅かに焦がさせて回避したクロウが、霧葉の右斜め後方で、膝を突く。

 

「ぐっ……はぁ、はぁ……」

 

「少しでも気を抜くと視界から消えるなんてどうかしてるわ……本当に驚嘆すべき逃げ足ね。身を隠せる遮蔽物なんてないのに、ただ速さだけでこちらの動体視力を上回るんだもの」

 

 霧葉の身体がこちらに向く。

 何気ない動作だけで大気が焦げる。アカい髪は蛇のように鎌首もたげていく。まるでそれ単体が意思を持つような邪悪さ。

 

「それで、最後のは“わざと攻撃を掠らせた”みたいね。これで、あなたとのハンデはなくなったのだけど―――一発、打ち込んでみる?」

 

 ―――今、彼は自分だけしか見ていない。

 

 三打の制限は、これでなくなった。だというのに、これはまだ序の口と言わんばかりに、霧葉の自信に満ちた視線と呼吸のリズム。相手の引き出しはまだある。むしろ、クロウがこちらを無視せざる状況に追い込めたことに身震いさせて、巫女の仮面を剥いだ戦闘狂の血を滾らせる。

 

「ああ、仕返しの分だけやらせてもらうぞ」

 

 初手は、見事にやられた。

 それでも気息を整え、内力を正す。痛みが薄れ、体の隅々まで力が漲っていくのを感じる。

 問題ない。まだ戦える。

 その確認を済ませ―――瞬時に霧葉との間合いを詰めた。

 

 

海上

 

 

『姫柊は(ここ)に残ってくれ。俺一人で十分だ』

 

 フラミーに乗る直前、古城はこちらについてきた雪菜に言った。

 これから巨大な生体兵器を相手にする。不死の属性を持つ古城ならともかく、生身の雪菜をそんな危険にさらすわけにはいかない。

 しかし雪菜は首を横に振って同行を固持する。

 

『一緒に行きます。先輩を一人で行かせるわけにはいきませんから』

 

『だからダメだって! 世界最強の魔獣に襲われるかもしれないんだぞ、危険すぎるだろ!』

 

『私は世界最強の吸血鬼の監視役なんですよ』

 

『でも、飛行機とか姫柊苦手だろ』

 

『っ、私、別に高いところが苦手とかじゃないですから! それにフラミーちゃんは飛行機じゃありません!』

 

『いや、でもな。前に乗ったときは、クロウがいたけど……』

 

『やっぱりクロウ君の方が良いんですか!?』

 

『おい、その言い方なんか誤解を招くぞ!』

 

『だいたい私がいなかったら海に落ちた時にどうするつもりですか。泳げないくせに』

 

『だから、泳げないとは言ってねーだろ! っつか、あんなデカブツが暴れてる海で泳げる泳げないとか意味ないだろ!』

 

 みみー!!! と獣竜が、こんなときに諍いをする(いちゃつく)二人に『いいから、早く乗ってよ、急ぐんでしょ』と怒りの鳴き声を上げた。

 第三者からの注意に気を鎮めた古城と雪菜は見合わせ、

 

『お願いです、先輩。一緒に行かせてください』

 

『……はぁ、好きにしろよ、まったく』

 

 妙にまっすぐな監視役の瞳から、根負けしたように目を逸らす第四真祖。

 幉とか鞍とか乗騎用の道具を親切に着けてるわけでもなく、古城たちはその獣毛を掴んで、背にしがみつく。そして、『行ってくれ』と声をかけると、毛の生えた翼竜(ファードラゴン)は飛翔する。

 

 そうして、海へと飛びだった。生体障壁を張り巡らせて、同行者(こじょう)たちの姿勢を保持していた主人(クロウ)がいないせいか、その飛行はいくらか前よりは遅いが、上体を揺らさないよう安定に努めてくれていた。

 そして、まず目標を確認せんと空高くに移動し―――古城たちはそれを目視でとらえた。

 

「先輩、あれを―――」

 

「島……じゃねぇよな、あれ」

 

 あまりの非現実感に思わず、喉から、驚嘆が洩れだす。

 

「……マジか、おい……!? いくらなんでもでかすぎるだろ!?」

 

 海面を割って浮上する、群青色の巨大な怪物。

 世界最強の魔獣<レヴィアタン>―――巨大すぎて正確な全貌は掴めない。全長4kmという数字を頭で理解していたものの実際に見て受け入れるには時間がかかった。何せこちらの獣竜はおよそ2mほど。4000:2=2000:1。比喩ではなく、クジラとアリくらいの差があるのだ。スケールが違い過ぎる。

 

「いえ、でもあれが<レヴィアタン>です」

 

 その姿は『蛇』に似ている。

 あるいは太古の地球に棲息していた魚竜や、伝説の龍そのものだった。

 同時に、その姿は兵器に似ていた。滑らかな流線型を描く胴体は、最新鋭の原子力潜水艦のようでもあり、また艦載機格納庫をもつ航空母艦のようで、半透明の鱗は装甲と見分けがつかない。

 何万年分の時を経てきたせいか、<レヴィアタン>の全身はフジツボで覆われ、幾つもの古傷が残っている。その姿は恐ろしく、しかしなぜか神々しい。

 

 そして、あそこに結瞳がいる。

 

「船じゃなくて正解だったな」

 

 <レヴィアタン>が少し動くだけで、絶壁のような高波が起こる。

 怪物にとってはかすかな身動ぎでも、その動きによって攪拌された海面が激しく渦を巻いている。あの荒れる海を渡るのは、転覆せずに済んだら奇跡とすら思える。

 波の影響を受けない空からの移動なら、安全に―――と期待を破り捨てるように、<レヴィアタン>が大気を歪める濃密な魔力波を発散する。天上にも届くそれに、古城はわずかに顔をしかめる。直接的な苦痛ではないが、ガラスを爪でひっかくような騒音を聴かされている気分だ。

 

「ぐ……なんだ、今の気持ち悪いのは!?」

 

「魔力波動―――! <レヴィアタン>は、この反響を使って周囲の様子を調べてるんです!」

 

