マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

アインズ様「やっと冒険が出来るぞ!」←フラグ
 


The Catastrophe Dragon Lord Ⅱ

 

 

 早朝、アインズ達はティアとティナを先頭にトブの大森林に足を踏み入れた。アゼルリシア山脈の麓に広がるこの巨大な森は、人類が未だ切り開いていない未開の地であり、分かっている事と言えばゴブリンやオーガ、トロールだけでなく森の賢王などの魔獣といった、様々な多種族が生息している事だ。話によると、帝国のワーカーチームが以前ここで若い個体のドラゴンを退治した事があるようで、油断は出来ない人外魔境である。

 双子の忍者の先導で、アインズ達はトブの大森林を注意深く進んでいく。森は鬱蒼としており、例え日中であろうと通常の人間の視力ではよく見通せないので、野伏(レンジャー)の性能が頼りになる。

 ……もっとも、アインズは暗い夜も見通せる能力があるので、はっきりと森の風景が見えているが。

 

 蒼の薔薇は時折軽食を取りながら、先へ進んでいくがアインズとブレインは軽食さえ食べない。その事に首を傾げてラキュース達が訊ねるのだが、アインズとブレインは気まずそうに言葉を返した。

 

「いえ、実は私は飲食睡眠不要のマジックアイテムを持っていまして……」

 

「俺もそれをアインズから貰っていてな。最近、気が向いた時くらいしか飯は食わん」

 

 アインズとブレインの言葉に、蒼の薔薇は酷く驚いた。

 

「そんなマジックアイテムを持っていたんですか!? 凄いです!」

 

 アインズはどこから来たのだろう、そんな疑問が湧いたのか全員首を捻るが、しかしアインズはむしろブレインに首を傾げた。

 

「ブレイン、気が向いた時にしか食事しないとは……普段何をしているんだ?」

 

 アインズはもとから飲食睡眠出来ない身なのだから、仕方ない。しかし、もしアインズに肉体があれば食事も睡眠も摂取するだろう。金もエ・ランテルの護衛として払われていたはずだ。ブレインは何にその金を使っているのか、とても気になった。

 アインズの疑問に、ブレインは何でもないように答える。

 

「いや、お前色々マジックアイテム持ってるだろ。目玉が飛び出ちまうような。俺も金を溜めていつか、そういったマジックアイテムを手に入れたいと思ってな。南方に高価なマジックアイテムが多いと聞くし……だから金を溜めてるんだよ」

 

 食費が丸々浮くから助かるぜ、とブレインは笑う。アインズどころか蒼の薔薇さえ呆れているようだった。

 

「お前……そんな目的のために食事を娯楽と割り切れるとは……随分ストイックな男だな」

 

「強さを求めるのはちょいと俺も分かる気持ちだけどよ、さすがに毎日食事は我慢出来ねぇわ」

 

 イビルアイとガガーランの言葉に、ブレインは「強さのためなら余裕だって」と笑っているが、蒼の薔薇にはとてもそうは思えないのだろう。ブレインの強さに掛ける情熱は、はっきり言って度を越している。

 

(思い出すなぁ……“このデータクリスタルを使った武器が作りたい”って、皆巻き込んでよくモンスターを狩りに行ったっけ……)

 

 アインズの脳裏には、武人建御雷などの姿が過ぎる。たっち・みーを倒すため、色々皆で試行錯誤したものだ。そしてそのための武器の材料を集めるのに、よく頼まれて素材集めをしたものである。

 最強を目指すのは男の浪漫だ。男の子として、ブレインの気持ちがある程度アインズにも理解出来る。……まあ、それでもブレインほどの情熱が保てるか、と訊ねられると疑問が残るが。

 

 ――そのようなちょっとしたイベントもあったが、特に問題も無くアインズ達はトブの大森林を進んでいく。時折蟲系モンスターやゴブリン、オーガなどが現れるが何の問題もなく対処していった。

 

「……森の賢王って奴、全然出る気配がしねぇな」

 

 先に進みながら、ブレインがぽつりと呟く。それにアインズも苦笑を返した。

 

「確かに。まあ、森の賢王は一匹なのだろう? さすがに一匹でそこまで広範囲をカバー出来るとは思わん。おそらく、俺達のいる場所とは遠く離れた場所を歩いているんじゃないか?」

 

「あー……なるほど。少し楽しみにしていたんだがなぁ」

 

「……その気持ちは分かる」

 

 ブレインは伝説の魔獣に遭遇出来るのを楽しみにしていたらしく、残念そうだ。アインズも少しばかり、気落ちする。しかし相手は生きているのだ。ゲームのイベントのように、必ず遭遇するなどありはしないだろう。

 …………その時、寝床で腹を見せて爆睡している白銀の魔獣が、寝ながらくしゃみをするという奇妙な事をしたか定かではない。

 

 彼らは進む。双子の忍者を先頭に。時折、全員で地図を見て、イビルアイが飛行魔法で空を飛び森から出て方角を確かめる。休憩を取りながら、魔物を退治しながら着々と目的地へ進んでいった。

 ……そうして次第に歩を進めているのだが、イビルアイが時折首を傾げているのをラキュースが目敏く見つけたらしく、口を開く。

 

「イビルアイ、どうしたの?」

 

「いや……」

 

 歯切れの悪いイビルアイに、ガガーランが続いて声をかける。

 

「どうしたんだよ、何かおかしなもんでもあったか?」

 

「……おかしい。おかしいと言えば、そうなんだが……」

 

 そのイビルアイの言葉に、全員足を止めてイビルアイを見る。イビルアイは仲間の困惑に口篭もりながら答えた。

 

「ゴブリン達のことなんだが……どうも、さっきから変じゃないか?」

 

 ティアとティナはイビルアイの言葉に覚えがあったのか、頷いた。

 

「同じ方角からしか襲って来ない」

 

「しかも、全員少し急いでる」

 

 その通りだった。アインズも思い返せば、確かにティアとティナの言葉通り、ゴブリン達は同じ方角から、急いでいて偶然アインズ達に遭遇した様子に思えるのだ。

 まるで、何かに追い立てられているかのようだ、と。

 

「……確かにそうね。私達の向かう方角じゃないし、来た方角でもないけれど、少し変だわ」

 

「……様子を探りに行くか?」

 

「……いいえ、やめておくわガガーラン。私達は薬草の採取に来ているのよ。とりあえず、今回のゴブリン達の行動は組合に報告する程度に留めましょう。皆もそれでいい?」

 

 ラキュースの決定に、他の蒼の薔薇は勿論、アインズとブレインも異を唱えず頷いた。そして、再び先に進んでいく。もう随分と歩いていて、もはや森は鬱蒼としており常人であれば昼と夜の区別がつかないほどだ。

 

「そろそろ目的地に着くはずなんだけど……」

 

