ミックス・ブラッド   作:夜草

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天塚強化イベント発生


五章
錬金術師の帰還Ⅰ


???

 

 

 ―――光の届かない、森の中だった。

 

 朝なのに夜闇が滞留しているような虚空より、金色の甲冑が君臨した。

 城塞絶壁に値する構え。

 破軍を称するに相応しい斬撃拳打。

 対峙するのは、(マガ)つ獣。

 獣の爪牙より主をその身で守護し、何度となく返す太刀を浴びせる。上段は雷霆のように叩き落す拳鎚、下段は噴火のように振り払う剣撃。

 それは、これまで神獣と化した己の躰を傷つけるような存在に出会ったことのない獣でさえ初見で回避を選択させたほど。

 十に九度は躱すが、十に一度は喰らう獣の巨体が吹き飛ばされる。

 その闘いは、けして優美とは言えない。

 むしろ、獣以上の暴虐を秘めていた。

 時にその主が鎖を放ち、眷属で囲もうとするが、それは、騎士と獣の争いであり、その暴虐だけは潜まることも薄まることもなかった。

 圧倒された、のだろう。

 己よりも大きな巨躯に初めて遭遇して、真っ向からぶつかり合ってくるその横綱相撲に初めて屈服した。

 訓練で兄姉に負けることはあったが、もし神獣となった実戦であれば必ず勝てる―――そんな天狗になってた鼻っ柱を折られた、獣の上下意識に、上には上がいて、オレはこいつの下だ、と認めざるを得ないくらい、

 人生初めての屈辱で、忘れがたい敗北の味。

 あの力強さを。

 南宮クロウの記憶に、ずっと焼き付いていた―――

 

 

 

 中世の城館を連想させる、古色蒼然とした広間だった。不揃いな自然石を積み上げた壁が、ずっしりとした質量を感じさせて息苦しい。びっしりと棘を植え込んだ椅子や車輪、鋸や鋏、人体を押し潰すための巨大な万力に鉄仮面など―――赤錆が不吉な歴史を臭わせる拷問器具が吊るされている。敷き詰められた絨毯も色褪せた深緋色。そして、自分の立ち位置には、奇妙な文様が描かれていて、幾重もの同心円で構成された幾何学模様と魔術文字。やけに禍々しい気配を漂わせた魔方陣がある。

 

 ……悪い事をした子供が暗い倉庫に閉じ込められて反省されたように、片手で数えられるくらいであるも自分もこの監獄で猛省するよう“ハウス”された。そして、その猛省はちゃんと生かされて、能天気な頭でも二度過ちは繰り返さなかった。

 あまりいい思い出のない、けれど、万一、暴走させるようなことがあっても周りに迷惑をかけない。

 

「ぅ~~~………」

 

 そんな中で、南宮クロウは唸りながら念じる。

 立てた左人差し指中指を、右掌に握り右人差し指中指を立てる印。北欧よりやってきた忍者(聖環騎士団要撃騎士)直伝の集中の構え。

 そして、ある一定量、裡で魔力が練り上げられたと判断すると、印を解いて、左親指を齧り、血を出さす。そのまま掌を地面につけて、

 

「―――忍法口寄せの術!」

 

 遊んでいるように見えるかもしれないが、本人は真剣。

 使い魔の召喚方法は、術者によって千差万別であり、自分に合ったやり方を見つけるのが上達の近道である。一応、血を出してるのも、吸血鬼の眷獣を喚び出すプロセスと似通っている。とはいえ、こんなのは他にいないだろうし、独特な感性をしてることは違いない。

 少し離れた王座には、那月が肘掛けに肘をついて曲げた手首の甲に顎を乗せていた。

 どこであろうとも、いつも通りの豪華な黒のドレス。その長髪の毛先をくるくると愉しげに指先で丸め弄っている。

 

「どうだ見たか―――て、見てないなご主人っ!?」

 

「主に向かって失礼な物言いだな、馬鹿犬。場を貸し出してやるだけでなく、お前の拙い児戯を監督してやってるというのに」

 

「なら、ちゃんと監督し()てほしいのだ。上達したのか教えてくれないと、オレ、わからないぞ」

 

「ふん。私ぐらいになれば、魔力の波長だけで術者の熟練度が測れる」

 

 言いつつも、指を抜いて解き、髪を巻くのを止める那月。細められた目は、飼い犬をどう遊んでやろうかと思案する悪戯っ子にも似ていた。

 

「その喚び方からして、いろいろ文句があるが、最低限は形にはなっている」

 

「そうか!」

 

「もっとも、点数にすれば下駄を履かせても赤点だがな。―――補助する魔方陣まで敷いてやってるというのに、召喚するまでに時間がかかり過ぎだ。これでは、いざというときには呼び出せんぞ」

 

「………あう」

 

「私は今のお前よりも若いときに教わったが、そんな基礎は二、三回もやれば普通にできたな。もちろん、補助輪(魔方陣)に頼らずな。結局、この一週間でわかったことは、至極単純な強化や適性のあった死霊術はできるようだが、馬鹿犬の召喚術は残念だということだ」

 

「うぐ……」

 

 主のほんのわずかに上げてからどん底に落とす論評に、がっくりとクロウの肩が落ちた。

 

(まあ……)

 

 その様子へ片目を瞑り、那月は密かに口元を扇子で隠す。

 もう一つ、付け加えられる言葉があるにはあった。

 ―――思ったよりも、ずっと早く形になった。

 召喚術の才能は、ない。契約されて、魔力があって、資質があるのに術ができないというのは当人の才能がないのだ。

 だが、馬鹿なくせに、意欲はある。

 初めに那月が、この修練は無理だな止めにした方が良い、と散々酷評してやってから、やけに粘ってきた。その翌日に本質的に似た眷獣の召喚をする暁古城やアスタルテに話を訊きにいったりして、那月にも喰いついてきて、その助言が徐々にだが生かされてきたりする(それでも修得速度は遅いが)。

 『旧き世代』の眷獣をも圧倒する神獣に、召喚術などメモリの無駄遣いだろうに……

 

「……でも、頑張るぞ。何てったって、“ご主人が初めて教えてくれる魔術(モノ)”だからな」

 

「……………」

 

 意欲があるのは、“楽しい”、ということもあるのだろう。

 主従であっても、那月はクロウに魔術を教えたことはない。精々、仕事を手伝わせるため特区警備隊(アイランド・ガード)の教官として対魔族の戦闘法に関する知識を軽くレクチャーしてやった程度で、あとは仙術と武術の達人である後輩に丸投げした。

 魔術が使える資質があろうとも、基本的に獣人種と同じ肉弾戦を好む傾向にあったクロウに那月のやり方は合わないということもあるのだろうが、一学生として学生生活を過ごしていく上で不要な技術であると判断されたためだ。

 だから、こうして、寝ている合間の夢の中でだが、主に稽古をつけてもらっているのはクロウには初めてで、あんまりいい思い出のない躾部屋の中でも気にならないくらい、この主従契約を利用した睡眠学習に一生懸命なのである。

 

「絶対に召喚術をマスターしてやる―――ぞっ!?」

 

 ゴンッ! と改めて気合を入れようと握り拳を作りポーズを決めていたクロウの頭に盥でも落ちたかのような衝撃。

 

「ご主人!? これが夢でも、痛いモノは痛いんだぞ!?」

 

 使い魔の抗議を無視して、口元を扇子で隠したまま、那月は半目で、

 

「そんなのは当然だ。そもそも召喚術を覚えさせることになったのは、馬鹿犬が、“落《堕》ちたモノ”を“拾い食い”するからだ」

 

「う……」

 

 『波朧院フェスタ』で、クロウは悪魔と契約をした。

 だが、それは“創造主”と一緒に悪魔も滅ぼしていれば、消滅して残るは半身で問題はなかったはずだった。だが、クロウは自身の魔臓霊的中枢を取り返すだけでなく、“創造主”から悪魔を受け継いでしまい、八つの欠片が揃ってしまったことで完成させてしまった。

 『第八の大罪兵器』と称した魔獣を。

 『波朧院フェスタ』で暴れ回った怪異。欠片二つで特区警備隊を壊滅させ、『旧き世代』の眷獣と互角以上に渡り合え、退治するのに魔力無効化能力を備えた眷獣を操る人工生命体に、『聖環騎士団』の要撃騎士に<四仙拳>の達人の面子を要した。そして、その半身を取り込んだ“創造主”は、島ひとつを地図から消し去ってしまうほどの力があったのだ。

 すべての欠片の集って、ひとつになった大罪の完成体は、どれほど危険なものかと危ぶんでしまうのは当然。それこそ<第四真祖>の災厄の化身の如き眷獣に匹敵する脅威かもしれぬ。

 しかし、それをまた八つに別けて死蔵し、封印することをクロウは嫌がったのだ。契約魔術は当人がそれを受け入れるかの“意志”が重要である。仙都木優麻が、親に奪われた眷属の騎士を取り返したときのように。断固として宿主に抵抗されては、大魔女である那月でも解約するさせることができない。そして、主として、このサーヴァントが頑固者だというのは重々承知している。

 

 仕方なく、<守護者>を制御するための召喚と退去――召喚術を、この絃神島で唯一の魔女である那月は教授することを決めたのだ。

 

「まあ、それが全くの杞憂だったんだがな」

 

 と那月が嘆息して、使い魔(クロウ)からその使い魔の使い魔に目を向ける。

 そこには、この<監獄結界>でさえ収まりきれない『第八の大罪』に冠するに相応しい強大な<守護者>―――

 

「みー、みー」

 

 は、いない。

 

「おー、なんだフラミー、遊んでほしいのかー?」

 

 クロウにじゃれ付いてるのは、毛の生えた翼竜(ファードラゴン)

 全体的に白い体毛で覆われ、蝙蝠というよりは鳥類に近いその二対の翼の先端には縁取るように蒼の美しいグラデーションがある。

 頭髪は陽光のような綺麗な金色で、ぱっちりとしたまん丸の瞳は蒼穹と同じ澄んだ青色。

 これが、今喚び出した、そう、南宮クロウが契約した、『第八の大罪』と称された<守護者>ならぬ<守護獣>。

 

「みみー」

 

「よし。今日は玉乗りを仕込んでやるぞ」

 

 偉ぶっても似合わない主に似てか、厳かな威圧だとか神々しい気配がない、というよりは似合わない全身に鱗ではなく毛の生えた翼竜は、哺乳類のような柔らかでかわいらしい。体長は2mほどで、人と比べれば大きいが、吸血鬼の眷獣と比べれば小さい部類であろう。爪も丸い。牙はなくて、犬歯がちょっこり出てる感じだ。

 言っておくが、これは<監獄結界>――南宮那月の夢の影響ではない。

 そんな大罪の魔獣?にのしかかれるが硬い鱗のないもふもふに埋まっている那月の眷獣は、すでにちょっと大きめなペット感覚だろう。使い魔の主というより、親に近い。

 

「……おい、なんだその“フラミー”とは」

 

「毛皮《“フ”ァー》な翼竜《ド“ラ”ゴン》で、猫みたいに“ミー”ミー鳴くから、フラミーだ。昨日、叶瀬に考えてもらったんだぞ。動物に名前を付けるのが、上手だからな。フラミーも気に入ってくれたぞ」

「みー♪」

 

「安直なネーミングセンスだ」

 

「なあ、ご主人。フラミー、マンションで飼っちゃダメか?」

「み~?」

 

「構わんぞ。ただし、その場合はそいつの分まで馬鹿犬の食事量(エサ)を減らすことになるがな」

 

「ごめん、フラミー。ご飯は大事なんだ」

「みみー!」

 

 『ご飯>使い魔』にお怒りになった翼竜に頭をハムハム齧られる那月の眷獣(クロウ)。襲われているようだが、それも甘噛みみたいなものか、もしくはそこまで翼竜に力がないのか。

 主人(クロウ)から使い魔(フラミー)への魔力は十分に通っている。それでも、“こんな”だ。

 同じ<守護者>でも、<(ル・オンブル)>と<(ル・ブルー)>が異なるように、術者によって違いが出てくる例もある。

 本来、この翼竜が、恐ろしい怪獣であったのだろうが、それがこの馬鹿犬が主人となったことで、突然変異じみた変化が起こったか。それとも召喚術があまりに未熟で性能を出し切れていないのか。

