ミックス・ブラッド   作:夜草

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戦乙女の王国Ⅲ

ビフレスト

 

 

 『オーディン』

 魔導大国アルディギアの主神(オーディン)の名を付けられた最終兵器。

 コストを度外視し、高性能のみを追求し設計した機体は、推力、機動性、運動性、飛行能力など全ての基本性能は一般大型機体『霜の巨人(アウルゲルミル)』を遥かに凌駕する。

 

 今、そこに海洋上を渡航中の一隻の船に殲滅対象に指定される。

 

 超弩級飛空艇<ビフレスト>の甲板が開き、射出準備が整う。

 機体のメインカラーは黄金と蒼。その形態は、人型ではなく、戦闘機。

 機首は嘴の如く鋭く尖っており、全体的に鳥を髣髴とさせるシルエット。鷲に変身する主神の名を冠したからか、変形可能。そして、この高速飛行形態では単体での大気圏突入が可能となり、他の機体も寄せ付けない行動領域を誇る。

 

 発射されれば、もはや追いつけない―――――はずの、『オーディン』に迫る白い影。

 

 

 

 『魔族特区』絃神島では、法律上、特区警備隊は航空戦力を保有できないことになっている。

 だが、それは使い魔にまで適用はされない。

 

(―――フラミー、あそこだ!)

 

 以心伝心の騎手との念話に、契約された<守護獣>たる白き龍母は、力強く四枚の翼を羽ばたかせる。

 使い魔でありながら、爪も牙もなく、主人以上の戦力を有さない獣龍は戦闘方面以外での性能ならば高い。航空戦力のない特区警備隊の中では貴重とさえいえる飛行能力は、音速を超える速度で高速移動することも可能だ。

 衝撃波を生まない程度の速度で、ビルとビルの合間を通り、市街地を抜けて――主の少年の『嗅覚過適応』のセンサーが、空間跳躍した標的の“匂い”を捉えた――絃神島の航空を視野に入れる。

 

(む。あれはフォリりんたちが乗ってきた飛空艇(ふね)だ。それに何か出るぞ)

 

 その高速起動下での逡巡は命取りであり、“あれ”を見過ごすのはマズいと直感した少年は即断する。

 

「あの船に騎士団長がいる。オレが“あれ”を追う―――着地は頑張ってくれ古城君」

「なっ―――」

 

 と簡潔な言葉で伝えると返答を聞かず、同乗者たちを飛空艇甲板に落とすように、その上ギリギリを滑空して一瞬スピードを緩めたところで獣龍を一回転させる。

 

 ここから先の速度の領域に“荷物”を連れては不可能。速度を落とした今でさえしがみつくのが精一杯では、これ以上速度を上げれば振り落してしまうだろう。

 “あれ”――『オーディン』に追いつくには、さらなる加速をしなければならない。

 そして、先輩と同級生らが、いきなりパラシュートなしスカイダイビングすることになった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 騎士団長の追跡。

 霊核を抜かれた夏音は、状態が安定したとはいえまだ予断は許さない。したのは応急措置であり、いつ急変するかもわからないのだ。故に、応急処置を施した紗矢華と、そして失くした霊核の代わりに霊力を供給し続けているラ=フォリアはその場に残る。

 そして、雪菜と、“いつも通り”血を補給して元気になった古城の3人が同行することになった。そもそも、その“乗り物”は、古城の眷獣よりも小さな2m級で、3人乗りが限界であったともいえる。

 

 古城にはひとつ懸案があった。

 そう、雪菜が、『飛行機が弱点』ということだ。

 

『なあ、姫柊もここに残った方が良いんじゃないか?』

 

『そんなのはダメです! わ、私は獅子王機関の剣巫で、先輩の監視役なんですから! それにまた私の見てないところで先輩が誘惑されては困りますし』

 

 操られたことを古城は猛省している。でも、その女獣人は捕まっており、向こうにいるのは騎士団長と言うオッサンで、オッサンのフェロモンで誘惑されるようなことはない。あるわけがない。

 そう強く否定してやったわけだが、向こうは頑なに同乗を志願している。選択の余地なく、獅子王機関の剣巫として生きることを強要された雪菜には、人前で弱みを見せつけることは許されないのだろう。それは彼女の居場所を失いかねない行為であり、だから幼いころから常に無理をして気丈に振る舞わなければならない。

 信頼する仲間や友人らの前でも、弱音を吐けない彼女の心境は、同じくバスケットコートで孤独であった古城は知るところであるし、それから逃げた古城に彼女を笑う資格はない。

 そんなわけで『仮面憑き事件』で『人魚鉢』に送られる際と同じように手を繋ぐ……と言うわけにはいかないが、古城は雪菜の身体に覆い被さるように柔毛でふさふさな獣龍にしがみつく。

 

『せ、先輩!? まさかまだ血が足りない』

『違う。こうした方が安全だろ。嫌だったか?』

『そんなことはありません―――!』

 

 と耳元で囁くように言うと、顔を真っ赤にして、柔毛に身を埋めながら叫ぶ雪菜。古城はやれやれ吐息をついて、胴体部より前の、頭部に手を乗せ、首に股を挟むよう肩に足を乗せている騎手の後輩が元気づけるように、

 

『大丈夫だぞ。フラミーは飛ぶのが上手いし、飛行機じゃなくて相棒なのだ。この前の病院帰り、飛行機が苦手だって言ってた凪沙ちゃんを相乗りさせた時があったけど』

『―――おい、なんだその話。聞いてないぞクロウ!』

 

『ん。フラミーのこと話したら、見てみたいって言われてな。凪沙ちゃん、魔族は苦手だけど魔獣は平気みたいで、フラミーのことも可愛いって喜んでくれたぞ。『こんなふかふかな抱き枕が欲しい』とか言って跳びついて、『これは生きた人間をダメにするクッションだよ!』とか言って眠りかけてたくらいだから、古城君が心配するようなことはなかったのだ。また相乗り(タンデム)させてほしいなって』

 

『いや、魔族恐怖症(トラウマ)もそうだけど、今俺が心配してんのはそこじゃなくてだな! その凪沙との相乗りについて詳しく教え』

『―――先輩! 今そんなことを心配してる時間はないでしょう! 早く行きましょう! 出してくださいクロウ君!』

 

『う。出発進行だフラミー』

『みー!』

 

 そうして、古城と雪菜、クロウを乗せて、獣龍は空を飛んだ。その飛行速度は速い。離陸から加速、ぐんっ!! と景色の端が飴細工のように歪むほどの速度で疾空。飛行機にあるような座席はもちろんなく、命綱なしでしがみつかなければならない。けれど、飛行中は思ったよりも風は来ない。龍騎兵(ドラグーン)よろしく先頭のクロウが風を切るように生体障壁を展開させたおかげで、高速飛空に反して安定した空の旅であった。

 ……最後の着地で、アクション俳優並のダイナミックな要求をされたが、

 

「姫柊、掴まれ!」

 

 “試作型航空機(フロッティ)”というマッハ2.8で飛ぶミサイルよりはだいぶマシだ。人間ミサイルを経験した古城は、同じように霧化の能力を部分的に上手く使いながら<ビフレスト>の甲板に無事着。

 

「クロウが追ったのは……と、ぞろぞろお出ましかよ」

 

 それとほぼ同時、今飛びだって後輩が追いかけていった機体よりも小型な、だけど無数の群体で人型魔導機体『ベルゲルミル』が続けて現れてくる。

 

 

「ラ=フォリアからはブッ壊しても構わないって許可取ってるから、存分にやってやる! ここから先は第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

「―――いいえ、先輩。わたしたちの、です」

 

 

海上

 

 

 機体の各所に計八基の小型精霊炉を搭載した推進機能『スレイプニル・エンジン』。そのすべてを移動に回した全長20mに達する高速飛行形体の『オーディン』は、音の壁を彼方に置き去りにする。マッハ3は超える、<フロッティ>よりも速い『オーディン』を追いすがるは、獣龍。

 

(―――いくぞ、フラミー! あいつを止めるのだ!)

 

 自らが騎龍の一部となって重心を制御し、外気に身を晒すクロウ。その姿はまさに、猛獣の背中に必死にしがみつく子供のよう。だが、そのことにクロウはさして苦とは思っていなかった。むしろ、彼の内なる興奮が加速されていくような感さえある。

 物理的に御し得ぬはずの獣龍を、今クロウが十全に御した上で疾空させている秘策は、彼の膨大な生命力を物理硬化させる生体障壁だった。2mの巨体が音速を超えるような速度で突き進めば、莫大な空気が撹拌される。それを鏃状に先を尖らせた生体障壁の傘が高速時に生じる空気の撹拌を上手い具合に流して、飛空を安定させていた。

 

(でもダメだ、まだ向こうの方が速いぞ―――)

 

 先行する『オーディン』との距離は縮まることなく、徐々に開いていく。性能差で負けている。

 だが焦る必要はない。たしかに瞬間的な加速と最高速においては、魔人化時の敏捷性はこの龍母をも凌駕するだろう。だがそれは宙を蹴って進むあくまで瞬間的なもので、飛翔速度の維持においてはこの龍母に敵わない。

 だから、ここは足し算ではなく、掛け算でいく。

 

「―――フラミー」

「みー」

 

 フラミーと合わせていたクロウは呼吸を規則的に整えた。単なるスポーツ用のものではない、師より学びし精神的活動を整えるための呼吸法だ。

 速度が足りないのなら補う。<疑似聖剣>の戦術支援のように、先ほど剣巫の<雪霞狼>に自らの神気を上乗せさせたように、龍母に『匂付け(マーキング)』を施す。

 戦闘時に彼が眷獣の残滓(かわ)をその身に纏って、特性を引き出さす『香纏い』―――その超能力を、自らの身体ではなく、代わりに龍母の生体構造を強く想念して重ね合せる。狂暴性のない<守護獣>に、怪獣たる暴威を発現させる<神獣化>の“匂い”を浸透させるイメージ。一体となって騎乗する段階から、さらに自らの手足として認識できるよう……

 やがて醸し出された彼の神獣の気質は、龍母の各部、魔狼の牙に爪と言う、なかったはずの攻撃性、そして限度を超えた飛行の応力が集中する要所を強化外骨格のように包み込むようにして具現化し、硬く柔靭に補強をし始めた。

 

「ふっ!!」

 

 一気に、空間へ突き進むように加速した。想定外の応用であったろうが、クロウとフラミーの気質は非常に合っていた。黄金の神獣という輝影の外装を纏った<守護獣>は全長が十数mに達して、その形態は壮麗。金色の神格を手に入れたことで、小さく弱き龍母は正真正銘の金色の『神の精』と化して、黄龍の咆哮を高らかに轟かす。

 

