ミックス・ブラッド   作:夜草

2 / 91
リハビリ小説ですが、楽しんでもらえたら幸いです。


一章
聖者の右腕Ⅰ


 

 

 優れた両親の血を受け継いだ犬は、より優れた能力を持って生まれ、そして優秀な異性と配合することで、さらに優れた血を残す。それが繁殖の基本。優れた個体は生まれながらにして他の個体とは違っている。

 

 しかし相手は生き物だ。

 優れた個体同士を交配させたからと言って、必ず優れた子孫を得られるとは限らない。相性や、当たり外れの問題もあるし、親の欠点だけが子供に受け継がれてしまう可能性もある。

 

 農作物や園芸植物、狩猟犬や愛玩動物に競走馬―――多くの人々が、より優れた個体を手に入れるため、また成功する組み合わせを知るために複雑な品種改良や交配を続けている。そして、それに成功した者が得られるものは莫大なものだ。優れた雄の競走馬を所有する生産者は、その種付け料だけで信じられない額の金銭を手にすることができるのだ。

 

 ここに、ある魔女の遺産が眠っている。

 

 『黒』シリーズと呼ばれるある個体の配合種だ。

 無論、それは馬や犬などではない。

 金のためではなく、力を。ただひたすらにそれのみを追求する。

 魔女が作りしモノは、魔族の王に戦争を仕掛けた獣王『H』の―――

 

 

 

 ―――そこは、暗闇の森だった。

 

「ここ、か。随分と暗いな」

 

 嘆息するのは、幼女と見まがうばかりの小柄な少女だ。

 あどけなくも整った顔立ちで、馬鹿馬鹿しいほど豪華なドレスを身に纏い、陽が差さぬ森中だというのに日傘をさしている様は、愛くるしい人形のよう。

 人形のように、感情の変動がない。

 少女は精々鬱陶しがっている程度であるも、常人ならば、その森の異常さに胃の底まで震え上がったろう。

 名前も知れぬ、黒くねじくれた木々の乱舞。

 じめじめと空気は湿り、腐った落ち葉は積み重なり、腐臭と、そして獣臭とが入り混じる。

 地面を這いずる虫の蠢きが次から次へと湧き上がって、この森が夜にも眠らぬことを示している。というより、今の時間帯では陽は昇っているはずなのだが。

 白夜と呼ばれるのとは逆の極夜。夜に時間が固定されて、永遠に明日が来ないような外れた地。陽の昇ることのない場所で先行く道が照らし出されることはない。

 ……それはよい。

 森としては、自然の範疇からいささか逸脱してはいる。

 異常な魔力がこの『鉄の森』一帯に敷かれている。外周には人払いが仕掛けられて、また内部には侵入者を目的地にたどり着けさせないように迷宮の如き惑わしが仕掛けられているようだ。

 気味が悪い細工が施されていても、土地に関する呪法を主とする風水術師である師から、それを解く術を学んでいる。

 問題は、それらの奥から響く、森の異常な魔力さえも一瞬に吹き飛ばした、背筋を凍らせる遠吠え。

 

 ここは人が道を敷き、法を布き、因果応報の仕組みが一方にのみ贔屓される都会ではない。

 ここにあるのは、道のない獣道、野生の理、ルールを破った者はその時点で報いを受ける。

 治安維持を任された人間はおらず、そこが縄張りと気づかずに踏み込んでしまえば、住人である動物に襲われ、最悪、噛み殺される。

 

『■■■■■■■―――ッ!』

 

 それは、野獣の如き咆哮。

 迷宮には怪物が住まう、と逸話があるが、ならば、ここに森を縄張りとするものがいるのだろう。入口に踏み入ったこちらを察知し、速やかに迎撃を果たそうとする異形の影が見えた。音が聞こえて、もう数m先。速い。速すぎる。

 叫ぶ異形の影。敵。

 本来であればそう、愚かな獲物を喰らう、だろう。

 けれど、今ここに対峙する相手。

 彼女は、その“幾多の魔族を退治(ころ)してきた”攻魔師だ。

 

「これはまた……随分といきの良いのが出てきたな」

 

 異形の影と、魔族殺しの魔女が“目”が合った。

 深闇に浮かぶ金色の輝き。金色の眼球。金色に走る赤い線。血走っている。殺意。

 およそ人間が浮かべることのできる感情の濃さでは、ない。

 そこにあるのは、圧倒的なまでの破壊衝動と殺戮衝動の塊。

 異形の人型。

 凶人。

 狂獣。

 脳裏に過るこの二つの形容が入り混じって、魔女の鍋で煮詰めてできたもの。

 

 奇妙な感覚がある。

 

 それは両手足を地に付けた四足の前傾姿勢のままで、こちらを見据えるそれは、まっとうな人間には見えるはずもない。

 上手に森の陰に紛れ込んでいるようで、肉体の造形がはっきりと視認し難い。

 灰のようなくずんだ銀色。薄い影のような体躯だった。

 その森に溶け込むことのできないほど、凄まじいほどの存在感。

 銀色の体躯と金色の瞳。

 その頭部は獲物を喰らう直前の狼にも似て大きく開いた顎と、鋭い牙。赫い鉤爪。

 絶対的なまでの人間以上。

 

 獣人種―――

 

 所謂、狼男と呼ばれる類いのもの。魔族の中では、ポピュラーな個体だが、その魔族の中でも突出した筋力と打たれ強さは人間の敵うところではない。爆発的な加速で迫り、そのまま組み敷かれればおしまいだ。

 圧倒され、気圧され、人間には、到底、敵うはずもない凶悪。

 

『■■■■■■■―――ッ!!』

 

 二度目の咆哮。

 殺意。害意。敵意。悪意。

 とにかく負の感情と呼べるものの全てを凝集したものを叩きつける。

 動かない。

 魔女の見開いた瞳だけが、異形の姿を捉え続けるだけ。

 この刹那を切り刻んでいく中で、異形の影は接近している。間にある木々は鉤爪で爪痕を刻みながら距離を縮める、魔女の眼前まで。

 血走る金色の瞳。

 人間のそれには見えない。

 噛み砕き獲物を品定め風に、目を細めている。

 今まさに、破壊の権化は蹂躙しようとしている。

 

「―――」

 

 言葉なく、魔女は視線を叩きつける。

 涙もない。悲鳴も上げない。恐れが欠片も見えない。毅然と、佇まいを崩さない。

 異形は首を傾げながら、鋭い爪を備えた手を伸ばし、顎を開く。

 抗うことも、逃げることも不可能。

 そして。

 爪が胸を貫いて心臓を抉り出し、顎が魔女の頭部を噛み砕く、その瞬間。

 

「歓迎に挨拶もなしとは、躾のなってない野良犬だな」

 

 瞬きのうちに過ぎ去るはずの刹那が、永遠に引き延ばされる。まるで時の流れが静止したように。

 否、現実として止まっている。時間ではなく、身体が。

 爪牙が襲い掛かる直前で、その手足と肩と腰に巻きつき、そして大きく開いた口には轡を噛ませるように、

 魔女の周囲、高密度な魔方陣が展開される虚空から出現する、無数の頑強な鎖が異形を絡め捕る。

 神々が鍛えた捕獲用の魔具―――<戒めの鎖(レーシング)>。

 獣人種を含め、数多の魔族を封殺してきた銀鎖。

 そして、その使い手たる魔女は、異形の眼前からは消えていて、その背後で差していた傘をたたんでいた。

 練達者級の高位魔法使いでなければ無理な空間制御の魔術を、意思ひとつで難なくこなす、<空隙の魔女>、南宮那月。

 早々に決着はついた―――かに見えた。

 

「……っ!?」

 

