ミックス・ブラッド   作:夜草

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戦乙女の王国Ⅰ

???

 

 

 これは北欧に伝わりし戦乙女(ヴァルキリー)の婚儀の話。

 

 龍殺しという偉業を成して、成人した英雄は、国王の妹君に一目惚れをし、求婚する。

 そして、国の危機に、戦争に援軍して勝利に導いた英雄を国王は認め、妹君を娶るためにある要求を出した。

 それは『戦乙女と結ばれる』のを上手く支援することだ。『力比べ』で勝てた者を伴侶とする戦乙女に、挑む国王をその『透明になる隠れ蓑』で助けてほしい、と……

 

 

「………では、手筈通りに“お願いしますね”」

 

 

道中

 

 

 ―――来日の為、超弩級装甲飛行船<ビフレスト>に乗り込むアルディギア国王夫妻とラ=フォリア王女、今夜にも絃神島に到着。

 

 

 北欧の立憲君主国家アルディギア王国より、王女ラ=フォリア=リハヴァインと国王夫妻ルーカス=リハヴァインとポリフォニア=リハヴァインが『魔族特区』絃神島に来日。

 『戦王領域』との相互不可侵条約期間延長の調印式を行う場として、第三国の日本の絃神島が選ばれた。

 

 道行く電光掲示板のテロップで流されるニュースを話題に、『世界最強の吸血鬼』こと<第四真祖>暁古城は気だるげに、一緒に登校している監視役の姫柊雪菜に話を振る。

 

「しかし、『戦王領域』ってヴァトラーの所属す()る『夜の帝国(ドミニオン)』だよな。それが、どうして絃神島で?」

 

「『戦王領域』とアルディギアの両国とも、色々な過去のいきさつがあるから、第三国のこの、絃神島が選ばれたと聞いています」

 

 国家の魔導テロ対策組織――獅子王機関の一員である雪菜の説明に、へぇ、と古城は相槌を打って、

 

「そういや、凪沙の奴が、警備にクロウが派遣されるから今日の学校は休むって言ってたな」

 

 朝食の席で、お喋り好きな妹曰く。

 前回、極秘に来日した王女護衛案内役として絃神島より派遣された(と言うことになっている)後輩。雪菜のように攻魔師資格(Cカード)は所持していないが、<空隙の魔女>の眷獣(サーヴァント)として特区警備隊(アイランドガード)の仕事の手伝いができるだけの能力を有し、『聖環騎士団』にスカウトされるほどアルディギア王族に気に入られてるというのだから、式典の護衛警護にはうってつけの人材だ。きっと今頃王女の付き人のようなことをされて振り回され、妙なことを躾けられていることだろう。

 

 ……何故、そんな欠席理由をクラスメイトとはいえ凪沙(いもうと)が知っているのかは古城(あに)として非常に気になるところではあるが。

 

「ま、なんにしても俺は関係ねぇな……ラ=フォリアも仕事で来てるんなら色々と忙しいだろうからな」

 

 ある事件を通じて知り合ったアルディギア国王の実子で、王位継承権を持つ17歳の第一王女ラ=フォリア=リハヴァイン。

 国民はもとより国外にもファンが多数いるラ=フォリアであるも、姫御子の人となりを知った古城には、聡明な頭脳に基づいた強い好奇心と遊び心を持っていて、その天真爛漫さを制御できるものは極めて少ない厄介な性格の相手である。

 毎度お騒がせな姫御子の来訪であるも、流石に公務中のラ=フォリアとは会うこともないだろう。

 

「だといいんですけど……」

 

「へ」

 

 息を吐く古城を一瞥する雪菜。

 古城が厄介ごとを引きつけるトラブルメーカーとみてる剣巫は、残念ながら先輩の思うとおりの平穏はないと予想する。

 ―――そして、その直感は正しく的中するのだ。

 

 横断歩道を渡ろうとする古城の前に一般車が急停車し、中から飛び出してきた人影。静かな雪原のように深く冷ややかで、して穏やかな美貌を持つ、つい先ほど掲示板で見たばかりの、今夜来日予定だという、銀髪碧眼な姫御子は古城に真っ先に抱きついてきた。

 

「助けてください暁古城!」

 

「「ラフォリア(さん)!?」」

 

 いきなりな救助嘆願に戸惑う古城と雪菜。しかし、ラ=フォリアから話を聞くだけの時間は与えられなかった。

 ラ=フォリアを追ってきた大きな黒塗りのリムジンが古城たちの前で停車し、そこから大男が現れる。

 

「―――もう、逃がさんぞ、ラ=フォリア」

 

 顎髭を生やし、二本の牛角がつけられた鉄兜。

 蛮族のように、狩った獣の皮で作られた戦衣装。

 まさしく、ヴァイキング。

 がっしりとした大柄な体躯で、遠目にも威圧感がものすごい。男の鋭い目つきに、古城は教科書で視た鬼神像をを思い出した。男に動じている様子は微塵もなく、見るもの全てを飲み込まんばかりの威圧感を周囲に振りまいている。

 

(強い……っ)

 

 その見かけ倒しな力量ではないと険しく目を細めた雪菜が、ギターケースより引き抜き展開した獅子王機関の秘奥兵器<雪霞狼>を構える。

 ラ=フォリアは、アルディギア王族の女性独特の特徴である強力な霊媒体質を継いでおり、過去にはその力を悪用しようとする輩に狙われたこともある。

 『仮面憑き事件』でもそうだったように、このヴァイキングも刺客である可能性が高いか―――

 

「下がってろ、ラ=フォリア!」

 

 咄嗟にラ=フォリアを下がらせる古城―――で、ラ=フォリアはそのまま背後にいた雪菜に抱きついて、その耳元に囁く。

 

「(雪菜は手を出さないでください)」

「―――え?」

 

 監視役として、先輩を巻き込んだ厄介ごとを率先して解決しようとした雪菜の行動はラ=フォリアにより封じられる。

 そして、割って入る古城と一対一となった大男はその双眸でジロリと睨むと、得物である片手斧(ハンドアックス)を取り出し、魔族さえ怯ませるほどの威をもった声で恫喝する。

 

「邪魔立てをするな、小童!」

 

 間近で見るヴァイキングは並外れて大きかった。身長は2m近いだろう。肩幅も広く、その筋肉はかなり鍛え上げられている。よほどの鍛錬と実戦を積み上げられたものに違いない。それが炯々と眼光を走らせ気炎を吐く憤怒の形相を浮かべているのだから、心象的にはさらに1.5倍の3mもの圧を感じさせてくる。

 それを真っ向から浴びせられた古城は、血に宿る眷獣たちの防衛本能から電撃を身体より迸らせる。

 そこへ電撃に怯むことなく、一瞬で古城との間合いを詰めてきたヴァイキングが、刃を唸らせて片手斧を振り下ろす。

 

「おいオッサン―――!?」

 

 一撃が受け止められた。

 反射的に突き出した古城の掌―――その薄皮一枚ほど前で。

 

「ぐうぅぅ!」

 

 古城は何が起きたかわからないが、目の前のヴァイキングがまさか寸止めしたわけではない。今も歯軋りさせて大柄な体躯でのしかかるように体重をかけてくるヴァイキングだが、その渾身の力を込めてもびくともしない。すでに立場上やむを得ず最前線から現役を退いても、力には自信があっただけに、これは衝撃だったのだろう。

 驚いた表情を浮かべつつも、一度大きく距離を取る。

 

「『力比べ』で儂に勝つとは、やるな若造っ! それも騎士団長さえも吹き飛ばす我が一太刀をそうも片手で軽々と受け切られるとは、この20年遡っても片手で数えられるほどしかおらんぞ」

 

「? は、何だよくわからねェけど……」

 

 戸惑う古城だが、目の前のヴァイキングは思わぬ強敵に戦意が昂揚したように歯を見せて笑う。これが演技(ウソ)なら名俳優だったろう。何にしても巻き込まれてるこちらも状況はわかっていないので、まずは話を、と口を開こうとしたその瞬間―――古城の胸先に片手斧が迫っていた。

 

「くっ!」

 

 ヴァイキングが牽制するように投げ斧を放ってきたのだ。それも続けて二つ。

 ブーメランのように旋回して迫る二つの片手斧は、吸血鬼の古城でも掴めぬ恐るべき速さ。それも変則的な軌道で読み難く、かつ完璧に出鼻を挫いたタイミングで。そしてちょうどこちらで交差するという熟練の投擲精度(コントロール)で飛翔する弧を描く二つの刃。鉄塊をも撃ち砕く一刀を左右挟み撃ちに見舞われては、いかな真祖でも無傷では済まされない。咄嗟に身を翻して投げ斧をかわしたものの、古城が体勢を整えた時には相手は間合いを詰めてきており、新たに抜いた三本目の片手斧を振りかぶっている。

 

「危ない!」

 

 ヴァイキングの片手斧が煌めき、先輩を襲う。

 雪菜はそれに飛び出そうとする―――が、ラ=フォリアに抑えられている。

 

「先輩が―――」

「古城なら大丈夫です雪菜」

 

 満腔の自信をもって、その安全を保障するラ=フォリア。

 

「全盛期であったころならば、とにかく。今では敵いません」

 

 この窮地に剣巫は助けにはいれず―――と、“何か”に肘の辺りを押し出されたように古城の腕が前に突き出された。それが“偶然にも”ヴァイキングの攻撃を不利な体勢ながらも払いのけた。古城が片手で軽々と捌いた、“ように見えた”。

 

 しかし、それでヴァイキングの攻撃は終わりではなかった。

 

「素人かと思えば中々読めぬ。―――だが、これが読めたか?」

 

 一周旋回した投げ斧がブーメランのように戻ってきていて背後より古城に迫りくる。

 その奇襲に、古城は再び“何か”に掴まれた腕が、動かされる。背後から激しく横揺()れしながら襲い掛かる片手斧に反応するとどころかその柄に当たった掌――寸前、またも薄皮一枚で“何か”にブーメラン回転が阻められて止まったところを――で反射的に掴み取ってしまい、そのまま“何か”に振り回される古城は反対側より迫るもう一つの投げ斧を薙ぎ払い―――砕いた。

 

「なぁ―――!?」

 

 ヴァイキングの顔が驚愕に歪む。

 尤もそれは古城も同感である。ヴァイキングの攻撃は鋭く、速く、重い。一撃一撃の威力もあり、それが緻密に計算された三連撃で迫ったというのに、全て捌いてみせたのだ。加えて、奪取した相手の武器で、奇襲に迫る投げ斧を打ち砕くという極悪さも見せて。

 

「―――もう十分です。やってしまいなさい、古城」

 

 ラ=フォリアの声に、“何か”に掴み重ねられた古城の手。もうよくわからないが、とにかく倒さないと終わらなさそうなので、引っ張られる力に合わせて殴りつけて、拳打がヴァイキングの胴体に叩き込まれる。

 

「―――っ!」

 

 声も出せずに悶絶したヴァイキングは、そのまま吹き飛ばされて乗ってきたリムジンに激突した。

 車体が凹むほどの衝撃が走り、勢い余って横転する。

 

「……、」

 

 下敷きになって動かなくなったヴァイキング。

 真祖の吸血鬼として、常人離れした膂力は自負していたが、今のは人並み程度に力を入れてない。ヴァイキングを一撃でのしておいてなんだが、そこまでやるつもりも、やったつもりもなかった。

 

「眷獣すら出さずに悪漢を倒して退けるとは、流石です古城」

 

 俺は何もやっていない、と弁明したいところであるも古城にそんな時間は与えられなかった。

 

 さらに追ってきた車。それも複数台。停めてすぐ中から数人の男が降りてくる。黒のスーツにサングラスと如何にもSPな服装。その下車するときの身のこなしや、ヴァイキングの男を庇いながら陣形を展開するそれは訓練されたもの。

 つまり、相当なプロが警戒態勢でわらわら現れてきているという事実……

 

 ……あれ?

 ひょっとして、あのラ=フォリアを追ってきた蛮人な悪漢は見かけによらず、相当なお偉い(VIP)さんなのか?

 

 ジャキッ。

 

「動くな」

 

 気づいた時には、周囲を円状に取り囲まれていた。

 

「ご無事ですか、国王陛下!」

 

 そして、ヴァイキングの下に駆け寄った黒服の発言に、古城と雪菜はぎょっとする。

 

「オッサンまさか……っ!?」

 

 双角の兜を脱いだその顔は、百獣の王の如き。

 そう、それは電光掲示板でラ=フォリアと共に映っていた―――

 

「アルディギアの……」

 

 雪菜も気づき、言葉を失くす。

 獅子王機関より伝えられていた写真つきの個人情報で知っている。

 

 アルディギア王国、第11代目国王ルーカス=リハヴァイン。

 元々はアルディギアの『聖環騎士団』の一員であったが、“とある事件”を契機に退団し、傭兵として世界各地を飛び回っていたことのある益荒男。

 百戦錬磨によって鍛えられたその威容、今年で44歳になるが戦時となれば最前線で味方を奮い立たせる、まさしく武王と呼ぶべきもの。だが、特筆すべきはその力だけでなくて、『戦王領域』や『北海帝国』という大国に挟まれたアルディギアを、バランス感覚に優れた政治手腕で、硬軟織り交ぜた巧みな外交で繁栄させてきている、強かさももつ王である。

 

 それほどの大物が何故ここに?

