狼少女の夢日記 〜ぼくらはあの時同じ月を見ていたんだ〜   作:三月時雨

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第29話

 青年が席を外して部屋にはぼくと篠宮さんだけになった。篠宮さんは思い詰めた顏をしている。ぽちゃんとまた水が落ちる音がした。心配になってぼくが声をかけると、少しだけ首を動かしてこっちを見てくれた。ただ、表情はそのままでその後すぐに視線をそらされてしまった。

 

 上の小窓から穏やかなお日様の光が洞窟の中に漏れ出している。窓から見える空は赤みがかっていて、外の景色は見えないがもう夕方なのだろう。

 そういえば、今まで毎晩ぼくらは森の中を歩き回っていたんだなぁ。ぼくは不意にしみじみとした感に襲われる。

 宛てなんてないようにも思えた木々。黒い人の姿をした化け物。照りつける太陽に静かに光り輝いていた月や星。ぼくと篠宮さんはたわいもない言葉を掛け合い、出口を目指して歩数を重ねていった。そして、さっき出会った青年が言った。私は出口を知っているのだと。

 ようやくここまで来たのに。なのに………。

 

 やがて、青年が手に小さなガラスの小瓶を持って戻ってきた。青年は開いた篠宮さんの手のひらに小瓶をちょこんと置く。

「これだよ」

「……あの、これを飲むだけですか?」

「そうだよ。分かりやすいだろ?」

 

 中には半透明の白く濁った液体が8分目の辺りまで入っていた。

 篠宮さんは両手でその小瓶をそっと目の所に近付けてしげしげと見つめる。

 

「これを、飲むだけ‥‥‥。これを飲めば、本当に楽になれるの?」

「少なくても君の中で落とし所はちゃんとつく」

「これを‥‥‥‥」

 篠宮さんは噛み締めるようにゆっくりと呟いた。

 

「焦らなくてもいい。私はいつまでも待ってるから。それに私は夕佳さんにじっくり考えて、その上で決断して欲しいと思ってるし。桐原君はどうする? 君は残るつもりなんてないだろうけど、先に森を出たりしないで夕佳さんを待つかい?」

「構わないですよ。ぼくは」

「いいよ、別に。わたしだけ残ればいいから」

 篠宮さんは小瓶を見つめたまま主張する。

 

「良くないよ」

「いいから。桐原君はこの森を出て。迷惑はかけられない。かけたくない。だってわたしは‥‥‥」

「だって?」

 ぼくが聞き返すと篠宮さんは唇を噛み、小瓶をギュッと握ってうつむく。

 

「だって、わたしは‥‥‥わたしは、本当は‥‥‥‥‥」

 そう言うと篠宮さんの口は止まり、言葉が消えてしまった。ぼくは篠宮さんを見やる。教室の中では見たこともない姿。しかし、この夢の中では何度も見たことのある姿。それは迷い、立ち止まってしまっている姿だった。

 

 こういう時、ぼくは何と言ってあげたらいいのだろうか。ぼくは今更になって思った。悩んでいる篠宮さんを前に助けになりたいとぼくはあの時、学校の図書室で思っていたのに、今までのぼくはずっとかける言葉がなかった。というか思いつかなかった。

 いや、違うかもしれない。変なことを言ってしまうことを恐れていたぼくは頭の中の霧が晴れないことを言い訳にして何も言わなかったんだ。例え霧が晴れていなくてもぼくは今篠宮さんに何か言うべきなんだ。

 

「ここまで来たんだ。ぼくは待つよ。……でも、勝手だけどぼくは篠宮さんにここに残って欲しくない」

「どうして? ‥‥わたしなのに」

 篠宮さんは弱気で小さな声で言った。

 

「それは、ぼくが一人でこの森を出たくないからだよ。そんなためにぼくは篠宮さんと一緒にいたんじゃない。森で最初に会った晩に篠宮さんは絶対この森を出るんだって言っていた。だからここまでぼくと一緒にいたんでしょ? ねぇ、だからぼくとこの森を出よ?」

 篠宮さんはぼくの方を向いた。ただ、篠宮さんはうつむきがちなままで目線も下を向いていた。


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