ミックス・ブラッド   作:夜草

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暁の帝国

???

 

 

 『真祖と獣王の大戦』

 映像記録などがなぜか残されていないが、『暁の王国』が始まって以来の激しい“決闘(ケンカ)”であったという。そこで“愛の力”で、真祖を斃し、花嫁を得たのが、この『暁の王国』の最高戦力のひとつにして、大罪を狩る世界最強の獣王である。領主であり自由に動けない真祖に代わり、獣王は対外へ出張派遣されることが多い懐刀。

 して、その獣王を超えることを目標にするとある少年は、ある日、稽古をつけてくれた獣王の相方である女性より、ひとつ弟子卒業試験を言い渡された。

 

 

『ちょっと、獣王(クロウ)と“戦闘(ケンカ)”をしてらっしゃい』

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

 それは丹沢の山奥にある小さな神社、その近くの森で迷子になった時にオオカミを見た孫娘に、父方の祖母がしてくれたお話。

 

『森でオオカミを見た? そりゃあ後で握り飯をお供えしとかないとねぇ』

 

 オオカミを漢字で書くと、『獣編に良い』――『狼』。つまり、『良い獣』を意味するのだ。

 かつては『大神(おおかみ)』と書かれ、これは文字通り『大いなる神』という意味であり、オオカミは神様の眷属と見なされていたりもした。

 当然、信仰する人々もおり、彼らは皆口を揃えて『オオカミは人を襲わない』という。オオカミは“温和”な動物であり、むしろ田畑を荒らし回るシカやイノシシを取り締まってくれる頼もしい警備隊のような存在だといわれ、あるところでは、人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと崇拝されている。

 オオカミが人を襲った実例がないわけではないが、それは人間が一線を踏み越えた時。侵すべからずの境界を仕切るものとして、オオカミは人間だろうと容赦することはない。逆に言えば、領分を弁えている限り、オオカミは人を襲うことはほとんどないと言える。『送り狼』というものも、森で道を外れた迷った人が、キツネやタヌキに化かされないよう、災難にあわないよう家まで道案内をしてくれる、からなる言葉だ。故に、たとえ人を襲うことがあっても、古来の日本人は一貫して、オオカミを邪視したことはなかった。

 しかしながら、現代の人々は、『オオカミは人を襲うもの』と常識的に思っている。

 これは、海外――西洋の文化が侵透した結果であり、古くを知るものには聖獣と崇拝されていたオオカミも、外国の異人より持ち込まれた常識から害獣として扱われ、懸賞金までかけられた。そうして、駆除されていき……日本からオオカミが絶滅した、と。

 

『凪沙。あんたは人よりもよくものが視える子だ。けどね、その印象だけですべてを判断しちゃいけないよ。それが恐ろしいものに見えても、ひょっとしたら、凪沙を守ってくれるものかもしれない』

 

 

 

 PiPiPi―――PiPiPi―――

 

 深い過去の記録を夢見るまで深く潜っていた意識が浮上する。

 整理整頓が行き届いた個室、その壁際に置かれたベットの上で、寝乱れたへそ出しパジャマ姿の暁凪沙が、こすっていた目を開くと、アラームを鳴らしている壁掛けのデジタル時計を見上げ―――カッと覚醒する。

 

「っと、起きなきゃ!」

 

 今日から早めに変更した目覚まし時刻。

 時間は、学校を行くにしてもまだ早い。兄を起こして、朝食の支度をするにしても、十分余裕がある。ただ、おめかしに気を付けたり、そこから“西地区から通う少年”の登校ルートに合わせるよう“寄り道”するにはちょっと余裕がなかったりする。

 

「好きになったんだから―――今度は、好きになってもらう。うん! 今日も頑張るよ凪沙!」

 

 

道中

 

 

 11月も半ばのある日―――

 暦の上では晩秋に近づくでも、亜熱帯に位置する絃神島は今日も強い日差しが降り注ぐ。

 そんな中で、厚着を好む者はそう目立つであろう。それが美人であるならなおさら。

 

「おはよう。さあ、一緒に学び舎に通いましょう」

 

 同じ部屋に住む夏音は修道院跡地で子猫たちの様子を見に行き、学園の事務員であるアスタルテも主の那月と一緒に空間転移で跳んでいった。

 つまりは登校しているのはクロウひとりのはずで、しかしながらここ最近、同行人がひとりついている。

 

「お前、一緒の学校じゃないから校門前でいつも引き返すのに、なんでいつも一緒に通おうとするのだ?」

 

「それはあなたの監視役だからよ。と言っても、今日から別のお仕事で忙しくなると思うから、しばらくは監視ができなくなるのだけど」

 

 さらりとすまし顔でいうのは、クロウよりも年上の女子高生。腰近くまである真っ直ぐな髪は、漆黒。クロウの通う彩海学園のものとは違う黒の制服を着て、スカートから覗く足は、これも黒のストッキングに包まれている。喪服でもないのに、イメージカラーがここまで黒一色なのは、絃神島でなくても珍しいだろう。

 そして、その世に拗ねてるような細く鋭い目つきに、虹彩までも黒く見える瞳が冴え冴えとした光を放っている。道行く人々に注目を浴びつつも興味がなく見向きもせず、クロウから視線を外すことなく、こちらの一挙一動を洩らさず観察する眼は、まさしく狩人のものと言える。

 黒の剣巫、とも呼ばれる六刃の妃崎霧葉。日本政府より送られた南宮クロウの監視役。

 

「姫柊にも思ったけど、監視役って大変なんだな。四六時中張り付いて大変じゃないのかー?」

 

「仕事ですもの。まあ、あなたの住む最上階のフロアには、<空隙の魔女>の仕掛けた結界があるし、アルディギアの護衛役も目を光らせているから監視できないのだけど。ホント、どうしたら破れるものかしらねぇ」

 

「む。それをやるから、最近のご主人は機嫌が悪いのだ。“鴉”が突っついてくるからいちいち張り直さないといけない。ああ、面倒だ、って文句言ってたのだ」

 

「あらそう? じゃあこちらもあなたの難解な過保護には手を焼かされています、と伝えてもらえるかしら」

 

「とばっちりで俺のご飯おかわり禁止になるぞそれ」

 

「なら、あなたが一階下に下りてらっしゃい。隣部屋なら私が食事の面倒を見てあげてもよくてよ」

 

「お断りするのだ。なんか、迂闊に近寄ると罠とかありそうで怖い。この前のお裾分けもオレのには変なの入ってたし」

 

「ええ、ちょっとした探査呪術の触媒に私の髪を食玩に入れたものだけど気づかれてたようね。剣巫も第四真祖に活用したと聞いたから試してみたのよ」

 

「う。監視役ってやっぱなんか変だと思うぞオレ」

 

「今度はもっと気づかれないようにうまくするわね」

 

「妃崎からの貰い物は遠慮することにするのだ」

 

 見られて悦ぶような性癖ではないが、特に見られて困るようなことはしないから気にしないクロウは、さほど霧葉の監視も苦には思わない。

 だが、周りはそうはいかないようで、主の那月がここのところ機嫌が低飛空であるし、後輩のアスタルテもなんか冷たい。付き纏われているのを見ても優しくしてくれる同居人は夏音にニーナ、カタヤである。

 そして、今日。

 仲良く会話して(るように傍から見える)登校中に出くわしてしまった少女がいた。

 

「―――おっはよう! ク、ロウ君……」

 

 こちらの姿を遠くから見てすぐ声を掛けようとしてくれた女子生徒。クロウも振り向けば、そこには登校ルート上出会わないはずの同級生暁凪沙がいた。最初のハイテンションから急落下した声音に、クロウは訝しみつつも挨拶を返す。

 

「ん。おはようだぞ凪沙ちゃん」

 

「え、っと……」

 

 凪沙が初めて見る、そしてクロウの隣にいる少女――妃崎霧葉。

 どこか、クラスメイトの親友の姫柊雪菜と似たような雰囲気を感じる。目つきは怖いけど、容姿は整っており、凪沙にはない、お姉さんな魅力のある人。

 だが、そこで怯まない。

 前回に、『アスタルテ(きらさかさやか)』との遭遇では思わず逃げてしまったけど、自覚した今は違う。

 ふんす、と内心で気合を入れる乙女。

 そんな凪沙の心情を、視線から察した霧葉は涼しげな微笑をしながら、

 

「この子は誰かしら? クロウ」

 

(うわ、呼び捨て!)

 

 (当然、『暁凪沙』について事前の身辺調査で知りながらあえて)問いかけにさりげない親密アピールで牽制される。

 

「オレのクラスメイトだぞ」

(確かにそうだけど他にもっと言い方が……)

 

 理不尽であるも恨みがましいジト目をぶつけてしまうも、少年の頭上に『?』が浮かぶだけで効果なし。

 

「もしかして、ガールフレンド、なのかしら?」

 

(な、な、な、何を言うのかな!?)

 

「そうだぞ」

(えっ―――)

 

「……へぇ、そうなの」

 

「だって、ガールフレンド、って女友達と言う意味なんだろ?」

(やっぱりそうだと思ったよ! でも、わかっててもこのお約束の問答がムカつくよ!)

 

「凪沙ちゃんなんで怒ってるのだ? オレ、間違ったこと言ったか?」

(この鈍感さにも腹立つよ! もうクロウ君のバカ! 古城君! 朴念仁!)

 

 拗ねたり、驚いたり、怒ったり、ところころ変わる凪沙。それをくすくすと笑う霧葉。それに気づいた凪沙は、笑う彼女に向けて、キッと強めに目力を入れて睨む。

 

「それで! この人は誰なのかなクロウ君!」

 

 言いながらも、凪沙の視線はクロウではなく霧葉。

 そして、そんな拙いけれど、好戦的な眼差しを受けた霧葉は、その白い美貌に冷気を放つような笑みを浮かばせ、言う。

 

「私は、妃崎霧葉」

 

 がしっと隣にいるクロウの腕を自分の腕と絡める。

 

 

「彼との関係は、端的に言うと、私が告白して、彼にフられたってとこかしら」

 

 

 凪沙の顔が茫然としたかと思うと、何も言わずに反転して、そのまま背を向けて走り去ってしまう。

 

「あ、凪沙ちゃん―――」

「では、ごきげんよう。“お友達”によろしくね」

 

 言って、霧葉も立ち去った。

 ひとり残されたクロウは、すぐ凪沙を追いかけようと走り出す。

 病院から退院したとはいえ、凪沙の運動能力はそこまで高くはない。だから、追いかければすぐに捕まえられるはずだった。

 邪魔さえ入らなければ―――

 

 

「この浮気者! 母ちゃんになんてことするんだ!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「しかも、先生にまで手を出してたなんて、成敗してやる!」

 

 

 凪沙を追いかけようとしたクロウの前に立ちはだかったのは、奇妙な格好をした同い年くらいの少年であった。ぶかぶかな帽子を被り、マフラーを巻いて、そして、蒼銀のコート――クロウと同じ、北欧アルディギア王国の魔具<タルンカッペ>を着ている。

 そして、音叉のように二叉にわかれた、鉛色の双叉槍(スピアフォーク)の刃先をこちらに向けて、剥き出しの敵意をぶつけてくる。

 

「なあ、お前、一体なんなんだ? 言ってることがよくわからないぞ」

 

「問答無用―――<霧豹双月>!」

 

 突き出した双叉槍の2本の刃が、互いに共鳴して、破壊的な音波を撒き散らす。魔力を増幅する槍が使い手の呪力を増幅し、強力な攻撃呪砲として撃ち出してきた。

 だが、それをクロウは生体障壁を纏わせた拳で振り払って、あっさりと弾く。

 

「むむ。やるな。でも、『乙型呪装二叉槍(リチエルカーシ)(プラス)』はすっごいんだぞ! 太史局の秘伝の技術力で、オレ専用に造り出されたスーパー調伏兵器だっ!」

 

「ほー、そうなのか」

「ああ、そうなんだ。この双叉槍(スピアフォーク)を使いこなせば、人間には使えない特殊能力や、膨大な魔力を操れるようになる、って先生が言ってたんだぞ。すごいだろ!」

 

「でも、お前はそれを使いこなせてるのか?」

「うぐ。でもな、これは、魔力を模造(コピー)する武器で、さらに機能を一つ追加した、その改造版なんだ! 扱うのがちょっとばっかオレの手にも余るけど、獣王が相手だって勝算はあるぞ! 何せ、王様―――じゃなくて、おじさんが力を貸してくれたからな!」

 

「なんかよくわからんけど、オレ、お前と戦う理由があるのか?」

「ある! アンタになくてもオレにはあるんだ!」

 

 納得はいっていないが、この口数の多くて、戦闘前にネタバレするような少年と戦うのは避けられないらしい。

 クロウとしても、早く邪魔ものは片づけたいところで、“壊毒”、をいくらか薄めた黒霞の獣気を右手に纏わす毒手。それを生体障壁の応用で変形させて、爪状に伸ばして、少年に向けて振り抜いた。

 そこへ、向こうも同時に双叉槍を突き出してぶつけてきた。

 

「『八番目』!」

 

 それは毒を操り、抗毒血清を造り出す人食い虎(マンティコア)の力。クロウの毒爪が解毒されて、そして、その二又の刃に手首を挟み捉えられる。

 

「『五番目』!」

 

「がっ!?」

 

 それは雷撃を操る獅子の力。捕まえた腕よりスタンガンのようにクロウの全身より高電流が走り抜けた。

 それで麻痺して怯んだところへ、逆側の槍先による薙ぎ払いの一撃を叩き込んでくる。それに合わせて生体障壁を纏わせた腕を盾にするが、

 

「『九番目』!」

 

 それは衝撃波を操る双角獣(バイコーン)の力。衝突と同時に発した超振動が、浸透勁の如く守りを貫通して、臓腑を揺らす。

 たまらず、後ずさりながら牽制で霊弓術の手裏剣を投げ放つクロウだが、

 