 2m級という十分の一の身長から、全長20mの『オーディン』に迫る勢いで成長した<守護獣>。それは離れていた両者間を埋めていく―――魔導兵器の計算を凌駕する勢いで。

 

「―――捕まえたぞ!」

「みみー!」

 

 流星か、稲妻。

 月と朧雲しかない夜空を、金色の龍母と主神機体とが、互いの進路を邪魔しながら競り合い、絡み合いながら翔んでいく。

 竜騎兵の如く先頭で龍母を御するクロウの髪が、ちぎれそうなぐらいたなびいては、雲に突入する度に身体が濡れ、しかし、あまりの速度にすぐさま乾いてしまう。水分が染み込む前に、風圧で吹き飛んでしまうのだ。それより相手機関砲撃に鋭角に曲がって標的を追い続ける誘導ミサイルを躱そうと猛烈な水平旋転《バレルロール》を繰り返す急激なGは、常人ではとても出ないが龍母の身体に幉があってもしがみつくのは不可能で、たとえできても内臓破裂に至り即死するだろうが、肉体性能が獣人種の中でも最高位にある『混血』の少年はそんな瑣事は気にかけるような性格ではない。

 そして、戦闘機体には無理な、動物的で物理法則を無視しているような疾空飛翔で、『オーディン』の牽制射撃を全弾回避すると、

 

「<炎雷(ほの)>!」

 

 発声を引き金(トリガー)に口から放たれる魔力塊の砲弾。だが、今回のそれは“火”ではなく“炎”、クロウのだけではなく、その<守護獣>の咢よりも放たれた。そしてその二つの咆弾がその後同一軌道上で合流し、何倍にも跳ね上がった威力が敵機主翼に噛みつく―――寸前、独楽のように高速回転して―――龍母の背後を取った。

 

「―――む。忍法雲隠れの術!」

 

 背後に張り付かれては、攻撃権が向こうに有利になる。

 騎手が羽織る<隠れ蓑(タルンカッペ)>より展開される透過結界が、十数mの巨竜の身体を覆い隠す。熱反応も感知させぬそのステルスで敵機攪乱して、再び背後に回り込もうと旋回させ―――しかし、それでも、背後のポジションを取り続ける。透明化が通用しない。

 

「忍法分裂手裏剣の術!」

 

 クロウは、一瞬離した右手を後方に振るい、霊弓術の手裏剣を放って、それがさらに気の分裂操作で、ひとつが数十数百数千と無数に化ける。単なる砂粒でも(やすり)ような破壊力を持つようになるこの速度域にあって、この霰の如く手裏剣のばらまきをひとつでも無視するのは危険である。

 

 敵機は魔導大国アルディギアの最終兵器たる『オーディン』は、何より特筆すべくは計算能力。

 『スーヴェレーン(ナイン)』のような、管理公社にて絃神島の環境維持のため高速演算を続けるスーパーコンピューターと同等の演算機能を誇る『ミーミル』。

 超高度な情報分析と状況予測を行い、毎秒毎瞬無数に計測される予測結果の精度は霊媒資質の高い巫女による未来視を凌駕する、人間の脳力を超えた機械の頭脳―――それが、最適解を導き出す。

 『オーディン』は、隠行透化しようが気流の乱れに行動パターンを未来予測して追尾し、そして牽制も自らに直撃するもののみを選別し、ピンポイントの射撃にて相手攻撃を迎撃。ひとつ残らず撃ち落とし、跳ね返して、苦し紛れの敵攻撃を難なく脱する。

 

 

 が、

 

 

「フラミー!」

「み!」

 

 眼前の獣龍が、ぐるりと回った。

 スピードはそのまま、獣龍が縦回転する。四枚の翼を器用に動かして微調整しては、最大全速で前進しながら、獣龍の尻尾の先だけがでんぐり返しして下方向へ向いた。

 

「合体忍法羽手裏剣の術!」

 

 極限の曲芸飛行を見せながら、同時に、その神獣の生体障壁を纏わす二対の羽翼、その羽ばたきから羽根が舞っていくように、生体障壁が剥がされていく―――そして、分離したそれらは霊弓術の手裏剣の如く刃に研がれて、かつその一枚一枚が無数に分裂する。

 

 ばらばらばら!!

 ばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばらばら!!!!!! と。

 

 魔力咆弾と同じく、主従融合の技。

 その量は、先とは比較にならない、数万数億に達する勢い。まるで星屑の滝を流して、夜空に運河を作り出すよう。計算してもこの速度域では対処が間に合わない雲霞が主神の機体を呑み込んだ。

 そして、

 

 

辰星(しん)歳刑(さい)!」

 

 

 騎乗する龍母より手を離し、億千万の羽毛に紛れて、後方の敵機に乗り移っていた銀人狼。あまりに無茶無謀な命懸けの空中スタントを獣化することで成功させ、機体に爪痕を食い込ませて張り付く。猛烈な逆風に煽られ後ろ足が浮き上がった身体だがそれでも首相撲のように手だけは離さず、

 

 

「―――伏雷(ふし)!」

 

 

 帯電する足をピンと伸ばした逆立ちのまま姿勢を保持しているクロウが、全力で身体を振り回し、遠心力を最大に使って、上から下へと一直線に踵落としを機首に蹴り込んだ。

 

 ゴドンッッッ!!!!!! と。

 

 人間時でも、眷獣をブッ飛ばせるその膂力―――それが獣化してさらに瞬発的に限界突破させる身体強化呪術(エンチャント)で引き上げられ、衝撃変換呪術も加算される威力。

 そのインパクトは、超音速で飛翔していた飛行物体のベクトルも弾き返し、反動で撥ねた銀人狼の身体は獣龍がキャッチする。

 

 垂直に叩き込まれた『オーディン』は、直撃を受けたダメージで、コントロールを失い、錐揉み回転で空から海に墜落。

 

 

 ―――対象を、障害と認定。

 ―――標的殲滅を前に、障害の排除を優先する。

 

 

 撃墜落下の衝撃に、全方位へ散ったミルククラウン上の海水。天高々と跳ね上がった分厚い垂れ幕(カーテン)のような水飛沫がすべて落ちた時、『オーディン』の姿は、戦闘形態へと変形移行していた。

 

 

ビフレスト

 

 

 魔導人型兵器『ベルゲルミル』と、その大型機『アウルゲルミル』。

 その一機一機が吸血鬼の眷獣、魔女の悪魔に匹敵する戦闘力を有している霧の巨人の軍団。超弩級飛空艇にあるのは、戦争すら起こせる戦力。

 荒ぶる猛吹雪の如き大軍勢を前に、対峙する暁古城。微塵も狼狽を見せることなく、ただ泰然と、ただ堂々と立ちはだかる。

 

「いくぜ」

 

 突き出したのは無限の“負”の生命力が通った漆黒の腕、その血管が流れる赤いラインが走らせるその立ち姿は、ただ一身にして暴虐たる災厄の如し。その威圧感は、まさに『世界最強の吸血鬼』の文句に偽りなしの破格のものであった。

 戦争(ケンカ)を仕掛けてきた相手を見据える瞳は血色の紅に染まり、その権能を全力で振るう意思の表れ。

 

「疾く在れ、<双角の深緋>!」

 

 全身の血液が沸騰したように膨大な魔力を放ち、それは虚空に巨大な獣を召喚した。荒れ狂う暴風と大気の振動を実体化させた、緋色の鬣を持つ双角獣。

 続けて―――

 

「<獅子の黄金>!」

 

 天罰の如く神鳴りを化身とした、金色の獅子。

 天が絶叫し、地が震撼する<第四真祖>の眷獣が、二体。

 双角獣と獅子の咆哮で巻き起こる暴風域に入った霧の巨人の軍勢は、雷光に撃たれ、竜巻に呑まれ、悉くを破壊される。

 だが、宿主が無防備に晒され―――

 

「隙ありだ第四真祖―――」

「―――いいえ、ありません!」

 

 飛来してきた投剣。その魔族を浄化させる光に輝く聖剣を、横から割って入った破魔の銀槍が弾く。

 眷獣に敵魔導兵器を殲滅させて、がら空きとなる主人の古城を守るは、その監視役の剣巫。<雪霞狼>を構える雪菜の前に、騎士団に支給される剣五振りを腰につけた鞘に携える騎士団長。

 息を呑む気配を雪菜の息遣いから察知する。

 古城も視線を合わせた。

 騎士団長―――自称、破落戸。

 その男は、全身の血管が皮膚上に浮かび上がっていた。雨に打たれたようにびっしょりと汗に濡れていて、その銀髪も艶が抜け落ち、死を間近にした老人の白髪のよう。

 その閉じた両目、瞼の仲より涙のように血の帯を頬に伝わせる騎士団長は、数十分ほど、一時間も満たない合間に、寿命の半分を削ったかのような容態に陥っていた。

 にもかかわらず、

 

「おや」

 

 その二刀を抜いて、右手左手に構える騎士団長の姿は、とても半死半生とは思えないほど堂の入ったものであった

 

「横槍を入れるのは先の剣巫か。なるほど、余程その男が大事なのだな」

 

「ッ!?」

 

 ゴッ!! と。

 雪菜が銀槍に『神格振動波』を発動させ、霊力を増幅させると同時、その刃に重たい衝撃が走り抜けた。音もなく高速で接近してきた騎士団長の刃と、大きく打ち合ったためだ。

 

(なんて力……!? とても、戦えるような状態じゃないのに……!)

 

 霊力が、その器たる肉体より漏れ出しており、半ば暴走しかけている。

 霊視と言う感性に優れた雪菜からは視ているだけで、ちりちりと、こちらの肌がささくれ立ちそうでもあった。

 

 ヂッ!! という擦過音が響く。

 剣戟の威力に槍が弾かれ、がら空きとなった胴にもう一本の剣が鋭角的に雪菜へ襲い掛かった音だ。

 触れるだけで精一杯などと言う、生半可な斬撃ではなかった。

 洗練。

 その一語が示すような、速く鋭く重たい一撃を、雪菜が長い槍の柄で辛うじて受け止める。未来視で常人よりも先手を取れるアドバンテージを有する雪菜が辛うじて。その事実に彼女が思い知らされる直後、さらに騎士団長の二刀流は過激に振るう。

 ザザザガガガガギギギギギギギッ!! と。

 マシンガンよりも短い間隔で、立て続けにオレンジ色の火花が散る。

 速いだけではない。

 叩きつけるだけではない。

 一撃一撃に、相手の防御を掻い潜ろうとする思考があり、剣に伝わる衝撃には人の精神を削り取る殺意が篭められていた。満身創痍の相手に互角どころか圧されている。その意味を感じ取り、必死に槍を操り加速していく連撃に食らいつきながら、雪菜の目が鋭くなる。

 才能だけのごり押しではない。そこに甘んじず、さらなる鍛錬を積み重ねてきたからこそ、これだけの斬撃が生み出された。

 だからこそ、何故。

 

(何にしてもここでこの人を止めなければ―――!)

