ミックス・ブラッド   作:夜草

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彩昂祭 夜の部

イトガミクエスト

 

 

 トウキョーの南方海上330km付近に浮かぶ、極東の『魔族特区』イトガミ。

 その機械仕掛けの巨大都市の中心に栄えるは、禍々しい漆黒の城塞、キーストーンゲートと呼ばれる魔王城。

 魔王城の下に眠る、巷で『あの御方』と畏れられるモグワイが禁書の力によって魔王と化し、このサイカイ学園より攫われたターコイズ姫がそこに囚われている……

 

 

「―――さあ、立ち上がるのだ勇者コジョー。冒険の夜は来たのだ!」

 

 

 ここまでのあらすじをナレーターしてくれた後輩に、勇者(真祖)コジョーが言えるのはひとつ。

 

「ダメだ。今イチ状況が把握できないんだが……」

 

「えー、何でなのだ古城君。すっごくわかりやすい説明したと思うぞー」

 

 片頬だけを膨らます不満顔を作るも、適当に売店でリンゴ飴でも買い与えてやれば、『西遊記』の舞台衣装のままカンフースーツの武闘家(獣王)クロウはそれを頬張りながらぴょんぴょんとご機嫌に跳ねてる。

 先ほどまでグロッキーだった後輩は、売店ゾーンを通り抜けた時にはすっかり元気を取り戻していた。出費はかなりデカかったが、美味しいものを食べると元気になる性格であった。

 

「本当に、ターコイズ姫、じゃなくて、浅葱があの城に連れて行かれたのか?」

 

 もうすぐ陽が落ち、『彩昂祭』の一日目がもう終わる直前。

 しかしながら、厄介ごとはまだ終わってないらしい。

 

「連れ去られたのは藍羽さんだけじゃないけどね」

 

「なに? それってどういうことなんだユウマ」

 

 黒いジャケットにルーズなネクタイ姿の、息を呑むほどに端整な男装少女な、魔法使い(魔女)ユウマが、勇者の疑問にお答えする。

 

「正確なことはわからないけど、藍羽さん以外にも攫われた人は大勢いるみたいだ」

 

「そうか……モグワイは魔力を使えないんだよな」

 

 そうだ、故に、<闇誓書>の起動に必要な魔力を確保するのが目的だろう。これまで魔力源であった<第四真祖>が目覚めてしまった今、その代用がなくてはこのような世界の書き換えは起こらないはずだ。

 

「たとえ<闇誓書>と融合したとしても、人工知能は<闇誓書>を動かす魔力を供給できない。逆を言えば、魔力源さえ調達できれば、<闇誓書>の力を引き出せるということでもあるけどね」

 

「……ってことは、やっぱりこれはモグワイが実体化させた世界ってことか」

 

 あの人工知能(モグワイ)は、一体何したいんだ?

 

 勇者コジョーは激しく困惑する。

 

 現実世界を所有者の思うがままに書き換えるのが、最悪の魔導書と呼ばれる<闇誓書>の力。その力で、人工知能は、島の中枢を魔王城へと変貌してしまった。

 とはいえ、現実世界が改竄されているのは、キーストーンゲートの周辺のみで、この学園を含めて、島の他区画に変化はなく、電力水道などのライフラインも問題ない。

 それに外観が変わる程度の異変など『魔族特区』の住人にしてみれば慣れっこで、交通網やインフラも普通に動いてるみたいだし、命にかかわるような実害がなければ普通にスルーしてしまえるので、パニックになってない。

 

「何をしたいのかはボクもわからない。人工知能が<闇誓書>に汚染されたこと自体、そもそも前代未聞の出来事だしね」

 

 今のところ人間に対して直接的な危害を加えてないのが幸いだ、と魔法使いユウマは肩をすくめる。

 

「ん? モグワイもお祭りで遊びたくなったんじゃないのか?」

 

 人工知能にそんな意思はあるのか、と武闘家クロウの意見に勇者コジョーは首を傾げる。

 とかく、モグワイの行動原理は不明であり、

 

「なんにしても、このまま放置しておくわけにもいきませんよね」

 

「そりゃまあ、そうなんだろうけどな」

 

 懺悔室手伝いでシスター服を着ている僧侶(剣巫)ユキナが、硬い表情で結論をまとめる。

 

 いくら実害がないとはいえ、それは現状に限った話。

 あの世界最高水準の人工知能の真の目的が謎である以上、あらゆる可能性を考慮に入れなくてはならず、となると将来的に<闇誓書>が人類の脅威になる恐れが出てくる。

 とはいえ、人工島を管理する五基のスーパーコンピューターの現身(アバター)である以上は、島外の環境では実態を維持することができないだろうし、それが足枷となり無制限に<闇誓書>が拡散することはないが。

 また、連れ去られた浅葱たちのこともある。事態がこれ以上ややこしくなる前に、魔王と化した人工知能を止めるべきだろう。

 

 

 

 さて、魔導書と融合した人工知能をどう対処するか。

 それに答えてくれたのは、

 四脚が破壊されたとはいえ、それで損失したのは兵装のみで、電子演算機能はほぼ無事な超小型有脚戦車を使い、コジョー達の支援をしてくれる『戦車乗り』の異名を持つ少女ハッカー――リディアーヌ=ディディエ。

 

『<闇誓書>に汚染される前のモグワイ殿のデータは、人工島管理公社にバックアップされてる筈でござる。故に現在動作中のモグワイ殿を強制終了(シャットダウン)をすることができれば、バックアップデータより汚染前のモグワイ殿を復旧(リストア)することができるでござる。然らば<闇誓書>のデータも自動的に消滅するでござろう』

 

 ようは、途中のセーブデータからゲームをやり直すようなものである。

 ただし、それをするにはやはり問題がある。

 

『ただ、先ほどから人工島管理公社のサーバーにハッキングを仕掛けているものの、防壁に阻まれて侵入できないのでござる』

 

 面目次第もござらぬ、と消沈するリディアーヌ。

 そう、<電子の女帝>と同業者に畏怖される天才的なハッカーの驚異的な能力は、幼いころから軍事企業で英才教育を受けたエリート・チャイルドをも凌駕する。

 その藍羽浅葱の力を利用、知識や経験を借りて、外からの侵入を防いでしまえば、こちらからの攻撃は通じない。

 だから、人工知能は、その主人の浅葱を攫って行ったのだろう。

 逆に言うと、囚われの女帝(ひめ)を救出できさえすれば、『戦車乗り』にまかせることができる。

 

 

 

 攫われた人質たちの追加報告。

 それを伝えてくれたのは、

 絃神島に在住している『聖環騎士団』と連絡を取り合ってくれた要撃騎士のユスティナ。

 

『連れ去られた者の中に、姫様に王妹殿下、それに舞威姫殿と、第四真祖殿の妹君も……』

 

 浅葱以外に誘拐されたのは、ラ=フォリア=リハヴァインに叶瀬夏音、煌坂紗矢華、そして、暁凪沙……

 <闇誓書>を起動するためのエネルギー確保のために、学園内にいた人々の中で突出して強大な霊力の持ち主であるラ=フォリアに紗矢華、夏音を攫った理由は解る。しかし、凪沙はそうではないはずだ。夏音と一緒にいたところを攫われたのか、そうでないとするのなら、何かしらの“悪意”があってのことか。そう、まるで古城たちの知り合いだけを、狙い澄まして連れ去ったとでもいうような。

 他にも被害者がいることも考慮に入れて、ユスティナは消息を絶った王女たちの痕跡を調査するために学園に残る。『聖環騎士団』の組織力を使えるのは、現状要撃騎士のユスティナだけで、

 またハッキングして人工知能を強制終了させようとするリディアーヌを恐れて、何かしらの妨害される可能性は高い。そうなると、有脚戦車の兵装を破壊されてほとんど無防備な少女への守護を固める必要が出てくる。

 もし、道中、姫様らを見つければくれぐれもよろしく頼む、と女騎士にコジョーらは頭を下げられた。

 

 

 

 して、

 

「どうやら、ここから先、空間制御系の魔術は封じられてるみたいだ」

 

 空間転移(テレポート)用の『(ゲート)』を開くような仕草をしながら、残念そうに首を振る魔法使いユウマ。

 

 眼前にあるのは、魔王城の麓にある深い森。

 魔女であるユウマ本来の能力ならば、全員を連れて一瞬で魔王城まで移動することもできるはずだが、ここから先は<闇誓書>の妨害があって、『門』が創りだせない。以前、叶瀬賢生が<監獄結界>には直接飛ぶことができず、その直前に『門』を設置するしかなかったように、ただでさえ高度な空間制御で、この<闇誓書>により異空間となり果てた場所を飛び越すのは無理らしい。

 

 近づく者を拒むような険しい断崖があり、どうやらキーストーンゲートへ行くにはこの“ダンジョン”を通ってこいと言うことなのだろう。

 

「嫌な予感がするね。ボクの気のせいかもしれないけど」

 

「気のせいじゃねーよ。どう見ても罠が仕掛けてますって気配ありありだろ」

 

「大丈夫。古城なら何とかなるよ」

 

 爽やかに微笑んでくれる幼馴染に、勇者コジョーはふてくされたように溜息を吐く。

 

「う。ここ、知ってる“匂い”がたくさんある。きっと攫われた人たちは森にいるんじゃないか?」

 

「でしたら、やはり森を通りましょう」

 

 武闘家に僧侶な後輩二人の意見もあって、この薄暗い茂みに足を踏み入れる。

 深い森と化したキーストーンゲート跡地は想像以上に不気味な場所だった。

 吸血鬼であるコジョーはもとより、霊視に優れたユキナもかなり夜目が利く。だが、そんな二人の目をもってしても、夜の森の中はほとんど見通せない。密集する木々の枝に加えて薄らと漂う夜霧が視界を遮る。しかもこれだけ魔力が充満していると、敵が隠れていても気配に気づけない。奇襲すれば、高確率で成功されてしまうだろう。

 けれど、視野だけでなく鼻もいい野生児に森は絶好のフィールド。深夜の捜索とのこともあって、念のためにユキナも懐中電灯を用意してきている。

 それで一応、少数とはいえ複数人での行動と言うことで、四人はフォーメーションを組んで動くことにした。

 

「じゃあ―――オレが先頭をやるぞ」

 

 と、武闘家クロウ。

 

「ちょっと“この霧が厄介”だけど、敵が潜んでても居場所を嗅ぎ分けるくらいはできるぞ。狩りの仕方も得意だけど、その逆の対処法も十八番なのだ」

 

「でしたら、前方はクロウ君に任せるとして―――私が殿を務めます」

 

 と、僧侶ユキナ。

 

「じゃあ、ユウマは、どうだ? 魔女ってのは夜目が効くものか?」

 

「まあ、普通の人よりは闇に慣れてると思うよ。でも、この中じゃ一番見えてないだろうね」

 

「だったら、ユウマはクロウの後についててくれ。俺がユウマの後について挟めば安心だろ?」

 

 結果、後輩を先頭にして、夜目の効かない人間のままのユウマを二番に置いて、コジョーが三番目で逸れぬよう彼女をクロウと挟むよう陣取り、殿をユキナに任せる。

 魔王城への道のりは、迷路のように蛇行する細い一本道のようだ。どんな罠が仕掛けられているか正直わかったものではない。

 クロウがしきりに鼻を鳴らしながら進む中で、古城たちも警戒を怠らない。

 すると、

 

「ん? なんかあるぞ」

 

 ひらけた場所に出るとそこに奇妙な人工物がお出迎えしてくれた。森の木々の代わりに立ちはだかるように、密集するこの四角い石の群は……

 

「これは、墓か?」

 

「みたいですね」

 

 見渡す限り、辺りに残骸と散らばるのは、無残に破壊された墓石。

 突然現れたのは、荒廃した古い墓地だ。周囲の雑草の伸び具合からして、放置されて数十年は経過してそうな具合で、中々に不気味。声と身を硬くしてしまう。

 

 人工知能が<闇誓書>で創り出したんだろうが、なぜこんな場所をわざわざとコジョーは訝り―――その墓石の背後に浮かぶ影を見た。

 

「―――っ!?」

 

「先輩?」

 

 全身を凍らせ、立ち竦むコジョーに最初に気づいたのは、そのすぐ後ろにいたユキナ。困惑の表情を浮かべる彼女に、コジョーは何も答えず、ただ目元を恐怖に歪めてる。

 

「どうしたんですか、先輩?」

 

「いや、そこの墓石の陰から、誰かが、俺たちを見ていたような気がして……」

 

 え? と驚いたように目を細めるユキナは、念のために持ってきていた懐中電灯を取り出すとコジョーが指差し方へ照らすも、そこに浮かぶのは、朽ち果てた卒塔婆と雑草。

 

「誰もいないみたいですけど……」

 

「だよな……悪い」

 

 真剣な対応をしてくれたユキナにコジョーは引き攣った笑みを返すしかなく、脅かしたことを詫びる。

 人の気配を察したと思ったのだが、単なる勘違いだったようだ。怖気ついていたつもりはないのだが、そう思われても仕方がない。

 コジョーは、そんな先輩として情けない気分で、落ち着きない視線を彷徨わせ―――今度こそ、確かにそれを目撃する。

 

「姫柊、後ろだっ!」

「え!?」

 

 怒鳴るような警告を発しながらコジョーに背後を指差されて、ユキナが銀槍を引き抜きながら弾かれたように振り返る。

 が、誰もいない。身構えた時には既にコジョーの見た人影は消えていた。

 それでもユキナは油断なく周囲を警戒してから、コジョーをジト目で見る。

 

「私の後が……何ですか……?」

 

「ま、待て……今、確かにそのへんに矢瀬がいたんだって……!」

 

 そう、矢瀬。矢瀬の幽霊をコジョーは見た。

 闇の中で一瞬だけ現れた人影は、間違いなく同級生の悪友。ただし、彼が身に着けていたのは血塗れの戦装束で、全身に折れた矢が刺さったままと言う壮絶な討ち死にした姿。まさに怪談で語られる『落ち武者』のイメージそのままだ。

 そう必死の形相で力説するコジョーなのだが、ユキナの半眼は変わらずこちらを責めるように睨めつけている。

 

「先輩。こんなときにふざけないでください」

 

