「おい!しっかりしろ、死ぬんじゃねぇぞ!」
必死の形相で叫んでいる、佐倉杏子。
黄金の聖衣を纏った少年は、力なく横たわっている。
どうにかラダマンティスから逃れた杏子たちは、巴マミのマンションに身を寄せていた。
回避も防御もせず、グレイテスト・コーションの威力をまともに受けたことの代償は大きかった。
結果、杏子たちを守ることはできたものの、彼自身は深手を負うことになってしまった。
ミーメの手当により出血は止まったものの、レグルスは意識を失ったままだ。
佐倉杏子は、自らの魔力でレグルスの回復を試みる。
見た目にも濁りを深めていくソウルジェムだが、杏子はそんなことも意に介さず、魔力をレグルスに注ぎ込んでいる。
深い傷口は、少し、また少しと塞がろうとしているものの、如何せん傷が大きすぎる。
「これでも足りないっていうのかよ! それならありったけ注ぎ込んでやるっ!」
赤く、赤黒く光始める杏子のソウルジェム。
魔力を最大限まで高めたことで、治癒の速度はほんの少し上がっているようだ。
しかし、ダメージの大きさに比べれば気休め程度にすら思えてくる。
「アタシじゃ何の役にも立てないっていうのかよ… また、またアタシは救えないってのかよ…」
杏子の目からあふれ出す、涙。
ソウルジェムは限りなく闇に染まっている。
今にもソウルジェムからあふれ出しそうな、呪いの渦。
巴マミは後ろからそっと近づき、グリーフシードを杏子のソウルジェムにあてる。
無力感に打ちひしがれ、それに気づくことすら出来ない杏子。
わずか数日だが、レグルスと過ごした記憶が杏子の脳裏を駆け巡る。
ラダマンティスの元からどうにか逃れた直後の、緊張感の欠片もないけれど、なぜか楽しかった出会い。
貧しくも楽しく過ごしていた頃を思い出せた、食べることの楽しさを思い出せた、あのレストラン。
含むところの無い、心の底から溢れてくるそのままの笑顔を思い出せた日々。
ちょっとだけ、血は繋がっていなくてもなんだか家族みたいだなと思い、くだらないことで笑いあっていた、目の前の少年。
そんな杏子の傍らに、歩み寄る誰か。
「…あんた、何する気だ?」
涙で霞んだ杏子の視界に、一人の少女が映る。
無言で近づいてくると、少女は静かに杏子の傍らに膝をつく。
「見てられなくってさ。こういうの、あたしのほうがちょっとだけ得意だから、手伝わせてよ」
「手伝うって… さやか、あんた…」
力なく自分を見つめる杏子の肩を軽くたたくと、さやかはレグルスの胸に掌をかざす。
さやかのソウルジェムから放たれる青い光が、血の気のないレグルスの顔を、黄金聖衣を照らす。
「!」
手の施しようがないかに思えたレグルスの傷は、みるみるうちに回復していく。
青白く、冷たく冷え切っていた肌や唇には赤みが再び差しはじめていく。
その様子を茫然と眺めている、杏子、そしてマミ達。
やがて、さやかはおもむろに立ち上がる。
「自分に回復魔術かけるのとは勝手が違うけど、これである程度、傷は治ったと思う」
レグルスは?
杏子の視線の先には、まるで眠っているかのように静かに横たわる少年が居た。
先ほどとは違い、顔には生気が戻っている。
ただ、起き上がる気配はみえない。
「小宇宙が酷く消耗しているからだろう。それを補うことさえ出来れば、彼ほどの男、再び立ち上がることが出来るはずだ」
そう言いながら立ち上がり、レグルスの傍らに歩み寄るのは、ジークフリートだ。
「レグルスはおそらくこれから、本当の親の仇と戦うことになるだろう。それまで死なすわけにはいくまい」
ミーメもまた、レグルスの傍らにしゃがみ込む。
自らの小宇宙を分け与えるため、静かに小宇宙を高めていく二人。
「なぁ、あんたにあんなことしたあたしが、言える義理でもないけどさ…」
少し落ち着きを取り戻した杏子は、傍らに立っているさやかの方へ向き直る。
立ち上がろうとするが、魔力を消耗しているせいか、瞳に力はなく、そのまま再び膝をつく。
弱弱しく、息も絶え絶えながら、杏子は言葉を絞り出していく。
「レグルスを助けてくれて、ありがとうな」
さやかもまた、杏子をじっと見つめている。
「あんなの見せられて、何にもしないわけにいかないじゃん。戦いの真っ最中に調子に乗っちゃうへっぽこだけど、これでも正義の味方なつもりだし。別にあんたを許したわけじゃないけどさ」
「そうだよな…」
杏子は体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。背筋を伸ばし、ゆっくりと正座で座りなおす。
「さぁ、煮るなり斬るなり、好きにしてくれ。あんたの気の済むようにしてくれていいからさ」
そう言うと、杏子は覚悟を決めたかのように目をつむる。
「それなら… 覚悟はいいかい?」
さやかは刀を手にすると、それを高く振り上げる。
「美樹さん!ダメっ! 佐倉さんはっ…」
マミの止める声をよそに、全力で振り下ろされる刀。
ガンっ!
