ミックス・ブラッド   作:夜草

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魔女の迷宮Ⅲ

???

 

 

 忘れても憶えている、失われたいつかの記憶。

 

 

 彼は、自分を守るために戦い―――“自分”に刺された。

 

『これが現代の殺神兵器、我の“後続機”だというのか。それが未完成であるのはわかっていたが、殺されるまで全力すらも出さんとは……興醒めだ』

 

 自分の顔は彼の血で染まっていた。手は彼の血に濡れて、滴り落ちている。

 

 “自分を怖がらせないよう”に“人間のまま”。

 獅子の雷光を浴びて、双角獣の振動波に吹き飛ばされ、金剛の羊に反撃を撥ね返される。

 それでも、彼は自分を庇ってくれた。戦うのをやめなかった。そして、今では“自分”から兄たちを逃がそうと血を流しながら、ひとり殿でこの祭壇に残り、奮戦した。

 “自分”は、自分の前で本気を出そうとしない彼に、最初は加減してオモチャのように苛めては挑発を繰り返し、それでもそれに乗らない彼に段々と苛立ち、攻撃を苛烈にしていき―――終いには、我慢できなくなり自らの手で切り裂いた。

 

『不愉快だぞ。なんて無様な散り様だ。所詮は欠陥製品か―――』

 

 “自分”はけして認めないだろうが、彼に本気を“出させられなかった”。彼の頑固な意志を変えられなかった。思い通りにならず、“負けたのだ”。

 ―――とくん、とくん……。

 彼を抱きしめる(拾い上げる)腕が、生暖かい鮮血に染まっていく。背中に刻まれた裂傷から、尋常ではない出血が止まらない。

 

 《結局、こうなるの……?》

 

 腕の中で、彼の身体が重みを増しつつあった。

 流れる血。

 体温を失っていく、彼の身体。

 

 《結局、私は―――》

 

 ―――とくん……とくん……。

 恐怖のあまり、何も考えられなくなっていく。

 けれど、かすかに感じる心臓の鼓動の感覚が、ゆっくりと遅くなっていくのだけは感じる。

 彼は今まさに、命を失おうとしてる。

 ―――とくん……とくん……。

 いくら呼びかけようと思っても口は動かず、どんなに強く抱きしめようにも力は入れられず、腕の間から彼の命が零れ落ちていく。

 それは自分が“終わる”ことを覚悟した時とは、比べようのない恐怖だった。

 ―――とくん……。

 彼の鼓動が―――。

 ―――とくん……。

 弱っていき―――。

 ―――……。

 

 停まった。

 

 あの時と同じ。

 でも、自分にはもう何もできない。ただ、この消えゆく彼の命の温もりを最後まで感じることだけしか―――

 

 血塗られた手が、その『首輪』を外す。

 

『このまま死なせるものか。この欠陥製品のせいで、『十二番目(ドウデカトス)』を逃がしてしまったのだからな』

 

 “自分”が何をしようとしているのか、最初、自分はわからなかった。

 

『これから、お前の“一番”の記憶()を喰らってやる』

 

 《ダメだよ……■■君を、これ以上、そんな……》

 

 これから行われるのは死という尊厳すらも踏み躙る、とてもひどいことだ。

 

『そして、疑似的な『血の眷属』にして』

 

 《だめ……だめ……だめだめだめだめだめ!》

 

 どれほど願っても、“自分”には届かない。

 

『獣のように我を襲えと命じてやろう』

 

 《だめだめだめだめだめだめだめだめぇぇええええっ!》

 

 “自分”の身体が、極光の輝きに包まれた。風に煽られた炎のように髪が逆立ち、天高くある雲を吹き飛ばすエネルギーの激流となる。

 抱きしめている彼から、金色の光が溢れ出した。

 光は“自分”が噴き出した極光の輝きと混じり合い、“自分”が開いた口の中へと吸い込まれていく。

 自分の双眸から、大粒の涙があふれ出す。

 

 なんて複雑で―――

 なんて濃厚で―――

 なんて切ない、記憶―――

 

 こんなのが記憶の中で、“一番”なの……!

 

 抱きしめている彼の身体にもまた、“自分”を取り巻く極光の輝きが染み込んでいく。

 自分は涙を流しながら、彼の“一番”の記憶を頬張っていく。

 

 《ごめんね、ごめんね、■■君―――》

 

 それは、これまで食してきたどんな氷菓よりも、甘くて、冷たい。

 

『実に、いい味だ。酔ってしまいそうだ』

 

 “自分”が恍惚とした声を洩らす。

 

『強い感情が伴わぬ記憶は、水で薄めた酒のようなもの。我に記憶()を捧げた生贄どもの中でも、そなたのそれは複雑に濃厚な情動が入り混じった、実に味わい深い格別な『混血(カクテル)』であったよ』

 

 この世のものとは思えない至上の味を舌で味わいながら、涙が止まらない。彼の鼓動がまた動き始めたことに気づかないほど、夢中になっている。

 今日だけで、たくさん戦って、たくさん傷ついて、たくさん失った。

 それもこれも自分のせいなんだよ―――

 

 だから―――

 

 自分は心の中で願いながら、彼の“一番”の記憶を呑み下した。

 ごくん……と自分の喉が鳴った。

 

 だから、たくさん私のことを恨んでいいよ。たくさん、憎んでいいよ。ひどいことをした分だけ、私のことを……。

 

 彼の身体が変生する。銀の人狼から、金色の完全なる獣へ―――

 

 

『さあ、我に殺神兵器の本性を見せてみろ―――!』

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

「う……ん……朝」

 

 凪沙は、夢からさめて、瞼を開く。

 毎日見る、見慣れた天井。病院暮らしが長かった凪沙は、いやに薬品臭さのない、自分の匂いのするここで目覚めるといつもほんの少しの安堵を覚える。

 窓にカーテンが引かれていたが、そのカーテンを透かした陽光で、とりあえず朝らしいということだけはわかった。

 

(……なんか、とても哀しい夢……………と、ものすっごく最低な悪夢を見た気がするんだけど)

 

 すっかりと忘れてしまっている。

 両方にも誰かの影がちらついて、それが凪沙の前で酷い目に遭っていたけれど、その夢の余韻はそれ以上詳細には凪沙の記憶に留めず、朝日に溶けるように消えてしまった。

 なんにしても起きたのだ。昨日のうちに準備が済ませてある今日の着替え、『波朧院フェスタ』で着ていく猫娘をモチーフにしたアニマルコスプレ衣装をもう一度確認して、キッチンで朝食の準備。さあ、今日も一日、元気よく―――

 

「あれ?」

 

 起き上がったところで、凪沙は体に掛けられていたそれに気づく。

 触り心地のいい相当に上質な生地に、まるで森にいるような気分を落ち着かせる香りがする。そして、どこかで見たことがあるような蒼と銀の法被(コート)……

 確か、凪沙が寝る前に羽織っていたガウンはクリーム色で、それもベットに入るときは外している。

 

 つまり、これは凪沙が眠っているときに掛けられたもの。

 

「え、え……これって……」

 

 そういえば、この法被って前に『王女様から特注に作ってもらった一品物』と当人から説明されたのと似てる。

 というか、昨日当人が着こなしてるの見た。

 あの時、大空を映し出したような蒼銀のコートを靡かせて颯爽と駆け抜けていく様は、本当に飛んでいるようで……今でもそれを思い出すとちょっと熱っぽくて、ふわふわな感じに……

 そこまで気が付いてしまえば、答えはすぐそこだった。

 

(もしかしなくても……クロウ君、の……)

 

 がらがらと、何かが崩れた音が聞こえた。

 自我とか自尊心とか世間体とかその他もろもろ、そういった大人になっていくと持っていくような物が、思春期の建設途中の足場を固めていた最中で、片っ端から崩壊していく音だった。

 ついでに、ひとつの(凪沙にとっては)無視のできない重大な事実に突き当たった、一瞬で答えに至った音だった。

 眠ってる間に自身の大事な贈り物(コート)を掛けたということは、そう。

 そのとき、彼に……無防備な寝顔を見られてしまった!

