「次代のアテナさま、暁美ほむらが牡羊座アリエスのムウに託した依頼をご存じでしょうか?」
「セージ、はい、聞いております。ソウルジェムを守るために必要な何かと聞いておりますが…」
「ほむらがムウに依頼したそれは5つ。なんらかの手段により未来を知っているほむらが、必要分をそのように見積もったということでしょう。一方で、今のところ聖域で把握している魔法少女は、暁美ほむら、巴マミ、そして美樹さやか。ということは、暁美ほむらが存在を把握し、生存を企図している魔法少女が少なくともあと2人居る、ということになりますな」
あと2人。だとしたら、果たして誰か。
鹿目まどか。
彼女は魔法少女たちと接点を持ち、キュウべぇも積極的にアプローチをかけてはいる。
暁美ほむらは彼女の魔法少女化を阻止しようとしているので、本来は対象外のはずである。
ただ、万が一まどかが魔法少女化した場合のことを考えている可能性もあるだろう。
では、もう一人は?
これから魔法少女になる誰かか?
まだ自分達の前に現れていない魔法少女か?
「念のため予備をもっておきたいという可能性はないのでしょうか?」
「いいえ、無駄を嫌い、しかも自らの行動に自信を持っている暁美ほむらのこと。単に予備を欲しているとは思えませぬ」
「では、誰かが新たに魔法少女になるという可能性は?」
「それならば、暁美ほむらはすでにその対象にコンタクトをとるか、監視の対象としていることでしょう。今のところ、その気配はありませぬ」
「ではやはり、まだ現れていない魔法少女が他に…」
「それを探し当てることこそが、レグルスの任務にございます」
しかし、見滝原か、それとも広い日本のどこかか? いや、日本に限らないのかも知れない。
「ワルプルギスの夜が見滝原を襲うまで、あと3週間、ほむらはそう言っておりました。もしほむらが魔法少女と接触をとってワルプルギスの夜に対処することを考えているのであれば、時間の余裕はあまりないはず。見滝原ではないにせよ、すでに周辺に居る可能性があると考えるべきでしょう」
ただ、存在を明らかにしない魔法少女を探すのは容易なことではない。
「砂浜でたった一粒の水晶の欠片を探すような…と言ったのは、そういうことだったのですね」
「はい。ただレグルスは我らの中で最も若きゆえ、誰よりも可能性を秘めております。そしてあの者は、たいへん良い目をしております」
「良い目、というと?」
「曇りなき目、と言い換えることもできましょうな。それ故に、見かけや偽りに惑わされることなく真に今後の鍵を握る魔法少女にたどり着くこともできましょう。それに…」
セージは、何かに思いを馳せるように目を瞑る。
「望みを叶えた魔法少女は、あとは絶望へと転がり落ちていくのが必然。レグルスは、日々光を失いゆく彼女たちを穏やかに照らす光となることでしょう」
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「ってことはさ、あんた、どこで誰を探せばいいのかもわからないで、ひたすら魔法少女探してたってのかい?」
運が悪ければ、何日経っても魔法少女に巡り合うことさえできなかったかもしれない。
それに、仮に魔法少女に出会えたとしても、相手がすんなりとレグルスを受け入れてくれる保証もない。
実際、何人かには相手にされなかったという。
「守りたいと心から思える魔法少女を見つけ出し、全力で守り抜くように」
なんという抽象的で大雑把な指令。
任務だとはいえ、なんというお人よしなのだろう。佐倉杏子は半ば呆れ顔だ。
「でも、おかげでキョーコに逢えたんだよ」
出会いはほんとうに偶然だった。
追い払われてもおかしくない状況。
それでも、嘘偽りも、打算も演技もなく、真っすぐに懐に飛び込んでいったレグルス。
