神と、戦士と、魔なる者達   作:めーぎん

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鬼火の担い手

セージ達が現代を訪れる2日前のこと。

 

セージは教皇室の奥にある書庫に一人籠っていた。

 

はるか神代から続く聖域の歴史。

聖域の中枢ともいえる教皇の間には、膨大な量の資料が残されている。

聖戦の準備のかたわら、セージはそれらを一冊一冊、丁寧に読み込んでいた。

 

アスガルドの神闘士がはるばる未来からこの聖域にたどり着いたこと。

これまで全く知ることのなかった魔法少女や魔女の存在を認識したこと。

 

聖戦を間近に控えたこの時期に起こった2つの出来事。

これらは何か関係があるのか?

それともただの偶然なのか?

それらが聖域と、そして聖戦に何か影響を及ぼしうるのか否か?

 

もしかすると過去の記録になんらかの手がかりが隠れているかもしれない。

ギリシャ語、古ラテン語、古ヘブライ語。もはや現存していない謎の古言語。

それらを時に言語学者の如く翻訳し類推しつつ、莫大な資料をじっくり時間をかけて一行一行読み解いていく。

気の遠くなるような作業の繰り返し。

 

さすがのセージも終わりなき作業に辟易とし始めていた頃。

1枚の羊皮紙が本の間から現れた。

 

かつてはびっしりと書き込まれていたであろう古代のギリシア文字。

長い年月を経た今となっては、文字の大半はかすれている。

判読可能なのはごく一部。ただ、そこに記された内容に、セージの目は釘付けとなった。

 

 

冥王は地上に●●●●●●●●●

巫女は●●●●●嘲笑に●●●●

 

其は人に非ず。神に非ず

●●●●●、人を呪い、神を憐み

全て等しく原初へと立ち返らせる

不可視の災厄。ワルプルギスの夜

神々は●●●●戦い人●●●●●

●●●●戦女神は人を●●●●●

 

 

断片的ながらもそれは、冥王と戦女神アテナとの聖戦について言及しているようだ。

そしてそこに唐突に現れる、「ワルプルギスの夜」。

文脈からは、なにかしら聖戦と関係しているように見える。

 

それにしても、災厄でありながら不可視とはいったい?

 

そこで、セージはふと思い至る。

 

人の世に災いを振りまき、しかも不可視であるもの。

そうした存在につい先ごろ遭遇したではないか。

 

魔女。

結界に息を潜め、魔法少女やそれに関わる者でなければ認識できない存在。

 

はるか以前、聖戦に関わる魔女と魔法少女が存在していたのか、

あるいは何の関係もない単なる偶然か。

 

あまりに断片的な記述からは、それ以上のことは読み取りがたい。

いくら探してもこれに関わるような文書は他には見当たらない。

 

ならば、多くの魔法少女とコンタクトが取れる次代で手がかりを探してみるのが次善の策であろう。

聖域の歴史や過去の聖戦、神々や聖域以外の勢力についても知識を有し

得られた情報をそれらに基づいて読み解ける者。

となれば聖域の中でも教皇たる自分が赴くしかなく、またそうすべきだろう。

 

それに、自分がなすべきことはそれ一つではないのだ。

 

 

 

さて。現代を訪れて早々に投げかけた問いは功を奏するだろうか?

 

セージは静かに反応を待つ。

 

しばしの静寂。

やはりそう簡単ではないか?

 

 

。。。

 

 

「…えぇ。あなたの言うそれと同じものかどうかは知らないけれど」

 

その場に居る全員が振り返る。

声の主は、部屋の隅に控えていた魔法少女、暁美ほむらだった。

 

「そなたが知っている、ということはワルプルギスの夜とは…」

「えぇ、魔女よ。それも最悪のね」

 

セージの問いに、暁美ほむらは無表情で答える。

 

「魔法少女の間で語り継がれてきた魔女」

「あまりに強力であるが故に、結界に身を隠す必要すらない」

「人々からは、姿が見えないことで気象災害として認識される」

 

ワルプルギスの夜について、ほむらは淡々と説明していく。

 

