マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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モモンガ「楽しかったん(ry

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The Dark Warrior Ⅰ

 

 

 ――気がつけば、一人そこにいた。

 

「…………」

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層玉座の間、そこで幾人ものNPCに見守られながら一人ユグドラシルというゲームの最終日を迎えようとしていたモモンガは、最終日を迎えて目を開いた時、ぽつんとそこに座り込んでいた。

 周囲を見回せば、そこは山の中のようだった。木々が生い茂り、地面は斜めで、空を見上げれば木々の間に見えるきらめく星々がとても近い場所にある。体を見下ろせば、ゲームの世界で手にしたアバターの姿だった。

 

「…………」

 

 呆然としながら、モモンガは立ち上がる。その感じる質感がゲームではなかった。ゲームではあり得ない、しかし体験した事のないはずの現実味が大自然には満ちていた。

 

「なんだ、これ……」

 

 あまりにも意味の分からない異常事態に、けれどどういうわけか冷静な思考のまま、モモンガはともかくGMコールや〈伝言(メッセージ)〉の魔法を用いて運営との連絡を取り現状を把握しようとし――その全てが無意味である事に気づいたのだった。

 

 それからのモモンガは、ともかく考えうるかぎりのゲームとの差異を実験した。現状、仮想空間であるユグドラシルが本物に――あるいは閉じ込められた可能性が高い。あり得ない状況ではあるが、この仮説が最も有力であるために仕方なくそう仮定する。そしてその場合、自分の知るゲームシステムとの差異を確認するのは急務であった。

 結果、魔法や特殊技術(スキル)の効果、武器や防具の能力など……調査し、ゲームが現実になったとも言うべきだろうか。それほど、モモンガは今までとあまり差異が無いように感じた。むしろ、思考し行動するという作業だけになった事で、コンソールを開き必要なコマンドを選択するという作業が無くなった分よりスムーズになったと言うべきだろう。

 

 ……現状、何が何やらさっぱり分からないが、自分の命を守る事は出来そうだった。少なくとも、即死はしないだろう。きっと、おそらく。……ワールドエネミーなどに遭遇しないかぎり。

 

 ユグドラシルというゲームは未だ未開の地がある。未知の冒険に挑み、未知を既知にする事がコンセプトのゲームであったために、ただの回復薬(ポーション)の素材さえ「自分で調べて集めて下さいね」などという糞制作であり糞運営だ。モモンガの知らない土地やエネミーも十分あり得るだろう。

 

 ナザリック地下大墳墓から弾き出された理由や、ゲームの世界に閉じ込められた理由。異様な現実味などの異常事態はあるが、少なくともユグドラシル内だと仮定してまずは探索を開始する。

 ……だが、そうなるとアイテムボックスの中身が心許無かった。幸い、装備は最後を飾るために神器級(ゴッズ)アイテムで固め、ギルド武器さえ所持しているがアイテムボックスの中はそこまで整理出来ていない。自分が使う予定の無い、アンデッドに対してダメージを与える回復薬(ポーション)類。小鬼(ゴブリン)将軍の角笛などのゴミアイテム。その他様々なアイテムが放り込んであるカオス状態だ。

 

「……とりあえず、なるべくアイテムは使用しない方向で探索するか。巻物(スクロール)で補える探査系魔法をあまり修得していないのが厳しいな」

 

 モモンガは他のプレイヤーと比べれば、黒の叡智と呼ばれる特殊なイベントで山のような魔法を習得しているが、そのほとんどはロールプレイのための浪漫魔法だ。こんな状況に陥るのだと知っていれば、探査系魔法をしっかり修得していたのだが――そう無茶振りの無い物強請りを頭の片隅で思い浮かべながら、モモンガは特殊技術(スキル)の一つを発動させた。

 

 ――上位アンデッド創造、集眼の屍(アイボール・コープス)

 

 隠密系の魔法や特殊技術(スキル)を持つ者の天敵である上位アンデッドを作る。黒い靄が空中に浮かび上がり、それが形を成していく。そうして出来上がったのはモモンガがユグドラシルでも見た事のあるモンスターだ。作成された集眼の屍(アイボール・コープス)と、感覚的に糸で繋がったような感触をモモンガは覚える。主従関係が正確に結ばれている事をモモンガは誰に言われるまでもなく理解した。

 

「周囲を警戒しろ」

 

 それを三体生み出し、命令してみる。集眼の屍(アイボール・コープス)から無言で了承の意を受け取り、彼らはふらふらと周囲に広がって漂い始めた。それに満足し、モモンガは歩き出す。当然、魔法で知覚を増幅させ、普段より神経質な状態になってだ。

 

 ……そうしてしばらく気ままに歩く。周囲はモモンガが見た事もない、美しい自然に満ちている。美しい夜空と、その下に広がる緑色の大自然。アスファルトやコンクリートで舗装されていない、不安定だけれど心地よい気分にさせる大地。

 

「綺麗だ……ブルー・プラネットさんならなんて言っただろうか」

 

 自らの所属するギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの一人、自然をこよなく愛した男を思い出して、寂しげに呟く。

 誰か、ギルドメンバーもこのような状況に陥っていないだろうか……そんな思考が浮かび上がるが、まずあり得ないだろう。大体、仮に陥っていたとしてもユグドラシルから出られないだなんて、最後だからと呼んでそんな異常事態に遭遇させてしまったら、モモンガは詫びても詫びきれない。

 あり得るとすれば、サービス終了日にモモンガと同じようにユグドラシルにログインしていたプレイヤー達がいるくらいだろう。もしかしたら、彼らもモモンガと同じようにログアウト出来ずに今混乱しているかも知れなかった。

 

 ――最優先は現状の確認と、現在位置の確認。それから他のプレイヤーも巻き込まれていないかどうかの情報収集だろう。

 

 モモンガはそう目的を定めて歩いている。

 

 そうして歩いている内に、ふと水の音をモモンガは聞いた。高所から低所に液体が零れるような激しい音――首を傾げながら、モモンガはそちらに向かっていく。

 

「おぉ……」

 

 川を発見し、そのまま流れに沿って歩いていくと滝を発見した。モモンガはそんな大自然に再び感動し、滝を見下ろす。

 

「……うん?」

 

 ふと、その滝から何か見えた。緑色の、蜥蜴の尻尾のような長い紐だ。それが滝の間から水飛沫を散らして覗いて見える。

 

「……あー」

 

 なんとなく、モモンガはその尾の持ち主を察した。ユグドラシルにもいるモンスターだ。モモンガは気づかれていない内に自分に魔法をかける。

 ……覗いて見える尾の長さから大きさを察するに、おそらく高く見積もっても中位――四〇レベルから五〇レベルだろう。この類のモンスターはサイズでレベルがある程度想定出来る。長く生きた強い個体こそ大きなサイズに設定されているのだ。その経験から考えるにそれほど強い個体ではない。さすがに八〇レベル以上の上位モンスターならば逃亡の一手を打つが、その程度ならばモモンガ一人でも十分相手に出来るレベルの強さだ。

