神と、戦士と、魔なる者達   作:めーぎん

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時を超える思念

243年前のイタリア。

 

静かな森を一人の少女が歩いている。

汚れた衣服はあちこちが破れ、髪はボサボサに乱れている。

足取りは重く、遠くを見つめながら。

まるで漂うようにゆっくりと足を進めては立ち止まり、しばし休んではまた歩き出す。

 

「おなか、すいたなぁ」

 

見えない誰かに話しかけるかのように独り言をつぶやき、少女は空を見上げる。

 

腕には薄汚れた猫を抱え、髪には枯れ果てた花が一輪。

花びらの色が失われてすでに久しいそれは、ヒナギクか。

 

梢から差し込む日差しが痛い。

森を駆け抜けるそよ風でさえも、肌に突き刺ささるように感じられるほどに憔悴しきった少女は、やがて木陰にへたりこむ。

 

喉が渇いた。お腹がすいた。

歩かなきゃ… でも、もう歩けそうにない。

立ち上がらなきゃ… でも、もう立ち上がる力もない。

 

少女は何もかも諦めたかのように、力なく草むらに体を横たえる。

 

 

 

そういえば、わたし、なんでこんなところまで一人で歩いてきたんだっけ?

マリア、どうしてるかな?

村に戻りたいなぁ。

 

そんなささやかな望みをよそに、少女の瞼は閉じていく。

 

全身から力が抜けていく。

 

もういいや… やっと楽になれるのかな…

でも、あと一度だけでいいから、あの人の…竪琴を聞きたかったな…

 

先ほどまでは痛くすら感じられた、そよ風が肌を撫でる感覚も消えていくのを感じる。

 

その時。

誰かが自分の傍らに膝をつき、寄り添っているのに気が付く。

 

「…………」

 

もう長いこと聞いたことが無かったような、優しい声。

消えかけていた聴覚が、その言葉を捉えようと必死に蘇ろうとしている。

 

 

 

「……ぁ あなた、 誰…?」

 

夢か、幻か? あの世の光景なのか?

全てが曖昧になっていくなかで、目の前のそれもまた現実なのかどうか定かではない。

ただ、この世を去る間際、それが何かを知ろうとするくらい、構わないだろう。

ここまで頑張ってきたのだ。せめてそのくらい、望んでもよいはずだ。

 

「………君たち、ずっと頑張ってきたんだね………」

 

誰かの手が、そっと彼女の頬を撫でる。

 

「きみ… たち…… ?」

 

もう永久に開かないかと思われた瞼に、再び光が差し込んだ。

 

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「ここの魔女も手強かったわね。ミーメさんたちが居てくれたからとりあえず勝てたけど…」

 

見滝原のとある結界。

 

話しているのは、魔女との戦いを終えた巴マミと二人の神闘士、ジークフリートとミーメだ。

巴マミの日課となっている魔女パトロールは、ここ数日激しさを増していた。

神闘士たちとの特訓を経て見違えるほど強くなった巴マミをもってしても、ここ数日の魔女の強さには閉口気味だ。

 

「…また、別の魔女が現れたみたい。一息つく間もないわね。私、行ってきます」

「待て、私たちも行くが、少しは休め…、おいっ! ミーメ、行くぞ!」

 

再び駆けだしたマミの後を追う、二人の神闘士。

 

 

結界は、商店街の片隅に佇む廃屋にあった。

 

「誰かしら? 中で誰か戦っているみたい。急ぎましょう」

結界の奥へと急ぐと、そこではスピーカーのような形をした魔女と、一人の魔法少女が戦っている。

 

「美樹さん!」

「マミさん、大丈夫、使い魔もあらかた片付けて、あとはこの魔女だけだから」

そういうと、美樹さやかは再び魔女と向き合う。

最小限の動きで巧みに魔女の攻撃をかわすと、流れるような動きで魔女の後ろに回り込み、刀を振るう。

一太刀ごとに体を切り落とされ、深刻なダメージを負っていく魔女。

 

さやかが佐倉杏子になすすべもなく打ちのめされたのは、つい先日のことだった。

それがどうだろう? 今の彼女は経験豊かな歴戦の戦士のようだ。

この数日で、いったい彼女に何があったのか。

なんにせよ、今の美樹さやかなら安心して任せてよさそうだ。

巴マミ達は、少し離れて戦いの様子を見つめている。

 

「マミさん、頼もしい後輩の戦いっぷり、よーく見ててくださいね。よし、これで最後だ!」

そろそろ決着をつけようと、美樹さやかは刀を振り上げる。

あと一振りで魔女は仕留められるだろう。さやかの心が昂ぶる。

 

「さやか!後ろだっ!」

 

結界にジークフリートの声が響く。

勝利を確信して警戒心の緩んでいる美樹さやかの背後にうごめく、小さな影。

それは一瞬のうちに槍のような形に変わり、さやかの背中に突き刺さらんとしていたのだ。

振り向いたさやかだったが、全力を載せた刀筋はそう簡単には止まらない。

間に合うかどうか、とにかくなんとかせねばと駆け出すジークフリートだったが。

 

 

ザスッッ!!!