「なるほど。遥か神代のそれと同じ個体かどうかはわからぬものの、あながち無関係とも言えなさそうではありますな」

「ただ、もしその羊皮紙に書いてあることがほんとうなら、やはり違うのかもしれないわね」

「ほう、なぜそう思うのですかな?」

「ワルプルギスの夜は、全てを嘲笑い、容赦なく全てを無に帰していく。たとえ相手が神であろうと、憐れむなんてことは絶対にないわ」

「そうですか、謎に少しは近づけたかと思いましたが、引き続き慎重に検証する必要がありそうですな。して、その魔女は現代ではどこに?」

 

情報は得られたものの、そう簡単に遭遇できるものではないのだろう。そう思いつつも聞いてみるセージ。

 

 

「…もうすぐ、そうね、あと3週間もすれば、見滝原にアイツはやってくる」

 

 

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家に帰ってからも、志筑仁美は必死で平静を装っていた。

 

いつも通りに家族との食事を済ませると、風邪をひきかけているかもと言い残して自室に引きこもった。

 

始まることすらできずに泡と消えた、はじめての恋。伝えることすらできず、無かったことになってしまった恋。

 

誰に相談できるものでもない。

部屋で一人泣き明かし、涙とともに洗い流す。今思いつく方法はそれくらいしかない。

 

恭介はきっとさやかと恋人同士になるのだろう。

そうなった時自分はどうすれば。

 

決まっている。

何事もなかったかのように、恋心など最初から欠片もなかったかのように。

これまでと同じように微笑んで、二人を祝福すればよいのだ。

 

そんなことはわかっている。

人一倍負けず嫌いで、それでいて恋に恋する普通の少女。

良家の令嬢として落ち着いた振る舞いと洗練された仕草を身に着けてはいるが

それはそんな自分を人に見せないための外装。

本当はその場から逃げ出したいくらいなのに。

 

心の奥に生まれた軋みを必死に押し殺す。

泣き疲れるまで泣けば、少しは気持ちが落ち着くのかもしれない。

 

声を殺して泣き、ひたすら泣き、夜が更ける頃、仁美は泣き疲れて眠りに落ちた。

 

 

差し込む日差しに、仁美は目覚める。

 

今日の夕刻、城戸沙織が見滝原に来るという。

海外の拠点へ重要な仕事を片付けに行くのでしばらく会えなくなる、その前に仁美に会っておきたいとのこと。

精一杯の笑顔で送り出したい。

 

仁美はてきぱきと身支度をすると、いつも通りに学校へと向かった。

 

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美樹さやかは、夜の公園を一人歩いている。

 

お似合いの二人。

恭介と仁美。

クラスの誰からも祝福され羨ましがられる恋人同士になるのだろう。

 

なら自分はどうすればよいのだろう?

 

決まっている。

二人に気を遣わせてはいけない。

いつも通り、これまで通り。

二人の共通の友人として。

 

そんなことはわかっている。

生真面目で不器用で。

物事を適当に流すことが苦手で、ちょっとしたことであっても深く傷ついてしまう自分。

明るく元気で賑やかで図々しく。

それはそんな自分を人に見せないための外装。

本当はその場から逃げ出したいくらいなのに。

 

ならば、自分がこれからもずっと続けていけることは?

それは魔女から恭介を守ること。

魔法少女だからこそできること。

 

巴マミの頼れる後輩魔法少女…にはちょっとなれそうにもない。彼女ははるか高みに登ってしまった。

でも恭介を守ることなら今の自分にも出来る、だろう。

きっと出来るはず。

出来ないといけないんだ…

彼を守って戦っている時は、自分は彼にとっての特別な存在になれる…

 

 

ドンッ!

 

 

「あっ! すいませんっ!」

 

うつむいて歩いていたさやかは、向かい側から歩いてきた誰かとぶつかってしまった。

 

こんな夜遅く。ヤバイ人だったらどうしよう?

