ミックス・ブラッド   作:夜草

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観測者の宴Ⅳ

オシアナス・グレイブⅡ

 

 

 むかしむかし、森の奥にある城にとても無知な王子が住んでいました。

 森で育った彼は外のことを知らず、周りは使用人ばかりで対等に話してくれる人もおりません。

 そんな王子のもとにある日、魔女がやってきました。

 魔女はその王子が人としての心を持てていないことを見抜いては、その王子をそのように育ててしまった使用人たちや城全体に魔法をかけてしまいます。

 王子は恐ろしい野獣の姿になり、使用人たちは家財道具に。

 それから魔女は庭に咲いたバラの花々をみて、『その花びらが全部散ってしまうまでに、王子(バカ)が『真実』を見つけなければ、お前らに掛けられた呪いが解けることはなくなる』、と言い残して去ってしまいます。

 

 そして、魔女が去ってしばらく、ある家族思いの少女が現れました。

 彼女はいなくなった父を捜しに、この森の奥の城へとひとりやってきたのです。

 しかし、父はつい娘への土産にと大事なバラの花を採ろうとしてしまったことから、城に囚われていたのです。それを知った娘は、『父がバラの花を採ってしまったのは自分のためなのだから、自分と引き換えに父を解放してほしい』と王子にお願いします。

 こうして、父は城から解放され、娘は王子と共に暮らすことになりました。

 最初のうちは礼儀や人付き合いもわからない王子に手を焼かされる娘でしたが、やがて一人城の外に出て野生の狼に襲われたところを王子に助けられたことがきっかけで、王子に惹かれるようになり、また王子も娘と触れ合ううちに、徐々に人の心を身につけていきます。

 しかし、そうして人としての在り方を学習していった王子は『家族思いの娘をいつまでも城に閉じ込めていてはいけないことだ』と思うようになり、父のことを思い沈んだ表情を浮かべた彼女に街へと帰るよう言います。自分に対する娘への情が何であるかを確かめられないまま彼女を手放してしまえば、二度と呪いが解けないことを悟りながら……

 

 そして、少女と別れてからすぐ、今度は狩人が城へ攻めてきました。

 彼は森の奥の城で野獣が守っているというお宝を狙いにやってきたのです。

 恐ろしい野獣と相手するために仲間を集めて襲い掛かった狩人らは、野獣に矢を放ち徹底的に痛めつけます。そうして、野獣は力無く倒れたまま動かなくなり、狩人らは止めを刺そうとした―――その刹那、別れたはずの娘の声がしたのです。なんと、別れた娘が城に戻ってきた。彼女の声を耳にした野獣は生気を取り戻して、狩人らに反撃を始めて、彼らを追い払います。

 だけど、狩人らに負わされた野獣の傷は重傷。虫の息ながら、念願の再会を果たした娘に『自分は君と出会って『真実』を見つけた』と告白し、息絶えてしまった。

 娘は野獣の亡骸にすがりつきながら、涙を流して自分の気持ちを告白して……

 

 途端、空から流星が落ちてきて、野獣は光に包まれる。

 そして、なんと元の人間の王子だったころの姿に戻ったのです。

 『真実』を知り、娘の告白を受けたことで、ついに野獣は魔女に与えられた試練を乗り越え、自身と城の皆に掛けられた呪いから解き放たれのだ―――

 

 

 

「………こうして、王子と娘は結ばれて、皆は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 

 『美女と野獣』

 物を知らぬ王子が、魔女に呪いをかけられ野獣に変えられてしまう。

 しかし、少女と出会い、『真実』を知り、魔女の呪いが解ける。

 簡単にまとめると、そんなお話だ。

 

 一悶着があった風呂(混浴)のあと、アルデアル公が用意した部屋は、大きなダブルベットがひとつだけ置かれた、完全夫婦使用の寝室(ベットルーム)

 どうせそんなことだろうと予想していたので、特別騒ぐようなこともせず、とりあえず一緒の部屋でまとまっている方が安全と判断する。

 

「古城君、鼻血ぶーっていたけど、大丈夫か?」

 

 湯船で体を休めようとしたが、親しい女子友達と腹を割っての裸の付き合いをしてそれがあまりに刺激が強過ぎた結果、血塗れとなった古城は、呼びつけられた後輩に背負われて、服も着替えさせてもらって、この部屋まで運ばれた。

 古城はのろのろと貧血気味な頭に手をやりながら、力無く笑う。

 

「気にするな……助けてくれてありがとな」

 

「ホント、あれだけ盛大に鼻血噴けば、血が足りなくなって当然ね」

 

 部屋にあった童話の絵本を読み聞かせて、サナを寝かしつけた浅葱が古城に声をかける。

 今、汚れてしまった私服の代わりに彼女が着ているのは浴衣で、普段は派手派手しい着こなしだが、こういう大人しめの格好が意外と似合ってる。というか、こっちの方が普通にモテそうだ、とかつて自分が浅葱に言った言葉を忘れてそんなことを思う古城(古城はある有名なバスケットチームのジャージを借りてる)。

 

「それで、那月ちゃんが<監獄結界>の『鍵』っていうのは本当(マジ)なわけ?」

 

 サナが幼児化した担任教師という異常事態はもう受け入れたらしい。

 さすがは、『魔族特区』の住人か。

 

「そうだぞ。だから、ご主人は檻から出てきた悪い奴らに狙われてて、それから悪い魔女に呪われて子供にされちゃったのだ」

 

「呪われて、って?」

 

「ああ、魔導書を使って、経験した時間を奪った、とか言ってたな」

 

固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書ってこと? そんなの禁呪指定クラスの危険物じゃないの」

 

 思ったよりも深刻な事態に驚く浅葱。当たり前の話だが、<監獄結界>から魔導犯罪者が脱走したという事件は、古城たちだけでなく、絃神島の全住民にとっての大問題だ。

 

「それで古城たちは、優麻さんのせいでその事件に巻き込まれたってわけ」

 

「え? 何で知って……?」

 

 今度は古城が驚いた。

 何でも人工島管理公社の記録に、『10年前に仙都木阿夜という魔女が『闇誓書事件』を起こして南宮那月に逮捕された』と残っていたのだ。

 仙都木、なんて『魔族特区』でも目にしないような珍しい苗字だから、優麻がその事件の関係者ではないかと予想を付けていたのだという。

 浅葱の推理力に古城が感心してる、と。

 

「ご主人……?」

 

 その時、眠っていたはずのサナが突然、上体を起こす、

 そのまま、天井から見えない糸に吊り上げられたのではなかと思うくらい、不自然な動きで、母親役(あさぎ)と同じ浴衣姿の幼女がダブルベットの上にゆっくりと立ちあがる。

 異様な気配に、古城らは困惑。使い魔なクロウも戸惑いを覚えてる。今のサナは明らかに普通の状態ではないし、何か得体のしれないものに取り憑かれているようにも見えなくない。

 

「……くーろー……」

 

 眠りながら、伸びるように、呼ばれる名前。なのに、その寝言がなぜか怖い。

 嵐に巻き込まれる。

 その予感をひしひしと感じとる古城は、とりあえず、呼ばれているのは後輩なのでその背中を押してやる。ひどい先輩ねあんた、と思いつつも、密かに危険圏外へと移動している賢い浅葱。

 

「古城君!?」

「ほら、ご主人様が呼んでるぞクロウ」

 

 押し出され、幼女の足元、ベットに倒れ込む後輩。

 その際、スプリング入ったベットが大きく上下に撓んだけど、幼女は体勢を崩さない。

 

「ご、ご主人……?」

 

 しばらく、サナは何も言わなかった。

 ゆらり、と。

 音もなく脚膝揃えて、横倒れの使い魔後輩に目線を近づけさせる。

 びくっ、となんか頭を低くしてしまう。

 そして。

 至近距離で。

 手を出して、一言。

 

「……おて……」

 

 反射的に手を置いてしまう。

 そして、後輩の身体が、きらきらと輝く。

 部屋を真っ白に染めるほど眩い光だ。

 

「う!? これはご主人のお仕置きレパートリーの―――」

 

 眩しい閃きは、繭のように後輩の姿を包み、

 変えた。

 変わった。

 後輩の姿が。

 ―――ぽよん

 と、それは幼女の腕の中に跳ねた。

 

「ぽよん?」

 

 無論、実際に立てた音ではなく、古城が脳内で処理した擬態語である。しかし、あまりにもその音が似合いすぎる相手だった。

 白銀に煌めく毛並み。斜め30度くらいの角度に眉のあがった勇ましくもつぶらなお目目。大きめの牙を口に生やして、鋭い爪の生えたお手手。

 紛うことなく、獣化した後輩だ。

 ……ただし、小型犬くらいの大きさ。

 

「えっ、何!? 何が起きてるの!?」

「クロウが消えた!? いや、まさかそれ―――」

 

 トラブル慣れした『魔族特区』の住人も世界最強の吸血鬼も事態についていけず驚嘆する中で、再び立ちあがった浴衣姿の幼女は銀狼のお人形さんを片腕で抱きかかえたまま、大きく息を吸い、カッと目を見開き、