 

 

切り裂かれて床に落ちる、影の槍。

その傍らに降り立つ、影二つ。

 

 

「ったく、戦いの最中に調子に乗って油断してんじゃねーよ」

 

 

その声に振り返った、美樹さやか、そして巴マミ。その表情には明らかに戸惑いが見える。

立っていたのは、一人は赤い服を纏った魔法少女。もう一人は黄金の鎧を纏った少年だ。

 

「なんだよ、あたしが人助けしちゃダメってか?」

「お前は…?」

「そっか、あんたら二人が神闘士さん? 会うのは初めてだったな。あたしは…」

「佐倉さんじゃないっ!」

 

自ら名乗る前に巴マミに素性を明かされてしまい、ばつが悪そうな魔法少女は、佐倉杏子。

杏子の名を耳にして臨戦態勢に入るジークフリート達。

 

「俺は、獅子座の黄金聖闘士、レグルス。って言っても、243年前のだけどな」

 

少年は、自分で名乗ることができたせいか、少し誇らしげだ。

ただ、杏子はそれが気に食わないのか、レグルスに食って掛かる。。

「レグルスさ~…」

「キョーコだって…」

 

「お前達はいったい何しに来たんだ」

自分達をそっちのけで始まった兄妹げんかのような言い合いに、半ば呆れかえってツッコミをいれるミーメの声で、二人は我に帰る。

 

「ほら、キョーコ…」

なにかを促すように杏子を突っつくレグルスと、何か言いたそうだが言い出せずにモジモジしている杏子。

凶暴で危険な魔法少女、美樹さやかとの一件で焼き付いたイメージとあまりに違う目の前の少女の姿に、ミーメたちもまた戸惑っている。

一人だけ、妙に得意げなマミを除いて。

 

「あのさ… えーと… こないだは…」

 

蚊の鳴くような声でぼそぼそしゃべる杏子。

なかなか本題に入れない様子に、レグルスがさらに杏子の脇腹をつつく。

 

「あんたさ… すごく強くなったんじゃねーか…」

「そうそう… って、ちがう!」

 

レグルスのつっこみが炸裂する。

再びレグルスに促される杏子。

 

 

 

「えーと、さ、こないだは、すまなかったよ…   ごめん…」

 

あまりに意外な言葉に、さやかもジークフリートたちも茫然として立ち尽くしている。

 

「あのさ、謝ってくれた、それはわかった」

「……」

 

「けど、だからってあたしはまだ、あんたを信用できない」

「美樹さん、佐倉さんは…」

「マミさん、あたし、こいつに殺されかかったんだよ。そんなすぐに、ああそうですかって許せるわけないじゃない。今だって油断したらまた襲い掛かってくるかもしれないし」

 

そう言うと、美樹さやかは身構える。

一見すると棒立ちのように見えて、まったく隙のない構え。

武術の心得があるわけでもない普通の少女だった美樹さやかは、いったいどのようにして、わずか数日でここまで戦闘能力を高めたのか。

 

彼女を鍛え上げたのは、レグルスだろうか?

いや、年齢的にさやか達とほとんど違わないレグルスに、それは難しそうだ。

では、誰だろう?

 

 

 

「アイツがここに居るのかっ!?」

突然響いた声に、その場の皆が振り向く。

 

声の主は、杏子の側に立つ黄金聖闘士、レグルスだ。

 

「君に、そしてキョーコにもほんのかすかに纏わりついている小宇宙。間違いない、アイツ…ラダマンティスだ! どこに! どこに居るのっ!」

 

杏子と漫才のような呑気なやりとりをしていた時とはまるで違う。

表情には闘気と怒りが溢れだしている。

 

「……… 見つけたっ!」

 

叫ぶや否や、レグルスの姿は消えていた。

 

「いかん、いくら黄金聖闘士とはいえ、あれほど自分を見失っていては、まともに戦えるはずがない」

「小宇宙を辿れば居場所はわかるはず、ミーメ、追うぞ!」

 

二人の神闘士は、何処かへと駆け出して行ったレグルスの後を追いにかかる。

 

「待って、あたしも行く!」

「誰かと思えば、佐倉杏子か。もし行先が冥界三巨頭、ワイバーンのラダマンティスなら近づくだけでも命の危険がある。連れていくわけには…」

「んなこたわかってる! それでもいいから連れてけって言ってるんだ!」

 

