「お買い上げ、ありがとうございました!」
見滝原のとあるブティックに元気な声が響く。
声の主は、美樹さやかと鹿目まどかだ。
今日は、見滝原中学校の体験学習日。
美樹さやかはレグルスの世話を杏子に任せ、鹿目まどかとこのブティックで一日店員をしているのだ。
最初こそ緊張していたものの、まどかの気配りとさやかの明るさで、二人はすっかり店員とも訪れる客とも仲良くなっていた。
ウィンドウには、白薔薇が一輪、やわらかな日差しを受けている。
「このお洋服で演奏会を聞きに行くのだけれど、どんな帽子が似合うかしら?」
「えーと…お客様、それでしたら、明るい色のジャケットに似合うこちらの帽子とアクセサリーなどいかがでしょうか?」
普段は引っ込み思案なまどかも、そんな雰囲気に背中を押されてか、普段よりも積極的になっているようだ。
「忙しさも一段落したみたいね。あなたたちならお店番頼んでも大丈夫そうだから、私はちょっと取引先に電話してくるわね」
彼女達の世話をしていた店員がバックヤードに下がると、二人はほっと息をつく。
「君たちはいったい何をしているんだい?勉強は学生の義務らしいから仕方ないにしても、こんなこと勉強とはなにも関係ないじゃないか」
二人の足元には、いつのまにかキュウべぇが腰を下ろしている。
「これだって社会勉強になるんだから。あたしたちだって将来は社会に出て働かないといけないんだしね」
「…… 僕に言わせれば、そんな無駄なことにエネルギーを費やす行為、理解に苦しむけどね」
「確かに将来こういう職業につくかどうかはわからないけどさ、経験はきっと無駄にはならないと思うなぁ… あ、いらっしゃいませー!」
二人は笑顔で次の客を出迎える。
入ってきたのは、一人の少女と二人の男性だ。
女性は、さやかたちより少し年上のようだ。雪のように白い肌、憂いを帯びた瞳。そして、まるで喪服を思わせるかのような、美しい黒のドレス。
「(さやかちゃん、すっごく綺麗な人だね。わたし、失礼なことしちゃわないかなぁ…)」
「(まどか、あたしもなんだか震えてきたかも…どこかの国の王女さまみたいだよね、こんな素敵な人、見たことない)」
ヨーロッパのどこかの国の王族を思わせるような訪問者に、まどかとさやかははガチガチに緊張している。
「パンドラさま、こちらの店で間違いございません」
付添の男性のうち、背の高いほうの一人が少女に声をかける。
「(あれ? この声、聴いたことある)」
緊張ですっかり縮こまっていたさやかは、ふと我に帰る。
「ラダマンティス、大儀であった」
少女が答える。
ラダマンティス。
さやかは顔を上げると、それとなく男性の方に視線を向ける。
冥衣こそ着ていないが、そこに居たのは間違いなく、天猛星ワイバーンのラダマンティスだった。
ということはその隣に居るのは…
「(うわー、バレンタインじゃない!あんたらいったい何やってんの?)」
彼らも、さやかに気が付いたようだ。
冷静を装っているが、その表情には明らかに動揺が見て取れる。
さも、なんでお前がここに居るのだ?とでも言いたげな様子だ。
そんな彼らを気に留めることもなく、パンドラと呼ばれた少女はさやかのほうに静かに近づいてくる。
「堅苦しくなく、それでいて品格を失わないような、普段使いの服を探している」
厳かで、気品に溢れた声。
「はい、それでしたら…」
言ってからさやかは言葉に詰まってしまった。
いったいどのような服を勧めればよいのか?
