ミックス・ブラッド   作:夜草

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キリシマ強化。




三章
天使炎上Ⅰ


教会

 

 

 10日前。

 

 

 教会にたくさんの猫。

 引き取り手が見つかるまでは、この修道院で預かってようと……けれど、あまり人と話をするのが苦手な私に早々都合のいい方が見つかるわけでもなく、またついつい見つけて新しい子を拾ってきてしまう。

 だから、きっとひとりでは無理でした。

 去年まで同じクラスだった女の子が人見知りの私に代わって、様々な人と話をつけてもらったり、そして、もうひとり。

 やんちゃな子猫にトイレの仕方等を教えたり、住処の教会を直してくれたり、人に慣れるよう遊んでくれた男の子。

 

『オレも昔は野良だったのだ』

 

 昔は悪だった、みたいに言う彼。

 

『でも、ご主人に厳しく躾けられたからな。正直、叶瀬に世話されるのを見てて羨ましいぞ。だから、先達者としてオレはお前らに甘やかしたりしないんだぞー』

 

 なんて、言いながら一緒になって遊んでしまう。

 その血の混じりなのか、この子たちの鳴き声も理解してるようで、具合の悪くなった子たちの異変にも一番に気づいてくれた。

 微笑ましくその様子を教会の掃除をしながら見つめて、ふと回想する。

 

 私が最初に彼に声をかけようと思ったのもこの子猫に対してのものと同じような気持ちもあったのだろう。

 一昨年、ある事件で、同学年の学生たちの、同じクラスであってもみんなのグループに交じることができず、孤立していた。それが私には寂しく見えて、また同情もした。

 そして、少し警戒もした。

 

 5年前、この修道院で、私以外の皆が死に、施設が閉鎖されたあの事件は、『人間に()ろうとした、けれど、人間ではない、『賢者』の道具』が起こしたものだった。

 

 魔族と血の混じりがありながら人間の社会にいる。それがダブらせて、ひょっとしてまたあの惨劇が……けれど、それは私の見当違いで、心配も杞憂だと知る。

 最初、話しかけた時の彼は、自分が何者であるかを模索し、何のために生きるのかを至極真面目に考えていたけれども、『創造主(おや)に歯向かってしまう道具として失格な、『欠陥製品』』と自傷するように自称した。

 私は、きっとその在り方が正しいんだと思った。

 『人間であるか否かを決めるのは肉体ではない。(こころ)の有り様だ。誰に従うわけでもなく、ただ只管に人間らしくあろうと抗うのなら、それは立派な人間なのだ』と昔、あのモノに訴えかけたけれど、結局、それは聞き届けてもらえなかった院長様のお言葉。

 そう、彼はそれを自分で悟り、そして、只管に自分が何者であるかを模索してる―――立派な人間だ。

 

 それから、人見知りで男子とはお話しすることができなかった私は、当時孤立していた彼とよく話をするようになり、そして、あの事件で脅かしてしまった、まだ接するのが怖かった女の子との仲介役を自ら買って出た。私を挟んだ伝言ゲームのようだったけど、それでも理解してもらえるよう努め、

 彼は人間。その身体が人間でなくても、きっと人間でした、と彼女にそう主張して、今、彼と彼女が同じクラスにいて仲良くしてることを密かに私は私を誇らしく思う。

 

 院長様のお言葉は正しく、そして、彼は立派な人間。

 

 でも私は……

 

『―――っ』

 

 そのとき、舌に“あるはずのない鮮血の味”がした気がして、僅かに表情を強張らせてしまった。

 それを瞬時に表情を取り繕ってから、ちらりと窺う。子猫と遊んでいた彼を。

 目と目が合う。

 曇りひとつない、丁寧に磨かれた純金のようなその瞳。

 衣服の隙間にわずかに見せる、幼き日に過ごした故郷の暗い森の陰が染み込んだようなその浅黒い肌もあって、その輝きはよく映える。

 身ではなく魂を焼く酸の誹謗中傷を浴びせられようと不変な金性と同じで、きっと変わらない。

 それが私を見据えていた。ぴたりと。

 

『……何、でした?』

 

 恐る恐る、尋ねてみる。やっぱり、これは気づかれているかもしれない。

 

『いや別に。叶瀬の見てる世界がどんなんなのか気になっただけだぞ。気にするな』

 

 と子猫の相手に戻る。

 完全に、見抜かれた、と思う。

 視線が、表情がそういっていた。言葉にしなかったのは彼の気遣いなのだろう。

 彼はその『鼻』は体ではなく、(こころ)を丸裸にさえできる、ある意味、服を剥ぎ取ってしまうことよりも礼を失するものであり、それを彼も理解している。だから、なるべく嗅がないようにする。鼻をその主人から匂い消しの呪が掛けられた首巻で覆い塞ぐだけでなく、普段のほとんどは口で呼吸をしているという。けれども、あくまで、なるべくだ。

 痛い、と思える感情(におい)だけはほんの微かでも、敏感に察知する。

 ちょっとおつむの足りないバカな子、と周りの皆は言うけれども、実際は、人一倍に気が利く人だ。ありがとう、といつも心で感謝してる。或いはそう口にすることが大半である。

 

『叶瀬はあれだな。自分のことでもいっぱいいっぱいなのに頑張りすぎだ。シスターでも誰かに相談していいと思うぞ』

 

 それでも、これは言えない。

 まだ、自分でも整理がついてない。

 たとえ彼の鼻がその奥を嗅ぎ取ろうとも、そして、誰であろうとも、自分が裡に抱えていることはきちんと言葉に出して伝えたい。

 

 

『そうだな、オレや凪沙ちゃん、同級生にし辛いなら、先輩にしてもらうといいのだ。何でも知ってる浅葱先輩や、なんだかんだで女の子には優しい古城君がおすすめだぞ』

 

 

ランヴァルド

 

 

 6日前。

 

 

 高度1000m。

 全長170mを超える船体は、氷河の煌めきにも似た白群青(ベールブルー)に装甲が染められ、黄金の装飾に飾られた豪華絢爛な王宮の様。

 けれど、その実態は特殊合金の硬殻で覆われ、ターボプロップエンジン四発と十二門の機関砲という迎撃手段をもつ、空中要塞じみた巨大な装甲飛行船。

 その主翼には大剣を握る戦乙女の紋章が刻まれている。

 <ランヴァルド>

 北欧アルディギア王家が誇るその飛空艇は、その王族と従士団だけが乗船を許されたそれは、今、火急の危機。

 船全体が炎に包まれ、もはや航空不可能なほどのダメージを負っていた。

 

