陽乃日記   作:ルコ

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彩りのハーモニー

 

 

 

 

 

 

 

✳︎真っ赤なアールグレイ✳︎

 

 

 

読んで字のごとく【喫茶店】とは、喫煙をしながらお茶を飲むお店である。

 

そう呟きながら、私の前で煙草を咥えてコーヒーを啜る彼は満足気に煙を吐き出す。

 

お砂糖をこれでもかと混ぜたその黒い何かを、コーヒーと呼ぶには失礼ではなかろうか。

 

 

腕時計の針がゆっくりと進む。

 

 

幸せな一時。

 

 

「…うん、上手い。煙草とコーヒー…、最強ですね」

 

「比企谷くん、それ絶対に身体壊すよ。……あと、喫茶店の喫は喫煙って意味じゃないからね」

 

「え!?」

 

「お菓子を食べながらお茶を飲むことを喫茶って言うんだよ」

 

「へえ。だから頼んでもないのにクッキーとか出てくるんですね。てっきり店員さんの優しさかと思ってましたよ」

 

 

それでも煙草を吸い続ける彼を見つめながら、お茶受けとして出されたクッキーをひと齧りする。

 

 

最近知ったことだが、比企谷くんの大学は私の大学から近いらしく、さらに彼の一人暮らし先もこの近くだとか。

 

それもあってか、最近ではほとんど毎日のようにLINEをしては一緒にお茶を飲み、お酒を飲み、お花を見に行く。

 

そんなことが日常になり始めた今日この頃。

 

 

「煙草を吸い始めたのはやっぱり静ちゃんが影響?」

 

「そうですね、半分は平塚先生の影響かと」

 

「もう半分は?」

 

「……秘密です」

 

 

はぐらかす彼は私から目を逸らし煙草の煙を吐き出した。

 

時折見せる大人の雰囲気が、ふわりと私の顔を熱くする。

 

 

ゆっくりと、それでもじっくりと。

 

 

彼との時間は駆け引きなく刻まれる。

 

 

「私があげたアネモネは元気?」

 

「元気ですよ。水を掛けてやったら喜んでましたよ」

 

「ちゃんと話し掛けてあげなさい」

 

「…ぼっちにはハードルが高いですね」

 

 

お花に話し掛けるのにハードルとかあるの?

 

なんて思いながら、彼がアネモネに話し掛けている姿を想像したら笑えてしまう。

 

と、笑いを堪えながら私はティーカップを傾けた。

 

 

「…雪ノ下さんの、冷めてません?」

 

「私、アールグレイは少し冷めたくらいが好きなの」

 

「へぇ。…あ、すみません。ちょっと電話です」

 

 

私のアールグレイが半分程になる頃に、彼はスマホを持ち席を外す。

 

誰からの電話だろうか。

 

彼のスマホに登録されている電話番号なんてさほど多くないはず。

 

さらに電話をする仲と言えば……。

 

 

雪乃ちゃん?

 

 

ガハマちゃん?

 

 

 

「……」

 

 

 

ドクンと動く心臓の血液に、私は不安を覚えてしまう。

 

 

……なんで不安?

 

 

喜ばしいことじゃない。

 

彼が雪乃ちゃん、もしくはガハマちゃんと仲良くしていることは。

 

 

彼に再開してから奉仕部の事情については何故か触れられない私にとって、そこは無干渉で無関心な領域であるはずなのだから。

 

 

 

「すみません…」

 

「え、あ、全然いいよ。…だ、誰からの電話だったのかなぁ…って、聞いてみたり?」

 

「え?あぁ、三浦ですよ。……って知らないか。高校の頃のクラスメイトです」

 

 

三浦……。

 

私の記憶力を侮ってはならないよ。

 

三浦ちゃんってあの娘だよね。

 

金髪でギャルギャルしい……、隼人に利用されていた娘。

 

 

「…隼人のことを好きだった娘でしょ?へぇ、比企谷くんとは無縁な感じだと思ってたけど」

 

「あぁ、高3の時に葉山の件で奉仕部に依頼が来たんですよ。それでLINEを交換してから何かと利用されてるって言うか」

 

 

隼人の件……。

 

隼人が雪乃ちゃんに告白して振られたのも3年生の時だったっけ。

 

それと何か関係した依頼だったのだろうか。

 

 

「ふーん。どんな用事だったの?」

 

「あぁ、今度の花火大会の場所取りを頼まれました。俺ん家から近いらしいんで」

 

「……場所取りを?それは三浦ちゃん、横暴過ぎないかしら」

 

「…そうなんすよ。しかも、そういう時って大体誘ってた男にドタキャンされたとかで付き合わされるんです」

 

「あははー。三浦ちゃんも男運がないねー……、ん?付き合わされる?」

 

「はい。紅葉狩りもスノボーもお花見も、全部ドタキャンされて全部付き合わされました……」

 

 

……。

 

 

それって確信的めたもるふぉーぜじゃない?