 

 ゴッ!! と速度が増した雪菜の槍。

 それも受けられ、逸らされたが、そこで異変が起きた。

 武器がぶつかり合うたびに生み出されるオレンジ色の火花が、妙に膨らんでいたのだ。鋼と鋼がぶつかる音も、一瞬だけぐわんと歪んだ。

 

「クッ」

 

 眉間に皺寄せて騎士団長が後ろに下がった。

 油断なく槍を構える雪菜を線のような薄目で睨みつつ、騎士団長は剣を持ち直し、二つの刃を観察した。

 魔族の人間よりも硬質な肉体を両断するために作られた、幅広の刃。

 その刃が、所々で欠けていた。出来損ないの櫛のように、数cm大の細い溝が不均一に走っている。刃を打ち合わせるたびに、特級の武神具たる槍が一般兵に支給される剣の方へ食い込んだのだろう。

 

「獅子王機関の『七式突撃降魔槍』、か。物に頼ってる点があろうが、己の剣に傷をつけるのは姪でもなかなかできんな」

 

 だが、それまで。

 今の数合で、互いの力量は知れた。

 これはまだ高神の社の訓練時代の話であるが、雪菜は紗矢華を相手にした場合、その勝率は5回やって1回勝利するというもの。その紗矢華を難なく倒した相手。魔剣ではなくとも、その剣技の冴えは尋常ではなく、魔力を用いない条件下では『神格振動波』もほとんど無意味。雪菜は、彼女自身より圧倒的に優れたものと戦っている。そこで満身創痍なその状態を気遣うなど、命取りだ。

 

「<雪霞狼>……ッ!」

 

 透明なほど愚直な一突きが放たれる。

 受け止めた『聖環騎士団』の一般支給される十字剣が、ゴム製のオモチャのようにたわむ。たわませるように、受けたのだ。限界を超えた威力でも折らさずに力を受けて、流す。足を引いて体勢を立て直す騎士団長が、体の泳ぐ雪菜に斬りつけてきたとき、元に戻る反動の勢いをつけた剣。首を刎ねる一刀を、雪菜は左に身体を捻り数mmの差ですり抜ける。後ろ髪を僅かに散らされた騎士団長の剣に、左回旋した遠心力を乗せ、十分な捻転を付けて逆に槍を打ち込んだ。

 鈍い音が響いた。

 刃と刃の衝突の瞬間、再び剣がたわむ。今度は受け流すことができなかった。火花に混じって、鋼の破片が散る。

 

「しかし、勝つのは私だ」

 

 もう片方の剣が、砕かれた剣に勢いを削がれた銀槍の柄を受け、そのまま刃を擦り合せながら足元の甲板を突き刺す。間髪入れず、予備の剣を抜いた受けた剣と鋏とするように交差させて、銀槍を挟み縫い止めた。

 得物を封じられた雪菜は、強引に取り戻すか、回避するか逡巡して、判断が遅れる。その間に迷うことなく騎士団長は残る最後の二刀の剣を抜く。

 

「させるか!」

 

 古城は全力で疾駆して、呪文の詠唱する余裕もなく、魔力を帯びた右手を向ける。

 

「先、輩……」

 

 雪菜が目元を微かに痙攣させる。

 その白い首元に鋏斬るよう交差された騎士団長の双剣があった。がっきと、そのちょうど支点を差し込んだ古城の右手がそれを止めていた。

 照らされた光に闇が払われるよう、聖別された剣に“負”の魔力は浄化されてしまう。だが、闇が光を呑む場合もあるのだと、浄化されようが無尽蔵に膨大な魔力を放出し続けるという力技で剣が見えない壁に阻まれたように制止される。

 そして、その拮抗の天秤は不意に傾く。

 

「ごふ……っ」

 

 血の混じった咳。剣の力が緩む。聖の属性である光も著しく弱まる。

 古城たちはそれを待たない。

 拳を振り抜いて大きく双剣を弾くと、懐に飛び込んだ雪菜が双掌を騎士団長の腹へ叩き込む。

 

「<(ゆらぎ)>よ!」

 

 騎士団長が突き込まれた雪菜の両手を起点にくの字に折れかけたところで、続けて古城が胸を半身に反らせて思い切り振りかぶった左拳を、騎士団長の頭に叩き込む。

 鈍い音が炸裂した。

 魔力こそ篭められなかったが、吸血鬼の馬力の容赦ない一発。そして、内部を乱す剣巫の打撃は、霊核を抑え込む幉を落としかけている身には致命的であったろう。その威力が予想を超えていたが、騎士団長は、踏ん張った。

 皮靴を甲板に滑らせて騎士団長が双剣を持った両腕をだらりと落とす。そこへさらにもう一発叩き込むと、古城は大きく踏み出そうとして―――

 

「ダメです先輩っ!」

 

 その背中を雪菜に引っ張られて制止され、後ろ向きに彼女の身体に受けられるように倒される。

 

「かぁッ!」

 

 爆発させる呼気とともに、騎士団長の姿が消えた。

 次の瞬間、古城は胸元を交差に切り裂かれていた。

 脱力から最高速に至る、残像も残らない神速の踏み込みだった。もはや人の動きではなかった。

 

「くそ……本当に人間か。もう結構な年齢(とし)いってる筈だろ……」

 

 心臓肺をぶちまけずに済んだのは、一瞬未来視で危機を察知した雪菜のおかげだろう。

 

「応、やはり衰えを感じるな。アラダールと斬り合った時よりも一回りほど体力が落ちている」

 

 だが、今の騎士団長に油断など欠片も抱けないだろう。

 満身創痍で両目から血の涙を流しながらも浮かべる、その飢え渇く虎の笑みを見れば。

 

 

「しかし、真祖よ。老いてますます技の切れ味は研がれていると自負している。

 ―――さあ、起きろ『トール』! この戦争(ケンカ)、まだ終わりにはせぬ!」

 

 

海上

 

 

 カラーリングは黄金がベースに蒼で縁取り、全身甲冑のような鋭角的なシルエット、一つ目(モノアイ)レンズを炯々と光らす頭部。そして、高速移動形態から戦闘人型形態に変形した『オーディン』にはその身の丈を超えるほどの長大極まる凶悪な槍を備えていた。

 

 

 そして、戦況は一方的だった。

 

 

「ぐぬ……っ! でっかいのに速いぞこいつ……っ!」

 

 『操る』のではなく、『動く』人型魔導兵器。

 無数の糸を繋げて操る人形ではなく、人形そのものが意思を持って動いているとは別次元だろう。自らの意志の力が末端にまで注ぎ込まれている機体の動きに制限や余計な簡略化は一切見られない。速度こそ戦闘機の形をしていた方が速かっただろうが、本来の姿である人型時の方が、自由度が高過ぎる。

 機械と言うより、自由に獲物を狩る獅子のような動物的な動き。

 そして、悉く攻撃が防がれ、防御を許さぬ機械的な読み。

 

「<炎雷>!」

 

 <守護獣>と合わせて放つ融合魔力咆弾。それを連発して撃ってくるクロウ。

 それに対する『オーディン』がブレる、海上をスケートリンクで滑るよう、右に左に細かく脚部バーニアより高速ダッシュを繰り返して―――視界から消える。ぐるりと回る気配。

 しかしそれでも意識を共有した銀人狼と獣龍の反応はついていく。

 

「<拆雷(さく)>!」

 

 <守護獣>の全身に迸る活性化された生体電流。そのぶちかましは、<第四真祖>の雷光の獅子にも匹敵する威力だろう。

 一方、『オーディン』は人型の形態を崩した、人間でも戦闘機でもない、半端にぐしゃっと潰れたシルエットで、獣龍の体当たりをギリギリのところで――紙一重にまで無駄のない計算通りの動きで――避ける。特異なシルエットが本来ならばありえない重心移動を生み出し、機体に急制動をかける。そして、まるで弾ける液体を逆回しにしたように再び人型を取り戻し、猛牛狩り(マタドール)の如く前に出たクロウらの背を狙う。

 

「フラミーっ!?」

 

 クロウの<守護獣>の皮膚は刃を通さない、あらゆる武器を否定する絶対の耐性があった。だが、『オーディン』の槍『グングニル』は獣龍の肉体を刺し貫いた。

 

 北欧主神の槍(グングニル)には、人の手にあるものの中では最強クラスの魔剣(バルムンク)を一撃で叩き折った伝説がある。

 

 同じなのだ。『物質透過』の魔術回路が埋め込まれている<バルムンク>の核を破壊したのは、剣巫の放った<雪霞狼>の一撃だ。

 そう、『オーディン』の主兵装『グングニル』に埋め込まれている魔術回路は、獅子王機関の秘奥兵器にして個人が有する武神具の中で最大威力である<雪霞狼>と同じく、『神格振動波駆動術式』。

 『神格振動波駆動術式』の完成形は、獅子王機関によって秘匿される情報であるも、独占された技術ではない。かつてその術式を人工生命体に埋め込もうとした西欧教会の殲教師がいるように、他の勢力で独自に『神格振動波駆動術式』の研究開発は進められている。

 魔導技術大国アルディギアもまた『神格振動波駆動術式』を解析し、そして組み上げたのが、<疑似聖槍(グングニル・システム)>。

 <疑似聖剣>をより洗練させた<疑似聖槍>の『神格振動波駆動術式』は、『オーディン』の計八基の小型精霊炉『スレイプニル・エンジン』と言う動力源で稼働する。その単純なデータによる出力は、剣巫のよりも勝るものだろう。

 

 そして、『神格振動波』が不死という“負”の呪いをも打ち消し、真祖を殺し得る力ならば、咎神の罪業の呪いである武器の否定をも突破し得る。

 

「みーーっ!」

 

 肉を貫き、一翼を抉り飛ばされた獣龍は錐揉み回転し、水切りのように海面を跳ね、しかし残る三翼で体勢を持ち直し、滑空する。

 <守護獣>である以上、契約者より精気を送り込めば再生するだろうが、そういう問題ではない。

 

「ぐるるぅ……」

 

 憤怒を噛み殺すように唸るクロウ。

 これまで『神格振動波』を有する相手の戦闘経験はある。<雪霞狼>を振るう剣巫な同級生や<薔薇の指先>を召喚する人工生命体の後輩。

 しかし、このアルディギアの最終兵器は、後輩の眷獣よりも大きく、剣巫の同級生よりも読みが鋭い。そして―――さらに一段階進んでいる。

 