「くっ、この」

 

「『一番目』!」

 

 それは攻撃を反射する大角羊の力。バトリングのように双叉槍を旋回させた少年の周囲に金剛石(ダイヤモンド)の障壁が現れ、投擲された手裏剣をクロウの方へと撥ね返した。

 それを弾いて逸らすクロウだが、そこで足を止めてしまい―――相手は双叉槍を地面に突き刺した。

 

「『二番目』!」

 

 それは大地を操る牛頭神(ミノタウロス)の力。溶岩が噴き出す灼熱の杭が、クロウの足元より突き出て、それを間一髪に跳んで回避する。

 

「『七番目』!」

 

 それは重力を操る三鈷剣の力。自身の周囲の重力を操作して、体重がほぼ無重(ゼロ)の状態より跳躍する。

 本来ならば、初速を高めるためには大きなエネルギーを要する。豆鉄砲と拳銃では、弾を撃ちだすのに必要な力が違うように。

 だがもしも重力を操れるのならば、豆鉄砲を撃ち出す力で、大砲の威力を得ることができるだろう。走り出しの加速が“人間の脚力頼み”でも、体重がゼロならばその速度は計り知れない。そして、十分な初速を得た後に、今度は重量を増加させれば、それは瞬間移動じみた動きで相手の上を取り―――未来を読む“霊視”で先読みして、空を蹴る二段ジャンプでさらにその上を取るクロウ。

 

「ぬなっ!?」

「<若雷(ワカ)>」

 

 電撃迸るそのイナズマチョップで、相手を地面に叩きつけるクロウ。

 瞬間移動―――だが、そんなのはクロウには慣れたものだ。重力制御の援助がなくとも、獣化さえすれば己の筋力だけの一足飛びで十分に可能な範囲である。特に驚くことでもない。

 だが、帽子の上からでもわかるくらいの大きなたんこぶを作った相手はそうはいかないようで、こちらを涙目で睨みながら、ぐぬぬと歯軋りしている。

 

「や、やるな! だが今のはまだまだほんの小手調べ、こっから本気を出すぞ!」

 

「……なあ、オレもう行っていいか?」

「だめだよ! とう――獣王! こっからなんだから! 修行の成果はこっから!」

 

 なんだかここで躱してもしつこく喰いついてきそうなので、渋々と付き合うことにしたクロウ。そして、相手は演舞のように、その双叉槍を旋回させながら軽やかに舞踏(ステップ)を踏み始める。

 

「我が影は、霧にして霧に非ず、刃にして刃に非ず」

 

 全身が、周囲の景色に溶け込むように消えていく。

 幻術の応用で空気の屈折率を操り、自身の肉体を透明にする。同時に隠形の呪術を発動し、自らの気配も遮断する。

 

「斬れば夢幻の如く、啼哭は災禍を奏でん―――」

 

 詠唱が終わるときには、すでにその姿は完全に消えていた。

 それは巫女の霊視をもってしても存在を感知できないほどの完成度を誇る呪術迷彩。これは親戚の少女にも察知できなかった自信のある術なのだ。

 足音はなく、回り込むようにして近づくが、クロウは依然と先ほどまでこちらがいたあたりを眺めている。そっと双叉槍の刃を横にして構え、肉食動物が獲物に忍び寄るが如き微音で彼の左手側から寄せ、必殺の速度で横薙ぎする。

 幾度となく魔獣相手にこなしてきた暗殺技の中でも会心の一撃である。これには先生も納得の合格印を押してくれることだろう。

 そして、相手の頭にがっつんとぶっ叩く―――そんなイメージを裏切ったのは、そちらを見もせずに跳ね上がった彼の左手であった。

 

「なんで……ッ!」

 

「いや、前に妃崎にも似たようなことされたけど、普通に“匂い”でわかったぞ」

 

 ショックで棒立ちとなってる相手をクロウが見逃すわけがなく、その襟首を掴んで、彼を持ち上げると大きく振りかぶり―――円盤投げのように一回転したサイドスローでブン投げた。

 

「ぎにゃああああああ―――!!!」

 

 悲鳴を上げて飛翔する少年。そのまま街路樹にぶつかってから、ぷぎゃと路面に顔面から落ちる。

 その際、ぶかぶかな帽子が脱げて、その顔が露わとなった。黒目黒髪。童顔で目がくりくりとしてて丸く、そして短めの髪を無理にまとめてみせたようなちっちゃなちょんまげ、サムライポニーテイルである。

 

「なにするんだッ! いつもいつもオレのことブン投げて! 『悪い事したらダメだって痛みで覚えさせるのだ』とかいって、やりすぎじゃないのか!?」

 

「こっそりオレのことをぶっ叩こうとしたお前の言えることじゃないと思うぞ?」

「もう怒ったぞっ! 全力でやってやる!」

 

 所有者の猛りに呼応して、双叉槍の刃の輝きが増して―――

 

「『二番目』+『五番目』!」

 

「ッッッ!!!!!!」

 

 ドッッッカァァァンッッ!!! と天地が、炸裂した。それを見たクロウは思考が一瞬止まった。

 まるで“稲妻のような電光の勢いで”、“灼熱の溶岩は降ってきた”。狙いが甘く、外れたが、もしも当たっていれば危なかっただろう。

 

「『八番目』+『九番目』!」

 

 それから、相手の生命力を吸収(ドレイン)する毒を付与した竜巻に巻き込まれ、

 

「『一番目』+『七番目』!」

 

 終いに、反射する重力場。天高くに飛ばされた歪んだ無重力空間に囚われる。

 

模造(コピー)合成(ミックス)―――これが『乙型呪装双叉槍・改』の本領発揮なんだ!」

 

 ふふん、と自慢げに胸を張る少年。

 しかし、その金剛石の無重結界が内側からの獣気解放に圧し上げられ、生じた隙間より脱出し、獣化をした銀人狼となったクロウが降り立つ。

 

「ちょっと危なかったのだ。もっと制御できてたらやられてたぞ」

「あー! ずっこいぞ! こっちが使ってないのに、獣化(それ)やるなんて反則だ! 母ちゃんに言いつけるぞ!」

 

「知らん。それなら武器持ってる方が卑怯なのだ」

「仕方ないだろ! オレ、何でもわかっちまう姉ちゃんみたいな超過適応者(ウルトラハイパーアダプター)じゃないんだから!」

 

「とにかく、暴れ過ぎだお前、とっ捕まえてご主人に引き渡すことにするのだ」

「ぬなっ!? そんなの絶対嫌だぞ! こうなったら、先生から頂いた『乙型呪装双叉槍・改』で―――あ、もうおじさんからもらったストックが切れちゃってる……」

 

 少年は槍を折り畳んで、背中にあった収納ケースに仕舞うと、マフラーを取り外し―――露わとなった首元には『首輪』。

 

「全力で行くからな! 覚悟しろよ! 死んだらダメだからな!」

 

「さっきのが全力じゃなかったのか?」

「もう! 細かいところ揚げ足を取るなよもう! 全力の全力だ! わかれよ父ちゃん!」

 

 『首輪』を外そうと手に掛けた―――その腕に銀の鎖が巻き付く。

 

「む」

 

 クロウが反応する。

 それは、神々が打ち鍛えた封鎖――主の南宮那月の用いる<戒めの鎖(レーシング)>。しかし、それを使っている人物は違った。

 

「あ、ムツミ姉ちゃん」

 

 そこにいたのは、少年と同じ黒色で膝あたりまで伸ばした長髪で、そして瞳は金色の少女。しかし、頭に犬耳を生やして、ふさふさな尻尾を揺らす、獣人種の血が混じっている。そして、その身は小柄なようだが、おそらくクロウよりも年上で、しかし二十歳にはいっていないだろう。18か19ほど。

 で、着ているモノは、フリルのついた着物というのか、どことなく主人が好むゴスロリチックで、巫女と魔女の合作とも言われれば納得してしまう、そんな服装。

 

 そして、その背後には、清浄な白銀の鎧に身を包んだ乙女型騎士――<守護者>が少年を束縛した<戒めの鎖>を引いている。

 

「トウシロウ。父祖たる獣王に魂の礼賛を交わすのはいいが、我らは客人(マレビト)、悪戯に過去を騒がすのではない」

 

「ムツミ姉ちゃん、いっつも難しい言い回しでオレでもよくわからないときがあるぞ」

 

「ふっ、解らぬは汝がまだまだ未熟だから仕方あるまい。内なる獣も御し得ぬ故に我が汝を縛るのだ。これも汝の姉としての役目。トウシロウよ、我の掌と契約の軛をとれ」

 

「つまり、手を繋ごうってことだな」

 

 少年を宥めすかして彼女は縛る鎖を緩め、それからクロウと金色の瞳を通わせる。

 

「獣王よ、我らの母へトウシロウに叱責を与えるよう進言しよう。それで手を引いてはくれぬか。我が師にして偉大なる空隙の魔女に時間(クロノス)に逆らったことを知られると未来が書き換わってしまうかもしれぬのでな。それに、こ奴は父祖に構われず寂しい想いをしておったのだ」

 

「ぬ、うん……何か難しいこと言っててよくわからんけどわかったのだ。反省するんならいいぞ」

 

「そう言ってくれると思っておったぞ。感謝する―――しかし、父祖は鈍感すぎるのが欠点であるぞ。母――暁凪沙にはもう少し気遣ってやれ。今日は凍てつく醍醐の滴を馳走してやるとよい」

 

 そうして、一枚のチラシを差し出すと、白騎士がその剣で次元を切り裂いて創り上げた『門』へ少女は少年を連れて、空間転移で何処へと去っていた。

 クロウの『鼻』で追えぬほど遠くに。

 

 

彩海学園

 

 

 この日、彩海学園では奇妙なことがあったという。

 と言うよりは、奇妙な人物ともいうべきか。

 なんでも、この日、朝の登校中に『姫柊雪菜のドッペルゲンガー』が現れては、

 矢瀬基樹に『将来は肥満体になり毛髪が絶滅危機指定になる』というような不吉な予言をしたり、

 カリスマ教師こと南宮那月に『まるで変ってない』と挑発じみた禁句を口にしたり、

 藍羽浅葱のことを『博士(ドク)』と呼び、『今とは全然イメージが違う』と首を傾げたり、

 叶瀬夏音を見つけては飛びついて『夏音(カノ)ちゃんやっぱこの頃から綺麗だったんだ!』と鼻血を垂らしたり……

 と色んな意味で爆弾を放り投げたその『姫柊雪菜のドッペルゲンガー』はいずこへと去って、後から現れた本物の姫柊雪菜は偶々その場に居合わせた暁古城に訊かれたが何も知らないといい、『胸のサイズが違うから姫柊とは違うと気づけた』といった先輩を折檻したそうだが……

 

「………ふーん、だ。私はおばさんですよーだ」

 

 唇を尖らせる凪沙。

 どうやら彼女も『姫柊雪菜のドッペルゲンガー』に遭遇したようで、出会い頭に『おばさん』と言われたそうだ。

 

「そりゃあ、確かに凪沙はよく喋り過ぎて田舎のおばちゃんみたいって、たまーに言われるたりするけどさ……!」

 

「そうなのか?」

 

 じろり、と凪沙に睨まれる。『姫柊雪菜のドッペルゲンガー』についてお喋り好きな凪沙から愚痴と一緒に話されたクロウは、ここで同意すると不機嫌になるなと察して、

 

「ん。でも、オレ、全然おばちゃんには見えないのだ。う。ご主人みたいに子供だぞ」

 

「ふん! そうだよね! 凪沙はぜんっぜん大人っぽくないよねっ!」

 

 フォローしたつもりだが、鎮火するどころか炎上するという逆効果な結果。ついに、ふーんだ、とクロウはそっぽを向かれてしまう。

 

「クロウ君はこれだから33点なんだよ……凪沙だって最近頑張ってるんだよ色々……なのに……」

 

「なあ、なに怒ってるのだ?」

「怒ってないよ!」

 

「やっぱ怒ってるじゃないか」

「怒ってないったら怒ってないの!」

 

 凪沙はふんと鼻を鳴らし、机の上に突っ伏した。

 表情を隠すように顔を伏せられてしまい、クロウは困って眉をハの字にする。

 こんなとき、凪沙に詳しい兄である先輩がいればよかったけれど、今古城は監視役の雪菜に連れて行かれている。だから、どうやって機嫌取りすればいいのかと悩むクロウは、そこで朝に手に入れた一枚のチラシを思い出す。

 

「う。今日はるる屋の新作発売なのだ。苛々した時は甘いもの。放課後に食べに行かないか?」

 

 凪沙は答えない。

 

「お詫びに奢るぞ……?」

「別にクロウ君が悪い事してないし、詫びるなんてしなくていいよ」

 

「むぅ」

 

「……二人でデート、ってことならいいよ」

 

「ん。わかった、デートしよう」

 

「一応聞くけど、クロウ君、デートってどんなこと?」

 

「? 友達と一緒にお出かけして仲良しになることだ」

 

 凪沙はパッと顔をあげると、ふかーく溜息を吐いてから、

 

「やっぱりね。そうだと思った。

 でも、クロウ君が凪沙のために真剣に考えてくれてるのはわかったし。つまりクロウ君の中で私はそれだけの存在感があるってことだから、今日のところはそれで良しとする!」

 

 ややご不満気味であるも、機嫌が直ったようなのでクロウはほっと一安心。

 

「絶対に古城君には内緒だからね! 前みたいについてくるのは絶対になし! わかったクロウ君?」

 

「わかったぞ凪沙ちゃん」

 

 

 

つづく

 

 

 

控室

 

 

 本当に、良いのだろうか。

 

 彼と、彼と自分の子供との同居。最初は迷った。

 『クロウ君と新婚さんごっこと思って楽しんじゃいなさい』とその母がこっそりと耳打ちしたのは、魅力的な提案では、あった。ぐらりと崩れる心地で、『うん』と小さくも頷いてしまう。

 でも、彼と自分は“そういう関係ではない”。

 この一緒に過ごせた数日は楽しくて楽しくて―――そのことに気づかないようにしていたけれど、頭の底の方、冷たい部分は正しく理解している。

 

 ―――赤子(ムツミ)が一人でも平気になれば、一緒にいる理由がなくなる。

 ―――私との婚約も口約束で、本当に守る必要はない、おままごとのようなもの。

 ―――彼を縛り付けているのは責任であって、その責任も本来は彼が負うべきものではない。

 

 “決闘”までの時間が近づくにつれて悪くなっていく考えが頭の中で滞留し、淀み、溜まっていく。

 

 ―――なら、こんな戦争は“手遅れになる前に”止めなくっちゃいけないんじゃないの。

 

 急に、震える。昨年のことを思い出したせいか、全身の肌がぞくぞくした寒気に撫でられ、背が竦む。今日の占いでも『大切なものを失ってしまうかもしれません。積極的に動きましょう』とその不安をさらに煽らせる内容。

 どうしよう。

 どうしよう。どうしよう。

 ひとりでいるとどうしても、まとまらない考えでいっぱいになってしまう。

 “決闘”、だ。忘れたことはない。兄は、それで昨年に何度も何度も殺された。して、今日。その“決闘”に勝利した『世界最強の吸血鬼』として完成された兄――暁古城が、彼と殺し合いをすることになった。自分のせいで。いったい、何故凪沙にそこまでする価値があるというのだろうか?