 そんな中で、

 

「ハァ……(だる)

 

 いかにもかったるいといった調子の長身の女性。燃え盛る炎よりもアカい、血のように真紅のライダースーツに着て、右手にこれもまた血が凝固したような深紅の長槍を持っている。

 そして、その目は、血に濡れたように、艶めかしく、アカい。

 また唇の隙間からのぞく純白な牙にその正体は明らかだ。

 D種完全体――吸血鬼。

 この王族専用機を攻め落とそうとしている賊のひとり。

 女吸血鬼が対峙するは、この船体と同じく黄金で彩られた強化鎧に身を包んだ騎士。その肩当てに戦乙女の紋章を刻んだ、王家直属近衛騎士の飛行船護衛団長。

 

「……貴様……誰に雇われたかは知らぬが、この船を、我ら『聖環騎士団』が守護する<ランヴァルド>と知っての狼藉か!」

 

 無残に落とされていく船の有り様、自らが守るべき船の最後に近衛騎士は総身を怒りで震わす。

 『聖環騎士団』は、数多の魔族を退けて、『夜の帝国』と隣接しながらも人間の領地を守護する精兵揃いの軍団だ。

 特に、そのアルディギア王国独自の技術<ヴァルンド・システム>――この母艦にも備え付けられている精霊炉から送り込まれる大量の霊力で、武器の霊格を一時的に聖剣クラスにまで引き上げる戦術支援兵器は、魔族の天敵とも畏怖されている。

 その青白く輝く騎士の長剣には、並の魔族ではその光輝に近づくこともできず、一太刀でも喰らえば、不老不死の吸血鬼だろうと滅してしまいかねない。

 

「ったく、あの狂犬、掃除を任せたのに一匹残してるとは使えないわね。ほんと、無駄飯喰らいを飼うのはかったるいったらありゃしないわ」

 

 だが、女吸血鬼は聖剣を真紅の槍で捌きながら気だるげに、その波打つ長髪を鬱陶しげにかき上げて、

 

「こっちは、あんたたちが後生大事に匿っている腐れビッチの小娘さえ手に入ればいいの? そしたら、こっちもあんたたちを楽ゥに殺してあげるから」

 

 退廃的な女吸血鬼が携帯電話型の装置を取り出そうと、懐に手を入れた―――その瞬間、

 

 

 ゴガッ!! と。

 女吸血鬼と騎士の間、勢いよく足元真下の甲板を突き破って大きな物体が吹っ飛んできた。

 

 

「―――がはっ。ごほっ……」

 

 高々と打ち上げられて、女吸血鬼の足元に転がり落ちてきたのは、女吸血鬼の仲間である黒い毛並みを持ち、紅い刺青が入れられた獣人。

 それが打撃を受けたと思われる胸元を押さえて蹲っている。

 

「なに……?」

 

 これは魔族の中でも特に身体能力優れる獣人種の中でもタフな身体を持っていた種族だ。

 それをさらに、『計画』の副産物のようなもので、獣化のさらに“上の段階”まで疑似的にいけるようになった。自ら志願して、『商品』と同じように身体を弄られるとはおかしな奴だが、それでもひとつの欠陥を補うために自分が『血の従者』にしてやったのだ。

 無限の負の生命力を供給してやっている代わりに、絶対服従の、“眷獣”の如く、それ以上の駒を手に入れたと言ってもいい。

 『次代の獣王』になるだとか言っていたが、たとえ王でも私には逆らえない憐れな道化。それが『聖環騎士団』を壊滅させるための道具のひとつ。

 

 その身体が魔族殺しに効果的だとされる琥珀金弾(エレクトラム・チップ)さえ、その身に貫通するどころか至近で受けたところで掠り傷も負わないだろう。

 大型車両の激突に匹する運動エネルギーがなければ、飛ばされるようなことはない

 

 それを一撃で成した、コートに首巻、手袋をどことなく騎士の甲冑のように身に纏う厚着の少年が空けた穴から眼前へと軽々と跳び上がってきた。

 

「あんた、何者よ?」

 

 怠さを消して睨む、真紅の槍を持つ女吸血鬼の誰何に、その少年は瞑目しながら太極拳のようにゆっくり大きく手で円を作るモーションをとってから、かかっ、大見得を切るポーズで開眼!

 

 

「“ミ”ックス・“ブ”ラッド―――略して、壬生(みぶ)。オレは壬生の狼! オマエら国家転覆を狙う悪党は問答無用で斬り捨て御免! なのだ!」

 

 

 ……忍者に憧れる親日家な女騎士との交流で間違った方向に進んでしまったようだ。

 

「ふふん。どうだ。フォリりんが考えてくれた新しい決め台詞だぞ」

 

 さらに背中を押して加速してしまった者もいるようである。

 

「ふざけた相手のようね」

 

 こんな相手にまともに警戒してしまったことに、より疲れた溜息をこぼす女吸血鬼。それに蹴っ飛ばされて起き上がらされた黒人狼はそれに警告を発する。

 

「ハァイ。随分と派手なお帰りで。子供にまで手伝ってもらっちゃって、びっくりしたわ」

 

「奴に、気を付けろ、BB。見た目はガキだが、中身はバケモノだ」

 

「バケモノだろうがどうでもいいわよ。それより、アルディギアの雌豚はどこよ?」

 

「私の前で、王女を愚弄するか、貴様ァ―――!」

 

 その発言に、騎士は疑似聖剣を大上段に振り上げる。

 だが、それは厚着の少年によって、片手で止められた。

 鍛えられ、さらに強化鎧で挙げられた騎士の膂力を、その手首を捕まえた腕一本で押しとどめる。

 

「離せ! 王女の客人だろうと邪魔立ては許さん!」

 

「フォリりんはもういった。だから、この船沈む前にとっとと退散するのだ。残りはお前ひとりだぞ。フォリりんの王女命令なのだ」

 

 少年の言葉に、女吸血鬼は黒人狼を睨む。

 

「……救命ポッドに乗り込む直前で見つけたが、それを奴に邪魔された」

 