 封鎖に吊り上げられたまま、侵入者たる魔女へと異形は唸り声をあげる。

 獲物を前にした血に飢えた獣ではない、『墓守』の番獣が放つ、威嚇と怒り。

 眠れる場を騒がす墓荒らしの罪人への、死の宣告

 

『■■■■■■■―――ッ!!』

 

 三度目の咆哮。

 それは、世界を平伏せさせた。

 極夜の森がざわめき。

 

 突然、大地が割れた。

 

 貫く。貫く。貫く。貫く。

 

 そこから抜け出た無数の木々の根は、怒涛の槍。

 

(魔術……? ドルイド魔術か、仙道か……)

 

 大地を砕いて現れる凶器たちは意思を持つように、獲物を狙って伸長する。

 強靭な肉体をもつ獣人種で、魔術を習得しているのは稀な存在だ。まず、その資質として、先天的に強大な魔力を備えてなければ、例外はありえない。

 

(どちらも違うな。だが―――)

「この私と術比べとは百年早い」

 

 まるで水面に沈むように、美しい波紋を残し南宮那月の姿が虚空に溶け込んだ。

 <空隙の魔女>と呼ばれる所以たる空間制御。

 魔女は、異形よりも速く、そして遠くに移動できる。音もなく、気配もなく、髪の毛の一筋すら動かさないまま、一瞬で。

 一本一本が長い槍の如く研ぎ澄まされた根は、掠ることなく標的を見失う。

 砂漠の蜃気楼の如き、されど幻ではない存在に、数多の魔族が翻弄されてきた

 

 しかし、心臓の鼓動。息遣い。体温。そして、匂い。常人の数百倍の精度を誇る獣人種の感覚器官は、視界から消えようと魔女の存在を見失わない。また野生の直感ともいうべき、予知じみた超反応。

 この森すべてが支配下で、木々のひとつひとつが意思ひとつで手足のように指揮する兵隊だ。どこに転移しようが森の中にいる限り、魔女は万の軍勢に囲まれているに等しい。

 

 転移した先で、意趣返しとばかりに緑の蔦が伸びて、魔女の体を拘束。生育速度からして普通の植物ではありえないが、その見かけによらず、鋼鉄の鎖並の強度が付与されており、魔女の体があっという間に縛りつけられる。

 

(気配を感じ取れなかった―――いや、これは魔術では―――)

 

 パキンッ、と異形を縛っていた鎖の一部が弾けた音。

 魔女が気を取られていた間、異形は姿を変化させていた。

 獣人ではなく、完全なる獣へと―――

 魔族の王たる吸血種が切り札の眷獣をも超える巨体と魔力をもった、天使や龍族と匹敵する神話級の怪獣へと変化する。

 

「―――までするとはな。実験はここまで成功していたのか」

 

 魔女が目を瞠った。

 体毛がくずんだ銀から、眩い金色へ。

 怪獣となった異形が、牙を剥く。濃密な魔力が爆発する。獣人形態でさえ2mを超える強靭な巨躯が、さらに一回り、もう一回りと、内側から溢れる力に押されるように、膨れ上がっていく。

 ぎしり……ぎしり……と異音が鳴る。

 すぐ、その音が急激に高くなって―――極限で弾けた。

 神々が鍛えた封鎖が、その内からの膨張を抑えきれなくなったのだ。

 

 それを魔女は、黙って、見ていたわけではない。

 

 ゴッ、と魔方陣を走らせる周囲の虚空から荒々しく風を巻きながら射出されるは新たな鎖。

 先の<戒めの鎖>よりも倍以上に太い、直径十数cmにも達する鋼鉄の錨鎖<呪いの縛鎖(ドローミー)>は、その環ひとつひとつに棍棒並の打撃力を秘めている。砲弾のような勢いで打ち出される。

 

「ちっ」

 

 より上位の封鎖の衝突を、異形の怪獣は片手で受けて、俊敏にステップを踏んだ。より獣に近づいたことで、本能的な勘がますます鋭くなったか。高速で迫る鎖を躱しつつ、森の力を借り、または四肢を振るうことで魔女を牽制し、隙を突いてはその身に牙を立てようとする

 連射して虚空から放たれる縛鎖が、空間の揺らぎを生じさせ場を掻き乱した。

 その嵐の中で、多少のダメージを無視し、手の甲で縛鎖を強引に払いのけながら一直線に異形の怪獣は迫り、まともなぶつかりは避ける魔女は虚空から虚空へ渡る。魔女と異形の戦いは闘牛士と闘牛のそれを思わせた。

 しかし、今の形成は魔女の方が分が悪い。異形の動きは雑だ。だが、雑だからこそタフさがあり、勢いがあり、反応がスピーディで、それも躱されても足場にした樹木をしならせた反動を上手く利用して加速していっている。

 そして、今、この空間は激しく乱れており、<空隙の魔女>といえども、この状況下で空間転移(テレポート)は難しい。このままでは―――やられる。

 

 ゴオッと魔力が渦巻き、金狼が横薙ぎの鉤爪が一閃。咄嗟に楯にした縛鎖ごと魔女を捉えた!

 

「やれやれ……そこそこ気に入っていた服だが、こうなってしまえば布きれだな」

 

 魔女が不機嫌な口調で言う。彼女自身はほぼ無傷だ。しかし着ていたゴシックのドレスは無残に切り裂かれてしまっている。

 

 小さな唇を吊り上げて、美しく笑う<空隙の魔女>。

 その影からそれは顕現する。

 

「―――起きろ、<輪環王(ラインゴルト)>」

 

 起き上がる際に巨大な歯車や駆動装置の蠢く音は、獣の咆哮じみていた。怪獣となった異形すら見下ろす巨大な、機械仕掛けの騎士。

 優雅さと荒々しさを併せ持つ、金色の甲冑をまとい、分厚い鎧の内側に闇そのものを閉じ込めているよう。

 そして手には真紅の茨――北欧の主神を噛み殺した怪獣でさえ縛り上げたという――<禁忌の荊(グレイプニール)>。

 <守護者>

 悪魔との契約で魔女が得る守護と願いを叶える力。

 契約を破棄すれば反転して主の処刑者と化すが、その代償で得たものは凄まじい。

 中でも<輪環王>は、欧州の魔族を恐怖のどん底に突き落とし、出現するだけで世界の時空を歪めてしまう故、使用に制限が掛けられているほどだ。

 

 それでも、異形は、退かなかった。

 

「なるほど“混血(ハイブリット)”……か。存分に苛め(しつけ)甲斐のある獲物だ」

 

 

ファミレス

 

 

 絃神島。

 太平上のど真ん中、東京の南方海上330km地点に浮かぶ、カーボンファイバーと樹脂と金属で造られた超大型浮体式構造物ギガフロートを、魔術によって支えられる人工島。

 総面積はおよそ180平方km。完成から20年と経ってないが、すでに総人口数は約56万人。行政区分上は東京都の管轄となっているが、絃神市は実質独立した政治系統を持つ特区行政区。

 そして、その主要な産業は製薬、精密機械、ハイテク素材産業などであり、観光都市ではなく、学究都市。

 さらに言えば、魔族特区。獣人、精霊、半妖半魔、人工生命体、吸血鬼など自然破壊の影響や人類との闘争の結果で数を減らし、絶滅に瀕した魔族が公に住まうことが許可され、人類と同じ市民権も与えられる保護区であり、その代わりにその生体の研究に協力することで科学や産業分野の発展に貢献している。

 人として特殊な、能力者というのもまた存在する。

 魔術と科学が入り混じる空間で、魔族と人間を共存させる壮大な実験の檻。

 それが、絃神市である。

 

 とはいえ、

 

「熱い……焼ける。焦げる、灰になる……」

 