 

 無詠唱化した飛行魔法で空を飛んだモモンガは、滝を降りていく。滝から覗いて見える緑色の大きな尾は、何を喜んでいるのか嬉しそうにぶんぶんと振り回されて水飛沫を辺りに散らしていた。モモンガはその鬱陶しい尾を避けて、滝の中を覗く。滝の奥は洞穴になっていたようで、流水に隠れてぽっかりと穴が開いていた。

 そして最初に視界に入ったのは、緑色の鱗を纏った巨体だった。その巨体は丁寧に翼を折りたたみ、しかし尾と同じようにゆらゆらと巨体を揺らして全身で喜びを表現している。モモンガには見向きもしていない。

 それもそうだろうな、とモモンガは続いて視界に入った物に思う。その巨体の向こうには、輝く山があったからだ。様々な種類の金貨が山を作り、その中に埋もれて時折見える低レベルのマジックアイテムが複数。緑色の巨体はそれを前にして、ゆらゆらと体を揺らしておりモモンガに全く気づいていないようだった。

 

「ふへへ……ふへへへ……全部、全部俺のもんだ……!」

 

「…………」

 

 その巨体から聞こえる言葉に、モモンガは少し驚く。喋ったという事は、何かのイベントモンスターであろうか。そうなると少し早まったような気がする。あの糞運営の用意したイベントモンスターとなると、実はサイズが小さいだけで一〇〇レベルモンスターであったという事が十分考えられるからだ。

 しかし、喋られるという事はこちらに何らかのアクションを返せるという事である。試しに、モモンガはその巨体――金銀財宝に夢中になっている間抜けな緑竜(グリーンドラゴン)に声をかけた。

 

「おい」

 

「ふへひひひ……うん?」

 

 声をかけられた緑竜(グリーンドラゴン)は麻薬でもキメたようなヤバい漏れ笑いを止めて、長い蛇のような首がモモンガの方に振り返る。そしてモモンガの顔を見て、驚いたように瞳孔を開いた。

 

「アンデッド!? 何故こんな所に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が!?」

 

「…………」

 

 その返された言葉に、モモンガもまた酷く驚いた。

 ……イベントモンスターというのは、確かに喋るが搭載されるAIはそれほど万能性はない。プレイヤーを見て種族を言い当てる事なぞ無いし、更に種族を言い当てるならばモモンガは死の支配者(オーバーロード)であり、間違っている。わざわざそこまで洒落の効かせたAIを用意するとは幾らユグドラシル運営でもあり得ないだろう。

 だが、まだ決まったわけではない。モモンガは続いて、AIでは絶対に答えられない質問をしてみる事にした。

 

「どうして俺が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だと?」

 

 まず間違いなく、決まった受け答えしか出来ないはずのAIでは絶対に答えられない。声優を雇うのも無料ではないのだ。ましてやユグドラシルにはどれだけの種族がいると思っているのだろうか。その全てを網羅して、種族的特徴を言い当てるなどAIでは出来るはずが無かった。

 そして、相手は爬虫類の顔を――おそらく顰めながら、モモンガの質問に答えた。

 

「何故って……魔法詠唱者(マジック・キャスター)の格好をしているアンデッドなど他にいないではないか。アンデッドになるとそんな当たり前の事も分からなくなるのか? アンデッドは大変だな」

 

「…………」

 

 その答えに、モモンガは確信した。これはAIではない。間違いなく、この緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガの質問に受け答えを――会話をしている。若干イラッとする言葉があったが、今はそれも置いておく事にした。知りたい事はこれだけではないのだ。

 ……ただ、一つだけ先程の質問で疑問がある。予想されるレベル帯では、中位アンデッドくらい知っているだろうに。何故下位アンデッドの知識しかこの相手には無いのか。

 モモンガは緑竜(グリーンドラゴン)を見る。緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガを欲望に塗れた瞳で見つめていた。いや、正確に言えばモモンガの持つギルド武器やローブ、指輪などの装備品を、だ。それを爛々と欲望に輝かせた瞳で見つめている。

 

「な、なあ……そのマジックアイテム、置いていけよ。そうすれば命だけは助けてやるぞ?」

 

「…………」

 

 無いはずの脳が痛む気がした。思わず、眉間部分を指で押さえる。緑竜(グリーンドラゴン)は断られるとは欠片も思っていないのか、うきうきとした様子でモモンガの答えを待っていた。その捕らぬ狸の皮算用染みた思考回路に、モモンガは呆れながら一石を投じてやる。

 

「断る」

 

「む?」

 

 モモンガが装備を外すのを今か今かと待っていた緑竜(グリーンドラゴン)は、不快そうに目を細めてモモンガを見つめた。鋭い牙が生えた咢から、脅すように酸を帯びた吐息が漏れ始めている。

 

「よく聞こえなかったぞ、アンデッド。今何と言ったのだ?」

 

 欲望に塗れていた緑竜(グリーンドラゴン)の瞳が、憤怒に彩られていく。その巨体から漆黒のオーラが漂うように漏れ出ており――口からは今にも酸性の吐息(ブレス)を吐きそうだ。

 緑竜(グリーンドラゴン)が溢れ出させた漆黒のオーラには、モモンガも覚えがある。ただし、モモンガはアンデッドの種族的特徴により、精神に異変を来す類の攻撃は一切通用しない。向こうもモモンガにそれが通用しないのは百も承知だろう。本命の脅しは吐息(ブレス)攻撃と見ていい。

 だが、その吐息(ブレス)攻撃の前兆を見ても平然としているモモンガに苛立ったのか、緑竜(グリーンドラゴン)は足元を鉤爪でカチカチと鳴らし始めた。

 

「もう一度言えよ、アンデッド。今何と言ったのだ?」

 

 しかし、モモンガはその脅しには屈しない。屈する理由が無い。

 

「断ると言ったのだ、爬虫類。お前程度に俺の持つマジックアイテムは勿体ない。まさに豚に真珠、猫に小判だな」

 

「――――」

 

 モモンガの言葉を聞いた緑竜(グリーンドラゴン)は数瞬押し黙ると――――

 

「ぶち殺してくれる! この下等アンデッドがッ!!」

 

 憤怒に支配された瞳で咆哮を上げ、モモンガに対して吐息(ブレス)攻撃を放った。深く息を吸い、吐き出されたのは〈酸の吐息(アシッド・ブレス)〉。病的な深緑色の酸の霧が咢から放たれ、モモンガだけでなくモモンガが立っていた洞穴の入り口付近を包み込む。

