ミックス・ブラッド   作:夜草

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天使炎上Ⅲ

彩海学園 生徒指導室

 

 

『なあ、ご主人。……昨日、女の子泣かせちゃった』

 

『ふん。馬鹿なことをしたな。古来より決まって、何があろうと女を泣かした男が悪い』

 

『ただ、落とし物、渡そうとしただけなんだ。なのに、皆から、すっごい目で睨まれた。……怪物だって、言われたのだ』

 

『そうか。その言い分に、何の間違いはない。その通りだな』

 

『ちゃんと契約、守ってるのに……オレ、学校、やってけるのか』

 

『知らん。そんなウジウジとした悩み、いちいち聞かせるな。いくら嘆こうがキリがない。それで話は終わりか馬鹿犬』

 

『……あのさ。もしオレが!』

 

『………』

 

『……やっぱ、何でもないぞ』

 

『殺してやる』

 

『―――』

 

『私が、殺してやる』

 

 

 

『ん』

 

 

 

『今日は、ここにいろ。……こんなどうしようもないバカ、ひとりにさせる方が問題だ』

 

『う。わかったのだ、ご主人』

 

『様を付けんか、馬鹿犬』

 

『ゴシュジン、サマ』

 

『5文字以上になると素直に覚えられないのかお前は』

 

『うーん? よくオレもわかんないけど、ご主人に連れられたから、なんか頭がずっといっぱいなんだ。それにご主人はご主人で覚えちゃったからな。

 あ、でも、ウルトラスペシャルDX大盛りミノタウロスチャーシューメンは一発で覚えたぞ。どうだ! ご主人は言えるか?』

 

『人語を喋れ、馬鹿犬』

 

『むーーーっ!?』

 

 

金魚鉢

 

 

 島に付いた揚陸艇から、最初に姿をさらしたのは革製の真紅のボディスーツを身に纏い、前のチャックを開けて大きく胸元をはだけさせている、古城たちを接待したときに付けた仮面を剥がし、攻撃的な笑みを向ける、襲撃時BBと呼ばれたべアトリス=バトラー。

 

 女吸血鬼に上陸したのは、敬虔な聖職者を思わせる、奇妙な威圧感を発する男。

 峻厳な顔つきをした、白髪混じりの男で、年齢は間もなく50に手が届くかというあたり。けれど、この男は僧侶でも牧師もない、むしろそれらとは対極にある存在。錬金術と魔術を極め、人の手で神の使いなるものを創造せんとする異端者なる信念の持ち主。

 すなわち、この男こそが、元アルディギアに仕えた王宮魔導技師、叶瀬賢生。

 

 そして、最後に、古城たちをヘリでこの金魚鉢と呼ばれる無人島に連れてきた全身に紅い刺青を入れた男、ロウ=キリシマが甲板に顔を出す。

 

「よう、バカップル。元気そうだな。仲良くしてたか―――?」

 

「……ロウ=キリシマ……てめぇ、よくもぬけぬけと」

 

「待て待て。恨むならあの女を恨めって言っただろ。俺はただの使いっ走りだっての」

 

 殺気だった古城の眼光を、手を振って流しながら、彼はその横にいるクロウに視線を向けている。血走る双眸で、刺すように。そして、己をその胸に立てた親指で指しながら。

 

「飛空艇以来だなぁ、ガキ。聞いたぜ、お前さんが魔女(ニンゲン)のお気に入りの『黒』シリーズの成功例か。だが―――俺が次代の<黒死皇>だ」

 

 その渇望した感情に呼応して、脈打つ真紅の刺青。

 

「やっとだ。この日をずーっと待っていたんだ。ああ、つらかったぜェ……内臓はグシャグシャで体中の至る所を改造した。お前の資質が金の卵なら俺は泥の塊だ! だが、底無しの泥が金を呑むトコを見せてやる!」

 

 獰猛に犬歯をむき出しにしてキリシマは笑った。彼の痩身が大きく膨れ上がり、漆黒の毛並みの獣人と化していく。

 対して。

 その月の光を取り込むように総身を輝かせて―――南宮クロウも、銀色の毛並みをもった獣人となる。

 

「オマエ、勘違いしてる。成功でも金でもない、オレはただ生き残ってるだけだぞ」

 

「ハッ、そうだ。“生き残ってる”奴が強い」

 

 『血の従者』にした獣人の昂ぶりに反し、主の女吸血鬼は気だるげに髪をかき上げて、ラ=フォリアは無防備に前に出た。

 

「久しぶりですね、叶瀬賢生」

 

「殿下におかれましてはご機嫌麗しく……7年ぶりでございましょうか。お美しくなられましたね」

 

 恭しく胸に手を当てて一礼する叶瀬賢生に、水を浴びせるような冷たい口調でラ=フォリアは返す。

 

「わたくしの血族をおのが儀式の供物にしておいて、よくもぬけぬけと言えたものですね」

 

「お言葉ですが殿下。神に誓って、私は夏音を蔑ろに扱ったことはありません。私があれを、実の娘同然に扱わなければならない理由―――今のあなたにはおわかりのはず」

 

 これが幸せだと疑いなくその目には微塵も陰がない。

 だが、実の娘も同然のものを人外に仕立て上げようとする賢生にラ=フォリアの目もより鋭さを増す。

 

「叶瀬夏音はどこです、賢生」

 

「我々が用意した<模造天使>の素体は7人。夏音はこれらの内3人を自ら倒しました」

 

 宮廷魔導技師であった賢生が丁寧な語りで、その計画を明かす。

 

 3人を倒した夏音は、途中で敗北した者たちの分も含めて6つの霊的中枢をその身体に取り込んだ。

 人が生まれ持つ7つの霊的中枢と合わせて、これで13。それらを結びつける小径(パス)は30で、これは人間が持つ己の霊格を一段階引き上げるのに必要十分な最低数に達している。

 

「まさか、叶瀬さんは、そのために自分の同類を……!?」

 

 その説明に、胸を震わす姫柊雪菜が最初に覚えたのは、無論感動ではない。

 恐怖と驚愕、そして怒りだ。

 めったに人に強い感情をぶつけることのない雪菜にそこまでの感情を抱かせる。

 そして。

 

「そうか」

 

 静かに―――クロウは目を瞑る。

 激しく憤りを露わにする雪菜に、クロウは深く練り込むように、静める。

 まず彼が覚えたのは怒りではなく、同情。哀しみ。

 『自分の死霊術を練習させるために』、クロウも8人の同類を殺され、それが罪深いことを知らず、言われるがままにその骸を蘇らせていた。今、夏音に自意識がなかろうと、それは永遠と残り続ける罪となるだろうことが、この場にいる誰よりもわかっていた。

 

 そして、古城も賢生の説明の全てを理解できなくても、この二人の後輩の反応で、動揺させるには十分足る。

 

「<模造天使>の儀式というのは、所謂蠱毒の応用です」

 

 候補者同士を互いに争わせ、勝ったものが負けたものの力を喰らい、そして最後まで生き残った者が最良となる。

 

 霊力の源である霊的中枢はすべての人間に等しく備わっているが、それを100%に駆動できるものはそういない。一流の霊能力者でも30%を出せれば上等で、100%まで引き出せたならそれは神仏に等しい覚者と呼ばれるだろう。