 なんにしてもだ。

 

「もし、あの戦闘狂の<蛇遣い>とやり合うことになったと想定して、どうする馬鹿犬」

 

「それは避けられないなら、近づいて物理で殴るしかないな」

 

「<守護獣(そいつ)>は?」

 

「フラミーは、なんか戦うのイヤそうだし、どうもしないぞ」

 

「役に立たんな。馬鹿犬の残念な召喚術とお似合いの召喚獣だ」

 

「羽があるから空とか飛べそうだぞ!」

 

「<守護者>や蝙蝠の眷獣は、宙を駆けたり、翼がなくても飛べるものだ。だいたい、馬鹿犬も空を蹴って跳べるようになったとこの前言ってただろう。大抵、召喚術を行使する術者は、『自力でできないことを補わせる』のに使い魔を呼び出すものだ」

 

「う~」

「み~」

 

 兵器としての危険性がないのはわかった。しかしそれが使い魔としての有用性がないと同義()だ。

 術者よりも弱く、戦闘には後ろに下がらせるような使い魔に利用価値はあるだろうか? このままでは、愛玩動物か乗り物くらいにしかならない。

 

「最初に教えてやったが」

 

 と、那月は前置きした。

 

「<守護者>は、結んだ契約の重さに比して、力があるものだ。何の覚悟もないタダも同然の安い契約をするくらいなら、しない方がマシだ」

 

「………」

 

 『眠り続ける』と過酷な契約を課している魔女の言葉に、クロウは答えられない。

 軽い気持ちで臨んだわけではない。だが、こうして、“役立たずな”自らの使い魔を見る限り、それを否定する言が吐き出せるわけもなく、

 ごくり、と唾を呑むが、

 気管に石が詰まったようだった。石が転がり落ちて、肺までも破ってしまうようなイメージで……

 

「ふむ」

 

 ひとつ息を吐いて、那月は開いた扇子を閉じた。

 

「まあ……単にその使いようがわかっていないだけだろう」

 

「え?」

 

「にしても、龍族(ドラゴン)(タイプ)とは……阿夜の魔導書を完全に複製する『写本』の技術とは異なるが、お前の“創造主(オヤ)”は、0から1を産み出す作り手として技量的には優れている魔女であることは違いない。であるなら、その仔龍に“力がある”のは確かだ」

 

 魔女が創り出した人造の魔獣たる白龍。龍族を造り出すのは、今の人類の技術では無理だ。かつての超古代人種『天部』の技術力ならばできただろうが、ならば、<血途の魔女>はそれに匹敵する技術を有していた。

 

「とにかく、バカと鋏は使いようだ。あとは、“馬鹿犬なりの”使い方を見つければいい。要するに―――」

 

 ここで言葉を切って、不敵に那月は口端を歪めた。

 

「最低限のことは教えてやった。あと一週間は(この場)を貸してやるから、ここからは自分で考えろ」

 

 そうして、南宮クロウの主との一週間の夢の中の特別講習は終わった。

 

 

教会

 

 

(……使い魔の使いよう、かあ)

 

 今朝の夢の回想を断ち切り、クロウは瞑目した瞳を開く。

 これまでの授業の成果で、時間はかかるも自力で召喚術が使えるようになったし、だから、その次の段階である召喚した<守護獣>の使い方を模索するべきである。

 けれど、情けない話だが、森にいたころは魔女の道具として、森を出てからは魔女の眷獣として生きてきた南宮クロウに誰かを使うというやり方がそう思いつかない。

 

(でも、こればっかりはオレが思いつかないと……ご主人に教えてもらうわけにはいかないのだ)

 

 うんうん唸りながら、思考している内、

 

「―――ん、ああ、ちゃんとお前らのご飯を用意してやるぞ」

 

 学校の裏の丘にひっそりと建っている小さな修道院。

 築数十年ほどになるだろう、その罅割れた礼拝堂の壁には幾重にも蔦が絡まり、十字架も随分と傾いでいる。雑草が伸び放題の庭も、学生らから幽霊屋敷と噂されても仕方のない有様であろう。実際、5年前に事件があったそうだ。

 そんな人の寄りつかないところに、学校が始まる前の朝早くにクロウがやってきているのは、ここに集う猫たちのエサやりである。

 

「今日は叶瀬が日直で来られないからなー、代わりに来てやったのだ」

 

 かつて、この修道院の跡地では、叶瀬夏音が、拾ってきた子猫たちの世話をしていたことがあった。その時の仔猫たちは古城ら先輩方の助けで、クロウがいない間に、無事全員もらわれていったそうだが、あれからすでに数週間。

 優しい人が世話をしてくれるこの場所は、いつのまにやら野良猫たちには溜り場となっていたようで、雨の日などはここで猫たちの集会が開かれている。そんなことを知って、叶瀬夏音が猫らの期待に応えられないはずがなく、毎日ではなく日を空けてだが様子を見に来ることが習慣となった。

 ただ、今日は、彼女は用事があってこられないので、同じマンションに住んでいるクロウが代役を頼まれたというわけだ。

 夏音と一緒に猫たちの世話をしていたクロウも猫らは覚えているようで、懐いてはエサをせがんでくる。

 

「まったく、お前らは自分でエサを―――」

 

 ぞくり、と首の裏に異様な気配を感じた。

 

「誰だ……っ」

 

 修道院の出入り口の扉へ振り向くや否や。

 突然、どお、と烈風が舞い込んだ。

 

「―――!」

 

 風は修道院を荒れ狂った。

 扉が蝶番から外れ、砕かれ、何十という木片になって、長椅子等に突き刺さる。あるいは猫たちのエサやり場まで飛んできたものがあったが、それらはクロウの手に弾かれた。

 そして、猫らを庇いながら、衝撃の発生源を見た。

 風の、奥。

 千々に壊れた扉の向こう。

 現況を見極めるべく、超能に嗅覚を拡張された鼻で深呼吸する。

 

 修道院の庭に、ぽっかりと白いものが浮かんでいた。

 

 仮面。

 木を彫ったと思しい、女の面だった。

 クロウは知らぬが、深井と呼ばれる能面である。

 

「む」

 

 その周囲の空気が、渦巻く。

 仮面を中心に呪力の風が集い、庭に、ひとつのカタチを顕現させる。

 

 それは、全身の筋肉が腐り落ちて、骨と関節を繋ぐ腱だけが残っている人型の骸骨。仮面で隠されているが、おそらくはその頭骨の中は空洞で、脳も眼球も入っていないだろう。

 それが沸々と空気が泡立っている風にも感じられるほどの、沸騰寸前の熱湯にも似た呪力で死体に肉付けされていき、やがては、面と同じ、しなやかで優美な肢体となる。

 白拍子を思わせるゆったりとした袖の和装も纏い、足袋の爪先は、地面には触れず、かすかに浮かび上がっていて、降りた。

 肉付けがなされたとはいえ、細身。なのに、中々に堂の入った構えを見せる。

 そして、動死体でありながら、その呪力は、その静謐な様相に似合う、清流のよう。

 

(こいつ、笹崎師父が見せてくれた道士(キョンシー)みたいだ)

 

 ほとんど水平に、その袖をゆるりと振るう。

 長い袖より、伸ばした左腕。広げた掌の中に現れたのは、無数の光の球体で、球体はやがて輝きを増して、鋭く尖った光の矢へと変わる。

 放たれた無数の光の矢が、複雑な軌跡を描いて飛来し、四方からクロウを襲ってくる。そのすべてをよけるのは魔族の吸血鬼であっても不可能―――であるが、混血のクロウは、その目覚めた霊視と獣人の超感覚でそれを避けて、捌き切る。

 

『へぇ、霊弓術(それ)を躱しちまうかい』

 

 タン、と軽い音を立てて仮面の拳士は跳んだ。予備動作はない。足首だけでその跳躍を成す。こちらに距離を詰めてくる、重力を無視した異様な動きは、クロウの跳躍術と同じ、それもずっと洗練されている。

 

『じゃあ、これはどうだい?』

 

 迎撃にクロウが拳を刳り出そうとした、その眼前で、仮面の動死体の姿がゆらりと霞んだ。

 足捌きによるフェイントと、高速の重心移動が生み出す残像だ。

 その見るものを幻惑させる舞のような動きは、獣人種の反応速度に超能力、さらには霊視を備えたクロウさえも翻弄するレベル。

 そして、死体が繰り出す拳打。仮面の拳士は圧倒的な膂力に加え、呪的強化に衝撃変換がスムーズで、獣化をさせる間も与えず、人間時のクロウでは押されてしまっている。

 

 仮面の動死体は、魔力によって生み出された使い魔だ。見た目とは裏腹に動きが速く、通常の生物ではありえない圧倒的な腕力を備えている。

 また、技量が高い。

 反撃しても、嘲笑うようにすり抜けて、お返しに放たれる拳が弧を描く。ほぼ理想的なフックの後を追って、対角線上からミドルキックへとつなぐ近代的コンビネーション。

 あるいは、至近距離から肩へと打ち下ろす肘打ち。その間合いから一瞬も離れずに炸裂する膝蹴りと、猛烈なショルダータックル。

 その一打一打に、紫電迸る気が篭められている。

 使い魔であっても、術者の技術が投影されてか、その実力はかつて対峙した獣王の盟友たる古兵にも劣らぬ。

 

『誘いにも引っかからない。動物的な勘だけで動いてるわけじゃない、か』

 

 が―――それでも、クロウは凌いでいた。

 岩をも砕きそうな拳は、その風圧だけで、一撃ごとに髪を煽り、蹴りに至っては、制服のワイシャツの表面を切り裂いているのだが、精々薄皮一枚しか掠らせていない。

 そして、相手の動きを見ていた。

 美しい型だった。

 流れるような演舞。ごくごく自然な動きで、肘を打ち、掌にて穿つ。

 既に仮面の拳士の動きは烈風に近い。荒れ狂う嵐さえ思わせて、一息さえとどまらずに致命的な打撃を出し続ける。

 

「やっぱり、似てるぞ……」

 

 そう、姫柊雪菜や煌坂紗矢華―――獅子王機関の攻魔師の動きに。

 

 揃えて伸ばした右の指先。その指先から先の魔力で紡がれる霊弓術の不可視の刃があり、同時に腕を振るい神速の槍の如き突きを放つ。

 

 そこで、ひとまずの疑問を呑み込み、すり足が弧を描く。太腿と腰が螺旋に捩じれ、肩、二の腕、手首とベクトルが伝わっていく。行使される型は未だに稚拙な代物だったが、それ故に必死の気迫がこもっている。

 

「<(ユラギ)>!」

 

 ―――!