「ウソじゃねェ! 今、確かに『落ち武者』姿の矢瀬がいたんだよ!」

 

「『落ち武者』の幽霊と言うことは、矢瀬先輩のご先祖ということなのでしょうか?」

 

「いや、そこはあまり重要なポイントではないと思う」

 

 冷ややかな疑惑の視線を向けてくるユキナに、コジョーはもどかしさを覚えつつ反論する。

 『落ち武者』と化した矢瀬に恨まれる理由は特に思いつかないが、何しろこの森は、一寸先は闇であり、何が起こるかわからない。油断大敵。そう、また―――ユキナの後に、矢瀬が、

 

「う、うおっ!? 姫柊、また後に矢瀬が!?」

 

 あまりにも生々しい『落ち武者』にたまらず悲鳴を上げてしまうコジョー。続けて何度もやられるとユキナも怯えるこの先輩へ呆れたように溜息を吐いてしまう。一応の義理で背後を確認するも、やっぱり誰もいない。

 

「先輩、もういい加減に―――――ひゃっ!?」

 

 振り返ろうとした瞬間、沿い太腿を撫でる、冷たく湿った感触。

 思わず、短い悲鳴を上げて、小さく飛び跳ねたユキナ。自分の太腿を見下し、表情を強張らせる彼女へ、コジョーはおそるおそる声をかける

 

「姫柊……?」

 

「まさか、先輩がイタズラしたわけじゃ、ないですよね?」

 

「いやいやいや!? そんなふざけたことするわけねーだろ!?」

 

「ですよね……でも、そしたら何が私の足を触って……」

 

「脚? そういえば、少し濡れてるな……」

 

 僧侶ユキナの前にしゃがみ込み、太腿を確認する勇者コジョー。その修道服、極力肌を隠す服だけれど、動きやすいようにスカートにスリットが入っている。そのちらりと見える白い肌が、しっとりと濡れて懐中電灯の光を反射している。

 ちょうど人間の掌が触れたように感じで、であると彼女は幽霊ではなく、物理的な刺激に反応したということに……

 

「そ、そんなにジロジロ見ないでくださ―――――ひゃうっ!?」

 

 確認作業を続けるコジョーに抗議しようとしたユキナが、また突然、電気に打たれたかのように背筋を仰け反らせたかと思うと悲鳴を上げる。

 

「っ、この―――!」

「うおっ、危ねっ!?」

 

 見えない悪戯魔に怯えたように僧侶は破魔の銀槍を振り回し―――それに巻き込まれ、前髪をはらりと斬りおとされた勇者は、青褪めながら地面に伏せる。しかしユキナはそちらを気にかける余裕はないようで、今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、

 

「こ、今度は背中に、何かヌルヌルしたものが……」

 

 それがよっぽど不快であったのか、やけに扇情的な動きで身をよじる僧侶。

 そんな涙目の訴えに勇者は、彼女の背後にゆっくりと回り込み、

 

「ヌルヌルしたものって……これか……?」

 

 彼女の首筋にあった物体。それは人の掌ほどの大きさの、ブヨブヨとした灰色の塊――スーパーで売られてる生の板コンニャクである。

 濡れたコンニャクを、目には見えないほどの細い釣り糸かなにかで、森の木の枝から吊り下げられていたのだ。

 おそらく、先ほどユキナの脚に触れたのも、別の木にぶら下がって板コンニャクだったろう。

 コジョーがそれを摘まんで見せてやると事情を把握したが、それでも混乱したようにユキナは首を傾げ、

 

「コ……コンニャク、ですか? で、でもいったいどうしてこんなものが……!?」

 

「あー、なんとなく話が読めてきたぜ」

 

「え?」

 

「モグワイは<闇誓書>の力を使って、今も忠実に浅葱のプログラムを実行してるんだよ」

 

 気怠く息を吐きながら、ぐったりとコジョーは項垂れる。

 

 <闇誓書>に汚染された人工知能だが、元々は『彩昂祭』で高等部一年B組の出し物でやる“お化け屋敷のために”呼び出されたのだ。それも、リアルな恐怖体験が最大の売り文句の。

 『魔族特区』の技術を応用した幻術投影サーバーによる、仮想現実大規模多人数(VRMMO)お化け屋敷。そのプログラムを担当したのがほかならぬ藍羽浅葱で、そして浅葱は『彩昂祭』の期間中、サーバーの維持管理を人工知能におまかせしていた。そう、<闇誓書>に汚染された人工知能に、だ。

 

「まさか、これはお化け屋敷……なんですか? この森も……?」

 

「森というより墓地なんだろ。肝試しの舞台にちょうどいいからな。で、あの城がお化け屋敷の本体ってわけだ。よく見ればそれっぽいデザインだぜ……」

 

 夜空にそびえる魔王城。

 怪物の顔を模した城壁のチープなデザインは、遊園地にある西洋風の『恐怖の館(ホーンテッドハウス)』にそっくりだ。

 こうして創り出された奇妙な森や城も、お化け屋敷を運営するプログラムに沿ったもので、多少はやり方に歪んでいるけれど、人工知能はあくまでも命令を忠実に実行しているのだ。

 

「これが『彩昂祭』の出し物の一部と言うことなら、市民に被害がなかった理由もわかりますね」

 

「だな」

 

 ユキナの言葉にコジョーも頷いて同意を示す。

 

「そう言うことなら、幽霊なんか気にしても仕方ないから先に進もうぜ。もちろん警戒するに越したことはないけどさ」

 

「そうですね。わかりました」

 

「じゃあ、クロウ、ユウマも………」

 

 あれ?

 そういえば―――コジョーが悲鳴を上げた時、前のふたりから反応はなかった。まったくこちらに気づいてないのか。

 ちらり、と前方を確認した。

 誰もいなかった。

 

「―――っ!?」

 

 前には誰もいない。

 

「な……なん―――」

 

「落ち着いてください、先輩」

 

 ユキナが、その存在をしかと伝えるよう、コジョーの手を取る。

 その体温に、少し落ち着いた。コジョーが落ち着いたところを見計らって、ユキナもその手を離す。

 しかし、いったいどうやってクロウとユウマもいきなりいなくなった?

 

「やられましたね」

 

「ああ」

 

 『落ち武者』やらコンニャクでこちらの注意を引いてる間に分断したんだろう。学園で何人か攫ったようだが、ここでそれが起きないとは限らない。

 何せ相手は自在に地の利を変更できる世界書き換えの<闇誓書>。

 それでも、これは敵ながら見事と、天晴と言うべきか。

 いつの間にか、四人が組んだフォーメーションは、完全に崩れ去ってしまっていた。

 

「まさか、俺たちに気づかせずに、二人も攫うなんてな」

 

「いえ、先輩。どちらかといえば、私たちの方が分断されたんでしょう」

 

 勇者に僧侶が指摘(ツッコミ)を入れる。

 ユキナがこれまで来たであろう方向を向いて、地面を指差した。

 そこのぬかるんだ地面に、あしあとがくっきり、はっきりと、残っていた。

 二人分だけ。

 勇者と僧侶の、二人分。

 

「……おそらく、この墓地に入ってから。そして、これまでの間、前のふたりがいないことに気づかないなんてことは、ありえません。だから―――分断されたのは、私たちじゃないかと、思います」

 

 どうやら、コジョーは油断していた。警戒するのが遅すぎた。

 『落ち武者』を見つけて動揺して、言うならば、精神的に隙だらけであった。

 そして、ユキナもまた、

 

「私も、恥ずかしながら……なんていうか、背後ばかりを気にしてましたので、前の方の意識は、先輩以外は……外していました」

 

 <第四真祖>の監視役としての癖が出てしまったらしい。

 

「にしたって、前を歩いてたとはいえ、あのクロウを気づかせないなんて、相当難しいもんだと思うんだが。どうやらこれはレベルが高いお化け屋敷みたいだな」

 

 流石は<電子の女帝>が組んだプログラムか。

 『恐怖の館』としては、安心してしまう大人数での行動は許さないらしい。カップル二人で回るのが基準だと。

 

「それで、どうします? 先輩」

 

「どうしますって……」

 

「今なら、まだそんなに時間も経過してないでしょうから、この足跡を逆に辿れば、あわよくば合流できるかもしれませんよ」

 

「うーん……」

 

 クロウもユウマも心配なら、コジョー達を探しててくれるだろう。

 しかし、あの二人は、なんというか、自分を過大に評価してる節がある。この森に入る前も『古城なら大丈夫』と幼馴染は笑みで太鼓判を押してくれるなど。

 そうなると、逸れてるのに気づいても同じように判断する可能性が高く、して、合流するのならこちらから動かないといけない。

 

「いや……」

 

 勇者は、逡巡した末、僧侶の案は採用しないことにした。

 

「目指す場所は同じなんだ。まっすぐ歩いていけば、すぐ合流すんだろ」

 

 そして、一度目を瞑って深呼吸をすると、もうこれ以上逸れてひとりにならないよう、改めて僧侶の手を取って―――やけに、それが先よりも冷たく感じられた。

 

「……姫柊?」

 

 違和感を覚えるコジョーの手を、僧侶がそっと握ってくる。

 修道服を着た小柄な少女だ。背中には黒いギターケース。コジョーの手を引いて歩き出した僧侶が、くすくすと笑いながら振り返り、見せた。

 

 目の鼻も口もない、つるりとした顔を―――

 

「うおおおっ!?」

 

 のっぺらぼうと化した僧侶に驚き、勇者はひとたまりもなく絶叫する。

 その突然の悲鳴にすぐ傍にいた本物のユキナも驚いて、周囲へ細心の警戒をしていたところを味方撃ち(フレンドリーファイア)で不意をやられて、たまらず彼女もまた悲鳴を。

 

「きゃあああっ!」

「どわあっ!」

 

 そして、予期せぬ方角から聴こえてきたユキナの叫びにまた、勇者が叫喚。

 昏く広大な森の中に、二人の悲鳴が反響していく―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「おー、コジョー君、こんな序盤で別れてしまうとは……」

 

 

 一方で前方二人組。

 分断されたが、勇者の予想通り、大して心配はしていなかった。

 

「どうするか? 古城君と姫柊を探すのか?」

 

「いや、いいんじゃないかな。むしろ二手に分かれた方が、この森にいる誘拐された子たちをより早く助け出せるかもしれない」

 

 武闘家クロウは、この殺意と言う強力な害意のない“匂い”から直感的に、これがさほど危機的なものでないと覚ってる。魔法使いユウマもまた勇者の『お化け屋敷の法則』を森に入る以前から推理はしており、その危険性は低い、と。

 けれど、この仕込まれた魔術に関しては、感心するほどのものとユウマは見ている。

 

「うー、この霧、なんか酒っぽい匂いだ」

 

「そうなのかい?」

 

「昼のユスティナの時みたいに、そこに誰かいるのは解るんだけど、それが誰なのかまでは解らないぞ。もっと嗅げばいいんだけど、そうするとなんか酔っちまいそうでなー」

 

 この白霧は、猟犬除けのアルコールが混ぜ込んである。

 『音響過適応』が、高周波に弱いように、『芳香過適応』もまた、酒気を漂わされるとその精度が落ちてしまうのだろう。

 病毒には真祖以上の絶対の耐性を持つクロウであるも、病毒ではないと認識されている酔いには、人間とさほど変わらない。あまりに吸い込むと酩酊状態に陥ってしまうことは、前回に反省している。元々、香水とか強烈な臭気を嗅ぎ続けると、悪酔いしたように気分が悪くなってしまう性質なのだ。

 そのため主人より『匂消し』の呪が施され、後輩に編み込まれた首巻をクロウは鼻に被せるように位置を調整する。

 

「どうやら、人工知能はボクの空間制御だけでなく、キミのことも警戒してるみたいだ。まあ、そう無理はしない方が良い。この森も、先ほどの夜の校舎と同じ設定で世界づくりされたものだろう。だから、ボクたちがパニックにならない限り、大きな怪我をするようなことはないさ」

 

「う。お化け屋敷ってヤツだな。入ったヤツをびっくりさせてくる……うー、また、ご主人の偽者が出てくるのは勘弁なのだ」

 

「はは、あれは南宮先生の名誉のためにボクは忘れておくつもりだけどね。まあ、このお化け屋敷はどうやらバラエティに富んでるみたいだし、エンターテインメントのアトラクションとして、二番煎じはないんじゃないかな」

 

 先ほど森の影からちらちらと幽鬼の影が揺らいでいるのだが、武闘家と魔法使いはさして気にしてない。敵意がないとわかってる以上、警戒はするが必要以上に驚いたりはしないのだろう。もうこれはお化け屋敷で騒ぐカップルと言うよりは、普通に森の中を散歩する犬と飼い主のようなもの。

 魔女として本物の悪魔怪物を見慣れてるユウマに、主人の魔女よりこれ以上に不気味な拷問器具が飾られた監獄の中にお仕置きで閉じ込められたおかげで鉄の心臓を持ってるクロウ。この面子を阿鼻叫喚させるものなど、そう滅多に……

 

「ん」

 

 ―――コジョー達と別れても止まらなかったクロウが、足を止めた。

 

 ユウマもそれに反応し、止まる。

 この先のひらけた場所、常夏の島で雪原と凍りついた世界に、ちょこんと佇む小さな影があった。

 真っ白な、死に装束と間違いかねない色彩の着物に、常にショートカット風に結い上げていたのを解いてその長い髪を流してる少女。

 木々はペキペキと奇怪なラップ音を発し始める。凍りついているのか、木の材質に変化があるのか。ただ彼女がそこにいるだけで、世界が悲鳴を上げている。

 

「まさか、凪沙ちゃん、なのか……」

 

 信じがたいと言外に示す魔法使い、けれど、その小さな影が彼女の幼馴染であることは変わりない。のに、この魔女の心臓が軋みを上げる。

 そこにいた小柄な少女の正体は、暁凪沙。ただ、その瞳にあるのは、凪いだ水面のような無感情な光。常の彼女のものではない。そして、その気配は普通の人間のものとは思えない。そう、強大な魔力を秘めた何者か――真祖の眷獣にも匹敵する力を持った者が、少女に憑依してしまっているよう。

 

「―――話がある」

 