 

 だが、たとえ100%に引き出すことができなくても、30%の引き出しで覚者の100%の出力に至るほど潜在値を底上げすれば、人間は神に近き者――『天使』へと霊的進化することができる。

 

 そして、そんな非人道的で、大規模な、完璧違法である<模造天使>の実験は当然、個人で行えるものではなく、賢生を支援するスポンサーがついている。

 それがメイガスクラフト。

 『天使』という強大な戦闘力を持った存在の製造法を確立させ、量産できれば、それは既存の軍事バランスを崩しかねないほどの兵器となる。

 

「でも、改造済みの叶瀬夏音からは細胞が抽出できないのよねぇ。そんなときにちょうどよくあんたが来てくれたわけ、アルディギアのお姫様。だから、無駄な抵抗はやめて投降してくれないかしら。別に生きてなくてもいいんだけど、死んでたら細胞を取り出すのっていろいろと面倒だから」

 

「企業の走狗如きが、誰に指図してると思ってるのですか。身の程を弁えなさい」

 

 その氷河の碧い瞳の色と裏腹に、その眼光は燃えるようだった。

 重度の凍傷は、火傷するように熱いと感じさせると同じ。

 それに僅かに臆したベアトリスは振り払うように強気に、不気味なほど白い牙を見せつけるよう、嘲笑う。

 

「舐めた口をきいてくれるじゃないの、雌豚。精々死なないことね。あとで死んだ方がましってくらい、気持ちいい思いをさせてあげるからさァ」

 

 酷薄そうに舌なめずりし、気だるげな視線を古城と雪菜に合わせる。

 

「で、そこの坊主は除いて、あんたたち二人にはチャンスを上げる」

 

「どういう意味だ」

 

 答えず、ベアトリスは、賢生を見る。彼が黒服の懐から小型の制御端末を取り出し、キリシマが開けた管板に積まれたコンテナケースの“中身”へ向ける。

 その棺桶を連想させる形状の気密コンテナは、ドライアイスのような白い冷息を吐き出しながら開封され、そこに横たわっていた小柄な少女の姿があらわとなる。

 

 患者服に似た簡素な衣服。

 剥き出しの細い手足。

 不揃いの醜い翼。

 けれど、その零れ落ちた銀髪と、その光のない碧い瞳。

 

 ―――叶瀬夏音!

 

 眠りから覚めつつある少女に、古城たちは同時にその名を呼んだ。

 けれど、その声に反応を示すことはない。

 動揺する古城たちに、無感情のままベアトリスは宣告する。

 

「純粋に高め上げた私たちの『商品(てんし)』。そこの『黒』シリーズなんて混じり物とはわけが違う。<第四真祖>に、獅子王機関の剣巫。これだけあれば十分ね。二人がかりで構わないからさ、あの子と本気で遊んでくれる?」

 

「―――っざけんな。 なんで俺たちがそんなことしなきゃなんねーんだよ!?」

 

 古城の怒声を、ベアトリスは眉ひとつも震わせずに流して、逆にこんなわかり切ったことが何故わからないのかと蔑む調子で言う

 

「売り込みに使うのよ。我が社の『天使もどき』が、『世界最強の吸血鬼』をぶち殺しました―――ってね」

 

「叶瀬さんを、兵器として売り出すつもりですか」

 

 雪菜の槍の刺突のような追及に、女吸血鬼はにんまりと笑みを作り、

 

「ちょっと違うけど、そんなに外れてもないわね。まあ、戦う気がないってんなら、別にそれでも構わないわよ。大人しく死んでもらうだけだから。残念ね。無事に生き残れたら、あんたたちは見逃してあげようと思ってたのに」

 

 ―――それにほら、彼女のほうはすっかりやる気みたいよ。

 

 なっ……!? と愕然する。

 不揃いな翼を展開して、天の高みへと昇る夏音。

 仮面に覆われていないその素顔に、活気はなくて、感情の色はない。

 徐々に増していく禍々しい後光は、古城たちと対峙した昨夜と同じ、それ以上に瘴気が強まっている。

 人というあらゆるものを禊いで――身削いで、人から外れている

 でも、

 

「まだ、間に合うぞ」

 

 まだ誰も殺していない、手遅れではない。

 その確かなことに、クロウは拳を握る。

 

「あなたはそれでいいのですか、賢生」

 

 ラ=フォリアが問いの視線に、賢生は背中を見せ、制御端末を操作する。

 

 

「起動しろ、『XDA-7』。最後の儀式だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 まず先手を打ったのは、雪菜だった。

 翼を広げた天使に、放たれる銀色の閃光。

 あらゆる魔力を無効化する<雪霞狼>の一刺は、人の手で作り上げられた天使――その<模造天使>の儀式術式を切り裂かんと、完全に動き出す前に狙ったのだが、それは弾かれた。

 獅子王機関の秘奥たる『七式突撃降魔機槍』には、『神格振動波駆動術式(DOE)』が仕掛けられているが、相手は人の手が生み出した神性ではない、神の後光と同じ本物の神性を帯びた天使。

 

「通じはせんよ。同じ人の手から生み出されたものでも、人間性と言う不純物の一切を取り除いた<模造天使>が放つのは真の神の波動。『神格振動波駆動術式』とは格が違う」

 

 真祖の眷獣すら斃し得る降魔の槍をここまで完全に無効化されたのは初めてのことでショックは隠しきれないものがあるが、それでも雪菜は怯まなかった。

 天使に攻撃が効かないのならば、その天使を指揮する制御端末を奪う。

 しかし、賢生の前に、真紅の槍を持つ女吸血鬼が雪菜を阻む。

 

「―――あんたの相手はこっちじゃなくて、そっちの『商品』だっての」

 

 気だるげに、けれど、その眼光は鋭く。

 見た目は華奢な雪菜より、20cmも大柄な女吸血鬼。それが手にする得物も同じその身長を上回る長槍で、まさに大人と子供。

 

 そして、剣巫と互角以上に打ち合える自信が、女吸血鬼にはあった。

 

「―――っ!」

 

 す、と雪菜の手が動き、銀槍が閃いた。

 夕闇に迸った刃は、一呼吸に3つを数えた。いずれも魔族吸血鬼の行動を不能させるよう詰める連撃、高神の社で練磨された剣巫の技量がその三段突きを成す。

 手応えはあった。

 真紅の槍の正体を知らずとも、それが禍々しくも強烈な魔力の波動を放っている。何らかの魔術によって生み出された武器であるのは間違いなく、ならばこそ<雪霞狼>を持つ雪菜の敵ではない。

 

 一撃目の牽制で、相手の立ち位置を誘導――その際、女吸血鬼の身のこなしから、武術の類を習得していないことを覚る。

 

 そして、二撃目で降魔の槍で紅の魔槍を弾き飛ばして、三撃目で女吸血鬼を討つ。

 

 だがその手筈は、ベアトリスの哄笑に遮られた。

 

「<蛇紅羅(ジャグラ)>! 串刺しにしてやんな!」

 

 雪菜の放った二撃目、その紅の魔槍を狙った巻き込みは―――直前、紅の魔槍が蛇のようにしなって躱されて、勢いのままに三撃目を放った雪菜へ、ありえない角度とタイミングからカウンターを繰り出された。