ほんの一瞬が、何十分間にも感じられる。
「それでしたら、こちらにございます…」
意外な方向からやってきた助け舟。声の主は、まどかだった。
驚くほどてきぱきと、まどかはパンドラを店の奥の方へと案内していく。
「うむ、このようなものを求めていた。あとは私が自分で選ぶとしよう。感謝する…」
それまで氷のように冷たく固い表情だったパンドラが、まどかに向かってほんの少し微笑んだように見えた。
「(まどか、ありがとね。助かったよ…)」
「(ううん、さやかちゃんすっごく緊張してたし、今日の体験学習でもすごく助けてもらってたから、今度は私が何とかしなきゃって思ったの)」
鹿目まどか、普段はどちらかと言えば気の弱い、どこにでもいるような普通の少女なのに、ここぞという時には信じられないほどの勇気と思い切りのよさを見せることがある。
そんなまどかをちらりと見やると、さやかはそっと天を仰ぐ。
「(あたしにも、まどかのクソ度胸、ちょっとでもあればなぁ)」
未だに恭介に想いを伝えることが出来ていないさやかには、まどかのそれがとても眩しく見える。
「ラダマンティス、こちらへ」
突然自分を呼んだパンドラの声にこたえ、ラダマンティスは店の奥へと静かに足を進める。
「そなたに尋ねる。こちらと、こちら。どちらがよいと考えるか?」
パンドラは2着の服を手にしている。
片方は、気品のある深い青紫色のワンピース。
もう片方は、やはり上品な、赤紫色のブラウス…
パンドラならどちらもそつなく着こなすことができるだろう。
「パンドラさまのお気に召すままに」
「私はそなたに聞いておるのだ。答えよ、ラダマンティス」
パンドラは、ラダマンティスになおも問う。
絶対零度の凍気で固まったかのようなその場の雰囲気に耐えきれなくなったまどかが、たまらず助けに入ろうとする。
それに気が付いたのか、まどかへ視線を向けると、それを片手でやんわりと制するパンドラ。
「気遣い、痛み入る。だが、私はこの者に聞いているのだ。答えよ。」
さやかはそっとバレンタインのほうへ視線を向ける。
ラダマンティスの忠実な部下である彼なら、この窮地を乗り切る手助けができるかも知れないと思ったのだ。
そんなさやかの目に飛び込んできたのは、バレンタインの思いがけない表情だった。
困惑でもない、焦りでもない。
苦笑い。
さも、「あぁ、またか…」とでも言いたげな。
では、ラダマンティスは?
ラダマンティスのほうを見たさやかの目に、やはり思わぬ光景が飛び込んできた。
表情こそ冷静を保っているが、頬にうっすらと浮かぶ汗。
そして耳はかすかながら赤く染まっている。
「(これって… あぁ、なるほどね)」
さやかは、なにかに納得したのか、ニヤリと笑う。
ラダマンティスがパンドラに対して密かに抱き、パンドラもまたラダマンティスに対して抱いている感情。
互いに相手のそれに気づくことなく、そして当の本人すらそれを理解できていなさそうな感情。
さやかなら、さやかだからこそ、気づけてしまうのだ。
なんて不器用な、とは言えない。
さやか自身も、恭介に自らの感情を告白できていないのだから。
いかにしてラダマンティスに助け舟を出すか。
パンドラは先ほどから、青紫色のワンピースと他の服をしきりに見比べていた。
ならば、彼女の中で本命は青紫色のほうなのだろう。
ただ、赤紫色のブラウスも気になる。
それ以上に、ラダマンティスがどちらを好むのか、それも気になっているのだろう。
ならば。
さやかがそれとなく青紫色のワンピースへと視線を送ろうとした、まさにその時。
「僭越ながら、赤紫のブラウスのほうがパンドラさまの気高さが引き立つかと存じます」
ちょっ! そっちじゃない、ラダマンティス。
懸命に彼に合図を送るさやかだったが。
「そうか、そなたがそう言うのならば、そうなのだろう。では」
相変わらず硬い表情だが、パンドラの声はどこか満足気だ。
呼び寄せられたまどかを相手に、手短に支払いを終わらせるバレンタイン。
