止まることなく季節は回り続け、終に最後の季節がやってきた。
それはあの彼女と初めて出会った季節であり、僕が僕でいられる最後の季節。残念ながら桜木はまだ満開となっていないけれど、その蕾は膨らみ始めているし、あと2週間もすればきっと見事な景色を作り出してくれることだろう。
まぁ、その時、僕はもう殺されているはずなんだけどさ。満開となった桜木を見ることはできないけれど、今更どう仕様も無い。
――どうして僕が殺されなければいけないのか。
その理由は未だにはっきりとしていない。ただ、この僕の身体が素晴らしい勢いで人間から離れていることを考えると……僕はこの世界にいてはいけないんだろうな。なんて思ってしまう。
それは納得したのではなく、ただただ諦めたと言うだけのこと。もう少しくらい生にしがみついた方が良い気もする。でも、こんな僕の性格のこともあり、別に殺されても良いのかなぁ。なんて思ってしまう。
そんなこの性格は結局、最後の最後まで変わってくれることはなさそうだ。
「……何か楽しい話をしませんか?」
熱々のインスタントコーヒーをすすりながら、それっぽいことを考えていたら、彼女がそんなことを呟いた。
例のごとく、彼女は僕の部屋にいるけれど、別に何かをしていたわけではなく、ただ僕の部屋にいると言った感じ。まぁ、もうゲームもクリアしちゃったもんね。やることも特にないんだろう。
それに今はあの長い大学の春休み。やることのない日なぞいくらでもあるだろう。
「じゃあ、僕がかめはめ波の練習をしていた時、脱臼したお話をしようかな」
「いえ、そう言う話じゃなく……てか、何をやっているんですか」
脱臼ってのは面倒なことに、一度やってしまうと癖になるらしい。そのことは僕も分かっていたけれど、まさかかめはめ波で脱臼するとは思っていなかったから、あの時は驚いたなぁ。病院へ行き、脱臼の原因を説明したあとのお医者さんの顔は今でもはっきりと覚えている。
んで、そう言う話を聞きたいわけじゃあないのか。
はてさて、それならどんなお話をすれば良いのやら。
「じゃあ、どんなお話をすれば良いの?」
「ほら、今までで楽しかった思い出だとか、そう言うことを……」
ああ、なるほど。確かに脱臼をしたのは面白い思い出ではあるけれど、楽しい思い出ではないもんね。
それに彼女が聞きたいのは、きっとこの彼女と一緒に過ごしてからの思い出だとかそう言うことなんだろう。
この彼女との思い出……最初に思い浮かぶことと言えば、そうだなぁ。
「白い下着も悪くないね」
「死ね」
引っ張たかれた。危うくコーヒーを零してしまうところだったじゃあないか。天使さん怖いよ、天使さん。
嘘つきな僕ではあるけれど、自分の欲望くらいには正直に生きたいと思っているのです。
さてさて、それじゃあ思い出話と洒落込みましょうかね。彼女をからかうのは面白いけれど、引っ張たかれて喜ぶような趣味は持ち合わせていないのだから。
それからぽつりぽつりと彼女と出会ってからの思い出を語ってみた。それは1年間と言う短い時間の思い出だったけれども、どうやらなかなかに濃い時間だったらしく、話題が切れることはない。
それはあの桜木が満開の綺麗な季節から始まり、新しい住居へ移ったお話。初めて彼女と二人で居酒屋へ行ったお話。長い夏休みを利用して旅行や海、お祭りへ行ったお話。秋夜のフローリングの床が冷たかったお話。下着姿は良いものだと言うお話。引っ張たかれた。積もった雪を使い大きな雪だるまを作ったお話などなど。
貴重な経験だったなんて綺麗事を言うつもりはないけれど、少なくとも僕にとっては良い時間だったんじゃないかなって思う。
そして、彼女にとってもそうであったら嬉しいなって思うところです。
思い出話をするなんて、まさに最期と言った感じ。湿っぽいのは好きじゃあないけれど、たまにはこう言うことも悪くない。
そう思うのです。
「この僕の人生が幸せなものだったかなんて分からない。けれども、こうなってしまったことを後悔はしていないよ」
だから……
だから、どうか――
「その悲しそうな顔をやめてもらえると嬉しいかな」
「っ…………」
今にも泣きそうな顔となっている彼女。せっかく楽しい思い出を語ったと言うのにこれじゃあねぇ。
確かに今の僕の状況は笑えるようなものではないと思う。けれども、そんな顔をされてしまうとなんだか僕まで悲しい気分となってしまう。笑ってくれとは言わないけれど、いつもみたいな明るい君でいてもらいたいかな。僕もできるだけ頑張ってみるからさ。
「すみません……」
「別に良いよ。君が悪いわけじゃあないのだから」
君とは1年間も一緒に生活してきた。この彼女が僕のためにどれだけ頑張ってくれたかくらい分かっている。それに君のその優しい性格に僕は何度も助けられた。恥ずかしいからまだ言葉に出すことはできないけれど、君には感謝しているんだ。少なくとも恨んでなんかはいない。
じゃあ、誰が悪いかって話になってきそうだけど、きっとそれは考えても分からないこと。それならせめて明るくいきたいじゃあないか。それくらいのことなら僕にだってできそうだし。
「ん~……それじゃあ、夕食にしよう。何か食べたいものある?」
のんびりとお喋りをしていたせいで、そろそろ良い時間。アレだけ熱かったコーヒーだってすっかり冷めてしまった。
