マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

アインズ様、ヤンデレ拗らせて逆ギレる。
 


The Shining Fixed Star Ⅱ

 

 

「だって、貴方――負け犬でしょう?」

 

 吸血鬼と子犬が見つめる暗い室内で、黄金の女は朽ち果てた墳墓の墓守にそう告げた。

 

 

 

 

 

 

「ウオオォォォオオオオッ!!」

 

「ハアアァァァアアアアッ!!」

 

 交差する刃と刃。煌く火花は星の光に似て、夜の闇を刹那の間照らしている。

 

「落ちるがいい――ブレイン・アングラウス……ッ! その輝きを、二度と立ち上がれないよう俺が磨り潰してやる……ッ!!」

 

 爆発する赫怒。拒絶。嫉妬という醜悪な感情が、まるでドラゴンの吐息のようにブレインに叩きつけられていく。悪意の絶叫は留まる事を知らず、世界を揺るがすような咆哮を上げている。

 殺意は天井知らずに伸びて、今までの理性的な雰囲気はまるで無い。同一人物とは思えないほどの変貌ぶりで、中身が違うと言われてしまえばそのまま信じてしまいそうであった。

 

 だからこそ――

 

「オ……ラァッ――!!」

 

 叩きつけられる大剣とまともに切り結ばないように刀身に沿うように刃先を動かし、弾く。そうでなければ力づくで叩き伏せられるだけだろう。

 

「――――」

 

 だからこそ、今の剣での斬り合いという状況に、まだアインズに理性が残っている事をブレインは察していた。

 

 ――本当に理性が蒸発していたのなら、こうはならない。アインズは魔法を使い、ブレインをゴミの様に粉砕していただろう。

 それが起きないからこそ、アインズにはまだ理性が残っている。悪意の念は心を折りにくるが、それだけだ。アインズもまた、理解しているのだ。

 

 これは心の戦い。前へ進むために戦うブレインと、そのブレインを潰すために戦うアインズ。切り結ぶのさえ単なる見せかけだ。故に魔法は不要。男と男の語り合いに、それが入り込む余地は無い。

 

 ああ、だから――

 

「俺が羨ましいだと……!? ふざけるなよ……こんな俺のどこが強いものか……ッ!!」

 

 こうして戦えるという事実こそが、ブレインの心を穏やかではいさせてくれない。

 アインズが魔法を使えば――その気になればすぐさまつく決着。もとより決まった勝負の行方。それをよりにもよって勝者側が、「羨ましい」と醜悪な悪意の念を叩きつけてくる悪夢。

 

「お前に手加減してもらわなきゃ、満足に勝負も出来ない――そんな俺に強さなど皆無じゃないか! 一体こんな俺のどこに、お前が羨ましいと思う要素があるというんだ……ッ!?」

 

 そのブレインの言葉に、アインズはしかし――

 

「――当然だろう。何せ、俺は『負け犬』だからな……お前達のような人種が羨ましくて仕方がない……ッ!」

 

 自分は塵屑なんだと、そうブレインの言葉を否定した。

 

「分からねぇよッ!!」

 

 叫ぶと同時、剃刀の刃(レイザーエッジ)を叩き込む。アインズは反応出来ない――が、それを鎧で防ぎ切る。あらゆる防御を引き裂くと伝えられた王国の秘宝も、アインズの鎧の前では形無しだ。

 かと言って関節を狙おうにも、やはりほんの少しの動作でズレて鎧に吸い込まれる。王国の秘宝でさえ、アインズの防御は突破出来ないでいた。

 

 だがしかし――関節を狙わせないアインズの行動が、剃刀の刃(レイザーエッジ)がアインズに通用する事を示している。

 

 今までのあらゆる攻撃を、アインズは関節狙いなぞ気にも留めずに正面から制圧していた。それが今、ブレインの関節狙いを防いでいる。それは逆説的に、その攻撃が通用する事の証明なのだ。

 ……単なるブラフの可能性という事もあるが――今のアインズは、精神が沸騰している。そういう細かいブラフまで気が回っているかは、疑問だった。

 

「――そんなにも強くて、圧倒的で、無敵のくせに――どこが負け犬なんだ! 何が嫌だって言うんだよォッ!!」

 

 こうして、小手先の術に頼らないと満足に斬り合う事も出来ないのに。

 

「――簡単だ。そもそも、俺は強くなんてないからな」

 

 しかしブレインの血を吐くような言葉を、アインズは大前提から否定する。

 

「確かに俺の本分は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。本来なら距離を取り、相手の情報を調査し、相手の行動を読み、作戦を立ててから勝負するのが俺の戦闘スタイル――だがな。知っているか、ブレイン」

 

 アインズの大剣が竜巻のように迫りくる。それを〈領域〉で読み、躱す。

 

「俺はな、自分が覚えている魔法のシステムさえ知らないんだ。放っておいたら覚えたものだから、その魔法がどういう仕組みで、どういう理論で成り立っているのかさっぱり分からない――まあ、簡単に言うと与えられたものばかりを持っているだけの、努力なんてしたこともない塵屑ということだな」

 

「――――」

 

 それは、ああつまり。

 

「痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。――ああ、本当はどうすればお前に勝てるのかも分かっているんだ。わざと関節にその剣を差し込ませてやって、鎧の関節に挟んでやればいい。俺の身体能力なら、抜く前にお前の武器を封殺出来る。後は徒手空拳のお前が出来上がり――でも」

 

 アインズは嫌悪を滲ませながら。

 

「分かるか、ブレイン。痛い(・・)のは()なんだよ――今まで、そんな痛みさえ避けて通ってきたから。蚊に刺される程度の痛みさえ、逃げてきたから――俺は勝利方法が分かるのに、耐えられないから選ばないんだ」

 

 あらゆる感情を飲み込むように――

 

「ああ――本当に――、ラナー……お前が言った通り――」

 

 刹那、沈黙し――

 

「まさに『負け犬』だッ!! 痛いから! 耐えられないから! こうして逃げ続けているだけの塵屑なんだ! 一体何なんだ俺はァッ!!」

 

 醜悪な嫉妬を滾らせながら、アインズは両手の大剣をブレインに叩きこんだ。

 

 何度も、何度も叩きつけられるそれはまるで悲鳴のようだ。今も悪意の念を迸らせながら、しかしそんな自分自身にこそ、アインズは辟易して呪っている。

 