だからこそ、固く閉ざされた杏子の心の扉をわずかでも開くことができたのかもしれない。
「それにさ、守りたい魔法少女を見つけられたんだから、この任務、もう成功しちゃったようなものじゃないか」。
「あのさぁ、お前…」
あっけらかんとしているレグルス。
ただ、彼が結界で見せた強さならば、確かに対象を見つけさえすれば、任務完了といえよう。
その対象が自分というのがどうにも解せないが。
自分にとって損か得か? 生きていくために必要か否か? それにばかり拘ってきた杏子。
それが、レグルスと出会ったことで少しづつだが変わりつつある。
誰かと過ごす楽しさ、暖かさ。そう、かつて自分が家族と過ごしていたころ、無意識に感じていた、それ。
とうの昔に失われた、家族と過ごすかのような、ちょっとだけ幸せな時間。
巴マミと一緒に戦っていた頃の、誰かを頼り頼られる喜び。
拒絶のようでいて、実は強がり。
杏子の心を冷たく固く覆い尽くしていた鎧が、少しずつ剥げ落ちていくのを感じる。
「(あたし、また夢、みてもいいのかな?)」
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「はぁっ、はぁっ」
とある結界で、息も絶え絶えになりつつうずくまっている、美樹さやか。
ここの魔女は、それほど強くなかった。巴マミや佐倉杏子ならばおそらくあっさりと片付けられていただろう。
自分が未熟なのはわかっている。今回も、巴マミの助けがあればもっとあっさり終わっていただろう。
でも、マミを呼ばなかった。呼びたくなかった。
今の自分では恭介を守れるかどうかすら、怪しい。
魔女や使い魔に手こずる無様な自分を恭介に見られでもしたら。
その焦りが、さやかを無茶な戦いへと追い込んでいた。
グリーフシードを自らのソウルジェムに当てる。
なぜだろう。黒ずんだ濁りは少し薄まる程度だ。
どうして?
マミが同じことをしたときは、もっと綺麗になったのに。
ここに居ても仕方がない、帰って休もうか… そう思って立ち上がったさやかの視線の先に、2人の男が映る。
「どうした? そのようなあからさまな尾行。見つからないとでも思ったのか?」
早々に気づかれる、さやかの”尾行”。
「うん、別に隠れるつもりもなかったしさ。あんたさ、あたしに”強くなれ”って言ったよね」
「そうだな、確かにそう言ったが。それがどうした?」
背の高いほうの男が答える。
「あたし、強くなりたいんだ。あのさ、よかったら、鍛えてもらえないかな?」
「なぜそれを俺に? お前には仲間が居るのだろう?」
「あんたのほうが、あたしの弱さをよく知ってるよね。弱いからって容赦もしないだろうし」
男は、さやかをじっと見つめている。
「…仲間に己の弱さを見せたくない、ということか」
「ぎゅぅっ… そんなはっきり言わなくても… まぁ、それもあるけどさ」
「…」
男は黙っている。
「バレンタイン、今日は鍛錬の日だったな」
「ラダマンティス様、たしかにそうですが、まさか…」
「美樹さやか。死ぬかもしれんが、構わぬな?」
一瞬躊躇ったように見えたさやかだったが、何かを決断したかのように顔をあげる。
「うん、でも、死なないから。」
「そうか、では、付いてこい」
どれだけ歩いただろう。
周りの風景は、街から森へ、そしていつの間にか洞窟へと変わっている。
心なしか、あたりの空気が寒い。
遥か遠くからは、風のような、声のような不思議な音が漏れてくる。
いったい自分はどこへ連れていかれるのだろう。
「着いたぞ」
周りは明るく、ならない。
花どころか、草一本生えていない荒涼とした風景。
暗い空には、星一つ見えない。
遥か向こうには小高い山がそびえている。
その頂に向かう一本道を列を成して歩いているのは、人、だろうか?