 

 

「―――ナー・ツー・キュン!」

 

 

 びしり、と名乗り上げて、ピースサインで決めポーズ! をとってから、クルリ、と一回転してから、おまけくらい手足の小っちゃい二頭身のぬいぐるみを古城らに突き出して、アピール。

 

 

「―――アー・ンド! クロローン!」

 

 

 ?????? と、古城と浅葱は一瞬本気で思考が止まりかけた。

 後輩が消えた――いや、何か幼児化とかそんなレベルじゃないくらい小っちゃくなってるのもそうだが、先ほどまでの最中らはありえない異様なハイテンションに二人は度肝を抜かれて固まってしまう。はっきりいって、怖い。何が起こってるのかわからな過ぎて恐怖を覚える。

 しかも、彼女は腹話術師のようにほとんど唇を微動だにさせずに、機械的な口調で何かを呟き始める。

 

「―――主人格(メインパーソナリティ)睡眠状態(スリープモード)への移行を確認。徐波睡眠(ノンレムスリープ)固定(ロック)。潜在意識下のバックアップ記憶領域へと接続。固有堆積時間の復旧(リストア)を開始します。復旧(リストア)完了まで残り1時間59分」

 

「な、なんだこれ?」

「那月ちゃんの記憶が戻った……とか?」

 

 わずかな望みを口にするが、やはりすごく嫌な予感があるのは拭えない。

 そして、こちらを向いたサナは、両手の人差し指を自分の頬に当て、見事なまでの営業スマイル。こんな風に“ぶった”笑い方、いつも通りの彼女ならまずありえない。

 

「残念。正解は南宮那月(ナツキ)ュンのバックアップ用仮想人格でした。キュン!」

 

 言って、その場で、くるっ、と回ると、再び両手の人差し指を頬に当て、にっこりスマイル。ただし、今度は、てへ、と舌を出してる。

 このあまりの異常事態にすわ敵の攻撃か!? と若干疑いたくなるも、大体は状況を把握できたと思う。やっと頭が冷静になれたともいう。

 

「いや、キュンとか言ってる場合じゃねぇだろ……つか、クロウはどうした? どうしてこんなちんちくりんになっちまってんの?」

 

「ちんちくりんじゃないのー。那月ュンに合わせて、クロロンもマジカル進化したのー」

 

「いや、これ明らかに退化だろ。戦闘力激減してんだろ」

 

「だから、那月ュンに合わせてって言ったキュン。ご主人様より強い使い魔はいないの」

 

「おい! 思いっきり意図したパワーダウンじゃねーか!」

 

 頼れるワンコ系後輩が、本当にワンコになってる。

 しかも手足が短すぎて自力で歩くことすら難しいらしく、移動する度によちよちと和みそうな効果音がつきそうなくらいだ。

 

「ご主人に“ハウス”されたのだ古城君」

 

 この場合の“ハウス”とは、つまり<監獄結界>のことか?

 

強制終了(シャットダウン)したんだよー……那月ュンがいないとこで、勝手に“三つ”も契約してたみたいだし、サーヴァントをファミリアに格下げ体験させてるキュン」

 

「怒ってるのかご主人!?」

 

「怒ってないよー……でも、お仕置きも兼ねてるとは言えなくもないニャン」

 

「あぐ!?」

 

 バシバシ、と幼女に猫パンチドリブルされるちっちゃな後輩。丸っこい体が鞠のようによく弾む。でも結構あれきつそうだ。

 そういえば、魔女が人間をカエルにしてしまう話があったがこれもそうなのか?

 

「うぐぐ~、痛くはないのに酔いそうだ~……この身体になると全然力が出ないぞ。オレの身体は眠ってるのに起きてる感じは全然慣れないのだ」

 

「あー……なるほど。そういうことか」

 

 <監獄結界>の『鍵』の代理役を任されられるほど、この主従の使い魔契約のラインは強く、<守護者>の鎧を貸して空間制御の行使ができるのだから、配分次第では主と同じようなこともできるのだろう。

 

「どういうことよ古城、ひとり納得してないで説明してちょうだい」

 

「つまり、なんつうか、ここにいる小っちゃいクロウは“実体のある幻”で、那月ちゃんのワンダーランドの住人になっちまったってことだ」

 

「ますます意味が分かんなくなったんだけど、肉体(ハード)が入れ替わっただけで精神(ソフト)自体は変わってない。つまり、クロウは問題ないってことでいいのね?」

 

 古城も自分の発言を客観的に考えれば、夢でも見てんのかと言われても仕方ないと思うが、これは『本体は眠ったままで自分たちが接していたのは彼女が夢見ている幻』という担任教師の事情を知ってないとわからないのである。

 それを浅葱は自分なりの解釈に落とし込んだことで一応の理解はしたらしい。

 

「那月ちゃんの抑圧された潜在意識って、こんな人格だったんだ……何か意外というか、納得というか」

 

 浅葱が疲れたような声で低く呟く。どうやら今の那月は、あらかじめ用意しておいた非常用の仮想人格(バックアップ)で動いてるらしい。

 今回のように敵の攻撃で本来の記憶が失われた時の対策として、一時的でも記憶を回復させるという特殊な術を自分自身に掛けられるよう、用意されたのがこの仮想人格。

 流石に一流の攻魔師とあって、備えは万全。ただ、出現した仮想人格の性格がちょっと残念なのが、誤算だと思うが。

 で、それに、後輩も付き合わされているという状況だ。

 

「バックアップからの復旧……ってことは、このまま元の那月ちゃんに戻るのか?」

 

「残念! 流石にそれは無理かもー。記憶はともかく、この身体だと魔術を行使する反動には耐えられないと思うしー。そもそも魔力が足りてないし」

 

「今、クロウをちんちくりんにしたのは魔術と違うのかよ?」

 

「あれは那月ュンじゃなくて、クロロンが自分でやったの。那月ュンはただ誘導しただけー。だから、那月ュンはちょぴっとも魔力使ってないし、那月ュン悪くないキュン」

 

「いや、思いっきりお前が悪いだろ」

 

「違うの! いっぱい働いてるのに休めてないクロロンのためを想って、心を鬼にしてやったの!」

 

「だったら、ドリブルはやめてやれ。思いっきり目を回してんだろーが」

 

「あぐっ……身体は休めてると思うけど、何だか思いっきり疲れてるのは気のせいなのか?」

 

 ドリブルされた二頭身後輩をスティールする古城。ぐったりとしてて、何だかより弱ってる。それに仮想人格は、『クロロンを返してー』とぴょんぴょんと跳ねてる。なんだか幼い子供からオモチャを取り上げてしまったような構図で、心が痛い。なわけで、そこは面倒見のいい浅葱にワンコを預け(パスし)て、古城が仮想人格の肩に手を置いて抑えに回るとする。

 

「……つうことは、やっぱり、仙都木阿夜の魔導書を破壊しないと駄目ってことか」

 

「ですです。<監獄結界>も頼れるクロロンに任せてあるし、あとは寝る子は育つ方針で。10年くらい待てば元通り成長するから、それまで待つって手もあるキュン?」

 

「それはねェよ。待てねェよ」

 

 緊張感も危機感もない仮想人格のテンションに苛立ちを覚えながら、古城は深々と溜息をつく。

 その横で、浅葱は興味津々とぬいぐるみ後輩に感心して頷いてる。

 

「あーぐー……ほっぺそんなに伸びたらお餅になっちゃうのだー浅葱先輩」

 

「ほーへー……ちゃんと触れるし、抱き枕みたい。わんぱくマスコットキャラが本当に可愛らしい癒し系マスコットになっちゃったわね。今度これで学校に行ってみたら? きっと大人気よクロウ」

 

「うー、この状態だと移動するのがカメさん並に遅いから、遅刻しちゃうぞ」

 

「そんときは、誰かに抱っこされて運ばれるから大丈夫よ。きっと凪沙ちゃんなんて、自分の部屋で飼うってお持ち帰りしちゃうわね」

 

「だめー! クロロンは那月ュンのクロロンなのー!」

 

「とったりしないわよー。けど、あとちょっとだけ堪能させて。触り心地が良いのよホント。……うちの相棒もこういう可愛げのあるのだったらよかったのに」

 

 と、そのとき、船室の壁に埋め込まれていた薄型テレビが、リモコンに触れてもいないのに、勝手に点灯。次は何だ? と怪訝顔で振り向く古城たちの前で、不細工なCG映像のぬいぐるみがぼんやりとと画面に浮かび上がるう

 

『―――そりゃ悪かったな嬢ちゃん』

 

「モ、モグワイ!?」

 

 テレビの中のぬいぐるみキャラは、浅葱の相棒の人工知能(AI)であり、絃神島を管理する五基のスーパーコンピューターの現身(アバター)だ。

 

「あんた、何でそんなところから出てきてんの?」

 

『嬢ちゃんがスマホの電源を切ってたもんでな。放送電波経由でハッキングさせてもらったんだ。悪いが、また厄介な異変(トラブル)が起きたみたいだ。ちょっと手ェ貸して欲しいんだが』