 ラキュースが地図を確認しながら、呟く。目指している目的地は薬草の生えている場所ではなく、野営に最適だと以前この任務を受けた冒険者達が語っていた場所だ。もはや日は暮れているであろうから、そろそろ辿り着かなくてはまずい。アインズ、ブレインはマジックアイテムのおかげで大丈夫だが蒼の薔薇は休憩を途中幾つか取っているとはいえ、疲労もピークに達しているだろう。

 

 ――そうして、そこから更に一時間ほど経った頃であろうか、アインズ達はついにその森の切れ目に到着した。

 

「ふー……着いたわ。たぶん、ここだと思う」

 

「確かに、話に聞いていた通りの少しおかしな広場だな」

 

 妙に広い森と森の切れ目。かつて訪れたアダマンタイト級冒険者達が、野営地に最適だと言っていた場所。そこは魔物達の気配が無く、少しばかりおかしな場所であった。

 

「ローファンの爺さんの話なんだから、まず間違いはないと思うけどな。ティア、ティナ、周囲に魔物の気配はあるか?」

 

「大丈夫」

 

「凄く静か」

 

 ガガーランの言葉に、ティアとティナが頷く。ラキュースがそれを聞いて、それぞれに指示を出した。

 

「じゃあ、皆で野営の準備をしましょう。アインズさん、ブレインさん。申し訳ないんですけど……」

 

「ご心配なく。私とブレインで見張りは引き受けましょう」

 

「確かにな。お前らはゆっくり寝ておいた方がいいと思うぞ」

 

 アインズとブレインはマジックアイテムの効果で疲労しない。よって、二人が見張りにつくのが当然だった。

 野営の準備を終え、食事を終わらせた蒼の薔薇は早々に眠りにつく。アインズとブレインは互いが対面になるように座って、焚火を囲むと静かに寝ずの番をする。蒼の薔薇の寝息だけが、周囲に響いた。

 

「……それにしてもよ」

 

「うん?」

 

 ブレインが口を開いたので、アインズは首を傾げる。ブレインは人の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「俺は冒険するってのは初めてなんだが、未知の冒険ってのは中々いいもんだな。お前が焦がれるのもなんとなく分かるぜ」

 

「だろう?」

 

 どうやら、アインズが常々呟いていた未知への冒険というものの魅力に、ブレインも取り憑かれたようだった。ブレインは火を絶やさないように集めた薪用の木の枝を焚火に入れ、アインズに話しかける。

 

「欲を言えば森の賢王ってのにも会ってみたかったがな。伝説の魔獣って言うが、どんな奴なんだろうな?」

 

「俺も気になってるさ。俺の予想では鵺という魔獣なんじゃないかと思うんだが」

 

「ぬえ?」

 

「ああ。確か猿の顔に、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾を持つ魔獣だ。どうだ? 森の賢王の容貌にそっくりじゃないか?」

 

「なるほど……そんな魔獣がいるのか。確かに、それなら噂にぴったりの魔獣だな」

 

 納得したようなブレインの頷きに、アインズは笑いかける。

 

「エ・ランテルが活気を取り戻したら、またここに来て森の賢王の面でも拝みにいくか」

 

「そりゃいいや!」

 

 アインズの提案に、ブレインも笑って頷く。南方の砂漠の街に、森の賢王。行きたい場所は沢山あった。知りたい未知は、探しきれないほどある気がした。

 その未知に焦がれ、アインズはブレインと共に笑ってこれからの冒険に思いをはせる。そうやって仲良く会話していると……

 

「……あのぉ……」

 

「!?」

 

 静かにかけられた声に、ぎょっとしてアインズとブレインは声の方角を振り返る。互いに、手は武器に伸びていた。声の方角には、何もいない。いや……

 

「ドライアード?」

 

 アインズはその姿を見つけて、納得する。頭の中にドライアードの生態が思い浮かび、ドライアードならそれ相応の特殊技術(スキル)を使わないかぎり、擬態で近くまで近寄られるだろう。

 

「何事ですか!?」

 

 アインズとブレインの急に尖った気配に、蒼の薔薇の面々も飛び起きたらしい。テントの中から、武器を手に取ったラキュース達が姿を出す。

 ラキュース達もドライアードの姿を見つけて、驚きに目を見開く。

 

「……ドライアード。何か用か? それとも、ここで野営されるのは困るのか?」

 

 アインズが訊ねると、見知らぬドライアードは首を横に振る。どうやら、野営されるのは構わないらしい。

 

「それなら一体何の用があったんだ?」

 

「あ、うん。前に来た人達が、また来たのかと思って」

 

「うん?」

 

 ドライアードの言葉に、全員で首を傾げる。ドライアードはアインズ達に話しかけた理由を語った。

 ドライアード……彼女の名前はピニスンと言い、ピニスンは昔七人組の者達とある約束をしていたらしい。七人組の容姿は明らかに、かつて数十年前にこの地を訪れたローファン達とは違っていた。

 だがイビルアイはその七人組の容姿を聞いた時、心当たりがあったらしい。

 

「なあ、それリーダーって呼ばれていたりリグリットという名前の者がいなかったか?」

 

「うわあ! よく知ってるね! そうだよ! そう呼ばれていたよ!」

 

 ピニスンは知っている人物がいたからか、嬉しそうに声を上げる。しかし、対するイビルアイは気まずそうな気配を滲ませていた。いや、蒼の薔薇の面々も同じような気配を滲ませている。

 

「知っているんですか? 皆さん」

 

 アインズが訊ねると、ラキュースが気まずげに答えた。

 

「ええ、少しだけ。ただ……その七人組を連れて来るのは、とても難しいわ」

 

 ラキュースがそう言うと、ピニスンはショックを受けていた。

 

「な、なんで!?」

 

「なあ、リグリットってのは確かお前らの知ってる婆だろ? なんで難しいんだよ?」

 

 ブレインもリグリットという人物の事は知っていたらしい。しかし、ブレインの言葉にラキュースはやはり気まずそうに返した。

 

「あのね。たぶん、その七人組って十三英雄達のことよ」

 

「は?」

 

「え?」

 

「?」

 

 その言葉に、アインズとブレインは絶句する。ピニスンだけがまるで分かっていなかった。

 十三英雄は、二〇〇年前に魔神を討伐した事で有名な英雄譚の者達だ。人間であるならば、確実に寿命で死んでいるだろう。亜人種であっても死んでいるかもしれない。

 

「あー……あの婆、十三英雄の子孫だったわけか」

 

 だとすると、ブレインの知っているリグリットという名前の老婆は子孫なのだろう。先祖から名前を貰うというのは、よくある事であるし。ラキュースはブレインの言葉に曖昧に頷き、ピニスンに向き合った。

 

「あのね。その人達は二〇〇年前の人達なの。はっきり言って、もうほとんど死んでいると思うわ。私達はね、二〇〇年も生きていけない種族なの」

 

「そんな……」

 

「だからね。もしよかったら、私達に話してみない? これでも私達、腕に自信があるの。たぶん、貴方の頼みを聞けると思うわ」

 

「うーん……まあ、話すだけなら」

 