鈍い音があたりに響き渡る。
座っていたところから数m吹っ飛ばされた杏子。
頬は赤く腫れ、わずかだが血がにじんでいる。
「あんた…」
杏子は頬を押さえることもなく、ゆっくりと起き上がる。
「気は済んだかい? 痛かったでしょ。これでおあいこ、後腐れ無しってことでいいよね?」
刀を鞘に納めつつ、さやかが答える。
さやかは、刀の刃の部分ではなく、胴の部分で杏子を思いっきり打ち据えたのだ。
「あぁ、ありがとな」
ふらつきながらも、何かを吹っ切ったかのように立ち上がる、杏子。
「そちらももうよさそうだな。レグルスはもう大丈夫だ。小宇宙が馴染むまでしばらく安静にしている必要はあるが」
そうなるのがまるでわかっていたかのように、ジークフリートとミーメは事もなげに立ち上がる。
「レグルスは、見滝原に出没している冥界三巨頭の一人と偶発的な戦闘状態に陥った。神闘士や魔法少女を守るために盾となり、立派に役目を果たした。 それでいいな? マミ」
「ジークフリートさん、えぇ、そうね。レグルスさんは、冥闘士と出くわして窮地に陥っていた私たちを助け出してくれた、そういうことよね」
ジークフリートは、我が意を得たりとばかりにニヤリと笑う。
「親の仇、か…」
去り際、誰にも聞こえないような小声で、独り言をつぶやくミーメ。
「…」
それに一人気がついて見上げた杏子をよそに、神闘士たちは去っていた。
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「ルネ、獣からは何か情報を引き出せましたか?」
243年前の冥界、裁きの館の奥の間、地下牢を思わせるような小部屋に、男の冷酷な声が響く。
「これはミーノス様。いえ、いくら締め上げても全く効いていないのか、一向に」
半ば呆れたかのような声で、ルネと呼ばれた男が答える。
「君たち、いつまでこんな無駄なことを続けるつもりだい? ボクには感情はないからいくら拷問されても怖くはないし、もし死んでも他の端末が動き出すだけなのに」
無機質に答えるのは、キュウべぇ。
マリアの魔女と共に、イタリアで眠りの神ヒュプノスに捕らえられた個体だ。
冥界に落ちてきた人間の罪を明らかにし、冥界での行先を決定する役割を持つ、第1獄、裁きの館。
キュウべぇから情報を引き出すのであればここが適任だろうということで、ヒュプノスはキュウべぇをここに預けたのだ。
「全く、私たちとてヒマではないというのに、眠りの神の興味本位な行動に付き合わされる身にもなって欲しいものだ」
嘲笑交じりに、ミーノスが呟く。
冥界三巨頭の一人、天貴星グリフォンのミーノス。
美しい銀髪と落ち着いた言葉遣いから漂う気品。
一方で、強大な力と酷薄さ、そして弱者に対する徹底的な無慈悲さで、冥闘士たちにも畏れられる男だ。
「しかしミーノスさま、ハーデス様の側近たる双子神の命令、もし果たせなければ私たちとてただでは済まないでしょう」
「冥闘士の代わりなぞいくらでも居る、双子神なら平気でそう言い捨てるでしょうね、私も無駄死にはしたくありません。ならばさっさと終わらせてしまえばよいのです」
「そのようなことは私とてわかっております。しかし、どのようにしても口を割らぬのならば、如何にせよと?」
天英星バルロンのルネ。冥界三巨頭であるミーノスに代わり亡者たちを裁く役を任せられている男。
長身で美しい銀髪や丁寧な言葉遣いからは、ミーノス同様に気品すら感じられる。
しかし、やや神経質なところがあるのか、ミーノスの言葉の端々に散りばめられた毒に、少々イラつきを見せている。
「ルネ、生真面目なのはよいことです。ただ、馬鹿が付くほどの真面目と要領の悪さ、これから先、私の下で務めてゆくのであれば、もう少しなんとかして欲しいものです」
「いつもサボ… いや、私に仕事を任せきりにしておられる貴方の要領のよさ、欠片程でも私に備わっていれば、このようなことにはならないのでしょう」