 恐ろしく肝を冷やし、そして本領を垣間見せるように凍気を孕んだ静かな声が、凪沙の唇から漏れ出した。ここでもし呼びかけを無視して逃げようものなら、世界ではなく、自分たちが悲鳴を上げさせられるだろうと予感をさせる。

 

「ん。わかった」

 

 無駄に逆らう真似はせず、得意とするフィールドであった森を出て、その雪原に踏み入るクロウ。ユウマもそれに続こうとするも、足が凍りついたように動かない。

 それを見て、クロウは、ユウマをそこに留めるよう手の平を向ける。

 

「どうやら、アイツはオレに用があるみたいだ。優麻はここで待っててくれ」

 

「いや、でも、今の凪沙ちゃんからは、ただならぬものを感じる。これが<闇誓書>によるものだとすれば、危険だ」

 

「いや、大丈夫だぞ。アイツはそうじゃない。それに、話をするだけなのだ」

 

 言って、武闘家は行く。瞬間、

 

 ガクン!! とユウマの膝が折れた。両足に、力が入らない。まるで伸びた発条(バネ)を上から押さえつけるように、最初からそう言う機構を持った可変式の遊具のように、彼女の身体はストンとその場に膝をつかす。正座で待つことを強制される。

 

「な……」

 

 驚きとも、抗議ともいえる感情を感情に任せて声を発しようとして、それさえできなくなってることにようやく気付く。

 カチカチカチカチ、と歯が鳴る。舌も唇も喉もまともに働かない。

 これは恐怖、それだけによるものではない、寒さだ。

 低体温症に陥っている。現在、ユウマの体温は34度―――あと、4度下がれば、その生命はほぼ100%失われる。今の彼女は雪山で遭難してるに等しい状況下にあった。

 

(これは、<闇誓書>の世界改変によるものなのか!? いや、肝試しと言う設定のセーフティがある以上、人体に危険を及ぼすようなことはできないはず―――)

 

 そんな極寒の雪原にて、クロウ――その身は、常人よりも寒さに強い、もともと北欧アルディギアの人里離れた氷森に生活していたことから考えれば、むしろ常夏の気候は過ごしにくく、ちょうどいい涼しさかもしれない。

 して、クロウは、暁凪沙の前に立った。ユウマもそれが辛うじて視認できるも、会話を拾うのは厳しい最中―――秘密の二者面談が始まる。

 

「なんか言いたいことがあるんだな?」

 

「ああ。我が起きるに負担をかけずに済める、いい機会なんでな。文句を言いに来たのだ“後続機(コウハイ)”」

 

「あう?」

 

「“後続機”が“少年”と仲が良過ぎるあまり、『このまま恋仲になるのではないか』と“娘”が気に病んでおってな……

 ―――本当のところはどうなのだ?」

 

「???」

 

 少女の詰問に、ますます武闘家は首を捻る角度を大きくする。

 

 ちょっとばかり、でないくらいに威圧をかけ過ぎるも、これは、胸の内に溜め込んでしまう女友達のために、彼女のガーディアンな女子が、その男子へ確認を取るような行為と同じ、であろうか。

 

「<蛇遣い>の例があるからに、“少年”が契る相手に汝を選ぶことも問題なかろう。しかしな、それは“少女”に耐えられん。契約外とは承知しておるが、我が言ってやらねば、“娘”は汝には口に出さんだろう。わかったか、“後続機”?」

 

「ごめん。お前の言うこと、相変わらず難しくてよくわかりませんのだ」

 

「……ここまで噛み砕いてやったのに、またこれ以上のことを、我の口から説明させる気か“後続機”」

 

 ピシィ!! と乾いた音を木立が発する。更に拡大した凍える女王の領域。

 物分りの悪い後輩に、彼女は機嫌をさらに悪くしたよう。

 

「うー、つまり、そんなに古城君と仲良くなったらダメなのか?」

 

 八の字に眉尻を下げるクロウに、彼女は嘆息し、

 

「そのあたりは我の関与するところではない。ただ、汝も少しは乙女心の機微に鼻を効かせたらどうだ? このままでは、本気で“娘”が“少年”に襲いかねんぞ。だから、汝も気を払え」

 

「う、よくわからんけど、頑張って注意するのだ“先達者(センパイ)”」

 

「ふん。『“娘”を泣かさぬ』という誓い、努々忘れるなよ“後続機(コウハイ)”」

 

 ―――それからこのことは誰にも内密にしておけ、と。

 

 彼女の瞼が、閉ざされた。

 その僅かな挙動を合図に、現実感がぶり返す。寄せた波が引くように、極寒に凍てついた世界に、元の常夏の気候が帰ってくる。

 全身を襲っていた急激な寒波は、すっかり消え失せていた。

 そして、腕には人の体温。少女の身柄が収まっている。糸が切れたように倒れる暁凪沙に、思わずクロウは抱き留めてしまった。

 

「終わった、のかい」

 

 硬直の解けたユウマが、声をかける。

 凪沙の格好も白装束から、懺悔室手伝いの修道服へと変わっており、またその華奢な身を起点とした強大な魔力の発散も止んでいる。

 

「う。お話は終わったぞ」

 

「そうか。それで一体、何を話したんだい?」

 

「ん―――」

 

 興味本位でユウマが尋ねると、少年は唇の端から端に、チャックを閉じるように指を沿わすポーズを返した。

 それに魔法使いは肩をすくめて、

 

「まったく、これじゃあ『雪女』だね」

 

 わりとメジャーである『雪女』の妖怪譚は『魔族特区』の住人でなくとも日本人なら知るところだろう。

 冬の雪山で遭難したところを遭遇した男たちの内、『雪女』は老いた者を殺す。若い者は見逃すが、このことを誰にも話してはならないと約束させられる。後にこの若者はある女性と結婚し、ついうっかり彼女とのことを話してしまうが、実はその女性と言うのが『雪女』で……と言う流れ。

 率直に話の展開の感想を述べれば、『雪女』は気紛れに見えるが、もしもその若者と結婚するつもりで姿を現したのだとすると、周到で計算高い性格にみえる。この話の中には明暗幾つもの約束が登場し、もしも化けた女が現れる前に若者が他の女と結婚してしまったら、『雪女』は牙を剥いてたかもしれない。

 

 つまるところ『雪女』の妖怪譚から得られる教訓は、『約束を破ったらタダではおかない』ということになるだろうか。

 

「何を話してたのかは訊かないけど、凪沙ちゃんを悲しませるような真似だけはやめてくれよ。彼女がボクの大事な幼馴染であるからね」

 

「う。凪沙ちゃんを大事にするのだ」

 

 ユウマの念押しに、目を見て頷き返すクロウ。

 約束を破ることは、この前、反省した。絶対にそんな真似をするつもりはない。

 

 そして、ケケッ―――と、どこからともなく聞こえてきたのは、きちんと教訓を肝に銘じた子供(クロウ)に満足したような皮肉めいた笑い声だった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 下手に動かさない方が安全だろうと判断し、眠っている凪沙を放置して、魔法使いユウマと武闘家クロウはそのまま先に進むことにした。凪沙に異変があればすぐにわかるようにと、ユウマが小動物の使い魔(ファミリア)をつかせている。

 

「………ん?」

 

 また少し進むと、クロウは顎を持ち上げて鼻を鳴らす。

 

「誰かいるのかい? もしかして、古城?」

 

「ん。違うぞ。これは……」

 

 微かにだが、どこからか漂ってくるいい匂い。

 これは、クロウの“舌に合う”おいしいものだ。じゅるり、と生唾が口内から溢れて出て、涎となるような……堪らない気持ちになってくる。

 自然と足は、匂いのする方向へ動き。

 鼻の向いた先にある、開けた森の空間に、お化け屋敷には場違いな真っ白いクロスが掛けられたテーブルが設置されていた。

 

「おお……! 森の中にごちそうが!」

 

 ぐぅと、腹が鳴る。並べられた料理には釣り鐘(ドーム)型の銀の覆い(クロッシュ)が被せられているも、テーブルから堪らん香りが漂ってくるのだから仕方がないだろう。胃袋が刺激されて、今にも暴れ出しそうだ。食わずにはいられない、こんな匂いを嗅がされたら……しかし、魔法使いから待ったがかかる。

 

「待ちたまえクロウ君。『ヘンゼルとグレーテル』しかり、森の中に食べ物がそう都合よく落ちてるはずがない。お菓子の家が獲物を誘き寄せて、肥えらせる罠だったように、怪しんでしかるべきだよ」

 

「んん。これにそんな“匂い”しないぞ。全部、旨そうなのだ!」

 

「だからね、ここは<闇誓書>によって作られた肝試しだと」

 

 言って、もう席についてる武闘家に、魔法使いはやれやれと苦笑を漏らす。今日の昼に『惚れ薬騒動』があったばかりだというのに、なんて無警戒な。それにきつく言い聞かせるべきか悩むも、うずうずと“待て”してる彼から取り上げる真似は忍びなく、ユウマも席に着いた。

 先ほどの『雪女』の例からして、このイベントも何か妖怪が関わっているのだろうが、さて。

 またあの極寒の世界のようなのはレアケースだと信じたいけど……

 

 

「―――お待ちしておりました、先輩」

 

 

 現れたのは、藍色の長髪をもつ、完全な左右対称の美を備えた少女。

 ユウマも彼女のことは知っている。ここにいる彼と同じく、<空隙の魔女>の預かりとなっている人工生命体(ホムンクルス)のアスタルテ。

 その彼女がいつものメイド服ではなく、旅館の女将のような着物姿で、いつものと変わらない淡々とした一定調子で出迎えてくれた。

 

「お、アスタルテ。お前も捕まってたのか、大丈夫か?」

 

「肯定。こちらに飯の支度は済ませてあります。お召し上がりください」

 

 とアスタルテは着物を払い、襟を正して、背筋をまっすぐに伸ばす。そして、ぺこりと丁寧に頭を下げる。

 

「う! いただくのだ!」

 

 早速と銀色の覆いを取り去ると、中の皿にでーんとあったのは、カラッと揚げたカエルが丸々一匹……

 

「おおっ! これオレの好物だぞ!」

 

「以前、先輩に連れて行ってもらった料理店の味覚データを参照しております……お口に合えばよろしいのですが」

 

 クロウの馴染みで、秘密にしていた穴場の料理屋。『波籠院フェスタ』の前夜祭に馳走されたこの後輩は、その入力されている味覚ソフトで記憶していたらしい。ただ、それが普段の食卓を囲う際には、教官(マスター)の意向を最優先するため、今日まで披露することがなかっただけ。

 そんな斜め後ろに三歩分離れたところから、控えめに様子を伺う後輩に、先輩は満面の笑みで、うまうまとその脚にかぶりついてる。これだけ嬉しそうにされたら調理甲斐があっただろう。

 そして、ユウマもここで料理に口をつけないのはアスタルテへ礼を失する、というよりは、武闘家を見てたら警戒するのが馬鹿らしくなった感じで、その野菜炒めを自身の皿に取り分ける。

 

「んっ、美味しい!」

 

 炒め物を口へと運んだユウマは、称賛する。

 多様な種類の野菜を使っているにもかかわらず、生焼けのものや火が通り過ぎたものもない。火の通りやすさを考慮して個別に炒めてある証拠だ。

 手間暇をかけて美味しく調理する。感情の薄い人工生命体の少女の、心のこもった料理である。

 肝試しから動き通しで空腹だったのも手伝って、飯を口へ運ぶ手は止まらなかった。

 その様子に、アスタルテはどことなく嬉しそうで―――ふと、真っ先に食いついたクロウが箸を止めた。

 

「どうしたのだアスタルテ? そんなとこに立ってないでお前も一緒に食べないのか?」

 

「いいえ、私はいりません。先輩方の取り分が減ってしまいます」

 

 テーブルにつかず、離れた位置で見守る後輩を誘うも断られる。

 

「そんな遠慮しなくていいぞ」

 

「私は、なにも、頂かなくてかまいません。そのお傍に置かせてもらうだけで十分です」

 

 頑なに固辞する姿勢。それに、ユウマはピンと来た。

 彼女にかけられている肝試しの設定は、おそらく『二口女』。またの名を『飯食わず女房』と呼ばれる妖怪だ。

 『飯を食わず、よく働いてくれる者がいてくれれば嫁に迎えたい』と願った男の前に現れたその都合のいい女性。嫁になり、男の望んだとおりに、飯も食わずによく働く。しかし、その正体は人間ではなく、頭髪に隠れるよう、後頭部の首筋あたりに大きな口があった。

 

 人間の都合のいい僕として造られた人工生命体(ホムンクルス)であり、背中より寄生させられた人工眷獣を展開するアスタルテには、『二口女』は適役であろう。

 

(でも、この妖怪譚(はなし)。正体がばれた『二口女』は、恐れた男から離縁状を突き付けられ、それで男を住処へと攫おうとする。つまり、ここで正体を見破ったことを悟られると、『二口女(アスタルテ)』さんは―――)

 

 男のために都合のいい女性像を演じた『二口女』が、拘束監禁も辞さない管理魔に豹変する。

 となると、この和やかな食事は、昼ドラのような修羅場となるだろう。

 

(確か『二口女』は菖蒲――魔除けの花に弱い。でも、この森の中にそれがあるか……)

 

 どう穏便に切り抜けるか―――そう魔法使いが作戦を考えることも知らず、武闘家は『二口女』をまっすぐに見つめる。

 

「アスタルテ。オレは一緒に食べてくれた方がお腹いっぱいになるのだ。ごはんの量が半分子になっても、そっちの方がおいしいのだ。だから、アスタルテも一緒に食べてくれるとオレは嬉しいぞ」

 

「……指摘。食器は二人分しか用意していません」

 

「なら、オレが食べさせてやるのだ」

 

「………………命令受託(アクセプト)

 

 先輩の勧めに、根負けしたか。それとも……

 クロウの隣の席に着くと、親鳥からエサを頂くのを待つ雛鳥のようにその口を開くアスタルテ。

 『惚れ薬騒動』のカレーでもそうだったが、特に気恥ずかしがることなく、むしろ後輩の世話を焼けるのが先輩冥利なのか嬉し気にクロウは箸を運ぶ。

 