「あれは、亡者だ」
「えっ?」
もう一人の男の言葉に、さやかが振り返る。
「…そういえば、自己紹介はまだだったな。私は、天哭星ハーピーのバレンタイン。ラダマンティスさま直属の冥闘士だ」
「バレンタイン…亡者ってことは、ここは地獄ってことなのかな?」
「厳密に言えば違う。ここは、黄泉比良坂。冥界へ至る入り口だ」
「じゃぁ、あの人たちは…」
「あの亡者どもは、あの坂の果てにある大穴から冥界へと落ち、裁きを受けたのち罪を償うことになる」
死後の世界。
物語として聞いたことはあったが、実際にこうして見ることになるとは。
にわかには信じられず、さやかは茫然と山の上を眺めている。
「そうか、あたしたちもいずれはここにやってくるんだね」
「そうだな、お前たち魔法少女も、場合によってはここに来ることになる」
「え? 場合によって?」
ラダマンティスの言葉に、さやかが思わず聞き返す。
「いずれわかることだ、それまでせいぜい生き足掻くがよい… ん、来たな」
遠くから駆け寄ってくる、3人の男が見える。いずれも、黒曜石のようなあの美しい輝きの鎧を纏っている。
「ラダマンティス様、お待ちしておりました! ん?その娘は?」
「お前たちと共に鍛錬に挑むと言って聞かない、命知らずの魔法少女だ。礼儀だ、名乗るがいい」
「いきなりだね。あたしは、美樹さやか。まだ駆け出しの、ひよっこ魔法少女さ。あんたたちは?」
ラダマンティスが魔法少女とはいえただの人間を黄泉比良坂に連れてきことに驚きつつも、3人はそれぞれ名乗りを上げる。
「俺は、ラダマンティス様直属の冥闘士、天魔星アルラウネのクィーン」
「同じく、天牢星ミノタウロスのゴードン。ただの人間がか、舐められたものだな」
「同じく、天捷星バジリスクのシルフィードだ。美樹さやかと言ったな。俺たちの鍛錬に参加するとか、お前、正気か?」
冥闘士は、108の魔星のいずれかに宿命づけられ、ハーデスの覚醒とともに冥界に集まってきた者たち。
彼らが纏う冥衣(サープリス)は装着者の肉体を作り替え強力な戦士と成すため、冥闘士には本来、特別な修行や資質は必要ない。
しかし、ラダマンティスの直属部隊は、聖闘士ですら恐れをなして逃げ出すほどとされる厳しい鍛錬を己に課すことによって、冥衣に与えられる強さを遥かに上回る、冥闘士の中でも最強クラスの実力を持つに至っているのだという。
そんな彼らの鍛錬に付いてこれるのか?
さやかを睨み付ける、シルフィード。さやかも負けじと強い視線で睨み返す。
「…本気、なのだな。ラダマンティス様が目をかけるだけのことはあるが、死んでも俺たちを恨むなよ」
踵を返して立ち位置へと移動するシルフィード。
どうやらここが鍛錬の場らしい。
「最初はシルフィードとゴードンだ。準備はよいな」
合図とともに組手に入る二人。あまりのスピードに、さやかにはいったい何が起きているのかわからない。
ただ、拳のぶつかり合う凄まじい音と衝撃波は伝わってくる。
「ゴードン! 拳筋がまたわずかにブレているぞ。肩に力が入りすぎだ。あと、いかなる時も冷静さを忘れるな。シルフィードはもっと視野を広く持て。相手の拳しか見ていなければ、不意を突かれた時に対応できないぞ」
ラダマンティスの檄が飛ぶ。
「よし、次はクイーンとバレンタイン!」
ラダマンティスの指示により、二人はすかさず立ち合いを始める。先ほどの二人に輪をかけて激しい打ち合いが目の前で展開されている。
それをじっと見つめている、さやか。
「ほう、少しは捉えられるようになってきたようだな」
さやかの視線から、二人の動きをとぎれとぎれながらも追えるようになってきたことに気づいたのか。ラダマンティスの表情にやや驚きの色が見える。
「よし、クイーンもバレンタインも、前回に比べ動きがよくなっている。バレンタインは動きが直線的になりすぎること、クイーンは相手の思考の裏をかくことをもっと意識するように」
息も絶え絶えの二人が脇に逸れるのを見やりつつ、ラダマンティスが前に出る。