「えと、じゃあカレーを食べたいです」
カレーは一昨日食べた気がするけど……まぁ、良いか。今日は豪華にビーフカレーを作ってみよう。
それにしても君は本当にカレーとカップ麺が好きだねぇ。ちょいと偏食じゃあないかい? 天使さんだし問題ない気もするけれど、彼女の将来が心配だ。
「了解。買い物行こっか」
「はい」
僕の言葉に返事をした彼女の顔は、少しだけ柔らかくなってくれた気がする。
夕食も食べ終わり、時間は深夜と言ったところ。今は春の夜空を見上げながら、のんびりとお散歩。
あの寒い季節も終わり、多少は過ごしやすくなってくれたけれど、一人で過ごす時間はそれでも寒く感じてしまう。それに、春休みってこともありやることも特にないんだよなぁ。こんなことなら趣味の一つでも作っておけば良かったね。まぁ、あと2週間もないのだし、今更そんなことを考えたところで仕様も無いんだけどさ。
ん~……あと2週間かぁ。
此処まで来てしまうと嫌でも色々考えてしまう。別に無理をしているつもりはないけれど、周りから見れば多分僕だっていつも通りではないんだろう。それも仕方の無いことなのかな。
春夜空の下ぽてぽてと歩く僕の周りには、あのふよふよ達が集まってきて、僕の周りで踊った。
そうやって踊っているふよふよを一つ捕まえる。ひんやりとした感触。それがなかなかに心地良い。
「……触ること、できたんですね」
そんな声が聞こえた。それはあの彼女の声だった。
「夜はちゃんと寝ないと明日、大変だよ?」
なんだかまるで、いたずらが見つかってしまった小さな子供のような気分。別に悪いことをしているわけじゃないんだけどさ。
ただ、彼女には僕が寝なくても良いことや、このふよふよ達を触ることができることは言っていない。だから、何ともばつが悪い気分だ。
「夜はいつもこうやって過ごしていたんですか?」
「いや、今日はたまたまだよ」
「嘘ですよね」
「嘘だけどさ」
1年も一緒に過ごしたせいか、最近は僕の嘘も簡単に見破られるようになってしまった。君も成長するんだね。
「言ってくれれば、私も付き合ったのに……」
それは流石に悪いじゃあないか。確かに一人で過ごすこの時間は寂しいものではあるけれど、其処へ君を巻き込みたくはない。
「僕だって一人でいる時間は欲しかったからねぇ。こうやって一人でいると色々と考えることができるし、なかなか良いものだよ」
そんな言葉は嘘じゃないと思う。
それに夜空の下をぽてぽてと歩くこの時間はそれほど嫌いじゃあない。
「……貴方は優し過ぎます」
いやいや、何を言い出しますか。流石にそれはないって。自分を卑下するつもりはないけれど、僕はそんな良い奴じゃあない。
それは確かなことだと思う。
……だって、もし僕が本当に優しい奴なら、この彼女にもっと楽をさせてやることができたんだ。あまり後悔するような人間ではないけれど、こればっかりは失敗したと思っている。
「貴方が……貴方がもっと酷い人だったら良かったのに」
今は時間が時間だけに、僕たち以外誰もいない世界。
そんな世界で鈴の音のような彼女の声は良く響いた。この世界にも、僕の中にも。
ホントに……本当にこの彼女のことを考えるなら、僕はもっと彼女へ冷たく接するべきだった。それこそ
――こんな奴、死んでしまえば良いのに。
なんて思われるくらいに。
けれども、僕にはそれができなかった。
多少は頑張ってみたけれど、やっぱりこの彼女には嫌われたくなかったからなんじゃないかなって思う。
そんな僕が優しい性格なわけがない。僕はひねくれ、曲がり曲がった自己中心的な人間だ。
そんなんだから僕は彼女を傷つけてしまっている。この彼女の優しさを利用して。
こればっかりは失敗だったよなぁ。
「ごめんね」
「謝らないでください。こればっかりは私の気持ちでしかないのですから……」
はぁ……なんとも重い雰囲気じゃあないか。こう言うのも苦手なんだけどなぁ。
そんな空気が嫌だったから、話題を変えてみる。嫌なことからは逃げるのが一番なんだ。
「僕ってさ。まだ人間なのかな?」
それはずっと疑問に思っていたこと。別に人間でいることに拘りがあるわけじゃない。それでも、聞いておかなきゃいけないことだと思うんだ。
「多分、もう……」
「そっか」
それだけ聞ければ十分。
そりゃあそうだよね。睡眠もいらない。食事も必要ない。今だって月明かりだけでほとんど見えないはずの彼女の顔もはっきりと見える。
そんな奴が人間を語るのはおかしなこと。
そっか、人間やめちゃったのか……はぁ、とんでもない人生を歩んでいるなぁ。
まぁ、例え僕がどんな存在に変わってしまっても、殺されることに変わりはないんだけどさ。
「頑張れそう?」
「そんなの、分かりませんよ……」
拗ねたような彼女の言葉。
彼女がどれほど辛いのかは分からないし、それを僕がなんとかしてあげることはできない。それでも、どうにか頑張ってもらいたいかな。
「さて、そろそろ帰ろっか。僕も今日のところは帰ることにするからさ」
お散歩の続きはまた明日。急いだところで仕方無い。のんびりいこうじゃあないか。
「……はい」
悲しそうな彼女の表情。その表情を僕は変えてあげることはできない。
それならせめて、最期くらいは代わりに僕が笑ってあげようなんて思ってみた。
この物語の終わりまであと少し。