 そうこう考えている―――いや、ただ悩んでいる―――内に、彼のいる控室まで来てしまった。本当なら“褒美”である凪沙が、“決闘”前に会うのはよくないとは思うけれど、そこは周りのみんなから後押しされた。付き合っているのなら、一言でも声援(エール)を送ってあげなさい、と。……本当は付き合っていないのに。

 ここに来るまで、いや赤子を預けられたその日から凪沙は必死に考えた。自分が彼と一緒にいてもいい理由は何だろう? それさえあれば、納得できる。考えて、思い返して、それでも結論が出なかった。

 

(……うん、やっぱり止めようこんなこと)

 

 凪沙がそっと控室の戸を開けると、そこには目を瞑り、ひとり精神統一をしている彼がいた。真剣、だ。彼は本気で兄と戦闘する気だ。“決闘”を止めるつもりで来たけれども、これの邪魔をできない。それとも、まだ、迷う気持ちが燻っているのか。結局、彼が目を開くまでは凪沙は戸の前で立ち続けた。

 

「………やっぱり、倒すにはこれしかない」

 

 仮想相手との勝ち筋をイメージし終えた彼が、ゆっくりと深く息を吐く。その目には、凪沙と違って、迷いに曇ってはいない。

 

「どうした凪沙ちゃん?」

 

 声を掛けられる。心配そうに見つめられる。内心の不安に気づいてもらえて、舞い上がる自分もいるけれど、それも自制して静める。

 さあ、言うんだ。

 こんな“決闘”は止めにしよう。婚約も白紙にして、赤子のことも古城君も交えてもう一度話し合おう。

 と、口を開こうにも、言葉にならない。

 何でよ……

 後悔と自己嫌悪と、今更の恐怖が胸に籠ってこんなにも息が苦しいのに。吐き出せない。

 誰にも、渡したくない―――自分のところに繋ぎ止めておきたい―――そんな今かき抱いている想いを、ひとつも自分の裡から洩らせぬように、凪沙は呼吸を止めている。そんなことを今になって、彼を前にして、ようやく自覚して、そしてこのままだと破裂してしまいそうなものを吐き出せる場所を求めてる。だから、ここにいる。そう、吐き出してしまいたいのは、彼の中―――

 

 思いに至った時には既に、彼の胸元に飛び込んでいた。

 きっと向こうも予想外だったのだろう。しっかりと受け止められたけど、勢いに背を反らすよう上体をよろめかせて、そこで指が彼の頬に触れた。求めていた温かみがあった。

 

「クロウ君! クロウ君!」

 

 感極まった少女が、少年の首に力いっぱいしがみついた。

 その反射的にか、凪沙の身体に腕が回される。それに反応した凪沙が、彼の首に絡んだ腕を引き寄せる。少しだけ開いた、薄桃色の唇。怖がるように目を閉じると、そこで止まる。待つように。でも待ちきれず、成長して背が伸びた彼の口元まで、爪先を立てて、唇が合わせられる。

 

「―――――」

 

 こんな稚拙なことで彼を引き留めようとしたことが恥ずかしくて。けれど、それを拒まずに受け止めてくれたのが嬉しくて。止められなかった。

 ずっと抑えていたこの胸にたまった想いを吐き出さす激しい口づけ。どうしていいかもわからないように、目を閉じた少女はその柔らかい唇を押しつける。

 唇の薄い肌越しに、熱を送り伝えよう。鼓動の強さが、そこに自分がいると彼の胸に刻みつけるよう。この胸いっぱいの想いを、彼の胸にいっぱいに詰め込んでやろう。

 そうして、ようやく、凪沙は息継ぎができた。

 けれど。

 泣き始めた。

 最初はしゃっくりをしたかのような小さなものが()()と繋がって、連なって、そうして嗚咽になって流れ出した。

 

「わ、わたし……私、こんなことして、最低だよ……」

 

 目を開けても彼の顔を見るのが怖くて俯いたまま、凪沙は両手で自分の顔を覆っていて、零れ落ちる言葉はくぐもって聞こえてくる。

 

「そうか……そうだな。言わないから伝わらないんだろうな。オレだって言ってくれないと本当のところがわからないのに」

 

 でも、あんまり口で説明するのが上手くないから、と。凪沙を捕まえ、その手で覆う、涙塗れな顔を覗いて―――そっと唇を落とした。

 

「ん。本当は勝ってからしようと思ったけど、思わず前借しちゃったのだ。最低だなオレ」

 

 軽めの接触で、でも少女の震えを確かに止める。

 

「ううん。嬉しい、嬉しいよクロウ君」

 

「そっか。こういうの初めてだけど、オレもだ。これでますます負けられなくなったぞ」

 

 彼女が潤む視界でも、確かなほど、少年はにんまりと笑う。

 実際、その瞳からは充実した輝きが漲っていた。

 

 

「じゃあ、ちょっと“ケンカ”してくる」

 

 

巌流島

 

 

 島から離れたところに造られた、特設人工島。

 周囲に被害が出ることが確定した両者の“決闘”のために、わざわざ“壊れることを前提に”海洋上に建設されたもの。かつて日本国の剣豪同士が最強の称号を賭けて争った島にちなんで、『巌流島』と日本文化に詳しい北欧の第一王女が命名した。

 観客は皆、特設人工島『巌流島』を数km離れて囲うように並んでいる大型豪華客船におり、島につけられている船は、今はひとつ。そして、向こうからまたひとつ流れ着こうとしている。

 

(まさか、今年も“決闘”なんて時代錯誤なことをするとはな)

 

 あの戦闘狂な<蛇遣い>がいなくなり、平和に過ごせるとは思ったがそうはいかないらしい。身内にも、退屈を厭う馬鹿騒ぎを所望する王女様がいたようだ。

 

「あそこにあるのはアルディギアの船だろ? それに向こうには五帝王朝やアメリカ連合国まで揃ってんな。それに『滅びの王朝』の王子様に『戦王領域』の議長様、おいおい『混沌海域』からは第三真祖まで来てんぞ。世界中から注目されてる一戦だなこれ」

 

 双眼鏡を覗きながら横で声を上げるのは、だらしなくシャツを着崩した長身の中年男性。年齢の割には姿勢が良く、筋肉の付き方にも無駄がない。しかしながら彼の顎にはうっすらと無精ひげで覆われて、全体的に気怠い雰囲気を漂わせている威圧感とは無縁の男。

 

「ちなみに勝敗のオッズは、今のところ9対1でお前の圧倒的優勢だぞ古城。どうやらこりゃ試合っつうより、王様の権威を示すための獅子狩りと思われてるっぽいな」

 

 王者はその力を民衆に示すために闘技場で獅子を斃す、というデモンストレーションを行うこともあるという。

 まだ『夜の帝国(ドミニオン)』として独立してから一年目の『暁の帝国』、

 暁古城が四番目の真祖として聖域条約機構を統括する最高理事会<囁きの庭園>の13番目の席に認められてから、まだ一年。

 ここで新参者が力を示し、<第四真祖>の雷名を世に知らしめておくのは、政治的にも意味がある―――そう、事情を知らない他国のものには思われている。いわば、これは出来レースの見世物であると。

 実際、豪華客船の船体に飾られている横断幕には、『世界最強の吸血鬼 暁古城』やら『第四真祖の討伐ショー』やらこちらを讃える文句ばかりで、あの後輩のものは無い。

 古城も一介の高校生からの成り上がりであるが、あの後輩は名を知られていても『魔女の使い魔(サーヴァント)』では、格が違う―――と見下されている。

 そう思うとつい、古城の目に静かな怒りが宿る。そんな苛立つ古城をからかうように横の男は口を開く。

 

「さっきから何不景気な顔してるんだ。一応、世界最強の吸血鬼なんだろ小僧。もっと王様らしく振舞ったらどうだ」

 

「うっせぇなクソ親父。テメェは何でここにいんだよ」

 

「あのなあ。息子の立会人(セコンド)として、わざわざ来てやったんだろ。一言くらい、感謝の言葉もねーのか」

 

「授業参観にも来ないやつが良く言う」

 

 中折れ帽の男、暁家の大黒柱であり、古城と凪沙の父でもある牙城が、この“決闘”における古城のセコンド。流石に背中から撃ってくるような相手ではないと思うが、できればこの役は他の誰かにお願いしたかった。そう、できれば……

 

「それを言うなら、息子よ、伴侶(ヨメ)の全員から総スカンくらうとは、ひょっとして人望ないのか?」

 

「仕方ねェだろ。皆イヤだっつうんだから……」

 

 事情を知っていて信頼できる相手には全員話を通した。

 けれど、

 

『流石にそんな戦争(ケンカ)にまで付き合い切れません先輩』

 

 と剣巫。

 

『やめてシスコン。ようやくアイドル騒ぎも静まってきたのに、こんなことでまた悪目立ちしたくないわよ』

 

 と電子の女帝。

 

『いい加減妹離れしなさいよ古城』

 

 と舞威姫。

 

『悪いけど、この件に関しては、ボクは彼ら側につかせてもらうよ古城』

 

 と蒼の魔女。

 

『ごめんなさい。やっぱり、私はお兄さんにも二人のこと認めてほしいのでした』

 

 と聖女。

 

『わたくしとしましても、有力な婿殿として婚姻関係で結びつきを強めるのはよい手だと思いますし。ああ、それから、父より『ざまあ』だそうです古城』

 

 と姫御子。

 

 一応、率先して立候補してくれた世界最強の夢魔『夜の魔女(リリス)』もいたが、妹よりも年下の娘に頼めるわけがない。

 他にも古の大錬金術師や宮廷魔導技師や獅子王機関の師家や色々と頼みに行ったが、断られ、担任の空隙の魔女は、後輩のご主人様であって、そして前回に引き続き“決闘”の審判を務めている。『戦王領域』の議長やら『滅びの王朝』の王子もいるが、他国の重鎮である彼らを私事に巻き込めるわけがない。

 で困ったところで、母の深森から父が来訪する報せが入った。

 

「ま、前々から深森さんから話は聞いてたし、孫の顔が見たいとは思ってた。それも女の子―――でも、これは大事な愛娘を賭けての“決闘”だ。古城(バカ)よりも、むしろ父親である俺が出たいところだがよ。勝負を預けてやったんだ。

 ―――だから、絶対に腑抜けた真似はするんじゃねぇ。さもなくば背中を撃ってやるぞクソ息子」

 

「発破をかけるのに息子を平気で撃つとか宣言するのは、世界のどこを探してもテメェくらいなもんだよクソ親父。

 ―――それに、クロウとの“決闘”に端から手を抜くつもりはねェぞ。ぶっちゃけ、想定はアラダールとやり合った時以上だ」

 

 昨年の決闘相手、

 900年以上の戦闘経験を誇る化け物の中の化け物――第一真祖<忘却の戦王(ロストウォーロード)>に次ぐ『戦王領域』で第二位の実力者である帝国議会議長ヴェレシュ=アラダールとの戦い。それは、最後の最後まで一方的な展開に追い詰められた古城が“<第四真祖>として”覚醒を果たさなければ、倒せぬ強敵であった。

 あれほどの相手はそうはいないだろう。

 それを上回る相手だという息子に、牙城は目を細めて、

 

「へぇ。あの少年には前にちょっと戦ってるところを見たことがあるが、あのセヴェリン候だというのか古城」

 

「ああ、最強の相手だ」

 

 以前、牙城が語った『聖殲』の暗喩。それは『人類による魔族の大虐殺』。

 事の始まりは、“神”の一員であった咎神が、『天部』より追放されたこと。地に堕ちた咎神は人類と出会い、彼らから崇拝されて、本物の“神”――異境の支配者となった。そして、咎神は己を地に堕とした神々への復讐を望むようになった。

 まず、咎神は、神々と比べ無力な人類に、戦うための魔術(ちしき)魔具(どうぐ)を与え、兵隊の数を揃えた。

 それでも神々の力は圧倒的に強大であり、まともに戦えば勝ち目はない。だから、咎神は人類には“神”が殺せないのが世界の理ならば、その断りを変える力を用意すればいい―――そうして、創り出された世界を変容させる究極の禁呪が『聖殲』だ。それが神々の存在そのものを変質させて、神々を魔族に変えた。そう、魔族は、かつて『天部』と呼ばれる古代超人類、つまりは“神”であったのだ。