 

「……………きゃ」

 

 声の欠片が唇からこぼれた。

 

「(きゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!)」

 

 咄嗟に全力で枕に頭から飛びついて隣にまで聞こえるような騒音にはならなかったが、暁凪沙は、生涯最大の叫び声をあげていた。

 

 

 

 しばらくして。

 

「……隣の雪菜ちゃんのとこにいるから直接聞いてみるのが一番手っ取り早いんだと思うけど、そんなのできないよ! できるわけないじゃん!? 顔だって合わせられないのに、ちょっと凪沙変な寝言とかしてなかったーとか、ぼさぼさ寝癖とかついてないよねーなんて!? それにまさか、涎がつい―――確かめなきゃ!!」

 

 ひとまずのところ、ある程度乙女心の整理をつけられるだけの時間、落ち着けるだけ吐き出した後すぐ、洗面台に行って鏡で色々とチェックしてギリギリセーフと胸を撫で下ろし、そこで鏡越しに時計を見た。

 

「あー! もうこんな時間! 急がないと! 昨日夜に深森ちゃんから連絡があって、祭りで混む前に着替えを届けに行かないと―――」

 

 時間通りに起きたけど、寝起き早々気分を落ち着けさせるのにだいぶ時間がかかってしまったようである。

 凪沙は慌てて身なりを整えると、キッチンへ朝食の準備に取り掛かり、それから、なんとなく今日の兄の朝食予定のししゃもに納豆に焼き海苔に白米と朝食定番セットメニューをごっちゃまぜに炒めて卵で包んだ凪沙特製オムレツには大きくバッテン(×)をケチャップで殴り書いてやろうと決めた。

 

 

人工島西地区 高級マンション

 

 

『今日から叶瀬もオレたちと一緒に住むことになったのだ。よろしくだぞ』

 

『はい! よろしくお願いしましたクロウ君、アスタルテさん、そして、南宮先生』

 

『うむ。それで、ウチのルールでいっちばん大事なことを教えるのだ』

 

『それは何でしたクロウ君?』

 

『ずばり! ここでの、格付け、なのだ』

 

『お前の思考は犬そのものだな馬鹿犬』

 

『まず、ご主人が一番上で偉いのだ』

 

『当然だ。私がこの持ちビルの主であり、お前らの身元引受人だからな』

 

『つまり、局長だぞ』

 

『、……なに?』

 

『そして、オレは一番隊隊長で、アスタルテが二番隊隊長』

 

『理解。教官(マスター)、先輩は北欧から逆輸入されたサムライブームなるものに嵌っているのだと推測されます』

 

『それで叶瀬は三番隊隊長なのだ。新入りだからしょうがないぞ』

 

『そうでしたか。私は三番隊隊長でした。頑張ります』

 

『うむ。サムライとニンジャはいい返事が基本なのだ。あ、そうだ。叶瀬にも見せてやるのだ。これがニンジャのサインだぞ』

 

『まあ、これがニンジャさんの……名刺、でしたか』

 

『読解。アルディギア王国『聖環騎士団』所属要撃騎士ユスティナ(Yustina)=カタヤ(Kataya)とそれから直筆で『忍』とサインが書いてあります』

 

『今のニンジャはグローバルで社会マナーを守らないといけないそうだからなー、それから、いざって時は名刺(サイン)を手裏剣にして投げられるのだ―――って、フォリりんが言ってたのだ』

 

『それは大変なんですね』

 

『それでそれでこのニンジャが今度こっちにくるって言ってたんだぞ! 隠れながら遠くから見守る極秘任務だから叔母には秘密って、この前、壬生狼のユニフォームを贈られた時に一緒についてた手紙にも書いてあったのだ』

 

『でしたら、是非、その方の歓迎会もしなければなりませんね!』

 

『おい、馬鹿犬』

 

『なんだ、局長』

 

『ご主人様と呼べ。あまり馬鹿なことを教えるな。それと、叶瀬夏音』

 

『はい! ご主人様!』

 

『安心しろ。そこの馬鹿犬がここでのヒエラルキーが万年カーストだというのは固定されている。雑用なりなんなりこき使うがいい。ただし何をやらかすかわからないから注意しておけ。今のようにその気なくポロポロ暴露してくような奴だからな。それから、普通に先生でいい』

 

『むぅ。オレ先輩なのに、ぺーぺーなのか。なら、ご主人! 副長を出してくれ!』

 

『はぁ、英語担当教師である私にもお前の宇宙語は読解困難だということをいい加減に解れ』

 

『ほら、あれだ。ら、ら……ランゴールデンレトリバーだ!』

 

『走る犬がどうした。今からお前は走るのか。だったら、外へ行け』

 

『違うぞ。最初にあった時、オレをぶった切ったヤツだ』

 

『……まさか、ラインゴルドのことか』

 

『うん! ラブゴールデンレトリバーだ』

 

『……これまで、<輪環王(ラインゴルド)>は多くの魔族に色々と言われてきたが、犬呼ばわりされたのは初めてだな』

 

『オレよりも使い魔の先輩だからな。ご主人のサーヴァント同士で、下剋上してやるのだ』

 

『その馬鹿さ加減にもう一度叩き潰してやりたいところだが。そんな馬鹿な理由で出せるか馬鹿犬』

 

『むぅ……あ! なあ、オレもご主人みたいに口寄せの術ができたりするか?』

 

『―――するな。たとえできたとしても、そんな能天気で残念な頭じゃ下級悪魔でも、お前には猫に小判だ』

 

『何を言ってるのだご主人。猫にはかつお節だぞ。お金には興味がないのだ』

 

『猫さんにはお魚さんでした』

 

『解答。猫は、ねこじゃらしが最適と思われます』

 

『ここで暮らすならまず聞き流すことを覚えておけ。いちいち馬鹿犬に付き合ってると、お前らまで馬鹿が伝染(うつ)る』

 

 

キーストーンゲート 屋上

 

 

 ―――森から連れ出されて、いろんなものを、見た。

 

 知らなかった世界。

 知らなかった感情。

 知らなかった問題。

 知らなかった恐怖。

 知らなかった痛み。

 

 たくさん知った。

 それなりに考えたりもした。

 自分のことだったり、他人のことだったり。

 してるうちに、オレの中で何かがちょっとずつ変わってく気がした。

 それが良い事なのか悪い事なのかは、わからないけど。

 

 けど、それでも、まだ、見つからないものがある。

 

 もしかすると、どこかに落として忘れただけなのかもしれない。

 ただ単に、そういうことが理解できてないだけなのかもしれない。

 だけど。

 

 オレはオレの願いを、知らない。

 

 

 

 瞼を、開く。

 常夏の島特有の焼き付けるように降り注ぐ陽射しを、全身に浴びている。

 どうやら、ここは建物の屋上のようで、この見覚えのある景色からおそらく、キーストーンゲートの頂上部。

 そして、自分が横たえられているのは、その屋上の床へ描かれた魔法円、その陣の外側、東西南北八方のうち七つの方角にそれぞれ一冊ずつ、開かれた“既に文字のない白紙の”魔導書が置かれている。

 そこまで、理解した。

 気だるさはだいぶマシになっていて、一応物事を考えることはできた。

 ただ、口が利けなかった。

 口だけでなく、指一本動かない。かろうじて呼吸や瞼の開閉といった行為は行えるが、それ以上はまるでおぼつかない。糸の切れた操り人形みたいに、この身体からはあらゆる生気が失われてしまっている。

 目の前に、先輩の男子高生――と体を交換した<蒼の魔女>が立っている。

 

「……大丈夫、かい?」

 

 と、訊いてきた。

 

「………」

 

 返事は、できない。

 やはり口が動かない。自分の意思は自分の身体を“裏切る”だけ。脳と体との間で、大事な線を断たれて、別の制御装置へと繋げられてしまったかのような。

 魔女は魔導書『No.013』を取り出すと、開いたページの上に掌を置く。

 

「“蒼”の名において命じる。いつもどおりの調子で喋ってくれ」

 

 その言葉で――命令で――電源でも入れられたみたいに、口内の感覚が戻ってきた。

 あまりに突然だったので、咳き込んでしまった。

 空気を何度も取り入れ、犬みたいに涎を垂れ流してから、

 

「……何の用だ?」

 

 と、訊いた。

 <蒼の魔女>は、そんな醜態をさらす少年をじっと見つめて、

 

「相当無理を通した契約を結ばせてしまったからね。どこか不具合はないか確かめたい」

 

「……特に、問題ないと思うぞ」

 

「そうか。やはり、その身体は適合するよう造られていたんだね」

 

 完成させる、と魔女は言った。

 それはつまり、自我を持った“欠陥製品”とならなければ、いずれ持たされたものを、今つけられたということ。

 魔女は、それからかつてその古巣であったという『科学』に属する<図書館>の魔術師魔女らが、未完成のまま最高傑作を残した創造主の大魔女の遺志を引き継いだ形となるのか。

 

 しかし、ならば何故。

 調子を確かめるために、わざわざ人払いまでして、自分の意思で語らせたのか。

 『道具』ではなく、人間と会話をするように。

 

「実は、ボクもキミと同じく魔女に造られたんだ」

 