「おかげでよい買い物ができた、感謝する」
店を後にしようするパンドラたち。
店を出かかったところで足を止め、パンドラはゆっくりとまどかのほうへ振り返る。
「そなた、名は何と申す?」
「えーと、か…鹿目、まどか です」
「そうか。良い名であるな。親に感謝するがよい」
かすかにほほ笑み、そう言い残すと、パンドラたちは店を後にした。
「ふぅっ、どうなるかと思った、まさかアイツが来るなんて…」
「ほんと、びっくりしたね…って、さやかちゃん、もしかしてあの人たち知り合いだったりするの?」
「え? あ、あぁ、ほんのちょっとだけね、全然なんでもないから…あ、いらっしゃいませー!」
一息つく間もなく、さやかたちは次の来客を慌ただしく出迎えた。
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パンドラたちは、街を離れ、森の洋館へと向かっていた。
道端には様々な花が咲き乱れている。
たんぽぽ、すみれ、そして白い薔薇。
「それにしても、この私自らあの店に行けなどと。聖戦を間近に控えたこの時期に、"眠り"はいったい何を考えているのだ」
内心嬉しくて仕方がないのに、いかにも不満げにこぼしている、パンドラ。
半ば呆れ顔で聞いているバレンタイン。
付き合わされているこちらの身にもなってくれ、と言いたげな表情だ。
一方、ラダマンティスはまるで敵に備えるかのようにあたりの気配を探っている。
「貴様、何ゆえに先ほどから我々を付け回しているのだ?」
ラダマンティスの視線の先、声にこたえて物陰から姿を現した白い影。
キュウべぇだ。
「貴様が、魔法少女と魔女を生み出している存在か?」
「それは否定しないよ。提案はするけれど、選択するのは人間だから、責められるいわれはないけどね」
キュウべぇは、今にも自分を踏み潰しそうなラダマンティスの問いに、淡々と答える。
「そんなことより、キミも、ボクの姿が見えるんだね。神闘士とかいう連中といい、どうしてこの街はイレギュラーだらけなんだい? ワケがわからないよ」
「貴様…」
戦闘態勢に入ろうとしているラダマンティス。
そんな彼を気に留めるでもなく、キュウべぇは足を進める。
「君が、パンドラだね? 驚いたよ。君に纏わりつく因果は、あの鹿目まどかに勝るとも劣らない。君なら、間違いなく最強の魔法少女になっただろうね」
今にもキュウべぇを掴み上げそうなラダマンティスたちを制し、パンドラは冷静に答える。
「何を言い出すかと思えば、他愛もない。私ならば当然のことであろう?」
「そうだね… だから、残念だよ」
「残念、だと?」
ため息をつきつつ、踵を返して立ち去ろうとするキュウべぇ。
「待て、どういうことだ」
「気づいていないなら仕方がない。伝える義理はないけれど、聞かれたなら答えなきゃね」
キュウべぇの無機質な視線が、改めて目の前の少女に向けられる。
「魔法少女の証であり、魔力の源であるソウルジェム。しかし君からはソウルジェムを生み出すことは出来ない。それだけさ」
「どういう、ことだ?」
やれやれという表情で、キュウべぇは続ける。
「ソウルジェムに収めるべき魂、君にはそれが無いんだ」
「魂が、無い、だと? なぜだ?」
パンドラの表情に、初めて困惑が浮かび上がる。
「そんなこと、こちらが聞きたいよ。パンドラ、確かに君は生きている。なのに、君にあるべき魂が見当たらない。こんなケースは恐らく初めてだ。ボクはもう君にはなんの用もない」
言いたいことを言って立ち去ろうとするキュウべぇ。前に立ちはだかるラダマンティス。次の瞬間、キュウべぇの体は粉々に砕け散った。
「パンドラさま、あのような者の言うことを真に受けてはなりませぬ」
「わかっておる… わかっておる、ラダマンティス。魂が無い、など、出まかせにも程があるというもの。戻るぞ」
平静を装っているが、動揺を隠せない、パンドラ。
森の奥に佇む洋館に、彼らの姿は消えていった。