「次は美樹さやか、前に出ろ。相手はこの俺だ」
魔法少女に変身したさやかが歩み出る。
「本気でなければ鍛錬の意味がない。お前の全力でかかってこい」
「言われなくてもわかってるさ。いくよ!」
刀を手にすると、美樹さやかはラダマンティスに真っすぐ切りかかる。力任せに刀を振り降ろすものの、ラダマンティスはそれを全て見切り、軽々とかわす。
刀の勢いを制御できず、思わずふらつくさやか。
「刀の使い方がなっていないな。得物に十分な重量があるならまだしも、お前の刀は薄く軽い。力任せに振り下ろしたところで相手を切り裂くような力は得られない。それよりも、軽さ故の速さと冴えにこそ賭けるべきだろう」
そう言うと、ラダマンティスはさやかの刀を奪う。
そして、おもむろに足元の岩を手にすると、それを上に軽く放り投げる。
「こうだっ!」
落ちてくる岩にあわせて刀を一閃する。
まるで紙のように、真っ二つに切り裂かれて落ちる岩。
「うそ…」
さやかは茫然として眺めている。
「刀の筋、刃の流れがブレないよう、まずはそれだけを意識して、同じようにやってみろ」
そんなの無理だよ、と思いつつ、言われたとおりにやってみる、さやか。
刀は岩に弾かれ、痺れるような衝撃が腕に響く。
「刀を振り切るその瞬間まで、集中力を切らすな。太刀筋を研ぎ澄ませ」
ラダマンティスが事もなげにやってみせたこと。
自分にだってできるんだ、出来なきゃいけないんだ。
十回、二十回、百回。
痺れる腕は次第に感覚を失う。
「おいおい、魔法少女だかなんだか知らないが、ただの人間には無理だろう、無駄な努力はするな」
クイーンが無表情でさやかを止めにかかる。
「………!」
それでも振り続ける、さやか。
無言でさやかの動きを見定めているラダマンティス。
各々鍛錬を続けていたシルフィード達も、いつしか手を止め、無言でその様を見つめている。
もう何回続けただろう、そろそろ一息入れたらどうか、とシルフィードが提案しようとした、その時だった。
「!」
刀筋のあとに、真っ二つになった岩が宙を舞う。
黄泉比良坂を包む、一瞬の静寂。
しかしそれはたちまち破られた。
「おぉぉっ!!!」
「やったな!美樹さやか!」
「うそ…出来た、出来たよ! ありがとうっ!」
「ほらな!こいつなら出来ると思ったんだ」
「ったく、クイーンは調子がいいな」
さやかに駆け寄るシルフィード、ゴードン、クイーン。
ずっと無表情だった3人の冥闘士たちに笑顔がこぼれる。
つられたのか、さやかの表情にも笑みが浮かぶ。
「ほう、お前達の笑顔を見るなど、いつ以来だろうな。美樹さやか、お前も笑うことがあるのか」
バレンタインが少し驚いた表情でつぶやく。
たしかに、初めて出会った時から、さやかはずっとぶっちょう面だった。
恭介への思慕が揺らいだ時、佐倉杏子に完膚なきまでに叩きのめされた時。
絶望の一歩手前にあるような状況だったせいか、表情は暗く、口調もいつものさやかとは別人のように荒んでいた。
それが今はまるで子供のように、シルフィード達3人とはしゃいでいる。
「…… よし、では次だ。この私が相手になろう」
低く響き渡る、バレンタインの声。
「おい、バレンタイン、少し休ませてからでもいいんじゃないのか?」
「ゴードン、美樹さやかはせっかく感触を掴みかけている。完全に自分のものとするためには、間を空けないほうがよいだろう」
それはそうだが、という表情のゴードンだが、さやかを気遣っているのか、明らかに戸惑っている。
「そうだよね、一息つけたし、すぐにはじめてもいいかな? バレンタインさん、よろしく」
さやかは軽く汗をぬぐうと、バレンタインの前に歩み寄る。
先ほどまでとは違う。目に光が戻り、気力が満ち満ちているようだ。
そんなさやかの表情は、バレンタインを前にたちまち引き締まる。
氷のように固い表情。鋭い三白眼。ラダマンティスが"剛"ならば、バレンタインは"冷徹"
はたしてこの男に、人間らしい感情など存在するのだろうか?
