新刊出なくてマジつらたん。
そんな色々な理由で書きました。
ふと見上げれば、生い茂った木々の葉の隙間から見える空は灰色の雲が覆い尽くしていた。
「…………」
山の天気は移ろいやすいと言うが、登り始めた当初とは完全に色を変えた空に、イビルアイは仮面で隠された表情を顰める。おそらく、このまま天気は崩れて雨が降り始めるだろう。そうなると人間では無いイビルアイはともかく――同じ冒険者である蒼の薔薇の他の四人は苦労するだろう。冷たい雨は体温を奪い、ぬかるんだ土は足を取って疲労を蓄積させる。視界だって雨で悪くなるし、もしかすると霧が出るかもしれない。
しかし、イビルアイ達にはここで登山を中止するという選択肢は無い。いや、正確に言えば選べないのだ。
――そう、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の間にあるアゼルリシア山脈。その山の一つを何故アダマンタイト級冒険者蒼の薔薇の五人が登っているのかと言うと――
――彼女達は此処に、英雄の誉れである“
……話は、数日前に遡る。
王国にある大都市の内の一つ、アゼルリシア山脈に近いエ・レエブルより蒼の薔薇に緊急要請が届いた。
曰く、都市に近い山より巨大な雷が唸るのを見た――と。
当然、単なる自然現象に思われたがそれが発生した場所と時期が悪かった。まだ梅雨の時期に程遠い季節、そしてアゼルリシア山脈――そう、この山々には一部地域に
起きるはずもない時期に起きた自然現象と、恐ろしい魔物の存在。仮に、
王国の冒険者の中で最高位冒険者であるアダマンタイト級は青の薔薇と朱の雫の二組のみ。両者とも王都に拠点を構えており、朱の雫は依頼で聖王国の近くまで出ていた。そのため、エ・レエブルより蒼の薔薇に緊急で指名依頼が入ったのだ。
依頼内容は巨大な雷が発生した原因の究明。そして原因が想定されていた魔物と判断された場合――これを、速やかに退治すること。
蒼の薔薇は急いで準備を整えると、早速エ・レエブルに赴き一日休んだ後、その巨大な雷が唸るのを発見したという山の一つを登り始めたのだ。
――そして、山を登っている内に天気が崩れ始めた。雨が降るのは時間の問題である。
空の天気は既に翳り、今にも雨粒が降ってきそうだ。他の四人もそう思ったのだろう。リーダーのラキュースが足を止め口を開いた。
「皆、雨が降る前に雨風を凌げる所を探して休憩しましょう」
ラキュースの言葉に全員が頷く。忍者のティアとティナや
足を止めたティアは懐から地図を取り出す。この山の地図だ。それほど詳しく書かれてはいないが、しかし地図があるのと無いのでは全く違う。ティアが広げた地図をラキュースが覗き、その間イビルアイとティナ、ガガーランは周囲を警戒した。
「ティア、今の現在位置で一番近い洞窟はどこかしら?」
アゼルリシア山脈には幾つもの鉱山がある。王国の六大貴族の一人ブルムラシュー侯は領土内に金鉱山とミスリル鉱山を持っているし、この山々の中には鍛冶が得意な
ラキュースの言葉にティアが答えている中、イビルアイは仮面越しに空を見つめ――すん、と鼻を鳴らす。隣でティナも鼻を鳴らしていた。
「どうしたよ?」
その様子に気づいたガガーランがイビルアイとティナに話しかける。イビルアイが答える前に、ティナが口を開いた。
「たぶん、もう何処かでは降ってる。この辺りも雨が降るのは時間の問題」
「あー……そりゃまずいな」
雨は視界を遮り、体臭などを消すためほとんどの魔物は自分の巣に籠り動かなくなるが、活発になるタイプの魔物も存在する。そういったタイプの魔物はそれほど強いわけではないが、搦め手を好んで使うために単純な強さとは別の手強さがある。
ガガーランとティナが話している内にラキュースとティアの話も終わったのだろう。ラキュースがイビルアイ達に声をかけた。
「三人とも、ここから二〇〇メートルほど北東に登った先に洞窟があるわ。そこで雨風を凌ぎましょう」
