ミックス・ブラッド   作:夜草

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錬金術師の帰還Ⅳ

パエトーン

 

 

 甲板に出て、海を見る。

 結局―――彼は、宿泊研修に来なかった。

 わがままを言ったことはわかっているけど、それでもやはり彼が心配だ。警備隊と徹夜で同行した一昨日、そして昨日も、マンションに帰ってこないし、一応、今の自分の保護者でもある南宮那月との主従契約が切れていないことから無事だとは言われた。少なくとも生きてはいると。

 一体、彼が何を、どんな相手を追っているかはアスタルテさんも教えてくれなかったけど、それが自分と関わりあるものだとこの日増しに強くなる胸のざわめきで知る。

 もしも、あの“錬金術師”が相手なら……

 心配はどうあっても拭えない。

 

 それと同時に信頼もあるのだ。ひょっとしたらこの船に乗ってるかもしれない予感さえする。なにせ彼の分の荷物は、那月の後輩で彼の担任の笹崎先生に事前に渡されていて、まるで主が彼はこの宿泊研修に追いついてくると―――

 

 そのとき、覗いているこの大きな黒い双眼鏡で拡大された叶瀬夏音の視界にこちらを追いかけるように海を潜水する銀色に輝く影が映る。

 

(あれは、野生のイルカさんでしたか!)

 

 筋金入りの動物マニアである夏音は碧い瞳を輝かせる。

 フェリーが海面に残す白い航跡の隙間を泳ぐ小型の潜水艦や魚雷を連想させる金属質の航空物体。とても生物的な色に見えないのに、しかし海蛇のように巨体をくねらして、海中に潜る。

 

「―――っ!?」

 

 持っていた双眼鏡を落としてしまう夏音。

 

(あれは、まさか―――)

 

 きゅっと怯えたように唇を強く噛んで、

 

「あう」

 

 そこへ、足首のちょっと上のふくらはぎを叩かれる、小さな接触。

 びくっと振るえて、隣を見る。

 そこにあのときの“錬金術師”が―――いない。

 

「あうう」

 

 幼い声につられ、視点を足元(した)に。

 

「いました」

 

 ほっと安堵の息を吐く。

 夏音の膝ほどもない身長で、しかしこの波に揺れる船の甲板をしかと二本の足で立つ赤茶髪金眼、褐色肌の赤子。白色のよだれかけのようなものを首にかけて、ふさふさのファーのついたシルク生地の赤子服を着ている。それが何か一生懸命に足を叩いてる。

 

「あうあう、あう!」

 

「あら、慰めてくれるんですね。どうもありがとうございます」

 

 ぺこり、と丁寧に頭を下げる。今日、このフェリー『パエトーン』に乗船しているのは宿泊研修の学生が大半を占めているが、ごく少数一般客も混じっている。おそらく、そこの家族連れの旅行客から、この元気のいい赤子ははぐれてしまったのだろう。

 よいしょ、と夏音はしゃがんで抱き込んだ。やわらかく、でも、しっかりと。その様は聖母のようで―――そこで、その艶やかな光沢を保つシルク生地で織られた赤子の服の手触りに、ふと郷愁のようなものを覚えた。

 

「これは、どこかで……」

 

 そこに染みる作製者の僅かな残り香。匂いは、人の古い記憶野を刺激する唯一の五感。

 そう、かつて自分もこのような赤子服を着せられていた。院長様の―――

 

 

『院長様、このようなことに魔術を使ってもいいのでした?』

 

『夏音よ。この程度の手品、術というのもおこがましいのだが、結局のところ、魔術というのは、誰かの願いを叶えるためにあるものだ。お前さんたちに服を作ってやるのもまた大いなる作業になるのだよ』

 

『そうなのですか?』

 

『ああ。今日この日まで世界の生態系が、種の存続をしてこれたのも、自分ではない誰かを想う――そうさな、愛情があったからだ。完全なるものには、愛情だの友情だの美しさだのは錯覚と言い捨てられるだろうが、それが何より世界を支えていると(わし)は思うよ』

 

 

 なんて、回想している最中に、違和感が。

 

 

「あれ? ……これはよだれかけではありませんでした」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――高清水君は……イケメン度数74点ね」

 

「えーっ、委員長それちょっと辛口だよ。ルックスも性格も良くてサッカー部のホープで、80点台は堅いんじゃない?」

 

 委員長オブ委員長こと甲島桜の採点に異議を唱えるは、女子バスケ部で同じ体育会系の進藤美波。通称シンディ。甲島は進藤の言を平然とうけたが、隣に座る雪菜が身をすくめてしまう(それでもまあ、あえて90点代は出さないところが控えめなのか、それともそのラインを基準としてる人物がいるのかと予想)。

 

「ふッ……現実を見なさいシンディ。確かに高清水君は見た感じいい感じの爽やかスポーツマンよ。人気があるのも納得ね。でも、この前の中間テストの総合点で『ワースン十指(テン)に入ったっす』と自分で吹聴してた、体育会系にありがちな脳筋であることも忘れてはいけないわ」

 

「それは同じ体育会系として聞き捨てならないわね! てかアスリートは運動ができればいいじゃない。暁先輩もここ最近は補習授業ばかりだけど、バスケ部では今も伝説に残るスーパースターなのよ!?」

 

 ぴくり、と肩を反応させる雪菜。中等部で同じバスケ部で、雪菜の知らない先輩を知るシンディの発言はいろいろと無視できない。でも、余計な口出しはしなかった。甲島はそれを無視して採点を続ける。

 

「じゃあ、次の小山田君は……イケメン度数83点」

 

「はーっ、なんであんな優男がそんなに点数高いの!?」

 

「今はインテリ眼鏡系男子がアツいの。それに中間テスト学年3位で良物件よ」

 

「でもさ、頭の良さで藍羽先輩には敵わないんじゃない?」

 

「あの人は別格。比べるのはかわいそうよ」

 

 中等部の宿泊研修1日目。

 東京湾に向けて移動中のフェリーの中で、行われる学年男子の品評会。

 お座敷風の二等船室に詰め込まれた中等部三年生は156人。クラスごとに分かれてゲームやおしゃべりに興じていて、雪菜たちの近くではないが同じ船室には、同じクラスの高清水君や小山田君もいる。

 女子の濃い花、ならぬ、恋話はひそかに注目を集めたりするのだが。中でも耳を傾けられている少女は内心困った表情を浮かべる。

 この絃神島に来てからそこそこ立つが二学期からずっとある特定の人物、それも高等部の学生に張り付いていた雪菜はちょっとついていけない話題だ。相槌を打ちながらも、ちょっぴり疎外感を覚えた―――そんなタイミングで水を向けられる。

 

「ねぇ、雪菜は誰か候補に挙げられる人っている?」

 

「えっ………」

 

 まず真っ先に思い浮かべた人物がいるがこの流れからして中等部限定。しかしながら、クラス内で『姫』と崇められる雪菜にそう話しかけてくる男子はおらず、中々これだと言えるほど印象に残ってるものがいない。ひとりを除いて。

 

「じゃあ、クロウ君は?」

 

 クラスで、唯一、雪菜と普通に会話できる相手。それからいつのまにか弟弟子になってた頼れる戦友。割と彩海学園に来てからは世話になっていて……高神の森の関係者にクラス事情を暴露されたこともあったが、話してると楽になることが多い。

 クラス内ではすでに攻魔師資格を持つ獅子王機関の剣巫と知られていない雪菜には、素で付き合えるし、生真面目に固まりがちな思考に柔らかなクッションを投げ込んでくれる。

 ……事情があって、この宿泊研修に一緒に来れなかったのが、残念だと思う。

 

