ミックス・ブラッド   作:夜草

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黒の剣巫Ⅱ

青の楽園 執務室

 

 

 無用な殺戮も破壊も望んでなどいない。

 ただ現在の間違った世界を正したい。

 戦争暴力、人種差別、環境汚染―――今の世界にはあまりにも問題が多すぎる。その中でも特に許せないのは、魔獣に対する扱いだ。

 世界で絶滅の危機に瀕している魔獣は、一万種とも二万種とも言われている。にもかかわらず、人々は魔獣の生息地(なわばり)資源の恵み(しょくりょう)を奪い、駆除という名の虐殺を続けている。そのような非道が許されていいのか。

 傲り高ぶった人類の目を覚まさせて、魔獣との平和的な関係を築く。その崇高なる目的を成就させるために―――人類の10億や20億が死んでも、これまで人類が積み上げてきた屍の山に比べれば、大したものではない。

 

 人類と魔族の共存を実現した聖域条約を実現させるために、第一真祖<忘却の戦王(ロストウォーロード)>は世界中に凄まじい戦乱を巻き起こした。だが、その無数の犠牲を払った先に、魔族の権利を人類に認めさせることができたのだ。

 

 これから、自分がすることも、その歴史に倣うもの。

 

 こんな間違った世界を正すために神より選ばれた“王”として、虐げられている魔獣のために戦う。

 

 

 

「―――<黒妖犬>。いいや、現代の『獣王』よ。君も“王”として、世界の正義のために、この聖なる戦いに身を投じてみる気はないかい?」

 

 『魔獣庭園』、その研究区画の最深部にある執務室。

 部屋の主は、引き締まった体つきの、30代後半あたりの中年男性。白皙と鋭い眼光、高価なスーツを着て知的、だが人間味に欠けた印象を与える男。

 魔獣保護団体『クスキエリゼ』の創業者、久須木和臣。

 数多くの社員を使い捨てる一方で、有能な人材には年齢経歴を問わずに重要なポストにつかせるという、苛烈な能力主義者。

 そんな彼が一から己の思想を語り聞かせ、長広舌をふるって、自らの陣営に引き入れたいと思う相手は、そう優秀である。それがまだ、中等部の学校に通う少年であっても、だ。

 

「君の力は、こんな小さな島で収まっていいものじゃない。もっと、世界を相手に活躍させていくべきなんだ。それこそ、『獣王』の使命!」

 

 久須木がその手を差し出すは、厚着の少年――南宮クロウ。

 今日の魔獣監督の仕事が終わり、その報告する際に、この『魔獣庭園』の支配人である雇用主に直々に話があると呼ばれた。

 向こうは、クロウと二人きりの対談を望んでいたようで、傍に相方の人工生命体の少女アスタルテがついてることに表情に難色を示したけれど、そこは口にされなかった。

 言っては何であるが、今、久須木は、その飼い主を通して借りた使い魔を、飼い主に無断で引き抜こうとしている。いささか無作法な真似をしているのだ。そのやりとりを飼い主に密告す(ちく)るであろう、目と耳(アスタルテ)―――とはいえ、所詮は、『人間に従順な準魔族』であり、『獣王(クロウ)』を引き込んでしまえばどうとでもなると考えた。

 

「お前がウソ吐いてない。真剣なのはわかった」

 

 少年は、久須木の言葉に頷き―――いつもの台詞を口にする。

 

 

「オレは、ご主人の眷獣だ」

 

 

 だから、断る。

 

 

青の楽園 道中

 

 

「……先輩?」

 

 執務室を出て、森林エリアを往く道中、アスタルテの前を歩くクロウがふと立ち止まり、木々の隙間より垣間見えるその空を見上げる。

 狼のように天に向けて遠吠えするのではないかと思うくらいに、目一杯首を反らせて。

 そして、そこに触れようと手を伸ばす。踵を上げて、背伸びをして、一生懸命に、空へ。

 

「何をしてるのですか?」

 

「ん。こうやって、森から空を見るなんて久々な気がしてな」

 

「そう、ですか……」

 

 もう日が傾きかけている夕暮れ。

 やはり、『青の楽園』という中心部より離れた、『魔族特区』の端の新造の人工島で、魔獣たちの棲息する人里離れた環境に近くするよう調整された『魔獣庭園』だからか。街で視るものとは違って見える。時期的に月はなくとも、綺麗な星が見られるかもしれない。

 

「家だと屋上に行っても、街の光が多過ぎるから、この森とは―――」

 

 言い差して、クロウは言葉を止めた。

 気づいた。まず真っ先に思い浮かんだのが今の家で―――故郷の空を、思い出さなかったことを。

 

 故郷を出てから今まで、空を仰ぐときは、いつも無意識に森のそれと比べていた。

 一生、あの景色と比較していくことになると考えたこともある。

 少しずつ、島の生活に慣れていって、昔の生活と今の在り方とを、比較することのないように、努めてきた。でも、空は―――天蓋に抱く月だけは、一生忘れることができないだろう。

 そう、思っていた。

 しかし、今。

 頭上にある空と比べていたのは、絃神島での空だった。

 

 どこまでも澄みきっていて、刺さるように光が綺麗で、そして、手を伸ばせば、本当に届きそうだった、空じゃなく。

 

 色の淀んだ、光もくすんでいる、人間と魔族が行き交う、そして、『混血』の自分が住む街の、空だった。

 

「―――ああ、そうなのか」

 

 そのことに、クロウは少しショックを覚えた。

 またひとつ、現在に埋められたのだと気付いた、喜びが。

 またひとつ、過去を上書きされたと気付いてしまった、寂しさが。

 この胸を、叩いてくる。

 

 以前に故郷の森を訪れた時、自分でも驚くくらいにそこへ執着を持たず滞在することもなかった。むしろ、早く里帰りを終えらせて、皆の下に帰ろうとも思っていたのかもしれない。

 そのことを改めて自覚させられる。

 きっとあの景色を自分は鮮明に覚えてはいても、その記憶はどこか遠く――まるでセピア色の古い写真を引っ張り出して眺めているような、感じ。

 そう。

 あの景色は、もう、自分の原風景では、なくなってきている―――

 だから、あんな薄情なことが言えたのだろうか。

 

「………」

 

 どこか心配そうにこちらをじっと見つめる、人工生命体の少女の眼差しに、気付く。

 大丈夫、と言うように頷きながら、この心配性な後輩へ笑みを送る。

 

「……久須木会長の誘いの件、本当に、よかったのですか?」

 

「ん。さっきのことか? 別にご主人に連絡しなくていいぞあのくらい」

 

「いえ……」

 

 アスタルテは、この先輩が感傷に耽ったのは、先ほどのやり取りが原因なのかと察していた。

 人間に住処を奪われる魔獣たち。森で暮らしていた先輩には、他人事とは思えないものだったかもしれない。ならば、それを助けたいと思わないはずがない。アスタルテが見てきた、この先輩が。

 

「古城君を見て、思った。強大な力を振るうのって、ひとりじゃ荷が重すぎるのだ」

 

 監視役の少女がその罪を共に背負うと約束したからこそ、世界最強の力を振るうことができる。それから、クロウの先輩は変わっていっているのだと、また前に歩き出したのだとクロウは思う。

 

「だから、魔獣たちを絶滅から救おうってのは立派な考えだと思うけど、あの人の口は正義を気軽に語ってる……ん、前の『黒死皇派』ってやつらと同じで、何と言うか……酔ってる感じがしたのだ」

 

 肩を落とす。

 久須木会長は、『獣王』などと称してくれたけれども、北欧のルーカス王との対談で、自分は“王”ではないと知った、思い知らされた。

 南宮クロウは、“王”ではなく、

 

「誰が何と言おうと、オレは、怪物だ」

 

 俯いて、先ほど、空に伸ばしていた手を見る。

 

「オレは怖い。結局、力で壊すことでしか終わらせない。それでもうまくいってるから、これでいいんだ、って思ってしまうかもしれない未来のオレ自身が。そうなったら、この手を振るうことに何の迷いがなくなる―――この街で皆からもらったものを全部捨て去ってしまうのが、オレは怖い。生きるために、食べるために、守るために……それ以外の理由で見境なく壊す存在となってしまうのが、とても怖い」

 

 その言葉を聞いて、アスタルテはわずかに目を細めた。そして、

 

「……否定。先輩は、先輩です」

 

 その言葉に反論するように。三歩斜め後ろに下がった距離を詰めて、横に寄り添うように隣に立って。その白く小さな手で、先輩の手を、アスタルテは取った。

 その位置取りに正確で、常に慎み深く遠慮していたアスタルテが自ら動いたことにクロウは驚いたように目を瞬きさせると、珍しく積極性を見せた後輩へと、こちらも先輩風を吹かせようと指を一本立てて、

 

「う。アスタルテの先輩として、最近、知恵の輪で頭を賢くしてるんだけど、あれって簡単だな。どんな複雑な奴でも、ちょちょいのちょいって簡単に外しちゃうからなー。どうだ、アスタルテ、先輩の頭脳はIQ200なのだぞ」