 ―――スレイプニル・エンジン50%供給。

 ―――グングニル・システム限定解放。

 

 アルディギアの姫御子は、ひとりで魔導戦艦の動力源たる精霊炉を賄うことができるほど膨大な霊力をその身に秘めている。

 ならば、逆を言えば、精霊炉ひとつは、アルディギアの姫御子に匹敵するものであると言えるのではないか。

 

 そして、<模造天使>において、高い霊媒素養を持つ女児の肉体に元から備わっている霊的中枢は7つであり、それに6つの霊的中枢を身に取り入れさせる――つまりおよそ二人分の13の霊的中枢を持たせる。それが霊格を一段階引き上げるための必要十分な最低基準であるという。

 

 『オーディン』に搭載されている小型精霊炉は八基。

 その内動力に何基か回したとしても、最低でも二基の小型精霊炉を<疑似聖槍>に供給するとすれば―――理論上、その巨大な槍は、北欧の主神を名乗るに相応しき神気を放つようになるのではないか。

 

「ぬ、雪―――っ!!」

 

 巨大な槍を振るう機体の周囲に、粉雪を連想させる白い結晶が舞い始める。それは見る間に数を増やし、この海域に降り注ぐ。

 この白い雪片は、『神格振動波』の結晶だ。

 50%――八基中四基の小型精霊炉の霊力が注ぎ込まれて、<疑似聖槍>の『神格振動波』が結晶化したのだ。その純白の結晶は龍母の身体を灼き、銀人狼の魔性を弱めさせていく。

 

 そして、『オーディン』が、神槍より伸びる巨大な白き霊光を刃とし、大気ごと障害(クロウ)を穿つ。

 ―――寸前、銀人狼が龍母の背より飛び降りた。

 だが、それは獣龍を犠牲(たて)に逃げたのではない、逆。彼が飛び出したのはその前だ。方向を間違っているわけでもない。

 そして、着水すると瞬間、その両手を(ハンマー)のように合わせて叩きつける。

 海を。海を殴りつける。

 さて、これでいったい何が得られるのか。

 答えは単純。

 

 

 壁だ。

 超巨大な水柱が神槍の前にそびえ立ち、その分厚い壁が『オーディン』の神槍を逸らす。

 

 

「忍法畳返し!」

 

 “魔力に頼らない”南宮クロウの『嗅覚過適応』―――その応用『匂付け(マーキング)

 自然物に自身の“匂い”を浸透させることで、手足のように操作する高位の精霊術にも匹敵する超能力とその有り余る馬力(パワー)をフルに使い、大瀑布が天地逆しまにしたかのような光景を作り出した。

 

 クロウの“獣気(におい)”により強化補強された水壁は、霊光をプリズムと同じ理屈で歪曲させ、水の抵抗で巨大な鋼鉄槍の軌道をブレさせる。さらに光の熱エネルギーも減衰させる―――魔力のない、大自然の結界といえよう。

 しかしながら、曲げられる角度はそれほど大したものではない。

 数度、十数度、それが精々だろう。

 だが、龍母はその尾で主人を巻き付けて拾い上げながら、『オーディン』の攻撃を歪曲させる方向とは逆へ大きく舵を切る。二つの差が大きく広がり、それがギリギリのところで“絶対に回避不能”な『オーディン』の攻撃をやり過ごす。先の仕返しとばかりに、まるで闘牛士のような、華麗な振る舞いであった。

 

 そして、それは絶対的な演算能力を持つ機械頭脳に瑕疵を生じさせる。

 

「畳返し畳返し畳返し―――――!!!」

 

 連続して、天を衝く水柱が上がる。

 水は普通の人間にとってはただの柔らかい液体でも、高速で飛翔する物体にとっては速ければ速いほど凄まじい硬度の壁となる。それが超能力で強化されているとなれば、迂闊に飛び込めば、鋼鉄の壁に激突するほどのダメージを受けるだろう。

 

 さらに、局地的大豪雨の如く大量に撒き散らされる水滴は、雪のような『神格振動波』の結晶さえも洗い流してしまう。

 

 主兵装である<疑似聖槍>を除いて、<守護獣>に致命傷を与える武器はない以上、それさえ対応できてしまえば―――

 

 

 ―――スレイプニル・エンジン80%供給。

 ―――ミーミル接続。フリズスキャルヴ座標指定完了。

 ―――グングニル・システム開放。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 核を、穿たれた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ……何が、起こった……?

 

 水柱の壁。それで防ぐことができなくとも、勢いを削ぎ落とし、逸らせた。

 しかし、その一刺しはクロウにも覚らせず、貫いた。<守護獣>の肉体を。

 

「フラミー!?」

 

 気づけば、やられた。そして、水壁も突破された形跡はない。

 そうして、障害(クロウ)が海面に墜落した結果だが、『オーディン』には眼中がないのか、海中に没したクロウの行方を見定めることもせず、北欧の最終兵器はその14,5km先に捉えたクルーズ船に巨大槍を向ける。

 

 

 ―――スレイプニル・エンジン80%供給。

 ―――ミーミル接続。フリズスキャルヴ座標指定完了。

 ―――グングニル・システム開放。

 

 

 主神の槍(グングニル)は、最強の飛び道具だ。

 投げれば必ず標的を貫き、どんなに強靭な武器でも迎撃することは敵わず、そして投げた槍は必ず主神のもとへと帰る。

 つまり、<疑似聖槍>は投槍にこそ本領を発揮するもの。

 

 ―――標的を、殲滅する。

 

 躊躇などあるわけがなく。

 真祖さえも滅する必殺必中の神槍が、『戦王領域』の有望な若手貴族の乗る船へと、真っ直ぐに投げ放たれ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――外れた。

 

 

オシアナス・グレイブ

 

 

 必殺必中の投槍の正体は、『空間制御』

 獅子王機関の舞威姫が<煌華鱗>が指定した座標に通じた次元の裂け目に呪矢を放ち、標的に回避しようのない零距離で直撃させるのと同じ。

 

 移動距離に比例して指数関数的に増加する空間制御の魔術演算量が必要とされる―――しかし、その要求も人工衛星『フリスズキャルヴ』とリンクした超電子演算装置『ミーミル』ならば満たせる。

 『スレイプニル・エンジン』の小型化に成功した戦艦級の精霊炉の内、二基を利用すれば、演算制度も魔力量も問題ない。

 ―――ただし、『空間制御』による投槍は、同じく『空間制御』を操るものならば、その『門』の座標をずらすことも可能だ。

 

 そして、絃神島には、単独で長距離の空間転移という不可能を可能にする『空間制御』に特化した大魔女がいる。

 

 

 

 『戦王領域』の貴族ディミトリエ=ヴァトラーは、この近くの海域で戦闘が起きているのを感じ取っている。

 超音速でこちらに接近して、強大な力がぶつかり合うその波動を、戦闘狂の<蛇遣い>は誰よりも敏感に察していた。

 

(ああ、ダメだ。あんなにはしゃいじゃって! ボクが我慢できなくなるじゃないカ!)

 

 このクルーズ船ごと自分たちを破滅させかねないほどの脅威。

 普通ならば危険信号を発するところだが、この闘争に飢えた吸血鬼にしてみれば、楽しそうな遊び声を聴かされているようなもので、むしろ率先して戦闘地帯に混ざりたいくらいだ。それで休戦協定がご破算となれば尚の事良し。

 しかしながら、この場には堅物な親友であるアラダールがいる。主たる第一真祖に忠実でありその任を真面目に全うしようとする彼は、ヴァトラーと同じく近くで戦闘の気配を察してはいるが、直接的な害を被るまでは様子見に徹している。ヴァトラーが飛び出そうとすれば、止めに入るだろう。

 だが、そんな彼でも攻撃をされれば話は別だ。既に言質は取ってある。

 そして、相手の矛先がこちらに向けられる、ヴァトラーの待ち望んだ展開が来て………取り上げられた。

 こちらに迫っていた脅威が別の場所に移されるのを感知した直後、前触れもなく虚空から舌足らずな声が響いた。

 

 

「邪魔をするぞ、<蛇遣い>―――」

 

 

 ヴァトラーが認める数少ない実力者、<空隙の魔女>南宮那月の人形めいた輪郭が、波紋のように空間を揺らして、ヴァトラーたちの眼前に現れる。フリルまみれの豪奢なドレスを翻し、彼女は『戦王領域』の有力な吸血鬼らを尊大に見返した。

 

「この海域は一応絃神島の管轄に入る。それに今は少々立て込んでいるようでな。念のために、私が明日の調印式に出席するVIPを護衛しに来た」

 

「南宮那月……<空隙の魔女>か」

 

 那月の言う通り、クルーズ船の1kmほど先に、特区警備隊(アイランドガード)の船がつけられており、国家攻魔官である彼女の指揮のもと警護体制がとられている。

 この<オシアナス・グレイブⅡ>には、先代機<オシアナス・グレイブ>と同じように、空間制御の邪魔をする結界が張られていたのだが、同じ結界で侵入を阻まれることをそのまま良しとするような性格の魔女ではない。克服するよう対策を練っていたのだろう―――そう試行錯誤をしていなければ、ヴァトラーの望む強者像ではない。

 あっさりと侵入を許しながらも、親友であるアラダールは威厳に満ちた態度のまま、席を立つような真似もしない。

 

「悪魔憑き如きが、この俺を護衛するつもりか?」

 

「ヴェレシュ=アラダール、貴様もそこの<蛇遣い>と同じなら、私も対応を改めるが?」

 

 那月の挑発じみた物言いに、黒髪の吸血鬼は不機嫌そうに眉を顰める。

 今、敵の攻撃を容易くその空間制御能力で捌いたように優秀な術者であることはアラダールも理解する。アラダールが直接介入することによる影響も把握している。そして、この問題児(ヴァトラー)と同列視されるのは、不愉快極まりない。

 

「それで、護衛に送られたのは貴様だけか?」

 

「いや、私の眷獣(サーヴァント)も来ているようだ」

 

 アラダールが静かな緊張感のこもった声で訊く。

 

「そいつは使えるのか?」

 

「手間のかかる馬鹿犬だからな、私はできる仕事しか与えたことがない」

 

 那月が淡々と応える。それは、直接的には言ってはいないが、現場を任せ、彼女がここにいることが信頼の全てだと受け取れた。

 その文句を受けて、アラダールはしばし瞑目して、首肯を返す。

 

「……いいだろう。私はこのまま船の中にいて、貴様に護衛させるのが得策のようだ。この船を守った礼を述べよう、<空隙の魔女>」

 

 損得の計算を済ませた結果、周囲に渦巻かせていた鬼気を引っ込めたアラダールが実直な口調で告げる。

 