 そもそも彼とラ=フォリアは……

 

 古城と雪菜が唖然と沈黙の間に呑まれている中で、第一王女、つまりはこの武王様の娘は古城の首に腕を巻いて体全体で密着するように抱き着きながら、言った。

 

 

「お父様! この方がわたくしの“初めて”を捧げた<第四真祖>―――暁古城です!」

 

 

ファミレス

 

 

 かつて言われたことだ。

 『仮面憑き事件』の最中、兵器実験用無人島『金魚鉢』で、姫御子は確かに古城に言った。

 父であるアルディギア王は、娘であるラ=フォリアを大変溺愛しており、その娘の純血を奪う男がいるのならばその不届き者に軍を率いて成敗するでしょう、と。

 

 アルディギア現国王ルーカス=リハヴァイン。

 豪放偕楽を絵にかいたような人物。感情的であり失言が多いが、それでも国民に対する愛情あふれる言動のため、国内での人気は高い。

 国内だけに留まらず全世界に熱狂的なファンを持つ姫御子の第一王女とは似ても似つかない、美男子とは程遠い容姿であるも、その無骨さが勇士と映り人を引きつけるのだろう。

 

 だから、冗談抜きで彼の一存で戦争を起こしてしまうほどのカリスマがあるのだ。

 

「(ラ=フォリア、こいつは一体どういうことなんだよ!?)」

 

 ひょっとして、調印式というのはダミーで本当は<第四真祖>討伐に乗り出してきたのか!? そんな可能性もなくはない。そんな戦争の引き金を引くような真似はないと信じたいのだが、武王ルーカスの威圧的な眼光を前にしては、予断を許してくれない。

 

「(いいから、私に調子を合わせてください古城)」

 

 大勢のSPに占拠され、貸切にされたファミリーレストラン。ウェイトレスの女の子や店長は間違っても粗相をしてはならない、下手をすれば店が潰れかねない状況に、戦々恐々。

 その一席で、古城は通路(退路)側を塞ぐようにラ=フォリア、そして窓際で窓ガラスに反射するこちらの顔をジト目で見ている雪菜、両手に花ともいえる美少女に挟まれている状況に古城はいる。そして、ものすごく睨まれている。もう物理的に圧さえ感じるような眼光で、古城に穴を空けるように。

 

「(っつか、なんで海賊(ヴァイキング)?)」

 

「(お父様の生まれ故郷の民族衣装なんです)」

 

 こそこそと耳打ちするラ=フォリア。その体勢は古城の肩にしなだれかかっているようにも見えて、顔が近い。言い合っている様も、親しげで―――これ以上の猶予は許さん。これまで沈黙を保って相手の出方を待っていたルーカスは腕を組んだまま口を開く。

 

「貴様が、<第四真祖>か」

 

 ふっ、と失笑を零し、

 

「真祖と言うにはあまりに冴えない男だな。これでは『長老』や『貴族』の方がよっぽど迫力があるわ」

 

 余計な御世話だ……

 と愚痴をコーヒーの中に零すようにカップに口を付ける古城。だが、

 

「で、そちらが獅子王機関が派遣した<第四真祖>の愛人か?」

 

 ぶほっ!? と思いっきりコーヒーを飲んだまま拭いた古城。雪菜もその爆弾(はつげん)には我関さずとはいかない。

 

「愛人!?」

「違います! 私は<第四真祖(センパイ)>の監視役として派遣された剣巫です! ―――ですよね、先輩?」

 

「ああ、そうだな姫柊」

 

 古城に引っ付いてきて確認を問う雪菜。以前に『戦王領域』からの使者ヴァトラーにも同じようなことを言われたが、まさかまとも(娘さえ関わらなければ)な人物からもそう言われるとは思ってなかった。

 

「オッサン、妙な誤解は勘弁してくださいよ」

 

 が、疑惑に狭めた目を緩めない国王。言を否定しても、実際に横に引っ付いて、雪菜を侍らせているようにしか見えない古城の姿は頷かせるには説得力が足りない。

 そこへ、雪菜とは反対側からラ=フォリアが、ひしっと古城の腕に抱きついて、

 

「それに、もし愛人だとしても問題ありません。『英雄色を好む』、愛人の5人や10人を覚悟せずして、どうして<第四真祖>が愛せましょう。

 もし、お父様がどうしてもわたくしに結婚しろとおっしゃるのなら―――わたくしは暁古城を結婚相手に希望します」

 

 ―――結婚!?

 

 これまで展開に追いつけなかった古城らだが、そこでようやく大まかながら事情を悟った。

 ラ=フォリアは、父ルーカスより婚約相手を選ぶように迫られていたのだ。婚姻の結びつきは強固。まして、遺伝的に女児に高い霊媒素養の子供が生まれるアルディギア王家の姫御子。今でこそ和平が成立し、これからも条約を更改するつもりであるも、かつてはアルディギアと『戦王領域』は国境を巡って常に争いを繰り返していた。その『戦王領域』は隣国を吸収しては、領土を広げ、その王族の娘を人質にとる――実際に、アルデアル公の船<オシアナス・グレイブⅡ>で古城はその人質の彼女たちと会ったことがある。

 ならば何故、隣国のアルディギア王国が『戦王領域』に支配されず、第一王女であるラ=フォリアが人質に差し出されていないのか。

 答えは、姫御子に宿る強力な巫女の力だ。『精霊炉』に『疑似聖剣』といった魔族を退ける圧倒的な力が『戦王領域』の侵略を退けたのだ。

 つまり、姫御子の相手に選ぶというのは、国家そのものを託すに相応しいもの。そうでなければならないのだ。

 だから、ルーカスは納得できるだけの格を持った、家柄、容姿、実力など優れた人物と、ラ=フォリアを縁談させようとしたのだが、それを断られた。

 

「い、いいか。儂は誰でもいいから結婚しろと言っているのではない。というかだな、むしろ、その……」

 

 これまでの威厳に満ちた口調が段々と尻すぼみに小さくなり、聞き取れない。

 が、なんとなく古城は心情がわかるような気がする。きっと娘が大事なのだ。本当は誰の嫁にも出したくないくらいに。だから、心配する。将来の相手にも口を出す。

 

「(つっても、それでこんなにも大げさにされるのは困ったもんだけどな)」

 

「(……それ、なんとなくですけど、先輩が言えるようなセリフではないと思います)」

 

 ここに来て初めて巌の如き頑固不動の構えからたじろぐ父国王を逃すラ=フォリアではない。

 物腰は優雅で気品に溢れ、その施策は思慮深く慈愛に満ちていると称賛されているラ=フォリアであるも、一部の政敵からは強かでタフな外交家であると警戒されているのだ。

 

「でしたら、わたくしが伴侶になるべき殿方として選んだ古城はお父様を見事に返り討ちにして見せました。そう、これまで、わたくしの伴侶候補に名乗り出た者たちを『力比べ』で一蹴してきたお父様を、です」

 

「ぬ、ぐぬぬぅ……」

 

 揺るぎない“事実”を告げられて、呻くルーカス。

 古城とすれば先ほどの『力比べ』が疑問しかないのだが、傍からでは一対一でこの武王を撃退したようにしか見えないのだ。

 ジロリ、と片手斧こそ取り出さないが、貫かんばかりの視線を古城に向け。

 

「―――いいか、第四真祖! 儂に勝った程度で頭に乗るなよ!

 我が<ビフレスト>には、最新型の軍用魔導兵器が多数搭載されておる。人型サイズの『ベルゲルミル』。それより大型の『アウルゲルミル』は、『長老』や『貴族』といった『旧き世代』の眷獣には敵わんだろう。しっかーし、『アルルゲルミル』は大型機体の中でも最弱の兵器である。まだまだ他にも『ロキ』、『トール』、そして最終兵器『オーディン』が控えておるのだ! だから―――」

 

 力み過ぎてその腕には血管が浮き、強面には青筋が立ち始める武王。

 冗談じゃ済まされないかもしれない、と古城は息を呑む。

 このままでは世界最強の吸血鬼と北欧王族専用装甲飛空船との戦争に突入しかねない。

 ここは何としてでも、ラ=フォリアには説得してもらうしか……

 

「あらあら、落ち着いてくださいな」

 

 と、別の声が国王を諌めたのだ。

 中も外も大勢のSPに警護されているこのファミレス店内に、その相手はそっと入ってきた。

 

「だから、言ったじゃないですか。きっと本末転倒になるって」

 

「お母様!?」

「ポリフォニア!?」

 

 雰囲気も口調もおっとりとした銀髪碧眼の女性は優美に微笑した。

 しなやかな体のラインを強調する帽子と同じ色の紫紺のスーツドレス。ほっそりした首には真珠のネックレス。花弁を思わせる唇に、蠱惑的なほど白いうなじ。神に愛された彫刻家が、渾身の(のみ)を振るったかの如き天与の美貌―――そう、アルディギアの第一王女ラ=フォリア=リハヴァインと同じ。

 

 そう、彼女こそはラ=フォリアの母にして、アルディギア王国王妃ポリフォニア=リハヴァイン。

 一児の母であり、36歳でありながら、娘のラ=フォリアと並んで姉妹に見える若々しい美貌。優しく穏やかな性格で、何事にも動じない大きな度量を持っており、おっとりしているようでもその優れた直感力は幼少から仕掛けられてきた幾度となく暗殺を察知し、さらにはその全て無傷で乗り越えてきたという強運の持ち主である。

 

「ラ=フォリア。お父様はあなたと第四真祖の関係を危うんで、他の方との縁談を勧めようとしたのですよ」

 

「はい……それは存じておりますお母様」

 

 つかみどころがない性格で、合理的な現実主義者である、つまりは目的のためには手段を選ばないタイプである策略家のラ=フォリアでさえ、ポリフォニアにだけは逆らわない。

 

「あなたも。何であれ、『力比べ』で一度負けを認めたのですから、ラ=フォリアの言い分を聞いてあげてくださいな」

 

「いやな、ポリフォニア。儂は完全に負けを認めたわけじゃ」

 

「あなた?」

 

「はい」

 

 と王族になる前、“ある事件”をきっかけに騎士団を脱退し、傭兵として世界を巡っていたルーカスは、ある時、巻き込まれた事件で身分を隠して外遊していた王女と知り合い、その後既成事実を積み重ね。気が付けば成り行きで国王にされており、王女の正体を知ったのは結婚式当日という、

 そんな二人の馴れ初めであるものの、国王夫妻の仲は円満で、して、婿養子故、ルーカスは妻には頭が上がらない。

 ポリフォニアの笑みに、低頭するルーカスを驚いたように見つめる古城へ、彼女は視線を移すと、帽子を脱いで、

 

「わたくしは、ポリフォニア=リハヴァイン。娘と妹がお世話になったようですね暁古城さん」

 

「妹?」

 

 心当たりの浮かばない古城が疑問符で語尾を上げると、すかさず愛人、ならぬ監視役の雪菜が耳打ちでフォローを入れる。

 

「(夏音ちゃんのことです)」

 

 古城とも知り合いの彩海学園中等部に通う叶瀬夏音は、先代国王の隠し子。ラ=フォリアのお爺様の娘。つまり、ラ=フォリアとは叔母の関係であり、その母であるポリフォニアとは異母妹(しまい)の関係となるのだ。

 ああ、そうか、と雪菜の事情説明に古城は納得する。

 言われてみれば、『中等部の聖女』と呼ばれる夏音と似通った雰囲気で、夏音を丁寧に丁寧に大人になるまで育てたその未来予想図と言われれば納得してしまう。言うならばポリフォニアは『北欧の聖母』と言うような感じである。

 

「いろいろ伺いたいことがあるのですけど、これ以上お店の皆様(スタッフ)にご迷惑をかけるのは申し訳ありませんし」

 

 激しく首を縦に振って同意を示す店長とウェイトレス。店ひとつを貸し切るには多分な代金をいただいてはいても、強面のSPに埋め尽くされ、囲まれる状況は一般人の心臓には好ましくない。

 

「古城さん、それに剣巫のお嬢さんも。実は今夜、パーティがあるんです」

 

 そこで、ふと、古城たちの背後に目を留めたかと思うと、うふ、とポリフォニアは笑みを深めて、

 

 

「是非、皆さんをご招待させてくださいな」

 

 

???

 

 

 流石に警備が固いわね。

 

 小国とはいえ、第一真祖<忘却の戦王>の『戦王領域』と渡り合ってきた北欧アルディギア。

 その武を率いるのは王であるが、何よりその武を支えているのは王族女系の資質。彼女らをひとりでも手に入れれば、『夜の王国』と渡り合えるだけの技術が手に入るのだ。

 故に、その警備は厳重。潜り込むだけでも大変なのに、そこから掻っ攫うとなれば、これほどの難事はそうそうない。加えて、対象が同性である以上、こちらの“能力”も効きづらい。

 

 隙を見つけるのは難しいかも。

 

 もう一つの候補に挙げられている女児もいるが、そちらはあの<空隙の魔女>が後ろ盾となって保護されており、アルディギアからも腕の立つ要撃騎士を身辺警護に派遣したと聞いている。数こそ少人数だが、質があまりにも比べものにならない。しかも、大魔女も要撃騎士も女性である。

 

 だけど、諦めるつもりはない。

 

 標的――我らが組織の最後の指導者を玩具にするだけでなく、暗い牢に閉じ込めているあの男を殺し、

 幼きころ、虐げられてきた環境より解放して、我らの誇りを思い出させてくれた恩人たる指導者を救い出す。

 そのためには、使える“異性の駒”が―――

 

 あの少年は……! 北欧の姫御子の隣にいるのは、<第四真祖>!