 そうして、ピニスンはかつて十三英雄とした約束を語った。大昔、この世界に降り立った世界を滅ぼす魔樹の話を。

 

「――――」

 

 全てを聞き終えたアインズ達は、全員かなり難しい顔をした。何故なら、明らかにアダマンタイト級で出来る事を超えていたからだ。

 

「ねえ、もしかして八欲王の一人がこの土地に封印されているの?」

 

 ラキュースが不安そうにイビルアイを見つめている。イビルアイは首を横に振った。

 

「いや、分からん。八欲王が連れていたモンスターの一匹かもしれん。相手が魔神級なら、今の私達でも何とかなるだろうが……あの竜王(ドラゴンロード)達と戦争をしていた八欲王級ならば、私達ではどうにもならんな」

 

 イビルアイの言葉に、ピニスンが「やっぱり」という顔をした。

 アインズは、ふと山で出遭ったグリーンドラゴンの言葉を思い出す。

 

(確か「自分じゃ竜王(ドラゴンロード)達には勝てない」だったか。アイツと同じサイズのブラックドラゴン相手にも苦戦するような強さじゃ、確かに厳しいかもな)

 

 勿論、自分が本気になれば話は別だ。だが、竜王(ドラゴンロード)の強さが不明である現在、例えアインズが本気であっても負ける可能性はゼロではない。あまり、関わりたくない事象だった。

 

「……んで、結局どうするんだ? その奴さんを討伐すんのか? それとも本来の任務を終えて帰るのか?」

 

 ブレインの言葉に、ラキュースは考え込み……口を開いた。

 

「本来の依頼を遂行し、その後帰りましょう。出来るだけ早く」

 

 その言葉に、全員が頷く。それが賢明であった。

 

「話が本当なら、相手は伝説の怪物です。今の私達ではきっと勝てません。だから本来の依頼を遂行し、全速力で帰還。組合に報告し指示を仰ぎます。それからイビルアイ……」

 

「ああ、分かっている。あの婆達に連絡を入れるさ。少し別行動を取らせてもらうぞ」

 

「では方針は決まりました。ごめんなさい……あまり役に立てなくて」

 

 ラキュースの申し訳なさそうな言葉に、ピニスンは首を横に振った。

 

「ううん、仕方ないよ。世界を滅ぼす魔樹が相手じゃ、しょうがないもん」

 

 達観の言葉に、ラキュース達は何も返す事が出来ない。

 

「そう……それで、申し訳ないのだけれど、この場所はどこか分かる?」

 

 ラキュースは地図を引っ張り出し、ピニスンに向けて地図の一部を指差す。「私達が今いるのはここね」と注釈して。ラキュースが探しているのは、依頼の薬草の生えている場所だ。

 ピニスンは地図を確認すると、気の毒そうに語った。

 

「あの……その場所、魔樹がいるところだよ。今は完全に周囲の植物は枯れちゃってるね……」

 

「……魔樹、ってことは任務不可能だな。下手に近づくと刺激しちまって、起きちまうかもしれねぇし」

 

 ガガーランの言葉に、全員溜息をつく。これはどう考えても、依頼達成不可能だ。大人しく街に帰還するしかない。

 

「全員、撤収準備。急いで帰りましょう。イビルアイ、悪いけれど……」

 

「ああ、分かっている」

 

 ラキュースとイビルアイは何か暗黙の了解でもあるのか、互いにだけ分かるように話しているのをアインズは見つけた。しかし、仲間内ならそういう事もあるだろうと気にしない。彼女達がテントの奥に引っ込み、装備品を急いで装着し荷物を片付けているのを横目に、アインズとブレインはテントを片す。ピニスンはそんな七人を暇そうに見ていた。

 

「それじゃあ、急いで出発しましょう」

 

 ラキュースがそう言った時、周囲に轟音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「ちくしょう! 追いつかれる!」

 

「走って! 速く!」

 

「なんでこのタイミングで復活しやがるんだ! 運悪過ぎるだろ俺ら!」

 

 口々に罵倒が漏れながら、全員で森を全速力で駆け抜ける。ティアとティナが地図を片手に先行し、アインズ達を先導して森を駆け抜けた。

 

「イビルアイ! 何とかならねぇのかアイツ!」

 

 ガガーランが叫ぶようにイビルアイに訊ねるが、イビルアイが同じように叫びながら答えた。

 

「無理に決まっているだろ! 私程度ではどうにもならん! あれは間違いなく竜王(ドラゴンロード)級……私達程度では、単なる羽虫にしかならん!」

 

 全員の背後では、一〇〇メートルはあるであろう巨木が唸り声を上げながら暴れ回り、全員を追って来ている。触手のような枝はその全長より長く、周囲の木々を薙ぎ倒していた。

 

「ピニスンは無事かしら……」

 

 走りながら、ラキュースが呟く。ピニスンは魔樹が復活したと共に本体の場所へ帰った。何故なら、もうどうしようもないからだ。運が良ければ、本体も未だ生きているだろう。……もっとも、あの魔樹はトブの大森林を全て崩壊させるまで止まりそうにないが。

 いや、おそらくトブの大森林を滅ぼしても止まるまい。そのまま人間の暮らす国まで足を延ばし、全てを滅ぼしていくのだろう。

 

「…………」

 

 魔樹の巨体と移動距離。触手の長さ。蒼の薔薇のレベル差と地理的不利。

 以上の条件をもって、アインズはこのまま逃げていても絶対に追いつかれると判断した。

 

「……アインズ!?」

 

 足を止めたアインズを見て、同じように最後尾を走っていたガガーランが振り返る。ガガーランの叫び声に、全員が足を止めてアインズを見た。

 

「おい、どうしたアインズ」

 

 ブレインの言葉に、アインズは口を開く。

 

「私が足止めをします。皆さんは、このまま逃げて下さい」

 

「は!?」

 

 その正気とは思えない言葉に、全員が目を剥いた。

 

「そんな……」

 

「分かっているでしょう、ラキュースさん。このまま逃げれば、絶対に追いつかれる。この中で一番防御が固いのは私で、足止めになるのも私です」

 

 誰も二の句を告げない。何故なら、全員アインズの言葉に心の中では同意しているからだ。

 絶対に追いつかれる。そしてこの中で、あの魔樹の攻撃を複数回直撃しても生存出来るのはアインズしかいない、と。

 追いつかれてはならないし、そもそも魔樹を後ろにひっ付けたまま逃げる事は出来ない。その場合、アレは人間の街までずっと追って来るだろう。誰かがヘイトを稼いで残らなければならなかった。

 

「ですので、私が残ります」

 

 アインズの言葉に、全員が口篭もり――蒼の薔薇の面々の視線が、イビルアイへと移動した。それにブレインもアインズも首を傾げる。イビルアイは少し口篭もり――告げた。

 

「私が転移魔法を使える。エ・ランテルに一応移動出来るようにしているから、それで逃げられるはずだ」

 