 生活している分には、普通と変わりない。

 太平洋上――熱帯に位置するこの人工島は、真冬でも平均気温は20度を下回ることはない常夏の島なので、午後になっても明るく、“日射”に弱いに人には住みにくい気候ではあるものの……

 

 

 

「―――古城君、見っけ」

 

 匂いを探れば、目的人物はすぐに見つかった。

 ファミレスの窓際のテーブルで男子高校生が突っ伏している。常夏の島で制服の上に白いパーカーを羽織り、髪の色も狼の体毛のように色素がやや薄いが、どこにでもいそうな雰囲気を崩さない。またそれなりに顔の作りは良さそうなのだが、残念ながら陽射しにグロッキー気味。血の気が多そうにはとても見えないが―――ここにいる誰よりも濃い血の匂いが鼻腔をくすぐる。

 

「今、何時だ?」

 

「もうすぐ4時よ。あと3分22秒」

 

「……もうそんな時間なのかよ。明日の追試って朝9時からだっけか」

 

「今夜一睡もしなけりゃ、まだあと17時間と3分はあるぜ。間に合うか?」

 

 暁古城。

 それが彼の名前だ。

 彩海学園高等部の一年生で、中等部三年生の自身にとっての先輩は、ふらふらになりながらもテーブルいっぱいに広げた問題用紙と格闘中で、その背後にいるこちらには気づいていない。

 だから、気づいたのは、同じテーブルの正面の席に座っていた補修の手伝いをしていた先輩たち。

 

「お、クロ坊じゃん」

 

「あら」

 

 先輩男女のうち、一番最初に気づいた――もっと言うなら店に入る前から気づいていた――男の方がこちらへ気楽に呼びかける。短髪をツンツンに逆立てて、ヘッドフォンを首にかけた男子学生の名前は、矢瀬基樹。

 その隣の席でパフェをつついている女子生徒は、藍羽浅葱。

 金に染めた髪を華やかにまとめて、校則ギリギリまで制服を飾りたてているいかにも今風な女子生徒。センスがあるのか、とにかく人目に付く容姿をしていて、それでも不思議とけばけばしいとは思われない。香水もほとんどつけてないようで、鼻にも優しい

 ただ、その顔に浮かんでいるニヤニヤ笑いのせいでか、美人なのに色気はなくて、異性を感じさせないくらい気安い。目の前のテーブルに積まれている料理の皿を見る限り、意外と大食いで、ある意味花より団子な………というわけではないのだが。

 

「こんにちわなのだ、矢瀬先輩、藍羽先輩、古城君」

 

 明るくはきはき挨拶して、ひとりひとりに頭を下げる殊勝な後輩、南宮クロウ。

 人並みの頭一つ分くらい低めの身長。錆びた銅のような赤茶色の髪に褐色の肌、欠けた鎖が付いた枷のような大きめの首輪など特徴的なパーツをしているのだが、そこは“覆われて”わからない。

 なにせパーカーを着こんでいる古城よりも重装備だ。

 常夏の島だというのに、まず、店の中でもロップイヤーのように垂れた耳当て付きの帽子をかぶり、スヌード(マフラーの両端を繋げて輪っか状にしたアイテムで、マフラーのように首に引っかけて巻きつけるまでもなく、すっぽり頭から被れば着用)をしているので、口元から首筋まで隠されているのだ。頭部は、目しか見えない。

 

「相変わらず、暑そうな格好してるわねクロウ」

 

「このくらいへっちゃらなのだ。ご主人も、この程度の暑さは夏の有明と比べれば、どうということもないと言ってるぞ」

 

 それから制服の上にレインコートのような薄めの素材のコートを纏っている。大きめのサイズで、小柄な後輩男子にはあっていない。ぶかぶかの袖で見えないがその両手には手袋もしているので、道行く人から罰ゲームにひとり熱さ我慢大会でもしてるとでも勘違いされそうな服装であるのだが、どこか中世の典礼衣装を着こんだ小さな騎士を連想させる、奇妙な着こなし。自分自身に“匂い”がつくのを避けるためこの格好になったという。

 本人は、ケロッとしてるが。見慣れないうちは熱中症の心配をしていたのだが、いつものことなので、へーそう、とあっさりと流す。

 

「それでどうしたの。私たちを探してたみたいだけど……まぁ、予想はつくんだけど」

 

 浅葱は気楽に生クリームをぱくつきながら、視線を、悪い夢から逃げるよう後輩の登場から無反応の、古城に向ける。

 

「ご主人から古城君に、お使いを頼まれたのだ」

 

「やっぱりな。古城、担任教師監督殿から追加のようだぞ」

 

 積み上げられた教科書のてっぺんに、数枚のプリントが置かれた。

 それから矢瀬がとりあえず後輩に席に座るよう促し、

 必死に現実から目を逸らす同級生の代わりに、浅葱がそれを読み上げる。

 

「えー、なになに……『後期原始人の神話の型の研究』。って、これ論文のようだけど、全部英文ね。那月ちゃん、わざわざ海外のから引っ張ってきたのかしら」

 

「この英文も翻訳してくるように、とのことなのだ」

 

「……なぁ、おかしくないか」

 

 ついに、古城が声を上げた。反応せざるを得ない。

 その目が血走っているのは、怒りのせいではなく、単に寝不足のせいだ。

 英語と数学二科目ずつを含む全九科目。それに加えて、体育実技のハーフマラソンが、夏休み最後の三日間に迫った暁古城に課せられた追試の内容だ。おかげで――というわけではないかもしれないが――最近ほとんど寝てない。

 それに今、わけのわからん1mmも興味のわかない海外の論文の英訳など、追試というより、懲罰や拷問という呼び名の方があってそうな課題が加算された。

 そんな目に遭えば誰だって泣きが入るだろう。

 

「いくらなんでも大量過ぎんだろこれ。中には授業でもまだやったことねーのも混じってるし。週七日補習やらされてるのに、一向に終わる気配がないのはどういうことだ。うちの教師は俺になんか恨みでもあるんか!!」

 

 悲痛な叫びをあげる古城だが、対して同級生は呆れる表情を浮かべるのみ。

 

「そりゃ、あるわな。恨み」

「あれだけ毎日毎日、平然と授業をさぼられたらねェ。舐められてるって思うわよね、フツー」

「夏休み前のテストをさぼった時はご主人カンカンだったのだ」

 

 同級生二人に、後輩からも言われる始末に、それでも古城は理解を求めんと言い訳をする。

 

「だから、あれは不可抗力なんだって、いろいろな事情があったんだよ。大体今の俺の体質に朝イチのテストはつらいって言ってんのにあの担任は……」

 

「体質って何よ?」

 

 滑ってつい口にしてしまった単語を拾われて、浅葱の頭上に疑問符を浮かべてしまう。

 古城って花粉症かなんかだっけ? と不思議そうにぼやいており、古城はすぐ失言を挽回せんと何でもいいから納得して解消できるごまかしを重ねんと口を動かす。

 

「ああ、いや、つまり夜型っていうか」

 

「? 古城君は朝起きるのがつらい人なのか?」

 

 何故お前まで首を傾げる、と素でボケてる後輩に古城は突っ込みたくなる。

 

「それって、体質の問題じゃないんじゃない。吸血鬼でもあるまいし」

 

 だよなー、と乾いた笑顔で言葉を濁す。

 も、そもそもの問題はまだ解決されていない。

 

「なあ、クロウ。頼むから、できれば全部、課題を那月ちゃんのとこに返していってくれないか」

 

「ダメなのだ。ご主人からこれで足りない出席日数をチャラにしてやると言われてるぞ」

 

「お願いだ。せめてこの半分でいいから」

 

「むぅ。ご主人の命令は絶対厳守なのだ。いくら古城君の頼みと言えど聞けないぞ」

 

