狼少女の夢日記 〜ぼくらはあの時同じ月を見ていたんだ〜 作:三月時雨
篠宮さんが忘れ物を取りに、教室に戻ろうとしたら教室から話し声が聞こえてきた。という場面です。
「うん、……みに……で桐…君と」
「でもめずら……よね。夕佳ちゃ…………るな…て」
「…ント。いっつもニコ……してる……。おこ…………あるんだ」
わたしの教室は階段のすぐ真横にある。途切れ途切れしか聞こえないが昼休みのことを話しているのは確かだった。あの子がクラス中に吹聴したのは分からない。ただあの子の声は今のところしない。勿論わたしが保健室にいる間に言う機会なんていくらでもあったけど。
傘を取らないといけないのに……。どうしようかと思っていると教室の中の1人の女の子が声を上げた。
「ねぇ、…当はた…の……………ったりして」
冷たい素手で心臓を握られた気分がした。今、わたしについて、何て言った?
一拍空いた後、教室はどっと湧いた。
「まさか〜。そ…なのないない」
「そうだよ。ってか、最近いろ…なのに影響受け過ぎ…よ」
「え〜、そん…に影響され…る?」
雨の音でよく聞こえない。わたしは注意深く耳を傾けつつ、階段を1段上がった。
「思いっきり。だっ…、それって…………と同じ……………」
「そう…う」
「いや、で…待ってよ。なくは……でしょ? だ…て、一見………に見え……ど、案外………ったりす…し」
わたしについて語るその声はどこか楽しそうだった。階段をもう1段上がる。
「あー。も…かし…ら、そ…もあるか…」
「もう。冗…に乗っ……だめだ…」
「でもあんな…んなに見……るよ…な……で言い争ってる…だよ。そ…としか考え……ないでしょ」
「ないない。…けど、そ…が本当…ったら、おも…ろいよね」
「でしょ?」
楽しそうに弾んだ声が矢になってわたしに突き刺さる。おもしろい? 何が? わたしが?
正直、何の話なのか、何を言っているのかはっきりとした形では掴めていなかった。けれどこの時には既に平常心を失っていた。わたしの耳にはわたしのことを冷笑しているように聞こえた。わたしの耳に届くのは頭の中で勝手に作り出された声だった。
夕佳ちゃんってそういう人だったんだ。
ねぇ。がっかりだよね。笑っちゃうよね。
お願い。そうじゃないって言って。わたしは必死に耳を澄ます。
わたしは階段に独りだった。わたしは孤独と恐怖に支配される。‥‥‥怖い。みんなが何を言うのか知りたくない。それでも聞かないと。わたしはもう1段上がり階段を上がりきる。脚はガクガクと震えていた。
……雨のせいだ。雨で冷え込んだせいだ。雨なんか嫌いだ。傘を取りにいかないと行けなくなるし、それに雨音が五月蝿い。五月蝿くて聞こえない。
「じゃ…、しよりはどう思…」
「そ…だよ。…しか、…じ中学だ……よね?」
しよりの名前を聞いてわたしは一瞬驚く。今までしよりの声は聞こえて来なかった。しよりはいない。いちゃいけない。でも期待は裏切られ、子供らしさが少し残った高めの声が聞こえてきた。
「まぁ、2年の時し…か同……ラスには…らな…ったけど」
その声はどこかけだる気で、応えるのが実に億劫そうだった。
いや、違う。ただの空耳だ。しよりが本当に教室にいるとは限らない。もっと近付かないと誰がいるのか、何を話しているのか確かめないと。わたしはそっと、扉越しに教室の中を覗き込んだ。