 無音の圧力に、仮面の拳士の左半身がひしゃげた。

 突きを放った左手首から、肋骨、襟元から覗いた鎖骨までが無残に潰れていった。ぐずぐずとなった肉骨と装束とが入り混じり、服と肉の区別もつかなくなっていた。

 

「……痛っ!」

 

 鋭い痛みが、肘から肩に伝わった。

 これは相手の攻撃によるものではない。

 無駄な力みが、筋肉を傷つけてしまっている。淀みも歪みも生じてしまってる型のせいで、エネルギーを御し切れず、つまりは、クロウの未熟さが自身を苛んでしまっている

 とはいえ、肘から拳へ込み上げた感覚は、放った後も感覚が続くほどの手応えがあって、

 

 

「―――甘い」

 

 

 と別の方向から叱責がとんできた。

 

「我が弟子から見稽古で盗んだにしては、まずまずの出来だろうけど、その程度で満足するんじゃないよ。“霊視()”に“超能(ハナ)”か、感覚に流されないようにしているのは褒めてやろう。だが、技は荒いし拳筋が悪い。意識はしててもまだまだ力任せすぎる。だから、自分を傷めつけちまってるんだ。体技に関しちゃ雪菜以上の天凛だというのにもったいない。そもそも、その肉体(からだ)の性能を考えれば、獣化せずともこの使い魔程度に苦戦することはないんだよ『壊し屋』の坊や」

 

 流れてきたのは、悪戯っぽく、瑞々しくて張りのある―――しかしその奥底に、古い高級ワインのような、香しい熟成した年輪を感じさせる声。

 

「……猫?」

 

 声の発生源を見れば、修道院の教壇の上にいたのは、しなやかな体つきの美しい黒猫。

 瞳の色は輝くような金色で、細い首輪には同じ色の金緑石が嵌め込まれている。

 

「この辺じゃ見かけない―――んん? いや、お前、猫じゃない」

 

 首輪ということは飼い猫、少なくとも野良猫ではないし―――そして、猫でもない。

 

「可愛い教え子たちが呪いをかけたというからちょいと見に来たんだが、<四仙拳>の道士に鍛えられたんだっけか? 基礎はまあできてるよ。適当にだけど、その適当こそがお前さんには合ってるんだろうね」

 

 初対面でありながら、今の組手でおおよその癖や欠点を、さらにはその積み上げてきた背景まで読み取った。それは並の実力者ではできないだろう。

 師匠格、と呼べるような相手でなければ。

 

「お前、誰なのだ?」

 

「おっと紹介を忘れて、つい説教しちまったよ」

 

 クク、と喉を鳴らしながら、猫は人間臭い仕草で前脚を上げた。

 

「縁堂縁。聞いたことないかい? 雪菜や紗矢華の師家様さ」

 

 

 

 絃神島から本州までの距離は最低でも300km。

 そして、高神の森――日本の関西にあり、さらに数百kmは離れている。

 

 そこから、黒猫と仮面―――二体の使い魔を遠隔操作している。

 

 猫の使い魔は、最もポピュラーなものだろう。呪力との親和性の高い動物として魔術師に古代より親しまれてきたのが猫なのだ。古代エジプトのバステト女神にせよ、怪談の猫又にせよ、神秘に関わる猫は枚挙にいとまがない。

 そして、優れた魔術師にとって、物理的な距離はさほど問題にならないとも聞く。

 ―――それでも異常。生半可な実力で可能な芸当ではない。

 

「さっき坊やが使おうとした<響>――雪菜と紗矢華に、『八雷神法』と『八将神法』を教えたのは私だよ」

 

 仮に、遠隔地から術者が喋らせているのだとして、あまりに発声がスムーズ過ぎる。余程の魔術師でも、もともと人間としての声帯を持たぬ猫に喋らせるのは、至難の業のはずだ。

 まして、この猫は、発声と同時に人間のような仕草までこなしてる。

 だが、剣巫と舞威姫の師匠であるならそれも容易いことのなのだろう。

 

「そうか、猫が師匠だから姫柊は、猫好きなのか」

 

「いや、これは式神だからね。と、それで猫好き? あの雪菜がかい?」

 

「そうだぞ。姫柊は猫を見るとふにゃっとなるし、オレが猫の真似をすると厳しくチェックしてくるんだ。もっとちゃんと可愛さを表現しろって」

 

「そうかいそうかい。そいつぁ、私も気を付けないとねぇ……」

 

「うん。気を付けた方が良いぞ。ちゃんと、語尾ににゃあってつけないと駄目だからな」

 

 意外なことを聞いた、と猫が愉快そうにククッと笑った。真面目な弟子が、感情を露わにするなんて高神の森では考えられない。この絃神島に送られたのは性格的にいい傾向だ。

 

「それで、何の用なのだ? 煌坂の時もそうだったけど、授業参観は今日じゃないぞ?」

 

「なるほど、こういう性格だから、雪菜と紗矢華は振り回されてんのかい」

 

 妙に納得した風に尻尾を左右に振る。

 

「私がここに来たのは、坊やに見に来たんだよ。剣巫と舞威姫の手を焼かす問題児がどんなもんかとね。実力を測るついでに稽古をつけてやったのさ」

 

 ああ、だからか、と今度はクロウが納得する風に首肯する。

 喰らえば致命打な一撃ばかりであったが、殺気はないし、ちゃんと躱せる経路が意図的につくってあった。

 少年の師匠、笹崎岬と似たような散打(くみて)をしたことがあるから、すぐにその違和感を察していた。

 

「それは、ありがとうなのだ」

 

 見た目はにゃんこだが、格上の相手に対する作法として習った礼の通りに、手を組んでから、深々と頭を下げる。

 

「礼なんていらないさ。坊やの背景には同情できるものもあったし、こっちも打算的な考えあってのことだ」

 

「?」

 

「悪事を働くような性格ではないことはわかったからね。だったら、力をつけてもらった方がありがたいのさ。その方が雪菜の仕事が減るだろ? 生真面目な雪菜は手を抜くってことは知らない性格だから休めと言っても聞きはしない。そこを我が教え子たちが信頼されてる坊やが頑張ってくれるんなら、その分だけあの子の負担がなくなるわけだ。<第四真祖>の監視役という大役もそうだが、あの<雪霞狼>の担い手になっちまったから心配してるんだよ」

 

「……やっぱり、あの<雪霞狼(やり)>は危険なんだな」

 

 その発言に、ぴくり、と猫の耳が反応する。

 それから、これまでよりやや低めた口調で、猫は目を細めて、

 

「ほう、気づいていたのかい?」

 

「使うたびにほんのちょっとずつだけど“匂い”が近くなってるのだ」

 

 ご名答、と黒猫の尻尾が、ひょろりと○を描いた。

 

「壊してやった方がいいんじゃないかと考えたこともある。でも、危険だけど姫柊には大切なものだ。姫柊は槍をもうひとりの自分のように扱ってる。それに、叶瀬の家族が、『“それ”は幸せなことだ』、って言っていた。だから、オレは難しいことはわからないけど、それに俺が口出しをしちゃいけないのはわかる。

 けど、やっぱりオレは難しい事なんてわからないから、本当にダメになりそうだったら手出しすると思う」

 

「……こりゃ、あの子たち、人を見る目をもうちょい鍛えてやるべきだったね。この子はずっと聡明だよ」

 

 報告では純粋で猪突猛進、思考より身体が早く動くタイプ、と聞いていた。

 しかし、実際は戦ってもフェイント等には引っかからない。理解も早いし、応用力もある。逆なのだ。考えて動いている。無論、反射的なものもあるだろうが、そうするように努めている。

 そして、事情を察しながら、それを悟らせずに、また本人の意思を尊重して、最低限のラインまで沈黙して見守る。

 そうそうできるようなものじゃない。少なくとも何も考えていない者にこれほどの配慮はできない。

 

「いいのか? オレは獅子王機関(お前ら)秘奥兵器(大事なもの)を壊すと言ったんだぞ?」

 

 強い口調でクロウが言う。

 普段、穏やかな気質の少年にしては珍しい―――だからこそ、黒猫も誤魔化しのできない言葉であった。

 

「そうねぇ」

 

 不意に、遠い目になった。

 動物の表情なんて、人間には半分もわからないだろうが、それでも、そう見えてしまうのは、この猫に憑いた―――縁堂縁を名乗る攻魔師の技術のためだろうか。

 

「まあ、問題発言だけど、問題があるのはこっちの方さ。前の初代の継承者がそうだったが、神狼の巫女であった雪菜も可能性は十分ある。それだけ高い適性があり、だからこそ、二代目に選ばれた。“神懸っち”まったら、手遅れだね。取れる手段がないとは言わないが……」

 

 黒猫が言う。

 この猫がそうしていると、姿は確かに猫なのに、まるで普通の人間と話しているような錯覚さえする

 

「何にしても、責任を感じることはないね。そうなれば、直前に雪菜も自分で気づくだろうし、それでも、剣巫をやめずに槍を使うのなら、それは雪菜と、獅子王機関(わたしら)の責任だ。

 だから、坊やは坊やのままでいい」

 

 猫がうんうんと頷く。

 頭を捻らせて本当にそれでいいのかと悩むクロウの前で、視線も艶めかしく、今にも腕ぐらいは組んでしまいそうな表情だった。

 

 

「―――だけど、力の扱いはダメ」

 

 

 やれやれ、と猫が溜息を吐く。

 やっぱり、異様に人間臭い仕草である。

 

「雪菜も近くに競える同年代がいればいい刺激になるだろ。槍ばかりに頼るんじゃなく、より心構えってもんがつくようになる。よし。

 そのためにも、お前さんのように力が有り余ってるおバカは、根本から学ばせないとね」

 

 見様見真似であろうと、師子王機関の技を扱うならば、その拙さを伝道師として看過できない。

 遊び程度にちょっかいを出したけど、今はスイッチが入っちゃってる状態か、当人を無視して話が進められる。

 

「む。いきなりおバカだなんて失礼だぞ」

 

「なら、お前さん。強く想えば想うほど強い力が出せると、そう思ってないかい」

 

「そうじゃないのか? 半端にやるのがダメだろ」

 

「まぁ、間違いではない。一念天に通じる。だが、想いや感情ってものは力を引き出すための“引き金”に過ぎない。そして、強過ぎる想いや感情は時に歪むものだよ。想いや感情によって引き出された力は必ずその影響を受ける。どれだけ危ういか、わかるかい坊や」

 

「うー……けど、何も思わないで力なんか出るのか?」

 

「出せる。本来、力は独立したものだよ。引き金なんぞ使わん方が、より強く、純粋で安定した力が出せる。

 そう、『無想』は、力の雑味を取ってやる技術だ。無駄の多い坊やには必須だよ」

 

「『無想』?」

 

「想うものは無い、と書いて『無想』。心を無にする。ああ、心を無にすると言っても、心を無くすということじゃないよ。ようは心を静かに何事にもさざめかない状態にするってことだ」

 

「そうなるとどうなるのだ?」

 

「難しいことがわからないって言いながら、お前さんは考え過ぎるんだよ。だから、無想さえできれば、お前さんの能力はすべての面において増強するだろうね。というよりは、本来の力が使えるようになる、と言った方が正しいかね」

 

 黒猫は、ひょいとクロウの肩に乗り、その顔を尻尾で撫でる。

 

 

「今、坊やに幻術をかけてやった。とにかく集中力を乱すように働きかけるから、人並み以上に感覚の鋭敏な獣人種には大変だろうけど、まあ、おバカを強制させるための荒療治だ。けれど一週間で日常生活でも『無想』を維持できるようにしてやろう」

 

 

 ―――時は流れる

    世界にとっては淀みなく、個人にとっては徐々に速度を増して。

 

 少なくとも深夜の夢想と現実の朝練で鍛えられた(苛められたともいう)少年にとって、それから一週間のデスマーチは瞬く間であった。

 

 

MAR研究所

 

 

 “彼女”を納める氷棺。

 『呪われた魂』が二度と復活できないよう、自ら己の肉体を氷塊のなかに閉じ込めた。眷獣の力によって作られたこの棺は、“彼女”の肉体を外部から完全に隔絶させて、細胞サンプルひとつすら入手できない。すべては『文字通り塵ひとつ残さず世界から消え去る』という“彼女”の遺志だ。

 

 だけど、それでは子供たちは救えない。

 移し替えるための肉体が創造できない以上、娘の中にその魂は眠り続けることになる。眷獣と融合した“彼女”の魂は、今も娘の肉体に多大な負担をかけている。

 肉体が用意できなければ、いずれ、それは娘の死という形で、限界が訪れる。

 

 

 ―――だから、“彼女”の後続機である“彼”に出会えたのは僥倖であった。

 

 

 あの“魔人”の肉体に触れた時、これだ、と超能力(スキル)が直感した。

 大罪という強大な存在を受けるための『器』として創り出された人工の魔族。

 それは真祖の力を受け入れるに足るものだ。実際、祭二日目に眷獣の力を受け入れることができたという。

 “彼”の生みの親である<血途の魔女>は、まぎれもなく天才。MARの魔導技術を総動員しても不可能な人造魔族の創造。それを現代で、それも独力で『天部』の作品に迫るほどのものを創り出したのだから、技術者としては尊敬に値する偉人である。

 ―――それにあやからせてもらう。

 

(医者として、最低な事をしてしまってるわね)

 

 無知で無垢であることをいい事に、“彼”を言い包めて知らずのうちに、“彼”の設計図ともいうべき、DNAマップがすでに採取されている。

 

