季節は夏。今日も今日とて、茹だるような暑い日が続く。ホント、嫌になっちゃうね。
「はぁ、やっと終わりました。何と言うか、人間も色々と大変なんですね……」
家に着いた途端、彼女はソファーへ倒れ込んだ。お疲れ様。
昨日はほぼ徹夜だったらしいし、まぁ、倒れ込んでしまうのも無理はないのかものしれない。でも、試験も今日が最後。これから2ヶ月ほど、あの長い大学の夏休みが始まる。
この夏休みは何をしようかねぇ。
「お疲れ、何か飲む?」
「冷たい麦茶を……」
かしこまりました。
彼女の言葉を受け、自分の分も含め2つのコップを用意。其処へ、冷蔵庫で冷やされていた麦茶を注いだ。キンキンに冷やされていたこともあってか、麦茶を注ぐとコップの表面には直ぐに水滴がつく。まぁ、これだけ暑ければそうなるよね。
「ほい、麦茶どうぞ」
「あっ、どうも。ありがとうございます」
ようやっと顔を上げてくれた彼女。その顔はやはり疲れているように見えた。
「むぅ……なんだか貴方は随分と余裕そうじゃないですか」
「そりゃあ、君と違って大学の試験だって初めてではないもの」
不器用な僕ではあるけれど、手の抜き方くらいは覚えてくれる。
それに君が此処まで疲れているのは、君の性格のせいだとも思う。今まで4ヶ月ほど一緒に生活してきたから分かることだけど、この彼女は意外と抜けている。洗濯物は溜め込んでしまうし、部屋の掃除も多分ほとんどしていない。料理は未だにできないし、レポートなんかの課題を提出するのだっていつもギリギリだ。昔からこうだったのかな?
僕の中にあった天使さんのイメージは、この彼女のおかげでどんどんと堕ちている。そろそろ地面についてしまうんじゃないだろうか。
「まぁ、でも、とりあえずこれで前期が終了ですね! 夏休みは何をしますか?」
そうだねぇ。
僕の目標のためにも、できれば彼女のやりたいことをしたいわけだけど……多分、彼女も何をしたいのか分かっていない。
夏休みかぁ……何をすれば良いんだろうね?
夏と言えば、海やお祭りなんかが直ぐに思い浮かぶけれど、何方にも魅力は感じない。そりゃあ彼女の水着や浴衣姿は見てみたいけれども、そのためだけに行くのもなぁ……
ん~……ああ、じゃあ。
「適当に旅行にでも行こうか」
せっかくの夏休みなんだ。たまには遠出するのも悪くないだろう。
「混んでいそうな時期なのに、宿って空いているものなんですね」
「観光地とは言え、平日だし流石に空いているよ」
大学の夏休みになって直ぐ、早速1泊2日の旅行へ行くことにした。目的地は隣県の温泉街。温泉なら彼女の浴衣姿だって見ることができるし丁度良い。彼女も彼女で温泉には興味があったらしく、喜んでいる様子。旅行先を温泉にした本当の理由を言ったらどんな反応をしてくれるのだろうか。
そして水着の方だけど……それはまぁ、また今度にしよう。内陸県住みにとって海は遠いもの。
途中のサービスエリヤやら道の駅やらで休憩を挟みつつ、出発してから3時間と言ったところ。漸く目的地へ着いた。一応、彼女も車の運転はできるそうだけど、色々と怖かったから僕が全部運転しました。久しぶりの長距離運転だったからどうだろうなぁ。とは思っていたけれど、問題も特になし。ただ、彼女が隣で爆睡していたくらい。
思っていた以上に早く着いてしまい、チェックインの時間にはまだ時間があったけれど、旅館の人に頼んだら問題なく、部屋へ上がらせてくれた。ありがとうございます。