 

「あっそう。イヤよ」

 

 労働基準法的にもブラックなバイトをお断りして浅葱はテレビを消した。しかしすぐにテレビは再点灯して、土下座姿勢のモグワイが映し出される。

 

『そこを何とか頼むぜ。仕事が終わったらいくらでも撫でたり愛でたりしていいからよ』

 

「あんた二次元(そっ)から出られないし、そもそも可愛げとか主への思いやりとかいろいろ足りてない。ただのバイト学生をどんだけ働かせるつもりなのよ。あんたのせいでこっちは、祭り初日をまるっと台無しにされたんだからね」

 

 そう言いながら、リモコンの電源ボタンを連打。それでも向こうはしつこく再点灯してくるので、ついに浅葱はテレビ本体のコンセントに手を伸ばした。モグワイは慌てたように必死で首を振り、

 

『いやいやいや、今回の異変は嬢ちゃんとも無関係じゃねーんだって』

 

「は? なによそれ?」

 

 彩海学園を中心として、魔術が無効化される空間が発生。

 

 それだけならば、実害はないのだが、この絃神市は人工島。それも、“普通の技術だけならありえない”、太平洋上に人口5万人もの巨大都市を載せた超大型浮体式構造物(ギガフロート)

 そう、人工島本体の強化魔術――硬化に重量軽減、空間固定、悪霊除けに錆止めなど――が余さず無効化(キャンセル)されている。

 今はまだ彩海学園の周辺しか影響を受けていないが、このまま効果範囲が広がれば、この絃神島は崩壊して、沈みかねない。

 

「……最悪だわ」

 

『つーわけで、強度計算や補強対策や避難誘導のプログラムができる人材を絶賛大募集中なんだが。バイト代も弾むぜ』

 

「一応事情は分かったけどさ……こっちも厄介なことになってて、すぐに管理公社に駆け付けるってわけにもいかないのよ。モノレールもまだ復旧してないんでしょ?」

 

『わかってる。それはこっちの方で何か手配を―――』

 

 そこで、ぷっつん、とぬいぐるみ型アバターを映したテレビ画面がブラックアウト。

 そして、部屋の天井から巨大な爆発音が響き、オシアナス・グレイブⅡの船体が激しく揺れる。

 

 

 ―――<蛇遣い>ヴァトラーが吹き飛ばされた身体をこの船体で受けた際の衝撃で。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 脱獄犯の襲撃。

 それに古城たちがとった選択は、逃亡であった。

 

 ヴァトラーを吹き飛ばしたのは、ブルード=ダンブルグラフ。

 龍殺し(ゲオルギウス)の末裔で、西欧教会の暗部。

 <監獄結界>で銀人狼(クロウ)と対決して、一蹴された相手であるが、その膂力は獣人種をも押し切れるものがあり、その肉体は鋼の如く不死身。そして、得物である殺龍剣(アスカロン)は魔族魔獣の天敵。龍、そして、龍に連なる蛇は特に。

 

 この通り、<蛇遣い>と称されるほど、眷獣すべてが蛇であるヴァトラーには相性的に不利である―――だが、それに手を貸す必要はない。

 

 この英雄との死闘を望んだのはヴァトラーであり、あの男がたかが相性程度でやられるような怪物ではない。

 

 だから、この堕ちた英雄と戦いに狂った怪物の戦いで、船が沈没してしまいかねないから、早く避難しようというわけである。

 

「―――こちらです、古城様」

 

 変声期前の少年のような澄んだ声。

 灰色の髪に翡翠色の瞳。肌は白く、睫毛も長い芸術品のような顔立ち。銀色のタキシードを纏うその体躯は小柄であることもあって、同性ながら護ってやりたいと思わせるような(かつ、男だと常に意識掛けてないと危ういくらい)雰囲気を醸し出している。

 この広い船内を案内してくれる吸血鬼――『戦王領域』の貴族キラ=レーベデフ=ヴォルティズラフ。

 ヴァトラーの部下であるが、愛想の良くて古城と趣味の合う(今借りている有名バスケットクラブチームのジャージは彼のもの)ことから、親しくしてもらっている。

 

「キラくんか」

 

「はい。もし船をお降りになるのでしたら、後部デッキをお使いください」

 

 船が沈んで困るのは彼も同じなのだろうが、彼と同じ部下たちは、主たるヴァトラーが心置きなく暴れられるよう、戦いの余波が市街地にまで及ばぬようフォローをする役目があるのだとか。

 ただ、市街地の安全を優先してしまっているので、客人である古城らの護衛までは手が回らない。なにせ、ヴァトラーが本気になれば、絃神市はものの数分で消滅するからだ。

 

 そうして、この場は任せ、古城は船を降りようとしたところで、

 

「南宮様、アルデアル公より話は聞いております。もし<血途の魔女>との対決を望むのでしたら、そのまま前にお進みください。その先で、トビアスが案内します」

 

「どういうことだ?」

 

 キラから古城は、サナに抱かれた後輩を見る。

 <血途の魔女>、それは後輩を創った大魔女の異名だ。それが何故、今でてくるのだ?

 

「ご主人……」

 

 ぎゅっとサナは一度抱きしめて、降ろす。

 瞬間、二頭身のぬいぐるみから、元の姿に戻る後輩。

 

「オレは、半分、奪われてる。ご主人が助けてくれたけど、このままじゃ、ご主人に力を返したら、オレは倒れるのだ」

 

 そう。

 封印が解かれて影より出てきてしまった<血途の魔女>に、後輩は魔力霊力回路、行ってしまえば臓器の様なものを無理やり取られた。

 深森はすでに処置が施されていた、と言っていたが、それはあくまで応急的なもの。本来ならば、優麻と同じように死に瀕している。それを那月が命を繋ぐよう自らの<守護者>を貸し与えたようだが、それでは、那月が魔女としての力を発揮できなくなってしまっている。

 今、古城たちには那月の、<空隙の魔女>の助力が必要だ。

 そのためには、後輩は、奪われた自分の魔力霊力回路を取り返さなければならない。

 

「だから、ご主人を頼むのだ古城君」

 

 サナにその隠れ蓑の外套(タルンカッペ)を羽織らせて、後輩は立つ。

 

「だったら、俺も」

「駄目なのだ。今の古城君、本当は全然本調子じゃないんだろ」

 

 ……ちくしょう。

 その何気ない指摘に、古城は奥歯をきつく噛み締める。

 古城の胸の傷は、今も癒えていない。この状態でまともに眷獣が制御できはしない。

 古城にはその相手がどれほどの実力かはわからないが、こんな不安定な状態ではかえって足を引っ張ることになりかねない。

 そしてなによりも、

 

「それに、これはオレが蹴りを付けなくちゃいけないんだ。―――そうだろ、ご主人」

 

「……うん、クロロン」

 

 後輩が、ひとり立ち向かうことに、特別な意味を見出している。

 それは与えられた数時間の猶予で、それでも一生を賭けると決めて。違う。もっともっとずっと前から、戦うことを決めていたんだ。

 古城には、止められない。できない。この戦争に誰であろうと介入を許すことができるわけがない。

 きっと、ここは納得できなくても、引き止めずに見送ってやるのが正しいのだ。

 精々してやれるのは祈ってやるだけで、それ以外の選択肢はぜんぶ、何であろうと“余計なお世話”なのだ。

 後輩は、そんなことを、絶対に望んでなんかいない。

 そんな葛藤に、古城は強く目を閉じて、

 

「ねぇ、クロロン。どうして、主人格(メインパーソナリティ)が眠っていられると思う?」

 

 そんな最中。

 場違いに明るい声があった。

 思わず見開いた古城の視界に、仮想人格で動いてるその幼女が、キャラを作ったものではない自然な笑みを浮かべてて、

 

「それは、クロロンが“お月様”だからだよ。だから、眠ることができて、良い夢が見れたの」

 

 

 

 

 

「さっさと昔の女をブッ倒して、親離れしてこい」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ふん。ひとりで来たか?」

 

 古城らと別れて、ひとり。キラの誘導で進んだ先にクロウを待ち構えていたのは、左腕に魔族登録証を嵌めた銀髪の男。

 冷たい刃物を連想させる少年は、顔を合わせたことがなかったが、キラと同じで、初めてヴァトラーに“挨拶”をしたあの時、船にいた側近のひとり。

 

「オマエ……」

 

「オマエ、などと気安く呼ぶな魔女の犬め」

 

 同じ『戦王領域』の貴族にして、第一真祖<忘却の戦王>の直系の若き世代の吸血鬼であるものの、友好的なキラとは違い、剥き出しの敵意をぶつけてくる。

 

「じゃあ、なんて呼べばいいのだ?」

 

「はっ、これから死ぬ奴に名前を教える奴がいるのか?」

 

 小馬鹿にするように鼻で笑い、だけれど、生憎とその手の嫌味や毒っ気には勘付けてない顔を見て、すぐ顰める。

 