「クロウ君か……」

 

 そんな今はいない、クロウも眼鏡を光らせる委員長様が行う下馬評の俎上に載せられた。それが何となく贄に差し出してしまったように申し訳なく感じて。すぐ隣で甲島の降す評点が、ことさらくっきりと耳に響いた。

 

「66点、かしら」

 

 と。

 

「はーい、買ってきたよ皆のジュース」

 

 そこで、ちょうど、トランプババ抜きの罰ゲームでジュースを買いに行かされていた暁凪沙が帰ってきた。

 このシンディ、委員長、凪沙に、雪菜が一班のグループを作っている。

 

「なになに盛り上がってるね、どうしたの? みんななに話し合ってるの? 66点って何のこと?」

 

「あ、凪沙。委員長が男子チェックをやっててさ。それで今、クロウ君が66点だって。採点辛いよね」

 

「え、あ、クロウ君が……?」

 

「んー……いつも厚着してるけど、整った顔してるし、見た目は結構いいのよね。球技大会で見たかぎり身体はすごく引き締まってる。けど、背が低くて子供っぽい。身体能力が体育会系顔負けだけど、中間テストではいつもギリギリ赤点上の低空飛行だったし」

 

「うーん、言われて見ると納得、する……?」

 

「バカな子ほど可愛いっていうし。イケメン度数じゃなくてマスコット度数なら、90点台後半は堅いわね」

 

「おおぅ、ばっさりだ。でも解かるかも。浅葱先輩とか高等部の先輩たちに可愛がられるのも、雪菜とも普通に話しかけられるのって男女の意識とか全然してないからだし、こっちもあんまり異性って意識しにくいよね」

 

「花より団子を地でいくタイプだわ」

 

「肉食系なんだけど、そういう意味での肉食系じゃないのが残念というか。逆にこっちが守ってあげたくなる感じ」

 

「何にしても貴重なタイプであることは間違いないわ。保護したくなる」

 

 まるで玉入れ合戦でもしているかのように、クロウへの寸評やらなんやらがポイポイと耳に入っていて、それは当然、隣に座った凪沙の耳にも……

 

「……そうかな?」

 

「え?」

 

 ぽつりと洩らした凪沙の呟きに二人が反応する。普段は口数の多いせいか、彼女がときどきする短めの言葉は、人を引きつけるような雰囲気がある。

 

「どういうこと凪沙?」

 

「クロウ君、学校では子供っぽい感じだけど、学校の外では街を守るために頑張ってるし、いつも私たちみんなに気遣ってくれてるよ。赤点じゃなかったのにクラスでひとり英語の補習をすることになって落ち込んでた高清水君と一緒に補習を受けたり、体育の授業が終わってひとりマットの片付けをしてて大変そうな小山田君を手伝ったり、そういう人の辛いときにすぐに気づいてくれて、自分の事より相手のことを考えてくれる。

 今日だって、宿泊研修に来れなかったのは警察の仕事に協力してるからだし」

 

 甲島と進藤はきょとんとふたり顔を見合わせ、記憶と相談する。

 

「あー……そういえば、ショッピングモールでつい買い込み過ぎちゃって、荷物が重たくて困ってたら、パトロール中のクロウ君に会って家まで運んでくれたわ」

 

「女の子に優しいよね。なんでも高等部のスーパーカリスマ教師南宮先生の教育の成果って聞いたことがあるけど、下心とかないからクロウ君って実は紳士? それにちょっと怖かったころの暁先輩とも仲良かったみたいだし……最近では暁先輩×クロウ君って妙な話を聞くけど」

 

「ええ、先輩ともすごく仲が良いですし、頼りにされてますよね……」

 

 凪沙の指摘をきっかけに、女子たちの言葉が揺れ、さらにはクラスの姫様からの高評価も加われば、お互いを見交わす視線の作る上昇気流はどんどん勢いを増し―――

 なんとなく気をよくして頬を緩める凪沙。まるで自分がほめられているみたいだ。罰ゲームでジュースを買いに行かされた疲れも急に和らいだ気がして、ガッツポーズを取るように、足の指をきゅっと縮める。

 

(うんうん。クロウ君は大したことしてないって思ってるんだろうけど、やっぱりちゃんと評価されるとすごいんだよ。

 ……うん、さりげなく古城君との仲が評価されるのは何か不安になるけど)

 

 なんて、お腹ではなく胸から笑いが込み上げてきて、自然、胸を張る凪沙。

 ―――と。

 株というのは一度上がり始めると高騰を極めるものである。険が取れ温かく弛緩した委員長とシンディの声が、何やら少しずつ熱を帯び始めてきている。

 

「……となると、将来性のある優良物件になるのかしら。これから成長期に入って背が伸びたらあれは相当化けるわね。球技大会でのギャップも凶器的だったし」

 

「言われてみると、性格もああいう素朴なのってずっと隣にいたい感じがするよ」

 

「他の男子にはない、信念ってものがあるし。学業よりも男として大事な評価よね」

 

「実は私、一年くらい前に魔族に絡まれてた時、クロウ君に助けてもらったことがあってさ、そのとき、『オマエら、オレの(クラスメイトの)シンディに手を出すな』って……………なんか、その時の顔はちょっと怖い感じだったんだけど、仁義ぽくって恰好よかったかも」

 

「あら、シンディ、あなた意外と青春してるじゃない」

 

 

 ………………………………

 

 

 ひやりと雪菜の第六感的が冷気のようなものを察知する。

 隣で、凪沙が硬い氷塊のような笑顔を凍らせていた。

 進藤(シンディ)が『?』と見上げる。しかし凪沙は頓着することなく、買ってきたよおく冷えたジュース缶をひとつひとつ手渡しでみんなに配ってから言った。

 

 

「というわけで、クロウ君は40点だね」

 

「「えええええええええ!?」」

 

 

 凪沙の啓蒙によって、評価を改めつつあった女子二人のユニゾンが船室に木霊する。雪菜も呆気にとられて声を震わす。

 

「え、っと……今の流れで評価が下がるんですか凪沙ちゃん」

 

「本当は66点の半分にして33点くらいにしたかったんだけど、それだとちょっと切りが悪いしシンディと委員長の評価分だけ下駄を履かせて、ちょうど40点くらいにしとこっかなって」

 

「そ、そうなの。クロウ君赤点ギリギリになっちゃうんだ」

 

「あのねシンディ。素“朴”な性格で、信“念”を持ってて、“仁”義がある。でも、この三つを合わせたら、“朴念仁”だよ」

 

「素“朴”と信“念”と“仁”義で……“朴念仁”ッ……!」

 

 雷に打たれたように復唱するシンディ。

 

「つまり、クロウ君は分からず屋だってこと。わかった委員長? こういう女の思い通りに動いてくれない男は苦労するよきっと」

 

「なんでそうなるのかよくわからないけどなんだか説得されざるをえない、すごく深い意見ね」

 

 眼鏡のズレを直して、赤べこのようにこくこくと頷く委員長。

 

「雪菜ちゃんもそう思うよね?」

 

「は、はい……凪沙ちゃんの言う通り、クロウ君は40点です」

 

 そして4人班の3人が納得したのなら、残る雪菜も頷く他ない。今は赤子な同級生に心中で謝りながら二度こくこく相槌を打つ。

 

 と。

 

「じゃ、じゃあさ、中等部じゃないけど、凪沙んとこのお兄さん――暁先輩って、最近ちょっと雰囲気変わって、怖い感じがなくなってきたじゃん。バスケやってたころに戻ってきたような」

