ミックス・ブラッド   作:夜草

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天使炎上Ⅳ

海上 救命ポッド

 

 

 ひとりに、なった。

 いや、ひとりになれたというべきだろう。

 これまで物心ついた時から常に傍に人がいたけれど、初めてのことに当然寂しさは覚えても、落ち着いていられた。

 

 するべきことはわかっている。

 

 まず真っ先に海へと落されて、その潮の流れから、“運良く”、皆とは別れることができた。

 けれど、追手は来ている。

 空挺を襲った奴らがそう簡単に諦めるわけがない。

 だから、あとは、救難信号を発信するだけだ。

 

『―――見つけたのだ』

 

 大海をひとり泳ぐ銀色の人影。

 それは暗い夜の海に溶け込んで、海上にあった自動人形を海の狩人の如く、海中に引き摺りこんでは潰していく。

 揚陸艇さえも潜って船底から穴をあけて沈めさせる。

 そうやって、“集めさせた”追手を悉く撃退した。

 

『なぜ、おまえはこちらに来たのです。騎士団長と一緒にどうして逃げなかったのですか』

 

 武器があろうと立場の不安定な海上で、それも救命ポッドで抵抗をするなど期待はしてなかった。

 弾は十分にある、少しでも稼げるように、精々みっともなく足掻こうと心に決めていた。

 だから、助けてもらったのに、その叱責はお門違いもいいところだろう。

 

『その騎士団長に、姫様助けてくれーって言われたからな』

 

 その銃口と氷河の如き冷徹な視線を向けられて、彼は指摘する。

 

『ひとりになったら、囮となって注意を惹きつけるだろうからって。実際、そうしてたし』

 

 もし、船で生き残ったのが自分だけだったのならば、好機が来るまでじっと息をひそめていたことだろう。

 だが、生き残ったのは自分だけではない。

 負傷して命ある護衛騎士たちも、女子供の従者たちもいる。

 それらをみすみすと虐殺させてはならない。だから、ひとりとなった時、安堵したのだ。

 

『わたくしは、わたくしが生き延びるためならば周りの全てを犠牲にしなければなりません』

 

 ぱんっ! とこちらを見上げながら立ち泳ぎをする彼の、そのすぐ脇の海面を撃つ。

 

 それが騎士ではなくても、無辜の民であっても、会ったばかりの友人であっても、盾にできるのならば盾しなければならない。

 己が身の価値を重々に承知している。

 故に、自分のために、死ね、と命令する。それができなければ、王族とは呼べない。

 だが、いくら殉死した者たちを英雄として祀り、王女の盾となれたことを美談として後世に語り継ごうにも、とても、綺麗事などとは呼べない。

 

 ぱんっ! とポッドに近づく彼のこめかみを弾が掠める。

 

 けれど、後悔だけはしない。

 それは自分のために戦ってくれた者たちへの侮辱となるからだ。

 だから、ここでその王族としての有り様を曲げるつもりはなくて、この救命ポッドに乗るつもりであるなら本来は無関係の少年であろうとそれを自分のために利用する算段をしている。

 だから。

 

 その眉間に標準を合わせて、引き金に指をかける。

 

『……わたくしが、怖くなりましたか?』

 

『ううん。だってそう思えるほど、オレはお前のことをよく知らないぞ』

 

 その碧玉の瞳を見開く。

 出会ってからというもの、無垢な中庸の予想外さはもう驚きの域である。

 あまりにも素直な、脊髄反射のような答えを返してくる。

 そんな無遠慮極まりない言葉が、なぜか不快と感じない。だからか、最初に自分はその無礼を許すよう、周りの者に承知させたのではないのか。

 

 引き金を引いた銃口を臆せず、彼は、よいしょ、と海面からその縁に腰を掛ける。

 

『でも、何があってもオレ、フォリりんのこと好きだろうなって思ったんだ。団長たちと同じように』

 

 だから、ここにいる。

 認められたいがためでもなく、名誉や見返りを求めてのことでもない。

 その人が気に入ったから、助けたくなった。

 それは打算のない、清潔な心のあり方だ。

 けれど、それが人間として幸福かどうかは、また別の話。

 そう、一般教養とされてる道徳は非人間な在り方であって、計算と妥協、我欲と食い合いこそが正しい人間の在り様と考える者には、その清潔さは目に痛いだろう。

 太陽を直視するように、眩しすぎて。

 おかげで、こちらは銃の照準もまともに合わせられず。

 ただ、未来が一寸の先も見えないこの暗闇の航海の最中でさえ、深く、息を吐ける。

 

『ひとりってのは寂しいだろ? 何ができるかわからんけど、話し相手くらいならオレもできるぞ』

 

『まったく……一応、おまえは領土の生まれであって、王女は領民を養う義務があります。仕方がありませんから、乗船を許可しましょう。だから、わたくしの言うことをきちんと聞くように』

 

 

金魚鉢

 

 

 天上を見上げる金人狼。

 ただただ巻き込まれて、天使の前に立つ。

 それは、一度は敵わないと逃げた相手よりも強大で、そして、友人のひとり。

 

「オレは力になるって決めた。だから、これでいいんだ」

 

 さあ、戦争を始めるとしよう。

 通常とは手法が異なれど、この<神獣人化>も<神獣化>と同じ。蛇口の栓を思いっきり開けるように、この肉体に秘める力をありったけを解放できるよう限度(リミッター)を外してる。それを無理やりに人型に留めているのだから、気を抜けば水風船のように破裂してしまいかねない。

 だから、枯渇するか、崩壊する前に、精々、思い切り。

 全力でやってやろうじゃないか。

 

 ―――一層と輝きを放つ両脚を、大きく、大きく、金人狼は屈伸して力を溜めて。

 

 

「     ッッ!!!」

 

 

 吼えた。

 それは大自然をも平伏せさせ、土地の荒御霊をも鎮圧する聖獣の雄叫びか。

 雪と氷が狂い舞う嵐の銀世界。それが一瞬、無風となって凪ぐ。

 そして、天使めがけて、一気に金人狼は跳躍して、空中で羽ばたける翼を持たずとも、大気を蹴り込んで飛翔する。放たれた一本の矢の如く、最短距離で、その氷の巨塔の頂点を目指す。

 

 天使もついに目覚める。

 その天眼の翼を広げて、金人狼を頂上から見下ろす。

 

 空を白い線が通り過ぎた。

 

「―――」

 

 スローモーションのように、空から黄金の煌めきが降り注いでくる光景―――それが真祖をも滅ぼし得る絶望だ。

 

「邪魔だっ!」

 

 吼え、金人狼は大気を蹴った。真上に向かって駆け出し、その黄金の剣となった閃光を殴って破る。

 爆発。砕かれた天使の剣はたちまち爆炎の嵐として炸裂する。しかし金人狼は自らの負傷を顧みず、爆風を突き抜けて、天使の足元たる氷の巨塔の壁面に張り付く。

 

「ぐ―――うっ……」

 

 金人狼は塔を駆けあがろうとするも、身体が動かなかった。頭が朦朧とする。

 致命傷ではないが、危険な状態だ。何しろ、ここで止まっていては、集中攻撃を受けてしまう。

 一秒もない。そう判断した。

 肉体内面の七ヵ所に意識を集中。ただでさえ慎重に開門させなければならない、少なくとも数時間はかけて段階的に行いたいところを、無理矢理に開けさせる。

 が、その力の高まりを天使は察知する。

 双眸鋭くし、

 

「―――ッッッ!」

 

 閃光に撃たれる。咄嗟に貼った神気を巡らせた生体障壁は天罰の威力を削ぎ落としたが、食い止めることは難しい。無理だと判断した瞬間、その爪を直接、自身のへそを突く。再度、決断決行する。自身に対しての『香付け(マーキング)』。今度はリミッターを解放するのではなく、強引に破りにかかった。

 