 

 莞爾と頬が緩むのが自分でもわかる。

 いた。

 状況の突破口となりうる、世界最強の吸血鬼が。

 

 

ホテル

 

 

「あーあ、結局、巻き込まれちまったな」

 

「仕方ありません。何しろ、相手はラ=フォリアさんですから」

 

 用意された白の礼服を着て、迎えに来たリムジンに乗り込む。

 そうして、晩餐会を行うホテル到着した古城だが、やはり圧巻だ。このような政治的な社交界は、以前、ヴァトラーの船上パーティで経験しているものの、やはり一般市民がそう慣れるものではない。

 

「にしても、すげぇ警戒っぷりだな。王族が来てるから当たり前なんだろうけど」

 

 煌びやかなホテル前には装甲車が並び、装甲服を着た特区警備隊が警戒している。

 こうしてみると改めて、ラ=フォリアらが相当なVIPであるとわかる。

 と、着慣れない礼服の感覚に戸惑う古城に、その上品なネクタイの位置を調整する雪菜は言う。

 

「テロ対策でしょうおそらく」

 

「テロ?」

 

「はい。今回の調印式については不穏な動きがいくつかあるようなので」

 

 『<第四真祖>の監視役』という任を最優先とする雪菜にはあまり多くの情報は送られてはいないが、アルディギアが、わざわざ最新鋭の装甲飛行船<ビフレスト>で来たのも、到着日時の偽情報(ダミー)を流したのも、おそらくテロ対策のためであると予想する。

 

 かつては戦争をしていた『戦王領域』とアルディギアの両国であるも、停戦してから戦争に割いていた分を国力の発展に回し、両国ともに繁栄している。もしこれで停戦条約が更改されれば、国の威勢はさらに高まるだろう。

 ―――もし、それを望まぬ者はいるのだとすれば……

 

 

 

 明日の調印式の前夜祭として開かれた国王主催の夜会。数百人も招かれた大規模な立食パーティは、ホテルの最上階ワンフロアを貸し切って行われている。

 

 それほどの立食パーティとなれば、料理を用意するテーブルも中央に一つ、と言うわけにはいかない。ホテルの最上階を丸々使ったパーティホールには左右の壁際及び中央の前、後ろ、真ん中に三つずつ、ただし右奥の一角だけは除いて、合計八つの大テーブルが用意され、舌の肥えた上客重鎮たちの舌鼓を打つ料理が空にならぬよう次々と補充されている。

 

「王様ってのも大変だよな。つくづく普通の平民でよかったと思うぜ」

 

「<第四真祖>の先輩が言ってもあんまり説得力がありませんけど」

 

 ホール会場を見回しては、感心を通り越して呆れてしまう古城。それにごもっともな指摘を返す雪菜。

 パーティのドレスコードで、今日の彼女はワンピースタイプのイブニングドレス、腕や背中、そして首筋がいつもよりも露出しており、如何にも背後から噛みつき易そうな衣装で、吸血鬼の古城には目に毒である。そんな無防備にこちらに向ける背中を眺めてるうちに鼻あたりに血が集まっていく兆候を感じて、古城は視線を逸らして、そこで聞き慣れた声が響く。

 

「―――へぇ、そういう恰好、初めて見るけどそこそこ様になってるじゃない、古城」

 

 そこにいたのはやはり見慣れた少女。ただし来ているのはいつもと違う、雪菜と同じワンピースタイプのドレス、そのベアトップで胸元が強調されているためこちらも目のやり場が困る。

 

「浅葱!? なんでお前が?」

 

 古城の白のタキシード姿をふんふんと眺めるのは、藍羽浅葱。古城のクラスメイトで、<電子の女帝>とハッキング業界では有名な、でも、それがどうしてアルディギアの晩餐会に参加している?

 そんな古城の疑問に答えたのは、もう一つの声だ。

 

「今日の昼ごろにいきなり招待状が届いたんだよ」

 

「矢瀬まで」

 

 ちょうど浅葱の近くにいた、同じクラスメイトで礼服姿でもトレードマークのヘッドフォンを首に下げた矢瀬基樹が、古城によっと片手をあげながら、挨拶を交わし、

 

「どうやら、お前と夏音ちゃんの関係者が集められてるっぽいぜ。

 見ろよ、ほら」

 

 矢瀬が親指で示すその先。

 そこには……

 

「あ、やっほー、古城君!」

 

「凪沙!?」

 

 こちらに気づいて、大きく手を振る妹の暁凪沙と皿に料理を取りながら立食パーティを満喫してるアスタルテ。何かの間違えで紛れ込んだというわけではなく、きちんと二人ともドレス姿で、パーティに参加している。

 

「お前、今日は友達のところに泊まるって」

 

「えへへ。実は夏音(かの)ちゃんに一緒に来てって頼まれてたんだ。今日は親戚の人に会うからって」

 

 アルディギアと関わりのある夏音と凪沙は親友で、その伝手でこのパーティに参加したのだろう。

 そして、

 

「アスタルテ、お前も来てたのか?」

 

「肯定。教官(マスター)に招待状が届いたため」

 

 もぐもぐとよく咀嚼し、口に入れた料理を消化してから、人工生命体(ホムンクルス)の少女は古城の質問に回答を述べる。

 となると、先の矢瀬の推測通り、夏音の関係者たちが古城と同じように招待されているのか。

 

「なるほど、叶瀬が今住んでるところはお前たちのいるところだもんな。呼ばれるのは当然……って、那月ちゃん本人は? それにクロウも?」

 

 幼い見た目ながらもカリスマ性をもつ担任教師と、以前、ヴァトラーのところでの立食パーティで大食いチャレンジしていた後輩、あの大変目立つであろう主従がこれまで古城が見る限りどこにも見当たらない。

 

「教官は仕事で遅れてくる模様……先輩は仕事の最中です一応」

 

「そうか」

 

 先ほど雪菜が言っていた通り、テロと思しき不穏な動きがみられる。どうやら別行動しているようだが、その警護役で二人は忙しいのだろう。

 ひょっとするとこの晩餐会で後輩には会えるのかとは思っていたのだが……

 

「? 凪沙、お前そんな山になるほど料理を皿に取っちまって大丈夫か」

 

 そこで、ふと古城は気づく。

 凪沙の持つ取り皿に盛られた料理。普段とは違う場の空気に当てられたのだとしても、その量は彼女の胃袋のサイズからして多すぎる。浅葱のような胃袋ブラックホールな性質ではあるまいし、むしろ小食の方だと古城は認識していた。

 

「あ―――これ、うん、そうだね。珍しい料理がいっぱいでつい目移りしちゃってたうちにひょいひょいってね。……これだけあればどんな味付けが好みだとかわかるし、今後の料理の参考にしようかなー、とか思ったりしてね」

 

 古城は好奇心旺盛な妹に呆れの溜息を零す。

 

「おいおい、いくらバイキングだっつってもな、一度取った料理は戻せねぇんだぞ」

 

「わかってるよ。ちゃんと全部残さず食べます!」

 

「はぁ……ったく、その皿よこせ。俺が処理してやる」

 

「いいってば、これでも足りないくらいだって思ってるんだから。じゃあね古城君!」

 

 取り皿に手を伸ばす古城から、口早に別れを告げて逃げるように凪沙はその場を離れていく。

 なんとなくそれを怪しむ古城が凪沙を視線で追うも、その横からまた新たな声が、その注意を逸らした

 

 

「ゆっきなーっ!!!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それは古城君(あに)たちが来る、ほんの10分前のこと。

 

 

 アスタルテと一緒にパーティ会場にやってきた暁凪沙は、実は少し緊張していた。ドレスを着飾って、晩餐会に出席という一般人にはなかなか遭遇しないイベントに、兄古城と同じように慣れてなかったのもあるけれど、今日ここにあの少年が来ている。

 

 『妃崎』というお姉さんと遭遇したその日から、より強くそれを決めた凪沙はそのマシンガンな弁舌を振るって、一緒に登校する必要性を訴えた。凪沙にも部活の朝ミーティングがあり、彼にも仕事があることから互いの都合のいい日にし、そして互いの家からちょうど中間地点で待ち合わせすることにするとこまで、放課後のるる屋で取り決めることに成功。それで注文したアイスがとけかけになってしまったけれど、それはそれで美味しいし、成果にも満足。

 それで前日夜には朝の予定を連絡し合うことが習慣になって、今日のことも昨日から話は聞いていた。

 

 北欧から来訪する王女様からご指名を受けて、そのボディガードをすることになった、と。

 そして、夏音の親友であることからこの晩餐会にも誘われて……つまりは、彼の仕事場にやってきたわけである。

 

 彼が警備隊の仕事をしていることは凪沙も知っているが、それを実際にお目にかかれたのはそうそうなかったりする。『黒死皇派』というテロリストに攫われた時に救出してくれたそうだがその時凪沙は意識を失っていて、この前の宿泊研修の事件でもいつの間にか来ていたようだけどその時も凪沙は意識を失っていて、唯一悪漢から助けられた場面で覚えているのは、『波朧院フェスタ』で母深森や幼馴染の優麻を襲ってきた魔術師を撃退した時。それすらもあっという間に終わり、凪沙も話しかけられもせず、ぼうと呆けたままであった。そう、今でもあの時のこと――あの時の彼の姿を思い出すだけで、ぼうと……………

 

(―――っ! ダメダメ! 今それを思い出すのは危険だよ! 顔も合わせられなくなっちゃう! そう、クロウ君は33点の朴念仁!)

 

 全力疾走した直後のように激しく高鳴る心臓のある左胸を押さえながら、自己暗示のように何度も念じながらどうにか気を落ち着けさせる。

 仕事の邪魔をする気はない。彼がする仕事は危険なものだと理解している。だから、遠くから働くその姿を見られれば十分で、邪魔でなければ挨拶して、それから応援ができれば満足だ。

 

 途中で合流したアスタルテから、彼がこのホテルにいる王女の護衛についていることを確認した凪沙は、パーティホールに入ってからその少年を真っ先に捜した。

 

 で。

 この時の凪沙の心理状態は昂揚しており、ここのところ体調も調子が良かった。そう、勘が冴えていた。

 

(うーん……どこにもいない、ように見えるけど……)

 

 かつて伝書にも使われていた鳩はその頭の中に方位磁石のようなものがあるそうだが、凪沙もそのように何か隠れた違和感を捉える感覚があった方向に目を凝らす。

 

 『4年前のテロ事件』で、その力を失ってしまっているが、暁凪沙は父方の祖母から受け継いだ霊媒としての素養と、母親から受け継いだ<過適応者>の超能力を併せ持つ、極めて稀少な混成能力者(ハイブリッド)であった。

 その力は、人間が感じ得ない何かを感じ取る。超音波診断《科学》と探査魔術《魔術》の両方さえ見つけ出せないものですら、探し出せる精度を持った感性。獣人でありながら超能力者である混成能力者と比較して、覚知範囲こそ劣るものの、その受信感度は上回る。

 

 とはいっても、その受信感度を最大限に発揮するために、祖母より教わった水垢離や精神統一等をしなければならないのだが、この時の凪沙は、逸る気持ちを冷静に抑えているというスポーツ選手が試合前の理想的な精神状態に入っていた。

 それが久しく覚えなかった混成能力の感性を起こしたのかどうかは定かではないが、凪沙は直感的に、誰もいないはずの空間に視線をロックオンし、その名前を呼びかけた。

 

「……クロウ、君?」

 

「……むぅ、よくわかったな凪沙ちゃん」

 

 姿こそ現さないが、呼びかけに答えてくれた。それには事前に話は聞いていてもどこにいるかは教えられていなかったアスタルテも驚く。でも見つけた当人の凪沙も驚いたし、見つけられた彼もすごく驚いている気配を感じ取れる。

 

「師父からも太鼓判が押されてたし、隠れるのには結構自信があったんだけどな。すごいぞ凪沙ちゃん」

 

「あはは……うん、勘かな。なんとなくそこにいるかなーって。ずっと前に似たようなことがあったような気がしたしね」

 

「そうなのか。凪沙ちゃんの勘は侮れないな。オレでもこう“匂い”がごちゃごちゃしてるところじゃ嗅ぎ分けにくいのに」

 

「うん、すごいでしょ。って、こんなにも調子がいいのは久しぶりなんだけどね―――あ、クロウ君仕事中なんだよね。姿を隠してるってことはバレちゃいけないってことなんだし、凪沙が話しかけたらまずかった?」

 

「うーん、警護するには別に姿を隠さなくていいんだけど、前に北欧(アルディギア)に行ったときに、あそこの王様と決闘してなー」

 