 

 シンディが新たな議題を俎上に出してくるが、委員長に捌かれる前に、ざっくりと包丁で魚の頭首を落とすように、監視役が断言(介錯)しておく。

 

「―――先輩は、30点です」

 

 

 

 ただ今の時刻は、間もなく9時になるころ。

 午前7時に観光港を出港したフェリー『パリトーン』は、途中で伊豆諸侯に寄りつつ、11時間半――およそ半日をかけて東京湾に到着する予定となっている。

 船の中にも行事予定は組まれていて、10時半にホールに集合し、教材映画の視聴。それから昼食の運びになる。

 お喋りの合間に、予定を確認し合いながら、凪沙がふんふんと鼻歌を鳴らして、

 

「お昼ご飯なんだろうねえ。カレーかなあ。カレー食べたいなあ。あ、夏音ちゃんだ」

 

 視線の先に通った、別クラスの親友の夏音に声をかける。

 凪沙の呼びかけに反応した夏音は、銀髪を揺らして振り返り、その胸に抱いたものを雪菜たちにも晒した。

 

「え、アダム君!?!?」

「あう!」

 

 てっきり、朝起きたときいなかったから兄古城が連れ去って世話をしてるのだと思った赤子が、夏音の腕に抱かれながらこちらにぷらぷらと手を振っていた。

 

 

 

 

 

 その首に大変見覚えのある凪沙の下着(ブラ)をひっさげて。

 

 

港湾地区

 

 

 カッッッ!!!!!! と。

 その時、すべての音と光が消えた。

 

 カメラシャッターのフラッシュのようにあっさりと、そして、写真にそれまでの風景を“実際に”切り取ってしまったかのように。

 駆け付けた古城たちが見たのは、<賢者の霊血>という不滅の金属生命体ではなく、撤収する特区警備隊員と圧倒的な破壊の痕跡。

 コンクリート製の倉庫を高熱で融け崩して、原形を留めず跡形もなく、見えない巨大な刃で薙ぎ払われたように地形は滑らかに切り込まれていた。

 爆弾のような単純な破壊兵器のものとは明らかに違う。

 瞬く閃光の後、港湾地区一帯をクレーターに変えてしまうことを、数式を解くように『当たり前』に行使された、その力。そして、その絶対的な根源。

 

 それは、『賢者』の復活。

 

 封印されし『賢者』の意識が蘇り、霊血が放ったのは、重金属粒子砲――いわゆる荷電粒子ビームの一種。

 

「主が想像してるほど大したものではない。大気中では粒子束が拡散するから、射程はせいぜい数km。直撃したものが原子レベルで分解するだけのことだ」

 

「十分すぎるほどやべぇじゃねーか!」

 

 平然とこの惨状を見分し、そこから導き出された推論を語る浅葱――ニーナ=アデラード。

 大錬金術師の見解に古城は総毛立つような気分で息を呑む。

 半径数km内の物質を原子に分解できるビーム兵器。冗談抜きに照準がわずかでもズレテいれば市街地は一掃されていただろう。

 不滅で無尽蔵の魔力を持つ存在に弾切れが起こるような事態は考えられず、もしも未だに『賢者』がこの港湾地区で暴れていれば、どこまでも被害は拡大していたことだろう。

 

「<賢者の霊血>はそんな攻撃まで使えるのか!? それとも天塚の仕業なのか?」

 

「違う。やったのは、『賢者』だ」

 

 弱々しい、冷え切った声でニーナは問う。

 

 何故、あの液体金属の塊が、“賢者の霊血”と呼ばれるのか?

 いったいあれは誰の“霊血()”なのか?

 

 古城も気づく。

 “霊血”には、本来の持ち主がいた。それが、『賢者』だ。

 

 人工生命体の少女が教えてくれた、錬金術の究極の目的、その『完全なるもの』を創り出す大いなる作業の果てにあるのは、すなわち、完全なる存在――神へ、近づくことだ。

 すでに人工生命体という『人間』を創り出す技術はすでに完了している。

 ならば、その次の段階として、『神』の創造を目指そうと考えるだろう。

 高次空間の超存在(オーバーロード)を召喚するのではなく、自分たちの手で、人工の『完全なる人間』を創り出そうとしたのだ。

 

「だが、それは成功であり、失策であった。所詮は不完全な人間に過ぎない錬金術師たちに

、自分たちが生み出そうとしている“完全過ぎる”存在が、どれほどの過ちであるのか計り取ることはできなんだ」

 

 個体として完全な存在は、自分以外の何者も必要としない。

 『賢者』は、生きるために酸素も食物も必要としない不滅にして無尽蔵のエネルギーを持った存在。この地球がすべての生命が絶滅した死の惑星となろうとも、気にはしない。むしろ、そちらの方が都合がいいともいえる。

 『賢者』が唯一恐れるのは、他の生物が、自分以上の存在に“完全”なものに進化してしまうことなのだから。

 

「ろくでもないものを創り出してくれたもんだな」

 

 唯一完全な存在であり続けるために、自分以外のすべての生物の滅亡を願う人工の『神』

 ―――邪悪という言葉すらも生温く感じられる、最低最悪の存在だ。

 

 故に、270年前に『賢者』は封印された。

 不滅の存在を滅ぼすことはできないが、そのすべての霊血()を抜き取ることで力を奪い、ずば抜けた霊力を持った当時の最優秀の錬金術師が、復活を阻止するための番人となる。そのために――不滅の『賢者』を管理するために、<錬核>に自らの意識を移して、彼女もまた不滅の存在となったのだ。

 そんなのは、世界を滅ぼさぬためにささげられた生贄と変わらない。錬金術師の負の遺産に永遠に縛られた孤独な管理者。

 

「ああ、だから妾が管理しなければならなかった」

 

 ―――それが、ニーナ=アデラードの真実であり、罪滅ぼしに贈られた『伝説の大錬金術師』の真相。

 ニーナが、見分する際に見つけた現場に落ちていたそれを、拾い上げる。

 それは霊血ではなく、無数の人骨。

 一人や二人の骨ではない、優に十数人分はある。そして、その大多数がまだ幼い子供の骨。大柄な男性のものと思しき比較的新しい人骨を一体除いて、すべてボロボロに朽ち果てている。

 

 覚醒した『賢者』が、もはや不要と切り捨てた不純物(いけにえ)の混じる“霊血”だ。

 そう、5年前の事件に巻き込まれた修道院の修道女(シスター)と子供たちのもの。

 

 ニーナ=アデラードが、修道院を運営していたのは、それが身寄りのない霊能力者を保護するのに都合が良かったからだ。錬金術師たちの身勝手に、そのような境遇の者たちが何人も供物にされてきたことを飽きるほど見てきた彼女は、二度とそのような――自分のような不幸な生贄を出せないようにするため。

 

「『賢者』の支配を逃れられたというのに、すまぬな。身体を造り直すためにも、妾には“霊血”が必要なのだ。お前たちの骸を使わせてもらうぞ」

 

 浅葱の身体、その胸元に埋め込まれていた深紅の宝石。

 それが、ニーナ=アデラードの意識を移した<錬核>で、それを地面に落として、“霊血”の欠片と混じり合う。

 

「お、おい!? ニーナ!?」

 

 浅葱の身体をいきなりはだけさせたことに、古城は右手で鼻をつまみ、左手で視界を塞いだが、その指の隙間から重力に逆らってゆるゆると盛り上がる何かが見えた。やがてそれは人間の形となり、髪は艶やかな黒色に肌は褐色に染め上り、そして、目元口元鼻先と細やかに再現される顔立ちは、見慣れた華やかな級友のもので―――