「これは……凪沙ちゃんを置いてきといて正解だね。下手したらまた『雪女』になりかねない」

 

 それを対面の席から第三者視点で見てるユウマは、眠り姫となってる幼馴染を引き合いに出しながら声を震わす。けれどその言葉の意味を測れず武闘家が目で問うても、魔法使いは目を逸らし答えを拒んで、

 

「まあ、これでこのイベントは大丈夫かな?」

 

 『二口女』を受け入れて、ご飯を食べさせる。これはもう『飯食わぬ女房』とは呼べないだろう。

 

「………というわけで、魔王モグワイに攫われてる浅葱(ターコイズ)姫を勇者コジョー君たちと助けに行くことになったのだ。アスタルテから、ご主人に連絡しておいてくれ」

 

「命令受託」

 

 そうして、『二口女(アスタルテ)』と一緒に食事を平らげると、クロウはこれまでの事情を説明して、自身の携帯機器を預かっている後輩へ、主人への連絡を頼むと先へと進んだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『ようやく来たわね暁古城! こっちは待ちくたびれたんだけど!』

 

 姫路城の天守閣に隠れ住み、自在に人の心を読み透かし、未来の運命を占う。その正体は神通力を得た妖狐であるとも、邪神であるとも、八百匹の眷属を従えた妖怪の長であるともいわれ、

 また、大剣豪の宮本武蔵に名刀・卿義弘(ごうのよしもり)を授けた伝説があったり、

 そして、人間嫌いで、城主以外の人間が勝手に住処に立ち入ると身のたけ一丈ほどの鬼神になるという『長壁(おさかべ)姫』―――になった、十二単姿の煌坂紗矢華。

 ファッションモデル並みの長身で、しかも抜群のスタイルを誇る。しかし、当人は密かに身長を気にしてる、そんなコンプレックスを刺激する設定にお冠だった舞威姫に<煌華鱗>を持って勇者が追い掛け回されたり、

 

『にゃ、にゃおう。妖怪、『猫又』でした。にゃお?』

 

 強大な霊力を得て妖怪に化けた猫又―――になったのは、全身をぴったりと覆う革スーツに、猫耳をつけた叶瀬夏音。

 『中等部の聖女』に惹かれてか、数百匹の子猫が集まっていたけれど、こちらはさほど実害はなく、しいて言うなら『猫又』になった夏音の愛らしさは、同性の僧侶からして凶器的なレベルであったり。

 

『<雪霞狼>―――!』

 

 そんな<闇誓書>に汚染された妖怪役たちも、僧侶ユキナの活躍で元に戻った。

 魔力を打ち消す『神格振動波』の輝きを放つ、全金属製の銀槍。その<闇誓書>に対しても有効であった純白の閃光に当てられるだけで、『長壁姫』紗矢華も『猫又』夏音も無事に支配から解き放たれた。そして、彼女たちはその場に安置していた方が良い判断し、念のために式神を配置して、先を行く。

 

 

 

 がやはり、実害を被らない、安心安全のお化け屋敷なんて考えは甘かった。そのため、だだっ広い夜の森の中で、常時警戒してなければならず、

 すでに学園を出て、5時間は経過している。時刻はすでに深夜零時近く。真夜中だ。

 仲間たちと逸れてから、暗闇の中で様々なトラブルに巻き込まれて、肉体的にも精神的にも疲労のピークに達していた。

 けれど、着実に進んでいる。今、勇者コジョーと僧侶ユキナは、魔王城と化したキーストーンゲート前までやってきていた。

 

「ようやく……着いた……か」

「酷い目に遭いました」

 

 二人とも息も絶え絶えの有り様。

 立ちはだかるのは巨大な城門。そこはまだ閉まっている。となると、武闘家と魔法使いはまだここに来てないのだろうか。

 とりあえず、しばらく待ってみよう。その間は小休止ということで。二人は見合わせると、腰を落ち着けるところを探す。

 

「しかし、攫われた奴らが妖怪役になってるなんてな。比較的常識人の煌坂ですら、あんなになるんだ。ラ=フォリアは、もうなんか嫌な予感しかしないんだが」

 

「そうですね、先輩。夏音ちゃんみたいに大人しくしてるとは思いませんし、ラ=フォリア王女の相手はなるべく避けたいです」

 

 あの腹黒王女が<闇誓書>の影響を受けたらどんなことになるのか、想像するだけでも恐ろしい。

 戦々恐々とする勇者と僧侶―――そのとき、錆びた分厚い金属製の門扉が、軋み音を夜空に響かせながら、ゆっくりと左右に開いていく。

 すると、疲労困憊のこちらの神経を逆撫でするように、奥の方から奇妙な音楽が聴こえてくる。エスニック風の華やかな旋律。緊張感と無縁なその調べが、逆にコジョーの不安を増長させる。

 そして、魔王城の中より飛び出てきたのは、凄まじく豪華なパレードであった。

 

「姫柊、嫌な予感がする」

「同感です先輩」

 

 絢爛な黄金の輝きに目を細めながら、警戒を露わに牙を剥いて低く唸る。

 巨大な門扉より出てくるのは、生演奏に合わせて見事なダンスを披露している、露出度の高い踊り子たち。

 あまりに魔王城のイメージからかけ離れているこの御祭り騒ぎに、勇者と僧侶は唖然と立ち尽くすしかない。

 そして、そのパレードの最後に主役がやってくる。組んだ神輿の上に座すのは、妖美な衣装を着た少女。このたったひとり―――彼女の登場の為だけにこの豪華なパレードは催されたのだ。

 魔王城へ辿り着いた勇者たちを歓迎するように、銀髪碧眼の少女は気品溢れる麗しい笑顔を向けてくる。

 その威厳と存在感は、際立って豪華な衣装にもまったく見劣りすることなく、着こなしている。

 そんなのは当然。なにしろ彼女は正真正銘の王族――『美の女神(フレイヤ)の再来』とも謳われる、北欧アルディギアの姫御子なのだ。

 

「うふふふふ。わたくしは殷帝紂王が妃、妲己。またの名を白面金毛九尾の狐。またこの国では、玉藻の前と呼ばれし者」

 

 訊ねもしないうちに自ら役名を名乗り上げる、やはり、ノリノリであるラ=フォリア=リハヴァイン。もう<闇誓書>を利用して、王女が勝手に楽しんでいるのではないかと疑いたくなるような満喫ぶり。

 学園を発つ前に、要撃騎士のユスティナから、くれぐれも王女を頼むと懇願されたが、あれは是非見つけてくれ、ではなく、相手をしてほしい、とかそんなところだったのかもしれない。

 して、

 

「先輩、『九尾の狐』は―――」

「よく知らんがヤバいのはわかった。肝試しに出てくるレベルの妖怪じゃねェだろ、あれ」

 

 姫御子の纏う異様なカリスマ性は、今や勇者を軽く圧倒するレベル。

 『九尾の狐』の妖怪譚は、日本にだけに留まらず、世界規模に暴れる大妖怪。複数の化身(すがた)を持ち、その地の権力者たちを惑わし、数々の王朝を滅ぼしたとされる傾国の美女。このパレードも、酒池肉林の故事で知られる『九尾の狐』に合わせて催されたものであろう。

 そして、この大妖怪は八万余りの軍勢と渡り合ったとされる戦闘能力と狡猾な頭脳――即ち、腹黒さ。<闇誓書>が、『九尾の狐』の能力を完全に再現しているのだとしたら、今のラ=フォリアは真祖に比肩しうる危険な怪物である。悠長に様子を見ている余裕はない。

 

「―――<雪霞狼>!」

 

 有無を言わせず先手必勝。

 破魔の銀槍を構えた僧侶が飛び出した。これまで通りに、<闇誓書>の影響を『神格振動波』にて祓い清め、世界を正常な状態へと書き戻す。

 この疾風突きにて、『九尾の狐』を消滅させる―――と思いきや、

 

「えい!」

 

 楽しげに声を弾ませて、素早く右手を振った『九尾の狐』

 その手の中に握られていたのは、銃剣(バヨネット)を装着した黄金の装飾銃<アラード>。元々は前国王の書斎にあったものだが、勝手に持ち出して私物化されて、今は第一王女が愛用している。その特性は使用者の霊力の高さに比例して、威力を増すというもの。その銃剣が青白い霊力の光に包まれたかと思うと、剣が――姫御子自身を『精霊炉』とし、北欧の魔導国家が誇る対魔兵装<疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>を発動。7、8mもの魔を引き裂く聖なる刃が、僧侶の銀槍を撥ね飛ばした。

 

「なっ!?」

 

 攻撃を防がれ、すぐさま体勢を立て直すユキナであるも、唖然とした表情で『九尾の狐』を見る。

 <疑似聖剣>は、『精霊炉』によって抽出された純粋な霊力の塊。その霊的な性質は<雪霞狼>の『神格振動波』と酷似しており、そのため、ユキナの槍でも消滅することは敵わない。

 ただし、生身で<疑似聖剣>を扱えるのは、通常は強力な霊媒であるアルディギア王族の女子のみで、おまけに『神格振動波』と同質であることは<疑似聖剣>の霊波は、<闇誓書>の支配も無効化にするということ。

 すなわち、<疑似聖剣>を発動できるということは―――

 

「ラ=フォリア! さては、お前、実は正気だな!」

 

「ふふっ、何のことでしょう?」

 

「とぼけんなっ!」

 

 正気であることは明々白々だというのに、コジョーらに向けて優雅な笑みを浮かべて見せるラ=フォリア。

 もう、彼女が素で、『九尾の狐の化身』と告白されてもコジョーは驚かないだろう。ああ、そうか……と納得してしまうかもしれぬ。

 

「こっちが<闇誓書>に振り回されて死ぬほど大変な目に遭ってるってのに!」

 

「ですが、雪菜だけが古城とペアで肝試しと言うのは、流石に不公平ではありませんか?」

 

 可愛らしく機嫌を損ねた表情を浮かべた第一王女に、非難の槍玉に挙げられた僧侶はびっくりして、慌てて首と手を振る。

 

「い、いえ、クロウ君や仙都木さんと一緒だったんですよ!?」

 

「しかし、今は古城と二人きり。おそらくここに来るまでに逸れたのでしょうが、その好機に肝試しで古城の手を握ったり、抱きついたりしたのではありませんか?」

 

「だ、抱きついたりしてはいません! ……手は、握ったりしてましたけど、それは先輩とまた逸れたりしないためで……!」

 

 反論する僧侶であるも、思い当たる節があるのか、引き攣った彼女のこめかみにはうっすらと汗が滲んでる。ウソを見破るのが得意な彼女だが、基本的に素直な性格をしてるので、ウソを吐くのは苦手なのだ。

 チラリと勇者を見たかとおもう、それで開き直ったかのように、再び銀槍を構える僧侶。

 そして、その様子を面白おかしく笑いながら見つめて、しかしまばゆく輝く聖なる刃を掲げる『九尾の狐』

 

「と、とにかく……! ここは実力で押し通らせてもらいます!」

 

「できますか? まだこれからが『九尾の狐』としての本領でしてよ」

 

 火花を散らして睨み合う二人を前に、半ば放心状態の勇者は舞台の主役ではなく、観客席から見守るような立ち位置であったろう。こんな無益な戦闘は、どうにかしてやめさせたいところだが、正直二人を止める術を持ってない。

 なにしろ、この僧侶の槍と王女の剣は、魔族であれば一太刀も浴びされてはならぬと本能で解する凶悪な兵装だ。迂闊に両者の間に割って入ろうとすれば、この身が不老不死の真祖であろうとも、命を落としかねなかった。

 だからと言って、このまま傍観者でいられるわけがない。

 勇者コジョーは、決死の覚悟を決めてこの二人の戦いに飛び出そうと息を吸った時、

 

「古城君、合流なのだ」

 

 背中にあたるその暢気な声。振り向けば、分断された二人、武闘家と魔法使いがいた。

 

「クロウ、ユウマも、無事か!」

 

「いろいろとあって遅れちゃったけどね。ああ、古城、凪沙ちゃんは無事だよ」

 

 安否確認に、ユウマはいつもの笑みを返してみせる。どうやら、そちらも肝試しイベントに巻き込まれたみたいだ。妹の無事を伝えられ、コジョーは胸がつかえていたものがとれたみたいに、大きく息を吐く。そして、

 

「それで、ここに着く前に、少し遠くから話は聞こえてたけど、どうやらお取込み中のようだね古城」

 

「だったら、話は早い。どうにかしてあいつらを止められないか、クロウ、ユウマ」

 

「う。わかったぞ」

 

 勇者の嘆願に、武闘家が『九尾の狐』たちの前に歩み出る。この状況を見ながら、物怖じせずに乱入できる後輩は頼もしい―――

 

「―――クロウ、“わたくしの邪魔をしてはなりません”」

 

「ごめん。オレには止められないのだ」

 

 が、契約の縛りがあった。

 <禁忌契約(ゲッシュ)>により、王族の頼みごとを二度続けて断れない後輩。また、有能な霊媒資質をもつ女児に三打もらうまで攻撃できない制約もあり、これを武力行使なく止めなければならない。

 それらの材料があれば、国の外交を任されるほどに弁舌の長けた第一王女は、戦うことなく口先だけで止めて見せる自信があるだろう。

 

「じゃあ、ボクがいこう」

 

 次に前に出たのは魔法使い。

 その口角をややあげた表情は、幼馴染のコジョーの目には、自信あり、と書いてあるようにみえた。

 

「何か思いついたんだな、ユウマ」

 

「まあね、少し見ててよ古城」

 

 ジッパーを下げるように腕を上から下に振る魔法使いは、何もない虚空から手品のように一冊の本を取り出して見せた。

 

「生半可な魔術では彼女たちには通じない。ボクは、戦闘系は得意ではないんだけど、動きを止めることくらいならできるかもね」

 

 そして、風に吹かれたように自然と本を開き、頁の上に掌を置く。そこに魔女の魔力を篭めると、“力ある書物”に書き込まれた文字は、この意味を世界に知らしめるように光を放つ。

 

「縛れ―――『No.343』」

 