 ―――ガチン、とスイッチの切り替わる音がした。

 

 まるで爆弾。

 それまで100Vで一定していた電線に、1億Vの高電流を流した気分。体のどこかで回路が壊れて、壊れた場所に無理やり霊力がねじ込まれる。

 視界が変わる。

 世界が変わる。

 安定を欠くそれは金人狼の存在を根底から揺るがし始める。全身に纏っている黄金の神気が、今や稲妻のように弾けて迸っている。だが、それでも身の輝きは力強さを増す。

 

 強引に取り出した力は、すぐには制御が利かない。金人狼はその荒れ狂う神気に任せて、生体障壁に阻められている黄金の剣を“掴み取った”。

 

「―――ぁああああぁぁああああっっっ!」

 

 突き破ったその腹の底から咆哮し、天使の力を掌握する(クラウ)

 己の“匂い”でマーキングし、増幅。そのままベクトルを身体ごと一回転させて、気功砲として天使へ返した。

 紫電迸る大玉が、黄金の剣を呑みこみながら、天使に迫る。天使はその翼を羽ばたかせ、雪と氷の嵐を展開。気功砲は嵐を丸ごと呑み込み、眩き流星と化して。

 

 天に至るその“バベル”を崩壊させた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

Kyriiiiiiiiiiii(キリィィィィィィィィィィ)―――!」

 

 

 被昇天の最終段階を阻止して、天使を地上へ墜落させる。

 なんと罪深き所業、もしくは、偉業。

 しかし、地につけられようが、その姿はすでに現実感を喪失させるほどの完成度を有していた。

 人の姿形に似た部品は間違いなく人体部位であるにも拘らず、人間以上の見目を得ている美しい生き物。幻想そのものを体現する、至高の芸術品。濡れた白磁の肌、潤む碧玉の瞳、けれど、その形のいいおとがいを伝って落ちる滴は神秘の領域ではない、感情の発露。すなわち、かすかな人間性が、まだ残っていた。

 

「そうか。古城君を、皆を傷つけたことを気にしてるのか」

 

 “匂い”でわかる。

 それはどれほど高く空を飛べたとしても。

 孤独が重い。

 狂気が重い。

 後悔が重い。

 罪悪感が重いだろう。

 自分と、同じだ。

 

「オレも、泣かせた、傷つけてしまったことがある。それでも、あのとき、ご主人は嘆くなってオレに言ってくれた。あれは、きっと生きていいってことなんだ」

 

 既にその体毛は、元の銀色に戻っている。

 金色の神気はすでに使い果たした。だが、こうして同じ目線(フィールド)に立つことはできた。

 昂るでもなく、憤るでもなく。

 哀しむでもなく、喜ぶでもなく。

 あまりにも自然に、あまりにも当然に、呼びかける。

 

「だから、叶瀬、嘆くな。お前も、オレたちと生きていいんだ」

 

 必死に、その細い彼女の意識を手繰り寄せるように。

 必死に、その薄れた記憶を懐かしさに蘇らせるように。

 必死に、けれど、普段と変わらないペースで話し続ける。

 

「<蛇紅羅>! そいつの腸を串刺しにしてやんなっ!」

 

 真紅の刺突が、背中から銀人狼を襲う。鋼鉄以上の硬度があるその体毛に阻まれて、背筋を貫通せず、けれど、その身体は弾き飛ばされる。

 

「ちっ、バカみたいに硬いわねぇ」

 

「オマエ―――!」

 

 攻撃を放ったのは、紅いボディスーツを着た女吸血鬼ベアトリス。先ほど投擲された槍の形をした眷獣が地面に突き立ち、激しい魔力の火花を散らしている。

 その隣には、すでに<模造神獣>と化しているキリシマ。

 漆黒の巨獣は、両脇に棺桶ほどのサイズの金属製のコンテナをいくつも抱えており、それらを無造作に、銀人狼の方へ投げつける。

 

「のんびりはお話してるとこ悪いんだけどさァ、時間外労働だし、あたしたち、そろそろ帰りたいのよね。だから、邪魔をしないでくれる」

 

 投擲した槍の眷獣を自らの手元に呼び戻して、女吸血鬼は気だるげに息を吐いた。

 そして手に持っていた制御端末のパネルを操作し、『降臨』の二文字を入力。賢生が夏音を制御していたものと同じもの―――

 

「でないと、せっかく造ったこいつらが売れ残っちゃうからさ―――!」

 

 轟音。

 散らばる金属製のコンテナを中から吹き飛ばして、咆哮と共にそれは現れる。

 醜い不揃いな4枚の翼と、肌に浮き上がる魔術紋様。そして、金属製の奇怪な仮面。

 

「こいつら、船の時に見た奴らだな!」

 

 そう、そこにあるのは、天使となる前の未完成品『仮面憑き』、しかし、不完全と言えど、それは音速以上で飛び回り、ビルを倒壊させるだけの戦闘力を持っている。それも複数体。

 それを賢生は顔を顰めて、

 

「どういうことだ。私は、儀式に必要な最低数しか用意していないぞ」

 

「悪いんだけど、たった一体しかできないんじゃ売り物にならないからね。素体が粗悪なせいかデキも悪くて、性能では叶瀬夏音には遠く及ばないんだけど」

 

 ベアトリスは蔑むように説明する。

 これは、クローン。

 これまでの儀式で敗退した『仮面憑き』たちの細胞から造り上げた、『メイガスクラフト』の『商品』。

 

「でもまあ、こっちの命令に忠実に従う分、使い勝手はマシってとこかしらね」

 

 得意げに制御装置を見せつけるベアトリス。

 女吸血鬼は、<神獣人化>の解けた銀人狼を嘲笑い、

 

「切り札ってのは、先に出した方が負けなの」

 

 戦況を見ていたのだ。

 金人狼が、『仮面憑き』に通用し得るものだとわかってから、機を見計らっていた。

 そして、もうその金色の神気が出せないと状況を見てとり、満を持して、共犯者の魔導技師にさえ秘匿した『保険』を含めて、手駒の全てを戦争に投入する。

 

「飛空艇の時から、邪魔されっぱなしだしね。かったるいけど、ここで仕留めておかないと面倒なことになりそうだから―――ここで、殺すわ」

 

 『血に飢えた漆黒の狂獣(ブラッディウルフ)』。そして、『仮面憑き』の軍団。

 特区警備隊、獅子王機関さえ相手取れるほどの戦力を有した女吸血鬼は荒々しく牙を剥いて、この邪魔者に死を宣告す―――

 

 

 

「じゃあ、オマエたちの負けだな」

 

 

 

 勝敗の決した場でついに終末を飾る多勢の暴力が蹂躙しようとしたその時、凄まじい轟音が大地を震わせた。

 頂上が崩された氷柱の巨塔へと、ベアトリスたちの視線が集中する。

 再び、崩壊した“バベル”が揺れて―――その根元の分厚い氷を破壊。ビル解体の如く、巨塔を真下から破壊して、その緋色の双角獣が君臨する。

 大気を歪める凄まじい振動は、圧倒的に格の違う膨大な魔力を女吸血鬼に知らしめる。

 

「―――第四真祖の眷獣だと!?」

 

 ベアトリスは愕然としながらも、吸血鬼だからこそわかるその覇気に自ずと後退した。

 塔を破壊した眷獣の宿主は、暁古城。

 爆風のような雄叫びを残して眷獣を己の血に戻した後、その威風を晒した古城に続いて、姫柊雪菜とラ=フォリア=リハヴァインも姿を見せた。

 

「話はいろいろと聞こえてたんだが―――まだ生きてるか、クロウ」

 

「うん。古城君も復活したんだな」

 