「後輩に泣きつかないの。あたしがこうして憐れなあんたに勉強見てあげてるじゃない」

 

「勉強教えてやる代わりにメシおごれと言っといて、それは恩着せがましいと思うぞ」

 

「古城君に勉強教えるとごはんくれるのか!」

 

「コストとリターンが見合わねぇ。浅葱が大食いだってこと忘れてたの今悔やんでんのに、浅葱以上の大食いに好き勝手に飲み食いされたら確実に破産する。っつか、お前勉強できるのか?」

 

「補習はないぞ。この前赤点とったら、ご主人にメシ抜きにされたのだ。オレ、がんばった」

 

「ほら、やればできるのよ。そもそも高校生が中学生に手伝ってもらうのはどうなの?」

 

「手段とか選んでられねーほど切羽詰まってんだ。仕方ないだろ」

 

「ちなみに浅葱のメシ代を出したのは俺の金だからなー。利子は付けないからちゃんと返せな、古城」

 

「わかってるよ、畜生……お前らそれでも血の通った人間か」

 

「古城」

 

 少し強めに名前を呼ばれ、古城はうっかりした事に気づく。

 この街では、魔族は珍しい存在ではない。実際、この店内にも最低でも“2人”はいるのだ。だから、血が冷たいだの温かいだのは差別表現にあたるため、気を付けなければならない。

 とはいえ、本人たちは別に気にしてないのだろう。

 

「? どうしたのだ古城君」

 

 少なくとも後輩と自分は。古城は投げやりに溜息を吐いてから、メニューの安めなサイドメニューのページを隣に座る後輩の前に開いて置く。

 

「こん中から好きなのを一つ選べ。いいか、一つだけだぞ」

 

「え、いいのか。やったー!」

 

「よかったなクロ坊。古城は毎度あり」

 

 苦笑しながら矢瀬が、親指と人差し指の二本で○を作ってくる。金持ちの息子のくせに、金銭関係に妙に細かい。それでも貸してくれるからありがたい友人だ。

 

「唐揚げ! このジューシー唐揚げいいか古城君!」

 

「いいよ。ったく、面倒な世の中だな。本人はまったく気にしてないのに」

 

「古城はなんだかんだで後輩に面倒見が良いわねぇ。元とは言え流石体育会系。といっても、今のあんたに懐いてるのは妹の凪沙ちゃんを除いたらクロウだけだけど。あ、私も唐揚げも追加で」

 

「浅葱はもうちょい遠慮してくれ」

 

「いいじゃない。勉強見てるんだから」

 

「だな。浅葱から教えてもらうなんて相当貴重だぞ古城」

 

「貴重? いや、結構浅葱には世話になってるが?」

 

「頭がいいとかガリ勉とか思われるのが嫌で、ノートとかほとんどとってなかったのに、今じゃあわかりやすくまとめてんだから、不思議だなあ。いったいどういう心境の変化があったんだろうなあ? 気にならないかあ、古城?」

 

「ちょ……ちょっ……ちょっ……ちょっといきなり何ふざけたこと言ってんのよ、アホ基樹っ!」

 

 矢瀬の問いかけに、カァと頬を紅潮させて、これまでの余裕をなくす浅葱。それを見て、古城はあっけからんと、

 

「別に。だって浅葱から見返りに、メシ奢らされたり、日直やら掃除当番やら押し付けられたりきっちり見返り要求してんだから理由なんて明らかだろ」

 

「ぜんっぜん違うわよバカ古城っ! 全部あんたの―――」

 

 言いかけて、何を口にしようとしていたのかに気づいた浅葱はこの話題に持っていった張本人に突き刺さるような視線を向けるも、その矢瀬は落胆したようにもしくは呆れたように頬杖をついてこちらを見ていた。だめだこいつら、と目は口ほどに言っている。

 何か返される前に、浅葱は突然、携帯電話を見て、ちょうど運ばれてきたアツアツの唐揚げをぽいぽいと摘まんでほくほくと熱さに涙目になりながら、残っていたジュースを一気飲みで流して飲み込み、立ち上がる。

 不自然なほど、棒読みで、

 

「あ、あー! もうこんな時間! んじゃ、あたし、バイトだから!」

 

「? 浅葱先輩はバイトしてたのか」

 

「あー、あれだ。確か、人工島(ギガフロート)管理会社の……」

 

「そそっ。保安部のコンピューターの保守管理(メンテナンス)ってやつ。割がいいのさ」

 

 空中でキーボードを叩くような浅葱の仕草はまるでスーパーのレジ打ちをするような気楽さだが、管理会社の保安部の仕事を一般人においそれと任せるわけがない。

 今どきの女子高生な見た目と性格で信じられないかもしれないが、昔から成績はぶっちぎりのトップで今や肩書き持ちの反則的な天才プログラマー。

 優秀なのだ藍羽浅葱は。

 そんな、小学生になる前から知り合いの、所謂幼馴染の間柄で、武勇伝を山ほど知っていそうな矢瀬は、逃げるように去っていく浅葱の姿を見送ってから、おーすごいのだ、と拍手喝采のクロウを見て、

 

「学生で現役攻魔師の助手をしてるクロ坊も割とすごいことだと思うけどねぇ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 バイトで浅葱が去り、ちゃっかり自分の分の宿題を写し終った矢瀬も解散した。

 取り残された古城の前にいるのは、うまうまと味わうようにゆっくりと揚げたての肉の塊を頬張る後輩ひとり。

 古城が問題集と格闘しているところ、こうも美味そうにやられると、こちらも生唾を呑みこんでしまう。

 吸血鬼ならば、ワインかトマトジュースにしか興味ないと思われるが、しっかり食欲があるのだ。

 けれど、悪気があってわざと見せつけているわけではなく、性格に裏表のない――単純思考ともいう――後輩は感情を素直に出してるだけなのは、古城もわかっている。

 

(こいつとも長い付き合いだよな……)

 

 出会ったのは、ちょうど妹がこの中高一貫性の彩海学園に入学した3年前。最初はいろいろと問題があったが、妹と同じクラス分けになった今年の春前からそれなりに良好な先輩後輩関係を築いていて、あの事件からもその縁は途切れていないでいる。

 浅葱にも言われたが、現在の古城に近寄ってこれる後輩は、この南宮クロウだけだろう。

 

 かつて、暁古城はバスケ部員だった。

 人間離れした跳躍力と反応速度に異様なまでのシュート精度を誇っていた古城中心のワンマンチームで引っ張っていって、都大会で準優勝を飾り、古城自身も優秀選手に選ばれるほどの成績を残している。

 だが、それも試合中に起きた事件で終わる。

 強引なドリブルを仕掛けた古城に、ファウル覚悟で挑んだ相手選手が重傷を負ってしまったときから。

 試合を一時中断し、救急車を呼ぶほどの騒ぎとなったが、古城にも動揺はあったが、それでもバスケをするつもりであった。怪我をさせてしまったが、古城も負傷したし、両者とも積極的な攻め合いだったのだからお互い様。

 けれど、治療にベンチに下がった時に見たのだ。相手選手からだけでなく、チームメイトからも怯えた眼差しを向けられていたのを。

 それでも、試合はまだ終わっていなかった。

 たとえエース選手が退場していても、残り時間逃げ切れるだけの点差はついていた。

 でも、チームは負けてしまった。

 古城が下がってから、士気は崩壊し、あっという間に逆転されて、大量のリードを許して呆気なく大敗した。

 それでも、古城はワンマンチーム故の弱点だと割り切ることはできた。

 でも、チームがその敗北を平然と受け入れるのを見て、『ああ、俺があいつらの気力を奪ってしまってたんだな』と思った。

 自分たちが本気を出さなくても、誰かが勝たせてくれる、ピンチでも助けてくれると思わせるような空気を部内に作ったのは自分なのだと。

 結局、自分一人では何もできないのに。

 