 本来ならば周囲の石と土ごと酸で溶けてしまうだろうが、モモンガは酸系攻撃に対する完全耐性を持つ。よって、まるで通用していない。周囲の石や土が溶けていく中で、平然と立っているモモンガに緑竜(グリーンドラゴン)は驚愕に瞳を見開き――酸の霧の効果が終わる。

 

「では、次はこちらの番だな」

 

 モモンガは指を突きつけ、魔法を唱える。何度か目標を決めずに魔法を使用してはいたが、攻撃魔法を実際にモンスターに放つのはこの異常事態が起きて初めてである。実験の意味合いが強いため、まずは弱い魔法で攻めるべきだろう。

 

「〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 モモンガの指先から白い龍の形を模した稲妻が放たれる。その稲妻は真っ直ぐ緑竜(グリーンドラゴン)へと向かい、着弾。緑竜(グリーンドラゴン)は痛みにのた打ち回った。

 

「だ、第五位階魔法だと……!? そんな馬鹿な……!」

 

「…………?」

 

 その攻撃を受けて、怯えたような様子を見せる緑竜(グリーンドラゴン)にモモンガは首を傾げる。緑竜(グリーンドラゴン)はもはや、ほとんど戦意を失っていた。モモンガとしても想定外である。この緑竜(グリーンドラゴン)は中位モンスター程度のレベルはあるのだから、まさか第五位階魔法程度で死ぬとは思わない。実際、緑竜(グリーンドラゴン)は痛がってはいるし、ダメージも受けているがまだ死にはしない。

 だが、それにしてもこの怯えようは少しおかしかった。なんというか、種類が違う。自分より上位種のモンスターに喧嘩を売った、という恐怖ではなく……もっと別の恐怖を感じているようだった。

 

(どうしたんだ、こいつ?)

 

 気にはなったが、モモンガは相手が戦意を喪失したのを確認して、同じように戦意を解く。緑竜(グリーンドラゴン)は頭を伏せて、モモンガに無抵抗を示していた。モモンガが洞穴の出入り口に立っているため、モモンガの横を通り抜けなければ逃げられないからだろう。

 モモンガはたかが第五位階魔法を見せただけで怯えはじめた緑竜(グリーンドラゴン)に、若干緊張感を削がれて溜息をつきながら質問した。

 

「おい、幾つか質問がある。それでさっきの無礼は許してやる」

 

 モモンガがそう言うと、長い蛇のような首をこくこくと縦に振り、緑竜(グリーンドラゴン)は恭順の意を示した。そんな緑竜(グリーンドラゴン)の様子を確認しながら、モモンガは自分の精神状態に困惑している。

 モモンガの装備はかつての仲間達と共に集めた青春の思い出だ。そのため、たかが中位モンスターの緑竜(グリーンドラゴン)に寄越せと――特に、ギルド武器を寄越せと言われた瞬間激昂しそうになったが、何故か異様な速度で精神を鎮静化された。はっきりと異常だと分かるほどに、モモンガは冷水を頭から被せられたように精神が冷静に戻ったのである。

 

(アンデッドになった事で、精神構造が変化したのか……)

 

 このような状況でも妙に冷静になっているな、と自分でも不思議に思っていたが、おそらく人間ではなくなったからだろう。少しだけ悲しい気分になるが、今の状況ではその精神構造の変化は有難かった。

 沸騰した精神が沈静化され、冷静に考えられる事になったために緑竜(グリーンドラゴン)は未だ生きている。はっきり言って運のいい奴だ。

 

「此処はどこだ?」

 

「……? アゼルリシア山脈の山の一つだが……?」

 

 首を傾げて答える緑竜(グリーンドラゴン)の言葉に、モモンガも首を傾げる。

 

「アゼルリシア山脈? おい、それはユグドラシルの九つの内のどこにあるんだ?」

 

「ユグドラシル? なんだ、それは」

 

「え?」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)の疑問に、モモンガは心底驚いた。はっきり、モモンガは今まさに自分と相手の間に何か隔絶したものがある事を悟ったのだ。

 ユグドラシルとは、ゲームの設定上では幾つもの世界を葉として宿した大樹の事である。このユグドラシルの樹に残った九つの葉――即ち、ナザリック地下大墳墓があり、アインズ・ウール・ゴウンが活動拠点にしていた世界ヘルヘイムを初めとした九つの世界が、ユグドラシルという世界だ。

 そして、この世界樹の葉を全て喰い荒らそうとしていたワールドエネミーが九曜の世界喰い。それがユグドラシルというゲームの公式ストーリーであり、イベントモンスターやプレイヤーならば絶対に知っている設定のはずなのだが――言葉を喋る(ドラゴン)が知らないなど、あり得るのだろうか。知性があるのならば、ユグドラシルという世界樹の事は絶対に知っているべきである。

 

「……おい、待て。周辺の大きな国を教えてくれないか」

 

「?」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)は疑問に首を傾げながらも、モモンガの質問に答えてくれた。

 

 竜の王達が統べる、亜人達の国アーグランド評議国。

 人間達が作った三つの大きな国スレイン法国とリ・エスティーゼ王国、バハルス帝国。

 このアゼルリシア山脈にある山小人(ドワーフ)の国を初めとした、亜人種や異形種達の国々。

 そしてこの山の麓に広がっているトブの大森林。

 

 モモンガはそれらを聞いて、それがさっぱり分からないという事実に驚愕する。さすがに、そんな大きそうな国々が未だ未発見だと言うのは信じられないし――先程の世界樹の件もあった。モモンガは嫌な予感を覚えながらも、こっそりとローブの下でアイテムボックスを開き金貨を二枚取り出す。男の顔と女の顔が彫られた二種類の金貨だ。ユグドラシルの硬貨であり、この世界がユグドラシルに連なる世界ならば、共通金貨のはず。

 ましてや、金銀財宝を集めるのが大好きな(ドラゴン)ならば、必ず一度は目にした覚えがあるはずだろう。

 

「この金貨に見覚えはあるか?」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガが取り出した二枚の金貨をじっと見つめ、モモンガにとっては無慈悲に――首を横に振って否定した。

 

「――――」

 

 もはや、一つの結論を下すしかモモンガには残されていなかった。この世界は、ユグドラシルとは全く無関係の世界なのだと。

 

(異世界……? ユグドラシルのサービス終了を期に異世界に転移しただなんて、そんな馬鹿な……)

 

 だが、頭の冷静な部分が間違いない、と告げている。

 ……そもそも、最初からそんな気はしていたのだ。気づいてはいたが、それを必死に誤魔化していたに過ぎない。モモンガは溜息を一つ口から漏らすと、困惑気味の緑竜(グリーンドラゴン)を見つめた。

 