 イルカが自ら放った超音波の反響を感じ取って海中で餌を見つける、ようなものだ。

 そして、世界最強の魔獣のそれは海中だけにとどまらず、空にまで知覚範囲を広げてる。

 

「―――っ!? まさか……!」

 

 眼下で、<レヴィアタン>の石油タンカーほどもありそうな胸ヒレが、海面を割って浮上。その表面には、クジラの噴気孔に似た深い穴がいくつも空いていて、それを取り巻く群青色のうろこが、電子回路のように次々と発光して―――そして、活火山の如く火を噴いた。

 

「ちょっと待て……!? いきなり、こっちを!?」

 

 世界最強の魔獣が放つ魔砲弾。そのすべてがこちらに向けて一斉に。

 並の戦艦なら一門発射するだけでも船体が大きく揺れて転覆しそうな大出力の破壊光線が、100門以上。

 もはや音の数を数えることに意味はなかった。

 ドジャーッ!! と。数千数万の轟音は重なり融合し、ひとつの巨大な爆音に進化する。オーケストラが全員ロックバンドを決めてるような騒音は、空にいる古城たちの耳を突いている。それも絶え間なく。

 ピッチングマシーンのように次から次へと砲台へ魔力の収束充填し、放っているのだ。

 連続射出される魔砲弾を、獣龍は二対四枚の翼を巧みにそれぞれ羽ばたかせながら、避けていく。右に左に旋回しながらも降下し、<レヴィアタン>に接近。

 

「うおおおおおおおっ!!!」

「きゃああああああっ!!!」

 

 『青の楽園』遊園地エリア名物の水中突入型ジェットコースター『ハデス』などとは比較にならない、ドラゴン・フリーフォール。

 一斉連続掃射でも攻撃が当たらない、不沈龍母。それに業を煮やしたように、<レヴィアタン>は新たな攻撃を放った。

 生体兵器の巨体から、無数の青い影が空中に向かって撃ち出される。

 それらは鮮やかな放物線を描きながら、フラミーに向かって加速した。クジラの背中に泊まっていった海鳥たちが、一斉に飛び立つ姿を連想させる光景だ。

 ただし、こちらに迫ってくるのは海鳥などではない、高速で飛来する生体ミサイルだ。

 

「対空ミサイル!? 神々の時代の生体兵器は至れり尽くせりだな!」

 

 大量の液体爆薬が詰め込まれている生体ミサイル。流石にこれは躱しても、爆発には巻き込まれる。かといって下手に撃ち落せば、その爆薬が撒き散らされて周囲に被害をもたらすことになる。

 ならば―――原子レベルにチリとする。

 

疾く在れ(きやがれ)、<甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)>―――!」

 

 <第四真祖>の眷獣が撒き散らす膨大な魔力は、確実に<レヴィアタン>を刺激するだろうが、他に最善策は思いつかない。

 銀色の霧に包まれた甲殻獣が、飛来する生体ミサイルを次々に霧化して消滅させていく。

 それでも<レヴィアタン>の攻撃は止まらない。生体ミサイルに摩砲弾と、さしもの<第四真祖>の眷獣も防戦一方で、<守護獣>もこれ以上は接近できず、回避に専念される。

 このまま集中砲火を浴び続ければ、いずれ数で押し切られるのも時間の問題。

 

「仕方ないか、畜生! <獅子の黄金(レグルス・アウルム)>!」

 

 二体目の眷獣を古城が召喚。

 こちらから攻撃を仕掛け、<レヴィアタン>の注意を逸らす。いかに世界最強の魔獣といえど、こちらも世界最強の吸血鬼の災厄の如き眷獣。この攻撃を無視できるはずがない。

 天空から爆発的な電流を纏った雷光の獅子が、稲妻と化してその巨大すぎる胸ヒレ――摩砲弾発射台に襲い掛かる。

 

 ギュバアアアアッ―――と、大気を割る悲鳴のような轟音。

 余波の雷光が海面を黄金に染める。かつて絃神島を構成する四基の人工島(ギガフロート)の一基をうっかり焼き払いかけた、暴れん坊といわくつきの眷獣であるが、相手が超巨大魔獣であるなら、多少暴走しても問題ない。手加減することを考えないで、存分に暴れさせられるので、むしろ制御が楽である。

 青白い閃光が<レヴィアタン>の巨体を包み込み、摩砲弾の速射が、止まった。

 群青色の分厚い硬鱗の装甲が剥がれ落ち、しかし攻撃は止んだものの<レヴィアタン>は悠然と浮かび続ける。胸ヒレも完全に破壊できたとは言えない。

 

「―――効いてないのか!?」

 

「魔力障壁で防いだんです……!」

 

 むしろ、<第四真祖>の眷獣だからこそ、一時的に怯ませることができたのだと雪菜は古城に言う。

 雷光の獅子の突撃(チャージ)を受けた胸ヒレには、噴出孔を削るよう深さ10m近い破壊の爪痕が刻まれている。普通の魔獣なら、それで十分致命傷だ。しかし、相手は4000mの巨体。その程度ひっかき傷に毛が生えた程度のダメージでしかない。

 ただでさえ規格外の巨体に加えて、頑丈な魔力の楯を張っている。核弾頭の直撃でも斃せるか怪しい相手である。

 

「こいつは……外側からじゃ、ラチがあかないな」

 

「どのみち結瞳ちゃんを連れ戻すには、中に入るしかないですよね」

 

 半ば呆れた声を上げる古城に、雪菜も開き直ったように同意を示す。

 もはや、平穏に着地は無理と判断。

 

「みーーーっ!!!」

 

 二人の意を酌んだフラミーが、攻撃が止まっている間に、<レヴィアタン>へ直滑降最短距離で加速する。

 

「獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る―――」

 

 古城に腕を抱いてもらって姿勢を保持しながら、雪菜が槍を構える。

 目を閉じて彼女は、<レヴィアタン>の周囲に張り巡らされている分厚い魔力障壁を、感じ取るように視る。

 その障壁を突破できなければ、近づくことはできない。だがら、あらゆる魔力の結界を斬り捨てる刃を以って、破る。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え―――!」