「賢明な判断だ。どうやら貴様は<蛇遣い>とは違うようだ」

 

 那月が愉快そうな口調で言って、ヴァトラーに視線をやる。アラダールがそちらに回った以上ヴァトラーも好き勝手はできない。南宮那月は『戦王領域』のVIPの護衛ではなく、見張りに来たといった方が正しいだろう。

 

「また、お預けにするのかい」

 

 馳走を獲られたのはこれで二度目。

「そろそろ、君の使い魔、食べ頃に熟れてるんじゃないカナ。収穫が待ち遠しいヨ」

 

「蛇には生殺しがお似合いだと言わなかったか」

 

 拗ねたような口調で言うヴァトラーに、那月は冷たく見返し。

 

 

「蛇は黙って見ておけ。神を殺すのは狼と北欧(むこう)では相場が決まっている」

 

 

海上

 

 

 最終戦争(ラグナロク)北欧の主神(オーディン)は、封印が解かれた“沼に棲む狼(フェンリル)”に一瞬で殺された。

 

 

 『オーディン』の頭脳『ミーミル』は、『グングニル』の投槍を外した原因にすぐに計算を出した。

 こちらが『空間制御』で座標位置設定した『門』を、また別の『空間制御』によって妨害された。普通ならばありえない。想定する事態の中でも限りなく優先度の低い。『空間制御』は高難度の魔術であり、即興でできるようなものではなく、高度な触媒か多人数を用意して行うものだからだ。

 しかし、時に、職人技の指先は機械よりも精密緻密な作業ができるように、信じられないが、最高の頭脳と膨大な魔力量を有する『オーディン』よりも『空間制御』が巧みであり、敵わない。

 

 この失敗を元に、最適解を再計算する。

 

 その取捨選別できずに魔術を打ち消してしまう『神格振動波』の性質上、投槍のための『空間制御』とは同時展開できず、『神格振動波駆動術式』は着弾時に稼働させるものであるため、それまでは神槍ではなくただの槍。

 だから、相手の『空間制御』の影響を受けてしまう。

 であるならば、空間転移による投槍ではなく、純粋な投擲により標的を殲滅する。

 

 

 ―――スレイプニル・エンジン100%供給。

 ―――グングニル・システム全開放。

 

 

 外れた槍を空間転移で取り戻し、再度構える。

 機体を浮遊させ、巨大槍を投擲するための最低限の動力源ならば、小型精霊炉のラインが途切れても予備ラインで補うことが可能だ。

 その20mの機体の全長と同じであった巨大槍より、より巨大な白き刃が発生する。精霊炉を全八基稼働させる<疑似聖槍>。理論上、それは一度しか使用ができないが、喰らえば真祖をも抹消する出力であり、<模造天使>と同等以上の神性がその槍に込められる。これが、魔を絶滅させる一刺し―――

 

 ………フラミーが、やられた。

 

 ぐぢゅり……!! という粘質な音が響いた。

 海が。『オーディン』の足元――障害(クロウ)を撃墜した地点を中心にして、真っ黒な粘液に浸食される沼になっていく。

 

 ………あそこに、ご主人が、いる。

 

 ずずずずずずずずずずずずずずずずずずずず……!! という海を黒く塗り替えた沼の泥が、竜巻のように伸び上がる。そのてっぺん、終末を知らしめる喇叭の口のように広がった先端が、不気味に蠕動して形を作っていく。

 神を喰らい尽す巨大な狼の顎(ゴットイーター)に。

 

 ………もう、やらせない。

 

 その全容に、光が溢れる。

 真っ黒な、矛盾した光。視認できなはずの、暗黒物質。そのようなもので構成された巨体。

 それは神獣と成った魔狼が、『沼の龍母』を取り込み、理性のある魔人(ひと)ではなく、強大な力を持つ幻獣(けもの)を選んだ姿であるか。

 

 ………やる前に、やる。

 

 『オーディン』は、<疑似聖槍>の照準を変える。

 障害ではなく、絶滅すべき対象として、その幻獣を見る。そう、この殺神兵器の悪性は、あのクルーズ船に潜む魔性よりも邪悪な怪物。最終兵器(どうぐ)でありながら神の位に限りなく近くある『オーディン』にとって、看過できない天敵。

 

 ―――標的を、×()×()×()×()

 

 主神が、沼に棲む狼(フェンリル)に食い殺されるのは、予言に決められている。

 獣の未来予測より導き出された先―――槍を放とうとした『オーディン』が動くよりも速く、喰い終えた。

 

 水平線の彼方から天頂までを覆い尽してしまうような、神を喰らう真黒き狼の上顎。

 まるで空が落ちてくるような光景。機体が砕かれて、奈落まで続くような狼の喉の奥へ流され、清濁万象壊し尽す毒の沼に呑まれる。

 閉ざされて行く口。閉ざされて行く主神の未来。

 

 ばづんっ!! と鈍い音の炸裂と共に竜巻が変形した巨大な漆黒の狼顎が、内側から霧散した。粘質な音を立てて散らばる残滓は、共食いする自浄作用で勝手に蒸発して、沼になった海も元の青さを取り戻して、

 その中心に獣龍と別れた少年が海に身を投げるように真っ逆さまに落ちて、大きな水柱を立てる。

 

 

 そして、北欧の魔導技術大国アルディギアの最終兵器『オーディン』は、始まる前に終わらせるという矛盾した最速にて、跡形もなく抹消された。

 

 

ビフレスト

 

 

 『トール』

 全体的にがっちりとしたシルエットに、それを支える太い脚部、そして右手で掴む巨大な鉄槌や火力過剰な左肩の砲台。野球のキャッチャーやアメリカンフットボール選手のような重装甲のイメージが強い機体で、4m級の<第四真祖>の眷獣が、小型犬に見えるほど20m級のその巨体は、見るだけで重厚な威圧感を与えてくる。

 ゴッ!! と、トールが振るう主兵装の鉄槌という超重量の風が唸り、緋色の双角獣を大きく弾き飛ばす。

 

 ゴバッ!! と、閃光が飛空艇の甲板を白く塗り潰した。

 発生源は、左肩の砲台。

 そこから発射された光の嵐が、容赦なく雷光の獅子を呑み込んだのだ。

 それは色が紫電ではない、純白の、聖なる光の属性である雷撃。

 

 剣に魔を浄化させる聖の属性を付加させる戦術支援<疑似聖剣>。それを自然現象である雷にまで組み込ませたのか。

 この<疑似聖雷(ミョルニル・システム)>の一撃は真祖の眷獣すら抹消し、そのまま純白の奔流がミキサーのように真祖の身体を粉々に粉砕し、灼き払い、押し流してしまうだけの破壊力がある―――

 しかし、暁古城は無事であった。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 霊視が一瞬先を捉え、誰よりも早く動く。

 銀槍を盾とし、祝詞をこの甲板に高らかに謳い上げる。

 

「雪霞の神狼、千剣破(ちはや)の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 第四真祖の前に立つ監視役の剣巫。

 その研ぎ澄まされた刃より空間に浸透するよう広がる眩き光より敷かれるのは、高純度の神気を災厄に対する守りに変換する『神格振動波』の聖護結界。

 雷神の神威の如き究極の破壊を前にして、少女はあまりにも小さく矮小で儚い。吹けば飛ぶような、塵にも等しい存在。だが、姫柊雪菜は、圧倒的な暴虐の中で、流されることもなく地に足をつけて――先輩を背にして――立っている。

 両手に渾身の力を籠め、己の霊力を振り絞り、苦渋に顔を歪めながらも決して折れることのないその姿は、まさに一所懸命。

 『トール』の放った一撃は、甲板上にあった『霧の巨人』らの残骸を一掃して、第四真祖の眷獣を消滅させるという戦果を残した。

 それでも、それだけの威力を誇る攻撃に曝された第四真祖は、五体満足で立っていた。

 

「……せん……ぱい……」

 

 切れ切れに、倒れる少女の唇が呟く。

 力を使い果たした少女の華奢な身体を胸が支え、右腕でしかりと抱きしめる。その感謝は、言葉にせずとも伝わっただろう。

 ―――そして、カッと紅い目を見開き、獰猛に犬歯を剥いた暁古城はその左腕を振り上げ、

 

「<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ!」

 

 <疑似聖雷>の再装填が完了するより早く、<第四真祖>の眷獣が召喚される。

 

「疾く在れ、三番目の眷獣。<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>!」

 

 現れたのは、次元食い(ディメンジョン・イーター)の能力を有する二体一対の双頭龍。その天使の光剣すら喰らった眷獣は、雷神の一撃をも呑み込みながら、巨鎚を噛み砕き、巨重な魔導兵器を空間ごと削り取り消滅させた。

 

「これで、あんたの戦争(ケンカ)も終わりだっ」

 

 古城が飛び出す。

 眷獣ではなく、決着をつけさせるのは己の手で。

 ごくごく当たり前の正拳突き。しかしながら、真祖の身体能力と魔力を篭めれば、その当たり前が跳ね上がる。そして、当たり前な攻撃であればこそ、小手先の技術では止められない。

 騎士団長の間違いは、その一撃を躱さず、なお剣技で迎え撃とうとしたことだ。

 その覚悟を見誤った。

 魔族を蒸発させるほどの聖気を篭めた剣を振るう。それを、古城は受けた。受けて、構わず殴る。

 

「おおおおおおおおおぉぉォッ!!」

 

 その迫力に圧されたか、もう一刀の斬撃が、捻じれた。斬ろうとした騎士団長の剣が、逆に弾かれたのだ。

 不死の特性に任せた、捨て身の特攻。

 身体ごとぶつけてくるような一発を、もう、足の動かない騎士団長は避けられない。

 もしくは、避けたくなかったのか。

 

「これほど、とは―――」

 

 拳が、騎士団長の胸へ叩き込まれた。

 肋骨を砕き、ずぶり、とその手首近くまでが体内へ埋まった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『ただ、もし私が女の子を産んだのなら、その子を一度助けてあげてくれませんか』

 

 

 死に行く女がいた。その女は誰の助けも乞わなかった。目前にある破滅に対していながら微笑んで別れを告げてくる女。それを見過ごしてしまったから、惨劇が起きた。だから―――

 

 

 

「目が覚めたかオッサン」

 

 長く、長く時間が流れていた。

 これほどに意識を喪失したのは久方ぶり。

 もう起き上がることもできず、剣を握ることもかなわない。

 じわり、と。倒れた身体と甲板の間から染み出すように、赤い液体が溢れてきた。

 このまま、この身に霊核があれば、いずれこの身は死を迎えることになるだろう。

 それに説明されずとも見て悟ったのか、勝者である少年の顔色が変わる。

 その気配を察したのか、騎士団長はゆっくりと口を開いた。

 血の混じったと息と共に、真っ赤になった唇が言葉を紡ぐ。

 