 

「ふむ、まあ。こんなものか」

 

 『藍羽浅葱』という少女の双子のよう。

 服装が彩海学園の制服であることまで同じ。ただし、格闘ゲームの同キャラ対戦のように髪と肌の色が違う。

 そして、どういうこだわりか胸のサイズが、当社比で二回りほど違う。

 

「なんで浅葱の格好で復活したんだ、ニーナ?」

 

「急に手足の長さが変わると感覚が狂うからな。それに私本来の豊満なボディを再現するには“霊血()”が足りぬ」

 

「いや、だったら、その胸はどうなってるんだよ?」

 

「そこはこの薄っぺらい娘の体形を妾用にアレンジしてやった。感覚もさほど影響はないし、このくらいの形を変えるくらいなら量も問題ない」

 

「オリジナルの浅葱が気絶したままで本当に良かったよ。今の失礼な物言いを聞かせてたら切れてたぞ……つか、スタイルのいい浅葱を薄っぺらいとか、あんた修道院の院長のくせにどんだけグラマーだったんだ」

 

 ほれほら、とわざと制服からはち切れんばかりの胸を揺らしてる大錬金術師様を、古城は呆れ顔で眺めていると、背後から舌足らずな声が飛んできた。

 

「ほう。おまえがニーナ=アデラードか」

 

「―――那月ちゃん!?」

 

 現場に不似合いな豪華なドレスを着こんだ南宮那月は、相変わらず神出鬼没に虚空より現れ、思わず失言する教え子に無言の一打を見舞う。畳んだ日傘の面打ちをもらい、仰向けに背中から倒れた古城を無視して、じろりと胸元を強調するニーナを不機嫌そうに睨みつけながら、

 

「古の大錬金術師サマが、なぜ藍羽の顔をして偽乳を盛っているのかは、どうせ暁古城の趣味なんだろうが」

 

「違ェよ。俺は何一つ要求してねェし。つか、そんなことを言ってる場合じゃなくて―――」

 

「おおよその事情は意識が回復した叶瀬賢生から聞いている。アルディギアの騎士団からも情報提供(タレコミ)があったしな。天塚汞の正体と、お前の素性についてもだ、ニーナ=アデラード」

 

「うむ、妾も貴様の噂は耳にしたことがある。欧州で名を馳せた凄腕の魔女らしいが、しかしなるほど、百閒は一見にしかずと言ったところだな。予想以上に、尻の青いヒヨッコじゃのう」

 

「ほう、教え子と同じ顔をしてるからと言って、私を挑発すると高くつくぞ時代遅れのアンティーク」

 

 ニーナと視線を交わす那月。

 両者、冠に『大』がつくほどの世界最高峰の錬金術師と魔女の間に、世界最強の吸血鬼でも仲介に割って入ろうとは思わない。できれば背を向けてダッシュで避難したい。

 でも、今はそんなに悠長にはしていられない。

 『賢者』は相当に危険な存在だ。それを復活させようとする天塚は早く見つけ出して止めなければマズい。

 ―――そして、古城には那月にあったら言わなければならないことがあるのだ。

 

「那月ちゃん、クロウの事なんだ」

 

 そこで初めて那月がニーナより視線を外し、古城と合わせた。

 少しの間を置いて、一際静かな声で那月は問うた。

 

「どういうことだ?」

 

「瀕死のクロウを見て、俺の魔力が暴走した……アイツを助けてやりたくて、でも、その魔力の暴走にクロウを巻き込んだ」

 

 <第四真祖>の眷獣は災厄に等しいといわれる。その暴走に巻き込んだとなればただ事では済まない。それも瀕死の時に受けたのならばなおさら。

 

「………」

 

 常に傲慢に、生と死を支配する女王の笑みを浮かべて、相手に己が畏怖を叩き込む。

 だが、それが無表情であるほうが、古城には恐ろしく映る。

 喜怒哀楽があるからこそ人間味のある那月が、その感情を消せば、それは人間ではなく人形に近く見えることだろう。

 剣幕を凄ませているわけでもなく、無機質な面貌で見据えている。だが、迂闊なことを言えば、殺されかねない恐怖があり、それが彼女の場合は比喩にも何にもならない。

 ―――それでも、古城は言う。たとえ何回か殺されようとも、告げねばならない。

 

 

 ………………………

 

 

 で、ここから。ここまでシリアスに盛り上げておいて、言葉に迷う古城。実際シリアスな状況のはずなのだが、言葉にするとコミカルにしか思えない。ためを作れば作るほど相手には深刻さを増していくだけしかない。古城は瞳をパンチングボールのように忙しなく揺らして、どうにか状況を簡潔かつ的確に説明できないかと考えた結果。

 

「……それで、驚かないで聞いてほしいんだが」

 

「いいから言え。馬鹿の行動にいちいち腹を立てても仕方がない」

 

「クロウが、赤ちゃんになった」

 

 言った。

 もうそうとしか言いようがないのである。

 

「……………………………………………………そうか」

 

 長い沈黙の後、教え子の言葉が冗談ではないと数十回は咀嚼して理解し終えると、那月は畳んだままの扇子の先端を、無造作に古城に向けた。

 その瞬間、古城の額を、またも凄まじい衝撃が遅い、鉄槌で殴りつけられたような激痛に再び膝を屈する。

 

「色々と言いたいことはあるが今はこれで勘弁してやる。で、その馬鹿犬はどこだ? まずは私に見せるべきだろう。馬鹿な教え子の説明を聞くより、そっちのほうが手っ取り早い」

 

「そ、そりゃ、那月ちゃんに電話がつながらねぇし。今朝まで預かってたんだが」

 

「海の上じゃな。おそらく、古城の妹の荷物に紛れ込んで、その宿泊研修とやらに行ってしまったんだろう」

 

 遠く海の方角を差しているニーナの探査術式。昨夜は一緒に寝たという状況から、この推理が最も正しいと思われる。

 

「なに……あの船に乗っているだと」

 

「―――おや、自分の使い魔(サーヴァント)が心配かい南宮那月」

 

 また新たな、そして意外な声が飛んできた。雪菜の師匠が操る使い魔――骨董品屋にいたあの猫だ。

 

「ニャンコ先生!?」

 

 古城が声の下方角へ視線を巡らせれば、煌坂紗矢華の顔をした露出度多めのメイド服を着た少女(修復し終えた式神なのだろう)の肩の上に黒猫は自分の顔を前脚でこすっていた。その乗ってる逆の方の肩には黒いギターケースが背負われている。

 

「いい機会だし、本格的に私に預けてみないかい。そろそろ次代を作って隠居がしたいんでね。今度は一から鍛えてあげるよ」

 

「結構だ。調教師は私一人で十分間に合っている。また主の居ぬ間に、変な躾をされてはたまらんからな」

 

 国家攻魔官と獅子王機関。

 古城はかつてその二つは商売敵だと那月から憎々しげに聞かされて、さらにはつい先日に後輩を那月のもとから引き抜きに来たのだとその張本人の師家様に堂々と言われた。

 

 バリッ。

 と、崩壊質な空電の弾ける幻聴までも聞こえてきた。

 まさに、鋏。二枚の刃が交わり、間に合った空間がジョキンと破壊される―――そんな二人に見えた。

 そんな式神(と思われる)少女さえも、腰が引けて割って入りたくないこの二者面談に、

 

「あの小さな英雄のことか。何なら妾がベビーシッターに立候補しても構わんぞ。若造に赤子の世話は無理だろう」

 

