狼少女の夢日記 〜ぼくらはあの時同じ月を見ていたんだ〜 作:三月時雨
桐原君はひるみ、言葉を返せないでいる。チャンスだとわたしは思った。このまま畳み掛ければ、わたしはこの場を立ち去ることが出来る。桐原君ももうわたしに話しかけたりしなくなるかもしれない。勿論、それで丸くはならない。桐原君との関係は、はたから見ても分かるくらいに險惡になる。それくらいわたしも分かっていた。
それでも、わたしは聞きたくなかった。分かってないのに路上に捨てられた犬や猫に手を差し伸べるような言葉を言おうとして。そんなの聞きたくない。聞いてしまったらきっとわたしは世間とか大衆とかに闇の中へと放り込まれて、怖くて、闇の中に独りぼっちになることが、外の世界に出ることが怖くなって、わたしは一歩も動けなくなってしまう。
「……邪魔なの。帰って。今のわたしは桐原君に用はないの。桐原君なんかいらない。帰って! 帰ってよっ!!」
わたしはわめき声を上げる。すると、わたしはどこからともなく肩を掴まれた。
「ちょっと!? どうしたの?」
掴んできたのは同じクラスの女の子。
「たまたま通りかかったら誰か喧嘩してる声が聞こえてきて、何なのかなって思ったら………。ねぇ、何かあったの、夕佳ちゃん?」
わたしは目を合わせないようにうつむく。その心配そうな口調から悪気はないのだろうけど、その言葉がわたしを余計苦しめた。息が詰まりそうになって、「なんでもない」と言うのが精一杯だった。
「何でもない訳ないでしょ。桐原君、何があったの?」
わたしに聞いても答えが返って来ないことを理解したのか、今度は桐原君に尋ねた。うつむいたままのわたしには桐原君がどんな表情をしているのか見えなかった。
「そ、それは‥‥」
「だから、何でもないの! 桐原君が何かした訳でもわたしが何かした訳でもないの。何もなかったし、何も起こってなんかないっ!!」
その場を切り裂くような叫び声が轟いた。一瞬誰の声かと思ったが、それは間違いなくわたしの声だった。一気に空気が冷え込む。
はっと気付いて顏を上げると、周りの人が取り囲むように一斉にわたしを見ていた。
見ている。見られている。驚いた顏をしてわたしを見ている。たくさんの人にわたしは見られている‥‥‥。
もうやめて。わたしを見ないで。『あの教室にいるのが君なんじゃないの?』って顏をしないで。
分かってる。自分が猫を被った嘘つきなことくらい……。
だから、これ以上わたしを見ないでっ!!
わたしは拘束具のように肩を掴んでいた女の子の手を無理矢理剥がした。その時、昼休みを終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。授業よりも見せ物を優先させる訳にもいかず、周りを取り囲んでいたギャラリーはワラワラと教室に消えていった。残ったのはわたしと桐原君と肩を掴んできた女の子。移動教室で急ぐ生徒が早歩きで通り過ぎた。
「篠宮さん。あのさ……」
「何? さっさといなくなって、て言ったでしょ?」
わたしは桐原君を睨みつけた。桐原君が控えめな口調だった一方でわたしのは刺だらけだった。桐原君は目を合わせないように少し目線をずらしてしばらく突っ立っていたが、やがてわたしに背を向けて歩き出した。桐原君は最後まで何か言いたげな顏をしていた。