戦車残俠伝~再開~   作:エドガー・小楠

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第壱拾伍話 黒みほ物語(強化人間施術編)

 

 

 

 対抗演習が終わって次の土曜日、大洗艦が接舷している埠頭。

 呼び出されたみほと海崎の前に、蝶野教官たちが乗ったドイツ製のセダンが止まりました。

「B○Wの5シリーズかよ。じえーたいってのはどんだけ給料もらってんのかねえ」

 左のウインドウから顔を出した中野陸曹長が「早く乗れ」とうながします。

「海崎、別に自分の持ち物とは限らないのよ」

 見ると蝶野教官が助手席に座っています。親のものだとでも言いたいようです。

 後部座席にみほと海崎が納まると、車は常磐道~首都高~東名と走っていきました。

「ずいぶん剛性感のある、かっちりした車だな。それにハンドリングがいいね。ポ○シェといい、とてもあんなひでえ走りする戦車作った国たあ思えねえな」

 ふーん、女の子の会話じゃないわね。と思いながら、蝶野さんはこう返します。

「道具として考えた場合は、過剰性能とも言えるわね」

「で、教官はプライベートではリーズナブルな国産車ですかい?」

「……3シリーズよ。クルマは単なる道具じゃないわ。特に乗用車は」

 そんな不毛な会話のさなか、「あの……」と、みほが何かを言いかけました。

「どうした? トイレかい?」

「いえ、実家の車がマ○○ッハだったものですから。国産車とどう違うのかって」

 ずっこける蝶野教官と海崎。運転している中野さんは無表情のままです。

「い、いろんな意味でコメントしようがないわね」

「まああれだ、国産大手の開発研究所に行って、そこのエンジニアたちがどんなお車に乗ってなさるのか見ればわかることさ。

 ……しかし、ショーファードリブン乗ってる、ガチお嬢様だったんだねぇ。

 あっしは免許取ったらア○ディで雪原ドリフト大会させてくれるツアーにでも行こうかな」

 中野陸曹長は、こいつらが車のブログでも立てたら、1年365日、炎上しっぱなしだろうな。などと考えながら、模範的な姿勢をキープして運転し続けるのでした。

 

 

 

 蝶野教官と中野陸曹長、そしてみほと海崎をのせたドイツ車は、東名高速の最初のパーキングエリア、港北PAに入ってきました。ここで4人とも1回車から降ります。

「西住さん、あなたにはこれからヒッチハイクで名古屋まで行ってもらうわ。ルールは次の サービスエリアかパーキングエリアまで乗せていってもらうこと。乗せてくれる車が現れるまで、何台でも頼み続けること。新東名には行かないわよ」

 蝶野教官はしれっと恐ろしい課題をみほに与えます。みほは角谷から「戦車道とってね」、と言われたときより真っ青になっています。

「そして終点の守山PAに着いたら、そこで終了。どこかで1泊になっても強行します。私は、あなたが誰かに拾われたのを確認してから、この車で先回りします」

「あのー、あっしもでやすか?」と海崎が問いかけると、中野さんが

「お前のように変に如才なくて図々しい奴にヒッチハイクやらせても罰にならん。

 お前はこっちだ」と、あらかじめ停めてあったSMVを指さします。

「お前はこれから私と二人で、フル装備の背嚢を背負って、富士の一合目から山頂まで登り、そしてまた一合目まで降りてくるんだ。予定は1泊だ」

「待ってくだせえよ。せめて四合目からにしやせんか? 陸曹長殿」

「四合目からなら、幼稚園児でも登れるからダメだ」

 そう言うと中野さんは、さっさと海崎をSMVの後部座席に放り込むと、富士山めがけて

出発してしまいました。

 確かに年長組にそれやる幼稚園は実在しますが……

「おーい、西住のー! 家族連れや女連れに頼むんだぞ-!!」

 海崎がウインドウを開けて、最後にそう叫んでいきました。脳筋よさらば……

 

 

 

 海崎たちの車が見えなくなると同時に、「さあ、行きなさい」と蝶野教官に促され、みほはPAに停まっている車という車に手当たり次第にお願いして回ります。

 頼み方としては「高校生の無銭旅行で、名古屋まで行きたいから、次のPAまででいいから乗せて」です。

 件の本には平均10台、悪くとも30台頼めば乗せてくれる車があるように書いてありましたが、中に誰も乗っていない車も多く、仕事中の人はほぼお断り状態ですので、やはり海崎が勧めたように家族連れか女性だけの行楽客になります。

 男性がいると、それがどうこう以前に引っ込み思案のみほが声をかけられません。

 海崎なら身なりがうさんくさい分平然と「そこの兄い、次のPAまででいいから乗せてってくんねえ?」とかカラッと言ってのけるのでしょうが。

 1台目から乗せてもらえることは、まずありませんでした。

 みほが最初の1台目に声をかけようとしたときは、ウインドウもあけてもらえず、無視されました。

 当然、心が折れそうになりました。とても中に人が乗っている車を探して声をかけるなんてことはできそうもありません。

 それでも一応授業の一環ですからやらなければならないのですが、みほはこんなことを考えました。

 

(声をかけ続けているのに誰も乗せてくれなければ、蝶野さんもあきらめるかもしれない)

 

 そしてダメもとと開き直った気分で、数をこなすことだけを考えました。そして30分ぐらい頼みまくって、本当に気持ちが折れそうになったころ、女子大生のグループと思しき3人組と交渉が成立しました。

「名古屋まで連れてってあげたいけど、厚木で降りるから」ということで次のポイント、海老名SAまで乗せてってくれることになりました。

 