 空気を読まずに爆弾を放り投げる院長兼大錬金術師は、ふふん、とクラスメイトの二回り増しの胸部を見せつけるように腕を組む。

 

「確かに、幼児体系の南宮那月には無理だろうが、乳母の真似事くらい、うちの紗矢華でもできる。そこの坊やにも前に吸わせてやったことがあるからね」

「誤解を招くような発言をするなっ、駄猫!」

 

 そういって古城は黒猫を捕まえて黙らせてやろうと手を伸ばし、寸前でひょいっと躱され、同時に乗っかられていた肩を押された式神少女。そのせいで目測を誤った古城の手は、結果的に式神少女の胸を鷲掴みにしてしまい―――

 

「ひゃっ!?」

 

 と式神とは思えないリアルな悲鳴とこの胸の弾力に、古城はぽかんと動きを止めた。

 ……昨日、見た式神はどこか違和感があってか、すぐ偽物だと感づいたが、今日のはそれがない。まったくない。この少女の顔が見る間に赤く染まっていくのも、目じりを吊り上げた瞳に、生々しい殺意と殺気を渦巻かせているのも……というより、これってまさか本物じゃ―――

 

「い、いつまで触ってるのよ!? この痴漢! 変態! ド変態真祖!」

 

 斜め45度より抉り込まれる素晴らしいアッパーが古城の顎先を捉えて脳震盪。一体この短時間に何度頭を揺らされているのかと不死身の真祖も心配になってくるが。

 

「煌坂!? お前、本物か!?」

「本物で悪いかっ!」

 

 涙目になってポカポカと古城を殴り続ける紗矢華。間違いなく本物。

 『それが精巧な分だけ式神を作り直すには時間がかかるから、本土より代理を送ってくる』とニャンコ先生は雪菜に言っていたそうだが、まさか式神の実物を連れてくるとは。なんて、紗矢華とじゃれ合いながら古城が恨みがましい気分で黒猫を睨んでいると、

 

「誰が、幼児体系だと?」

 

 腹の底から震えが来そうな声に、恐る恐ると振り向いて古城は目を疑った。

 その一瞬、目を離した間に、白シャツにタイトスカートを着こなした大人の女性がいた。

 160cm台の半ばほどの身長に、おそらく26歳ほどの年齢。

 人形のように精緻な美貌と、その印象を台無しにする全てを見下したような傲岸不遜な瞳を、そのままに維持したまま、大人へと成長させた姿というべきか。特徴的であった長い黒髪を靡かせる彼女の手には、先に古城を叩き伏せる際に用いた豪奢なレースの扇子が握られていて、つまり、これは同一人物で―――

 

「そういや、俺たちが見ていた那月ちゃんは那月ちゃんの幻像だったから、その姿もある程度自由に変えられるってことでいいのか?」

 

「まあな。ここが<監獄結界>でない分だけ面倒だが、私の実年齢に合わせてみた」

 

「確かに、そんな感じに成長しそうではあるけどな」

 

 投げやりな感想を口にする古城。

 見た目が多少変わったところで、女の口調や性格はそのまま那月。そのせいで違和感もなくて、強いて言うならいくらなんでも胸を盛り過ぎではないのかという点なのだが、そんなことを命がけで指摘したくはない古城は黙っておく。沈黙は金だ。

 

「さて、もう一度聞いてやろう。誰が、赤子の面倒も見切れんような、幼児体系だと?」

 

 思い切り呆れたような態度で深々と息を吐く古城の横で、タイトスカート姿の大人版那月は、ふふん、と得意げに笑って、伝説の錬金術師と獅子王機関の師家を挑発的に見下す。

 

「それはいくら何でも見栄を張り過ぎではないか<空隙の魔女>。実際の(ヌシ)は、まだ蒙古斑もとれんようなヒヨッ子だと古城が言っておったぞ」

 

「なに?」

 

「うぉぉおおおいっ!? 何言ってんだよこの錬金術師は! それは270歳のあんたから見れば、大抵の相手はヒヨッ子だろっつっただけで別に那月ちゃんは本当にまだ蒙古斑が残ってる可能性を示唆したわけじゃねぇぞ」

 

 三度目の衝撃に古城が撃沈していると、

 

「どちらも結局は形だけを真似た張りぼてじゃないかい。その点、うちの紗矢華のは本物だ。何ならそこの第四真祖の坊やに乳を揉ませてりゃ出すもの出すようになるよ」

 

「わ、私に何をする気よ暁古城!」

「そろそろテメェらいい加減に話し戻さねぇかっ! とばっちりが全部こっちにくんだよ!」

 

 紗矢華の猛蹴を躱しながら、古城が涙目で吠える。

 大錬金術師に大魔女に師家が顔を合わせているのだ。そこは女三人寄れば姦しいではなく、賢人らしく三人揃えば文殊の知恵のほうを発揮してほしいと切に思う古城。

 サンドバックにされるのも嫌だが、何より今の状況はそんなに悠長できる余裕はないはずなのだ。

 ふん、と小さく鼻を鳴らして、那月は淡々と告げる。

 

「のんびり話している暇がないというのは同感だ。どうやら馬鹿犬の先走り癖は、天性のものらしいからな」

 

「それはどういう……?」

 

「天塚の居場所が分かった。フェリー設備が破壊されたせいで詳しい状況はわからんが、ほぼ確定だ」

 

 そして、そのフェリーは午後7時発の東京行き――彩海学園の宿泊研修生を乗せた定期便。

 

「嘘……だろ。だってあの船には凪沙や姫柊たちが……」

 

 愕然とする古城に、ニーナが不機嫌そうに口を挟む。

 

「だから、なのかもしれんな。『賢者』を創り出す際に使われたのは大量の貴金属。そして、供物となる霊能力者だ。復活直後の『賢者』が力を取り戻すのに、それと同じものを欲しても不思議ではあるまい?」

 

「そうか……あのフェリーには叶瀬が……」

 

 天塚は、夏音が絃神島でも最高クラスの霊能力者の資質があり、『賢者』が復活した今ならば最高の生贄になる。そして、それは同じく優れた霊媒である雪菜も同じ。

 

「まずい……姫柊は<雪霞狼>を持ってないんだ!」

 

 天塚には単純な物理衝撃は通用しない。おそらくは呪術の効きも悪い。雪菜が優れた剣巫であっても、今の彼女には天塚を斃せる手段はないはずだ。自分の身を護ることすら、危うい―――

 

「ほれ、第四真祖の坊や」

 

 師家様に促されて、紗矢華が背負っていたギターケースを古城の目に差し出した。ずっしりとしたケースの中身はやはり、獅子王機関の秘奥兵器―――

 

「<雪霞狼>か―――!」

 

「雪菜に渡してやっておくれ。頼んだよ」

 

 黒猫の金色の瞳が古城を見つめる。古城は無言でうなずき返す。

 

「那月ちゃん、フェリーまで跳べないか?」

 

「無理だな。私には遠すぎる」

 

 空間制御は、移動する距離ではなく移動にかかる時間に干渉して、零に短縮する魔術。肉体には同じ距離を徒歩で移動したのと同じだけの負担がかかり、那月が跳ぶのは数kmが限界。

 

「だったら飛行機かヘリを飛ばしてくれ。船の近くまで行けば跳べるんだろう?」

 

「それも無理だな。前にも言ったはずだ。政府の条例で『魔族特区』の特区警備隊には航空戦力を持つことは許されていない」

 

 あまりに冷淡な声に返されて、古城は逆に頭に血を昇らせる。

 

「なんでそんなに落ち着いていられんだよ。あの船には姫柊、凪沙、叶瀬やほかの知り合い、それにクロウだって乗ってるんだぞ!」

 

 心配ではないのか!