 イビルアイの言葉は、つまり今から全員でエ・ランテルまで安全に逃げられるという意味だった。しかし、アインズは首を横に振る。

 

「カルネ村は?」

 

「……すまない」

 

 アインズの言葉に、今度はイビルアイが首を横に振った。エ・ランテルにマーキングはしていても、カルネ村にはしていない。つまり、カルネ村は放置される。法国の工作からなんとか生き延びた村は、今度こそ滅びるのだ。

 それを理由に拒否しようとしたところ、アインズではなくラキュースが口を開いた。

 

「なら、イビルアイは皆を連れてエ・ランテルへ行って助けを求めてちょうだい。アインズさんはここで足止め。私はカルネ村に行って、村の皆を避難させます」

 

 ラキュースの言葉に、アインズは驚いて思わず顔を凝視する。その気配を感じ取ったのか、ラキュースは苦笑した。

 

「罪も無い村人を見捨てるわけにはいきませんから。そういう意味では、私とアインズさんの意見は一致してます」

 

 だから、アインズを信じてこの場を任し、イビルアイを信じて救援を呼ばせ、自分はカルネ村を助けに行く、と。

 この中で一番死亡率が高いのはアインズであり、次がラキュースだ。アインズは魔樹を相手にするのだから当然で、ラキュースはアインズが死んだ時点でおそらく魔樹が追って来る。

 そのラキュースの覚悟に、まずガガーランが笑った。

 

「決まりだな! 俺らはカルネ村を助けに行って、アインズは足止め。イビルアイとブレインはエ・ランテルに行って救援要請だ」

 

「ガガーラン……」

 

「リーダーだけだと道に迷う」

 

「私達も一緒」

 

「ティア、ティナ……」

 

 三人の言葉に、ラキュースは涙ぐむ。そんな彼女達に、ブレインもガシガシと頭を掻いて告げた。

 

「あー……俺もそっち行った方がいいか?」

 

「いや、ブレインはイビルアイと共にエ・ランテルへ行った方がいい。エ・ランテルのことはイビルアイより詳しいし、組合長に話をつけるにはお前の顔の方がよく利くだろう」

 

「そうね。ブレインさんはイビルアイさんと一緒にお願いします」

 

「そうかい。なら、俺は一足先に帰らせてもらうぜ」

 

 それぞれの役割は決まった。後は、どこまで粘れるかだろう。

 

「私はエ・ランテルまで行った後、すぐにアインズのもとまで転移魔法で帰ってくる。一人よりは二人の方が長く足止め出来るしな。魔法が使える私なら、そう簡単には死ぬまい」

 

「――礼を言います、イビルアイさん」

 

 アインズがそう言うと、イビルアイは「気にするな」と仮面の下で苦笑したようだった。

 

「では、アインズさん。それにイビルアイ。明日の朝までなんとか森から出さないように、南に向かわせないように引き付けておいて。そうすれば、カルネ村は助けられると思う」

 

「了解しました」

 

「任せろ」

 

 それで、別れの言葉は終わりだった。それぞれが役割を決め、それに向かって全速力で前進する。

 

「――――さて」

 

 一人残されたアインズは、溜息をついた。

 

「やれやれ。何とか一人だけで残って魔樹を倒そうと思ったけど、この状況だと倒さずにイビルアイを大人しく待った方がよさそうだな」

 

 それに、自分で倒さなくてもピニスンの言葉を信じるならば、異変に気づいて竜王(ドラゴンロード)が評議国からいつかやって来る。それをこっそり見物するというのも悪くない。

 

「では、精一杯時間稼ぎを務めようか」

 

 アインズはグレートソードを抜いて構え、迫り繰る魔樹の触手を迎え撃った。

 

 

 

「では、後は任せたぞブレイン・アングラウス」

 

 イビルアイはそうブレインに告げ、アインズのいるトブの大森林に再び転移魔法で戻った。

 

(生きているか、死んでいるか……五分五分だろうな)

 

 いや、むしろ死んでいない方がおかしいかもしれない。そうイビルアイは暗い顔で達観する。

 封印の魔樹ザイトルクワエ――イビルアイは正直、その目で見るまではその強さを舐めていた。何故なら、自分は世界でも有数の強者であり、自分より強い存在はそうはいないと知っていたからだ。

 だから、内心で本気を出せば知り合いの竜王(ドラゴンロード)が来るまでの足止めくらいは出来るだろう――そう高を括っていたのだが。

 

 それは間違いだった。一目見て、自分では手に負えないと本能でイビルアイは理解した。

 

 一〇〇メートルを超える巨体。三〇〇メートルはあろうかという、六本の木の枝の触手。遠くから見るその威容だけで、イビルアイの全身に怖気が走ったのだ。

 生存本能が刺激され、ひたすら「逃げろ」と本能が喚き立てていた。

 自分は二五〇年以上の時を生きていて、様々な強者を目にした事がある。それは知り合いの竜王(ドラゴンロード)であったり、かつて共に旅をした十三英雄のリーダーであったり、その時戦った魔神達であったり。

 その中でも、あの魔樹は別格だ。間違いなく、竜王(ドラゴンロード)級の強さ。あまりに強過ぎて、イビルアイでは正確なところは分からない。

 

 アレには勝てない。足止めさえきっと出来ない。勝算は皆無。希望を持つ事自体が愚かしい。

 だから――――転移魔法で再び戻ってきた時、イビルアイはその場にアインズの姿が見えない事に、何の疑問も抱かなかった。

 

「……魔樹はどこだ?」

 

 木々が薙ぎ倒されているため、見通しのよくなった周囲を見回す。そして――

 

「え――?」

 

 イビルアイは、驚きに仮面の下で目を見開いた。

 

「馬鹿な……」

 

 魔樹の巨体は、北の方角にあった。ラキュース達を追って南下しているとばかり思ったのに、北に向かっているのだ。

 魔樹は触手を巧みに動かし、六つの触手が嵐のように舞っていた。まるで何かを追いかけるように。

 

「まさか……まだ生きているのか?」

 

 その信じられない光景に、イビルアイは呆然としながら飛行魔法を使い、急いでその場へと向かった。

 

 

 

「ぐッ!」

 

 アインズはグレートソードを盾に、触手の攻撃を防ぐ。しなった触手の力に押し負け、そのまま吹き飛ばされ空中に身を躍らせる事になるが、なんとか体勢を立て直し着地する。そして、罅割れて砕けたグレートソードを再び魔法を使って編み込み、元の形を形成する。

 

「やれやれ……やはり強いな。この状態では防戦一方か。“上位物理無効化Ⅲ”じゃない方がよかったな、ホント」

 

 おそらく、魔樹の強さは六〇レベルを優に超えている。アインズの特殊技術(スキル)を貫通し、アインズにダメージを与えてくるからだ。

 しかし、このままの状態で防戦をしてもアインズの体力が先に尽きるだろう。本気を出したいところだが、いつイビルアイが戻って来るか分かったものではない。そのため、アンデッドも作成せずに戦い続けていた。

 