 どれほど力があっても、たとえそれは“世界最強の吸血鬼”になったのだとしても変わりない。

 

 以来、怪我を理由に引退し、一冊だけのアルバムを残して、バスケ部とは縁を切った。慕われていたバスケ部の後輩たちからも距離を置いて、しばらくしたら古城の周りに残ったのはバスケ部でもない――そして、“半分人間でもない”――後輩ひとり。

 

「? こっちの顔を見てどうしたのだ古城君」

 

「あのなクロウ。なんで浅葱や矢瀬が先輩で俺が古城“君”呼ばわりなんだ?」

 

「古城君は古城君なのだ。凪沙ちゃんもそう呼んでるのだ」

 

 なるほど同じクラスメイトとなった妹の口癖がうつってしまったらしい。

 

「わかっているとは思うが、凪沙にあんまり近づくんじゃねーぞ」

 

「わかっているのだ。オレも怖がらせることはしたくないのだ」

 

 そうして。

 後輩が唐揚げを食べ終わるのを見計らってから、古城は教科書と問題集、課題のプリントを鞄に放り込み、伝票を掴んで立ち上がった。

 後輩の食事しているのを見ていたら、どうもお腹の方に意識がいってしまって仕方ない。それに今頃妹が飯の支度をしているかと気になってしまってはこれ以上勉強を集中することはできなかった。

 レジで精算を済ませながら、明日からの昼食代をどうやって、財布のひもを握っている妹から引き出そうかと脳内検討中していると―――ふと、古城の制服の袖を後輩が引っ張る。

 

「オオカミが、こっちに近づいてくるのだ」

 

「はぁ? オオカミだと?」

 

 古城にしか聞こえない小声で呟く後輩の視線の先を追ってみる。

 

 店の出口から出てすぐにある、ファミレス正面の交差点。

 その向かい側にいる、眩い夕陽を逆光に背負う、ひとりの少女。

 黒いギターケースを背負った制服姿の女子生徒が、ちょうどこちらに気づいた古城の目が合った。

 

 

道中

 

 

 第四真祖<焔光の夜伯(カレイドブラッド)

 それは魔族に関わり合うものならば誰もが知るであろう、世界最強の吸血鬼の肩書だ。

 

 曰く、第四真祖は不死にして不滅な、世界の理からも外れた冷酷非情な吸血鬼。

 曰く、他の三つの真祖とは違い、夜の王国(ドミニオン)を作らず、一切の血族同胞を持たない孤高。

 曰く、歴史上の転換期に現れては、従える十二の災厄の化身たる眷獣を以て、数多の都市を滅ぼした怪物。

 

 もしも実在するのならば、個で世界のバランスを崩壊させ、秩序と安定を乱しかねない。

 そんな、どこにいるのかさえ分からず、都市伝説の空想上の存在であるとさえ疑われていた第四真祖が、この魔族特区絃神島にいるという。

 

 そして、高神の社であと4ヶ月の剣巫としての訓練期間を残していた自身に、獅子王機関の<三聖>と呼ばれる長老たちから命じられた任は、その第四真祖と接触し、監視役となること。

 妖から宮中の守護を任されていた滝口武者を源流(ルーツ)とする獅子王機関は、国家公安委員会に設置されている特務機関。

 大規模な魔導災害にテロを阻止し、そのための情報収集や謀略工作を業務とする、いわば、魔族専門の公安警察だ。

 その一員として、自分は、たとえ第四真祖が相手であろうと、監視対象が危険な存在だと判断を下せば、全力を以てこれを抹殺する。しなければならない。

 

 正式な卒業を師から認められない実戦経験ゼロの剣巫見習いが、軍隊と同じ扱いをされている第四真祖の相手をするのは荷が勝つ任務であるも、<三聖>から<雪霞狼>という銘の魔族殺しの機槍<七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)>を与えられている。

 高度な金属精錬技術で造られた穂先は最新鋭の戦闘機にも似た流麗なシルエットを持ち、武器の(コア)には古代の宝槍が使用されている、世界に3本しか存在しないとも言われる獅子王機関の秘奥兵器。

 この個人レベルで扱える中では間違いなく最強の武神具があるのならば、吸血鬼の眷獣をも一撃で滅せることができるだろう。

 

 そうして、第四真祖が通う私立彩海学園に転入手続きを済ませて、早速、近辺調査から情報収集を済ませると、第四真祖――暁古城の捜索にあたった……のだが、

 

「―――っく、さっきまでここにいたはずなのに!」

 

 逃げられた。

 事前情報として見せられた写真の学生が、ファミレスにいたことを確認できたのだが、こちらも気づかれ、店の裏口へ。

 それから急いで駆け付けるも意外と向こうの足は速く、また向こうに土地勘がある。何度か不得手ながらも探し物を占う卜筮で位置を特定したりしたのだが、そのたびに場所を移動され、巻かれてしまう。

 

(卜筮から、相手はこちらとある程度一定の距離を置いている。そう、常にこちらの様子が見られる距離を保っている。これは、おそらくこちらの観察が目的。しかし、それには相手も私の現在位置を把握してないとできないはず……)

 

 逃亡戦の鉄則は、相手に自分の位置を掴ませず、自分は相手の位置を把握していること。

 間違った方向へと逃げれば、運悪く鉢合わせることもあるのに、あれから尻尾の影すらつかませない。

 監視から本番と考えていたが、接触の段階でこんなに手間取るとは、どうやら第四真祖は逃げ足にも厄介なスキルを持っていると、敵の評価と任務の難易度を上方修正する。

 監視役の剣巫は、捕まえたら逃亡対策にまず位置探知の呪詛を仕掛けなければ、と心に決めた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「どうするのだ古城君。まだ相手は諦める気はないようだぞ」

 

 姫柊雪菜がいる地点をちょうど見下ろせるビルの屋上。

 古城はパーカーのフードを目深に被ってじりじりと肌を焦がすような真夏の熱射熱風に精一杯の抵抗を見せながら、疲れたように吐息をこぼす。

 

「一応、勘違いがないように確認だけど、あれって俺を尾けてるんだよな?」

 

「なのだ。古城君の場所を何度も占っているぞ」

 

 柵の上に器用にバランスを保ちながら、スヌードを下げて精悍で整った顔をあらわにした後輩は、すん、と鼻を鳴らす。

 ベースギターのギターケースを背負った少女。綺麗な顔立ちをしていて、どことなく人に慣れない野生の猫のような雰囲気。今、途方に暮れて立ち尽くしてる姿は儚げで、頼りなく見える。

 人相の見覚えはないが、服装は、藍羽浅葱が着ていたものと同じ、彩海学園の女子制服。襟元がネクタイではなく、リボンであることから、中等部の生徒。

 だとすると、まず最初に思いつく可能性は、中等部に通う一歳違いの妹の知り合い。ならば、妹とクラスメイトの後輩が知っているのではないか。

 

「クロウ。あいつのこと知ってるか?」

 

「知らない。中等部の校舎にも“嗅いだことのない匂い”だぞ」

 

 軽く鼻の頭を擦りながら、そういう。

 じゃあ、違うのか。

 これまでの付き合いから、南宮クロウの嗅覚は信用できるものだと古城は認めている。

 

「そうだな。なんかまだ短いスカートに履き慣れていないというか、時たま動きが無防備で危なっかしいし、初めて制服を着たっぽいな」

 

 だとすると、今日この絃神島へ来たのかもしれない。

 

 で、妹の関係者というセンが消えるとなると、古城を見知らぬ人物に尾け回される理由は、ひとつに絞られた。あまり考えたくないのだが、何やら術っぽいのを使っていると言われれば、そのセンが濃厚だ。

 