 次の海老名でも25台目でだめだったところに、見かねたという態度の高齢ドライバーから「どこまで行きたいんだ?」と聞かれ、「御殿場まで行くから足柄まで行くか?」と聞かれたのには断腸の思いで「中井PAで待ち合わせてますから」と答えたみほでした。

 

 中井ではいきなり親切なカップルに会ってしまい、みほはさすがに遠慮しようと思いましたが、後ろに蝶野教官の視線を感じ、お邪魔虫なのは承知で鮎沢PAまで連れて行ってもらい、そそくさと降りました。

 さすがに広い駐車場で、えり好みしている余裕はないということに気がついたみほは、男だけの集団や、明らかに営業車だとわかる車にもお願いすることにしました。

 何かあったら、後ろには現役の武官がいるのです。このときみほは、自分がきゃしゃな体つきでも100kgベンチプレスを平気でこなせる、男性レベルでも力持ちの部類に入ることをまったく忘れていました。

 

 そしてこれ以後、結果だけ言いますと、鮎沢では25台に頼み、足柄で蝶野さんとお昼、足柄では20台目、駒門では17台目、愛鷹では13台目、富士川では21台目、由比までは8台目、日本平では10台目、日本坂では5台目、牧之原では23台目、小笠で3台目、遠州豊田で11台目、三方原で4台目、浜名湖SAで夕食と車中泊。

 本当は枕が替わっても眠れないみほですが、いい加減疲れたのか、倒した助手席で朝まで眠りました。

 そして日曜日、本当なら寝てよう日なのですが、8時に浜名湖で14台目に乗せてもらい、再出発です。

 駐車場に止まっている車で、誰か乗っている車を探すより、PAやSAには必ず食堂が

あるのだから、そこで食事中、または食事が終わったドライバーに片っ端から声をかければ楽なのではないかと、みほは考えました。

 

 新城で4台目、赤塚で6台目、美合で3台目、上郷で8台目、東郷で10台目。

 終点守山についたのは午後1時でした。

 全体に乗せてもらえるまでの台数は激減したと言っていいでしょう。

 

 みほたちが大洗に午後6時ごろ帰ってくると(当然蝶野さんはオービスのない区間はアクセルベタ踏みでスピードメーター振り切りです)、中野陸曹長と海崎が涼しい顔をして待っていました。

 中野さんも海崎も互いを置いていくつもりで駆け上がったようですが、富士山では勝負がつかなかったということです。

 みほは、こっちは(自粛)km/h振り切った時点で死にそうなのに、お前ら脳筋同士K2無酸素で勝負してろ。と思ったとか思わなかったとか。

 ただ、こうは考えました。

「これなら日本中、タダで行きたいところにいけるかもしれない」

 それからしばらくして、みほは休みに何も予定がないときは、常磐道の田野PAまで行っては、とんでもないところまで小旅行するようになりました。

 

 3日ぐらいたったある日、戦車道の授業が終わると、角谷がみほの隣にやってきて、

1冊の本を渡して言いました。

 

「いやこれ、何か参考になるかと思って読んだんだけど、私とこの人タイプが違いすぎてわからなかった。西住ちゃんにあげるよ」

 

 そう言うだけ言って、角谷はどこかに行ってしまいました。

 その本はかつて風雲児と呼ばれ、みるみるうちに頭角を現すも、あっという間にすべてを失った若い起業家の自伝的エッセイでした。

 みほは、ほとんど同郷といっていいその人物の、人生の振り返りを読んで「自分と似ているな」と思いました。

 女と男、女子校か男子校かの違いでしかなく、家庭の雰囲気に限って言えば似たようなものでした。

 せっかく大学に行って女性がいるところに来たのに、コンプレックスの塊で声もかけられなくて、かえって逃げてしまうところなど、思わずわかるわかると自分に当てはめてしまいました。

 わかったことは、この著者は、臆する心をねじ伏せて自ら先陣切って戦い、組織の顔になるタイプのリーダーだということです。

 これは確かに全身肝っ玉でどんな相手にも平然と応対し、方針だけ示すと役割をさっさと割り振って、完全に信頼して結果を待つ角谷とは異なるリーダー像です。

(たとえば、角谷にとってはどんな事情があるにせよ自ら主砲を撃つことは異例中の異例です)

 著者が言うには、一歩踏み出せないというのは自信がないからであって、誰でも自信のあることは堂々とやり遂げる。

 そして自信は小さな成功体験の積み重ねに育てられると。

 そして彼が何をやったかの下りまで読んだとき、黒幕が誰なのかみほにもわかりました。

 しかし一方で、この本は角谷が読みたいからではなく、おそらく初めから自分に読ませるつもりで入手したものなのだろうな、とも思いました。

 

 その日の夕方、みほが帰宅して、寮の郵便受けを見ると、少し厚めですが軽い定形外の郵便物が入っていました。

 差出人の名前は書かれていませんでしたが、消印はよく知る熊本の地名でした。

 部屋に入って、封を開けてみると、中に入っていたのは1個の黒いベレー帽でした。

 他には何もありません。

 みほは、これに何か見覚えのあるような気がして帽子の縁の裏側を見ます。

 そこにはこう刺繍してありました。

「APRIL,2011 CREW OF THE LONGEST MARCH  MAHO NISHIZUMI」

 

「……これは、あのときの……お姉ちゃんの……」

 

(みほは、「くじけぬこころ」をてにいれました)

(みほは、「まほのべれー」をてにいれました)

 

 

 

 

 


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