 天使の暴走に飲まれそうになったその時。

 剣巫・姫柊雪菜が<雪霞狼>の神格振動波で防護結界を張り、分厚い氷の下敷きに押しつぶされるのを防ぐ。

 そして、古城の胸に突き刺さった<模造天使>の剣。

 黄金の神気は、“負”の生命力で構成された古城の肉体を、酸のように蝕んでは真祖の再生能力を阻害して、存在をゆっくりと消滅させていこうとしていたが、ラ=フォリアが古城の身体に無意識に働きかけて延命させている、未覚醒の眷獣――天使の剣をも克服する可能性――に気づき……

 

「大変だったんだなぁ、姫柊とフォリりんの二人の血を吸うくらいだったなんて」

 

「いや、そのだな、クロウ一人で無茶してるっぽいから仕方なく急いでだな……!?」

 

 いかがわしい行為にふけっていたわけではなく、あれは人工呼吸のようなものだ。

 だが、その純粋に心配する後輩の目が眩しいというか、夏音の天使化に待ったをかけようと命がけで戦っている間に何だか色々と“アレ”な吸血行為をしていた古城は申し訳ないというか、とかく視線を合わせづらくなって横へ逸らす。とその脇にいた雪菜はにこやかに微笑しながら、

 

「いくら緊急時とはいえ、人が眠っているときに、そのすぐ隣でああいう行為をするなんて、思ってもみませんでしたけどね」

 

 逆を見る。とどこか愉しげな表情で浮かべるラ=フォリアが、そこで意味深に頬を赤らめて、

 

「ええ、いざというときは全部自分が初めてをとった責任を取ると、暁古城は仰ってくれました」

 

 うんうん、と頷いたクロウは、こういう時にご主人が言っていたそのフレーズを口にする。

 

「お楽しみでしたね、と言うべきとこなのか古城君」

 

「違うぞ!? お前よく考えてないでそれ言ってんだろうけど、違うからなクロウ!」

 

 これが終わったら誤解を解いて口止めをすると誓う古城。

 前回、殲教師の一件で、この後輩から妹に情報が流出しかねないことを兄は学習している。

 

 だが、その会話をする様子――まったくこちらを見ないその余裕に、女吸血鬼は、ギリッ、と歯噛みする。

 

「ほんっと、お気楽ね第四真祖……! その余裕、そこの雌豚どもを全身バラバラに切り刻んでからも保てるかしら。真祖の眷獣を呼び覚ませる霊媒なんだから、クローンにすればいい兵器になるでしょうし、兵器に改造しなくても、高く買ってくれる―――がっ!?」

 

 愉快そうに挑発していたベアトリスが突然、苦痛に唇を歪めた。

 古城の身体から放たれた雷撃が、鞭のように飛来して女吸血鬼の肩を殴りつけたのだ。

 しかしそれはベアトリスへの攻撃ではない。単純に、抑えきれない古城の怒りが魔力となって溢れだした結果だ。

 

「黙れよ、年増……それにあんたもだ、オッサン」

 

 余裕からベアトリスを見てないのではなく、視界に入れば感情のままに周囲に魔力を散らしてしまうことがわかっていたからだ。

 視線を合わされ、雷鳴のような一喝と共に爆発的な魔力の奔流に呑まれる。

 

「王族とか霊媒とか知ったことか。叶瀬もラ=フォリアも普通の女の子だろうが。それを天使にするだの、クローンで増やすだの、好き勝手なことばっか言いやがって―――!」

 

 その烈火の如き怒りを表さんと、古城の瞳が真っ赤に染まる。

 もう理屈は簡単だ。

 ベアトリスは、夏音たちを天使兵器に仕立てて、それを『吸血鬼の真祖すら倒し得る商品』として売り込もうとしている。

 賢生は、夏音を人間以上の存在にしようとしている。そのために夏音が霊的中枢を活性化させるだけの強敵が必要だった。だから、第四真祖に目を付けた。娘を進化させるための噛ませ犬として―――

 

 だったら、話は簡単だ。

 古城を倒せなければ、彼らの計画は終わる。<模造天使>如きでは、世界最強の吸血鬼を倒せないと思い知らせてやればいい。

 

「いい加減に頭にきたぜ。叶瀬を助けて、おまえらのくだらねぇ計画をぶっ潰してやるよ!ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

 

 禍々しい覇気を放って、<焔光の夜伯>が参戦。

 その前をクロスする二つの銀。

 

 真祖の魔力に反応した『仮面憑き』が、歪んだ光剣を古城へ撃ち放つが、同じ神気を纏う銀色の槍が一閃して斬り払い、

 

 『血の従者』として排除を命じられた『血に飢えた漆黒の狂獣』が飛び掛かってくるが、銀人狼が横合いから脇が無防備な胴体を蹴り飛ばす。

 

「―――いいえ、先輩、わたしたちの、です」

「だぞ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 暁古城は、天使化した叶瀬夏音を。

 姫柊雪菜は、『仮面憑き』を指揮するベアトリスを。

 そして、南宮クロウは、ラ=フォリアを捉えて人質にしようとするキリシマを相手取る。

 

「逃ゲンジャネェゾ! コッチハモウ余裕ガネェ。降参シネェナラブッ殺シチマウゼ!」

 

 獅子王機関の剣巫を相手取った女吸血鬼は、その得物の武神具を囮にした剣巫に眷獣の槍を翻弄されて、その隙に素手で倒された。

 剣巫が修める素手で魔族を倒し得る戦闘術を前に、『意思を持つ武器』に戦わせて当人自身の戦闘技術はない女吸血鬼はなすすべもなく、吸血鬼であろうと『破壊ではなく、生態の機能を狂わせる』肉体再生能力を阻害する気を篭めた打撃にやられた。

 それでも、無限に消費し続ける生命力を補填する“タンク”としての役割は果たしている。

 だが、その“タンク”は相手の手の内にあり、今のところは殺されていないようだが、それが途切れてしまえば、キリシマの<模造神獣>も保てなくなる。いや、この現状から無限の生命力をあてにした不死の再生能力も期待できない。

 だから、こちらも人質を取る。

 あのお姫様さえ捕えられれば、戦況は変えられる。

 しかし、それを相手の方も承知してるか、銀人狼に乗ってお姫様は戦線を離脱して、無人島の森の奥へと逃げ込んだ。

 それをすかさず追ったキリシマだが、森に入ったところで―――銀人狼が視界から消えていた。

 ついさっきまで、そこに見えていたのに。

 

「ヘェ……目ヲ離シタツモリハナイガ……瞬キモシテイナイガ……フゥン……」

 

 一度、立ち止まる。

 だが、表情は変わらない。

 

「ケレド、姿ヲ隠シタトコロデ、意味ハネーヨ、子犬」

 

 獣人の追跡能力のレベルは、『対象の姿を見失わないという』ものではない―――『対象を見失おうがどうしようが関係なく追い続けることを可能とする』ものだ。

 “人間大の大きさのもの”が、何の痕跡も残さずに移動することなど、そうそう簡単な話ではない。

 

「カクレンボノツモリカ? ハッ、姿隠シテモ臭イハ消セテネェゾ!」

 

 余裕の態度で、銀人狼の“痕跡”を辿るキリシマ。

 まるっきりの、余裕の態度。

 そう。

 彼は、忘れている。

 忘れているというより、意識していない。

 追う立場まであるがゆえに、意識していない。

 圧倒的な力に酔っているせいで、意識していない。

 

 “これがどこであるか”を、意識していない。

 

 獣人種と言えど、キリシマは生まれながら魔族特区で都会暮らしをする、人間と変わらない習慣感性が身についている。

 それは取り返しのつかない、油断だった。

 

「―――見ィツケタ」

 

 ガサガサ、と夜の森に蠢いた人影。

 それをキリシマは逃さず、一気に飛び掛かることはせず、追い詰められていく様を楽しむように歩いてそちらに―――

 

「―――ギャアっ!?」

 

 不意に、移動を止めた。

 いや、止まらざるを得なかった。

 右足―――

 

 右足首が、地中に埋められていた“機械人形(オートマタ)”の両腕に挟まれていた。

 

 人間離れした膂力と耐久性を誇る『自社の製品』の、黒い全身鎧の一部である籠手に、左右から―――がっちりと。

 それもひとつではなく。

 キリシマの、阻みようのない巨大な足首を、いくつもいくつも生えてくる手が捕まえ、捉えている。

 まるで、それは船を遭難させる怪談に出てくるような光景だ。

 皮を破り、肉に食い込み、

 骨に届き、血が流れ出す。

 

「……ナ、ナンダコレハ!? ドウナッテヤガル!?」

 

 どうして、こんなものが?