 先代国王の隠し子騒動で城にご厄介になっていたとき、『一人の戦士として、『力比べ』をしたい』と現国王と一騎打ちを挑まれた。『戦王領域』と不可侵を結んでから数年、戦場より離れていた現国王は実戦の勘を取り戻せておらず、はっきりいって一対一では相手にならない。だが、それでも相手は現国王。客人の少年に勝負を挑み返り討ちにあったとなれば、風聞が悪い。そこのところを騎士団の要撃騎士ユスティナ=カタヤから厳重に注意された(王女は『けちょんけちょんに叩きのめしてもかまいませんよ』と笑って言っていたが)―――だが、クロウは、手加減は覚えていても、上手に負ける接待の仕方は知らない。

 して、武王と1時間ほど打ち合った。

 最初の方は武王の熟練した武技に圧倒された、けれどそれを人間離れした反射能力と力業で防いで凌ぐ、そして30分が経過したあたりから老齢からのスタミナ不足で息切れし始める武王の攻撃は精彩を欠いていき、こちらもだいぶ目が慣れてきた。そのころからほぼ攻撃は防がずに、最小限の動きで躱すようになっていた。けれど、どうやって負けるかに悩む。そして、このころから武王の表情は険しいものとなる。

 

『何故、儂を攻撃せん』

 

『だって、お前、王様だし、怪我とかさせちゃったらまずいんだろ?』

 

『今、ここにいる儂は国王ではない。一人の戦士として立っているのだ。それを侮辱するつもりか!』

 

 自分が振るう得物の片手斧にさえ振り回されるほど消耗している。だが、その気迫は1時間経過してもなお衰えず、ますます盛んに燃え上がる。そして、吼えながら我武者羅に叩きつけてきて……

 

「で、接待とか難しいこと考えず、もうこうなったら一発ぶん殴ってから考えよう、って……そしたら綺麗にカウンターが入っちゃって王様気絶しちまったのだ。オレが勝ったんだけどすっごく睨みつけられるようになったぞ」

 

 決闘に勝ってしまったことについて、カタヤら騎士団は唖然としてしまったが、お叱りを受けるようなことはなかった。むしろ、後でその妻のポリフォニアからは謝罪と礼をされる。

 だが、決闘の後から国王ルーカスには睨まれるようになった。

 そうして、そのまま時は過ぎ、絃神島に帰り、途中で『仮面憑き』に船を撃墜される……つまり仲違いしたまま別れたのだと。

 

「だから、警護するんだけど、また因縁つけられないように王様には内緒でそれも会わないように、って姿を隠すことにしたのだ。他にもフォリりん()から頼まれ事があるけど、警備してるのは誰にもバレちゃダメだって。忍者は目立たず主の影に隠れて主をシークレットサービスするものだーって言われて、こうなってるんだぞ」

 

 いることは内緒にしてほしいと頼まれ、それで事情を聴いたところ、彼は大変で、面倒なお仕事をしているのがわかった。

 

「大変だね。ごめんね、なんか仕事の邪魔しちゃって……」

 

「う。見つけた凪沙ちゃんと話しかけるくらいなら問題ないぞ。見つかったオレがまだまだ未熟なだけだ。それに、なんかバレたのは悔しいけど、ちょっぴり見つかって嬉しい気がするのだ……でも」

 

 見えないけれど、その視線が隣でもぐもぐと料理を食しているアスタルテへと向けられる気配を凪沙は察知する。

 

「隠れたまま料理をとったら不自然だから、せっかくのご馳走があるのに手が出せないなんて生殺しだぞぉ、アスタルテェ……」

 

「美味。仕事中で頂けない先輩に代わって、感想をお送りします」

 

「それは気遣いじゃなくて、意地悪だと思うぞ後輩」

 

 人一倍食欲旺盛な育ち盛りの少年に、この状況は苦だろう。何せこの晩餐会のテーブルに並べられる料理はどれも絶品である。仕事中でもこれはかわいそうかな、と思った凪沙は提案する。

 

「じゃあ、私が皿に取ってきて食べさせてあげる」

 

 

 

 そうして、周りにはバレないようにクロウにご飯を食べさせていた凪沙が、その途中で古城に呼び掛けられ、何かを勘付かれるもやや強引にそれを躱し、彼のいる人目につかない植木を挟んだ壁際へ戻る。

 

 そして目撃する。

 真新しい蒼銀の法被を羽織り、その下に軍服と和服を足して二で割った、SF宇宙映画に出てくるライトセーバーを操る超能騎士のような忍装束(忍者同志(カタヤ)のデザイン案)を着た南宮クロウの姿を。

 それは乙女心的なものが限界突破(リミットオーバー)し、そこまで鮮明に凪沙の知覚能力が覚醒したわけではなく。

 単に、クロウの透化が解かれているのだ。

 

「お、おかえりだぞー」

 

 そのことに気づいてる様子もなくて、本人は今も隠れているつもり。銀装飾の古めかしい腕時計を付けた右手をふるふると振ってる。そして、声もどこか間延びしてる。それに父牙城のことを思いだした凪沙は、試しにクロウの目の前でひらひら手を振るが、何の問題もない。遠くを見つめすぎていて瞳孔も反応してない感じ。

 

「もしかして、相当酔ってる?」

 

 そう、この様子は、べろんべろんに酔い潰れていた駄目父と重なっているのだ。

 

「ん。酔ってないぞ。オレは毒が通用しなんだぞ」

 

 ぶんぶん、と首を横に振るクロウ。

 凪沙は知らないが、彼は自然界だけでなく魔に関わる非自然界の毒でさえも効かない体質……だが、それが毒でなければ?

 

 この国の鬼討伐や大蛇退治の際に、酒に酔わせて騙し討ちしたという伝承がある。

 

 凪沙は一端料理を盛った皿を近くのテーブルに置いて、深く嘆息。それから彼を隠すようにその前に立ち、両手を腰に当てるポーズを取る。

 

「酔っぱらいはみんなそういうよ」

 

「酔うも何も、ご主人からお酒ダメって言われてるからなー。オレはお酒を飲んだ記憶はこれっぽっちもないヒック」

 

「じゃあ、そのグラスは何なの?」

 

 脇のテーブルに大量のグラスが置かれて、そのうちのひとつはキラキラと光る琥珀色の液体が半分ほど減っている。状況推理から察するに、凪沙から食べさせてもらって、きっと喉が渇いてしまったのだろう。それで、つい手を伸ばしてしまい……

 

「? ジュースだぞ。お酒じゃない。お酒って、にっがぁいからなー。でも、これは匂いも味もあまたくてー、ハチミツみたいでー、オレ、ハチミツは森のころからの好物なんだぞー」

 

 ものすごく上機嫌に語るクロウ。

 残念ながら、これはジュースではなく、蜂蜜酒である。凪沙も料理の味付けを見るように少し手の甲に垂らして舌で舐め取ってみたけど、酒なのにアルコールの香気は巧く隠されていて、甘い。これならすいすいと飲めてしまいそうだ。

 ブドウの栽培が難しい北欧地域では、ワインよりも蜂蜜酒が好まれると話が聴いたことがあるけど、故に他よりも研鑽されて高品質に仕上げられているのだろう。晩餐会のためにわざわざ飛空船に乗せて持ってきたアルディギア王家御用達は極上の一品『詩の蜜酒』。

 ただし、ほんの少し舐め取った凪沙でもあまりの味覚の快感に酔ってしまいかけたほど。飲み慣れないと、芳醇かつ爽快な甘露は嗅覚を消し飛ばし、視覚や触覚までも霞ませてしまうくらいに強烈である。それを何杯も飲めば、酒に呑まれて、透過が解かれるのも無理はない。が、問題である。

 

「診察。どうしようもありませんね」

 

 水を一杯持ってきた、クロウに指導鞭撻されている後輩な立場のアスタルテ。眷獣共生型人工生命試験体であるが、元々は医療用として作られたため、医療系の知識は医師免許取得者とほぼ同等。一瞥するだけでその症状はしれた。

 

「むぅ。ヒック。オレちゃんと仕事するんだぞー」

 

「退出。酔いが抜けるまで先輩は戦力外です」

 

 アスタルテに水を飲まされ介抱されるクロウ。微動だにしない表情筋が、この時ばかりは呆れてるように見え、その無機質な瞳が凪沙にむけられる。

 

 

「代行。私が王女の護衛についておきます。

 ―――申し訳ありませんが、先輩をお願いできますかミス凪沙」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「そのドレス姿もすっごく可愛い! さっすがゆきなん! ―――で、あんたもいたの暁古城」

 

「煌坂!?」

「紗矢華さん!?」

 

 ホルタ―ネックタイプのドレスを着た美少女。

 感極まる歓声を上げて、ルームメイトの妹分に抱きついてきたのは、やはり煌坂紗矢華。

 獅子王機関の舞威姫として、雪菜よりも早くに数々の任務に取り組んできた彼女は、明日の警備の打ち合わせでこのホテルに来たのだそうだ。

 明日の調印式は『戦王領域』との式典。北欧の第一王女の案内役に駆り出される獅子王機関の舞威姫は、『戦王領域』の外交大使でありながら、『真祖に最も近い吸血鬼』と危険視される戦闘狂<蛇遣い>ディミトリエ=ヴァトラーの監視役でもあった。

 

「―――てことは、まさか」

 

「残念と言うか、幸いにと言うか。アルデアル公ならいないわよ。本国から式典出席者を迎えに行ってるから」

 

 紗矢華の事情を聞いて辺りを警戒する古城だが、あの戦闘狂で色んな意味で古城を喰いかねない青年貴族は一応外交大使である。たとえ、戦う機会が減る不可侵条約更改のためであろうと本国よりの仕事はきっちりとこなすのだろう。つまり、今の絃神島に古城の平穏を脅かす存在はおらず、

 

 

「―――古城!」

「―――お兄さん! 雪菜さん!」

 

 

 訂正。ヴァトラーと同じようにつかみどころのない姫御子は来訪してきていた。

 呼びかけてきたのは、ラ=フォリアと夏音。古城らはホールの右奥隅に用意された王族たちのいる区画(スペース)へと移動する。

 『中等部の聖女』こと叶瀬夏音がアルディギア国王夫妻にラ=フォリアに囲まれながら、笑みで迎える。

 幸福や愛を意味する胡蝶蘭の色は夏音に相応しいもので、ウエストからヒップでいったん広がるシルエットが、ボディラインに沿って足元へと次第にすぼまっていくマーメイドドレスは、彼女の黄金律にバランスの整った女性的な肉体を強調する。光り輝くティアラで銀髪を飾り、一段と神々しさが増しているよう。見るだけで幸を得そうな眼福物である。

 

「来てくれて嬉しかったですお兄さん、雪菜さん」

 

「そう言う格好してるとホントよく似てるな叶瀬とラ=フォリアは」

 

「姉妹みたいです」

 

 ラ=フォリアもまた夏音と同じマーメイドドレス。背中がばっさりと開いて素肌をさらし、夏音よりも女性的に豊満な肉体は、古城の目にはやはり扇情的過ぎるものだ。

 

「正しくは叔母と姪なのですけどね」

 

 ラ=フォリアが訂正を入れるものの、雪菜の言うとおり姉妹にしか見えないふたり。一目で確かなこの血の繋がりに、夏音は喜びを噛み締めるようにはにかむ。

 

「アルディギアには他にも親戚がたくさんいるそうです。ウソみたいでした。私をこんな風に迎えてくれるなんて……」

 

 合わせた両手を胸に抱く。この人との繋がりから生まれる温かな熱を胸に入れるように。夢のようで本物なシンデレラストーリー。天涯孤独の身であった夏音が、王族に受け入れられる光景。その生い立ちを知る古城も自然と笑みを作り、そっとポリフォニアが夏音の肩に手を置く。

 

「みんな、お兄さんのおかげでした」

 

「いや、俺はそんな……」

 

 ありったけの多謝を篭めた視線を受けた古城は気恥ずかしげに頬を掻く。幸運や人の助けもあったけれど、何より夏音が望んだから今がある。そして、以前に彼女からヒーローと思われるようになったけれども、彼女を助けるために雪菜やあの後輩も死力を尽くした。古城もまた夏音に立ちはだかる障害を打ち砕かんと力を振るったが、それを自分だけ熱心に見つめられるのは、申し訳ないようで……

 

 

「夏音、まさかお前まで……」

 

 

 まずい。爆発前に鎮火されたけど、その分短くなっている導火線に再点火する。

 夏音の新たな家族こと北欧国王ルーカスが慄き古城を見る。そこへラ=フォリアが笑って、

 

「あら、夏音もわたくしも、古城のことが大好きですのよお父様♪」

 

「ぬぅぅ! 貴様ァ! いったいどれだけの娘にその毒牙を掛けたのだ!」

 

 憤怒に真っ赤に染まる武王の覇気(オーラ)

 その威圧に古城が冷や汗を垂らす中、純粋な少女の疑問が問われる。

 

「毒牙?」

 

 と、その手の知識に疎い夏音。

 その問いかけに誰も具体的に説明するものはいなかったが、

 

「「「……、」」」

 

 その言葉に反応し、意味深に首筋を押さえる雪菜、紗矢華、それからまたいつの間に古城のそばにいたアスタルテ。

 それは百の言葉よりも明確で、ルーカスは察する。

 