 

「―――っ!?」

 

 一瞬先の未来を察知する剣巫の霊視で、雪菜はその奇襲を避けることはできたが、後退を余儀なくされる。

 

「まさか―――眷獣が、槍の形に!?」

 

 鮮血噴き出し召喚させた真紅の槍は、“女吸血鬼の眷獣”。

 『意思を持つ武器(インテリジェント・ウエポン)』――武器のカタチをした眷獣。

 その真紅の槍は、同じ吸血鬼『旧き世代』の貴族ヴァトラーの“蛇”に比べれば、格が落ちるだろう。

 だが、人間ひとりを殺すのに、街ひとつを破壊する攻撃力はいらない。

 無差別に破壊を撒き散らす爆弾のような強力過ぎる眷獣は、逆に対人戦闘には向かないこともある。

 攻撃力の全てを、ひとりの敵に注ぎ込むことができる、対人戦闘において効率的な眷獣。

 

 

 そして。

 

 

 圧倒的であった―――

 その姿へ変貌してから、頑強と剛力は十二分に予想されたものではあったろう。

 けれどまさか、ここまで桁違いの怪物であるなどとは予想し得まい。

 

 4mを優に超す分厚い体躯を有した完全なる獣、鋼鉄の如き肉体を備えた狂暴の塊は、けして鈍重の巨怪ではない。

 <模造神獣>

 『人間を天使へと霊的進化させる』<模造天使>の儀式研究の副産物、『獣人の中でも古代種たる上位の存在しかなれない<神獣化>へと格を上げる』<模造神獣>

 『旧き世代』の眷獣をも超える龍や鳳凰と同格の存在に至った<神獣化>を、外科手術による身体改造で、キリシマは成しえた。

 

「サテ、俺ノ相手ハオ姫様ダガ―――」

 

 漆黒の巨獣へ轟音と共に襲い掛かる掃射。

 放ったのは金管楽器に似た美しい装飾の拳銃を構えたラ=フォリア。

 だが、そのフルオート17連射にも無防備に立ち尽くすだけのキリシマの肌に、漆黒の体毛に悉く弾かれる。

 

「王家ゴ自慢ノ拳銃ダガ、琥珀金弾(エレクトラム・チップ)ジャア、今ノ俺ニハ豆鉄砲ダ」

 

 キリシマの皮肉に、表情を険しくさせたラ=フォリアは無言で後退しながら、次の弾倉に交換。王女とは思えない手際の良さで拳銃の再装填を行い、また17発の弾丸をお見舞いする。

 だが、

 

「バクンバクンバクンッ!!」

「っ……」

 

 ラ=フォリアが、こめかみに冷や汗を浮かべた。

 寸分たがわず眉間めがけて撃たれた対魔族の弾丸を、キリシマは食べてしまったのだ。

 

「ゲラゲラ! ソレト今ノ俺ハ結構ノ悪食デナァ。デモ、ヤッパリオ姫様ノ方ガ旨ソウダ」

 

 三度再装填―――だが、それよりも迅く。

 爛々と、狂気に紅く輝かせる瞳が線を引く。

 

「手足ハ喰ッチマウガ構ワネェヨナァBB!」

 

 近寄らせるな。

 その超常の膂力によって破壊をもたらす殺戮に巻き込まれる。

 だが、その前に立ちはだかるは凄絶なまでに精確俊敏の戦闘を行う殺戮機械として創り出された『黒』シリーズ。

 魔族と人間の『混血』たる銀人狼。

 

「……クロウ!」

 

 王女を守護するは。

 かつて神々の兵器さえ生み出せる超人類により世界最強として造られた古代の人造魔族が、<第四真祖>ならば。

 それは最古の獣王と最新の超能の遺伝子を魔女が配合した現代の人造魔族。

 今の世代に現存する材料の中で、最高傑作であるはずの彼へと。

 王女の悲痛な呼び声が、島に響いた。

 

 端的に状況を表現するのであれば、予想を現実が上回った。

 敵を過小評価したという方向で。

 

 空挺船時、獣化の状態だった相手を、人型のまま圧倒したのならば、<神獣化>しようと、獣化した彼ならば、互角にまで持ち込める、と誤認したのだ。

 そう、<雪霞狼>が<模造天使>の格に負けるように。

 確かに、獣化された<黒妖犬>は強力だ。

 いぶし銀に光る体毛は多くの攻撃に耐え、気功でさらに硬化された鉤爪は多くの障害を切り裂くだろう。合わせて、<天部>に匹する超能力、高位の精霊使いに等しい力の応用はあらゆる場面で活躍ができるだろう。

 

 ただ、それが仮であろうと相手は<神獣化>している。

 それは5倍から10倍と獣化の強化比率を大きく上回る。そして、『血の従者』となっていることで身体能力はさらに底上げされて、生命力は底なし、『血に飢えた漆黒の狂獣(ブラッディウルフ)』。

 

 初撃同士が激突した時点では、まだ、どちらにも優劣はなかった。

 

 巨大な漆黒の狂獣と人型の銀人狼。

 衝突に砂浜に線を引いて退けられたものの、クロウはキリシマの突進を押し返し、勢いを殺した。

 力は互角、とは言えないが、それでも食らいつけないほどではない。

 そこへ王女の援護で敵を倒し得るだろうと―――けれど、衝突でお互いに身体を弾かれながら、瞬時に体勢を整え直してからの高速戦闘。

 王女は、この時点で置いていかれた。

 ただの人間の目には留まらない、超高速の世界だ。最新のハイスピードカメラだろうと残像しか映らないかもしれない。

 なおかつその一打ごとに大型車両の激突にも等しい運動エネルギーが繰り出されて、衝突のたびに凄まじい風圧が生じて、無人島の大地は揺れて、海面に漣が起こる。王女を背に庇いつつも、銀人狼は死そのものに等しい狂獣の猛攻を正確かつ精密に防ぎ、弾き、逸らし―――

 たった数秒の中で刻まれていく拮抗。

 

 だがそれはすぐに崩された。

 

「イイゼイイゼェ! ダガ、マダダ。マダ強クナル。ソウダ俺ハ―――!!」

 

 戦闘の最中でも、いや、血が滾る戦闘の最中だからか。

 血の狂獣は、なおも“巨大化を続けていた”。

 最初の4m級から今や全長5mに達する。これで、第四真祖の眷獣を超すサイズだ。成長は留まらず、血を流すたびに、血を吐くたびに、さらに。さらに。さらに。

 

「く……はッ……」

 

 銀の狼頭、その口角から真紅が一筋垂れる。

 巨大化に比例する馬力と重量。攻撃力が受け止めきれる限度を超え始めている。

 怯む。それを漆黒の狂獣は逃さず、血濡れた巨腕の熊手を横薙ぎ。

 銀人狼が瞬時に砕ける。実物ではない、生体障壁の応用変形、別けたる気功術の分身。

 そして本物は紙一重で懐に潜り込み、人間を超えた拳速。

 

「でっかくなったけど、オマエ、隙だらけだ」

 

 当てずとも当てる当身の極致、『青竜殺陣拳』と名付けられた獣人の力を引き出した果てにある四つある奥義のひとつ。

 