 いや、どうしてこんなものに捕まっている?

 拘束を剥がさんと踏ん張りを利かすよう、反対側の左脚を、とりあえず、後ろへ引こうとし―――

 

 そして後ろに引いたところに。

 またも、機械人形。

 同じように―――足首を挟まれた。

 

 そして、見た。

 先に見たその人影は―――黒の全身鎧をまとう機械人形のものであることを。

 

「……っ!」

 

 その衝撃に―――思い出す。

 この金魚鉢と言われる無人島に、第四真祖たちを閉じ込めてから、威力調査で機械人形の兵団をそこへ向かわせていた。それは全滅して、あの学生らが第四真祖であることが実証されたわけだが―――

 

「ダガ、コレハ俺タチノ道具ダ。ソモソモ、戦争用ノ機械人形ダガ今ノ俺ヲ縛ルヨウナ力ガアルワケガ―――!」

 

 そこで―――気づく。

 

 『黒』シリーズ。

 それは<黒死皇>の血を引き、“完全な死者蘇生”すら可能とするほど死霊術(ネクロマンシー)を極めている。そして、この戦争用の機械人形は起動コアに『第一非殺傷原則(ひとをきずつけてはならない)』を迂回するために、“死霊術の術式を刻んでいるのだ”。

 ならば、もう話は分かったようなものだ。

 あの<黒妖犬>が、追手として送られてきた機械人形を、ただ撃退するだけではなく、自戦力に取り入れて、トラップとして再利用していた―――己が魔術とその超能力で強化させて。

 

 と相手の狙いまで思考が至った時。

 キリシマの視界がふっと、影を差した―――月明りに雲がかかったという感じではない、もっと露骨なスピードで。一瞬それに勘付いて、上方を確認するまでもなく、掴まった足を千切り離して、キリシマはその場から、跳ぶように前に転がる。

 

 そして、刹那に、巨人の大太刀の一撃の如き勢いで椰子の大木が叩きつけられた。

 

「―――ッ!」

 

 森にある蔓とよくしなる椰子の樹木を使って作られたトラップだ、

 足を引っかけると作動する簡単なタイプである。よくしなった椰子の先には尖らせた木の枝が埋め込まれており、それが猛烈な速度で獲物を襲うようだ。

 間一髪で躱せたが、地雷の機械人形ばかりに気を取られ、頭からの気配、空気の流れに反応するのがもう少しばかり遅かったら危ないところだった―――と。

 思ったところに、二段構え。

 跳ぶように転がった先は、落とし穴だった。

 子供の悪戯としてももう成立しないような、あまりにも原始的なトラップ―――だが、二段構えの二段目としては、これ以上なく有効だ。

 

「……クゥ!」

 

 両手で突っ張って、この巨大な重量を支え、落下を防ぐ。

 それほど深い落とし穴ではない。

 カモフラージュしやすいよう、元々あった自然の窪みを利用したものだろうが―――しかし、深さなど問題ではなかった。

 落とし穴の底には、尖った竹が配置されていた。

 斜め向きに先端を切断された、竹槍のような。

 

「クソッタレ! BBサヘヘマシナケリャ、コンナ子供騙シ無視デキンノニ!」

 

 脚は、機械人形に持っていかれて、再生こそ始めているが、やはり、遅い。剣巫にもらった一撃で、女吸血鬼の内部が狂わされている証左だ。それでも遠慮なく、生命力を吸い上げる。

 しかし、休む間も与えず、次から次へと畳み掛けてくる。

 なんなんだ……どういうことなんだ?

 

 この無人島を、仇を迎え撃つ場にする、と王女の指揮で定めたその時から、ただの森を、“絶対必殺の狩場(キリングフィールド)”へと変えていた。

 かつて、蔓だけで巨人の眷獣を縛り上げた強靭な拘束へと力を上げたその天部に匹敵する超能力。

 たまたまそこにあった材料で仕掛けたすべての(トラップ)には、その『香付け(マーキング)』が施されて強化されている。

 その自然物強化の適用範囲に、機械人形たちに持たせていた銃機がなかったことが幸いと見るべきか。

 なにせ、両脚は復元途中で、両腕は自重を支えるのに忙しく、今のキリシマは頭しか動けない恰好の的で―――それを逃すような相手ではない。

 

 

 

「チェックメイトです、獣人」

 

 

 

 ああ、その水色の瞳で冷酷に敵を見下すその様は、美の女神(フレイヤ)の再来と讃えられるのも納得の美貌だ。

 

「ダカラ、ソイツハ豆鉄砲ダッツテルダロ」

 

 挑発的に、キリシマは笑った。

 これが好機だとノコノコとオモチャを片手に出てきた王女を嘲笑う。

 脚が完全に復元すれば、すぐにでも飛び掛かってやる。

 

「コッチハ動ケナイカラ、ヨク狙エヨ、オ姫様」

 

 ―――と、構えているその拳銃が先のものとは違うことに気づく。

 美しい装飾が施された銃把に、拳銃としては長めの銃身に、刃渡り15cmほどの銃剣(バヨネット)が装着された単発式のそれは、『呪式銃』。

 

「喰らえるものなら、喰らいなさい」

 

 『呪式銃』は、銃口が丸見えな構造で、キリシマはそれが見えた。

 ラ=フォリアが、『呪式銃』に装填したのは宝石を埋め込んだ黄金の弾頭。カートリッジには奇怪な文様が描かれている。

 

「バク―――」

 

 前と同じで、大口を開けていたたそこへ突き刺さるは閃光。

 琥珀金弾に血の狂獣の漆黒の体毛さえ貫通するほどの威力はない。だが、呑まれた弾頭は瞬時に圧壊し、無数の破片と化してその口腔で四散した。

 

 今、『呪式銃』に装填されたのは、『呪式弾』

 貴金属製のカートリッジに膨大な魔力を封じ込めた特殊な弾丸で、現存する弾丸は極めて少なく、それらを撃ち出せる銃となるとさらに少ない。ごく一部の王族だけが所有し、使用できる桁外れに高価な代物のである。しかしその威力は絶大だ。

 

 <模造神獣>の頭部を跡形もなく弾き飛ばして、力の抜けた胴体は竹槍の針地獄と化した落とし穴に串刺しにされた。

 

 

 

「やったのかー?」

 

「おっと、それはフラグですよ」

 

 と王女が敵討ちの裏方を務めていた銀人狼に注意をする前に、

 

 

 

「―――ナメテンジャネェゾガキ共ッッ!!!」

 

 

 

 爆発したように、落とし穴が弾けた。

 辺りの樹木を吹き飛ばし、多量の土砂を撒き散らし、再生から一気に体を膨張させて『血に飢えた漆黒の狂獣』はその巨躯を持ち上げる。

 

 ついに6mを超えた。

 

 そして、その体躯は最早、鋼鉄を裂く鉤爪では傷ひとつつけられず、また、死からも再生する尋常ではない超自然治癒能力。

 

「コレデ、テメェラガチェックメイトダ!!」

 

 もはや、罠があろうと関係ない。

 立ち塞がった機械人形たちさえその巨腕でその足元の大地ごと削り、薙ぎ払われる。

 猛然と腕を振り回し、樹木を切り倒しながら迫るキリシマに、相対するは、やはり銀人狼。

 