 

 

春夏秋冬折々の情緒を捉えたデートじゃない?

 

 

……三浦ちゃん、あなたって娘は。

 

 

「…素直じゃないなぁ。三浦ちゃん」

 

「え?何がです?」

 

「んーん。何でもないよ」

 

 

面白い娘が多いんだから。

 

羨ましいよ。

 

 

「…ときに比企谷くん」

 

「と、ときに?…何すか?」

 

「その花火大会っていつなの?」

 

「えっと…、確か来週だったと思いますが」

 

 

あれ、私は何を聞いているんだろう。

 

冷めたアールグレイが茶色く渦巻く様を見て、鼓動が強くなる心に疑問を投じる。

 

 

「…場所取りとか、三浦ちゃんの為を思うならしない方がいいと思うなぁ」

 

「?」

 

「だ、だってそうでしょ?人任せにし過ぎるのは良くないし!奉仕部は直接の手助けはしないって言ってたし!?」

 

「…口調が三浦みたいになってますけど」

 

「……監視します」

 

「は?」

 

 

 

ふぅ…、あっついなぁ。

 

店内の温度、高過ぎない?

 

喉もカラカラ。

 

アールグレイが冷めていて丁度良かったわ。

 

 

 

「……花火大会の日、比企谷くんが三浦ちゃんの手助けに行かないか、監視するから」

 

 

 

「……」

 

 

 

キョトンとした比企谷くんと目が合うと、私はそれから逃れるようにカップに残ったアールグレイに目を落とす。

 

 

先程まで茶色かったアールグレイが今は赤く染まっていた。

 

 

 

あぁ、違うか。

 

 

 

この色はお茶の水面に映った私の顔色だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

✳︎花びらはイルミネーションに✳︎

 

 

 

 

 

 

 

 

歩き辛い。

 

 

お腹は苦しい。

 

 

それなのに、心は幸せで一杯だ。

 

 

 

先程までドレッサーで念入りに整えた髪も、薄めに施した化粧も、玄関に立て掛けられた全面鏡で見直す度に手を入れたくなってしまう。

 

前髪のズレが気になったり、口紅のノリを気にしたり。

 

挙げ句の果てにはクルリと周り背後の気配りにまで目を通す。

 

 

タンポポをあしらった黄色の浴衣が、鏡の前で何度も何度もにらみ合う様子など誰にも見せられない。

 

 

「…前髪、横に流しちゃおうかなあ…」

 

 

思い立ったが吉日とばかりに、私はヘアブラシを取りに行きまたもや髪型にテコを入れてみる。

 

 

「か、可愛い…、よね」

 

 

思わず呟いた言葉は、鏡の中の自分に問い掛けた物。

 

返答があるわけでもなく、ただただ妄想の中で彼が私に振り向いてくれることばかりを考えていた。

 

 

「よし。…行こう」

 

 

ようやく決まった今日の私は何点だろう。

 

可能な限り、満点の私を見せたいものだ。

 

 

普段の癖でヒールに脚を伸ばしそうになるも、それを制止し草履に履き替える。

 

 

偶々通りかかった着物屋さんで見つけて新調した可愛い花柄の草履。

 

 

鼻緒に指を通すと少しこそばゆい。

 

 

 

玄関を出て、カランと音を鳴らした足取りが足取りの軽さを歌っていた。

 

 

 

 

「ふふん♪ 監視監視ぃ〜♪」

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

待ち合わせ場所に到着したのは集合時間の10分前。

 

花火大会に行く人だろうか、所々には私と同様に浴衣を着た女性や片手に子供を引き連れた親御さんの姿が多々見受けられる。

 

 

「あ!おーい!比企谷くーん!」

 

 

周囲をキョロキョロと見渡していた彼を見つけ、私は年甲斐もなく手を大きく振ってしまった。

 

スルリと落ちる袖に、慌てて手を小さく振り直す。

 

 

「…本当に来たんですね」

 

「当然でしょ!キミを監視するのが私の役目なんだから」

 

 

彼は普段と変わらぬジーンズとTシャツだけのラフな格好で、鞄すら持ち合わせていない。

 

 

「嫌な役目ですね。……ん、タンポポ。なんか雪ノ下さんっぽいです」

 

「へ?私っぽい?」

 

「タンポポは陽気なイメージです。悪い意味じゃないですよ?」

 

「ほ、ほう。陽乃って名前に掛けたんだね?」

 