 緑竜(グリーンドラゴン)、というだけではユグドラシルのモンスターだと確定出来るわけではない。しかし、この緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガの使ったユグドラシルの位階魔法をきちんと理解していた。だとすれば、やはりユグドラシルのモンスターもこの異世界に転移してきたのだろうか。この緑竜(グリーンドラゴン)はユグドラシル金貨を知らなかったが、これの親は知っているかもしれない。

 

(ここは異世界だけど――転移したプレイヤーやモンスターが、俺とコイツの先祖だけとは限らないよな)

 

 緑竜(グリーンドラゴン)をじっと見つめて、そう結論を下す。モモンガは新たな質問をするために、再び口を開いた。

 

「おい、お前は自分が世間一般で言うどの程度の強さだと思っているんだ?」

 

「む」

 

 無論、無駄にプライドの高い(ドラゴン)種族の言葉だ。当然、多く見積もって宣言するだろう。しかしモモンガはこの緑竜(グリーンドラゴン)より圧倒的に強く、この緑竜(グリーンドラゴン)以下の相手ならば、無傷で勝利出来る。それを踏まえてなくてはならない。

 モモンガに問われた緑竜(グリーンドラゴン)は自慢げに、鼻高々に答えた。

 

「俺は強いぞ。人間共の国を一夜で滅ぼすのだって可能だ」

 

「ほー……先程言っていた三つの国もか?」

 

「無論だ!」

 

「アーグランド評議国はどうなんだ?」

 

 先程言っていた竜の王達が統べる国の名前を出す。途端、意気消沈したようにがっくりと頭を垂れてぼそぼそと呟いた。

 

「無理だ。竜王(ドラゴンロード)達は別格だ。俺は評議国出身じゃないからよく知らないが、第五位階魔法を使う王や、五〇〇年以上も前から生きている王もいると聞いている。とても無理だ……」

 

「…………第五位階、なぁ」

 

 余裕でモモンガにダメージが通らない位階の魔法だ。そんな弱い魔法を偉業のように語る緑竜(グリーンドラゴン)に、モモンガは再び訊ねた。

 

「お前はどの位階まで使えるんだ?」

 

 確か、緑竜(グリーンドラゴン)は魔法を使えたはずである。すると、緑竜(グリーンドラゴン)は再び自慢げに答えた。

 

「第三位階魔法まで使えるとも! 基本的に第一位階魔法しか使えん人間共とは格が違うのだ!」

 

「…………」

 

 なんだか頭が痛くなってきた。モモンガはそう思い、げっそりする。ユグドラシルを楽しむための適正レベルを知っているモモンガからすれば、弱くてお話にならないレベルだった。

 しかし、この緑竜(グリーンドラゴン)と話していて分かった事も多い。もしかすると――本当に、この世界は適正レベルが低いのかもしれなかった。そうなれば、この緑竜(グリーンドラゴン)のモモンガに対する態度の変わり様も納得出来るのだ。

 第五位階魔法が伝説級なら――それはもう、モモンガには怯えるだろう。自分が一発では死なない事なんて、どうでもいいくらいに。

 本当にコイツ、人間の国を余裕で滅ぼせるのかもしれないな――モモンガはそう思いながら、乾いた笑いを漏らした。

 

(さて、他に訊くべき事は……)

 

 少し考えるが、後はもう地理くらいしか無いような気がした。しかしその地理も周辺国家を聞いたために達成している気がする。山で暮らしている(ドラゴン)に「一般常識を教えろ」と言っても無理だろう。知っていなければおかしい事を訊ねようにも、知っていなければおかしいからこそ、何の事を言われているのか分からない。相手がそう反応するのが容易に想像出来た。

 

(人間の国で生活してみるしかない、か……)

 

 今となってはモモンガはアンデッドだが、元々は人間だ。人間性を失っていないプレイヤーならば、人間の中で生活する事を選ぶだろう。特にユグドラシルではほとんどのプレイヤーが人間種を選択しているので、可能性は高い。他のプレイヤーと接触するには、人間の国で生活する必要がある。常識もそこで学んだ方がいい。

 モモンガはそわそわとしている緑竜(グリーンドラゴン)を見て、溜息をついてから再び口を開いた。

 

「――ところで、この山はお前の縄張りなのか?」

 

 モモンガがそう訊ねると、緑竜(グリーンドラゴン)は瞳を丸くし、続いて誤魔化すような――モモンガはそういう気がした――表情に歪め答えた。

 

「俺の縄張りだが、他の奴もいるぞ」

 

「あー……先程言っていた山小人(ドワーフ)達か? いや、まさか山小人(ドワーフ)(ドラゴン)に喧嘩を売るまい。霜の竜(フロスト・ドラゴン)のことか?」

 

 先程言っていた事を思い出しながらそう言うと、やはり緑竜(グリーンドラゴン)は誤魔化すように不自然に口元を歪め笑っているような表情をして――気まずげに告げる。

 

「いや……黒竜(ブラックドラゴン)のつがいが」

 

「は?」

 

 その言葉と同時に、ズシン……という音がした。それはモモンガの背後から聞こえており、緑竜(グリーンドラゴン)が「てへぺろ☆」とでも言いたげな表情を形作る。

 何となく背後の気配に嫌な予感を覚えたモモンガは、緑竜(グリーンドラゴン)に色々な感情を綯い交ぜにした震える声で訊ねた。

 

「おい……この洞穴は、お前の巣なんだよな?」

 

 なんとなく答えは分かっているが、そう訊ねる。緑竜(グリーンドラゴン)は少し視線を彷徨わせると――カッと目を見開いて叫んだ。

 

「いずれは俺の巣だ!!」

 

「お前のじゃないのかよ!!」

 

 背後を振り返る。そこには――モモンガからマジックアイテムを剥ぎ取ろうとした緑竜(グリーンドラゴン)の瞳より更に憤怒を混ぜ込んだ瞳を持つ、黒い鱗の(ドラゴン)が上半身を洞穴に突っ込んでいた。その巨体からは漆黒のオーラが溢れ出ており、更に咢からは酸性の吐息が漏れ始めている。

 その上半身から見て取れるサイズから、おそらくレベルは三〇から四〇程度。緑竜(グリーンドラゴン)と同じく中位モンスターであろう。本来ならばモモンガの相手にならない程度の強さだが――此処が異世界である以上、モモンガと同レベルの強さである可能性は十分あった。

 

(酸に対する完全耐性はあるから吐息(ブレス)は問題無し――いや、別属性の吐息(ブレス)を吹く可能性もあるか!)

 

 見張らせていた集眼の屍(アイボール・コープス)達は既に継続時間を過ぎているため、消滅している。……召喚されたモンスターの召喚時間は、ユグドラシルと変わらないらしい。それが少しだけ恨めしかった。

 

 ――グオオオォォォォ!