 血の狂獣は左腕を肩ごと―――その心臓のある左胸ごと空を抉り貫かれた。

 間違いなく、致命的な一撃。

 古豪の盟友により鍛え上げられた技量により、辛うじて血の狂獣に勝ちを拾ったか。

 

 否。

 

 まだ、終わらない。

 殺戮機械として造り上げられた戦闘本能が訴えている。

 この相手は殺しただけでは止まらない。

 

「―――俺ハ、モット強クナル」

 

 そう、心臓を喰われたはずの巨体は未だ倒れず。血の狂獣は、負の生命力が滲むが如きのアカい息を、今も、激しく口元から噴き出しながら直立している。死んでいない。致命傷を受けようが、敵の血でその渇きを潤すまでは、戦闘は終わりではない。

 

「オ前ガ、ドレダケ優レタ獣ダロウガ、俺ハドコマデモ狂ッタ超獣ダ」

 

 戦意、充分に不足なし。殺意、昂りに限度なし。

 時計が逆しまに戻すかのごとくして、左腕が、左肩が、左胸が、そして、心臓が、再構成される。

 死からも蘇る―――真祖にさえ迫る再生能力。

 

「ソウダ。俺ハ死ヲ超越シタ不死(シナズ)ノ獣王―――新タナル<黒死皇>!」

 

 復元された左腕が振り下ろされる。砂浜の土砂を撒き散らし、大気が爆散する。銀人狼は直撃こそ免れたが、異常な打撃の圧に吹き飛ばされる。

 

「子犬ミタイニ小サイナァ。ホラ、今度モ避ケナイト撥ネ飛バシチマウゾ」

 

 屈伸して、大地を蹴る。

 蹴り飛ばした余波に背後の海が割れ、未だ宙にあるクロウへ迫る。加速。加速。ただ頭からぶつかる突撃体勢。全長5mを超えた巨体は最早それだけで、災厄の一撃と化す。

 

 衝突。

 吹っ飛ばされた身柄は沿岸の向こう、無人島の樹林へ木々を巻き込み、最後はコンクリートで固められたトーチカに埋まる。

 

 そして、銀人狼を抉った、その肉片を大口開けた頭上で、握り潰して、果汁のように絞り滴るその血を伸ばした舌の上に落とす。

 

「オオオォーーーッ!! ヒャハハァアアアッ、ウメエェッウメェヨォ!! アイツノ血イイットロトロウメェヨォ、キヒヒヒヒィ!!!」

 

「黙りなさい、この畜生」

 

 指をしゃぶるまで血の渇きを満たす快楽に水を差した、氷河の如き一喝。

 ギョロリ、と狂獣の紅い炯眼は、守りのいない、しかし依然とそこにいるラ=フォリアを捉えた。

 

「オイオイ、ドウシテマダソコニイルオ姫様。船ノヨウニ、騎士ガ足掻イタ時ノヨウニ、トット尻尾ヲ巻クヨウニソノ尻振ッテ逃ゲナイノカァ」

 

 ゲラゲラゲラゲラ!!

 

 哄笑。

 口角から血飛沫飛ばし、その残酷な声で狂い悶える。

 

「弱ッチイ餌ッテノハ、仲間ヲ犠牲ニシテ生キ延ビルモンダゼェ。虫ダッテ魚ダッテナンダッテソウジャネェカ。人間ダッテソレデイイダロウ? ハ? ソレガデキナインナラオ姫様、ソリャ虫ケラ以下ッテコッタ! 違ウカヨ!?」

 

 ゲラゲラゲラゲラ!!

 

 笑う。嗤う。愚かで弱者な王女を嘲る、狂獣の声。

 攻撃も通じず、守りもなくなった王女を見下しながら、狂獣は明らかなまでに愉しんでいた。

 絶望を。諦念を。後悔を。鮮血ではなく、そういう類いの感情を味わうために、味わいたいのだと、心の底から思っている残酷な雄叫びをあげていた。聞けば誰しも虫唾が走り、邪悪、と断言するだろう怖気のする狂笑ではあった。

 

 

 だが、それは、“二つの天変地異”に中断を余儀なくされた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

Kyriiiiiiiiiiii(キリィィィィィィィィィィ)―――!」

 

 

 宙に浮かび、全身を魔術紋様に輝かせた叶瀬夏音の喉から甲高い絶叫が迸る。

 人間の声帯では出せないであろう声はあまりに凄絶で凄愴。そして、天上に近き聖性を帯びた荘厳な悲鳴。

 その神性の後光はより強くなり、神の僕に相応しき形へと変貌する。

 口腔を埋め尽くしていた牙が抜け落ち、かすかに人間味を残していた顔立ちは、黄金律を体現した美貌を獲得する。

 不揃いだった醜い翼は、光り輝く三対六枚の美しい翼へと生え替わり、その表面に天上から裁くべく不浄を見抜く巨大な眼球を浮き上がらせる。

 

「これが……<模造天使>か……!?」

 

 <模造天使>が放つ攻撃的な波動に、<第四真祖>暁古城は圧倒されて、歯軋りをした。

 その光を浴びて、吸血鬼化した肉体はその危険性を灼けつくような痛苦で訴えている。『仮面憑き』と呼ばれていたころはまさしく蛹であった。今、完全に羽化しようとしてる天使は以前とは比べ物にならない圧倒的な魔力、いいや、神気がある。

 

Kyriiiiiiiiiiii(キリィィィィィィィィィィ)―――!」

 

 二度の咆哮。同時に、翼面の眼球から発射される眩き陽光の如き熱線閃光。それは途上で巨大な光剣となり、古城へと降り注ぐ。

 

「やめろ、叶瀬……!」

 

 叫ぶが、届かないか。

 神の御使いである天使に、神に呪われた“負”の生命力の塊である吸血鬼は滅ぼさずにはいられない、いわば“天敵”。ましてや、暁古城は真祖。

 

 地面に突き刺さった巨大な光剣の天罰は、地上に巨大な爆発を生み出し、凄まじい破壊をもたらした。硬い岩盤が粉微塵に砕け散り、紅蓮の炎が吹き荒れる。

 そして、敵を殲滅するまで容赦なく、天罰は止まらない。

 このまま攻撃が続けば、遠からずこの島そのものが消滅することになることは予想し難くない。誰かが止めなくては、ここにいるみんなが犠牲となる。

 

 くそ、とこの選択の余地のない状況に古城は舌打ちし、その腕を高々に天へ挑まんと突きあげる。

 

「―――疾や在れ(きやがれ)、<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>! <双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>!」

 

 雷光を纏った獅子と、振動の塊である双角獣が、空に舞う天使へと突撃した。それぞれが膨大な魔力を秘めており、天災にも等しい破壊をもたらす。

 神々の兵器<ナラクヴェーラ>さえも粉砕したその真祖の眷獣による同時攻撃は、本体ではなくて、その翼面の眼球を狙うが―――神々の使徒たる天使の体には傷ひとつもつけられなかった。

 蜃気楼のように肉体を揺らめかせただけで、すべての攻撃は<模造天使>をすり抜けていく。引き裂かれた大気が軋み、稲妻が蒼穹を貫くが、天使は無傷のまま悠然とこちらを見下している。

 

