ミックス・ブラッド   作:夜草

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錬金術師の帰還Ⅱ

???

 

 

『手古摺っているようだが、約束の時間まで間に合うのか天塚』

 

 定時報告。

 通信機の向こうより、相手を威圧する低目の声が響く。

 

「いやはや専務、ご心配をおかけしてどうも」

 

 電話機越しであるも、大仰に帽子をとって挨拶をして見せる。

 

『あまり儂を待たせるではない』

 

 悪びれない口調での謝罪は恐ろしく不遜な応答であるも、向こうも慣れたものか、専務と呼ばれた男は苛立たしげに鼻を鳴らすだけの留める。

 

「あはは、ごめんよ。でも特区警備隊の下っ端はともかく、<黒妖犬>が厄介だ。それに叶瀬賢生が施した結界も解かないといけない。準備は念入りにやっとかないとまずいでしょ」

 

『<偽錬核(ダミーコア)>の生産にどれだけ支援してやったと思っている。それでまだ足りないというのか天塚』

 

「ああ、大丈夫だよ。物はこっちで手に入れたから。いやあ、運がいい。この僕が開発した<偽錬核>をさらに武器として昇華できるなんてね」

 

 今ならわかる。

 あの魔導犯罪者はこの始祖と同じ剣を得物としながら、その性能を十全に発揮できていなかったことが。

 それを振るうことを可能とする、この<偽錬核>と英雄の剣鉄が融合した『完全なる(アゾット)剣』が完成すれば、英雄――つまり、“人間の極致”ともいえる力を完全に手中にしたことを意味するだろう。

 

「それで、この力が馴染むまでは、攪乱に徹してるんですよ。時間がかかりますがご容赦を」

 

『ふん、ならいい。しかし、本物の<賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)>を手に入れたはいいが、それを制御するための<錬核(ハードコア)>の在り処はわかっておるんだろうな?』

 

「それはもちろん。師匠が残した遺産は当てを付けてありますし、下見も済んでありますよ。隠し場所については現場についてからのお楽しみで」

 

 <賢者の霊血>は、眠っている状態は、ただの金属塊と同じ。

 それを起こすには、<錬核>が必要だ。

 そう、高度な自己増殖機能を有する融合型の液体金属生命体<賢者の霊血>を御するための魔術触媒、それが<錬核>。

 錬金術の奥義で生み出される永遠不滅の生命体――<賢者の霊血>に自らの魂を組み込むことができれば、不老不死の人間が生まれる。そして<錬核>の中に意識を転移することで霊血と融合しても融合者は意識を保っていられる。

 

 これが師匠ニーナ=アデラードが到達した錬金術の極致。

 

 その遺産を隠した叶瀬賢生はやはりいい判断をする。

 彼は、<錬核>を修道院に飾られたレリーフの絵の具に加工していた。不定形である制御ユニットであるも、まさか思いもよらぬ別の形にするなんて、下手に隠すよりもよっぽど目立たない。この<偽錬核>の共鳴反応がなければ、下見の段階で確証までは得られなかっただろう。

 

『くくく、その力があれば私をこんな僻地に飛ばした本社の連中に一泡吹かせてやれるというわけだな』

 

「それは愉しそうだね」

 

 見えないが永遠の“生”と真祖に匹敵しうる魔力を目前として浮かべてるであろう顔はたやすく予想がつく。

 底知れぬ復讐心と権勢欲に瞳を滾らせ、今にも涎を垂らしそうであるに違いない。

 国内ではそれなりに名の知れた機械メーカーの取締役だった彼は、社内で起こした不祥事で今の通称『専務』にまで転落した。その復讐に、<賢者の霊血>を欲している。

 

『……もう一度確認するが、その<錬核>は貴様の師匠の忘れ形見だろうに、儂が貰い受けても本当に構わんのだな』

 

 錬金術師が追い求める理想形のひとつにして、究極形ともいえる至宝。それを理由もなく他人に譲り渡せる人間などそういるはずがなく、この取引相手の性格はそんな気前のいいものではないと思われているのだろう。

 確かに、そうだ。

 自分はそこまで気前のいい性格はしていない。

 ―――ただ、この天塚汞が欲するのは<賢者の霊血>ではないというだけだ。

 それに、

 

「もちろんさ。約束は守らないとね。僕はこう見えてもあんたには感謝してるんだ。

 5年前の事故で死にかけていた僕を救ってくれた専務のおかげでこの<偽錬核(ダミーコア)>も造れたしね」

 

 今、この不健康に痩せさらばえた胸にある、心臓代わりの奇怪な石。

 真紅の宝石であるだろう<錬核>とは違い、この濁った黒色の石ころが、<偽錬核>。

 これが『天塚汞』の意思を保存し、かろうじて人間らしい形を保っている要因だ。

 その錬成に協力してくれたことを、自分は専務に本当に感謝をしている。

 だから、その願いを“望まない形でだが”叶えてやるつもりでいる。

 

『ふん。それが心変わりしないことを祈ろうか天塚。しかし、儂は忠義には報いるぞ。本社の全権を掌握した暁にはな』

 

「期待しているよ専務」

 

 ―――生贄として。

 

 通信を切って、ようやく失笑を漏らす。

 <賢者の霊血>を覚醒させるには、<錬核>が必要だが、それは同時に<錬核>に保存されていた師匠の意識を目覚めさせることを意味する。

 普通に使えばまず間違いなく、<錬核>に宿りし、大錬金術師にして、自分を破門にした師匠ニーナ=アデラードが不滅の肉体を得て完全復活する。

 その師匠を除かなければ、<賢者の霊血>は完全には手に入らない。

 

 <錬核>がなければ、<賢者の霊血>はただの鉄屑で、しかし<賢者の霊血>と一体化すれば不滅の存在。

 

 だから、奪うには<賢者の霊血>が目覚めた瞬間――ニーナ=アデラードの覚醒が不完全な状態の時を狙い、内側から破壊する。

 

 ―――そのための爆弾として、専務の体はすでに改造されてある。

 

 その肥満体に埋め込んだ<偽錬核>は、霊血制御を師匠の<錬核>から奪うためにと専務には説明したが、それはすべて暴走促進剤。

 師匠の意志ともども、専務の意思も暴走に抹消される。

 まあ、完全に人間を止めてしまうことになるだろうけど、それでも専務の望み通りに、霊血の一部となって不滅の存在になるだろう。

 

「―――おっと……もう来たか<黒妖犬>」

 

 ざわめく悪寒のような感覚。

 この右半身は、液体金属生命体――<賢者の霊血>を参考にして造られており、その一部を切り離した欠片に<偽錬核>を植え付けることで魂なき分裂体を生み出すことができる。

 それは、分裂体を一体作り出すごとに、肉体の一部をごっそりと削り取っているも同然である。ほかの金属と融合すれば失われた質量の補填はできるが、それを繰り返せば、純度が低下する。

 ―――しかし、今の自分は純度を上げるほど大変質のいい金属を手に入れている。

 

 

「わかってる。あの現代に造られた殺神兵器は危険だ。確実に始末する、だから、あんたも約束を忘れるなよ」

 

 

倉庫街

 

 

 一年前。

 

『………今の『魔族特区』の原型とも言われる、プラハの魔法王国には、オカルトに偏執した皇帝ルドルフ二世が、御用達の錬金術師を集めてつくりあげた錬金術師通りがある。

 この通り、錬金術師が王侯貴族、それに教会の連中と癒着するのはそう珍しくもない。

 錬金術は異教の魔術の影響を強く受けるし、禁呪まがいの危険な術も多い。それに、金もかかる。研究が邪魔されないよう、また支援してくれる後ろ盾(パトロン)が必要なのだ』

 

『うぅ~……』

 

 高等部の英語担当の教師である主の、中等部の世界史テストの補習代行。

 これは仕事の都合上で本来の担当教師の補習に参加できなかった使い魔の少年に、仕方なく主が勉学を見てやってるというのが現状である。

 

『つまり、錬金術師は偉い人とお友達になりたいのか?』

 

『馬鹿犬が今考えているのは違う。互いの利益があっての関係だ。貯蓄を食いつぶす金食い虫の錬金術師だが、その目的の過程でつくりだす副産物は世の権力者にはおいしいものだからな。このマイセンも、元々は金を作ると豪語した錬金術師が苦し紛れに産んだ磁器だ』