「頑張っているじゃないか――お前達は。こんな惨めな俺なんかより、ずっとずっと努力してきたはずだ……! 身に着けた力の全ては努力に裏打ちされた本物で、頑張ってきた証だろう――何となく生きてきた俺なんかより、ずっと立派じゃないかよ――!!」

 

 自分には、それが無いんだと。

 

「俺は――俺には、そんなことが出来ないから――」

 

 そんな当たり前の事に、耐えられない人間だから。

 

「眩しいんだ――羨ましい――憧れるんだよ、お前達に――」

 

 そんな風に生きていける者達を、心の底から尊敬しているんだと。

 

「与えられたもので強くなった俺と違って、ちゃんと足を地に着けて、前を向いて進めるお前達――そんな風に、俺だって生きたかった――!」

 

 最初の一歩さえ満足に踏み込めない臆病者。勇気の何たるかなど理解出来ず、ただそこに立ち止まってひたすら状況が改善するのを待っている――真実の敗北者。

 こんなにも願っているのに、前を向けない。胸を張って生きられない。勇気が持てない負け犬。

 

 自分はそんな塵屑なんだと――アインズは悲鳴のように訴えた。

 

「ふ――ざけるんじゃねえぇぇぇぇッ!!」

 

 だからこそ、ブレインもまた怒り狂いながら剃刀の刃(レイザーエッジ)を叩き込む。

 

「最初っから強かったから心が育たなかった――? なんだそりゃ? 舐めてんのかテメェはよおおおぉぉぉッ!!」

 

 何度も、何度も。効いていないのは分かっているけれど、それでも叩き込まずにはいられない。

 

「精神の強さなんざどこに必要があるんだよ! 最初っから強い!? ふざけてるのはテメェの方だ……!!」

 

 言わなければならない。これだけは、必死に生きている者達の名誉のためにも、言わなくてはならなかった。

 

「精神の強さなんざどうでもいいんだよ! 生きていくのに必死な奴らは、そんな余分に目を向けている余裕なんざ無いんだ……ッ! こんな命が軽い世界で――お前が欲しいものなんざ塵屑なんだ!」

 

 右を見ても左を見ても、魔物ばかり。民衆はいつだって、モンスターに襲われる危険に怯えている。

 そんな世界で、そんな世の中で。前を向ける強さが羨ましい? 努力の無い強さは嫌だ? ふざけているのかコイツは。

 

「生きていけなきゃ、それこそゴミなんだよ……! お前のそれは、強者からの一方的な見下しだ……!!」

 

 そう、告げるのに。

 

死人が生き返る世界(・・・・・・・・・)で、肉体的な強さ(・・・・・・)何の意味があるんだ(・・・・・・・・・)

 

「――――」

 

 アインズの返す言葉に、今度こそ絶句した。

 

「そうだろう、ブレイン? 魂が存在するこの世界で、死者が蘇るこの世界で、肉体的な強さに何の意味があると言う? ――そんなの、必要最低限あればいいだろう?」

 

 ただ、少しだけ。復活魔法のペナルティに耐えればいいだけだから。それだけの肉体的強さしか必要無いから。

 

「なあ、わかるだろうブレイン? 死者蘇生を否定するお前なら、分かるはずだ……こんなものはゴミなんだって……! ましてや努力もしないで手に入れた力なんざ、何の思い入れもありはしない……だから」

 

 だから――

 

「だから俺はお前達の強さが羨ましいんだよ! どうして――どうして俺はこうなんだ……努力出来ないんだ! 前を向けないんだ……やろう、やろうって思っても――当たり前に避けてしまうんだ……!」

 

 何が正しいのかは、分かっているのに――。

 

「出来ないんだ……ブレイン! 出来ないんだよ、俺には……! 俺の本質なんて、あのドワーフ達と一緒だ……! 自分で状況を改善する努力はせず、動こうとする者の足を引っ張って……でも誰かが現状を打破してくれるのを待っている……! あのドワーフ達と、俺は何も変わらないんだ……ッ!! ――いや、それ以下だ!!」

 

 変わりたいと――強く思っているのに。

 

「出来ないんだ――ブレイン! 俺には……お前達が何気なく踏み出す一歩さえ――俺には出来ないんだよォォォッ!!」

 

「――――」

 

 アインズは、そう訴えながら、ブレインを即死させるような攻撃を叩きつけてくる。

 

「――ハ」

 

 なんとなく、アインズの本質が見えてきた。なるほど、これはある意味ではドラゴンなのだろう。

 とんでもなく強いくせに、心はそれに相応しい成長が出来なかった。心と体がチグハグで、無いもの強請りをしているのだ。宝が欲しい、宝が欲しい――と。

 ブレインの持つ、輝き(たから)が欲しいと強く願っている。

 

 邪竜が告げる。宝が欲しい、宝を寄こせ。その輝きを、粉砕させろ――と。

 

「――――」

 

 本当に、信じられない。なんて無様で複雑怪奇。こんな言い訳だらけの臆病者が、魔人染みた強さなんだから笑えてくる。

 

「――ああ、畜生。よく分かったぜ」

 

 つまり今から自分が挑むのは竜退治(ドラゴンスレイ)。この心と体のチグハグな邪竜を討伐しろと、他ならない目の前の邪竜が告げている。

 

「とりあえず、一発殴らせろやァァァアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ――当然の事であるが、アインズ……鈴木悟は、本来肉体的な強さも精神的な強さも持たない人間だ。

 

 彼の本来の世界は酸性雨の地獄であり、自然さえ絶えた地獄であり、そして権力者に支配された地獄である。

 その地獄の中で、彼は負け組ではあるが、比較的上の立場であった。

 

 両親は彼を小学校から卒業させるために過労死したが、彼は両親が願った通り小学校だけは卒業したという学歴を得る。

 しかしそれさえ、持っていない人間は多い。国――というより、企業の愚民化政策の結果だ。

 

 何せ、時は西暦二千某。発達した科学文明は自然を淘汰し、資源を駆逐し、生活は機械無くして成り立たない。

 

 そんな世の中で、民衆の命は中世の如く軽くなった。機械がなんでも出来るから、人間じゃなくてもいい仕事が多くなったから、人々は当たり前に、よりコストのかからない機械を頼る。

 

 そのような世界観の中で、小卒という学歴はギリギリ底辺を這わなくてすむ立場だった。

 