「ま、まさか―――!?」

 

「わかりましたかお父様。わたくしと夏音だけではありません。雪菜さんをはじめ、今回招待した女の子たちは皆ほとんど古城のお手つきなのです」

 

 誇らしげに語るラ=フォリア。

 まあ、とそれに両掌を合わせて感嘆するポリフォニアであるが、しかしその夫で国王はわなわなと痩身を震わせて、地響きのような低い声で、

 

「……貴様の為人(ひととなり)を知るために関係する者たちを集めたが……話を聞くまでもなかったようだなァ―――!!」

 

 あわやアルディギア国王ご乱心か―――とそのときだった。

 

 

 最上階を貸し切ったパーティ会場、その島を一望できる窓ガラスを異形の怪物が突き破ってきた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――あのジュースは、学者や詩人さんになれるくらいに頭が賢くなるんだぞーって薀蓄語ってたのだー。だから、たくさん飲んでなー」

 

「むしろ、クロウ君おバカさんになってるよ」

 

 任された凪沙は、酔っぱらいな彼に肩を貸してパーティ会場を出た。

 真面目で頼もしい仕事ぶりを心のフィルターに焼き付けようと期待したけれど……

 

「むぅ、賢くなれるって言ったじゃないかー。どういうことなのだー」

 

 写ったのはだらしなく泥酔してる姿。今も右腕につけた腕時計に向かって頬を膨らませぶうたれている。

 ……しかしながら、そんなダメっぷりを見ても幻滅するどころか、『私がいないとダメかも』というような母性本能をくすぐられる自分はもう末期(ダメ)だろうか。

 

「とりあえず、外に連れ出したけど、どこかに休める場所はないかな?」

 

 ホテルの案内板がないかと、きょろきょろ周りを探る凪沙の視界に、その女性が映る。

 暗い紫色のショートヘアに、同じ色の瞳。眼鏡をかけた、エプロンドレスのメイド。立食パーティで配膳をしていたスタッフ。

 手元に何か光るものを操作しているようだけど、休憩室がどこにあるか知っているはず。

 

「ぁ―――」

 

 声をかけようとして、せり上がった言葉を喉元で止める。いきなり首を絞められたように。

 

 それはほんの些細な変化。だけど、凪沙には劇的な反応を見せるもの。

 

 昏い目の色が、変わった。

 瞳孔を開き、得物を捉え、夜目を光らす猛獣のように。

 

 魔族だ。

 過去のトラウマから重度の魔族恐怖症を持ち、発症すると凪沙はパニック状態に陥る。

 

「―――っ!」

 

 凪沙の小さな悲鳴を拾ったか。女が凪沙の方へ―――振り向く時にはすでに。

 緊張に全身の筋肉が硬直した凪沙は、なすがままに壁に押さえつけられた。

 

 凪沙が下から肩を入れて支えていた彼の腕が、

 

 壁際に凪沙の身体を押して、

 

 強引に抱き留めるように彼が迫る。

 

「っ!?!?」

 

 声にならない悲鳴。けれど、それは恐怖ではなくその恐怖すら上塗りするほどの純粋な驚き、ひょっとすると歓喜の叫びだったかもしれない。

 その瞬間、蒼銀の法被に仕込まれた術式が発動し、彼と凪沙を透過範囲に入らせ、姿を周囲に溶け込ませる。

 クロウの腕に壁際に追い込まれた凪沙は、驚愕のあまり表情を失った顔で、クロウを見上げている。

 

「誰かそこにいるのか!」

 

 殺気立つ女性の声。心身の奥底から震えが蘇り、何かしがみつけるものを凪沙は求め、更に、近づいた。

 額と額が合わさり、鼻と鼻が触れ合う距離で、吐息と吐息が混ざり合って、互いの匂いを嗅いでいる。

 

「ぅぁ……」

 

 狼や犬は、『鼻タッチ』と呼ばれる、相手の匂いを互いに嗅ぎ合うことで、遺伝的な精度(レベル)で相手の個人情報を知る。

 それは生物学的に人間にも当てはまるもので、その匂いを嗅いで精神的に落ち着くようならば、すなわち自身の遺伝子が彼のものを強く求めている証拠であり、子孫を残すためにこの異性が必要であると本能的に察知しているという。

 

 強く胸を叩く鼓動とは裏腹に、安定する精神状態、

 身体の方は、その肌が顔だけでなく全身、それこそ足の先まで薄らと赤らんでしまっており、完熟のトマトみたいに真っ赤ではないけれども、興奮と緊張が絶妙なバランスで平衡している。悲鳴をあげれないでいるのは、息が詰まって大きな声が出せないからだ。

 接する服越しから伝わる体温は、火傷するくらい熱く感じて。

 しがみついて密着する胸元は、硬く引き締まり、逞しかった。

 激しく脈打つ鼓動は、彼の心臓のものか、それとも自分の心臓のものかも凪沙には区別できずに。

 

(だめ……蕩けそう……)

 

 あまりの羞恥で死んでしまいそうだ。せめて、両手で顔を隠したいけど、姿は隠していても女性はすぐそこまで迫りわずかな身じろぎも許されない状況で指ひとつもままならない。瞑目してる気配から、酔い潰れていた彼が半覚醒で凪沙を庇ったのだとしてたことが、せめてもの慰め。けれど、こんな心臓に悪すぎる吊り橋効果を受けるのは自分だけなのは不公平だと思う。

 けして嫌ではないのだけれど、むしろ無意識にも守られて嬉しくもある。だから、余計に恥ずかしくなる。

 

 そして、この精神は安定しながら、肉体が揺れ動く、心身のバランスが大きく崩れゆく状態は偶然にも。

 神懸かりになった巫女が信託を告げるときと同じく、一種のトランス状態に入らせる。

 

 触れることで知る巫女と超能の混成能力。

 嗅ぐことで探る獣人と超能の混成能力。

 

 そう、それは鏡を見るように、相手から見える景色から、自分の姿を知る確認作業にも似た、

 共鳴し、共振し、その互いが互いの能力を高め合う共進化(ミックスアップ)が―――忘れていた過去の断片を引き出させた彼の混成能力を、凪沙の混成能力が読み取る。

 

 

『お前の涙が欲しい。いつか先の未来で、辛い目に遭った時、きっと助けるから、泣き止んでくれ』

 

『心配するな。オレは、『墓守』だぞ。暁が『棺』なら、守るのが役目。何があっても荒らさせはしないと約束するのだ』

 

『オレは、“一番”をなくしちゃいない。だって、あのとき、“一番(まえ)”より、ずっと“一番”をもらったんだ。

 もう、大丈夫だ……ありがとう。オレは、ちゃんと生きている』

 

 

 それは視たというより、もはや頭の中に直接映像情報が流れ込んできたようで。

 そのコミュニケーションは、一瞬で終わった。

 現実時間に換算すれば、五度の呼吸ができるくらいで。

 

「―――ごめん。今、起きたのだ」

 

 同時に、南宮クロウも知った。

 覚醒してすぐに暁凪沙の混成能力を通して、現在の危機的状況、そのすべてを。

 

「―――でも、もう大丈夫だぞ」

 

 あの女性はすでにいない。

 だが、悲鳴が聞こえる。事態はまだ制圧されていない。

 だから―――

 

「―――オレが、守るからな」

 

 卑怯だ。本当に卑怯だ。あれだけ格好悪いところを見せておいて、不意打ちのように頼もしいところを見せるなんて。

 一呼吸分だけその視線と視線を融け合わせてから、交代して今度は凪沙が瞼を下す、すべてを委ねるかのように。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ホテルを襲撃した魔獣。

 蠢く六本脚、胸部の翅を使い飛行、黒光りする甲殻は一見した限り、甲虫(カブトムシ)にも似ている。だが躰の大きさは、成人男性の3倍以上はあるだろう。

 

「陛下! すぐにお逃げください」

 

「ええい! 儂らよりも客人を優先させよ!」

「一人も怪我人を出したらいけませんよ」

 

 国王夫妻らの一喝。彼らは襲撃を受けた最前線ともいえる会場にあえて残り、魔獣らを引き受ける殿をするつもりだ。でも、彼らの傍には先ほどまで親しく会話をしていた古城たちが―――

 

「王様のところにいるなら逆に安全だ」

 

 幼馴染の矢瀬基樹はそう言って、浅葱の腕を引く。

 そうしてSPたちの避難誘導に従い、会場を後にするが、そこで気づく。

 

「―――凪沙ちゃんは! さっき古城のとこにいなかったわよね!?」

 

「っ―――」

 

 慌てて矢瀬が耳元に手のひらを当てて、聴覚を研ぎ澄ます。

 『音響過適応』という特殊能力を持つ超能力者で、『音で視る』ことができる。今日も74分かけて<音響結界>の感知網をこのホテル最上階に敷いていた。だが、パニックになった客人たちの金切り声の悲鳴が、矢瀬の繊細な超感覚をジャミングのように掻き乱してくる。

 

「だ、誰か助けてくれ!?」

「こっちにも魔獣が来たぞ!?」

 

 王族のいる会場だけでなく、避難している客たちにも甲虫魔獣が襲撃を仕掛けてきた。SPらがその足止めをしているものの拳銃では魔獣の装甲に弾かれる。しかしあまり高火力な兵器は客たちをも巻き込む大惨事になりかねない。

 

 

「―――凪沙ちゃんを任せた先輩!」

 

 

 背後より音もなく、そして影もなく、声だけ響く。隣に着地して、気を失ってる少女、つい先ほど話題に上がった暁凪沙の身柄を浅葱は受け止めると、それは床を蹴った。

 

「―――<黒雷(くろ)>」

 

 本来の性能を発揮する獣化をせずとも、その礼装を通しての強化呪術を全身に通して引き上げられた脚力が大理石の床を陥没させ、隠密から戦闘にスイッチを切り替え透明化を解いた少年の身体が高々と宙を舞う。蒼銀の法被(コート)が、風になびいた。

 逃げることもできず立ちすくむ客達の頭上を跳び越え、一足飛びで破られた窓のある廊下の突き当りに着地する。

 突如に甲虫魔獣らの前に舞い降りた少年――南宮クロウに驚き、銃撃で牽制していたSPたちが発砲を止める。

 

「む……!」

 

 前方の甲虫魔獣が口を開き、クロウに向かって透明な液体を吐いた。クロウが跳躍して躱すと、液体が飛び散った床が煙を立てて溶けていく。

 宙に跳んだクロウを狙い、別の甲虫魔獣が体当たりを喰らわそうと襲い掛かる。

 

「―――<若雷(わか)>」

 

 活性化された気が電気となって迸ったその腕を突き出し、甲虫魔獣を正面から受け止める。甲虫魔獣の躰を掴み、力任せに床に叩きつける。

 大地震のような震動が、この超高層建築物を揺らした。身体強化に衝撃変換を重ね掛けした腕の膂力で甲虫魔獣を叩きつけた床は突き破って、ワンフロア下の階層に巨大なクレーターが生まれた。甲虫魔獣の躰が砕け散り、発生した衝撃で周辺の窓ガラスにシャンデリラが割れていく

 

「危ない!」

 

 クロウが着地する寸前、いっせいにその場にいたすべての甲虫魔獣たちが群がった。

 その一撃で、排除すべき脅威と本能から認識したのだろう。

 だが次の瞬間、一匹の甲虫魔獣ががくりと動きを止め、噴水のような体液を噴きだした。

 

「―――填星(ちん)歳破(さい)

 

 長時間の白兵戦ではなく、一撃必殺で決着が求められる無音暗殺術故に、全身にではなく各部位に限定し、瞬発的に限界を超えた呪的身体強化を施す『八将神法』。

 床に着地したクロウが、断末魔を上げる間すら与えず大きな甲虫魔獣の腹を拳で貫いていた。すぐに腕を引き抜き、後ろ回し蹴りで別の甲虫魔獣の頭を粉砕する。彼の頭を噛み砕こうとした甲虫魔獣の牙が、その身に硬質な鎧の如く纏っている生体障壁を貫くことはできず、クロウに鷲掴みにされる。掴んだ牙を持ち上げ―――勢いに任せて残りもう一匹の甲虫魔獣へと叩きつける。

 ぐしゃり、という音と共に、衝突事故を起こした巨大な甲虫魔獣同士が潰れ弾けた。

 

「オレがこいつらを相手する。お前らは客の避難を頼むのだ」

 

「は、はい!」

 

 SPに任せると、クロウはまた別の場所へ――魔獣に襲われている人々のもとへ疾駆する。

 

 

「む。心配するな。夏音なら大丈夫だ。あっちには皆がいるからな。だから、オレは取りこぼしをやるのだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 最初に魔獣の襲撃を受け、王族が殿を務める、最も魔獣との戦闘が過酷なパーティ会場。

 何体かの取りこぼしてしまったが、魔力を断つ魔の天敵<雪霞狼>を振るう剣巫と物理的に絶対切断<煌華鱗>を振るう舞威姫、そして、魔力を食らい魔力を無効化する<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>を召喚するアスタルテの活躍で室内の甲虫魔獣をほぼ殲滅する。

 

「ちっ、うじゃうじゃいやがって……!」

 