因みに彼女とは同じ部屋に泊まるわけだけど……今更意識することもないか。今までだって同じ部屋で寝たことは何度もあるし。朝までゲームをしていた日とか。
「ん~……着いたー!」
部屋へ入って直ぐ、彼女が大きな声をあげた。
ただ運転していただけとは言え、僕もちょっと疲れたかな。早く温泉へ入りたいものだ。
「この後はどうします?」
「まぁ、フラフラと温泉街の中を回れば良いんじゃないかな」
碌に調べてはいないけれど、確かフリーパスみたいなものを買えば、ほとんどの温泉へ入ることができたと思う。ふやふやになるまで、温泉へ入りまくってやるぜ。
「え、えと、じゃあ、浴衣へ着替えるので、ちょっと外で待っていてもらえますか?」
少し恥ずかしそうにしながら彼女がそう言った。
「別に此処で着替えても僕は気にしないよ?」
「私が気にするんだよ! いいから、早く出なさい!」
叩き出された。
最近、僕の扱いがどんどん乱暴になっている気がする。最初出会った時は……いや、あんまり変わってないか。最初からこんなもんか。
女性と言うのは何かと準備に時間がかかるもので、それはいくら天使さんだろうが例外ではないらしい。僕の場合なんてバーっと脱いで、バーっと着てお仕舞いなのに。
結局、僕が部屋の中へ戻って良い許可がおりたのは、部屋を叩き出されてから20分近く経過した時だった。
「お待たせしました」
「うん、それじゃ行こうか」
浴衣姿になると女性は何割増しかで綺麗に見えると言うけれど、なるほど確かにそれは間違いじゃあなさそうだ。まぁ、彼女の場合は元が良いから大体の服は似合うと思うけれど。
「あれ? 貴方は浴衣にならないんですか?」
「うん、だって動きにくそうじゃん」
いつも通りスウェットとジャージ姿です。ただ、やっぱり暑いから両方共夏用のモノだけど。
「えー、せっかくなんですし、貴方も着替えてくださいよ。ほら、私は外で待ってますから」
野郎の浴衣姿なんて誰も得しないと思うんだけどなぁ。
とは言え、彼女に言われてしまったら仕方無い。着替えるとしようか。
その後、覗かないでね。なんてことを彼女に言ったらすごい顔をされた。覗いても良いよ。とか言った方が良かっただろうか。
着替えも終わり、二人で温泉街へ。
平日だから観光客もそんなにいないのかなと思っていたけれど、流石は観光地だけあり、それなりの賑わいを見せていた。休日になったらどれだけの人が集まるのやら。
そんな賑やかな場所を、カランコロンと心地良い音を出しながらのんびりと歩いてみる。
「む、むぅ、この下駄って随分と歩きにくいんですね」
普段履いているモノよりずっと歩きにくいのは仕方無い。慣れていないと鼻緒の部分が擦れて痛いし。だからやめておいた方が良いって言ったんだけどなぁ。
ただ、履きたくなってしまう気持ちも分かる。せっかく温泉街へ来て浴衣も着たんだ。下駄だって履いてみたいよね。
「さて、どうしましょうか? 地図によると入ることのできる外湯も沢山あるみたいですが」
「ん~……とりあえず、足湯に浸かりながらのんびりと考えようか。足湯もいくつか用意されているみたいだし」
僕がそう提案すると、彼女は分かりました。と頷いてくれた。
まだお昼にもなっていないし、時間は十分にあるだろう。今日くらいはのんびりいこうじゃあないか。いや、まぁ、いつものんびりと生きているんだけどさ。
そんなことで、足湯で一息。
誰が考えてくれたのか知らないけれど、足湯って良いよね。全身まで浸かった時とはまた違う、この足から疲れが抜けていくような感覚が。
「はふぅ……」