 それは、『闇誓書事件』で、管理公社に回収された『No.343』――<蒼の魔女>と同じ『司書』の魔術師が所有者であった『法』の魔導書。

 その力は、『罪の重さだけ強力になる石化の魔術』。<図書館>にて、組織内の違反者に使われていたもので―――今回の事件捜査にて、ユウマに一時貸し出されたものだ。

 

「あら……?」

 

 魔法使いの宣告を向けられた姫御子は、その動きを鈍らせた。

 

「しかし、この護符(タリスマン)は、魔導書の呪いにも効果あるのですよ」

 

 胸元で揺れているペンダント。緑色の宝石を縁取る黄金のペンダントトップには、精緻な魔法文字が刻み込まれている。

 アルディギア王家に伝わる神器。持ち主の魂を呪詛や災いから守護すると言われる。つまり、この強力な御守りは、精神攻撃系の魔術を無効化する個人用防護障壁といったところだ。

 つまり、多少、動きを鈍らせることはできるが石化するには至らない―――そんなことは、魔法使いも承知している。

 承知して、それでも力で押し切れるとユウマは踏んでいた。

 

「けど、『九尾の狐』は、大罪を犯しているものだ。多くの国を堕落させたといわれるその罪業(カルマ)は、『法』の拘束力を最大限に高める。護符をつけた程度ではどうにもならないくらいにね」

 

 踊るように軽やかにステップを踏んでいた姫御子の脚が、止まる。石化しているのだ。

 これが北欧アルディギアの血筋を引く有能な霊媒資質を持った『美の女神(フレイヤ)』であったのなら、『No.343』で縛り付けるなど到底無理であったが、<闇誓書>により設定された傾国の大妖怪『九尾の狐』であれば、話は別。

 

「まあ、『九尾の狐』の最期は“殺生石(いし)”になったみたいだから、役にはピッタリだろ?」

 

「おお、流石、ユウマ!」

 

 決めてくれた幼馴染に、コジョーの歓声が上がる。

 

「……これは一本取られましたね、仙都木阿夜の娘―――いえ、仙都木優麻」

 

 腰まで石化され、もう完全に身動きのできないラ=フォリアは降参したというように、銃剣より伸びる聖なる刃を消し、装飾銃を降ろす。

 

「ですが、困りましたわね。わたくしとしても、石になっては、古城との夜の営みもままなりません」

 

「ぶほっ!? なにさらっと恐ろしいことを言ってんだあんたは!? そんなこと心配する場面じゃないだろ!」

 

「……それはつまり、古城は、彫像にも興奮を覚える、と言う意味でしょうか?」

 

「全然違うわっ! そういう危険な発言はやめろっ!」

 

 手も足も使えなくなっても、その口があるだけで人を振り回せてしまえる王女様である。真面目に付き合ったコジョーはぜいぜいと息を切らし、

 

「安心しなよ、ラ=フォリア王女。姫柊さんの『第七式突撃降魔機槍』を大人しく受ければ、魔導書の呪いも一緒に消える。『No.343』は、あくまで動きを止めるだけに使っただけだからね」

 

「仕方ありませんね。肝試しの追及はまたの機会にしましょう」

 

「うん。ボクとしても、古城と二人きりで回っていた姫柊さんにはいろいろと訊きたいことがあるよ」

 

「で、ですから、私は不埒なことは……決して……」

 

 何やら女性陣がごちゃごちゃとなってるものの、終わった、と古城は胸を撫で下ろす。だが、安心する間もなく、ラ=フォリアは悪戯っぽく微笑んで、

 

「ひとつ貸しですよ、古城。雪菜も」

 

「マジか、おい……」

 

 恩着せがましい王女の言葉に、古城はどんよりとした表情を浮かべる。

 よもや<闇誓書>に操られていた事実を逆手にとって、自分に有利な約束を取り付けるとは、その転んでもタダでは起きない交渉手腕には恐れ入る。さすがは外交相手から、警戒されるアルディギア王国の外交担当である。

 とはいえ、もし本気で抵抗すればこの程度では済まなかっただろうし、気まぐれで矛を収めてくれたのは助かった。

 

 

 

 そうして、第一王女も救出したことから、魔法使いユウマは『聖環騎士団』のユスティナに『戦車乗り(バックアップ)』のリディアーヌらと連絡を取り合い、またこれまで<闇誓書>から解放した人質も護衛をするためにも魔王城には入らず、森に残るとのこと。僧侶ユキナから夏音と紗矢華に張り付かせている式神の指揮権を預かると、勇者コジョー達のパーティを外れた。

 

「ん。この屋上に、浅葱先輩はいるぞ」

 

「屋上? モグワイの本体は地下にあるんじゃなかったのか?」

 

 人工知能の本体である五基のスーパーコンピューターは、キーストーンゲート地下13階の第零層――海抜0mの地点に設置されていると聞いたことがある。そこはキーストーンゲートの中枢であると同時に絃神島の中心地であった。

 てっきりターコイズ姫もそこに囚われているかと勇者は考えていたのだが、

 

「でも、“匂い”は上からするぞ。囚われのお姫様が塔のてっぺんにいるのはお約束なのだ」

 

 後輩の自論に、コジョーは苦笑する。人工知能の目的がアトラクション的なお化け屋敷の再現だとするなら、姫君は最上階にいるというのは、如何にもありそうな設定ではあった。

 

 

 

 魔王城へと入った三人は、蝋燭の明かりだけに照らされた薄暗い螺旋階段を上っていく。

 一人は減ってしまったけれど、三人となったパーティに安堵感は増して、気力も回復するよう。

 

「それに、ラ=フォリアでお化け屋敷のイベントは最後みたいだしな」

 

 移動の最中、勇者は、ホッと溜息を吐く。

 大事な人質であるお姫様(あさぎ)に、人工知能は妖怪役をやらせるとは思えない。先ほどの姫御子が最後の難関で、あとはお姫様を回収して、バックアップの『戦車乗り』に人工知能の強制終了(シャットダウン)を待つだけだ。

 しかし、安堵している先輩に、後輩二人の表情は揃ってあまり浮かないもの。

 

「そう……でしょうか?」

 

「姫柊?」

 

「いえ、ラ=フォリア王女が<疑似聖剣>を使ったことが少し気になって。<闇誓書>に魔力を供給しながら、高位精霊の召喚ができるとは思えなかったので」

 

 そう。霊力の塊である<疑似聖剣>は、その存在だけで魔力を消滅させるものだ。

 いかにラ=フォリアが優れた霊媒でも、<疑似聖剣>を召喚しつつ、<闇誓書>に魔力を供給することは原理的に不可能。この『混血』の後輩を除いて、魔力と霊力も自在に扱える芸当ができるものなどいないはず。

 それに紗矢華たちを<闇誓書>から解放されても、魔王城の存在は揺らいでいない。

 つまり<闇誓書>を動かしているのは、彼女たちではないということ。

 

 だとすれば、一体誰が<闇誓書>に魔力を供給しているのか?

 ラ=フォリアたちよりも強力な魔力源がいるのだとすれば、それは何者か?

 

 無論、藍羽浅葱だけで、魔導書を動かすのは無理がある。

 『闇誓書事件』では、星辰の力を魔力源とした、

 『彩昂祭』では、<第四真祖>を魔力源とした、

 では、この魔王城を実体化させているのは、星の地脈龍脈、不老不死の真祖に匹敵するだけの魔力の持ち主。

 そんな強大な存在が、そうそういるとは思えないが―――

 

「ん。ここに、あいつらがいるぞ」

 

 『鼻』の良い<黒妖犬(ヘルハウンド)>はすでにその存在を知覚しているのだろう。

 

「なあ、それって……」

 

 不安な胸騒ぎを覚えつつ、勇者が武闘家に問い掛けようとしたところで、屋上ひとつ前の階層に到達。

 途端、周囲の風景が変質。

 闇が蠢き、形作るのは、闘技場(コロッセオ)

 

 あまりに単純(シンプル)で、堅牢な世界。

 風が吹いている。まだ城内であるにもかかわらず、そして、床も硬い地面に。

 何も障害はなく、“ただ戦うためだけ”の空間。

 

 そして、このドームの向かい側に二つの人影―――

 

「お、お前らは―――っ!」

 

 タキシード姿で直立する青年二人組。この絃神島に滞在中の、第一真祖の血脈に連なる純血の吸血鬼。金属製のマスクでその顔を隠しているも、そんな変装では誤魔化されない。

 ジャガン卿トビアス=ジャガン。

 ヴォルティズラワ伯キラ=レーベデフ。

 

「暁古城、それに小娘もついでだ。通りたければ通るがいい。今日、我々が相手するのはお前らではない」

 

 冷たい刃物を連想させる青年吸血鬼ジャガン、そのいつもコジョーに嫉妬が混じった感情をぶつけてきた鋭い視線が今日は、その矛先を後輩(クロウ)へと向けている。

 それ以外に用はないと挑発的な口調で、コジョー達を先へ促す。して、二人が何か口答えするより早く、前に出た武闘家は行動で示す。

 

「オレに用があるみたいだな。古城君たちは上に行くのだ」

 

「待て、クロウ。あいつらと無理に戦うことは―――」

 

「や。アイツが持ってるの、取り返さないといけない」

 

 ジャガンの隣に立つ相方、中性的な容姿をした美青年キラがその腕に抱く硝子の密封瓶――白い花『冬虫夏草』を保管したそれは、後輩には大事な、家族の形見。

 攫われたのは、人だけでなく、物も盗まれた。そして、返して欲しくば決闘に応じろ、と言葉にせずとも状況で把握する。

 

「テメェ……」

 

「早く行ったらどうだ、暁古城。もう随分とこちらは待たされている」

 

「のヤロウ……!」

 

 この対応に苛立つが、このケンカを買ったのは、後輩。

 それにコジョー達にはコジョー達の相手がいる。

 

「クロウ、とっとと“あのバカ”ぶん殴って、こんな茶番終わらせてやる!」

 

「う。ここは任せて先に行くのだ」

 

 勇者と僧侶は、ここを武闘家に任せ、屋上へ向かう。

 

 この『旧き世代』にも匹敵する武闘派の若き吸血鬼らが腹心として、絶対の忠誠を仰ぐのはただ一人―――

 

 色々とおかしいとは思ってたんだよ!

 モグワイが単独(ひとり)で仕組んだにしては、やたら俺達を狙ったような嫌がらせばっかりだし!

 

 階段を登り切り、屋上に辿りついたその景色でまず真っ先に視界に飛び込んできたのは、スーパーコンピューターの複合体。

 空間がどこかでねじ曲がっているのは、魔王城の屋上に、地下にあるはずの、その漆黒の石碑を思わせる本体が置かれており、太い電源ケーブルと冷却用のパイプ、その他の無数の配線が、うねうねと血管のように伸びている。それらすべてが人工知能の本体なのだろう。

 この五基の石碑の中心には、制服姿で眠る浅葱の姿。まるで透明な棺桶を連想させる小さなベットに閉じ込められてはいたが、とりあえず無事なようだ。

 

「やあ、古城。いい夜だね」

 

「ヴァトラー―――っ!」

 

 そして、<闇誓書>へ無限の“負”の魔力を供給する白いスーツ姿の、そして、今日は配下と御揃いで目の周りだけを覆う変装用の仮面をつけた青年―――

 

「違うヨ。ボクは名もなきお化け屋敷の案内人サ。そうだな、ヘビのお兄さんとでも呼んでもらおうか」

 

「やかましい! いいから浅葱を返してもらうぞ!」

 

 瞬間、勇者コジョーは、この魔王代行へ、雷光迸らせて、自らの眷獣をぶっ放した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 欧州『戦王領域』の貴族でありながら、ディミトリエ=ヴァトラーは戦闘狂(バトルマニア)で有名である。不老不死で生きるのに倦んだ彼ら『旧き世代』の吸血鬼にとって、強敵との殺し合いは、残された数少ない娯楽なのである。

 そして、ヴァトラーが執心している遊び相手は、ほかならぬ世界最強の称号を持つ吸血鬼<第四真祖>。

 第一真祖の臣下であるヴァトラーが暁古城と戦うのは、政治的に多くの問題があるが、この魔王城の中ならば話は別だ。肝試しの名目で、好きなだけケンカを吹っ掛けることができるのだ。

 そんな、訊けばくだらないとしか言いようのない理由で、馬鹿げたイベントを仕組んだのだが、そのヴァトラーでも体はひとつしかない。

 実は彼にはもうひとり、味わいたい相手がいる。『十三番目』、と『宴』の『選帝者』らから称された逸材、愛しき<第四真祖>の後続機である最新の殺神兵器とも殺し合いたいところであるも、彼との死合いには、枷となる誓約がある。

 しかし、それはあくまでもヴァトラーから仕掛けられないのであって、その配下は誓約に含まれていない適用外だ。

 

 だから、今、どれほどに熟しているのかを閣下より命じられた。

 

「流石に二対一という真似はしたくはない。手出しはするなよキラ、ここは俺がいく」

 

「もう、勝手に……ズルいよトビアス」

 

 前に出たトビアスに、キラは独り占めされるのは面白くはないと批難めいた視線をやる。

 平和主義な優男に見える風貌であるも、キラもまた<蛇遣い>につき従う戦闘狂。数十年前に親族同士で領地の相続を巡る内乱があった際、叔父たちを皆殺しにして伯爵位を継承した経歴の持ち主だ。その様をヴァトラーに気に入られ、後見を受けることになった。

 そんな激しい気性を持つ麗しき闇の貴公子は、しかし、戦いの作法を知る。自身と同じく、アルデアル公を心酔し、強者との戦いを求める相方が、一対一での戦いを望むであれば、その邪魔はしない。自分でも邪魔をされ、互いに命を賭ける神聖なる殺し合いが穢されるのは、許せないものだから。

 この場を譲ってくれた相方に、無言の感謝を目配せで示すと、苛烈なる炎の貴公子は、クロウと対峙する。

 

「<黒妖犬(ヘルハウンド)>……『黒死皇派事件(あのよる)』、ヴァトラー閣下に爪をかけた貴様を、いつかは叩き潰したいと思っていた」

 

「最初に手を出してきたのは、オマエらだ」

 

 クロウは明確に、低い声で絞り出すように、その戦意に応じる。

 