 

 手元のティーカップの縁を指でなぞる。

 

『半ば趣味でやってる変人皇帝もいるが、損害が上回ればすぐに切り捨てられる。

 この『魔族特区』も、魔族が実験に協力し益をもたらすから市民権が与えられるのと同じことだ』

 

『じゃあ、オレも仕事で役に立たなかったら、追い出されるのか?』

 

『そうやって、気にせんでもいいことを気にするから赤点をとるんだ。お前は馬鹿で、大食らいで、不器用で執事もできん、本当に馬鹿なサーヴァントだが、そんなのでも使い魔にしてやったんだから、主として衣食住くらいは最低限の面倒を見てやる。寛大な主に感謝しろ』

 

『う、感謝するぞ。つまり、ご主人は変人皇帝と同じなんだな!』

 

『様を付けんどころか、変人扱いとはやはりお前は馬鹿犬だ』

 

 ゴンッ! と脳天に下された不可視の鉄槌に、額から机に突っ込む少年。

 そして、抜刀するように一閃した扇子で掌を叩き、鋭い音を響かせる。

 

『うぅ~、今のでせっかく覚えたのも飛んでちゃったぞ!?』

 

『最初に言っておいたはずだが、仕事があろうと何だろうと、私のサーヴァントならば、学業を疎かにすることは許さん。この私に他教科の義務教育内容をやらせたんだ、また、赤点を取ってみろ。次はメシ抜きではなく、“ハウス”だ』

 

『!?』

 

 びくぅ! と効き目抜群なお仕置きへの使い魔の反応をみて、主は優雅に紅茶を一服する。

 

『だから励め。そして、学業とは、勉学のことだけではない。それも努々忘れるなよ馬鹿犬』

 

 

 

 早朝の倉庫街。

 人気のないその場所で、疾駆する影。

 

「オオォォォooooo―――!」

 

 絶叫を上げるは、金属質の(メタル)不定形生命体(スライム)

 錬金術師“だった”怪物は、枝分かれして伸びる触手を振るい、暴れる。

 暴風域の如く荒れ狂うこの戦場。そこへ果敢に特攻する、そこが自身に課せられた役目であると厚着の少年は躊躇なく敵懐深くに踏み込む。

 

「夢の中でご主人にはたっくさん苛められたからな。おかげで逃げ足には自信がついたぞ」

 

 軌跡が三度閃いて、流動する金属生命体に噛みつく飛来物。液体であるからにはすり抜けてしまえるけれども、取り込めない、という他とは違う非物質の牽制は、注意を惹きつける。また、微弱ながらも帯電してるそれを何度ももらえば、いずれはまた動きを封じられる拘束呪(のろい)を警戒せざるを得ない。

 そうして、少年本来の間合いである、その手の届く距離まで潜り込まれてしまえば、人間の性能を遥かに上回る反射神経と身体運用で攻撃を躱しながら、かつ巧みな緩急をつけた足捌きで残像を作り出す。それに翻弄され、大振りとなったところでお返し(カウンター)とばかりに拳打蹴撃を浴びせて電撃弾ける快音を響かせる。

 

「―――行くぞ! 我ら拠点防衛部隊(ガーディアン)も作戦を開始する!」

 

 今が好機。

 そう確信し、部隊長はその右手を高く挙げ、その薄く浮かべる笑みを唇に張り付ける。ここまですべて予定通りと順調に“狩り”が進んでると言わんばかりの。

 これでこの“偽物”を狩るのは三度目だが、理解力の足りないその頭でもようやく分を弁えたようで、作戦通りに“連携”がかみ合ってきている。

 それを部下のひとりは、見るからに戸惑った様子で部隊長の顔を見つめていた。

 

「隊長、本当によろしいのですか? 彼――単騎分隊『黒』に撤退の合図を送らなくて……」

 

「撤退? 何を言うか、<黒妖犬>は前線で囮を続けさせる。それに合図などと我々の位置が探られるような真似はするな。二度目のようにこちらが狙われる」

 

「しかし、あの位置では『黒』が巻き込まれます!」

 

「問題ない。作戦は伝えてあるのだ、勝手に避けるだろう。だから、いないものとして扱っても構わん。我々が優先すべきはあの錬金術師だ。いちいちその“外れ”の狩りに時間など掛けられるか。いいからやるぞ」

 

 部下が食い下がるが、部隊長はこの絶好の機会、何としてでも逃すつもりはない。早く命令に従えと内心怒鳴りつけたくなるのをどうにか抑え、念押しするよう強めに一瞥して、部下から標的へ視線をむける。

 

 前線では囮役の<黒妖犬>が暴れている。

 標的は、液体金属生命体。実体弾では斃せず、エサにされるので、警備隊には不利。だが、他の土地ならばいざ知らず、ここは『魔族特区』で、怪物殺しの手段に事欠かない。異空間に放逐するか、同じ怪物――眷獣並の魔力をぶつければいい。実際、一体目は、神獣と成った<黒妖犬>がその原子破壊するほどの圧倒的な破壊で標的を始末した。

 

 して、二体目は相手の金属の性質を理解した上で効果のある策を練り、<黒妖犬>を下がらせたが、攻撃を受ければ当然反撃する。液体と同じで縛ることのできない標的を、警備隊は抑えられる手段が講じてなかった。襲撃を受けて混乱する部隊から飛び出した、<黒妖犬>が一体目と同じように……

 

 ―――周囲に被害が出ると<神獣化>を禁じ、囮役で注意をひきつけさせるよう言いつけた。

 

 嵐のように襲い掛かる“偽物”の攻撃を<黒妖犬>は良く凌ぎ、時に反撃を繰り出しながら縦横無尽に駆け続けている。一撃でももらえば危険であると理解している以上、一瞬たりとも足を止めず、なおかつ、囮役として相手の注意(ヘイト)を集めてる。

 この間に、部隊は配置準備を終えている。

 

(またも手柄を奪われてやるものか……っ)

 

 ―――そして、部隊長の腕が振り下ろされる。

 

 その合図に、金属生命体に向けて、展開した部隊の放水車に似た走行車両より液体が撃ち出された。

 その肉体が純鋼の相手に対して、数十気圧の高圧放水が有効とは思えない。しかし、それはこの常夏の島で、白く煙るほどの凍気をまとっていた。

 液体の正体は、-196度の液体窒素。

 汞――水銀は、錬金術で最初につかわれたとされている物体。

 それが錬金術で組成を弄ってるとはいえ、所詮金属。物理現象の影響を無視できない。常温常圧ならば、水銀の凝固点は-38.83度であり、同じ液体金属の肉体を持つ不定形生命体も、低温には弱いと推測。

 ―――これが、当たる。

 漆黒に輝いていた液体金属の表面には、真っ白な霜に覆われて、その動きも鈍る。部隊長は、すかさず―――

 

「―――第二陣、放てぇぇえええっ!!!」

 

 放水が止まり―――そして、極低温の檻が、高熱爆炎に呑み込まれる。

 ロケットランチャーに焼夷弾が一斉に撃ち込まれて、火炎放射でさらに炙る。鈍くなった金属生命体に炸裂したのだ。その熱量は、水銀の沸点に優に達する。

 急激に温度を下げ冷え切っていたところに、拠点防衛部隊の一斉射撃の爆発に呑まれて急激に温度を跳ね上げる。

 物体は温度を上げれば熱膨張し、下げれば逆に熱収縮する。しかし、それが全体に均一でなければ、歪みが生じてしまう。

 また、水銀は、体温計にも使われるほど温度による伸び縮みの状態変化が起こりやすいものだ。

 して、金属の材質は大きく変質して、その歪みが大きくなれば、後は勝手に自壊する。

 

 バキン!!!!!! と、膨張と収縮に引っ張られた金属製の触腕に罅が入るような音が聞こえた。

 

 まるでガラス細工を床に落としたように、次々と亀裂を走らせていく。そして、崩れ落ちた欠片は熱に蒸発して消え去る。

 

「よし効いてるぞ! 分隊『青』、再度、放水を開始。その間、分隊『赤』は、焼夷弾を装填しろ!」

 