 

「訂正。それは誇張です。先日、部屋の掃除をした際にそれと思しき物を発見しましたが、先輩は知恵の輪を壊しています。見え張り、査定-10点」

 

「うう!? とっておきの先輩アピールしたのに下がっちゃったぞ!? アスタルテの中でオレはいったいどんな評価なのだぁ!?」

 

「解答。加点式ですと+になりますが、減点式では-をいっている評価です。差し引きの平均点(アベレージ)は、40点」

 

「いいのか悪いのかますますわからないのだ~?」

 

 

青の楽園 エリュシオン コテージ

 

 

 結局、江口結瞳はこちらで引き取ることにした。

 浅葱が人工島管理公社のサーバーにハッキングをかけて、個人情報を洗ったところ、彼女は絃神市に住民登録されていない―――つまり、保護者とも連絡がつかない。

 登録魔族の台帳も調べたのだが、そこにも該当はなし。偽名と言うのならば話は別だが、この少女はウソを吐けるようなことは思えない。『青の楽園』は、本土からの観光者がいてもおかしくはなくて、そして、結瞳の言通り、誘拐されたというのが事実だとすれば、それは警察の仕事……

 けれど、これは“魔導犯罪者を取り締まる舞威姫”が関わっていた案件だ。一般の警察には手に負えない可能性がある。なので、獅子王機関に所属する剣巫にも話を聞いておこうと、古城たちが泊まるコテージへと連れてきた。

 古城に会ったことで緊張の糸が切れた結瞳は、今、浅葱と女子部屋にいる。

 

「お、帰ってきたか」

 

 そして、古城は雪菜たちが戻るまでに、風呂へ入り、潮風と汗と焼きそばのソースの匂いが染み付いた体を念入りに洗ってると、二人が帰ってきた。

 

「あ、古城君。先に帰ってたんだ。アルバイト、お疲れ様」

 

 玄関へ出迎えると、100点満点の笑みを浮かべる妹が挨拶をくれた。もう浮き風船をつけるのではないかと疑うくらいにその身体は軽やかに、ぴょんぴょんと跳ねてる。

 ここに来たときは古城に心配させるくらいのローテンションだったというのに、ずいぶんとご機嫌のようだ。よっぽど、ここのレジャー施設は楽しかったとみる。

 

「先輩、バイト、ご苦労様です」

 

「姫柊も凪沙の相手をしてくれて、疲れただろ?」

 

「えっと、楽しかったんですけど、遊園地エリアでジェットコースター三回連続は、流石に……」

 

「いやあ、さすがブルエリ名物の水中突入型コースター『ハデス』だよねぇ。高さ97mから海面に向かって時速180kmで落下するんだよ。すごい迫力だったよ」

 

「凪沙……昨年あたりまで入退院を繰り返してて体力に恵まれているわけでもないというのに、そんな無茶すんなよ」

 

 悪びれない凪沙に、大きく嘆息して古城が叱りつける。も、むーっ、と拗ねた仔猫のように頬を膨らませ、

 

「だって、せっかくタダ券があるんだし、たくさん乗らなきゃ損だと思って。ほら、古城君と別行動じゃプールに行っても、水着を見せる相手がいなくてつまんないでしょ。雪菜ちゃんもきっと心ではそう思ってるよ」

 

「え……?」

 

 思わぬとばっちり、それも図星を撃たれたか。咄嗟に何も言い返せずにその場で固まる雪菜。しかし、古城は凪沙の発言などあっさりと聞き流している。

 

「そんなことどうでもいいから、つか、凪沙は普通に水着になってるじゃねーか」

 

「いや別に水着でいるのはおかしい話じゃないよ。結構濡れるアトラクションばっかりだったし」

 

 ……何か、誤魔化されてるような気がしないでもないが、しかし、凪沙は離したい。できれば、雪菜だけに結瞳をまず会わせたい。

 

「そんなことはどうでもいい、ですか……そうですか」

 

 なんだか監視役の瞳の色が急に色褪せているような気がしないでもないけれど。

 彼女にとって、舞威姫の紗矢華は姉妹同然の元ルームメイト。その紗矢華が危険な目に遭っているかもしれず、この話を伝えれば取り乱すことはなく振るまえてもきっと動揺する。

 さて、どうやって疑われず、自然な言い訳で、凪沙を外すか……

 

「お招きにあずかります」

 

 一定調子の声。藍色の髪を流す、メイド水着な人工生命体の少女と、銀髪碧眼で青色のジャージに短パン、マフラーに帽子とマスクをつけた中等部の聖女が、雪菜たちの後から現れた。

 

「お、アスタルテに叶瀬。来てくれたのか」

 

「肯定。教官より残業はしないよう言いつけられていましたので、定時で終わらせました」

 

 アスタルテは、この『青の楽園』より仕事を依頼され、絃神島の特区警備隊と連絡が付ける。最悪、担任の那月ちゃんの手を借りる事態になるかもしれないし、是非、彼女にも話を聞いてもらいたい。

 ―――ポン、と内心で両手を叩く古城。

 

「そうか、お客様なんだし、ここではゆっくりしてってくれよアスタルテ。あ、それで風邪は大丈夫なのか叶瀬?」

 

 コクコク。

 

「だったら、風呂に入ってさっぱりと汗を流してこい。―――凪沙」

 

「え? なに古城君?」

 

「お前、コテージの浴室のあるとこわかってるだろ」

 

 この……

 

「ちょっと叶瀬を案内して、そのまま凪沙も一緒に入っちまえよ」

 

 知らずのうちに自殺点(オウンゴール)を決めたかのような暁古城の思い付きのおかげで……

 

「風邪引いてる叶瀬のヘルパーさんがいた方が安心するし。二人くらいなら浴槽も大丈夫だしな」

 

 第一王女からの『影武者』ミッションの難易度がハードから、『バレたら真祖と戦争(ケンカ)』のヘルモードに突入した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 確かに、“夏音が”風邪を引いているのなら一緒に風呂に入るのも自分から率先してやっている。これは兄なりの気遣いであって、妹だから頼めたことなのだろう。

 納得する。

 彼の仕事は北欧の王女様からの極秘任務。それもこの成功のいかんによって、これまで顔を合わせたことがなかった父と娘の対面がかかっている。だから、バレるのはなるべく避けたい。

 理解している。

 ただ……

 きっと、すぐに真相を明かしてこちら側に引き入れてれば、こうはならなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

 ……うん、割とすぐ、首を縦に振って、了承しちゃったけど。

 

 

 

 やって、きた。

 どこへ、と問われれば、答えはコテージの奥だった。

 凪沙が夢遊病のようにふらつきつつも夏音――いや、もうクロウと変換する――を連れて、一緒に入ったのは脱衣所。隣接してる浴室は曇りガラスの戸で仕切られている。……うん、細部はモザイクがかかって見れなくとも、シルエットとか肌色は見えるだろう。むしろ中途半端に見える方が色々と生々しいのではないか。でも、こうして一緒に入った以上、出るとき別々だったら怪しまれる。風邪引きという設定の親友を追い出すのも、置いていくのも問題だ。

 

 だから、この場を切り抜けるには、片方が浴室に入ってる間は、脱衣所で目隠しして待機するというやり方で交互にやる。

 それしかない!

 

「今のクロウ君は夏音ちゃんだけど、流石に一緒にお風呂はダメだよね……? 勝手とは思うけど、こっちを向いちゃダメ!! 風呂から出てもあたしが良いって言うまで動くのも禁止! 女の子の裸は絶対に視界に入れない!!」

 

「わかってるぞ、女子が風呂に入ってるときは、男子が入っちゃダメってのは、『波籠院フェスタ』の前夜祭で姫柊に教わった。面倒だけど、そう言うのがエチケットってやつなんだろ」

 

 と、クロウは、入ってきた脱衣所の扉の真ん前で相対するようあっさり背を向けるとバスタオルを目元に覆い隠して巻き付けてしまった。

 しばしその後ろ姿に睨みを利かせている凪沙だったが、彼がこちらを振り返る様子はない。

 と言うか、まったくない。

 あっさりし過ぎている。

 

 ………

 ………

 ………

 

 ポカッ!!

 

「!? な、何だ凪沙ちゃん、いきなりオレの頭ひっぱたいて……あう、また!?」

 

 ポカポカッ!!