「転移魔法の時間から考えても、そろそろ戻ってくるはずなんだが……」

 

 アインズがそう呟くと同時に、魔樹の横合いから水晶の欠片が散弾のように叩き込まれた。

 

「すまん、アインズ! 遅くなった!」

 

「気にしないで下さい!」

 

 叫び、告げる。そしてアインズは少し考え込んだ。この後、どうやって時間を潰すか、を。

 

(イビルアイは魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)……転移魔法が使えることから、第三位階以上の使い手だ。そうなると取れる手段は……)

 

 アインズがタンクとして防御に徹するのは確定だ。イビルアイでは体格的にも、見たところのレベル的にも魔樹の攻撃に耐えきれない。

 一番いいのは、イビルアイに支援系魔法に集中してもらう事だが、残念ながらそれは出来ない。アインズはこの鎧を対外的に「第六位階魔法までを無効化する」と偽っているのだ。その鎧を装備しているのに、イビルアイの支援系魔法が届くのはおかしい。どこかで確実に突っ込まれるだろう。

 そうなると、イビルアイに攻撃魔法を行使してもらい、アインズはヘイトを稼ぐのは諦めてイビルアイの盾に徹するしかないだろう。

 イビルアイもアインズと同じ判断をしたのか、転移魔法でアインズの横に現れる。

 

「すまん。盾を頼む」

 

「了解です。決して、私より前に出ないで下さい」

 

 そして、耐え忍ぶ戦いが始まった。

 イビルアイが攻撃魔法を撃ち込み、魔樹の攻撃をアインズが防ぐ。その一瞬の隙にイビルアイは転移魔法を使って魔樹の攻撃から逃れる。アインズは吹き飛ばされるが、イビルアイは無傷だ。そしてアインズの体勢が整ったら再びイビルアイがアインズの影に隠れるように転移魔法で近寄り、魔樹に攻撃を撃ち込む。この繰り返しだ。

 アインズの防御力に任せた力押し。現状、これ以上の手段はとれないのだ。まだ、距離を取って逃げ出すには早過ぎる。ラキュース達は間違いなく森を抜けていない。

 

 だが、そうやって何度も繰り返しているが、魔樹の攻撃パターンが変わり始めた。

 

(まずい……学習を始めたか)

 

 ゲームのAIならばずっと同じパターンを繰り返すだけだろう。しかし、これは現実だ。そうなれば当然、学習を始める。この攻撃パターンでは勝てないと、虚実混じりの攻撃に切り替わっていく。

 

「……さて、どうするか」

 

 アインズは何度も攻撃を防ぎながら、考える。今までは触手だけのワンパターンだった。せいぜい、六本の触手の攻撃するそれぞれのタイミングが切り替わるくらいだった。

 だが、今では薙ぎ払うと見せかけて、途中で別の触手を振り下ろしてくるようになってきた。かなりまずいのは確かだ。

 ――次第に押されていく。イビルアイがアインズを盾に出来ずに、自力で飛行魔法で回避しなくてはいけない頻度が増えてきた。

 

「グッ――!」

 

 触手の一撃で、アインズの身体が吹き飛ぶ。イビルアイが急いで転移魔法を使い、アインズから離れる。そして――

 

「な……」

 

「え……」

 

 魔樹の牙が生えている口のような部分が、もごもごと動く。次の瞬間、魔樹は口から幾つもの破片を弾丸のように吐き出した。

 

「これは……枯れ木、か?」

 

 人間離れした動体視力で、アインズはその弾丸の正体を見極める。まるでミサイルのように幾つもの枯れ木を口から吐き出したのだ。

 

「しまった! イビルアイ――!」

 

 アインズはグレートソードで防御しながら、転移魔法で移動したイビルアイを見る。

 

「――あ」

 

 その枯れ木の弾雨を、イビルアイは避け切れなかった。

 メリィ……と鈍い音を立てて、イビルアイの小さな身体に枯れ木が直撃する。転移魔法で回避しきれなかったイビルアイはゴム毬のように吹き飛んだ。

 

「あー! もう!」

 

 ここでイビルアイに死なれると、アインズとしても困る。何より寝覚めが悪い。アインズは仕方なく、魔樹を放って木々の向こうに消えたイビルアイを追った。

 

「イビルアイさん!」

 

 アインズがイビルアイの姿を見つけた時、イビルアイは力なく地面に横たわっていた。声をかけるが返事が無い。どうやら気絶したらしい。そして身体からは血液が溢れ出しており、出血もしている。

 

「しょうがない。ポーションを使うか」

 

 アインズはポーションを取り出し、イビルアイにかけようとする。そしてイビルアイの身体を抱き起こした時、仮面が落ちた。念のため口元に持っていき飲ませようとしたその瞬間――アインズはある発見をした。

 

「……八重歯? いや、牙?」

 

 イビルアイの口元から、人間にはありえない歯の発達を見つける。思わずポーションをかけるのをやめ、じっと見つめる。

 

「まさか……アンデッドだったのか?」

 

 このような牙を持つ種族を知っている。確か、ヴァンパイアの系統は口の中にこういう牙を持っていたはずだ。アインズは“不死の祝福”で感知出来なかったので、今まで気づかなかったのだが……。

 アインズは、イビルアイの指にある怪しい指輪を指から抜き取ってみる。そうすれば、一目瞭然だった。

 

「これは……まいったな」

 

 別に黙っていたのはどうでもいい。アインズだってアンデッドだし、ブレインに内緒でそうして生活しているのだ。だから正体がアンデッドだったというのもかまわない。

 だが今は困る。ポーションでダメージを回復させようと思ったのだが、アンデッドは通常の回復手段で体力を回復させられないのだ。

 アインズは指輪を元の位置に戻し、仮面をイビルアイに再び被せる。イビルアイの身体を持ったまま立ち上がり、激しくなる轟音の方向を見つめる。

 

「……まあ、都合がいいか」

 

 イビルアイが気絶したとなると、今見ている者は誰もいない。ラキュース達はまだカルネ村に向かっている最中であろうから、足止めは必要だ。

 ここでアインズが本気を出したとしても、誰も見る者はいない。

 アインズは魔法で編んだ鎧を解こうとして――

 

「え……?」

 

 魔樹の横合いから出て魔樹を殴りつけた存在を見て、目を見開くように驚いた。

 

「あれは……炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)?」

 

 それは、どこかで見た事のある天使達の姿だった。幾体もの天使が魔樹に纏わりつき、魔樹の注意を引いている。

 

「大丈夫ですか?」

 

 思わず天使達を見つめていると、背後から声をかけられる。振り向くと、そこに見覚えのある男と、見覚えのない男が立っていた。アインズに声をかけてきたのは見覚えのない男で、その男は優しそうな表情をしている。更に、その男の隣には一匹のギガントバジリスクがいた。

 

「はじめまして。確か、アインズ・ウール・ゴウンさんでしたね」

 

「そうだが……」

 