恐る恐る顔をあげる、さやか。

 

目に入ってきたのは、二人の青年だった。

二人とも、見上げるほどの長身。

強面で無表情。体格のよさは黒いスーツを着ていても容易にわかるほどだ。

無言で、鋭い視線で自分を見下ろしてくる。

 

どう見てもヤバイ人だ、逃げなきゃ。

そうは思っていても、足がすくんで動かない。

 

いったいどうすれば…

 

 

「おい、娘…」

 

どうしよう、やっぱり怒ってる。

 

「……………」

 

二人のうち、より体格のいいほう、自分がぶつかってしまったほうの青年が、自分を睨んでいる。

 

 

「……怪我は、なさそうだな」

 

怒気のない、低く、落ち着いた声。

 

「… ふぇっ?」

 

「こちらの不注意でもある。気に病むことはないが、相手によっては大事になりかねない。気を付けることだ」

 

あれ?もしかしてこの人たち、そんなにヤバイ人ではない?

 

「こんな夜更けに一人で出歩くものではない。はやく家に帰るのだな」

 

そう言い残すと、二人はそのまま歩き去っていった。

 

 

「たすかっ…たみたい。よかった、いい人たちで」

 

突然訪れたピンチを脱することができたせいか、さっきよりも気持ちが少し落ち着いたように感じる。

 

 

公園を離れると、さやかは家路へと急いだ。

 

 

「今の娘…」

「あぁ、間違いないだろう。ずいぶんとあっさり見つかったな。それにしても、神はなぜこのようなことを我々にさせているのか…」

 

 

------------------------------------------

 

学校での一日は、何事もなく終わった。終わったように見えた。

 

「わたくし、今日はちょっと用事がありますので、お先に失礼しますね」

「仁美ちゃん、今日も習い事?」

「いいえ~。私の大事なお方…城戸沙織さんがついにギリシャへ行かれることになって。今日は私の家へ出立のご挨拶にいらっしゃいますの」

「あ、こないだ会った、あのグラード財団の? そっかぁ、それは習い事よりもずっと大切じゃん。なら、早く帰らなきゃ!」

「さやかさん、そうですね。ではお言葉に甘えさせていただきますわ」

 

仁美はまどか、さやかと別れると、小走りで家路を急いだ。

 

 

「そっか~。城戸沙織さん、ついに行っちゃうんだね。あたしももうちょっとお話したかったな~」

「私も、エイミー助けてもらったお礼、もう一回ちゃんとしたかったなぁ」

 

まどかは、腕に付けたタンポポの花輪を見つめながら、沙織の事を思い出していた。

 

「さやかちゃん、この花輪、お水あげてるわけでもないのに全然枯れないし。なんだか魔法でもかかってるみたい」

「… あははっ! そんなことあるわけないじゃない。でも不思議だよね、これ」

 

さやかも、しげしげと腕の花輪を眺めてている。

 

「…サーシャさんも、もしかしてギリシャに行っちゃうのかなぁ?」

遠く、西の空を見やりながらまどかがつぶやく。

 

「…」

「どうしたの、さやかちゃん?」

「ううん、ちょっと用事思い出して。まどか、あたしも今日はお先に失礼するね!」

「えっ? さやかちゃん、ちょっと、どうしたの?」

 

まどかを一人残し、さやかは仁美の後を追うように走り去っていった。

 

------------------------------------------

 

「わぁ、沙織さん、お待たせしてしまって申し訳ありませんわ」

「いいえ、私たちも少し前に着いたばかりです」

 

仁美が家に帰ってくると、沙織たちがすでに応接室で待っていた。

 

沙織の執事である辰巳、護衛と思われる二人の少年と一人の老人、仁美の両親も一緒だ。

 

挨拶もそこそこに、手を取り合って別室に入っていく沙織と仁美。

 

「長くなりそうですな。それでは私は念のため周辺を見回ってくることにします」

「セージさま、貴方のような素晴らしいお方が補佐に付かれているのなら、城戸沙織さんもご安心ですね。屋敷は私たちが見ておりますので、どうぞごゆるりと」

「そこな二人の少年は見かけ以上に頼りになる者たち。身辺警護は頼むぞ」

 

セージもまた、何か気になることがあるのか、屋敷の外へと歩き去っていった。

 

 

部屋の中からは少女らしい笑い声が聞こえてくる。

 

「瞬、ヒマ~。俺もセージさんと一緒に散歩行けばよかったかも」

「星矢、万が一ってこともあるから油断しないでちゃんと護衛の役目果たさなきゃ… でも、うん、退屈だよね」

「コラっ!お前ら、だらけてないで真面目にやらんか!」

少々ダレ気味の青銅聖闘士二人の様子を見かねたのか、辰巳の檄が飛ぶ。

 