「はは。それじゃぁ行きますか」

 

 

と、彼は花火大会の会場とは逆の方向に歩き出す。

 

 

「え?どこに行くの?」

 

「雪ノ下さん、運営の閲覧席とかで見慣れてるでしょ?」

 

 

そう言うと、彼はポケットからチュッパチャプスを取り出し口に咥えた。

 

何かを咥えていないと落ち着かないとか。

 

 

「あっちの公園に、広くて見晴らしいいの場所があるんです。静かな場所で見る花火も綺麗ですよ」

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 

人並みに逆らい歩く事数分。

 

少し小高い場所に現れたのは広く抜ける草原。

 

チラホラと数名の先客が居たものの、確かに花火を見るには穴場スポットなのかもしれない。

 

 

「へぇ、こんな所あったんだ」

 

「はい。俺はここで四つ葉クローバー探しを特訓しました」

 

「あはは。だから得意だったんだね」

 

 

ふわりと香る草の匂い。

 

芝生の上に比企谷くんが置いてくれた小さなハンカチの上に腰を落とすと、彼も隣に腰を落とす。

 

ようやく一息付いたとばかりにポケットから煙草を取り出し、彼はチュッパチャプスを噛み砕き咥え変えた。

 

 

「…煙草、すみません」

 

「んーん。いいよ。何か、私の知らないキミを見ているようで楽しいから」

 

「そうすか」

 

 

「うん」

 

 

 

白い煙が空へと登るのを見つめ、私は隣に比企谷くんが座っていることを改めて不思議に思う。

 

 

 

あの時、彼を拒絶したのは私なのに、心のどこかで彼を求めていたのは私だった。

 

 

 

退屈な日々を過ごす中で、思い出すのはいつも彼だった。

 

 

 

詰まらなくなった私を、絶対に見せられないと思ったのは彼だった。

 

 

 

だから、再開したあの日には喜びと悲しみが交わり合って……。

 

 

 

 

「……雪乃ちゃん達とは会ってるの?」

 

「……。偶に」

 

「私の話も聞いてくれてるのかな?」

 

「…」

 

 

無言で吐き出された煙草の煙。

 

 

ゆらりと登り消えていく様は彼のよう。

 

 

「……私、卒業したら…」

 

 

「花火」

 

 

「…」

 

 

「花火が上がりますよ」

 

 

 

私の声は掻き消される。

 

 

彼の声も同様に。

 

 

青く丸い花火が大きな音を立てて打ちがると、それに続いて次から次へと色んな花火が空を埋め尽くした。

 

 

 

「……卒業したら、フランスに留学するの」

 

「…雪ノ下から聞いてますよ。建築のデザインを学びに行くんですよね」

 

「…」

 

 

 

花火が音を鳴らす間に伝えた私の声に、彼はしっかりと返してくれる。

 

 

連続で上がる花火を見ながら、卒業後の自分を想像してみるも、どこかそれは私が私じゃないような気分になっていった。

 

 

と、溢れ出る様々な感情と問答していた時、私の肩が叩かれる。

 

 

「?」

 

 

「下、見てください」

 

 

彼は夜空に浮かぶ花火ではなく、下に広がる草原を見ろと言うものだから。

 

 

何を意味して言ったかも分からずに、私は彼の指先に視線を向けた。

 

 

 

花火が音を鳴らし、夜空いっぱいに真っ赤な円が浮かび上がる。

 

 

 

そして

 

 

 

その光に反射した草原が赤く赤く染めあがった。

 

 

 

全面に広がる赤色が、まるでお花畑の中に居るように。

 

 

 

 

「す、すごい…」

 

 

 

緑色だった草の一つ一つが花火に照らされ、彩り豊かなお花へと生まれ変わる。

 

 

 

幻想のように、赤や青、黄色と変わりばんこに生まれるお花畑。

 

 

 

「お花畑に居るみたい!」

 

 

「ですね」

 

 

 

彼は静かに頷いた。

 

 

同じことを考えていてくれたことに嬉しくなる。

 

 

 

 

「…綺麗」

 

 

「……雪ノ下さんはお花屋さんになりたいんですよね?」

 

 

「…うん」

 

 

「卒業までまだ10ヶ月もあります」

 

 

 

お花畑の中で彼は立ち上がる。

 

初夏の暑さは吹き付ける風がほどよく気持ち良い。

 

彼の向けてくれる優しい視線が、奉仕部で奮闘する彼を思い出させてくれるようで。

 

 

 

 

 

 

「好きな事やりましょうよ。悔いを残さないくらい。自由に楽しみましょう。……その方が、雪ノ下さんらしいです」

 

 

 

 

 

 

 


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