 MAR社はけして慈善事業ではなく、軍事開発にも力を入れている。勝手ながら責任としてそれを絶対にさせないつもりでいるが、もしも自身の手から“彼”の情報が本社の軍事開発部にでも流出してしまえば、生体兵器として“彼”の複製(クローン)を生産する案が出てくる可能性がある。

 これが息子の担任でもある“彼”の――自らの半身ともいうべき<守護者>を貸し出してしまえるほどの――保護者に知れたら、あの異世界にあるという監獄に自分は放り込まれてしまうに違いない。

 だから、保護者に情報を洩らさせないよう、“彼”には教えていないし、了解を得ることはしなかった。DNAマップの件を告げれば、きっと保護者に相談するだろうし、目先の事だけでなく大局を見れる聡明な保護者はそれを断るよう言いつけるだろう。そうしたら、この一縷の望みが絶たれてしまうし、肉体の製作時間も考慮すれば説得に費やすだけの余裕がないかもしれない。

 一刻一刻と、その命が削られていくのは確かなのだから―――

 

(許して、とは言わないわ。でも……それでも……私は救いたいのよ、あの子たちを)

 

 

 

「くぁぁ~~~……」

 

 三日に一度の定期検査が終わり、研究所の一室で患者着から、耳付き帽子に首巻、手袋法被を装着した少年が大きく伸びをする。

 マグナ・アタラクシア・リサーチ社――通称MARは、東アジアに本拠を置く巨大企業だ。軍事兵器から食品まで手広く扱う、世界有数の魔導産業複合体である。

 絃神島にはそのMARの医療研究所と附属病院が置かれており、暁家の母親――暁深森が研究主任として働いている。そして『定期検査』の名を借りた彼女の実験の協力要請の下、南宮クロウは病院へやってきていた。

 病院、というものに慣れないことに加えて、この建物は自然物のない構造で薬品の匂いが染み渡り、退魔除霊の術が穴のないよう至る所に仕掛けられている、どうにもエレベータを乗るにも一苦労な野生児は、いるだけで気疲れしてしまうもの。

 森の精霊は、『鉄鋼に弱い』というそうだが、この在り方が自然霊側に属している少年もそうか。

 それでつい、修行疲れの欠伸が出てしまうと。

 くすくす―――

 隣から声がした。

 あむあむ、と欠伸を噛み殺しながら、そちらを向く。

 結い上げてショートカット風にまとめた少女が笑っていた。年は同じで、同じ学校に通い、同じクラスの女子生徒。窓から差し込む陽の光が、その黒髪を内側から輝かしている。大きなくりくりとした瞳は、真っ直ぐに少年を映していた。

 名前を、暁凪沙という。

 この病院では迷子になりそうなクロウを道案内してくれる相手だった。

 

「なんだか今の、古城君みたい」

 

 この常夏の島の灼けつくような直射日光と毎朝焦がされている吸血鬼の先輩。その彼が常にまとう気だるげな雰囲気にダブらせたのを見て、その妹は面白おかしく笑ってしまったのだろう。

 そして、表情豊かな彼女は、次は心配そうに声をかける。

 

「クロウ君、お疲れ様。大丈夫? 顔色悪いけど……なんなら、深森ちゃんに文句言ってこようか?」

 

「うー、違うのだ。『実験(ケンサ)』じゃなくて、修行が大変なんだぞ。お猫様とご主人に四六時中いじめられるとは思わなかったぞ……」

 

 がっくりとうなだれる少年。

 もっとも、そういううなだれっぷりが、妙に似合う少年である。耳付き帽子より出てるぴこんと撥ねた癖っ毛といい、無害そうなほにゃらかした表情といい、いかにも偉ぶるのが似合わない、けれども呼吸をするだけで落ち着けさせる森の空気のように、人を安心させる雰囲気が漂っている。

 

「お猫様? よくわからないけど、修行って大変なんだね」

 

「うん。それで修行のことが知られてなー、『商売敵に世話になるとは何事だ』とご主人カンカンで……だからな、バレた時はこう言えって、お猫様の言うとおりに『悔しかったらお主の色に塗り替えてみろ南宮那月』と魔法?の文句(コトバ)を伝えたら、ご主人もなんか夢の中でもいじめてくるようになったのだ」

 

 あとの一週間は自主学習に任せる予定だったのに、『ただ召喚術の練習するのもつまらんだろう? 実戦形式で目覚めるものもあるからな。大盤振る舞いだ。場所だけでなく相手も用意してやる。喜べ馬鹿犬』と監獄内の拷問器具を手にした二頭身獣人形の眷属(ファミリア)で<守護獣(フラミー)>の召喚(魔法陣補助なし)を容赦なく邪魔をするようになり、(悪)夢の中でそれから延々と逃げ回ることになった。

 その悪夢な猛特訓のおかげで独力でもできるくらいに召喚術の技量がイヤでも高まったが……そしたら、今度はお猫様が、『式神の才はてんでないが体技は剣巫(ゆきな)以上に仕上げてやろう』と言い出して……それを報告したら、今度は鎖が飛んできて、最終的には機械仕掛けの黄金騎士が出てくるようになり……日ごとに過熱していく事態。

 

「二人とも教えるのが上手なんだと思うんだけどな、それにしてもすっごくスパルタだったのだ。よーやく、今日で解放されたけど、本当に大変だったぞ」

 

 プルプルと身を震わせつつ、拳を握る少年。

 その様子がなんだかおかしくて、凪沙はまた笑った。笑い終わってから、ふと訊いた。

 

「うん、なんかすっごく頑張ったのがわかるよ。……それで、もう、あの“大人なクロウ君”にはなれるようになったの?」

 

「うーん。それは、だめなのだ」

 

 あれから、暴走を促す魔女の霊魂がなくなったからか、それとも力の半端な出した方をやめたからか、<神獣化>を安定してできるようにはなった。

 ただ、魔人になることができない。神獣にさらに何かを加算させなければ、あの高速安定ラインにはいけないのである。

 

「むむー、せっかく成長しておっきくなれたと思ったのになー。ごめんなのだ、凪沙ちゃん」

 

「ううん。別にそんなことで謝らないでよクロウ君。大人になったのを見て、すっごくドキ――ドッキリしちゃったけど、ちょっともったいないなって思ったんだ」

 

「もったいない?」

 

「私は、クロウ君と一緒の時間を生きたいよ。一緒にいろんなものを見て、いろんなものを食べて、いろんなことをして、そうして大人になってきたいって……それでクロウ君がひとりだけ大人になっちゃったら、置いてかれた気分になっちゃう。

 だから、ほっとしたの! ……うん、あんな姿をクラスのみんなに見せられたら、深森ちゃんの言う通り大変だったし」

 

 やや俯き、左右のそれぞれ五本の指をつんつんと突き合わせる少女に、うん、と少年はうなずく。

 

「そうだな。オレも凪沙ちゃんと一緒に大人になりたいぞ」

 

 5年後もこうして彼女と並んで歩けるかもしれない。

 そんな未来を思う。

 それは鬼も大笑いする願望であるだろうが、それであるかもしれない可能性を、心に持てるのはきっと何かの原動力となる。この世界を生き抜く、力になる、きっと。

 

 と、少年は何気なく注意をする。

 

「なら、体にはもっと気遣わないとな。凪沙ちゃんも、病院に検査に来てるってことはどこか体調を崩したんだろう?」

 

 こうして、凪沙が道案内してくれるのは、彼女の検査のついで―――とクロウは聞いている。彼女の母親で主治医でもある暁深森より、それが“偶然にも”クロウの検査と重なっていて、ちょうどいいから、クロウが迷わないよう病院を案内する代わりに、凪沙のガード役としてマンションまで送り迎えしてあげて、と頼まれたのだ。

 

「え、あ。検査って習慣みたいなものだし、全然大丈夫だから、心配とかしなくてもいいんだよ」

 

「でも、こんなに頻繁に通うことはなかったぞ?」

 

「ま、まあ……いろいろ念のために……大したことはないんだよ本当に……」

 

 凪沙はぼそぼそと口籠る。胸元で細い指が絡まり、視線が彷徨ったりするのだが、なんとも彼女らしくなく―――ある意味で彼女らしい仕草であるが、献身的な少年はますます心配をしてしまう。

 

「古城君からも『絶対に寄り道せずに真っ直ぐ凪沙を帰らせろ』と言われてるからな」

 

 古城君……っ!

 

 先手を打っている兄。祭以来、疑惑をかけられたから、二人きりの邪魔をすることはなくなったのだが、やはり、いろんな意味であの兄は要警戒であるらしい。

 

「う。日が暮れる前に帰らせるのだ。凪沙ちゃんも今日はコート着てるし、寒がらせちゃいけない」

 

 制服の上に羽織っているグレーのダッフルコート。

 裏地の柄も可愛く、裾の長さも制服のスカートがギリギリに隠れるラインで、いきなりタイツが見えるような感じになってる。センスのいい浅葱の紹介で知った西ランゴバルドの有名なブランドのセカンドライン。通販で昨日ようやく届いて、母親の深森に預けて、MARの今着たところである。

 初めて見せて、すぐ気づいてくれたのはうれしいけれど、求めてたのと違う。

 しかもこのままだと先輩の命令通り、早急に帰りそうで逆効果である。

 ぱたぱたと手を振って、首も振る凪沙は、慌てて言う。

 

「これは“シュクハクケンシュウ”で用意したんだよ。もう11月だし、本土は寒いでしょ?」

 

「“シュクハクケンシュウ”?」

 

「あ、その反応。もう! ダメだなあ、クロウ君は。今週初めのHRで笹崎先生も言っていたでしょ?」

 

 呆れたように溜息をつく凪沙。

 クロウは首をひねり考えるが、なかなか脳内で該当しない。

 とりあえず思い浮かべるのは、修行である。なんせ授業中でも耳に念仏が聞こえてきたり、背後に気配だけを感じさせてくる幻術がかけられていたのだ。

 それでも耳で拾ったイベントは―――

 

「あ、宿泊研修だ」

 

 彩海学園中等部3年生で行われる宿泊研修。普段、外界から隔離されている『魔族特区』、

『波朧院フェスタ』では外界から一般人の招待客を招いたが、これは学生たちに外界――一般社会の様子を見学させるという趣旨の旅行行事である。行先は有名な観光地などではなく、官庁街や工場などがメイン。自由行動の時間もほとんどない。

 そして、宿泊研修は四日間であるが、絃神島から本土まで、船で11時間――ほぼ半日かかるので、実質、三日間である。

 それでもクラスメイト達と泊りがけの旅行に出かける、というイベントが中学生にとって楽しみでないわけがない。

 

「おー、みんなで旅行かー。楽しみだなー」

 

「私も絃神島に来てからは外に出たことはないんだけど、昔は結構海外に行ってたんだよ」

 

「そうなのか。オレは、森を出てから、絃神島に行くまでにご主人と地中海ってトコを巡ったりしてたのだ。それ以外はちょくちょくと、ご主人の仕事手伝いで行ったりしてたな」

 

 気をそらせたところで、気を逃さず凪沙はクロウの前に出る。

 それからトウセンボするように大きく両腕を広げて、

 

「じゃん!」

 

「?」

 

「じゃっ、じゃん! じゃじゃっ、じゃーじゃんっ!」

 

 疑問符を浮かべつつも、クロウは目の前の少女の瞳に期待で爛々と輝いているものがあると気づいてる。

 少年が鈍いというのを承知してる凪沙は、少し袖を掴みながら腕を縮めて、かすかに頬を赤らめた上目遣いで、

 

「……え、っと………にぁぅ?」

 

 蚊の鳴くような声であるも、ごまかせずに出せる精一杯の音量。

 けれど、それも拾う少年は素直に返した。

 

「うん。似合ってるぞ、そういうのもなんか新鮮なのだ」

 

 凪沙がほっとしたように胸を撫で下ろし、口元をふにゃふにゃと緩ませる。

 

「そうかな。へへへ……―――「でも」」

 

 対し、クロウは口元をきっと結んで、凪沙を正面から抱きしめるように腕を回す。

 

「―――へ」

 

 固まる。

 思わぬ行動に頭が真っ白になった凪沙は恥ずかし気にやや下を向いていた顔を上げる。

 その一瞬、いつになく真剣な表情で自分を見つめる不変の金の瞳。それから外すことができず――いや、外したいなどとは微塵も考えられず――そして、自身の体にそっと添えられるように当たる彼の両腕が凪沙はひどく熱く感じる。