 そして、人類は魔族になった神々を大虐殺した。

 それが、咎神が原初の罪人と呼ばれ、魔族の祖である所以だ。

 

 だが、咎神は滅ぼされた。唯一『聖殲』の影響を受けずに神として生き残った咎神は、『天部』らが“神”を殺すための兵器として創り出された、世界最強の“人工”の吸血鬼<第四真祖>によって―――

 

 それが長年『聖殲』を専門にして研究し続けた考古学者の見解。

 

 

 だが、真実はそうではない。

 

 

 古城は<第四真祖>の全てを受け継いだとき、知った。

 

 咎神は、戦争を望んではいなかった。

 終わりのない永遠の戦争を繰り返したのは『天部』の神々――古代超人類たちだ。不死である彼らは、様々な兵器を造り出し、人類を殺し合わせ、娯楽としての戦争を愉しんでいた。

 その戦争を終わらせるために、咎神が生み出したのが『聖殲』の力。彼らを同じ土俵に引き摺り落とすことで争いを止めようとした。

 それを恐れた『天部』は『聖殲』を封じるために、咎神に監視役を付けた。不死者である咎神を殺し得る殺神兵器―――それが、<第四真祖>。

 

 当然、人類を救うために咎神は、不老不死の殺神兵器に対抗するために自らも殺神兵器を作製しようとした。

 ……でも、いつからか咎神は第四真祖に友情を抱き、<第四真祖>は咎神の唯一の理解者(とも)になった。

 だから、『対<第四真祖>を想定した殺神兵器の後続機』は創られず、咎神の最終作(ラストナンバー)は最後の『器』は創られずに未完のままに止められて、

 そして、咎神の遺産を封入された『方舟』を理解者である<第四真祖>に残すよう、“情報”を守護する『沼の龍(グレンダ)』を代わりに造り上げた。

 

 だが。

 無論、<第四真祖>と咎神の友好は、『天部』にとっても誤算であった。

 故に『天部』は、咎神(とも)を喰らうよう『原初(ルート)』と言う名の呪い(プログラム)を入力し―――<第四真祖>に咎神を殺させた。

 そうして、『聖殲』の力で神々も滅んでしまったのが、『聖殲』の真実であった。

 

 そして、滅ぼされた咎神に代わり、神々の残した兵器への人類の抑止力(カウンターガーディアン)として『第八の大罪』たる守護獣は、咎神の手を離れその『器』を求め続け………

 

 半人半魔――つまりは、半人半神である古城の後輩の代になって、ようやく完了したのだ。

 

「周りがどんなに馬鹿にしてるようだがな」

 

 静かに、低く語る。

 

「あまり見下げるんじゃねぇぞ。クロウは、<第四真祖(オレ)>の後続機(コウハイ)だ」

 

 そう、これは、果たされなかった幻の、咎神と天部が造り上げた最高傑作同士の“闘争(ケンカ)”である。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 途中まではフェリーで移動したが、決闘用特設人工島『巌流島』に近くなったところで小型のボートに乗り換えた。

 クロウは操縦法、と言うより機械類とは致命的に相性が悪く、島に辿り着く前にボートが海の藻屑となりかねないため、運転するのは今日の“決闘”のセコンドに強く志願したクリストフ=ガルドシュ。

 

「ふっ、真祖を斃すことにやる気になったのを、嬉しく思うぞ南宮クロウよ」

 

「オレ、前にも言ったけど<黒死皇>になるつもりはないぞ」

 

「いいのだよそれで。私は貴様を獣王であると思っているのだ」

 

 この時こそ古兵は、誰にも話はしなかった盟友が掲げようとした最初の志を語る。

 世界の支配権、優良種である誇りのためではなくて、弱者を許せず、故に絶対的な超越者に戦いを挑んだ獣王のハジマリを、このオワリの血筋であると認めた少年に受け継がせるように。

 

「―――故に、南宮クロウ。私は貴様に夢を見た。貴様が世界最強の真祖を打倒することで、私と盟友の宿願は叶うのだよ」

 

 この北欧の姫御子が主催するという“決闘”を聞いたとき、ガルドシュは<蛇遣い>より黒死皇派の身柄を引き継いだ『戦王領域』の議長アラダールへと嘆願した。この身が朽ちるまで再び<忘却の戦王>に仕え、『戦王領域』の獣人兵として尽くす、と誓い、『戦王領域』の貴族であったヴァトラーと黒死皇派の不正なやり取りに関する情報も交渉材料にして、ガルドシュはこの獣王の下に馳せ参じることができた。

 

「ん……そうか」

 

 遠く先を見据えたまま、今代の獣王は口を開く。

 

「今の古城君、強い、多分これまでの中で一番だと思う」

 

 クロウには、<第四真祖>、その『原初』と戦ったことがある。

 その十二の眷獣が揃っていなかった不完全な『原初』でも、クロウは圧倒された。そして、今の完成された<第四真祖>である暁古城はそれ以上に強い。

 

「オレ、古城君をずっと見てきたけどさ。

 古城君、人間だったころは、バスケ部のエースで突出してて、結局、敵にも味方にも真っ向から張り合える奴がいなかったくらいすごかった。で、やめちゃった。それを見てて、オレは寂しいと思ったぞ。

 それで、ヴァトラー(アイツ)を斃して、<第四真祖>に完成されてから、たまにすごく―――“独り”でいるように見えた。バスケの時みたいに、また全力でぶつかり合える相手がいなくなったって、寂しがってるように見えたのだ。

 だからオレ、この機会があってよかったなーって思ってる」

 

 そして、その見据える先には、己を待つ相手がいる。

 

 

「オレは絶対的な超越者なんていう“独りぼっち”にしないためにも、古城君を倒すんだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 夕暮れの海面は墨を塗り広げたように昏く、水平線だけが炎のように赤く燃えている。空は、鮮血のような深紅のグラデーション。間もなく日没。夜が訪れようとする黄昏時。魔の時間が始まる。

 特設人工島の端に設置されていた照明器が作動し、ライトアップされる―――その瞬きの間に、

 

「―――こんなくだらないこと毎年の行事にはしてくれるなよ馬鹿ども」

 

 待ち構える王者古城と挑戦者たるクロウ、両者の中央に小柄な影がふたつ、前触れもなく空間を揺らして現れる。

 フリルまみれの黒い服を着た南宮那月と、純白のシンプルなドレス――ウェディングドレスを連想させるような――姿の暁凪沙。もしそこにいたのが神父であったのなら、まさしく披露宴の花嫁入場の一幕を飾っただろうが、隣にいるのは神父ではなく魔女な主では『囚われの』という文句が『花嫁』の頭につきそうである。

 

「ああん? おい、先生ちゃん。あんたのファッションセンスは脱帽モンだけどよ、いくらなんでも凪沙に“それ”は早すぎんじゃねぇか? 父さんそっちの心の準備はできてねーんだぞ」

 

「セコンドは審判につっかからないでもらおうか盗掘屋。お前の娘は“決闘”の“褒美”だからな。それなりに見栄えは整えてやってもいいだろう。そもそも16の娘を孕ましたお前に早いと言える資格があるのか?」

 

 ふふん、と得意げに顎を上げる那月。衣装を見立てたのは彼女らしい。

 一方で花嫁衣装な騒々しい賢妹は、嬉しそうにはにかんだと思えば、恥ずかしげに顔を伏せたり、古城らの方を見て挨拶してから、クロウを見たらなんかぽーっと呆けたりして、それも意味深に唇に指をあててたり……

 

「……おい、まさか“お手つき”とかしたわけじゃねェよな少年」

「し、してないよそんな何言ってんのほんとにもう―――「うん、したぞ」」「よし、有罪(ギルティ)!」

 

 牙城が、何もない空間より、ロケットランチャーを取り出す。<死都帰り>と呼ばれる半身を“あちら側”に置いてきてしまった牙城は、その“あちら側”に仕舞い込んだ武器を意思ひとつで引っ張り出すことが出る。そして、構えると同時に照準も捉え、引き金に指を掛けていた逆運の武闘派考古学者はロケット弾を躊躇なく、クロウに放った。

 

「セコンド風情が、獣王に手を出すのは恐れ多いぞ」

 

 直前に割って入り、それを生身の体ひとつで受け止める老兵。鍛え抜かれた獣人種の鋼の肉体に、濃密に練り込まれた硬気功の生体障壁を纏わせたガルドシュは、ロケット砲弾を受けても、直立不動であり続けた。

 

「けっ、っとに馬鹿げた身体してやがんな獣人(オマエ)ら。けど、<死皇弟>にやられてからテメェらに対特化した得物を用意してねェと思ったか!」

 

「ほう、珍妙な術を使うかと思えば、盟友の弟殿とやり合ってなお生き延びているとはそれなりにやるようだな人間!」

 

 新たな銃機を取り出す牙城に、獣化して構えを取るガルドシュ。

 ―――だが、両者セコンドが何かすることはなかった。彼らが動くよりも早く、その頭上に現れた黄金の籠手が左右それぞれに降され、牙城とガルドシュを押し潰して、身動きを封じたからだ。

 

「やれやれ。摘まみ食いはしないように躾けたつもりだったんだがな」

 

 立会人らの暴走を一瞬で鎮圧してみせる審判役の手腕を披露しながら、那月は問題児な使い魔に主人として頭が痛むように額に手を当てる。

 

「何か弁明はあるか馬鹿犬」

 

「ないなご主人。オレが悪い―――「違うよ! あれは私が不安になってそれで」」「“褒美”は黙っていろ」

 

 使い魔を庇う凪沙を見て、那月は深く息を吐くと、古城に視線を送り、

 

「どうする暁古城。ペナルティでも課すか?」

 

「……ひとつ、訊かせろ」

 

 反射的異に眷獣の召喚の合図である左腕を振り上げかけた古城であるも、それより先に牙城が銃弾をぶっ放して自分の身代わりになって醜態を晒してくれたおかげで、そんな気も“一旦は”収まり、問答するだけの余裕はできた。道化を演じてくれたともいえる父に言葉にして感謝はしないが、“決闘”する前に訊いておかなければならないことがあったのでよかった。

 

「クロウ。母さんから、事情は聞いた。はっきり言って、お前は悪くねェよ。むしろ俺は『六番目』を救ってくれたことを感謝してる」

 

 それは本心からの言葉だ。だから、本来“決闘”の前に下げるべきでもない頭もやや傾けて謝礼する。そして、その俯きかけた姿勢のまま、古城は訊く。

 

「それで、クロウは一体どう考えてるんだ? 子供とかどうか関係なく、俺が訊きたいのは凪沙のことをどう思ってるかっつうことだ。こんな“決闘”をするくらいあいつのことが好きなのかってことだ」

 

 それは。

 口にされなくてもいいような、確認のための質問だった。もう―――わかっているはずなのに、この『巌流島』に来ている時点で、後輩の決心は、文字通り、決めた心はわかっているはずなのに。

 それでも、問うか。

 南宮クロウの覚悟を、最後の最後まで断言させてやらねば、認められないか。

 妹を託せるほど、本気で全力を尽くしてやり合える相手であるのかと。

 

()()

 

 クロウは答えた。

 あっさりと。

 

「オレが凪沙ちゃんと婚約したのは子供のためだけど―――凪沙ちゃんのことが好きなのは子供とか関係ないぞ」

 

 もはや、それだけ聞ければ十分。

 そして、下げた頭をあげて、王者と挑戦者の視線が今度こそ相対する―――前に、閃光と爆音が世界を真っ白に染め上げた。

 

 

 

「そうかよ―――」

 

 開始の合図はまだ告げられていない。

 稲光の閃光と衝撃波の超音波。眷獣を召喚せずともその位置からの一部を引き出して、制御できるようになった古城が、獣人種の優れた五感を逆手に取った、爆発的な光と音を相手に叩きつける閃光音響弾じみた小細工。

 先のペナルティもあってか、古城のフライングを審判の那月は見逃し、それより、巻き込まれる前に、“景品(なぎさ)”にセコンド役もついでに拾い、特設人工島より最も近くにある、雪菜らのいる船にまで空間転移する。

 

「この“決闘(ケンカ)”、受けたこと後悔するんじゃねぇぞクロウ―――!!!」

 

 大地を蹴り、一直線に突進を仕掛けた。

 古城も爆音と閃光にやや怯んだものの、常人を逸した速さで迫る。並のものならば知覚すらできないだろう。

 そして、疾走の勢いに全体重を乗せ、吸血鬼としての全力に眷獣の魔力を加えた、爆風を纏う古城の右拳を―――

 

「……っ、」

 

 顔に受けて、尚も微塵に瞳の焦点を揺らがせないクロウ。前決闘相手のアラダールでさえ、魔力を伴わない右フックで一瞬の隙を見せたというのに、真祖の渾身の一打を受けながら相手は古城より視線を外さない。顔面で古城の拳を受け止めたのだ。その出鱈目な頑丈さ加減に失笑してしまう古城。いや、それよりも、

 

「……どうして、避けなかったクロウ」

 

 避けられたはずだ。怯ませたが、この程度の不意打ちを勘付かないわけがない。目を晦ませ、耳を麻痺させたが、まだ“鼻”があったはずだ。

 

「いや、けじめとして、一発は受けておこうと決めてたのだ」

 

「へェ、余裕じゃねぇか」

 

「そうでもないぞ。それにその台詞はどちらかと言えばオレが古城君にいうものだと思う」

 

 ―――至近距離(ここ)は、オレの間合いだ。

 

 その圧力に、久しく覚えなかった危機感を古城は抱く。

 強力過ぎる第四真祖の眷獣は、あまり格闘戦では役に立たない。“戦闘”ではなく、“戦争”のために造られた故の欠点だ。

 

「―――ぶち殺すつもりでいくぞ……!!!」

 

 重心を落として金眼の瞳を見開いたクロウは、捻じり込むように右手が古城の左胸部心臓を狙い打つ。先の吸血鬼の全力よりさらに数段上の馬力で繰り出された一撃は、古城の臓腑にかつてない衝撃を走らせる。

 

「師父直伝、无二打!」

 

 鎧通しの原理で拳打を叩き込む浸透勁。剣巫も用いる、魔族の生態機能を狂わせる技法。それにさらに同時に気功波を放って、相手の気を呑む内部破壊の極み。人間に打ち込めば五臓六腑粉砕されているだろう。

 

(グッ………!!)