 

「えぇい! 賭けだ! 〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 〈酸の吐息(アシッド・ブレス)〉を迸らせた黒竜(ブラックドラゴン)に、モモンガは祈るように叫んで魔法を唱えた。黒竜(ブラックドラゴン)の様子から初手はおそらく〈酸の吐息(アシッド・ブレス)〉であろう。それならば無効化出来るため、カウンターで黒竜(ブラックドラゴン)に第十位階魔法を撃ち込む。(ドラゴン)は睡眠や麻痺効果を無効化するため、無駄な魔法は撃てない。とりあえず顔面に高火力を撃ち込み、死なない場合は痛みで怯ませた隙に転移魔法でこの巣から脱出するしかあるまい。

 そう判断したモモンガなのだが――――

 

「え?」

 

 スパァァァン……と、綺麗に切れた。それはもう、豆腐に包丁を入れたように美しく。酸の霧が洞穴に満ちるが、酸に対する完全耐性を持つモモンガも緑竜(グリーンドラゴン)も平気だ。顔面を真っ二つにされた黒竜(ブラックドラゴン)はぐらりと巨体のバランスを崩し、洞穴から重力に引っ張られて落ちていく。バシャァンッ、という大きな水飛沫の音が響き、周囲を静寂が覆った。

 

「よ、弱い……サイズ通りのレベルだったか……」

 

 緊張感が抜け、一気に脱力する。大元が死亡したため、酸の霧もすぐに晴れた。振り向くと、緑竜(グリーンドラゴン)はガクガクと巨体を震え上がらせてモモンガを見ている。そんな恐怖に震え上がった緑竜(グリーンドラゴン)を頬をポリポリと掻きながら見つめ、大きな溜息をついた。

 

「なぁ……」

 

「何でもしますから殺さないで下さい!!」

 

 自分と同じようなレベルの(ドラゴン)が一撃で殺されたのを見て、緑竜(グリーンドラゴン)は涙目になってモモンガを見つめている。どうやら、ようやくモモンガと自分の力の差を完全に理解したらしい。そんな緑竜(グリーンドラゴン)にやはりモモンガは溜息をついて、疲れたように語った。

 

「別に、何もしないから安心しろ」

 

「え? 俺生きていていいのか?」

 

 表情を生気に輝かせる緑竜(グリーンドラゴン)に、モモンガは呆れながら再び口を開いた。

 

「というか、この洞穴はお前の巣じゃなかったのか」

 

 モモンガが訊ねると、緑竜(グリーンドラゴン)はニマニマとした気色の悪い笑顔を浮かべるように表情を歪めると、モモンガに教えてくれた。

 

「いやー……数年前に縄張りが重なってしまったんだが、その時は争わずに引いたんだ」

 

「何故だ?」

 

「だって、後で縄張りを奪った方がお宝がいっぱい手に入るだろ!」

 

「…………お前、(ドラゴン)の鑑だな」

 

 もしくは(ドラゴン)の屑とも言う。モモンガは何度ついたか分からない溜息をまたつき、更に質問を繰り返した。

 

「で、先程つがいと言っていたが……残っているのも先程と同じレベルか?」

 

「レベル?」

 

 首を傾げる緑竜(グリーンドラゴン)に、モモンガも首を傾げるが――すぐに気づいた。おそらく、この異世界では強さを表す数字にレベルという言葉を用いないのだろう。

 

「強さのことだ。もう一体の黒竜(ブラックドラゴン)も、先程殺したのと同じくらいの強さなのか?」

 

「ああ……なるほど。同じような強さだぞ。ただ、さっきのは酸系だったから、残っているのは変異個体で属性が違うやつだ」

 

「変異個体?」

 

 モモンガが首を傾げると、緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガに突然変異か何かが原因で、もう一体は電気系に性質変化している事を教えてくれた。

 

(突然変異か……ユグドラシルにもそんなのいたな。知らずに戦うと痛い目に遭うんだよなぁホント……)

 

 昔を思い出し、微妙な気分になる。黙って話を聞いている事に気を良くしたのか、緑竜(グリーンドラゴン)はペラペラと口軽く語っていく。

 少なくともこの山で自分より強い個体はいない事。つがいの黒竜(ブラックドラゴン)は二匹で協力していたので、縄張りを奪うのに骨が折れる事。そのため、得意の口先で中傷をばら撒き夫婦喧嘩させて別行動を取らせていた事――等々だ。

 話を聞いていたモモンガは、「コイツ、マジで屑だ――ッ!」と内心でドン引きしていたが。

 まあ、この世は弱肉強食。舌先三寸だろうと丸め込まれて騙された方が自然界では悪いという事だろう。

 

「あの、ところで旦那はこれからどうするんだ? 先程から当たり前のことばかり訊いて……?」

 

 微妙にへりくだった笑みと態度で訊ねる緑竜(グリーンドラゴン)。もうこの相手に訊ねるべきものは無いので、モモンガとしては山を降りて人間の国に紛れ込むつもりだった。このようなモンスターがいる世界ならば、見た目を誤魔化せば幾らでも生活するための身分を問わない荒事専門の仕事があるだろう。異世界の適正レベルが低そうな事もその考えに拍車をかけた。

 それに――昔、思っていたものだ。ユグドラシルではアカウントは一つ。サーバーに別キャラは作れない。戦士職をしてみたいと思っても、他のDMMORPGよりはレベルが上がり易いと言っても、容易に実験出来るような状況ではなかった。

 ならば今こそ、そういう遊び心を発揮するべきだ。幸いと言っていいのかは知らないが、今は一人である。誰に迷惑をかける事も無い。昔、たっち・みーの赤いマフラーのように赤いマントを靡かせたり、武人建御雷のように大きな剣を振り回す――そんな憧れの姿を、これ幸いとやってみるのもいいかもしれなかった。

 

(せっかくのソロ冒険だし、プレイヤーと遭遇するまではそういうスタイルもいいかな?)

 

 同じプレイヤーならば、いきなり戦闘に入る事は早々あるまい。モモンガは悪名高いDQNギルドのギルド長だが、まさかそれを理由にいきなり襲いかかってくるような相手は、この状況では滅多にいないだろう。……いないと断言出来ないのがDQNギルドの悲しいところだが。

 

「俺は今まで世間から離れていてな、今の情勢を知らなかったんだ。これからは、とりあえず人里にでも降りてもっと詳しい世俗でも学ぶさ」

 

 モモンガがそう言うと、緑竜(グリーンドラゴン)はまた怯えはじめた。自分が用済みになった事を理解してしまい――その後の自分の運命に震え上がったらしい。そんな緑竜(グリーンドラゴン)の様子にまた溜息をついて、モモンガは口を開く。

 

「別に俺のことを黙っているなら、何もせんよ。この山で自由に食っちゃ寝生活を送ればいいだろ」

 

「ほ、本当か?」

 

 モモンガの言葉に緑竜(グリーンドラゴン)は喜び、その巨体を揺らす。

 