 

「クロウ君、あたしは別に、覗きとか混浴とか言う痴漢行為を一切容認するつもりはないんだよ……………まだ」

 

「だから、オレはしないのだ。ちゃんと約束守るぞ」

 

「約束を守ってくれるのはいいことだよ。それにしても、こう……ね! いろいろあるんだよ女の子には! バーベキューで、残った野菜の芯みたいに見向きもせずに放置するのはダメなの!」

 

「う。オレ、ちゃんと野菜は芯も残さずバリバリ食べるのだ。嫌いなものなんてないぞ」

 

「だったら、もっと残念がらないとダメ! 男の子なんだから、ちょっとは興味を持って! もう古城君だったら、絶対そわそわして、こっち覗いてるよ!」

 

 わりと理不尽なことを言っている(兄にも)のは理解してても、今は女友達の彼の頭を、真っ赤な顔でポカポカと軽く太鼓打ちみたいに連打するのがやめられない凪沙。

 

「落ち着くのだ、凪沙ちゃん!? 何か言ってること支離滅裂でよくわからんけど、オレ、絶対に見ないから、安心するといいぞ」

 

「ぐずっ……ひっく……」

 

「うー? どうした、どこか痛いのか、もしかして胸とか打ったのか!?」

 

「わああーん! クロウ君の馬鹿っ! 朴念仁っ! 古城君っ! 凪沙だって脱いだらすごいんだからねー!」

 

 と止めを刺されたように、泣きながら浴室へ入った凪沙。

 その後、水着姿で浴室へ入った凪沙は、パッパッとシャワーだけ……と、それは何か逃げてる気がして、乙女のプライド的に負けられない事情でできなかった。こうなったら意地でも反応させたい。

 

 ――まずちゃんと、念入りに肉体を洗い

 ――時折、脱衣所の方を窺いながら

 ――しっかり髪の手入れもして

 ――ちらっと戸を開けて覗いても背を向けたまま不動

 ――浴槽に肩まで入り、脱衣所にまで聞こえる大声で十を数えて

 ――でも、それはフェイントで三秒のところでそっと浴槽を出て戸に耳を当てて

 ――『う、なんか良い匂いがする』と一人言にドキッとし

 ――思い切って、またこっそり戸を開けてみると

 ――『今日はバーベキューなのだ♪』と脱衣所扉の向こうへ鼻をスンスンさせる彼

 ――もう、イラッときてシャンプーボトルを朴念仁の頭に投げつけてやった。

 

 状況は、もうカオス。

 だいぶ騒いでるのだが、二階の方も二階で、ズバリ妹の言通りに古城が浅葱と結瞳の着替え途中をばったり覗いてしまうハプニングがあったりして気づかれなかった。

 

 凪沙が泣き疲れたようなダミ声で『い゛い゛よ゛』と、夕ご飯に想いを馳せるに夢中だったクロウが振り返った時にはもうなんか体育座りしてて、ほんとうにどうしたのかと心配したのだが、何故かそれ以上クロウが追打ちする(声をかける)のは憚れた。

 それから、その厚着装備を全解除してクロウも浴室へと入るのだが、カラスの行水とばかりにシャワーだけであっさり済ませて、泣き崩れてる凪沙が何かアクションを起こす暇はなく、初めての二人のお風呂はまったくもって健全のまま終わった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 夕飯は、バーベキューだった。

 コテージの庭に設えてあったバーベキューコンロで、今日単独行動していた(宣伝用の写真のため園内を撮り回っていた)矢瀬が大量に買ってきた生肉を焼く。

 

「ひゃほおお! 肉だ、肉だァ!」

 

 ハイテンションに騒ぐ悪友は、炭火係兼焼き係の古城の隣で、焼き上がった肉をこれ見よがしにがつがつと噛み千切りながら

 

「喰ってるか、古城。俺様が調達してきてやったゴージャスな高級生肉だぜ!」

 

「うるせーな、喰ってるよ! お前も少しは焼くのを手伝えよ! 熱ィんだよ! ていうか、何が高級生肉だ……思いっきり特売タイムセールのシールが貼ってあるじゃねぇかよ」

 

 本当にこいつは金持ちの御曹司なのか、と疑惑の眼差しを向けつつ、古城は空いた鉄板のスペースに新たな具材を載せていく。高級生肉(お得品)だけでなく、アスタルテが持ってきてくれた土産。クーラボックスいっぱいに買ってきた(または狩ってきたか)新鮮な魚貝類もあるのだ(ちなみに、後輩(クロウ)は、久しぶりの森での環境で心身リフレッシュしてて、もう帰ってきそうにないので、飯の用意はしておかなくていい、とアスタルテは言う)。

 海鮮系は生肉よりも火が通るまでに時間がかかるので、とにかく古城は団扇で炭をあおぐ。

 ……バイトで焼きそばを焼いたりと、リゾートプールに遊びに来たはずなのに、何で焼き専門な事ばかりやってるのだろうかと自問する古城。

 間近で浴びる炭火の熱は、こちらの日射に弱い肌を炙っては体力をすり減らしてくれる。

 しかし、古城はこの仕事を怠る余裕はない。何故ならば、

 

「お肉たっくさん食べておっきくなってやるんだからぁ―――古城君、おかわり!」

 

 なんかやけ食いしてる凪沙の食事を賄わなければならない。

 普段、彼女に食事を用意してもらっている兄としては、断りづらく、常に鉄板の上には自分のだけでなく妹の取り分を確保しておかねばらならない。

 

「おい、凪沙。あんまり食い過ぎると倒れるぞ」

 

「早くお子様体型を脱しないとダメなの古城君。とにかく今は体重なんて気にせず脂肪をつける。深森ちゃんみたいにおっきくならないとぉ……!」

 

 嗜めようとするのだが、メラメラと燃える妹が鎮火する気配はない。

 今日の妹のテンションは変動がやけに激しい。

 

「あの、凪沙お姉さん、もう少しお野菜も食べた方が良いと思います。お肉ばかりだと栄養バランスが良くないですから」

 

 そう声をかけたのは、可愛らしいワンピースに着替えた結瞳。

 体調も回復したようで、このバーベキューにも参加してる。一応、犯罪組織に攫われたとは紹介せず、『雪菜の友人(さやか)の連れで、連絡がつくまで預かる』という設定で通している(シスコンの(さが)で、ナンパしたのかと最初、悪友(やぜ)がほざいたが)。そして、凪沙は結瞳のことをいたく気に入っていて、こうしてやけ食いしながらも、彼女を片時も離そうとしない。末っ子であるところの凪沙にしてみれば、妹ができたみたいで嬉しくて仕方ないらしい。

 なので、この妹分の言葉は、兄の文句よりも効果的であった。

 

「う……しっかりしてるなあ。でも、そう言う結瞳ちゃんもニンジン残しちゃってるよね」

 

「それは……その、ニンジンだけは苦手なんです。すりおろしてカレーに入れてもらえると食べられるんですけど」

 

「か、可愛い……!」

 

 ちょっと意地悪く微笑んで指摘する凪沙に、バツ悪そうに俯きながら結瞳がその年相応の幼さを垣間見せる。しっかり者だと思いきやのこのギャップに、凪沙は目を輝かせて感動に打ち震えるよう……

 

「古城君、あたし今からカレー作る!」

「落ち着け。せめてカレーは明日の夕飯にしろ」

 

 精神的な疲労感に首を振りつつも、どうどうと興奮する妹を宥める古城。凪沙のことは結瞳がついてればまた元の元気な妹に戻るだろうと判断。

 して……

 

「浅葱、肉、焼けてるぞ」

 

「……(ぷいっ)」

 

 声をかけた古城とは思い切り反対方向へ向いてみせる浅葱。ベンチの端に座る彼女は、先ほどから全く食事に手を付けず、むっつりと海を眺めているだけ。時折、ううん、とちょっとわざとらしいくらいに声を上げて、悩ましく身体をくねらせるように身動ぎするも、それだけ。

 そんな態度をついに見かねて、古城は鉄板前の持ち場から離れて、浅葱の元に食器を届けることにした。

 

「これ、割り箸な。タレはこっちが甘口でそっちが中辛だから」

 

「ふん!」

 

 しかし、浅葱は無言で古城から箸を奪い、あっち行けとでも言いたげにまた反対方向へと向いてしまう。

 

「なんなんだよ、ったく」

 

「……まだ謝ってないんですか、さっきのこと」

 

 不満げに戻ってきた古城に、気遣うような口調で訊ねるは結瞳。

 そう。

 つい先ほど、浅葱と結瞳が着替え途中のところを女子部屋に、古城はノックもせずに入ってしまった。

 結瞳はほとんど着替えが終わっていて、後は頭からワンピースを被るだけのポーズで固まっていたが、浅葱の方は来ていた水着をちょうど脱ごうとしたタイミング。ビキニのブラを右手に持ち、左手だけで胸を隠す手ブラ状態。おかげで浅葱が蹴り飛ばした目覚まし時計を、古城は顔面シュートブロックしたのだが……それから何度謝っても彼女の機嫌が治ることはない。

 

「謝ったよ、何回も。なのにあいつ、いつまでも根に持ちやがって大人げねぇ」

 

「浅葱お姉さんは、本気で怒ってるわけじゃないと思いますけど。単に古城さんのフォローが下手なだけで」

 

「フォローって言われてもな……確かにノックしなかったのは悪かったけど、アイツだって部屋の鍵をかけ忘れてたんだし、俺に目覚まし時計をぶち込んでくれたんだからお相子じゃね?」