 

 加えて、“懐毒”という不死殺しの毒手も纏っていた。真祖であろうと、数瞬、霧化も再生もできずに硬直するしかない。そして、一度食らいついた得物をそう易々と逃す獣王ではない。

 

「師家直伝、無想阿修羅拳!」

 

 その瞬間、クロウが弾けた。

 そう見えるほどの動き。高速で繰り出される『八雷神法』と『八将神法』のコンビネーション。

 それは嵐。或いは機銃掃射。

 その五体あまさずこれ凶器である全身をフルに使い、相手の全身を滅多打ちにする。

 古城は全く動けない。多少身動ぎしたところで、クロウはそれに追随する。次から次へと叩き込まれる銃弾の如き打撃、拳骨平手熊手掌底腕刀肘打ち頭突き膝蹴り足刀体当たり、全弾命中。残像を生じさせるほどに滑らかな動作、そして連続でカメラのシャッターを切るように瞬く雷光は一打一打が渾身の気が篭められてモノであり、その一撃は吸血鬼の眷獣さえも叩きのめす。それが連打。原形を留めようが霧化して逃げる間も与えられず、体当たりの全身でぶつかってくる勢いのまま、前転からの踵落としが炸裂。

 

『―――おおっと、挑戦者の強烈な連打に、第四真祖、撃沈したァ―――!』

 

 雷霆の如く打ち下ろされた鉄槌(かかと)が古城にクリーンヒット。人工島全体に激震が走り、地面が大きく陥没。

 身体強化に衝撃変換の莫大なエネルギーが、古城の身体を病葉同然に吹き飛ばし、轟音と共に鋼鉄の板を重ねて頑健に造られた人工島の岩盤を数層ぶち抜く。

 『巌流島』そのものが崩壊するのではないかと言うほどの振動が続いて、それは囲っている観客たちの客船まで波を届かせた。そして、その中心地を見て、今度は観客席の船が驚嘆に震える。

 

「なんっつぅ、馬鹿力だ。どういう鍛え方したらそんな風になるんだよ。久しぶりに、死ぬかと思ったぞ」

 

 実況にカウントなど取らせることもなく、沈下した地盤の底より、髪の埃を払いながら、古城が何事もなかったように立っていた。少しもよろけることなく、姿勢は正常。周囲には、金剛石の結晶のような障壁を張り巡らせており、それで連打を防いでいたか。

 開始早々から驚天動地な真祖と獣王の戦闘に、船上の来賓たちは感嘆のどよめきを洩らす。

 一方で、古城は、笑っていた。

 金剛石の障壁を造ったがそれをも粉砕され、威力をいくらか減衰できたがそれでもサンドバックにされた。額は割れて、古城の視界が血で滲む。内臓外部両方を徹底的に打ちのめして各部の骨には罅が入り、依然、毒に蝕まれて意識は朦朧としている。

 歴戦の吸血鬼(アラダール)には通用したが、力はあっても技はない素人な古城に近接戦で挑むのは無謀。それだけの高い授業料をもらったが、古城の心は軽かった。

 

(……ああ、くそ。本当に面白ぇな)

 

 殴り合いが、ではない。挑戦者の後輩は古城を打ちのめせるだけの実力と、古城を受けきれるだけの器がある。不老不死の真祖を殺せるものならば、獅子王機関の秘奥兵器である<雪霞狼>を振るう剣巫がいるが、無限の“負”の魔力を持った真祖の攻撃をもらっても壊れない相手なんて、精々同じ真祖くらいしかいないだろう。そんな真祖に『夜の帝国』の王となった古城が戦いを挑むなど戦争も同じで皆を、世界を巻き込む波乱となろう。

 しかし、全力を振るっても問題ない、敵として認められる相手がいるのだ。この相手を如何にして攻め崩すか。

 それを考えることが、堪らなく面白くて嬉しかった。

 敵がいないことを厭きるようになる。いや、そんな吸血鬼の性を知る前より、人間であったころから知っている。霊媒の血を呑んで満たされるのとは違う、乾きが癒えていくようだ。

 

「……楽しそうだな、古城君」

 

 見下ろす後輩に言われ、気づかぬうちに笑みがこぼれていたことを古城は知る。

 

(ヴァトラーの奴のことが言えねーな)

 

 誰よりも戦いに飢えた男に共感できてしまっていることに、口元の血を拭いながら失笑してしまう古城。

 戦える相手がいるというのが、楽しくて楽しくて眩くて尊くて、仕方がない。血に宿る眷獣らも騒めいているのがわかる。全力を出すにふさわしい相手を前にして歓喜するように血が滾る。

 どちらもまだ出していない本気でぶつかり合えばどうなるのか。向こうが、<第四真祖>に勝つ気でいるのは明々白々でどんな手で来るのか。想像するだけで武者震いが止まらなかった。

 

「そういうクロウも、楽しそうだぞ」

 

「ああ、やっぱり燃えてくるぞ」

 

 高鳴る心臓を限界以上に働かせるのはいつ振りか。この真祖の胸は徐々に熱を上げる。

 全身に鳥肌が立つような衝撃と、思考回路をフルスロットルにして互いの手を読み合い、力をぶつけあう。神魔の領域に至った者同士が、己のすべてを駆動させて勝利を奪い取るなど、それはまさに史上最高の愉悦だろう。

 

「“俺たち全員”でこの“決闘(ケンカ)”を勝ちに行く。だから、死ぬんじゃねーぞクロウ!」

 

 潜在的な魔力の強さを決定するのは、<固有堆積時間>の総量――即ち戦闘経験の多寡である。吸血鬼の真祖が恐れられているのは、桁外れに膨大な“血の記憶”を保有しているせいだ。そして眷獣とは、自らの意志を持つ魔力の塊だ。<第四真祖>の眷獣として、あるいは封印された少女たちの中で、彼らは長い時間を過ごしてきた。

 彼らが持つ戦闘経験は、古城のそれを遥かに上回る。吸血鬼としての古城はまだ新米であり、真祖と言うには及ばない。だが、第四真祖の眷獣たちは別だ。

 古城は彼らを制御しない、膨大な戦闘経験を持った彼らの声に耳を傾け、ただ命じる。

 目の前の敵を打倒せよ、と―――

 

 

「―――<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ!」

 

 

 青白い焔色に輝く瞳。虹色に染め上がる髪が炎のように逆立つ。

 古城の全身から噴き出す魔力が十二枚の漆黒の翼と化して、完成された<第四真祖>としての真価を発揮する。

 

「やらせるか!」

 

 切り札である眷獣を出させる前にやる。それが、真祖にも通じる対吸血鬼の鉄則。

 

「―――契約印ヲ解放スル!」

 

 観客らを楽しませる気は一切なく、躊躇なく『首輪』を外して、獣化をすっ飛ばして<神獣化>したクロウが、地中深くにいる古城へ突貫する。

 重力加速を味方につけ、渾身の力で振るわれる神獣の爪拳。食らえば原子崩壊すら起こす、恐るべき破砕力を孕んだ獣王の災禍が―――空を切る。

 

「―――疾く在れ(きやがれ)、<甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)>!」

 

 十二枚ある内の四番目の漆黒の翼が、血霧となって分散する。そして、真祖の肉体は霧に変わった。背後より幽鬼の如く浮かび上がるそれは、銀霧が形を成した甲殻獣。象徴するのは、吸血鬼の『霧化』。

 霧に呑み込んだ物質を同じく霧に変えて消滅させる力は、クロウの獣王が編み出した秘奧の一手である獣気解放の圧に弾かれるも、それでも古城は袋小路の危機を脱して、

 

「―――疾く在れ(きやがれ)、<蠍虎の紫(シヤウラ・ヴイオーラ)>!」

 

 八番目の翼が形を変えて、紫の炎に包まれた蠍の尾と翼を持つ人食い虎(マンティコア)となる。

 毒手に侵されていた古城の状態異常が、みるみるうちに改善される。人食い虎の能力は、毒を操る。その力で抗毒血清を作り出して、魔力を全開に振るえる状態にまで回復させた。

 

 その間に、クロウも<第八大罪>として完了していた。

 

「―――来イ、<守護獣(フラミー)>!」

 

 獣王の血で描かれた召喚陣より飛び出した白き獣龍が、宙を旋回して滅ぼす敵を見定めると、器に相応しき主の頭上に落ちるよう同化する。

 咎神が未完のままに中断されていた“龍”であるも、それは『咎神の全知』を持ち、『器』が造られるまでの長い時間も“情報”を収集し続けた。古代生体兵器(ナラクヴェーラ)と同じく、その驚異的な学習能力で記録してきた<守護獣>は、<焔光の夜伯>に匹敵するほどの<固有堆積時間>を有する。そして、それが“匂い”となって、主人の経験値として取り込まれていく。

 白き裘を纏う魔人は、破壊兵器の攻撃力を持ちながら、攻撃を無力化する防衛装置の性能も併せ持つ全局面対応の殺神兵器―――そう、対<第四真祖>の後続機《コウハイ》として覚醒を果たす。

 

「―――完了。オレたちも全力でやってやるのだ!」

 

 踏み締める地面は鋼の大地であっても活力に満ちた豊穣の地面になり、次々と木々が生え、実をつける。成った果実は熟して地に落ちてまた新たな樹として成長をする。それが早送りで繰り返されていき、大気に甘い香気(におい)が付けられて、一呼吸で霊妙な幸福感を味わうだろう。

 それは咎神の『聖殲』と同じように、世界そのものを変容させるもの。絵画をインクで塗り潰してしまうのではなく、絵画を別の絵に切り替えていく楽園(エデン)化。かつて咎神の親である原初の人間(アダム)の理想郷を、物理法則も魔術の原則も無視して喚び出して、永続的に定着させる。世界の津々浦々まで届く影響力で、土地を獣王の支配圏として馴化していくのだ。それを許しては、相手が強大な地の利を得ることになり、また真祖は己の支配する領地を奪われることも同じ―――

 

「奪い返せ、<蠍虎の紫>!」

 

 人食い虎が成長した大樹に牙を突き立てる。

 人食い虎の力は、『毒』と『奪取(ドレイン)』だ。楽園化を阻むだけでなく、古城の方へと人食い虎は大地の祝福を送り込んでくる。

 

「やらせないのだ」

 

 『聖殲』とは世界を変容するほどの禁呪であり、行使するには祭壇と巫女を必要とするものだ。それの亜種とはいえ、テラフォーミングが成された楽園内でなければ、あらゆる魔力を無力化する力は振るえない。

 襲撃する魔人に、人食い虎も大樹に牙を突き立てながらも、刃と化した翼と紫の炎、そして蠍の尾で迎撃する。混血の魔人は<疑似聖楯(スヴァリン・システム)>を織り込んだ神気と獣気の生体障壁を展開してその攻撃を弾き、逸らしながら、懐に潜り込み―――

 

「―――壬生の秘拳『ねこまたん廻』!」

 

 <疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>を発動させた聖拳を胴体部に打ち込み、紫電迸る気功砲を放って真上に思い切り飛ばした。その宙に舞い上がる巨体をさらに追うよう、身体を捻りながら跳躍し、人食い虎の顔面に旋風脚を叩き込んで、その牙を砕き割った―――その更に頭上より、舞い降りる光剣。

 

「―――疾く在れ(きやがれ)、<冥姫の虹炎(ミネラウバ・イーリス)>!」

 

 暁古城の六番目の翼が形を変えて、虹色の鎧に包まれた女騎士――戦乙女(ヴァルキュリエ)。背中に巨大な炎翼を広げ、光り輝く黄金の長剣を手にする天使型の眷獣。

 その能力は、物質だけでなく、因果律をも切り裂く『切断』の力。

 

 戦乙女が兜割りに振るう縦一閃―――!

 

 斬るという動作を極限まで研ぎ澄ませ、万物を断ち切るが如き閃光へと昇華させた一撃は、あらゆる物理衝撃より遮断するはずの<疑似聖楯>の生体障壁を『切断』した。

 しかし、その身は、あらゆる武器を否定する『沼の龍母』の不壊の“情報”を取り込んだ『皮の着物』に守られており、それが剣であるなら絶対の耐性で弾き、そして、溶かす。

 たとえそれが山を斬り海を断ち天を裂いて、因果律まで切り離すものであっても問題なく弾いて、その切れ味を削ぎ落とす。

 

「―――疾く在れ、<夜摩の黒剣(キフア・アーテル)>!」

 

 七番目の翼が変形するのは、『意思を持つ武器(インテリジエント・ウェポン)』の裁きの剣。三鈷剣と呼ばれる古代武具は優に刃渡り100mを超える、神々の振るう降魔の利剣である。

 隕石直撃に等しき超威力を誇りながら、その巨大さゆえに精密な操作など不可能に近く、電光石火に自由自在に空を駆けることのできる魔人を捉えるのは無理であろう。

 だが、その巨大な黒剣を、光剣を削がれた戦乙女の眷獣が新たな得物とした。自らの身長よりも10倍は超える長大な得物を、重さなどないかのように軽々と振り上げる。

 三鈷剣の能力は、重力制御。それが生み出す破壊力は<第四真祖>の眷獣の中でも最上位であり、一撃で世界最強の魔獣<レヴィアタン>を撃退した。

 それを『切断』の権能を持つ戦乙女に操らせることで精密な斬撃を可能にさせる。

 

(斬られないけど、食らうのはまずい!)