 と、噛みつくような勢いで詰め寄る古城を、那月が鬱陶しげに日傘で突きのける。

 

 

「赤子だろうと何だろうと、私のサーヴァントがそこにいる―――それ以上の説明が必要か?」

 

 

 呆気に、とられる。

 吠えたてようとした古城の口も、ぱくぱくと声も出せないほどの、那月より押された保障に、大錬金術師と師家は快活に大声をあげて笑い、

 教え子を見事に静かにさせたところで、続けて説明する。

 

「それと、何も民間の航空機までも禁止にされているわけではない。都合よく機体を提供してもいいと言ってくれる親切な連中がいてな。

 ただ、手配したはいいが、それはお前とついでにそこの偽乳以外には耐えられそうにない代物で、だから、私がお前らを探しに来たわけだ」

 

 最後のほうにどこか不穏なワードが混じってたりもしたが、何にせよフェリーまで最速で送り届けてくれるのなら古城は構わない。

 

 そして、大魔女が空間を歪めて(ゲート)を開いて、向かった先は、絃神島の中央空港。巨大浮遊体式構造物(ギガフロート)の上に建設された空港には、駐機中のヘリや旅客機が並んでおり、そして駐機スポットには古城が度肝を抜くほどの恐ろしく巨大な乗り物が停まっていた。

 紡錘形の気嚢(バルーン)で構造された150m以上の、大型旅客機の二倍近い巨体の飛空艇。無数の機関砲が搭載されており、分厚い装甲に覆われた船体は、まるで城塞のような威容を見せつけてくる。

 特殊合金の硬殻を備えた軍用飛空艇は、その装甲を氷河の煌めきにも似た白群青(ペールブルー)に染められており、そのイメージカラーはまさしく。そして、船体に刻まれているのは、大剣を握る戦乙女――これは北欧アルディギア王家の紋章、そう、飛空艇はアルディギアの―――

 

 

 

『我がアルディギア王国が誇る装甲飛行船<ベズヴィルド>です』

 

 飛空船に吊り下げられている巨大なモニタに映し出されるのは、美しい銀髪に軍隊の儀礼服に似たブレザーを着た少女。叶瀬夏音と似ているが、映像越しでも揺るがない存在感に、内より醸し出される圧倒的な威厳は控えめな聖女には持てぬもの。

 この笑い声でさえも優雅であり、無自覚な気品を滲ませた高貴な口調は間違いなく、彼女。

 美の女神(フレイヤ)の再来とも讃えられる、北欧アルディギア王国の姫御子(プリンセス)――ラ=フォリア=リハヴァイン王女。

 

 

『古城、あなたのお力をお貸ししてもらえませんか』

「力を借りるのは俺のほうだろラ=フォリア」

 

 

パエトーン

 

 

 侵入経路は、すぐにわかった。

 部屋の隅に置かれたボストンバック。そのチャックが空いていた。中には、衣服やタオルをクッション代わりに携帯端末の充電機や手帳、宿泊研修のしおりに東京の観光名所ガイドブック、歯磨きセットなどが入っていて。

 

 

 割と目立つところに、やや適当に丸められた下着一式が飛び出していた。

 

 

 ビシィッ!

 電光の速度で飛び出した物をバックに詰め込み、火花が摩擦で散ってしまう勢いでチャックを閉め、一瞬で茹った顔を俯かせる。

 

「え、ええと……凪沙ちゃん?」

 

「何も……何も、言わないで夏音(かの)ちゃん……!」

 

 何かしらフォローを入れようとしてだろう、逃亡していた赤子を捕まえた夏音が困り声を宙にさまよわせたが、その無事着を凪沙は拒んだ。時間がなくて朝、荷物の中身を調べなかった。それを調べる余裕がなかったのも凪沙の寝坊が原因で、その赤子のせいとはとても言えるものではないが、それでも納得できないものがあるのだ。

 

「あう?」

 

 きょんとする赤子に凪沙は思わず大声を上げそうになり、それでもいくらかの理性が働いてそれを呑み込み、しかし猛烈に恥じた。

 思えば、あの真夜中。

 赤子に、自分の本心を晒してしまったり、あんなどうしようもない愚痴を聞かせてしまったり……朝起きて冷静になって考えてみたら、何をやってるの私、と凪沙は時間のない朝でしばし落ち込んだ。

 押し寄せる羞恥に、不思議と後悔のないすっきりとした感情。ストレスとは相反するベクトルで凪沙の精神に影響を及ぼしてくれた。それでも、なんとなくその赤子と顔を合わせるのがどうしようもなく恥ずかしくて、そして朝ベッドにいないとき兄古城が回収してくれて助かったとも安堵したのだ(ほんの少しだけ寂しさのようなものが込み上げたが)。

 

 その赤子が、凪沙の荷物に紛れ込んで、同じフェリーに乗船しており、凪沙と遭遇。しかもよだれかけのように巻きついていたそれは、宿泊研修の話を聞いた母親が、余計な気を効かせて、中々自身の遺伝子が発現しないやや幼児体型な娘に用意した、寄せて上げる胸部装甲を豊かに見せる(バストアップ)下着。

 

「あ~~~う~~~も~~~っ!」

 

 誰も悪くない。これは事故。そして結局、その見栄っ張りな偽造下着を入れたのも自分。

 

「あーーーうーーーおーーー?」

 

 幸い、約一名を除いて、赤子を拾い上げた夏音と同じ班の女子たちにしか視られていないし、彼女たちの口は固いと信じているけど。その約一名の赤子にそれを見られたのが、この上なく致命的な気がする暁凪沙。

 というわけで、赤子に対して意識はけしてするまいと思いながらも、どうしようもなく意識してしまって悶える親友を、見ている雪菜は思う。

 

(これは、先輩に報告すべきでしょうか?)

 

 悩む。とても悩む雪菜。

 この状況を事細かに記載してメールを送れば、眷獣連れてすっ飛んできそうである。

 最悪、こんな赤子相手にも今あるすべての手札(けんじゅう)を切りド級の戦力で戦争(ケンカ)を吹っ掛けるかもしれない。監視役としてもそれはNGだ。

 とはいえ、先輩もきっとアダム(クロウ)を探しているだろう。赤子を途中で寄る伊豆諸島あたりで絃神島に送り返すか、それとも宿泊研修に連れてって自分たちで面倒を見るかも相談しなければならない。

 それに―――

 とりあえず、赤子を船で発見したことを伝えよう。

 

「~~~~~っ!