 

 カッと開眼した雪菜が、破魔の銀槍を獣竜より前へと突き出した。

 <雪霞狼>は、<レヴィアタン>の無敵の魔力障壁をも易々と裂いて、不沈龍母の空路を確保する。

 

「―――疾く在れ(きやがれ)、<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>!」

 

 そして、あらゆる次元ごと空間を喰らう『次元喰い(ディメンジョンイーター)』の水銀色の双頭龍が、その巨大な顎で<レヴィアタン>の強靭な鱗を食い破り、体内へと続く空洞(みち)をつくる。

 古城たちを乗せる獣竜はそこへ翼を僅かに縮めらせて、<レヴィアタン>の体内へと侵入を果たした。

 

 敵に侵入を許した巨大な生体兵器が、怒りの咆哮を天に放つ。

 それは、魔獣が支配する海域を荒ぶらせる、この世の終末を連想させる恐ろしい光景であった。

 

 

青の楽園 魔獣庭園

 

 

 ―――すごく、静か。

 皿の上の氷が溶けていくように、ゆったりと、時間が流れていく。

 その時が遅滞するとも思える中で、倍速の動きで踊るように打ち合う数十数百の攻防。

 

(おかしい……全然、当たらない!)

 

 拳打、爪撃、熊手、膝蹴り、前蹴り―――絶え間なく攻撃を続けるが、六刃には掠りもしない。本来ならば確実に捉えたと思えるタイミングの攻撃が、悉く外されてしまう。

 そして逆に、確かに躱したはずの攻撃がなぜか避け切れないのだ。

 こちらの攻勢から返す刀で、火を噴く刃の上段斬りをクロウは右に避けるが、振り下ろされるはずの霧葉の双叉槍は、そんな銀人狼を追尾するように真横へと軌道を変えた。

 

「ぬうっ……!」

 

 腕に集中させた生体障壁でその一撃を受けて弾き、距離を取る。

 その際、霧葉の瞳に紅い紫電が走っているのをクロウは見た。

 

「わかる! あなたの動きは全部お見通しよ!」

 

 純粋な力と速度ではクロウが大きく勝っているが、霧葉はクロウよりもあらゆる動作が一歩速い。

 地を這うような足払いを横に跳んで、銀人狼は回避し、追撃を仕掛けてくる六刃の双叉槍を斜め前に避けながら得物の間合いのさらに奥へ接近し、カウンターの肘打ちを放つが、霧葉はギリギリのところでそれを掻い潜って廻り込む。

 

「<拆雷>!」

 

「くっ! ―――<伏雷>!」

 

 体当たりに耐性が崩されたところに、袈裟懸けに斬り下された鋭い拳撃を転がるように避け、廻りながらもアクロバティックに雷電奔らせるサマーソルトキック……が、霧葉は首を屈めてそれを回避していた。霧葉の瞳から放たれる紅い残光が、鮮やかな軌跡だけを残して消える。

 

「<鳴雷>!」

 

 近接戦を制したのは、六刃だった。

 掌打をその胴に刻んだ横一線の焼斬り痕を目がけて、ずちゅり、と叩き込まれ、銀人狼が吹き飛ぶ。

 

 接近戦での打ち合いならば、誰にも負けない、ここが己の間合いであるという自負があったが、そのプライドを今、己の監視役に罅を入れられた。

 素質からして、妃崎霧葉の未来視は、姫柊雪菜に劣るはずだ。

 しかし、霧葉は、南宮クロウを研究していた。

 その拳筋、動き、間合い、呼吸、足運び、小さな癖に至るまで、集められるだけ集めたデータからクロウの戦い方を研究したのだ。

 それが、南宮クロウに限定して、本家の剣巫の霊視よりも精度を上げている。

 

 しかし、それだけではない。

 一手先を読める程度で、ここまで一方的に痛めつけられる展開にはならない。何か別の要素がある。

 

(ここまで攻め立てても倒れないなんて想像以上に頑丈ね。でも、所詮はそれも焼け石に水。あなたの攻撃は止まって見えるし、止まってしまう標的の防御をすり抜けるのも簡単)

 

 この<火鼠の衣>に這わせる火。特定の魔獣が防衛反応で展開する魔力障壁。対魔獣のエキスパートの太史局が使う獣除けの結界、それを<生成り>の力で応用したもの。

 火を動物は“本能的に恐れる”。

 動物は野生の中で生き残るために様々な特性をそれぞれ獲得していった。『火鼠』はその本能的な忌避感情を誘発させる火の魔力障壁で、天敵から身を守る。

 つまりクロウが霧葉に攻撃を仕掛けたとしても、無意識に攻撃を一瞬躊躇わせるのだ。それも本能に訴えかける<火鼠の衣>の火は、“獣に近いほどかかりやすい”。更に加えて、初撃で猛烈な火の脅威を印象付けた。

 つまり霧葉はクロウよりも一瞬先に動け、クロウは霧葉に一瞬動くのが遅くなってしまう。

 

「……どうして、妃崎は、こんなことをするんだ?」

 

「あら、口を開けば命乞いをするのかと思ったのだけれど―――」

 

「だって、今のお前の“匂い”、ぐちゃぐちゃで、良心の呵責に苦しんでる奴とそっくりだ」

 

 クロウの言葉は、最後の通信で莉琉に言い当てられた内容と同じことを言い当ててきた。

 

「さっき煌坂が、研究所を破壊されたくないから古城君を行かせたとか言ってたけど、本当は古城君が江口を助けることを期待したんじゃないのか?