 娯楽は無い。仕事はいざという時は自分でなくてもかまわない。そんな環境ならば病むのも早く、当然日々の不満は募る一方であろうが――彼はなんとも都合のいい事に、そういう事に興味を覚えない人種だった。

 

 なんとなく生きて、なんとなく死ぬ。それを平然と受け入れて、平然と暮らしていける。愚民化政策もその思想に拍車をかけたのであろうが――それでも、無味無臭で変わっていると言えば変わっていた。

 

 そんな彼に転機が訪れたのが――ユグドラシルというDMMO-RPGだった。異形種でプレイした彼は、当時流行っていた異形種狩りによってレベルも満足に上げられず、すぐにやめたくなっていたが、彼と同じ異形種プレイヤーが助けてくれたのだ。

 

 そこから――次第に仲間が増えていった。

 そこから――色んな冒険に出た。

 

 楽しかった。毎日が、本当に楽しかった。最初は課金する事を嫌がっていたが、いつしか趣味の無かった彼は生活費以外の給料をそれに注ぎ込むようになっていった。

 

 ――たかがゲームなのに。現実には、何も返ってこないのに。

 

 もっとも、もとより趣味の無い男であり、天涯孤独で現実には親しい人間の一人もいない男だったから。彼にはそれでよかったのだろう。

 

 ――しかし、それも長くは続かない。

 

 いつしかユグドラシルより発達したゲームは増え、次第にユグドラシルは飽きられるようになり――そして当然の如く、ただのゲームでしかないユグドラシルに、いつしか見切りをつけて現実で生きていく事を選ぶ人間は増え――

 

 最後に、彼は一人になった。

 

 趣味など無い。家族はいない。親しい人はどこにもいない。ゲームの中にあったものだけが、彼の全て。

 だから当然――それが終わる頃には、何もなくなった。後には皆で攻略して拠点にしたギルドと、冒険して集めたアイテムだけ。

 本当に欲しかった人の温もりはどこにも無く。

 

 当然だ。だって、ゲームなのだから。いつかは終わる日が来るのは当然である。

 それに気づかなかったとは言わせない。最初っから知っていたはずだ。ユグドラシルは所詮ゲームなのだと。現実には、何一つ持って帰る事が出来ない邯鄲の夢なのだと。

 

 気づいていながら、見ないふりをした。

 知っていながら、何もしなかった。

 

 現実に何も価値が見いだせないのは、当然彼の責任だ。だって同じような環境の人間だって、結局現実に帰還した。

 現実に何も無くても。それでも帰ったというならば――時間制限が来るまで帰らなかった彼は何なのだろう。

 

 ユグドラシルが好きだったから離れなかったわけじゃない――だってそれなら、ギルド維持費を集めるだけの生活になるはずが無く。

 ユグドラシルに大切なものがあったわけでもなく――それならサービス終了時は誰かと一緒に笑っていた。

 現実に大切なものがあるのなら――そもそもユグドラシルなんてとっくにやめているはずで。

 

 つまり――彼は結局、自分から動く事が億劫な、誰かに何かしてもらうのを待つだけの、誰の一番でもないどこにでもいる誰かだったのだろう。

 

 そんな人間が掴めるものなぞたかが知れている。大切なものが過去の遺産しか無いのなら、現実からいつまでも逃げているだけの男なら、朽ち果てた墳墓で墓守をしている事がお似合いだ。

 誰も愛さないのだから誰にも愛されないのは当然で。

 誰も大切にしないのだから誰にも大切にされないのは当たり前だ。

 

 邯鄲の夢でしかないゲームの中での交友関係。そんなものに愛情を寄せられたところで、寄せられた相手は迷惑でしかない。

 だって、彼らはまともだから。ただの邯鄲の夢だと知っているから。インターネット上の関係は、あくまでインターネット上だけの話なのだ。それを現実に持ち越そうと思えば、当然それなりの努力が要求される。

 そしてそれを現実に持ち出せるような人間は――そもそも現実で親しい人間が一人もいないなんてあるはずが無いのだ。

 

 だから、頭がおかしいのは一人だけだ。

 邯鄲の夢に固執して、いつまでも布団にこもり枕を抱く。そんな人間を一体誰が愛せるだろう。立ち上がる努力をしない人間に、与えられる栄光は存在しない。

 

 ユグドラシルの交友関係を現実に持ち込む努力もせず、ただユグドラシルの中でずっと過去の栄光を夢見てるような人間が、一体どう愛されるというのか。

 いつか皆が戻ってくる――なんて都合のいい夢は、例え慈愛の女神であっても叶えはしない。

 

 そう、頭がおかしいのは一人だけ。

 努力せず、ただ現状が改善するのを待ち――最後は当たり前に誰も来ない事に腹を立てる。そんな負け犬は一人だけだ。

 

 鈴木悟は心底負け犬だったのだと――アインズ・ウール・ゴウンはラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに告げられて、その名の通り悟ってしまったのだ――

 

 

 

 故に。

 

「グ――やっぱりか――!!」

 

 ブレインの攻撃を捌けなくなっていく。もとより近接戦では不利な戦いだったが、ついにブレインはアインズの関節を捉え始めた。

 

(ああ――畜生! 痛い……最悪だ……ッ!!)

 

 そして当然、泣き言が入る。今まで痛みを受けた事はなく、唯一天使の第七位階魔法に痛みを感じたが、その時は当たり前に感情抑制が働いたから精神の鎮静化が図られた。

 

 しかし――

 

「いいからいい加減落ちろ、ブレイン――!!」

 

 湧き上がる赫怒、拒絶、嫉妬の念が感情の抑制を無効化する。核融合の如く消えない負の感情は、もはやアンデッドの種族特性を無効化し、アインズに当たり前の痛覚を届けていた。

 

 痛みなぞ大嫌いだ。それだけを、ずっと避けていた。嫌われる事を恐れていた。拒絶されるのは怖かった。

 

 だから、いつだって、皆の意見を調整して――皆の望む答えを出していたんだと。

 

 勇気が持てないから。怖かったから。そうだ。ひたすらに怖かった。自分の意思で何かを決めるのは怖かった。前へ踏み出すのは恐ろし過ぎた。

 結果が分からない過程は怖い。何か利益が必ずある状況じゃないと、恐ろしくてとてもではないが立っていられない。

 