「無駄足だったわけ。やーれやれ。これじゃ報酬が出ないじゃない、ガキ一匹に何やってんのよ、『次代の獣王』さん」

 

「っ、だが、もう一度、“アレ”にさえなれば―――!」

 

「やめてよ。ただでさえ怠いのに、あんな疲れる真似させないでちょうだい。それにあんたの他に駒あるし」

 

 対して。

 少年の言葉――王女からの伝言を聞き届けた騎士は目を瞠ってから、ゆっくりと剣を降ろした。

 

「我らが王女を、薄汚い賊から助けてくれたこと、感謝する」

 

「いいのだ。フォリりんに王宮直伝格式のある作法とか色々と教えてもらって、“アレ”をついにマスターしたからな。それに、帰りの船に乗せてもらった。無賃乗車よくない。身体で働いて返すぞ」

 

 だが、騎士は再び聖剣を構えた。

 

「これで、思い直すことはもうない。王女が無事であるなら、心置きなく奴らを道連れにできる。私はこの船と運命を共にする!」

 

「う。団長がこう言うようだったら、フォリりんからブッ飛ばしてでも止めるように言われたのだ」

 

「な―――」

 

 師父から『クロウ君が本気でやるのは絶対にダメだったり』と言われた禁じ手で、一度、ご主人からの補習を逃げようとした世界最強の吸血鬼にしたこともあったが、一撃で倒した最凶の必殺技。

 しかし、性別男性には特に効果的な手段。

 それが、

 

「―――『玉天崩』!」

 

 固く握りしめた拳骨(ぐー)を、股間の間に入れて足元からすくい上げるように男の致命的な■■を突き上げて、そのまま騎士を物理的にも精神的にも昇天させる。

 鎧装甲とかあったがそんなのお構いなし、鎧通しとか衝撃だけを内部に伝える技法など使っておらず、力ずくでそれを成した馬力。不意打ちであるが、『聖環騎士団』歴戦の一団長を一撃で白目を剥かせて昏倒させた。一応、人並みの手加減は覚えたとその師父も弟子卒業を言い渡しているので(ほんの一週間前のことだが)、殺してはない。男性的機能も(おそらく)大丈夫。

 それを目にして、女吸血鬼もようやく少年――敵の評価を改めた。

 

「あが、ががが……」

 

「う。苦汁を飲んでも我慢するのだ。どんなに生き恥を晒そうが主のために耐え忍ぶのがニンジャだぞ。それに、“あいつ”から、お前の(それ)より濃い匂いがする。きっと敵わない無駄死にするな」

 

 重装備の騎士を肩に担ぎながら、厚着の少年は、空を見る。

 

「へぇ、気づいたの……でも、もう遅い」

 

 女吸血鬼の手にした装置の画面に映るのは『降臨』の文字。

 そして、天上からは夜空の闇を切り裂く、太陽の如き光と共に、それは現れた。

 

「天の裁きが下るのはどちらかしら?」

 

 空より降臨するは、天使、だった。

 剥き出しの細い四肢に不気味な文様を浮かび上がらせようと、

 吐き気を催すような醜悪な翼を広げようと、

 頭部を奇怪な仮面に覆われようと、

 その歪な人型は、精霊炉より人工的に生み出された疑似聖剣よりも、清澄で神々しい波動を放つ。

 

「む。あれは、まずいぞ」

 

 女吸血鬼と黒人狼は、翼を持つ怪物が船に降り立つより早く逃走を始めており、少年も姿を直視してすぐ背中に走る悪寒に弾かれて、脱兎の如く走り出していた。

 一刻も早くこの場所から逃れようと、まず、自分が空けた甲板の穴に飛び込む。そして、ちょうどその落下地点の部屋に残る一機の一人用救命ポッドが空けられているのを見て、騎士団長の身柄をそこへ投げ込み、落下させる。自分ができる最低限の仕事をこなした後、少年も―――そのとき、天使は澄んだ歌声が聴こえた。

 

「―――!」

 

 目を眩ます閃光。

 耳をつんざく轟音

 

 この光こそ。

 王家の偽物(カリモノ)ではない、真正にして神聖な、人の上に立つ存在にのみ放つことが許された暴威!

 

 

 灼熱の天罰が下された飛空艇は、爆発四散して墜落した。

 

 

彩海学園 中等部

 

 

 黒死皇派事件から二週間後。

 周りは未登録の魔族が暴れたとか事件が起きてるようだが、そんなのは魔族特区では日常茶飯事で些細なこと。

 それより、昔馴染みな女子生徒――藍羽浅葱の柔らかな唇の接触とその捨て台詞に悶々と考えさせられながら、球技大会を終えて、転入生の後輩――姫柊雪菜に付き纏われる、男子学生に羨ましがられ恨まれる日常を送る暁古城だが、ここ最近はさらに二つのことで頭を悩まされて寝不足である。

 ひとつはこの前の事件で出会った雪菜の過保護な元ルームメイトの煌坂紗矢華から深夜になると電話で、大事な妹分の日常生活について報告させられたり、説教されるようになったこと。

 特別、夜中の長電話に付き合うことは、古城の義務ではないのだが、相手は暗殺と呪詛のスペシャリストなので恨まれると怖い。

 だが、これも我慢すればいいだけで大した悩みではない。

 

 暁古城にとって無視できない問題はもうひとつのほう。

 

「中等部校舎に何の用ですか、先輩」

 

 昼休み。古城は四時限目の授業が終わるとすぐ教室に出て、高等部と中等部を繋ぐ二階の渡り廊下の途中で、ばったりと偶然――ではなく、きっちりと当然、学内でも常に見張っている国家公認のストーカーこと雪菜と遭遇。けれど、これは古城にも都合がいい。

 

「姫柊、凪沙がどこにいるか知らないか?」

 

「凪沙ちゃんですか」

 

 古城の妹凪沙は雪菜と同じクラスだ。そして、古城はその凪沙に用がある。

 

「凪沙ちゃんなら授業が終わってすぐ教室を出ていきましたけど……いったい何の用ですか?」

 

「あー……その、なんだ。最近、凪沙の様子がちょっと変っつうか。心配になってな」

 

 暁凪沙は一年半前まで、病院で入退院を繰り返した生活を送っていた。今でも時々体調を崩すことがあるのだ。

 