気を緩めてしまったせいか、僕の口からそんななんとも情けないような声が出た。うむ、これは足湯が悪いのであって、僕がいけないわけではないはず。
目を閉じると、人々の話し声や微かな風の音が遠くの方から聞こえてくる。うん、たまにはこう言うのも悪くないんじゃないかな。
そんな時、パシャリとカメラのシャッター音が聞こえた。閉じていた目を開けその音の方を見ると、スマホを此方に向けている彼女の姿。どうやら、彼女が写真を撮ったらしい。
別に写真を撮られることに抵抗はないけれど、不意打ちはずるい。撮る時はちゃんと言ってくださいよ。
「何やってんの?」
「ほら、せっかく旅行へ来たので、写真を撮っておいた方が良いかと思いまして。貴方も撮りましょうよ。今なら私も協力しますよ?」
う~ん、彼女は撮っておいても良いかもしれないけれど……あと、8ヶ月後には僕も死んでいるしなぁ。だから撮ってもなぁと思うところ。
そんなことを彼女に言えば絶対にあの悲しそうな表情になるだろうから、言わないけれど。
「僕は別に良いかな。思い出は心の中へ大切に入れてあるから」
「なんか、キモイですね」
うん、自分で言っておいてアレだけど、これはないなって思った。
足湯でのんびりした後は、軽く昼飯を食べてから外湯を巡ることにした。
歩いているだけで汗をかいてしまうようなこの季節。温泉と言えば冬のイメージだけども、夏に入る温泉ってのも悪くないと思うんだ。
そしてそれから僕と彼女はほとんど別行動となった。ここの温泉が混浴だったら良かったけれど、普通の温泉は男女が別れるもんね。まぁ、混浴だったとしても、彼女は絶対一緒に入ってくれなかっただろうけれど。
そんなことで、一つの外湯へ入るときに集合時刻を決め、それまでのんびりと温泉へ浸かる。みたいな感じとなった。ただ、僕は彼女ほど身体が丈夫じゃないため、どうしても早く出てきてしまう。あんまり浸かっていると上せちゃうし。水分補給が大切だ。
「お待たせしました」
「ん、別に良いよ。どうだった? 此処の湯は」
温泉の暖かさもあってか、上気し赤くなっている彼女の顔。浴衣姿と言うこともあり、それがいつもとはまた違って可愛らしく見える。いやぁ、良いものですなぁ。
「露天風呂がすごく大きかったです!」
そりゃあ良かったよ。
盗撮防止のため女湯は男湯と比べ、簾なんかのせいで視界が悪くなっていると聞いたことがある。そして女性が混浴に入るメリットは、普段の温泉じゃ味わえない視界を楽しむためだとか。
「ああ、そう言えば」
「どうしましたか?」
女性で思い出した。昔から疑問に思っていたことがあるんだ。
「女性の人って浴衣の下に下着をつけないのって本当なの?」
胸元を隠すような仕草をしてから、すごい目を向けられた。
いや、だって気になるんだもん。
「……他の人は知りませんけど、私はつけてます。いつものとは違いますが」
ムスっとした表情で彼女はそう応えた。
まぁ、そりゃあそうだよね。ちょっと残念に思うところもあるけれど、仕方無い。それにつけていないとか言われてもどう反応して良いか分からないし。
さてさて、それじゃあ、次の外湯へ向かうとしようか。そろそろ日も沈み始めるから、回れてあと2つくらいかな?
外湯巡りは午後から始めたわけだけど、最終的に7ヶ所も回ることができた。こんなにも温泉に浸かっていたのは初めてだ。ただ、来て良かったとは思う。きっと僕にはこうやってのんびりと過ごすモノが合っているのだろう。彼女の方はどうだったんだろうね?
