「たいへん急な話ですが、志筑さんは今日をもってギリシャへ留学することになりました」
担任の早乙女先生から伝えられ、クラスに動揺が走る。
「急すぎるよ~」
「なんでこんなに突然留学しちゃうのさ」
戸惑いを隠せない同級生たちをよそに、美樹さやかは虚ろな目で遠くを見つめている。
視線の先には、クラスの皆に質問攻めにあっている志筑仁美。
いくら自分以外に適合者が居ないとはいえ、なぜ仁美は聖域行きを受け入れてしまったのか。
生きて帰れる保証などどこにもないのに。
なにより、間もなく退院してくる上条恭介のことはどうするつもりなのか?
鹿目まどかもまた、何が起きているのか分からず茫然としている。
何の前触れもなく、幼馴染が突然目の前から去ってしまう。
ただ、事情を知らないまどかのほうが、さやかよりもまだ幸せなのかもしれない。
その日の夕方。教皇セージは志筑仁美と美樹さやかを伴い、城戸沙織邸に戻っていた。
「アテナさま、私でなければ務まらぬ役目、おおむね片付きました故、志筑嬢を連れて過去の聖域に戻りまする」
「短い間でしたが、ありがとうございました。仁美さんをよろしくお願いします。私もこれよりこちらの聖域に向かいます」
「こちらの青銅、頼もしい限りですな。身辺の警護については心配なさそうですので、こちらに残すアルバフィカとレグルスにはそれぞれ探索任務を申し付けておりまする。どちらも追って報告あることでしょう」
「ねぇ、仁美。まどかは、呼ばなくてよかったの?」
「えぇ、本当のことを知ったら、まどかさん、きっと耐えられないと思いますの。さやかさん、魔法少女になったこと、まどかさんには…」
「うん、まだ伝えてない。なんとなく言い出せなくってさ」
互いに親友に話せぬ秘密を持ってしまった。それに気が付いたのか、言葉はそこで途切れる。
「(でも、恭介のこと、どうするのさ…)」
「そろそろよろしいですかな?」
「…はい」
「では、こちらへ」
セージは仁美を、部屋の隅にある鏡の前へ連れていく。
「ではアテナさま、さやか嬢、貴方がたにとって大切なご友人、私どもの聖域にてお預かり致します」
光を放ちだす鏡。セージと仁美は眩いばかりの光に包まれていく。
「仁美、ちゃんと帰ってくるんだよね。待ってるから」
「ええ、私、必ずこちらに戻ってきますから。あと、さやかさん、恭介さんと…」
あまりの眩しさに思わず目を瞑るさやか。再び目を開いた時、すでにセージと仁美の姿は部屋から消えていた
「「恭介と」か… 「恭介を」でなかったの、なんでだろ?」
城戸邸からの帰り道、さやかは一人、賑やかな路地を歩いている。
仁美は無事にこちらに帰ってこられるのだろうか?
聞けば、前回の聖戦を生き残ったのは黄金聖闘士2人だけだったという。
こちらに帰ってくることが前提の仁美はもちろんその数には入っていないはずだが、セージやデジェルですら命を落とすような激しい戦いということは、こちらの聖戦の激しさも想像を絶するものなのだろう。
帰ってきても、聖戦を乗り越えて生き残れるのだろうか。
「… え。こんなところに? 空気読めない魔女だよね。でもあたし、戦わなきゃ」
さやかは、路地裏の結界へと飛び込んでいった。
結界の中は多くの使い魔が飛び交っている。
強くはないものの、数が多い。使い魔を倒すのに手間取りながら先へと進む。
「あれ、もう誰か戦ってるみたい」
結界の最深部、魔女以外にも誰かの魔力を感じる。
マミならば使い魔を放っておくわけがない。ほむら、だろうか?