 

 生体障壁の『皮』を剥離させた残り香を散らしていく緩急をつけた無音無重の足捌きに、実体のある分身を切り分けていく。一人から、四人。四人から十六人。十六人から六十四人。と躱しながらも、長命種(エルフ)より教わりし残像の歩法と獣王より盗みし分身術の併用で鼠算式に数を増やしていく魔人の大群。それに三鈷剣を振るう戦乙女は翻弄される。

 

「―――疾く在れ、<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>!」

 

 九番目の翼より跳び出したのは、緋色の双角獣(バイコーン)。疾走する双角獣に、戦乙女が騎乗し、凄まじい衝撃波の咆哮を放つ。広範囲を一瞬で制圧する超音波は、残像を吹き消し、分身を消し飛ばした。

 

 そして、ひとりになった魔人本体へ、双角獣に乗る戦乙女が肉薄して、三鈷剣を振るう。

 

 三日月の如き剣閃。

 戦乙女が振り抜いた三鈷剣の一振りは刹那の閃きでありながら、ブラックホールのように重力を食い潰して、振り抜いた後も消えることのない鋭い軌跡を描く。

 双角獣は翻弄する分身残像を霧散させながら魔人を追尾し、そこに騎乗する戦乙女は一振りで100mの間合いを食い潰す三鈷剣で、舞うように連撃を見舞っていく。

 刺突、袈裟斬り、横一文字 斬り上げ、逆袈裟、唐竹割……その一撃毎に三鈷剣の斬撃は一段階加速していき、戦乙女の剣術は詰将棋のように着々と標的を回避不能なところまで追い詰めていき―――ついに捉えた。

 

「ガッ……!!!」

 

 避け切れないと判断し、攻撃を受ける覚悟を決め、歯を食いしばったが、臓腑が逆返りしそうになる衝撃。一切の武器の通じない不壊の肉体は、それが万物を切り裂く『切断』の力であっても弾く。そこに例外は許されない。それでもこの『重力』を付与された極大重撃で殴打される衝撃まで殺しきれず激しい鈍痛が迸る。そして、さらに双角獣に騎乗していることにより、剣身には細胞の結合を破壊するほどの振動波が伝わっており、続けて想像を絶するような激痛が全身を駆け抜けた。

 

「があああああッ!」

 

 視界がぶれ、全身がバラバラに分解しそうなほどの激痛。無我夢中で剣身を蹴り飛ばした反動で、距離を取った。

 が、視界が傾ぎ、痛みのあまり膝をつきそうになる。受けた脇腹は掻き毟られたようにグズグズになって、魔人になってみたこともないような出血ダメージを受けている。

 表面上に見える傷よりも、内部が酷く。気持ち悪い塊が込み上げてきたと思った時には剥がれた肺腑と共に血泡を吐き出していた。真っ黒い血が毒々しく大地を染める。

 視界が歪む。身体が痛みに絶叫し、もう動くなと危険信号を連呼している。

 三体の眷獣を合わせた攻撃は、あらゆる防備を張子の虎と化すか。

 いや―――

 

『なんと挑戦者、第四真祖の攻撃をすりぬけた―――!?』

 

 疾駆する双角獣に騎乗し、三鈷剣を振るう戦乙女。その膨大な魔力を帯びた斬撃は、しかしクロウの身体を傷つけられなかった。

 蜃気楼のように肉体を揺らめかしただけで、剣はすり抜ける。引き裂かれた大気が歪むが、魔人は悠然とその場にあり続ける。

 

 第一中枢(ムーラダーラ)第二中枢(スヴァーディスタナ)第三中枢(マニブーラ・チャクラ)第四中枢(アナハタラ・チャクラ)第五中枢(ビシュタ・チャクラ)第六中枢(アジナ・チャクラ)第七中枢(サハスラーラ・チャクラ)―――

 魔人となった状態で、<神獣人化>のようにその生体回路を全開に解放。<疑似聖楯>をさらに昇華させて―――<模造天使(エンジェル・フォウ)>と同じ、ここより異なる次元の高みに至る、この世界に存在しない領域にあるものの纏う『余剰次元薄膜(EDM)』。

 

 息を止めているようなもので、あまり長時間も別の次元に存在することはできないが、それでも相手の攻撃に接触する瞬間を見極めて高次空間に至り接触を躱す、絶対回避。

 

「―――疾く在れ、<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>!」

 

 三番目の翼が変化するのは、やはり水銀色の双頭龍。世界そのものを喰らう、創造主たる“神”にとっての天敵たる次元食い(ディメンジョン・イーター)。<第四真祖>の眷獣の中でも最も凶悪な双頭龍が、喰らいついたものを底知れぬ深淵へと呑み込む二つの咢を開き、魔人の纏う黄金の防護膜――『余剰次元薄膜』を次元ごと(こそ)ぎ落とさんとする。

 

「ああ、こうなったら、双頭龍(こいつ)が出るのはわかってるのだ!」

 

 高次空間の加護を剥がされた魔人を、清澄な純白の輝きが包み込む。回復不能のダメージを与えるはずの双頭龍の牙が弾かれる。

 クロウを覆う輝きの正体は、太古の魔法文字を内包した微細な粒子だ。そう馴化の完了した楽園の木々より花粉のように空間を満たすその粒子、一粒一粒がそれぞれ強大な呪力を秘めた魔方陣なのだ。それら純白の光の粒子が、次第に密度と輝度を増していく。

 

 最凶に対するは最凶。

 咎神が遺した最凶の禁呪『聖殲』は、世界の上書き(リライト)をする魔術だ。その威光たるや、<第四真祖>の眷獣や剣巫の<雪霞狼>の魔力無効化能力さえも輝きを妨げることはかなわない。魔人の展開する亜異境に対抗できるは、“神”の御使いの天使級の膨大な神気のみ―――

 “先代の殺神兵器”に対抗するために造り出されたのだ。当然、その対抗策はある。

 が、

 

 “俺たち”も“後続機(おまえ)”の手は読み切っている。

 

「―――疾く在れ、<水精の白鋼(サダルメリク・アルバス)>!」

 

 十一番目の翼より流れるように姿を現すのは、巨大な蛇の下半身を持つ水の精霊(ウィンディーネ)

 青白き水妖が象徴するは、吸血鬼の超回復――すなわち、『再生』。

 

 世界を塗り替える規格外の『聖殲』は、そう易々と行使できるものではない。多大な“情報”を処理できる計算能力だけでなく、莫大な魔力を消費する。

 計算処理を<守護獣>に任せようが、土台となる儀式場――『楽園』が抜けてしまえば、維持ができなくなり、『聖殲』は破綻する。

 魔人を狙うのではなく、その儀式場である森林を失ってしまえば、歪められていた宇宙の法則は再び従来の姿へと立ち戻ってしまう。

 

 水妖の巨大な蛇身より放出される物質還元の激流は、世界を洗い流したノアの大洪水のように、大地の祝福を獣王に与える源たる楽園の樹林を元の鋼の大地へと馴化される前にまで回帰させていく。

 

『圧倒的! 圧倒的です第四真祖! 挑戦者の打つ手を真っ向から潰していきます!』

 

 圧倒的―――そんなことはとっくの昔にわかりきっている。

 『焔光の宴』で、<第四真祖>の『原初(ルート)』に叩きのめされた。忘れても忘れられなかった敗北―――しかし、自分はあのころよりも成長している!

 

「―――焼き払うッ!!」

 

 魔人の大きく開けられた口より、太陽のフレアさえ思わせる、白金の劫火が吐き出す。

 『神格振動波駆動術式(DOE)』の“情報”が付与(マーキング)された焔は、不浄の一切を焼き払い、その星の心臓部に匹敵する熱量をもって鋼の大地を一瞬で融解させる。

 大洪水を押し返すほどの灼熱の大津波は物質還元の激流ごと水妖を消滅させて、そのまま<第四真祖>暁古城を呑み込む―――寸前で、阻まれる。

 

「―――疾く在れ、<牛頭王の琥珀(コルタウリ・スキヌム)>!」

 

 二番目の翼が地面に突き刺して、溶岩の肉体を持つ巨大な牛頭神(ミノタウロス)と化す。この大地から無限に湧き上がる溶岩そのものが化身となった眷獣は、『大地』の象徴。『墓場から掘り出した呪われた土を棺桶に敷き詰めて眠る』―――と流布される迷信の通りに、吸血鬼と関わり深い『大地』。それを統べる牛頭神は、この海底深くにまで地殻変動を起こさせるほどの災禍の力業をもってして『巌流島』の地盤を突き破って噴出した灼熱の溶岩を壁にし、神獣の劫火より主人を守護する防波堤とした。

 魔力の塊ではない単純な物理防壁である溶岩のバリケードに、魔力物質双方を蒸発させる白金の劫火は数秒拮抗するも、牛頭神が琥珀色の輝きを強めさせては溶岩の壁を厚くし、やがては海の巌にぶつかった飛沫のように霧散させられた。

 

 それでも防波堤は大きく削り取られており、

 

「―――壁ごと穿つぞッ!!」

 

 隣に新たに生え始めた2mほどの枝樹を引き抜いて、そこに『鳴り鏑』の“情報”を『香付け(マーキング)』。出来具合を確かめるよう、くるりくるりと片手で軽々と枝槍を旋回して、はっしと掴むと、劫火を阻んだ溶岩の壁に向かって思い切りぶん投げた。

 

 《Kyriiiiiiiiiiii―――!》

 

 閃光。絶叫。放たれた枝槍は音速を超えた衝撃波(ソニックブーム)を生じるほどの弾速のミサイル。そして、それが通過する後を氷河期へと塗り替えていく絶対零度の凍気をまき散らす。まさに紅蓮地獄を枝槍一本に凝縮したが如き暴虐であった。

 そして、大気の壁を突き抜ける魔槍投擲は、溶岩の防壁を凍固して砕き散らし、貫通してのけ―――

 

「―――疾く在れ、<神羊の金剛(メサルテイム・アダマス)>!」

 

 一番目の翼が、宝石の結晶となって分散して、神羊に再凝固する。

 いかなる攻撃にも傷つけられることのない金剛石(ダイヤモンド)の肉体を持つ神羊は、自分を傷つけたものにその傷を返す、吸血鬼の不死の呪いを象徴とする。

 神羊が盾となり、それより生み出された無数の宝石の障壁は飛来してきた枝槍を受け止め―――クロウへと撥ね返した。

 

 

観客席 船甲板

 

 

 他国の重鎮ら、皇帝、大統領、首相、主席―――聖域条約加盟国から選任されて、<囁きの庭園>の十三の内の九の席を占める人間たちの王と言った者たちに、三の席を占める真祖たちの『夜の帝国』における要人らも観覧する真祖と獣王の大戦。

 その関係者は、『暁の帝国』と同盟を結ぶ北欧アルディギア王国の軍艦<ランヴァルドⅡ>――一年前に大破してから空海両用に改良された王族専用機に集まっていた。

 彼女たちは『巌流島』で天変地異を起こしてる凄絶な光景を、固唾を呑んで見守っている。

 

「先輩。クロウ君……」

 

 人間には割って入れない領域で全力を振るう両者に向けて、祈るように両手を握り締めるのは姫柊雪菜。先輩と同級生は、あくまでも“ケンカ”のつもりなのだとしても、これはあまりにスケールが違い過ぎるのだ。結果がどうあれ、まず二人の無事を願う。叶瀬夏音も同じように、雪菜の隣で手を組んでいる。

 

「なによあいつら本気出し過ぎじゃない! 早く止めないとまずいわよ……!」

 

 大声を上げる煌坂紗矢華が、デッキの手すりから身を乗り出して興奮気味に手に持って剣を振り回している。

 それを背後から冷ややかに眺めていたラ=フォリアが落ち着くよう呼びかける。

 

「紗矢華、座りなさい。この船には身内しかおりませんが、他の皆様の観戦の邪魔をしてはいけません」

 

「ですけど、王女……このまま収拾がつかないようになったら……」

 

 紗矢華は最初、格闘技の試合のように殴り合いで決着をつけるものだと思っていた。いくら<第四真祖>でも、古城は普通の男子高生である。あまり過激なやり方は好まないと。ベタだが、河川敷で不良同士が殴り合って仲直りするような展開になると思っていた。

 なのに、眷獣を召喚している。物質還元やら次元食いやら、そのどれもが危険な怪獣を躊躇なく解き放っているのだ―――敵が憎し、というわけでもないのに。

 このイベントの発起人でもあるラ=フォリアを、紗矢華は叱責するように目を細めてみるも、王女は優雅な微笑を絶やさず。

 

「問題ありません。戦いも大変盛り上がっていますし、おかげで、古城も一国の王としての威光を知らしめていることでしょう」

 

「政治的に意味があるのだとしても、あんな当て馬のように……」

 

 そこで紗矢華は不自然に言葉を切って口を噤む。

 これ以上は、“景品”となっている子に聞かせるのはだめだろう。

 と、そんな紗矢華の横で“決闘”を祈ることもなく、ただ黙って見ていた藍羽浅葱が口を開く。

 

「楽しそうよね、ホント。だから、あんなにはしゃいじゃってるんでしょ。まったく子供みたい」

 

「楽しそう、って……」

 

 あっけからんと言う浅葱に、眉を顰める紗矢華。そこへもうひとり、仙都木優麻が同意する。

 

「ああ、古城のヤツ。すごく楽しそうだ。きっとあそこまで全力を出せるのは久々なんだろうね」

 

 幼き日に、共にバスケで勝負した時に見せた笑顔と、今の古城の顔が重なる。

 バスケットコートでエースとして独壇場であった古城。敵味方からも距離を置かれてしまうほど逸脱していた彼に、世界の大半の人物が望むであろう『世界最強の吸血鬼』という強大な力が与えられたとしても、そんなものは持っていてもしょうがないと嘆いたことだろう。実際、雪菜が監視役としてコンタクトを取ってきた日に、そう言っていた。