 アダム君そこに正座!」

 

 と、雪菜が結論を出したとき、どうにか折り合いをつけて復活した凪沙が、夏音の膝の上に置かれてるアダムを取り上げ、そして、目の前に座らせる。そしてその口は、凪沙のとうとう葛藤では堪えきれぬものが噴火したようによく動いた。

 ここでため込んでおいたら余計に変になりそうだし、この子の将来のためにもならない。

 

「あぅぅ~」

「アダム君。わざとじゃなくても女性の下着を取るような真似はしちゃダメ」

「う……?」

「ダメ」

 「あう……」

「絶対にダメ」

    「あうあ……」

「ちゃんと反省した」

        「くぅ、くぅん……」

 

 一言一言ごとに凄みを効かせられれば、その雰囲気に罪の意識のない純粋な赤子でも、ヘビに睨まれたカエルそのもの。

 それで、怒られてることにどことなくしょんぼりしたように俯いたのを見て、そこでようやく表情の強張りが解けて、彼女本来の陽気さが顔を出した。

 

「はい、ばったーん」

 

 軽い手押しだけでアダムの身体をこてんと倒す。文字通り、赤子の手を捻るようである。そのまま、倒れたアダムの腹を枕にするように頭で抑え込む。

 

「あうあうあ~!?」

 

 雰囲気にやられたからか、本当に楽しそうにやられる。しばらくとひっくり返った亀のように手足を動かしていたが、凪沙の頭も合わせて重心を移動させてアダムの脱出を許さない。じゃれついている内に興味が移ったのか、アダムは凪沙の髪をクンクンと嗅ぎ始めた。

 

「きゃ!? くすぐったいよもう! ダメ! 匂いを嗅ぐのも禁止!」

「あぅぅ~」

 

 

 

「………」

 

 笑い合う彼女たちを見ながら、雪菜はそっと一歩後ろへ下がる。

 こっそり船室に置いてある自分の旅行鞄を開けて、通信用の式神呪符と底にあった細長い布包みを取り出す。その中身は刃渡り25cmほどのナイフが2本。先日定期点検で預けた<雪霞狼>に及ばずとも、剣巫の基本装備であり、強い破魔の力を持った呪的武器(エンチャンテッド・ウェポン)だ。それを制服の背中に仕舞い、目立たぬように上からコートも羽織る。

 

「あれ? 雪菜ちゃん、外に行くの?」

 

 そこで気づいた凪沙が雪菜を不思議そうな表情で呼びとめる。

 彩海学園の宿泊研修生たちはこれから、教材映画を視聴してその感想レポートを提出することが義務付けられている。

 それをサボるのはかなりの勇気が必要で、しかもあの生真面目な雪菜が、しかし。

 

「うんちょっと先輩にアダム君のこと教えないと」

 

「あっ、そうだね。古城君きっと心配してるよ」

 

「じゃあ、凪沙ちゃんはアダム君のことお願い。先に行っててもいいから」

 

 早口にそう言い残して、雪菜は船室を出る。

 そして、このはっきりとした異変は覚えないのに、剣巫の勘が訴えてくる、この酷い胸騒ぎの発生源と思われる方角、船橋(ブリッジ)の方へ真っ直ぐに向かう―――

 

「―――雪菜さん」

 

 そして階段を駆け上ったあたりで呼び止められた。それが透き通った銀髪を持つ制服姿の女子生徒だと知り、雪菜は驚愕する。

 そして、すぐ納得した。

 

「もしかして、叶瀬さんも?」

 

 おそらく雪菜に続いて、船室を出たのだろう。にしても、どうしてここにと―――そのまっすぐ見つめる碧い瞳に燐光のような気配を灯してる夏音が優秀な霊媒素質を考えれば、彼女の目的を自ずと理解する。

 夏音もこの船全体に強い悪意が包み込んできたのを覚ったのだ。

 その証拠に雪菜の曖昧な質問も、正確に意味を理解したように夏音は弱々しく頷きを返してくれた。

 

「この船に何かよくないものが取り巻いているみたい、だから―――」

 

 自分がどうにかする、と言い切る前に、雪菜は微笑みかけて制止する

 

「大丈夫。ここから先は私が行くから笹崎先生に知らせてもらえる」

 

 模造天使事件で、雪菜が剣巫として戦う姿を夏音は目撃している。

 隠し持った女子の手にはあまりに無骨に映るナイフを見せて、驚き瞬きしながらも納得した夏音に狼を模した銀色の折り紙をその掌に握らせる。

 

「それから、これを持ってて。お守りだから」

 

「はい。……雪菜さんも、どうか無事をお祈りします……わたしにはこのことくらいしかできませんけど」

 

 雪菜と同等以上の資質がありながら、それを御して振るう術を持たない故、無力な夏音は案じることしかできない。でも、そんな気遣いも雪菜の胸の奥にほのかに温かいものを伝えてくれる。

 

「ううん。心強いです叶瀬さん―――いえ、夏音ちゃんも気を付けて」

 

 そして、互いに力強く頷き合って、雪菜と夏音は、それぞれ違う方向へと駆け出した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「雪菜ちゃんと夏音ちゃんも、どうしたのかな?」

 

 急に部屋を出ていったふたりを気にする凪沙。

 彼女たちがいなくなった後で集合場所の報せが入ったのだ。

 理由はよくわからないけど、船員たちもみなバタバタしていて揉めていて何かトラブルがあったらしい。

 火事かそれともかの有名な沈没する船の中で行われる恋浪漫な映画のように氷山に衝突したのか。

 とかく、シンディと委員長のふたりには先に席を取ってもらって、凪沙は船内ホールの入り口で、雪菜と夏音を待つことにしたのだ。

 

 船内トラブルに駆り出されているのか、本来なら乗務員が常駐しているはずの売店や案内カウンターまでも無人。残っていた生徒たちも行ってしまえば、ここにいるのは凪沙とその胸に抱かれたアダムだけ。

 

「まあ、でも気にしても仕方ないよね」

 

 と気楽に言って、ちょうどいい機会だからと船内にある土産物を覗く。

 『妖精獣(モーグリ)』――絃神島のご当地ゆるキャラとして『波朧院フェスタ』より密かに認知されつつある――キャラ付きのシャープペンシルやストラップにキーホルダーなど、『魔族特区』土産は地元民には目新しいものばかりで、外から見た絃神島、というようなイメージに物珍しさと旅行の解放感も手伝って、ついつい物欲が刺激される。

 

「あ、『KOJO』のキーホルダーだって。これ買っちゃおうかな」

 

 奇しくも兄の風変わりな名前の商品を見つけた凪沙は思わず手に取る。それからなんとなく、ちょうどクラスの皆の視線もないし、もう一つの名前を探しておく。

 

「ここに『KOJO』があったから、Kの段ってことでしょ? O、P、Q、R、S、T、Uだから、この辺りに多分あると思うんだけどなぁ……」

 

 その時、従業員用の通路の扉が開く。誰かが出てくる気配―――店員さんだと思い、振り返った凪沙は手を挙げて―――しかし、そこにいたのは、奇術師を連想させる赤白チェックの奇妙な風体の男で。

 

「へぇ、いいね。この船には、随分と強力な霊媒を持つ娘が揃っているじゃないか。このまえの剣巫に叶瀬夏音も含めて、『賢者』の生贄(エサ)には十分な狩場だ」

 

 途端、その右半身からぐずぐずに輪郭が崩れ、無数の触手を備えた怪物へと変貌した。

 

 ―――な、なに、この人!?