「………ああ、オレの自己紹介を忘れてたな。オレは南宮クロウ。ご主人の眷獣なのだ」

 

 と誇らしげに、一言一言を噛みしめながら名乗った。

 

「―――」

 

「どうしたのだ? おかしなコト言ったか、オレ?」

 

「…………………ちっ、その頭が幼稚園児以下なのはわかったが、二度は言わん。トビアス=ジャガンだ」

 

 素っ気なく答えて踵を返す。

 たとえ不満があっても、主より任されたからには疑問を挟まず仕事をこなすのが彼の主義である。

 

「言っておくが、俺は犬と馴れ合う趣味はない。お喋りに高じるつもりはないし、とっとと済ませるぞ」

 

「それは助かるのだ。今は一分一秒が惜しいからな」

 

 直球はまたも効果なくスルーされる。

 何であれ、空振ってしまうと余計に意識してしまうもので、顔面筋の維持が難しくなってくるも、道案内の仕事をやりとげる。

 

「帰ってこなくていいぞ。アルデアル公に咬みつく犬など、悪魔に喰われた魔女と相打ちしてくれた方がこちらとしては手間が省ける」

 

 案内した先にあったのは、『(ゲート)

 この空間と別の空間を繋げた空間制御の魔術。特別な魔女でなくても、アルディギアの宮廷魔導技師など高位の魔術師ならば制作は可能であり、そして人間に可能であるなら無限とも言える魔力源を持った吸血鬼にもできるだろう。霧となって移動できる彼らにはほとんど不要なものではあるが。

 

 それを前にして試すように、貴公子は静かに最初の問いを繰り返す。

 

「はっきり言ってやろう。その先を行けば貴様は死ぬだろう。それでも仲間を呼ばずにひとりで行くか犬」

 

 どうして、ひとりで戦おうとするか。

 この先にいる相手はすでに準備を整えていて、連戦続きの自分とは違い万全だろう。なのに、ヴァトラーの案に応じたのはなぜか。

 正直、矢継ぎ早の展開に疲れて、頭はもう満足に働かなるくらい眠いのだ。

 だから、クロウの口からこぼれ出たのは、心の真ん中にある、当たり前の理由。

 

「……オレが、ご主人の眷獣でありたいからだ」

 

 納得したのか呆れたのか、貴公子は鼻を鳴らし、

 

 

「ヴァトラー閣下が貴様に期待しておられる。夜明けまでは、空間を繋いでおいてやる、南宮クロウ」

 

 

金魚鉢

 

 

 転移された場所は、金魚鉢。

 仮面憑き事件で訪れた無人島。

 誰にも邪魔をされない場所であって、初めて訪れた場所ではないのですぐに場馴れできると、都合のいい配慮をしてくれたらしい。

 人が大勢いて、鋼鉄の島である絃神島よりはやりやすい舞台である。

 

 そして、南宮クロウは浜辺に降り立ち、その先を見据える。

 

 闇――そこに君臨する存在の影に覆われた森。

 この島の夜空に星は見えず、代わりに巨大な眼があった。そして、森の向こうには星の地脈と接続した半人半魔の悪魔―――

 

《―――良い夜ね……》

 

 煌めく星々も、その影に輝きを呑まれていた。

 

《月も隠れて、誰も邪魔をする者がいない―――》

 

 何千年もあり続ける古き樹木のように大地を根付く下半身。

 天をも覆う巨人のような花弁と混じり合った魔獣の上半身。

 そして、頭部のあるところに生える女性の上半身。

 

《二人きりだけの空間……》

 

 黒夜の森の中心にいるのは、怪魔と怪魔を継ぎ木した、人にあらざる異形の存在。

 それが詠うように――酩酊するように独白し、火眼金睛の瞳――紅と黄金の瞳を細める。

 

《ずっと影に閉じ込められてきたけれど、再会はやっぱり感動的でないと、ねぇ、“九番”?》

 

 少年もまた、それを嗅ぎ取っていた。

 霊。

 ただし、これは一般的に考えられる魂とは別のものだ。かつての人格パターンを記録として残されたエネルギー。東洋のタオシズムでは、精神を支える『魂』と肉体を支える『魄』は明確に区別されており、そして、この肉体のないそれは、まさしく『魂』であろう。だが、肉体がない以上、不安定で、“守られていない”。人間の(もの)なのに、どうしようもなく汚れていて、悪魔のと同じ腐臭が染み付いてしまっている。

 それであってもなお残された執念と呼ぶべき『人格』は、『魂』だけの存在の欠けたものを補い、大地に根付くために、少年の『魄』とその肉体を欲している。

 

「……オマエは、もう死んでいる。眠らなきゃいけないんだ」

 

 『混血』の少年の体が、銀の人狼と化す。

 そして、黄金の後光が形作るよう、その身体に大魔女たる主より借り受けた悪魔の甲冑を纏った。

 左の爪籠手の切先を相手に向け、今こそ万感の思いを篭め、南宮クロウはそれの名を口にした。

 

「オマエを倒しに来たぞ……<血途の魔女>!」

 

 咆哮し、黄金鎧の銀人狼は半人半魔の大魔女に向かって直進する。

 

 

 

「おおおおおっ!」

 

 人狼の突撃に、“創造主”は逃げる素振りも見せなかった。

 艶やかに笑う“創造主”の前に、黒夜の森の影から三頭の怪獣が上体を起き上がらせた。壁役と進路を阻むその怪魔へ、金色の残像を残像を残して振り抜かれた銀人狼の爪拳が正面からぶつかり合う。

 全力の一撃を受けた怪魔が、爆発するように霧散した。衝撃波が迸り、銀人狼と大魔女の周囲の地面に大きな亀裂が走る。

 

《あら? 主に向かってオマエだなんて。昔みたいに“ご主人様”とは呼んでくれないのかしら……》

 

 全力を振るったクロウに対し、“創造主”は未だに微睡むように囁いていた。その姿を視界にいれながらも、見ていない、夢遊病のような視線を向けたまま銀人狼の攻撃をやり過ごす。その横顔は昔を懐かしんでいるようにも見えた。

 “創造主”の周囲に、大玉ほどの“眼”が夜空より降りてくる。

 銀人狼は咄嗟に黄金の籠手を盾にし、後ろに飛び退く。

 無数の『眼』は、その視線上に光を放った。高温の熱を放ちながら、銀人狼めがけて発射される。籠手で弾いた銀人狼の足元の地面が、熱によって溶岩化する。

 ゆらゆらと体を揺らす“創造主”の前に、紫色の雲が生み出された。

 

《思い出すわね。初めて私の命令に逆らったのは、この“兄姉(みんな)”を起こしたくない、だったかしら》

 

 そこに獣の怪魔が入り混じり八つに別れた紫雲が、銀人狼めがけて飛んだ。それぞれ紫雲は『見覚えのある人狼』の形となり、怨霊のような鳴き声を上げて襲い掛かる。

 銀人狼は左腕を、弓を引くように腰だめに構えた。一瞬のためを作り放たれた遠当てが、直線状にいた3体の“雲人狼”をまとめて吹き飛ばす。さらに体を回転させて繰り出したが、左右挟み撃ちを仕掛けてきた2体の“雲人狼”を横一線で粉砕した。

 

 ―――“匂い”で違うと理解しても、できればあまり視線を合わせたくない。

 

「うおおおっ!」

 

 銀人狼に装着された黄金の鎧が輝きを放った。『着弾するまでの時間をゼロにする』、空間制御の補助がされた銀人狼の爪拳が、残る“人狼”を悉く打ち砕いていく。

 

《あら? 似てなかったかしら。どうも“失敗作”となるとどうでもよくって、おぼろげなのよ。全部、私には同じ顔に見えたしね》

 

 だが“雲人狼”は本来、形を持たない雲である。倒して霧散しても、また“雲人狼”は収束して、物質透過するよう攻撃をすり抜け、次々と銀人狼の身体に牙を突き立てる。

 銀人狼の金の双眸が、“創造主”との間合いを計り取った。まとわりつく“雲人狼”にかまわず、半人半魔の大魔女に向かって突進する。

 

《けど、“九番”。あなたのことは憶えていたわずっと》

 

 どくん―――

 心臓が、銀人狼の胸を叩いた。

 鼓動が急速に速まっていく。

 ずぶり、と底無しの沼に踏み入ってしまったかのように、疾走が鈍る。

 

 少年の本能が、暴露されつつある“創造主”の解答を拒絶していた。

 

 “創造主”の頭上に、数えきれぬほどの“提灯南瓜(ジャック・オ-・ランタン)”が生み出された。彷徨える魂を内蔵した南瓜頭の大きく開けられた口から、鬼火の炎を吐き出す。

 まともに攻撃を受け、銀人狼は後方へ吹き飛ばされた。

 

「ぐっ……!」

 

《他の出来損ないなんて、あなたがいたら、記憶する必要もないじゃない?》

 

 地面をバウンドし、幹に激突して銀人狼の身体が止まる。そして、すぐ立ち上がる。

 額からは血が流れ、この身を護る鎧に罅が入り始めている。

 