「このまま、帰る……ってわけにはいかないよなぁ」

 

 関わると厄介ごとの予感がする。

 だが、これまでのしつこさを考える限り、妹のいるマンション前にまで張り込まれてしまいそうだ。

 それは、困る。

 できれば、こちらの勘違い、もしくは人違いで済ませられるのなら済ませたい。

 ただでさえ切羽詰まってる追試の前日に面倒事はごめんだ。

 

「那月ちゃんに相談してみっか」

 

 この手のことに専門家の知恵を借りようかと古城が携帯を取り出した、そのとき。

 

 

 トン、と。

 後輩、南宮クロウが屋上から飛び降りた。

 

 

 たとえ、世界最強の吸血鬼でも厄介ごとからは逃れられないことを古城は知るのだった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 もう何度目かになる卜筮を準備に、武神具の入ったギターケースを置いたときだった。

 少女に声をかけたのは、見知らぬ男の二人組。年齢は二十歳前後で、派手に染めた長髪に、あまり似合っていないホスト風の黒スーツと、いかにも遊び人な男たちだ。

 少女の柳眉が寄る。

 

「―――ねぇねぇ。そこの彼女。どうしたの? 道に迷ったの?」

「道草してんなら、俺たちと遊ぼうぜ」

 

「どいてください」

 

 獅子王機関育成場である高神の社は、表向きは全寮制の女子校。

 異性に言い寄られることのない環境で、少女も男の人に声を掛けられたのはこれが初めての経験ではある。

 ルームメイトからこの手の輩は、下手に穏便に別れようとしてもしつこく食い下がってくるから、最初にドギツイ一発をかましてやりなさい、と教わっている。

 間違っても、ナンパに対し優しく対応してはダメだと何度も何度も言い聞かされた。

 最悪、殺しちゃっても構わないわ! なんて言われたけど、声をかけただけで流石にそれは避けたい。

 

「いいじゃんいいじゃん。俺らと一緒にいると楽しいぜ」

「給料出たばっかで金持ってるからイイとこにつれてってやるよ」

 

「結構です」

 

 男たちの手首が視界に入った。

 そこに嵌められている金属製の腕輪――魔族特区の特別登録市民。

 つまり、この二人は、魔族(フリークス)

 生体センサに魔力感知装置、発振器などを内蔵した腕輪をつけている以上、事を起こせば、ただちに特区警備の攻魔官が隊を率いて派遣されることになっているので、そうそう人間に危害を加えたりはしないだろう。

 でも、魔族だ。

 

 訓練で仕込まれた体の重心が、自然と低くなる。

 

 剣巫見習いとはいえ、少女はもう攻魔師の資格を持っている。そして、獅子王機関の一員として、少しでも危険な可能性があるのならば無視はできない。するつもりはない。

 そして、今の彼女は、ファミレスで逃げられてから一向に見つからない第四真祖に業を煮やし、苛立っていた。何度も何度も、不得手な占いをやらされて、それも成果が出てないとなるとストレスがたまるというもの。

 

「ちっ、ガキのくせに、お高くとまってんじゃねぇ!」

 

 だから、男たちの一人が暴言を吐きながら、思いっきりスカート捲りをされて、カッとなってやってしまった。

 

「<若雷>っ―――!」

 

 掌底を鳩尾に抉りこむように叩き込む。

 

 少女の勘からして、この魔族は獣人種。強靭な筋力を有する人外は、当然、肉体は人よりも硬い。鍛え抜かれたプロの格闘家が、女子中学生に殴られてもピクリともしないだろう。そして、獣人種はそのプロの格闘家以上に硬い。

 

 だが、獣人種の男はトラックに撥ねられたような勢いで吹っ飛び、壁にぶつかり、消沈。

 たった一撃で、仕留めた。

 

 そして、止まらず、次。

 

 今は仲間がやられて呆気にとられているが、我に返れば暴れる可能性が高い。戦闘において、一瞬の躊躇は命取りとなる。

 だから、少女は迷うことなく、もう一人の魔族にも同じ掌底を食らわそうとし、

 

「<若雷>っ―――「ストップなのだ」」

 

 何の前兆もなく、二人の間に現れた厚着の少年に、撃ち放った渾身の掌打を、その手袋に包まれた手のひらで受けられた。

 

「は―――?」

 

 実戦が初めてとなるも、高神の社で攻魔師候補者たちに指導される強烈な白兵術式は失敗していないはず。

 だが、それも疑わしくなっても仕方のない光景だ。

 

 いてて、と少年は一撃を喰らった手をぶんぶんと振ってる。

 多少腫れた、その程度なのだろう。

 見習いとはいえ、剣巫が放ったゼロ距離からの掌打を受けてその反応。

 魔族の中でも強力な身体能力を持った獣人でさえ、十分通用する。気を乗せて通した衝撃はその分厚い筋肉を貫通し、吹っ飛ばした少女の近接戦闘の武術なのだ。

 寸前で無意識に手加減したとしても、それは、ちょっとおかしい。いててじゃない。これでも卜占と違って武術は結構得意だし、そんな軽いもんじゃすまされない。

 思えば、掌から伝わる手応えがいつもと違っていた気がする……。

 

「まさか、生体障壁?」

 

 気功術とも呼ばれる武術の業だ。少女も師から教わった。

 ……なのだが、当の本人は聞き慣れない単語を耳にして、?マークを浮かべている。

 

「セイタイショウヘキ?」

 

「え、っと、気功術のことです。わかりますか」

 

「おー、キコウ。うん、気功。笹崎師父が言ってたぞ」

 

 笹崎―――とその名前を聞いて、少女の記憶にすぐ思い至ったのは、今朝、転入手続きの際に顔合わせした担任教師の笹崎岬。教える科目は体育実技で、学園に何人かいるという教師兼業の国家資格を有する攻魔師でもある。

 獅子王機関から送られた事前情報で、笹崎岬女史は、<仙姑(せんこ)>との異名を持つ、武術と仙術を高いレベルで極めた接近戦闘術『四拳仙』の達人(マスター)クラスの女拳士。

 それを師に持つというのなら、この相手に近接戦は避けるべきか―――

 

「オレ、みんなと一緒に体育参加できないから、授業中はいっつも師父と組手してるんだ。この前も、ショウケイケンの筋がいいって褒められたのだ。でも、師父みたいに気功波できないからまだ未熟なんだ」

 

「は、はぁ……そうなんですか」

 

 なんか、あっさり手の内をさらされてる。

 これはこちらが舐められているのか―――いや、それはないだろう。霊感霊視にそれなりの自信がある少女には、毒気がないというか。何か騙し討ちとかできなさそうな性格なのがわかってしまう。

 いや、そもそも攻魔師(こちら)側の人間であるなら戦う理由はないのか?