 

 納得いかん、と口を尖らせる男子高校生に、女子小学生は諭すように、

 

「そう言う態度がダメなんだと思います。あのとき浅葱お姉さんが着ていた水着、新品だったのに何も言ってあげませんでしたよね。今のお洋服だって何度も着替えてやっと選んだのに」

 

「……え? それって何か関係あるのか?」

 

 下半分しか着ていなかった水着にいったい何を言えというのだろうか。意味が解らず、真顔で訊き返す古城に、はあ、とあきれたように結瞳は深く溜息を吐いてしまう。そこに、ぽんと申し訳なさそうに肩に手を置いた凪沙。

 

「ごめんね。こういう“古城君みたいな朴念仁”に、乙女心ってのは全然わからないから。きっと精神年齢が小学生辺りで成長止まってるんだと思う」

 

「はい。本当に、なんか、残念です」

 

「お前らな……」

 

 二人から恨めしげな眼差しを向けられ、古城もふて腐れたように半眼となってしまうも、

 

「それと、着替えを見られたのは浅葱お姉さんだけじゃないんですけど」

 

「あ……えーと……す、すいませんでした。ごめんなさい」

 

「わかりました。許してあげます」

 

 そこは素直に頭を下げた古城に、結瞳は悪戯っぽくはにかむ。

 ……その目元は、まだ少し赤い。きっと泣きながら眠ってしまったのだろう。いくら大人ぶっていても、気丈に振る舞っていても、結瞳は子供で、その立場は今も確固としたものじゃない。

 古城の女子部屋生着替え乱入事件のせいで、彼女が監禁されていた事情について、未だ詳細を聞けていない。結瞳も、まだどう話していいか頭の中で整理がついていない状況のようだ。

 けれど、それでも何もやっていないわけではない。

 今、席を外している雪菜も、古城から借りた携帯で獅子王機関へ確認の連絡を取っており、また、アスタルテも教官(マスター)である国家攻魔官(みなみやなつき)の方に連絡をつけ―――

 

 

 ぎゅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉきゅるるるるるるるるるるるるぅぅぅぅうううううううっ!

 

 

 地獄の亡者の嘆きを思わせる、けたたましい音。

 

「な、なんだ、今のはっ!?」

 

「お腹の虫……でしょうか?」

 

 にしても、お腹の虫のレベルがすごい。

 こんな耳を塞ぎたくなるような悲鳴をどうやったらあげられる?

 音の発生源と思しき方へ向くと、人工生命体の少女を連れた、聖女がいた。

 

 

 

「(質問。先輩は、叶瀬夏音のイメージを落とすおつもりですか?)」

 

 いつものよりも、数度温度の低い冷たい声音の人工生命体の少女。

 先ほどから何やら機嫌が悪い後輩は、夏音(クロウ)に向ける目線は厳しく鋭い。もっとお淑やかにできないのかと。

 

「(そんなつもりはないぞ。でも、お腹が鳴るのは仕方ないのだ)」

 

 小声で言い訳を述べるクロウ。

 最初、バーベキューにウキウキだったクロウだが、アスタルテから別メニューを用意された。古城たちから風邪引きと気を遣われてることから、おかゆやバナナなど消化しやすく、胃にやさしいもの(もちろん女子の食事量で)。まったく腹にたまらないのである。皆がバーベキューに舌鼓を打つのを見ているしかない状況。

 育ち盛りであり、同居人が増えても南宮家のエンゲル係数の過半数を占める食いしん坊に、この状況はつらい。

 

「(助言(アトバイス)。一口の際に百ほど咀嚼をすれば満腹中枢が無理やりにでも刺激されます)」

「(バナナとかおかゆなんて噛み応えがないし、そんなに無理なのだ。肉が食べれなくても、もっと量が欲しいぞ。具体的にこれの10倍くらい要求する)」

「(不許可。叶瀬夏音の食事量は、これが適正です)」

 

 いつもならさりげなくフォローしてくれた後輩なのに。ちなみに、凪沙の方も、ふん、とそっぽを向かれてしまってる。事情を知ってるはずのアスタルテ、それに凪沙も、前回の立食パーティの時のように、こっそりと取り分けてくれることもない。

 取りつく島がなく、泣く泣く我慢するしかない。

 そう、状況はもうバラしてもいいような状況でなくなっているのだ。元々、この変装術式には、『こちらからネタバレしちゃダメですよ。これ、一応、アルディギアの魔導技術の機密情報が詰まってますから』と第一王女に制約が掛けられてはいたが、

 今更、『影武者』だとばれたら、『妹と風呂に入った』と知った<第四真祖>が戦争(ケンカ)を仕掛けてくる。

 

「(じゃあ、今からちょっと隠れてから夏音の『影武者』やめて、元のオレで登場すれば)」

「(却下。すでに<第四真祖>に、先輩は森で遊んで帰ってこないと説明してあります)」

「(アスタルテェ……)」

 

 やっぱり、普段より冷たい後輩に逃げ道までご丁寧に塞がれてしまってる。

 いったい、何か悪い事をしたのだろうか。

 男子の先輩後輩が悩みを共有する中で、おずおずと焼肉等が乗った皿が、夏音(クロウ)に差し出された。

 

「あの……よかったら、これ食べますか?」

 

「ああ、せっかくなんだし。少しくらいなら、叶瀬も食べても構わないだろ?」

 

 結瞳だ。それに、古城も。

 どうやら先ほどの腹の音は聞かなかったことにしてくれたらしい。

 後輩と級友から冷たくされたところで、ほろり、とその温かな優しさに涙が出そうなクロウ。

 

「ありがとう、なのでした」

 

 流石に、先輩管理役(アスタルテ)も、止めはしないようで、少量ながらも香ばしい肉の味に、夏音(クロウ)はプルプルと微振動。うまいぞー! と大声で叫ばないように堪えてるのだ。

 そんなところへ、おずおずと結瞳(メシア)が訊ねる。

 

「もしかして……夏音お姉さんが、私を助けてくれたんですか?」

 

「え、叶瀬が……?」

 

 意外と驚く古城。

 てっきり、先ほど『魔獣庭園』にて倒れた結瞳を救護室へと届けたとアスタルテから先ほどされた説明から、彼女が助けたのだと思っていた。

 

「え、と……よく覚えてないんですけど、でも、気を失う直前にお姉さんみたいな人影を見た気がして……」

 

 おぼろげながらも残っている記憶より、『湖の乙女』と称するような銀髪碧眼の容姿にジャージ姿は覚えてる。そして、ぎこちなく語尾に『でした』をつける癖も。魔獣から助けてくれた恩人『謎のハンターK』は―――

 

「ミス・江口。あなたを助けたのは、南宮クロウ先輩です。叶瀬夏音ではありません」

 

 ……ウソは、ついていない。

 基本的に人間に虚偽ができない人工生命体のアスタルテのきっぱりとした証言に、ああ、そうだよな、と古城は頷く。結瞳もやや残念そうに視線を落として、

 

「そう、でしたか……助けてくれたお礼がしたかったんですけど。あの、でしたら、その南宮クロウさんに、ありがとうございました、って伝えてもらえますか」

 

 うん、と結瞳の言葉に、夏音(クロウ)は、しっかりと頷いて見せた。

 

 

 

「それと、『謎のハンターK』ってのはやめた方が良いと思います。あれは、ちょっと子供っぽすぎるというか……」

 

「う、……恰好良く決めたつも「了承。先輩にはよく言い聞かせておきます」」

 

 しっかりと指摘もしておいた。

 

 

青の楽園 魔獣庭園

 

 

 姫柊雪菜が、獅子王機関絃神島出張所にいる師家様に確認を取ったところ、煌坂紗矢華の代わりの舞威姫は派遣されてはいない――つまり、紗矢華はまだ任務中であり、少なくとも生きていることは間違いない。

 呪詛や暗殺といった潜入工作を主な仕事とする舞威姫は任務中、通信の一切を禁止されているので、どんな目的で『青の楽園』に訪れたかは不明ではあるも、任務続行不能であるのなら、獅子王機関はすぐに公認の舞威姫を派遣するはずだ。逆に言えば、代わりが来ていないというのは、紗矢華が無事だと判断することもできる。

 

 しかし、ならば何故、紗矢華は江口結瞳を迎えに来ないのだろうか。

 絃神島に甚大な損害を与えた前科があり、<第四真祖>の力を暴走させれば、この『青の楽園』を跡形もなく海に沈めかねない暁古城に預けたまま……はっきり言って、魔導犯罪組織よりも、<第四真祖>の方が危険で、はた迷惑で、脅威度は高いはずなのに。それを巻き込むなんて、普通はありえない―――と監視役。

 それに、大手を振ってこの溺愛する元ルームメイトの雪菜に会える機会を紗矢華が逃すだろうか―――と第四真祖。

 となるとやはり、紗矢華には何か結瞳とは合流できない事情があるのだろう。想像以上に厄介な立場に置かれてる可能性が高い。

 