 ―――“最高傑作”。

 大魔女が最後に造り上げた。

 造り上げるのをこれで終わりにした最終。

 その過程にあったものは、そのためだけの副産物であって。

 つまり―――

 

《私の作品(コドモ)は、あなただけよ、“九番”》

 

 “創造主”の瞳が、初めて銀人狼を視認した。立ち向かってくる銀人狼を見て、現実離れした恍惚の表情を浮かべる。

 

《だから、他はゴミよね? もう育てても何の意味はないんだから、いらないものは捨ててしまうのは当たり前でしょう? 練習相手の死体としては価値があったみたいだけど―――》

 

 “創造主”が自らの身体を抱きしめ、身震いした。視界を埋め尽くすほどの数の『眼』に『提灯南瓜』に、そして、8人の兄姉を模した『雲人狼』に守られた半人半魔の大魔女が、何もない、誰も抱いていないはずなのに、自らを抱く腕と身体にわずかな間を空けていて、何かに沿うように手を動かす。まるで―――そこにかつての自分がいて、頭を撫でるように。

 

《つまり、全部、あなたのせい(ため)なのよ、“九番”》

 

 薫るような吐息を漏らし、聴くだけで理性がとろけそうな甘ったるい言葉をかつての自分の定位置に向けて吹きかける。銀人狼は自分の首筋に生温かいものが這わされたような、不気味な錯覚を覚えた。

 

 だが、銀人狼は止まらない。

 一寸先が闇の黒夜の森を障害にあたらずに疾駆し、邪魔をする怪魔の大群を削っていく。

 “眼”はその視線を先読みして照準を定める前に遠当てで瞳孔を貫通し、“提灯南瓜”は爆炎を吐き出す前に三葉の重分身で囲うものすべてを瞬間的に粉砕して、そして、“雲人狼”とは逃げるように回避しながらも追いつめられれば空間を圧す獣気で応戦する。そうすることで、怪魔の数が見る間に減っていくが、銀人狼の身体も傷を増やし、その心を磨り減らしていく。

 

《ふふ、これだけの眷属が相手にならないなんて、順調に“器”として成長してくれて嬉しいわぁ》

 

 さらにまた怪魔を喚起させようと、影が波打つ湖面のように揺らいで―――

 銀人狼が、それをさせなかった。

 帯電したかのように電撃迸る黄金の爪籠手、その合間に収束する気功砲。放たれたそれは、半人半魔の躰を撃ち抜いて爆裂する。

 解放された閃光は一瞬、黒夜の森を白く塗り潰した。余波だけで木々を倒すほどの暴風となって荒れ狂うほどであり、数多の怪魔を盾にしようが防げず、なお留まることのない衝撃が、爆心地の地面をすり鉢状に陥没させる。

 光が晴れた世界から異形は蒸発したかのように影すら残らなかった。

 しかし―――

 

《けど、余計な『首輪』を付けてるのは、とても不快。そんなのを付けているから、強くなれないのよ》

 

 甘く、血腥い気配が、別の場所から感じた。

 振り向いたそこにあったのは、無傷の半人半魔の巨体と―――底知れない寵愛に満ちていた女の笑み。

 

《でも、許してあげるわ》

 

 鎖のように向けられたものを捕えて逃さない、微笑。

 金縛りにあったように硬直する銀人狼を迎え入れるように、花開かせて半植物の魔獣の両腕を拡げた。

 紅い、

 紅い鱗粉に覆われていく。

 

《あなたは、わたしのものなのだから》

 

 濃度を増していく紅い闇。

 その中で。

 呪歌のような“創造主”の声だけが、血のように鮮明だった。

 

「―――ッッッ!」

 

 2体の眷属を融合させた怪魔ではなく、4体の悪魔を取り込んだ大魔女の力。神を穢す大罪の半分を操るその魔性だ。その鱗粉はあるだけで、四肢を蝕む。真っ当な生物であれば秒で肺腑を抉り、不死の夜の王でさえ分も経たずに“壊れる”だろう毒素が充満する。

 そう、これは―――“壊毒”だ。

 

《この毒こそが、真祖をも堕落させる神殺し……これでまだ完成じゃないけど、怖いでしょう?》

 

 存在自体が“毒”であるが故に、あらゆる病と毒に抗う肉体。

 であるにも拘らず、口元から一筋の赤色が垂れ落ちる。肺が焼けている。超能力に拡張された嗅覚を含めて五感が鈍り、あらゆる動作速度が緩慢に堕ちていくことを理解する。

 大罪の半身を支配している“創造主”は、自分よりも強く、濃密な“壊毒”を作り出せるのか―――

 

 火眼金睛の瞳に蠱惑を乗せて、ゆったりとした挙措で艶めかしい唇を舌先で舐めて湿らせてから、命令する。

 

《だから、他所の魔女(オンナ)につけられた(それ)。私のものには似合わないから―――外しなさい》

 

 瞬間、世界が燃え上がり、森全体を埋め尽くすほど紅色(どく)の濃度が増す。

 

 と、錯覚した。

 

 染め上ったのは世界ではなく、紅の“壊毒”が干渉したのは物理法則ではない。

 

 視覚()が、狂う。狂っている。

 ビデオカメラの光量調整に失敗したかのように、『物を見る』という動作の際の、無意識に微調整ができていない。

 人は眼球で映像を見るのではなく、二つの眼球で得た情報を頭の中で処理して立体映像へ変換し、認識する。

 そう、“認識”が、“壊されている”。

 

《ねぇ、“お願い”》

 

 これは、命令ではなく、お願い、という。

 しかし、その催促に視界はどんどん赤く染まっていく。

 痛みはない。むしろ、感覚が消えていくようで恐ろしい。

 

《“ご主人様”の頼みが、きけないのかしら?》

 

 その声音よりも、まず吐息の甘い“匂い”が脳髄の奥まで染み込んできた。

 ぷしっ、と鼻の奥で何かが弾ける。

 鼻孔から垂れるそれは、鼻水ではなく、赤いもの。

 これは視覚が壊されたのだからではなくて、血なのだ。

 頭の中の線を切れたように鼻血を噴き出させ―――『嗅覚過適応』は働かなくなった。

 これで人間の取得情報の7割を占める視覚と、超能力者としての特異な嗅覚の“認識”が“壊れた”。

 すぐ目の前にいるはずなのに、半人半魔の大魔女を認識できなくなっている。

 だが。

 脳みそを絞り出すように、無駄な反抗を行った。

 

「……やだ……」

 

 言って、乱雑に右腕を振るった。

 ふっ、と右腕に嵌めていたなにか―――そう、手首に巻いていた黒猫のお守りがすっぽ抜けて、ッ、と何かにあたる音。

 

 そして。

 

 グシャリッッッ!!!!!! と凄まじい轟音を頭の奥から響き渡るのを知覚した。一気に、視覚と嗅覚だけでなく、味覚聴覚触覚、五感まとめて握り潰された。口、鼻、そして目と耳と血が溢れ出る。まるで脳みそを爆弾にして破裂させたかのような、圧倒的な感覚の破壊。今度こそ視界が、頭が真っ赤になって、何も察することができなくなった。

 

「がうぁぁ!? ぐふぅ!! がぎぃ! あァァうううううううおおおおおおおおおおおお!?」

 

《あまり私を怒らせないで、“九番”》

 

 体内の霊的回路及び魔器が短絡(ショート)を起こすのを感じた。手も足も重い。鉛の服を着せられた方がはるかにマシだろう。加えて主が施してくれた応急処置も剥がれかけてしまっている。

 そんな中でも、方向のわからない女の声だけが奇妙にはっきりと飛び込んでくる。感覚が摩耗した中で、もはや神の声のように強調されてる。

 

《“器”まで壊したくないの。“お願い”だから、“ご主人様”の言うことを聞いてちょうだい》

 

 ああ―――怖い。

 それが最終通告だと、声音も変わっていないのに、気づいた。

 そうだ。今さらに理解する。こうなっているのは、毒のせいだけではない。至極単純に“創造主”の存在を感じるだけで身体は竦み、足は萎え、気を抜けば指先ひとつまで自由にならなくなる。まるで内臓全てが裏返りでもしたように、過呼吸のペースが上がっていくのを止められない。

 怖い。

 怖くてたまらない。

 こんな毒よりも、自分にとっては怖いのだ。

 最も精神(こころ)の柔らかな部分に爪を立てるように、捉えて離さない。

 なのに。

 

「……いやだ……」

 

 

 

 

 

《へぇ……》

 

 『誘惑』も『堕落』も『破滅』も『恐怖』も、そして、『暴力』も女の手札にはある。

 

 閃光と爆炎に呑まれ、そして、鎧を剥ぎ取るように爪牙を立てる紫雲の人狼たち。

 毒で弱体化されて、防ぐことも避けることも間に合わない。そして、今までのより圧倒的で、抗いようのないパワーを秘めた衝撃。その時間が止まったかのように真紅に染まった空間で、己の身代わりとして黄金の鎧が砕けていくのを、銀人狼は見ながら、また地面に投げ出される。