「無駄だ、第四真祖よ」

 

 賢生が古城に呼びかけるが、その視線はこちらを向いておらず。

 彼は達観したような表情で、何も感慨もなく、ただ空を見上げて、天使を観察している。

 

「今の夏音は、既に我らとは異なる次元の高みに至りつつある。君の眷獣がどれほど強力な魔力を誇ろうとも、この世界に存在しないものを破壊することはできまい―――」

 

 哀れみを向けられても、実験は止めない。

 <模造天使>の六枚の翼に浮かぶすべての眼球は、古城に固定されている。

 そして、ガンマナイフの如く、六つの眼球から放たれる神性を帯びた陽光は、古城を焦点に結ばれる。

 逃げ場のない、包囲からの一斉。そして、絨毯爆撃の天罰。

 

「叶瀬―――――っ!」

 

 天使――夏音へ手を伸ばし、空を握る。何も届かず。吼える古城は、瞬く閃光にその身を貫かれる。

 全ての音が消滅し、古城の心臓に突き刺さった光は、苛烈な衝撃と炎を伴って、人々の視界を真っ白に染める。

 その純白の世界で、吹き飛ばされた古城の体は、スローモーションのようにゆっくりと背中から地面へバウンドして倒れた―――

 

「もう終わりか……」

 

 天罰を受けた真祖。

 溶けた岩肌が白く蒸気を吹き上げてる、その半球状に抉られた爆心地に倒れた、そして、そこから爆風に飛ばされてラ=フォリアの足元まで転がった暁古城の肉体は原型を留めているのが不思議なくらいズタズタに引き裂かれていた。

 

「先輩!?」

「古城!」

 

 ラ=フォリアがその脇に膝をついて、吹き荒れる暴風に逆らいながら雪菜が駆けつける。

 そんな絶句する少女たちを眺めて、漆黒の狂獣は白けたような口調で呟く。

 

「世界最強の吸血鬼にしちゃ、ずいぶん呆気なかったな」

 

 今この場で、最も“負”の気配が強いのは狂獣だろう。制御が効くとはいえ、暴走すれば巻き込まれかねない。真祖をも滅する天使に、流石に相手はしてられないだろう。

 一時、<模造神獣>を解いたキリシマは、途端、暴風が勢い増したことに気づいて表情を緊張に歪ませる。

 肌にぶつかってくる風の中に、刃物ような感覚が混じり始めている。それは暴風に巻き上げられた海水が凍りついて、鋭い刃物と化しているのだ。

 

 これは……第四真祖の眷獣が暴走してやがるのか!?

 

 宿主を失った<第四真祖>の眷獣が制御を離れて暴れ出す。このまま真祖の巨大な魔力が無秩序に暴走を続ければ、この無人島どころか、半径数十km以内の海域に致命的な被害が発生しかねない。

 さらに、

 

OAaaaaaaa(オアアアアアアア)―――!」

 

 天使の慟哭は、竜巻と化す。

 血の涙を流すその嘆きは、周囲の海水を凍りつかせながら暴風圏域を広げる。

 それは制御端末を手にした賢生にも御し得ない。

 人の手の届かない、被昇天の段階へと至ろうとしている。

 

 そして、取り巻く竜巻は完全凍りつき、巨大な柱と化していた。螺旋状に渦巻く地上部分は直径10mに達し、尚も成長を続けている。

 揚陸艇さえもその内部に取り込まれ、島を完全に心象風景を投影したその吹雪に閉じ込める。

 その台風の目たる中心で、

 

「先輩! 暁先輩―――!」

 

 獅子王機関の剣巫は倒れた第四真祖に縋り付いて、そして、北欧の王女は頭上に屹立する氷の柱を眺めている。

 

「<模造天使>……いえ、叶瀬夏音……あなたは……」

 

 氷雪を纏う巨大な柱は、“バベル”と呼ばれた天を衝く聖塔によく似ている。

 そして、その頂上で泣き続ける天使はいずれ、天上へと―――

 

 

 

「どうなってんのよ、これは」

 

「おい、BB、一端退くぞ。あんなのに巻き込まれたら終わりだ」

 

 一時撤退する女吸血鬼と漆黒の獣人。

 猛烈な吹雪に囚われた第四真祖たちは天使の暴走に巻き込まれたが、勝手に制御不能となる兵器など『商品』としての価値の低い不良品だ。

 あの魔導技師、腕がいいと思っていたが、

 

(ちっ、やる気失せるわ、ったく……『保険』を作っておいて良かったわねホント)

 

 揚陸艇まで凍りつけられてしまったが、あの第四真祖を竜巻に取り込んでから小康状態に落ち着いた。

 とりあえず、安全域まで―――

 

 

 ご! ご! ごごごごごっ!

 

 

「っ……!!」

 

 地鳴り? いや、地鳴りのように思えたのは八里八方にまで轟くほどの獣の吼え声。ただの声が、この無人島一帯の海域も含めて揺るがす。

 そして、森の奥の奥に、獣人種の並外れた視覚がそれを捉えた。

 

「お前……俺が殺したはずじゃ……!」

 

 歪、だった。

 遠く、鬱蒼とした森の陰で一際に輝くその腕。

 『首輪』を外していないのに、左の片腕だけ。その鎌のような爪がさらに伸び、腕は岩のようにゴツゴツと、二回りも大きく膨れ上がっており、銀ではなく、黒ずんだ金色に染まっている。それが纏うは、大気が揺らぎ、ちりつくほどの激しい獣気。

 

 

「■■■■■ッ―――!!!」

 

 

 振り上げられた巨腕。

 

 それは、島の硬い岩盤を、割った。

 

「ッ……!! んな……、馬鹿な……!!」

 

 その一撃―――にもならない余波は、誰にもいない方へと放たれた。だが、それはこの島のほぼ中央に位置するトーチカから向こう先の島の縁まで抉り、留まらず突き抜け、遥か数km先まで海を真っ二つに分けた。

 キリシマの<模造神獣>より、身体全体が桁外れに大きくなったわけではない。ただ、片腕だけ部分的に<神獣化>した、というべきだろう。なのに、この秘められた力はどうか。

 まともに当たっていれば、原子分解さえ起こすであろう、物理衝撃極まった打撃。三撃も大地を打ち下ろせば、跡形もなく無人島は壊れるだろう。

 

「なによ、あれ……っ!?」

 

 そして、その足元の影が、ひどく汚穢(おわい)な闇となって広がっている。その“半端な”状態を許さぬか、影は『混血』を喰らうように咢を開らく。

 

 

アマルゴーサ

 

 

「……空が―――」

 

 それに、大地まで騒いでいる。

 

 <第四真祖>失踪の件について調べようと、『メイガスクラフト』社のデータを<電子の女帝>藍羽浅葱が探った結果、相手の拠点『仮面憑き』の研究施設と思しきこの貨物船『アマルゴーサ』へ事情聴取と言う体で獅子王機関の舞威姫・煌坂紗矢華は乗りこみ、これを制圧。

 自動人形の警備網が敷かれていたが、自らの武神具<煌華麟>を振るいこれを退け、そして、黄金の怪腕を従え、空間制御と言う高等魔術を呼吸するように使いこなす攻魔師官<空隙の魔女>・南宮那月の助力を得てすべてを撃退する。

