あの桜木の傍で僕と彼女が出会ってから丁度1年。漸く僕が殺される日がやってきた。
せっかくだし、これまでの人生を振り返ってみようかとも思ったけれど、アレだね。そんなことに慣れていないせいか、どうにも上手く振り返ることができなかった。それほど気にしていないつもりではあったけれど、どうやら僕の心の中はなかなかに動揺しているらしい。
そして、きっとそれは彼女も同じこと。此処最近は、目に見えて分かるほど、あの明るい彼女の気分は落ち込んでいた。精一杯明るく振舞おうとしているのが分かるだけに見ていて余計に辛い。まぁ、気にするなって言う方が無理なんだろうけどさ。
さてさて、これ以上考えることもないだろうし、そろそろ終わりにしようか。僕の人生が幸せなものだったのかなんて分からない。けれども、あの彼女と一緒に過ごしたこの一年間は幸せだったと胸張って言うことができる。
それだけ十分じゃあないか。
それじゃ、ま、殺されにいくとしましょうか。
自分の部屋を出てリビングへ行くと、其処に彼女は座っていた。僕がリビングへ来たと言うのに、彼女の顔が上がることはない。
そして、そんなことよりも目に付くのは――
「翼、あったんだね」
汚れを知らない純白の大きな翼が彼女の背中から生えていた。今まで見たことがなかったけれど、どうしていたんだろうね。まぁ、そんな大きな翼があったら普段は邪魔になってしまうし、きっと仕舞っていたんだろう。
「……これでも一応、天使ですから」
今にも消えてしまうんじゃないかってくらいの、小さな小さな声を彼女は落とした。
うん、そうだよね。たま~に忘れてしまいそうになるけれど、君はそう言う存在なんだ。うむうむ、最期に素敵なモノを見ることもでき、なんとも良い感じじゃあないか。
「やれそう?」
「……がんばります」
「そっか」
そんな言葉を交わしてから、彼女と向かい合うように座ってみる。その彼女は未だ顔を上げてくれない。
そして、彼女の前には真っ白なナイフのような物と、小さな台座のような物。ん~……まだ分からないけれど、僕はあのナイフみたいな奴で刺されるってことなのかな? できれば苦しまないよう、一瞬で殺してくれれば助かるのだけど……
「……本当に良いのですか?」
「これ以上会話を続けても君が辛くなるだけだよ」
彼女の言葉に対し、僕がそう応えると、ようやっと彼女は顔を上げてくれた。その顔は予想通り酷く悲しそうな顔。そう言う顔は見たくなかったのだけど……この優しい彼女のことを考えると、それも難しいことなのかな。
「だって、こんなの……貴方は何も悪くないのに……」
きっと今回は誰が悪いとか、誰が悪くないとか、そう言う話じゃないんだろう。強いて言うのなら僕と君の運がひたすらに悪かっただけ。それ以上でも以下でもない。きっと今回はそう言うこと。
「僕のことなら大丈夫。此処で僕の人生は終わってしまうけれど、そのことを恨んだりはしない。良い人生だったってちゃんと思えているからさ」
本当はそんな善人のような考えじゃないけれど、まぁ、これで彼女が少しでも安心してくれるのなら、それで良しとしよう。嘘つきでごめんねー。口調もできるだけ軽くし、いつも喋っているみたいに頑張ってみようか。
「それで、僕はどうすれば良いのかな?」
さてさて、何時までもこうやっているわけにもいかないだろう。僕は此処で止まってしまうけれど、彼女は此処で止まっているわけにいかないんだ。僕の分まで、な~んて偉そうなことは言わないけれど、どうかしっかりと前へ進んでほしい。ただただ、それだけを願います。
そして、僕の言葉を受け、何かしらの想いが伝わってくれたのか、彼女は一度大きく深呼吸をした。ようやっと決意を固めることもできたのか、彼女の顔はもう悲しそうには見えない。
うん、それで良いさ。そうしてもらえないと僕も救われない。
「その台座に手をかざしてください。それで出るはずですから」
何が出てくるのかは分からないけれど、言われた通り、台座の上へ手をかざしてみた。
すると、すーっと僕の中から何かが抜ける感覚がし、目の前に直径10cmほどのコインのような物が現れた。
そしてそのコインみたいな奴は僕が思うように動かせるらしく、空中を泳がせたりとなかなか面白い。
「コインみたいな奴が出てきたけど、これ、どうすれば良いの?」
「えと、色は! その色は……何色でしょうか?」
何かを期待しているような彼女の顔。え、えと……よく分からないけど色が何か関係あるんですか?