「喰ラッテヤル喰ラッテヤル! 金ノ卵、泥ガ呑ミ込ンデヤル!!」

 

 絶体絶命の窮地であった。

 素人目でも、十中八九、もはや罠で止めを刺せなかったこちらが喰われるだろうとは予想がつくだろう。クロウ自身も劣勢、危機は大いに認めるところではある。

 <神獣人化>という無茶から、身体はまだ完全に回復していないのだ。本調子とは程遠い。

 だが、諦めはしない。

 少しは休めた。それに、この敵を打倒する策も思いついた。

 

「ま。一発打てるかどうかだな」

 

 短く言って。

 限りある生命を磨り減らしつつ。

 限りなき意志だけを頼りとして。

 銀人狼は、その時、その声を聴いた。

 

「即興ですが、合わせなさい」

 

 “逃げてなければならない”。

 自分を盾にしようが彼女は自身が生き残る道を選ばなければならない。

 だが、これは錯覚の類ではない。

 確かな気配(匂い)は背後にあって、その凛とした美声は直接、耳朶を震わしていた。

 これは、王女が示す不退転の覚悟であり、その背水の陣に挑ませるほどの絶大な信頼の顕れだ。

 この刹那、残り僅かであった体内の気力は瞬時に増大した。

 

 <ヴェルンド・システム>

 王女がその身を精霊炉の代用して発動させたのだ。

 本来、<ランヴァルド>級の母艦に供えられた精霊炉がなければ、その霊格を強化する戦術支援はできないが、アルディギア王家の女子は皆、強力な霊媒としての素質を秘めている。

 

 

 

「―――我が身に宿れ、神々の娘。豊穣の象徴。二匹の猫の戦車。勝利をもたらし、死を運ぶものよ」

 

 

 

 精霊の寄坐(よりまし)とした王女の身体から膨大な霊力が解き放たれ、王女の髪色と同じ銀人狼が身体にその“香”を纏う。

 媒体となる宝剣がなくても、その身を媒体とする。

 そう、この身体こそが、創造主たる魔女の最高傑作であるのだから、宝剣に刻まれる魔術術式より、遥かに高度な、そして、生きた魔方陣なのだ。

 

「なるほど、“猫”だな」

 

 全身に満ち渡る清浄な香気を感じながら、伝わる意思に頷く。

 

 戦車を引く二匹の猫。

 揃えられたその双掌。

 

 瞬時にその構えを選択し、それが正しいと証明される。

 両の拳に青白い輝きが炎となって灯されたのだ。

 魔族ならばその身を焼くであろう精霊の聖光であるが、彼は『混血』、それも仁獣覚者に等しき覚醒を果たしたばかりの。

 故に、今彼の両手は、聖剣ならぬ聖拳。

 

「了解なのだ。叶瀬のおかげで猫の動きはばっちりだぞ―――にゃん」

 

 迫る狂獣に、構えは、そう。

 かつて、見習い時代であったが剣巫と舞威姫が二人がかりで挑み、指一本さえ触れられなかった武術教官――その<四仙拳>と同じ<仙姑>より学びし、仙術と武術を複合させた『人間』の技だ。

 

「―――■ス■ス■ス■ス■スッッ!!!!」

 

 それの前に立てば、列車の衝突事故より悲惨な目に遭うだろう。

 すでに王女を生きて捕えるなどと考えてはいまい。

 当たって、砕く。

 その身が砕けようが再生する、不死をあてにした捨て身の特攻。

 

 対し、こちらも特攻。

 ただしこちらは決死の献身が成す一打。

 

「―――にゃにゃっ!」

 

 暴走列車と化した血の狂獣の身体を、その聖拳たる戦車の双掌が受け、止めずに絶妙に受け流して、それらベクトルを異様なうねりで己に引き込む。

 そう、今、美の女神の加護を受けたこの手は、戦場をかけて死魂を駆り集める二匹の猫だ。

 半歩。

 懐へ沈み、大地を踏み締めた震脚の十全に練り込まれる勁、その全身を通って両手に集う。

 そして―――狙うは、一点。

 

「にゃにゃくっ!」

 

 擬獣武術、その十二種あると言われる象形拳のひとつ、虎形―――『虎撲子』

 殺人の罪に収監された『半歩崩拳、あまねく天下を打つ』と言われるほどの武の達人が、牢獄で両手足に枷を付けられたまま、虎形拳を練り上げたことで編み出したと逸話があるその絶招の一手。

 

 そして、“血”の芳香を放つその力の源を、嗅ぎ分けていた。

 双掌が穿つは、その紅い刺青――『血の主従』として中核たる右の4、5番目の肋骨に当たる部位。

 

「、!?!?」

 

 漆黒の狂獣が、痙攣する。

 これは返し技を喰らったせいではない。あの『呪式弾』を脳天に食らった時ほどの殺傷性はないはずだ。

 だが、これが己の致命打と悟る。

 

 そう、不死の再生能力が働く気配が、感じられない。

 

 原因のわからない悪寒。

 息を吐こうと喉をあげる狂獣の狼口。

 知らず、あえぐように己が腹を穿つその手にもたれかかる。

 そして、その巨体を支える銀人狼の両手に紫電が走り―――

 

「にゃっにゃにゃんにゃんにゃー!」

 

 零距離からの気功砲。

 それは巨体を呑みこみ、銀人狼を発射台に漆黒の狂獣は天高くに突き飛ばされた。

 <仙姑>より教わりし、絶招『虎撲子』から、<黒死皇>の編み出したる奥義『白虎衝撃波』―――人間と魔族、『混血』の合わせ技。

 名付けて、

 

 

「これぞ、白子猫閃光魔弾――長いから、壬生の秘拳『ねこま()ん』! なのだ!」

 

 

 聞けば、隠れマスコット好きな獅子王機関の剣巫が猛抗議するかもしれぬが。

 巴投げのように大きくその真後ろへと飛ばされたその胴体が背中から落下。大きく、森が揺れる。

 ガハッ、と吐血をする漆黒の狂獣。立ち上がる気配はない。

 それに、薙ぎ払われた命はない。

 決着。

 『血に飢えた漆黒の狂獣』は敗北した。

 

(……なんで……再生……しない)

 

 地面に埋まった後でも、キリシマは自分に起きた出来事を把握できなかった。

 魔族の天敵たる聖拳に迎え撃たれて、『血の従者』の契約に重要な部位をやられ、衝撃波で吹き飛ばされて地面に墜落した。

 そこまでは確認できる。

 通常の動物、いいや魔族の中でもタフな獣人種でさえも、それが行動不能は間違いのない、致命傷であるだろうとも承知している。

 だが漆黒の狂獣にとってはどうでもいい問題のはずだ。

 脳天に心臓も食い破られても、瞬間的に再生する不死の力があるはずだ。

 どれだけ派手な技でやられようとも、結局治ってしまうのだから、小石に躓いたのと変わらない。

 なのに、その傷が復元しないという異常。

 勝者たる銀人狼は種明かしに語る。

 

「オマエに、オレの生命力(におい)を撃ち込んだ」

 

 『香付け(マーキング)

 自然物に己の生命力を植え付ける発香側の超能力の応用。

 その適用には、“生物も範疇に入っている”。

 

「草花は水をあげ過ぎると枯れてしまうように、生物は生命力を与え過ぎると腐ってしまうのだ」

 

 本来は、死体を対象とする死霊術。

 応用された超能力を生体にぶつければ、その生体組織は破壊される。

 そして、聖拳に宿るは、正なるもの。

 その聖拳で強化された“正”の生命力の過剰供給は、吸血鬼からの“負”の生命力を打ち消した。

 そして、肋骨が再生せず、腐ってしまった以上、『血の従者』の契約は敗れて、無限の“負”の生命力がなければ、<模造神獣>を維持できず、『血に飢えた漆黒の狂獣』は、一気に人形態に戻った。

