私と契約してギアスユーザーになってよ!!   作:NoN

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41話

 気が付けば、私はベッドの上に横になっていた。

 

「……ここは」

 

 視線の先に会ったのは、ここ最近ずっと見続けてきた天井だった。そう、大学敷地内にある私の部屋の天井だ。

 視線を横に向ければ、アルマさんが椅子に座った状態で寝ているのが見えた。

 

 静かな室内に、すーすーとアルマさんの寝息が響く。

 

「なんで、私はここに……」

 

 眠る前の記憶がない。

 いつの間に私は、部屋に戻って来たんだろうか。歩いてきた記憶が、全然思い起こせない。

 

「実験中に、疲れて寝落ちでもしたのかな」

 

 ネモと融合して強化されているからだろうか、この身体に慣れてきた最近では疲れを感じたことなんてそうそうないが、もしかしたら何かハードな実験でもしたのかもしれない。例えば……30時間耐久戦闘シミュレーションとか。

 いや、流石にないか。現実ではそんな長い時間もランスロットは動いていられないから、そんな無駄な状況を想定したシミュレーションをロイドさんがするとは思えない。

 

「うーん、ノネットさんやスザクさんと10連続で模擬戦したりでもしたのかな」

 

 思い出そうと唸ってみるが、全く思い出せない。私は、一体何をしたんだろうか。

 

 そんな時、アルマさんが発していたすーすーという寝息が止まった。

 アルマさんに視線を向けると、彼女は眼をこすり大きくあくびをしている。

 

「おはようございます、アルマさん。身体痛くなったりしていませんか」

「あ、アリスちゃん。おはよー」

 

 寝ぼけ眼で、アルマさんは私をじっと見つめる。

 アルマさんは、5秒くらい私のことを見つめて、そして急にスイッチが入ったように目をカッと見開いた。

 

「アリスちゃん!? だ、大丈夫、どこか痛い所とかない!?」

「あ、アルマさん? いえ、別にどこか痛い所とかはありませんけど」

「本当に? ……そう、ならよかった」

 

 アルマさんは安堵の息を零し、スッと肩の力を抜いた。

 ……アルマさんの様子は、明らかに私に対して不利益な何かが生じたことを示している。えっと、私はそんなにやばい実験でもさせられてたの?

 

「ふふっ、アルマさんって、普段ののんびりした口調は作った物だったんですね。

 ところで、実は眠る前の記憶がないんですけど……何かあったんですか」

「作るなんて人聞き悪い、大人の女性なら誰だって猫ぐらい被るものなの。アリスちゃんも、大きくなればきっとわかるわ。

 それにしても、倒れる前の記憶はないの? ……うん、なら無理に思い出さなくてもいいよ。ちょっとアリスちゃんには辛いことだったからねー」

 

 そう言ってアルマさんは、硬かった表情をいつもの柔らかなものに戻した。

 うーん、思い出さなくてもいい、そう言われると余計に気になる。

 

「さてと、ようやくアリスちゃんも起きたし、セシルさんにアリスちゃんが起きたって報告してくるから少し待っててねー。もし眠かったら、無理せず寝てもいいよー」

 

 私が起きたことを、さっさと報告しようと考えたのだろう。アルマさんが椅子から立ち上がり、その場を後にしようとした。

 

「ちょ、ちょっとアルマさん!」

 

 まだ、色々聞きたいことがあるのに何も聞いてない。

 とっさに、布団から手を出して、アルマさんの制服の袖を掴んだ。

 

 

 

 

 ――瞬間、息が止まった。

 

 

 

 赤、紅、生命の色。

 

 布団の中にあったその手は、濃いワインのようなその色に染まっていた。

 

「――イヤッ!」

 

 反射的に、掴んでいた袖を手放して手を布団に叩きつける。

 

「アリスちゃん?」

 

 アルマさんが、私の様子を不審に思ったのか振り向いてこちらを見てくるが、私にはそんなことを気にしている余裕はなかった。

 

 血。

 血液。

 人の身体を動かすために必須な液体であるそれが、私の手の表面にべっとりと付着していた様に見えたのだ。

 

 心配そうにこちらを見てくるアルマさんから視線を逸らしながら、ゆっくりともう一度手を見る。

 

 ――赤い。

 

「アリスちゃん、一体急にどうしたの? どこか悪い所でもあった?」

「……いえ、何でもないです。その、アルマさんが急に言ってしまうと聞いて、少し不安になってしまって」

「なるほど。そうね、少し配慮が足りなかったかも。

 うん、だったら私はもう少しここにいよっかなー。どうせもう30分もすれば昼休みだから、あいつも来るだろーし」

 

 アルマさんが椅子に戻る。

 袖をつかんでまで引き留めておいて言うのもなんだが、正直そのまま帰ってほしかった。

 

「あいつ……もしかして、あのチーズケーキが好きなあの人のことですか」

「チーズケーキが好きなあの人って……あいつ、アリスちゃんに名前覚えられてないのかー。ちょっと哀れ……いや、ちょうどいい罰かなー?