「私の名は、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアと申します。以後お見知りおきを……。そしてこちらは、ニグン・グリッド・ルーイン。以前は御迷惑をおかけしました」

 

「…………久しぶりだな」

 

 クアイエッセと名乗る男が、見覚えのある男――確かガゼフの暗殺に来ていた男を紹介する。ニグンは複雑そうな顔でアインズを見ていた。

 その気持ちはアインズにも分かる。アインズとて、殺し合いをした相手を手助けするなど、複雑極まりない心境になるだろう。

 そんな事は知らぬとばかりに、クアイエッセは微笑むとアインズに告げた。

 

「ここからは、私達が足止め役を担います」

 

 

 

 

 

 

 ニグン達陽光聖典は、トブの大森林にゴブリン達の間引きに来ていた。

 ゴブリン達は時折凄まじい進化と繁殖をするので、気が抜けない。ましてや破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)復活の予言もあるので、なるべく危険は減らしておきたいと法国が決定を下しており、本来ならもっと寒くなってからの季節に狩りをするはずの陽光聖典は今任務をこなしていた。

 

 そして、今回はそれに更に助っ人がいる。漆黒聖典の一人、“一人師団”のクアイエッセだ。

 

 クアイエッセは優れたビーストテイマーであり、ギガントバジリスクさえ操る。たった一人でニグン達を滅ぼす事も出来るだろう。それほどの強者だ。

 ……いや、法国の非合法特殊部隊六色聖典。その中でも最強の漆黒聖典の彼ら一人一人が、ニグン達陽光聖典を滅ぼせるほどの怪物である。

 その怪物の一人であるクアイエッセはギガントバジリスクを召喚し、巣穴にいるゴブリン達を追い込んでいく。空にはクリムゾンオウルが複数飛んでおり、ゴブリン達の討ち漏らしが極力無いようにしていた。

 

 ――本来、クアイエッセはここにはいないはずの人物である。何故ならクアイエッセの所属する漆黒聖典は復活するであろう破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下に置くため、“ケイ・セケ・コゥク”の警護をしているからだ。ガゼフ暗殺も本来は彼らの役目だったのだが、そのために陽光聖典にお鉢が回ってきた。

 そのクアイエッセがこの場にいるのは、もしかすると漆黒聖典の出番があるかもしれないためである。漆黒聖典の裏切り者を追跡する任務を一応終えた風花聖典が、トブの大森林のゴブリンの情報を探っている時に奥地に枯れた一角を発見したのだ。

 伝説によれば、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)はトブの大森林に封印されていると言う。そのトブの大森林に存在する、去年までは無かったはずの枯れ木の荒野。明らかに怪しく、何かあると連想させた。

 そのため、殲滅戦が得意でありビーストテイマーでもあるクアイエッセを陽光聖典の任務に同行させ、トブの大森林で何かあった時は、エ・ランテルに待機している他の漆黒聖典や“ケイ・セケ・コゥク”が来るまでの足止めを担わせている。それが、クアイエッセがこの場にいる理由だった。

 

「……おや?」

 

 そうして洞窟内のゴブリン達を順調に掃討していっている最中に、一羽のクリムゾンオウルが戻って来た。クアイエッセはそのまま何事かの情報をクリムゾンオウルから受け取っている。

 

「……どうされまし、……どうかしたかクインティア」

 

 今はニグンが隊長なのだから、敬語は無し――そう言われたのを思い出し、ニグンは口調を直す。ニグンの疑問にクアイエッセは面白そうな顔をして答えた。

 

「確か、ルーイン隊長が任務に失敗したのは、漆黒の全身鎧(フルプレート)の戦士のせいでしたよね?」

 

「……その通りだ」

 

 苦々しい記憶を思い出し、頷く。あの漆黒の戦士さえいなければ、ガゼフ暗殺の任務は成功したはずなのだ。だが、あの漆黒の戦士はありえないような伝説の防具を身に纏っており、最高位天使にさえ粘り勝ちした。ガゼフが生きているとは、つまりそういう事だ。

 法国上層部はニグンの任務失敗をそれほど怒らなかったため、ニグンは今も陽光聖典隊長の地位に就いているのだが――その漆黒の戦士がどうしたと言うのか。

 

「今、この森に来てますよ。蒼の薔薇も一緒ですね」

 

「なに……?」

 

 漆黒の戦士がこの場に来ている、という事に驚く。更に、蒼の薔薇もまたニグンと因縁のある相手だ。かつての任務で亜人種の村を攻撃したのだが、それを邪魔したのが蒼の薔薇であった。ニグンの頬にある傷も、蒼の薔薇のラキュースにつけられた屈辱の傷痕である。

 ニグンはその屈辱を忘れないために、本当は治療出来る頬の傷痕を治療しなかった。そんな因縁の相手だ。

 

「何故このようなところにアダマンタイト級冒険者チームが?」

 

 何かの依頼で来たのであろうか。クアイエッセは少し考えた様子を見せると、クリムゾンオウルに話しかける。

 

「彼女達を尾行してくれるかい? 空から、注意深く、見破られないようについて行くんだ」

 

 クリムゾンオウルは一声鳴いてクアイエッセの言葉を了承すると、再びクアイエッセの手から離れ去って行く。それを横目に、ニグンはクアイエッセに訊ねる。

 

「クインティア。どうして尾行を?」

 

「彼女達の向かう方角は、例の場所の方角でした。何をしに行くのか、少し気になります」

 

「それは……なるほど」

 

 あの枯れ木の荒野の方角に向かっているのなら、確かに気になる。尾行は正解だろう。

 だが、今はゴブリンの掃討だ。ニグンは再び本来の任務へ意識を戻す事にした。

 

 

 

 ――そして、ニグン達が任務を終えて洞窟から出た時、既に太陽は沈み空は夜に変わっていた。とは言っても、森の中ではそれほど視界に違いがあるわけではなく、鬱蒼としていたが。

 

「随分大きな洞窟だったな……」

 

「そうですね。森を抜けるのに、一日はかかりそうです」

 

 ニグンの言葉にクアイエッセが頷く。最初に入った森の縁目にある洞窟から奥へ奥へと進み、出て来た時の洞窟の出口は森の奥深くであった。クアイエッセがクリムゾンオウルの一羽を空に放ち、上空から確認したのだから間違いない。

 

「――例の場所にも近いですね」

 

 クリムゾンオウルを撫でながら、クアイエッセが呟く。それが不吉な言葉に思えて、ニグンは眉を顰めた。

 

「……とりあえず、任務は終了した。蒼の薔薇達はどうしているか分かるか?」

 

「ふむ……視界を共有しますので、ちょっとお待ちを」

 

 クアイエッセはそう言うと、少し黙り――口を開いた。

 

「どうやら、例の場所付近の広場で野営しているようですね。漆黒の戦士と、その戦士とチームを組んでいたもう一人とで見張りをしています。蒼の薔薇の五人はテントで睡眠をとっているのでしょう」

 

「なるほど……。では、彼女らと鉢合わせをする前に、森から出よう」

 