 そして、<第四真祖>暁古城が、室内にいる甲虫魔獣の一体を真祖の魔力を篭めた拳で叩き伏せると、屋外の庭園へ出る。

 

「―――きゃあ!? 誰か助けてぇっ!」

 

 そこで、魔獣に襲われるメイドを見つけた古城は、即座にその左腕を振り上げ、真祖の血を噴き出さす。

 

 

疾く在れ(きやがれ)、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>!」

 

 

 閃光が空気を焼き焦がして突き抜ける。

 空気は攪拌され。

 衝撃波が暴れ回り。

 ホテルの外壁がめくれ上がって。

 <第四真祖>の雷光の獅子が稲妻となって空を駆け、ホテルの外にいた魔獣たちを一匹残らず殲滅した。

 

 そのあまりの威力に室内での使用を躊躇っていた眷獣だが、それは正解であった。『世界最強の吸血鬼』が使役するのは災厄も化身も同じ。幉を誤れば、このホテルを壊滅しかねない。

 

「大丈夫かアンタ」

 

 眷獣を己の血に戻し、古城は襲われていたメイドのもとへ駆けつける。

 

「うおっ!?」

 

「すみません。安心したら力が抜けてしまって……」

 

 あわや魔獣に喰われる窮地にいた彼女は、古城に倒れこむように抱き着く。

 豊満な質量を持ちながらも、この上なくやわらかな物体が古城のお腹に押し付けられる。その様子を擬音で表現するのならば、『たゆんっ』や『むにょん』であるに違いない。

 女性との過度な接触は避けたい古城であるが、しかしながら震えた上目遣いで見つめられ、それもか細く弱弱しい声で、不安に怯えられていたと言われれば、どかすような真似はできない。

 ―――と、古城が戸惑い心情的に身動きできないでいるその時、メイドの女性が、古城の乱闘にシャツの開いた胸元を、ペロリ、と舌を這わせられる。

 

「―――」

 

 抱きしめた彼女から漂う香気が鼻腔を満たす。

 最高に素晴らしい気分だった。すべての思いも悩みも優しく拭い去られ、掴みどころのない、漠然とした幸福感だけが頭に残り、古城はふわふわと浮かんでいるような心地がした。戦闘が終わった直後にであるも、気分は緩み、遅れて人々が駆けつけてくるのを、ただぼんやりと意識しながらその場に立つ。

 

「では、()()

 

 言ってメイドの女性は離れ、入れ違うように雪菜たちが古城のもとへ駆けつけた。

 

 

 

「―――古城! ありがとう助かりました!」

 

 メイドに抱きつかれていた古城に雪菜や紗矢華の視線は冷たいものはあるものの、ラ=フォリアが古城に飛びついて感謝の意を表す。

 それに古城は―――大した動揺も見せず、落ち着いた対応を見せる。

 

「ああ、お姫様を守るのに少しカッとなってしまったけどな」

 

「まあ、古城」

 

「噂に違わぬ素晴らしい力ですわね。ねぇ、あなた、古城さんに我が国に来ていただければ、とっても心強いとは思いません?」

 

「お、おい、まさか!?」

 

「暁古城さん、是非アルディギアに来て、ラ=フォリアを娶ってくださいませんか?」

 

 魔獣らを殲滅した古城を大層気に入っただろう。絶賛する娘とのポリフォニアの結婚宣言に、雪菜と紗矢華に衝撃が走る。

 

「お母様、ありがとうございます」

 

 我が意を得たり、と感激するラ=フォリア。母の了解さえ取れれば、父もやり込める、なれば、もはや障害などないのだろう。

 

「そんな……っ!」

 

 朝のラ=フォリアの冗談を真に受けたのか?

 しかし、ラ=フォリアは本気で冗談をやる性格(タイプ)で、先輩も本気で迫られたら危ういのでは……?

 

 <第四真祖>の監視役である妹分の焦燥を見てか、外交任務の経験を積んでいる紗矢華が意を決して王妃の前に出る。

 

「お待ちください王妃様。

 第四真祖は日本政府の監視下にあり、アルディギア王家といえど、その……みだりに……」

 

「あら。聖域条約では、犯罪履歴のない限り、魔族にも移動の自由があるはずですけど」

 

「それは、そう、ですけど……」

 

「では、こうしましょう―――」

 

 掌を合わせて提案される。

 夜も更けたので詳しい話は明日へ持ち越し、今夜はこのホテルにそのまま泊まることにしましょう、と。

 時間を与えられるのは、こちらとしてもありがたいが、その間に決定的な展開に持ち込まれる予感がする、巫女の勘、もとい、乙女の勘。

 

「ですが―――」

「ありがとうございます」

 

 口を開こうとしたその時、後ろから肩に手を置き、紗矢華を下がらせる古城。

 

「みんな疲れていますし、助かります王妃殿下」

 

 にこやかに礼を述べる古城。

 そんなこちらとは危機感に温度差のある、あまりに落ち着いた対応を見せられてカッとなった紗矢華は、古城の手を振り払って、

 

「暁古城! あんたは黙って! これは獅子王機関としてちゃんとした―――」

 

 再び肩が掴まれる。

 今度は真正面から。

 そして引き寄せ―――その耳元に甘い声が囁く。

 

 

「(大丈夫さ。心配なら俺を、一晩中見張っててくれよ煌坂)」

 

 

 …………………………、へ?

 

 その発言には聞き逃せない不純物、おそらく糖分系のものが多量に含まれており、さりげないスキンシップ……

 過去の親の虐待が原因で男性嫌いとなり、異性との接触を嫌悪する紗矢華。

 なのに、触れてはない、けれど熱を感じられるほど近くに迫られた実感がいつまでも肌に残る―――それが嫌ではない心の裏切り。

 

「~~~~っ!?!?!?」

 

 人慣れしていない猫が少しの接触で過剰に飛びのくように、古城から離れた紗矢華。

 対し、古城はそれに笑みを作れるほどの余裕があった。それがものすごく癪で、でもなんだかまともに見ることができない。

 いや、これはきっと疲れているのだ。

 ここ最近絃神島で多々難事件に巻き込まれたし、それがひょっとして無自覚な隠れ疲労となって心身に積もっていて、だから…………………休むのも、いいかもしれない。

 

 

 して、獅子王機関のエージェント煌坂紗矢華が自分の世界に入り沈黙してしまった以上、王妃の提案を止めるものは誰もおらず、古城らは高級ホテルのご一泊となった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ラ=フォリアさんの電撃プロポーズかぁ……古城君、いつの間にそんな関係になってたんだろ?」

 

 部屋のダブルベットそのひとつへ飛び込んで、スプリングのフカフカ具合を確かめる暁凪沙が同室相手となった藍羽浅葱に話を振る

 浅葱がドレスを脱いで皺にならないよう丁寧に折り畳んで風呂の支度をしつつ答える。

 

「聞いた話じゃ、王妃さんが勝手に結婚するとか言い出したみたいよ」

 

 魔獣襲撃騒動があった後、SPのひとりが帰ろうとした浅葱のもとに王妃殿下からの伝言を届けに来た。

 今夜はこのホテルに泊まらないか、と。

 無料でこの絃神島でも最上級の、国賓を招く格のある高級ホテルに一泊できる機会だ。二つ返事で頷くところだろう。家族にも今日はパーティで遅くなることは伝えてあるし、そのまま泊まりになっても問題ないし、管理公社のバイトも明日は入ってない。

 断る理由がなくて、それに……

 

『あの王女は先手先手を打ってくるタイプだ。家族も認めたんなら下手すりゃ今夜にも手を打ってくるぞ。盗られたくなきゃ、やられる前にやっちまえ』

 

 という幼馴染の一押しもあって、その提案に乗った浅葱。

 でも、発破をかけられたが、その場にいなかった浅葱にそれほどの危機感はなく、具体的にどう対抗するかも思いついてない。これが学業や電子計算であったのなら、秒で最適解を導き出せるのに、この色恋沙汰というのには正解がないので厄介だ。

 とはいえ、重度の魔族恐怖症で、先の魔獣騒動のときに気を失った(本人曰く、魔族と魔獣は別物だから平気だ、とは言っていたが)凪沙が心配なのもあるし、こうして同室になれて、案外元気な様子に胸を撫で下ろせたのは正解だろう。

 

「あ、そういえば、前に一度古城君にキスしてたっけ。あの頃なのかなぁ……でも、古城君がいなくなるのはいやだなぁ―――はっ、でも夏音ちゃんと親戚になれるのかぁ。それはちょっといいかも」

 

 未来予想図にころころと表情を一喜一憂させる凪沙は見てて飽きない。

 とはいえ、それはあまり浅葱にはよろしくない未来である。もし今夜のうちに勝負が決まって、明日の調印式からそのまま婚約発表会となって絃神島から北欧に旅立ってしまったら、もう遠距離恋愛どころではない。

 

 実態を直に見ていないから薄いものの危機感はゼロではない。それを無自覚にも煽ってくる凪沙のマシンガントークに沸々と焦りが大きくなる浅葱。

 ここは身体を張って引き留めるべきか。

 ―――いや、それよりももっと効果的なのがある。

 

「でも、連れてかれるのは古城だけじゃないかもしれないわよ」

 

「ふぇ?」

 

 中々当人は認めたがらないが、古城はシスコンだ。そんなのは暁兄妹と一緒に一ヶ月も過ごせば自明の理となる。古来の賢人が言う、まず落とすべきなのは将ではなく馬であると。個人的にも親しい付き合いで、純粋な彼女を利用するようで心苦しいものがあるものの、凪沙の一言は古城を引き留める決定打になり得るほどの発言力がある。

 そして、その凪沙の焦燥感を煽るに効果的な人物(ネタ)を浅葱は知っている。

 

「ほら、クロウも王女様に気に入られてるみたいじゃない。前に騎士団にスカウトされたとか言ってたし」

 

 そう、それは一時期、浅葱の担任である南宮那月の機嫌が悪かったころ。その原因と思われることを古城がそれとなく言っていたのだ。アルディギアに後輩が出張した際に、向こうの騎士団にスカウトされるくらい気に入られた、と。

 それは後輩に断られたのだそうだが、この婚約で話が再熱するかもしれない。

 

「うん……クロウ君は、お仕事とかで絃神島から出てくことはあっても、離れることはないと思う。だから、騎士団にはならないと思うよきっと」

 

 焚きつけてみた浅葱が少し驚くほどに、ブレなかった。逆に言われて納得してしまう。

 先の凪沙の言葉を借りるのなら、一体いつの間にそこまで信頼できるくらいの関係になったのだろうか、と開いた口から漏れ出てしまうくらい。

 嫌われていた、というより、怖がられていた最初期を知るものとして、好悪のベクトルが反転したのは喜ばしいことだが、そこからさらに突き抜けちゃっていることはすごく意外である。そういえば、先の魔獣騒動での彼に抱き上げられて気を失っていた彼女は恐怖に怯えてはおらず、安心して眠りに入っている感じであった。

 兄離れが早まりそうな気配にあのシスコンは危ぶむかもしれないが、個人的にもあの後輩は気に入っているので、素直に応援しよう、と浅葱が密かにその成長を祝福する。

 が、それではそれとして、王女への対抗策を一から振り出しに戻る藍羽浅葱であった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――襲ってきた魔獣は、ちゃんと一匹残さずぶっ潰したぞ。古城君が最後は一気にばばーってやってくれたのだ。それで、術者っぽいのを見つけたんだけど、逃げられちまった。“匂い”を覚えたから追えるけど、それだと警備から離れないといけなくなる。どうするかご主人?」

 

『……そうか。容疑者は確証を得るまで追跡はするな。罠の可能性があるからな深追いは禁物だ。緊急事態における現場の判断は馬鹿犬に任せているが、怪しい輩を見つけたらなるべく連絡するようにしろ』

 

 現在、ラ=フォリアの方は国王夫妻と歓談中で聖環騎士団の騎士団長が護衛についており、風呂に入っている夏音の方は同じ女性である要撃騎士ユスティナ=カタヤがついている。

 その今日一日中張り付いた警護の空いた時間に、クロウは別行動中の主への定期報告することにした。

 後輩のアスタルテに携帯を持たせて、耳口元に当てさせる通話方法は傍から見れば奇異に映るが、クロウも彼女ももう慣れたものである。

 

「う。了解したぞ。じゃあ、オレはフォリりんの使い魔(借)(レンタルサーヴァント)をやってればいいんだな」

 

『……そうだな、絃神島にいる間は、腹黒王女の傍についていろ』

 

 今回、南宮クロウの仕事は、『警護を含めた第一王女の使い魔(借)』である。

 <禁忌契約(ゲッシュ)>により王族の依頼は二度も断るとペナルティを受けるようになったクロウであるも、それに加えて、ラ=フォリアには借りができたのだ。

 

 ―――<タルンカッペ>

 錬金術師天塚汞との戦いで、襤褸切れとなってしまった隠れ蓑は、熱ステルスに光学ステルス、そして戦闘時の強化呪術の伝導率増幅と大変優れた魔具である。

 

 ここ最近、透明になる監視役に付き纏われているクロウは、そのことを師匠こと<四仙拳>のひとりである笹崎岬に相談したところ、『目には目をで、こっちも透明になったらいいなじゃない』と助言をもらった。

 