顔を見合わせる、ミーメとジークフリート。彼らの腕をつかんで離さない杏子。

これは置いていったところで必ず後を追ってくるだろう。

 

「わかった、ついてこい。ただ、絶対に無理をするな」

 

3人はそのままレグルスの後を追って走り去っていった。

 

-------------------------------------------------

「遅かったか」

 

3人がたどり着いた、人里離れた深い森の奥。

 

木々があるいは焼け焦げ、あるいは根元から吹き飛ばされた窪地で、黄金と漆黒、二つの影が相対している。

 

「獅子座の黄金聖闘士、アイオリア、ではないな? あまりに若い」

「そうだ、俺はレグルス。父さんをお前に殺された。忘れたとは言わせないぞ!」

「お前の父を、俺が?」

「ラダマンティス様、これはもしかしてヒュプノス様が言っていた、あの件では?」

「前聖戦の聖闘士がうろついている、というあれか、バレンタイン。そういえば、前聖戦の獅子座の名は、レグルス。そうか、お前が」

 

レグルスは怒りのあまり、完全に冷静さを失っている。

 

「お前の父の仇は、243年前のワイバーンなのだろう? 気持ちはわからんではないが、その者は無関係のはず。落ち着くんだ」

 

ジークフリートの声は届かない。

急激に小宇宙を高める、レグルス。

 

「この時を、ずっと待ってた!」

 

レグルスは目の前の黒竜に襲い掛かる。

 

凄まじい勢いで繰り出される拳。

地面は割れ砕かれ、引き裂かれていく木々。

それでもラダマンティスは動じない。

怒りのままに繰り出される拳を、最小限の動きで冷静にかわし、いなしている。

 

その動きに、ジークフリートは見覚えがある。

「(そうか。美樹さやかを鍛え上げたのは、やはり)」

 

「これでは、わけもわからず殴りかかってくる子供ではないか。これで黄金聖闘士とは」

 

纏わりつく蚊を払うかのように、無言で腕を振り払うラダマンティス。

彼の動きが全く目に入っておらず、弾き飛ばされる、レグルス。

 

「っ!!! ライトニング・プラズマっ!」

 

レグルスが反射的に放った拳。数万、数億、いやそれ以上、無数の光速拳が空間を埋め尽くす。

 

「このっ!!! ライトニング・ボルトっ!」

「そのような苦し紛れの拳。どうということもない」

 

またしても、レグルスの拳は事もなげにラダマンティスに受け止められる。

 

「素質はあるようだが、精神も肉体もあまりに未熟。これが黄金聖闘士…つまらぬ、終わらせてもらうぞ」

 

ラダマンティスは、小宇宙を高めていく。

杏子の身に戦慄が走る。

あの時、魔女の結界を木っ端みじんに吹き飛ばした、あの攻撃が来る。

 

「ヤバイっ! 逃げろっ、レグルス!!」

 

杏子の叫び声もまた、ラダマンティスから横溢する小宇宙の渦に掻き消される。

 

「グレイテスト…コーション…グ!!

 

杏子がつい先日見たそれを遥かに上回る、凄まじい衝撃波。

杏子を守らんと、ジークフリートとミーメが彼女の前に出る。

 

 

 

あたりを覆い尽くしていた砂塵は、数分の後、少しずつ晴れていく。

 

杏子は恐る恐る目を開く。

辺りの木々は完全に薙ぎ払われ、一面の荒野と化してしまっている。

幸いにも、杏子自身はかすり傷程度で済んだようだ。

 

目の前には二人の神闘士。

黄金聖闘士に匹敵すると云われた神闘士の守り、そしてオーディーンの加護を受けた神闘衣はその役目を果たしたようだ。

決して無傷ではないが。

 

レグルスは…

 

杏子の目に、黄金の鎧が映る。

自分達とラダマンティスの間に立っている、一人の少年。

よかった。無事… ではなかった。

黄金聖衣こそ無傷だが、肉は裂け、足元には血だまり。レグルス自身は遠目にもわかるほどの深手を負っている。

 

その両腕は、大きく横へと広げられている。

そう、レグルスは、杏子と神闘士たちを庇うために、グレイテスト・コーションをあえて回避せず、まともにその全身に受けたのだ。

3人の無事を確認したのか、彼はゆっくりと、力尽きたかのように膝をつく。

 

「バッキャローっ! レグルス、てめぇどうしてっ!」

「だって、さ… 俺、キョーコを守らないといけないから」

 

息も絶え絶えのレグルス、杏子の声に消え入りそうな声でかろうじて答える。

 

 

「佐倉さんっ!」

 