てか、彼女にこのコインみたいな奴は見えていないんだ。僕にはこんなにもはっきり見えているのにね。
「ドス黒い色をしているけど」
「あっ、そう……ですか……」
何が何やらさっぱりだけど、僕の応えに彼女は酷く落ち込んだ様子だった。もしかして、このコインが黒じゃなかったら僕は殺されなくて済んだとかそう言うことなのかな? そりゃあ、助かるのなら嬉しいけれど、諦めてしまった僕にはもう何かに縋る元気もないかな。
「では、それを台座の上へお願いします」
そう言ってから、彼女はあの真っ白なナイフを手に持った。
ああ、なんとなく分かった。きっとあのナイフでこのコインのような物を刺すってことなんだろう。それならナイフじゃなくハンマーとかにすれば良かったのにね。
「ほい、置いたよ。んで、そのナイフは何のなの?」
「これはこの世界にないモノを刺すことのできるナイフです。一度切りの使い捨てではありますが、私たち天使に傷をつけることもできますし……貴方の出したソレも壊すことができます」
そりゃあなんとも高そうなナイフじゃあないか。そう言えば、最初にこの彼女と出会った時も、殺すだけでは意味がないとか言っていたもんね。
「貴方が今出したものは、貴方の生命そのものです。本当なら真っ白なはずですが……“邪”と混ざりあった場合は黒く染まると聞いています」
なるほどねぇ。つまりアレか、このコインが黒いのは僕の心が汚いからとかそう言うことではなく、あのふよふよ達が原因なんだね。そうかそうか、別に僕の心が汚れているわけではないのか。
結局、あのふよふよ達の正体は良く分からなかったけれど、どうせ“よくないモノ”が集まったとかそう言うことなんだろう。どの道、今更気にしたって仕様がないことではある。
「……それでは何か最期に言っておくことはありますか?」
最期にかぁ……正直、そんなことをいきなり言われたって何も思い浮かばない。こんなことなら喋ることくらい考えておけば良かったね。1年もあったと言うのに、何をやっていたのやら……
そっか……アレからもう1年、か。
それなら、伝えておかなければいけないことがあるだろう。普段の僕じゃ恥ずかしくて口にできやしなかったけれど、最期くらいはちょいと頑張って、この気持ちを口に出してみるべきなんだろう。
嘘だらけの僕だけど、たまには素直になってみるのも悪くはないはず。
だから、この嘘つきな僕の素直な気持ちをそっと口に出してみようか。
「ありがとう。君と1年間過ごすことできて、僕は幸せだったよ」
なんて、言って笑ってみた。
彼女が少しでも安心するように、優しく優しく。
そんな僕の言葉を受け、彼女の顔は一瞬歪んだように見えた。
一度目をギュッと閉じ、ゆっくりと開けてから……
「はい、私も貴方と過ごすことができて幸せでした」
なんて、今にも泣きそうな声で言葉を落とした。
もう一度、大きく深呼吸をしナイフを手に取ってから、ソレをゆっくりと振り上げる彼女。
ありがとう。
さようなら。
そして――
「ごめんなさい。やっぱり無理そうです……どうか、私の分まで生きてください」
なんて言ってその目から涙を零しながら、彼女は笑った。
彼女の翼から純白の羽が一つ、ゆっくりと落ちていくのが見える。
そんな馬鹿みたいに遅く感じる時間の中、上げられたナイフは勢い良く振り下ろされた。
その彼女自身の胸へ。
そして、カキン――と何かが割れたような音。
「えっ? な、なん、で……?」
そんな驚いたような彼女の声が何処か遠くの方で聞こえる。彼女の胸元へ移動させたコインは彼女のナイフによって見事に割れていた。
