狼少女の夢日記 〜ぼくらはあの時同じ月を見ていたんだ〜 作:三月時雨
「ずっと走り続けてたんだから、少しでも休んだ方がいいだろ?」
いなくなっていく化け物を見送ってからそう言うと青年は近くに倒れている木の幹に腰を降ろす。青年の心遣いにぼくはお礼を言おうとしたが、今度は口が従ってくれず、ハアハアと断続的な呼吸をしている。困ったものだ。このまま立っていても意味はないのでぼくと篠宮さんも手頃な物を見つけて座った。ちなみにぼくらが座ったのは捨てられていた学校の椅子である。
「そういえば、自己紹介をしないと。私はこの森に暮らしている住民で、名前は……悪いけど持ってない。だから私のことは好きに呼んで構わない」
青年は申し訳なさそうに言った。
「それで、君達の名前は?」
「き、桐原です……」
「わたしの、方は……篠宮…………」
篠宮さんも口が言うことを聞いてくれないようだ。肩が大きく上下している。名前を言ってからしばらくお互い無言だったが、呼吸が落ち着いてきたところで篠宮さんが青年に頭を下げた。
「あの、助けてくれてありがとうございました」
疲れているのか、篠宮さんの言葉には元気がなかった。青年は照れくさそうに頭をかく。
「気にしないで。助けることを選んだのは他でもない私なのだし。それより、休んだらまた歩ける? とりあえず私の家に来るといい」
青年の口ぶりからは篠宮さんとは面識がないことが分かる。さすが篠宮さんの勘だと感心しつつもさっきから胸に突っかかる疑問は更に大きくなる。身のこなしといい家といい、この男、誰だ?
「家、ですか?」
「そう。この森の住民だからね。桐原君だって帰る家くらいあるだろ?」
青年はさも当然に言う。そりゃ、ぼくにだってあるけどさ、そうはいっても現時点では夢から目を覚まさないと帰れないんだけど……。
「珍しいですね。ぼくらもだいぶ歩き回りましたけど、住んでる人に会うのは初めてです」
「私も会ったことがない。今のところ、私くらいしかいないんじゃないか」
「大変そうですね」
「そうか?」
「そうですよ。だって、困った時に誰も頼れないじゃないですか」
「1人は1人で気楽でいい。寂しくない訳ではないが、代わりに周りを気にしなくて済む自由さがあるし」
青年のその言葉にぼくは大人びた雰囲気があるなと思った。大人というのはきちんと自分で立って歩けて悩みも問題も壁も背負って生きていくことが出来る人なのかもしれない。今の自分には到底無理な話。というか多くの人も無理だとは思うけど。ぼくはうじうじしているし、悩みや自分の言動でそこら中をのたうち回りたくなる気分にもなる。それでも何とか折れずにやってこられたのは、憧れは持ち続けながらも自分の人生なんてこんなものかと思ったりしていたから。もっとも、所詮虫のいい大人への幻想を抱いていることくらい分かっている。後はそれを虚像なのだとスパッと切り捨てられれば何の問題もないんだけど……。
「でも、化け物が出て来た時に苦労しませんか? 1人ならまだしも2人や3人だったら……」
「いや。住民になったら全然たいしたことないものだよ。あまり襲って来なくなるし」
青年は歯を覗かせて笑う。半袖の袖口から先の露出した腕は女子が羨ましがりそうなくらい白いが適度に筋肉が付いていて、妙にアンバランスだった。
そんな中、遠くでかすかではあったがガサガサと音がする。篠宮さんの肩がビクッと上がった。