「この前の球技大会のバドミントンで優勝した時は元気にはしゃいでたんだが、ここのところは何か調子がおかしくてな。やっぱ、運動したのが無理に祟って……」

 

「そうですか……でも、凪沙ちゃん。体調が悪いようには見えませんでしたよ。今日の体育も普通に参加してましたし」

 

「なんだ、そうなのか」

 

 当てが外れて古城は肩透かしを食らったような気分になるも、やはり安堵したように肩を落とす。

 

「いや、何ならクロウのヤツにも訊こうかと思ったんだがな。あいつの“鼻”は健康面とかにも結構敏感で、前も凪沙が倒れそうになったらすぐ気付いたそうだし」

 

「えっ……?」

 

 雪菜は間の抜けた声を発してしまう。

 それから古城のことを困惑した表情で見つめながら、

 

「先輩、もしかして、クロウ君が―――」

 

 そして、彼女が何かを言いかけたその時、古城は渡り廊下の窓の向こう、眼下にある中等部の中庭。ちょうど、校庭や、他の校舎からは死角になった建物の陰に、ちょうど今捜していたお目当ての人物(いもうと)がいて―――そのすぐ近くに、男子の姿が。

 

 その瞬間、古城の意識は怒りと焦りで真っ白になった。

 

「―――野郎っ!」

 

「先輩!? ちょ……ちょっと待ってください! なにやってるんですか!?」

 

 窓枠を蹴って二階から飛び降りようとした古城を、雪菜が大胆にも羽交い絞めで引き留める。

 授業が終わってすぐに出たが今は昼休みで、この渡り廊下にもちらほら学生たちが立ち寄っており、視線を集めてる。

 にもかかわらず、古城は必死に、背中の雪菜ごと中庭に飛び降りんばかりに窓から身を乗り出している。

 

「な、なんだあいつ……なんてあんな男が凪沙と一緒に?」

 

「……、彼は私たちのクラスの男子生徒です。確か、高清水君だったと思います」

 

 曖昧ながら古城もその名前で記憶が一致する。

 まだバスケ部にいたころ、放課後のグラウンドで何度か見かけた顔で、小ざっぱりした顔立ちのサッカー少年だった。そして、女子にも人気があると耳にしたこともある。

 で、そんなヤツが凪沙に何の用だ、と古城が狼狽してると、

 

「あ……手紙」

 

 その雪菜の一言に、古城の心臓は一瞬止まった。

 そして、見た。

 その高清水某が凪沙に手紙を入れた封筒を渡した―――のではなく、凪沙が高清某に白い封筒を渡しているその場面を。

 

「な、な、なあ、あそこに因果逆転の魔術でも発動してるのか。じゃなきゃ、あんなのありえないだろ」

 

「正気に戻ってください先輩。そんな高度な術は万が一にも起こってません」

 

「じゃあ、なんで同じクラスの男子に、あんな人気のない場所で凪沙が手紙を渡すんだ。あの男子がじゃない、凪沙が!」

 

「それは私に訊かれても……」

 

 ただならぬ古城の剣幕に圧されて、雪菜は困ったように身をすくめる。けれど、言い難そうにしながらも雪菜はある噂を口にした。

 

「そういえば、最近、凪沙ちゃんに、気になる男子がいるって噂が」

 

 それを最後まで古城の脳は認識することはできなかった。

 もう途中で、力が抜けて物干し竿にかけられた布団のように、窓枠に上半身を投げ出すよう頽れた。それを雪菜に落ちないようせっせと引っ張り上げられながら、放心状態でも吸血鬼になって性能のあがった古城の聴力がそれを拾った。

 

『じゃあ、放課後、屋上でね』

 

 言われて、手を振る凪沙から颯爽と立ち去る高某。

 それを見送りながら、虚ろな笑みを浮かべる古城に、雪菜は残念そうなものを見つつも、見過ごせずに声をかける。

 

「あ、あの……先輩? 大丈夫ですか、いろいろと」

 

「ああ、大丈夫だ姫柊。時間と場所、それさえわかれば」

 

 ダメですね、と世界最強の吸血鬼の監視役は呆れ果てながら呟いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして放課後。

 古城は昼休みの時のタイムを切る最速レコードを叩きださんとする勢いで、いや帰りのHRを無視したフライングで教室を出ようと―――したところを、カリスマ教師の南宮那月に捕まった。ここのところなんとなく機嫌が悪いように見える担任の説教に、精神と時間を大幅にロスしてしまった古城だが、それでも中等部校舎、屋上へと急いだ―――

 

「……こんなところで何をやってるんですか、先輩」

 

 当然、監視役が待ち構えていた。

 その冷静な、というより冷たい声に呼び止められて、古城の足は凍ったようにその場に固まる。

 

「ぐ、偶然だな、姫柊……たまたま通りかかったところで会うなんて」

 

「中等部の校舎で偶然、それも二度も」

 

 はぁ、と深く息を吐く。

 

「凪沙ちゃんと高清水君はもうとっくに屋上に行きましたよ」

 

「遅かったか!? まさか、もう……!」

 

 古城は舌打ちして頭上を振り仰ぐ。だが、悔やんでる暇はない。

 

「昼休みが終わった後凪沙ちゃんに訊きましたけど―――あ、先輩!?」

 

「すまん、姫柊」

 

 バスケットで鍛えたフェイントを駆使して雪菜を避け、ダッシュ。もはや忍び入るつもりはない。吸血鬼になって底上げされた脚力を全開に回して、階段を一気に段飛ばしで駆け上がる。

 屋上の扉には鍵がかかってない。

 そのわずかに開いたドアの隙間から、聴こえた。

 妙に甘ったるく抑えた男子の声とそれと会話する古城の良く知る少女の声が。

 

 

『―――いいから大人しくしてろよ、ほら……騒ぐなって』

『―――もう、駄目だってば。そんな強く抱かないで』

『―――でも、そっちから寄ってきたからさ。俺、つい』

『―――だーめ。ちゃんと優しくしてね。お願い……』

『―――わかってるさ。けど、いいのか、これ、もらっちゃって』

『―――うん。いいよ。凪沙にはもう……や、痛っ……』

 

 

 その瞬間、もうこれ以上は聞いてられなくなった古城は扉を蹴り開けていた。

 

「野郎おおおおおっ!」

 