 仰向けに倒れた銀人狼は、月のない夜空を見上げた。

 鼻腔に入る森の匂いと血腥い臭い。光のない中で半人半魔の異形の姿を視認する。

 握力が戻り始めて、身体の痺れも、取れている。

 

『薬も過ぎれば毒になるよう。使いようによれば毒も薬となるものよ。毒草(トリカブト)だって扱いによっては薬となるんだから』

 

 そして、診察してくれた魔導医師からの言葉を思い出す。

 ひとつ、銀人狼は確信した。

 あまりに巨大で、あまりに多勢を率いる<堕魂>の大魔女を攻撃することは、不可能に近い。

 だが、今、一筋の光明が見えた気がした。

 『欠陥製品』を『最高傑作』だというのだ。これを“真祖をも堕落させる神殺し”だなんて、“わかっていない”。

 何もかもを壊してしまうこの毒性と同じ力を振るっているのならば、自分に攻略できる可能性がある。

 そして怪魔を総べる大魔女の本体を叩くことができれば―――

 

《これほどに反抗するなんて……》

 

 ―――倒せる。

 

 

《私に勝てる―――そう、言い聞かされて、ここに来たのかしら?》

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 朦朧とした思考能力で、記憶を整理。

 まず、混濁した意識の中で、これまでの経緯を思い出す。

 <蛇遣い>の手引きで、“創造主”である<血途の魔女>と決着をつけにきて―――返り討ちに遭った。

 それでも、ひとつ理解して。

 けれども、力の制御ができずに―――

 

《<神獣化>を制御できずに、混乱してしまってるようね》

 

 凶ツ星が、疾駆する。

 

 それは金色の体毛を持つ、身の丈4m以上もある、完全なる獣だ。巨体を支える逞しい後肢で立ち、長く太い腕に長剣ほどの爪が伸びる手。

 龍族や天使、幻想に生きる種族と格を同じくするその“獣”が、悲しい咆哮を上げる。その背後を取った形になる三頭の魔獣が、より巨大な爪撃を見舞う。だが、その地盤を砕き割る一撃を、“獣”は片腕で、完璧なタイミングと力加減で払った。予想外の練達の武術で跳ね飛ばされた怪魔をよそに、“獣”は“創造主”へと虚空を蹴って跳躍した。

 

「■■■■■ッ!」

 

 “獣”の口から、咆哮が迸った。

 障害で合間に入る南瓜頭の爆弾に構わず猛進して、半人半魔の大魔女の脳天へその爪を振り切った。爪の切先がわずかに掠っただけで、有り得ざる密度にまで質量と魔力とが凝集された超重撃は容易に空間を裂いた。突如として発生した大気なき空間より発生する真空は、周囲の怪魔たちを撒き散らし、けれど、次元を跳躍した大魔女はまた別の場所へその姿を現す。

 

《混乱している、は正しくなかったわね―――暴走してるわ》

 

 怪魔の軍勢を半分以上、霧散されたにもかかわらず、女は嗤っていた。

 歪だが換えのない美と色気を持った半人半魔が上空の“眼”に指揮するよう腕を振るい、何万という熱線を雨と降らせる。“獣”が咆哮し、その大口から放たれる。劫火。

 魔術による炎とはけた違いの炎熱が、熱線を完全に消し去った。

 無人島上空を彩る炎の明かり。神殺しの狼が成す神話の再現。天上を焦がす凄絶の火炎。

 灼熱の吐息(ブレス)を逃れた熱線が容赦なく“獣”を直接撃つが、それが肉を焼くことはない。生体障壁と呼ばれる疑似物質の盾に、強固によろわれているからだ。

 先の返しといい、狂暴化していても、これまで学習した戦闘技能は失われていない。

 

《けど、それも長くは続かない》

 

 <神獣化>は、その寿命を削る禁じ手であり、火事場の馬鹿力。長続きはしない。その100%の力を行使すれば行使するほどに、高圧すぎる力によってその肉体が耐えられなくなる。だから、誰に制限されることもなく、この禁じ手の使用を自己防衛本能で控えただろう。何も知らぬ赤子のころから、そのリミッターの安全ラインだけは誰しも理解するものなのだから。

 

 そして、悪魔になった大魔女は、魔術師とは根本的に呪力を扱う次元が異なる。

 超高等魔術を使うのに、詠唱も儀式も必要ない。呪物に魔導書もいらない。新たな悪魔の眷属との契約に年月を要する作業だとしても、この半人半魔は一瞬で凌駕する。

 何故なら、彼女自体が、魔法であり、悪魔であるのだから。

 吸血鬼や魔女がゼロから使い魔を構築する代わりに、彼女はすでにあるものを取り出すだけ百鬼夜行の大軍を率いてしまう。

 それでいて、自身は自由に現世とその裏側を行き来できるのだから。

 

《結局、子は親には勝てない》

 

 覆い被さろうとする三頭の巨獣と眼球体と南瓜頭の波に風穴を空けて、今度は宙に停滞する“創造主”へ迫る。

 けれど、次元跳躍で躱される。

 どれほどの力があろうと、当たらなければ意味がない。

 怪魔の軍勢は、“獣”を逃そうとしなかった。前にある味方ごと撃ち抜くように熱線と爆炎を発射して、執拗に主に反逆する“獣”を狙う。それをまた灼熱の吐息で焼き払い、だが、その反対側から雲が形作る物質透過の怪魔が襲い掛かる。

 “獣”は即座に怪魔を振り払うが、数が多すぎる。たちまち“獣”は怪魔の咢の餌食となり、苦鳴を上げる。

 

「■■■―――ッ!」

 

 獣気に混在する漆黒の“壊毒”が、形なき家族に似せられた怪魔を余さず喰らうように呑み込んでいく。

 そして、眼光が赤い線を走らす視界には、悠然と嗤う<血途の魔女>がいる。眷属を何体斃されようがその魔力が減ることはなく、躰に触れることもできない。

 それでもなお、“獣”は、前に足を踏み出そうとする。

 

 今、“創造主”への恐怖は、ない。

 このまま自分もわからなくなって皆の事もわからなくなる―――その方が、ずっと怖い。

 今、この“創造主”に対峙する恐怖心を塗り替えてしまうほどに。

 だから、封じていた。

 この“力”はけして使わない。死ぬような目に遭っても使うのはダメだとわかっていた。

 ダメ、だとわかっていたのに。

 “力”が必要なのだ。

 逃げないために、戦うために―――そして、“一番”をもうなくさないために。

 

 

 

 

 

『ごめんね』

 

 

 

 

 

「!」

 

 “獣”の身体が振動した。

 背後から何かが―――一本の矢に収縮されたいくつもの情報が、光以上の速度で海を渡り飛んできたかと思うと、それは“獣”の後頭部へと命中した。脳髄をも貫いたそれが、“獣”の額から飛び抜けて、“匂い”となって鼻前に拡散していった。

 

 

回想

 

 

 ―――過去(ユメ)を、見る。

 

 

 どこか遠い国の、人里離れた森のようだった。

 近くには小さな泉があり、俗世の穢れを祓えるほど澄んでいる。空気だってどこかしら清らかで、ここで沐浴するのは気持ちよく、そして精神が研ぎ澄まされることだろう。

 この森の向こうに遺跡がある。

 あそこが、『眠り姫』の巨大な棺。

 それを目前に控えて、ひとりの巫女がそれを見上げている。或いは、見透かしている。

 そんな彼女を、木蔭で木に背を預けるよう、休みながら自分は見ていた。

 身に着けているのは薄い白襦袢で、水垢離を済ませたばかりだからか、濡れた布地がピッタリと肌に張り付いており、小柄な彼女の身体がより小さく見える。

 見るからに幼い。

 父方の祖母から受け継いだ霊媒としての素養と、母親から受け継いだ過適応者(ハイパーアダプター)としての力を併せ持つ、極めて稀少な混成能力者(ハイブリッド)である少女の『過去透視能力(サイコメトリー)』はこれまでに、いくつか埋もれていた遺跡の位置の特定や、解読不能とされていた古代の碑文を読み解いてきた。今日も、超音波診断や探査魔術でも見つけられないようなものを、視えてしまう。

 細める目。その哀しげな気配を感じ入ったように交霊(チャネリング)している。

 

 これは夢であり、現実である。

 

 <第四真祖>の身体を乗っ取った<蒼の魔女>は、その類い稀な空間制御の魔術で、真祖の肉体に記録された情報から、過去と現在の時空を連結するという荒業を成した―――

 

 そう。

 自分の“一番”を奪われて、それを視られてしまったその時、自分もまた、唯一、脳の古い部分に直接働きかけて記憶と感情に密接に繋がったその嗅覚に特化した過適応者の力とその空間制御を操る魔女の使い魔としての属性が暴走し、その<固有堆積時間(パーソナルヒストリー)>――過去の情報を嗅ぎ取ってしまった。

 その一場面だけを切り取ったように、一時、精神体だけが現在から過去へ移動してしまうほどに。

 