 なのに、それでも、お前はどうして戦い続けなくちゃならないのだ?」

 

 圧倒的な優位に酔っていた霧葉が、表情を消す。

 本来排除すべき世界最強の魔獣を使い、『青の楽園』を沈めるというのは、太史局ならではの作戦だろう。しかし、そんなことをすれば当然、ここにいる霧葉も無事では済まない。多くの犠牲者が出る恐れがあり、そして、確実に一人は生贄になる。

 そんな貴重な六刃神官をも捨て駒にしてまで、太史局がこの島を沈めようとしているその理由。

 もはやそれを隠す理由もないと考えたのか、霧葉は静かな声で答えを零す。

 

 

 

「太史局の目的は、藍羽浅葱の抹殺よ―――」

 

 

 

 その答えにクロウは瞠目する。

 

「浅葱先輩、を……?」

 

 霧葉が嘘を吐いていないのは、クロウにはわかる。

 しかし、だとしても、理由はわからない。

 <第四真祖>の古城先輩とは違い、浅葱先輩はただの一般人だ。彼女ひとりを抹殺するために、完成したばかりの人工島を潰すのは、どう考えても割に合わない。そんなことをしなくても、霧葉の戦闘能力なら、彼女をいつでも殺せることができたはずだ。

 そんな風に抱く疑問の全てに、彼女はたった一言の答えを口にした。

 

「藍羽浅葱が、『カインの巫女』だからよ」

 

「カインの……巫女……」

 

「そう、奴隷であることを気づいていないのね……」

 

 クス、と小首かしげるクロウに、霧葉は小さく笑った。それが通常の彼女の毒舌はしかし、今だけ、クロウを本気で憐れむような響きが混じっている。

 この少年が、彼女のために身の盾(ぎせい)となる運命を負わされている不条理への憐れみが―――

 

「―――『カインの巫女』の存在は、いずれ『聖殲』の引き金になる。獅子王機関と人工島管理公社は、太史局は、それを危険だと考えた」

 

 政府の内部は一枚岩ではない。

 『カインの巫女』を利用するか、それとも抹殺すべきか。政府内の上級攻魔官の中でも意見が割れていた。そのことが獅子王機関と太史局の対立の原因。

 

「だから、この『青の楽園』を<レヴィアタン>に沈めさせる。絃神島にいる限り、藍羽浅葱は誰にも殺せないのだから」

 

 たとえ『カインの巫女』と呼ばれていても、肉体は普通の人間のものである藍羽浅葱。電脳世界では無敵でも、現実世界で六刃に殺せない標的ではない。

 しかし、これは実力だとかそういう次元ではないのだ。

 

「『青の楽園』を含めた、この絃神島は、自然の摂理に逆らって創り出された人工の都よ。大地に呪われた存在であるカインによって、この島は、それ自体が一つの巨大な祭壇なの。この島の全てが彼女の味方。ありとあらゆる偶然と必然が彼女を護るわ」

 

 絃神島は、『カインの巫女』のために用意された舞台。絃神島の上にいる限り、誰も藍羽浅葱を殺すことはできない。たとえ<第四真祖>でも、<第四真祖>をも殺す得る<雪霞狼>でも―――

 

「藍羽浅葱を殺すためには、まずは絃神島を破壊しなければならない。だから太史局は、<レヴィアタン>を利用する計画を立てた。幸いなことに、『クスキエリゼ』の会長がお膳立てしてくれたしね」

 

 世界最強の夢魔<リリス>もその力を引き出すための<LYL>も、すべて『クスキエリゼ』が用意した。

 後押しこそしたが、太史局は、何もしていない。久須木和臣さえ死んでしまえば、もはや何の証拠も残らないだろう。

 その罪を全部押しつけてしまうことに同情はするが、久須木がやろうとしたことを考えれば、当然の報いである。

 

「もっとも、獅子王機関は太史局の計画に気づいてたみたいだけどね。彼らが藍羽浅葱を『青の楽園』に連れてきてくれたおかげで、私たちも絃神島本島を破壊目標から外すことができた。このまま上手くいけば、被害は最小限に抑えることができるでしょう。

 ―――そのためには最大の障害となりうる<黒妖犬>を是か非でも除かなければならない」

 

「オレ、が……?」

 

 訊き返すべきではなかったのかもしれない。

 それは六刃が標的に憐憫の情を見せてしまうくらいに、少年にしてみれば、ある種の残酷な予言に等しい、事実。

 

「この絃神島と同じく、自然の摂理に逆らって生まれた『混血』の器。カインの残した大罪を継いでしまったあなたは、『カインの巫女』を守るためならば自らの命を擲ち、それが害するものであれば何であろうとすべてを壊す殺神兵器になった―――いいえ、『聖殲』に臨むために、そうなってしまうように運命づけられたのよ。あなたを本当に縛っているのは南宮那月ではなく、藍羽浅葱。彼女が居る限り、自由なんて決して訪れない。

 あなたは南宮那月の眷獣(サーヴァント)ではなく、『カインの巫女』の奴隷なのよ」

 

 これは、監視対象南宮クロウの情報を精査した霧葉の断言する推論。

 ロタリンギアの殲滅師に狙われた時、一太刀をもらいながらも『カインの巫女』を逃がした。

 黒死皇派のテロリストに攫われた時、真っ先に『カインの巫女』の救助にかけつけた。

 脱獄した魔導犯罪者に襲われた時、戦場に飛び込んで『カインの巫女』を守り通した。

 暴走した『賢者の霊血』に遭遇した時、身を挺して『カインの巫女』を救い、死にかけた。

 そして、故郷の森よりも、『カインの巫女』のいる絃神島をまず思い浮かべるようになったのも……

 

不確定要素(イレギュラー)だけど、これだけ偶然も続けば、『カインの巫女』の危機にやってくるのはもはや必然。だから、行動を予測しやすいようこちらから誘い込み、排除するのよ。『青の楽園』を破壊できたとしても、『カインの巫女』を始末できなければ意味がない。そして、藍羽浅葱の身柄程度を抱えながらでも、あなたは避難することはできるでしょう?