「そんなこと言ってもさ、いくら聖戦が近いっていったって、こんなところに冥闘士が現れるとか、ちょっとあり得ないんじゃないか? …え?」 

辰巳に反論しようとした星矢は、何かに気づいたように辺りを見回している。

 

もや? 霧? 何とも言えない何かが、部屋の中を漂っている。

それは少しずつ濃くなり、視界は次第に閉ざされていく。

 

「星矢、これ、ただの霧じゃないよ。でも冥闘士の小宇宙も感じられないし、いったい何だろう?」

「…瞬、とにかく沙織さんのところに行こう、なんだかいやな予感がするんだ」

 

仁美たちの居る部屋もまた、すでに霧が充満していた。

 

「…これは?」

星矢たちより少し先に部屋にかけつけた仁美の両親も、思いがけない光景に戸惑っている。

「沙織さんの護衛の方々ですね。これはいったいどういうことでしょう?」

「僕たちも何が起きたのかわからないんです。沙織さん!無事ですか!」

沙織の父に答えつつ沙織に呼び掛ける、瞬。

 

「その声は、瞬ですね。はい、私も仁美さんも大丈夫です。視界が効かないのですが、声のするほうに向かいます」

 

やがて、霧の中から沙織と仁美が現れる。

早くこの部屋から外へ出ねば。そうすべく振り返った星矢たちだったが、今入ってきたばかりの扉は忽然と消え去っていた。

代わりにそこに広がっていたのは、果てもなく続く霧の空間。

そして、どこからともなく感じられる、魔女の気配。霧はさらに濃さを増していく。

 

「これはもしかして、結界!?」

「瞬、じゃぁこの霧、魔女の仕業なのか?」

 

星矢がそう言うのと同時に、霧は集まって人魂のような形に変わり、星矢たちに襲い掛かってきた。

反射的に拳を放つ星矢。霧は霧散するが、やがてまた集まり剣のような形に姿を変えて襲い掛かってくる。

とにかく沙織達を守らねば。

しかし、まるで空気を相手にしているかの如く、星矢の拳は虚空を引き裂くのみだ。

 

「絶対にうごかないでください。皆さんは僕たちが守ります!」

瞬はチェーンを展開し、ローリングディフェンスで沙織達4人を守っている。

沙織と辰巳はともかく、仁美とその両親は何が起きているのかわからず茫然としている。

ただ、経験したことのない危機的な状況にあること、彼らを守る少年たちが只者ではないことは理解しているのだろう。

3人集まって、沙織とともにじっとしている。

今のところその守りは有効なようだが、果たしていつまでもつか。

 

 

「大丈夫ですかっ! って、星矢さんと瞬さん!」

霧の中から一人の少女剣士が現れる。

魔法少女、美樹さやかだ。

 

「(うっすらと魔女の気配がしたから来てみたら、うわーっ城戸沙織さんに、仁美とそのご両親もいる…って、仁美の家なんだから当たり前か…)」

 

この状況で戦えば、自分が魔法少女であることが仁美たちにバレてしまう。

ならばこの場を離れるか? 星矢たちも居るから、自分が居なくてもなんとかなるのでは?

…いや、そんなことは出来ない。

自分は魔法少女。何があっても魔女からみんなを守らないといけないんだ。

腹をくくると、さやかは霧と正対する。

 

「さやかさん、この霧って?」

「瞬さん、うん、こんなの初めてだけど、この魔力は確かに魔女だと思う」

そう言うと、さやかは霧に向かって剣を振るう。

星矢の拳と同じく、さやかの剣もまた空を切る。

だが沙織や仁美たちに霧を近づけないようにすることはできるはず。

決して無駄ではない、そう自分を奮い立てつつ、さやかは剣を振るい続ける。

 

 

「さやか、さん…」

仁美は、自分の目の前で剣を振るう少女を見つめている。

魔法少女を知らない仁美には、さやかの恰好が何を意味しているのかはわからない。

ただ、わかることはおそらく命がけで自分達を守ろうとしてくれているということ。

ならば、自分だって。さやかにばかり危険を押し付けることなんてできない。

なにより、恭介とさやかは幸せになってもらわなければならないのだから。

 

意を決して、傍にあったモップを手に立ち上がった、仁美。

そんな彼女を制する、さやか。

 

「あたしはこいつらと戦わなきゃいけないの。あたしたち魔法少女は魔女と戦う力と義務があるんだから。大丈夫、仁美はそこでご両親を守ってて、ね?」

(それに、あんたは恭介と幸せになってもらわないとならないんだよ…)

 

出るべきではない。仁美は両親の傍らに戻っていった。

 

 

どれくらい時間がたっただろう?