荒野と化した森に、二人、魔法少女が現れる。

巴マミ、そして美樹さやかだ。

 

「よかった、無事ね、って、これは… 佐倉さん、ここでいったい何が起きたの?」

「マミ、詳しいことは後で… って。 オイっ、ヤバイから早くここから逃げろ」

「え、そんなに慌てて、どうし… !!」

 

杏子とマミ、さやかの視線に、漆黒の鎧を纏ったラダマンティスの姿が映る。

黒曜石のような輝きを放つ冥衣から、再びあふれ始める巨大な小宇宙。

 

 

「わが身を盾にして仲間を守ったか。未熟とはいえその心意気は認めよう」

「なればこそ、戦士に対する礼は尽くさねばならぬ」

 

ラダマンティスは、再びゆっくりと身構える。

 

「これほどの小宇宙、見たことがない。次またあの技が放たれたら、ここにあるもの全てが消滅しかねないぞ」

 

レグルスは… 無言で再び立ち上がると、腕を広げる。

意識はほぼ失われているようだが、それでもまた、自らを盾にするつもりなのか。

 

 

 

「おい、神闘士さんたち。あんたら、まだ動けるかい?」

 

不意に杏子が、ジークフリート達を呼ぶ。

 

「多少傷は負っているが、問題ない」

「そうかい、ほとんど面識ないあんたらに頼むことじゃないとは思うけどさ…」

「頼みとは… お前、まさか」

「なんだ、察しがいいじゃねーか。その、まさかさ。レグルスとマミ、美樹さやか、そいつらを連れて今すぐここを離れてくれないか?」

「それは構わないが、お前はどうするのだ?」

 

答えはわかっている。それでも問うジークフリート。

 

「どうするって、ほんの一瞬でも誰かが時間を稼がなきゃ、ここに居る連中みんな共倒れだろ? まかせとけって」

「待って、佐倉さんだけ置いて逃げられるわけない…」

「マミ、あんた相変わらず甘いな。この状況で切れるカードなんて、1枚しかないだろ?」

 

「………」

さやかは無言で杏子を見つめている。

 

そうこうしているうちに、ラダマンティスは技を放つ体制に入る。

 

「いいからさっさと逃げろって言ってるだろ! 時間がねぇんだ!」

「美しい友情というやつか。ただ、非情に徹することが出来なければ、いずれは倒れることになる。共々逝くがいい。グレイテスト…」

 

 

杏子はラダマンティスの前へ駆けていく。

微動だにしないレグルスをマミ達のほうへ蹴り飛ばすと、自分がラダマンティスの前に立ちふさがり、両腕を広げる。

コンマ数秒でも時間を稼げれば。

せめて技の威力を少しでも受け止めることができれば…

 

 

 

 

 

衝撃が、こない。

音も、ない。

 

そうか、あたしは死んだのか。

死後の世界、静かすぎてつまんねぇけど、しゃーねぇか。

あいつらは逃げられた、かな?

 

 

「…佐倉杏子、呆けているヒマはないわ、はやくここを離れなさい」

「! 誰だ?」

「そんなことは気にしなくていい。あなたを死なせるわけにはいかないの。時間がないわ、どれくらい離れればいいのかしら?」

 

腕に冷たい糸のようなものが巻き付いている。

あたし、死んでない。

杏子の思考が再起動する。

 

「そうだな、100メートル、いや、1キロは離れたほうがいい」

「そう、なら急がなければね。とりあえず巴マミと美樹さやかの腕を掴んで。絶対に手を離さないこと。マミ達が動き出したら、そこの神闘士二人の腕を掴ませ、黄金聖闘士を背負わせなさい」

 

そう言われて杏子はマミの方を見る。

そこには、まるで写真のように動きを止めたマミ達の姿。

歩み寄り腕を掴むと、マミとさやかが動き出す。

 

「佐倉さん、これはいったいどういうこと?」

「わかんねぇよ。けど時間がねぇ、マミ、さやか、行くぞっ」

「………」

 

何者かに促されたとおり、神闘士たち、そしてレグルスを連れ、杏子は走り出す。

 

ラダマンティスは、まるで石像のように微動だにしない。

それだけではない、砕かれた森も。風さえも、何もかもが動かない。

 

とにかくここから離れねば。少しでも遠くへ。

わけもわからず、とにかく走る5人、ジークフリートの背中には瀕死のレグルス。

 

どれほど走っただろう?

荒野から森へ。

充分離れたであろうその時、腕に絡みついていた冷たい感触が消える。

 

あたりの森が動き出すのと時を同じくして、はるか彼方で轟く轟音、そして衝撃波。

砕かれていく森を背に、杏子たちは街を目指し駆けていった。


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