「よし、来い!」
掛け声と同時に、さやかはバレンタインに切りかかる。
先ほどまでとは違い、剣に体を振り回されることはない。
しかし、実力の差はあまりにも明確だ。
バレンタインは冷静に剣筋を見極め、ギリギリでかわすとさやかの肩に拳を打ち込む。
致命傷にならない程度にコントロールされた拳だが、苦痛にさやかの表情がゆがむ。今度はこちらがと反撃に出るが、力み過ぎているせいか動きが固くなり、刀は空を切る。
大きくふらつくさやかの隙を見逃さず、冷静に拳を打ち込むバレンタイン。
「美樹さやか、冷静に拳を見極めろ、そして、バレンタインがそうしているように最小限の動きでかわすのだ。そうすれば次の攻撃への展開が開ける」
ラダマンティスの声に我に帰るさやか。
確かにバレンタインの動きには無駄がない。無駄がない故に、防御姿勢から攻撃へ移るタイムギャップがほとんどないのだ。
バレンタインの拳が真っすぐに迫る。どのようにかわすか。
真っすぐ、ならば。
さやかはまるでスリップしたかのように体を横にわずかにスライドさせる。右肩に当たるかに思えたバレンタインの拳は、肩をかすっていく。
力を載せていたがゆえに、バレンタインがわずかに体勢を崩すのが見える。
今だ。
さやかは腕を畳んで剣を手元に引き寄せると、振り回さずにそのまま真っすぐ突きにかかる。
ギリギリのところでバレンタインは剣をかわす。
さやかの突きは空を切るが、それも見越していたさやかはすぐに体勢を整える。
「上出来だ、次は体重移動に気を付けろ。真逆の方向にではなく、すでに得ている加速度と斜交する力を加えることで、致命的な隙、動きが止まる瞬間を生じずに済むのだ」
ラダマンティスの言わんとすることを理解する。前から後ろ、右から左ではなく、右から左斜め前方へ、前から右斜めへ。さやかの動きから無駄が消える。
つい先ほどまでは攻め一方だったバレンタインの動きが鈍り始める。トリッキーかつ素早いさやかの動きに対応するために、余裕がなくなっているのだ。
「次だ、自分だけでなく相手の動きも利用しろ。利用できるものは全て利用するのだ」
屈んで拳を打ち上げようとするバレンタインの姿が目に入る。これを利用するには…
体を少し右にスライドさせて拳をかわすと、さやかはバレンタインの腕を掴む。
高く振り上げられたところから、拳の勢いを利用してブランコの要領で体を大きく振り回転させる。
虚を突かれたバレンタインはさやかの動きを追えていない。
そのままバレンタインの背後に回ると、勢いを生かしたまま剣を繰り出す。
ガンっ!