 でも、私はその運命から解放してあげるわ。ここで藍羽浅葱が始末されるまで、あなたを行動不能にして」

 

 絃神島にいる限り、クロウは『カインの巫女』のために動かされる。自身の幸福ではなく、彼女の幸福のために、あらゆる不幸を負わされる。これは押しつけられたどころか、理不尽な役割を決定づけられたもの。

 そんなの誰だって嫌だろう。ご主人を差し置いて最優先にされるなど、彼にしてみれば『カインの巫女』とは疫病神に他ならない。

 

「オレは……バカだから今の話を聞いても正直あまりピンとこない……」

 

 霧葉の言葉を呑み込んで、それでもふるふると首を振りながらそう言った。

 その言葉の端々に、困惑の色が見え隠れしていた。

 彼の中でもまだそれに納得してない、出来ないものがあるんだろう。

 しかし、それでも首を振る行為に霧葉は目を疑った。

 

「でも、浅葱先輩はきっと今も避難せず、頑張ってると思う。そういう人なのだ。

 浅葱先輩は、オレがこの島に来て、凪沙ちゃんに泣かれ、古城君に怒られ、そんな一番つらかったとき、一番最初に声をかけてくれた人なのだ。オレはそのことを今でも恩を感じているぞ」

 

「―――だから、あなたがそうやって迫害される状況さえ、藍羽浅葱に懐くように運命を仕組んだものなのよ……!!」

 

「そうかもな。それでも浅葱先輩を守りたいと思うオレはおかしいのかもしれない。でも、なんだとしてもオレはみんなを守りたいと思うことに変わりないぞ、そのみんなの中には浅葱先輩も入ってるし―――妃崎のことも助けられれば万々歳だぞ」

 

「……っ!!」

 

 クロウはそう言って―――動き出した。

 先よりもずっと速く。

 数体の分身と数十の残像を作っていくステップを踏み、攪乱―――そこからさらに、外套の透明化と気を合一する『園境』の気配遮断で、奇襲―――

 

「ええ、南宮クロウのことはすべてはお見通しなんだから!」

 

 双叉槍を旋回させ、情念の炎を噴き上げる。神殿の防御さえも焼き滅ぼす精密誘導兵器は逃れられず、防げまい。目晦ましの数多の像に目もくれず情念の炎は一直線に食らいついたのは、姿を隠した人狼―――ではなかった。

 

「な……っ!」

 

 銀の体毛が銀髪に、

 瞳の色も金色から雪原を閉じ込めたような蒼に。

 そして、人狼の強靭な肉体は、可憐で華奢な『湖の乙女』に。

 

 

 

「オレのパターンは読まれてるなら―――オレ以外(かのん)になってみるのでした」

 

 

 

 この監視対象で最も警戒すべきは人外の膂力ではなく、頓珍漢な発想力かもしれない。

 

 分身、隠れ身―――そして、別人になり相手を惑わす、変化(女の子限定)の術。

 『南宮クロウ』のリズムでは通じない。だから、『叶瀬夏音』に化けてみるという安直な発想は、しかし効果的であった。

 霧葉の<生成り>は、『執着できる相手なほど力が高まる』ものだ。しかし、相手が『嫉妬できる要素がない、心優さが雰囲気ににじみ出てる聖女』を前に、その力が振るえるのか?

 これが、標的のクロウであるとはわかっていても、いきなり姿形が変わって動揺しないはずがない。あまりにびっくりして情念の炎を制御する集中が乱れ、明後日の方向へ飛んでいった。

 

「こんなの六刃の霊視にもなかったのだけど―――!?」

 

 ……この同級生の意外性によく振り回される本家の剣巫も、『影の剣巫』の叫びには何度もうなずいて共感したことだろう。

 そして、変化ができたことなど知らない、情報不足。霧葉の視る未来には、ありえない光景。

 霧葉の双眸、紫電走らす六刃の霊視がブレるように、揺れて―――その隙を、夏音(クロウ)は逃さなかった。

 

「―――鉄拳聖砕カノン♪ブレード!」

 

「くっ!?」

 

 ふざけた必殺名だが、対魔族にはふざけた威力を誇る一撃であり、それは腕を振るう、という感覚とは離れたものだった。

 滑るように振るわれる白魚のような御手は、霧葉が赤衣に纏わす炎の魔力障壁を、大気ごと刈り取るように繊細で迅速過ぎた。

 聖なる刃を迸らす手刀が、魔性に近づきし<生成り>の六刃を袈裟斬りに打ち込まれる。

 効果抜群な一撃に、六刃は呻く。外見の姿形は変わっても、水霊馬を叩きのめすほど、中身の身体能力は変わってないのだ。

 

 六刃神官は元々対魔獣戦闘の専門家。魔獣は奇策など用いないが、<蛇遣い(ヴァトラー)>曰くに、人間は勝つために知恵を振り絞るもので、この『混血』の少年は“怪物でありながらも人間である”と青年貴族は称する。だから、面白い、と。

 対魔獣魔族の戦術だけでは、『混血』の対処には間に合わない―――!

 

「<黒雷>―――!」

 

 聖光に肌を焼かれながらも<生成り>は解かず、全身に通う呪力を漲らせて、霧葉が跳んだ。乱されたペースも切り替えた。どんな見た目であろうと、目の前にいるのは『南宮クロウである』と強く自己暗示を念じる。

 

「―――<霧豹双月>!」

 

 限界以上に筋力と反応速度を強化し、<生成り>の魔力を増幅し、炎獄を音叉の双刃に集わす、妃崎霧葉の必殺の攻撃。<生成り>に加えて、呪的身体強化(エンチャント)は、銀人狼に匹敵する身体能力を獲得させ、情念の炎を一点に集中した斬撃は一撃で相手を屠れるだけの威力があるはずだ―――

 

「壬生の秘拳―――」

 

 炎獄の刃を交差させた手首に挟み取るように受けた。双叉槍に合わせたその支点には赤い布きれ―――先の手刀で、六刃の<火鼠の衣>を切断したその切れ端がある。手刀で剥ぎ取ったかと思うと、クロウはその布地から“火を克服した魔獣”――『火鼠』の“匂い”を嗅ぎ取った。

 <生成り>の炎は神社仏閣を焼き滅ぼせる威力でも、『火鼠』の耐火能力は魔獣の中でも最上位。その特性を『香纏い(マーキング)』で浸透させた真紅の生体障壁は、情念の炎を受け切る。