ラキュースの言葉に頷き、再び隊列を組み直して目的地へ向かう。そうして歩いていると、曇り空がゴロゴロと鳴り始め――遂に、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
「降ってきたか……」
ぽつりと呟く。他の四人も空を見上げ、急いで北東にある洞窟へと向かった。
洞窟に辿り着いた五人はまずティアとティナが内部を探り、魔物が棲みついていないか探る。そうして少ししてティアとティナが何もいない事を確認した後、イビルアイ達も中に入りこれ以上体温を奪われないために急いで火を起こした。火を起こした後はそれぞれ服を脱いで絞り、持っていたタオルなどで服を拭いて再び着る。そして火を囲んだ。
「ふぅ」
全員で一息つく。雨が止むまでこの洞窟の中で暖をとるしかない。その間、それぞれで情報を整理した。
「ところで、やっぱり件の犯人は
ラキュースがイビルアイを見つめ、訊ねる。イビルアイはラキュースの言葉に頷いた。
「ああ、十中八九な。電撃の魔法と言えば第三位階と第五位階に存在するが、
イビルアイの脳裏に評議国の知り合いが浮かんだ。彼の同族の中には第五位階魔法を使えるほどの個体がいるはずだが、彼はその上をいく。……まあ、彼がこのような場所にいるはずがないし、評議国の者達がわざわざこのアゼルリシア山脈の王国領土に現れるわけもない。おそらく、アゼルリシア山脈にいる
……アゼルリシア山脈には確認されているだけでも、
「しかし雷か……イビルアイ、悪ぃけどしっかり防御魔法を頼むぜ」
「分かっている」
電撃系の攻撃は金属鎧によく通る。ガガーランやラキュースは鎧を着ており、回避を望む事は出来ない。そのため、イビルアイが電撃系統のダメージを防ぐ魔法で防御しなければならなかった。特に電撃系の魔法には付属で麻痺効果を働かせる類のものもあるので、注意が必要なのだ。彼の
……そして、そのような会話をしているとティアとティナはふと顔を上げた。ラキュースが首を傾げて二人を見る。
「どうしたの、二人とも」
「…………」
ラキュースの言葉に返答せず、ティアとティナは片手を上げて全員の言葉を止めると二人は洞窟の外へと向かった。外はまだ雨が降っているが、二人は何かに気づいたようだった。
「……これは」
「ボス。動物達が逃げてる」
二人の言葉にイビルアイ達も立ち上がって洞窟の外へ向かう。すると、この山に生息しているのであろう小動物達が必死になって走って山を駆け下りていくのが見えた。
その異常な光景に、全員思わず目を見張る。
「どういうことだ?」
思わず言葉を漏らすと、イビルアイの言葉を聞いたティアとティナが眉を顰めながら答える。
「雨の音で聞き取りにくいけど……何か物音が聞こえる」
「たぶん、そこが原因」
その言葉を聞いたラキュースは少し考えると、口を開いた。
「急いで火を消して、そちらに向かいましょう。何か起こってるわ。……小動物が逃げ出すほどの、何かが」
「だな」
ラキュースの言葉にガガーランが頷く。しかし全員同じ気持ちだ。イビルアイは火を消し、他の四人は荷物を纏めた。そして再び山を登る。
――そして一〇〇メートルほど登り進んだ頃だろうか、ティアとティナが次第に目を細めて全員が緊張感に包まれる中、その咆哮は聞こえた。
――――オォォォオオオオオ……
それは木々だけでなく、降り注ぐ雨さえ揺らすほどの咆哮であり、まぎれもなく何らかの巨大生物の雄叫びであった。その咆哮に全員で顔を見合わせると、更に表情を引き締めて山を登る。歩を進める毎にティアとティナだけでなく、イビルアイ達の耳にも雨音以外が聞こえるようになっていった。
大地が揺れる音。重なる金属音。イビルアイ達の体ごと揺らす雄叫び。山を駆け下りていく小動物の影さえもはや見えなくなり、次第に感じ取れる気配に、思わず全員が足を止めた。
「なに……」
震える声でラキュースが言葉を漏らす。ラキュースだけではない。ガガーランやティアやティナは勿論、イビルアイさえこの先に向かう事は憚られた。