 荒々しく吼えながら古城は屋上へ出る。

 そこには、驚愕に目を見開いている凪沙と某が振り返ってこちらを見ていた。

 

「離れろお前ら! てめぇ、自分が誰に手を出してるのかわかってんだろうな!?」

 

「え……!? あ、あの……」

 

「どこのどいつだかしらねぇが、たとえ凪沙からであっても、俺が認めねぇ限りは―――「先輩、ダメです! 落ち着いて!」」

 

 怒り狂う古城に、某は腰を抜かせて後ずさる。そこへ拳を振り上げたところを、追いついてきた雪菜がしがみついて止めた。

 

「だから、話を聞いてください! 高清水君は―――」

 

 雪菜が言い切る前に、古城はその現状が目に入った。

 茶色い毛並みの小動物。

 その抱かれる腕の中から、つぶらな瞳できょとんと古城を見返して、ミィ、と小さく鳴いた。

 ずばり、子猫である。

 

「あ、あれ!?」

 

 状況が理解できず、戸惑いながらも古城は周りを見回す。

 子猫を抱いて立ち尽くしている某、いや、高清水。そして、ピクピクと口端を震わすというお怒りのサインを出してる凪沙。古城の後ろでごめんなさいと頭を下げてる雪菜。

 そして、あともうひとり。

 凪沙の隣に、見知らぬ女子生徒。

 その少女は、古城も一瞬、状況を忘れてしまいかけたくらい、綺麗だった。

 

「―――凪沙ちゃんの、お兄さん、でした?」

 

 尋ねた唇は、可憐な花弁のよう。

 真っ直ぐに古城を見つめる淡い碧眼は輝く氷河の世界を閉じ込めたよう。そして、人に踏み荒らさていない処女雪を天工の手により編み込まれたものではないかと想起させる、銀色の髪。

 その純粋な美貌に、温かみのある慈愛の微笑はこの世界にありえざる理想的なものとも思える。

 じっと見つめることができず、視線を降ろせば。

 身近な年下の女の子たちと身長はさほど変わらないように見えるが、それでもそのスタイルの良さから背が高く見える。

 半袖の制服の下に、ハイネックの長シャツを着ており、常夏の絃神島では珍しい装いだが、あのフル装備の厚着後輩と比べればだいぶマシ、というよりも、よく似合っている。

 ミィ、とこ猫が鳴いたところで、観察から数秒の時間が経過したのだと悟り、古城は慌てて口を開く。

 

「えっと……誰だ……?」

 

「あ、自己紹介、忘れてました。叶瀬夏音です」

 

 と恥ずかしげに首を傾げる少女―――を一端後ろに下げさせた妹。

 

「―――古城君?」

 

 子猫を守る母猫のように、髪を逆立たせる凪沙。その口調は肌に刺さりような、棘のあるもの。

 

「な、凪沙……おまえ、なんで、こんなところで猫なんか……」

「古城君こそ、中等部の校舎で何やってるの!?」

 

 ぐい、と妹が詰め寄る。

 笑みを作りながら厳しい視線を外さず、突進を仕掛けてくる。そして、猛烈なマシンガントークを浴びせる。

 

「いきなり大声でわけのわからないこと言って! 高清水君に失礼だし、猫ちゃんが驚いてるじゃない。雪菜ちゃんにも迷惑かけて。なのに、古城君は夏音ちゃんに鼻の下伸ばして!」

 

「いや……だって、凪沙が、気になる奴がいるって、告白……」

「告白? 何の話……?」

 

 ついと古城は雪菜を見ようとするが、ぐいっと凪沙に頭を両手で挟まれ戻される。

 

「あたしは高清水君がこの子を引き取ってくれるっていうから、立ち会っただけだよ」

 

 と高清水君が抱く子猫を指さす。子猫も凪沙に同意するよう、ミィ、と鳴く。

 けれど、古城にはまだ不可解な部分がある。

 

「……だったら昼休みの手紙はいったい……」

「ああ、手紙ってこれのことっすか」

 

 言って高清水君が鞄から昼休みに見た白い封筒を取り出す。開けて、中に入っていた手紙―――ではなく、二枚のチケットを取り出した。

 レジャー施設のカップル特別割引券―――って、

 

「おい、これってやっぱ―――」

「この前の球技大会の商品なんだけど、期限とかあるし、凪沙にはもういらないから高清水君にあげたの。高清水君、運動部員の名簿も作ってきてくれたからそのお礼で」

 

 凪沙はそこで雪菜の方を向いて、

 

「チケット、雪菜ちゃんにもあげようと思ったんだけどね。そしたら、浅葱ちゃんに悪い気がするし。ごめんね」

 

「え、いや、別に私は、その」

 

 ちらちらと雪菜がこちらを見るが古城は気づかず、

 

「だったらなんであんな中庭で……」

「だって、誰かに渡すところを見せたくないじゃん。変に角が立っちゃうといけないし」

 

 なるほど。

 単なるお礼か。古城はそう納得しかけたところで、

 

「え、っと、俺は、てっきり、凪沙ちゃんと―――「あ゛?」―――部活のみんなと行きたかったんすよねはい!」

 

 体育会系らしい上下関係の従順さで一礼する高清水君。そんな彼に凪沙は気遣うように、

 

「うちのお兄ちゃんが変な勘違いして、ごめんね、高清水君。それと、住所録ありがとう」

 

「気にしてないし、役立てるなら何よりだよ。じゃあ、俺はこれで」

 

 爽やかな笑みを浮かべて、そして逃げ去るように、子猫を入れた段ボールを抱えて高清水君は屋上から立ち去る。

 古城はそれを見送りながら、素直に感心するよう頷く。

 

「うん、まあ、あいつ、いいやつだったな」

 

「先輩……」 「古城君……」

 

 その後、怒りが収まるまで古城は凪沙に説教をもらうこととなった。

 

 

キーストーンゲート 人工島管理公社保安部

 

 

 美女というより、美少女、あるいは幼女という言葉の似合いそうな童顔小柄な女性は、フリル塗れのゴスロリ服を着るのでより幼くみられるだろう。

 しかし、関係者以外の立ち入りを禁じるキーストーンゲートの守衛でもその姿を見咎めることはなく、不思議と見た目に反する威厳に満ちた足取りで彼女は堂々と通路の真ん中を闊歩する。