 そして、飛び掛かっての兜割の勢いを、屈伸してベクトルをカウンターの威力に相乗させ―――

 

「―――『ねこまたん』!」

 

 <四仙拳>直伝の絶招の一手と獣王が開発した気功砲を合わせた返し技。それを武器解除に応用。

 双掌に巻き上げられてから、天高く肉球型の気功砲に弾き飛ばされ、六刃は『乙型呪装双叉槍』を手放した。

 

「これで、お終いなのだ!」

 

「……、」

 

 もはや、六刃は一歩も動けなかった。構えた両手を下す。今の一撃、直接霧葉の身に叩き込まれていれば終わりだった。武神具も手元にない。『火鼠』の耐火性を被られ、火を恐れなくなってしまい、六刃の霊視も未だ乱れている以上、肉弾戦に持ち込まれれば、負ける。それが予想できて、霧葉は笑みを浮かべた。

 

 

 

 勝った、と。

 

 

 

 <生成り>。あらゆる炎を操り、その数多の特性を使う。

 物を燃やす炎、酸素を奪う炎、呪毒を消毒する炎、獣除けの炎、神社仏閣も焼き討ちする炎―――そして、見るものを幻惑する催眠の炎。

 

 催眠術にもさまざまな方式があるが、その導入のひとつに『揺らめく炎を凝視させる』と言ったものがある。

 いわゆる『凝視法』。そう、百物語で蝋燭や行燈を使われるのもそのためだ。

 霧葉は戦闘の最中でそうした妖し火をひっそりと織り交ぜ、標的の脳をじんわりと冒していた。

 炎が通じないのならそれでもいい。それも予測していた。だから、物理的にだけでなく、精神的な攻め手も考える。

 

(勝った……獣王を、手に入れたわ!)

 

 焦点の合わない瞳。表情筋のありえない弛緩。いずれも標的が『普通に思考しているのとは異なる』状態を示すシグナル。

 今ならばどのような命令もうんと頷くだろう。彼のスイッチは、リモコンは、今や自分の手の中にあるのだから。あとは『宇治の橋姫』の伝承より組んだ『縁切り』の呪術で、南宮那月との主従契約を切って―――

 

 

 

「―――ん? 何だ、いきなり“ちょっと”ボーっとしちまったのだ」

 

 

 

 こくん、と頭が眠り落ちたかと思いきや、すぐ目に光が戻った。

 

 

青の楽園 エリュシオン コテージ

 

 

 彼女は、純白のコテージの屋根にひとりきりで座っていた。

 少し未発達な印象を残した十代前半(ローティーン)の少女――暁凪沙だ。

 長い髪を下してるせいか普段の快活な彼女とは、印象がまるで違っていた。

 今の凪沙は、氷の結晶を全身に纏わせているように冷やかに見える。

 虹彩の開き切った大きな瞳が見つめていたのは、水平線の彼方に見える巨大な影だった。

 

『女帝殿……最初から<LYL>ではなく、拙者の<膝丸>を狙って……!』

 

『喧嘩をふっかけてきたのはそっちなんだから、悪く思わないでよね。おかげで<LYL>には正面から堂々と入れるわ。武士の情けで、あんたのポエムをばらまくのは勘弁してあげる』

 

 コテージの中では、数分ほど前に、藍羽浅葱が、戦車相手に拳銃片手で挑まなければならないような、圧倒的な劣勢を覆した。

 既存の攻撃アルゴリズムでは、ハッキングが間に合わないと予想した彼女は、相棒の人工知能(モグワイ)に防御を任せ時間稼ぎをさせてる合間に、『戦車乗り』の防御突破用の“新しい”アプリケーションを、“即興で”つくる。

 あの<ナラクヴェーラ>を制御コマンドを手に入れるために、滅び去った文明ごときの書き付けをさして時をかからずに読み解いた、どころか、新しい停止コマンドを創り出せてしまえるのだから、このくらいはわけないだろう。だが、それがいかにこの現代ででたらめな能力であるかを彼女自身は理解していない。相手をしていた幼女は戦々恐々としたことだろう。藍羽浅葱が即興でつくったというアプリケーションには、世界各国の諜報機関が、死人を出して奪い合うほどの価値があり、そしてそのことに当人は自覚がないというのだから。

 眠っていた生体兵器を叩き起こしてけしかけられるのも無理はない。

 

『まったく、ちょくちょくとプログラムミスがあるわねこれ』

 

 ただ、今、藍羽浅葱は避難せず、パソコンに向かっている。『青の楽園』の来場者の避難誘導、沿岸警備隊の救難要請、付近を航海中の船舶への警告、それら『戦車乗り』が構築して、けれど穴があったところを見直(チェック)しては埋め合わせる作業を一人ですべてこなしている。<レヴィアタン>の接近に対して、『青の楽園』でパニックを起こさせないように、陰ながら働いている。

 たいしたものだ、と思う。

 その英雄的行為の代償として、彼女自身は避難するためのキップを捨てている。だが彼女はそこに頓着などしないし、自己犠牲とすら感じていないのだろう。彼女は今ここで自分の働きが必要であるからそうしている。それだけ。

 そう、かつて異国の『魔族特区』で、妹を救うために、自らを平然と銃弾の前にさらした、あの少年のように―――

 そして、あの“後続機(コウハイ)も……

 

「あれだけ言い聞かせたというのに……他の女にうつつをぬかすな、阿呆め……」

 

 “凪沙”はそう言って、別の方向を、半眼で睨む。

 “少女”と“後続機”が結んだ、“第一の誓約と制約(ゲッシュ)”。

 かつて“後続機”を暴走状態から自我を取り戻させたその恩恵は、“頭が冷やす”、というものだ。

 言ってしまえば、精神安定。

 自我を失くしかけるたびに頭が冷えるので、<神獣化>の暴走で我を失うことはなく、“『No.013』のような精神支配は通じないのだ”。

 以前に、剣巫へ“後続機”を鎮めてみせる、と約束した手前、それぐらいの恩恵を与えておかねば面目が立たないだろう。

 力自慢の相手に精神支配をかける戦法は間違っていないだろうが、

 薬毒でも、魔術でも、心を乱せるものはない“後続機”は、真っ向からの力勝負という土俵でやり合うしかほとんど選択肢が残っていない。

 