 

 今いるのは広い通路中央。逃げるのはそれほど難しくない位置にいる。しかし、凪沙は、人間より変貌した異形の姿に、顔を青褪めさせて、その場に力無く座り込んでしまった。

 

「魔族……なの?」

 

 『魔族特区』の住人でありながら、重度の魔族恐怖症である凪沙は取り乱して、逃げ出すことができず、身動きもとれない。

 そんな哀れな(えもの)の慄きぶりに失笑する男、天塚はあえていたぶるように、ゆっくりと近づく。

 

「失礼だな。僕は人間だよ。傷つくなぁ……」

 

「い……いや、来ないで!」

 

 声を震わせて、必死で後ずさろうとする凪沙。しかし硬直し切った少女の細い腕は、虚しく床をひっかくだけ。

 そんな恐慌状態の凪沙をさらに陥れるように、壁の隙間より染み出してきた新たな人影が現れた。

 もうひとりの天塚汞が、挟み撃ちにするように凪沙の前に立ちふさがる。

 

「い、嫌っ! 助けて―――」

 

 絶叫して凪沙は蹲る。少女の身体に抱かれた赤子は、その手に土産物屋で取っていた妖精獣のシャープペンシルを、その柔らかな掌に筆先を刺して、血を流す。

 

 

 瞬間。

 

 

 視界が反転する。

 世界が変容した。

 錬金術師の狂笑もみなすべて遠く、暁凪沙が見るのは、そこは古びた虚構の聖堂の中。

 一体の竜を挟んだ、主従の会話。

 

 ―――『対価として、お前たちの“無念”を晴らすこと』

 ―――『それが、オレに課せられた契約の代償なんだな』

 

 《そう、それこそが、『全知』――契約の対価として咎神の叡智を受け継いだ<血途の魔女>が、『四番目の真祖たる盟友(とも)に滅ぼされ、咎神(かみ)に創り出されることのなかった――未完のまま廃棄された遺物』。その“情報(無念)”を元に産み出された『混血』の使命》

 《この無念を果たせぬことは許されない。蒼天が堕ちようともそれを穿て、白き海が荒れ狂い呑まれようともそれを呑め、緑の大地が裂けて喰われようともそれを喰らえ。死してもなお、その存在すべてを捧げてもらう。この世界の裏側へ、人の心を抱いたまま、幻想の獣として私たちと共に使われるであろう》

 

 『馬鹿犬、わかっているな? それは業だ。背負えば運命が決まる』―――

 

 ―――『そして、運命に負けたら、サーヴァントになる。ん? 今と変わらないのか?』

 

 『違う。吸血鬼の眷獣と同じ、魔女の悪魔と同じ、異世界の住人になるということだ。それは死ぬよりも辛いぞ』―――

 

 ―――『“『聖殲』は、まだ終わっていない”と聞かされた』

 ―――『それは、“いつかきっとみんなを巻き込むことになる”ってオレわかるんだ』

 

 『何を予言されたかは知らないが、それはお前と契約を結ばさせるための戯言だ』―――

 『一度だけ、言ってやる。やめておけ』―――

 

 ―――『それは、命令かご主人』

 

 『……私はお前を縛らんよ。それが最初の契約だからな』―――

 

 ―――『ああ、ご主人は守ってくれているぞ』

 ―――『サーヴァントになるのはご主人だけで十分なのだ』

 

 ああ。

 でも。

 

 

 

 絶対にその涙を流すであろう運命から守ると約束した子がいる。

 

 

 

 そして。

 予言された未来に、たった一瞬だけ、あの少女が泣いている姿が映った気がしたのだ。

 まだ何もわからない。

 それが、果たしてどのような意味を持っているのか、この契約を結んだことがどのような結果を及ぼすのか。

 何より、最後の刹那に聞こえた言葉。

 “少女は『聖殲』より呪われた魂から解放されなければ”―――

 

 

 《―――契約は、ここに完了した》

 《牙も小さく、爪も尖らず、火を吹くこともできない》

 《されど、私たちが滅ぼすものと定めし現れた時、私たちは契約主に殺神兵器としての力を与えよう》

 

 

 その厳かな声を最後に。

 泡の如く、映像は霧散していった。

 

 

 そして、この現実に、あの少年に契約をした白き獣龍がいた。

 

「みみーっ!」

 

 硬い鱗のない、そのおぼろげな白雲よりも白すぎる柔毛に包むように獣龍は身を盾にして、主を抱く凪沙ごと護る。飛来した触手は獣龍の身体に当たるも、その悉くが体皮に傷をつけることなく弾かれた。

 

「なにっ!? 龍族(ドラゴン)だと……!?」

 

 龍族。それは最強の魔獣種であり、魔獣と魔族の境界線上にある高知能を備えた種族。そして、龍族には何かを守護する習性があり、それを奪おうとして数多の英雄が殺されてきた―――

 

「だが、生物であることに変わりはないんだ!」

 

 弾かれた触手を翻し、その躰に巻き付かせる。

 掴まえた腕から、物体変成の術を滑り込ませようとした瞬間―――

 

「―――……? ……っッ!?」

 

 触手の先端から途轍もない熱量が伝わり、衝撃と共に全身に痛みが突き抜ける。まるで、十分に炎で炙り赤熱した卸金で、指先を焼きながら削られていくよう。

 

「―――術、じゃない、僕の力が食い千切られるッ!?」

 

 この痛みは、この白き龍族が放つ圧倒的なその獣気に噛みつかれたように、天塚の“何か”を喰われることで生じ、5年前に半身を吹き飛ばされた時の絶望を思い出させる。それとは別種の苦しみのはずだが、彼の本能がその龍の脅威を記憶の中から引きずり出してきた。そうだ、これはあの時と同じくらい危険なのだと本能が叫んでくる。

 走馬灯を見せられるほどの恐怖に震えつつ、天塚は必死に腕を切り離してでもこの龍より逃れた―――

 

 

 

「……屑鉄を逃すとは詰めが甘いな、“後続機(コウハイ)”」

 

 暁凪沙の口から零された文句でありながら、少女のものとは違う超然とした非人間的な声音。

 その少女の身に憑依した“何か”は、その発散している静謐な冷気だけで場を凍らせる。

 これはもはや、単に一個の存在に収まるものではなく、その威で場を女王の領域へと染め上げられていく現象そのもの。

 凍える世界全体と相対するかのような存在の圧だ。

 この白き獣龍が出ていなければ、“彼女”が錬金術師を殲滅していただろう。

 ―――しかし、それと引き換えに、全力に耐え切れずこの船は沈没し、器の少女にも多大な負担を強いることになる。

 

「だが、この娘を護ろうとしたことは褒めてやろう」

 

 凪沙の細い指が、その前髪を払いあげて、赤子の額を露わにして、

 

「それに免じて、『十一番目』にやられた呪いを解くきっかけを作ってやる。少年の尻拭いでもあるしな。今度、起こすときは霊媒の血を欠かさずに取るように伝えておけ―――」

 

 眠る前に抱いた大事な人形のするよう、自分自身の唇をその額に落とした。

 

 ……ただ柔らかい、そして舌にあたっていないのに、その“匂い”だけで本当に甘く、額で感じるその感触は何故か特別なことだと思う。

 凍える世界の中で、その体温だけを強く感じる。

 零れると息が熱く、触れる鼻はくすぐったくて、けど、むずがることもできず、なすがままにされる赤子は、その冷気にあてられたように固まっており、そして、白い蒸気のようなものを全身より噴き上げさせる。

 

(そこ)は、少女に悪いからな」

 

 そっと離れた彼女は唇を吊り上げて笑い、赤子を下に降ろす。

 

「余計な<禁忌契約(しばり)>がないのなら、これで破れるはずだ」

 

 眷獣が暴走していたからか、それとも暴走しながらも少年が離さなかった幉が最低限の一線で踏みとどまらせていたのか、もしくは、この“後続機”の生存本能による抵抗からか、“完全には奪われてはいない”。下手をすれば、“存在が抹消されていた”力を受けながらも、生き残っていて、一時的に穴をあけられ制限されていた獣王の半身も一日経った今は塞がれている。

 ただ元に成長するまでの生命力が足りていないだけ。

 ―――ならば、萎んだ風船と同じで、こちらが共有させて活力を注ぎ込み、膨らませばいい。幸いにも、不幸にも、大事なものを代償に結ばれたパスと未だに繋がっている。

 

 

「あとは、“零番目の大罪”を理解し、その龍族が“何を守護するために造られたのか”を気づけば―――現代の殺神兵器として完了するだろう」

 

 

 “先輩(センパイ)”としての助言を残して、“彼女”は再び眠りについた。

 

 

 

つづく


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