 

「それで、お前は何で古城君をつけ回してるんだ?」

 

「え?」

 

 あれ、ちょっと、この厚着の人、どこかで見かけたような気がする。

 少女は記憶をさかのぼって精査する。そういえば、ファミレスで第四真祖を見つけた時、そのすぐ隣にも厚着の人がいたような……

 

「ストーカーはいけないことだぞ」

 

「な……!? いや違います! とんでもない誤解です! 私は獅子王機関から監視役として派遣された剣巫です!」

 

「シシオウキカン? ケンナギ?」

 

「知らないんですか!? え、師匠(せんせい)から聞いてないんですか!?」

 

「うん、知らないのだ」

 

「どうしてそこで胸張って答えるんですか。笹崎攻魔師官の教えを受けてるなら私たちと同じでしょう!」

 

「笹崎師父は、とりあえず、歯向かってくる相手をブッ飛ばせばみんな解決することを教えてくれたのだ」

 

「何ですかその脳筋思考は。……ためしに一つ尋ねますが、攻魔師の資格をお持ちですか」

 

「持ってないのだ」

 

「だから、何でそう自慢げなんですか……」

 

 さっきまで結構気が立っていた気がするのだが、いつのまにやら戦闘意欲が失せている。

 これの相手に矛先を向けても徒労に終わる気がするのだ。

 しかし、この少年が、暁古城――第四真祖と何かしら繋がりがあることは確かだ。彼に仲介をお願いすれば、コンタクトできるかもしれない。

 できれば、話し合いで、最悪、力付くでも。

 

「―――テメェら、さっきから俺を無視してんじゃねぇ!」

 

 

 

「D種―――!」

 

 ホスト崩れの遊び人の魔族に現れた、真紅の瞳。そして牙。

 魔族の本能と同時にあらわにした身体的特徴は、欧州を勢力圏とする<忘却の戦王(ロストウォーロード)>を真祖とするD種の、吸血鬼だ。

 獣人種ほどではないにしても、常人を遥かに超える身体能力と、魔力への耐性。そして、無限の負の生命力からなる凄まじい再生能力。それだけでも厄介というのに、彼らにはもうひとつ、魔族の王と呼ばれるにふさわしい切り札を持っている。

 

「―――<灼蹄>! そいつらみんなやっちまえ!」

 

 男性吸血鬼の絶叫と共に、左腕を掲げる。魔族につけられた腕輪からは攻撃的な魔力を感知してけたたましい警告音を発しており、血管が浮かび上がったようなラインが左腕に展開されて、鮮血にも似たどす黒い炎が噴出する。

 陽炎の如くに揺らめいて、形作っていくそれは、馬。自然界にはありえない、巨大な炎の妖馬だ。

 

 こんな街中で眷獣を使うなんて―――!

 

 少女のうちで失せかけていた闘志が再点火する。

 腕輪の警報音で、ここら一帯にいる人々は皆避難するだろう。そして、警備隊が現場に急行する。

 しかし、相手は眷獣と呼ばれる怪物。

 吸血鬼が自らの血の中に従える眷属たる獣は、吸血鬼の個体個体によって姿形や能力は様々だが、『旧き世代』となれば、小さな村を丸ごと消し飛ばす芸当も可能だという。

 この男性吸血鬼は若い世代であるものの、それでも最新鋭の戦車や攻撃ヘリを上回る戦闘力を有しているだろう。

 ただ在るだけでその身から放たれる高温で融解していく、溢れだした溶岩も同然の破壊的なエネルギー。そんな炎の妖馬が、意思を以て、生身の人間に襲い掛かろうとしている。

 それも宿主の吸血鬼は実験場以外での召喚は初めてであるせいか、幉を抑えきれず、眷獣は半ば暴走気味だ。

 

「吸血鬼の眷獣は並の攻魔師でさえ相手になりません。資格を有していない見習いは下がっててください」

 

 <雪霞狼>―――!

 ギターケースに収納していた、冷たく輝く銀槍を取り出す。

 収縮機能が付いた折り畳み傘のように、柄がスライドして伸長し、穂先に格納されていた主刃が突き出る。それから戦闘機の可変翼のように左右に副刃が展開される。

 その外観は洗練された近代兵器ではあるが、使用分類は原始的な刺突武器である。

 フッ、と体の裡から絞る静かな呼気を唇から洩らしながら、その2m近い長槍を、その少女の細腕で、軽々と振り回す。

 

 バカめ!

 

 他人に逃げるよう促しておいて、自身は立ち向かう様子の少女を、男性吸血鬼は嘲り笑った。仲間を得体のしれない攻撃で吹き飛ばしたが、結局、少年に片手で止められてしまう程度のものを己の眷獣と比べ、恐れるものでもない。

 だが、そんな男は少女ばかりを警戒し、その攻魔師の一撃を防げたというもう一人の少年を見誤っていた。

 

 少女は暴れ狂う炎の妖馬に突き立てんと槍を構え―――それを後ろから追い越す影。

 

 攻魔師ではないはずの少年が、攻魔師である剣巫見習いよりも早く踏み出していた。

 厚着の少年は、槍を持つ少女の頭上を、軽々と飛び超えてる。

 信じがたい跳躍力だった。

 攻魔師といえど、肉体は常人と変わりない。

 あるいは、特殊な武術や技術を駆使することもあるが、それとて肉体そのものの強度を変化させるわけではない。まして、肉体を強化するような術を使った形跡もなかった。

 ならば、この少年の肉体は、まさしく規格外だった。

 

「―――オレもご主人の眷獣だぞ」

 

 迫る炎の妖馬と対峙して、踏み込んだのは、たった半歩。

 震脚が地面を穿ち、しゃくりあげるような拳が眷獣を打つ。

 

「な……!」

 

 ……飛んでいた。中身のない空気人形のように。吸血鬼の眷獣が。

 

 原理は、ほぼ先ほど少女が放った気を乗せた掌打<若雷>と同じだろう。

 だが、その拳骨に込められた気の総量と密度、そして膂力が違った。

 地面から螺旋を描いた反発力は、少年の拳を伝わって、炎の妖馬の体を真上に飛ばしていた。

 

「う……嘘だろ!?」

 

 突進のエネルギーが相殺されるばかりか、眷獣の巨体が無防備にも浮いた。

 致命的だ。

 機槍を構えた剣巫が、驚いたとはいえ、この絶好の隙を逃すはずもない。

 真っ向から、回避しようのないタイミングで、眷獣を機槍で貫く。

 一閃。そして、霧散。

 少女は、眷獣でさえも一刀で断ち切り、消滅させた。

 

「俺の眷獣がこんなにあっさり……」

 

 絶対だと信じていた切り札は、出現から分も持たずに消滅し、破壊を成したのは精々アスファルトに焼焦げ目をつけるだけだった。

 その衝撃は凄まじく、男性吸血鬼は今目の前にいる少年少女が恐怖の対象としか映らない。

 そして、眷獣を真上にかち上げた、その拳を天に突き上げて身体を伸び上がった少年の、その首巻に隠された顔、頬にある古く大きな切傷―――

 

 それを見てようやくひとつの魔族の中で広まる噂話が脳裏に過る。

 

「お前、まさか<黒妖犬(ヘルハウンド)>―――」

 

 総毛立った。

 その褐色の肌を一切見せない厚着と顔にある大きな古傷。

 今は気絶している仲間の獣人種が歯ぎしりさせながら語っていた。

 魔族を大量虐殺した魔女に飼われる、死の予兆で墓守の番犬であり、魔女の女王の眷属の名を冠する猟犬は―――獣人種(おれたち)の偉大なる王の血を裏切る者だ。

 

 しかし、魔女の犬よりも早く吸血鬼に死の宣告が迫る。

 

 今度は少女が少年を追い越す。向けられる視線は、冷ややかに猛り狂っている。険しい表情を見れば、眷獣を倒しても、まだ少女の戦闘は終了していないことを悟らすだろう。相手の命を取るまでは。硬直して動けない男性吸血鬼に破魔の銀槍で心臓を貫かんと突き出した―――そのとき、

 

 

「ちょっと待ったァ!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 出るつもりはなかった。

 

 後輩が屋上から飛び降りた時は驚いたが、後を追って駆けつけてみれば、ケロッとしていたので心配して損した。まあ、そのドーピングの比ではないチート極まる人外の身体能力では、正々堂々スポーツマンシップなんて守れるわけがないだろうし、人間社会においてほとんど不要の長物であることは、自分のことのように理解しているが。

 

 とにかく、ホスト崩れの遊び人と遭遇し、少女から不穏な気配を感じて急行した後輩を追って、遭遇した場面は、そうちょうど……があらわになったところで。

 

 それは置いておこう。

 