 部隊長の歓喜の叫びに、部下たちも戦意を露わに大声で応じる。

 それはようやく自分らの手で敵がとれるという鬱憤晴らしと、『黒』単騎の活躍を黙って見るだけでは終わらせないという奮起も混じっているのだろう。

 体は機械のように冷酷に動きながら、頭は戦意の熱気に浮かされるという異様な興奮状態ながら、迅速に作戦行動は行われる。

 

 そして、囮役の『黒』こと厚着の少年は、氾濫する液体金属生命体の猛撃を捌いて足止めするだけでなく、背後より味方から冷気熱気交互に間断なく撃ち込まれる放水爆撃に晒される。

 

 蒸発した水銀は有毒物質であることは誰でも知る一般常識だ。彼の始皇帝が水銀を不老長寿の妙薬と信じ摂取し続け寿命を縮めたのは有名な話である。

 この液体金属生命体は『核』より魔力が通っていて制御されているため、水銀の毒素が害をもたらすというのはない。

 だが、それでも『核』より分離されたものにまでその制御力が働くかと言われれば、それは否。

 そして、水銀が蒸発するということは水銀が気体となるということだ。もし迂闊に呼吸を行えば肺内側より蒸発した水銀毒に焼かれることになるだろう。

 

 そんな過酷な四面楚歌の戦場を、ほぼ息もせずに綱渡りのように死の淵で踊り続ける。

 もはや、捨て石も同然の扱いではあるが、南宮クロウは最後までその役を全うした。

 

 

 

『また、標的(ターゲット)は、“切れ端(ダミー)”だったかい』

 

「そのようだ、『覗き屋(ヘイムダル)

 

 作戦が終了し、敵機を欠片も残さず蒸発したのち、骨伝導型の端末より通信が入る。

 部隊長は、拠点警備部隊の皆が無事のまま作戦が成功したことに充足を覚えながら答えた。しかし、その道化師のようにおどけた声はさっそくそこに水を差してくる。

 

『なあ、隊長さん。そろそろ<黒妖犬>を、解放しちゃくれないか?』

 

「何故だ? 作戦は成功した。狩りは上手くいくと実証されたんだぞ。私が『追跡屋(イヌ)』を御している。このまま、本体を討伐するまでは付き合ってもらう」

 

『時間外労働だよ。学生を二日連続で学校を欠席させてあんまりにも長時間も拘束してるとこわ~い飼い主様がお怒りになるぞ。魔女との契約を破るのがどれほど恐ろしい事なのかあんたらもわかるだろ?』

 

 ひょうひょうとした声調ながら公社の監視役の声色には、冗談は感じられない。

 薬に頼らざるを得ない出来損ないの<過適応者(ハイパーアダプター)>で、センサーとして使われているが、この監視役は、理事会の血族であることを部隊長は知っている。だから、あまり逆らうつもりはないが……

 

「……でしたら、こちらも補充をしなければならんのでな。一限だけ出席を許可させよう。そのあとすぐ早退させれば契約を破ったことにはならない。それでよろしいな?」

 

『いや、だったら、そのまま<黒妖犬>を叶瀬夏音の警護につかせる。標的は、彼女を狙っているんだ。<黒妖犬>なら同じ学生として身辺にいても自然だし、問題はない』

 

「―――いいや、<黒妖犬>を警護になど必要はないでしょう。彩海学園中等部には<仙姑>笹崎教官がいるはずだ」

 

 それでも、目的を達成する前にみすみす手離すつもりはない。

 

『叶瀬夏音は、異国の王族に血を連ねるVIPだ。それに、実力のある攻魔師とはいえ、複数の分裂体(ダミー)をもつ相手に中等部全部をフォローするのは無理があるだろう。<黒妖犬>なら、標的が近づけばすぐに感知できる『鼻』をもっている』

 

「ならばこそ、いち早くに標的の本体を叩くべきだ。そうすれば、叶瀬夏音を害するものは無くなる。<黒妖犬>の能力は、我々現場の人間にこそ、必要なのだ。

 そもそも、<黒妖犬>を『魔族特区』より外へ出すのは審議中ではなかったのですかな」

 

 ちっ、と短く舌打ちする音を部隊長の耳は拾う。

 理解する。今のは公社の意向ではなく、この監視役の独断であると。

 

「任務に私情を挟まれるとは、困りますぞ『覗き屋』」

 

『クロ坊が、身体を張ってあんたらの身命を守ってるっつうことは忘れるなよ部隊長』

 

 

彩海学園

 

 

 いつもよりも早めに、そして、雪菜を連れずにひとり登校した暁古城は学園に着くなり自身の教室へとは寄らずにまっすぐ職員室棟校舎の最上階――南宮那月の執務室へと足を運ぶ。

 

「―――悪い那月ちゃん。聞きたいことがあるんだけど……あれ?」

 

 けれども、そこにいるだろうと予測された部屋の主はおらず、代わりにいたのはメイド服を着た少女。

 藍色の長い髪を、古色ゆかしいエプロンドレスの背中にさげ、左右対称に切りそろえている。その水色の瞳にあんまりにも白い肌と綺麗な風貌で、袖や襟元を控えめではないが主張し過ぎない程度に彩った繊細なフリルやレースと比べても、まるで遜色がない。

 『魔族特区』である絃神島は元々異人の多い土地柄だが、だとしてもこれほど整った―――なんというか、フランス人形のような相手は、彼女しかいない。

 その主も人形のような外見をしているが、あちらは騒々しい後輩を屈させるほどの凄まじいカリスマ性のようなものを放ち、ものすごく生き生きとしている。

 

「おはようございます、第四真祖」

 

「アスタルテか。那月ちゃんは?」

 

 定位置である年代物の革張りのチェアに、この彩海学園のカリスマ女教師であり、配属された国家攻魔官である、そして、後輩と主従契約を結ぶ魔女でもある南宮那月がいない。

 

教官(マスター)は不在です。警察局からの依頼で外出されました」

 

「警察局、ね……」

 

 警察局、その言葉にイヤなことを思いだした古城は眉間に皺を寄せる。

 それを見取ったのかは定かではないが、無表情のまま淡々とアスタルテは尋ねる。

 

「何か悩み事でしょうか第四真祖?」

 

 とりあえず来客である古城に紅茶を出す。

 この学園の事務員として雇われているが、メイドのイロハを仕込まれ、実質この女王のメイドであるアスタルテの給仕スキルは高く、その淹れた紅茶はティーカップより華やかな香気を醸し出して、味も驚くほど美味。それに慌ててここに駆け付けた心を落ち着けさせたところで声をかけてくれる、細やかに配慮の行き届くメイドの鑑である。

 

「悩みっつうか、ちょっと相談したいことがあったんだ」

 

「認識。私でよければご相談に乗りますが」

 

 お盆を胸に抱きながら、しずしずと無感情だけれど献身的な人工生命体の少女。

 向こうから話を振ってくれて、打ち明けやすくなったその気遣いに感謝しながら古城は一呼吸分のためを置いて口を開いた。

 

「ああ……そうか、じゃあとりあえず教えてもらいたいんだが……」

 

「回答します」

 

「へ?」

 

 思わず、間抜けな声を出してしまう。

 内容を一言も告げてないのに、この即断。ひょっとして、古城がこの執務室に来た時点で悩みはほぼ把握されて―――

 

「今週のあなたは恋愛運が好調。小うるさい監視役が不在の隙にクラスのちょっと派手派手しい女子を自宅に連れ込んで押し倒すと良いでしょう」

 

 ―――なかった。

 

「誰が恋愛相談にのってくれって言ったよ!?」

 

 真顔でまったく的外れな、いや一周回って的を射てそうなくらいの奇妙なアドバイスに古城は力いっぱい怒鳴りつけたが、アスタルテは無感情な瞳で見つめながら、

 

「思春期の男子への助言というのはこういうものではないですか?」

 

「いや……まあ、そういうやつもいるけど……ていうかなんだその犯罪教唆ギリギリの占い!?」

 

「教官によれば他人に相談をする人間のほとんどは、既に本人の中で答えが出ている。だから、本人のやりたいことをそっと後押ししてやるのが助言者の務め……だと」

 