 

 しかし、そのとき。

 海上、水平線の彼方にあってなお感知できる強大な反応。

 そこには海面が半径数kmもの範囲にわたって凍り付いていており、天高く雲を貫く螺旋に捩じれる氷柱の巨塔がそびえていた。

 

「まさか、あそこに……!?」

 

 あれだけの大異変の発生源だ。ならば、そこには強大な存在がいて、紗矢華の心当たりにあの<第四真祖>の男子高校生の顔が浮かぶ。

 それは一時の協力者である那月も同意見のようで。

 

「どうやらあの第四真祖(バカ)は、また厄介なことに巻き込まれているらしいな―――!!?」

 

 瞬間、無表情のまま溜息を吐こうとした那月が、大きく見開いた。

 

 聴こえた。

 陽光に煌めく氷の尖塔のある島を発信源に、ここまで届くその雄叫びが。

 

 同時。

 その無人島を覆う氷の一部が、内側からの衝撃に吹き飛ばされた。

 

第四真祖(バカ)だけじゃなく、馬鹿犬までいるようだな―――それも、暴走しかけている」

 

 馬鹿犬―――それは、南宮那月が助手にしていたという、あの『混血』の少年。

 そして、紗矢華は直接それを目撃したわけではないが、元ルームメイトで少年のクラスメイトである雪菜からその情報を伝聞している。

 あの<黒死皇>の血を半分引いている少年は、真祖の眷獣をも屠りうる力を有しており、普段は<空隙の魔女>により封じられているという―――

 

「もしかして、<神獣化>が暴走を―――!?」

 

「―――違う」

 

 紗矢華の推測に、那月は否定する。

 それでは、甘い、と言わんばかりに。

 

「あれが暴走させるのが厄介なのは、<神獣化>じゃない―――今は“影となった馬鹿犬の元主人(オヤ)”の方だ」

 

 那月は淡々と、動揺もなく、けれど、早口でその事実を語る。

 

「自我を持った馬鹿犬は、命令に反抗したが反逆して主人に害したわけではない。むしろ、殺される直前まで無抵抗であったよ。悪魔に食われた魔女を食い殺しちゃいない。

 アレは、ただ、『作品』の完成を急がせただけだ」

 

 その魔女は、反逆して殺されることではなく、“『作品』が台無しになってしまう”ことを恐れた。

 だから、仕上げとして、自らを悪魔と化し、その上で“食われにいった”のだ。

 死霊の術はすでに源流(オリジナル)を超えていた。

 半分は人間であり、固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を読み取らせる機能もついている。

 魔女の死魂を入れるだけの容器はできあがっていた。

 だから、自我が完全に芽生える前に、取り憑こうとした。

 

「それって……あの“痣”ってそういうことなの!?」

 

「……奴の<堕魂>を、<禁忌の茨(グレイプニール)>で影から出れないよう縛り付けていたが、殲教師に一度『首輪』を壊されてからたかが外れやすくなっていたようだ」

 

「じゃあ、今あの子に魔女が―――」

 

「完全に出てきたら、あの馬鹿犬は“元に戻れなくなるかもしれん”」

 

 <図書館(LCO)>の『科学』に属し、単為生殖(クローン)の製造方法を確立したが、『総記(ジェネラル)』であった<書庫(ノタリア)の魔女>からある魔導書を奪おうとして異端となった、『黒』シリーズの生みの親。

 それが得意とした魔術は、攻魔師官ならば誰もが覚えている基本である『呪的身体強化(フィジカルエンチャント)

 だがそれは、『世界をも思うがままに変えてしまう』魔導書の一端を知ったことで、『強化』は『上書き』へと変質してしまった。

 創造主たる魔女は、魔族と人間の『混血』を人工的に生み出してしまうほどに『血を上書きする』術を行使する。

 その魔術を用いて、<第四真祖>を超える人造魔族の器を造り上げようとして生まれたのが―――

 

「……馬鹿犬」

 

 

金魚鉢

 

 

 創造主たる魔女は、兄姉よりも優秀であると事あるごとに褒めて、二人きりになるといつも優しくなる。

 

《おお、また随分と傷つけられたな、さぞ痛いだろう、可哀想に、■■》

 

 オレは、何よりこの魔女(カゲ)が怖い。

 怖いのに、動けなくなかった。

 抗えなくなってしまった。

 

《おまえは私自身だ、おまえこそが私の最高傑作だ、■■》

 

 愛情を、錯覚してしまうから。

 

《あのような“鴉”にも、“泥”にも、そう、<第四真祖>にも劣るはずがない。さあ、『上書き(ツヨク)』してあげよう。だから―――》

 

 

 ―――その『首輪』を、外しなさい、“九番”。

 

 

 そんなはずは、ないのに。

 

 

 影はその足元より這いずり登り、『混血』の体に絡みつく。

 けれども、その『首輪』に阻められてか、その頭部にまで迫ることはない。

 

《さあ―――邪魔な枷を外しなさい。何かに縛られるなんて許してはならない。絶対に―――おまえは、わたしのものなのだから》

 

 それは感情のない、メトロノームのような整った音として、耳に入った。

 直接に触れずとも、影の声が『混血』の中に浸透していくのを、止めることもできず、でも、意外にも、何も感じなかった。

 

 それが、怖かったのは、記憶はなくても、記録としてそれは残っている。

 

 何よりも怖かったはずのその命令(こえ)に、“まるで初めて聞いたように”平然と、平静としていられた。

 泣きたいだろうに、泣けてない。

 

 それは、悲しいことなのか。それとも……けれども、これだけは確かなのだ。

 

「いやだ」

 

 初めて、その命に背いた時のように。

 既に半身を呑まれかけていた『混血』の少年は反抗の意思を吐き出す。

 

「オレは、オレだ」

 

 勝手に暴走するその左腕。それを逆の右手で手首を掴み、篭める。

 すでに、左腕には深刻なまでに“影”が侵していた。

 腕の神経と骨の間で、内圧が凶暴に膨れ上がり、一刻も早く『影』を受け入れねば逆に少年を引き千切りかねない程に猛っている。肉を噛み、骨を潰し、血を呑む、誰よりも何よりも『影』が少年を喰らっているようだった。

 

「ご主人は、オマエじゃない。ご主人は、オマエみたいに、優しい言葉なんてこれっぽっちもかけてもらったことがないけど―――」

 

 気持ちのいい“匂い”がする。

 もうそれを一週間以上は、嗅いでいないけれども。

 この身に沁みついて、いつだろうと思い出すことができる。

 そう、芳香が人の記憶野を刺激するのならば、これまでの思い出がこの“匂い”を香してくれる。

 暴れる『影』を必死に誘導する。奥歯を噛み締め、脳を沸騰させる熱に耐え、そのイメージをより固めていく。

 

「ああ、ご主人は、オマエと違って、一度だって約束を破ったことはない! オレを縛ったりしなかった! だから―――」

 

 願う。

 このたった一節の文句に凝縮する。

 そう、

 

 

「オレは、ご主人の眷獣だ」

 

 