「それじゃ、今日はお疲れ様」
「はい、お疲れ様です」
現在の場所は旅館近くの居酒屋。旅館の女将さんに、この近くで良い居酒屋を知らないか聞いてみたところ、此処を紹介してくれた。
個人経営らしく、店内にはカウンターと座敷が2つだけ。内装も綺麗と言えるものではないけれど、こう言う雰囲気は嫌いじゃない。のんびりお酒を飲むのには丁度良いだろう。
最初の一杯目はとりあえずビール。その次は地酒をいただこうかな。旅先でお酒を飲むのなら地酒は外せないと思うんだ。
「今日は楽しかったですね!」
そう言って彼女はコロコロと笑った。どうにも上機嫌な様子の彼女。そう言ってもらえれば僕も嬉しいよ。ただ、今日はあまり飲みすぎないでね。明日の予定は特にないけれど、二日酔いにならない程度でお願いします。
「僕も今日は楽しかったよ」
たまには旅行ってのも良いかもしれない。皆が行きたがる理由も分かった気がする。
運ばれて来た鮎の塩焼きをつまみつつ、地酒を一口。贅沢なことしてるなぁ。って言うこの気分がなんとも心地良い。
うん、本当に来て良かったと思えるよ。
僕はあと、こう言う気分をどれくらい味わうことができるのかねぇ。
そんな気分を味わうためにも、一日一日を大切にしなきゃいけないんだろうけれど、それがなかなか難しい。まぁ、できるだけ頑張ってはみるけどさ。
それから、彼女がまた酔いつぶれてしまう前に、旅館へ戻ることとした。とは言え、なかなかの時間を居酒屋で過ごしたと思う。料金もかなりいってしまったし……うん、美味しかったです。ご馳走様でした。
部屋へ戻ると彼女は布団へ倒れ込み、そのまま寝てしまった。今日ははしゃいでいたもんなぁ。きっと疲れてしまったんだろう。其処へ適度なアルコールなんて入ってしまえばもうどう仕様も無い。おやすみ。ゆっくり休んでくださいな。
一方、僕だって疲れているはずなのに、どうにも眠くない。と言うか、最近はやたらと睡眠時間が減っている気がする。それは寝られないのでなく、寝なくても良いと言った感じ。
その原因があのふよふよ達なのかは分からないけれど……他に何か思い当たるものはない。このままいったら僕はどうなるのやら……
そんなことで、真夜中の温泉街へ繰り出してみることに。彼女を起こさないようにそっと、そおっと。
時間が時間だけあって、僕以外に温泉街を歩いている人はほとんどいなかった。けれども、旅館やお店、温泉のある建物に付けられている提灯は明るく光っている様子。
う~ん、夜の温泉街ってのもなかなかに良い雰囲気じゃあないか。そして、此処にもあのふよふよ達が沢山いるんだね。提灯の明かりに照らされたふよふよ達はやはり綺麗に見える。
夜の温泉街と照らされたふよふよ達。そんな景色を見ることができる人は、ほとんどいないだろう。それが少しばかり誇らしかった。
そんな景色に見蕩れつつ、足湯で一息。こんなにも綺麗ならあの彼女にも見せてあげれば良かったかもね。僕なんかが独り占めするにはちょいともったいない。
「あっ、やっと見つけた! んもう、こんなところで何をやっているんですか!」
足湯に浸かり、幻想的な景色へ見蕩れていると、あの彼女の声が聞こえた。
どうやら僕を探しに来たらしい。ご迷惑をおかけしました。てか、よく一人で起きられたね。
「これだけ綺麗な景色だからねぇ。見ておかないともったいないって思ったんだよ」
「全く……ふと目が覚めたら、隣に貴方がいないので心配したんですよ?」
そりゃあ、失礼しました。
ただ、独り占めするにはもったいないって思っていたところだったんだ。彼女も来てくれたようだしこれは丁度良いね。
「はぁ……ホント、貴方って自由ですね。なんだかいつも貴方に振り回されている気がします」
そんな言葉を落としつつ、彼女は僕の隣へ座り、足湯の中へそっとその足を入れた。
「縛られるのは好きじゃないからなぁ」
ふわふわとしているくらいが僕には丁度良いんだ。
たまに飛んでいってしまいそうになるけれど、飛んでいってしまったらその時はその時だ。また新しい場所で頑張れば良い。
風に身を任せ、進む先なんて全く分からない。けれども、そんなこの人生は嫌いじゃあない。それで良いと思うんだ。