 うん、あいつっていうのは、そのチーズケーキが好きなあの人で合ってるよー」

 

 アルマさんの話を聞きつつ、私は手を布団の中に戻した。

 視線の先にあった自分の手は、いつもの温かみのある肌色をしていなかった。まるで大量の血が付着したかのような色をしていた。

 

「……ぼーっとしてるけど大丈夫? 何か気になるところでもあったの?」

「いえ、何でもありません。ちょっと考え事をしてただけです。

 そういえば、アルマさんとあの人、かなり仲良さげですけど、何か古い付き合いだったりするんですか?」

 

 視線を挙げて、アルマさんの方に視線を向ける。

 その一瞬、彼女の顔全体が鮮血で染まっていたように見えたが、視界の端に入ったほんの一瞬のことだったので、気のせいであると自分自身に言い聞かせた。

 

 なんだろう、悪寒が止まらない。

 

「いやー、そうでもないよ。あいつと始めて話したのは、ランスロットの開発が始まって少ししてからだしね」

「話したのが少し前にしては、少し距離感が近くないですか?」

「うーん、まあ言われてみれば確かにそうだねー。付き合いは長くないんだけど、その割には不思議と信頼してるんだよー。人徳があるというか、何となく気が置けないというか、そんな感じだねー」

 

 布団の下で指先をすり合わせると、指紋による微かな凹凸から生まれるざらつきと、さらっとした手汗が感じられた。さっき視界に映ったような、べっとりと血が付いているような感覚はない。

 

 ――気のせい?

 

 一瞬そんな言葉が脳裏をよぎるが、即座に否定する。そんなわけがない。確かにあの時、私の手は赤く染まっていた。

 

「なるほど、そう言われると確かに分かる気がします。あの人、特派でもいろんな人と話してるところを見かけますから」

「たぶん、特派の中では仲の悪い奴はいないんじゃないかなー? あ、ロイドさん以外でね」

「ロイドさん以外?」

「ロイドさんは、ほら……いろいろと独特だから」

 

 私とアルマさんで、ロイドさんを思い浮かべてお互いに笑い合う。

 

「あはは、確かにロイドさんは独特ですからね。正直、私もロイドさんとどうやって付き合えばいいのかいまいちわかってないですし。

 さて、引き留めておいてすみませんが、少しお手洗いに行ってきます」

「んー? ああ、ごめんごめん、私は此処にいるから、どうぞ行ってきなよー」

「はい」

 

 私は、両手が視界に入らないように気を付けながら、ベッドを出てお手洗いに向かった。

 もちろん、目的は用を足すことではなく、両手を洗うことだ。可能な限り視界には入れないようにしているが、身体がぞわぞわしてかなりつらい。

 

 両手をポケットに入れて、転ばないように視線を足元に向けながら洗面台へ。

 トイレのすぐ近くに置かれている洗面台の前に立ち、そこでようやく私はポケットから手を出して、両手を視界に入れた。

 

「赤い……よね、やっぱり」

 

 私の両手は、さっき見た時と同じように、血の様な赤色に染まっていた。

 

「――っ」

 

 その眩しい紅を認識した私の身体が、痙攣を始める。何もない胃が搾り上げられ、胸に焼けつくような痛みが生じ始める。おそらく、喉の遥か奥で、胃酸が外に出ようと暴れているのだろう。すっぱい空気が口の中に広がり、めまいでも起こったのか正面の手の輪郭が揺れ、身体がふらっと揺れた。

 

「はやく、洗おう」

 

 大学生向けの無駄にデザイン性が優れた蛇口を捻り、傍にあった液体石鹸を手に付けると、私は手をこすり合わせた。

 付着した石鹸が泡を生じさせ、赤色を覆い隠すように手全体に広がる。

 

 胃の中からこみ上げた胃酸が口に届いたあたりで、ようやく私の手は泡に包まれた。

 

 視界から赤色が消えたからだろう、食道を上る胃酸の勢いが、ほんの少しだけ弱まった。

 おそらく、このまま待てば、身体を襲う吐き気は少しずつ落ち着くだろう。

 