 それを待ち構えていたのは、ツンツンに逆立てた短髪の少年。学校の制服ではなく、人工島管理公社調査部の正装である黒スーツを着ていても、トレードマークのヘッドフォンは首にぶら下げており、にやりと不敵に笑う様は、普段と変わりようのない。

 

「公社直々の呼び出しというから何かと思えば……お前か、矢瀬」

 

「すみませんねぇ。理事会(うち)も人材不足なもんで」

 

 言って、那月のクラスの一生徒でもある矢瀬は、部屋へと先導する。

 その病院の手術室に似た部屋の中央にあるベット、高度な医療機器と生命維持に繋がれた少女が眠っている。まだ十代と思しきその少女は、全身包帯塗れで計測器の反応から峠は越えたようだが予断は許さない状況だ。

 だが、その両手足を何故か分厚い金属製の器具で固定されている。

 那月はそこに情を挟まず、ガラス越しから視聴で探れるだけ分析すると、ふん、と鼻を鳴らす。

 

「―――こいつが。5人目か。随分と派手に暴れ回ったようだな」

 

 二週間前から起こっていたが、今週に入ってからより多発するようになった連続未登録魔族同士による乱闘事件。

 2棟のビルを半壊させ、7棟を延焼。停電に断水といったライフラインの一時遮断などと、これでも付近が民家の少ないおかげで今回の被害はまだましな方だ

 だが、高い戦闘力を持っていることは確かであり、それが2体、追跡が困難な音速を超える速度で絃神島上空を飛び回り、無差別にその破壊の余波を撒き散らしている。

 

「……で、この未登録魔族と戦っていた片割れのほうはどうした?」

 

「依然、追跡も難航中っすね面目ない」

 

「ふん。追跡くらい馬鹿犬でも……」

 

 ちっ、と言いかけて那月は舌打ちする。

 矢瀬はそれを追求せず、話題を切り替える。

 

「んで、この子、未登録魔族だと報道してますが、公社の解析結果に出た見解は、ほぼ通常通りの人間なんだそうです。超能力者(俺の同類)でもありませんよ」

 

「……何だと?」

 

 那月は驚いたように少女を見る。

 <音響過適応>の矢瀬基樹に補足できないということはつまり音速以上で飛び回っていたのだ。それもほとんど生身で建物を倒壊させる力など、魔族であっても稀少である。

 とても人間にできることではない。

 

「小娘の損傷の程度は?」

 

「とりあえず内臓がいくつか欠損してますけど、それも体細胞からクローン再生させるんで命には別条ないって話っす」

 

「……内臓の欠損?」

 

「横隔膜と腎臓の周辺――いわゆる、腹腔神経叢(マニブーラ・チャクラ)のあたりっすね」

 

 それを、喰った。

 つまり、こいつを襲った奴の狙いは―――

 

「―――フム。つまり、内臓ではなく霊的中枢……いや、霊体そのものを奪ったというわけか」

 

 なかなか興味深いねェ、と笑いながら、通路の暗がりから現れたのは金髪碧眼の男。

 破格の力を持った『貴族』の吸血鬼であり、第一真祖の血族にして『戦王領域』からの外交特使で今は特命全権大使。そして、余計なことしか口出ししない軽薄男。

 ディミトリエ=ヴァトラー。

 それが視界に入った途端、那月は不愉快だと言わんばかりに顰めて、隠しもせず舌打ちする。

 

「おい、どうして余所者の吸血鬼(コウモリ)がここにいる?」

 

「つれないなァ。僕は君たちにわざわざ見舞いに頼まれてきたというのに」

 

「それはご苦労なことだな、<蛇遣い>。いつから獅子王機関の女狐に飼い馴らされた?」

 

「ノーコメント、とでも言っておこうか。なにしろ外交機密だからね」

 

 『戦王領域』の貴族が外交機密―――つまり、それは真祖がらみの事件か。

 国家攻魔官は傍にいる矢瀬にさえ薄ら寒くさせる気配を漂わせ、その軽薄な微笑を射ぬく。

 

「<蛇遣い>……貴様、何を知っている?」

 

「おやあ? 君の“眷獣”に探らせればすぐにわかるんじゃないか?」

 

 瞬間、その人形めいた美貌に明らかな殺気が浮かんだ。

 先の矢瀬さえも触れるのを避けた地雷へ、ヴァトラーは無邪気に笑いながら、さらに口にする。

 

「彼にはこの前は悪いことをしたからねェ。北欧アルディギアにある故郷(もり)に帰れるよう、色々と僕が取り計らってあげたんだけど、喜んでくれたかい?」

 

「悪いと思ってるのなら、『監獄』に入ってもらった方が私は喜ぶんだがな。どうだ? 今から自首しても構わんぞ」

 

 その時空さえも歪みかねない強烈な魔力の波動が、堅牢とされるキーストーンゲートをギシギシと軋ませる。

 険悪な、と言っても一方的であるがその物騒な両者の雰囲気に、矢瀬は頭を抱えている。

 とはいえ、那月もこの吸血鬼が戦いに飢えていることを知っている。

 不老にして不死。それゆえに長い人生に退屈した『旧き世代』の吸血鬼にとって、強力な敵との戦闘は、最高の暇潰しであり、生き甲斐である。

 『魔族大虐殺』などと“それなり”に名の知れた<空隙の魔女>との戦闘は、むしろ望むべきものだろう。

 ならば、挑発されようと那月がそれに付き合う気はない。魔女は蛇には生殺しが一番効くことを知っている。

 そんな、戦意が失せた途端、ちぇ、残念、とヴァトラーはぼやいてから、

 

「北欧アルディギアと言えば、<ランヴァルド>――『聖環騎士団』の旗艦が襲撃を受けたそうだよ。まだ公式には発表されていないけど、絃神島の西、160kmの地点に墜落したそうだね」

 

 <ランヴァルド>襲撃事件。

 南宮那月は居合わせなかったが護岸警備に当たっていた特区警備隊が絃神島の方に流れ着いた救命ポッドから護衛団長含め数十の『聖環騎士団』を救命。まだ意識の回復したものは多くはないがそれでも意識のあるものに話を聞くと、なんでも『血に飢えた漆黒の狂獣(ブラッディウルフ)』にやられたらしい。『王女の客人』に救われなかったら、全員が殺されていたとも。