 必死にその“匂い”を手繰り寄せたその威光が具現化した輝きに『影』はかき消される。

 たったいま、左腕に、手甲――契約した魔女の力の一端を、契約印の解放による助力もなしに、自らの意思だけで呼び出した。

 <神獣化>した左腕を、そして、足元に広がる極夜の如き影を、主の“鎖”の助けを借りず、自力で封じ込めた。

 

「よし」

 

 クロウは頷く。もう魔女は文字通り、影も形もない。

 

「いざって時は約束してくれたけど、オレはご主人にだけは殺されたくないのだ」

 

 そうだ。

 単純にイヤだった。

 あのとき、自らが口にさえできなかったお願いを、察してくれて、言動とは全く違う“匂い”――あの人が自分に“嘘”をついてまで、安心をさせてくれた。

 

 だから、クロウはそれが“ものすごくイヤだった”のだ。

 

 

「叶瀬、お前もイヤだって言いたいのに言えないんだったら―――オレが代わりに言ってやる」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 光の中で夢を見る。

 今、己の在る風景は、美しく透き通った雪と氷。

 それが己の故郷の景色であると、誰に言われずとも自ずと知る。

 きっとそれはこの世界に生まれて初めて目にした、己の原風景。

 静けさと孤独だけで作られた、たったひとりきりの美しく、寂しい世界。

 これが、己の心の中、自らが生み出した“世界”なのだ。

 寂しさも哀しみも絶望も、すべての感情を“世界”と共に吐き出せれば、もう己には何もない。意識すらもすべて、この世界に捧げることになる。

 自分はこれから自然の一部となり、世界の一部となりつつある。抗わず、逆らわず、干渉されることのない、無と言う名の平穏の中をただ、揺蕩い続ける。

 それに不満を覚えることはありえず。

 微かに零れる寂しさも。僅かに残る迷いも。微塵も消された焦燥も。

 何も、ない。

 ―――そのはず、なのに。

 雪と氷に埋められた吹雪の世界。

 だけれど、その吹雪の向こうに、森、があった。

 それは、不思議と故郷の古き記憶を“匂い”として共有されたもの。

 同郷のものが見せる、原風景と隣にあった誰かの原風景。

 

 そして記憶の共有は、他者との共感を芽生えさす。

 

 闇を見ればその闇もこちらを見ているように。

 叶瀬夏音の原風景の向こうの森、そこにあの金色が自分を見ていた―――

 

 

 

 『黒』シリーズ。

 魔導技師・叶瀬賢生は、それに一技術者として興味があった。

 かの魔女が目指そうとしたそれは賢生のものに近しく、また参考にできるものもあった。

 副産物として生まれた<模造神獣>もそのひとつ。<神獣化>という『さらに上位の存在に格を上げる』というプロセスは、霊的進化の要因に関して、非常に学ぶべきものがあった。

 出来得るものならば、その唯一の成功例とされる検体を、解剖してでも確かめてみたい気持ちはある。

 だが、その必要もなくなった。

 結局、その魔女よりも、賢生の方が生産者として上であったのだ。

 もはやあと数刻もしないうちに、娘は『天使』となり、賢生の計画は成就するのだから。

 

「ようやく。そう、心象風景の投影による表層人格の破棄と再構築は計算外の事態だったが、それさえ終われば、お前をこの世界に繋ぎとめるモノは完全に消えるのだな……夏音よ」

 

 これで賢生はようやく救われる。

 

 賢生はこの実験体にしている夏音を一度だって、道具などと思ったことがない。

 むしろ、今でさえも、実の娘も同然に思っている。

 何故ならば、叶瀬夏音は、妹の娘だ。

 それを知ったのは、妹が死んで、夏音に出会ってからであるも。

 まだアルディギア王に王宮魔導技師として仕えていた15年前に、自分を訪ねて遥々と日本よりやってきた妹は、そこで当時の王と出会い、報われぬ恋をしたのだ。

 そして、不貞の子として生まれた妹の娘、妹は実の母親として名乗ることはせず、故に賢生もその血の繋がりは一切夏音に話したことはない。

 

 けれども、賢生は娘も同然に思っていて、いつだって娘の幸せを願ってきていた。

 

 とそのとき―――賢生は視界の奥、その延長線上にあった森の向こうに眩い黄金が過った。

 

 先の異常な破壊。それに最初は警戒したが、それでも別次元の存在たる天使に害するものではないと思考から除去したその脅威。

 だが。

 

 森より飛び出してきたその黄金の影が、天にも昇る巨塔を滑走して登り、天使を閉じ込める氷雪の繭を砕き割った。

 

「―――<模造天使>を殴っただと!?」

 

 賢生は愕然としながら目を細めた。黄金の影は、自由に空中の支配権を得る翼を持ち得なかったようで、そのまま賢生の前に落ちた。

 それは先の銀人狼―――と同じ形をした黄金の人狼。

 その左腕に騎士の籠手を新たに装備し、体毛が一段階上のものへ変わっている。

 生体障壁ではない、その肉体自身が眩い最上の金色となっているのだ。

 

「それは、<神獣化>か!? いや、ならば、何故、“完全なる獣ではなく、人型のままを維持しているのだ”!?」

 

 そう。

 獣化のさらに上にある<神獣化>とは、完全なる獣になるものだ。

 その体型も倍以上に膨れ上がり、人型のままに納まりきるものではない。

 そもそも、副産物である<模造神獣>でさえも、理論上は<模造天使>に害することなど不可能だったはずなのだ。

 

「う? それは<神獣化>していないからだぞ」

 

 驚愕する賢生を見て、その金色となった人狼は首を傾げてしまう。

 何も難しいことなどしていないかのように。

 だが、その金色の肉体が先から放っているのは―――紛れもなく、天使に近しい神性だ。叶瀬賢生が<模造天使>の儀式術式を繰り返してようやく手に入れたものだ。それを―――

 

「おかしい! <神獣化>は、獣人種としての格を上げるモノであって、神気を纏うようなものではないはずだ。そもそも獣人のような魔族はこの聖なる気に触れることさえもできない! なのに、なぜ、その“黄金の神気”を放っているのだ!」

 

 異端者を弾劾する審問官のように賢生はその現実にはあり得ない金人狼を指差す。

 それに、指された当人は、うーん、と首をひねり、

 

「だって、オレ、半分は『人間』なんだ」

 

 『混血』は、魔族と、人間のもの。

 故に彼は、聖別された特注の魔族殺しの弾丸をその身に受けても耐えることができ、人間には致命傷な傷をも一夜で塞いでしまう高い自己治癒能力を得ている。

 つまり―――人間と同じで、“霊的中枢”を有していた。

 

「さっき、お前とフォリりんの言ってた、えんぜるふぉう? ってヤツの説明。あれって要は、“チャクラを100%に解放できれば、叶瀬と同じになるんだろ”」

 

 優秀な霊能力者でさえも、30%が精々とされるチャクラの解放。

 <模造天使>は、霊的進化のために必要な個人での100%の解放を、複数の霊的中枢をその身に取り入れさせて底上げの補強することで、30%の解放でも必要量を満たすようにすることだ。

 だが、そもそもそんな真似をする必要はないのだ。

 

 個人で、100%の霊的中枢(チャクラ)を解放さえできれば。

 