何故なら、この先から恐ろしい気配がするのだ。目的の方角から凍えるような冷気が放出されており、蒼の薔薇の足を止めた。――百戦錬磨、最高位の冒険者であるアダマンタイト級の蒼の薔薇の足を、である。
蒼の薔薇の面々ではもっとも強く、本気を出せばラキュース達をたった一人で殺せるイビルアイでさえ思わず足を止める寒気だ。当然、他の四人はイビルアイ以上の威圧感や恐怖を感じ取っているはずである。
しかし、ラキュースは一度深呼吸すると自らに魔法を撃ち込んだ。〈
平常心を取り戻した四人は、一度深呼吸をして顔を見合わせる。
「どうする、ボス?」
「このまま進む?」
ティアとティナの問いは、イビルアイとガガーランも思った事だ。問われたラキュースは少し考えると、首を縦に振った。
「ええ。どの道、このまま帰ることは出来ないわ。様子は確かめないと……ティアと私、ティナとガガーラン、それからイビルアイで三手に分かれましょう。イビルアイは不可視化の魔法で姿を隠してちょうだい。ティアかティナが合図を送るから、合図があったら最大火力の魔法を対象に撃って。気を取られた隙に私達は接近するわ」
「了解した」
三手に分かれる。イビルアイは不可視化の魔法を使うと、更に〈
――イビルアイは悟る。おそらく、そこで最強を競う争いが行われている事を。
「――――!」
そして、イビルアイ達はその惨状を目撃した。
……そこは文字通りの戦場であった。木々が倒れ、大地は荒れ果て、もはやそこは開けた広場――いや、荒野となっている。その中心に二つの影が互いに向き合い、この人類の文明及ばない未開の地で人知れず戦闘に及んでいた。
影の一つは巨大な図体を持つ、黒い鱗の
本来は陰鬱な沼沢地や熱帯地帯に生息する
そして、それに相対するのは――二本のグレートソードを両手に持つ、漆黒に輝く金と紫色の紋様が入った
……その漆黒の戦士を見て、イビルアイは背筋が凍る。何故なら、解ってしまった。漆黒の戦士は目に見えるほどの漆黒のオーラを身に纏い、目前の
――グオオオォォォォ!
「――――」
しかし漆黒の戦士はその背筋の凍る突進を目前にしても、微動だにしない。まるで恐怖を感じていないかのように漆黒の戦士は冷静に、振り上げられた鋭い鉤爪に向かって一歩踏み込むと片手に持つグレートソードを軽々と振り上げて、左側面から
「――――」
しかし、相手は
そして、再び金属音と火花が散った。一体どのような材質で出来ているのか、漆黒の戦士はその鎧で
漆黒の戦士の体が少し下がる。両足が地面にめり込み、そして十メートルほど地面を滑って行き後ろに下がった。……その光景が信じられない。あの
「――――」
……それは一体、どのような身体能力なのか。漆黒の戦士はその重装備でありながら、まるで重みを感じていないかのように軽やかに
「――――」
……雨が降っている。視界は悪い。地面はぬかるんでいる。だが、一体と一人にはそんな事は関係ないのか、頓着せずに互いに向かい合い、隙を伺っていた。
「――――」
シュー……シュー……
漆黒の戦士と
その頭上での異常に、漆黒の戦士も
……この場合、使用する魔法の種類は限られる。
だからイビルアイは純粋な物理ダメージの魔法を使用した。
「〈
巨大な水晶の短剣を作り上げる。純粋な物理ダメージの魔法であるため、無効化されにくい。それを
しかし寸前――イビルアイはぎょっとする事になる。
場慣れしていたらしい漆黒の戦士が、頭上の空中に広がった行動阻害用の網を気にせずに
続いてその場に飛び出そうとしていたラキュース、ガガーラン、ティアも驚きに目を見開き一瞬足を止める。漆黒の戦士は
そして頭上の網が一人と一匹を包み込もうとした刹那――まるで幻影であるかのように、網は漆黒の戦士をすり抜けて大地に落ちる。
行動阻害に対する完全耐性――それに気がついた蒼の薔薇の面々を無視し、漆黒の戦士のグレートソードが電気を迸らせていた無防備な
――グオオオォォォォ!!