 質問厨の後輩に止められた彼女は、自身の正体が監視役であると明かす。シシオウキカンとかケンナギとか後輩と同じように首を傾げたくなる知らない業界用語を並べられたが、第四真祖を捜し、魔族を一発で倒した中学生は、真祖の命を狙う賞金稼ぎではないことを理解した。でも、どちらにしろこちらにとって面倒な輩であることには違いない。

 この3ヵ月ばかり前に先代から押し付けられた『世界最強の吸血鬼』という非常識な肩書をこれまで必死に隠してきたのだ。このことを知っているのは一人の協力者と、自身と同じ彼女の観察下に入っている後輩だけだろう。

 

 それからすっかり蚊帳の外に置かれた魔族は、そこで仲間を連れて少女から逃げればいいのに、逆上。

 魔族特区では、当然魔族だけでなくその彼らを滅ぼしうる攻魔師にも厳重な制限が課せられており、道端で声を掛けられた程度で攻撃した少女にも非があることは確かだ。いくら絃神島が非常識で混沌しているとしても、斬り捨て御免が通用するほど殺伐とはしていない。

 だが、それでも吸血鬼の眷獣はやりすぎだ。しかも制御できていないとなれば、ブレーキの壊れた暴走列車と変わらない。

 

 それでも攻魔師と吸血鬼の喧嘩、それに巻き込まれた後輩の状況を見れるだけの余裕はあった。

 

 唯我独尊の担任教師から、『バカだが使える眷獣(イヌ)』と認められている後輩は、吸血鬼の眷獣を優に上回る戦闘力の持ち主であると知っていた。

 しかし、あの中学生も、眷獣を滅ぼせるだけの実力があったのは流石に古城も思わなかった。

 

 

 

 命のやり取りを目の前でされては、傍観者のままでいることはできなかった。

 吸血鬼でも、ナンパに失敗して中学生に刺殺されたなんて不名誉な死はかわいそうだ。

 して、割って入ってしまった暁古城から、攻魔師の少女は後ろに跳んで距離を取り、愕然とした表情でそれを言う。

 

「<雪霞狼>を素手で止めるなんて……っ! やはりあなたが、暁古城―――いえ、第四真祖!」

 

 ひた隠しにしていた異名を叫ぶ上擦った声はよく響いたが、幸いにしてこの場で意識があるのは、古城と攻魔師の少女、そして、あまりの恐怖に気絶した吸血鬼を回収していた後輩のみ。

 とりあえず、魔族の方は後輩に任せるとして。

 こちらを警戒して油断なく槍を構えて、むっつりと睨んでくる中学生に、古城はやれやれと息を吐きながら、攻撃の意思はないと両手を上げるポーズをとる。

 

「あのさ……なんで俺の名前を知ってるのかとか気になるけど、その話は置いといて、これ以上はやりすぎだって。もういいだろ」

 

「どうして邪魔をするんですか? ―――もしや、その男はあなたの眷属なんですか?」

 

 女子中学生をナンパした野郎と仲間扱いにされていると古城はますます吐息に滲む、気怠さを濃くする。

 

「違う。でも、目の前で喧嘩してる奴らがいたら、普通は止めようと思うだろ」

 

「公共の場での魔族化、しかも市街地で眷獣を使うなんて明らかに危険です。聖域条約にも違反しています。彼は殺されて文句は言えなかったはずです」

 

「それを言うなら、先に手を出したのはおまえのほうだろ?」

 

「そんなことは―――」

 

 ない、とはいえない。

 途中でいったん切れてしまったが、原因の発端を思い出した少女は、口を噤み、黙りこむ。

 

行動不能の(ブッ倒した)魔族を苛めるのは、攻魔特別措置法違反だぞ」

 

 そして、攻魔師助手の後輩からの援護射撃。その正論に、少女は唇を噛んで俯いてしまう。よし、よくいった、と古城は内心で僅かに快哉する。

 

「だから、やるなら生かさず殺さずが鉄則だとご主人は言っていたのだ」

 

 それは聞きたくなかった情報だ。そんな独裁者な、魔族に優しくない助言はしなくてよろしい。

 

「ま、まあ、お前もわかっただろ。いくら魔族が相手だからって、ちょっとパンツを見られたくらいで殺そうとするのは―――「え、見たんですか?」」

 

 うっかりとこぼしてしまった古城の失言に、少女は顔を上げる。銀の槍でこちらの心臓に狙いをつけたりはしないが、その視線は先ほどの男二人組に向けていたのと同じ冷ややかなもので、

 

「あ、いや、それは……」

 

 口ごもる古城は、咄嗟に警報を鳴らし続けている魔族の腕輪を止めようとしている後輩を見る。

 

「? よくわからないけど、古城君。お前のスカート危なっかしいって言ってたぞ」

 

「おい!? おま―――「見たんですね」」

 

 まさかの後輩からのフレンドリーファイアに、少女の目がナンパ男たちに向けられるものより冷たい。変質者を見る目だ。

 もはやどんなに言い訳を模索しようにもこれは釈明のしようがない。

 ナンパされているところを察知してすぐ駆けつけた後輩はとにかく、古城はこの一連の騒動を黙ってみていた。痴漢行為に遭った少女を見捨てて、市街地で暴れようとした魔族を庇う身勝手な男子と思われても仕方がない。

 

「でもほら、そんな気にするようなことじゃないだろ。年下の下着になんか俺も興味ないし、なかなか可愛い柄だったし、見られて困るようなものでもないんじゃないかと……」

 

「………」

 

「な、なあ、クロウ。お前もそう思うよな?」

 

「オレ、そこまで見てなかったからよくわからないけど、古城君の注意力はすごいな」

 

 慰めにもならないし、弁護にもならない、むしろ立場を悪くする後輩や、さらにあたふたする先輩のやり取りを眺めて、少女は、深く溜息をついた。しかし、古城に向ける軽蔑な目つきは変わらず。そして、いったん古城から視線を外して、腕輪の操作中に目が離せず背を向けて座り込んでいるクロウを見下ろす形に立つ。

 

「……あなたも、魔族だったんですね」

 

「うん、そうだぞ」

 

「……暁古城の、仲間ですね」

 

「うん、古城君は学校の先輩なのだ」

 

「……そう、ですか」

 

 私を騙していたのか、とは言われない。

 眷獣を相手にした時のように、槍先を向けられない。

 だが、そこに向けられる視線は、同じ攻魔師(ニンゲン)のものではなく、二人組や第四真祖(古城)と同じ魔族を見る目に近くなった気がする。

 

「おい、お前、クロウは―――」

 

 と、古城が口を挟もうとしたその瞬間、タイミングでも見計らっていたかのように、一陣の神風が吹き抜ける。

 仁王立ちしていた少女のスカートが、ふわっと無防備に舞い上がる。

 少女に背を向けている後輩は気づかないが、幸か不幸か、少女と対峙しようとしていた先輩からは見えていた。つい動体反射から目で追ってしまい、つい男子的反応で吸い寄せられたそこに視線が固定されてしまう。

 

「よし、これでピーピーうるさいのも止まったのだ」

 

 達成した後輩の声が、古城には遠くにあるように聴こえた。

 息苦しいほどの静寂な雰囲気に呑まれる中、一呼吸分の溜めを置いてから少女がこちらに振り向いた。

 

「いや、待て。今のは俺がやったんじゃないぞ。離島特有の強風ってやつでだな―――」

 

「……もういいです」

 

 いやらしい、とうろたえる古城にそう言い捨て、クロウには一瞥もせずに少女は去っていった。

 

 

 白い縁取りの、いくらかの金銭とクレジットカード、ぎこちなく笑う少女の顔写真と『姫柊雪菜』と名前を刷り込まれた学生証を入れたお財布を落として。

 

 

 

つづく

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。