 ――なんて、無様な負け犬だろう。自分の情けなさに反吐が出る。

 

 だと言うのに。

 

「ウオオォォォオオオオッ!!」

 

「ハアアァァァアアアアッ!!」

 

 交差する刃と刃。煌く火花は星の光に似て、夜の闇を刹那の間照らしている。アインズの手は止まらない。

 

「――は、ははは……」

 

 乾いた笑いが漏れた。八つ当たり染みた、目の前の男への悪意が止まらない。痛いのに、苦しいのに、今も必死になって八つ当たりを続けている。

 やはり自分は塵屑なんだと――そう認識しながらしかし止まらず、内心で好き勝手に正当化しながら相手に斬りかかっている。ブレインはいい迷惑だろう。

 

 ――本当に、どうしてこうなってしまったんだろう。

 羨ましいのは本当だし。憧れているのも本当なのだ。相手に嫉妬を覚えるのはお門違いで、そんな事をしているぐらいなら自分もそうなるよう努力すればいいだけの話で。

 

 でも。

 

「いい加減諦めろ、ブレイン――! お前がどれだけ俺に斬りかかろうと、俺が倒れるその前にお前は真っ二つだ……ッ!!」

 

 そう、いくらアインズが後衛職だと言っても、一〇〇レベルの体力は伊達ではない。体力の減りは爪楊枝で刺されているのと変わらず、死の危険は感じないのだ。

 

 対するブレインは、刻一刻と動きが鈍くなっている。息が荒い。疲労が積み重なっている。おそらく、アインズが渡していた指輪を今は装備していないのだろう。

 

 ――その疲労が限界まで積み重なり、速度が、反応が落ちたその瞬間――アインズの大剣はブレインの胴体を捉えるだろう。

 

「う……るせええぇぇぇッ!! テメェに敗北を認めさせなきゃ、俺は前に進めないんだっつってんだろうがッ!!」

 

 ブレインは諦めない。〈領域〉を常時展開し、駆使しながらアインズの攻撃を躱し続けている。

 

 ……だから、もう諦めて欲しかった。そうやって輝く様を見せられたら、それはもう。

 

「それが鬱陶しいんだよッ! お前らはァァァアアアッ!」

 

 当然、堪らないアインズは更に悪意を噴出し、その輝きをへし折ってやろうと止まらない。

 

「いい加減諦めろよ……! 世の中、上には上がいるんだよ……! どんなに頑張っても辿り着けないものがあるんだよ……! どんなに頑張っても……出来ない時は、出来ないんだよ……ッ!」

 

 一〇〇レベルの化け物に、三〇レベルに満たない人間が勝てるはずがない。ユグドラシルで人間が強かったのは、異形種と違って人間種は種族レベルが存在せず、習得出来る職業(クラス)が多かったためだ。

 職業(クラス)を多く取った方が強くなるユグドラシルのシステム上、種族レベルを上げなくてはならない異形種はどうしたって同じ一〇〇レベルでも弱くなる。だからこそ人間種が幅を利かせていたのだが――

 

 この異世界は違う。むしろ逆だ。レベルが簡単に上がらないこの異世界では、初めから種族レベルをある程度獲得している異形種の方が強くなる。

 ――将来的には、例え人間の方が強くなるとしても。生存競争に忙しいこの異世界では、可能性はあくまで可能性なのである。

 

 だから――アインズの方が強い。ましてやレベル差が十も開けばユグドラシルであっても勝率はゼロに等しい。ブレインとのレベル差は七〇以上……例えアインズが近接戦しか仕掛けていなくても、勝機は無い。

 

 だから――諦めて欲しかった。立ち止まって欲しかった。お前も所詮、人間なんだと納得させて欲しい。そんな輝かしい生命は物語の英雄だけの特権なんだと思わせてくれ。

 

 でなくては――耐えられない。無様な自分に耐えられない。塵屑のような自分を受け入れられない。

 

 ――ああ、なんて無様な負け犬。そうして言い訳をする時点で、唾棄すべき性格で、自分に対する愛情が尽きていく。

 

「出来ない奴は出来ない――それでいいだろ……! 適材適所ってのがあるだろうが!」

 

「……あぁ、本当に――まったくテメェは……さっきから聞いてりゃ、馬鹿みたいに……ッ!」

 

 アインズの言葉に、ブレインは叫ぶ。その瞳には、消えない輝きが。

 

「才能があるから努力するんじゃねぇよ! 才能がなくても……辿り着きたい場所があるから努力するんだ……! 俺の中には剣しかねぇ……ッ! もしかしたら他にもっとうまく出来るものがあるかもしれねぇ……! でも、そんなのどうでもいいんだよ!!」

 

 アインズの大剣をブレインは滑るように逸らして防ぐ。もう当たらない。

 

「俺はこれがいい……さっきも言っただろうが! 剣を振るうことだけが人生だって……! その道を進むために、前を向くために……お前に勝つんだってなぁッ!!」

 

「――――」

 

「本当に……さっきから聞いてりゃ……お前って奴は……! そんなにも――そんなにも努力するのが嫌か!? 痛いのが嫌いか!? 決意するのは面倒臭いか!? 前へ進むのは辛いのか!?」

 

「――――ッ!」

 

「ふざけるなよ甘ッタレ野郎!! ――誰だって、そうした痛みを抱えて生きているんだ……! 辛くて、逃げたくても、頑張っているんだよ……! そうしなきゃ生きていけないんだ……」

 

 なのに。

 

「そんなちっぽけな命を守ってやれるお前が! 努力は嫌だ!? 痛いのは嫌い!? 決意も前進も無理だ嫌だやめてくれ――ふざけるなぁッ!!」

 

 ブレインの攻撃がアインズの関節を捉える。奔る痛み。

 

「最低限蘇生出来るだけの力があればいいだと――? 他人任せにしやがって……! どんなに頑張ってもお前どころか俺より強くなれない奴がいるのに――そんな連中を置き去りにしながら言うことが、その泣き言か……ッ!!」

 

 飛び散る火花。

 

「――頑張れよ……、前を向けよ……! 勇気出して歩いてみろよ……!! 泣き言を言う前に、ほんの少しでいいから――たった一歩でもいいから……! そうすりゃ……少しだけ、変われるはずなんだ……!!」

 

「――変われないさ」

 