 

「ク、ロウ君―――」

 

 密着したダッフルコート越しに伝わる体温が、どこかもどかしい。兄よりも小柄ながらがっしりとして、滑らかに引き締まった体は、完成された獣を想起させる。そこから僅かに響いてくる心臓の音に否応なく凪沙の鼓動も早まって、

 心臓の鼓動がピークを迎える直前、凪沙は浮遊感を味わい―――

 

 

「―――でも、無理をしちゃだめなのだ」

 

 

 二重の意味で足元をすくわれる。

 

「こんなにも汗をかいて、風邪をひいちゃうぞ」

 

「あ……」

 

 この冬でも温暖な絃神島で、厚手のコートを着ている凪沙はもうすっかり汗だくだ。

 

「う。なんかだんだん熱くなってるっぽいし、すぐ家に帰すのだ」

 

 そのまま抱え上げられた凪沙は、ゆっくりとクロウに持ち上げられる。

 この鼓動の意味を、さっぱり、わかってないらしい。

 だけど、こちらもそのお姫様だっこな密着ぶりに、どうしようもなく。

 

「しっかりと捕まってるのだ」

「うん!」

 

 少女一人分を抱えて、少年は跳躍。

 近くの建物の壁と壁とを蹴って飛び出し、夕焼けに染まる空へと躍り出た。

 

 これが、少年の見る景色。

 幸いに厚着のダッフルコートなので肌寒くもない。

 むしろ風が心地よく、湯立つ頭にはちょうど気持ちがいい。

 

 

 絃神島南地区《アイランド・サウス》の9階建てのマンションの暁家の自宅がある7階までの帰り道、図らずも、空遊散歩(デート)を楽しんだ。

 

 

キーストーンゲート 人工島管理公社保安部

 

 

 昨夜未明。

 元アルディギア王国宮廷魔導技師であり、『仮面付き事件』の容疑者、叶瀬賢生を狙った襲撃事件が発生。

 赤白チェック模様の襲撃者――推定、錬金術師天塚汞は、叶瀬賢生を意識不明の重体にさせ、隔離施設(セーフハウス)を警護していた特区警備隊(アイランド・ガード)拠点防衛部隊(ガーディアン)を5名殺害。

 

 

「断る」

 

 

 拠点防衛部隊の部隊長からの捜査協力要請として、使い魔の貸し出し(サーヴァントレンタル)があったが、南宮那月は却下した。

 

「何故?」

 

「奴はどうせ覚えておらんだろうが、もうすぐ宿泊研修だからな。事件に駆り出さすわけにはいかないだろう」

 

 中等部3年生が明後日から、宿泊研修だということは彩海学園一教師である那月も知るところ。

 今、厄介な事件に巻き込んでしまうとなると、使い魔な少年が学校行事に参加できなくなる可能性が高い。

 

「馬鹿犬の『嗅覚感応能力(リーディング)』がなくとも、すでに面が割れている。霧になる蝙蝠ではあるまいし、貴様らだけでも追跡は可能だろう」

 

「ご冗談でしょう南宮教官?」

 

 部隊長は、その却下理由に失笑をこぼして、異議を申し立てる。

 

「なに?」

 

「<黒妖犬(ヘルハウンド)>の能力は、今の我々にこそ必要なのです。そもそも教官はいつまで学生などと遊ばせておくのですか」

 

「遊ばせておく? 何を言うか、学生に学業を優先させていて何が悪い。馬鹿犬は功魔師資格(Cカード)はない、その身分は一般の学生と変わらないことを、特区警備隊はわかっているはずだが」

 

「しかし、その実力は十分現場に通用する。護岸警備隊が壊滅させられたメイヤー姉妹も見事に撃退し、部隊を救助したそうではないですか。

 ―――拠点防衛部隊(ガーディアン)には貸し出してはくれないのですか?」

 

 再度の要請。

 特区警備隊の教官をもまかされる那月へ格上に対する口調でお伺いを立ててはいる。

 だが―――

 

「『仮面憑き』事件の容疑者として、管理公社の施設で保護観察処分を受けていた叶瀬賢生は何者かに襲撃されて、重傷。一命を取り留めましたが、意識不明。

 そして、警備員が5名も殺された!

 それを一秒でも早く追跡できる手段があるというのに、放置すると教官は仰るのですか」

 

「……まさか死んだ部下の復讐でもしたいというのか?」

 

「あんなところで死ぬような連中じゃなかった」

 

 初めて。

 そこで、どろりとした人間臭い感情が声に乗って流れてきた。

 

「新兵訓練を終えて、いきなり現場に投じるのも忍びない。本物の地獄を見せる前に、ぬるま湯の犯罪者どもの警備をやらせて、経験を作らせてやりたかった。なのに、金属にされてしまっただと。あいつらの葬式は火葬場ではなく工場で骸を融かしてやれとでもいうのか?」

 

「……ここがどれだけ理不尽な仕事場というのは、『魔族特区』の人間なら六歳児でも理解してると思っていたのだが? イヤなら適性がないとでも何とでも言って追い払ってやるべきだった。貴様はそれができる立場にいたのだろう」

 

「それを!! 警備の仕事で見極めるつもりだった!! 檻に入れられた犯罪者どもを動物園気分で見学させてな!!」

 

 そこまで聞いて、南宮那月はようやく相手の怒りの本質を見抜いた気がした。

 単純に、部下を殺されたからここまで頭に血が昇っているわけではない。

 防衛設備の整っていない外の現場で殉死していたのならば、それは仕方がないの一言で済ませられたかもしれなかった。

 厳重だと。

 絶対の自信があった。

 司法取引による協力を取り付けた犯罪者を隠匿する性質上、内部の警備は刑務所並で、監視の穴などないほどに機械人形(オートマタ)を配置し、銃器を武装した警備員が24時間態勢で警戒に当たり、部外者の侵入を拒んでいる、万全の体制を、たったひとりの襲撃犯に突破させられたことが、一兵隊として許せないのだ。『旧き世代』の眷獣といった怪物との防衛で死んだとあればそれもある意味名誉を得たものであるかもしれないが、同じ人間の形をした相手だ。それもロタリンギアの殲教師や黒死皇派のように、信念や誇りのない、我欲のままに事を成すコソ泥。

 『魔導打撃群(SSG)』――公社理事会直轄の特区警備隊の最強の特殊部隊に、次ぐのが拠点防衛部隊(ガーディアン)だと、いや、VIPを守護する彼らよりも現場に出ている者としての自負があり、根本的に、エリートなのだと。周りと比べて、上の存在であると。

 こんなところで死ぬような連中じゃなかった。

 その言葉が何よりの証拠だ。

 

「それで、<黒妖犬(ヘルハウンド)>、ここ最近は手柄を立てているようですが、『波朧院フェスタ』で、街で暴れ回った悪魔を取り込んで、また警戒度が上がったそうではないですか。警察局としましても、このまま『魔族特区』の外へ出していいものかと。なにやら政府大使局の六刃神官――対魔獣戦闘の専門家(エキスパート)が動き出しているようですし……

 ここらで教官はサーヴァントの首輪を締め直してやった方が良いのでは?」

 

 もはやそれは命令でなくとも、強制であった。

 攻魔師資格のない、それも身分は学生の攻魔師手伝いが、特区警備隊よりも成果を上げている。

 確かな戦力であっても、この拠点防衛部隊の部隊長にはどう映るか。その修羅に燃える執念深い瞳を見れば、わからぬわけがない

 

「我々の顔、立ててくださいますな、南宮教官」

 

「歪んでいるな、貴様。一瞬でも同情してやった私が馬鹿みたいだ」

 

 

ショッピングモール

 

 

「はあ……美味しい」

 

 夕方の明るい陽射しの中で、暁凪沙がとろけるような感嘆の声を出す。

 商業地区ショッピングモール内のカフェテラス。屋外のテーブルに座って彼女が舐めているのは、三段重ねの巨大なアイスクリーム。無数のトッピングで原形を留めないほどに飾り立てられ、無駄に豪華な代物になっているそれは、男子ならまず尻込みするが、氷菓大好きな妹にはそうではないらしい。

 暁兄妹と同じ卓を囲んでいるのは、<第四真祖(こじょう)>の監視役である姫柊雪菜に、そして雪菜と中等部男子人気を二分する『中等部の聖女』こと叶瀬夏音だ。

 

「やっぱり、るる屋のアイスは最高だね。この芳醇な味わいとサッパリした後味が」

 

 幼い子供のようにアイスにかぶりつきながら、愉しげに解説する凪沙は、やたらお喋り好きで食事中でも黙っていられない性分。

 それに加えて、昨日病院(MAR)から帰ってきてから、すこぶる機嫌がいい。『波朧院フェスタ』の二日目以降から“恋敵(ライバル)”という兄としてあまりに不名誉なそれを認定されて何かと警戒(特に後輩とふたりきりになると)されていたのだが、今日はこうして買い物に誘ってくれるくらいに気を許してもらえている。

 と、古城は不機嫌そうに頬杖をついて、

 

「たく、どこのグルメレポーターだ……大事なお願いっていうからなにかと思えば、荷物持ちかよ。おまえは目上の人間をなんだと思ってるんだ……」

 

「だから、お礼にアイスを奢ってあげてるでしょ。可愛い妹の頼みなんだから、お買い物くらい付き合ってよ。こんな大きな荷物持ってたら、ゆっくりお店回れないでしょ。それに男物を選ぶときの意見が欲しかったし」

 

 今、古城の足元には引越しかと見間違われるほどの大量の買い物袋がある。

 その大荷物の内訳は、宿泊研修に持っていく私服やバックが女子3人分と、男子1人分。

 

「旅行バックならウチにもあったろ」

 

 中でも一際巨大な買い物袋が、凪沙が店頭で衝動買いしたド派手な色使いのボストンバック……色違いが二組。

 

「えーっ、ウチにあるバックって、古城君が使ってたスポーツバックのこと? イヤだよ。だってあれ、男子バスケ部の部室の腐ったビブスの臭いがするもの」

 

「いくらなんでもそこまで臭くねぇよ!」

 

 イヤそうに顔をしかめる凪沙に、ムキになって言い返す古城、そんな暁兄妹のやりとりに雪菜はたまりかねたようにぷっと小さく噴き出した。

 

「だいたい古城君は贅沢なんだよ。こんなに可愛い後輩女子と一緒にいられるのに。雪菜ちゃんや夏音ちゃんとお出かけできるなら、性転換してもいいって男子は大勢いるんだから」

 

「いくらなんでも、それはないだろ……大丈夫か、中等部の男子……」

 

 思わず古城は頭を抱えて呻く。

 冗談だと思うが、絶対にあり得ないと言い切れないところが恐ろしい。あの後輩は組手で平気に蹴りつけたり、一緒の部屋に暮らして平然としているが、それは例外で、雪菜と夏音の容姿は規格外の美しさなのだ。

 

「どうしたんだ、叶瀬。ぼーっとして」

 

 会話に参加せずに、ぼんやりと遠くを見ていた夏音に気づいて、古城が声をかけると、中等部の聖女は透明感のある銀髪を揺らして、少し照れたように振り返る。

 

「すみません。アイスが美味しかったので幸せでした」

 

 ささやかな幸せを噛み締める彼女の笑顔に思わず目を奪われる。

 アルディギア前国王の庶子として生まれ、

 両親の記憶もなく、修道院で孤児として育てられ、そして、事故によってその修道院は失われて、

 それから、養父に王族女児が有する強大な霊力を見込まれ、天使に改造されかけた―――

 そんな耐えきれないほどの苦難の連続である過去を持ちながら、こんなにも歓びを露わにした笑顔を浮かべる。聖女と呼ばれるのも納得する。

 

「よかったら、これも食うか?」

 

 それでつい、古城は自分の分のいちご味のアイスを夏音に差し出した(その際に彼女から口元のアイスをナプキンで拭かれた)のだが、その行いにもうひとりの後輩女子と妹から冷たい目で見られた。けれど、夏音は喜んでくれた。

 この笑顔を見られるなら、凪沙の言うとおり、荷物持ちでもお出かけできるのは幸福である。

 