1時間か? いや、まだ5分くらいかもしれない。

辺りを包み込むホワイトアウトの中では、時間の感覚も失われてくる。

いくら拳を放ち、剣を振るっても相手にはまるでダメージを与えることが出来ず、

鎖で引き裂いてもまた何事もなかったかのように襲ってくる、霧。

しかもあたりの魔力は次第に高まり、彼らを襲う霧の勢いは強まってくる。

終わりの見えない戦いに、3人の疲労は確実に蓄積しつつあった。

 

「くそっ、どうしたら… ぐっ!」

一瞬の隙を突かれた攻撃で、さやかが思わずよろける。

「さやかさんっ! …っうわっ!」

「瞬!」

動揺した瞬もまた、四方から霧に撃たれ態勢を崩してしまう。

 

それを好機とみたか、霧はさらに勢いを増して、四方八方から襲い掛かってきた。

 

「しまった!」

霧は星矢たちだけでなく、背後に居る仁美たちへのほうへも向かっている。

間に合わない!

 

 

 

だが、霧はまるで時が凍り付いたかのように動きを止めた。

何が起こったのか?

 

霧の中、何かが光を放っている。

それは、青白く燃えている、炎。

 

 

「させない…お父様とお母さま、そして沙織さんたち、絶対に…」

 

炎の中に見えるのは、仁美。

そして、霧の中に浮かぶ、真っ黒い何か。

 

漆黒のそれは、青白い炎にまとまりつかれ、動きを封じられている。

茫然とそれを見つめている、沙織とさやか、そして仁美の両親たち。

 

 

「星矢、これって…」

「あぁ、そうか、瞬は直接は知らないよな?」

「え? それってどういうこと?」

「12宮の戦いで、俺と紫龍が巨蟹宮で対した相手、蟹座の黄金聖闘士デスマスクが使っていた、積尸気。それと同じなんだ」

「うそ、それじゃぁ、あの真っ黒いのって魔女の魂…?」

「…ペガサスの言う通りよ。魔女が積尸気により魂を抜かれている今こそが好機。まさか積尸気使いがこのようなところに居りましょうとは」

 

やや薄まりつつある霧の中から現れたのは、一人の老人。

先代の教皇、セージだ。

 

「なぜ…聖闘士でもない仁美さんが、積尸気を?」

「城戸沙織さま、いや、アテナさま、私にもそれはわかりませぬ。ただ、彼女には素質があった、ということですな」

「そんな…」

「アテナさま、お気を確かに。時間の猶予はありませぬぞ。彼女も無意識のうちに積尸気を発動したにすぎませぬ。抜き取られた魂に直接攻撃を加えれれば、決着をつけることができましょう。その役目は私が承ります、では…」

 

セージはゆっくりと右手を上げる。

 

「積尸気 鬼蒼焔」

 

セージから放たれた青い炎によって、魔女の漆黒の魂は激しく炎上し、断末魔の叫びをあげつつやがて燃え尽きた。

辺りを包んでいた霧、そして結界は消え、元の部屋の風景が現れた。

 

「積尸気鬼蒼焔は、魂を糧に燃え上がる鬼火。魔女の魂が消滅した今、本体も間もなく消え去りましょう」

 

 

当面の危機は去った。しかし、アテナの表情は暗い。

積尸気を使えるということは、今後の戦いに仁美がいや応なしに巻き込まれることを意味するのだ。

 

「…私、いったいどうしていたのかしら?」

 

仁美は何が起こったのか理解していないようだ。両親と沙織を守りたい。その一心で、無意識のうちに内に眠っていた積尸気を発動させたのだろう。

 

「…アテナ?」

 