鈍い音とともに、冥衣に弾かれる剣。
それでも。初めて攻撃を当てた。
よし、次の一撃をと思ったさやかに生まれる一瞬の隙。
バレンタインはそれを見逃さなかった。
一瞬で繰り出された拳で、さやかの体は弾き飛ばされる。
宙を舞い、岩壁に叩きつけられそうになったさやか。
すんでのところで彼女を受け止めたのは、ゴードンだった。
「あ、ありがとう」
「あ、いや、き、気にするな」
ゴードンはなぜか、明後日の方向を見て答えている。
「おい、ゴードン。もしかして、照れているのか?」
明らかに不自然な彼の挙動を見逃さず、クイーンが冷やかす。
「すまんな、美樹さやか。冥界はこのとおり女っけが無くってな。ゴードンみたいに初心だと、女の体に触れるだけでも刺激が強すぎたようだ」
そんなクイーンを、さやかは不思議そうな目でじっと見ている。
「でもさ、クイーンさん、女の子じゃないの?」
「ちょ!違う!断じて違う。これは、冥衣がそういう名前でデザインなだけで、俺はれっきとした男だ」
おそらく、天魔星アルラウネの冥衣が誕生してから無数に繰り返されてきた勘違い。
無理もない。アルラウネの冥衣は胸の造形や丸みを帯びた全身の形態から、女性が着ることが前提になっているとしか思えないのだ。
「お前達、緊張感が欠けているぞ。今日はここまでだ」
ラダマンティスの声が響く。
「美樹さやか、今日身に着けたことを忘れぬよう、地上に戻ってからも鍛錬に励むことだ。そうすれば、お前を叩きのめしたあの魔法少女とそれなりに戦えるレベルにはなるだろう。あとは、もう少し感情の起伏を抑えるように。お前は普段から自分の感情を内に抑え込んでいるのだろう。普段ならそれでも構わぬだろうが、少しでも追い込まれたり余裕が無くなった時に、抑えきれなくなった感情は最悪の形で発現することになる。戦闘中であれば命取りだ。重々心得ておくように」
ラダマンティスの指摘はいずれも核心をついている。
「まるで長年の付き合いみたいに、あたしの性格まで把握しちゃってるんだね。でも、悔しいけどほんとその通りなんだよね」
「自覚はしているのだな。あとは相手の行動パターンや思考までを読み切ること、そして読めたからといって調子に乗って慢心しないことだ。やらねばならぬことはあまりに多いが、一つ一つこなしていくことが肝要」
「はははっ… そこまで読まれちゃってるんだ。でも、ありがとう、だ…ダヂャマンテス、あ、こめん、ラ ダマンティス。名前言い間違えるなんて失礼だよね。なんだか呼びにくくって」
反省することしきりな、さやか。
「…ぶっ ククっ 」
誰かが笑いをこらえているのか。
周りを見回すさやかの視線の先に、思わぬ光景が飛び込んできた。
腹を抑えて笑いを堪えている、一人の男。
肩を震わせ、身をかがめて、必死で堪えている。
バレンタインだ。
「も、申し訳ありません、ラダマンティス様、美樹さやかの呼び間違いがつい、ツボに入ってしまい」
「よい、美樹さやかもバレンタインも悪意があってのことではないのだろう。俺の名前が呼びづらいことは理解している」
気にするふうもなく、さらっと流すラダマンティス。
「そりゃ、驚くだろうな。バレンタイン、あぁ見えて実は笑い上戸でな。冥界に来たばかりの頃は、ちょっとしたことで笑い出すものだから、ラダマンティス様によく叱られていたものだったな」
呆れ顔のシルフィード。
「ところで美樹さやか、そろそろ地上に戻ったほうがいい。神の加護を受けていない人間は、黄泉比良坂に居るだけで肉体と魂にダメージを負い、いずれは死に至るのだ。どういうわけか、お前はそれほど影響を受けていないようだが」
元気そうなさやかを不思議そうに見つめつつ、ゴードンが提案する。
「そうだな。これ以上ここに居るのは思わぬ結果を招くかもしれぬ。戻るぞ、美樹さやか」
「ありがとう、シルフィード、クイーン、ゴードン。あたし、ちょっとだけ強くなれたような気がする。もっと鍛えて一人前の魔法少女になるからね」
皆に手を振りつつ、ラダマンティスとバレンタインと共に、さやかは黄泉比良坂を後にした。
「(ラダマンティスだけじゃない。バレンタインもゴードン達も、冥闘士なのに普通に人間っぽいところ、残ってるよね。なのに、なんでみんな、冥界側に居るんだろう…)」
ラダマンティスに初めて会った時に感じた疑問が、さやかの中でさらに大きく育ちつつあった。