 元々、『圏境』という魔術を使わない、体術の瞑想の極み。生体障壁を固めるのではなく拡散化させて、周囲と気を一体化させる透明化(ステルス)。その魔術によらない故に、巫女の霊視にさえ感知させない魔技を、自然に暮らしていた野生児のクロウには適性が高く、超能力の補助もあって気配遮断に関しては師匠<仙姑>の笹崎岬よりも巧い。

 

 そこへ更に、錬金術師との戦闘で喪失した旨を聞いて、クロウより謝罪を受けたラ=フォリアより直々に、専用に性能が底上げされ改良された<タルンカッペ>を頂いた。

 鬼に金棒。虎に翼。『園境』に『隠れ蓑』を身に着けたクロウは、歴戦で積み上げた経験、常時発している警戒、動物的な本能によっても初撃されるまでは感知すらさせず、巫女の霊視すら逃れる。

 

 だが、先も言った通り、この<タルンカッペ>は大変優れた魔具であり、その分だけ貴重なものである。騎士団の中でも要撃騎士クラスのエリートにしか配布されない、魔導技術国家アルディギアの秘儀国家機密の詰まった代物。それを別に騎士団でも、王族に忠誠を誓っているわけでもないクロウがもらう。ただでさえその布地は聖人がその身にまとう聖骸布と同じ素材であり、その刺繍や縫い方は完璧に計算し尽くして、ひとつひとつに意味が込めながら職人が手作業で行われている。

 それを破損してしまったから新調するなど、あまりに畏れ多いことだろう。

 あくまで隠れ蓑はお礼で、新調もご厚意なわけだが、貸しを作りたくないご主人は、王女のご要望を聞くことにしたのである。

 それが、『警護を含めた第一王女の使い魔(借)』であった。

 

「う。オレがんばるぞ。恩返しもしたいけど、フォリりんのことは気に入ってるしなー。ご飯も美味しかったし」

 

『……おい、馬鹿犬。仕事中に暢気に飯を喰らっていたわけではあるまいな?』

 

「うぐっ!?」

 

 主の権利は今は仮移譲されていても、やはり主人の威光は変わらない。電話口から使い魔の慌てぶりを覚る那月は、淡々とした口調で、

 

『まさか、それにうつつを抜かして今回の襲撃を察知できなかったとなれば“ハウス”……』

「ご、ご主人もいざというときに動けるよう栄養と水分補給はしっかりしとけと言ってたのだ。腹が減っては仕事ができぬって昔の偉い人も言ってるぞ」

 

『アスタルテ』

 

 端的に一言その名を呼ばれて、それで意を察するアスタルテは、先輩が両手を合わせて拝んでくるも、やはり教官からの命を優先する。

 もしくは、この後輩も先輩に反省すべきと判断を下しているのかもしれない。

 

「報告。襲撃時、先輩は飲酒により酩酊状態でありました」

 

「アスタルテェ……」

 

『ほうほう。馬鹿犬、お前、いつの間に酒を嗜むようになったんだなぁ。これは知らなかった』

 

 ぞくり、と。平坦ながら悪寒を走らせる声音にクロウは携帯電話から飛び跳ねて後逸。それから流れるように反省の土下座を取る。当人がその場にいるわけでもないのに、訓練された動きであった。

 

「いやな、ご主人、『ほう、あれは『詩の蜜酒』ではないか。飲むと頭が賢くなる飲み物だぞ』っていうから試しに一口飲んで、それが甘くて美味しくてな。つい……」

 

『ペット風情の戯言に乗らされるとは、つくづく馬鹿犬だ。これで王族に傷ひとつでもできていれば、借りを返すどころか余計な貸しを増やすところだったぞ』

 

「わかっているのだ反省するぞ……アスタルテも、代わりにやってくれてありがとな。う、頼りになる後輩なのだ」

 

「高確率で何らかの失態を犯す先輩のフォローをするのが任だと教官より言付かってますので」

 

「うぅ、何かそれ先輩としての威厳がない気がするぞぉ……」

 

『帰ったらしばらく妖精獣(モーグリー)だな』

 

「しゅーん……」

 

 使い魔が耳を垂れて落ち込む様子が見ずとも瞼の裏で浮かんだ那月は一度ふんと鼻を鳴らし、切り替える。

 

 

『では、こちらから報告だ。どうやらテログループには『北海帝国』がバックについている可能性が高い。そして、おそらく扇動しているのは首謀者トリーネ=ハルデン。こいつはジャコウネコ型の獣人種でフェロモンを使って………』

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『ありえない! ワンフロア丸ごとスイートで、貸し切って鍵のかからない部屋に男女一緒くたに放り込むとか! アルディギア王家の倫理観とかどうなってんの!?』

 

 

 混浴であると知らなかったにしろ堂々と女子の前に立って、なおタオルで隠すことなどしない先輩。その裸体を目撃するような事故があった後、お冠なルームメイトが顔を真っ赤にして捲し立てる。

 気持ちは雪菜にもすごくわかる。

 だがこれは、たぶん、ラ=フォリアの独断で、だとすれば、第一王女はやる気だ。既成事実を作る気だ。

 部屋割りを変更させるか、古城に部屋にカギをするよう抗議するかとラ=フォリアに直訴しに行った紗矢華を見送り、雪菜は女狐ことラ=フォリアが先輩の部屋に夜這いさせるのを阻止するよう警戒を任された。

 唯一血族を持たない<第四真祖>が不埒の行いを未然に防ぐのは、獅子王機関として当然の義務。

 

 そうして、夜中に先輩の部屋の前に立つ雪菜。

 

 来ているのはいつもの制服姿。

 けれど、風呂上がりの魅力、というのか、火照って赤みがさした頬に、艶やかできめ細やかな肌。さらりと流したしっとりと微かに濡羽色の髪から、ちらりと覗くうなじには色がある。ホテルに備え付けられたいつもと違う高級シャンプーと雪菜の匂いが合わさった芳香は男性の持つ理性からすれば殺人的であろう。

 これまでの経験則からして、この状態で先輩の前に立つのは危険であると雪菜は悟っている。

 けして木乃伊取りが木乃伊になるまい、と。ドアノブを取る前に、部屋に近づくに比例してペースを上げる鼓動を抑え込むように左胸に手を当てる。深呼吸し―――そこで聴こえた。

 

『~~~っ! ―――っ!』

『―――っ!   っ!』

 

 室内から物音が。この遮音性の高いホテル壁よりも聴こえるほど大きく、何かが激しく暴れる音。そう、取っ組み合っているような―――まさか! もうすでに先輩と情事に―――!

 

「―――先輩っ!」

 

 鍵のかかっている扉。だが、それを念のために持参したギターケースより抜かれた<雪霞狼>が切り裂いて、突破する。そして、そこで雪菜が見たのは……

 

 

「離せっ! 俺はお嬢様のために……っ」

「いい加減に目を覚ますのだ古城君!」

 

 

 三人は楽に横になれそうな大きなシングルベットの上で、プロレスをするようにもつれ合う先輩と同級生。

 思わぬダークホースが現れた―――ではない、当然。

 

「こうなったら致し方あるまい。神々に呪われたこの力の裁きを受けるがいい!」

 

 紫電の渦を纏う古城の肉体。スタンガンどころではない。<第四真祖>五番目の眷獣の力の一端を引き出した電撃。

 シングルベットを吹き飛ばし、インパクトと共に強大な余剰エネルギーが空気を灼いた。

 

「か、があああ、―――っ!」

 

 クロウの身体が、たちまち紫電に包まれる。

 肌だけでなく、眼光と口からも激しく電光が噴き上がった。人間であれば間違いなく即死。―――だが、それほどのものを受けながら、混血の少年は抑止できなかった。

 電撃迸る古城の肉体からその腕を離さず、転げ落ちた床にその身を押さえつけている。

 

「ビリッと来たけど、眷獣程じゃないのだ」

 

「なにっ!?」

 

 この同級生は、素手で眷獣を殴り飛ばし、そして防護服もなく眷獣の攻撃に耐えうるほど頑丈な肉体を持っているのだ。その十分の一程度で、捕らえた獲物を逃すほど怯むわけがない。

 体格では古城の方が図体でかいが、身体能力で上回られているクロウの膂力には敵わない。眷獣を召喚できる余裕もなくて、自力での脱出が不可能―――なれば、

 

「―――姫柊! クロウに襲われてる助けてくれ!」

 

 半ば反射的に、雪菜は先輩の言葉に破魔の銀槍をクロウに向ける。<禁忌契約>で彼は三手受けるまで巫女である雪菜に攻撃はできない、つまりは反撃ができず無抵抗にやられる。ここで最速の突きを放てば防ぎようはなく―――その寸前で、止めた。

 槍を突き付けられながらも、同級生のその金色の瞳が澄んでいる。その直感的に物事の真贋を見抜く巫女の目には、彼は正気としか映らない。

 濁っているのはむしろ―――

 

「何をやってるんだ! 早くクロウをどかせろ!」

 

 たとえそれが後輩に瀕死の重傷を負わせた錬金術師が相手であっても、人に対してその力を振るったことを後悔した。

 なのに、今、親しい後輩に致死的なほどの電流を躊躇なく浴びせるという暴挙に出ながら平然としていられる。

 違和感。いつもの先輩とは違う―――そう、あの風呂場の時も、あの状況で先輩が鼻血を噴くことなく落ち着いた対応ができたであろうか。

 

「いいえ。先輩はいやらしい吸血鬼(ひと)ですけど、最低な吸血鬼ではありませんでした」

 

「何を姫柊―――がっ」

 

 疑問が生まれて、迷い、そんな三秒ほどの停滞で、決着がついた。

 開け放たれた扉から風が吹きこむ。流れに乗った香しい雪菜の体臭を鼻で呼吸し、古城の目に光が戻りかけて、不自然に抵抗を止めた。

 その一瞬を逃さず、背後を取っていたクロウは古城の両腕を取り、極める。

 

「―――ニーナ、何か縛るものくれ!」

 

 クロウが右腕で取ったベットシーツを錬金術で物質変成し、造り出される<偽・戒めの鎖(レーシング・レプリカ)>。

 その神々が打ち鍛えた封鎖の模造品。本物ほどではないが魔力封じの力のある鎖で、クロウは古城を雁字搦めに縛り付けて芋虫にして床に転ばせる。

 

「何事ですか? おや、これは一体……?」

「雪菜! 暁古城―――とクロウ!?」

 

 ネグリジュ姿の姫御子と舞威姫。

 先に来ていた雪菜としても状況説明を求めたい。

 そして、それに答えたのは、予想外の第三者の声。

 

 

「第四真祖は操られておったのだよ。アルディギアの姫御子を攫うためにのう」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 南宮クロウの右手首に巻かれた腕時計。それが急に融け出したかと思うと、30cmほどの人型を作る。腕を登りクロウの肩に腰を下ろしたオリエンタルな美貌を持つ人形は、古の大錬金術師にして、叶瀬夏音の育ての親――ニーナ=アデラート。

 

「ニーナ、夏音の家族水入らずを邪魔したくないとか言ってたけど、でも、心配だから見に行くって。だから、腕時計に変化してたのだ」

 

 ニーナ=アデラートは錬金術師。彼女の不滅の肉体を構成しているのは、<賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)>と名付けられた液体金属生命体。

 錬金術術の極致とも呼ばれる生きた金属――<賢者の霊血>は、それ自体が膨大な魔力源である高性能な魔具であり、また、不定形で形がない、つまりは“何にでも化けられる”のだ。

 

「人型のままでも良かったんじゃが、こ奴の動きに振り落とされんからの」

 

 古の大錬金術師が手首に巻き付いている、いわば『賢者の腕時計(ワイズマンズ・ウォッチ)』か。

 『園境』と『隠れ蓑』で透化するクロウについては、夏音の様子を遠目で見守り、そして時にはクロウに念話(テレパシー)で要求を伝えていた。

 

「しかし、来ておいて正解であったわ。テロリストに狙われるとはな……だが、この偉大なる作業(マグヌス・オブス)を極めし妾がおる限り、奴らの謀も終わりよ」

 

「でも、ニーナ、全然時間がずれてるから時計としてはあんま役に立たなかったのだ。進んだり戻ったりするからややこしかったぞ」

 

「仕方あるまい。自慢ではないが、妾はあくまで形を変えただけだからな。機能の方はおまけ程度のものだ」

 

「むー。まぐぬす・おぶすというのは何でも完璧なんだろ? 腕時計になるなら『完全な腕時計』にならないとダメじゃないのか?」

 

「ぬ。そこまでいうのならば、完璧に時間に正確な腕時計になってみせよう!」

 

「やめてください。ニーナ=アデラートを腕時計にするという時点でおかしい気がします」

 

 と常識を色々と無視してる会話を中断させて、

 

 

「古城君に変な臭いがついてるのだ」

 

 

 クロウが説明する。

 主より報告された情報。テログループの後ろ盾(バック)と思しき『北海帝国』。その情報部特殊工作班の中で主に潜入工作を実行するチームのリーダーである軍人トリーネ=ハルデンを確認した。

 

「で、そいつはジャコウネコ科の獣人種でな。その固有能力で、強力な催眠効果を持つフェロモン系の物質を分泌することができるのだ」

 