「変われるんだよ! 俺がそうだったんだからッ!!」

 

「――――」

 

 アインズは思わず、切りかかるのも忘れてブレインを見つめる。ブレインは息を荒げながら、アインズに告げた。

 

「俺だって、昔はやる気なんてない馬鹿だったんだ……! お前とは少し違うけど……農作業やる暇潰しに、片手間にやる剣の練習で、真面目に剣技を扱う連中を負けさせてきたんだ……。俺が最強で、周囲は雑魚。そうやって生きて――」

 

 そして御前試合で、ブレインは本物(・・)と出逢ってしまった。

 

「初めてガゼフと戦って――そして敗北した時。最悪な気分だったよ……惨めだった。絶対に自分が勝つって、王様の護衛なんざ興味無いくせに、ただ自分が最強だって見せびらかしたいから参加して……結果は敗北だった。今までの世界が崩れ去るのが分かったんだ」

 

 努力なんてしなかった。真面目に生きてなんかいなかった。適当にしておけば、勝手に周囲はひれ伏すと信じていた。負け犬みたいにある程度自覚のある人間よりなお悪い、天狗だったのだ。

 

「でも……立ち上がろうって思えたんだ。もう一度、ガゼフと戦って勝ってみせるって。……もう一度負けたらどうしようって思うと怖かったさ。周囲の連中に馬鹿にされるのだって嫌だった。――それでも、立ち上がろうって思えたんだ。俺みたいなクズでも、お前が眩しいと思えるような人間になれたんだ――だから」

 

 ブレインは、アインズをまっすぐ見て。

 

「だから――頑張れよ。俺が保証する……お前だって出来るんだ。出来ない人間なんていないんだ。お前は俺と違って、誰に会っても人生を否定されるようなクズじゃないだろう」

 

 誰かの一番になれない、どこにでもいる、臆病者ではあっても。

 誰もが嫌いになるような――そんな、悪党みたいな人生は送っていないはずだろう、と。

 

「…………それでも、今更変われない」

 

「アインズ――!」

 

「そうだ、ブレイン。今更俺は変われない。命あるかぎり、必死に足掻き続ける――そんな輝きを持つには、俺は遠くに来すぎてしまった」

 

 理想は無い。欲しいものも無い。僅かに持っていた夢は、黄金の女の手で文字通り粉砕した。自分が頭のおかしい負け犬だと気づいたその時に、かつての仲間達との再会は邯鄲の夢となり果てた。

 

 ――どんなに足掻いても、既に。生あるものが持つ輝きは、アンデッドとなったアインズには不可能なのだ。

 

 あらゆる生ある者の目指す(The goal of all)ところは死である( life is death)。死を超越した死の支配者(オーバーロード)。終わりであるはずの死の先に向かってしまったアンデッドに、生ある者の輝きは手に入らない。

 

 ――ああ、本当に。気づくのが遅過ぎた。もう少し、もっと早く――ユグドラシル時代にあの黄金の女に出遭っていたなら、負け犬なりの幸福を見つけて歩けただろうに。

 

「俺の意見は変わらない、ブレイン。俺はお前達が羨ましい。俺には無理だ――だから」

 

 剣をかまえる。不思議と、核融合染みた爆発を繰り返していた感情は既に凪のように収まっている。

 

「だから――負け犬の俺を粉砕して、その輝きを証明しろ。俺に、それは不撓不屈の光なんだと夢見させてくれ」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、ブレインも黙して剣をかまえる。もとよりブレインも限界だったはずだ。この一撃で勝負を決めるつもりだろう。

 

 ――勝者は既に出ているけれど。ブレインの攻撃が直撃しても、アインズは死なないけれど。

 

「――――」

 

 アインズは、特殊技術(スキル)――〈上位物理無効化Ⅲ〉を解除した。この痛みを、正面から受け止めるために。ブレインの覚悟に、答えるために。

 

 アインズの身体能力ではブレインの〈領域〉と〈神閃〉からなる秘剣・虎落笛は防げない。知覚出来ないのだ。故に、どうしたってカウンターを狙う事になる。

 故に、狙いは一つ――鎧の関節で動きを止めて、斬る。でなければ逃げられる。

 そう――アインズが魔法も、特殊技術(スキル)も使わず疲労しない場合のブレインに勝つ方法は、もとからたった一つしか無いのだ。

 

「――――行くぜ」

 

 剃刀の刃(レイザーエッジ)をブレインが鞘に納め、走る。当然、縮地による変幻自在の歩幅はアインズに距離を測らせない。

 だから、ひたすら待った。切りかかるその瞬間、必ずブレインはアインズの間合いに入る。そう――魔法のような飛び道具でもないかぎり、相手にとどめを刺す瞬間、必ず相手の間合いに入るという最大のリスクが発生する。ブレインは飛び道具も、そういった武技も持たない。

 

 だから、待った。

 

「――――」

 

 一緒に南方に行こうと語り合った日が遠い昔のようだ。一年も経っていないはずなのに。

 出会った日を思い出す。無理矢理付き合わせたエ・ランテルのアンデッド事件を思い出す。他にも、たくさんの思い出があった。

 

 ――思えば、この異世界に来てからほとんどの月日をブレインと共に過ごしたんだな、と思い至って。

 

「ウオオオォォォオオオオッ!!」

 

「――――」

 

 〈領域〉、〈神閃〉――ブレインの最強の武技、秘剣・虎落笛。

 

「――――」

 

 アインズは、大剣を一本手放して片腕を喉笛の前に差し出した。

 

「ギ――――!!」

 

 痛い。物凄く痛い。当然だ。だって、こんな痛みは今まで受けた事が無い。さっきまでの痛みは悪意の念で打ち消してもいたのだ。しかし今はほぼ素面――その状態で刃物が腕を貫通して、痛くないはずがない。

 

 痛い――耐えられない。

 痛い――泣き喚いて転がりたい。

 痛い――無理だ。

 

「――――」

 

 でも、耐えた。歯を食いしばって、耐えた。この痛みを忘れない。絶対に忘れないぞと誓って――

 

「――オオオォォォォッ!!」

 

「――――」

 

 アインズは、ブレインに向かってもう片方の手に持つグレードソードを振り抜いた。

 

「――――」

 

 振り抜こうと――したのに。響いたのは金属音。

 

「――――は?」

 