「まったく。たった、ひとりの小娘のを奪った程度で……この有り様か」

 

 どこか、ひどく眠たそうな声で、

 

「土台、私ごとき小さな器では、王族の力を受け入れることなど不可能だったわけか。これを天は我を味方せず……と言うのだな」

 

 しかし、ひそかに勝ち誇る笑みを作り、

 

「だが、鉄槌は降せた。すでに『オーディン』が出撃した。『戦王領域』の、吸血鬼を消滅させるために……これで、魔族との和平もかなうまい。私の望みは叶った」

 

「……、」

 

 そして。

 気だるげな少年は、呆れたように嘆息する。

 

「そっちが本命じゃねェだろ。あんたを動かしたものの正体は」

 

「……なん、だと?」

 

 騎士団長の笑みが、止まる。

 それ以上先は、その名を告げてくれるな、と開かれた目の色が、音もなく、確実に変わっていく。

 だが、

 

「……叶瀬。結局、その辺があんたの理由なんだろ」

 

「否。真祖よそれは理論が破綻してるぞ。私があの小娘を誘拐し、その霊核を奪ったのだ! それも戦争を起こすためにな……っ!」

 

「前にあんたみたいなヤツとやり合ったことがあるから、なんとなくわかんだよ。ああ、たった一つを救うためにすべてをなげうった馬鹿野郎な義父と同じで、本当は戦争なんかどうでもいいんだってな。

 けどな、あんたが掲げる方法が完璧に成功したって、あんたが守ろうとしていた何かが救われることには繋がらねェよ」

 

 古城は、苦いものを噛み潰すように言い切った。

 それに反論を返すことはできなかった。

 

 

「―――そういうことでしたか」

 

 

 と、新たな声が同意したのだ。

 雪菜ではない。

 上――民間で貸し出されるヘリから、黒の軍服のスカートが翻った。風の精に働きかける

精霊術による気流制御を受けながらの自律落下。高位の精霊遣いであれば苦も無くこなす芸当であり、むしろその練度を問うのならば、優美さの度合いによって格付けが決まるところだ。

 完全な垂直を維持したまま滑り降りる直線軌道と、羽毛のように軽やかな着地。そして、着衣と髪には一切の乱れもなし。まさに模範演技ともいうべき彼女の手練れは、その道の魔術師であれば溜息を禁じ得ないだろうし、天から降りてくる女神のような美少女となれば魔術師でない一般人でも虜となるであろう。

 そして、これは彼女が己の霊力を完全に御している証左であった。

 

「申し訳ありません、古城、雪菜。どうやら出番が遅れてしまったようです」

 

「ラ=フォリア」

 

 銀の髪が風にそよぎ、北欧の姫御子の白い肌を美しく彩る。

 

「王女! 勝手に飛び出さないでください!」

 

「紗矢華さん」

 

 続けて、王女の護衛役である獅子王機関の舞威姫が甲板に着地する。そして、するりとその腕から流れ落ちるよう、甲板に降りた小人のような錬金術師も顔を出した。

 

「それで、15年前、騎士団長が護衛したのは、“アルディギア王家の血の記憶をもった女人”―――それは、夏音の母親ですね」

 

「っ……」

 

 ラ=フォリアの問いかけに、初めてこの男が視線を逸らす。

 そして、その反応に深く息をこぼすニーナ=アデラート。

 

「そうか。主が夏音の母親を守ったという騎士だったか……」

 

 15年前、アルディギアの先代国王が、自身に迷惑を掛けまいと日本に帰国した叶瀬夏音の母親のために建てたのが、ニーナ=アデラート修道院。

 当然、ニーナは叶瀬夏音の母親を知っているのだろう。

 そして、その最期も……

 

「しかし、残念なことだ。夏音を産んですぐに死んだ」

 

 事実を告げたニーナの言葉を受けた、その騎士団長の表情からすべてが垣間見えた。

 これ以上、口にするのはためらいが覚える。しかし、これを話さなければこの男は何も打ち明けようとはしない。

 

「夏音にはとても言えん。夏音の母親は元々誰にも頼らず単身で出産しようとして、弱り切っておった。この『魔族特区』で設備の整った病院へも頑固としていこうとせんかった。アルディギアとの血筋がバレるわけにはいかんかったからな。だが、それはあまりに無茶が過ぎた」

 

 叶瀬夏音の母親は、霊媒資質のない一般人である。

 優れた巫女であり、霊力制御に長けていたのならば、腹に宿す子の霊力暴走を抑え込めたかもしれなかったが、叶瀬夏音の母親にはできなかった。

 

 身寄りのない霊能力者の子供たちを引き取ってきたニーナはよく知る。

 莫大な霊力を持ちながら、それを御すことのできない幼児は、霊力を暴走させて悪霊を呼び寄せ、吹雪や雷などの天変地異まで発生させてしまいケースがある。

 優れた霊能資質を持つ子供は、超常現象を引き起こすせいで、親に疎まれ虐待を受けるのだ。それは実の子供を恐れずにはいられぬほどのもの。

 そして、アルディギア王家特有の女児は、必ず最高位の霊媒素養をもって生まれる。

 アルディギアでも、ラ=フォリアの出産時には、叶瀬賢生――当時の宮廷魔導技師らが総出でバックアップを務めた。そのおかげで第一王女は母子ともに無事に出産をすることができた。

 

 だが、叶瀬賢生の母親の場合は、病院設備さえない、修道院。そして、霊能力を抑えるよう尽力できたのは、修道院に派遣された院長ニーナ=アデラートただひとり。

 

「叶瀬賢生は後悔しておった。妹とその娘のことを最期まで知らなかった自分には、顔を合わせる資格もないとな。5年前の事件がなければ、夏音の前に現れようとしなかっただろう」

 

 叶瀬賢生が叶瀬夏音の存在を知ったのは、妹である母親が亡くなってからだ。

 だから、錬金術とは分野が違えど、ニーナがひとりで彼女の出産をみた。

 如何にニーナが、大錬金術師といえども、ひとりですべてのフォローをすることはできない。母と娘、どちらかを優先しなければいけなかった。

 

(わし)だけでは無理であった。古の大錬金術師と讃えられようが、ひとりの命も救えなかった! なんて無様じゃ! ―――だが、彼奴が愛人の娘を認め、アルディギアの王族専属の病院設備で出産を迎えることができていれば、どちらかが死ぬようなことはならなかったはずだった!」

 

 ニーナの懺悔するような、そして責めるような慟哭に、古城は、雪菜は、紗矢華は、ラ=フォリアもそこにいたもの全てが何も言えない。ただ、ひとり呟くように口を開いたこの男を除いて。

 

「やはり、あそこで止めていれば……」

 

 この男には似合わぬような、深い後悔の色を滲ませる声音。

 もはやこれまで。

 全てを観念したように、一度大きく息を吸い、吐く。

 

「ああ、死ぬことは予想していた。だが、願われたのは彼女自身ではなく、その娘の救いだ。

 そして、これまでに巻き込まれた事件を知り、昨日、直接見ることができた。

 あの娘に、アルディギアの霊媒素養など、ない方が幸せであろう。身に余る力は、その本人をも滅ぼす。そして、それはひとりの犠牲だけに留まらず周囲をも巻き込むことになるだろう。

 現在でさえも、多くに狙われるその素質だ。私はあれが宿業なのだと理解した。そんなものを持っていてもあの娘にとって価値はあるのか?」

 

 すう、と騎士団長が古城らを見据える。

 

「………」

 

 古城には答えられなかった。

 古城もまた、<第四真祖>という力を先代から押し付けられて、多くの不自由を受けた。

 雪菜も紗矢華も、その生まれ持った高い霊媒素養が原因で、異邦の神に捧げられる贄とされ、親より虐待を受けることになった。

 その実態を知る故に、答えられる、わけがなかった。

 

「無論、霊核は魂に依存する。所謂、精気(オド)。生物にとって、根源的な生命力であって、どれほど丁寧に剥ぎ取ろうにも、魂を引き裂くことに等しい。この通り、拒絶反応がひどいが、もしもこのまま私のものとして定着したのなれば、あの娘は大人になるまでの寿命が保つかもわからない。

 ―――それでも、マシな人生が送れるだろうと私は思ったのだ」

 

 と、騎士団長は柔らかく笑った

 やはり、古城が思った通りに、この男はあの義父と似ていた。

 力を与えるか奪うかとそのベクトルこそ真逆なものであったが、それでも己ができる限り全てを賭して、救おうとしていた。

 そして、どちらもその想いは口にせず秘し続けていたという頑固な点も。

 

「だから、返してやる気はない。すでに『オーディン』を起動させたのだ。おそらく今頃、『戦王領域』の吸血鬼たちは殲滅されているだろう。そうでなくても、和平は結ばれず、戦争になる。ならば、その引き金を引くために、私は罪なき叶瀬夏音から霊核を奪った破落戸でいいんだ。……そんな手前勝手な理由の方が、幾分かマシだろう」

 

 皮肉気に、騎士団長は唇を吊り上げた。

 彼女が最後にしたその願いを叶えるために、娘をアルディギア女児に課される運命から切り離す。だけど、そのために外法に手を伸ばさなければならなかった。その責任を彼女にだけは押しつけたくなかった。

 あんな願いをしなければこのような罪を犯さずに済んだ、己は苦しまずに済んだのだ、とそんな台詞を絶対に言わないために、別の理由を用意した。それで己に納得いかせる都合のいい理由を模索し、それが捻じれてしまって出てきた結論が、戦争、なのだろう。

 

「負けは認められない。このまま、勝ち逃げさせて、もらおう。もう後戻りはできぬ、のでな……」

 

 唇の動きがゆっくりになっていき、やがて止まろうとしていた。

 雪菜の息を呑む音が、古城の耳まで届く。

 古城は、唇を噛みしめて。

 

 

 いいえ、と。

 遠い地平線にある空と海へ視線をやる姫御子が緩やかに否定に首を横に振る。

 

 

「勝ちを名乗るには、些か気が早いですね騎士団長」

 

「どういう、ことだ……?」

 

「『戦王領域』の船を攻撃するより前に、我がアルディギアの最終兵器『オーディン』は、撃墜されました。わたくしとしましては、アルデアル公はぶっ殺してくれてたほうが嬉しかったんですけど、あの子――夏音の家族がだいぶ張り切ったみたいでして……ぱっくん、と一口で食ってしまった、と主人の南宮那月から先ほど連絡がありました」

 

 口をパクパクと動かして何かを言おうとしている騎士団長だったが、それにスカッとして古城は笑ってしまった。

 そして、同じくその連絡を受けていた紗矢華がその説明を引き継ぐ。

 