 そこまで推理したところで、結瞳がある証言をした。

 もしかしたら、お姉さんは、一緒に『クスキエリゼ』の研究所に閉じ込められていた莉琉を救い出そうとしているのかもしれない、と。

 

 

 

「ご主人からの許可は取ったんだなアスタルテ」

 

「肯定。教官(マスター)より、捜査権は取っておくので、“きな臭い”ところを洗え、とのこと」

 

「了解なのだ」

 

 『影武者』から元の姿へと戻ったクロウ、それにアスタルテのコンビがこの半日ほど職場としていた『魔獣庭園』――その関係者以外禁止区域である研究施設へと立ち入る。

 

 『クスキエリゼ』―――それは、この『魔獣庭園』の運営を担当する『青の楽園』の出資者。そう、クロウを雇い、そして、引き込もうとした久須木和臣が運営する、産業用魔獣の輸出入や繁殖を手がける会社だ。

 有名企業である故に、確実な証拠もなしには踏み込めない。だから、暗殺技能を持ち、組織的な国際魔導犯罪を対応する外事部の舞威姫が秘密裏に捜査をしていた。

 

 しかし、獅子王機関はその結瞳の身柄を保護していることを、剣巫の雪菜から報告されたにもかかわらず、静観している。きっと彼女の両親も心配しているだろうに。

 もしかすると、これは江口結瞳を囮にしているかもしれない。

 獅子王機関でも施設内に入り込むのが難しい。だから、『クスキエリゼ』が逃げ出した結瞳を取り返しに来るのを待っている。関係者が施設の外に出たところを、偶然に保護した剣巫が、彼らを小学生の拉致容疑で逮捕すればいい、と。

 けれど、それはあくまでも仮説であって、獅子王機関の事情だ。

 結瞳の姉である莉琉はまだ監禁されていて、危ない目に遭ってるかもしれない。なら、早く助けに行かないとまずいのではないか。

 

「ただし、被害は施設の20%以内に抑えるようにと教官より忠告されています」

 

「う……こんだけ広いんだし、一棟や二棟、ちょっとくらい壊しても20%以内になるのだ。たぶん」

 

「否定。建物一棟でも少しではすみません。重ねて先輩は注意を」

 

「う……わかったのだ」

 

 獅子王機関に属さない、魔導犯罪を取り締まる権限を持つ――正確には彼らの主人の国家攻魔官が――クロウとアスタルテが、『クスキエリゼ』へ。

 雪菜と古城らは結瞳の傍についてる。救助任務が与えられていない剣巫に、監視役を必要とされる存在自体が戦争そのものの四番目の真祖、それに結瞳を取り返しに刺客が送り込まれることも考えるとなると、彼らはそこに待機せざるを得ない。

 いわば、オフェンスをクロウとアスタルテが担当し、ディフェンスを古城と雪菜がするという役割分担である。

 

「んー……」

 

「先輩?」

 

「いやな。その江口莉琉って、江口のお姉さんなんだろ? だから、それと近しい“匂い”を探ってるんだけど……どうも、鼻に感じ(つか)ないのだ」

 

 江口結瞳を保護した地点より、彼女が逃げてきたその足跡の“匂い”を『嗅覚過適応(リーディング)』で辿る最中、クロウが訝しむようにそうアスタルテへと答える。

 

「ミス・江口の証言によると、シスター・莉琉は『クスキエリゼ』の実験に最初から協力的であったとのこと」

 

 その実験の内容こそ結瞳は語りたがらなかったけれども、研究者たちに必要なのは結瞳ではなく、莉琉であるらしい。互いに友好的であって、莉琉が自ら隠れていることも考慮に入れないとならないかもしれない。

 ―――であっても、魔術的な隠蔽を無視して現在地を割り出せる、標的捕捉率100%の<黒妖犬>の嗅覚から逃れることができるのだろうか?

 

「う。とにかく、江口が攫われてたとこに行ってみるのだ。そこなら、お姉さんの手掛かり(におい)があるぞ」

 

 

 

 ……さて、真剣(シリアス)な空気を醸し出しているが、現在、彼らの絵面は、『森の中で、厚着の少年が、メイド水着な藍色の髪の少女をおんぶしてる』と割とカオスだったりする。

 この魔獣が放し飼いされてる庭園を抜けるには体力が心許ない、それにここで逸れるのは危険だと判断して、アスタルテはクロウに背負われている。ちゃんとした理由がある。

 のだが、肌色の多い、体のラインにぴったりなレオタードとほぼ変わらない衣装で、製造されてから一年未満という人工生命体の――『人形師』が求む完美な人形であれと調整された――産毛も生えそろわない柔らかな肌が密着している。会話の際も、自然と耳元に息を吹きかけるような恰好で囁いている。

 背中に篭っていく体熱。それを擽ったそうに、わずかに体を揺らし、クロウは口を開く。

 

「アスタルテ……」

 

 名前だけ言って、そこで言い難そうに喉元のところに押しとどめた。

 その気にさせてくる態度に、アスタルテは言葉で先を促したりせず、じっと後頭部を見つめる。先輩の顔は、前を向いていてこちらからは見えない。もし接触に恥ずかしがっているようならばこちらもそれを意識してしまいそうで距離を置きたくなるだろう、それでも先輩の言葉ならば聞き逃したくないという欲求の天秤が平衡に釣り合い揺れる。

 天秤がどちらにも傾ききらぬまま、続きを口にする。

 

「お前、小さいな」

 

 頭にきました―――と一瞬、人工眷獣を召喚しかけて堪えたアスタルテ。

 

「間違った。お前、軽いな」

 

 一気に機嫌が下がった気配を察したか、すぐ訂正を入れるクロウ。

 どちらにせよ、この先輩はこちらの発育不良を言っているらしい。後輩は感情の温度の低下を持ち直すこともなく、つっけんどんな口調で、

 

「それが何か?」

 

「ちゃんとご飯食べるのだ」

 

 ここでようやく、先輩は説教してるのだとアスタルテは気づいた。

 

「さっき、バーベキューでほとんど食べてなかっただろ。オレと同じでおかゆと果物だけだったぞ」

 

 見られていた。いや、隣についていたのだからそれも当然なんだろうけれど、そこを意識されていた。かぁっと何故かそれを恥ずかしく思い、茹ったように頬が熱くなる。

 

「なんでなのだ?」

 

 夕食のバーベキュー。

 十人前以上あった高級生肉に、野菜やエリンギなどのキノコ類や先輩が軽く素潜り漁して採ってきた魚介類なども、結局、藍羽浅葱に大半を食されてしまった。スレンダーな見た目に反して大食いキャラな彼女なら、その程度の量を腹におさめるくらいわけないらしい(焼き係で古城はほとんど肉系を口にすることができなかった)。

 それとは対照的に、クロウの指摘通り、アスタルテは風邪引きの夏音(クロウ)と同じおかゆと果物だけしか口にしてなかった。

 クロウの追及に、しばらくの時間をおいてから、アスタルテは小さな声で答える。

 

「……先輩が、食べられませんでしたから」

 

「ん」

 

「……後輩(わたし)が、いただくわけにはいきません」

 

 嘆息するようにクロウは鼻を鳴らす。

 

「アスタルテは、頑固者だな。オレに気を遣わずに食べたいなら食べればいいのに」

 

 やれやれと肩をすくめられる。この普段ダメな先輩にそういう態度をとられると、む、と無感情ながらアスタルテはわずかに眉間の幅をしわ寄せて狭めてしまい、普段口にしないようなことを訊いてしまった。

 

「質問。先輩は、体が大きい方が好みなのですか?」

 

 口に出してしまってからは、もう後の祭りで、アスタルテは後頭部より、背中の肩甲骨あたりまで視線を下げて、口を閉ざす。

 そして、待つ。しばらく黙っていると、うーん、と考えるような唸り声を上げて、

 

「そうだな。アスタルテはもう少し体が大きくて重い方が安心するぞ」

 

 それは先輩にとっての異性の好みかどうかには入らないだろう。持ち運びのしやすさについて語ってるようで、こちらの思惑には掠りも―――

 

「でも、アスタルテをおぶってると小さくて軽いのに実感するな。男の人とは違う、女の子の身体って、華奢で、やわらかくて、何かいい匂いで……」

 

 目をつむり、その無垢な笑顔で感じたまま述べる。

 入力された医療系の知識で人体構造について把握している。そもそも男と女の体が違うのは当然のこと。この先輩も、こうして触れてると、細身ながら筋肉の塊だというのがよくわかる。それと比較すれば、人工生命体の肉体など華奢で、やわらかく、いい匂い―――そう、この無関心と思っていた先輩が語る。

 全身が熱いを通り越して、痛痒いに変わる。先ほどの混乱とは比べ物にならないくらいに、アスタルテの思考がぐるんぐるん空転する

 

「……努力します」

 

 言えたのは、この一言だけだった。

 

「じゃあ、そろそろ建物に入るしな。そこで下すぞ」

 