「それがよさそうですね……おや? あれはドライアードかな?」

 

 視界を共有したままのクアイエッセが、首を傾げる。何か動きがあったらしい。ニグンはその間に隊員達に声をかけ、森を出る準備をさせる。

 

「これは……まさか、森から出る? 依頼を途中放棄したのか? 何故? ドライアードから、何を……」

 

 クアイエッセはブツブツと呟き、首を傾げているが――ふと、動きを止めた。そして、まるで驚愕したかのように目を見開く。

 

「どうされましたか?」

 

 その様子にニグンが声をかけると、クアイエッセはゾッとするほど静かな声で、ニグンに語りかけた。

 

「――予定変更。ルーイン以下陽光聖典は私の指揮下へ。これより、例の場所へ向かいます」

 

「それは……!」

 

 それはいざという時の指揮系統の変更。ニグンを初めとした陽光聖典隊員は、全員クアイエッセの指揮下へ入り、クアイエッセを指揮官とする。

 そのいざという時とは――破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が復活した時である。

 

「天使達を召喚し、前面へ! ルーイン! 〈伝言(メッセージ)〉で漆黒聖典に連絡を!」

 

「は、はい!」

 

 急いで〈伝言(メッセージ)〉を使い、エ・ランテルにて待機している漆黒聖典に連絡を入れる。彼らが全速力で来れば、半日もせずにここまで辿り着くだろう。

 

「蒼の薔薇は逃亡したようですね……無理もありません」

 

 クアイエッセの独り言を横で聞いてしまったニグンは、ごくりと喉を鳴らした。それはつまり、あのアダマンタイト級冒険者チームでも……あの漆黒の戦士でも戦闘を諦めて逃亡一択になるような化け物が、そこにいるという事である。

 そんな化け物相手に――果たして、自分達は生きて還る事が出来るのだろうか。

 

「行きますよ、皆さん!」

 

 クアイエッセに促され、ニグンを初めとした陽光聖典は神への信仰を胸に森の奥へと向かった。

 深い、深い地獄の底へと。そして――

 

「……なんだ、あの化け物は……ッ!?」

 

 それを遠目で一目見ただけで、あれがどうしようもない怪物である事をニグン達は理解してしまった。

 一〇〇メートルを超える巨体。三〇〇メートルを超える六本の触手。荒れ果てていく大地。

 馬鹿な。あんなものに勝てるはずがない。いや、足止めさえ出来るか謎だ。そんな化け物を相手に――

 

「はは……凄いですね、彼。攻撃を食らっても、平気な顔で立ってますよ」

 

 クアイエッセの言葉に、ニグンは心の中で頷く。身体は呆然としているままだ。

 あの漆黒の戦士――アインズは、竜王(ドラゴンロード)の触手の攻撃を食らい、吹き飛ばされながらも体勢を整え、平然と平気な様子で立ち向かっている。そのような様子が遠目からも見て取れた。

 

「一体、どんな強度の鎧なのだ……いや、本人自体どんな肉体能力だと言うんだ……」

 

 思わず呆然と呟く。さすが魔神をも滅ぼす最高位天使さえ、召喚時間一杯まで耐え抜いた男である。おそらく、漆黒聖典でもあの漆黒の戦士に勝てる者は少ないだろう。魔法詠唱者(マジック・キャスター)に至っては、あの鎧のせいで間違いなく勝てない。

 

「……しかし、このままではまずいですね。彼は防戦一方です。とてもではないですが、攻撃に転ずる暇がない」

 

 そのアインズをもってしても、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の強さはなお圧倒的だった。

 アインズは確かに耐えている。幾ら攻撃を食らっても、平然と立ち向かっている。

 だが、無傷であるはずがない。ダメージは蓄積されていき、攻撃は六本の触手の絶え間ない攻撃でする暇はなく、ひたすらに削られていくだけだ。

 つまりこれは、死を前提とした時間稼ぎだった。

 

「おや? 一人増えましたね。あれは、蒼の薔薇の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですか。名前は確か、イビルアイ――」

 

 そして、仮面の女が増える。イビルアイはアインズを盾にしながら、アインズが出来ない攻撃を担った。焼け石に水の攻撃であるが、それでもあの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)をこの場に釘づけにする、という意味では意味があるだろう。

 アインズとイビルアイは即席のチームワークながら、単純な作業でもって連携していく。どちらも戦闘経験値は一級なのだろう。即席で単純でありながら、その連携に穴は無い。

 しかし――破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は、いつの間にか口の中に含んでいた枯れ木を何本も、まるで吐息(ブレス)を吐くように撃ち出した。それは範囲攻撃染みていて、アインズは咄嗟に巨大なグレートソードを盾にして持ち前の身体能力で防ぎ切ったが、イビルアイはそうはいかない。

 転移魔法でアインズの近くから離れていたイビルアイは、無防備にその攻撃の直撃を受け、吹き飛んだ。

 

 アインズがイビルアイを追って、戦線を離脱する。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は周囲を触手で薙ぎ払いながら、アインズ達を追って行った。それと同時に、クアイエッセが声を上げる。

 

「さて――各員、傾聴! なるべく近寄らず、あの巨木に向かい、天使を向かわせ注意を惹きつけたまえ! 数が減れば、また召喚しこの場に釘づけにするのです!」

 

「――――」

 

 クアイエッセの言葉に、ニグンは部下達が絶望的な顔をしたのが分かった。何せ、全員アインズの強さを知っている者達である。そのアインズが防戦一方であり、手も足も出ないような相手の注意を惹きつける。それがどれほど困難な事であるか、分からない者は誰もいない。

 

「クインティア様、イビルアイは戦線離脱せざるを得ないでしょうが、アインズ・ウール・ゴウンはまだ存命です。あのアインズ・ウール・ゴウンの強さなら、彼に任せておけば漆黒聖典の到着まで間に合うのでは……?」

 

 ニグンの言葉に、部下達が頷いた。誰だって死にたくはない。ニグンとてそうだ。あれに立ち向かえば死ぬ。その化け物に立ち向かっても生きていられる人間がいるのなら、それに任せるべきだ。

 確かに、信仰心はある。神を信じている。しかし――それでもニグンは死にたくない。

 

 だが、その命惜しさを嗅ぎ取ったのか、クアイエッセは冷静に――冷酷に、ニグン達に告げた。

 

「聞こえませんでしたか? 漆黒聖典が到着するまで、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の注意を惹きつけ、この場に足止めをして下さい」

 

「――――」

 

 ぞわり、とニグンの背に怖気が走る。自分達の背後で、シューッ、シューッと息遣いが聞こえた。

 ギガントバジリスク。クアイエッセの召喚したギガントバジリスク複数体が、じっとニグン達を見つめている。ニグンはその事に気がついた。

 ニグンはクアイエッセを見る。クアイエッセは相変わらす優しげな雰囲気で――しかしその気配がより一層おぞましさを引き立て――口を開く。

 