 ―――だが、だからこそ、誰よりも己の全ての力を出し切るほどの“戦い(ケンカ)”を欲していた。

 ひょっとすると王女は、そのことを解消したかったのかもしれない。意外にあの<蛇遣い>とわりと長い付き合いであった彼女にとって、その押し隠した心情であっても看破することは造作にない。

 

「わたくしたちの中で、今の古城に張り合えるのは、クロウだけでしょう。そして、古城が全力を出すのも、彼ならば問題ないとわかっているからです」

 

 つまりは、彼のことを認めている他ならないということ。

 ラ=フォリアは、“景品(なぎさ)”に目配せするも、彼女は何も言わず、けれどけして目を逸らさずに『巌流島』の“決闘”を見ている。

 今の彼女に誰も声を掛けてはいけない。今回の“決闘”の引き金となったともいえる少女であるから、人々の注目を集めているけれど、そこはラ=フォリアが関係者だけを集めた船に隔離して―――そして、その傍に立つ大魔女に、それとその父親が睨みを利かせている。

 

「なあ、先生ちゃんは、どっちが勝つ方に賭けたんだ?」

 

 周囲に気を配りながらも観戦する牙城が、そちらに首をやや傾けつつ探りを入れる。

 

「先生ちゃんのサーヴァントは、咎神(カイン)最終作品(ラストナンバー)だが、やはり<第四真祖>の方が単純に選択肢の数で勝ってる。しかも古城のヤツは不老不死の真祖だからその気になったら負けはねェんだ。ひょっとして何か秘策とか授けたりしてる?」

 

「さてな。盗掘屋とは違って、私は教師であるからな、くだらん島の解体工事に金銭は賭けたりはせん」

 

 その舌足らずな口調はいつも通りで、何も読み取れない。

 牙城は、視線もそちらに向ける。

 見た目は子供でも、公平な審判役である大魔女は、“決闘”を監督している。つまりは、自らの使い魔が追いつめられているのも見ているわけだが、そこに浮かべるは不敵な微笑―――

 

「だが、そう長くはかからんよ」

 

 

巌流島

 

 

「―――が、はっ」

 

 投擲を反射された枝槍が己が身に衝突する。あらゆる武器に不壊であるこの身を貫くことはなかったが、突き抜けた衝撃はその横隔を押し潰して、肺より酸素を吐き出させた。

 戦闘の最中にあって致命的な意識の明滅。

 この機を逃すな、と古城の血に宿る“彼女たち”の声が言う。

 

「―――疾く在れ、<麿羯の瞳晶(ダビ・クリユスタルス)>!」

 

 十番目の翼から生まれ出るは、銀水晶の鱗を持つ美しい魚竜。半透明の翼である前肢に、光り輝く水晶柱である螺旋の山羊角。その力は、相手を誘惑する吸血鬼の『魅了』の象徴。その真祖の眷獣、四聖獣をも妖しげな眼光にあてられたものを支配する魚竜の精神支配に囚われた魔人は、その『魅了』で動きを止め、抵抗する意思を奪われていく。

 

「―――疾く在れ、<妖姫の蒼氷(アルレシヤ・グラキエス)>!」

 

 十二番目の翼から飛び立ったのは、氷河のように透き通る巨大な幻影。

 上半身は人間の女性。そして美しい魚の姿を持つ下肢。背中には翼。猛禽の如き鋭い鉤爪。氷の人魚、或いは妖鳥。それが象徴する『眠り』の力で相手を氷棺に閉じ込めるもので、『原初』の呪いを封印してきたもの。

 妖鳥の羽ばたきより吹き荒ぶ清冽な冷気は、魔人を包み、その身体を凍らせていく。巨大な氷塊に閉じ込められたクロウ。しかし―――

 

 ピキッ、と氷棺に罅が入る。

 

 原子活動が静止する絶対零度の柩の中で、その骸の如く冷え切った肉体が膨張する。

 

 ―――グォォォォォオオオオオ………

 

 神獣を御し得た魔人からの、理性の限度を超えた獣性の解放たる<神獣化>―――その身を器に取り込んだ龍母とこの血に受け継がれる獣王との魂で天地鳴動する共振を発しているそれは、<神龍化>と呼ぶものか。

 

 ―――なんだ、あれは。

 

 観客席より巌流島を望む者たちが息を呑む。

 あれは目の錯覚か。しかし蜃気楼でなければ、あの場の景色が、ぐらぐらと揺らいでいるのは何なのか。

 

 ―――――ドン、と。

 

 大気を割るような音がした。

 歪みが、海域全体に侵食する。

 どくどくと、脈打つ海域。風に揺れているのではなく、海そのものが震えている。白虎、青竜、朱雀、玄武、と東西南北に配されて、世界を安定させる幻獣種が狂乱しているのだ。

 そして、氷中で炯々とした眼光が、倒すべき真祖を睨んでは、一回り大きく拡張され始めていく総身に収まりきれぬほどの熱量が憤焔となって内側より『眠り』の棺を溶かし始める。

 

 この身は、殺神兵器。

 原初の恐怖を乗り越えるために紡ぎし火種。

 魔人の裡より核熱にも等しきエネルギーが、純白の冷気を融解し、蒸発させていく。『原初のアヴローラ』をも封じ込めた力に抗うどころか、今にも粉砕しかねないほどに滾っている。神秘はより強い神秘に降される。すなわち、この怪物を相手にするには、災厄の化身一体分では釣り合わない。十二全てを掛けて、全力を尽くすに値する相手なのだ。

 

「ああ」

 

 信じていた、と言葉にせずとも古城の笑みがそれを物語る。

 <焔光の夜伯>。その十二の眷獣は災厄の化身であり、一体でも国を滅ぼし、神すら殺すことも可能な、絶大的な力。

 相手が群で攻めてこようとも圧倒して、単独で戦争に勝利する。

 <第四真祖>が行使する全力の一撃とは、すなわちそういうものなのだ。

 

 それが今、たった一人の後輩に対し、何の躊躇もなく振るわれている。

 加減も手抜きもしていない。今の己をすべて曝け出して、ぶつけている。それは向こうも同じ。二つの究極の殺神兵器の激突は、膨大なエネルギーの鬩ぎ合いであり、観客らは世界が幾度も崩壊しては生まれ変わったかのような錯覚を覚えたであろう。

 勝ちを前にしても余裕などなくて、少しでも気を抜けば逆転されることを古城は理解している。

 しかし。

 だからこそ―――それが、いい。

 ある意味で、これは児戯のようなものだ。子供同士の意地の張り合いと同じ。婚約を賭けた“決闘”など、単なるきっかけに過ぎないのだ。今や容赦も遠慮も忘却の彼方にあって、ただ、思うがままに力比べをし、存分に競い合い、力と力をぶつけたい。

 

「だが、勝つのは俺だクロウ!」

 

 だから、古城はこの“児戯(ケンカ)”に最後まで手を抜くつもりはない。貪欲に勝利を目指す。

 

「―――疾く在れ、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>!」

 

 五番目の翼が弾けて、閃光と共に出現したのは雷光の獅子。古城が最後に喚び出した眷獣は、古城が姫柊雪菜の霊媒の血を初めて吸血し、最初に喚び出した眷獣。<焔光の夜伯>を知る者らには気難しく荒々しいと評価されながらも、最も長く古城に付き従い、何度も助けてくれた眷獣。

 その雷霆は、まさしく『天罰』。<第四真祖>という殺神兵器を造りし『天部』――神々より降される裁きの光を化身とした獅子が、その十数mの巨体を一条の黄金とし―――

 

 ゴッ!!!!!! と。

 空気をまとめて引き裂き、恐るべき速度で雷光が突き抜けていった。

 

 

 光に呑まれた氷棺は、跡形もなく消失して、

 その内部に閉じ込められていた後輩は―――――――――――――――――――――――――――――虚空より、別の場所から現れた。

 

 

「な―――っ!」

 

 古城が呻く。

 それは、<空隙の魔女>南宮那月に何度となく見せられてきた超高等魔術。

 しかし、その空間制御をクロウが独力で『(ゲート)』を開いた事に古城は驚愕し、

 そして、次の瞬間に、戦慄へと変わる。

 

 

「―――起きろ、<輪環王(ラインゴルド)>!」

 

 

 呼応して、その背後より召喚陣が浮かび上がる。

 そこよりエッセンスたる源霊が溢れ出し、術者の濃厚な呪力を食らって、主人の切り札である<守護者>を顕現せしめる。

 召喚するだけで時空を歪める、機械仕掛けの身体を持つ黄金の悪魔騎士。

 それを“クロウが、喚起したのである”。

 ばかりか、悪魔騎士はバラバラに解けて、その黄金鎧を術者へと纏わす。龍母と獣王の共鳴がその理性を塗り潰そうとしたのに正気を失わず。その主より貸された黄金鎧がその身を荒御霊の如き神龍ではなく、完了された強固な精神性を有する魔人のままに繋ぎ止めさせた―――

 

「何を驚いている古城君。オレは、ご主人の眷獣なんだぞ」

 

 使い魔(サーヴァント)契約を結んでいる以上、“匂い”で経験値を獲得できる『嗅覚過適応』の南宮クロウは、<空隙の魔女>が有する知識や技術を南宮那月から読み取ることができる。

 

 そして、空間制御は究めればできる裏技がある。

 

 そう、それは<蒼の魔女>が独立した意思を持つ異界からの召喚獣である眷獣を、支配権を奪い取らずに、時空を歪めて過去に使った眷獣の一部を呼び出すことで、同様の結果を得るというもの。

 

 膨大な魔力と主人より享受された“情報”があってそのイレギュラーな魔術操作を可能とする。大魔女の使い魔として染みついた“記憶(匂い)”を頼りに、かつて己が<守護者>の鎧をまとった瞬間を、現在のこの時空に再演するができるのだ。

 

「これが……オレが今日まで積み重ねてきた全部だ」

 

 もう手札がないと、規定する。

 この札に残ったすべてを注ぎ込むと、すべて以上を注ぎ込むのだと宣告する。

 

「―――きやがれ、南宮クロウ!」

「おう!」

 

 最終の宣戦布告を受けて、漆黒の十二の翼を広げる古城。

 だが、古城はすでに“切り札(けんじゅう)をすべて場に出している”。全部の眷獣を出させるまで、クロウは粘り―――この<輪環王(ジョーカー)>を切ったのだ。

 

 虚空より現れた真紅の茨――かつて<第四真祖>の眷獣でさえも封じ込めた――<禁忌の茨(グレイプニール)>が、この『巌流島』に現出する十二体すべての眷獣らを縛り上げにかかる。

 

「っ、まずい―――!?」

 

 古城の声が動揺に震えた。

 眷獣を縛られてしまえば、吸血鬼は魔族の中でも下位の戦闘力しかない。最上位にある獣人種、それも古代種たる獣王と、一対一(タイマン)での勝負に真祖であっても勝ち目はなく、格闘戦も最初の通りに我流の喧嘩殺法しか心得のない古城ではかなわない。

 甲殻獣も、人食い虎も、戦乙女も、双角獣も、双頭龍も、水妖も、牛頭神も、神羊も、魚竜も、妖鳥も、一瞬で同時展開される十数mの巨体を包括する茨の檻に閉じ込められた。100mもの三鈷剣さえ雁字搦めに絡みつかれている。

 

 しかし、たった一体。

 かつて一度、<禁忌の茨>に捕まった経験があり、光の速さで動くことができる<第四真祖>最速の眷獣たる雷光の獅子は、間一髪に拘束より逃れていた。

 

「<獅子の黄金>!」

 

 暁古城を最も長く守護してきた獅子が、主人に迫りくる魔人の前に立ちはだかった。

 <第四真祖>として完成されて、その暴威は最初のころとは段違いに増していることが見るだけで分かる。真に『世界最強の吸血鬼』の眷獣に相応しき格に至っているのだ。

 

「アイツらの中じゃ一番長い付き合いだけど、強くなったなお前―――でも、オレも強くなったぞ」

 

 それを前にして、黄金鎧に龍母の裘が剥がれていき―――すべての守護をこの左手へとまとめられる。

 

 光の守護鎧と引き換えに、神をも殺すと謳われる最強の槍を手にすることが許された大英霊。

 

 それと同じく、今この左手に形作られていく<守護獣>の白蒼の篭手に爪の代わりに<守護者>の黄金の剣刃が付けられたその武具。

 この剣篭手を用いて放つは、己の生命を省みない捨身の絶対破壊。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ―――――!!」

 

 『玄武百裂脚』を可能とするのは、分身という別けた気を遠隔でさえ可能な精密操作。

 『白虎衝撃波』を可能とするのは、気を塊へ凝縮して砲弾とする制御力。

 『朱雀飛天の舞』を可能とするのは、場の制圧という濃密な気の開放。

 『青龍殺陣拳』を可能とするのは、空を断つほどの拳速を発揮するために気孔を閉じる集中。

 それら獣人拳法の四大奥義を究めた技術と肉体を持って原点へ立ち戻り、一度にこなす総集奥義ともいえる一打。

 <黒死皇>と呼ばれた獣王さえ到達し得なかった前人未到の領域に踏み込む。

 

 弓を引き絞るように限界まで引いた左手を、全身を使って一気。

 防がれれば終わり。ならば、防がれるより速く。光より速く。だが雷光の獅子の爪牙がそこへ達するのは全くの同時。

 ならば、それよりも速く――空隙の悪魔の空間制御と、全知の母龍の予測演算の補助を受けて――その死が確定された絶望(さき)だろうと手を伸ばし。

 

 

「―――<(ゆらぎ)>ッ!!!」

 

 

 絶対の未来予測より確定された未来へ、時空を超えて絶望を打ち砕く―――!!

 

 

 っっっ     !!!!!!