「アルデアル公の船<オシアナス・グレイブⅡ>には、絃神島の特区警備隊及び国家攻魔官南宮那月、そしてそのサーヴァントが警護についております。これ以上、戦争の引き金となるような魔導テロは起こさせません」

 

 式典警護を担当する獅子王機関の舞威姫の宣言。

 これ以上は戦争を起こすのは無理であり、未遂で終わった以上、それを政府機関は揉み消して終わりとするだろう。そして、この状況から逆転する策など思いつくわけがなく、

 

「……あの娘には心強い家族がいると」

 

「ええ、わたくしたちアルディギア家も含めて」

 

「……これは後戻りするしかないと、そうおっしゃるのですな」

 

 叶瀬夏音の霊核を必要とする理由――“言い訳”が使えなくなった。

 そう、この男は、止まることができるようになった。

 

「アンタの負けだ」

 

「ふん。私に認めさせるというのならば、誓え小僧」

 

 騎士団長は己を倒した世界最強の真祖に問う。

 

「あの娘の母親は、王家にも、家族にも、救うことができなかった。だから、だから……ピンチになったらいつでもどこでも駆けつける都合のいいあの娘のヒーローになると、ここで誓ってくれないか」

 

 これが、この男がなりたかった、本当の望みか。

 その本当は自分がやりたかった夢を、他の何者かに明け渡す重み。

 そうして。

 古城は一言だけ告げて、男が差し出した剣を取った。

 

「まったく、軽く剣を取ってくれるな」

 

 と騎士団長は倒れたまま苦笑して、つぶやいた。

 

 

空港

 

 

 『戦王領域』とアルディギアの相互不可侵条約期間延長の調印式は無事に終わった。

 病院に運ばれていた叶瀬夏音も霊核を取り戻したおかげで、その日のうちに退院できると。『北海帝国』のテロリストも特区警備隊に捕まり、騎士団長もしばらく病院で療養してから本国アルディギアに送還されるとのこと。誰一人の事件は皆解決……

 

「ふん! 妾は主らの見送りなんて行きたくなかったが、夏音が言うから仕方なく、仕方なく、義理で来てやった」

 

 医療知識を有するメイドな人工生命体は見舞いに、カリスマ教師な主人は後始末の仕事、

 というわけで、入院して送迎に行けなくなった夏音の代役を任されたのは、ぷかぷかと浮いたバルーンマスコットな妖精獣(モーグリー)に、しゃべる『賢者の腕時計』……

 これが仮装にしても混沌である。

 

「うわー、この時計本当にしゃべるんだ! 携帯マイクとかじゃないんだよね! それとクロウ君またモーグリーになっちゃってるけどどうしたの?」

 

「うー。これはご主人からの罰なのだ。仕事を真面目にやれって一日このままご飯抜きなんだぞ」

「もう、クロウ君は食欲に負けちゃうんだから、肝心な時に………うん、じゃあ、明日は凪沙が何か作ってあげるね」

「本当か! 感謝するぞ凪沙ちゃん!」

 

 そして、妖精獣の紐を握り、『賢者の腕時計』を巻いているのは、妹の凪沙という……

 監視役の雪菜と紗矢華らと一緒にラ=フォリアたちの見送りに来ていた古城は何とも言えずに目を覆ってしまう。

 

「―――ありがとう古城。とても楽しい滞在でした」

 

「ああ、そう、それはよかった」

 

 にこやかに別れの挨拶をする古城とラ=フォリアたちの後、国王妃ポリフォニアが、凪沙の――夏音の家族代理であるクロウ達の前に出て、

 

「う。今日は来れなかったけど、お前たちに会えてよかったと夏音が言ってたぞ。オレも楽しかったのだ」

 

「はい、こちらこそ。お別れの挨拶ができなかったのは残念だけど、次は夏音ちゃんがアルディギアに来てくださいと伝えてね」

 

「妾の目が黒いうちは夏音はやらんぞ」

「ええっ!?」

 

 と、和やかな雰囲気なところを針で刺すような尖った声。国王妃にケンカを売るような真似は当然注目を集め、巻き込まれて針のむしろに晒される凪沙があわあわと慌てて見るその『賢者の腕時計』こと、叶瀬夏音の育ての親はそんなことを一切お構いなしに、

 

「貴様らのことを家族とは認めたが、結局、肝心の彼奴が来ておらんではないか」

 

「お父様は、その……」

 

 言い淀むポリフォニア。

 異母妹である夏音、その父親はポリフォニアと同じアルディギアの先代国王だ。

 

「それも話に聴けば、彼奴め、夏音が隠し子であることを最後まで否定し、娘とは認めず逃げ回ったそうだな。昔の彼奴は魅力的だったが。たとえ王族の命令だろうと、そんなケツの穴の小さい最低な男の下になど妾は絶対にいかせんぞ!」

 

 腕時計からの一喝に、国王夫妻は何も言わず黙り込んでしまう。

 ……ただ、

 

(え? 隠し子? なに、それってどういうことなの!? 私が寝てる間に何かあったのはわかってるけど、ホント何があったの!?!?)

 

 一番混乱しているのは凪沙である。ほとんど事情を知らないのに、とばっちりがひどい。ニーナの怒りもわからないでもないが、そろそろ妹の為にも古城が割って入ろうと、するよりも早く、ぷかぷかと上から常と変わらない後輩の声が響く。

 

「む。それは違うぞニーナ」

 

「何が違うのだクロウ。主も彼奴から騎士を差し向けられたと言っておったではないか」

 

「んー。確かにチャンバラごっこはやったけど、王様ってのは自由にできないことが多いからな。それでも、あの祖父さんなりに夏音のことは考えてたのだ」

 

 そう、たとえば、今回の騎士団長のよう。

 アルディギア王家女児の宿業といった、その遺伝する高い霊媒資質を狙う輩が多いことを危惧し、王族――家族であることを認めようとしなかったのではないか。

 

「祖父さん、夏音の義父さんと、同じ“匂い”がしたぞ。あれって、多分、夏音が祖父さんの娘と認められないというより、爺さんが夏音の父親だと自分が認められるわけがないと思ってたんだとオレは思うぞ」

 

 胸中を嗅ぎ取ったその感情は、後悔であったとクロウが語る。

 最初、先代国王は、頑なに夏音の父親を認めようとはしなかった――夏音の父親と、自身が認められるわけがないと思っていたのだ。

 そう、彼はアルディギア王家の血を引くその遺伝子が、女児であれば必ず高い霊媒素養を持ち、そして、その女児の出産がどれほど命懸けであるのかを知っていた。

 おおよそ二分の一の確率で、己の子を身籠った愛人が死ぬ。そのことがわかっていた。

 だが、彼は王としての立場を貫いた。受け入れる修道院を建てるなどできる限りの手を尽くしたにしても、己との血縁を隠そうとした彼女の意志に甘えて、公表はしなかったのだ。

 聞けば、夏音の母親とラ=フォリアの祖母は仲が良かったそうだが、それでも王に愛人など世間体が許さなかったのだろう。

 結果として見れば、それは見殺しとかわらないものになった。そんな母親を見殺しにしたような己が、親と名乗れる資格がない、と……

 

「でも、祖父さん、祖母さんにしっかりと反省させられたからな。自分から行くのはまだ頑固に認めたがらなくても、夏音から近づけば案外すんなりいくんじゃないか?」

 

「……まったく、主と話してると気が削がれて敵わんわ。ふぅ……わかった。夏音から行きたいというのなら止めん。だが、その前に妾と彼奴とで話をさせろ」

 

「はい。その時はお父様をふんじばってでも貴女様の前に連れてきますわ。恨み言があったら遠慮なくどうぞぶつけてやってくださいな」

 

「ああ、そうさせてもらう。と言いたいところだが、その恨み言もないんじゃどうしようもない。夏音の母親は最期まで彼奴に一言もそのようなことは口にしなかったしの……」

 

 ……そういうことか。

 古城は、ニーナの抱いている複雑な気持ちが少しだけ理解できた。叶瀬賢生という聡明な兄を持ち、王族女児を出産するその危険性を知っていただろうに、それでも夏音を産んだ夏音の母親。おそらく彼女は、本気で先代国王を愛していたのだ。王族であることなど関係なく、本気で。だから彼女は、愛人の娘とわかれば誰もが止める、そう中絶されるかもしれない中でひとり、それが命懸けであっても、彼との子供を産もうとした。

 

「じゃが、夏音が嫌がり、それでも無理矢理行かそうとするのなら、戦争だぞ。のう、古城」

 

「は? え?」

 

 いきなり話を振られて戸惑う古城に、『賢者の腕時計』はやれやれと呆れた声音で、

 

「何故そんな顔をする。主、夏音のヒーローになると誓ったではないか」

 

「あー、確かにそういったけどな。できれば戦争とかしない平和裏に解決を……」

 

「……ほう、やはり貴様、夏音にまで毒牙を掛けておったのか!」

 

 再熱するルーカス王。

 がっしりと大熊のごとく古城の両肩を掴んで迫り、額を突き合わせて凄む。

 

「(我がアルディギアの騎士団長、『ベルゲルミル』に『アウルゲルミル』、そして、『トール』に最終兵器『オーディン』を倒したくらいでいい気になるなよ! あれはまだ試作段階(プロトタイプ)で、次はより改良(バージョンアップ)してるから首を洗ってまっておれ!)」

 

「(マジで戦争仕掛ける気かよアンタ!? っつか、おたくの最終兵器をやったのは俺じゃなくて、クロウだからな!)」

 

 ルーカスの威圧を少しでも逸らせぬかと、後輩へ誘導しようとする古城。

 武王が目を細め、後輩を睨む。それに対し、後輩は『ん?』と首を傾げてる。それを豪胆と言うのか鈍感と判断すべきか、悩む古城だが、ルーカスはその反応に頬をほころばせて、

 

「どうだ……“これ”で儂のところにこんか?」

 

 妖精獣の前に、指一本立てるルーカス。その意味を理解しかねるといった調子で、また逆に首を傾げる後輩に、武王は改めて言う。

 

「十億で儂の従士になる気はないか?」

 

 思わぬ後輩へのスカウトに古城は大きく目を見開いた。

 

(おいおい、それってNBA大型新人選手と契約を結ぶ年俸額よりも倍近く多いぞ!?)