「ええ、聞いたことがあります。ジャコウネコ科の獣人は、特殊フェロモンで相手を意のままに動く駒にすることができると」

 

「でも、欠点もあるぞ。フェロモンだから、同性には効き難いのだ。でも、異性なら効き目は抜群だ」

 

 そう、魔力による精神支配に高い抵抗力を持つ吸血鬼に対しても有効なほどに。

 そして、ただ嗅がせるだけでなく、直に相手の肌にフェロモンを塗り込むことで、その催眠効果はより強力となり、自害さえも躊躇わずに実行できるようになる……

 

「だから、ご主人からの報告の後にすぐ、アスタルテに怪しい“匂い”がするところを教えて警備隊の女の人だけを選抜して向かわせた。SPはほとんど男だから、どいつが操られてるかチェックしないといけなかったからな。オレがこのフロアにいる男全員の“匂い”を嗅いで、それで古城君が……」

 

「なるほど。そういうことですか。大義ですクロウ。おかげで最悪の事態は免れました。あなたを眷獣(借)(レンタル・サーヴァント)して正解だったようですね」

 

 柔らかに微笑を浮かべるラ=フォリア。しかし、その眼光は鋭く、冷たい。

 

「地理的には我がアルディギア王国とも、『戦王領域』とも離れてはいますが、両国を結びつける不可侵条約更改を阻止し、結果的に『北海帝国』が政治的優位に立てるようにテロを企てたのでしょう」

 

 そして、そのテロの手段はラ=フォリアの誘拐を目論んだことから、アルディギアに引き金を引かせたように見せかけるもの。

 明日の調印式典に出席する『戦王領域』の使者はセヴァリン候。アルデアル公と同世代の若い貴族でありながら、帝国議会議長であり、隠遁中の第一真祖<忘却の戦王>の懐刀と呼ぶべき貴族。それに休戦条約の最中に攻撃を仕掛けたとなれば、アルディギアは『戦王領域』どころか全世界を敵に回すかもしれない。

 許してはおけませんね、と静かに呟く北欧の第一王女。魔導テロを防止する組織獅子王機関の一員として、雪菜と紗矢華の表情も険しい。

 

「それで、先輩はどうしたらトリーネ=ハルデンの催眠が解けるんでしょうか?」

 

「んー……魔術とかの催眠じゃないから厄介だとご主人は言ってたのだ。古城君を正気に戻すには、誰かが“上書き”しないとダメっぽいな」

 

「え、っとそれって……」

 

「うん、古城君にいつもの鼻血ぶーってやらせるのだ」

 

 魔術によらない、生体反応なフェロモンによる精神支配。

 それを解き放つには、同じフェロモンでやるのが最も効果的。一部には同性のフェロモンで興奮するアブノーマルな性格のものもいるが、暁古城は異性に反応するノーマルな性癖である。

 

「これ付いてるの異性のフェロモンだからなぁ。オレの『芳香過適応(リーディング)』でも、男の匂いでマーキングするのはあんま向いてないぞ」

 

「つまり、お主らのうち誰かが古城を興奮させねばならんということだ」

 

 だから、姫柊雪菜、煌坂紗矢華、ラ=フォリア=リハヴァインの3人。ニーナ=アデラートも性格的には女性であるも肉体は液体金属であり、フェロモンのような異性を誘惑する催淫物質を発することはできない。

 だが、浅葱、夏音、雪菜、紗矢華と裸の美少女と風呂場で囲まれながらも、鼻血を噴かなかった今の暁古城をどう誘惑するのか。それ以上に過激な方向に思考が傾くのが自然な流れである。

 

「冗談、ではないんですよね」

 

「う。これは冗談じゃないぞ姫柊。時間が経てば、付けられたフェロモンが薄まるかもしれないけど、それで催眠から解放される保証はないのだ。最悪、催眠が切れるその前に自害しろとか言う命令(プログラム)されてるかもしれないのだ」

 

「それは、ありえますね……」

 

 念のために確認を取る雪菜に、至極真面目な表情で言うクロウ。

 古城は今、ガチガチに鎖を全身に巻き付けられて、椅子に座らされている。『八将神法』の暗殺術を打ち込んであることもあり、その体はしばらく自由に動かせることはできないだろう。

 喋ること以外はまったく身動きができない―――つまり、こちらから自発的に誘惑しなければならないのだ。

 

「……わかりました。私が、先輩を正気に戻します」

 

「雪菜っ!?」

 

「紗矢華さん。大丈夫です。私が、先輩の監視役ですから」

 

「そうですね、少し準備をしときたいですし、ここは雪菜に先手を譲りましょう。わたくし、一夫多妻制でも雪菜が第二婦人なら大歓迎です」

 

「―――ですから、私は愛人ではなく、監視役です!」

 

 ラ=フォリアの発言に訂正してから、雪菜が古城の前に立つ。

 その気配を覚ったのか、昏倒からゆっくりと古城が目覚める。見開かれた瞳は、以前、曇っている。

 

「どうした姫柊。そんな顔して……」

 

「……、」

 

「なあ、この拘束、解いてくれないか。監視されるならベットの中の方が嬉しいんだが」

 

「冗談を止めてください」

 

「冗談なんかじゃない。いつも茶化しちまうけど、時々抑えられないものがあるんだ。姫柊は可愛いから。

 ……ダメか、姫柊」

 

「ふ、ふざけないでください! 先輩が周りに害を及ぼすようなら、私は監視役として先輩を」

「―――ああ。殺されるなら姫柊がいい」

 

「先輩は……やっぱり、いやらしい人なんですね」

 

 言いながら、雪菜の手は古城に縛られている鎖を解いて、自由になったその手で古城はつつ……と雪菜の頤を撫でて―――

 

 

 

「剣巫よ、主が誘惑されてどうするのだ」

 

 ニーナより冷静なツッコミが入り、はっとする雪菜。

 しかし、それも仕方ないかもしれない。

 今の古城はいつもの気だるげな彼とは違う。

 雰囲気が、大人、いやアダルティになっている。ワイルドさの中に魔性の色気がある。瞬きのひとつの仕草にも女性を誘惑するほどに、催眠によってその潜在能力が解放されているのだ。

 真の吸血鬼は目で落とす。目力を篭めた視線で、ピタリとその場で停止させ、ヘビに睨まれたカエルの如く固まってしまう。そして、そこへ甘い囁き声で抵抗する意志力を奪い陥落させる。

 そして、あっさりとしてやられたことに羞恥で真っ赤にしている雪菜に続くはやはり、

 

「あ、あ、あ、ああ暁古城! なんて羨ま―――じゃなくて、何て破廉恥なことしてるのかしら!」

 

「なんだ煌坂、焼きもちか?」

 

「んなっ!?」

 

「ふっ、煌坂はかわいいな。もしかして煌坂もしてほしかったのか。馬鹿だな言ってくれればいつでもしてやるのに」

 

 古城の自由な左手に頬を撫でられ、頤を擽られる。その妖しい手つきで最後は紗矢華の顎をくっと持ち上げる。

 吐息の温度さえ分かる距離で、囁かれる。

 

「それとも、それ以上をお望みかな?」

 

 それにピクンと震えて紅潮する紗矢華はぺたんと床に座り込むと、椅子と足の縛りを解いてしまう―――

 

 

 

「舞威姫までとはな。これでは主らは本当に獅子王機関から派遣された第四真祖の愛人であるぞ」

 

 ニーナの平坦な呆れ声に、今していることを自覚した紗矢華は慌てて古城から下がる。

 そうして、四肢の束縛より解放された古城は立ち上がれるようになった。しかし、その首と胴にはまだ封鎖が巻き付いており、その幉はクロウのしっかりと握られている。

 

「なんか性格が変わってるな古城君」

 

「あれが古城の本性か。まさに天然の女誑しよの」

 

 “お嬢様”の任務を果たすには、この縛から逃れなければならず、そして残る陥落可能な異性は標的の姫御子のみ。

 すぅ、と古城はこれまで様子見に徹していたラ=フォリアの前に跪いて、

 

「挨拶が遅れたほんのお詫びだ。こんな美しいレディを放っておくなんて、我ながらどうかしてたな」

 

 手の甲に唇を寄せ、ちゅっ、と口づけする。

 姫に傅く騎士のように。

 そして、先制攻撃にラ=フォリアが目を白黒されてるうちに、流れるように指先が銀髪に触れる。

 

「綺麗な髪だから、つい触ってしまった。女性の髪を触るだなんて失敬なのに―――罪作りな髪だな。ラ=フォリア」

 

「今の古城に、そんな似合わない歯の浮くセリフを言われてもうれしくありません」

 

「ふふっ、かわいいなラ=フォリア。髪を触らせるくらいに隙だらけなのに。それに、声も震えてるぞ。

 ―――俺の目を見て、もう一度言ってくれないか?」

 

 紅くなる魔族の妖眼。けれど女性に対し真摯に訴えてくる。

 エレガントにしてジェントル。淑女を惑わす妖しい狼である古城に、ラ=フォリアは―――

 

「いいえ、目を見る必要もありません」

 

「なに……?」

 

「残念ですが、古城。甘言で弄そうとも、“お嬢様”の標的であるわたくしへの視線には、雪菜と紗矢華とは違って“棘”があります。

 ―――そして、わたくしはわたくしがすべきことをけして見失いはしません」

 

 頬を赤くして、完全に蕩け切った表情のラ=フォリア、その声には艶が出始めており、堪えきれないように薄いネグリジュに包まれた躰をくねらせている。

 かなり扇情的。古城は思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。

 

「ふふ、この部屋、暑くありませんか古城」

 

 嫌な予感がした古城は、抵抗を封じるようにやや強引にグッと二の腕を掴むと、

 

「っ―――ふあぁぁあんっ」

 

 それだけでラ=フォリアはビクンと躰を跳ねさせた。触れた肌は、明らかに熱を持っていて。

 その熱と、返ってくる艶っぽい反応に思わず古城が後逸してしまう。

 

「本当なら、今日で既成事実を作るつもりでしたのよわたくし。ですから、念のためにとお母様に倣い、“これ”をもってきたのですが、まさかこれをわたくし自身に使うことになるとは」

 

 熱いと息と共に身を悶えさせるラ=フォリアは、胸元から“これ”――薬を包んでいた薄い薬包紙、“すでに破かれて中身のない”それの端を摘まんでを古城に見せつける。

 それはかつて、ひとりの諸国を武者修行で漫遊していた硬派な騎士崩れの傭兵(ゴロツキ)が数分と待たず満月の夜の狼男に変身し、肉欲のままに当時の王女の身体を求めさせたという代物。

 つまりは、媚薬である。

 

「古城、あなたの催眠を解く方法がわかってます。フェロモンを“上書き”すればいい。だから、わたくし、たっぷりと汗をかいてみることにしました」

 

 雪菜と紗矢華、ふたりがやられている間にラ=フォリアは媚薬を飲み、それだけでなく空調を操作し、部屋の温度を上げていた。より発汗しやすい環境にするために。

 常夏の絃神島で、冷房機能を暖房に切り替えれば、どうなるか。

 サウナ、とまではいかないけれど、なかなかの高温多湿の密室となっており、そして、女の子の“匂い”で充満してきている。

 

「ぐっ!」

 

 鼻を抑える古城。

 それほどにこの“匂い”は強烈で、このままでは“お嬢様”が施してくれたフェロモンが薄らいでしまう。

 古城がラ=フォリアから距離を取ろうとするが、

 

「―――クロウ、もう一度、古城を縛り付けなさい」

 

「ほいフォリりん」

 

 軽々と鎖を操り、古城に絡みつけて、また四肢に鎖を幾度も巻いて縛りつけて動きを封じる。

 そして、

 

「くっ、この―――」

「―――さあ、雪菜、紗矢華! 一緒に古城に飛びつくのです!」

 

 室内の温度と湿度が上昇し、雪菜と紗矢華も汗をかいている。

 先は古城にしてやられたが、これまでの“経験”からの慣れで、すでに復活しており、火照った躰をぶつけるよう、左右から挟み撃ちに、そして、真正面からラ=フォリアが飛びつく。逃げられない。

 

 

「三人集まれば文殊の知恵とこの国の言葉がありますが、“お嬢様”というにはいささか無理のあるオバさんとたっぷり汗をかいたわたくしたち三人。どちらが魅力的ですか古城?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――お逃げください、王妹殿下!」

 

 

 自身の護衛として張り付いていた要撃騎士ユスティナ=カタヤが血飛沫を上げて倒れこむ。

 

「あ……―――」

 

 『聖環騎士団』で優秀な者に授けられる<タルンカッペ>。そのエリートの証たる隠れ蓑の透明化を解いて、叶瀬夏音の前に現れたのは、SP達と同じ礼服に身を包んだ男。

 若手最優秀の女騎士を斬り伏せたその大剣は、『騎士団のトップ』が代々受け継いできた魔剣<バルムンク>―――すなわち、魔獣襲撃の騒ぎに乗じて、<第四真祖>ともう一人手駒にされていたこの男は、騎士団長。

 

 

「さて、我が“お嬢様”(マイ・レディ)が、王家の血を引くものを必要としております。来ていただけますね、王妹殿下?」

 

 

 

つづく


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