良かった。どうやら上手くいってくれたみたいだ。コインが割れたことを確認すると、僕の身体から力が一気に抜け、ゆっくりと後ろへ倒れた。なるほど、これが“死”ってやつですか。意識は今すぐにも飛びそうだし、確かに良いものじゃあないね。
「……あ、貴方は何を?」
もう起き上がるだけの力も残っていない。あとどれくらいの時間生きていられるのか分からないけれど、その時間はきっと長くはないだろう。
悪いね。最後の最後でまた嘘をついちゃってさ。彼女にはあのコインを台座へ乗せるように言われたけれど、僕はソレに従わず、台座へ乗せたと嘘をついた。
嘘をついた天使は堕とされてしまう。そんなことにこの彼女がならないよう……彼女があの時言った、僕を殺すと言う言葉が本当のことになるように、僕はあのコインを動かした。彼女がナイフを何処へ動かしても、あのコインがソレを受け止めてくれるように。
それくらいしか僕にはできない。
少しずつ暗くなっていく視界。きっともうそろそろと言ったところ。ただまぁ、やっぱりこの人生そんなに悪くはなかったのかなって思うんだ。少なくとも、彼女が死に、僕が生き残ってしまうような人生よりは。
「何を……貴方はどうしてそんなことをやったんですか!」
薄れ始めた視界で、彼女の顔が近くに見えた。
どうしてそんなことって言われてもねぇ。むしろ、君こそどうしてあんな行動をって聞きたいくらいだ。それにどうして僕があんなことをしたかくらい、彼女だって分かるだろうに。
彼女と違い、何とも思わないような相手に命を懸けられる程、僕は善人じゃあない。君だったから……君に生きていて欲しかったから。
そう思ってしまうのは――
「君のことが好きだったから、かな」
多分、そう言うこと。なんとか言葉に出すことができ、僕は満足です。
ポタポタと何かが僕の顔へ当たったけれど、既に僕の視界は真っ暗でもう何も見えない。
ただ、もう言いたいことは全部言えたし、これで僕は逃げさせてもらおう。逃げるが勝ちとはよく言ったものだ。逃げてばかりの僕になんともピッタリな言葉じゃあないか。
そして、この人生を止まらせようと思った時。
「私――方のことが――です……」
と、しっかりと聞くことはできなかったけれど、確かに彼女の声が聞こえ――僕の口にそっと柔らかい何かが触れた気がする。
僕の意識は其処で途切れた。
ただ、最期はちゃんと笑えていたんじゃないかって思うんだ。
―――――――――
はたと意識が戻ると、どうにも見覚えのある天井だった。
それはこの1年間僕が過ごしてきた天井とよく似ている。
さてはて、今はどんな状況なんでしょうね? 何が何やらさっぱりだったけれど、とりあえず身体を起こしてみることに。
そうして見えてきたものは、僕の部屋の中の景色と良く似ていた。てか、此処、僕の部屋だよね。流石に僕の部屋そっくりな場所とは考えられないし。
しかし……どうして僕は此処にいるのだろうか? そもそも今の僕って生きているのかな。記憶が正しければ、僕はあの彼女に殺されたはずなんだけど……地縛霊とか言う存在になるのはちょっと遠慮したいところ。
ただ、足もあるようだし、生きているんじゃないかなぁとは思う。
そして何より……あの彼女はどうなったのだろうか? そんなことばかりが気になってしまう。
う、うーん……まぁ、考えていたってわかりやしないか。どうやら今の状況に混乱しているみたいだし、ちょいとお散歩でもして落ち着いてみるとしよう。
桜木な綺麗なこの季節。散歩するには丁度良いのだから。
僕が殺されたのはまだ朝と言って良い時間だったはず。そうだと言うのに、僕の目が覚めたのはもう日が落ち始める時間だった。
今の自分の状態は良く分からないけれど……生きているってことで良いのかな?