 

 雪菜も紗矢華も固まっている。

 そういえば、『第四真祖の監視役』という超高難易度任務に“いつ死んでも悔いが残らないように”と獅子王機関が女子中学生に送った支度金は、一千万だったが、そこの相場を考えても、明らかに高額である。

 

「これでも『オーディン』にかけた費用よりはだいぶ安い。それに娘も気に入ってるし、娘に色目を向けん性格だとわかった。どうだ、南宮クロウよ。アルディギアで儂に仕え」

「―――ダメ!」

 

 誰もが武王のスカウトに言葉を失う中で、凪沙が叫んだ。

 

「クロウ君を連れてくなんて、絶対にダメ!!」

 

 浮いてたクロウを捕まえて、その胸に抱きかかえ、武王を真っ向から見る。これがアルディギアの偉い王様であることを理解はしていながら、一歩も退く気がないと睨んでいる。その不遜な態度に、ルーカスは咎めず、まるで対等なオークションの競り相手でも見るような眼差しで、凪沙を軽く睨み、それから古城を見た。

 

「(そういうことか暁古城。妹で獣王を引き込んでいるのか!)」

 

 ものすっごい誤解をされてる気がする。

 王女に手を出して王族に入り婿したルーカス王から、政治的手腕も侮らんと上方に過剰評価された古城は、それは必至で首を横に振って否定する。そんなつもりは一切ない。

 

「や、王様のものにはならないぞオレ」

 

 で、肝心の当人。王族の頼み事は二回以上断るとペナルティが課される。だが、その誘いに対して逡巡もしていなかった。

 

「十億では不足なのか?」

 

「食い物は森に入れば一日に必要な分はすぐに見つかるし。寝るところも雨風が凌げれば十分だな」

 

 いつもと同じ、その瞳色の金のように何事にもブレがない後輩は、素の言葉で答える。

 

「あ、でもひとつ欲しいのがあったぞ」

 

「おお、何だ言ってみろ!」

 

「昨日のパーティに出てたあのハチミツのお酒、一瓶欲しいのだ。ご主人が、飲めなかったからな」

 

 ぽかん、と今度はその要求に呆れたように口を開けて固まってしまう。そして、

 

「ふっ、ふぁはははっ! 頑固な奴め! いいだろう今回の件での貴様の働きには儂も感謝しておるからな、送ってやる」

 

「いいのか王様」

 

「心して飲めと貴様の主人に伝えておけ、そいつは十億の酒だとな」

 

 ニヤニヤと上機嫌に笑う武王。余程、後輩を気に入ったのか、まだその目は引き抜きを諦めていない色が古城に見えた。

 

「獣王を騎士団入りできぬのは残念だが、ぜひ、夏音を守ってやってほしい」

 

「言われなくても守るぞ。家族だからな」

 

「そうか。なら、あの男の毒牙にかからんようにも見張って」

 

「それは別問題なのだ」

 

 一国の王と軽口を叩くこの後輩は、馬鹿なのか大物なのか。どちらともいえないが、とりあえず古城は後者に期待しておこう。

 と苦笑してしまう古城に、忍び寄る王妃様がこっそり耳打ちする。

 

「(ラ=フォリアとの婿入りの件、諦めていませんからね)」

 

 聴こえていたのか。隣の監視役からの視線が痛くなってきた古城は天を仰ぎたくなる。

 

 ただひとつ。

 今回の件、もし、王に愛人を持つことが世間から認められていれば、変わっていたのかもしれない。

 ……ひょっとすると、ラ=フォリアが、愛人や側室等を認める発言をして、一夫多妻制度に寛大な理解があるのは、そのせいなのか、と改めてアルディギアの背景を知り、古城は思う。

 

 なんて、そんなことは、まだ肝心のお相手が一人もいない男子高校生が、考えるようなことではないだろうが。

 

「じゃあな、ラ=フォリア」

 

「はい。きっと近いうちにまた」

 

 

 

つづく

 

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

「そうだ古城君。オレ、新しい技を思い付いたぞ」

 

 

 それは罰が終わって妖精獣から元に戻り、約束した飯を馳走に後輩が部屋に来た時のこと。

 部活で帰りが遅くなるという妹を監視役の後輩である姫柊雪菜も一緒に待っていると、ふと後輩が思い付いたように、ピコン、と頭上に電球を閃かす。

 

「まだ誰にもしたことがなくてなー。でも、ひょっとしたらなんかの役に立つかもしれないし、練習がしたいぞ。ちょっと試させてほしいのだ古城君」

 

「おいおい、それってプロレス技みたいなヤツじゃねーよな。そんな実験台はごめんだ」

 

「ん。痛くないぞ。古城君、一度やられた覚えがあるだろ? ほら、フェロモンで相手を操る……」

 

「それって、まさか……」

 

「ひょっとして、この前のトリーネっていうジャコウネコ系の獣人のですか?」

 

「う。姫柊の言うとおりの特殊スキルだぞ。オレも『嗅覚過適応(ハイパーアダプター)』で、匂い系には自信があるからな。同じ魔力を使わない超能力を発香系(アクティブ)してみたらできるんじゃないかって思ったのだ」

 

「確かにクロウ君は獣人種の特性がありますし、フェロモンを使った精神操作ができるかもしれませんね」

 

「だろ? だからな、古城君」

 

「待て。それは、体は痛くないかもしれないが、心が痛くなる中二病発言するようになっちまうことだろ!」

 

「大丈夫だ古城君。同性には効き目が薄いってことだし、そんなのにはならないと思うのだ。それに、ちょっと反応見たら、すぐ元に戻すぞ」

 

「いや、けどな……」

 

「……先輩。まさかクロウ君のフェロモンに誘惑される心配を」

「しねェよ! 野郎のフェロモンなんかにやられるわけがねーだろ!」

 

「よし。じゃあ、古城君、いくぞ」

 

「ちょ、まだ、心の準備が」

 

「忍法おいろけの術」

 

 と後輩の手元に集束される霞のような芳香玉。

 それが手首のスナップだけで投じた軽いキャッチボールのように古城の顔に当たる。

 顔に当たった衝撃はなくて、そして玉が弾ける、というよりは、解けていくというように拡散して、しかし大気に溶け込んだ“匂い”がすぅと鼻腔に入る。

 目のハイライトが弱くなり、そして古城の意識が遠のいて……

 

「古城君? おーい、固まっちまってどうしたのだー?」

 

「――――――はっ!」

 

「先輩、今、やられかけてませんでした……?」

 

「な、なにいってんだよ姫柊、そんなわけねーじゃねぇか!」

 

「……鼻血、出てますよ」

 

「っ~~~! ―――いや、出てねーじゃねェかよほら! 手に鼻血なんかついて……」

 

「ええ、ウソです。ですが、マヌケは見つかったようですね」

 

「なっ、まさか」

 

「あの時私のこと“良い匂い”だとか真顔で言っておきながら、クロウ君のフェロモンでかかるなんて先輩! どれだけ見境がないんですか!」

 

「かかってねーよ! ―――いてっ!? おい、こr―――いてて、ひめ! いててててっ!?」

 

 ぽかぽか、と拳を握って実力行使に出る剣巫……そんな、傍から見ればじゃれ合っているようにしか見えない世界最強の吸血鬼とその監視役に、マイペースな声が飛ぶ。

 

「よし、じゃあもう一度確かめるのだ。いくぞー、忍法おいろけの術!」

 

「わかったやめろクロウの超能力にそのスキルは危険だから!?」

 

 再び投じられる芳香玉(フェロモンボール)

 どこかの世界最強の小悪魔(リリス)でもないのに、食らうとメロメロに精神支配される、ある意味極悪なそれを、古城は咄嗟に身を反らして避ける。幸い、玉の速度はそれほどではなく、ほわんほわんほわん……………と、玄関の方へと飛んで行って、

 

 

「ただいまー、部活で遅くなっちゃってごめんね―――わっ!?」

 

 

 ガチャ、と開かれたドア。そこから顔を出した少女に、古城がたった今躱した芳香玉が当たる。

 

「「「凪沙(ちゃん)!?」」」

 

「え、なに? よくわからないんだけどイタズラ?」

 

「凪沙! 頭がぼーっととかしてないか?」

 

「うん? 熱中症の心配? あはは、部活帰りで疲れてるだけだから。古城君は本当に心配性だよ」

 

「え、っと、本当に大丈夫なんですね凪沙ちゃん?」

 

「もう、雪菜ちゃんまで。大丈夫だって」

 

「凪沙ちゃん」

「―――あ、ちょっと買い忘れたものがあったんだ」

 

「ん。じゃあ、オレがいくぞ」

「―――ううん、クロウ君はここで待ってて、お願い。絶対についてきちゃダメ。視界に入るのも禁止。じゃ、行ってくるね」

 

 言って、玄関先に重たい買い物袋と学生鞄を置いて、返答待たずに凪沙は行ってしまった……

 

 このフェロモンによる精神支配は異性であれば、真祖にさえ効果が実証されるもののはず。

 しかしながら、少女は普段と様子が変わってないように見える。

 

「むぅ。新技失敗か?」

 

「ああ、そうみたいだな」

 

「むしろ、何か避けられてた気がするのだ古城君」

 

「いや、あの凪沙の反応は嫌ってるとかじゃなかった気がするんだが……」

 

 ―――その朱に染まる表情に健康面を気遣うばかりの男子二人は気づかなかったが。

 

「(財布を入れてる筈の鞄まで置いていってるってことは……)―――先輩、クロウ君、私ちょっと凪沙ちゃんの手伝いに行ってきますね!」

 

 

 

 

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………はぅぅ、顔が熱い。何だろう一目見ただけなのに。今日はクロウ君の顔も見れないよ」

 

 

道中

 

 

 翌日。

 

「む。現れたな妃崎」

 

「ええ、今の仕事が少し難航してて行き詰ってるのだけど、私が監視してない内にアルディギア王国といろいろあったみたいじゃない? だから、今日一日、確かめに監視に戻ってきたわけ。とりあえず、引き抜きはされてないみたいで安心したわ」

 

「六刃にならないと言ったはずだぞ」

 

「それで諦めるとは私は言ってないわ」

 

「むぅ……また前みたいになるのはごめんなのだ。こうなったら……」

 

「あら? 昼休みに学校の屋上でしている剣巫と同じ組手がお望みかしら。けど、私から手を出さない限り、あなたは何もできないのよ」

 

「や、これは攻撃じゃないぞ。

 ―――忍法おいろけの術」

 

 

 ……………………

 ………………

 …………

 

 

 3時間が経過。

 

 

「うふ、うふふふふふふふふ……この私が、こんなにも長い時間、立ちぼうけさせられるなんて、ありえない……ええ、鎖に繋がれた飼い犬と評価を甘く見積もり過ぎていた……そう、攻撃されるわけがないと油断していた。増上慢だったことを反省しなくては……ふふ、嬉しいわぁ、想定以上に屈服させ甲斐のある監視相手で……! ここは莉琉の力で……必ずこの屈辱、倍返しにして逆襲をしてあげなくてわねぇ―――!」

 

 

 

つづく


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