 ガイドするよう指を一本立てて淡々と説明する。

 そこだけ切り取るとまともなことのように聞こえるし、その背後でドヤ顔してるカリスマ教師が見えるようだ。

 

「なんで俺が浅葱を押し倒したいって判断した!?」

 

「他の女子が良かったという意味でしょうか……?」

 

 きょとんと首を傾げられる。

 

「判断が間違ってるのはそこじゃねぇ!! 俺が訊きたいのはクロウのことで」

 

 ぜえはあ、と荒く息を切らせながら頭を抱える古城が、それでもと、このあくまで本人は大真面目なアスタルテの誤解を解かんとするも。

 

「―――つまり、先輩を押し倒したい、と」

 

 より悪化した。

 口元に手を当てられ、あの無感情なアスタルテの目が少しだけだが見開いた。そこに皮肉や冗談を言ってる雰囲気はない。本気で慄いている感じである。

 

「恋愛は自由なものだと教官より教えられていますが、それは生殖学的な観点からして推奨しかねる―――「違う! 絶対に違う! いいかげんに恋愛相談から離れろ!」

 

 ここ最近の疑惑は何なのだというのだろうか。この前も凪沙の病院の行き帰りにくれぐれも送り狼になるなと後輩を校舎裏に呼び出して言いつけた休み時間で教室に戻った際、それを遠くから見ていたというクラス委員の築島倫から意味深に理解力のある感じの目で見られたし。

 ひょっとして、これはあの戦闘狂な貴族が変な噂でも広げてるのではないかと勘繰りたくなる古城。

 ひとまず、お茶をもう一服してから、気を落ち着けさせてから古城は口を開いた。

 

「クロウが、警備隊と協力してることを知ってるな?」

 

 表情をほとんど変えないアスタルテであるも、その水色の瞳は古城の言葉にほんの少し曇らせる。

 

「肯定。警察局からの依頼で先輩は拠点防衛部隊(ガーディアン)にレンタルされています。なお、私の同行は先輩に断られています」

 

 ここ最近、その活躍を耳にすることがあるが、後輩はアスタルテとコンビで仕事をこなすことが多いのだという。彼らの主たる担任教師が、猪突猛進気味なサーヴァントと冷静沈着であるが自主性の薄いメイドを組ませたのは、それがアクセルとブレーキのような役割を互いに果たすことを狙ってのものだと思う。実際、それは上手く機能していた。

 それを断ったということはおそらく、アスタルテにも“あのような措置(電気ショック)”がされるところだったのではないか。あの後輩の体の頑健さは古城も知るところであるも、この人工生命体の少女であのような仕打ちはそう耐えられるものではないし、電気ショックでも後輩には効きが悪いと判断されれば、彼女を人質に使ってくるかもしれない。

 それはあくまで古城の推測であるも、あの半魔の後輩に対する態度、魔族に対する偏見を見る限り、準魔族の人工生命体にも容赦しないかと言われれば、古城は首を横に振る。

 

 なぜ担任は容認したのかと問い詰めたいところだが、そのことはもう古城の中で半ば答えは出ている。

 けれど、最終的にその依頼を受けるか判断したのは後輩自身だろう。

 それが受けざるを得ない状況だったとしても、やるからには納得してから行動するのが後輩の性格だと古城は知っている。

 だけど、これでは―――

 

「……なあ、クロウは宿泊研修に行けそうなのか」

 

「………」

 

 問いかけに回答するようプラグラムされている人工生命体の少女が、沈黙。

 その反応だけで十分だ。古城は思わず天を仰ぐ。

 ここに雪菜を連れていないのも、明日の休暇に余計な心配をかけずに学校行事を参加させてやりたいという考えからだ。先輩として後輩にも参加してほしいし、またクラスメイトの少年が“仕事”でいけないとなれば生真面目な彼女は気にするだろう。そして、楽しそうに後輩の分まで買い物をしていた妹を思えば、何とかならないのかと強く思う。

 だけど、ここで古城が喚こうが事態は好転しない。

 この事件が解決しないかぎり―――

 

「なあ、アスタルテ。人工生命体(ホムンクルス)って、錬金術で生み出されるんだよな」

 

「肯定」

 

 現代の人工生命体は、生物工学(バイオテクノロジー)や医学による影響を強く受けていても、その基盤は錬金術からなる。

 医学用人工生命体として造られたアスタルテは、大学研修医程度の医療知識の他に、錬金術についても、基礎知識として製造過程でインプットされた。

 ならば、錬金術師について何か知っているのではないだろうか。

 

「だったら、わかるか? 錬金術師の目的……とか」

 

 古い記憶を掘り出すように遠くを見つめて、アスタルテは質問に淡々と答えた。

 

「一括りに錬金術師と言っても様々な階級(レベル)の術者が存在しますが……

 究極的に錬金術の目的は、『人間の限界を超えて、“神”に近づくこと』です」

 

 黄金変成は、あくまでその目的の副産物。すべての不完全なものを完全な存在に変えることが、錬金術の原理である。

 彼らの理屈からすれば、樹木を鋼鉄に変えたのも、いずれは寿命が尽きて枯れる植物よりも、不滅に近い無機物の方が完全に近い存在であるというのだろう。

 

「神ぃ!? ……ってまたどうすりゃそんなことができるんだ?」

 

「神という言葉の定義が曖昧なため回答不能。

 ただし肉体を保ったまま永遠に近い命を獲得することなら過去にいくつかの成功例があります」

 

「成功例?」

 

 アスタルテは古城を見て、あっさりと言う。

 

「ひとつはあなたです。暁古城。

 人間として生まれながら吸血鬼の力を手に入れた四番目の真祖。ただしそれはいわゆる“神”とは対極に位置する存在ですが……」

 

「思いっきり失敗してんじゃねーか……」

 

 がっくりと肩を落とす古城。

 不老不死の吸血鬼は、錬金術の目標である不滅の存在の条件にあてはまるものであるも、あれは神の祝福の恩恵ではなく、それとは真逆のベクトルをいく“負”の生命力という呪いじみたもの。

 けして、神になどにはならない以上、不完全な失敗作以外の何物でもない。

 

「そして、もうひとつは<賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)>です」

 

 その聞き覚えのない単語に、古城は眉を顰めて、

 

「なんだそれは?」

 

「詳細不明。

 ……ですが、ニーナ=アデラードは自ら創造した<賢者の霊血>の力を借りて、不滅の肉体と無尽蔵の魔力を手に入れたと伝えられています」

 

 アデラート……!?

 古城はその人名に小さく息を呑む。

 

『その様子じゃ、5年前にアデラードの修道院で起きた事件のことも知らないみたいだな』

 

 昨日の錬金術師の言葉。

 やはり、アデラート修道院にいた頃の叶瀬夏音が巻き込まれた5年前の事件と関係があるのか。

 

「ニーナ=アデラードは、古の大錬金術師。伝説上の人物です。生きていれば270歳は超えているはずですが」

 

 以上が、アスタルテの知る錬金術師についての知識だ。

 手掛かりは見つかった。これを辿れば、見つかるかもしれない。

 と、

 

「クロウのヤツ、今回は、<賢者の霊血>っつう神を相手にして……」

 

 本当に大丈夫なのか、と小さく口の中で呟く。

 殲教師、神造兵器(ナラクヴェーラ)、模造天使、魔女とこれまで相手にしてきた頼もしい後輩であるも、今回の錬金術師は相性もあって流石に心配だ。

 昨日は紅白チェックの錬金術師を圧倒したようだが、まだ奥の手を相手は隠しているのかもしれないし。

 

「……その完全なる“神”の如き不滅を殺すものも存在します」

 

 古城のカップにおかわりを注ぎながら、アスタルテは言う。

 

「獅子王機関の秘奥兵器<雪霞狼>。(コア)には古代の宝槍が使用されているため世界に3本しか存在しないというこの武器は、<第四真祖>を殺し得る対抗措置として現在剣巫に使われております」

 

 姫柊雪菜は、その槍の担い手に選ばれたからこそ、獅子王機関から真祖の監視役に抜擢されたのだ、と古城は聞いている。

 あらゆる結界魔術を無効化にし、あるべき姿に戻すという破魔の槍を、古城は身を以てその威力を知っている。

 

「そして、殺神兵器―――先輩も、現代の殺神兵器として、覚醒しつつあります」

 