(……なんだか、話している内に愛着が湧いてきたなぁ)

 

 最初に遭遇した頃、「マジックアイテムを寄越せ」と言われた時は苛々したが、話している内にモモンガはこの相手が段々可愛らしくなってきていた。マジックアイテムを奪おうとしたのも、この巣の中にあるマジックアイテムよりモモンガの持つ物の方が高価であり優れていると言動で褒めていたようなものであるし。なんと言うか、犬や猫を前にした気持ち――なのだろうか。モモンガはペットを飼った事が無いのでこれがそうなのかは分からないが。

 

(まあ、念には念を入れておくか)

 

 そう思ったところで――自分が妙に容赦がない事にモモンガは気がついた。この状況で、言葉が喋られるものと一緒で、色々と情報を教えてもらえる。そのような状況ならば、例え相手がヒトガタではなくとも、もっと信用しようとするものではないのだろうか。なのに言葉の裏でモモンガは、この目の前の緑竜(グリーンドラゴン)が自分に不利益を与えてきた場合を考えて無慈悲に対処しようとしていた。

 その心の動きに少しだけ愕然として――けれど、冷静に今の自分を受け入れた。アンデッドになる、という事はこういう事なのだろう、と。便利なのだから、今はそんなに気にしなくていいのではないか、と。

 

「さて、では魔法をかけさせてもらおう。俺のことを誰かに喋ったら――分かるな?」

 

「お、おう……命には代えられない」

 

 緑竜(グリーンドラゴン)はしょんぼりとした様子で、モモンガに従う。モモンガは第六位階魔法の〈制約(ギアス)〉を使用した。第五位階魔法が伝説級ならば、モモンガのかけた〈制約(ギアス)〉を解呪するのは不可能だろう。この世界特有の魔法か何かでもあれば、話は別であろうが。

 互いに了承をとって、モモンガの魔法は完了する。緑竜(グリーンドラゴン)の周囲を魔力が包み、煩わしそうに緑竜(グリーンドラゴン)は首を少し振った。

 

「これで、もう此処に用は無いな」

 

 魔法をかけ終えたモモンガがそう言うと、緑竜(グリーンドラゴン)が硬貨の山に顔を突っ込み、ごそごそと何かをすると口に何十枚かの硬貨を咥えてモモンガに差し出した。

 

「なんだかよく分からんが、人間の国に行くなら持って行くといいんじゃないか?」

 

「うん? えらく気前がいいな?」

 

 まあ、実際硬貨の種類が違う以上、この世界の硬貨は必需品だが。懐に手をやって、隠れてアイテムボックスから何の効果も無い皮袋を取り出し、広げる。緑竜(グリーンドラゴン)が口を開くと、ジャラジャラと硬貨が袋の中に落ちた。銀貨や金貨、白金貨などが数十枚。どれもこの巣の主が大事にしていたのか、輝いている。

 

「面倒なつがいを一体倒してくれた礼だと思っていてくれよ」

 

「そうか……」

 

 断る理由も無いので、そのまま皮袋を懐にしまった。モモンガはそして、笑みの表情を作っているらしい緑竜(グリーンドラゴン)と別れたのだった。

 

 ――そうして、モモンガと別れた緑竜(グリーンドラゴン)はモモンガが近くにいなくなったのを確認して、洞穴から出るとモモンガとは反対の方向へ去っていく。このまま、十日はこの洞穴に近寄らず、元の巣で暮らす予定だ。

 ……十日後には何もしない内に、あの洞穴の金銀財宝は全て自分の物になる。その未来を思い、緑竜(グリーンドラゴン)は嬉し気に喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

「〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 モモンガが魔法を発動すると、その全身が絢爛華麗な漆黒の鎧に覆われ、全身が見えなくなる。そして鎧と同時に二本のグレートソードを作り出し、背中に背負う。一応、鎧の下には幻術で肉体があるように見えるようマジックアイテムを用心で使用していた。

 モモンガはアイテムボックスから鏡代わりになるアイテムを取り出すと、自分の姿を見る。スリット越しに見えるその姿は、どこからどう見てもモモンガが思い描いた理想の漆黒の戦士にしか見えなかった。

 

「よし」

 

 満足げに頷いて、モモンガは再び歩き出す。

 この姿になったのは、万が一あの緑竜(グリーンドラゴン)が魔法を解呪してモモンガに不利益が被った場合、ある程度誤魔化すためだ。この姿ならば魔法詠唱者(マジック・キャスター)には見えないので、同一人物だと気づけない可能性がある。少なくとも、話を聞いただけの相手では先入観から見破れない可能性が高い。……(ドラゴン)のような優れた感知能力を持つ場合は、気づかれる可能性があるが。

 そしてそれ以上に……モモンガは、ユグドラシルでいつかやってみたいと思っていたプレイスタイルを体現したかったのだ。この程度のお茶目は許されるだろう。

 

 モモンガはそう思考し――歩きながら、先程緑竜(グリーンドラゴン)から受け取った硬貨の枚数を確認した。

 

「……硬貨の種類は三種類か。ユグドラシルと違って、金貨だけじゃないんだな。他にも硬貨があるか確認しないと……それに、物価の件もあるか」

 

 もしかすると、人間の物価はこの程度の硬貨では何も出来ないかもしれない。市場を見て回る必要がある。それに――この世界の文字も日本語ではおそらく無いだろう。文字を解読する眼鏡のマジックアイテムはナザリック地下大墳墓の自室に置いて来てしまった。もう二度と取りに向かう事も出来ない。文字も勉強しなくては。人間の国でしなくてはならない事はいっぱいある。

 モモンガは「面倒くさいなぁ……」と呟きながらも、とりあえず未知の世界に心踊らせながら山を降りていく。

 

「あ、そういえば……」

 

 先程遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)を思い出し、モモンガはアイテムボックスから百科事典(エンサイクロペディア)を取り出す。運営がプレイヤー全員に配っている各一点もので、遭遇したモンスターの姿や名前が自動で書き込まれるのだが詳細は自分の手で書き込まなければならない、プレイヤーにとってのある意味秘蔵本である。

 モモンガはそれを開き、目的の項目を探す。

 

「お、あった」

 

 ユグドラシルで遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)の項目を見つけ、モモンガは読み込む。画像で確認出来る姿は、まさに先程遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)にそっくりであり、やはりアレはユグドラシルの先祖を持つ事が伺えた。

 そして、そのまま自分で書き込んだ情報や、元ネタを読み込んでいく。視線が文字を追い、生態のところまで移動したところで――

 

「えぇっと、“――彼らは生来の嘘吐きであり、二枚舌だ。呼吸をするように嘘をつき、陰謀を好む。策略と二枚舌によって目的を達成する事を是とする、嫌らしい獣である”――」

 