「<闇誓書>の力で、この空間は完全に外部から隔離されている。好きなだけ暴れても問題はない。だから、貴様が『闇誓書事件(あのよる)』に引き継いだとされる<守護獣>を出すといい。召喚が苦手であると聞いているからな、それくらいの時間は待ってやる。閣下は、貴様の全力をお望みなのだから」

 

「<守護獣(フラミー)>が戦うかは<守護獣>が決める。オマエらじゃない」

 

「フン、自身の使い魔も御し得ぬ相手であったとは、不足だな」

 

「オマエこそ、眷獣を出さなくていいのか? 古城君たちを見逃してくれたからな、それくらいは待ってもいいぞ」

 

「舐めるな、魔女の犬―――!」

 

 合図はなく、開始して、零秒。

 一足飛びで間合いを詰めたクロウの拳が直進の最短距離で放たれて、左胸を穿たず直前に挟まれたジャガンの片手剣に阻まれる。

 

「吸血鬼の戦闘が、眷獣をぶつけるだけのものだとは思わないことだ!」

 

 ジャガンが虚空より取り出したのは、中世の貴族あたりが決闘で使う細身の片手剣。軽く折れてしまいそうなその細剣は、しかし見た目に合わぬ重量がある。クロウの剣戟を受け切って、尚折れないのがその証拠。

 トビアス=ジャガンは、『戦王領域』の獣人兵団ともやり合えるだけの剣の腕を持つ。

 

 不死身の吸血鬼とて、破壊された脳や心臓の再生には相応の時間がかかる。そして、意識が戻るまでは、眷獣の制御は失われることになる。実力が拮抗した相手との戦いにおいて、眷獣の暴走が生み出す隙は致命的だ。

 そんな弱点を放置することなど、強者であるのなら許されるべきではない。

 紅蓮の輝きに包まれたジャガンの姿が、クロウの眼前でかき消えた。吸血鬼の身体能力を最大限に引き出した超加速―――しかし、クロウの眼はそれさえ捉える。

 

「ここはオレの間合いだぞ」

 

 体中のあらゆる急所を狙う苛烈な連撃に怯ませ、攻撃させる間も与えずに攻め立てる。まさしく、相手を確殺するための貴公子の剣術―――ならば、こちらは野生の本能と人間の術理と複合体(ハイブリット)

 直裁に、そして最速で。それも二打。瞬間移動した先に待ち構えていたかのように頭部へ放たれていた拳。それはまさしく一撃必殺を体現したそれは、戦術のセオリーなど無視している。そう、後出しにくせして、先手よりも速く拳を叩き込んでくるのだ。

 構わず振り抜けたら、一太刀を浴びせることはできたであろうが、これは捨て身の拳骨。肉を断たせ、骨を砕くなんていう暴挙を目論んでいる。徹底的に二度も。

 

「くっ!」

 

 剣を振るうのをやめ、咄嗟に身を引くジャガン。

 されど、その膝をついた。そのワン・ツーと拳は避けていた。だが、確かな衝撃が頭を揺らしていた。それは力の残像。その豪力を持って繰り出した寸止めにより、純粋に衝撃のみを置き去る力技。<空隙の魔女>がよく問題児への仕置きに多用する空間制御の不可視の衝撃波と似ていたか。そのジャブ程度の威力であったろうが、空間地雷じみた不意打ちをもらい、体制の崩れたジャガンへクロウは止めを刺さんと迫り―――

 

「―――<魔眼(ウアジエト)>よ!」

 

 真紅に染まった貴公子の瞳が、妖しい魔性の輝きを放つ。それは『魔眼使い』と称される彼の不可視の眷獣の輝きだ。目を合わせたもの脳内に侵入し、その意識を支配する、吸血鬼の中でも希少な能力。

 

「ぬっ!」

 

 寸前、その貴公子の力が目に集う“匂い”を察知し、目を閉じて今度はクロウが後退。

 

「オマエの目、見るのやばそうだな」

 

「勘でこの『魔眼()』の脅威を察したか。しかし、目を閉じたままこいつを相手にできるか―――<妖撃の暴王(イルリヒト)>よ!」

 

 視界を閉ざしたクロウの頬を灼熱の衝撃が撫でる。

 それは閃光に包まれた巨大な猛禽の羽ばたき。ジャガンが召喚したのは、翼長数mに達する巨体を持った火の鳥――いや、摂氏数万度にも達する高密度の炎の塊が猛禽類の形をとったもの、と称する方が正しいか。

 

 ―――強い!

 

 それはかつて、殲教師が起こした魔族狩りの事件、その最後の被害者であった『旧き世代』の爆発のワタリガラスと同等以上の魔力。若き吸血鬼でありながら、『旧き世代』をも倒しうる戦闘力を持っているという評価はけして詐称(ウソ)ではない。

 

「強者と認めた以上、貴様に容赦はせん。灼き尽くせ!」

 

 ジャガンが右手を振ると、灼熱の猛禽が閃光と化して駆け抜け、闘技場を紅蓮色に埋め尽くす。

 

 ドォッッッ!!!!!! と凄まじい爆炎が発生し、衝撃波と共に大津波如き熱波が一帯を舐め回した。その周囲の客席もすべて山火事か何かのように炎で塗り潰される。<闇誓書>に改編された世界を、異形に歪ます。地表どころか、空の色までもが炎のそれへと上書きされていく。

 されど、ジャガンの眼光はより鋭くに細められる。

 眷獣の高熱に炙られた相手が一瞬で融解してきた様を、何度も見てきた炎の貴公子―――しかし、その逆に五体満足であるのは珍しい。

 

(この程度でやられるはずがない。キラの<炎網回線(ネフイラ・イグニス)>にも怯まんヤツだ。それにあれは、アルディギアの―――)

 

 闘技場の全てが轟々と音を立てて燃えていた。

 この炎を生み出したジャガンが常識外の怪物なら、その炎に押されず生身のまま直立する銀人狼――いや、金人狼もまた常識外の怪物か。

 炎の貴公子が眷獣を召喚すると同時に、獣化を果たしていた。

 

「やっぱり、オマエ、強いな」

 

 その身に纏う生体障壁に、金色の神気が混ざっている。

 体内の霊的中枢を一気に稼働させる金人狼になると同時、すべての物理衝撃に絶対的な防護性をもつ<疑似聖楯(スヴァリン・システム)>を発動。

 360度業火に取り囲まれた金人狼は、依然、瞑目したまま。心頭滅却と言わんばかりか。無関係に怯えさせるほどの唸り声も、強烈な気迫を出すこともなく。水を打ったように穏やかな雰囲気のまま、そこにある。

 して、その膂力は眷獣を打ち据え、撃退できるレベルに達している。

 

 ボッ!! という空を裂かれた風切り音と共に、紅蓮色の世界はジャガンの支配を食い千切る。

 

「―――ッ!!」

 

 もちろんそれはいつもの爪を縦横に振るっての攻撃であるも、その一撃一撃は重く、速く、鋭く。

 なにより一切の迷いが感じられない。

 それはサイレント映画でも見ているかのような、静かで、それでいて目が離せずにいる、神々しささえ感じられるような光景であった。

 そして、その腕を振るった軌道と共に、まるでねっとりとした水飴にも似た焔が絡みつく。万遍なく焼き尽くす、並の人間ならば脱水症状で百は死ぬ、一分もしないうちに酸素を食い尽くして火に耐えようが生物を窒息させるはずの焦熱地獄の風景は掻き乱され、ほんのわずかな安全地帯を作り出す。

 

 魔炎の流れとは、言ってしまえば空気の流れだ。風上から風下へ、密封された場所から出口を目指して、黙っていても勝手に流れる。炎それ自体が空気を膨張させて気流を生み出してしまうこと、ジャガンは<妖撃の暴王>という高密度の魔力が変じた炎を操ることから必ずしも状況は単純とはいかないが、基本は熱力学と言うよりは、流体力学。巨大な水槽の中に線香の煙を閉じ込め、棒をかき回して空気の流れを作ってやるのと同じ。視覚化された流体(ほむら)は意のままに動く。

 

 だが、今、炎がジャガンの意に背き、反逆の牙を剥く。

 

(相手の意を操る<魔眼>に対する意趣返しか!)

 

 金人狼がさらに二度三度と流れるように両腕を振るい、空気を引き裂くと、暴風と共に紅蓮色の塊は解き放たれ、逆に宿主たる炎の貴公子へと殺到していく。

 ジャガンは防御の構えすら取らなかった。

 直撃の寸前に、いっそ溶鉄めいた炎の塊を阻む、新たな眷獣が喚び出された。

 

「炎には慣れたか、だが俺の眷獣はこいつだけではない! <崩撃の鋼王(アルラウト)>よ!」

 

 それは全高4、5mにも達する鋼色の類人猿だった。濃密な魔力によって実体化した、鋼鉄の土人形(ゴーレム)だ。巨大な鉄塊に似た両腕が、返された炎塊を弾く。

 このジャガンの紅蓮の魔力で形成された土人形は、それ故に、極まった火力耐性を持つ。眷獣すら溶解させる業火の中でも、鋼の肉体は原形を崩すことは決してない―――

 

「<妖撃の暴王>! <崩撃の鋼王>!」

 

 これが、心酔する閣下の、『合成眷獣』に近づかんとする炎の貴公子が編み出した二体の眷獣の連携。

 

 ッッッドン!! と、鋼鉄の類人猿が消えた。その背中から紅蓮色の炎の翼のようなものを噴出した類人猿の巨体が地面すれすれを流星のようにかっ飛ぶ。炎の猛禽類を火力として、鋼の巨体を砲弾にして飛ばしたのだ。

 それは金人狼にも反応できない速度で迫り、その前倣えと合わせた両の鋼拳でクロウの胸板をどつく。

 そのまま、旅客機の不時着のように地面を一直線に抉り取る。

 

「がっ、――――――――――――――――――――!!!!!!」

 

 数十、いや闘技場の壁さえ突き抜け、そのまま数百m。

 人間サーフィンがようやく終わったその時、貴公子は見る。

 その胸元に、黒く焦げた痕を残しながらも、五体を欠けることなく、そして、その『首輪』に手を掛けている金人狼の姿を。

 

「……やっぱり、強い―――だから、殺すつもりでいくぞ!」

 

「俺は最初から貴様を殺すつもりだ、<黒妖犬>!」

 

 『首輪』が、外される。

 創造主の呪を克服し、主人よりついに許可が与えられた<神獣化>。

 

「―――契約印ヲ解放スル」

 

 人狼が、完全なる獣と化す。

 貴公子の眷獣に匹敵する巨体を持つ、そして、龍族と同格の最上級の存在へと。

 

 

 

 不老不死の吸血鬼。永遠の寿命をもつ彼らは、それ故に、無尽蔵の“負”の魔力を有して、それ故に、眷獣を血の中に飼うことができる。

 

 では、人超の生命力を持った吸血鬼に対し、人超の馬力を持った獣人は何があるのか?

 

 魔族に特異な能力は数あれど純粋に身体能力が増幅するのは獣人の特性だ。鍛えれば鍛えるほど、力が増す。獣人こそ迫撃において最強だ。そうかつての『黒死皇派』――獣人至上主義者は声高らかに謳う。

 

『あの子は、<空隙の魔女>が人間たちの社会に連れてきたからこそ、『黒死皇派』では得られぬものが育ったのかもしれないネ』

 

 ―――はたして、それが閣下(ヴァトラー)が確かめたい真価であるのか?

 

(<神獣化>できる上位種獣人は稀少だ。しかし、その程度ならば何度も屠ってきたぞ)

 

 『真祖に最も近き吸血鬼』と畏れられる閣下に付き従うものとしての自負。

 そして、『旧き世代』をも破ってきた己の眷獣への自信。

 

 砲弾として放った土人形を一度霧散させて、己の前に戻す。

 

 目を瞑り、的がデカくなった。

 頑丈にはなっただろうが、ならば、次は先よりも多くの魔力を篭める。

 

「もう一度だ! <妖撃の暴王>! <崩撃の鋼王>!」

 

 ッッッッッドン!!!!!! 鋼の類人猿が発射。

 そのロケットスタートは獣人の動体視力でも見切れず、これまで神獣をも轢き殺してきた威力があった。まともに受ければ破壊される。

 

 

 ―――それを金神獣は、目を瞑ったまま、回避した。

 

 

「な……」

 

 回避不能な攻撃速度。これまで避けれたものはいない。

 信じられないがしかし、ジャガンのこれまで積み上げてきた戦闘経験値が答えを割り出す。

 目を瞑っている以上、剣巫や舞威姫のような未来視を働かせない。視界という情報量を削ってしまえば、そんな芸当は無理なのだ。

 だが、その不可能なはずの、視界を除く五感だけで発射を予測できたとしたら?