 とはいえ、吐き気がなくなったわけではない。

 

「んむ……おえ」

 

 痛みと酸味、その二つに耐えながら、私は口の中に広がり、そして今も込み上げ続けているそれを、寝室にいるアルマさんに気が付かれないよう、静かに洗面台に吐き出す。

 胃で出血でも起こっているのか、なんとなく赤いような気がするその胃液は、洗面台を流れる透明な水に混ざり、無色透明と言ってもいい色合いに変わって、排水溝へと流れていった。

 

「……こんなことで気が付くのも変な話だけど、あんまり薄いと何も起こらないんだ」

 

 赤色を見たことによる吐き気はない。その事実に、少しだけほっとした。

 

 ゆっくりと、まるで垂らすような速度で胃酸を吐き出し続ける。

 それが終わったのは、吐き始めてから2分ほどした頃。口の中にその存在がないことを確認してから、私はようやく口を閉じた。

 

 ――さてと、そろそろ手を洗わないと。

 

 口の中が気持ち悪かったが、手を洗わなければ満足に口も漱げない。

 小さく息を吸って、それから泡だらけの両手をこすり合わせた。

 

 しかし――

 

「色が、変わらない?」

 

 いくらこすり合わせても、泡の色が変わることは無い。

 手全体を染める程の大量の血を落そうとしたなんて経験がないのでわからないが、普通は、大量の色のついた汚れを落とそうとすれば、泡が多少その色に変わるものではないのだろうか。

 

 ――嫌な、予感がする。

 

 さらに強く手をこするが、一向に色は変わらない。泡の色は、依然として白いままだ。

 

 全身に鳥肌が立つ。

 少しずつ、再び胃が締め上げられる。

 

 真っ白に泡立つそれが見ていられなくなって、私は手から視線を逸らすように顔を上げた。

 

 

 

 

 

 ――そこで、紅を見た。

 

 

 赤黒い頬。

 鮮血に染まる鼻。

 唇には発色の良い血が広がっている。

 額を隠すように広がる金の前髪は赤く染まっている。

 いや、前髪だけではない。髪全体が、紅の血液に汚されていた。

 

 ――嫌

 

 心臓が、一気に跳ね上がる。

 嫌な意味で目を引くそれらに、視線が吸い寄せられそうになる。

 

 だが、私の目をそれ以上に引くものが一つ。

 

 ――イヤ

 

 それは、深紅の瞳。

 吸い込まれそうなほどに紅に輝くそれに意識を吸われ、全身が震えた。

 

「いやああああぁぁぁぁぁ」

 

 部屋中に、いやおそらくこの建物全体に、私の悲鳴が拡散する。

 

「――アリスちゃん!!」

 

 アルマさんが、倒れ込みかけた私の身体を受け止め、抱きしめるように引き寄せた。

 だが、それに感謝している暇はない。

 

「落ち着いて、しっかりしてアリスちゃん!!」

 

 記憶が回帰する。

 意識が時を遡行する。

 

 シミュレーションの紅蓮弐式に大敗したこと、ミリアさんと話したこと、アンナさんが電話を私に聞かせたこと、マルクスが嚮団の人間であったこと、ミリアさんがギアスにかかったこと、私の手の中でマルクスが死んだこと。

 

 すべてが、私の中に戻ってくる。思い出す。鍵が外れる。

 

「ああああああぁぁぁぁ!!」

 

 感情のままに、私の口が悲鳴交じりの咆哮をあげた。

 アルマさんの私を抱きしめる手が強くなるが、一向に私の声は変わらない。

 

 冷静な思考を失った私には、ただアルマさんの腕の中で暴れることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すみません、ご迷惑をおかけしました」

「いいのいいのー。誰だって、こういうことはあるからねー」

 

 ベッドを椅子代わりに座るアリスを、アルマはそっと抱きしめる。

 それから、そっと彼女の頭をなでて、彼女の震えが止まるのを待ち続けた。

 

(ちょっぴりだけど、やつれてしまったみたいね)

 

 抱きしめたその身体の線の細さに、アルマは自分の不甲斐なさを噛み締める。

 

 ――ナイトオブナインの仮設研究室にてアリスが倒れてから、今日アリスが目覚めるまでの間に、実に三日もの歳月が経過していた。

 

 その間、アルマたち研究員は、休憩時間を迎えた順にアリスの部屋で彼女を"監視"していた。研究室であった事件の影響で、アリスのトラウマが悪化していると考えたためだ。

 そして、その考えは見事に的中していた。

 

 返り血。自身が血だらけであるという幻覚。

 彼女が見たと口にしたそれは、明らかに精神的なものを要因としたものだった。

 