 

「俺は、次代の獣王……<黒死皇>になる、はず―――」

 

「悪いが、<黒死皇(それ)>はもう蘇らせないのだ」

 

 キリシマはそのまま意識を失う。瀕死の重傷であることには変わりはないが、辛うじて息はしている。

 

「ちょっとだけ、休むの、だ―――」

 

 それよりわずかに後、クロウもまた渾身で使い果たして、仰向けに倒れた。

 唯一、この場に立つ王女は裁かれた罪人にはもはや目をくれず、この期待に見事に応えてくれた少年の脇に腰を下ろす

 

「いいですねやはり。専属の従者としてほしいですこの子」

 

 言って、そっとその頭を優しく撫でてから、ラ=フォリアは空へと目を向けた。

 三対六枚の翼を広げてそこに待っているのは、<模造天使>。

 神気に護られた人工の天使に対抗できるは――夏音を救えるものがいるとすれば、それはただひとり―――

 

「あなたも信じてますよ、古城」

 

 自分の首筋に残る傷を愛おしげに撫でて、王女は花のように微笑んだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「苦しいか、叶瀬」

 

 その血の涙を流す天使に、古城は静かに問い掛ける。

 既に二人の後輩の活躍で、真祖と天使の対峙を邪魔する者はいない。

 

 わかってる。

 この少女は、あの猫たちを捨てた無責任な飼い主のことでさえ、一度だって責めたりはしなかった。

 

 自分の本当の両親のことを知らず、生まれ育った自分の居場所をも失った。

 孤独と悲しさを知りながら、彼女は他者に優しかった。

 

 それが彼女自身の先天的な資質なのか、あるいはあの修道院で育まれた愛情の成果なのかはわからない。けれど、その気高い有様は、きっと王族を名乗るに相応しいものだと確信している。

 

 そんな少女が、誰かを傷つけることなんて望むはずがない。

 たとえ、相手が神に呪われた吸血鬼の真祖であったとしても。

 

「神と呼ばれている連中が、傲慢で偏狭で残酷で、自分の気に入らないものを、滅ぼさずにいられない存在っていうのなら、お前をそんな奴らの使いっ走りにさせたりしない」

 

 天使とは意思を持つ存在ではなく、熱や光と同じ、ただの現象だ。

 酸が金属を溶かすように、

 炎が木々を焼くように、

 ―――天使は魔族を攻撃せずにはいられない。

 その前に立ち、この座を引き摺り下ろさんと挑むのならば、洗礼を浴びる。

 

 天翼の眼球より、降り注ぐ光の剣。

 それは古城を滅ぼしかけた神気の塊であり―――しかし、天敵に当たる前にそれらは“空間ごと”消失する。

 

「<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ―――!」

 

 その左腕より迸る鮮血は膨大な魔力の波動へと変わり、凝縮されたその波動が、実体を持った召喚獣の姿へと変わる。

 新たに得た、別次元にある天使を克服し得る眷獣に。

 

 

 

「―――疾や在れ(きやがれ)、三番目の眷獣<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>!」

 

 

 

 それは、霊媒の血を捧げた二人の乙女の槍と髪の色と同じ、艶やかな銀色の鱗を持ち、

 ゆるやかに流動してうねり螺旋状に絡まる蛇身と、鉤爪を持つ四肢に禍々しい巨大な翼、そして、尾がなく代わりにその前後二つに顔がある。

 すなわち、雪菜とラ=フォリアの血で目覚めたのは、双頭の龍だ。

 

Kyriiiiiiiiiiii(キリィィィィィィィィィィ)―――!」

 

 <模造天使>の六つの眼球の虹彩が揺れた。

 双頭龍が放つ異様な気配に、かつてない危機感を抱いたのか。

 先に増して、黄金の剣群を天使は乱れ撃つ―――しかし、それらは二つの巨大な咢に全てを食い尽くされた。

 どころか、高次元の神気を纏う――この世界に実在しながら、別の次元の属性をもつ――天使に轟然と襲い掛かった。

 どれほどの破壊力を誇ろうが、同じ次元に立つことができねば、異世界に属する天使を傷つけることはできない―――その筈だったが。

 

 双頭龍は、けして触れることの敵わない天使の翼を、周囲の黄金の光ごと食い千切った。鮮血の代わりに光を散らして、<模造天使>が絶叫する。

 

 神がいたのなら嘆いただろう。

 ……ああ、あと少しで完成していたものが、この世の理より外れた不条理に混乱している、と。

 

「<模造天使>の『余剰次元薄膜(EDM)』を、喰った……だと!?」

 

 呆然とする賢生の前で、双頭龍は天使の証たるその翼を食い散らかしていく。

 賢生はようやくそれを覚る。

 あの天使をも喰らう第四真祖の眷獣の能力は、次元喰い(ディメンジョン・イーター)。すべての次元ごと空間を喰らい、咢に呑まれればこの世界から消滅する、雷光の獅子や衝撃の双角獣よりも、凶悪さで群を抜いた災厄の化身。

 いわば、世界そのものに、回復不能のダメージを与える――創造主たる神にとっての天敵であり、呪わしき最悪の眷獣なのだ。

 

 そして、高次元の防護が喰われたその瞬間に、涼やかな刃鳴りの音ともに飛び出す銀の残像。

 

 

「獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る―――」

 

 

 制服姿の小柄な少女が、銀の獣に跨り、古城の前に現れる。

 女吸血鬼との戦いで足を負傷してしまった彼女は、追いついてきた銀の人狼の背に乗り、空高き場所にいる天使へ挑む。

 

「破魔の曙光。雪霞の神狼。鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!!」

 

 銀の騎獣を駆って、祝詞を紡いで輝き増す銀の槍を振るう。

 双頭龍により高次空間の防護膜はない、<模造天使>。それが黄金の神気を放ちて威圧するも、再び、一瞬だけ金色に染まった人狼がそれを相殺し―――剣巫は、薄皮一枚、その肌を裂いた。

 そう、夏音の肌に描かれた魔術紋様だけを狙い。

 あらゆる結界を打ち消す<雪霞狼>は、<模造天使>の霊的進化の術式を消滅させる。

 そこへすかさず、

 

「―――喰い尽くせ、<龍蛇の水銀>!」

 

 天使より解放された夏音は、本来の人間の姿を取り戻し、三対六枚の翼は抜け落ちる。眼球の形をしたその霊的中枢は核たる少女を失い、暴走しかけるも、双頭龍が丸ごと呑み込み、この世界から消失させた。

 ようやく腹が満たされた、と言わんばかりの咆哮を残して、役目を終えた双頭の巨龍は宿主の血に戻る。

 意識を失くして裸のまま落ちる夏音を、雪菜が受け止め、二人を乗せたクロウが落下の衝撃を殺そうとやわらかく地面に着地する。

 それを見て、古城は一息安堵を入れると、残るひとり、賢生を睨みつけた。

 

「―――終わりだな、オッサン」

 

 その勝利宣言に、魂の抜けたような表情を浮かべていた賢生は頷いて、認めた。

 

「ああ、そのようだ」

 

 その様子に、古城は密かに拳を作っていた右腕を無言で解いた。

 

 それが娘の望まざることであっても、確かに賢生は幸せを祈っていた。夏音の無事を案ずる瞳には、虚偽のない愛情がある。

 だから、後輩の言うとおり。

 娘と話し合い、その裁きを決める、それがこの男に相応しい罰だ。

 

「夏音……」

 

 吹雪は止み、木漏れ日のような煌めきを持った粉雪が静かに、南の島に舞い落ちる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「暁古城おおおおおおうっ……!」

「き、煌坂? ま、待て、落ち着け。その弓はアレだろ、ヤバい奴だろ―――!?」

「動かないで欲しいんだけど、このケダモノ! あなたは私が目を離すとすぐこれだから!」

「だーっ、だから少しは人の話を聞けって!」

 