「三度目は、必要ですか?」

 

「――いえ」

 

「よかった。では、各員行動して下さい。ルーイン、貴方は監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を召喚して他の天使が見える位置に待機を命じた後、私と共にアインズ・ウール・ゴウンの様子を伺いに行きましょう」

 

「……かしこまりました」

 

 大人しく頷く。クアイエッセはにっこりと笑い、陽光聖典を促した。

 部下達と共に天使を召喚しながら、ニグンは思う。

 

 クアイエッセは狂信者だ。自分達も似たようなものだが、それでもここまで終わっていない。

 

 なるほど。確かにアインズに任せれば漆黒聖典の到着まで破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を足止め出来るだろう。しかし、それは絶対ではない。

 だが、自分達が協力する事で、足止め出来る可能性は高くなる。

 それが理由。一パーセントが二パーセントになる。それだけの、些細な可能性の向上のためだけに、クアイエッセは陽光聖典に死ねと告げた。

 何故なら、アレは人類に滅びを呼ぶから。それをどうにか出来る者達が、少しの時間足止めするだけでやって来る。

 しかし、その少しの足止めの時間でも死ぬ確率が高いなら、嫌になるのが人間だ。

 人間は、決して死の恐怖を振り払う事は出来ない。それが出来る時、人間は人間ではなく、狂人へと変わるのだ。どのような形であれ。

 クアイエッセはそれだ。たった僅かな可能性の向上のために、ニグン達も、自分自身さえも、命を投げ捨てさせる。

 一体、どのような過去を経ればこのような人格形成に至るのか。ニグンはクアイエッセの過去を想像し、薄ら寒さを感じた。

 

 クアイエッセに促され、ニグンはクアイエッセと共にアインズが向かった場所――イビルアイが吹き飛ばされた場所へ向かう。アインズの姿を見つけた時、アインズは気を失っているのか、死体なのか分からないがイビルアイを抱き上げて破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を見上げているところだった。

 そして、いきなり現れた天使達を見て動きを止める。その気持ちはニグンにも分かった。いきなり、見覚えのある――それも嫌な記憶だ――天使達が現れて、アインズの手助けをすれば驚愕するだろう。

 

「大丈夫ですか?」

 

 クアイエッセがアインズに話しかける。アインズはクアイエッセとニグンの方へ振り返った。イビルアイの服は分かり難いが、血に濡れている。怪我をしているのだろう。その証拠に、抱き上げているアインズの鎧も血濡れだからだ。

 

 アインズはクアイエッセとニグンを見て、困惑しているようだった。そんなアインズに、クアイエッセが自己紹介をする。ニグンもまた紹介され、ニグンは微妙な表情で「久しぶりだな」と告げた。

 

「ここからは、私達が足止め役を担います。彼女は死亡したのですか?」

 

「いえ、まだ息はあります。傷を負ってはいますが、気絶しているだけですよ」

 

「なるほど。では、とりあえず後方に下がって体力の回復を。その間は私達がアレの足止めをします」

 

「それは――助かりますが。何故手助けを?」

 

 アインズの言葉に、クアイエッセは笑って答えた。

 

「それは勿論――あの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が人類の敵だからに決まっています」

 

「――――」

 

 だから、かつて敵対していた者とも手を取れる。クアイエッセの言葉に、アインズは絶句しているようだった。

 アインズは一息つくと、「ではお言葉に甘えます」と言って頭を下げた。

 

「ええ、そうして下さい。人類は助け合わなくては。貴方のような強者を、法国は望んでいますので」

 

「――――」

 

 その言葉に込められた意味を、ニグンは気づく。なるほど、道理でアインズを助けるはずだ、と。法国上層部は、機会があればアインズに法国の味方になって欲しいのだ。

 確かに、アインズの強さを冒険者程度に収めておくのは惜しい。それも、王国などという腐った国に。それは明らかに人類の損失だ。

 法国は、アインズとの繋ぎを欲している。それもあって、アインズを見捨てずにアインズの生存率を上げるような行動をクアイエッセは取ったのだろう。……勿論、狂信も本物であろうが。

 

「…………」

 

 アインズは少し考える素振りを見せると――口を開いた。

 

「私は冒険者なので、それが依頼なら」

 

「――――」

 

 ニグンはその言葉に、思わず絶句した。アインズは以前、ガゼフの暗殺を邪魔した事がある。それはあの状況下ではガゼフの暗殺を邪魔しなければ、社会的に面倒な立場に立たされるからだという事もあっただろうが、ガゼフに対する好意か、王国への好意か何かあったからだとも思っていたのだ。

 しかし、アインズの言葉はそれを否定した。アインズは今、明言は避けたが言葉の裏で明確に、状況如何によっては王国ではなく法国の味方をする、と告げたのだ。

 クアイエッセはアインズの返事に笑顔を作る。

 

「それはよかった」

 

「それより――先程破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だと言いましたが、アレを知っているのですか?」

 

「ええ。アレは大昔このトブの大森林に封印されていた、魔樹の竜王(ドラゴンロード)です。復活が予言されていたので、網を張っていたんですよ。おそらく、あと少し待てばアレをどうにか出来る者達がやって来ます。それまで、私達で足止めをしましょう」

 

「なるほど、それは心強い。私も戦線に出られるほど体力を回復させたら、すぐに手伝います」

 

「はい、よろしくお願いします。とりあえず、部下達と合流しましょうか」

 

 クアイエッセの案内で、アインズはイビルアイを抱えてニグンの隣を歩く。隣で、アインズがポツリとニグンへ呟いた。

 

「――お前の上司、ちょっと怖いな」

 

 アインズの視線は、クアイエッセの隣を歩くギガントバジリスクとクアイエッセを行ったり来たりしているようだった。ニグンは先程の脅迫を思い出し、深々と頷いた。

 

「ああ、あの人は怖い。――人は見かけによらん」

 

 あの優しげな雰囲気と顔で、狂信による脅しをかけてくるのだ。ギャップが酷過ぎて混乱する。あの人格破綻者、元漆黒聖典第九席次“疾風走破”の兄というのも頷ける話であった。

 

「どうかしましたか?」

 

 くるりと、まるで内容が耳に入ったかのように、クアイエッセが笑顔で二人の方を振り向く。小声で、クアイエッセに聞こえないように話していたニグンとアインズは、同じように「いえ、なんでもありません」と首を横に振った。クアイエッセは不思議そうに二人を首を傾げて見ると、再び前を向いて歩く。

 それはまさに地獄耳。自分の悪い噂はよく耳に届くと言うが、それでもこの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)と天使達が暴れ回る中で、この小さな音を聞き届けるとはどういう事か。並みの聴力ではない。まさに英雄級。こんなところで英雄級の身体能力を発揮しなくていいのに。

 

 ニグンとアインズは顔を見合わせると、お互い無言で頷く。

 

 クアイエッセ、怖い。

 

 

 

 

 




 
ニグン=サン再び。クアイエッセお兄ちゃんもいるよ!
 

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