「とっととけりをつけろ。そして、我の“後続機”であるなら―――二度と歯向かわせないよう圧倒的な力を見せつけろ」

 

 あまり知らぬ女の影をちらつかせて“娘”の心を乱すな、と脅しかけるように“凪沙”は囁いた。

 

 

青の楽園 魔獣庭園

 

 

「――――――――――――――――――は?」

 

 

 『凝視法』で、支配下に置いたはずなのに、一瞬で正気を取り戻した。

 相手は一直線に、こちらへ迫ってくる。どう考えても、正常に妃崎霧葉を認識している。不可解な現象を前に固まる六刃へ、最初と同じようにクロウはその掌を前に突き出し、呪句を一息で唱える。

 

 

「<歳星(さい)太歳(たい)

 <太白(たい)大将軍(たい)>」

 

 

 その一句一句ごとに、限界突破(リミットオーバー)するほどの強化比率の呪的身体強化(エンチャント)を身体各部位に施す。

 『武神具も式神術もつかえない単純馬鹿なんだから、これくらい窮めなさい』と高神の社出張武術家庭教師の師家様は言う。

 

 

「<塡星(ちん)太陰(たい)

 <辰星(しん)歳刑(さい)>」

 

 

 『八将神法』は、陰陽道の方位吉凶を司る八将神を技の名に冠する。

 そして、その八王子の親は、『牛頭天王(ごずてんのう)』。彼の蛇龍殺しで有名な『素戔嗚尊』と習合される神格をもつ。

 だからこそ、『八将神法』を納めた舞威姫が、<蛇遣い>を“殺せる者”として、監視役として選ばれたか。

 しかし、『牛頭天王』はまた違う一面を持つ。

 

 

「<塡星(ちん)歳破(さい)

 <太白(たい)歳殺(さい)>」

 

 

 『牛頭天王』は祟りで都に病魔を流行らせた殺戮者であったが、それを病魔の制御――つまりは退散させる疫病神として祀り上げることで、その性質を“反転”させたもの。かの菅原道真が畏れられた怨霊から、天神と祀られるようになったように、人々が信仰することで荒魂を和魂へと変えた。

 暗殺と呪術の専門家である舞威姫が、『八将神法』の裏技である『牛頭天王』の強化反転を使ったとなれば、その身に宿している百の呪が転じて、千の不浄穢れを清める力になっただろう。負の力を知るからこそ正の力への転化を可能とするのだ。

 しかし、南宮クロウのケースは、舞威姫とは違う。

 

 

「<羅睺(らご)黄幡(おう)

 <計都星(けい)豹尾(ひょう)>」

 

 

 呪術を身に着ける舞威姫のように後天的ではなく、その“神さえも殺す疫病”は『混血』の先天的な特性。

 それ故に、これは根源的なものまで、自己崩壊させる。

 

 

「我が身に宿る“疫病”に命じる、転じよ―――」

 

 

 握り掴むよう掌中に納まる、漆黒の霞が純白に変わる。

 それは都に病魔を撒き散らした殺戮者から始まり、ついには最上位の神格を得て、属性を反転させた疫病神の模倣。毒素から血清が作られるように、この『混血』に宿る“壊毒”を“仙薬”とする。

 普通の使い方ではない。その内側から何かがガリガリと削り取られていくのがわかる。長時間、活用できない。数秒が限界で、それ以上は心身を滅ぼしかねない。

 だがその苦痛の一切を無視する。純白の霞を纏わす掌を振りかぶり、

 

 

「―――宣言通り、一発ぶん殴るぞ」

 

 

 歯を食い縛れ、と今度は寸止めではない。ただ狙いは考慮して顔面から外して、掌打をどてっぱらに叩き込む。横隔膜に打撃を受けた霧葉は腹をさえ、膝を突く。

 そして、打ち込まれた『牛頭天王』の白氣は、『火雷大神』の<生成り>の身体に浸透して、その赤い情念を撃ち抜いた。

 

「本当、たった一発でこれなんて割に合わないわね」

 

 <生成り>の変身は解かれて、角も消え、髪の色も元の黒に戻る。

 『不老不死をも殺す』“壊毒”を転化させたものに殺傷性などない。当然だ。それは世の理の歪みを破断し、人に打てば心の揺らぎを整える。それも、この上なく強制的に。並の精神であれば、2、3日は寝込みかねないほどに。

 まったくもって、“心を打つ”、もの。

 頽れながら自身の敗北を悟る霧葉は、そう言って無理矢理に微笑んでみせる。

 

「ああ、もう来てしまったわね。今更、<LYL>を壊しても、<レヴィアタン>は止められなくてよ―――」

 

 水平線の彼方には、すでに<レヴィアタン>の巨影がうっすらと浮かび上がっていた。おそらく直前で省かれた舞威姫が<LYL>を破壊したようだが、それで、あの怪物が『青の楽園』を見逃してくれるとは限らない。

 

 ただ、それでもなぜか、手遅れだとは口にできなかった。

 

 身体を抱き留めた、彼の顔を見上げる。

 任務のためとはいえ、無関係な大勢の人々の命を奪うことに、苦悩を感じなかったと言えばウソになる。ただ、その彼が真っ直ぐに世界最強の魔獣を見据える顔を見てると、表情は自然、安らかとなった。

 

「妃崎が起きた時には全部終わってる。だから、眠ってろ」

 

 そうやって、いつものように自分を置いていく監視対象。

 霧葉は背中を恨みがましく睨みながら、言葉にはせず、口だけを動かした。

 

 

 止めてくれて、ありがとう、と。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 クロウが六刃と戦闘している合間に、暗殺の達人でもある舞威姫は、妃埼霧葉が敷いていた炎の結界をすり抜け、<LYL>を第一研究所ごと破壊することに成功した。