一応、意識はしっかりとしているつもりだけど、どうにも身体がフワフワとしてしまい、なんとも変な感じ。
そんな気もそぞろのような気分でフラフラ歩いていると、いつの間にかあの桜木が綺麗な公園へ着いていた。
「う~ん、やっぱり君は綺麗だねぇ」
もう見ることはないだろうと思っていた満開の桜木を見ながら、ぽそりと独り言が落ちる。そんな桜木の周りには例のごとく、あのふよふよ達が踊っている。
どうやら今の僕にもふよふよ達を見ることはできるらしい。ホント、何がどうなっているのやら……
まぁ、考えていたって仕様が無い。それにぽてぽてとお散歩をしたおかげか、それなりに僕の気持ちも落ち着いてくれた。この長い大学の春休みも終わってしまう前に、色々とやらなきゃいけないことがある。
とりあえず、引越しの準備をしておかないとかな。何時までもあのアパートで暮らす訳にもいかないのだし。考えなければいけないこともあるけれど、まずはできることからやっていこう。
そんなことを考え、桜木から離れようとした時――
「こんにちは」
だなんて極々普通の挨拶をされた。
それは鈴の音のような綺麗な声。
だから彼女と再会したのも、桜が綺麗な季節だった。
それがこのお話の終わりで、何かの始まり。
ゆっくりと後ろを振り返ると、何処か恥ずかしそうに笑う、あの彼女の姿。
「はい、こんにちは」
色々と聞かなきゃいけないことがあるはずなのに、僕の口から出たのはそんな言葉だった。トクトクと自分の中の何かが馬鹿みたいに暴れるのが分かる。
えとえと、なんだ? こんな時はなんて言えば良いんだ?
「その、ですね……」
なんて言葉をかければ良いのか悩んでいると、ぽつりぽつりと彼女が言葉を落とし始めてくれた。
そして――
「堕ちちゃいましたので……えと、またお世話になっても良いでしょうか?」
なんて言って彼女が僕に聞いた。
正直、何が何なのかさっぱり分からない。それでも、とりあえず彼女に返事をしなければいけない場面。
「え、えと……はい、問題ないです」
だから、そう応えてみた。
僕はあまり慌てるような性格じゃないけれど、その時は相当慌てていたんじゃないかと思う。自分でも何を言っているのか、何が起きているのか良く分かっていなかったし。
「あー、じゃ、じゃあ、その……またよろしくお願いします」
なんて言って照れくさそうに笑う彼女。
「あっ、はい。此方こそよろしくお願いします」
そう言って僕も笑ってみたけれど、上手く笑えていたのかは分からない。笑うの下手だもん。仕方無いね。
どうして彼女が堕ちてしまったのか。これからどうするのか。そんな聞かなきゃいけないことが沢山あったけれど、まぁ、それはまたゆっくりと話せば良いんじゃないかな。
それからまた彼女と一緒に過ごす日々が始まった。
あの時、彼女が僕にした行動のせいで彼女は堕ち、僕も僕で所謂、半天使的な存在となってしまったらしい。それで、彼女をもう一度天使へ戻すために彼女のいた世界へ行ったり、悪魔みたいな奴と会ったりした訳だけど……それはまた別のお話。
とりあえず、この嘘つきな僕が素直な彼女を堕とした物語は、バッドエンドと言うことで締めようと思う。
そんな終わり方が僕には丁度良いと思うんだ。
と言うことで、この作品はこれで完結となります
一応、連載作品ですので、後書きやら何やらはいつも通り活動報告へ書こうと思います
読了、お疲れ様でした
では、またいつかお会いしましょう
ああ、疲れたぁ……