 

 人と同じだけの脳力を持つ象は、巨体からくる力を生存に有利に働かせようとする運動や感覚の脳神経を割いているため、その分だけ人のするような知的活動にリソースを割く余裕がなくなっている。

 だから、けして象は人よりも愚鈍なわけではなく、ただ頭の使い方の方向性が違うのだ。

 

 

 南宮クロウは、けして愚鈍なわけではない。

 

 

「二度モ同ジ手ハ喰ワナイゾ」

 

 

 神獣という龍族クラスの巨体に、眷獣を一撃で霧散させてしまえる絶大な膂力。強力なメリットでもあるそれらの特徴は、しかし手を誤れば自身の骨格や筋肉を破断させかねないリスクを抱え、また完全に制御できなければ寿命を削ってしまえるもの。

 また全開でなくとも、彼の身体性能は獣人種と比較しても飛び抜けている。

 だから、制限を課すことなく奔放であれた森から脱して、この人間社会に移り住んだ南宮クロウは、何時(いつ)でも何所(どこ)でも高精度の計算を強いられながら生活している。

 自らの肉体の自壊を防ぐためでもあるも、何より脆い肉体である人間と一緒に生活、それも子供が大勢いる学校に通うという中で、人でありながらも象をも殴り飛ばせるだけの力を持っている南宮クロウは常に細心にして砕身の注意を払って加減を行っていた。そうでなければ、共にいることなどできないのだから。

 うっかりで携帯機器を指圧で破損してしまったり、『匈鬼』の腕を空でも掴むように抵抗なく握り潰せる彼にとって人の手を取る行為は、“人が蟻を潰さないように摘まむ”のと同じ。たとえ十指を絞め付ける『手枷(てぶくろ)』をつけていたとしても、相当量の情報処理が必要である。

 そうして、森を離れ人間社会に移り住んだ野生児が毎日欠かさず必死にしてきた頭脳活動が、彼の脳力を無限に拡張していく。鍛えれば鍛えるほど強くなる獣人種の肉体であるのだから、自然、脳も鍛えられている。もしも彼が何の加減も必要としない環境下及び制限補助してきた拘束具を外した条件下で、己の肉体の自壊を恐れずに思考活動に脳力を注ぎ込めば、“未来測定”すら実行できる。

 そう、世界の理さえも軽々と紐解いてしまう<電子の女帝>にも迫る演算能力を獲得していた―――

 

 簡潔に言うと、勘が鋭い―――直感で答えを導き出せてしまうようなタイプなのである。

 そして、その獣の直感こそが、閣下が期待したもののひとつ、吸血鬼の無限の“負”の魔力に匹敵する、獣人種の真に恐るべき特性。

 

 ゾクリ、と。ジャガンは業火の中、その威容を知らしめるように君臨する黄金の神狼を見やった。

 

 二体の眷獣を使った、最大最速の一撃は通じないのか。

 否、これは己の誇りを賭けた一撃―――

 

 

「<黒妖犬(ヘルハウンド)>ォォォオオオッ!!!」

 

 

 三度発射された赤熱した鋼の砲弾は―――――“ジャストミート”で迎え打った神獣の爪撃に破壊された。

 

 

 一度目は、喰らう。

 二度目は、避けて。

 三度目は、壊した。

 殺神兵器の最たる脅威である学習能力(ラーニング)が、炎の貴公子の必殺技を完封攻略する。

 

「コレデ、終ワリダ!」

 

 そして、主力二体を引き裂かれて、無防備なジャガンへ黄金の神狼が迫る。

 腕を振るい、その爪に当てぬよう張り手。肉球型の生体障壁を集わせて纏う。それだけは威力を減じさせた、神獣の豪力。力を完全に制御出来ようとも強過ぎる。

 

 

 ゴッギィィィン!! という轟音と共に、炎の貴公子の身体が薙ぎ倒された。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――トビアスっ!

 

 神獣の一撃をもろに喰らった相方に、麗しき影の貴公子キラ=レーベデフは、動揺した。

 仲間を護るためならば格上の相手と戦うことになっても厭わない彼は、しかし相方の一対一の決闘を穢すことなどできない。

 吸血鬼は不老不死であり、一撃を受けただけで殺されることはない。

 そして、強敵との戦いで死ねるのならば、それが本望、と。

 それでも飛び出しかねないキラの意識は闘技場へと向けられ、この外部から突き破ってくる存在への反応が遅れた。

 

「―――取り返します、執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>!」

 

 <黒妖犬>が相方を無視してこちらに襲い掛かってくることを想定し、<炎網回線>により、薄く細く密やかに、キラの周囲に張り巡らされた防衛網―――それを引き千切る巨人の腕。

 

「っ! まさか、閣下がお話しされた人工眷獣か……!」

 

 間一髪に、その腕から逃れたキラは身構える。今、現れたのはメイド服を着た人工生命体の少女、その背中より虹色の巨大な翼のような腕を展開している。

 人工眷獣共生型人工生命体、個体名『アスタルテ』。

 『戦王領域』の獣人兵団でも突破するのが難しいキーストーンゲートの防衛網を、その身に寄生させた人工眷獣を以て、ほぼ単騎で突破した戦闘力を有する。

 それがキラの眷獣を食い破らんと両腕を振るい―――邪魔な網を外した。

 

「君たちが盗んだもの、返してもらうよ、それは彼にとって大事なものだからね」

 

「<蒼の魔女>っ」

 

 キラが腕に抱えていた白花を詰めたガラスの密封瓶が消失、して、虚空より現れた魔女の手元に移る。

 <蒼の魔女>。

 緻密な空間制御を得意とする仙都木優麻。アスタルテにより空間制御を展開するに邪魔な眷獣の炎網を破られたことで、その技能が発揮できるようになった。

 そして、魔法使いユウマは天井へと視線をやり、

 

 

「さあ、これで肝試しの時間は終わりだ。そろそろ屋上(うえ)も決着がついたんじゃないかな?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『こちらからも行かせてもらおうか―――<摩那斯(マナシ)>! <優鉢羅(ウハツラ)>!』

 

『くっ! 疾く在れ(きやがれ)、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>、<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>―――!』

 

 魔王代行を務める<蛇遣い>の愛情表現(ケンカ)

 <闇誓書>の結界が張られているとはいえ、この魔王城が攻撃の余波だけで壊滅しかねない眷獣の応酬。

 さらには眷獣の争いに挟みこまれる吸血鬼同士の剣闘。

 

『先輩!』

 

 それを僧侶のサポートと、バスケ部で培われたフェイントや重心移動、チェンジ・オブ・ペースといったオフェンスの要領で、魔王代行の追撃(チャージ)を勇者は躱していき、

 しかしそれで眷獣の制御が疎かになり、相手に『合成眷獣』を許してしまう。

 ―――そこへ加勢。

 

『大丈夫、雪菜!? あとついでに、ホントにどうでもいいけど暁古城も―――』

 

 <闇誓書>から解放され正気を取り戻した舞威姫と姫巫女。

 叶瀬夏音や暁凪沙、それに彩海学園の生徒たちまで趣味に巻き込んだヴァトラーを成敗するという大義名分で、コジョーたちのパーティに加わる。

 しかし、魔王代行は獰猛な笑みをますます深くして、その真紅の双眸の色合いがより濃く染まる。

 

 援軍の到来に事態が収束することを勇者は期待したのだが、それが完全に裏目に出た。戦闘狂の<蛇遣い>にしてみれば、遊び相手が増えたという感覚なのだ。

 このままでは被害が拡大する一方。

 絶望感に襲われた勇者は呻き、しかし僧侶はそんな先輩を見上げて華やかに微笑んで見せた。

 

『いいえ、先輩。肝試し(ケンカ)の時間は終わりです』

 

 

 

 落雷のような閃光が世界を白く染める。

 硝子が砕け散るような音を残して結界が破れ、魔王城が消滅する。そして、闇の殻が剥がれ落ちるとそこは楔形の未来的な高層ビル――元のキーストーンゲートへと戻っていく。

 

「<闇誓書>の効果が消えた? サーバーに侵入されたのか……?」

 

 当惑するヴァトラー。

 人工知能の本体である五基のスーパーコンピューターは、今も屋上に残ったまま。しかし、そのうちの一基の電源が落ちている。

 まさか、『戦車乗り(リディアーヌ)』が、<電子の女帝>の防壁を突破して、強制終了に成功したのか―――いいや、違う。

 

「祭りは終わりだ、馬鹿共」

 

 虚空より現れたる小柄な女性。

 フリルまみれの豪華なドレスを着て、深夜だというのに日傘を手放さない、人形っぽいシルエットの持ち主。

 

「那月ちゃん!?」

 

 思わず彼女の名前を口にした古城は、次の瞬間、顔面に衝撃を受けて仰け反った。

 教師をちゃん付けで呼ぶな、と目が口ほどに言わんばかりに、南宮那月に古城は睨まれる。

 

「なるほど……キミの仕業か、<空隙の魔女>。まったくいつもキミはボクが盛り上がる直前に取り上げてくれるね」

 

「何度も言わせてくれるな。蛇は生殺しにするのが一番だ」

 

 <蒼の魔女>が、空間制御が領域内で使えなかったが、しかし那月はその強制を無視できる。

 何故ならば那月こそが、<闇誓書>の真の所有者であって、所詮、人工知能(モグワイ)が保有している<闇誓書>の情報(データ)は、彼女の記憶を元に<書記の魔女>が再現された単なる模造(コピー)に過ぎない。

 

「しかし妙だな。いくらキミ自身が<闇誓書>の影響を受けないとはいえ、どうやって人工知能(AI)防壁(ファイアウォール)を破ったんだい?」

 

 ヴァトラーの言う通り、魔術による妨害を無視できたとしても、電脳世界において敵なしの女帝が敷く鉄壁を崩せるだけのハッキング能力が、那月にあるとは思えない。

 その彼女が突き放すような口調でした回答は、古城たちをも唖然とさせた。

 

「関係ないな。AIだか何だか知らんが、要は<闇誓書>をコンピューターで再現しただけの代物だろう?

 だったらコンピューターの電源を切れば、<闇誓書>の効果も消えるはずだ」

 

「電源を切ったって……まさかコンセントを引っこ抜いたのか!?」

「そういう乱暴な切り方をすると、コンピューターにも悪影響が出るのでは……」

 

 人工知能の本体は、あくまでも絃神島の都市機能を維持管理するためのコンピューターだ。それに支障でも出たら、市民の生活にかなりの損害が出かねないのだが……

 

「知らん。システムの復旧とやらなんやらは、藍羽がなんとかするだろう」

 

 生徒たちの非難を、傲岸不遜なカリスマ教師は、他人事のように一蹴する。そんなことは百も承知の上で、コンピューターを物理的に強制終了させた。

 <闇誓書>をこの場にいる誰よりも知悉する那月からすれば、島が沈んでしまうよりはマシな処置だろうと。

 

「―――う、なんか全部終わってるみたいだぞ」

 

 とそこで、屋上に現れた後輩。下でヴァトラーの配下との激闘によるものか、その上着は全焼して、上半身が露わとなっているも、これといった怪我はしてなさそうで元気な様子。ついでに姿が青年から元の少年の姿に戻っていた。全力を出した戦闘の結果、『No.014』の暴走の影響が解けたのだろうか。

 古城たちは、その変わらず無事なことに安堵して、クロウは那月を見つけ、

 

「あ、ご主人!

 

 

 ―――クロロンだワン♪」

 

 ポーズを決めて、ご挨拶。

 

 

 ピキッ、とそのとき、唯我独尊の高貴なる女教師の不敵な表情筋がひくついた。

 

「……………馬鹿犬、なんだそれは?」

 

「ん? ご主人から教わったやつだぞ。これからは挨拶するときはこうしろーって。こう、手首をくいっとさせて可愛らしくやるんだろ?」

 

「私はそんな阿呆な真似をサーヴァントに強要した記憶はないが」

 

「んー……肝試しで出てきたご主人だから、ご主人じゃないけど、でもご主人にやれってオレは言われたから、こう……」

 

 ああ、まだそれ生きてたのか?

 しかしなぜそれをこの場面で甦らせてしまったのか。

 

 

「―――クロロンだワン、ナツキュン♪」

 

 

 あれなんか反応が悪いな、とリテイクして再びポーズをとる後輩。

 その死刑執行書に自らサインするような真似を、古城たちは止める間もなかった。(―――先輩、クロウ君がまずいです)(いや、ひょっとしたら那月ちゃんのツボに入ったかも)(いや、それは絶対ないわよ暁古城)と目で会話する雪菜と古城と紗矢華の三人。

 そして、

 

「ぷふぅっ! こ、これが日本の魔女っ娘文化なのですね! ぷっ、……わたくしの真似事では、お家芸に敵いません。ええ、負けを認めましょう、南宮那月」

 

「はは……ははははは……はははははは! ―――いや、なんて素晴らしいサーヴァントを持ったんだ、<空隙の魔女>―――あはははははは!」

 

 この場で笑えるのは、ラ=フォリアとヴァトラーのような胆の太い輩だけだ。

 

「うー、ひょっとして、ご主人も一緒にナツキュンやらないとダメなのか……?」

 

 一生懸命にうんうん考えてる後輩(サーヴァント)の前で、こちらを背にして立つ大魔女の顔色を窺う勇気は古城にはない。

 ―――大魔女の硬直が氷解するのにどれほどの時間が経過しただろうか。

 ふと、彼女の細い腕が挙げられ、そっと未だ稼働を続ける残りの四基のコンピューターを指差す。

 

「それを壊せ、馬鹿犬」

 

「ん? あれ? オレって機械とかにあんま触っちゃダメなんだろ?」

 

「だから壊せと言っている」

 

「え、なんかごちゃごちゃしてて、壊したらまずいっぽい機械だけど」

 

「壊せ」

 

「う、了解なのだ」

 

 主人の命に後輩が、コンピューターの電線ケーブルを、強引に片っ端から引き抜いていく。予備電源や無停電電源装置を使って、どうにかメモリ内容を維持しようとする人工知能だが、クロウの機械と最悪な相性のパワーは、それらを完膚なきまでに破壊した。

 圧倒的な防御力を誇る<電子の女帝>の防壁(ファイアウォール)も、物理攻撃に対しては為すすべもない。外部記憶装置まで破壊され、人工知能は完全に沈黙。

 こうして、最悪の魔導書<闇誓書>は、完全にこの世に消滅したのであった。

 

「まあ、こんなものか」

 

 コンピューターの機能停止を確認すると、那月は小さく鼻を鳴らし、

 

「おっと、モグワイとやらは、絃神島を管理する五基のコンピューターの現身(アバター)、という話だったな。

 ―――さて、そうなると、それを壊した馬鹿犬には仕置きをしておかないとならんよな?」

 

「え、ナツキュン―――!?」

 

 じゃらっ!