 江口結瞳が渡ってきたと思しき、幅10mほどの水路に行き着いた。『嗅覚過適応』は、水に濡れようが、“匂い”の記録そのものを嗅ぎ取ることができる。

 向こうには切断された――おそらく、舞威姫が逃げ道をつくるために、破壊された銀色の鉄格子。魔獣の逃走を防ぐためのシャッターがある。クロウならばそこへたどり着くのに、水路を泳がずとも、アスタルテを背負ったままでも、いわば水切りの原理で、その脚力の疾走で渡ってしまえることだろう。

 

「ちょっとだけ本気で走るからしっかりつかまってろよ」

 

 ぎゅっと振り落とされないように腕に力を入れる。ゴールを見据え、後輩は少しだけ残念に思った。

 ……もちろん。

 何を残念に思ったのかは、気が付くほどの余裕はなかったけれど。

 

 

青の楽園 エリュシオン コテージ

 

 

 アスタルテ、それにクロウが、紗矢華と莉琉の捜索に『魔獣庭園』の研究施設へと向かい、そして古城は江口結瞳の傍について、雪菜とともに襲撃者の警戒にあたる―――といっても、ほとんどすることはなかった。

 バーベキューの後、叶瀬夏音はすぐに寝室へ休みにいったが、古城たちは花火をしたり、罰ゲーム付きのポーカーしたりと遊び続けた。後輩たちが仕事してるのに、遊ぶのは悪い気がしたが、古城と雪菜は彼らについていくことはできない。特区警備隊の捜査権限があるのは、担任の助手であるクロウとアスタルテだけであって、静観の構えを見せる獅子王機関に所属する剣巫と、真祖だけど男子高校生は勝手できないのだ。

 だから、防衛の役割をしっかりとこなす―――かつ、怪しまれないようにと、古城たちはみんなと遊んだ。

 遊んでいるうちに、夢中になり、そしてうっかり寝オチ。

 

「……ったく、やることないからって、気が緩みすぎたな」

 

 雪菜が、侵入者が立ち入った際にすぐ気づけるよう、警報を鳴らす式神をコテージの周囲に配置しているけど、寝てしまうのは油断だ。

 見れば、ソファには浅葱、凪沙に、そして、雪菜と女子組が熟睡。おそらく、先に寝た浅葱と凪沙に挟まれた雪菜は身動きが取れずに、寝息を子守唄に段々と意識が落ちてしまったんだろう。ずっと気を張り詰めていたのはわかるが、それだと疲れていざというときに力を発揮できなくなることだし、休めるときに休めていたのならそれは良い事だ。

 仲睦まじげに三人並んで眠っている、その妙にほのぼのとした雰囲気を壊さぬように、古城はエアコンの設定温度を少し上げてから、そっとリビングにあったブランケットを彼女たちにかけてやる。

 そして、欠伸を洩らしながらリビングから出て携帯を見るが、クロウ達とも、紗矢華とも連絡はない。時刻は午前3時過ぎ。最後に時計を見たのはもう短針は一周を回っていたので、3時間も寝てないだろう。

 

「でも、クロウ達は頑張ってんだ」

 

 うし喉も渇いたし、眠気覚ましのコーヒーでも飲むか、と廊下に出た古城は台所に向かおうとし―――その人影に気づく。

 

「……矢瀬?」

 

 二階で寝ている叶瀬夏音の小柄で華奢なシルエットではない、男子高生のもの。該当するのは、悪友しかいない。

 こいつも起きてたのか? と古城はこちらに近づいてくる短パン姿の悪友を眺める。

 

「……いな……さん」

 

 しかし、矢瀬からの返事はない。彼は、ぎこちなく唇を震わせて、何かを呟いてる、

 眉を顰める古城に、また一歩矢瀬は近づき―――そこでガバッと一気に両腕を大きく広げ、古城に跳びついてきた。

 

「緋稲さあああああん!」

「どわああああああっ!」

 

 いきなり絶叫を上げて襲い掛かってきた悪友。それに度肝を抜かれて硬直した古城は、押し倒された。

 明らかに寝ぼけているくせにその動作は機敏で、力ずくで押し倒した古城を抑え込む。

 確か、矢瀬の口から出てきた『緋稲』と言うのは、以前から、悪友が口説いていた年上の彼女の名前―――つまり、この野郎は、古城をその彼女と勘違いしてるのか。

 全身に鳥肌が立った。

 古城も必死に逃れようとするが、矢瀬は中々抱き着いた腰から離れない。

 

「ははっ、相変わらずつれないねぇ……だけど今日の俺は諦めない!」

「寝ぼけんな、この野郎! 起きろ! ってか、離れろ!」

 

 ここのところ同性愛疑惑に悩まされる古城は、これ以上の濡れ衣はごめんだと、矢瀬を思い切り突き飛ばした。

 ゴン、と勢い余って派手に吹っ飛んだ矢瀬の身体は、壁に激突。鈍い音を立て、そのままずるずると床に倒れ込む。

 ダメージがでかかったのか、起き上がってくる気配はない。

 

「だ、大丈夫か、矢瀬? すまん。だけど今のはお前も悪いだろ」

 

 心配して隣に屈みこんで様子を見る古城。しかし矢瀬はこちらに気づかず、唇を歪めて独り言のように呟いた。

 

「やられたぜ、畜生……精神、支配か……」

 

「お、おい、矢瀬?」

 

 古城がその意を問うも、矢瀬は答えることなく、前のめりに倒れて意識を失った。その力尽きたように眠るその顔は、苦悶に表情が歪んでいるよう。

 どうなってんだ、と困惑して古城は頭を抱える。眠気なんてもう完全に飛んだ。

 すわ敵襲か? しかし、雪菜が張っていた式神の警戒網に何の反応はないはず。あれば、彼女は飛び起きてるだろう。耳を澄ましても拾うのは、自分自身の心臓の音だけ―――

 

「―――先輩」

 

 唐突に背中から声を掛けられる。

 ビクゥ、と肩を震わせ、古城が振り返るとそこに、雪菜が気配もなく立っていた。

 

「ひ、姫柊、起きてたのか……!」

 

 矢瀬が最後に呟いた、精神支配、という言葉。

 もしやこの怪奇現象は奇襲によるものかもしれない。古城一人では手に余る事態だけれど、雪菜がいるのは大変心強い。先ほどの矢瀬の異変を見てたなら、何かに気づいて―――

 

「……先輩は、女の子より、男の子の方が良いんですか?」

 

 その声は、怒気のようなものが滲んでいるよう。聞き間違いか、と古城は改めて雪菜を窺う。逆光になった彼女の表情は見えない。だが、普段の物静かな雰囲気とは少し違うのがわかる。

 

「……姫柊?」

 

「やっぱり、先輩がクロウ君のことを……」

 

 ふらり、ふらり、と。メトロノームみたいに左右に身体を無造作に揺らしながら迫る雪菜。見上げてくる彼女の昏い瞳は、こちらともう30cmを切っており、それでも近づく。雰囲気に呑まれた古城は声を上擦らせて、

 

「は!? 何言ってんだ、姫柊。ふざけてる場合じゃないだろ!」

「誤魔化さないでください!」

 

「ええっ!? 俺が悪いのか!?」

 

 真顔で叱りつけてくる雪菜に、一瞬本気で悩む古城。

 そんな古城をさらに追い詰める雪菜は、間合いをゼロ距離に―――つまり、ピッタリと体を密着させた。

 

「先輩の監視役は私なんですよ。それなのに先輩は紗矢華さんや結瞳ちゃんのことばかり気にしたり、夏音ちゃんやアスタルテさんに優しくしたり、昼間はずっと藍羽先輩と二人でいちゃいちゃしたり……そして、矢瀬先輩とこんなところで……」

 

 寝起きと思しき雪菜は、かすかに甘い芳香を漂わせる。そして、薄いシャツ越しに伝わってくるやわらかな弾力に、露出される白い首筋。古城は思わず唾を呑む。

 

「姫柊、やっぱおまえなんか誤解して……」

 

「やっぱり、私ではだめなんですか……? 満足できませんか……?」

 

「いや、別に満足がどうとか、そういう問題じゃなくて……」

 

 なけなしの自制心を精一杯に働かせて、古城は雪菜の身体を引き剥がす。

 しかし、その対応はまずかった。

 

「不満ですか……そうですか……それなら監視役として先輩を殺して私も死ぬしか―――」

 

 大きな瞳に絶望の色を浮かべた雪菜はすっと右手を伸ばす。手に取るのは、壁に立てかけてあった黒いケース。海辺のリゾートで見かけても違和感ないようボディボード用の収納ケースにモデルチェンジした、入れ物。中身は、お馴染みの銀槍。

 『七式降魔突撃機槍(シユネーヴァルツァー)』―――真祖をも滅ぼし得る、獅子王機関の秘奥兵器だ。

 それを雪菜は、古城に突き出してきた。

 