 

 それから間もなくして、無人島に沿岸警備隊(コースト・ガード)の巡視船が到着。

 そこに古城たちの行方を探していた紗矢華も乗船しており、雪菜の姿を見つけていの一番に彼女に抱きついて、その無事を確かめた。その際、王女殿下ラ=フォリアとも顔合わせて、案内役としても胸を撫で下ろす。

 だが、そこでバレた。古城が雪菜とラ=フォリア――紗矢華の大事な妹分なルームメイトと何かあれば外交問題に発展しかねない護衛対象に、“吸血行為”を働いたことが。

 そうして、古城は、獅子王機関の呪術と暗殺の達人に剣を持って追いかけられているわけであるが、その監視役の雪菜は沿岸警備隊に事件の首謀者、意識不明のベアトリスとキリシマ、そして、賢生の引き渡しをしており、危機に気づいていない、と言うより、無視している。ラ=フォリアは意識の目覚めた夏音と話し合いをしており、残るは、後輩………

 

「ご主人!」

 

 最終的に<模造天使>を倒したのは古城ではあるが、それに劣らぬ功績を挙げたとも言ってもいいだろう。飛空艇での犠牲者を最低数に抑えられたのも、王女殿下が無事に絃神島に辿り着けたのも、一攻魔官の助手には出来過ぎたくらいだ。

 けれども。

 疲労困憊の中、主を見つけた犬のように真っ先に駆け寄るクロウ。

 それに護岸警備隊と共に無人島に上陸した南宮那月は、重く、細い溜息を吐いて、

 

「森に……帰らなかったのか」

 

 その第一声に、クロウはわけがわからないようにこてんと首を傾げる。

 それに雪菜、そして古城と追っていた紗矢華も気づいて足を止めて視線を集中させる。

 

「帰りたければ帰れ。お前は必要ない……」

 

 投げつけるように言う。

 それでも、クロウは動かなかった。

 

「馬鹿犬」

 

「―――オレは、行かない」

 

 振る振ると、首が横に振られた。

 

「オレは、ご主人の眷獣だ」

 

「………」

 

 那月が言葉を失う。

 それは、南宮クロウがここまで力強く、主に逆らったのは初めてだからだ。

 

「オレは、ご主人のいるこの島にいる」

 

 もう一度、クロウが繰り返した。

 とても強い、意思のある、物言いだった。

 

「………………………お前は……」

 

 那月が長い沈黙の後、何かを言いかけた時、

 

「いらないんでしたら、この子、わたくしにくれませんか?」

 

 笑顔で割って入ったのは、先ほどまで夏音と話し合っていたラ=フォリア。

 古城たちはそれを唖然と見る。自重しろと突っ込むこともできない。雰囲気的に入りこんじゃいけないようなところへ、悠々といけたことにもはや賞賛すべきかとさえ思う。流石は、王女様。

 ただし、古城は、世界最強の不老不死の吸血鬼だとしても、今の女王様な担任の前に死んでも立ちたくない。八つ当たりでサンドバックにやられかねない。

 

「わたくしとこの子、主従として相性が良いみたいなんです。初めてながら戦闘も中々の連携がとれました、ええ、馬鹿犬ではなく、『犬のうち最高のもの(ガルム)』と呼ぶに相応しいとわたくしは思います」

 

 なんて、一国の王女から神殺しの巨狼とも同一視される最高の犬に称された当人は、『がむ……? 噛んでも食べちゃダメだろ?』と疑問符を浮かべている。

 

「それに今回の件で我が『聖環騎士団』の騎士団長も優秀な実力を認めることでしょうし、わたくしのお祖母様もとても気に入っているのです。ですから―――是非」

 

 と最後は、真剣に強めて問われる。

 あながち冗談ともいえない空気に、流石の古城も割って入ろうと、決死の覚悟を決めたところで、

 

「……ふん。随分と気にいられたようだな。第一王女に指名されるとは出世したじゃないか」

 

 吐き捨て、船へ乗り込もうとしたところで、その足が止まった。

 日傘を差し、背中を向けたまま、那月がぴたりと停止していた。

 

「ご主人?」

 

「…………………………………………………………………………」

 

 長い。沈黙があった。

 それから、日傘に隠れる背中はこう告げた。

 

「来い、クロウ」

 

「………!」

 

 ぱあっと、クロウの顔が輝いた。

 

「ご主人ご主人、オレ、いっぱい特訓して、お茶を淹れられるようになったんだぞ!」

 

「調子に乗るな馬鹿犬。そんなのはサーヴァントとして修得して当然の技能(スキル)だ……まあ、後で厳しく味見(チェック)してやるから覚悟しておけ」

 

 とてとてと走り、その斜め後ろに付いた。そして、おっと、と言い忘れていたことに今気づいた風で、クロウのいる方向とは反対側に向いて、自らの眷獣に背を見せるよう――顔を見せぬよう、那月が振り返り、

 

「残念だが、腹黒王女。コイツは私の眷獣だ」

 

 騎士団入りは諦めるんだな、と言い残して、そのまま二人が船に乗り込んだ後、ラ=フォリアはおやおやとその顎を撫でている。

 

 

 そうして、船が絃神島に到着する際、古城はラ=フォリアに話しかけた。

 

 

「ホント、度胸があるというか。那月ちゃんを焚き付けるための冗談でも、死ぬかと思ったぞ」

 

「あら? 冗談ではありませんよ。南宮那月に引き取られることになった叶瀬夏音(おばさま)は王族としての生活を望んでいないと断られてしまいましたし、ならば、こちらもあの子を貰い受けないと割に合いません」

 

「トレードかよ、ったく」

 

 呆れて嘆息する古城に、優雅に微笑むラ=フォリア。

 直々の誘いを断られてしまったけれども、不快よりも愉快がどうしようもなくこぼれてしまったという風でもあった。

 とはいえ、彼女もこれから王族の義務を果たすために、まずは飛空艇襲撃の生還者たちのいる病院へ慰問する予定であるが、これほどの事件に巻き込まれたとなってはお忍びの訪問もできなくなって大変であるのだと。

 

「―――お別れは申しません。あなた方のおかげで、無事にこの地に辿り着くことができました。この縁、いずれまた意味を持つときがありましょう」

 

 気品あふれる口調でそう言って、王女は古城たちの前に出た。

 まずは雪菜を抱き寄せて、華やかな映画のワンシーンのように彼女の左右の頬に順番にキスをする。少しびっくりしたような表情でそれを受ける雪菜。

 それから、パンパンと手を叩く。

 

「呼んだか?」

 

 躾の成果がしっかりと出ているようで、後輩のことが少し心配になる古城。

 やってきたクロウに王女はくすりと笑いながら、ポンポンとその頭を撫でて、『叔母様のこと、よろしくお願いしますね』と雪菜と同じように左右の頬に順番に。

 

 そして最後に、唇の接吻という爆弾を世界最強の吸血鬼に残して、王女は颯爽と去っていった。

 

「―――先輩」

 

「ま、待て。今のは俺は悪くないだろ。あれはたぶんちょっとした挨拶で―――!」

 

 獅子王機関の剣巫と舞威姫―――は王女の案内についていけざるを得なかったが、薄らと殺気を放ち、ギターケースに手を伸ばす雪菜に戦々恐々の古城。

 そこへ追い打ちをかける―――

 

「古城君!」

 

 王女と入れ替わりに飛んできたその声に古城は思わず頭を抱えた。

 この騒がしい足音の発生源は、長髪をショートカット風にまとめた小柄な中学生。古城の妹、凪沙だ。

 

「ね、ね、今の誰!? 夏音ちゃんそっくりだけど外国の人だよね。すごく美人ていうか、王女様みたいっていうか。なんであんな人と知り合いなの。何で古城君にキスしてたの」