 おかしい。その金属音はあり得ない。ブレインの手に握られている武器はアインズの片腕に突き刺さったままだ。そしてブレインは重装甲の鎧は装備していない。だからこの金属音はあり得ないし、そもそもアインズの腕力なら生半可な鎧は平然と真っ二つだ。あの回収したフロスト・ドラゴン達の鱗なら弾けるだろうが、そもそもあの鱗は未だ加工されていないはずで。

 

 ――だから、あり得ない。あり得ないはずなのに、そんな。

 

「――これだけは、本当は使いたくなかったぜ」

 

 ブレインは呟く。そうだ、ブレインは使いたくなんてなかった。

 

「でも、お前にその戦法でこられたら――こうでもしないと勝てないんだよ」

 

 だから使ったんだと。

 

「――感謝するぜ、ガゼフ。お前のおかげで、今の俺はここにいる……!!」

 

 〈領域〉、〈神閃〉――そして、〈四光連斬〉。

 かつて、ブレイン・アングラウスがガゼフ・ストロノーフに敗北したその武技。ガゼフが死した事によって失われたはずのガゼフのオリジナル武技を、天才剣士が解き放つ――!

 

 ……〈四光連斬〉は本来、命中率の低い武技だ。四つの斬撃を神速で放つこの武技は、しかしその手数によって命中精度が低いという欠点を持っていた。

 ただし――それは〈領域〉という命中補正を高める武技が無いガゼフの話。極限まで命中率を上昇させられるブレインにとっては、それは文字通り光のような四つの斬撃を放つという現象しか起こさない。

 

「――――カ」

 

「――俺の勝ちだ、アインズ」

 

 よって、勝敗はここに決した。一の斬撃はアインズの片手に、二と三の斬撃は大剣を逸らし、弾き――四の斬撃は、アインズの首を完璧に捉えその刃先は首を通っていった――

 

 

 

「…………あぁ」

 

 倒れ伏したアインズは、夜空を眺める。星は変わらず美しい。元の世界では、決して見られない夜空の美しさを、呆然と眺める。

 

 勝敗は決した。勝者はブレインで、敗者はアインズ。――アインズは、結局精神の勝負は勿論、肉体的な近接戦にも勝てなかった。

 

「…………」

 

 立ち上がるための体力はある。所詮は三〇レベルにも満たない人間の攻撃だ。クリティカル攻撃を無効化するアインズにとっては、首を刃が通った程度は死ぬような攻撃ではない。

 でも、立てない。そのための気力が、そもそも存在しなかった。

 

「――信じられねぇ」

 

 そして、寝転がり夜空を見上げるアインズの傍に立つ男が一人。

 

「なんで生きてんだよ、お前。首貫通したろ」

 

 ブレインは呆れた様子でアインズを見ている。それに、アインズは静かに返した。

 

「当然だ。俺に即死物理攻撃(クリティカルヒット)は無効だぞ。……まあ、つまりそういうことだ」

 

「――――」

 

 ブレインはアインズに告げられた言葉を反芻し、咀嚼し――絶句した後、笑った。

 

「は、はは……ちょ、お前、マジか? え? つまり――顔とか体とか、そうやって全身鎧(フル・プレート)で隠してるのはそういう意味だったのか?」

 

「そういう意味だったんだ」

 

「――し、信じらんねぇ。一度も食事してるのを見たこと無かったのも、つまりそういうことなのかよ……」

 

 ブレインは破顔した。夜の星空に、ブレインの笑い声が響く。いつしか、その笑い声にはアインズの声も交じり――二人は人目も憚らず、大笑いした。

 

「あー……笑った。っつうか、お前人間味あり過ぎだぞ。マジに人間だと思ってただろうが」

 

「元は人間なんだよ、ブレイン。そう――俺は臆病な人間だったんだ。それが」

 

 こうしてアンデッドになった時、分不相応な怪物になってしまったのだ。

 

「それでそのチグハグさか……」

 

 ブレインは納得したようで、うんうんと頷いている。

 

「――さて、アインズ。宣言通り、俺は“漆黒と蒼”を抜けるぜ」

 

「ああ」

 

 それは最初の取り決め。勝敗がどうなろうと、ブレインが冒険者をやめるのは確定事項であった。

 

「俺は、強くなるんだ。前を向いて、走り続けるよ。――お前が憧れた生き様そのままに。あのガゼフが、届かないところまで――その時に、ようやく俺は、ガゼフに勝てた気になれると思うから」

 

「そうか。――ああ、そうやって走り続けてくれ、ブレイン。その生き方に、俺は憧れ続けるよ」

 

 例え、もう二度と会う事が無くても。

 

「じゃあな――アインズ・ウール・ゴウン。光に憧れた負け犬、元気でな」

 

「さよなら――ブレイン・アングラウス。光輝く憧れの勇者、そちらこそ」

 

 その言葉と同時、ちゃりんとアインズの横に何か投げ出された。きっと、プレートだろう。そしてざり――と足音が離れていく。きっと、もう二度とブレインと会う事は無い。アインズは夜空の下、たった一人残された。

 

「――――」

 

 星空を見上げる。特に意味もなく。そこに――

 

「――イビルアイ」

 

 ざり、と新たな訪問者が現れる。小さな体躯。仮面の少女――吸血鬼のイビルアイ。

 イビルアイは仰向けに倒れ動かないアインズの横に、寄り添うように座った。

 

「……もしかして、見てたか?」

 

「ああ、途中からだが」

 

「……そうか」

 

 恥ずかしい。あの八つ当たりや泣き言満載の負け犬宣言を、自分に惚れている女に見られるのは最悪だ。気分が沈む。

 

(あ……やばい。本当に沈み過ぎて感情が沈静化させられそう)

 

 この後更にイビルアイに「このダメ人間の負け犬め! 二度と私に面を見せるなよ」と言われたら立ち直れない気がする。……そう思った瞬間感情が抑圧され精神が沈静化した。本来ならば立ち直れないダメージを与えられそうな攻撃も、アンデッドならば大丈夫――死にたい。

 

「…………」

 

「…………」

 

 お互い、無言で夜空を眺める。そうしていると、ポツリとイビルアイが口を開いた。

 

「……実はな」

 

「ああ……」

 

「……アインズ、お前とラナーの会話を聞いていたんだ」

 

「――――え?」

 

 アインズは思わずガバリと身を起こし、イビルアイを見た。イビルアイは視線をアインズに向ける。

 