 

 虚空より飛んできた縛鎖が、後輩を雁字搦めにしたかと思うと一瞬で異空間へと引き込んだ。

 

「クロウ……」

 

 ほとんど瞬きの間に事は終わり、古城が目にしたのはさっきまで後輩が立っていた床に残る、焼き焦げにも似た、断末魔が滲む影だけ。

 今回の『恐怖の館』とは数段レベルが違う、本物の血塗られた拷問器具で飾られた監獄へと、後輩の肝試しは続くらしい。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『うわあ。ここはどこだ。ボクは今まで何をしてたんだろう。

 どうやらボクは<闇誓書>に操られていたみたいだ。自分が何をしていたのか、まったく記憶にないヨ。

 ―――だから、責任能力もないということで』

 

 と<闇誓書>暴走の共犯者なヴァトラーは、まったく悪びれもせずに暴論を振りかざして、逃亡。

 事件は解決したが、何ともやるせない気持ちになった。

 

 それから浅葱の救出やら検査やら事情聴取やら厄介な手続きが大量にあって、彩海学園に戻ってこれたのは明け方近く。

 これでも那月やラ=フォリアが裏から手を回してくれたので早く帰れた方なのだ。

 で、戻ってきてほとんど休む間もなく、『彩昂祭』の二日目の様々なイベント。結局、古城たちは一睡もしないまま、それらの準備や手伝いに駆り出され、全てが終了した時には疲労困憊で意識が朦朧としている有様だった。

 特に浅葱は、無茶な強制終了の影響でメンテナンス中で、仮想現実お化け屋敷用の幻術投影サーバーを営業時間が終わるまで、付きっきりで操作しなければならず、

 しかも、クラスの学園祭実行委員で、一番大変であった。

 ちなみに<闇誓書>に囚われていた間の出来事は、ほとんど覚えておらず、この記憶の欠落は<闇誓書>の方で辻褄が合わされているらしい。

 

 して、グラウンド中央の特設ステージでは後夜祭のイベントが始まっていた。

 コンテストの結果発表や、生演奏に合わせてのフォークダンスなど、希望者だけの自由参加だが、それなりに盛り上がっているようだ。

 

「本当に疲れたな今年の『彩昂祭』は」

 

「そうですね。どうにか無事に終われてよかったです」

 

 グラウンドの片隅。花壇の隅に腰かけた古城は雪菜と、祭に付き合う気力も体力も残ってないけれど、この祭囃子を聴きながら余韻に浸たり、今日までのことを思い返す。

 <闇誓書>に囚われていた古城の解放。そして魔王城からの浅葱たちの救出。彼女だけではないけれど、なんだかんだで今回も、雪菜には随分と世話になった。疲労で余計な気を遣う余裕のないけれど、礼のひとつも言わなければ罰に当たると考えて、古城はストレートに感謝へ感謝の言葉を送ることにした。

 

「ありがとな、姫柊」

 

「いえ。私も楽しかったです。こんな賑やかな文化祭は初めてでしたし。それに……せ、先輩と一緒に肝試しもできましたから……」

 

 古城の神妙な態度に少し驚いたように目を丸くした雪菜は、それから頬を赤らめて俯き、最後は消え入りそうな声で何かを言い足す。ちらちらと横目で聴こえてないかと反応を窺う彼女であるも、幸か不幸か、古城に最後の小言は耳に届かなかった模様、

 何故ならば、その前にほかの女子生徒――今回最も働いた藍羽浅葱が古城に怒鳴り込んできたからだ。

 

「あっ、いた! こんなところでなにサボってるのよ、古城!? 後片付けは!?」

 

「あ、浅葱。俺は自分の担当の分は終わらせたぞ。ポスターの撤去もさっき済ませたし」

 

「甘い。フォークダンスに参加する連中がごっそり抜けたから、人手が全然足りてないの。あんたも誰かと踊るっていうのなら、片付け免除してあげてもいいんだけど」

 

「いや、誰かって言われてもな……」

 

 無理を言うな、と古城は肩をすくめる。

 なにしろ『彩昂祭』のフォークダンスは、事実上、学園内のカップル専用イベントなのだ。

 しかも、“伝説”付きの……

 

「……先輩は、フォークダンスに参加しないんですか?」

 

 そこで躊躇いがちに、視線だけ窺うように雪菜が訊ねる。

 古城は当然のように気怠く首を振り、

 

「いや、俺はいいよ。今日はもう疲れたし」

 

「いいよ、じゃないんだけど。それなら片付け、手伝いなさいよ」

 

 ムッと眉を吊り上げる浅葱。今日もっとも働いた浅葱に古城としても、その命令には逆らい難いものがある。

 これを避けるとするのなら、フォークダンスを踊るしかない。片付けよりも、フォークダンスをする方が疲労度は少ないだろう。でも、そんな相手が古城にはいない―――

 

「あの、どうしてもイベントに参加したいのなら、私が先輩のお相手を……」

 

「ねぇ、古城。あたし、今年の『彩昂祭』はちっとも楽しめてない気がするんだけど。少しくらいいい思いをさせてあげたいとか思わないの?」

 

 ……何だろうか、この誘導されている流れは。

 これは、どうあっても、フォークダンスすることになりそうというか。

 左右挟むように雪菜と浅葱の視線が不意に古城の横顔に突き刺さる。

 どうして彼女たち二人が、そんなにやる気なのか、と困惑混じりに考えるも古城はわからない。

 ともあれ二人の妙な気迫に、たじろぐ古城は冷や汗を流し、

 

「そ、そんなに踊りたいなら、お前ら二人が踊ってきたらどうだ、って……」

 

「「はあ!?」」

 

 思い切り、凄まれた。

 

「先輩……いくらなんでもそれはありません」

 

「ほら、あそこに女子同士で踊ってるヤツらがいるだろ?」

 

「古城……後片付け、全部あんたひとりでやってみる?」

 

 謎の緊迫感を漂わせる雪菜と浅葱。こう、『先輩(古城)は誰と踊りたいんですか(の)?』と口にはされないが、古城自身に選ばせようとして、互いに牽制し合うような、ぎくしゃくとした空気が二人の間に流れている。

 これ以上、話がややこしくなる前にこの場を離れなければと、古城はそっと腰を浮かし、

 

「そ、そうだな。それじゃあ、俺は凪沙と踊ってくるわ」

 

 立とうとした古城。しかし、完全に立ち上がる前に、がっちりと両肩を左右それぞれ女子二人に掴まれ、座らされた。

 

「先輩!」 「古城!」

 

「だからなんで俺が踊ることは規定事項になってんだよ!?」

 

 そして、その後、『彩昂祭』をすっかり満喫した様子の北欧の第一王女、その護衛の舞威姫、たまたま近くを通りがかった中等部の聖女も混ざり、<第四真祖>の悲鳴が『魔族特区』の夜空に響いた。

 

 

 

 一方で。

 

「うー。助かったぞー、オレこの妖精獣(からだ)になると、風の吹かれて飛んで行っちゃうからなー」

 

「いいよいいよ、あたしもクロウ君と一緒に『彩昂祭(まつり)』楽しみたかったし」

 

 ぷかぷかと宙に浮く風船みたいな小さな獣と、その丸々とした胴体に巻きつけた紐を握る少女。

 今も後輩(アスタルテ)を助手に事件の後始末に駆り出されているという主人からのお仕置きで、妖精獣(モーグリ)にされたクロウは、『二日目』は、凪沙とほぼ一緒に行動していた。

 このマスコットな形態にも慣れっこになってきた凪沙は、少しだけがっかりはするけど、これもこれでまたいいと。こんなにも可愛らしくなってるのにちっともそれを誇りに思っておらず、不満な様子がいじらしくて仕方ない。ぬいぐるみ系なんだけど、愛くるしさとか無縁とか考えてる節があるので、媚びたりしないし思い上がらない。純粋無垢で無垢な可愛らしさを持ってる。

 

「まあ、それにクロウ君がこうなってるのは深森ちゃんのせいでもあるしね」

 

 クロウが、妖精獣となっているのは、何もお仕置きの為だけではない。

 『惚れ薬騒動』、そのことを何も知らずに凪沙と校内を巡る際中、彼は老若男女問わずに一目惚れ現象を起こしてたりしていた。執事服なんて目立つ恰好に、演劇のポスターの大見出しとその顔が学内で多くの視線を集めており、そして、『惚れ薬(チョコ)』をいただいた人たちは彼を目撃しただけで惚れてしまう。やたらモテると思ったら、母親の『惚れ薬』がその一助になっていたとは思いもしない(それでも成長した彼は十分に整っている美形だとは思ってる)

 で、事態を収束させた解毒薬には、個人差がある。

 まだ効能を潜伏させているものも少なからずおり、学内には虎視眈々と狙ってる学生(男女問わず)がいるようで、余計なトラブルを起こさないよう、『惚れ薬』が完全に消え去る『彩昂祭』期間中は、その妖精獣(すがた)で大人しくしていろ……と、主人の南宮那月から厳命されたのだ。

 けして、呼び名の矯正するお仕置きだけではなく。

 

(うん。絶対に古城君には会わせないようにしないと!)

 

 事情は深森から聞いたけれど、それでも納得しがたい乙女心。

 

「んー、しょうがないんじゃないか? 深森先生もわざと『惚れ薬(おくすり)』を流出(なが)しちまったんじゃないし、凪沙ちゃんが気にすることはないと思うぞ」

 

 なんて、人の良いことを言ってくれる彼。

 わりと大変な目に遭ったと思うのだが、彼には『お祭り騒ぎ』の一言で済ませられるモノらしい。

 

 詳しい話を聞いたわけじゃないけれど、彼がこの絃神島に来たのは、自分の意志ではないらしい。

 なんか南宮先生に故郷を追い出されて、それで仕方なくついてきたのだとか。

 けれど、持ち前の単純さ、素朴さで、必死になってその場に馴染もうと努めてきた。こんなまるっきり異世界で、それも異分子と拒絶される……それだけ人の輪の中に入れなかった環境で、愚痴の一つもこぼさずに続けてきたのは、並みの人の良さじゃないだろう。

 いやきっと、彼はそれ以上に絶望的な戦いを―――してきたはずで……

 

「……ねぇ、フォークダンス、踊ってみない?」

 

 

 

「あう? 今のオレ、踊れるような身体じゃないぞ」

 

 その身は小さい人形のようで、軽い風船のようで、とても人に付き合えるものじゃない。でも、

 

「いいから。ちょっと凪沙とあそこで皆の輪の中に混じってみるだけ……それだけでも構わないから」

 

 それは希うような、そんな錯覚を覚えるような、ひたむきな声と眼差しだった。

 そこから彼は何を嗅ぎ取ったのか、彼女の表情に一度、呼吸を止めた間を置くと、こくんと身体を揺らすように二頭身の頭を振る。

 

「ん。わかった凪沙ちゃん」

 

 この少女は、自分に対し、恐怖しか表さなかった。

 その後、何かしらの“きっかけ”があって、なんとか自分は、この少女と“親しい”といえるだけの関係を築けたのではないか、と思っている。

 とはいえ、この少年の“親しさ”とは、例えば朝、挨拶を自然に交わせるようになることや、休み時間に、世間話ができるようになったことや、そして、互いの行為に『ありがとう』と素直に言えるようになったこと。特別、男女の仲が発展したとかではなく、純粋に距離感の縮まりを指しているのである。

 そんな、他人が聞いたら呆れてしまうような、本当にささやかな温かみの上に成り立つもの。

 だから、『好きである』と伝えられても、残念なことに、“現状に満足している”少年はそこまでである。『好意』と、それ以上のものが未分化な彼には先に発展することはない。

 

 ……でも、今、この時、この少女は何を考えて、想って自分を誘ったのだろう?

 その未知を、少女のことを知りたいと思った。

 暁凪沙と言う少女のことを知って、それが何になるとか、そういう理屈はなしで、ただ心の底から、彼女のことを知りたいと思った。

 

 

 

「……ん。何か、やっぱ変だな」

 

「おっとと、チア部だけど、フォークダンスは練習してないからね。でも、適当でいいでしょ」

 

「違うぞ。なんか凪沙ちゃんだけひとりぼっちに踊ってるみたいに見えるのだ」

 

 輪の中に入ってみたけれど。

 やはり、踊れるのは少女だけで、少女は妖精獣の小さな手足をばたつかせることくらいしかできない。傍から見れば、マスコット風船を持った女子学生が、カップルたちの輪にひとり混じってる。悪目立ちしていて、ひそひそと囁かれる。中には、ひとり寂しく踊る凪沙に、誘いをかけようかと声をかけるものもいた。

 ただ、彼女はそれでもこのポーズを固持していて、

 

「ううん。あたしはちゃんとクロウ君と踊れてる気がするから!」

 

 言って。

 笑って。

 手をこちらに伸ばして、少女は踊る。

 彼女には、その目にも見えない自分の姿を、感じられていたのかもしれない。

 たとえ、そうであったところで、二人の手はけして重ならないし、触れ合うこともないというのに。

 でも、少年はその手を振り払うことはできなかった。

 

「なんかね。昔に、こういう『客人(まれびと)』さんってのに会った気がするんだ」

 

「……そうなのか?」

 

「それで、その『客人』さんにあたしは、お礼をしたかったんだけどね」

 

「ん……たぶん、きっとそいつはお礼なんていらないと思う」

 

 『雪女』の伝承よろしく、死にかけていた時、一番刻まれた記憶と言う“老人(過去)”を殺され、新たに“一番”を刻んだ“若者《未来》”は生きている。

 “創造主(おや)”との決別の際に、少年は少し思い出したけれど、それは全てではなく、また、それを誰かに言葉にして伝えるのはできず、それと、口に出せばそこから頭より漏れ出して忘れてしまう、なんて馬鹿げたことを思ってる。

 それから、“彼女”と約束もしてる。

 だから、内緒で。少年の口は意外に固い。

 

「そうかな?」

 

「そうなのだ。気づけてもらえるだけでうれしい。だから、凪沙ちゃんからもらってるものもあったと思うぞ」

 

 少年は、少しこの妖精獣(かお)であることに感謝した。腹芸があまり得意でない彼は、この時、どんな表情をしていいのかわからなかったから。

 ただ、同時に、

 

「うん! クロウ君にそう言われるとそんな気がしてきたよ!」

 

 えへへ、と少女ははにかむ。

 本当に、時が止まってしまえばいいのに……なんて、こんな小娘の願いなんかで、時間が凍り付くことなんてない。それでも、この一時を大事に胸に抱いてるようで。

 

(う……、ちょっとだけ、ご主人に文句を言いたくなった気がする)

 

 どうにも、なんというか、それを見て少年は、これまでにないくらいに、この妖精獣(からだ)でいるのがもどかしく思った。

 

 そして、二人はゆっくりと回り始める。踊りと呼ぶにはあまりに拙い、子供の遊戯みたいなそれを、二人は子供のように続けた。

 

 

 後夜祭のフォークダンスには、こんな伝説がある。

 『一緒に踊ったカップルは、かなりの高確率で将来結ばれて“幸せな結婚”をする』という。

 

 

 

つづく


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