 指で自身の身体を指して、自嘲するように笑う。

 

 

 

「ボクは今から十年前に産まれて、急成長させられた試験管ベビー――キミの創造主<血途の魔女>が考案したという単為生殖(クローン)で造られて、魔女になるようにお母様に設計(プログラム)された」

 

 魔女は古い城の地下室で生まれた。

 誕生からすでに最低限の一般知識を有する頭と6歳の身体で、そして、悪魔と契約していた純血の魔女。

 

「悪魔との契約により、ボクは<図書館>の元締めだったお母様――仙都木阿夜を、この十年前よりこの絃神島の<監獄結界>に収監されている彼女を脱獄させる―――そう育てられた道具」

 

 子守唄の代わりに魔術の詠唱を聞いて、母の腕の温もりの代わりにガラスの培養液に満たされた冷たい溶液が与えられる。

 世話を見続けたのは人工生命体の侍女たちであり、彼女たちは毎日口を揃えて言う。

 自分は<空隙の魔女>の裏切りにより、この世界とは異なる空間に封印された永劫の流刑地であり、出口の存在しない時間の迷宮に囚われたお母様を脱出させるために産まれたのだと(造られたのだと)

 魔力を十全に振るえるようになる16歳、そう今、この『波朧院フェスタ』の時期に絃神島へと赴いて、<監獄結界>の封印を破ることが決定づけられていると。

 そのために<図書館>は自分の手足となって動いてくれて、13歳になってから本格的な修業が行われる。

 大勢の魔導師が自分のもとを訪れてはあらゆる知識を伝え、<図書館>と呼ばれる組織のこと、『魔族特区』にまつわる話、魔導書の解読手段、<守護者>の制御法に魔女の力の扱い方など―――

 生まれながらにして魔女の素養は群を抜いており、空間制御という超高等技術を単独で行使できる腕を身に着け、今や組織の新参者でありながら『司書』の地位まで手に入れている。

 ただ、お母様を解放した後も、お母様は使い終わった道具である自分の存在を認めてくれるのか……それだけは誰にもこたえてもらえず。

 

 悪魔との契約に支払った代償により、<監獄結界>の解放という絶対命令(プログラム)刷り込み(インストール)がなされ、課せられた設定に忠実に従う<蒼の魔女>

 そして、今その目の前にいるのは、同じく魔女に造られた道具で、創造主の絶対命令に逆らった<黒妖犬>。

 

「キミに訊いてみたかった」

 

 と、魔女は、仙都木優麻が問い掛ける。

 胸に手を置いて。これから発する言葉で起こる鼓動の乱れを抑え込むように。

 

 

「創造主に決定された“存在意義(プログラム)”から外れたら、それに価値があるのかな?」

 

 

 ……………沈黙。

 喋れないからではなくて、悩んで。きっと聞きたいことを理解したからこそ、一生懸命に考えている。

 催促もせず、魔女は待つ。

 これ以上裡を曝け出さなくても、その“鼻”は嗅ぎ取る。嗅ぎ取ってくれる、そう無意識にも想い、

 そして、その開いた口から出たのは予想外のものだった。

 

「お前、古城君の幼馴染なのに、10歳、オレより年下なのか?」

 

 ぱちぱち、と瞬き。とりあえず、話は聴いてたみたいだけど、まずそれ? だけど、向こうは真剣にじーっと見てる。

 

「……まあ、そうだね。精神年齢や肉体年齢は見た目通りだし、戸籍上も古城と同い年だと思うけど、実年齢だとそうなるの、かな」

 

「むぅ。そうか。お前、普通に身長が高いんだな。オレ、クラスでも身長順だと一番前だから羨ましいぞ」

 

「成長期になればキミも背が伸びると思うよ。確か古城も昔は僕よりも背が低い方だったし」

 

「そうだといいけど。あんまおっきくなりすぎるのも嫌だな。中型犬くらいが良いのだ」

 

 あれ? この子、ちゃんとボクの質問を理解したのかなと思いつつ、ついフォローしてしまう。

 

「うん。それでな」

 

 声を潜めた、まるでこれから内緒話をするぞともいうような雰囲気を醸し出してるようで。

 

「お前も知ってるだろうけど、オレ、半分は人間じゃないんだ」

 

「ああ、知ってる。<黒妖犬>。『黒』シリーズの設計者<血途の魔女>は<図書館>に在籍していたからね」

 

 大魔女の最高傑作。

 人間と魔族の混血。

 普通の存在ではない。

 

「オレは、半分は魔族で、怪物なんだぞ。だから、加減とか人間に合わせるのが難しいぞって、いつも思うけど。でも、それをちゃんとできないとダメなのだ。じゃないと、怪我させちゃう。ご主人は畜生にはなるなって言われてるし、オレ、怪物でもご主人の眷獣になっていたいから、皆の中で“普通”を頑張るんだ。

 あ、大変なのは、皆に内緒だぞ。あまり、気を遣わせたくないしな」

 

「キミは……」

 

 先に彼が言ったこと。

 そう、“半分は人間じゃないから”、背の低さを気にしているのだ。他の人とのちょっとした違いを個人差ではなく、まず、自分が混血であることに行き着いてしまう。

 そんな不器用な少年が今、一生懸命に言葉を選んでいる。

 

「古城君や浅葱先輩は、オレが半分、人間じゃなくても一緒にいてくれるのだ。矢瀬先輩もなんか優しいし、姫柊も監視役してて大変なのに、オレのことも気にかけてくれる。煌坂やフォリりんは何だかんだで面倒見てくれて、叶瀬やアスタルテと一緒に生活できて楽しいし、最初怖がってた凪沙ちゃんと仲良くなれてうれしい。ご主人はとっても厳しいけど……最近ちょっとだけ褒めてくれるようになったんだ」

 

 不思議だった。話はとっちらかっているのに、彼が何を言いたいのかは伝わってくる。

 

「だから、中途半端なオレと違って全部ちゃんと人間の仙都木が反抗期になっても誰からも価値がないなんてこと、ないのだ。

 きっと、仙都木が仙都木のしたいことをしたって、オレの時とは違って最初から古城君や凪沙ちゃんと仲良くできてた仙都木ならすぐ認められると思うぞ」

 

 フランケンシュタインの物語。

 内容を簡略していえば、フランケンシュタインという人物が、人間の死体を寄せ集めて人造人間をつくる話だ。

 だが、出来上がった怪物の姿、その思い描いていた理想と異なった実物を直視して、しでかしたその罪を後悔したフランケンシュタインは、その欠陥製品な怪物を残して逃げ出してしまう。創造主(オヤ)がいなくなり、孤独に苦しんだ怪物はフランケンシュタインを追いかけて自分の同族を作ってほしいと頼むが断られて、フランケンシュタインの親しい者たちを殺して彼を独りにした―――

 

 それはけして復讐のための報復ではなく、その創造主を赦したいから報復した。

 

 怪物は親を、手本になる人間を知らないから、赦し方も愛し方もわからない。唯一、創造主から教えられたのが、“相手を独りにする”ということと、“孤独の苦しみ”。

 

 だから、怪物は独りにされたフランケンシュタインが自分を赦してくれると期待した。きっとそうすれば、怪物は創造主から『赦す』という行為を学び取ることができて、孤独からの苦しみからも解放されて、それから誰かを『愛する』ことが知れる、とそう信じて。

 けれどもフランケンシュタインは怪物を憎み、けして赦さなかった。誰よりも慕っていた創造主に赦し方を教えてもらえなかった怪物の結末は、永遠に孤独のまま人間のいない場所へと消えていくという―――

 

 結局、物語の中の怪物は創造主の意に添えなかったから捨てられて、最も知りたいことを誰からも教えてもらえなかった。

 

 だけど、この説得は、その逆だ。

 

 創造主の意に添えなかった欠陥製品の怪物が赦されている実例もあるのだと。だから、ずっと“ちゃんと”している人間が赦されないはずがない。きっと価値はあるのだと。そういっている。

 あまりに純粋過ぎて、人間というものを完全に理解しているものだとは言い難いだろうが。

 

 ああ、なんて―――

 

「……話、訊かなければ良かったなホント」

 

 ひとつ知ることはできた。でも質問は、『計画』には、失敗だった。

 ただでさえも古城の後輩という立場で同情が先立ち、道具として見れなかった魔女は、それと非情に接しなければならないのに……

 

「最後に、何かボクに言いたいことはあるかい?」

 

 だから、これはそれを切り離すための作業。そのつもりだった。

 『裏切ら』せた魔女に、その誇りを穢す悪女に、蔑視して罵声を浴びせてくれるなら、この苛む胸の苦しみが少しは楽になるだろうと。

 