 これから、少女は運命を背負う……そのハジマリの前まで。

 

『あれ? ここに別の気配がする』

 

 精神体である魂、すなわち霊の如き存在を、混成能力者である少女の研ぎ澄まされたばかりの感度や精度が、捉えていた。

 視えていても姿形は見えない、得体のしれない異分子が迷い込んでいるのを覚り、しかしながら、すぐ助けを呼ぼうとはしなかった。すぐ近くには兄が見張っていて、逆運の武闘派考古学者な父もいる。

 

『うーん、なんだろ。ここにあるのとは違うってわかるんだけど……お祖母ちゃんが言うには、客人(まれびと)さんだっけ』

 

 けれど、少女はそれをまずは対話を試みる、というよりは、話し相手を見つけた、という感覚に近いのだろう。

 

《まれびと……?》

『わ、すごい! 反応も返してくれるなんて、びっくりです。やっぱりここって不思議な場所なんだね。あ、客人ってのはね、どこか遠くから来てくれた神様、かな。だったよね? 私、正月とかにお祖母ちゃん家の神社の手伝いをしてるくらいで、ちゃんとした修業は受けたことがないから……とにかく、お客さんは歓迎する! うん、これで間違ってないよね』

 

 『客人』とは、日本古来の習俗である。飛行機もなく、船で渡るにも長い年月をかけていたほど交通手段の発達していない昔は、異国の情報を得るには旅人の話からしかなく、異界と現界を繋ぐ者として旅人を神としていた。

 けれど、疫病なども運ぶことがあるので、凶兆とも恐れられていることもあるが。

 とはいえ、歴史にも、弾性がある。バタフライ効果のようにあらゆる些細な事象が全体の変動に関わるとしたら、時間を跳び越えた自分はそこにあるだけで世界を際限なく崩壊しかねない存在である。

 つまりは、過度な接触がない限りは、『歴史』の流れは変動しない。少女ひとりとお話をする程度は、許容範囲に入っている。

 

『でも、私も牙城君の手伝いてきただけで、ここじゃ異国人になっちゃうし』

 

《手伝い?》

『うん。これでも私、結構、大学とか研究機関とかで活躍してるんだよ。それで、今回のはずーっと昔に造られたお墓の調査』

 

《お墓?》

『うん。『妖精の(ひつぎ)』って呼ばれてるんだって。それが、『聖殲』――牙城君の研究してるのに大きく関わってるかもしれないの。西欧教会の聖典にも書かれてる歴史上の大きな事件なんだよ。それをこれからそこに行って調べるの』

 

《うー、あんまりお墓を荒らすのはよくないと思うぞ》

『あはは……お祖母ちゃんからも罰当たりだって叱られちゃったよ』

 

《それに危ない。ここ、何だか怖い“匂い”がする。罠が仕掛けられてる感じだぞ。大丈夫か?》

『そうだね。牙城君のお仕事がいつも危険だってことは聞いてたけど、呼ばれたのはこれが初めてなのかな。あ、牙城君は反対したんだよ! すっごく心配もしてくれて、古城君も付き添いで来てくれた。それに、お宝目当ての盗掘団が近づいてこないよう、軍が守ってくれてるの。それくらい、この遺跡調査はとっても重要で―――<第四真祖>を知る手掛かりになる』

 

《第四、真祖……》

 

 元々、難しい推測や計算ができるタイプじゃない。それでも、これまでに与えられたヒントを掻き集めることはできるし、勘は当たる。悪いものほど。

 

 ここが、過去で。

 それも、自分の訪れたことがある。

 そのときは、切迫とした状況下であって。

 そして、この少女は昔の―――

 

『それで、今回の仕事は大変だから、その分、たくさん報酬が出るんだよ。だから、お土産も奮発できるかも! 折角、外国に来たんだから、ユウちゃんとかみんなをあっと驚かすくらいの買うんだ』

 

 混成能力者(ハイブリッド)であり、魔族恐怖症のない、しかし、平穏な日常を生きる女の子だ。

 それが、ここで終わってしまう。

 彼女がそれまで積み重ねてきた努力や願望も、過去も未来もすべて捨てて、違う生き物として生きることになる。自己の抹消と変わりなくて。それで代償として、多大な力を得ることになったとしても、それがこれまでの生活をあっさりと切り捨てられるほどのものではないことは確かのはずだ。

 だって、彼女は今を満喫している。

 語られる人間関係に日々の思い出深い生活、将来の夢や希望、それは自分が羨むだけの輝きを持っている。

 それを白紙に戻す、ではない、こんなのは真っ赤に塗り潰して、一からやり直すどころか、その描いていた未来を完膚なきまでに喪失するだけの決意があるか。持てるものなのか。

 

 いいや。

 それは、いけないことだ。

 

 世界を壊してしまうかもしれない。だけど、少女を救える可能性がある。

 たった一言で、何かが変わってしまうかもしれない。変えられるかもしれない。

 無垢な中庸は何が正しいのかわからず、正しさに囚われず。

 

 ただ、遠い昔に死んでしまった者より、この今を生きている者の方が大事だった。

 

《……、行っちゃ、ダメなのだ》

 

『?』

 

《眠りを起こしたら、将来、辛い目に遭う。“凪沙ちゃん”は、ものすごく重いモノを背負うことになるぞ》

 

『……、そっか』

 

 別段、パニックになって悲鳴を上げたり、悪質な冗談だと否定したりはしなかった。

 暁凪沙は、ただ寂しそうに笑っていた。

 一言も口にしていない名前を知っている、それだけでわかってしまうものがある。

 これは、推測ではない、実体験から基づく預言なのだと。

 だけど。

 震える指を懸命に握り込んでから、すべてを振り切るように、その笑みのまま返される。

 

『ありがとう』

 

 言葉数の多い少女の告げたその一言は、無力を悟らせるには十分であった。

 

『でもね、誰かがひとりぼっちで泣いているような、そんな気がするんだ』

 

 だから、慰めないと彼女は言う。

 

 除霊や悪霊退散でまず連想することと言えば、神様仏様の力を借りた霊能力者が一方的にパパッとやっつけるイメージだろうが、それは理想形では決してない。

 読んで字の如く、霊を除く、そして退散していただく、それが本質で、理想形だ。

 名のある滝口武者が霊刀片手に斬りかかったり、徳の高い法師が暴れ回ったりしなければならない相手もいるだろう。

 けれど、どれほどの暴力が通用しない相手でも、親切に誠実に接することで立ち去ってくれるという逸話も多い。

 どんな護符も結界でも抑えきれない最強の呪いである『蠱毒』は、一度取りつかれてしまえば本人どころか一族郎党を破滅させてしまうが、家族を想って自分一人が犠牲になろうと一息で蟲を呑み込んでしまうと、その者も含めて何事もなく余生を送ることができたという話がある。

 

 この少女は、素質はあってもきちんとした修業を受けたことのない素人で、だけど、数多の国家都市を滅ぼしてきた災厄の化身の如き呪われた魂であったとしても、恐れず仲良く迎え入れようとすることのできる。

 はたして、それができる功魔師は、どれだけいるだろうか?

 

 そんな誠に、真に正しい在り方であって、それでも自分を犠牲にしてしまう、この優しい少女を、止めたかった。けど、止められない。

 この哀しい気配を覚りながらそこに行けないのなら、進んできたこれまでを否定してしまうことと同じ。周囲の期待や責任からではなく、今まで歩んだ道のりを引き返すような真似はしたくないから、少女はその運命を選ぶ。

 そんな性格はわかっていたが。わかりきっていたが。やっぱり、悔しい。

 結局、歴史を変えることは、できないのだ。

 

『せっかく、忠告してくれたのに、聞かなくてごめんね』

 

《ううん……いいのだ。すっごくやせ我慢してるのはわかるけどな》

 

『あちゃー、ばれちゃうんだ』

 

 苦笑するが、それでも見捨てはしないだろう。

 真っ直ぐな眼差しと、ただ自分であろうとする彼女の意思に、単純な力にはない気高さを感じ入る。未来を知ってるからわかる。寿命を削りながらも、その未練が晴れるまで付き合うと決めて、やせ我慢を続けるのだこの少女は。

 

『それで、何かお礼したいんだけど、まだ仕事やる前だから、そんなにお金とか物とかなくて……その、すぐに用意できないの。だから、何が欲しいか言って。いつまで客人がここにいれるかわからないけど、ちゃんとあなたに感謝したいから―――』

 

《なら、ひとつ。オレが欲しいものがある》

 

 これは、そんな勝てるはずのない運命との大敗を噛み締めての宣戦布告。

 その出会う前の過去の歴史を変えることはできないが、その未来に向けて、

 

 

 

《お前の涙が欲しい。いつか先の未来で、辛い目に遭った時、きっと助けるから、泣き止んでくれ》

 

 

 

 決意が、できた。『血の従者』だとか、誰に命じられたからではなくて、ただ、己の意思で己の全力を振るうことをその時になってようやく決められた。

 主が、己が最悪な“獣”へ後戻りできなくなってしまわぬよう施されたその封印を引き千切ってしまえば、この身体は、醜悪な暴力の化身となろう。それでもなお、精神体が現代に帰ってきてすぐ、この生命を一滴残らず使い切るに一片の後悔も抱かない、死地とこの場を定めてしまうくらいに。

 もっとわかりやすく言えば。

 どうしようもない意地で、格好つけざるをえなくなったのだ。

 

 

『さあ、我に殺神兵器の本性を見せてみろ―――!』

 

 

 ああ、お望み通りに、ブッ飛ばしてやるぞ、“原初(センパイ)”。

 

 

金魚鉢

 

 

 ―――なくしてしまったものは、たくさんあったけど

        なくしちゃいけないものもたくさんあったよね。

 

 あの時。

 奥に封じられながらも、“獣”に訴えていたその声。

 “一番”を代償に、生き返らされる自分には届かなかったが、それでも確かに拾っていたその想い。

 

 ―――でも……こんなの、違うよね?