 第四真祖の後続機(コウハイ)が放つ神殺しの毒。それはほんの障り《触り》で、不完全ながら真祖である古城が膝を屈したほど。

 『人魚』を喰らった不老不死の魔導犯罪者をも、“壊した”、と聞くその毒ならば、不滅の“神”であっても天敵ではないか。

 

「教官も、無理な相手の依頼は受けさせないと思います」

 

「……だな。那月ちゃんは、隠れ過保護だからな」

 

 古城は、二杯目の紅茶をかけつけの一杯目よりもゆっくりと味わうように飲む。

 向かい合って座る人工生命体の少女も、やはり少しだけ―――ほんの少しだけ、同意してもらえて安堵したように、表情を緩めた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そのちょうど同時刻。

 

 

「―――失礼したのだ」

 

 中等部職員室より、厚着の少年が一礼して出てきた。

 部隊長の許可が下り、彩海学園に登校した――といっても、またすぐ現場に戻ることになるだろうが――南宮クロウは、クラス担任であり国家攻魔官である笹崎岬に挨拶に報告、それから早退の旨を話に行った。それで『学業を疎かにして先輩を心配させちゃダメだったり』とお小言をもらうも、労をねぎらうお言葉をもらった。そして、定時報告はしているとはいえ、主――南宮那月にも直接会いたかったところだが、残念ながらすれ違いで警察局へと行ってしまったらしい。

 

「クラスに行く前に、アスタルテのトコに顔見せに行くかー」

 

 今回の仕事、同行を断り、無表情ながらマンションの前で見送られたが、あれは不満半分心配半分な“匂い”であった。これまでの付き合いで後輩(アスタルテ)の感情が読めるようになったクロウは、元気な先輩の勇姿を見せて安心させてやろうと高等部の職員棟、その最上階にある主の執務室へと足を向ける。

 その、中等部と高等部を繋ぐ渡り廊下の途中で、声を掛けられた。

 

「クロウ君、おはようー!」

 

 見れば、風に揺れる黒髪のポニーテイルが視界に入って、急いで駆け付けてきて弾む息を整える凪沙の姿がある。

 そうだ。ちょうど、彼女にも言いたいことがあった。

 

「う。おはよう凪沙ちゃん」

 

「昨日はお仕事で学校休んでたけど、今日、こうして来てるってことは無事に終わったんでしょ? クロウ君、宿泊研修、行くんだよね?」

 

 クロウは頭を掻く。

 忘れてはないのだ。

 けれど、宿泊研修は明日。それまでに天塚汞の捕縛が片付く保証などあるわけもない。相手は自己増殖型の液体金属の生命体。現時点で、何体も撃退してるがそれらは本体から分裂した“偽物”。クロウは、本体が見つかるまで虱潰しに捜索しなければならないのだ。

 

「クロウ君大変だから代わりに準備もしといたよ。夏音(かの)ちゃんと雪菜ちゃん、それから古城君にも選ぶの手伝ってもらったから、それで―――」

 

「……むぅ、凪沙ちゃん」

 

「なあに?」

 

 その大きな瞳に自身の顔が映る。純粋に、信じてくれているのがわかる。

 普段なら率直に述べるところであるも、それを受けて、一瞬、口を噤んで躊躇う。それでも、なるべくウソをつきたくないクロウは口を開いた。

 

「ごめん。宿泊研修、行けそうにない」

 

「……えっ?」

 

「今の仕事、思ったよりも手古摺りそうなヤツなのだ」

 

 警備隊のサポートをしながらの、同居人(かのん)を狙う錬金術師の追跡。

 この事態を乗り切るのが、南宮クロウの最優先事項。それを放置して、呑気に宿泊研修にはいけない。

 

「ごめん」

 

 だから、謝るしかない。クロウにとって大事なものは今を生きるもので、人命と学校行事の選択で、どちらを選ぶかなんて、迷ってはならないことだ。

 凪沙は目を瞬き、戸惑うような口調で、

 

「……でも、一緒に、宿泊研修に行くって」

 

「むぅ、そうなんだけどな。急に入った仕事で、断れなくて……ごめん」

 

「謝らないでよ。クロウ君、約束したよね? なのにどうして?」

 

 確かめるように問いかけを重ねられて、クロウも息を呑んで、声が詰まる。

 その反応を見られて、凪沙の表情が曇っていく。どんどん曇る。それがわかっていても、どうすればいいのかクロウにはわからない。

 力をなくしたように俯くと、それっきり黙ってしまう。

 普段人の倍は喋り、怒るとさらに口数が倍増する凪沙は、何かをため込むように口を閉ざしている。

 互いの間に気まずい無言の間が落ちる。少しでも刺激すれば破裂してしまいそうな少女へ、それが“正しくとも”これ以上の言い訳など述べることなど許されない。ならば、何を口にすればいいかわからない。反故にしてしまったことに負い目もある。状況を打開する術はなくて、口を開こうと何度も試みるも、うまい説明が考え付かずにクロウは踏み出せない。

 そんなもどかしさを抱え込み思考もあやふやなまま、それでも率直に思えることを言葉にして、クロウはこの沈黙を破った。

 

「オレ、は……ただ、守りたい、から……」

 

 凪沙が、顔を上げる。

 その感情の波が涙の滴となって、その大きな瞳を満たしている。きっと睨んで、溢れ出しそうなものをその拍子にひとすじ、ふたすじとはらはら零しながら、頬を伝うそれをクロウは拭えずにただ見ることしかできず、

 

 

「約束破ってばっかりのクロウ君に守られたくないよ―――っ」

 

 

 万の言葉を並べた罵詈雑言ではない、短い一節の文句で、クロウは固まった。

 

「クロウ君なんて、もう知らない!」

 

 凪沙は手の甲で目元をゴシゴシとこすってから、飛び出した。

 錬金術で鋼鉄にされてしまったようにクロウは手を伸ばそうとしたところで動けない。遠ざかっていくその背を目で追うこともできない。

 

「…………………凪沙ちゃん」

 

 約束は、破っていいものではない。

 それが大義名分があったとしても、クロウは彼女との約束を破り過ぎていたのだ。球技大会のチケットもそうだし、フェスタでの制止も振り切ってしまった。これが、三度目。軽々しく扱ってると思われるのも仕方がない。気持ちを弄んでいるのも同罪。

 そして、犯してしまった過ちは、もう取り返しのつかない。

 

 

 

「―――クロウ君、今すぐ凪沙ちゃんを“追ってあげてください”」

 

 渡り廊下で立ち竦んでいたクロウに声をかけたのは、そこへ偶々通りかかっていた叶瀬夏音。その身辺警護として、アスタルテと朝早くに登校していた夏音は、凪沙と同じようにクロウの姿を見つけて声を掛けようとしたのだろう。遠くからでも拾えた会話の端々と凪沙の様子で大まかに事情を察した、心優しい『中等部の聖女』はそう促す。

 

 その言葉の通り、追いつけないと後悔する。

 心の中でサイレンが鳴っているけど、冷静な自分が『追いかけて、それでどうする?』と囁いた―――

 踏み出しかけた足を、引っ込めて呟く。

 

「それは、できないのだ」

 

 クロウは首を横に振る。

 もう、泣かせてしまったのだ。

 ここで、前言を撤回するのさえ、クロウには凪沙を軽く見ているとさえ思う。

 

「凪沙ちゃんに追いついても、オレは何も言えない。この仕事を、やめるわけにはいかないのだ」

 

 そして、結局は、約束を優先させることもできない。

 ならば、何を言えばいいというのか。クロウには何も言えない。

 だから、夏音の“頼み”でも頷けない。

 

「嫌な、予感がするんです」

 

 その不変な金色の瞳が、常に前を見続けていることを知っているが、

 夏音は震える心臓に手を置いて、その碧玉の瞳を固く瞑りながら、

 

「大切なお友達がたくさんいなくなったときと同じ気がしました。だから、もう二度と、あんなことは……クロウ君、どうか、お願いです。“今の仕事を止めてくださいませんか”」

 

 養父が入院したことも、錬金術師の事も口止めされていて、夏音は何も知らないはず。 

 どのみち夏音に受刑中の義父に合わせることはできないのだから、負傷したことを報せて心配させることもない。それよりも本人の安全を優先するべきだ、と主の那月より指示を受けている。