「そう拗ねなくともよいではないですか、言わぬのならば、こちらで引き出せばよいのです」
そう言うとミーノスは、ルネが手にしている一冊の本を奪い取る。
古びたその本は、亡者の罪を白日の下にさらけ出すもの、そして人類誕生以来、冥界に落ちてきた数億、数十億の人間の罪と歴史が記された、全能の書。
「モノは使いようと言うではありませんか。こうしてやればよいだけなのです」
ミーノスは、全能の書をキュウべぇに突きつける。
「君たち、そんな古びた本で何をするつもりだい?」
ミーノスの意図がわからず、思わず問いかけるキュウべぇ。
「冥界に落ちてこない故に、お前達、インキュベーターどもの罪はこの書には記されていなかった。ならば、こうしてこの書に認識させればよいだけのこと」
「そんなことが出来ると思っているのかい?」
「なぁに、お前からではなく、お前がつながっているところから、お前を通じて引き出せばよいこと。さぁ、全能の書よ! この者どもが地上に刻んできた罪、残らず明らかにするがよい!」
全能の書は、猛烈な勢いで頁に文字を記し始める。
次々に新たなページが開き、文字で埋め尽くされていく。
それは、地球でインキュベーターが積み重ねてきた歴史。彼らの手によって生み出された、魔法少女たちの歴史。
「おぉ、見なさい、ルネ。これは、地上に生まれながら異形の化け物と化し、裁きの館に、冥界に至ることなく、泡の如く消えていった少女たちの魂の歴史。数千、数万、数百万… これほどの魂が木炭の如く使い潰されていたとは」
文字は留まるところを知らず、なおも増え続ける。一冊では足りず、次々に新たな本を作り出しては、膨大な記録で埋め尽くしていく。
「インキュベーター達が犯してきた罪の深さ、これほどのものだったとは。 ん?」
ミーノスは、とある頁に記されはじめた文章に目を止める。
「なんと… おぉっ、これは! なんということでしょう! 少女たちの魂を掠め取ってきたことなど、これに比べれば取るに足らぬ些細な罪…」
「ミーノスさま、まさかこれほどとは…」
「ルネ、これは俄然面白いことになってきましたよ」
怒りに震えるルネとは対照的に、ミーノスの表情は冷酷な嘲笑で歪んでいる。
「この事実、双子神に伝えるのはいかがなものかと」
「いやいや、ルネ、そのまま"眠り"に伝えてやればよいのです。好奇心は猫を殺すと言いますが、双子神、さぁ、どのように出てくることやら…聖域にも、敢えて漏らしてやりましょう… ほう?」
「いかがなされました? ミーノスさま」
「あの神気取りの少年にも、すでに運命の糸が絡みついているようですね。黙って我らの傀儡になっておればよかったものを。此度の聖戦、退屈せずに済みそうですよ」
ニヤリと笑うと、ミーノスは館の奥へと去っていった。
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時は現代。
鹿目まどかは一人、家路についている。
志筑仁美は遠く"ギリシャ"へと旅立った。
美樹さやかと巴マミは、おそらく魔女討伐に追われているのだろう。
暁美ほむらは、たまに気配を感じるものの、姿はみえない。
ついこの間まで、当たり前のように彼女たちと過ごしていた平穏な日々、懐かしくないと言えば、それは嘘になる。
寂しくないかと聞かれたら、「そんなことはない」と言い切れる自信はない。
私も魔法少女になったら、みんなとまた一緒に過ごせるのかなぁ?
そんな考えが頭によぎりかけ、慌てて自分で振り払う。
巴マミも、暁美ほむらも言っていたではないか。
自分は、今ここにある、少し退屈だけれど平穏な日々、家族とともにある幸せを大切に守っていけばいいのだ。
青空を見上げ、軽く首を振ると、鹿目まどかは歩き去っていった。
それを物陰から見つめる男が、一人。
「ふん。わかっていても迷いを払えぬ、か。愚かな…」
男の姿は、まるで陰に溶け込むように消えていった。