 暁古城たちも、<レヴィアタン>内部に侵入し、<リリス>江口結瞳を見つけ次第その身柄を回収して、脱出するだろう。

 

 だが、<レヴィアタン>は、強大な咆哮で大気を震撼させる。

 

 怒っている。己を利用した者たちに怒り狂っている。

 <レヴィアタン>は、<リリス>の精神支配から自力で逃れていたのだ。

 世界最強の生体兵器は、精神支配に対する耐性を獲得していた。つまり、世界最強の夢魔の精神支配でも、止めることはできなくなった。

 

 少年が見据える、水平線上に屹立する巨大な『龍』の頭部。その巨大すぎる魔獣に、もし表情というものがあるのなら、きっとそれは憤怒の形相であったことだろう。一方的な精神支配という、さぞかし不快なことを強制されて、魔獣は怒っている。そして精神支配に逆らう力を身につけた魔獣が次に取り得る行動は―――報復だ。

 

「お前は怒るのはわかる―――でも、止めさせてもらうぞ」

 

 先輩に空を飛べる相棒(フラミー)を貸し出している。

 しかし、彼には、六刃との決着がつくのを待ち続けていた後輩がいる。

 

「アスタルテ」

 

 振り向かぬまま、自然、斜め後ろの立ち位置にいる人工生命体の少女を背中で呼ぶ。

 三歩前に出て、アスタルテがその隣りへ寄ると、

 

「先輩?」

 

「ちょっと耳を貸してくれ」

 

 クロウが顔を寄せて、形の良い耳に、ある言葉を囁いた。

 

「それ、は……」

 

「できるか?」

 

「……理論上は、可能です。しかし、わかりません。説明要求、それで一体何の意味が……?」

 

 アスタルテの回答は弱々しかった。

 その切ない声に、クロウが微笑する。

 

「今のオレひとりじゃ、できない……でも、アスタルテが協力してくれるなら、あいつを止められるのだ」

 

 人工生命体の少女が息を詰める。

 いつもの少年と変わらないのに、どうしようもなく惹きつけられて、忘れられなくなってしまうような―――そんな微笑だった。

 

命令受託(アクセプト)

 

 と、人工生命体の少女は後退した。

 なぜか、少年の横顔を見られなくなったからだ。

 

 

 

 第三真祖<混沌の皇女(ケイオスブライド)>は推察する。

 もし<焔光の夜伯>の『血の従者』の力を得れば、<黒妖犬>は再び『十三番目』に覚醒できるようになるだろう、と。

 

 

 

「預けてくれ」

 

 『首輪』を外して、露わとなったクロウの首を細い両手で抱くようにして背中に身を寄せるアスタルテ。

 

「預けてくれ、お前自身を」

 

「……与えます」

 

 人工生命体の少女の声が、獣王と唱和した。

 ひどく透き通った、静かな声音だった。

 その声を聞くだけで、クロウは少し楽にするように肩を下げる。

 

「このすべてを預けます。あなたに与えることこそが、私の喜びです」

 

 その言葉は、献身の極致であったか。

 ひどく重要な、重大な契約が、そこで成されたかのようで。

 柔らかな後輩の肢体に香る“匂い”を一体となるように纏い、少年は謳う。

 

 

「契約印ヲ解放スル―――」

 

 

 溢れ出す何かを抑えるように、少女はその背中により強く抱きつく。

 そして、熱に浮かれそうな意識を、すんでで繋ぎ止めながら、応答する。

 

 

「―――接続完了、供給開始」

 

 

 灼熱が、クロウの身体を駆け巡っている。

 二度目の経験。

 二度とはないだろうと思った感覚。

 その灼熱のうねりをこらえ、少年は拳を作る。

 いわば、『血の契約』を騙すがごとき所業である。

 本来、南宮クロウは『血の従者』ではない。しかしかつては仮初の疑似吸血鬼とされ、ラインは途切れていただけでまだ残っていた。

 今そこに、<焔光の夜伯>の『血の従者』であるアスタルテの魔術回路から『血の記憶』を『嗅覚過適応』により汲み上げることで、また疑似的に『血の従者』のラインを接続し、強引に“あの状態”に至らせんとする。

 

 

「<焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)>ノ血脈ヲ外レシ者、我ガ肉体ヲ汝ノ器トスル―――」

「―――付与せよ(エンチャント)、<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>」

 

 

 アスタルテが言いかけた通り、理論的にはともかく実際にできるかはわからない。天文学的な低さの成功率かもしれない。

 だが一度は至り、クロウの身体に回路は出来上がっているのだ。

 やってみせる。

 真祖の呪われた無限の“負”の生命力が注ぎ込まれ、まるで神経の一本ずつを舐め上げるかのような痛みが少年を苛んでいる。―――だけど、止めない。

 唇の端から泡が吹きこぼれ、がくがく、と大きく四肢が痙攣する―――しかし、その背に負っている。

 眼球が裏返りかけ、意識が途切れるのを必死で引き止める。―――そして、光が、世界を突き抜けた。

 

 

 

疾ク成レ(ヨミガエレ)、『十三番目』ノ眷獣、<蛇尾狼の暗緑(マルコシアス・テネブリス・ヴィリディ)>!」

 

 

 

 力が、集う。

 途轍もない質量を刹那に凝縮し、失われたカタチをここに再誕する。

 神狼を超える十数mの威容な巨躯を持つ、月の女神に仕える地獄最強の魔獣(マルコシアス)

 『炎の氷柱』の熱気と凍気の相反する力を放出する加速装置(ロケットブースター)を持ち、『血に飢えた魔狼(ブラッディウルフ)』の無限の力を循環させる巨体は、『蛇頭の龍尾』を生やす。

 

 そして、背中に、天使の如き虹色の大翼を展開している。

 

 

「―― __ ――  ̄ ̄ ―― __ ――」

 

 

 『虎に翼』の例えの通り、天使の翼を獲得した蛇尾狼は、世界最強の魔獣へ開戦の遠吠えを上げた。

 

 

 

つづく


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