 

 それでも高い霊媒としての素養を持つ直感が告げるのか。

 口下手ながら必死に紡ぐ夏音の言葉。じわり、と胸が温かくなるのを感じた。

 心配してくれるから訴えてくれる。大切な友達だと思ってくれている。素直にうれしい。

 

「ごめん、できない」

 

 だが、約束を蹴って選んだものだ。

 過ちを犯したが、ならば、これ以上の間違いにはしない。泣かしてしまってまで取ったこの選択肢を無駄にするのはけしてしてはならない、そうクロウは思う。

 夏音にも辛い過去があったのだろうが、過去に、魔女に言われるがままに物事を受け入れ、“何も行動しなかったから”、大切な家族を失ったクロウに、ここで止まるという選択はできなかった。

 だから、せめて今のクロウにできることをする。

 

「仕事に、戻るのだ……」

 

「クロウ君っ!」

 

 朝のHRにも参加せず、クロウは彩海学園を去った。

 1分1秒でも早く、終わらせるために。

 

 

アデラート修道院跡地 付近

 

 

 島内のコンビニでその日に売れた肉まんの数まできっちり記録されている人工島管理公社のアーカイブにさえも、記録がない――ログが消されている5年前のアデラート修道院の事件。

 人工島管理公社の保安部が破格の高給で雇うほどの天才的な技術の持ち主である<電子の女帝>こと藍羽浅葱でさえも改竄されたデータしか見つけられず、ヤバい、と評する事件の裏側。

 古城はいてもたってもいられず直接現場を調べようと、午後の授業を自主欠席して学校を抜け出し、修道院跡地へと向かう(浅葱もついてきてしまったが)。

 

 そして、修道院跡地にボディアーマーと銃機で武装した男たち――あの部隊長はいないが、昨日見た拠点防衛部隊(ガーディアン)―――

 

「―――痛ェ!?」

 

 攻撃の気配を感じさせない、不可視の不意打ち。

 何者かが空間をすっ飛ばして、鈍器で横殴りされたような衝撃を受けて、古城の身体は吹き飛ばされて、隣の浅葱ともつれ合いながら地面に倒れる。

 

「こ、古城……!?」

 

「(騒ぐな! 静かに)」

 

 ダメージが頭蓋骨の芯に響くせいで、意識が朦朧とする古城。それでも身体を張って突然の襲撃から浅葱を守るように覆い被さり、騒ぐその口を塞ぐ。

 

「(や……やだ……こんなところで……)」

 

 浅葱も身をよじるが、それも抵抗にしては弱々しい。古城を見上げる表情もしおらしい、けれど、それを向けられる当人はあたりを警戒していてそれどころではなく、気づいていない。

 

「ったく、先輩がサボりの常習犯だから、馬鹿犬にもうつったのか」

 

 そして、背後より静かな声が聞こえてきた。

 

 

「授業を抜け出して、クラスメイトを押し倒すとは、いい度胸だな暁古城。少し見直したぞ。

 ―――悪い意味で」

 

 

 舌足らずでありながら妙にカリスマ性を感じさせる口調。そして、身に覚えのある威圧感。

 振り返れば、やはりそこにフリル塗れの日傘を掲げて豪華なドレス姿の担任教師の心底蔑む視線があった。

 

「なんだ……さっき古城が吹っ飛んだのは南宮先生のせいだったのね、よかった」

 

「よくねぇよ」

 

 先の襲撃は、彼女のもので、古城たちを、修道院を監視する警備員たちから発見されないようにしてくれたのだろう。

 もっともそれで警備員の面倒な取り調べが免れても、学校をサボっているところを担任教師に捕まってしまったのだが。

 

「お前たちが警備員に捕まると後々担任の私が面倒なんだよ。

 にしても藍羽、お前はもう少し相手を選べ。これだから見た目だけビッチの万年処女は……」

 

「うう……ほっといてください。ビッチじゃないし……」

 

 担任教師からひどい言われれようだが、完全には否定しきれないのか浅葱の反論も弱々しい。

 そんな落ち込む浅葱を放置して、古城は那月に訊く。

 

「それより那月ちゃん。何があったんだ? どうして特区警備隊が?」

 

「教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 ふん、と鬱陶しげに鼻を鳴らし、扇子を一閃する。

 これまでの条件反射から、古城は思わず目を瞑ってしまった。

 ぐしゃり、と潰れる音が聞こえる。

 それは古城の頭蓋がついに潰された音ではなく、目を空けた古城の前に蝶の折り紙のような紙片がはらりと落ちる。

 

「式神……? 姫柊のか?」

 

紙片の表面には複雑な呪文と魔方陣が描かれており、その見覚えのある几帳面な筆跡は雪菜――監視役の剣巫のものだ。

 どうやら、学校を抜けだしてからも古城はしっかりと式神から監視されていたらしい。

 それをわざわざ撃ち落としたということは、この先の話を雪菜に聞かせたくない、という意図があってのことだろう。

 

「教え子に下手に嗅ぎ回られても厄介だから教えてやろう。だが、ここからは他言無用の話だ。藍羽にも少し席を外してもらう」

 

 見れば、隣にいた浅葱がいない。異空間に飛ばしたのか。

 そして、那月は事件のあらましを語る。

 

 司法取引で減刑された叶瀬賢生が、管理公社の施設で保護観察処分を受けていたところ、一昨日襲撃を受けた。

 賢生は一命を取り留めたが重傷。そして、犯人は錬金術師の天塚汞で、賢生を襲撃したその翌日に、義娘の夏音を襲ったということからそこに何らかの関係性があると思われる。

 

「馬鹿犬から定時報告で聞いている。叶瀬夏音には護衛としてアスタルテをつかせている。だが、本人には知らせるな。予定通り宿泊研修に行ってもらう方が安全だ」

 

「! 絃神島の外に避難させて、その間に犯人を捕まえようってことか……!」

 

 なるほど。

 絃神島は本土から300km以上も離れた絶海の孤島。しかも空港や港では厳重なチェックが行われるため、夏音を島の外に避難させれば、天塚が追跡するのは不可能に近い。

 

 しかし、宿泊研修の間に天塚を捕まえられないのでは同じだ。だから、短期間で蹴りをつけるためにも優秀な追跡能力を持つ後輩はその捜査に欠かせないだろう。

 

「でも、それじゃあ、クロウのヤツが宿泊研修に参加できないだろ」

 

 古城は珍しく気合の入った表情で那月を睨む。それを愉快そうに口角を上げてそれを受ける那月。

 

「それに警備隊の連中にあんな扱いされてんの、やっぱりオレは納得がいかねェ……どうして、那月ちゃんは依頼を受けさせたんだ……っ」

 

「社会勉強の一環だ。心配はいらん。天塚を捕えれば、途中からでも行かせてやる」

 

「けど―――」

 

「警備隊で馬鹿犬がどんな評価を受けているか知らないようだがら教えてやるが、少なくとも、お前が心配しているような侮られ方はしていない。この前は、護岸警備隊から感謝状が届いたな。

 無論、警備隊も人間だから、警備隊の全員が全員そうだとは言わんが」

 

 パチッ、と扇子を閉じる。

 瞬間、虚空より浅葱が古城の隣に戻る。これで話は切り上げ時と那月は判断したのだろう。

 

「なあ、那月ちゃん。俺に何かできることはないか? 何をすればいい?」

 

 けれど、それでもしつこく食い下がる古城に、那月はくっと喉を鳴らして意地悪く笑った。それにこれまで強制退場されていた浅葱でも、あっ、バカ。余計なことを―――と思わずにはいられず、頭を抱えてしまう。

 

「そうか、協力してくれるのか。おまえたちには、是非補習授業を受けてもらいたいと思っていたところだ。サボった分を3倍にしてみっちりとな」

 

「そっちかよ―――!?」

 

 情けない表情を浮かべてがっくりと頽れる古城。そんな古城に脇腹を小突きながら浅葱は天を仰いで嘆息する。左耳につけた小さなピアスが、空の色を映して柔らかに輝いていた。

 

 

道中

 

 

 錬金術師を捜索する南宮クロウは、空より強襲を受けた。

 