「だから、その――お前が魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのも、ちょっとダメな奴だっていうのも――その、悪いが聞いていて」

 

「そ、そうか――」

 

 気まずい。つまりイビルアイはとっくに恋の魔法から覚めていたと。とっくにアインズの事なんか惚れていないと。

 

(え、えぇー……。それって、闘技場誘ったの大迷惑だったんでは)

 

 駄目人間を心配して、かまってやっていただけなのに調子に乗るんじゃねぇぞこの野郎――などと思われていたのでは。アインズは地の底まで気分が沈んだ。

 

「それで――」

 

「あ、ああ……」

 

 気まずい。心底気まずい。時間よ早く過ぎ去ってくれ――アインズはそう死刑囚にも似た心境でイビルアイの言葉を待ちながら。

 

「アインズ――さっきの、お前が人間じゃないっていうの、本当なのか?」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは再びイビルアイの顔を見た。アインズが視線を向けると、イビルアイは仮面をゆっくり外す。

 仮面の下には、美しい金髪の少女の顔があった。

 ……ただし、口から牙のように発達した八重歯が生え、そして瞳は人外を示すように真っ赤。顔色は少し悪い。吸血鬼の素顔。

 

「…………」

 

 アインズは、魔法を解く。鎧の下から、邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿が現れて――ローブから覗く顔は、まさしく髑髏。

 

「俺も……実はお前が人間じゃないことは知っていたよ、イビルアイ」

 

「え?」

 

「ほら、あの魔樹の時――お前が気絶したから、回復薬(ポーション)使ってやろうと思ったら、仮面が外れて……すまん。指輪を外して確かめた」

 

「そ、そうか……」

 

 互いの隠し事を晒しながら――二人は再び無言になる。星空は煌いていた。

 

「……さて、聞いていたなら話は早い。“漆黒と蒼”は解散だ」

 

 しばしの沈黙の後――アインズはそう言って、再び星空を眺める。

 

「え?」

 

「聞いていたんだろう? ブレインは出て行った。俺も――出ていく。“漆黒”が抜ける以上、お前達はもとの“蒼の薔薇”に戻るといい。今更、皇帝が何か言ってくることはないだろう」

 

 アインズはそう告げて、自分の首元からアダマンタイトのプレートを外し、地面に投げ出されていたブレインのプレートも手に取って、イビルアイの手に二枚のプレートを握らせた。

 

「ア、アインズ――」

 

「俺はダメ人間で、それで、人間じゃない。正直言うと、いい機会だと思う。アンデッドの俺がいつまでも長く人間の世界で冒険者出来るはずもないしな。――そう、それに苦痛だったんだ、わりと」

 

「く、苦痛……?」

 

「ああ。俺は負け犬だから、英雄みたいに振る舞うのは辛かった。誰かに尊敬されるような生き方なんてしていなかったから、余計にな」

 

 そう、それさえずっと辛かった。憧れています、というような瞳で自分を見つめられるのは居心地が悪過ぎた。自分がそんな上等な人間じゃないと知っているが故に、アインズには民衆の瞳が辛かった。

 

「だから――“漆黒”はここで解散だ」

 

「そ、それで――これからどうするんだ?」

 

「そうだな……」

 

 イビルアイの言葉に、これからの予定を考えて。

 

「根無し草の旅でも始めるよ。この自然を眺めるのは悪くない」

 

 人里を離れて、山を、海を目指そう。人の輝きは十分に見た。これ以上は辛過ぎる。だから――今度は、自然の輝きを眺めていよう。灼き尽くすほどに眩しくはない、ただあるがままの美しさを。

 

「さよなら――イビルアイ。ラキュース達にはよろしくと伝えておいてくれ」

 

 アインズは立ち上がる。そしてブレインがそうしたように、アインズもイビルアイを置いて立ち去ろうとしたその時――背中からローブを掴まれ動きを止められた。

 振り返る。

 

 見れば――イビルアイが、顔をくしゃくしゃにして、アインズを見ていた。

 

「――イビルアイ?」

 

「い、行かないでくれ……頼む。行くなら……行くなら、私も連れて行ってくれよ……!」

 

「――――」

 

 涙を流して、イビルアイはアインズに懇願する。その姿に慌て、アインズはハンカチを取り出してイビルアイの顔を優しく拭った。

 しかし、涙は溢れて止まらない。

 

「いや……お前には仲間がいるだろう?」

 

 アインズがそう告げるが、しかしイビルアイは首を横に振る。

 

「た、確かにラキュース達は大切だ。……でも、でも……忘れないでくれ。私だって……アンデッドなんだ」

 

「あ…………」

 

「ラキュース達は歳を取っても、私は取らない。――変わらないんだ、これから。変われないんだよ――お前と同じで」

 

「イビルアイ……」

 

 泣きながら、イビルアイはアインズに訴える。

 

「好きなんだ……お前のこと。だから一人にしないでくれ……!」

 

「……イビルアイ、その感情は」

 

 その恋愛感情は、きっと――と告げようとするアインズに、イビルアイは首を横に振る。

 

「お前が嘘をついていたとか、ダメな奴だとか……そんなのいいんだ! 私は、一人は嫌だ。ラキュース達と、十三英雄達と出会って、一人は辛いんだって実感したんだ。……私は、もう一人じゃ生きていけないんだ」

 

「イビルアイ」

 

「ぬくもりをくれよ、アインズ。……お前もアンデッドなんだろう? なら――なら、一人じゃない暖かさをくれよ。お前だって……お前だって……」

 

 ――そう、アインズだって。

 

「ひとりぼっちは大嫌いな、寂しがりやなんだろう――!」

 

「…………ッ!」

 

 そうだ。一人は辛い。望んで一人になりたかったわけじゃない。

 自分だって、人の暖かさを知ってしまったのだ。ユグドラシルさえ始めなければ耐えられた。でも、アインズ・ウール・ゴウンの皆と出会ってしまったから、もうひとりぼっちには耐えられない。

 

 ――ああ、そうだ。耐えられない。耐えきれない。自分だって、他人のぬくもりが欲しい。

 

「寿命が無い。ずっと一緒にいられる。ただ、それだけで――」

 

 私にとっては、お前は最高に素敵な人なんだと。そうイビルアイに告げられて。

 

「俺だって」

 

 そうだ。自分だって。

 