          ごめんね、私、迷惑ばかりで……

    なんか、いっぱい苦しめちゃったね

              本当、何やってるんだろ……だね。

 

 そう、許しを請おうともせず、ただただ、ずっと謝り続けていた。

 

 ―――それでも。あなたが生きていてくれて……良かった……

 

 そして、殺し合いの最中、心からこの生還に安堵した、ひとりの少女がいたことを、思い出した。

 

 

 

 その記憶と共に目覚める。

 忘れていたあの日の約束が、偶然を重ねられてこの時より、“契約”と形を変えて蘇る。

 

《―――なに? まさか、南宮那月以外にも……!?》

 

 残滓が形を成すのは、妖鳥の影。

 それに抱かれるように『獣の皮を被る者』が纏い、その氷で造られた棺に身体を囚われる。

 

 

 ―――お前は、『私の『墓守』になる』と“誓った”はずだろう。

 

 

 少女の意思が介在した氷に凍らされ、

 <第四真祖>の魔力で<禁忌契約(ゲッシュ)>を結び、

 仮初とはいえ『血の従者』であり、

 残滓の“匂い”から約束を思い出した。

 偶然に偶然を重ねて、“第一の契約”の成立。

 そして、<禁忌契約>はただ縛るものではない、その契約の重さだけ、恩恵が与えられる。

 

 

「____―――― ̄ ̄ ̄ ̄ ――  __  ―――  ̄ ̄ ̄」

 

 

 その瞬間―――

 氷の中で、“獣”が、吼えた。

 天地を揺るがすその遠吠えは、聴く者の胸を絞めつけるような悲しさと、しかし、どこか歓喜の色を滲ませた不思議な声色だった。

 それが自然物に反響して木霊する度に音色を変えて、まるで空が、大地が、海がその指揮に合わせて合唱しているかのよう。

 その物理法則すら感動させるその鳴響が、終わり、

 

「そうだ。オレは、“一番”をなくしちゃいない」

 

 黄金に輝き出す氷棺が、崩壊する。氷の破片に反射して万華鏡の如き光と共に、クロウの躰が変貌する。

 

「だって、あのとき、“一番(まえ)”より、ずっと“一番”をもらったんだ」

 

 ずっと一方的に喋って、それに、思い込みも激しい。これは残滓が聴かせてくれた彼女の声で、録音されていたものと同然なのだから、それについて文句を言うのはしょうがないけれども。

 それを含めて、許せてしまう。

 この持て余してしまう正体不明な気持ちに、名前は付けられないけれど。

 きっと初めて会った時から、理不尽な運命を見捨てられない在り方を支えたくて、何もかもを捨てるくらい一生懸命になれた。

 

「もう、大丈夫だ……ありがとう。オレは、ちゃんと生きている」

 

 容姿は、それまでと違っていた。まるで蛹から脱皮するように、それが真の姿だと言わんばかりに。

 

 

 『真実』を知り、魔女の呪縛より解放された獣は人に戻る。

 

 

《あなた……何者?》

 

 それは、その場にいた大魔女が知覚し凍りつくほどの衝撃であった。“創造主”でさえ予期し得なかった、凄まじい“何か”に変成した。

 

《こんなの……私、知らないわよ》

 

 人型、であった。

 通常時では男子学生の中では小柄な体躯であったが、今はそれが大人にまで成長したかのように2m近くまで伸びている。

 そして、尻尾こそついてはいるが、二足歩行の獣の容姿をした完全な獣人とは違う。獣耳こそ出てるがその顔は、巨大な牙をもった狼頭ではなく、人間時のもの。針金のような体毛は全身を覆っておらず、その両手足が産毛のように短めで柔らかな獣毛を帯びていて、鋭利な爪のない、人の手であった。

 

《何者だと訊いてるのッ! 答えなさい“九番”!》

 

 次元の裏側に隠れ潜む“創造主”の声は、多数の怪魔を震わせて発しているようで、何重にも木霊しているように聞こえた。

 

「オレは、オレだ。わからないのか」

 

 毛髪に両手足の金砂の柔毛。そして、瞑目して、今開かれた瞳は、金色に似たイエローオパールから『ヴァージン・レインボー』と呼ばれる極光(オーロラ)を閉じ込めたような宝石の虹色に。

 

「もし、オレの後ろにあるものがわからないなら、それがオマエの限界だ」

 

 ひとりで、この“力”を御し得たのではない。背後には、森より出て積み上げたものが、嘆きが、愛情がある。

 

 

 とある神話で、森に棲まう神が造り上げた兵器がいた。

 それは性別もない泥の人形であり、人間としての知性もない、ただ森の獣と戯れて日々を過ごす。だけれど、その力は人知を超えて、一度内なる獣を解き放てば、国をも滅ぼすとも言われた。

 だが、ある時、その森に訪れた『聖娼』と呼ばれる巫女を出会ったことで、知性も理性もなかった兵器は、変わる。

 その種族の垣根を超えた在り方に見惚れ、六日七晩寝食を共に過ごした兵器は徐々に人間としての在り方を、彼女を真似ることで身に着ける。

 兵器の力を、獣として暴れさせるのではなく、人として振るえるだけの理性を彼女から手に入れることができた――――

 

 

「皆が、危ない」

 

 遥かに拡大されたその嗅覚感知が、この金魚鉢より、絃神島の様子を報せる。

 それから、その双眸が、半人半魔の異形を射抜いて、『ひっ……!?』とそれから逃れるよう、新たな怪魔が召喚される。

 宙空で、三つの大罪の断片が混わり、無数の細木で構成された巨人。

 クロウはこれまでのより一回り巨大な怪魔を見上げる。

 彼の立っている場所からだと、絶壁がそびえ立っているようにしか見えない。その壁がクロウを押し潰そうと迫る。

 

 それは先の『真祖に最も近い』吸血鬼を叩き潰した一撃よりも凄まじく。

 しかし、それを受けた人型の身体は潰れるどころか揺れもせず、山の如く不動に立っていた。

 

「オマエに構ってやれる状況じゃなくなった」

 

 ひゅっ、と風を切って―――絶壁が、眼前から消えた。

 ぐんにゃり、と空間が歪む。真横に腕を振ったその軌道上にあった空間がズレて、巨人がそれに巻き込まれる。だるま落としで真ん中の段が飛ばされて―――そんな三分割されたとしか思えない光景。その一瞬遅れて、ズレた空間の歪みが戻ったと同時に怪魔は消滅。

 すべては、無造作に振った裏拳によるもの。

 裏拳というより、手を当てたと言った方が正しいくらいの小さな軽い動きだったにもかかわらず、三体複合の巨獣は胴体を空間ごと吹き飛ばされ、霧散した。

 そして、その怪魔にほとんど覆い被されていたというのに返り血も浴びていない。

 扇状に、怪魔の飛び散った断片が広がるが、どうみても胴体の体積には足りない。つまりは、衝撃は吹き飛ぶどころか、原子分解を起こして消滅させるほどのものだった

 

 爪も牙もない人型であっても、その比類なき豪力は完全なる獣のもの。

 そして、拳速は、巨大な図体をした<神獣化>よりも速く、けれど、力に振り回されることなく、安定している―――

 

 それは、おかしい。

 力が倍増したとしても、その分だけ跳ね返ってくる負荷も倍増しているのであって、そんな縮小した体躯で受け切れるものか。

 軽く100%以上の力を完全に掌握し、なおかつ暴走も起こさず、理性さえ保っているなんて……!

 

《ありえない! これは単なる“器”で、力は悪魔にこそあって、私がその半分を持ってる! まだ、完成してないのに、どうして、そんな―――》

 

「<輪環王(ラインゴルド)>……あと少しだけ、付き合ってくれ」

 

 砕かれたはずの機械仕掛けの金鎧がより鋭角的なデザインとなって、装着される。

 爪籠手が、その爪ひとつひとつが剣である、野獣と騎士、両方を兼ね備えた形態は、今の状態にこの上なくしっくりと馴染んだ。

 

 

「親離れの時間だ……とっとと、蹴りをつけるぞ」

 

 

 

つづく


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