「それなら、ひとつ、礼を言いたいぞ」

 

「何だい」

 

「お前が、凪沙ちゃんを逃してくれて、本当に良かったのだ」

 

「……そういう、契約だからね」

 

 終わり、打ち切るように『No.013』へ強制力を強めるよう魔力を送り、その意識を奪う。

 けれども、今、最も『裏切って』いるのは自分自身なのかもしれない。

 掌で顔を覆い、髪をかき上げる。

 背後から見下ろす顔のない青騎士(フェイスレス)と同調させるよう、魔女はその表情を消す。

 そして―――

 

 

「“蒼”の名において命ずる。契約せし、七体の魔獣を“影”より解放せよ」

 

 

 屋上の端で、その会話の届かない距離まで離れてそれを見ていた緋色と漆黒の魔女姉妹は戦慄した。

 

 胴体はなく、代わりに鬼火のような複数の火の玉に囲まれる、炎で包まれ角が生えた鳥の頭部。

 

 左右違う色の二つの、駝鳥のような長い首の鳥頭と獅子のような胴体と竜のような翼をもった合成獣(キマイラ)

 

 魚類と爬虫類が合わさったような姿をした、身体の各所にヒレを備えた蒼いヤモリ。

 

 下半身はなく、本体より離れて停滞する巨大な腕と浮遊石たる橙色の核が埋め込められた上半身だけの機械兵(ロボット)

 

 脳のような球体のカタチを保ち、中央に大きな一目をもつ紫色の雲。

 

 ジャックランタンのような頭部に数多にうねる触手がついたカボチャのお化け。

 

 キーストーンゲートの屋上でようやくその胸元に届くほど巨大な、大きな角が生えた頭部に鋭い牙と爪を備え、二足歩行ではなく直立する白い野獣。

 

 その身体のサイズも格も、吸血鬼の、その中でも『旧き世代』の眷獣に匹する魔獣が七体も。

 同じ一体の悪魔と複数人が契約できることはあっても、その逆はない。一人につき複数体の悪魔と契約するなど、魔女にできない。“そんな恐ろしい”真似ができるはずがない。

 それを成す『混血』は、百鬼夜行を率いる主か。

 

 そして。

 

「健気な怪物もいるものだねェ、魔女の道具というのはみんなそうなのかい?」

 

 黄金の霧が集い、純白の三揃え(スリーピース)を着た、金髪碧眼の貴族の吸血鬼が現る。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 この絃神島には、<空隙の魔女>の他にもうひとり、警戒しなければならない相手がいる。

 欧州『戦王領域』より派遣された全権大使の貴族――<蛇遣い>ディミトリエ=ヴァトラーの威名は、<図書館>にも広く知れ渡っている。

 それは彼が『旧き世代』の吸血鬼の独りだからという理由だけではない。騒乱を好み、己の快楽のためになら同族の吸血鬼すらも喰らうという稀代の戦闘狂は、大虐殺をした大魔女と同じく、欧州で活動する魔族や魔女にとって、恐怖の象徴である。

 故に、藪を突いて蛇を出さないよう直接の介入は避けていたが、それが<蛇遣い>の方から混沌の気配を嗅ぎ取って馳せ参じてはどうしようもない。しかし、その気まぐれで長年かけて積み上げてきた『計画』をご破算させれてしまうのはあまりに不条理で、『真祖に最も近い』と謳われたその戦闘力を阻む手段はそうそうない。

 絃神島を救うという意識は一切なくても、戦闘狂は、強き者を好み、その死闘を乞い願う。

 それが以前、主に生殺しにされた相手ならば、感極まるものがあるのだろう。直接向けられてもいない魔女姉妹が震え上がらすほどの冷酷な殺気を放ちながら、大きくその白い牙を見せる満面の笑みを浮かべている。

 

「これは嬉しい歓迎だヨ。ある“契約”でネ、ボクからはその美味しそうな“青い果実”に手出しはできないんだ。だから、自分から落ちてくるのをずっと待っていた」

 

 用意された強敵と殺し合うことはできなかったが、あの獣人の(ツワモノ)は、あわや神々の兵器により島が沈没したかもしれなかった黒死皇派残党事件のヴァトラーの関与を否定した。その証言次第では、ヴァトラーはこの絃神島にいられなくなったかもしれない。

 そして、何よりも、またいずれ必ず己を殺しに来るであろう相手だ。それなりの敬意を払い、そう無碍にはできない。

 だから、一応は、それがブレーキにはなってるのだろう。邪魔をする主がいないのに、今のところ、手出ししていないのはそのおかげ。

 しかし、ヴァトラーは途端に表情を曇らせる。我慢に我慢を重ねて醸成させてようやく開けたワインに、オレンジジュースを混ぜられたかのような、不粋極まることに不愉快な。

 

「でも、“余計な味付け”が折角の“素材”を台無しにしてる。キミら人間が<第四真祖>を目指して創られた人造魔族の後続機(モデル)って聞いてたんだけど、過大評価だったみたいだ……“料理人”の腕が悪すぎるヨ」

 

 愛しの<第四真祖>――“暁古城”の身体を乗っ取っている<蒼の魔女>へ非難するように目を細めて見つめ、一言。

 

「<徳叉迦(タクシャカ)>」

 

 その身より凄まじい衝撃を撒き散らす圧倒的な魔力の奔流が、一体の巨大な蛇の眷獣と化す。

 異界より喚び寄せた、天災にも準じる力を持つ<蛇遣い>の力の一端である、全長数十mに達する禍々しい緑色の大蛇は、その眼光を魔獣の一体、自らよりも巨大な白き野獣へと合わせて―――焼き払った。霧散して、その影に戻る・

 眷獣に匹敵すると思われた魔獣を、瞬殺。

 

「人知を超えた力をいくつもつけても、それじゃあ雑多になって、本来の味までも殺してる。これなら、まだ前の、南宮那月に飼われていた方が良かったねェ」

 

 ヴァトラーは、魔力よりも意思の強さこそを高く評価する。知略や策略、ありとあらゆる手段を以て運命に抗おうとする強い意志が、ヴァトラーの望むもの。

 だから、あのとき、己よりも強いことをわかっていながらヴァトラーに決死の覚悟で挑まんとした『混血』、殺し合いを寸前で止められたのは、ひどく残念だったが、今後の成長に期待して、『第四真祖の後続機(コウハイ)』と認めるに足るものだと評価していたのだ。

 それと比べれば、道具本来の在り方となり、自意識を封じ込められている今の『混血』は、至極残念。“調理”の拙さに台無しにされてしまった“素材”はもはや、“料理人”ごと処分するしかあるまい。何であろうと出された皿は、その店ごと喰らうのがヴァトラーの流儀である。

 

「僭越ながら申し上げます、アルデアル公。まだ、これは“切った素材を並べただけ”でございます」

 

 クレームをつけてきた客人に丁寧にお品書き(メニュー)を説明するよう、臆せずに述べる<蒼の魔女>が、その手を置かれた魔導書が、不気味な輝きを放つ。

 

 消滅された野獣を除く、残る六体の魔獣が、そのカタチを溶かしてふたつをひとつに混ざり合う。

 

 炎の鳥頭と双頭の合成翼獣が混ざり、羽ばたきひとつで熱暴風を荒れ狂わす、灼熱の炎獄を纏う四本脚の怪鳥へ。

 

 蒼のヤモリと上半身の機械兵が混ざり、金剛石の如き堅固さを持つ氷に体表を覆われる恐竜へ。

 

 紫の一眼雲とカボチャのお化けが混ざり、挿し枝のように同形小型の子機を生み出す、無数の蔦蔓が絡まる一眼の植物へ。

 

 六体から三体となり、そのうちの一体――四本脚の怪鳥が炎の竜巻を起こしながら突撃し、全長数十mに達する濃緑色の怪蛇に激突。今度は、大蛇がその身を焼き尽くされて苦悶の咆哮と共に、閃光を撒き散らして爆発四散した。

 

 自らの眷獣を消滅させられた<蛇遣い>はいったん驚いたように目を瞠り、そしてより深めた不敵な笑みを作る。

 

「おっと、これはボクとしたことが、どうやらつい先走って摘まみ食いをしちゃったようだネ。でも、ボクと同じ特殊能力とは驚いたヨ」

 

 一体では『旧き世代』クラスの眷獣も、二体合わされば真祖クラスに匹敵する格となる―――それが、この<蛇遣い>が若い世代の『貴族』でありながら、『長老』を降した特殊能力――『融合』。

 しかし、魔女はその賛辞をゆるゆると首を横に振って、否定する。

 