 そこまで読んだところで、空から雨がぽつぽつと降り始めたのを感じて空を見上げた。そして目を細める。空に、大きな鳥のような影が見えたのだ。モモンガは百科事典(エンサイクロペディア)を閉じると、アイテムボックスにしまい、背負っていた二本のグレートソードを取り出して構える。

 

「……そういえば、(ドラゴン)は自分の巣から宝を盗まれると、それが金貨一枚だろうと執拗に追いかけ回すんだったな」

 

 あの野郎、面倒をこちらに押し付けやがった。

 

 モモンガは不機嫌に鼻を鳴らし、それが降りてくるのを待つ。雨は次第に激しく降り始め、同時に雨音よりもなお大きな風切り音が聞こえ始めた。空をもう一度見上げると、雨に紛れてさきほど見えた鳥のようなものの影が段々と近づいてきて大きくなっていく。

 

 そして、その巨体は地響きを立ててモモンガの目の前に降り立った。その双眸は殺意と憤怒に塗れていて、翼は不機嫌にはためき、巨体を漆黒のオーラが包んでいる。巨大な咢からは、パリパリと電気が漏れ出ていた。

 

「……サイズから、推定四〇レベル台の黒竜(ブラックドラゴン)といったところか。突然変異か属性は電気」

 

 つまり、先程緑竜(グリーンドラゴン)から聞いたつがいの片割れだろう。

 

「あの緑竜(グリーンドラゴン)、今度会ったらお仕置きだな」

 

 怒り狂った黒竜(ブラックドラゴン)が咆哮を上げる。モモンガは地を蹴り、黒竜(ブラックドラゴン)に肉薄しようと接近する。そんなモモンガに向けて、黒竜(ブラックドラゴン)は息を大きく吸い込むと、雷撃の嵐を口からモモンガへと放った。

 

「――――」

 

 電撃の嵐が周囲の木々と地上を薙ぎ払い、周囲一帯を荒野へと一瞬で変える。だが、モモンガはその電撃の嵐の中を平然と突き進み、グレートソードを黒竜(ブラックドラゴン)の片翼に突き立てた。

 鱗で守られていない、翼膜を狙ったのもあって一撃で翼膜に穴が開き、指骨が二本ほど切断される。これでもう黒竜(ブラックドラゴン)は治癒するまで空を飛べないだろう。黒竜(ブラックドラゴン)は痛みに身の毛もよだつような絶叫を上げると、怒り狂った相貌をモモンガに向けながら、鋭い鉤爪のついた片腕を接近したモモンガに振り上げ――即座に振り下ろした。モモンガはもう片方のグレートソードでなんとかそれを防御すると、突き立てた方のグレートソードを力任せに振り抜く。

 黒竜(ブラックドラゴン)の胴体を狙ったグレートソードの一刀は、しかし鱗に阻まれて弾かれる。その動きが硬直した隙に黒竜(ブラックドラゴン)が体当たりをしてきて、モモンガは数メートルほど吹き飛ばされた。

 

「チッ――」

 

 地面になんとか着地し、黒竜(ブラックドラゴン)の姿を探す。黒竜(ブラックドラゴン)もまた、体当たりで崩れた姿勢を直すところだったようで、目が合った。

 

「…………」

 

 ――グルルルル……

 

 互いに睨み合う。黒竜(ブラックドラゴン)はモモンガを、油断ならない相手と認めたようだった。モモンガも、やはり三〇レベルの戦士級の身体能力があるとは言っても本領は魔法詠唱者(マジック・キャスター)特殊技術(スキル)などは使えないため、苦労しそうである。

 

(〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使えば、一〇〇レベルのまま戦士になれるから余裕なんだけど……)

 

 その場合、やはり特殊技術(スキル)は使えないし、何より魔法が全く使えなくなる事が痛い。代わりに戦士職のあらゆる装備が使用出来るようになるが、今は必要無いだろう。

 

「とりあえず、まずはコイツ相手に近接戦のコツを掴むか」

 

 力任せにぶった斬るだけでは、戦士とは言えない。かつての仲間の姿を思い描きながらグレートソードを振るっていたのだが、理想と現実は全く違う動きをしている。幾らレベルが違うとはいえ、あまりの酷さにたっち・みーでも苦笑いをしそうだ。

 

「――――」

 

 モモンガは再び地を蹴り、黒竜(ブラックドラゴン)に肉薄する。黒竜(ブラックドラゴン)も雄叫びを上げながら真っ直ぐ突き進むモモンガを待ち構え、モモンガを噛み砕こうと咢を開いた。その口からは鼻が曲がりそうな臭気が漂っており、並んだ大きな牙が恐怖を煽る。

 

「――――ッ」

 

 人間としての性がそれに悲鳴を上げるが、アンデッドとしての精神がその感情を抑制した。すぐに冷静になったモモンガは、恐れずに突き進み、グレートソードを上段から振り下ろす。狙いは頭部だ。これはある意味、実験も兼ねている。

 ユグドラシルでは正真正銘の致命の一撃というものは、即死効果のある攻撃くらいだ。頭部や首を狙ったとしても、それはHPを通常より大幅に減らす結果になるがHPがゼロで無ければ死にはしない。しかし、現実で頭を破壊されたり首を斬られたりすれば即死だろう。止血しない事により大量出血による出血死もあるはずだ。

 ユグドラシルのゲームシステムと同じようでいて、違う。まずはその認識の誤差を修正する。――そのために振られたグレートソードはしかし黒竜(ブラックドラゴン)の爪に弾かれ、思い切り力を込めて振り下ろした攻撃が弾かれたために、モモンガはバランスを崩した。

 

「――チッ」

 

 その隙を狙うように、開かれた咢がモモンガの体を真っ二つにしようと閉じる。甲高い金属音が鳴り響くが、しかし黒竜(ブラックドラゴン)は鎧を噛み砕けずにいた。モモンガはグレートソードの柄で鼻先を狙い、思い切りひっ叩く。黒竜(ブラックドラゴン)は鼻先を強打されたために怯み、ずるりと顎から力が抜けていった。その隙にモモンガは体を引き抜き、顎から引き離す。

 見れば、鎧に傷がついていた。

 

「さすが(ドラゴン)だな……俺の鎧に傷がつくとは」

 

 一〇〇レベルのモモンガが作った魔法の鎧に傷をつけるとなると、かなりの力が込められていたはずだ。モモンガは素直に感心したが、当の黒竜(ブラックドラゴン)は噛み砕けなかった事に怒り心頭のようで、苛立たしげに唸っている。

 黒竜(ブラックドラゴン)はモモンガを睨みながら、カチッ、カチッと口を火打石のように鳴らし始めた。モモンガは何をする気なのか気になり、身構える。ユグドラシルではアバターなどの表情は変わらないため、こういった予備動作も未知の動きなのだ。念を入れるならば発動前に潰すのが定石だが、幸い相手はモモンガより格下。このまま待ってみるのも手だろう。