「前にいっぱい元気の出た秘孔を突くってのを煌坂に見せてもらったことがあってな。それでさっき、オレの体毛()を気を入れて針みたいに尖らせてから、師父から教わった七つの霊的中枢(チャクラ)を、こう、ぶすっと突いてな、自分で自分に生命力を送り込んだんだ(マーキングしたんだ)

 

 第一の霊的中枢は尻尾の根元にあるムーラダーラ。

 第二の霊的中枢は丹田にあるスヴァーディスタナ。

 第三の霊的中枢はおへそにあるマニブーラ・チャクラ。

 第四の霊的中枢は胸部にあるアナハタラ・チャクラ。

 第五の霊的中枢は甲状腺にあるビシュタ・チャクラ。

 第六の霊的中枢は眉間にあるアジナ・チャクラ。

 第六の霊的中枢は頭頂部にあるサハスラーラ・チャクラ。

 

 それらを一度は体験した獅子王機関の舞威姫の鍼灸術と超能力の『香付け(マーキング)』によって、活性化させた。

 その上で、<神獣化>を引き出している。

 

「そんな、方法で、覚者に至ったというのか!?」

 

「よくわからないけど、そしたら体の色が叶瀬と同じ、ピッカピカの金色になったのだ」

 

 天使とは、翼を生えた人型だけでなく、『半人半獣(ケルプ)』という楽園の守護聖獣もいる。仁獣のように神に仕える天使と同格の獣もいる。そして、<神獣化>とは鳳凰のような仁獣とも格を並べる自律進化法。

 霊的中枢を持った人型のまま<神獣化>する―――それは、『混血』だからこそできたもの。

 

「そうか……確かにこれまで夏音が儀式で霊的中枢を取り込んできた相手よりも、明らかに上だ。信じられないが、霊的進化を遂げていると言ってもいい。仁獣化、いや、<神獣人化>とでも呼ぼうか―――だが、それでも夏音の方が上だ」

 

 閉じこもっていたその氷は砕けた。

 だが、天使本体は傷ひとつついていない。

 

「ありがたい。位の近しい覚者のきみと戦えば―――強敵との戦闘で霊的中枢をフル稼働させれば、夏音は今度こそ最終段階に進化する。<第四真祖>だけでは物足りなかったが、これで、夏音は救われる」

 

「本当に、そう思うのか?」

 

 玲瓏と澄んだ声が響いた。

 張り上げたわけでもないのに、無理に聞かせようとするような我意はどこにもないのに、強い風の中でもはっきりと届く。

 賢生さえも、それに一瞬、気を奪われた。

 その身を夜照らす月光のように、覚者となりし金人狼は静かに佇んでいた。

 

「お前が叶瀬のことを実の娘だって想ってることはわかってる。“血”の繋がりもあることもわかってる。『メイガスクラフト(あいつら)』とは違って、王族の“血”を兵器にしようとしてないこともわかってる。純粋に叶瀬の幸せだけを願ってるんだろ」

 

 金人狼の瞳は、哀しげに世界を映す。

 荒れる雪と氷の世界から、さらに遠くの光景を儚んでいるようにも見えた。

 そこだけが、戦争から切り離されているようにも思えてしまうくらい、その瞬間は、奇蹟の一幕のようだった。

 

「あ……ああ……」

 

 魔導技師、ひとり目の当たりにする人間が、呻く。

 天上で光輝を放つ娘と同じく、彼から目を離せなかった。

 

「そうだ……私は親として夏音の幸福だけを願っている」

 

 何の迷いも後悔も感じさせない口調で、賢生は答えた。

 誰が聴こうがそれに疑いを持つ者はいるまい。賢生の瞳は、神の啓示をうけた聖者以上の確信に満ちていて、ただただ純粋に訴えていたのだから。

 

「夏音は、人間以上の存在へと進化する。あれを傷つけられるものはもうどこにもいなくなる。やがてあの子は神の御許へと召されて、真の天使となる―――それを幸福と呼ばずして何と呼ぶ?」

 

「オレには、よくわからないけど、きっと、そうなんだな」

 

 頷いて、賢生の主張を認めた。

 得られることのなかった理解に、迷い羊に救済の道を示した伝道師のごとく、すべてを俯瞰した眼差しをより揺るぎなく。

 

「そうだ。だから」

 

「でも―――だったら、何で“天使になってくれって言わなかった”のだ」

 

 真っ直ぐに、金人狼の舌鋒が鋭く突きつけられた。

 賢生は、一体何を言い出したのかと、目を瞠った。

 

「なにを―――」

 

「必要な儀式のために、同胞(なかま)と殺し合いをしてくれと何故言わなかった。誰も傷つかなくていい世界に行くために、先輩を殺してくれとどうして説得しなかった。それこそが、この世界で最も幸福なことだというなら、叶瀬にだってそう想わせるように、どうして堂々と娘に語らなかったのだ」

 

 金人狼の言葉に、賢生は今にも泡を吹き出しそうにぱくぱくと口を開閉する。

 

「―――そんな、ふざけた」

 

「ふざけてなんかないぞ。オレは真剣だ」

 

 彼はこの上なく真面目であり、逆に揺るぎない岩のような賢生の表情が、大きく歪んだ。

 

「結局、どんなに善い事も悪い事もそれが本当に救いになるのか、はたまた傷つけただけなのか、傍からじゃわかりっこないんだ。でも、それは自分のたどり着いた結論だったなら、ちゃんと口に出さないとダメだぞ―――そもそも娘の親だって自覚があるなら、そんな制御端末(どうぐ)に頼る前に、こんなわけもわからん暴走しないよう、えんぜるふぉう?のことを叶瀬と話し合いをして言い聞かせておくべきだった」

 

 そうしなかったのだから、予期せぬ事態となっている。

 そうできなかったから、予想しえない事態に動揺している。

 無垢な中庸は、けして日の当たる場所の倫理だけが正しいものなどとは思ってない。常人には常人の、怪物には怪物の、狂人には狂人の、価値観とルールがあり、そのどれもが彼の中で息づいていた。

 

「道具じゃなくて、たったひとりの家族なら、一方的じゃなくて、家族会議くらいするのだ。それが、親の最低限の義務だと思うぞ」

 

 金色の瞳に見つめられて、賢生は頬を引き攣り、数歩後退し、その視線から逃れるように首を振る。それは、その先を聞きたくないという意思表示か。

 

「……黙れ……なにも理解してないくせに……!」

 

 賢生は激しく首を振り、血走った目で金人狼を睨みつけた。

 

「真祖は3名しか存在してはならない! なのに、第四の真祖が現れたということは、その力が必要になるような敵が目覚める、ということなのだ。もう、時間がないんだ!」

 

 声を震わすひとりの親。しかし、憎々しげな苦悩と混乱を浮かばす彼の表情は、ありありとその信念が揺らいでると見て取れる。

 

「それなら、今からでも、ぼーっと突っ立ってないで、叶瀬に向かってそれを自分の口で伝えられるのだ。それさえも、できないんなら」

 

 金人狼は容赦しなかった。

 

「―――お前は、娘からも逃げる臆病者だ」

 

 クロウの断定するような口調に、賢生は時が止まったように動けなくなった。

 

「叶瀬は、ずっと言ってるぞ。さっきから泣いてるの、お前は聴こえてないのか?」

 

 

 

つづく


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