「にしても、クロウのヤツ。学校を休むだけでなく、叶瀬に宿泊研修の準備を任せるとは……」

 

「あ、その、すみませんでした」

 

「ああ、勘違いするな。別に叶瀬が悪いわけじゃないし、クロウもなんか事情があってのことだってのはわかってるんだ。ただ、アイツのことだから突っ走ってるんじゃないかって心配でな」

 

 ぺこぺこと同居人の代わりに頭を下げる夏音を古城は止めて、それに同意するよう雪菜も頷く。

 

「そう言えば、ここ最近の様子もどこか変でしたし……」

 

 その(幻術をかけられての)不調を、霊能力者である雪菜は察知したのだが、『お猫様から姫柊にはまだ内緒にするようにと言われてるのだー』と追及する前に逃亡される。

 ここしばらくは昼休みの散打もなく、雪菜は異様に避けられていた。

 

(そういえば、師家様の使い魔は猫で……今朝の手紙で、この絃神島の出張所に……)

 

 何やら勘付き始める剣巫。その横でアイスを()えていた凪沙が、咥えていたスプーンを抜いて、

 

「何か修行が大変だーってクロウ君言ってたよ。でも、大丈夫だって。凪沙を抱っこして(ソラ)()んじゃうくらい元気で―――「何だその話は。聞いてないぞ!」」

 

 古城の追求から逃げるよう慌てて、言いかけていた言葉と共に凪沙は残るアイスを呑み込んでから、席を立つ。

 

「あ、そうだ、そこ入ろ! そのお店!」

 

「おい待て」

 

 古城が制止を呼びかけるも、雪菜と夏音を連れて、凪沙は店に急行。そのピンクを基調とした可愛らしい店構えで……ショーウィンドウにゴージャスなランジェリー姿のマネキンが飾られている。

 ―――どこからどう見ても下着屋である。

 卑怯だ。あそこに逃げ込まれたら、流石に男子として後を追えない。

 

「ほらほら、タイムセールやってるみたいだし。やっぱり旅行のときは下着にも気を遣わないとねー。あれなんか雪菜ちゃんに似合いそう。夏音ちゃんも任せて。ばっちりコーディネートしてあげるから。あ、古城君は外で待っててよ! ついて来たら悲鳴を上げるから!」

 

「旅行だからって凪沙が下着にこだわる必要は―――」

 

 言い切る前に下着屋に退散されて、古城は伸ばした手を下してぐったりと溜息を吐く。それからテーブルの上に肘ついて組んだ両手に頭を乗せる。

 今日の調理実習で、矢瀬から『いつかは凪沙ちゃんも嫁に行く』発言を古城は即座に『嫁の貰い手はいない』と否定したのだが……それでも危機感を覚える相手がいるにはいる。前に勘違いした、高清水某ではない。最近、急接近してる後輩(クロウ)だ。今のところあの後輩は、古城も帰りの護衛を任せられるくらいには信頼していて、研究所に缶詰めな母からも大変気に入られているようで、しかし、

 

『あ、凪沙ちゃんと子供を作ってくれればみんな解決するかも』

 

 とわけのわからんことを言っていたし。凪沙も後輩もまだまだ子供だろうが、母が要らん知恵を吹き込んでいたとすれば、開放的になるという旅行中に何が起こるか……激しく兄は不安だ。

 でも、ここであまり強く言うと、また“恋敵”と警戒されてしまいかねないから、注意し辛いというジレンマ。この時ばかりは、絶対反対派の放蕩親父に来てもらいたいと願う古城である。

 

(けど、4年前の事故から病院暮らしだった凪沙が、退院して初めて絃神島から旅行に行くんだし、浮かれるのもしょうがないか)

 

 でも後輩にはあとで“きちんと”言い聞かせておこう、と最終的に結論を出した古城はようやく顔を上げる。

 そこで、見慣れない男が近づいてくることに気づいた。

 純白のマントコートに、赤白チェックのネクタイと帽子。左手には髑髏の彫刻がついた銀色のステッキを握っていて、見た目二十歳前後だけど、ずっと老成してるようにも思えるし、幼稚にも見える。

 その底知れない、奇術師めいた印象の胡散臭い男は、古城の前に立ち止まると、帽子に手を当てて挨拶をする。

 

「どーも」

「ちっす」

 

 元体育会系の条件反射で、つい礼儀正しく立ち上がって挨拶をしてしまう。

 男は古城の反応が意外だったようで、愉快そうに―――鮮血のように悍ましく赤い目を細めて笑う。

 

「今の銀髪の彼女、綺麗な子だね」

 

「ええ、まあ」

 

 とりあえず否定する理由もないので、馴れ馴れしい男の態度に警戒しながらも、古城は首肯を返す。

 

「ずいぶん仲が良さそうだったけど―――もしかして彼女、きみの恋人?」

 

「いや、ただの後輩だよ。妹の友人なんだ」

 

 そこで、鼻のいい後輩ではないが、“この臭い”には古城も気づく。

 吸血鬼の本能を疼かせる、血の臭い―――は。

 

「それよりも、あんたは誰なんだ? 芸能事務所のスカウトマンには見えないけどな?」

 

「僕か。僕は、真理の探求者だよ」

 

 ……は? とその予想斜め上の返しに、古城は一瞬唖然としてしまう。

 

 得体のしれない相手を前にそれはまずかった。

 

 意識が空白になったその瞬間、男の右腕が、のたうつ蛇のようにうねりながら伸長。変化したのは形態だけでなく、その性質(肌色)も。金属質の輝きを帯びた、粘性の強い黒銀色の液体と化した奇術師の腕は、古城の腕に絡みついて、そのまま浸透――侵蝕。繋がされた腕と腕が融解して一体となるような感覚は

 ―――古城の薄皮一枚のところで、急に沸騰。黒銀は勝手に弾け散った。そう、過大な電流で電気回路がショートしてしまうように、<第四真祖>の巨大すぎる魔力が送り込まれてしまい、男の仕掛けようとした術が壊れたのだ。

 

「なんだ……こいつは!?」

 

 防がれたものの、もしも古城が普通の人間であったなら、今の黒水銀に完全に浸食されて、どうなっていたか。あまり想像したくはないが、ろくでもない結果なのは確かだ。

 

「ふぅん。あれを防ぐのか。さっきから妙な気配がすると思ったら、きみ、人間じゃないね」

 

 対し、術が失敗した男は自分の右手を眺めながら、不機嫌そうに目を眇める。

 

「未登録魔族……吸血鬼か。アルディギア王家が寄越したボディーガードって訳でも無さそうだけど、まあいいや。できれば目立たないように殺したかったんだけどな」

 

 男が再び掲げたその右腕は指先から黒水銀が迸って、今度は細く鋭い刃物へと形状変化させる。そして、凄まじい速度で古城の胴から二分するよう横薙ぎに襲い掛かる。

 吸血鬼化した古城の反応速度でも、軌道を完全に見切れない。

 ギリギリ地面に伏せて古城が避けると、その背後にあった街灯の支柱が真っ二つに切断された。やはりただの黒い色のついた液体ではないようで、素人目でも見るからに重厚感を感じさせるそれはおそらく水銀と同じ性質で比重のある液体金属。それが高圧をかけて刃を形成し、自重と遠心力を利用して攻撃力を生み出している。

 

「おまえ……叶瀬を誘拐する気か……!?」

 

 叶瀬夏音が、アルディギア王家の関係者であることを知っている。

 ならば、これは身代金目的か、あるいは政治的な理由からか。何にしても、夏音を狙っている。

 続く第二撃を必死でよけながら、古城が硬い声で訊き返せば、男は古城の予想を裏切るように軽蔑したような笑みで応えた。

 

「誘拐……? どこかに連れていくってことかい?

 それだけの魔力を持ちながら、くだらないことを気にするんだな、吸血鬼! あの子はもうどこにもいけない。ただの供物になってもらおうと思っただけだよ」

 

「供物だと?」

 

 眉を顰める古城の反応に、ハッ、と男はその無知を憐れんだ声音で言う。

 

「なんだ、気づいてなかったのか。

 その様子じゃ、5年前にアデラードの修道院で起きた事件のことも知らないみたいだな」

 

「どういう意味だ―――!?」

 

 攻撃を建物の陰に隠れて逃げつつ、古城は苛立ちながら訊き返す。

 

 黒水銀の刃を操る男の攻撃力は脅威だが、古城は<第四真祖>。

 古城がその災害に等しき眷獣を召喚すれば、敵ではない。瞬殺で蹴りがつくだろう。

 だが、それでは男を撃退しても、その余波だけでも、<第四真祖>の眷獣の一撃は街を壊滅させかねない。

 こんな街中で解放するわけにはいかないのだ。

 どれだけの被害が街に出るかもわからないし、そして、凪沙たちも近くにいる。

 幸い、『魔族特区』の住人だけあって、カフェテラスにいた客や店員たちは、男の攻撃が始まると同時に逃げたので、野次馬たちを巻き込まないことは良いが、それでもこのままでは反撃できずに嬲り殺しにされてしまう。

 

「気にすることないよ。真実を知る前に、きみは死ね!」

 

 コンクリートの壁を切り裂く黒水銀の一閃。

 それに崩れ落ちた破片が退路を塞ぎ、古城は袋の小路に追い詰められる。

 頭上に振り落とそうとする黒水銀の断頭刃(ギロチン)に形状変化した腕から逃れる術はなく、

 

 だが、古城の身体にその腕が届くことはなかった。

 何処から放たれた飛来物が、黒水銀の腕刀を弾き飛ばしたのだ。

 

「……ッ!?」

 

 奇術師の男が、僅かに目を見開く。

 彼にとっても、全くの死角からの不意打ちだった。

 だが、それを探る余裕はなくて、

 

「―――先輩、下がって!」

 

 街灯も切り裂く黒水銀を藁しべのように容易く両断してのける、陽光に閃いた一条の白。

 

「ッ! これは、『七式降魔突撃機槍(シュネーヴァルツァー)』か! 獅子王機関の剣巫が、<第四真祖>の監視役に派遣されてきたという噂があったが、だとすると―――!」

 

 呆気にとられた古城の前に、ふわり、と制服のスカートが翻して着地したその背中。古城の危機に気づいて店を抜け出して駆けつけたのは、<第四真祖>の監視役である剣巫――姫柊雪菜が、古城を背後に庇う体勢で謎の襲撃者を睨む。

 

「ご無事ですか?」

 

「ああ、サンキュ。助かった姫柊。それと―――クロウも」

 

 その路地裏の反対側の向こうに立つのは、蒼銀の法被を纏いし、厚着の少年。

 

「アイツを追ってたら、古城君が襲われるなんて。トラブルメーカーだな古城君」

 

「そうかもしれないが、クロウには言われたくないぞ!」

 

 今日学校を休んでいたはずの後輩クロウだ。彼が古城を絶体絶命から救ってくれた。

 そして、赤白チェックの男はその右腕が手首から先が失われている。先ほど雪菜がその銀槍で切断した黒水銀の刃は、液体金属と融合した肉体の一部であったらしい。

 この挟み撃ちの状況に、赤白チェックの男は乱入してきた二人を見比べ、クロウの衣装に目を止める。

 

「その法被(コート)、アルディギアのものだね。ということは、きみが叶瀬夏音の護衛か!」

 

「違うが、オマエを捕まえに来た」

 

 どうやら雪菜よりも先に倒すべき障害と見たか、男はクロウの方を向く。必然、こちらに背を向けるが、雪菜はまず古城に確認をする。

 

「先輩……あちらの方は?」

 

「さあな。真理の探求者とか言ってたが」

 

 ふざけてると思われるかもしれないが、古城はそうとしか言えない。

 生真面目な雪菜は古城の投げやりな回答に叱るかと思われたが、

 

「……探求者……なるほど」

 

 なんと、あっさりと古城の言葉を受け入れた。

 

「剣巫に第四真祖と3対1とは、流石に分が悪いな。叶瀬夏音の始末は諦めるのが正しい判断か」

 