 

 

 刹那にすら満たぬ雲燿の閃きの果てに、殴るという行為はすでに過去として完結しており、殴ったという結果のみがあった。

 そして、その時の左手は、黄金の魔狼と白き龍母が入り混じったそれは四獣の中央要たる黄龍の顎と成り、<第四真祖>の最後の守護たる獅子を喰らう。

 

 そして、霧散した眷獣より迸る閃光が世界を真っ白に染め上げる中。

 ついに<焔光の夜伯>の十二の難行を突破した獣王は、真祖の前に立つ。

 

(問題はここからだ―――)

 

 他の眷獣を縛る封印もあまり持たないだろう。

 だから、一撃で蹴りをつけなければならない―――だが、そのための()を今使い切ってしまった。しかも眷獣の猛攻を凌いだ守護も外してしまっている。

 そして、相手は不老不死の真祖。しかも、これまで高い霊媒素養を持つ娘達を吸血してきているおかげで、魔族に天敵たる神気や魔力を無効化する『聖殲』にも耐性を持っているのだ。

 

「まだ、だっ……! 眷獣が解放するまで俺が耐えれば……!」

 

 この一呼吸分の間で幾度己はやられるだろうか。しかして、その一呼吸に耐えれば逆転できる。

 

 暁古城は、不老不死の肉体を持つ故に、神経は麻痺せず、意識を断って苦痛より逃れることも、正気を失うこともできない、そんな永遠の責め苦にも耐え得る精神力も有している。最初に猛連打(ラッシュ)で攻めても耐え切ったのだ。一撃で敗北を認めさせるのは不可能―――と、思われるが、

 

「……やっぱり、古城君を倒すのはこれしかないな」

 

 両腕を吸血鬼の再生の要である心臓部の盾にする古城。

 けれど、クロウの狙いはそこではなくて、

 

(頭を狙ってきたかっ!)

 

 後輩の主である那月も以前に、空間衝撃で頭を揺らすことで古城に脳震盪を起こさせたことがある。だから、顎先を狙ってくるフックを警戒し、右腕を頭部のガードに回す―――けれど、それも違う。クロウの左腕は、さらに奥の、古城の後頭部を掴み、がっちりと逃さないようにする。そして、右腕は顎先に伸ばされるが、それも、くいっと添えるだけで、暴れないように固定されるというようで……

 そして、次は膝蹴り―――まさか、対ハーレムの男の急所潰し!? とその思考に至った古城は反射的に内股にするも、足ではなく、頭が前に出てきて―――

 

(これは頭突き―――)

 

 そのまま古城の顔とクロウの顔が一気に近付いて―――もう互いに抱き合える距離まで接近していた両者の距離が更になくなり、すぐにゼロ―――互いの唇と唇が触れ合った。

 

 

観客席 船甲板

 

 

『………………………………………………………』

 

 

 閃光が止んだ後、そこに二人が抱き合い、“口づけ”をしていた、ドッキリではない衝撃映像。

 

 祈る雪菜や夏音、心配していた紗矢華に、苦笑しながら見守っていた浅葱や優麻、さらにはラ=フォリアまでもその光景に唖然とする。

 その前の眷獣に放った一撃必殺が時間を超えたのならば、今の一撃必殺は世界を止めたというのだろうか。

 

「……カカ! 流石、獣王だ。真祖を“食った”ぞ!」

 

 と天晴と呵々大笑する元黒死皇派の老兵ガルドシュ。

 

「……古城、お前は父さんの想像の遥か先に行っちまったんだな」

 

 と遠い目をする暁家の父親牙城。

 

 もしもここに『戦王領域』の議長アラダールがいたのなら、『……まあ、今はいなくなったが“前例”がいないわけではない。“決闘”の最中にしたのを見るのは初めてであるが、疚しいことではあるまい』と理解を示したことだろう。

 回復した男性陣の皆さんは声を上げるも女性陣は依然と沈黙を続ける。そんなすごく空気が気まずい中で、ぽつりと言葉を零す“景品”の少女。

 

「……………うん、どうやって古城君に勝つつもりなんだろって、絶対に見逃しちゃダメだって思ってみてたんだけど」

 

 敗色濃厚の中でも、勝利を信じていた少女。その健気さには胸を打たれることだろう。

 が、

 

「占いで『大切なものを失う』ってこのことだったの……??」

 

 慄く凪沙。凪沙があそこで積極的に迫ってなかったら、初めては兄に奪われていたと……

 

 

巌流島

 

 

 ―――重なる、唇と、唇。

 

 

 古城にとって、異性ではなく同性にそれをやられるのは生涯初めての体験。

 以前、<蛇遣い>に熱烈な愛を囁かれたり、いろんな意味で狙われたりしていたが、それでも実際にされたことはなかった。そして、これほどに深い(ディープ)なのは異性にされたことだってない。

 声を発するための器官は、口は、舌は、塞がれて、喉でしか呻けない。無惨に酸素を求めるもその唇が、相手の唇に塞がれる。

 息苦しくて、古城の口から漏れる呻き。だが、それは何故か甘美な響きである。聞きたくなかった。

 身をよじって逃れようとするも、その肩を相手の腕が抱き留める。いつもが強引に女子に迫る古城だが、それがいま逆転されている状況。一体なんなのだ? あまりの未知との遭遇に頭が真っ白となって、やがては無抵抗に。今なら彼女たちの気持ちがわかるような気がする。

 力無く開いた口の僅かな隙間から侵入を許してしまい、口腔の中を艶めかしい何かがぬるりと蠢く感覚。それが何か熱いモノを流し込んできて、

 こくり、と嚥下する音。

 古城の喉に滑り落ちる液体―――それを感じるよりも早く、背筋から脳髄までの全てを蕩かしながら走り抜ける、無慈悲の崩落。真祖は力を失って腰砕けに頽れる。ようやく、そこで離れた。

 口元を拭いながら、倒れる古城を見下す後輩は言う。

 

「う。なんか、ごめんだぞ。でも、古城君を倒すのは、“壊毒(これ)”しかなかったのだ」

 

 止め処なく鼻から血を垂れ流す古城。その毒を喰らいながらも、苦痛はない―――本来、真祖であるなら喪失しないはずの感覚が麻痺している(壊れている)。唾液――“懐毒”を呑み込まされて、体内に送り込んだ。解毒させる時間もない、解毒させる余裕もない。

 咎神が、『対<第四真祖>に創り出した殺神兵器』として、“後続機”を造り上げたのならば、当然、その不老不死性を打倒する機能も付けられていた。それがこの“壊毒”。そして何でも壊してしまう故に、自滅してしまう毒素は口腔より出てしまうとその効力は半減してしまう。従い、それが最大に威力を発揮するのは、噛みつく――口内の唾液を相手の体内に直接送り込ませること。

 で、獣人や神獣であったならその牙で肉を裂き噛みつくこともできたが、魔人の形態では生憎その牙がない。

 だから、方法はひとつに限られて、その“口づけ(キス)”に特に深い意味はないのである。ただ、純粋に勝つためだ。それも相手に苦痛を与えずに行動不能にさせ、時間が経てば勝手に毒同士で喰らい合って自滅するのだから万々歳。とクロウは考えている。

 

「…………………………」

 

 そこまで理解した古城は地面に倒れたまま、必死に意識を保ってクロウを見上げる。

 なるほど。これまでにないこの不調。確かに、真祖としての性質が壊されているだろう。かつて、『人魚』の不老不死性を得た魔導犯罪者を仕留めた時のように、口より直接やられる“壊毒”は抗いようのないものだ。これほどの破壊力とは古城も体験するまでは夢にも思わなかった。

 とはいえ、精神的な破壊力の方が甚大であるが。

 

 そして、実況も声援も止まってしまったこの『巌流島』に、虚空より“褒美(いもうと)”を連れて現れた審判役。

 

「やれやれ、貴様の『伴侶』どもがピーピー喚いて、強引に『(ゲート)』に押し入ろうとして来るからこちらに来てみたが。ふん、船を動かしたようだ。何にしても、私の知ったことではない」

 

 満足に身体機能を働かせない古城だが、聴覚はまだ無事。しかしながら、那月の声音はこれまでに聞いたことのないような、何とも言えないものであった。彼女であってもこれなのだから、『伴侶』の少女ら――監視役の剣巫や電子の女帝と言った面子に顔を合わせるのが怖くなる。

 

「どうだ、降参するか?」

 

 古城は動けない。10カウントを数えていれば敗北確定。しかし、これは『まいった』というまでおわらない“決闘”である。

 

「ま……だ……!」

 

 実は、この古城に完全に有利なルールの勝負で、不老不死の真祖ではクロウに勝ち目がないと思い、『もしも十二体すべての眷獣を出して、それに耐え抜いたのならば、負けを認めよう』と考えてたりした。

 その条件は満たされている。それどころか、こうして真祖の不老不死性まで攻略した。<第四真祖>を壊してみせたのだ。“懐毒”が自滅するまで古城は、再生も働かず、霧化で逃げられず、切り札である眷獣も召喚できない、どころか立ち上がることもできないのだから、魔族どころか人間以下だ。そこを後輩に攻撃されて叩きのめされれば、死ぬことはないにしても、しばらくは復活できないだろう。

 ―――が、こんな終わりはイヤだ。

 

「ぐ……この……!」

 

 気力と根性。毒にやられた体を起こし、立ち上がろうとする古城。

 敗北を認めたとしても、『世界最強の吸血鬼』の評価は下がらない。それほどの暴威は振るって見せたのだ。観客らも満足したことだろう。

 

 だが、古城が戦う理由はそこではない。

 政治的な意味があったのだとしても、後輩と“決闘”すると決めたのは意地の問題。

 それは、それほどにこの相手に妹を渡したくない―――だからではない。むしろ、その逆だ。

 

「そうか。まだ降参せんか。……これはお前への最後の慈悲だったんだがな」

 

「な、に……」

 

 あまりこの担任教師に優しくされたことのない古城は、その発言に驚き、すぐにその意図を悟ることになる。

 

「古城君……」

 

 凪沙の震える声が、古城の耳朶を振るわす。心配されているのだろう、と思い、古城は心配性な妹にこれ以上は無様を見せられないと身体に喝を入れる―――

 

「そんなに、クロウ君……凪沙との婚約がイヤなの……?」

 

「い……や」

 

 違う。そうではない。古城はクロウを買っている。一緒の部屋にいたら、妹の相手として認めてしまうくらいに。けれど、せめて学校を卒業して成人するまでは、兄としての心の準備をさせてほしかったのだ。

 だけど、それを素直に口にはできなくて―――後になってしておけばよかったと後悔する。

 

「……古城君。

 

 

 

 

 

 ―――そんなにも、クロウ君のことが好きなんだね」

 

 ああ、と危うく頷きかけたところで、固まる古城。

 確かに、古城はクロウを気に入っている。好きかどうかと訊かれれば、好きな方だろう。

 だが、そこで不自然さに気づく。

 どうして、『クロウ君との婚約』ではなく、『凪沙との婚約がイヤなの』とわざわざ言い換えたのだ? そして、この『クロウ君が好きなんだね』という問いかけ。

 最悪の予感が古城によぎるも、呂律も満足に回せないでいる今の状態で弁明は無理があった。そして―――

 

「だって、そんなにも“鼻血が出てるんだから”!」

 

・古城が鼻血を噴出して止められないでいる原因である後輩の“懐毒”。それは噛み癖を躾けた主人より厳重に使用が制限されており、知る者は少ない。

・母親の暁深森より『性的に興奮すると鼻血を噴出してしまう』という遺伝を息子の古城は受け継いでおり、それを娘である凪沙は当然それを知っている。

 

 さて。

 <獅子の雷光>が光となって霧散して、真っ白になった視界が元に戻ると、後輩に“口づけ”されて、“腰砕けに倒れこみ”、“鼻血を噴出し”続けている兄を見て、この妹は何を思うだろうか。

 

「もう隠さなくていいよ古城君」

 

 そして。

 ここで婚約を認めないとどうなるのか。もしも勘違いしたままであるのなら、妹にはまるで、妹ではなく、後輩の方を古城は……………

 

 ―――違う!!! と思い切り大声で否定したい。だが、その否定をすれば泥沼な状況に陥るだろう。

 

 毒を食らうよりも凄まじい社会的かつ精神的ダメージが、古城を襲う。担任教師は妹の心情を理解して、そしてこの展開が予想できたので降参を勧めてきたのだ。

 

「でも、凪沙、絶対に古城君に負けないから!」

 

「ちょ、はな、しを、聞いて……」

 

「クロウ君いくよ!」

 

 妹を呼びかける古城だが、凪沙はよくわからないけれど空気を読んで一歩離れた位置で見ていたクロウの手を取り、引っ張ってくる。

 

「え? 何なのだ凪沙ちゃん?」

「凪沙と一緒に古城君を倒すの!」

 

「むぅ。なんか今の古城君を打つのは気が引ける……」

「ダメだよ! ちゃんとフッてあげないと古城君のためにもならないんだから!」

 

「そうなのか?」

「うん。じゃあ、一緒に―――せーのッ」「「たぁっ!」」

 

 

 

 そうして、息を合わせた二人のダブルパンチにノックダウンされて、『獣王と真祖の大戦』は終わった。“褒美”の乱入で無効試合ではないかという意見もあったが、後で『二人のことを認める。だから、勘違いするな』と真祖直々の公言があって、無事に婚約が認められることになった(また色々と危うんだ伴侶たちより、真祖も『婚約』について迫られるようになる)。

 そして、<第四真祖>が<囁きの庭園>の一員として与えられた権限をフルに使い、観客ら全員に緘口令を敷いて、この“決闘”の様子を記録した映像媒体をすべて抹消するなど、情報封鎖が徹底されたため、一体獣王はどうやって真祖に勝利したのかは不明である。様々な憶測が飛び交ったりもしたが、後の『暁の帝国』の歴史教科書には記載されることはなく、あるのはこの一文。

 

 

 『世界最強の吸血鬼を倒した、世界最強の決まり手は、“愛の力”』

 

 

 

つづく


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