「いいえ、これは閣下の技とは、似て非なるもの。そう、これらは、元々一体の魔獣だったのです」

 

 だから、複数の魔獣と守護者契約ができた。

 

 へェ、とヴァトラーは微笑する。この美食の客をさらに満足させるよう、“料理人”たる魔女は種明かしを語る。

 

「閣下はご在知であるでしょうが、この世界のどこかには、七つの大罪を冠した神々の時代の生体兵器であり、世界最強にして最古の魔獣がいるといわれております。例を挙げるなら、深海の底で眠っている<レヴィアタン>がおりましょうか」

 

「つまり、キミたち魔女は、その魔獣を目指したものまで創ったということかい」

 

「既に七つの大罪の席はすべて埋まっておりますが、それは現代の大魔女が生み出した人造の魔獣が、最古の魔獣に劣っているからではない、と言わせてもらいます」

 

 そもそも、大罪というのは七つに区切る必要もなく、神に害する概念であれば、それはすなわち大罪。

 魔女の物言いが大言壮語でなければ、人間は新たに八つ目の大罪を創り出したのだ。

 

「しかし、創ったのは良いですが、それは人間が契約できる(あつかえる)ものではありませんでした。故に、八番目の大罪を八つに別け、ですがそれでも創造主である<血途の魔女>に契約できたのは、一体のみ。他の七体もまた、<図書館>に所属する魔女には、とてもその代償を払うことはできず、これまで死蔵される始末でありました。ですが―――」

 

 人間が人間のために創ったものでありながら、人間には扱えない大罪。

 ここに、七つの大罪に匹敵する、いやそれをも上回る八番目の災厄たる魔獣をまたひとつにする依代がある。人間でありながら、“魔獣と魔族の中間たる存在である”『龍族』と同格の神獣に至る獣王との『混血』は、それを受け入れるに足る器として、創造主が用意したもの。

 

「今はまだ試運転の段階で、<空隙の魔女>にも縛られておりますが、過去に喰らった<血途の魔女>の<堕魂>――八つに別れし最後の一体をも引き出すことができれば、閣下もさぞご満足していただけるでしょう」  もしくは  「今はまだ試運転の段階ですが、<空隙の魔女>に縛られております過去に喰らった<血途の魔女>の<堕魂>――八つに別れし最後の一体をも引き出すことができれば、閣下もさぞご満足していただけるでしょう」

 

「いいねェ。実にイイ。素材本来の味を生かしてくれた<空隙の魔女>とは違う調理の仕方(アプローチ)だけど、雑多だからこそ旨味に深さが増すこともあるネ。完成品が実に楽しみになってきたヨ」

 

 パチパチと拍手するヴァトラー。

 “口直し”に機嫌を直してもらったところで、魔女はその場に恭しく膝をついて、貴族の吸血鬼に一礼をする。

 

「遅ればせながら名乗らせていただきます。我が名は仙都木優麻。<書記(ノタリア)の魔女>仙都木阿夜の娘にございます」

 

「<書記の魔女>―――<図書館>の『総記(ジェネラル)』の娘か」

 

 かつての<図書館>の長であり、<蒼の魔女>が造られた10年前より、この絃神島の<監獄結界>に収監された大魔女。

 

「御身の同族、<第四真祖>の肉体をお借りしたのは、『魔族特区』に隠された<監獄結界>を突き止め、結界内に封印された我が母を解放するため。しばしお目こぼししいただきたく」

 

「<図書館>は、<監獄結界>に収監された囚人たちを解放するために動いてるというのか」

 

「<第四真祖>の膨大な魔力と、私が極めた魔女の技があれば、難攻不落の監獄結界を陥落(おと)すことも可能でありましょう」

 

 ますますヴァトラーの笑みの歓喜の色が濃くなる。

 <図書館>が『総記』を救出するために破ろうとしている<監獄結界>には、通常の魔導刑務所では手に負えない凶悪な魔族や魔導犯罪者を収監した巣窟でもある。

 だから、<図書館>の『計画』が成せれば、伝説的な犯罪者たちの多くが外に、絃神島に現れる―――そう、ヴァトラーの望む強敵が。

 そして、

 

「<監獄結界>を破るには、南宮那月を破壊(ころ)さなければならない―――つまり、犯罪者だけでなく、その子の最後の封印も解けるわけだネ」

 

「左様。しかしながら、そうなると<黒妖犬>の幉は魔導書の援助があっても我々の手に余るものとなるでしょう」

 

 ―――だから、そのお相手は、是非閣下に。

 

 願ってもない状況だ。

 <空隙の魔女>と戦えなくなるのは惜しいが、代わりに完成された大罪の魔獣と共に、主を失い我を忘れて暴走する『第四真祖の後続機』と殺し合える。それの前では、<監獄結界>の囚人たちでさえも“前菜”扱いであろう。

 ヴァトラーはこの不遜な態度もまた小気味良い魔女の提案に、獰猛に牙を剥きながら大きく首肯する。

 

「そうだねェ。<監獄結界>を破るまで、それらの一体と遊ばせてくれるなら、待ってあげてもいいヨ」

 

「ここではなく、島の端の増設人工島(サブフロート)でやってくださるのなら」

 

 お持ち帰り(テイクアウト)の要求に、<蒼の魔女>は微笑んで受ける。

 この島の中央にあるキーストーンゲートから最も離れた端の増設人工島――かつて、<ナラクヴェーラ>が暴れた鋼鉄の島へと、先の炎を纏う合成翼獣を空間制御で飛ばすと、貴族の吸血鬼はその身を黄金の霧へと変えてその後を追った。

 

 

繁華街 カフェ

 

 

「美味しいですね、このカボチャプリン」

 

 鏡の国に迷い込んだ童話の主人公を彷彿とさせる、水色のエプロンドレスに頭に大きなリボンを付けた雪菜が舌鼓を打ち、頬に片手を当てて感想を漏らす。

 ただし、そのすぐそばにはメルヘン幻想をぶち壊しにする物、航空機を連想させる全金属製の長槍<雪霞狼>がある。

 

「私もさっき食べたところでした。こちらのパンプキンパイもなかなかです」

 

 襟元や袖口を白いフリルで彩った、清楚かつ可憐なデザインの修道服を、この上なく印象ピッタリに着こなす夏音もうんうんと頷いてそれに同意。

 

 ここは、以前に来たことのあるケーキバイキングのおすすめなカフェ。今日は『波朧院フェスタ』に合わせてスペシャルなメニューが用意されており、それが90分間食べ放題である。

 

「菓子の追加はいかがですか、と第四真祖に提案。この店舗の通常価格とケーキバイキングの料金を比較すると、損益分岐点を超えるためにはあと3品注文する必要がありますが」

 

 と勧めてくるのは。飲み物を持ってきてくれたメイド……ではなくて、今は馬鹿でかいカボチャの被り物をとってはいるが、オレンジ色のケープコートを羽織り全身タイツ姿のアスタルテ。

 

「そ、そうか。だったら、シフォンケーキとスコーンを……じゃなくて!」

 

 思わずテーブルを叩いて声を荒げる魔女衣装を纏うショートボブの端整な顔立ちの美少女―――ただし、中身は暁古城。

 

 空間の歪みとやらに巻き込まれて覗き魔にされたり、夜の公園で<神獣化>した後輩に襲われる幻を見たり、そして、どこか様子のおかしい優麻に、キス、をされて―――目が覚めたら、その幼馴染の女の子になっていた。

 気づいて最初は混乱した。思いっきり絶叫をあげた。駆け込んだ隣の部屋にいた3人に自分が古城であると説明しても中々信じてもらえず理解してもらうのにも苦労したし、わかってもらえた後もちょうど着替え途中であったので大変だった。

 それから、護衛対象の王女と共にホテルに宿泊した紗矢華から連絡があり、何やら察したラ=フォリアからも質問されて、雪菜がこのとてつもない異常事態に見当がついた。

 

 仙都木優麻は、空間制御の使い手でハイレベルな魔女であり、暁古城――<第四真祖>の肉体を狙い、それを奪ったのだと。

 

 魂を入れ替えて他人の肉体を乗っ取ることは、憑依系統の魔術を用いればそれほど難しいことではない。

 ただし例外的に、神々の呪いが生み出した吸血鬼の肉体は、それ以外のものに操ることはできない。神がかけた呪いを上書きするほどの魔術はこの世に存在せず、仮に存在したとしても、逆流してきた呪いによってその術者自身が吸血鬼の“血”に取り込まれて、自我を喰われて廃人となる。

 

 故に、優麻は空間を歪めて、見た目の上では魂を入れ替えたのと同じような現象を起こした。

 