バキン、という気持ちのいい音が鳴る。
「っ……!」
その隙を見逃さず、イビルアイは巨大な水晶の短剣を今度こそ射出する。水晶の刃は
頭部を揺らされて怯んだ
「漆黒の戦士、助太刀します!」
ラキュースが叫び、続いて全員に指示を送る。
「イビルアイ、魔法で支援をお願い! ティア、ティナ、忍術で援護! ガガーランは前衛で攻撃! 私は信仰魔法で臨機応変!」
同時に最低限、漆黒の戦士に自分達のパーティー構成が分かるようにそれぞれの役割を説明した。漆黒の戦士はラキュースの言葉に頷くと、即座にティナの横から離脱してラキュースの前面に剣を構えて立つ。やはり――漆黒の戦士は場慣れしている。彼は即座に自分の役割を理解し、後衛の盾として前衛に出た。
「どりゃああああああッ!」
ガガーランが再び
「〈
それを見て、イビルアイは電気攻撃をある程度防御する魔法を唱える。電気攻撃は特に金属の鎧を装備している者には致命的だ。最初は絶対に守らなければならない神官のラキュース、次にガガーランと漆黒の戦士に唱えようとして――漆黒の戦士が口を開いた。
「こちらに魔法支援は必要無い! 他に使え!」
「なに? ――分かった!」
その言葉にイビルアイは驚くが、先程の行動阻害に対する完全耐性を思い出す。おそらく、漆黒の戦士は何らかのマジックアイテムを所有しているのだろう。ならば魔力の
「――――」
そしてそれが終わると同時に、準備が終わったらしい
「ぐ――」
巨大な咢から迸った電気の波は地表と空気を焼き、効果範囲に入っていた全員がまるで第三位階魔法の〈
そして、激闘が始まった。
ティアとティナが忍術やクナイで
「――――」
ズシン、と
「よっしゃああああ! 終わったぁぁぁぁあああ!!」
「
「いえい」
ガガーランとティア、ティナが嬉しげに言いながら、地面にへたり込む。漆黒の戦士は無言で二本のグレートソードを背中に納め、イビルアイ達に向き直った。――その時にふと気づく。漆黒の戦士から漂っていた視覚化されるほどの殺意は、既に消えていた。まるで、イビルアイ達の見間違いだとでも言うように。
ふと気がつけば、いつの間にか雨も止んでいる事にイビルアイは気がついた。偉業に相応しい、晴れ晴れとした空だった。
「皆さん、援護ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」
漆黒の戦士はそう言葉にし、頭を下げる。リーダーとしてラキュースが微笑みながら答えた。
「いいえ、気にしないで下さい。私達は依頼で
そう、本来彼女達こそがこの
「討伐依頼……ですか? あの……どのような職業の方かお聞きしても?」
「?」
だから、その漆黒の戦士の疑問にイビルアイ達は首を傾げざるを得なかった。
「王国のアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇です」
ラキュースが答えるが、漆黒の戦士は少し考え込む素振りを見せ……意を決したように再び訊ねてきた。
「あの、冒険者とはどのような事をするのでしょうか? それに王国についてもお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「え?」
漆黒の戦士の疑問に、全員が目を丸くする。ガガーランが何かに気づいたように、口を開いた。
「あー……お前さん、さっきから思ってたんだが、肉体能力で単純に武器振り回してただけだよな? その身体能力でなんで技術力がないのか不思議だったんだが」
ガガーランの言葉に、全員が察する。戦士は肉体を鍛えていく内に、必然と技術も学んでいくものだ。
しかし、戦士のガガーランは同じ戦士であるはずの漆黒の戦士に技術力が無い、と判断していた。そのチグハグさ。そして王国最高位の冒険者である蒼の薔薇を……いや、リ・エスティーゼ王国さえ知らぬという無知。だが田舎者ではあり得ない行動阻害と電気防御のマジックアイテムの所持。
ここから導き出される答えは――もはや一つしか有り得なかった。
「あの……失礼ですが、此処がどこだか分かってますか?」
ラキュースの言葉に、漆黒の戦士が沈黙する。現在地さえ――アゼルリシア山脈の名前も分からないこの様子は……。
「記憶喪失か……」
それしか考えられない。イビルアイはそう呟くと、漆黒の戦士は兜をポリポリと掻いて申し訳なさそうに頭を下げた。
「お恥ずかしいかぎりです……」
「それは……仕方ない」
「気にしないで」
ティアとティナが漆黒の戦士に声をかける。実際、記憶喪失ならばどうしようもないだろう。
……話を聞くに、漆黒の戦士は気づけばこの山の中にいたらしく、数日ほど山の中を彷徨っていたらしい。そうして山の中を自分の痕跡を探して探索している内に、
「あの、お名前は憶えていますか?」
ラキュースが訊ねる。漆黒の戦士の装備はどれも豪奢で一般人が持てるような物ではない。身体能力から見ても、無名であるとは思えなかった。ただ、蒼の薔薇の誰も漆黒の戦士のような容貌の人物を聞いた事が無く、イビルアイもまた過去彼のような男の話を聞いた事が無い。
しかし、名前が分かれば多少はマシだろう。漆黒の戦士は少し考えると――晴れやかな声で、蒼の薔薇に告げる。
「そうですね――アインズ・ウール・ゴウンとでも」
漆黒の戦士はそう、少しだけ誇らしげな様子で自らを名乗ったのだった。
イビルアイ「序盤から私が出るという事は、遂にイビルアイ√の始まりという事だな!」←フラグ