「む」

 

 頭上の真昼間に燦々と照りつける陽光を反射する物体。

 その正体は、銀色の羽をもつフクロウ。

 それがクロウに目掛けて特攻を仕掛けて―――あっさりと、高々と打ち上げられたボールフライでもキャッチするかのようにクロウに脚を捕まえられる。

 

「これは、式神か?」

 

 刃の如く鋭利な翼に金属の身体をしているが、そこに染みつく“匂い”は今クロウが追っている天塚のものではない。

 捕まったフクロウはしばらくじたばたとその刃翼を振るってきたが、やがて一枚の薄い金属板へ姿を変えて、二度と動かなくなる。

 

「おい、お前。オレに何の用だ?」

 

 周囲をぐるりと見回しながら、小さく鼻を鳴らす。その警察犬めいた仕草のあと、クロウがまっすぐ見つめる先………しばらく睨みっこしていると、その景色が蜃気楼の如く揺らぐ。

 

 

「呪術迷彩をあっさり見破るなんて、自信を失くしちゃうわ」

 

 

 その“匂い”を辿り、術者の位置を割り出す。

 特区警備隊で魔族を追跡して、その索敵率が100%を叩きだしているクロウにこれくらいは造作もない。

 姿形や声音は変装変声して偽れても、存在から滲み出る“匂い”までは偽れず、最も誤魔化しがきかない。

 

「初めまして、<黒妖犬>。太史局の六刃、妃崎霧葉よ」

 

 姿を現したのは、若い女。おそらくクロウよりも上、けれどそんなに離れていない、浅葱先輩と同じ高等部の一学年くらいの年代だと推測。

 古風な長い髪に、身に着けている高校の制服も黒。なんだか、主と似た点があるが、向こうはすらっとした女子高生の体型である。そして、その目つきは刃のように鋭く、どことなく冷たい印象を受ける。

 

「太史局……」

 

 それは主より注意しろと忠告された組織。

 陰陽寮の流れを引くという太史局は、獅子王機関と同様の特務機関。人為的な魔導災害や魔導テロの阻止を目的とする獅子王機関に対して、太史局の任務は自然発生的な魔獣災害の阻止である。

 それ故、獅子王機関が対魔族戦闘のエキスパートであることに対して、太史局は対魔獣戦闘のエキスパートなのだと。

 今は武器を持っていない無手であっても、その身のこなし油断できる相手ではない。

 拳を構えるクロウに、くすりと上品に微笑んで六刃を名乗る少女は指摘する。

 

「あら? 三手もらうまで、“私に”攻撃してもいいのかしら?」

 

「む」

 

 その発言で意表をついたその空白に、たん、と軽く蹴る音を残して、黒髪の少女は姿を消す。

 一瞬で間合いを詰めた彼女は、クロウの懐に潜り込み、おっとりとした物腰とは予測もつかない、凄まじい威力の蹴りが―――

 

 

 ドッ!! と。

 躊躇なく、電撃を迸らせて、クロウの側頭部を薙ぎ払う。

 

 

獅子王機関絃神島出張拠点

 

 

 煉瓦造りの小さな建物。

 窓には年代物のステンドグラスがはめ込まれ、看板も色褪せて古い。時代に取り残された店構えにふさわしく、並べられているのも年代物のアンティークな輸入家具。

 ただし、これらの骨董品(アイテム)は全て曰く付きだったもの(除霊済み)。

 そんな骨董品店の店の奥で、

 

「ご無沙汰しております師家様」

 

 すっと膝を揃えて正座した雪菜が、頭を下げる。黒猫に。

 

「姫柊雪菜、参上つかまつりました」

 

 

 

 補習が終わった古城は、ギターケースを背負うご機嫌斜めな剣巫様に捕まり、浅葱と二人で学校を抜け出して修道院に向かったことや、もしも錬金術師と遭遇して一般人の浅葱を守れたのかとか、食事の時のこそこそ話する際に浅葱と顔の距離が近いなど色々と監視役からお説教された。

 最後のは脱線したと思うのだが、生真面目な後輩に一言一言区切って反省を促されたので、古城は深く反省。クロウも言っているが、怒った姫柊雪菜に叱られるのは怖いのだ。

 そうしたところで、ひとつ頼み事されては古城も頷く他あるまい。

 そんなわけで、ホテル街のエアポケットにあった獅子王機関絃神島出張拠点へ古城は雪菜につられてやってきたのだ。

 

 見た目は絃神島では珍しい煉瓦造りのビルであるも、これは偽装。

 政府組織の一部とはいえ、特務機関である獅子王機関は、対魔導テロの謀略工作を支援する連絡所兼補給場である拠点にも細心の注意を払っている。

 

「しばらくぶりだね。雪菜。元気そうで何より……」

 

 そして、そこに愛弟子――煌坂紗矢華を精巧に模した式神(罰ゲームでメイド服着用された)を侍らす黒猫一匹が居座っていた。

 これが、姫柊雪菜を剣巫として鍛えた師家様こと縁堂縁―――が本土から遠隔操作する猫の式神。

 超遠距離から猫と煌坂もどきを操作してるのだからその実力が凄まじいものだと知れるが、

 異国の王女や『戦王領域』の貴族と対面しても物怖じしなかった雪菜がここまで畏れて礼を尽くすほどの相手だ。きっと相当な大物で―――気まぐれな暴君なのだろう。男嫌いなのに男に傅かせるメイド衣装をわざわざ似せた式神に着させる、というその雪菜の姉弟子にあたる舞威姫への仕置き具合を見る限り、厄介な性格をしてるのは間違いない。

 

「それで槍は?」

 

「こちらに」

 

 雪菜が差し出した<雪霞狼>をざっと眺めてから、ぶっきらぼうに言った。

 

「ふむ……一応<雪霞狼>には受け入れてもらえたようだ、にゃん」

 

「はい……………え?」

 

「技は荒いが、刃筋(スジ)はまあ悪くない、にゃん」

 

「は、はい、師家様……えっと、それで、その……」

 

「んん? 何か言いたいことでもあるのか、にゃん」

 

 ありがたい説教を、神妙な顔つきで聞こうとしている雪菜であるも、語尾に戸惑いを覚えているようだ。

 とりあえず、状況を見守っていた古城だが、恐れ多い師の奇行が気になる後輩の代わりに突っ込んでやるとする。

 

「さっきからそのにゃんは何だ? 本当にあんたは猫なのか?」

 

「いやね。ある同級生から、色々と話を聞いたんだよ。構え(ポージング)だけでなく、語尾も可愛く鳴かないと雪菜が怒ってくる、ってね」

 

 やはり、この猫、弟子には相当暴君である。

 ニヤニヤと笑う黒猫もといニャンコ先生。あわあわとする羞恥心いっぱいに顔真っ赤にする剣巫。相当シュールな図だ。

 これと似たようなことが前にあった。そう、元ルームメイトにクラス事情を暴露したのは……

 

「や、やはり師家様、クロウ君に会ってたんですね!」

 

「ああ、一週間前にね。それからちょいちょいと暇を見つけては稽古をつけてやったんだけど、南宮那月と張り合いになっちまってねぇ。最終的に互いの領分を決めて、まあ、それでも詰め込み過ぎた感があるけど、話を聞かせてもらった礼に白兵戦術を一通り叩き込んでやったよ」

 

「ここのところクロウが死にかけてたのはあんたの仕業か!?」

 

「ふふ、ちょっとしたサプライズだよ。驚いたろ?」

 

 雪菜が畏れる魔王師家様に、古城が恐れるカリスマ国家攻魔官の引っ張り合いになっていた後輩の近況を理解して、二人は同情が禁じ得ない。

 しかし、たった一週間コースで、あそこまで技量を高めているとは、この縁堂縁の弟子育成能力はかなり高いのだろう。

 

「それで、そこの坊やが<第四真祖>かい」

 

 古城に視線を向けて、愉快そうにククッと笑い、金色の瞳を細める黒猫。

 

「……一応そういうことになってるみたいだ」

 

 誰が坊やだ、と文句を言いたげに顔をしかめつつも、応答する古城。雪菜の師匠であることは理解したが、それでも猫相手に敬語を使う気にはとてもなれないし、向こうもさほど気にはしてないようだ。

 

「呼びつけてすまなかったね。お前さんとは一度会って話をしてみたかったのさ……礼を言っておこうと思ってね」

 

「礼?」

 

「アヴローラを救ってくれた礼さ」

 

「……ッ」

 

 瞬間、古城は全身の血液が逆流するような錯覚を味わう。

 滅びゆく街並み。

 血のように紅い空。

 そして、それを背にして、虹色の髪を逆巻く炎のように靡かせる、焔光の瞳を持つ少女の影。

 脳裏に映るこの映像に古城は心当たりはなく、しかししかと記憶された過去の映像。

 この頭の奥に響く凄まじい激痛と激しい目眩が、忘れたものを思い出したことへの何よりの証左だ。

 

「あんた……あいつを知ってるのか……!?