 電化製品の配線を繋ぎ替えるように、互いの五感を空間同士を接続させて入れ替えることで、本来なら古城の肉体に伝えられるはずだった神経パルスを、優麻のものに置き換えた。つまり、古城は優麻の目に映ったものを自分で見てると錯覚して、自分の手足を動かしているつもりで、優麻の身体を操作している。

 

 魔術的にではなく、物理的に真祖の肉体を乗っ取り、そんな荒業が可能なほど仙都木優麻は空間制御の相当な使い手であり、

 叶えられぬ望みを叶えるために魂を代価に悪魔と契約して人間を超えた力を得た魔女である。

 

 そして、その彼女がこの絃神島で何かを起こそうとしている

 

「なんで俺たちはこんなところでのんびりケーキバイキングに挑戦してるんだよ!? ユウマが俺の身体を奪った目的だって、まだわかってないんだろ!」

 

 とお茶会をしてる場合でないと古城は言いたいわけである。

 絃神島周辺の空間異常の発生頻度は増加の一方で、一般市民の間では『波朧院フェスタの呪い』などとまことしやかに囁かれている。

 そして、事件の渦中にあると思われる担任からの連絡もないし、妹と後輩の行方もわからない。

 

「それだけじゃねぇ! 凪沙とクロウもいなくなっていた。いや、朝御飯の準備がしてあったから凪沙は無理やり攫われたんじゃなくて用事があって自分の意思で出かけたんだろうけど」

 

 なにやら独創的なオムレツに殴り書かれていた荒々しい大きなバッテンマークには、恐れ入るものを古城は感じたが。

 とにかく、妹は優麻の件とは無関係のはずだ。

 

「けど、クロウは違う。あいつは那月ちゃんからアスタルテと同じで叶瀬のことを護るように言われたんだ。俺はこれまで那月ちゃんの副業の手伝いをさせられたことがあったけど、そのどんな無茶な要求にだってクロウは応えてきたし、那月ちゃんの命令を破ったところは一度だって見たことがない。ラ=フォリアの言うとおり、魔力の強い奴ほど空間異常の影響を受けやすくて、それでどっかに飛ばされたかもしれねぇけど、それでも何としてでも言いつけを守ろうとするはずだ」

 

 敵に攫われたり、味方から逃走したり、無人島に失踪したりとよくよく単独行動をする後輩だが、それでも主の命令は絶対だ。

 なのに、今まで戻って来ていないということは……

 

「とりあえず、甘いものでも食べて落ち着いてください」

 

 古城の前に、雪菜は新しいケーキを差し出す。

 それをやけくそになって受け取ったケーキを、頬にクリームがついても構わず大口でかぶりつく。

 そして、落ち着いてはいられない古城に、雪菜は冷静な口調で、

 

「先輩の思うとおり、クロウ君は優麻さんの手に落ちた可能性が高いです」

 

 認めたくはないが、そうなんだろう。

 

「もし私が優麻さんの立場から考えると、私たちの中で最も厄介なのがクロウ君でした。入れ替えに先輩に直接接触する必要があったとはいえ、彼女自ら赴いて、その“手がかり(におい)”を部屋に残してしまっています。それを辿られてしまえば、彼の『嗅覚過適応(リーディング)』の追跡能力から逃れることはできません」

 

 最初に出会った日、その追跡能力で現在位置を常に把握されていた雪菜は、古城に接触を回避され続けていた。この魔力による逆探知もできない一方的なアドバンテージは戦術的に戦闘力よりも厄介であり、相手にしたくない能力であり、“真っ先に潰しておくべきもの”。

 

「そして、そのクロウ君以上の追跡能力のない私たちには、優麻さんの行方を探すことはできません。それに、ここまで歪みが大きくなってしまうと、下手に移動するのは危険すぎますから」

 

「そんなのはっ……わかってるんだっ」

 

 言葉を噛むように古城は吐き出す。その指摘はもっともだ。ここにいる誰もが人並み以上、特に真祖の古城は、力の大きさに比例する空間の歪みを引き寄せてしまい、迷宮と化した現在の絃神市内を迂闊に歩き回るのは危険だ。

 それでも向こうが動き出すまでじっとしているというのは―――

 

「……実は、優麻さんの魔術を今すぐに破る方法はあるんです」

 

 え? と古城は呆気にとられて、唐突な告白をした雪菜を見た。

 そんな便利な解決法があるのなら、どうして今まで黙っていたのだろう、と困惑し、そして気づく。

 

 <雪霞狼>

 

 あらゆる魔力を無力化し、あらゆる魔術の術式を無差別に消滅させる。

 空間制御はどれほど強力であってもそれが魔術で維持されているものである以上、一刺しで破壊できる。

 空間制御の“門”がなくなれば、古城たちの意識はそれぞれ元の肉体に戻ることになる。相手が何を企てていようと、こちらはいつでも<第四真祖>を取り返すことができる、と。

 

「ですけど、これだけ緻密な空間制御の術式を強制的に無効化すれば、術者に相当な反動があるはずです。接続されている神経に回復不能なダメージを与える可能性も」

 

 だが、それは古城としても取り辛い、最終手段だ。

 今ここでも、優麻の身体に<雪霞狼>を刺せば、魔女の計画を阻むことはできても、優麻の全身の神経はずたずたに引き裂かれてしまうだろう。

 魔女であっても、肉体は人間と変わらない。吸血鬼のような再生能力も、獣人種のような高い自己治癒能力もない。それだけのダメージを受ければ、彼女はほぼ確実に死ぬ。もしくは命が助かっても、二度と目覚めることはない。

 

「だ、駄目に決まってるだろ、そんなやり方!」

 

「はい、できればこの方法は使いたくありません。どうしても<雪霞狼>を使わなければならないとしたら、優麻さんに乗っ取られた先輩の身体を狙うしかないですね。先輩なら、ちょっとくらい死んでも復活するはずですし、優麻さんの肉体への反動も最小限で済むはずです」

 

「いや待て。それ、俺が元の身体に戻った時に死ぬほど痛い思いをするよな。ていうか、俺が死ぬのは前提なのかよ!?」

 

 全身の神経をズタズタにされるとはどれほどのものか恐ろしくて想像もしたくない。

 だが、穏便に済ませられるのはこの方法しかないのだ。

 古城の心情に気遣うよう、雪菜は付け加える。

 

「それと、なんとなくですけど、優麻さんは先輩の身体やクロウ君のことを手荒に扱ったりしないと思うんです。優麻さんも、先輩のことを信頼しているから、自分の身体を残していったんじゃないかと」

 

 その不器用な励ましに、古城は気づかされる。

 信じるしかない。

 何のために古城の肉体を欲したのかは知らないが、それでも優麻に古城を傷つける意思はないはずだ。それに無闇に後輩を傷つけたりはしない。根拠がなくてもその程度には信じられる。彼女は古城の友人なのだから。

 そして、これまで黙って話を聞いていた夏音が、古城の横顔を見つめながら口を開く。

 

「事情はよくわかりませんけど、お兄さんには、無事にいつものお兄さんに戻ってほしいです。優麻さんの姿も素敵ですけど、私にとってのお兄さんは、お兄さんですから」

 

 最後の方は照れたように顔を赤らめて。

 続いて、カボチャのお化けの被り物を付けた人工生命体の少女も、

 

「同意。比較検討した結果、第四真祖がオリジナルの肉体に復帰することを私は主観的に望んでいると判断しています」

 

「叶瀬、それにアスタルテも……」

 

 元の身体に戻るのを待ってくれる人がいる。

 ただそれだけで、じわじわと温かい気持ちが広がって、目が潤む思いだ。

 なんとなく流れから、古城はついと隣にいる雪菜へ顔を向ける。すると、何やら期待の眼差しを受けて少しだけ慌ててつつも、

 

「え? 私は監視役ですから……先輩がどんな姿でも任務を果たすだけですけど」

 

「……だよな」

 

 優等生な回答であるものの、まあ、姿形に関係なく古城自身を見てくれていると考えればいいだろう。

 

「そして」

 

 もう一度、人工生命体の少女は口を開く。

 

「これまでの行動記録から、先輩が勝手に行ってしまうのはいつものことです」

 

「アスタルテ……?」

 

 被り物を被ってるせいで見えないが、きっと無表情のままだろう。しかし、古城は何故か人工生命体の少女の気配に不穏なものを感じ始める。

 より具体的に言うと、まさか怒っている……?