 気怠げな口調で言いながら、その場に屈み込んだ男は足元に転がっている、先ほど切り飛ばした3、4mほどの街灯の支柱に手首のない右腕で触れる。

 瞬間、その銀柱が飴のように融け崩れて、融解した鉄柱の表面が濁った鮮血のような黒水銀に。そして、男の腕に吸収され、切断された手首が復元する。

 

「なんだ…!? あいつの腕が……」

 

 鉄柱と融合して、失われた肉体の一部を復活させる。

 その異様な術に、雪菜は確信する。

 

「やはり、錬金術師……!」

 

 『魔族特区』の住人である以上、もちろん古城も、錬金術師の存在は知っている。

 万物の組成を操り、黄金を生み出す者。神の技を暴き、生命の謎を解き明かそうとする永遠の探求者。

 最初の謳い文句の通りだ。

 

 そして、錬金術の代表的な術は、鉛を金に変える物質変性―――

 その能力の凶悪さを理解して、古城はゾッとする。

 

「まずい……!」

 

 先ほど古城の腕を掴み仕掛けようとしたのが、身体を金属に変えてしまう物質変性の錬金術だとすれば、近づくのは危険―――近接戦闘は避けるべきだ。

 

「―――そして、この場において武器を持たない間抜けな護衛が穴か!」

 

「やっぱ、そうくるかテメェ! 赤白チェック!」

 

 それに気づくより早く、古城と雪菜の眼前に、金属の塊が倒れてくる。

 道路沿いに植わっていた巨大な街路樹を、一瞬で、錬金術師が鋼鉄に変えたのだ。鋭い棘となった無数の枝に、刃に姿を変えた生い茂る葉。

 ぶつかれば当然、無傷では済まない。

 

「うおっ!?」

「駄目です先輩―――!」

 

 そこに突っ込むところを古城は雪菜に掴まれて、間一髪に危機を逃れる。

 だが、雪菜に支えられて、起き上がった時には、すでに錬金術師は後輩の前で、間に合わない。

 

「クロウ君! 錬金術師に素手では危険です!」

 

 雪菜の警告が飛ぶ。

 南宮クロウでは、相性が悪いのだ。

 肉弾戦が主な攻撃手段で、精霊術と同等の効果を発揮する超能力もあるが、相手は“匂い”のつきにくい金属へと場を変性させる錬金術師。

 

「もう、遅い! 彼には鋼鉄のオブジュになってもらう!」

 

 錬金術師に迫られ、それを避けようとしないクロウは人間のまま―――それは、獣人拳法の四獣の秘奥が使えない状態だ。

 このまま出会い頭に殺される!

 そう、古城が予感した時―――

 

 

「わかってるぞ。その右半身を注意すればいいんだろ?」

 

 

 錬金術師はこの場より逃げるには、この敵ひとりを殺すしか他にないと結論した。

 大蛇の如く不規則にうねり迫るその黒水銀の右腕。狙うは胴体。即死に至る小さな急所を狙わずとも、物質変性がかかれば一瞬で行動不能にできる。ならばより大きく狙い易い箇所に放つのが鉄則であった。

 にもかかわらず、黒水銀の右腕が当たり穿つは少年の法被の下の腹部腸ではなく、コンクリートの路面だけだった。

 身を躱したクロウの動きは、確かに信じがたいスピードではあったが、何も相手の攻撃より速かったわけではない。その吸血鬼でさえ見切れぬ高速の鞭打、その思考の速度に先んじて動く。驚嘆すべきはその未来視に読心嗅覚(リーディング)、そしてその戦術判断。錬金術師の視線から狙いを、一秒先の未来を見取りタイミングを読み切り、錬金術師の攻撃を見切ってのけたのである。

 のみならず―――

 弾き飛ばされ動きを止めたのは、錬金術師の方だった。触れる物体を金属に変えて己の肉体に取り込んでしまうその右腕に突き刺さる異物。男が驚嘆の眼差しで見つめるものは、“物ではない”、冷ややかな刃の光を放っている。

 刃渡り10cm余りの交差する薄刃は手裏剣を連想させる。そう、これは霊弓術を手裏剣に変形させた投擲物である。先ほど古城の止めを防いで、たった今、錬金術師の右手の甲を串刺しに噛みつく刃がそれだった。クロウは打鞭の如き変則的な攻撃の軌道から逃れる動作と連動して、霊弓術を投げ放っていたのだ。

 そして、気で形成された非物質であるため、金属とすることはできない。さらに、非物質である気を纏うのならば、その身を叩けると実証した。

 

「その程度でやられるなら、笹崎師父とお猫様に叱られるのだ」

 

 霊弓術に続いて、その動きに雪菜は驚き、そして、悟る。

 これまで拳法と仙術の達人の指導もとにその資質に見合う強大な基礎工事が成されていた同級生を、手解きした者がいる。そして、この原石を磨いた者は雪菜の知る人物であると。

 

「<黒雷(くろ)>」

 

 錬金術師を怯ませたところで、術を行使して、一気に加速して動き出す。

 元より人間の限界値を超えた敏捷性を持っているクロウが、呪的身体強化(フィジカルエンチャント)でさらにブースト。

 それも蒼銀の法被――『タルンカッペ』の伝承では、彼の英雄に、巨大な岩をも持ち上げる十二人力の力を与えたというが、その性質からか、『強化』の魔術の伝導率が良く、3倍速させた動きを見せる。

 

 そして、迅さだけではなく、巧さもある。

 

(何だ……? この動きは……!!)

 

 ただ加速するだけでなく、減速――緩急を使い、風に舞う木の葉のように移動して、その身をまとう生体障壁の『皮』を残していく。分身とはまた違う、すぐに空に溶けてしまうが、ほんの一瞬だけ実体がある残像だ。

 

 疾い!!

 

 黒水銀の斬撃が裂くが、それは残像。別の場所に現れては、また、新たに像を増やす。

 そして、その動きに生じる足音が、ない。加速するにしても、減速するにしても、地を踏む音が聞こえない。

 

(これは、師家様の―――!)

 

 足裏に展開される、足音を殺す柔性の肉球型の生体障壁。

 それが達人でも会得するのに10年はかかる無音移動可能な技量まで文字通りに下駄を履かせるように底上げする。さらには空を蹴って宙を跳ねる仙人じみた動きをしてくるので、予測がつかない。

 数多の残像で視界が埋め尽くされていく純粋な体術は、魔力を使わずに幻術と同等以上に相手を翻弄する効果を発揮させる

 

「くっ、ちょこまかと―――!?」

 

 吸血鬼の反応速度をもってしても全弾回避不可能なほどに、錬金術師が滅多打ちに腕を振るうが当たらない。枝分かれしてその腕が多頭の蛇鞭と化して、様々な角度から襲い掛かっても、本物がわからない以上は空を切るばかり。

 躱しながら霊弓術の手裏剣を放ってくる。

 移動速度は上がり―――

 不意に、その姿が完全に無となって消え失せる。

 

 蒼銀の法被(コート)――魔導産業大国アルディギアからの贈り物<隠れ蓑(タルンカッペ)>に施された呪的迷彩による透明化。

 また、生体障壁の『皮』を移動しながら残して、場に溶け込ませていくことで、“匂い”を覚らせなくさせる疑似的な気配遮断までも行っているのだ。

 

「消え……た……?」

 

 呆然と呟く雪菜。剣巫の霊視をも攪乱する。

 ならば、錬金術師に見抜けるはずもなく。

 

 最適解を導く直感――野生の本能を備える狩人は、その場にいた全てのもの死角にいた。

 

「<火雷(ほの)>」

 

 本来の手から放つ型とは違うが、発声と同時に吐息(ブレス)のように()からの呪力放出。

 半身が金属で相当な重量である錬金術師だが、高密度に凝縮した呪力が、透明なハンマーのように半人半金の男の体を宙に打ち上げる。

 

「<鳴雷(なる)>」

 

 緩やかな放物線を描いて、飛んでいく―――それを回り込み、

 落ちてきたところを、膝蹴りのリフティングですくい上げ、

 

「<若雷(わか)>」

 

 掌打がさらに拾って持ち上げ、

 

「<伏雷(ふし)>」

 

 サマーソルトキックで再度、高々と蹴り上げられる。

 三連打(コンボ)すべて呪力を活性化させた生体電流が迸る衝撃に変換させる付与術を、この鋼鉄を砕く剛拳鋭脚に宿らせており、その黒水銀の肩、腹、腰が粉砕されている。

さらに打撃の威力に、空中で乱回転する男の体が落ちてきたところを、今度はその人間の体である左半身その脇を抉り込む―――

 

「<拆雷(さく)>」

 

 靠。零距離の体当たり。

 あらゆる物理攻撃をすり抜けるはずの液体金属の身体。

 しかし滾る電気の紫電をまとった『八雷神法』は、一手であろうとも大打撃であったろうに、都合五連打も撃ち込まれれば、錬金術師のダメージは致命的であったに違いない。遥か先に吹き飛ばされて、立ち上がる力さえ失せて仰臥したままの赤白チェックの奇術師が転がっていた。

 

「うご、けない……だと!?」

 

「オレの気を五度も打ち込んだのだ。一打では無理でも、それだけもらえれば、オレでもオマエを縛るくらいの拘束呪(のろい)がかけられるぞ」

 

 舞威姫のように一太刀に拘束呪術を仕掛けるのは無理でも、五つ重ねれば同じ効果を発揮できる、と。

 

 『八将神法』まで―――と雪菜は同級生の成長ぶりに驚きを隠せない。

 たった一週間、組手してないがそれでも実力が見違えるようだ。もともと基礎はできていたからこその成長の早さだったろうが、それでもよほどの猛鍛錬だったろう……と獅子王機関の養成所、高神の森出身校魔師は、若干の同情が禁じ得ない。

 そして、電撃に痺れたように痙攣させて動けない男の前に、クロウは立ち、その左拳に黒霞の獣気を溜める。

 ―――あれは、まずい。

 錬金術師の思考は訴えるも、だが身体は動いてくれない。どうにか起き上がってくれたが、それ以上は無理だ。

 

「これで、終わりなのだ」

 

 念入りにその“毒手”で行動不能にしようとした瞬間―――

 

 

 錬金術師の側頭部を小さな衝撃が抉りぬき、すべては一瞬にして崩れた。

 

 

 ボァ、という、重くしめった破裂音。

 奇術師の赤白チェックのシルクハットごとその頭蓋を簡単に貫いた弾丸は、減速とともに聖銀の体を四散させ、脳髄の海を焼き切りながら跳ね泳ぐ。

 貫通することのなかったその弾丸は、脳みそがあるところを歪な跳弾を繰り返し、その瞳孔の光を消す。

 そして―――

 

「今だ! やれ!」

 

 特区警備隊拠点防衛部隊の隊長の号令。

 すでに仕留めたはずの獲物に、追い打ちをかける形で数十発の弾丸が突き刺さった。

 方向は一ヶ所からではなく、二ヶ所から挟み打つ十字発射(クロスファイア)

 明らかなオーバーキル。執拗な破壊。

 その弾丸の交差する焦点には、少年がひとりいるにも関わらずに。

 そして、ラップに合わせて踊る操り人形のように、錬金術師の体はクルクル舞い回り―――ピタッと止まる。

 

 

「は……はは……はははははははは!」

 

 

 無数の弾丸の雨に晒されて、男は狂気の笑みを浮かべていた。撃たれた傷も、速やかに埋められる。

 特区警備隊の使用する対魔族兵装は、高純度の琥珀金弾(エレクトラムチップ)と、銀イリジウム弾頭弾。そのどちらもが錬金術の触媒として極めて優れた性質を持っている―――金属。

 

「いやいや、危ないところを弾丸(エサ)をこんなにも御馳走してくれて、助かったよ警備隊の皆さん」

 

 半人半金の錬金術師は、弾の琥珀金銀イリジウムに込められた呪力を吸い上げ、拘束呪に麻痺状態であった体を完全に回復させる。

 

「クロウ!?」

「クロウ君!?」

 

 一方で、追い詰めていたはずの少年は、味方から“流れ弾”(フレンドリーファイア)をもらってしまっていた。

 それも銀イリジウム合金は、人狼殺し(ライカンキラー)とも呼ばれる代物。

 止めの一打で“壊毒”の制御に気を遣っていたせいか、生体障壁の展開が遅れる。

 身体に鋭い痛み。クロウの身体真横を通り過ぎる銃弾の嵐。脇腹に手を当てると、ぬるりとした手応えと共に血液が付着する。思わず片頬を引き攣らせるが、これでも僥倖。あとわずかに横、そして反応が遅れていれば生体障壁のない人型時では蜂の巣だ。