彼女の両親もまた茫然としている。

自分の娘が思いもしない力を秘めていたこと、そして家族同然の付き合いをしてきた城戸沙織が、ギリシャ神話に語られる女神アテナだということ。

 

 

「詳しくは、私からお話ししましょう」

 

セージはゆっくりと、順を追ってこれまでのいきさつを、そして今目の前で起こったことについて話していく。

 

「そして、私からあなた方にお願いしたいことがあるのです」

「…どのようなことでしょう?」

どことなく覚悟を秘めた表情で、仁美の父が答える。

 

「ご息女を私どもの聖域にお預けいただけませぬでしょうか?」

 

この時代、積尸気を使いこなせる人材、蟹座の黄金聖闘士デスマスクはすでに世を去っている。

聖域に預ける、すなわちセージや星矢たちと同様に聖闘士への道を歩ませてほしい、ということ。

 

 

「待ってください。セージ、仁美さんは聖闘士ではなく、ごく普通の女の子なのですよ。いくら積尸気を身に着けているとはいえ彼女を危険にさらすわけには…」

「アテナさま。お気持ちはわかります。ただ、ハクレイからも聞いていることでしょう、間もなく始まる聖戦を戦い地上を守るために、そして魔法少女たちをその運命から解き放つために、彼女の力がどうしても必要なのです」

「それは…」

 

セージの説明は至極もっともであるだけに、沙織は言葉を詰まらせる。

 

「セージさん、だっけ?だからってなんで仁美がそんな危ない目に合わなきゃいけないんですか! 探せばきっと他に、もっと適任な人が居ると思うんです。それに魔法少女の運命って何なんですか? 私には訳が分からないです」

 

今度は美樹さやかが食い下がる。

そんなことで仁美と恭介を引き裂くわけにはいかない。なんなら自分が代わってでも。でないと、仁美と恭介のために身を引いた自分の想いも行動も全て無駄になってしまう。

仁美が居なくなれば自分が恭介と… そんな狡い考えが一瞬頭をよぎりかけたのも事実。

それに対する自己嫌悪がさやかの心を激しくかき乱し、抗議を激しいものにしていた。

 

「それで済むのなら私もそうしたいのです。蟹座の黄金聖闘士亡き今、私も他の聖闘士たちも、積尸気を使える者、おそらく数億人に1人いるかいないか、そんな人材を探し続け、これまで出会うこと叶いませんでした。今生の世で上で積尸気を使えるのは彼女だけでしょう。わかっていただけませぬか」

 

セージも容易には引き下がらない。なおも食い下がろうとするさやか。

 

 

「セージ、さん…… 私をその… 聖域とやらに連れていっていただけませんか?」

「仁美、あんたまでそんなことを…!」

 

当の本人からのまさかの言葉に、さやかが叫ぶ。

 

「さやかさん、沙織さん、そしてお父様、お母さま。それが本当に私にしかできないことであれば、私はそれをしなければいけないと思いますの。さっき、さやかさんは命がけで私たちを守ってくださろうとしておりました。自分がしなければいけないことだと言って。その言葉、そっくりあなたにお返ししたいと思いますの」

「そんな…だからって…」

「ご心配なさらないでください。大丈夫です、私、ちゃんと役目を果たして、きっとここにまた戻ってきますから」

 

じっとセージを見つめている仁美の意思は固い。

 

「…わかりました。沙織さん、いえ、アテナと呼ぶべきでしょうか? 貴方が背負おうとしていたのが何なのか、ようやくわかりました。セージさん、貴方の言葉に嘘偽りはないと信じます。仁美をよろしくお願いします」

 

仁美の父親が、落ち着いた声で沙織とセージに答える。

 

「あなたっ!」

「仁美にしかできないことであれば、そしてそれを仁美が務めあげようとするのならば、私たちが出来るのは背中を押してあげること。ここはせめて笑顔で送り出してあげようと思うのだよ」

「…」

 

 

「お心遣い、感謝いたします。実は残された時間はほとんどありません。準備を整えて明日、お迎えにあがります。それまでに身支度のほど、よろしくお願い申し上げます、ではアテナ、参りましょう」

 

 

仁美の両親、そして友を奪われるさやか。その心中いかほどか。

 

彼らを気遣いつつ、アテナとセージたちは志筑邸を後にした。

 


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