 

「ですので、たとえ相手に捕まっていても、無事であると予想されます。根拠のない憶測ですが、教官でも手の焼かされている先輩を大人しくさせるなどとても想像できませんので」

 

「そ、そうか……」

 

 その意見を述べているのだが、喋り方いつもより淡々と一定調子で。けど、それがなんか怖い。けしてその巨大な被り物が子供の泣き出しそうなデザインだからではなく。矛先を向けられてるわけでもないのに、古城は少し席を引いた。

 

「まあ、そうだよな。那月ちゃんでも振り回されてんだから、ユウマでも大変だろ」

 

「納得ですね。先輩の次にクロウ君の奔放さには私も手を焼かされていますので」

 

 その言い方だと後輩以上に問題児扱いされてるのか、と古城は半目で雪菜を見ようとして、

 

 

 ズン、と。

 

 

 低く、そして不気味な、絃神島自体が意思を持って怯えたかのような、微震。

 真祖の身体ではない今の古城でもはっきりとわかるほどの、強烈な魔力の波動。

 

「なんだ、この感覚!?」

「キーストーンゲートの方角です!」

 

 真っ先に反応した雪菜は隣に立てかけていた銀色の槍を手に取り店の外へ。

 そして、見た。

 絃神島の中央にある、島内で最も高い、逆ピラミッド型の建物。

 古城も遅れて店を出て、雪菜につられて見ると、その上空周囲に、小さな点のようなものがいくつも浮かんでいることに気づいた。

 空に浮かんでいる点は小さいが、それは相当遠くからでも存在を視認できるほどの大きさだ。そして、今の人間の優麻の身体の古城でも見えた点を、幼少から鍛えられてきた雪菜は目に力を込めて霊視をより絞るように、その詳細に確認して、呟く。

 

「あれは……“眼”?」

 

 凝視して捉えたのは、ぐちゃぐちゃに乱れた毛糸玉のように蔓蔦が絡まり、その真ん中に目玉がある。比較物がないためにはっきりとは分からないが、ちょっとしたバランスボールと同じぐらいの大きさだろう。

 それが複数体、キーストーンゲートの周囲を停滞している。

 

「姫柊! あれは―――!?」

 

「悪魔の眷属! 魔女の<守護者>です!」

 

 魔女の使い魔だ。そして、それに混じっているがこの懐かしいとすら感じられる禍々しい波動は間違いない。

 

「そして、先輩の――第四真祖の魔力の波動です」

 

 ユウマだ!

 『魔族特区』の中心地で、一番最初に訪れたキーストーンゲート。

 もしかすると昨日は魔術儀式をする舞台の下見をしていたのかもしれない。

 だが、気づいたのは古城だけではない。

 急行する特区警備隊の機動部隊。隊列を組んで飛行する四機の攻撃ヘリは、その屋上にいるであろう術者(ユウマ)へ、容赦なく機関砲弾や浄化ロケット弾をばら撒く。

 

「あんな軍用機(もの)まで……!?」

 

 爆散する炎―――だが、それは屋上まで届かない。

 浮遊していた眼球が、盾となる。誘爆を引き起こされ、その余波で縁の部分が砕けて、流れ弾で周辺のビルにかなりの損傷が出たが、それでも邪魔な使い魔を一掃することができたはずだ。

 続く第二波。地上の機動部隊が、屋上へ向かって砲撃を開始。迫撃砲による抗魔榴弾の一斉砲撃だ。高い浄化能力を持つ銀イリジウム合金の破片が、その爆風で不浄の一切を薙ぎ払う―――しかし、それもまた、“誘爆してさらに増殖した眼球”に防がれた。

 

「……増えてやがる!?」

 

「あの<守護者>……おそらく衝撃に反応して増殖する機雷のようなものだと思われます。闇雲な攻撃では突破できません」

 

 雪菜が冷静な口調で分析する。

 特区警備隊も敵戦力の性質を同じように推測し、攻撃をやめるも、砲撃を防ぎ、そして、数倍に数を増やした怪魔が、反撃を開始。

 絃神島の上空に、斑点が浮かぶ。まるでライフル銃のレーザーポインタをあてられたかのよう。

 数多の眼球体から定規を引いたように真っ直ぐ突き抜ける熱線が、四機の攻撃ヘリを撃ち落とし、機動部隊のいる地上の付近が爆発し、炎上の黒煙がのぼる。

 攻撃を受けて爆発増殖し、熱線の威力は強力無比。それが守護する以上、警備隊に魔術儀式の邪魔はできず、屋上から放たれる魔力は、ますます勢いを増して、

 

 

「             ッッッ!!!!!」

 

 

 そして、ここにまで届くほど街全体に響き渡る遠吠え―――何かを呼ぶような声は、古城にも雪菜にも耳馴染みのあるものだ。

 古城は先を急ごうと―――しかし、

 

「―――!?」

 

 相手の<守護者>は“一体だけではなかった”。

 

 

 

 突然、虚空から現れたそれは、氷河期から生還した生きた化石のようだった。

 見ただけで硬質だとわかる鉱石を全身鎧のように纏い、その上をさらに厚い氷に覆われている恐竜。人類が生まれる遥か以前の古代ではあらゆる生物の大きさが桁違いと言われていたが、それは地上にある自然界のどの動物種よりも巨大だ。

 つまり、これは魔術の世界に棲息する魔獣。

 それが、古城たちがキーストーンゲートに向かおうとした今ここに現れたということは―――

 

「先輩、下がってください!」

 

 祭りで仮装している人々が大勢いて、人前で槍を構えていて目立ちはしないだろう。

 しかし、

 

「こいつって、まさか……!?」

 

「はい。おそらく、私たちの足止めが目的だと思います」

 

 ずっと見張られていたのか。

 なんて間抜けだ。少しでも冷静になれていれば、優麻が古城の行動を監視するのは予想できたことだ。身体を奪ったのだから、当然、それを取り返しに来て、計画の邪魔をする―――相手が現れてようやくそれに気づく古城は自分の愚かさに歯噛みする。

 

「アスタルテ、叶瀬を頼む!」

 

「命令受託」

 

 戦闘力のない、万が一にも怪我を負わせるわけにはいかない夏音を、人工生命体の少女がその背中から翼のように展開した眷獣の両腕で覆い護る。

 完全に祭りのアトラクションだと思われているのか。

 周囲の人々は逃げず、半径20mほどの距離を開けて、おおっ、と歓声をあげて拍手している。この状況がどれほどの危機なのか、麻痺しているように気づかない。しかし、気づいたら気づいたでパニックになるだろう。

 ならば、この場において、最善を求めるなら、この恐竜を真っ先に撃滅すること。今はまだ恐竜はその場より動かない。様子見ではなく、それ以上、古城たちが先を行こうとすれば阻むようにプログラムされているのか。つまりは、先手権はこちらにある。

 光り輝く銀色の槍を取る獅子王機関の剣巫の手が霞む。

 狙うは核たる左胸の心臓部。いかに強固な鱗を持とうがそれが魔力で構成されたものならば貫く。眷獣すらも、一刺必殺を成す。

 しかし。

 剣巫の未来視は覆される。

 

「―――ぐっ!」

「―――姫柊!?」

 

 恐竜に突き出した槍は弾かれ、雪菜の腕が痺れる。それが吸血鬼の眷獣だろうと魔力で実体化しているのならば切り裂く槍であるが、その体を覆っている氷は大気中の水分を固めさせたもの。それが鋼鉄ほどの硬さで、槍で貫くことはできなかった。突きでできた罅も、瞬時に再凍結される。

 そして、攻撃されたのであれば、反撃される。

 大の男の数倍はあろうかという巨体が動く。鉄の鑢を擦り合せるような奇怪な唸り声。獣にはあらざる明確な殺意を篭めて、剣巫を睨みつける。

 知性と獣性が絶妙に混じり合った視線だった。

 そうだろう。

 この恐竜はけして単なる魔獣ではない。魔女の生み出した<守護者>たる怪魔なのだから。

 二体分の魔獣がひとつに合わさった<守護者>。

 ゆっくりと、けれどその視線は剣巫の動きを牽制している。

 観客たちの目を覚まさせる暴力じみた殺気。いくつもの牙より零す地面を凍てつかせる冷気。余程の強者でも、傷ひとつつけるのも難しい。銃機を持った特区警備隊ですら、この怪魔の前には蹂躙されて終わるだろう。

 

「まさか―――これほどの<守護者>を使役していたなんて!」

 

 雪菜が、一息吸う。

 呼吸と共に内功を練り、身体を切り替える。

 全力でなければ、こちらがやられると、そう判断した。

 

 驚愕を一瞬で押し殺し、大地を蹴る。

 いつもより強く、いつもより速く。

 絶妙なる功の流れに統御されて、<雪霞狼>の刃は冷気に曇る白靄に清冽な弧を描く。

 