「俺だって、一人は嫌だ。耐えられない。――そうだ、俺は負け犬なんだ。ひとりぼっちで生きていけるほど強くなんてない……!」

 

「なら――」

 

 イビルアイは、微笑んで。

 

「なら――、一緒にいよう。アインズ。私達――同じ不死者(アンデッド)じゃないか」

 

「ああ――、そうだな。一緒にいよう、イビルアイ」

 

 ひとりぼっちは、辛いから。

 

 ――そうだ。鬱陶しいと思っても邪険にしなかったのは、それでもイビルアイと二人でよく行動するようになったのは、自分が孤独に耐えきれないからだ。

 イビルアイはアンデッドで、自分もまたアンデッド。どちらかが殺される、その瞬間まで――二人の関係性が切れる事はない。

 

 寂しかった。ひとりぼっちは辛かった。だから、そう――アインズは、イビルアイにぬくもりを求めたのだ。

 

 それは、単なる代替え品なのかもしれない。単に利用し、利用されるだけの関係なのかもしれない。

 でも、それでいいじゃないか。最初は偽物でも、依存でも――そこから本物に発展する事だってあるだろう。

 

 もう終わってしまって、終わりのない二人なら――いつか冷めてしまっても、長い年月の中、再び一緒に寄り添いたくなる日が来るだろうさ。

 

「……一気に、三人も抜けてしまうな」

 

 イビルアイが微笑みながら、悪戯を告げるように呟く。アインズは、それに苦笑しながら返した。

 

「そうだな。……でも、ブレインはともかく元から俺とお前は強さに差があり過ぎるだろ? パーティーを組む上でよくないぞ、そういうの」

 

 実は自分でも、ずっと気になっていた事だ。愛着が沸けば、大切になるほど冒険者パーティーとしてのチグハグさが気になった。

 そういう時――攻略ダンジョンでレベルが突出した人間が抜けると苦労するのだ。実際、アゼルリシア山脈で大層困っていたようだし。

 

 だから、そういう意味でもいい機会なのではないだろうか。アインズとイビルアイは強過ぎた。彼女達のためを思うなら、そろそろパーティーの抜け時だ。

 

「ふふ……そうだな。まあ、今なら抜けても許されるだろう」

 

 イビルアイはそう意味深な事を呟いて、アインズの片手に両手を絡ませる。

 

「私達が抜けた穴に少し苦労するだろうが――彼女達なら大丈夫だろうさ」

 

「……ああ」

 

 ラキュースの太陽のような笑顔を思い出す。彼女もまた、アインズが憧れる輝かしくて眩しい生き物。ブレインと同じように、彼女もまた仲間達と共に前へ進んで歩いていくだろう。

 その場で尻込みし、立ち止まってしまうようなアインズと違って。

 

「あっと……帰るんなら、もう一度鎧を着ておかないとな」

 

 この格好ではアインズだと分からないだろうし、あまり見せたい姿ではない。アインズは再び魔法を紡いで、鎧を着こんだ。二人は並んで歩き出す。アインズのその姿を見たイビルアイは、少し悩んで――口を開く。

 

「なあ、アインズ。その魔法――」

 

「ん? ああ……第七位階魔法だよ。お前だと誤魔化しは通用しないだろうしな」

 

「そうか……やはり。――ということは、アインズ。やはりお前はぷれいやーだったのか?」

 

「……プレイヤーを知ってるのか?」

 

 アインズは驚いて、イビルアイを見つめる。イビルアイは微笑みながら、したり顔で頷いた。

 

「そうか、やはりお前はぷれいやーだったか……。もしかして、あの山で会った時って」

 

「……こっちの世界に来たばかりだったよ。右も左も分からなくて、本当に参った」

 

 その言葉に、イビルアイは声を出して笑った。

 

「はは……記憶喪失も嘘っぱちか! 無駄に国の知識があったから、信じただろ!」

 

「いやあ……あのグリーン・ドラゴンにその時既に会っていてさぁ……。アイツから教えてもらって、何とか」

 

「あー……あの畜生か」

 

 嫌な事を思い出したらしく、イビルアイは口を尖らせる。

 

「しかしイビルアイ……やっぱり、見た目通りの年じゃないんだな」

 

「……ああ」

 

「ということは、十三英雄の話も実体験か! 今度、もっと色々教えて欲しいな。他のプレイヤーの話も知っているなら、是非聞きたい」

 

 アインズより昔、この異世界を訪れた同胞(プレイヤー)達。彼らは今、どうしているのだろう。死んでしまったのか、それともまだ世界の片隅でひっそりと暮らしているのか。

 

「……うん。時間はたっぷりあるから、色々と教えてやるからな、アインズ」

 

「ああ、お願いするよ、イビルアイ」

 

「…………」

 

「イビルアイ?」

 

 イビルアイは立ち止まり、アインズから手を離してその場でもじもじと挙動不審になる。さてどうしたのかと首を傾げたアインズに、イビルアイは意を決したように深呼吸して――

 

「アインズ」

 

「ああ」

 

「私――本当は、キーノ・ファスリス・インベルンというんだ。……よければ、これからはキーノと呼んで欲しい」

 

「…………インベルン」

 

 どこかで、聞いたことのある響きだ。さてどこだったかと記憶を探り――ふと、あの白金の鎧が頭に浮かんだ。

 

(アレも……十三英雄の関係者なのかな?)

 

 評議国から来た、という白金の騎士。彼にももう少し、色々と話を聞いてみたいものだ。

 

 そして――アインズはイビルアイを――いや、キーノを見る。緊張しているのか、口元を引き締めて彼女はアインズを見ていた。

 アインズは、その姿に苦笑して。

 

「俺も、本当の名前があるんだ。アインズ・ウール・ゴウンはギルドの名前でさ」

 

「え」

 

 そう、アインズ・ウール・ゴウンはプレイヤー名でさえ無い。思い出深いギルドではあるが、今となってはそれを名乗るのは憚られる。

 きっと……もう二度と、アインズ・ウール・ゴウンと名乗る日は来ないだろう。これから名乗る時は、プレイヤー名のモモンガだ。

 

 でも――キーノに名乗るには、もっと別の、相応しい名前があったから。

 

「キーノ。俺の本当の名前は――――」

 

 

 

 

 




 
次回エピローグです。すぐ更新しますので、読み忘れにご注意。
 

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