 おそらく、自分の手の中で人が死んだという事実が、もともと持っていた赤色に対するトラウマと混ざり、彼女の中で幻覚という事象を伴って現れたのだろう。アリスの言葉と、鏡の前で倒れたという事実、そして汚れ一つない手を異常なまでに洗っていた彼女の様子から、アルマはそう判断した。

 

「大丈夫、アリスちゃんは大丈夫だよー」

 

 正直なところ、こういった精神を病んだ人に対する対処は苦手だ。アルマは、心理学の様な心に関する学問を習った事が無い。

 トラウマを抱えた人間に何をすればいいかなんて、見たことも聞いたこともない。

 

(暇なときに、付け焼刃でも学んでおくべきだったかしら)

 

 ただ慰めるような言葉をかけることしかできない自分に、アルマは少し苛立っていた。もちろん、それを腕の中にいる少女に悟らせることは無かったが。

 

「アルマさん」

「んー? なに?」

「今、何時ですか」

 

 アルマは、そっと視線を手首の腕時計に移す。

 

「えーっと、1時だねー。正確には、12時57分22びょー」

「1時……私の記憶では、アルマさんのお昼休みの時間、そろそろ終わりだと思うんですけど」

「そだねー。まーでも、今日はロイドさんもセシルさんもいないし、ちょっとくらい遅れても大丈夫だよー」

 

 アルマの休み時間は、1時10分まで。普段は1時までなのだが、アリスが倒れたという事で、特派の実質的な長であるセシルに頭を下げて、休み始める時間を10分遅らせる代わりに10分終わりを伸ばしてもらっている。なので、仮にロイドやセシルがいても、怒られるようなことは無い。

 ただ、それを口にすればアリスの負担になると考えたアルマは、それを口にすることは無かった。

 

「セシルさん達がいないからって……バレたら怒られますよ」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

 

(むしろ、この状態のアリスを置いていけば、逆にセシルさんに怒られるわよ)

 

 仮にそうでなくても、他の研究員達にアルマがボコボコにされる。

 特派に所属している人間は、程度の差こそあれどみな天才もしくは秀才ばかり。そんな彼らが全力で嫌がらせをすれば、アルマの社会的地位は3日で地に落ちるだろう。実際、とあるコラ画像を作った某男性は、高校時代に執筆していた俺TUEE系二次創作小説を、顔写真付きでネットにばらまかれたばかりだ。アルマは、そんな目に合いたくはなかった。

 

「だ、駄目です。遅刻は絶対ダメです。一回の遅刻が原因で、会社を解雇されることだってあるんですから!」

「いや、昔のイレブンの会社でもそうそうないわよ、そんなこと」

「あるんです! だって実際私は……いえ、とにかく遅刻は駄目です。私も行きますから、アルマさんも行きましょう」

 

 そう言ったアリスは、アルマの腕から離れるように勢いよく立ち上がると、瞬く間に寝間着を脱いで、クローゼットに吊るされていた制服を手に取ると着替え始めた。

 

「ちょ、ちょっとアリスちゃん。あなた仕事に出る気なの!?」

「当たり前です。感染症に陥ってない限り、働くのは当然のことですよ」

「ちょっと待ちなさい。いくら何でも、それは良識のある大人として、あなたが働くことは認められません」

 

 アルマは、着替え始めたアリスの手を掴んで止める。

 

「何でですか。少なくとも紅蓮弐式と鏡さえ見なければ私は健康なんですから、休む理由にはならないですよ。それに、ナンバーズである私は、成果を出さなければならない立場にあるはずです。休んでなんていられません」

「確かに、ナイトメアのパイロットであり、また名誉ブリタニア人でもあるあなたは、軍にいるためには実績を出さなければならない(利用価値を示さなければならない)立場にあるわ。でも、それ以前にあなたは子供なのよ。トラウマ抱えた子供に、そのトラウマを抉る様な仕事をさせるなんて、一人の大人として認めるわけにはいかないわ」

 

 アルマの言葉を聞いたアリスは、着替えようとするその動きを止める。

 

「その言葉は、口にするにはもう遅いですよ。アルマさん」

「……どうして?」

「私は、本来子供でなければならないのに、特別扱いしてもらって大人の中で働いているんです。それなのに、都合のいい時だけ特別扱いを止めてもらうなんてできません」

 

 アリスはそう言うと、アルマの手をゆっくりと放して再び着替え始めた。

 

 

 ――結局、仕事に向かおうとするアリスを止めることは、アルマにはできなかった。

 


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