 キンッ! と。

 二撃目も氷壁に弾かれ、しかし雪菜はその反動を利用して魔術強化にて大地を蹴る。滑り込むようにして巨体の陰にある死角に潜り、その視野から外れる。

 しかし、続く三撃目からの連撃はその尻尾に防がれる。

 まさに<守護者>ではなく、『守護神』ともいうべき鉄壁の防御。剣巫の乱れ突きが悉く封じられるなど、誰が信じられただろう。

 驚くべきことに、この怪魔は雪菜の絶技を阻むほどの獣の如き反応と機械のような精緻さを兼ね備えていた。

 そして、冷気と反動、腕の感覚の麻痺により、微妙な体勢の崩れが生じ―――恐竜の反撃をむかえるのに、ほころびを生じさせた。

 彼女の予測を上回る、恐竜の敏捷性。

 槍を盾にしようにも、その衝撃は少女の細腕をなお微塵に砕くに足りるだろう。

 

 ―――爪が振りかぶられる。

 少女の体ほどありそうな、恐竜の鉤爪。それが怒涛の如く迫り―――

 

執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>」

 

 寸前、アスタルテが守護に回していた巨人の眷獣の片腕を雪菜の壁となるよう前に突き出した。

 城壁の如き(かいな)は、さしもの恐竜の爪を弾く。けれど、押し負けたように巨人の腕は大きくのけぞる。

 無防備な夏音が恐竜の前にさらされ、そして、何よりそちらへ注意がいってしまった。

 

 恐竜が半透明の巨人の両腕を見る。

 その途上で震える無力な少女など意識してないだろうが、巨人目掛けて襲い掛かれば無事では済まされない。

 

「叶瀬、逃げろ!」

 

 声を上げる古城。しかし、夏音は動けない。どうしたらいいかわからない。

 雪菜も槍を振るうも、弾かれその進撃を止められず―――

 

 

「忍!」

 

 

 その横合いから繰り出された銀色の光。

 無警戒な真横から放たれた斬撃は、進撃する恐竜の咢を弾いて、そのままその目元を抉る。その傷口が青白い炎に包まれて、横倒しした恐竜が苦悶の声をあげた。

 

「今の一撃を受けて、仕留められぬとは……」

 

 呟き、彼女は夏音の前に立つ。

 現れたのは、銀髪のショートヘアの如何にも有能な軍人という雰囲気を纏う二十代前半の女性。着ているのは、どこかで見た覚えのある黒色のブレザー。その実用的な軍服は派手な装飾さえすれば、“北欧の第一王女”のものと同じになるだろう。

 周りを見れば、彼女の他にもう二名の軍服の女性が観客たちの避難誘導を行っている。

 

「あんたらは―――」

 

「アルディギア『聖環騎士団』所属ユスティナ=カタヤ要撃騎士であります。ラ=フォリア=リハヴァイン王女の命により、王妹(おうまい)殿下の護衛に参りました」

 

 王妹殿下―――それは、アルディギア前国王の隠し子であり、つまり現在の国王の腹違いの妹である叶瀬夏音のことだ。

 

「ラ=フォリアが言っていた、騎士団からの護衛か!」

 

「忍! 王妹殿下をこれまで護っていただき感謝いたす第四真祖殿」

 

 夏音を庇い、隣に立つ人工生命体にも一礼し、

 

「そして、そなたがクロウ殿の言っていた後輩のアスタルテ殿か」

 

「肯定」

 

「我ら『聖環騎士団』の絃神島の上陸を阻むあ奴ら<図書館>の残党を撃破してくれたクロウ殿とそなたの活躍により、間に合うことができました」

 

 頼りになる援軍の登場に、けれども夏音は突然現れた自分の護衛に、流石に困惑の表情を隠しきれず、

 

「あの、ユスティナさん、でした」

 

「王妹殿下のご拝顔を賜り、光栄の至り―――ですが、挨拶の前にあの使い魔を討伐せんために、そのご威光をお借りいたす」

 

 感動も露わにして深く頭を下げ、朗らかに笑う表情、それも一瞬で切り替え、ユスティナの訓練された軍人の顔つきとなる。

 

 巨人の(かいな)に王妹殿下の守護を任せ、起き上がる恐竜の怪魔に要撃騎士の剣が火花を散らす。

 その剣速は迅雷。切れ味など言うまでもなし。鋼鉄に匹敵する氷の防壁さえ、その刃はあたかも薄衣のように断つ。

 

「ラ=フォリア王女より賜りし宝剣<ニダロス>は、アルディギア王族の傍らに侍る乙女に、破魔の力と癒しの加護を与える―――!」

 

 黄金の柄を持つ剣の刃は、氷河を閉じ込めたかのような王族の瞳の色と同じ、霊気の炎で青く輝いている。

 叶瀬夏音を精霊炉として霊気を借りて行われる<疑似聖剣>だ。

 天使に近い属性を持つ夏音の霊気は、魔族にとっては猛毒に等しく、そして、その剣技のさえは凄まじい。

 

「凄ェ……」

 

 氷壁を溶かす青白い炎に、そして、全身鎧の如き鉱石の鱗と鱗の僅かな隙間を裂く精密さ。さらには王族の加護によって増幅された斬波は、明らかに刃の届かぬ部位までも切り裂いた。

 もはや奇蹟にも等しいその四連撃。行動を不能にするよう目の前の怪魔の脚を集中して打ち据え、粘土の如くに切り崩す。恐竜とてまな板の上の魚ではなく、身を捻り、腕を振るい抵抗しているというのに、何ら気に留めぬのほどの絶技であった。

 

 素人の古城から見てもはっきりと一流とわかる。単純に剣の技だけならば、雪菜よりも上だ。王族である夏音の護衛として、ラ=フォリアが派遣してくるだけのことはある。……その言葉遣いがどこか怪しいが。

 

 そして、援軍は要撃騎士だけではない。

 

「えっ……!?」

 

 ホアァァァーッ、という怪鳥のような雄叫び。

 疾風の如きと形容されるほど限りを尽くして自身の体重を失くす、空前絶後の軽身功にて恐竜の各部へと飛翔する。要撃騎士の正確無比の剣戟によって、がくりと前につんのめったか今の腕を、腹部を、その美しい拳打が打ち砕いていく。

 ―――二の打ち要らず

 流派においては、そんな風に謳われる秘訣。すなわち体内の気を練り上げて、強大な衝撃へと変換する内功の奥義である。

 それをいとも簡単に放つのは、赤髪のお団子ヘアに三つ編み、チャイナ服の若い女。

 

「おー、教え子たち、ようやく会えたな。怪我したりしてないかー?」

 

 彩海学園中等部の体育教師、笹崎岬が暢気な口調で訊いてくる。

 まさかの担任教師の乱入に、雪菜は困惑を隠しきれずに、

 

「笹崎先生! どうして……!?」

 

「那月先生に頼まれたりしてたのよ」

 

 自分がいないときに、雪菜や古城のフォローをしてほしい、と先輩から頼まれていた。

 彼女もまた国家資格を持つ功魔官。たった一人でギャング組織を壊滅させた、素手で地面を割った、手から気功波のビームを出したなどなど、数々の都市伝説に事欠かない女拳士なのだ。

 

「あれ? クロウちゃんがいないし、ひょっとして、私が知らないうちに、ずいぶんヤバいことになってたりする?」

 

「……はい。かなり。クロウ君もおそらく相手に囚われて」

 

 うわー先輩になんて言おう、と正直に雪菜に頷かれて、岬は頬を引くつかせるも、どんと強めに胸を叩き。

 

無問題(ノープロブレム)! そんなやわに弟子を鍛えてないからね!」

 

 体育の合間だけの組手であるが、師父として真剣に取り組んでいた。

 だから、そう簡単にはやれないと自信はある。

 

「笹崎先生、那月ちゃんは……!?」

 

「無事だよ。今のところはまだね」

 

 古城の質問にウィンク混じりに岬は答えると、再び起き上がってくる恐竜の怪魔へと闘志に燃えた眼差しを向ける。

 

「先へ行ってください」

 

 騎士と拳士、それも特級クラスの二人が前線に出て、余裕が出たか、アスタルテが古城と雪菜に進言する。

 

「私は教官の言いつけられた優先保護対象・叶瀬夏音についています。ですから……先輩をお願いします」

 

 彼女に深々と頭を下げられて、感に入るものを覚えた古城は力強く頷いて先へ行く。

 姫を守護する騎士に、達人級の拳士に、巨人の両腕が、凍結と岩土の怪魔に果敢に攻め立てて、観客が拍手喝采に沸く。

 祭りはまだ始まったばかりだ。

 

 

 

つづく


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