 今回の人間が起こしたとされる事件とは、とても関係性のあるようには見えないが、それを意味もなくこの貴族が口にするとは思えない。

 

「アルディギア王国が、この事件に噛んでるというのか」

 

「さあ、どうだろうね。けど、なんにせよ、僕は静観させてもらうよ」

 

戦闘狂(バトルマニア)の貴様が、どういう風の吹き回しだ?」

 

 超高速で空中を飛び回り、ビルをも破壊する正体不明の怪物―――この吸血鬼には願ってもない遊び相手のはずだ。

 しかしヴァトラーは、唇の端を上げて優雅に微笑むだけで何も言わない。

 

「“彼女たち”は、キミたちの敵じゃない。このまま放置しておいた方が、案外、面白いものが見られるかもしれないぜ」

 

「……この私に、貴様の言うことを信じろというのか?」

 

「一応忠告はしたサ。信用するかどうかは、キミの勝手だ。ただ、情報の見返りというわけじゃないが、ひとつ頼みを聞いてくれないカ?」

 

「話を聞くだけは聞いてやる。なんだ?」

 

 瞬間、ヴァトラーの碧い双眸が紅く染まった。その身に発する波動は、この逆三角形の要塞を二度も揺るがす。

 今度は吸血鬼から魔女に殺意が差し向けられる。

 おそらく意味するは、警告。

 

「この事件に我が最愛の<第四真祖>を巻き込ませるな。古城では“彼女”には勝てない」

 

 

彩海学園

 

 

 昨日。

 高清水君にもう一度謝りに行った凪沙と別れ、中等部の校舎を後にした古城は学校の裏手にある教会へと赴き、叶瀬夏音の手伝いをした。

 教会の中の十数匹の猫の相手をするよりも、正直、道中の、『中等部の聖女』とも称えられる叶瀬夏音と、『中等部の姫様』と崇められる姫柊雪菜を左右に侍らせる古城は色んな感情のこもった視線が刺さりまくって大変だった。何でも妹曰く、

 

『夏音ちゃんと雪菜ちゃんと一緒にいられるなんて、お近づきになるなら性転換も辞さない中等部男子にはものすっごく羨ましいことなんだよ』

 

 と呪われても仕方がないと古城に言うが、古城は大丈夫か中等部男子と逆に心配になった。しかし、かといって犯罪者のように恨みがましい目線を向けられるのは気分がよくなるものではなくて、けしてあの戦闘狂の貴族ではないが、こんなとき、あの毒を失くしてしまう雰囲気を持ったワンコ後輩がいてくれたらと何度か思った。

 

「昨日、ご迷惑をおかけして、ごめんなさい、でした」

 

 銀色の髪を揺らして、深々と頭を下げる『中等部の聖女』の流れるような動きに古城はまたも言葉を失くしてしまったが、そこは不機嫌そうな雪菜に尻をつねられて復帰。

 

「ぃっづ―――っと、いや、叶瀬さんが謝ることは何もないと思うけど……」

 

「そうですか。でも、里親を捜すのを手伝ってもらえて本当にありがとうございます。これであとは今日見つけてきたこの子たちだけです」

 

 嬉しそうに叶瀬は笑う。

 そう、昨夜のうちに古城は片っ端から知り合いに声をかけまくって、修道院跡地に保護していた捨て猫たちの引き取り手を見つけることができたのである。

 

「いや、ちょっとみんなに声をかけただけだからさ。でも、どうにか片付いてよかったな」

 

「クロウ君からお兄さんのことを聞いてました」

 

「あいつから?」

 

 自分の知らない知人関係に、古城は意外そうな表情を浮かべかけたが、すぐに納得した。

 夏音は、去年まで凪沙と同じクラスで非常に仲が良かったことは聞いていた。その捨て猫を構わず拾ってしまう『中等部の聖女』とも言われる優しい彼女なら、一時期孤立していた『混血』を見過ごせないだろう。だから、この子猫と里親探しのように親友との仲を取り持とうとしてくれたのだと古城は予想がついた。

 

「お兄さんは、女の子に優しいから相談すると良い、と言ってました」

 

「ええ、先輩は“女の子”には優しいですよね」

 

 隣でやけに一単語を強調するものもいて、褒められているのか判断に微妙に迷うところだが、後輩にきっと何も含むところはないのだろう。

 夏音もそう純粋に受け取っているようで、一度、目を瞑ってから、意を決して―――

 

「それで、お兄さんに―――「ほう、美味そうな子猫だな」」

 

 ぬっと横合いから影が差す。

 横向けば、そこに日傘を差した小柄な女性の姿が……

 

「那月ちゃん?」

 

「担任教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 お決まりの返しで、古城は脇腹に強烈な肘打ちをもらう。非力ながらレバーを的確に抉り抜く容赦なさに古城は苦悶の声を洩らす。

 

「ところで、知っているか暁古城。この彩海学園は原則生き物を学校内へ連れこむのを禁止にしている。というわけで、その子猫は私が没収しよう。ちょうど今日の鍋の具材を探してたところだったしな」

 

 涼しげな顔で淡々とそれを言う那月に、小さく悲鳴を上げて夏音は子猫を胸に抱く。それを面白がるように、より舌なめずりするように嗜虐的な笑みを見せて、

 

「―――すみませんでした。お兄さん、雪菜ちゃん、逃げます」

 

 毛布で隠すよう子猫を包むと夏音は急いで走り去っていった。

 それを安堵の息を吐きながら古城は見送り、雪菜は一度迷うよう古城を見てから、夏音の後を追った。そして、那月は心なしか傷ついたように口をとがらせる。

 

「ふん。冗談の通じないやつだ。何も本気で逃げなくていいだろうに」

 

「あんたが言うと冗談に聞こえねーんだよ」

 

 まったくもって心外だと那月は鼻を鳴らして、

 

「ところで今の中々気合の入った髪をした小娘が、叶瀬夏音か」

 

「自分の学校の生徒に向かって小娘はないだろ。って、中等部三年の生徒だけど知ってたのか?」

 

「ああ、話には聞いてたからな。まあ、それはいい。よりもだ、暁古城。お前、今夜、私の副業(しごと)を手伝え」

 

「……それって、攻魔官の?」

 

 <第四真祖>であることを世間から隠してもらう代わりに、古城は何度か那月の仕事の手伝いをさせられている。

 しかし、当然であるがたいがいそれは厄介ごとで、死にかけなかったことがないという。できれば避けたいところである。

 だが、古城がどれだけ露骨に嫌そうな顔を見せても、那月は遠慮することなどしない。

 

「ここ最近、未登録魔族が暴れているという話は知ってるな?」

 

「……ああ、なんか。クラスでも結構噂になってるけど」

 

「あまり大っぴらにできないが、実は暴れていたのは未登録魔族じゃない」

 

「魔族じゃない……? じゃあ、一体何が?」

 

「知らん。容疑者の片割れを確保したが、そいつの正体はまだ不明だ」

 

 古城は嫌な予感がした。

 片割れということはつまり、

 

「もう一人はまだ逃走中ってことか?」

 

「ああ。それも規模こそ小さいが同様の騒ぎは、ここ2週間で5件確認されている」

 

 5件……!?