「ば、馬鹿! こんなところで<雪霞狼>なんて持ち出したら……!」

 

 流石にもう、雪菜もまた矢瀬と同じように普通でない――異常状態に陥っていることに古城は気づいた。

 原因はわからない。しかし、無意識の欲望が暴走しているようだと見る。雪菜が普段から心の奥底で、こんな心中も辞さない破滅的なストーカー思想に染まっていたとすれば、それはそれで怖いが……

 

 そして、槍から後ずさる古城を、背中から突然抱き着いてくる三人目。振り向けば、そこに弱々しく微笑みながら上目遣いでこちらを窺う、華やかな髪形の少女。

 

「何してるの、古城?」

 

「え!? 浅葱!?」

 

 こめかみに冷や汗を伝わせる古城。

 浅葱が今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。瞳に涙を盛り上げて、透明な滴を流れ落とす。普段の彼女のあり得ない反応に、わけのわからない罪悪感を覚えて古城は言葉をなくす。

 

「あたしに黙って、こんな時間に二人で何をしてるわけ」

 

 途切れ途切れにかすれた浅葱の言葉を拾い、彼女もまた何か誤解してると理解するもそれまで。古城は涙目の浅葱に迫られては、頼りなく首を振るしかない。

 

「いや、これは……なんというか、その」

 

「またあたしに内緒で姫柊さんといちゃつくの? やっぱりその子の方が良いんだ……」

 

「……え!?」

 

「あたしだって、頑張ったんだけどな……恥ずかしいことも、いっぱいしたし」

 

 古城の背中にしがみつく浅葱が俯いて、その全身が嗚咽するように震える。俯く彼女に、古城は天井を仰ぐ。

 浅葱までおかしくなってるのかよ!?

 

「あたし不安なんだよ……あんたが何も言わずにあたしを置いてどこか遠いところに行っちゃうんじゃないかって。あたしは、あんたが<第四真祖>とかわけのわからないものになる前からずっと……」

 

「あ、浅葱……」

 

 弱々しく古城の背中を叩いてくる浅葱。不器用であるも、暴走している彼女の無意識は気弱で幼く、これが本音ではないと頭で理解するも、古城は無碍に突き放すことはできずにされるがまま、サンドバック役に甘んじる。そして、そんな古城に、浅葱が耳元に何かを囁こうとした、そのとき―――銀槍が通る。

 

「そこまでです、藍羽先輩」

 

 そういう大切な告白は正気の時にどうぞ、と。

 雪菜が浅葱の首筋に仄かに光る銀槍の腹を押し当てる。

 瞬間、青白い火花が散ったかと思うと、浅葱は糸が切れたように頽れた。その弛緩して倒れ込む彼女を雪菜が横から抱き留める。

 

「ひ、姫柊……!?」

 

「藍羽先輩の精神支配を解除しました。たぶんこれで正気に戻ると思います」

 

 生真面目な口調に冷静さ、いつも通りの雪菜の雰囲気に、古城は涙が出てしまうくらいに安堵した。何があったかは知れないが、とにかく追い詰めすぎてヤバい状態からまともな状態に戻ってくれた。

 

「やっぱり誰かに操られたのか。姫柊の様子がおかしかったのものそのせいか」

 

「も、もちろんです。<雪霞狼>のおかげで解放されましたけど。ですから、さっきの言葉は決して私の本心とかではないですから。違いますから!」

 

「お、おう」

 

 不自然に強張らせた、脅迫めいた表情で雪菜に詰め寄られて、古城は慌てて首を縦に振る。槍を持つ手が震えるほどその力強い主張を前に、ハイ、以外の何が応えられようか。

 とにかく、雪菜が正気に戻って、浅葱を鎮めてくれたところで―――あとは、ひとり。

 

「古城……君……」

 

 異常体験も三度続けば、慣れるし、薄々予想がついた。

 古城に声をかけてきたのは、凪沙。普段の雰囲気とは微妙な差異はあるものの、ほとんど変わっていないような印象。されど、今にもどこかに飛び出していきそうで……

 ともあれ、古城は、お前もか、と気だるげに嘆息する。

 

「クロウ君が、いないの……近くにいるならすぐわかるのに……」

 

 兄としてはあまり聞きたくない妹の無意識を遮り、古城は頼む。

 

「姫柊、頼む」

 

「……はい」

 

 そこに緊急性がないと判断、また体力のない凪沙に気を遣ったか。

 槍を使わず、凪沙の鼻先に雪菜は手を伸ばす。一種の催眠術か。彼女が指を鳴らすと、凪沙の全身から力が抜ける。その身を古城が支え、ソファへと横たえらせる。浅葱もその隣に寝かせてやると、ひとまず、息が付けた。

 暴走の原因はわからないが、しばらく放置しておいても問題はないだろう。

 混乱から立ち直り、落ち着いたところで、古城が捜すあの少女―――

 

「ハァ……ハァ……」

 

 誰かの苦しげな呼吸音を、吸血鬼の聴覚が捉えた。

 響き続けるかすかな吐息へ。そこは、コテージの二階へと続く吹き抜けの階段で、そして、途中でおねむになり脱落した、サマードレス姿の小学生がその踊り場にぺたんと座り込んでいた。

 

「結瞳?」

 

「古、城……さん?」

 

 気づくも、荒い呼吸は止められないよう。汗に濡れる結瞳の表情は、体の奥底から込み上げる衝動に抗っているようで、吸血衝動に襲われた古城の姿に重なる。

 

「ダメ……です。古城さん……来ないで!」

 

「いや、でも……」

 

 明らかな不調異変が見て取れる結瞳を放置できない古城は階段に足をかけ―――そのとき、少女の頬が歪む。抑え切れず、堰を切って溢れ出る羞恥と恐怖に。

 

「いやあああっ―――! 見ないで……見ないでください……!」

 

 接近する古城から後ずさり距離を取る結瞳。スカートの下、その太腿の間から、細い蛇に似た何かが顔を出し、自らの意思を持つように痙攣する。

 尻尾。そう、黒く、細く、先端の尖った獣の尻尾。しかし、後輩の獣人化とは、違う。具体的なことは言えないが、何か別種のものだ。

 そして、それを古城と見た雪菜は、正体に気づいて瞠目し、

 

「まさか、結瞳さんは―――」

 

 

青の楽園 魔獣庭園 研究施設

 

 

 地下道を抜け、上に登る階段を進むと、その隠し通路は研究室に続いていて。さらに先を行くと、開けたホール――突き当りに暗い陰のかかった檻がある。

 

『―――やあ、来ると思ったよ『獣王』』

 

 ホールに踏み入った瞬間、まるで校内放送か何かのように、建物のあちこちから同時に増幅された男の声――久須木和臣の嘲笑が響く。

 

「『クスキエリゼ』会長久須木和臣に、オマエに『トゥルーアーク』の出資者の容疑がかかっている。特区警備隊(アイランドガード)で立ち入り検査させてもらうぞ」

 

 研究所へ向かう前、先輩の藍羽浅葱に調べてもらった。

 『トゥルーアーク』――自称・環境保護団体。

 その実体は、環境保護活動を名目に破壊工作を行うエコテロリスト集団。魔獣保護を謳い、学術調査船を襲撃したり、魔獣対策用の防護柵を破壊したり、人里を襲う魔獣の駆除を邪魔したり―――そのすべてが犯罪行為。

 それを、魔獣を売り買いする『クスキエリゼ』の会長で、『魔獣庭園』の(オーナー)が援助している。

 

『幼いころから求め続けていた夢に、ようやく手が届くところまで来たんだ。邪魔はされたくないな』

 

「オマエがしたい理想(もの)は間違ってなくとも、そのやり方はおかしい」

 

 絶滅寸前の魔獣の保護は、意味のある行動だ。しかし、その目的のためなら何をしても許されるわけではない。魔獣を護るために人間を襲うなど論外で、ましてや、『クスキエリゼ』はその魔獣を捕獲して売り捌いたり、研究に使っている。

 それがテロ活動を支援するのは恐ろしく身勝手であり、論理が破綻している。

 正義という光に目が眩み、思想と行動が矛盾してることに気付かない、過激な魔獣保護主義者―――それが、久須木和臣の正体である。

 

『『燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや』―――小さな者に、大いなる王の思想を理解するというのは無理な話だ』

 

 独裁者のような口調で演説する久須木に、クロウは低い声で絞り出すように、告げる。

 

「オレには、やっぱりピンと来ない。でも、オマエは『黒死皇派』と同じだな」

 

『はは、あのような“負け犬”とは一緒にしないでくれたまえ。今日、私は“最強”を手に入れ、世界を制するのだから』

 

 パンパン、とスピーカーの向こうで、久須木は手を叩いた。

 

『“協力者(パートナー)”から、『獣王』を引き入れるようにと進言されていたが、私は考えを改めた。

 ―――“王”はやはり、一人だけでいい』

 

 ホールの照明が付けられ、檻が、開かれる。

 