 

「では、今度こそ逃げさせてもらうよ」

 

「ま、て……っ!」

 

 錬金術師が逃げる。それを追おうとするが、目眩がして膝をつく。撃たれた傷が疼痛を発していた。

 南宮クロウは、錬金術師、天塚汞の逃亡を許してしまった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 カフェテラス周辺の風景は、ひどい有様になっていた。何本もの街路樹が薙ぎ倒され、数件の建物が半壊している。修理にかかる費用はざっと数千万円はいくだろう。

 だが、この程度の被害で済んだのは、むしろ幸運だったのだ。

 あの時古城が助けられていなければ、錬金術師の攻撃で宿主が殺されて、眷獣が暴走、この周辺一帯は焦土と化していただろう。殲教師の一件で倉庫街を壊滅させた前科が古城にはあるのだ。

 

 そして、錬金術師をあと一歩のところで取り逃がしたのは、間違いなく不幸だ。

 

 拠点防衛部隊(ガーディアン)の部隊長は、部隊の一斉射撃に負傷して、頽れている後輩を鉄面皮のまま目を光らせ、表情の些細な機微まで余さず観察しながら淡々と、

 

「先行は許可した。標的を見つけ報告するまではいい―――だが、<黒妖犬(ヘルハウンド)>の役目は『追跡屋(イヌ)』だ。我々拠点防衛部隊(ガーディアン)が現場に駆け付けるまでは待機しろと言いつけておいたはずだが」

 

 その失態の追及に、古城は目を剥く。しかし後輩はけして憤激したり狼狽したりして表情を曇らせるような真似はしなかった。後輩なりにある程度、この叱責を予期していたのだろう。

 

「アイツ暴れてた。ご主人みたいに空間転移できないお前ら遅いから、到着待ってられない」

 

「口答えをするな!」

 

「きゃんっ!!」

 

 電撃(スパーク)が、その身を襲う。

 見れば、その右腕に見慣れないごつごつとした腕輪がつけられている。

 獣人種の人並み外れた自然治癒力はあっても負傷がまだ完治してない状態での追い打ちに、クロウは肘をついて四つん這いに項垂れる。

 その様を冷ややかに見下しつつ、部隊長はたっぷりと皮肉を込めて詰る。

 

「そんなにも点数稼ぎがしたいのか? だがそのようなスタンドプレーが隊を崩壊させるのだ。犬なら『待て』くらいはできたらどうだ?」

 

「―――おい、てめェ! いきなり味方の背中を撃っておいてよくその台詞がほざけるな!」

 

 怒声を上げたのは、クロウではなく、第三者の古城だった。

 未登録魔族であるため特区警備隊とは関わり合いたくないが、我慢できない。詰め寄ってその顔面をぶん殴る真似までは自制したが、部隊長を視線に圧を篭めて睨みつける。

 

「さっきからテメェのミスを棚に上げて、クロウばっかり責めやがって。だいたい今のは何だ!? 電気ショックって動物じゃねぇんだぞ」

 

 吼える古城。その学生服から一般市民であると認識した部隊長は、その顔を笑みに作り変える。

 しかし、こちらへ向けられる神経質そうな細く尖った鋭い瞳。民間人へ見せる作り笑顔の裏に冷たくこちらを凝視する瞳があるのを皮膚がレーダーのように敏感に感じ取る。

 

「ああ、大量破壊兵器も同然の力を持つ存在が感情に任せて暴力を振るうなど、猛獣以上に警戒すべきだ。今躾けてやらんと周囲の人間に害をなす。

 学生が無責任に口出しをするな。これも私の仕事なのだ」

 

「なんだとッ―――!」

「落ち着いて、先輩―――!」

 

 同級生が虐げられて、同じくカッと血が上る雪菜であるが、古城の監視役としての役目意識が頭を冷やした。

 しがみついて押さえながらも、冷静に、努めて冷静に、下手をすれば眷獣を暴発しかねないほどに感情を高ぶらせる先輩へ自制を促す。

 

「古城君、オレは、大丈夫だ」

 

 凛と、いつもよりも低めに通る声が古城を制止する。

 後輩(クロウ)だった。いつの間にか彼は立ち上がり、痙攣の震えも見せずに古城を真っ直ぐに見据えていた。

 

「全然大丈夫じゃねェだろ! なあ―――」

 

「それよりも、“一般人は早く逃げないとダメなのだ”。“警備隊の邪魔をすると大変だぞ”」

 

 厳しい剣幕をみせていた古城は、後輩に宥められてようやく気づく。

 特区警備隊に<第四真祖>の正体が知れれば、これまで通りの学生生活はできないし、必然的に、凪沙――重度の魔族恐怖症である彼女にもばれてしまうのだ。

 古城はクソッと呟きながら、行く手を遮ってくれた鋼鉄と化した樹木の幹を八つ当たりに蹴り飛ばす。

 と、その後輩は先輩の荒れように小さく息を吐いて、困ったように口を開く。

 

「古城君は、ちょっと神経質なのだ」

 

「神経質って……」

 

「うん、気にし過ぎだ。こんなの、普通だろ。誰だって、初めての相手との連携が失敗することくらいある。最初から何でも意思疎通ができたら苦労しないぞ?」

 

 部隊長を庇うつもりでも、援護するつもりでもない、本当に呆気からんとした調子で、当たり前にこの現状にも理解を示している。

 

「まあ、さっきは言い訳しちゃったけど、オレも焦ってたのはあるんだ。この仕事を片付けないと、皆と宿泊研修にいけそうにないし」

 

 警備隊の都合に縛られているのか!

 それを聞いて、また叫びたくなる古城だが、

 

「でも、アイツが危険なのは実際、対峙してよくわかった。叶瀬を狙ってるみたいだし、絶対に放置はできないな。とっとと片づけた方が良いぞアレ」

 

「だからって、その電気ショックは……」

 

 古城だけでなく雪菜も口を開くが、その言葉もあっさりと切り捨てられる。

 

「オレが危険だって思われてもおかしくない存在だぞ。近寄るにはこのくらいの手段は講じたくなる。実際、古城君には最初は怒鳴られたし、姫柊にも警戒されたのだ。まさかとは思うけど、そのことを棚上げしてないよな?」

 

 それは……と言葉を詰まらされる。

 

「む。別にそのことを責めてるわけじゃないぞ。人間関係、打ち解けるには時間がかかるもんなのだ。そんで、一緒にいれば仲良くなる! 今では古城君や姫柊もこうして庇ったり心配してくれるしな。嬉しいぞオレ! こういうのを、実証済みだっていうんだろ?」

 

 ふふん、とそう胸を張って言われれば、怒鳴ってやろうと吸い込んだものを嘆息と一緒に吐きだしてしまうしかない。

 何でも物事がそううまくいくはずがない。しかし、それでもこの後輩が受け止めるだろう。

 ああ、そうだった。神殺しの毒を持ちながら、この少年の性格には毒がないし、毒が通じない。

 ―――まったく、だから、心配になるんだが。

 

「じゃあ、オレは行く。“匂い”が嗅ぎ取り辛い相手だけど、まだ近くにいるはずなのだ。姫柊は古城君を連れて早く帰った方が良いぞ」

 

 言って、その血が滲む脇をさすりつつ、とっくに去っていた部隊長を追って捜索を再開する。

 攻魔師資格(Cカード)のないクロウは、特区警備隊に命令できる立場ではなく、従うしかない。

 そして、古城たちも納得がいかなくてもそれを黙って見送るしかなかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 どれだけ優れた探知能力があろうと“足手纏い”を連れていてはその追跡速度は半減する。

 そして、この不定形(スライム)の肉体を生かし、人が通れない配管を逃亡経路にすればこの隠れ家まですぐに追いつくのは不可能だろう。

 

「やれやれ、あれが<黒妖犬>か。アルディギア王家のお気に入りだと聞いていたけど、面倒な相手だよまったく」

 

 術を掛けさせる暇も与えない果敢な攻めは、相性のハンデを覆し得るほどだ。

 噂に聞く追跡に秀でた超能力(スキル)がある以上、また対決することは間違いない。

 

「ついでで拾ったけど、こいつが役に立つかもしれない」

 

 隔離施設から盗み出したのは、“あれ”ひとつではない。

 隠れ家のテーブルに置かれていたその“金属物”を天塚は拾う。

 <監獄結界>の脱獄犯が所有していた、そして、特区警備隊に回収された“英雄の得物”。

 

 西欧教会に雇われていた元傭兵にして、『龍殺し(ゲオルギウス)』の一族の末裔ブルード=ダンブルグラフが『旧き世代』の眷獣をも一刀両断にした、対魔族魔獣に絶大な効果を発揮する殺龍剣(アスカロン)だ。

 

「精霊の力を操る巨人族(ギガス)、それも『一つ目』が造り上げた魔剣か―――流石、亜神の末裔を自称するだけはある。倉庫に腐らせておくのはもったいないね」

 

 伝承通りに一つ目の巨人(サイクロプス)が打ち鍛えた逸品。

 不毛な砂漠や山岳地帯などの過酷な環境に適応した代償なのか、彼らの肉体は極めて精霊と相性が良い。すなわち巨人種族の多くは、先天的な精霊遣いなのだ。

 それに加えて、巨人たちは古代から、採掘や金属加工、鍛冶の技術に秀でた種族でもある。

 そんな彼らが造り出した武器は精霊の力を借りて、高等魔術を凌駕する様々な現象を引き起こす。アルディギア王国の<疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>も、彼ら巨人種族の武器を参考に生み出されたものだとされる。

 

 そして、その中でも『一つ目』――この日本でも鍛冶神の『天目一箇神(あめのまひとつめかみ)』の逸話があるように、巨人族の中で特に武器製作に優れた『一つ目』が造り出すものは、最上級のブランドだ。

 

「だから、僕が半身として有効活用しようじゃないか」

 

 ぬらぬらと光り輝く金属質の右腕が殺龍剣を掴む、いや、取り込んでいる。

 人間の右腕に擬態していた水銀のように流動する黒銀色の液体金属と、一つ目巨人が製造した玉鋼に希少金属(レアメタル)の魔導合金が混ざり合い、文字通り、一体化していく。

 

 錬金術師は、金属の組成を自在に操る。如何なる超硬合金も、彼の手に触れれば薄っぺらなアルミ箔より脆く変わり、そして、半人半金の怪人はこの魔導金属の特性に、その堕ちた英雄に使われてきた武器の<固有堆積時間(パーソナル・ヒストリー)>までも身に取り込むことが可能だ。

 

「くくく、いいぞ。融合するのに時間はかかるが、力が湧いてくる。これまで数えきれぬほど虐殺してきた魔族魔獣の返り血を啜っているのもまたいい!」

 

 <神獣化>する魔狼は巨人の心臓を喰らったそうだが、巨人の魔剣を吸収した錬金術師は如何なるものか。

 

 抑え切れずに暴発してしまう、禍々しくも奇怪な魔力の放出に、隠れ家に張られていた結界の半分以上が吹き飛ぶ。

 そして、右半身に劇的な変化が訪れる。

 人間に偽装されていた肌色が、金属光沢のある鋼色となる。さらには呪われた剣に染みついていた返り血が染料と化して、剣製で巨人が打ち込んだ魔術回路が張り付く。右腕から血管のように蠢く赤黒い紋様が走り、右半身にこの負の想念が刻み込まれる。

 刺青(タトゥ)が顔面右頬にまで届いたのと同時に魔力暴走がピタリと静まり、魔剣を取り込んだ錬金術師は何か実感を確かめるよう、一本一本小指から親指までの指を折っていき、右手で拳を作る。

 

 

「これほどの相性だとは思わなかったよ。若干、味まで覚えてしまい、魔族の血に飢えてしまうのが難点だけど」

 

 

 試し切りするかのような軽い右腕の一振りで、残る隠れ家の結界は完全に消し飛んだ。

 

 

 

つづく


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