最深部に居たのは、見たことのない魔法少女だった。すでに決着が着きつつあるのか、魔女はすでに瀕死の状態だ。
「あん?」
魔法少女はさやかに気が付いたようだ。
「あとからノコノコやってきて人の獲物を横取りしようなんて、ずいぶんと図々しいんだね、あんた」
「いや、別にそんなわけじゃ…」
「魔法少女の礼儀、先輩から教わってないわけ? じゃぁ、改めてあたしが教えてやるよ」
「えっ!? ちょっとまっ」
さやかの答えも待たず、その魔法少女は容赦なく襲い掛かってきた。
さやかも応戦はするものの、相手は強く、まるで歯が立たない。
「なにこれ、よわっちぃの。巴マミのやつ、まともに後輩鍛えてないんじゃないの?」
「なんで… なんであんたがマミさんのこと知ってるのさ!?」
「ちょっとした知り合いさ。こっから帰ったら、佐倉杏子が呆れてたってマミに言ってやんな…って、ほら、無駄口効いてる余裕あんのかい?」
動きが一瞬止まったのを見逃さず、槍で足を払いにかかる佐倉杏子。
すでに全身打ち据えられていたさやかには、避けることも逃げることもかなわない。
転倒し背中を打ち付け、結界の床に力なく横たわっている。
「なーんだ、もう終わりかい?」
「ねぇ、一つ聞かせてよ。あんた、なんで使い魔ほっといてるのさ…」
「はぁ?あんたこそ、バッカじゃねぇの? 使い魔、グリーフシード落とさないじゃん。魔女になるまで育ってもらうほうが効率的、っていうかさ?」
「あのさ、使い魔が育つって、要はそれまでに何人も人を殺してるってことじゃない。あんたって奴は… 」
「それはこっちの台詞だよ。魔法少女が生きるためにはグリーフシードが必要なんだ。見ず知らずの人を助けるためにあんた、自分が死んじまっても構わないってのかい?」
「…」
「あんたさ、そんなことしてたらそのうち野垂れ死ぬぞ。生き続ける気がないんだったら、いっそのことここでってのもいいんじゃない? おらっ、終わりだよっ!」
霞む視界の向こう、杏子が槍を振り上げるのが見える。
ごめん、仁美、まどか、マミさん。あたし、こんなヤツにやられて終わっちゃうんだね…
「!! なんだてめぇ、邪魔すんのか?」
「…情けないものだな。これだけの力を持っている戦士が、やっていることは後輩虐めとは」
さやかの視界に飛び込んできたのは、杏子と自分の間に立ちふさがる、黒い影。
いや、いかにも頑強そうな鎧を纏った青年が、杏子の槍を握りしめて立ちふさがっている。
「てめぇ、誰だ?」
「…」
青年は杏子の問いには答えず沈黙を保っている。
彼が纏っている鎧は、黄金に光輝く黄金聖衣とも青銅聖衣とも、アスガルドの神闘衣とも違う。
漆黒の鎧。まるで黒曜石のような、深い闇のようで不思議な輝きをもった鎧。
そして何よりも目を引くのは、背中からのびる美しくも雄大な翼。
「誰、あんた?」
たまらず、さやかも目の前の青年に問いかける。
「命令に背くことにはなるが、戦士としての誇りがこれ以上黙っていることを許さなかった」
そう言うと、青年は掴んでいた槍を振り払う。槍とともに放り飛ばされた杏子だったが、空中で体制を整え着地すると素早く身構える。
「人の喧嘩に首突っ込んできて、そんな態度かい。ちょっと痛い目に合わないとわからないってか」
再び襲い掛かる杏子。青年は身をひるがえして槍をかわし拳を繰り出すが、今度は杏子が冷静に拳筋を読んでかわす。
「誇りなき戦士なぞ、なんの価値もない。消え去るがいい」
「あ、なんだって?名乗りもしないで偉そうに見下してくるんじゃねぇよ」
「そうか。名も知らぬ者に倒されるのは哀れであろうな。貴様がそこに至れるかわからぬが、もし裁きの館で問われたら己を葬った者の名を告げるがよい」
「…我が名はラダマンティス。ハーデス様に仕える冥闘士を統べる三巨頭が一人、天猛星ワイバーンのラダマンティス。覚えておくがいい」
「ハーデス?冥闘士、なんだそ…」
青年は問いには答えず、ゆっくりと身構える。凄まじい闘気が青年から横溢してくる。
それは、やがて拡げられた両腕に収束し、目の前の少女に向かって放たれた。
「…グレイテスト・コーションっ!!」
「!!っ やっべ!!」
青年が放つ凄まじい衝撃波。それは、使い魔も、瀕死の魔女も、結界そのものさえも蹂躙し、粉々に砕き、跡形もなく消し飛ばした。
「…逃げたか」
結界は消滅し、元の暗い路地裏には茫然とへたり込むさやかと、鎧を解いたスーツ姿の青年が残された。
「あんた、あの時の」
恭介の病院で仁美をみかけた帰り道、公園でさやかがぶつかった青年の一人がそこに居た。
「助けてくれて、ありがとう。あたしは美樹さやか。見ての通り、まだひよっこの魔法少女さ」
青年はあの夜の公園と同様に、無表情でさやかを見つめている。
「情けないのはお前もだ、美樹さやか。お前が何を望み、何を守ろうとして魔法少女になったのか、俺は知らぬ。ただ、戦う覚悟を決めて戦士となったのであれば、強くなれ。何者をも凌ぐ力と鋼の如き強靭な意思を持て。強くなければ貴様の信念を貫くことも、守りたいものを守ることもできず、より強いものに蹂躙されるのだ。弱き戦士なぞ、誇りなき戦士と同じく価値のない存在なのだから」
「そうだよね。こんなんじゃ、恭介を守りきることもできそうもないし。仁美だって、あたしがもっとちゃんと強かったらあんなことには…。わかってるんだ、もっと強くならなきゃいけないって」
力なくうつむく、さやか。
「ラダマンティスさま。ここに近づく者の気配を感じます。ここは一旦…」
「わかっている、バレンタイン。行くぞ」
「はっ」
さやかが再び顔を上げた時、ラダマンティスの姿はそこから消え去っていた。