予約(アポ)もなく、夜分遅くに訪れてくれたようだが、こちらは歓待の準備は済んでいる。

 ―――我が社の最高傑作を、『獣王』に披露するとしよう』

 

 中にいたのは、醜悪なゴツゴツとした体殻を持つ、魔獣。

 ホールを、激しい震動が揺るがした。

 この巨大な魔獣が、目覚める―――

 

『『淫欲』を司るとされる魔獣キマイラしかり、この国でいう鵺しかり、複数の遺伝子を持つ合成魔獣は存在する。そして、これは研究機関が、冬眠中のところを採取した『蛇』の細胞に、複数の魔獣の遺伝子を人工的に合体させた、いわば、“『蛇』の仔”だ』

 

 大きくホールを震動させるのは、覚醒から発散される魔力の波動。

 

『あまりの凶暴さに莉琉でなければ手が付けられなかったが、それも解決した。今では私の意のままに従わせられる』

 

 明らかになるその全容、

 雄々しい獅子の鬣と牡牛の角を生やした頭部、亀の甲羅に鋭い背ビレ、山猫の上半身、六本の足に蠍のような長い尾を持った、半獣半魚の竜。

 その咢が、侵入者(クロウ)らに向け、大きく開かれて、

 

 

『さあ起きろ。神々が生み出した最強の獣、その因子をもって人の手で創り上げた“王”の先兵――<タラスク>よ!』

 

 

 瞬間、獣化し銀人狼となったクロウが、アスタルテの前に飛び込んだ。

 爆発が起きた―――アスタルテが認識できたのは、ただそれだけだった。

 視界が真っ白に染まる直前に見えたもの、ホールに敷かれていた鋼板床。半獣半魚の竜を中心にすべてが歪み、捲れ上がっては吹き飛んだ。激しい衝撃に突き飛ばされ、前後左右の感覚が吹き飛ばされる。

 天地を激震させるような咆哮が、施設を突き抜けていた。

 それを生身で受けた銀人狼は、苦しげに歯を食いしばり、その顔面を血で真っ赤に染めている。対して、アスタルテは、ほぼ無傷。それはまさに、人工生命体の少女と半獣半魚の竜の間にいる銀人狼が彼女を庇ったためだろう。

 

「先輩―――!」

「アスタルテ。この“匂い”、あれと同じだ。あいつは―――」

 

 駆け寄ろうとする後輩を、背中より発する威だけで押し留める。そして、アスタルテにだけ聞こえるような、か細い声で今気づいた何かを呟く。その内容に、アスタルテの瞳がわずかに見開く。

 

「―――だから、作ってくれ。できるな?」

 

 その疑問ではない、“確認”に、一呼吸の間をおかずに首肯を返した。

 

命令受託(アクセプト)―――」

 

 来た道に引き返すアスタルテ―――そこへ、さらなる咆哮。解放の(とき)の声。

 だが大地震のような震動がホールを包むことはなかった。

 

 わんっ!!!!!! と。

 同時に銀人狼の人越の腹式呼吸からの発生、その逆位相の音で迎え撃たれて相殺。

 音に音をぶつけて消滅させる、つまりノイズキャンセリングならぬボイスキャンセリング。

 

「オレが遊んでやるから、あまり建物を壊してくれるな。ご主人に怒られるのだ」

 

 人の手でつくられ、人の手がつけられない合成魔獣。

 それをたったひとりで対峙する―――その様に、スピーカーから失笑が飛んだ。

 

『そうか。<タラスク>から、あの人工生命体(どうぐ)を逃がすために殿を買って出るとはね。まったく、“王”のすることではないな』

 

「『燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや』―――だったけ? オマエに、オレの考えはどうやらわかんないみたいだな」

 

 挑発に、ギリッと歯を噛む軋音をスピーカーが拾う。

 

『<タラスク>、<黒妖犬>を喰らい、『獣王』の称号を奪うのだ!』

 

「『獣王』なんてものより、バーベキューの方がオレは全然欲しいけど。生憎、これはそう簡単にあげてやれるものじゃないのだ」

 

 

 

つづく

 

 

 

『仮面聖女ミラクル☆カノン♪』

 

 

 あるときは、彩海学園中等部に通うごく普通の女子生徒

 

 またあるときは、迷える野良猫たちに救いの手を差し伸べるシスター

 

 しかしその実体は、魔導師ケンセイによって、改造された『仮面聖女』―――

 

 

「悪・即・斬―――壬生狼(みぶろ)三番隊長『ミラクル☆カノン♪』! 見参なのでした!」

 

 

 そして、『仮面聖女』には頼れる仲間たちがいる

 

 

「来て、フラミー!」

 

「みー!」

 

 

 相棒のドラゴン

 

 

「変身お願いなのでした、ニーナ様」

 

「ちちんぷいぷいのぷい! カノンよ、『仮面聖女』になーれ」

 

 

 お助けフェアリー

 

 

 しかし………

 

 

「さあ、皆の(心臓)をこの高貴なる純血の私に捧げなさい! おーっほっほっほ!」

 

 

 悪の結社『獄魔館』の幹部カルアナ!

 

 

「愛を知らない哀しき魔族に慈悲を―――我が左手より迸れ、聖なる(つるぎ)!」

 

 

 でも、『仮面聖女』は絶対に負けない!

 

 

「へ、それ―――ヴェルンド・システム!? 食らったらマズい―――いや、マジでやば―――」

 

「―――鉄拳聖砕カノン♪ブレード!」

 

 

 

 

 

「………どうですか、お父様、お母様。わたくしが絃神島で起こそうと思ってるアルディギアの宣伝企画(プロデュース)なのですが」

 

 雪原を思わせる銀髪と、氷河の煌めきにも似た水色の瞳。『美の女神(フレイヤ)の再来』とも讃えられる少女。北欧アルディギア王家の第一王女ラ=フォリア=リハヴァイン。

 その彼女――アルディギアの外交担当を任せている娘が、ここのところ頻繁に出かけてくる極東の『魔族特区』絃神島で撮ってきたという映像を見せられて、北欧アルディギア現国王ルーカス=リハヴァインは危うく手にしていたカップを落としかけた、

 

「ら、ラフォリア……これは、夏音なのか?」

 

「いいえ、お父様。彼――いえ、彼女は『仮面聖女ミラクル☆カノン♪』です。決して、叶瀬夏音ではありません。お間違いのなく」

 

「ならば、いったい誰が……!」

 

「この手のものは夢を壊さぬよう、正体をみんなに秘密するのが、お約束です。ええ、貸出許可を取る際、その主人から『絶対にサーヴァントだとバラすな』ときつく言いつけられていますので。ちなみにCG等は一切使っていない、リアルなファンタジックアクションが売りです」

 

 それは、わかっている。仮にも王座に就く者として、見間違いようがない。長い歴史に研鑽された我が国の優れたる魔導技術、それも対魔族兵装がド派手な演出で披露されている。いい宣伝になることだろう。いろいろと。色々と注意が必要であると言ってやらねばなるまい。

 特に、この映像の主役の立ち位置で、白い獣竜を乗り回したり、魔族を素手喧嘩(ステゴロ)殺法でやっつけたりした、娘と妻にそっくりな少女……目元だけを隠す猫をモチーフにしたと思われる仮面をつけてたけど、普通にわかる。バレバレだ。しかし、娘が頑なに否定するということは別の人物―――まさか、隠し子は夏音だけではなかったというのか!?

 思考そこに至り、動揺する現国王。わなわなとそのクマのような強面を両手で覆う。しかし、そんな夫を他所に、いつになく真剣な表情で視聴していたアルディギア王妃ポリフォニア=リハヴァインは、ここでその重い口を開いた。

 

「ラ=フォリア」

 

「はい、お母様」

 

「先ほどの場面、戦術面での優位性は評価しますが、敵前での装備の換装は無防備が過ぎるのでは? 相手がそれを悠長に待ってくれるとは思えません」

 

「問題ありません。この場合の変身は、単純な装備の換装ではなく、物質変換の一種――錬金術によるものです」

 

「なるほど、シスター服から、『仮面聖女』になるとき、『ミラクル☆カノン♪』の衣服は消滅しているわけではなく、形状を変化しているということなのね。それなら、一瞬で戦闘形態への換装が可能……しかし、それではその分の呪力の消費量が跳ね上がるのでは?」

 

「いいえ。予め変身の際の形状(スロット)を固定しておくことで、呪力の消費を抑えられます。ただ、要求される物質変換の精度を考えると、大錬金術師クラスの助力が必要になってきますが」

 

「ああ、それでお助けフェアリー・ニーナ様なのですね」

 

 納得。

 どうやら理解を得られた模様。現国王を表ではしっかりと立てながら、裏ではきっちりと入り婿な夫の幉を握る良妻賢母の王妃が認めれば、この企画も通ったも同然。

 

「ラ=フォリア。『仮面聖女ミラクル☆カノン♪』、楽しみにしてます」

 

「はい、お母様」

 

 

 

つづく


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