「な、凪沙!? おまえ、なんでこんなところに……!?」

 

 妹から早口で絶え間なく質問を浴びせるように受けて古城は半ば放心しつつも、答えようと口を開いた―――そのとき、

 

「っていうか古城君何処に行ってたの―――」

「そのだな、これは」

「―――あーーーーっ!! クロウ君!!」

 

 するり、と古城の隣にいる少年を見てすぐ、横に抜けて妹は後輩の方へ行った。

 

「凪沙ちゃん、お久しぶりなのだ」

「久しぶりじゃないよもう! ホント何日も学校休んでてどうしたの!? 凪沙すっごく心配だったんだよ! もしかして入院してるのかもって! でも、健康そうだし、クロウ君怪我病気とかしそうにないけど」

 

「んー。『トクベツジューヨーゴクヒ任務で北欧から王女様の護衛をしていたのだ』と言えって、ご主人に言われたのだ」

「えー! じゃあ、さっきのってやっぱり本物の王女様だったの!?」

 

 ……なんだか寂しいものを覚える古城。

 よりにもよって最悪の場面を見られてしまい、どんな言い訳をすればあれを誤魔化せるのか、今回ばかりはまったく思いつかず、だから後輩に注意が逸れたことは助かったんだけれど。

 あれ? あいつら距離近くないか? とか。

 ちょっと抱き着きそうな勢いだぞ? とか。

 兄は思うわけで。

 

「おい、―――」

「仕事だから仕方なかったけど、でも、凪沙との約束! 一緒にレジャー施設に遊びに行くって指切りしたのに、もうチケットの期限切れちゃったよ!」

 

 ―――おい。

 

「むぅ。ごめんなのだ、凪沙ちゃん。お詫びに何でもするぞ」

「じゃあ、今度繁華街で今人気のケーキバイキングがあるからそれを凪沙に奢って。それで許してあげる」

 

「うん。わかったぞ」

「クロウ、ちょっとおま―――」

 

 ブラザーストップをかけようとした古城だが、そこで凪沙の背後から現れる人影に気づく。

 今の今まで大切な約束を忘れていた古城は、とてつもなく大事な用件を不意にされた相手の邪気のない笑顔に、瞬間冷凍されたように顔を青褪めさせた。

 

「軍隊がらみの企業に誘拐されたっていうから心配してたんだけど」

 

 どういうわけか気合の入った私服姿の同級生、藍羽浅葱が古城を愉快そうに見つめている。

 つまり、絃神島を離れている間に、浅葱が紗矢華と結託して、こちらの現在情報を調べ上げたのか。

 そして、この港に来ると知り、心配する妹と一緒に来て―――妹と一緒に、“それ”を目撃した、と。

 

「余計なお世話だったみたいね。可愛い外国人とも随分仲良くなったみたいで」

 

「違う! いや、違わないけど、俺と彼女はお前が考えてるような関係じゃないから!」

 

 と古城は主張し、雪菜にも同意権を求めるが、

 

「そうですね……確かに、私が思っていたよりも、ずっと仲良くなっていたみたいですね、先輩と彼女は」

 

 素っ気なく突き放されて、古城の目の前は真っ暗になる。

 そして、その横で、運良く、そのやり取りを見られてなかったらしい後輩は妹と何やら予定について話し合っているという。

 まさに、紙一重で天国と地獄は別けられたらしい。

 

「まあいいわ。時間はたっぷりあることだし、絵のモデルでもやりながら、ゆっくり聞かせてもらおうじゃないの、その理由とやらを」

 

 差し向かいで絵のモデルになるというのは、浅葱が描き終るまで逃げることは許されず、延々と会話を続けなければならないという

 モデルとは、尋問の間違いではなかろうか。

 

「まさか嫌とは言わないわよね。おかげでこっちは俄然、創作意欲が湧いてきたし」

 

 神の御使いにさえ逆らった世界最強の吸血鬼は、同級生の頼みを断ることができず、改めて己の不幸を呪った。

 

 

???

 

 

「―――では、『計画』を変更する。10万の生贄ではなく、<第四真祖>の力を使い、<監獄結界>の封印を破る」

 

「まあ、よろしいですわ<蒼の魔女>。わざわざ愚民どもを集めるのは面倒でありますから」

「10万の恐怖と絶望を味わえないのは残念ですけど。手間を省けるのならよろしいかと」

 

「<空隙の魔女>は、他の<図書館(LCO)>の分隊がその動きを封じる手筈だ。しばらくは、<監獄結界>から出なくなり、魔族特区にも空間の歪みによる混乱が生じるはずだ。

 ―――だが、絃神島には『墓守の番犬』がいる。眠りについている主に異変があればすぐに気づくだろう」

 

「たかが魔族と人間の雑種。さほどの障害とは思えませんわ」

「ええ、私たち、ケダモノの扱いは心得ておりましてよ」

 

「君たちは忘れているのか? <黒妖犬(ヘルハウンド)>はボクの母親と南宮那月と肩を並べるほどの大魔女の最高傑作だ。<守護者>どころか、<堕魂>でさえも喰らうと言われている。<空隙の魔女>と<第四真祖>と同じく、まともにやり合うのは避けるべきだ」

 

「ならば、どうするおつもりで<蒼の魔女>」

「まさか、我らの『計画』を諦めるつもりですの」

 

「それこそまさかだ。<黒妖犬>は大魔女の創った魔導書に等しい魔女の叡智の結晶だ。そして何より、<黒妖犬>は、<監獄結界>とも繋がっている。つまり、うまく利用できれば、捜索の手間が大きく省けることになるんだ。だから、彼をボク達<図書館>の手中に入れる、この『No.013』を使って」

 

「『裏切り』の魔導書!? なるほど、ナツキから使い魔を奪うのね!」

「しかし、その契約を実行するにはまず接触する必要がありましてよ」

 

「彼が、古城――<第四真祖>とその親族と親しい間柄なのはわかってるからね。……あまり使いたくはないけど、“人質”にはあてがある―――だから、キミたち<アッシュダウンの魔女>は手を出すなよ。彼らはボクの持ち物だ。ボクがやる」

 

「ええ、おまかせしますわ<蒼の魔女>」

「ただし、できないのなら、私たちメイヤー姉妹が」

 

「やるよ。それが悪魔と契約した、ボクの存在意義(プログラム)だからね」

 

 

 

つづく

 

 

 

人工島西地区 高級マンション

 

 

「―――どうぞ、なのだ、ご主人、アスタルテ」

 

「……………」

 

「感想。結構なお点前で」

 

「そうだろそうだろ! 後輩ばっかにやらせるのは先輩としてダメだからな、頑張って覚えたん―――だッ!! ~~~なんで殴るのだご主人っ!!?」

 

「おい、これは何だ馬鹿犬」

 

「なんで怒ってるのだご主人? お茶だぞ?」

 

「ああ、茶だ。茶に間違いはない。ポットとティーカップに淹れられているのは、まさかとは思うまいが、緑茶か」

 

「そうだぞグリーンティーだ」

 

「お前はどこに行っていたつもりだ?」

 

「あっちでは日本文化ブームでな、ニンジャとサムライと茶道が人気だそうだぞ。それにフォリりんももともと欧州ではグリーンティーが主流だったって言ってのだ。だから、古来格式あるお茶なのだ」

 

「あの腹黒王女、馬鹿犬に変な躾けをするだけでなく、余計な屁理屈まで覚えさせるとは……」

 

「指摘。そのポットはコーヒーと紅茶の兼用です先輩。教官(マスター)は、各紅茶に専用のティーセットを使い分けるこだわりをお持ちです」

 

「む。そういえば、ポットとカップが何種類かあったな、なかなか奥深いぞ」

 

「急須と湯呑を買ってから出直してこい、馬鹿犬!」

 

 

 

つづく


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