 つまり、三日に一度のハイペースで市街戦が起きてるという。いくら魔族特区でもそこまで日常茶飯事ではない。

 

「じゃあ、また今夜あたりに似たような事件が起きるかもしれないわけか……」

 

「察しがいいな暁古城。それとディミトリエ=ヴァトラーに忠告されてな。<第四真祖>を今回の事件に巻き込むな、と」

 

「なんだそれ!? あいつの忠告、完全にスルーかよ」

 

「あの男が嫌がることを、私がしないわけではないだろう―――というわけで、おまえには私の助手として犯人確保に協力してもらう。いくら私でも一人で複数の犯人を捕まえるのは難儀だからな」

 

「いやいやいやいや……!」

 

 古城は必死で首を振る。

 危険な副業もそうだが、あのヴァトラーから忠告されるというのは相当だ。これまでにないほどの難解な事件だ。

 

「事情は分かったけど、なんで俺が那月ちゃんの助手なんだよ? クロウがいるだろ?」

 

 那月には、『真祖クラスでもタメを張れる眷獣』といわれた後輩がついている。彼の『鼻』――<嗅覚過適応>は、そういった追跡調査にはうってつけの人材で、那月もそれは頼りにしてると以前評価していた。だから、古城の手伝いなどなくても、その厚着主従だけで十分―――だから、古城は最初、それを冗談だと思った。

 

 

 

「犬はいない」

 

 

 

「は―――」

 

 それはどういう意味だ、と古城が問う前に、那月は淡々と無情に告げる。

 

「故郷の森へ帰らせた。そして、そこにいたいのなら帰ってこなくてもいいとも言ってある」

 

「え、ちょ、いきなり過ぎて、話についてけない」

 

「予約の取り方もわからない馬鹿犬のことだ。一応、事前に帰りの飛行機のチケットも取ってやった。予定では、もう6日は前に絃神島に帰ってるだろう。だから、いないのはつまり―――“そういう”ことだ」

 

 固まる。

 意味が分からなかったわけではない。そこまで察せないほど、古城も愚鈍ではない。

 ただ言われても、そのあまりに突然な別離に対応できていないだけ。それでも、古城は何か言わねばと急かされるように口を開き、

 

「な、なあ、連絡とかつかないのか? 那月ちゃんが帰ってこいとか説得すれば、クロウだって」

 

「何故私から呼びかけなければならない」

 

 その視線に射すくめられる。

 訴えを切って捨てられ、そのまま喉元に返された刃先を突き付けられたように、古城は唾を呑み、

 

「そりゃ、クロウは那月ちゃんの仕事とか手伝ってくれたり」

 

「今はアスタルテがいる。黒死皇派事件での怪我でまだ現場復帰はさせられないが、馬鹿犬よりはずっと使えるメイドがな。

 それと引き替え、大食いでエサ代はかかる、私の言うことを聞かず問題行動を起こす、茶の淹れ方さえ未だに身に付かない。

 まったく、いなくなってこちらは清々してるくらいだが」

 

 普段ならば、この担任の表情から察するなど古城にはできない。

 先に夏音が脅された時のように、冗談なのか、本気なのか、本心が明かされない底知れなさが南宮那月という女である。

 けれど、これは断言する。

 でも、古城はそれ以上指摘できなかった。

 何故なら、あまりにその横顔が―――

 

 

「……私はこの島からどこにも行くことはできないが、だからといって止めることだけはしまいよ。自分の意思で離れるというのなら、たとえそれが眷獣だろうと縛り付けるようなことはしない」

 

 

 

つづく

 

 

 

とある無人島

 

 

「うーうー! お腹減ったお腹減ったぞ!」

 

「あらあら。そんなに騒いで、どうかしましたか」

 

「朝御飯、これ三つじゃ足りないのだ。このポッド見つけて、昨日まで近くの島まで泳いで引っ張ったり、海に潜って魚や貝とか捕ってきたりしたんだぞ。オレ、頑張ったぞ」

 

「三つじゃ足りない。つまり、四つもほしいんですか、いやしんぼですね」

 

「むぅ。セイトーな対価報酬なのだ。オレのお腹はぐーぐー不満を訴えてるぞ!」

 

「『朝三暮四』って言葉知ってます?」

 

「チョウサンボシ? よくわからないけど、また叶瀬や古城君のこと訊きたいのか?」

 

「いえいえ。その大変興味深いお話はまたあとでじっくりと聞きますけど。―――では、今日の朝ご飯を四つにしましょう」

 

「おお! いいのか! 太っ腹だぞフォリりん!」

 

「ええ、正当な対価報酬ですから。代わりに夕ご飯の分を一つ減らすことになりますがよろしいですね」

 

「やったやった!」

 

「おーよしよし。元気にはしゃいじゃって……面白い」

 

「それで今日はどうするのだ? もうポッドを引くのはゴメンだぞ。ひとひとりくらいなら背中に乗せて海を渡っていけるけど……姫柊に怒られるからダメだ。ぶるぶる。それにここ、遠すぎて、全く匂いがあるほうがわからないぞ」

 

「そうですね。今のところは待ちに徹しましょう。

 それで、海の幸には飽きましたし、今日は新鮮な果実を、森の幸をご所望します」

 

「おう! 森はオレのフィールドだぞまかせとけ! いっくぞーー!」

 

「早速行きましたか。いいですね、従順、いえ、純粋で。……アルディギアで飼えないか父に打診してみましょうか」

 

 

 

つづく


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