 

 黒竜(ブラックドラゴン)は鳴らしていた口元を止めると、息を大きく吸い込んで咆哮した。巨体から溢れ出るように漏れていた漆黒のオーラが波打ち、見えない力となってモモンガへと放射される。

 

「“畏怖する存在”か……だが」

 

 恐怖や混乱といった状態異常を相手に与える事によって、相手の行動を封じる特殊技術(スキル)の一つだ。ある程度育った(ドラゴン)ならば、当然持って然るべき能力である。

 

「悪いな。俺には通用しない」

 

 モモンガはアンデッドであり、そういった精神攻撃は一切通用しない。何より、レベル差があり過ぎてもとより通じるはずが無い。モモンガは現在漆黒の鎧で全身を覆っているので、黒竜(ブラックドラゴン)はアンデッドだと気づけなかったのだろう。

 動きが鈍らないモモンガに驚愕し、瞳を見開く黒竜(ブラックドラゴン)。モモンガも切っていた絶望のオーラⅠを解放し、黒竜(ブラックドラゴン)へと向ける。黒竜(ブラックドラゴン)はたじろいだ。

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 しかし、(ドラゴン)種族としてのプライドか。たじろいだが、そのまま無様に後退など決してしない。気合いを入れるように咆哮を上げると、モモンガをその双眸で睨む。瞳には、やはり憤怒と殺意が宿っていた。

 

「引かないか。――それでこそ、(ドラゴン)だよ。あの屑などより、よほどお前の方が(ドラゴン)らしい」

 

 脳裏を過ぎるのはあの緑の鱗だ。奴よりは、この黒竜(ブラックドラゴン)の方が(ドラゴン)らしいと言えるだろう。

 だが――賢いのはあちらで、引き際を誤っているのはこちらだった。

 

「いくぞ!」

 

 大地を蹴る。そんなモモンガに、黒竜(ブラックドラゴン)は再び咆哮を上げて、同じように向かって来た。

 鉤爪とグレートソードによって火花が散り、ぬかるんだ土が互いの踏み込みの度に捲れ上がる。視界は雨で悪くなる一方だが、どちらも決して引かない。鉤爪が、牙が、その巨体が幾度もモモンガを襲うが、モモンガはその度に剣を、鎧を盾にして弾く。

 ――そして、いつしか鎧に刻まれる傷が少なくなった。足運びが次第にスムーズに動き、グレートソードの刀身の腹を盾にする事を覚え、より剣筋が正確に思考と同じ軌跡を描くようになっていく。

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 黒竜(ブラックドラゴン)が咆哮を上げる中、モモンガは段々とコツが掴めてきた。

 

 剣を振るうのが楽しい。身体を思い切り動かし、ほんの少しだけれど――段々と理想の太刀筋と立ち振る舞いに自らが重なっていくのは、快感を覚えた。なるほど、戦士職のプレイヤーがいつも嬉しそうな顔で剣を振り回すわけである。この快感は、魔法のコンボが上手く決まって敵を撃破する快感と似て非なるものだ。

 

「――――」

 

 鉤爪をグレートソードの刀身の腹で防ぎ、引っ掻けるようにして下へ振り抜く。黒竜(ブラックドラゴン)はその動きにバランスを崩し、僅かだが重心がぐらついた。その隙をついて――モモンガは、もう片方のグレートソードを振り抜き片翼を半ばから切断する。

 黒竜(ブラックドラゴン)の絶叫が響いた。尾を振り回し、鞭のようにしならせてそれがモモンガの腹を撃つ。さすがのモモンガもそのまま吹き飛ばされた。

 

「――っと」

 

 だが、たたらを踏みながらも無様に地を転がるような真似はしない。地面にしっかりと二本の足で立ち、黒竜(ブラックドラゴン)を見据える。黒竜(ブラックドラゴン)は片翼から血を滴らせ、より一層憎しみを込めた双眸でモモンガを見つめた。口からは、再び電気がパリパリと漏れている。

 

「…………」

 

 ――グルルルル……

 

 互いに再び睨み合う。

 そして――ふと、思った。あの洞穴で遭遇した緑竜(グリーンドラゴン)は酷くお喋りな奴であった。それは策略や嘘を好むという生態がそうさせたのであろうが、しかしこの黒竜(ブラックドラゴン)は酷く静かな奴である。

 その双眸には怒りを宿している。憎しみを宿している。自らの財宝を盗まれた事に対する、苛立ちに満ちている。

 じっと、その双眸を眺めた。黒竜(ブラックドラゴン)の瞳の奥にある混ぜ込まれ、練り込まれた感情のうねり。憤怒と憎悪を宿したそれ――だが、この黒竜(ブラックドラゴン)の瞳はそれ以上に――暴力に対する喜悦に満ちていた。

 

 言葉は不要。相手が弱かろうと、強かろうと関係は無い。他者にもたらす苦痛こそが、この黒竜(ブラックドラゴン)の心の奥に宿る渇望であると、モモンガは心で理解する。

 

「――――」

 

 なるほど、確かに言葉は不要だ。盗まれた財宝なぞ、単なる状況ときっかけに過ぎない。絶望のオーラなどで引くはずも無かった。この黒竜(ブラックドラゴン)はただ、誰かに理由なく悪意を撒き散らしたいだけなのだから。

 

「――――」

 

 ――グオオオォォォォ!!

 

 黒竜(ブラックドラゴン)が咆哮を上げ、モモンガへと突進する。その姿を見ながら――モモンガはこの異世界で遭遇した二種の(ドラゴン)を思う。

 

 他者を騙して利用する緑の竜と、そして他者に悪意を叩きつける黒の竜。まったくもって、この異世界に来てから遭遇する者達は多大な悪意に満ちる者達ばかりである。

 その現実にモモンガは少しだけユグドラシルではない、元の世界を思い出して――その思い出を振り払うように、グレートソードを握り締めて黒竜(ブラックドラゴン)へと踏み出し、その大剣を振り下ろした。

 

 

 

 ――そして、幾度かの刃と爪の交じり合いの果てに、状況は一転する。

 

「漆黒の戦士、助太刀します!」

 

 モモンガを手助けするように、五人の人間達が現れる。彼女達は善意に満ちていて、顔も名前も知らない相手を助けようとする姿にモモンガは輝きを感じながらも――

 

(じ、邪魔なんですけどおおおぉぉぉぉ!?)

 

 そこにはやはり、無慈悲な現実が横たわっていたのだった。

 

 

 

 このあと、滅茶苦茶苛々した。

 

 

 

 

 




 
緑竜(屑)=第一村人(難度130)
黒竜(酸)=スライムA(難度100)
黒竜(雷)=スライムB(難度120)

蒼の薔薇「ユグドラシルは魔境(震え声)」
 

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