 

 先輩……と心配そうな雪菜に体を支えられながら、激しく乱した呼吸を整えてから問う。

 

「ちょっとした因縁があるだけさ。それでもあの『眠り姫』は不憫な子だったからね。救ってくれたことには感謝しているのさ」

 

 焦らなくてもじきにすべてを思い出す、と言って、面白そうに二人の様子を観察しながら猫は続ける。

 

「それにしても……アヴローラだけじゃなく、堅物の雪菜まで手懐けちまうとはね、腑抜けた面構えの癖にやるじゃないか。ふふん……」

 

「て、手懐けられたりしてません!」

 

 古城と密着したのをからかわれた雪菜はまたも顔を真っ赤にして抗弁するが、師匠の駄猫は、嬉しそうにふんふんと意味深に頷くのみ。

 しかしながら、しっかりと<雪霞狼>を検分して仕事は済ませていたようで、

 

「ま、確かに槍は預かった。今この時刻をもって、お前を<第四真祖>の監視役から解く。たまには普通の小娘(ガキ)に戻って、英気を養ってくると良い」

 

 しかし、雪菜はそれに首肯を返さず。無言で師を見つめる。何度かもの言いたげに唇を震わせ、それが意を決して口を開くまでは、猫は足で顔を掻きながら待ち構える。どうやらこの生真面目な弟子からの初めての反抗を楽しみにしてるようだ。

 

「……お言葉ですが師家様。ほんの数日とはいえ先輩……いえ……<第四真祖>の動向から目を離すのはやはり心配です。監視のお役目……私に引き続きお任せいただけないでしょうか」

 

「3、4日ほっといたところで悪事を働くほどの度胸があるとは思えないけどねぇ」

 

「しかし、師家様。クロウ君……<黒妖犬>も、行事よりも任務を優先として動いています。だから、私も―――」

 

「それは獅子王機関じゃない他所様の事情だ。雪菜が気に掛けることじゃないよ」

 

 姫柊……

 やはり気にしていたのか。

 ここに来るまで、宿泊研修の間、雪菜も夏音の身辺警護をするといっていたが、同級生の少年が魔導犯罪にかり出されているのを見て、それでも監視役として事件にかかわれないことを、歯がゆく思っていたのだろう。

 そして古城が知るだけの事情を、どうやらニャンコ先生はご在知のようで、

 

「面白い逸材だよ。邪なものに敏感な紗矢華に初対面で警戒させない、というのは予想以上に驚いたけどね。睡眠中でも反射的に呪詛を送り込むよう鍛えてやった愛弟子が不意を打たれるんだから、あの坊やの無欲ぶりは筋金入りだ。

 まあ、それが反感を買うこともあるだろう。あそこまで無欲で純粋なものは、強欲な人間には認めがたいものだろうからね」

 

 とうとうと雪菜に対し、そして古城に向けても、諭すように、術者が魔族の長命種(エルフ)である猫の式神は語る。

 

「あの『壊し屋』の坊やが不憫なのも承知してる。

 けど、そこの第四真祖の坊やは実感がないようだから言っておくが、半魔とはいえ、魔族の扱いを受けるんなら、それも当然のことだよ。じゃないと、人間社会にはいられない。働かざる魔族に居場所はないね」

 

 真祖である古城だが、未登録魔族で魔族としての扱いはされたことがない。

 この老練な経験者が語るものも、古城は実感としては理解することはできないだろう。だから、こんなにも憤りを感じていて、そして、それを師家様にも、担任にも、そして、後輩自身にも諫められている。

 

「もしも警備隊連中が自分らの面子を気にして、『壊し屋』の坊やを手放すようなら、今後のためにも辞めたほうがいいけどね。そこの<第四真祖>と色々事件で活躍したおかげで、あの坊やは注目を浴びている。

 『戦王領域』の獣人兵部隊にアルディギアの『聖環騎士団』……

 それから、政府太史局の六刃神官――対魔獣戦闘の専門家(エキスパート)が動き出している。あの坊やの能力は臨機応変に対応できるから魔族を相手するよりも魔獣の方が向いてる」

 

「! 師家様、それはまさか―――」

 

 師家様の言葉は、ある現象を示唆していた。

 <黒妖犬>が注目を浴びているということ。そして、動き出しているということ。

 つまり、それぞれの機関や組織が、それぞれの思惑で<黒妖犬>へ接近するということ。

 それは、これからという話ではなく、すでに起きていること。

 そう―――

 

 

「私が雪菜に内緒でこっそり坊やにコンタクトを取ったのは、獅子王機関に引き抜き(スカウト)のため下調べでもあったのさ」

 

 

道中

 

 

「―――<炎雷(ほのいかずち)>!」

 

 

 弾丸のように凝縮された高密度の魔力弾を、クロウは生体障壁を纏う腕で受けて弾く。

 

「最初はちょっと驚いたけど、お前の動き、姫柊にそっくりだ」

 

「ええ、太史局の六刃と獅子王機関の剣巫の源流(ルーツ)は同じで、使ってる流派も『八雷神法(やくさのいかずちのほう)』。私は、あなたの知ってる剣巫の影のような存在。

 けど、どちらの方が上だったか気になるわ」

 

「う。お前の方が(わざ)も多いし、一撃も重い。総じて経験値が高いぞ。けど、姫柊の方が“霊視()”がいいのだ」

 

「つまり、素質は剣巫が上でも、実質的には、互角か私の方がやや上、と言うことですわね」

 

 批評に何やら嬉しげに笑っている少女だが、厚着の少年の方は気弾を受けた手をぷらぷらと振って、ぐーぱーと拳を作って調子を確認する。

 とにかく、これで、三打。同級生の少女に近しい“匂い”―――巫女。つまりは、契約が適用される相手であることは、指摘されてすぐにわかった。

 最初の一発こそもらってしまったけど、よく組手をする雪菜と戦法が似ていたおかげで、どうにか凌ぎ切った。

 仏の顔も三度までという言葉もあるが、これまでいきなり攻め立てられて、一方的にやられっぱなしだったクロウも少しは鬱憤も貯まる。

 しかし、それを晴らす前に、降参、でも言うように両手を上げられる。

 

「む。降参か?」

 

「獣化もせずに、呪符と白兵術を三打のハンデがあって凌がれたんだもの。流石に、得物がないんじゃ、反撃されて勝てる自信はないわ。けど、近接戦で六刃を圧倒できるなんて、思ったとおり有望ね。

 それで攻撃の方も実際に確かめてみたいし、もしもご不満なら、一発打ち込んでくれても構わなくてよ」

 

「いい。気が済んだのなら、オレもう行っていいか? 仕事中なのだ」

 

 拳打蹴撃を交わすたびに酔うように興奮していく性質、この薄らと漂わす戦闘狂の“匂い”にこれ以上付き合う気はない。クロウにあまり時間を無駄にできる余裕はないのだ。

 

「そうね。管轄が違うとはいえ、お仕事の邪魔はしたくないわ。用件は簡単よ。すぐに終わる」

 

 一拍置いて、立ち去ろうとするクロウの背中へ、彼女はこう言った。

 

「南宮クロウ……あなた、太史局直属の攻魔師になる気はないかしら?」

 

「ん?」

 

 眉を寄せたクロウ。

 足を止めて、疑問符を浮かべて振り返る。

 

「ええ」

 

 と、妃崎霧葉は頷いた。

 

 

「―――南宮クロウ。あなた、六刃神官になりたいとは思わない?」

 

 

 

つづく


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